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伊藤敦子氏インタビュー

2020/09/18 聞き手:長谷川 唯 ユ・ジンギョン 桐原 尚之 於:コモンズ紫野(NPOココペリ121)

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■インタビュー情報

◇伊藤 敦子 i2020 インタビュー 2020/09/18 聞き手:長谷川 唯 ユ・ジンギョン 桐原 尚之 於:コモンズ紫野(NPOココペリ121)
◇文字起こし:ココペリ121

■関連項目

ALS(本サイト内)  ◇説明/辞典・医学書等での記述
介助(介護)  ◇重度訪問介護(重訪)  ◇こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす
難病/神経難病 

■本文

144分
※聴き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
聴き取りが怪しいところは、【 】(hh:mm:ss)としています。

■■

[音声開始]

ユ:録音しますね。

伊藤:はい。

長谷川:***(00:00:08)これもいったと思うんですけど。このとき甲谷さん髪の毛長かったんですよね。

伊藤:ねえ。これはなんのときに作ったんだろう。岡本さんの写真で。

長谷川:ああ、ALS-D***(00:00:23)高木さんで。これ私もみたいな。

ユ:このへん由良部さんの写真にあったものですね。前、見せてくれた。

長谷川:これはない。これ杉江さんの。チラシですか?たぶん。ちゃうかな。

伊藤:もしよかったら、もらってください。必要かわからないけど。

長谷川:これは大丈夫。これはたぶんチラシだと思う。

ユ:写真撮りますね。すみません。

長谷川:これはあるよ。私がコピーとってある。

伊藤:これは唯さんたちもいたのかな?立命でやった勉強会みたいなやつ。高橋慎一さんが。

長谷川:がやってましたね。Kさん。

伊藤:Kさんが甲谷さん。私も、今どんどん物を処分していってるところなので、もし役に立つんだったらもらってもらおうかなと思って。

ユ:ほんとですか。

長谷川:ぜひぜひ。良かった。

ユ:ありがとうございます。

伊藤:これは甲谷さんがくれた塗り絵。

長谷川:すごーい。さすが。甲谷さん。

ユ:あとでゆっくり読んでみます。ありがとうございます。これも全部?

伊藤:全部どうぞ。

ユ:ありがとうございます。

長谷川:今日は伊藤敦子さんがどのように介助っていうか、甲谷さんに関わるきっかけというか。はじめの、こないだ由良部さんに聞いたときは、けっこう早くから伊藤さんは入ってたって言って、主力メンバーだって言ったので。どのようなかたちで、だれかの紹介でとか。

伊藤:由良部さんのダンスのワークショップに参加をしていて、由良部さんから声をかけてもらったのがきっかけです。

長谷川:ワークショップに?

伊藤:うん。その頃、半年ぐらいかけて一つの作品を作るみたいなダンスのプロジェクトがあって、それに参加してて、その講師の一人が由良部さんだったの。

長谷川:え?敦子さんも踊るんですか?

伊藤:うん。踊ってました。今は踊ってないけど。

長谷川:そうだったんだ。それはそのワークショップの中で由良部さんが、今こういう甲谷さんっていう人看てるんだっていう話があって、みんなに募集かけてた感じなんですか?

伊藤:いや。そういうわけではなくて、なんでだったのかな。でも、たぶんそのプロジェクトの最中に、甲谷さんの個展があった。丸太町烏丸の近くで。それを、知り合いに誘われて見に行ったんですよ。それと並行してて。だから、私が由良部さんに「見に行きました」って言ったのか、そのあたりは覚えてないんですけど。

長谷川:じゃあ、由良部さんに会う前っていうか、誘われるか言う前に個展は見に行ってたんですね?

伊藤:うん。個展はたぶんその前だったと思います。

長谷川:じゃあ、甲谷さん自身のことはちょっと知ってたってことですね。

伊藤:うん。ALSっていったいなんだろう?って。なんかすごく興味はありました。いったいどんな病気なんだろう?とか。

ユ:そのときがいつ?何年頃?

伊藤:それが2006年かなぁ?[00:05:07]

長谷川:すごい。

ユ:すごい。全部記録してある。

伊藤:2006年だと思います。うん。そうですね。2007年に入ってたのかもしれない。

長谷川:その友人のかたは、単に甲谷さんの個展見に行こうっていうことだったんですか?

伊藤:その人も由良部さんの舞踏の稽古に出てた人で、たぶん由良部さんに「こんなのやるよ」って聞いて、誘ってくれたんだと思います。

長谷川:そこで甲谷さんっていうかALSのことを知って、興味がちょっとずつ湧いたっていうとこですか?

伊藤:うん。すごく大変な病気なんだろうなと思って、この人に私が関わることって、関わって何かしてあげられることって何かあるかなぁってそのときにちょっと思ったりもしたので、由良部さんから声がかかったときにすごいびっくりした。「来たー」みたいな感じで。

長谷川:じゃあそこは、そういうふうに思ってたし、迷いもなく甲谷さんのとこに行ったってことですか?

伊藤:そうですね。たぶん最初に「ヘルパーの資格持ってるんだっけ?」みたいな感じで声をかけられたのかな。で、私もダンスのプロジェクトに参加するために仕事を辞めてたので、次仕事何しようかなって考えてるところだったから、じゃあやってみようかなと思って。

長谷川:ヘルパーの資格は持ってたんですか?

伊藤:ヘルパーの資格は持ってたんです。だから、介護保険が始まる前に、1998年から2000年ぐらいの間に京都福祉サービス協会のヘルパーさんだったんです。

長谷川:へー!そうだったんだ。

伊藤:そう。あそこで資格を取って。

長谷川:めっちゃ驚き。そうだったんですね。

伊藤:うん。京都市民新聞かなんかで、「ヘルパーの資格取れますよ」みたいな。

長谷川:えー。でも実際に、そのALSの人のこと、サービス協会いたときには関わったことがなくて、甲谷さんで初めてですよね?

伊藤:そうですね。サービス協会のときは、もうご高齢のかたばっかりで、障害のかたの介助っていうのがぜんぜんなかったんですよ。だから、初めてでした。

長谷川:由良部さんに声かけられて、もうすぐに入ったんですか?

伊藤:ダンスの講演が2007年の3月にあって、で、その頃甲谷さん病院にいらっしゃって、で、由良部さんに誘われて、一度お見舞いっていうか顔合わせに行ったのかな。気管切開してまだ間もない頃で。そうですね、顔合わせみたいな感じのことをして、で、ダンスの講演が終わった後で、病院に、なんていうか、ボランティアで週一ぐらい入るようになったのかな。

長谷川:そうか、あの支援の会がまだあって。

伊藤:そうそう。支援と学びの会でしたっけ。[00:10:00]

長谷川:週一回ボランティアで。

伊藤:週一回だったと思います。

長谷川:そのときはどんなことしてたんですか?ボランティアで行ったときは。

伊藤:だいたいはお散歩で。だから、行ったら看護師さんに頼んで、一緒に移乗をしてもらって、で、車椅子を押して、近くをぐるーっと散歩して、コロッケ屋さんでコロッケ買ったりとかして。甲谷さん、病院の食事だけじゃなくて、そういう外で何か買って食べるっていうのをすごく楽しみにしてはったので、コンビニでおかず買ったりとかして、帰ってきたら、それをつぶして食べる介助をするっていう感じでした。

長谷川:それは、ボランティアは一人で行ってたんですか?

伊藤:一人で行ってました。最初は由良部さんと一緒にとかだったかなぁ。

長谷川:でももうすぐ一人で行くようになって。

伊藤:うーん。そうですね。

長谷川:看護師さんとか、なんか言われませんでした?外から人来てやるみたいな。

伊藤:あー。なんか移乗のときとかすごい嫌そう。嫌そうでしたね。

長谷川:そのとき甲谷さんとのコミュニケーションって文字盤?

伊藤:文字盤で。そうですね。なんか細かくいろいろ怒られましたね。毎週のように。

長谷川:うそ?どんなこと?

伊藤:車椅子押してても、5分おきに様子を見てほしいとか、なんかいろいろあったんだけど。けっこう厳しいなぁって思ってました。そのとき。

長谷川:5分おきに様子って、なんか変わるんですか?

伊藤:やっぱり車椅子押してると、後ろから見てる状態で顔の様子とかがわからないので、必ずこう顔を一回一回見てほしいっていうことを言われましたね。で、志賀さんとか慣れたかたがやってるコミュニケーションの様子をまねてやろうとすると、「初心者は先読みをしないでください」とか、そんなようなこととか。

長谷川:落ち込まなかったですか?

伊藤:いやぁなんか、正直、続くかなぁって思ったことがありましたね。

長谷川:文字盤ってすぐ、そのときは甲谷さん、すごい目が動いてたから取れたってことですか?初めてでも。

伊藤:うん。よく取れました。看護師さんたちもわりとよく取ってはったかなぁ。病院の先生も。

長谷川:由良部さん、そのときもうあれなのかなぁ。在宅移行決まってたんだっけかな?

ユ:支援?

伊藤:たぶんそれも視野に入れてっていうことでお話は聞いてたと思います。

長谷川:そのときは、もう由良部さんとか志賀さんとか、定着したメンバーですよね。支援のボランティアというか。その中に入っていくのってどうでした?

伊藤:そこで、お互い顔を合わせるわけではないから。私も志賀さんは由良部さんみたいに信頼してもらえるのかなぁっていう、そういう不安はあったけど、でもまあやってみるしかないっていう感じで。

長谷川:ボランティアで、いついつ行きますみたいなのって、どういうふうに?

ユ:調整とかスケジュールの。

伊藤:たぶんネット上の掲示板かなんかで志賀さんが管理してはったんかなぁ。

長谷川:で、敦子さん「この日は行きます」みたいな感じですか?固定して何曜日とかですか?

伊藤:だいたい固定してたような気がします。

長谷川:ボランティアってどのくらいいたんですか?滞在時間、病院で。

伊藤:滞在時間はたぶん2時間とか3時間かな。でも長く感じました。[00:15:00]

長谷川:そうか。散歩して。

伊藤:買い物して、で、食事介助して、そうですね。あと、マッサージしたりとか。

長谷川:マッサージって誰かから教えてもらったんですか?やり方。

伊藤:いやぁ。最初、帰山さんとかがやってるのを見たり、由良部さんがやってるのを見たりはちょっとしたけど、あとはまあ、甲谷さんに聞きながらやったのかなぁ。ちょっとよく覚えてないけど。ただすごくこう、硬直?身体の硬直が強くて、海老ぞりみたいになったりするじゃないですか。そしたら由良部さんが、「気管切開してからこれ増えたんだよな」とか言って、膝をぐっと折り曲げて胸につけるようにすると、ふーっと緩むっていう、それをやってるのを見せてもらったりしたかな。

長谷川:細かく教えるというよりかは、見てやるみたいな感じですね。

伊藤:そうですね。甲谷さん自身が身体の専門家だったから、けっこう「こうして」「ああして」って言ってもらってたんじゃないかなぁ。「食べるときは結跏趺坐組んでくれ」とか。

長谷川:はー。怖くなかったですか?こんな硬直とか。私、初めて甲谷さんの見て、びっくりしたの覚えてる。

伊藤:びっくりしますよね。うん、びっくりしました。なんか由良部さんが、「武者が降りてきた」とか言って、そうやって言うと、甲谷さんも笑って緩んでって感じで。そうですよね、怖いなって思ったのは、文字盤ですごく丁寧な言葉づかいで言ってくれるので、「ああ、すごく丁寧なかたなんだなぁ」っていうので有難かったけれども、そういうとき、やっぱり硬直が起きたりするから、すごいそれが怖かったですね。表情とか。

ユ:一人でボランティアやるときに、困ったときとかありました?

伊藤:困ったときは。いや。でもそんなに、もう一人でどうにもならないみたいなことはなかったかな。

長谷川:そっから、でも気管切開したってことは、そうか、もう在宅はけっこう見据えての気管切開ですもんね。甲谷さんは。

伊藤:ね。私もそのあたりは後々から知ったんですけど。

長谷川:もうたぶん志賀さんとか由良部さんとかが、家探しだとか、制度面のことをやってたと思う。その時期は。「夜のファミレスとかで打ち合わせをして」とかってこないだは言ってたけど。敦子さんはもう昼間のボランティアですか?

伊藤:うん。でも、その病院の近く。そのときは民医連に移ってたんですけど、最初に会いに行ってたときは、桂?だったのかなぁ。気管切開した病院は桂だったのかなぁ。民医連に移られてからボランティアに入って、その近所の喫茶店で由良部さんと大藤さんと私と、もう一人ぐらいで、何か作戦会議みたいなことはやった覚えはあります。

長谷川;それはあれですかね、ヘルパーのことかな。シフトとかですかね?

伊藤:たぶん、そうなんじゃないかな。

長谷川:じゃあもう、けっこうそのときは、もう在宅っていうのを見据えて、ヘルパーの調整だとかが始まってたんですね。

伊藤:でもなかなか、退院がのびのびになって、ちょっと生活も苦しく、「どうしよう」っていう感じでしたね。その期間は。

長谷川:それはボランティアだったじゃないですか。病院の中では、ボランティアだったけど、外に出るときっていうのは、在宅に戻るときってのは、一応、お金とか時給っていうものは提示されてたんですか?[00:20:12]

伊藤:そのときは、いや、まだ、「いくらぐらいになるかなぁ」っていう感じで、「最低賃金は確保したいと思ってるんだけどー」っていうような感じでしたね。

長谷川:じゃあ、由良部さんが誘ってきたときっていうのは、「ボランティアでやってみない?」って話だったんですか?ヘルパーで。

伊藤:いや。いずれ在宅に移られたら、仕事としてお金も出ると。週何回とか、がっつり働けるっていうことで、まずはまだ病院にいらっしゃるから、ボランティアで入って慣れていってほしいっていうような感じだったのかな。

長谷川:じゃあもう、そこの甲谷さんとこで働くって思って関わり始めたってことですか?伊藤さんは。

伊藤:そうですね。はい。だから、その間、ちょっと別のアルバイトをしながら、待ちながらっていう感じでした。

長谷川:病院でのボランティアが続いて、実際に退院するときも、何かこう、こっち側に移って来るときも、やっぱりメインとして関わってたんですね。

伊藤:そうですね。シフトはそのときから週5とか入ってたかなぁ。

長谷川:それは志賀さんが調整する?

伊藤:志賀さんが調整する。

長谷川:志賀さんに出してってことですか?「この日は入れます」みたいな。

伊藤:そうですね。だいたい2ヶ月前の月末までにシフトの希望を出して、志賀さんが組むっていう感じでやって。そのときからそのかたちでやってたかどうかが思い出せないけど、だんだんそういうふうになってったのかな。

長谷川:ぜんぜんケアっていうか、甲谷さんのケアを例えばみんなで話し合うみたいなのはなかったですか?出るときとか。

伊藤:病院で痰吸引の研修はしてもらいました。看護師さんに。で、日常のケアについては、最初のうちは志賀さんや由良部さんがついて、教わりながらやってたかな。

長谷川:戻ってきて?

伊藤:うん。この家?

長谷川:この家じゃない。この家のたぶん隣。隣。

伊藤:ですよね。今はもうない。

ユ:その時期はココペリとは関係なかった時期ですかね?

伊藤:いや。もう最初っからココペリにみんな登録して。

長谷川:何人ぐらいでした?退院するときって。

伊藤:退院するときのヘルパーさんは、志賀さん、由良部さん、帰山さん、大籐さんと私、5人?

長谷川:高木さんはまだですか?

伊藤:高木さんはあとから。高木さんと仁井さんがあとから。

長谷川:じゃあ5人ですか。

伊藤:5人だったのかな。

長谷川:そのとき5人で、帰ってきたら24時間じゃないですか、甲谷さんって。なんかこう、「うわ、負担になる」とか「大変だな」とかって思わなかったですか?

伊藤:ああ。でも、私も子供が小さかったので、「伊藤さんは9時5時ね」っていう感じに最初っからしてくれてたんですよ。人を増やしていくつもりだけど、それまではっていう感じで、由良部さんや志賀さんがけっこう泊りとかやってくださってたんじゃないかな。

長谷川:昼間は、じゃあ一人ですか?

伊藤:最初は一人だってたですね。

長谷川:9時5時?

伊藤:うーん。うん。だと思う。

長谷川:散歩とか、リフトあったじゃないですか。散歩とかって、あれ、伊藤さん一人でリフト移してやってたってことですか?

伊藤:うんうん。あれは一人でやる用のリフトなので、それはできるんですけど。でも甲谷さんはリフトまどろっこしかったみたいで、隣の堀田さんを呼びに行ってくれとか言われて、「嫌です」って断ったりとかしてました。[00:25:18]

長谷川:すごい興味あるのが、もともとサービス協会とかでケアをしてたというか、働いてたじゃないですか。そのときたぶん、ぜんぜん重度訪問介護のケアと介護保険のケアって違うじゃないですか。事業所のケアと、こっちのこう由良部さんとか体制組んだケアとか、ぜんぜん違うじゃないですか。その中で、「ここ違うな」とか、戸惑いとか。

伊藤:うーん。そうですね。サービス協会さんすごくおっきい組織だし、ルールがめっちゃしっかりしてて、だから、それとはぜんぜん違うんだなっていうのはわかって、むしろ学生のときに寮に住んでたんですけど、寮の、何人かの知り合いが、重度の障害を持っている人の介助に入ってて、それで聞いてた話のほうに近いなぁっていう感じでしたね。

長谷川:のびのびとした感じのほうが強かったですか?

伊藤:のびのび。うーん。でも甲谷さんもある意味厳しい人ではあったので、面白い、楽しい部分もありつつ、のびのび?のびのびの部分もあるけども、やっぱりどっか厳さはあるっていう感じはありましたね。

長谷川:その頃はけっこう甲谷さんはまだコミュニケーションかなりできただろうから、ケアの話以外ももちろんいっぱいしたっていう。

伊藤:そうですね。でも、あんまりこう落ち着いて語り合うみたいなところまではいかなくて、やっぱり日常のことに追われてしまうなって。だから、お友達が来られて話し込んだりとか、それはすごくいいなと思って。やっぱり。でもなんか、だんだんそういう外との繋がりが薄くなっていった期間があって、そのときは、「ヘルパー以外の繋がりが、もっとあってほしいな」っていうのは思いました。

長谷川:話し込むときっていうのは、もちろん敦子さんが文字盤を取って伝える?

伊藤:うんうん。

長谷川:病院でのボランティアでやってたケアと、家に、地域に戻ってやってたケアってやっぱり違いましたか?仕事量的には増えますよね、たぶん。

伊藤:そうですね。病院はやっぱり主に看護師さんたちがやってくださってて、そのプラスαのところだけだったので、やっぱりけっこう一からっていう感じだったかなぁ。排便とかね、そういったケアも。だから、最初はやっぱり志賀さんたちにかなり一緒に入ってもらって、で、「もう一人でいけるわね」ってなって、一人になってったんですけど、「じゃあ伊藤さん今日から一人ね」っていうときに、志賀さんが帰ろうとしてるタイミングで甲谷さん大硬直になって、たぶん不安だったからと思うんですけど、志賀さんが、「知りませんよ」って。「あなた、伊藤さんと一対一でやってくんですからね」ってバーンってこうやって行って。で、甲谷さんもうなんかぽかーんとして、ヒューって硬直が治まって。ちょっとドキドキしました。[00:29:55]

長谷川:じゃあ、病院から出るときに、例えば「こういうケアが必要だからこういうことを学ぼう」とか「ケアとしてはこういうことが必要で」みたいなそういう話はあまりなくて、実際戻ってから、志賀さんとか由良部さんが、日常のケアというかをみんなに教えていくっていうか、みんなと一緒にやって、で、独り立ちしていくみたいな感じだったんですね。

伊藤:だったと思います。食べ物の刻み具合とか、とろみのつけ具合とかでも、飲み込めなかったりするんで、最初はよく失敗してたような気がする。

長谷川:それも志賀さんとかから教わるんですか?

伊藤:いや。それはたぶん、みんなで試行錯誤しながらだったんじゃないかな。

長谷川:はー。硬直。伊藤さんから見て、志賀さんとか由良部さんとかって、甲谷さんにもばしっと言う感じじゃないですか。なんか、やっぱ違うなっていう感覚がありましたか?

伊藤:うん。やっぱりあの立場にはなれないなというか。甲谷さんのご家族のことも、私、最初は知らなかったけど、あのお二人が家族代わりっていうか、そういうような感じで。私たちは、いちヘルパーっていうような心づもりだったかなぁ。

長谷川:何かわからないとか困ったことがあったら、志賀さん、由良部さん。

伊藤:うんうん。そうですね。

長谷川:志賀さんと由良部さんって二人いるじゃないですか。二人っていうか、このチームのリーダーみたいなのは二人いるじゃないですか。なんかその、言うときに、このときは志賀さんかなとか、このことは由良部さんかなって、そういうのはあったんですか?

伊藤:ああ。まあでも、一緒に入ってる人に言うって感じだったかな。あとは掲示板もあったので、そこに、「こういうときどうしましょう?」って書いたりとかしてたんじゃないかなと。なんかちょっと具体的には思い出せないんですけど。

長谷川:私すごい印象に残ってるのはね、それはもう向こうの家に引っ越した、今のところに引っ越したときのことなんだけど、一緒にコミュニケーション支援とかで甲谷さんところに通うでしょ。そしたら、甲谷さんが、まあその日の気分があって、いろいろと。5分ぐらいで、違うこと、私たちが来てるけれども、違うことを要求して、コミュニケーションのことが置き去りにされることがよくあったんですよ。そのときに伊藤さんが、「甲谷さん、自分のことですよ」ってすごい怒ったんですよね。私、あれ見てすごいなと思って。そういう、さっきも「堀田さんを呼んでくれ」って言ったら「嫌です」って言ったって、ああいうのっていうのは、どうっていうか、やっぱり甲谷さんとのある程度の、病院に通って、ある程度の関係っていうのができてるからっていう感じですか?

伊藤:そうですね。やっぱりだんだん。最初は私も手足っていうか、言われたことを言われた通りにやるのがいいんだろうと思って入ったんですけど、でもやっぱり長いですよね。一日8時間とか、週5とか一緒にいて。やっぱりちょっと志賀さんや由良部さんとは違うけど、準家族じゃないけど、そんな感じになってたのかもしれないですね。で、隣の家に住んでるからって、あんまりそんな、移乗の度にあてにされるとかって、私だったら嫌だなと思って。ゆっくり勉強されてるかもしれないしとか。で、堀田さん優しいし、断らないだろうなと思うから、「いやそれは、私だったら嫌ですよ」って言うように、だんだんなってった。一、二回は呼びに行ったんですよ、たぶん。だけど、それからは「嫌です」って。[00:35:00]

長谷川:はじめのこっちの家のとき、仮住まいのときって、伊藤さんが覚えている限りで何が一番問題になってました?ヘルパーの介助とかでもヘルパーとかでも甲谷さんのことで。

伊藤:ああ、何が問題だったんだろう。

ユ:最初のときですね。

長谷川:こっちの仮住まいのときね。人が足りないこととかですか?

伊藤:いや。まだそのときはね、高木さんとか仁井さんとか。どなたがどのタイミングでって思い出せないけど、もちづきさん、きづさん。

長谷川:***(00:35:45)ないですよね。

伊藤:だんだん増えて。なんかこう、どんどん増えてくような雰囲気のときだったので、人が足りなくなるっていう心配は感じなかったですね。で、由良部さんと志賀さんがこう、がちっと、少々無理してでもサポートしてくれるっていう安心感もあったし、何が問題だったんだろう?うーん。うん。仮住まいのときはあんまり、これが大変っていうの思い出せないですね。

長谷川:仮住まいのときに、二人介護で、まあ二人介護じゃなかったんだと思うんです、まだそのときに。で、私たち立命館の、立岩先生とか堀田さんとかは、散歩に行くのに一人で行くっていうのは大変だっていうことで、二人やっぱり欲しいし、二人介護をどうにか獲得するための時間数を取りたいっていうのは仮住まいのときから言ってて、それで来てたんですよね、相談が。実際にでも一人、そういうのはなかったですか?私たちが見てる仮住まいのときの問題と、実際に現場の。

伊藤:ああ。でも、確かにやっぱり一個一個文字盤を取っての介助なので、ずーっと動き詰めになるっていうのはあって。行動範囲、甲谷さんのお散歩の範囲とかも、だんだん広がっていったんですよ。仮住まいのときはまだそこまで大変なところにはいってなかったような気はするんだけど、それでもやっぱり外出の準備にしても、帰ってきてからの後片づけにしても、「あ、身体が二つほしい」っていうような感じではあったんですね。

長谷川:どんどん増えていく中で、ずっと病院のボランティアから入ってるから、教える側に立つっていうのはあったんですか?

伊藤:新しく?

長谷川:そうそう。新しく入った。

伊藤:それはもちろんありましたね。

長谷川:大変でしたか?甲谷さんが教えるのを補助するのか、それとももうヘルパーが「こうするんだよ」って言うのか。

伊藤:ああ、そうですね。甲谷さんが「なんかもう教えて」ってちょっと投げてこられる感じのところもあり、でもやっぱり直でやり取りして覚えてほしいっていうのもあったので、そのあたりの匙加減はけっこう難しかったんじゃないかな。どこらへんから手を引いて任せていくかっていうのも、ね、きっと、ユさんとかも経験されてると思うんですけど。あんまりこう任せるのが早すぎるとぶつかっちゃったり、で、上手くいくものも上手くいかなくなっちゃったりもするから、そこは、ほんとにそれも試行錯誤しながらだったかな。

長谷川:仮住まいのときは、甲谷さんともコミュニケーションが取れて、

ユ:文字盤でしたね。

長谷川:そんなにぶつかることというか、問題と感じるようなことというよりかは、どんどん増えていったりとか、初めに提案されたことがどんどん実現していくというか、そういう過程だった。[00:40:03]

伊藤:そうですよね。上り調子っていうか。

長谷川:ミーティングとか開いてたんですか?ヘルパーで集まって。

伊藤:いや。そのときはやってなくて、たぶん今のお家に移られて、だんだん大変になってきた頃に開くようになったかな。

長谷川:その、仮住まいのときは、人が増えていく段階だったじゃないですか。そのとき、伊藤さんの生活、子育てのある生活で、9時5時はちゃんと守られてたんですか?

伊藤:うん。それはちゃんと守ってもらえてて、ありがたかった。

長谷川:でも二人介護じゃなく、文字盤でのいろいろなこと、文字盤を絶対に介しての一人での作業って、身体が二つほしいみたいなところもあって、すごい疲れなかったですか?子育てもあり、甲谷さんもあり。

伊藤:それはたぶん、体力的には大変だったと思います。

ユ:散歩は毎日行ったんですか?

伊藤:うん。毎日。出ない日はなかった。

長谷川:すごいね。雨でも。

ユ:雨であっても。

伊藤:でまた、晴れ男で雨が降らないんですよ、ほんとに。

ユ:増田さんが雨男だったっけ?

伊藤:あ、そうなの?

ユ:なんかそんな話、前言ってた気がした。

伊藤:三宅さんも晴れ男だった。

長谷川:そうかぁ。そのときはもう、甲谷さんのところで働くっていうところは変わらず、「辞めたい」とか、「無理かな」っていう思いはなかったですか?仮住まいのときは。

伊藤:うん。そのときは特にはなかったですね。

長谷川:でも手探りでみんなでやってる感じですか?

伊藤:うん。だと思います。でもやっぱ、志賀さんとかが束ねてくれてるっていうか、そういう感じでしたね。

長谷川:甲谷さんも志賀さんとか由良部さんとか敦子さんに対しても、やっぱり意見は言ってたんですか?

伊藤:ああ。うーん。意見かぁ。例えばこの人のやり方が上手いから、この人のやり方に合わせてほしいとか、そういうのは言ってはったかな。でもその、ちょっと大変になってきて、ミーティングを定期的にってなったときには、なんかむしろ、甲谷さんいないほうがしゃべりやすいみたいな感じもあって、甲谷さんこれ、内容聞いたら嫌だろうなぁって思いつつでしたね。

長谷川:制度とかを志賀さんとかが一生懸命、二人介護取るだとか、そういうの交渉してたと思うんですけど、それにも敦子さん行ったんですか?介助とかで。

伊藤:最初の24時間出るかどうかっていうところの交渉のときは、ヘルパーとして行ってて。でも、何しに行くのか知らないまま介助者として行ったっていう感じでしたね。

長谷川:じゃあそういう由良部さんとか志賀さんの動きみたいなもの。独自のじゃないですけど、あんまりそういうところは何か聞いてたとか、言われてたとかじゃなくて、もうほんとに甲谷さんの介助でっていう感じですか?

伊藤:なんかちらちらと聞くんだけど、あんまりよくわかってないっていうか、例えば弁護士さんが関わられてたりとかね。で、お家を作ってるのだって、一体どこからどんなふうにお金が出てるのかとか、そういったこともぜんぜん知らなくって。

長谷川:プロジェクト自体はみんなに知らされてたんですか?こういうALS-Dプロジェクトみたいなかたちで、家探しとか住まいを改築して、由良部さんとかが一緒に稽古場のあるような家にしてだとか。[00:44:55]

伊藤:それは聞いてたんですけど、でも、もうなんかほんとに、渦中にいたから、「え?これってどういうことですか?」みたいにこうやり取りする暇もなくっていうか、とにかく自分は介助をしてればいいのかなという感じでした。

長谷川:病院から出てくるときに、さっき医療的な痰の吸引とか看護師から教わったって言ってたじゃないですか。あれ、実際に家帰ってきてするとき怖くなかったですか?

伊藤:痰の吸引は、甲谷さんほとんどなくって。うん。そうですね、なんか、その危険性も知らずにやってたっていう感じだったかなぁ。でもほんとに、回数は少なくて。でも最初のうちはわりと真面目にちゃんとやってたのかなぁ。自分でゴボって出しちゃうんです。わりと塊りのある痰を。それを私たちはティッシュでふき取るっていうのが主な仕事で。吸引機がだんだん置物みたいになってったような。

長谷川:看護師さんとのやり取りっていうか、病院の中ではそんなに厳しく言われなかったですか?

伊藤:うん。そのときねぇ。なんかたぶん、そのときも家族的な扱いで、同意書とか交わしたのかなぁ。「私たちはこの人に認められて、これをやってます」みたいな。そうですね。そんな、あっさりと教えてくれたっていう感じ。

長谷川:こっち戻ってきても、訪問看護とかも、そこはまあまあみたいな。あんまり問題にならずに?

伊藤:うん。特に問題にはならなくて。ただ、例えば胃ろうからの滴下の注入を、甲谷さん、お水とかお茶とかは、もう全開で落とすんですよ。ダーって。それとかは看護師さんが「え!ちょっと」って止められたりして。でも甲谷さんが「いい」って、「全開で」って言うから。看護師さんも「まあ、在宅だしな」っていうか、すごく甲谷さんや私たちに合わせてくれる雰囲気のステーションだったかなぁ。

長谷川:じゃあ病院でも胃ろうのやり方習ったんですか?

伊藤:胃ろう。私ちょっと覚えがなくて。吸引は確実に教わったんですけど、胃ろうはどうだったかなって感じなんですよね。

長谷川:まあでも口からも食べてましたもんね。

伊藤:うん。そうですね。

長谷川:実際に向こうにできて、今のALS-Dができて、そこに行くときに、行ってからは、だんだん症状は変わっていくじゃないですか。なんか変化はありました?やっぱり。住まいが変わることで変化ってありましたか?

伊藤:住まいが変わることでっていうのはあんまり覚えがないですけど、やっぱり、あ、そうか、お口からエンショアを飲んではったんですよね。でも、だんだんと、ゴクっていうのがしづらくなってきて、ゴクってしようとすると、口からボフっと出る。それをいかにヘルパーの手で、指で、上手に押さえながら、唇を密閉しながら飲ませるかっていうのを、だんだんみんな編み出してやってたなって、角度とかも、ってのを覚えてるんですけど。でもやっぱり、それも徐々にだんだんっていう感じで、引っ越しを機にっていうのは私はちょっと思い出せないですね。

長谷川:あの日、向こうに行ってから、いろいろタイムスタディーとかして、二人介護の必要性だとか、何をどれぐらいしてるかみたいな具体的に弁護士が入ってやり始めて。

伊藤:タイムスタディーって古いほうの家じゃなかったかな?

長谷川:2回やってるんですよ。こっちの家でたぶんやってて、向こうでもやってて。

伊藤:あー、そっかぁ。[00:50:04]

長谷川:へぇ。あのときの。まだ甲谷さんすごい、でもコミュニケーションできてましたよね。ケアが統一されるとか、何々さんのケアに合わせてとか、そんなのもありましたか?

伊藤:それはありました。「体交のやり方は高木さんのやり方が上手」とか、「ズボンの下ろし方は誰々さんが」とか、そういうのはよく言われてて。だから、引き継ぎのときに、「ちょっと見せてください」とか、お互いやったりはしてたかなぁ。

長谷川:ノートとかではなくですか?

伊藤:ああ。ノートにも書いたり。マニュアル的なものをどんどん作ろうとしたんですけど、でも間に合わなかったのかなぁ。やっぱり変わっていく、ゆるゆると変わっていくんで。いつの間にか、いろんな人がいろんなやり方を編み出していくから、「あれ?前はこれが良いって言ったけど、いつの間にかこっちが更に良くなってる」とか、そういうことがあったから。甲谷さんがそのときに、「今後誰々さんのこのやり方に合わせてください」って言うと、それをノートとかに書いて、で、それで、お互いに「これってどんなふうにやってるんですか?」とかやってたかなぁ。

長谷川:甲谷さんとコミュニケーションができてるきに、なんかぶつかることとかありましたか?

伊藤:うん。それはもうたくさん。たくさんありました。

長谷川:やっぱり言い返すんですか?

伊藤:うーん。そうですね。例えば二人介助とかも、私も最初のうちは、あんまり良くわかってなくてというか、「二人、同じ動きをしないとだめ」みたいなことを言われてたじゃないですか。タイムスタディーのとき。でも、

ユ:同じ動き?

伊藤:つまり、移乗するときに、一人が掃除をしてて、一人が移乗っていうような入り方はだめ。

長谷川:別々のことしちゃだめっていう。

伊藤:そのときはそれは聞いていたんですけど、でも、例えば二人入ってる時間に、一人の人がちょっとトイレットペーパー買いに出たりとか、そういうことはわりとやったりもしてて。でもなんかちょっとそれがエスカレートする感じのところがあって。甲谷さんが、なんかヘルパー二人いるから、一人の人に「あれ、おつかい行ってきて」みたいに頼んだりする。でも、すごく近所なので、「甲谷さんそれだったら散歩のときに一緒に行きましょうよ」って「自分のご用事だし」って言ったりとかしたらすごい大硬直になったりとかしてましたね。

長谷川:硬直になったあとになんか言われるんですよね。硬直になって、終わり?

伊藤:あー。硬直になって終わりのこともあったかな。終わったあとにどうだったのかなぁ。甲谷さんもけっこう諦めはるっていうか、仕方ないっていう感じで。そういう意味ではこちらのほうが強いって言ったらあれだけど、申し訳ないなと思いつつ。こっちの言うことが通っちゃうっていうのは。うーん。そうですね、なんか、「お金下ろしにいくとかは自分で行きましょう」って言ったりしてたかな。

長谷川:それ、例えば敦子さんから見て、他のヘルパーさん、入ってる人が、甲谷さんの言ってることをそのまま聞き入れたりだとかしているのとかを、「これはちょっと」って思うこととかあったんですか?甲谷さんにというか。[00:54:52]

伊藤:いや。逆に、由良部さんと例えばお昼間に散歩の介助に入ったときに、由良部さんが「ええ。この坂登るの?ぼくだったら嫌だって断るなぁ」って言ったりして、「えー?」って。私、「この道を行きたい」っていうのを断るっていう発想はなかったなぁと思って。でも由良部さんと行ったときしぶしぶ、ぶつぶつ言いながら一緒に押してくれたんですけど。それは由良部さんと甲谷さんがもともとお友達だから、「ぼくは嫌だな」って言えるかもしれないけど、私はちょっとそれは言えないなぁっていうようなやり取りをした覚えはあって。だから、もうちょっと思ったことを言ってもいいのかなって私自身がだんだん思ってきたっていう感じで、他の人に、「え?それやらんでもいいんちゃう?」いうようなことはあんまりなかったかな。あ、でも、甲谷さんが、けっこうだんだんヘルパーがしんどくなってきてた時期に、「これからはお水、2リットルのペットボトルを2〜3本持ってって、それにお水を汲んで帰ります」って言ったんですよね。で、それを聞いたヘルパーさんがノートに、「これからは、2リットルのペットボトルを3本持っていくそうです」みたいに書いたら、志賀さんが「何言ってんの!」って怒ったっていうことはありましたね。

長谷川:それは甲谷さんに怒ったんですか?

伊藤:そうそう。みんなもうへとへとなこの時期に何言ってるんですか!っていう感じで。だから、私が「え?それやばいんちゃう?」って思うような前に志賀さんが手当てしてくれるっていう感じでしたね。

長谷川:ふーん。面白いね。

ユ:やっぱり家族の立場みたいに。

長谷川:に近いんでしょうね。

ユ:ヘルパーより、家族とか友達の立場で話してたんじゃないかなって、今の話を聞くと、私はちょっと感じますね。

伊藤:志賀さんはでもきっと、管理者というかシフトを組むとかいう立場でもあるから、そういう意味では本当に甲谷さんにもケアをし、私たちの言うことも聞きっていう感じですごく調整してくださってたなと思います。

長谷川:敦子さんから見て、ケアに例えばさっき由良部さんと入ったときに、友達だから言えるんだろうなって思うところがあったっていう、そういう介助者としてではなく、友人としてみたいなところっていうのは、やっぱり介助の中でも垣間見えてたんですか?

伊藤:由良部さんと甲谷さん?

長谷川:他の例えば介助者とやっぱり違うなぁって。

伊藤:うん。それは思いましたね。

長谷川:志賀さんも?

伊藤:志賀さんも、やっぱり甲谷さんお一人暮らしなので、目の届かないところ、例えば、「この服だいぶ傷んでるから、そろそろ処分しましょうか?」とか、そういうのは、いちヘルパーからは、そこまではあんまり踏み込めない。

長谷川:気づいてても?

伊藤:うん。どうかなぁ?って思って。まあそういうところ、わりと先手を打って、「これ、そろそと処分しましょうか」「しますね」っていう感じで家のことを切り盛りしてくれるのが志賀さんって感じだったので。あれ?今の質問なんだったっけ?

長谷川:いやいや。由良部さんとか志賀さんはやっぱり他の介助者と違うんだなと思うのを、介助に一緒に入るときに、やっぱり思ったのかな?と。

伊藤:介助に一緒に入ったときにも思うし、やっぱりヘルパーから、「これどうしましょう?」っていうのの集約先が、そのお二人っていう感じ。[00:59:46]

長谷川:甲谷さんに思ってても言えないことも、例えば志賀さんに言ったら、志賀さんが甲谷さんに言ったりとか調整を図るみたいなことっていうのがあったんですかね?なんとなく甲谷さんのところって、甲谷さんに言えないことっていうのはそんなになさそうだなって思って。みんななんか関係が濃くなっていくから、ある程度のなんていうかな、介助者であっても、手足だけじゃない、まさにその言葉通りで、甲谷さんに「いや。これは違うと思います」だとか、「こうしたらどうですか?」とか。

伊藤:あ。でも、あれですね。甲谷さんが石にはまったとき、お地蔵さんをひと月に一体買ってたんですけど、あるとき石灯篭の前で立ち止まって、「これ買う」って言ったときに、「ええ?」って。もちろん甲谷さんの買い物なんだけど、私と一対一のときに、「これ買います」って言っていいものだろうか?と思って、「ちょっと待ってくださいね」って、「これ、買ってもどこに置くかとか、甲谷さんのお家は由良部さんと一緒の持ち物だから、一旦持ち帰って由良部さんと相談しましょう」って言って帰ったら、やっぱり由良部さん却下っていうことがありました。

長谷川:あんまりあれですね。甲谷さんのことで、「これ言えない」とか、「どうしたらいいのか」っていうことはあったのかもしれないけど。ありましたか?例えば自分が甲谷さんとの関係で、これをしてしまったら例えば他のヘルパーもしなくちゃいけなくなってしまうとか。

伊藤:あー。うーん。どうだったかなぁ。でもなんか、あんまりやりすぎると、自分がやりすぎると、それがスタンダードになったら大変っていうのは、あるときにだんだん気づいてきて。例えば、唯ちゃんも一緒に鞍馬山行きましたよね。あれとかも、なんか、川口有美子さんからかな、「え?行っちゃったんだ」みたいな感じの反応をもらって、「あ!良くなかったかぁ」ってあとから思った。もうあのときタイムスタディーもぜんぜんできなくなっちゃったし。だから、そうですね。なんかお寺に行っても、一見バリアフリーじゃなくても、お寺の人に掛け合ったり、まわりの人にお願いしたりして、車椅子一緒に担いでもらったりしてたけど、でもそれもやっぱり、だんだん度が過ぎてくると、一緒に入るヘルパーさんも大変だし、それこそ途中で何かあったら手伝ってくれた人にも迷惑になるし、そこはだんだん慎重になってったと思います。

長谷川:甲谷さんが症状が進行していって、で、だんだん要求が高まってって、すごく。で、みんなが、ヘルパーたちが辞めていったりだとか、難しくなっていったりするじゃないですか。あのときって、伊藤さんはどう受け止めてたんですか?

伊藤:うーん。そうですね。やっぱり一生懸命教えて、だんだん身につけてきてくれた人が、甲谷さんから「×」って断られてしまうとすごくがっかりしたし、このまま先細りで、どうなっちゃうんだろうっていう不安はありましたね。

長谷川:その頃ぐらいですか?みんなでケア会議みたいなのを開き始めたのは。

伊藤:うん。たぶんそうですね。すごく長ーく研修に入ってくれても、なかなかケアをさせてもらえないとか、そういう人がだんだん増えてきて。たぶんコンスタントに入ってるヘルパーさんが7〜8人いて、プラスっていうところで、甲谷さん、受け入れるハードルが高くなったように感じて。そうですね、その頃はちょっと大変でしたね。[01:05:08]

長谷川:もともとその受け入れるハードルが高くなるまでは、研修ってどのくらいでみんな終わってたんですか?終わってひとり立ちみたいな。

伊藤:どのぐらいだったんだろう。でも、ほんとに人にもより、タイミングにもよりっていう感じで、するするするっていくと、あれどのぐらいだったんだろう?でも2〜3ヶ月はかかってたのかな、それでも。

長谷川:それをOK出すのはもちろん甲谷さんだった?

伊藤:うん。志賀さんが甲谷さんに聞いてだったんじゃないかな。

長谷川:それがもうずっと研修3ヶ月以上とか入ってもだめで。

伊藤:うん。

長谷川:まわりから見てると、「でもできてるじゃない」って思うってこと?

伊藤:うん。だけど、文字盤を取るとかも、なかなかさせてもらえなかったり。

長谷川:ああ、そうか。

ユ:研修のときは週何回ぐらい来たんですか?その人たちはだいたい。

伊藤:その人にもよって。大阪から来るヘルパーさんなんかだと、やっぱり週1〜2回が限度だったり。京都の人だと集中的に週3日とか4日とか入ったりしてたのかなぁ。でもそのあたりもほんとにうろ覚えだから。昔のシフト表とか見ればね、わかるかなと思うんですけど。

長谷川:ケア会議が開かれ始めて、だいたいどんなことが問題になってたんですか?

伊藤:どんなことが問題になってたんだろう。

長谷川:ヘルパーで会議を開いてて。あの頃ぐらいかなぁ。たぶんかりん燈の、一緒に、たまたま。

伊藤:ああ。大阪でかりん燈っていう介助者の、

長谷川:労働組合みたいな。

伊藤:保障をしようみたいな団体が。

長谷川:あれは何で行ったんですか?かりん燈。

伊藤:あれはもともと、杉江さんのところにJCILの高橋さんとかが行ってはったのかな?で、なぜか東京でのかりん燈の結成大会みたいなやつに、「一緒に行きませんか?」って誘ってもらって、「小泉さんの介助者としてだったら交通費も浮くし、行きましょう」って言われて行ったんですよ。でもなんでだったかが思い出せない。

長谷川:そのかりん燈の集まりみたいなのでいって。私たぶん西田さんと行ってて、そのときの発言ていうか、かなりまわりには強烈に見えたみたいで。伊藤さんのも私のも。すごい大変な時期でしたね、たぶん。

伊藤:うーん。そうですよね。

長谷川:あのときはだから、それぐらい煮詰まってたというか、敦子さん、煮詰まってたんですか?

伊藤:うーん。煮詰まってましたね。で、川口有美子さんに相談したら、「もうそれは家族だね」って言われて、川口さんと志賀さんと三人で話をしたんですけど、川口さんが「いざとなったら後ろを振り向かずに逃げなさい」って言って。志賀さんはそれを隣で聞いてて「すごく苦しかった」って後から教えてくれたんですけど。川口さんは「あなたがいなくなっても、なんとかなるから」って。たぶん自分がしんどいからって抜けたら、ここは回らなくなるっていうプレッシャーだったのかなぁ。

長谷川:それはいつぐらいの時期ですか?

伊藤:それはいつぐらいなんだろうか。[01:10:00]

長谷川:人がいっぱい抜けていったときですよね。

伊藤:そうですね。甲谷さんが出家?得度されましたよね。たぶん、あのぐらいの頃です。

長谷川:出家ね。

伊藤:だから、それを調べればわかりそうだけど。

長谷川:シフトもかなりぎりぎりだったんですか?

伊藤:シフトは、いやでも、由良部さんや志賀さんがすごく頑張ってくれてたと思う。

長谷川:それを、人も、要は研修をしてもみんな入れないし、人数というかケアも高まってくるし、でもそれを志賀さんとか由良部さんとかが補ってるというか、一生懸命してるのを見て、なんかつらかったというか、自分のつらいなっていう、逃げられないなっていうとこだったんですか?

伊藤:そうですね。早く誰かひとり立ちできるヘルパーさんを育てないと先がないなっていうような感じだったんですね。

ユ:伊藤さんは最初は週5回入ったじゃないですか。そのときも週5回ずっと入ったんですか?

伊藤:週5とか週6とかでやってたなと思います。

ユ:すごい。

伊藤:私は杉江さんところの介助に入り始めたのは、2010年の5月って書いてある。たぶんその前年、2009年とかその頃はしんどい時期だったんじゃないかなぁ。

長谷川:伊藤さんも甲谷さんから厳しく、そこのときに「辞めてくれ」とかそういったこと言われたんですか?

伊藤:いや。それはなかったけど、たぶん私の態度がだんだん厳しくなっていって、甲谷さんに。新しいヘルパーさんに何もさせてもらえない。もうかなり長く研修に来てるのにさせてもらえないっていうので腹を立てて、甲谷さんに対して怒ったりとかしてたので。だからだんだん、甲谷さんが私の顔を見ると硬直するみたいになってきて、関係性がすごく悪くなってましたね。

長谷川:厳しいとか怒ったあととかに「あ、言っちゃったな」とかって思ったりもしたんですか?自分を責めるというか。

伊藤:そうですね。でもなんかもうほんとに必死だった感じで、あんまり反省とかもしてなかったかもしれない。

長谷川:反省っていうか自分を責めるっていうか。よく、杉江さんとかに入ってた学生も、「杉江さんに優しくできないっていうことがしんどくなって」とか、家族の声でも、「もっと優しくできるはずだと思うけどできない」とか、そういうことがだんだんとこう自分の後ろめたさになってって、しんどくなってる人たちがいるから。

伊藤:そうですね。でもやっぱり自分が優しくできないと向こうも硬くなるし、もうほんと悪循環っていう感じでしたね。

長谷川:そういう話もケア会議の中ではしたんですか?[01:14:50]

伊藤:うん。してたと思います。例えばヘルパーさんに面と向かって文字盤で「だれだれ嫌い」とか甲谷さんが言ったりしてたので、「こんなこと言われましたよ」とか、そんなような、そうですね、「こういうふうに言われるけど、これって断っていいんでしょうか?」とかなんかそんなことを話してたのかなぁ。

長谷川:それに対して敦子さんも「いや、こうだ」とか意見をしたんですか?

伊藤:いやぁ、そのあたりは、わりと志賀さんが受けとめてくれてたような感じがしますね。

長谷川:やっぱりそっか。ある意味でやっぱり志賀さんって大きな存在なんですね。

伊藤:うん。ほんとに、志賀さんが繋げてくれたって感じ。

長谷川:逆に志賀さんが、例えば甲谷さんの立場をとるというか、味方をするということで、こうヘルパーとして不満というか「なんでだろう?」って思うことはなかったですか?

伊藤:あー。それはあんまりなくて。ただ、あるときに志賀さんが、「もう、やりたくない人は辞めてくれてかまわない」って言ったことがあって、「いやいやしてほしくない」って。「自分が辞めたらどうなるかって心配して辞められない人もいるかもしれないけど、もうそれは考えなくていいから」って言ったかどうかは覚えてないけど、「いやいややるんだったら辞めてくれてかまわない」ってばしって言わはったことがあって。志賀さんもほんとにみんなの愚痴とか文句とか受けとめるのほんとにしんどかったみたいだけど、あるときにこう、きっぱりとそういう感じのことをおっしゃって。そのぐらいからかな、何か甲谷さんもだんだん落ち着いていったような気がします。でもちょっと時系列があやふやだけど。ちょっとお手洗いに行っていいですか?ごめんなさい。

長谷川:すごいなぁ。

ユ:気になって、今、私が全部の流れをわからないから。甲谷さんがだんだん新しい人たちを受け入れなかった時期があったとさっき言ったのは、甲谷さん自身も何かありました?

長谷川:症状がやっぱり厳しくなっていく中で、要求が高まっていく。

ユ:きっかけとかじゃなくて?

長谷川:うん。

ユ:そかそか。
で、伊藤さんが辞めたのが、2009年頃かな?2010年5月から杉江さんのとこに入ったから、その前に辞めたってことですね。

長谷川:もともと私、誰から聞いたのかな。伊藤敦子さんは甲谷さんのところにしか入らないっていうふうなことを聞いてて。それは決めてたんですか?そういうふうに。[01:19:41]

伊藤:最初に由良部さんからの話がそんな感じだったのかなぁ。「専属で安定して働けるよ」みたいな感じで。でも、長見さんがコンスタントに、甲谷さんだけに入るヘルパーさん以外のヘルパーさんを週一とかで派遣してはって、で、その人たちとしゃべってると、長見さんどうもパーソナルアシスタンスには反対みたいだと。で、「へぇ」っと思って。で、その中のヘルパーさんが、「甲谷さんのところだけってもったいなくないか?」って言われたりとかもして、「へぇー」って、ちょっとそのときに思った覚えがあります。「もっといろんな人のとこに入ったら勉強になるよ」って。まあちょっとそのときは、「いやぁ、今は考えてないですけどね」って。子供との生活もあるし、9時5時で働けるならって思ってました。

長谷川:コミュニケーションが甲谷さんと難しくなっていく中で、ケアもやっぱり変わっていきましたか?

伊藤:うん。変わってきましたね。50音の文字盤がだんだん取れなくなってって、項目を書いた文字盤がだんだんよく使われるようになってきて、で、〇×文字盤、由良部さんが作って。そうするとすごく甲谷さん抵抗したらしいんですけど、〇×文字盤最初は。「ばかにするな」っていう感じで。だけど、作ってみたら、それがけっこう楽っていうか、するーっとそっちのほうに移行していった感じですね。
なんか50音の文字盤の文字の並びがだんだんおかしくなってきて。甲谷さんが。ぜんぜん意味をなさない文字読んでるのにOK、OKって感じで進んでいくんですよ。「しもがも」って言いたいのに「さめがみ」になってたりとか。だから、いったい何が起きてるのかなって思ってたんですけど。でも、そうですね、「お昼ごはん食べていいよ」って言うときに、「おはる」になってるんだけど、そこを訂正しないでそのままいっちゃうっていう。だから、そこを推測しながら、「おはる」って「おひる」のことですか?とか言ってやってましたね。

長谷川:そういうのってやっぱり、さっきの「しもがも」の話もそうだけど、そういう一緒にいるからなんとなく推測できるって感じですね。

伊藤:うーん。「どこに行きましょうか?」っていう相談とかはやっぱり項目の文字盤とかできなかったので。でもだんだんそれもわかんなくなってきて。

長谷川:コミュニケーションができなくなったときのケアって、やっぱりできてたときとはまた違う難しさがありました?

伊藤:なんか、なんだろう。でも、前は甲谷さんの望むことを正確に読み取って応えるっていうのが大事だと思ってたんですけど、だんだんと訪問看護師さんのとのやり取りとかを見てても、わりと、甲谷さんがゆだねはじめた感じがしたんですよ。相手のリードに。だから、「こうですか?」「ああですか?」って突き詰めていくんじゃなくて、「こうしましょうか?」みたいな感じで、きっとこっちのほうがよりよいだろうなっていうような提案でいくと、すーっと流れるように進んでいったりして。で、最初、そういう感じにまわりの対応がなってきたときに、私の中ではちょっと抵抗があって、「え?それって誘導してるんじゃない?」とか。だけど、甲谷さんもそっちのほうがどうも楽みたいだなってだんだん見て思うようになって。だから、私もそういうふうに変えていったので。そこではちょっと葛藤はあったけど、それによる大変さが増したっていうのではないのかなぁ。[01:25:41]

長谷川:誘導してるっていう葛藤。

伊藤:やっぱり本当に甲谷さんが望んでいることじゃなくて、まわりの人が「こうさせたい」と思ってるふうになってるんじゃないのかなぁ。とか、それをちょっとハラハラしながら見たりしてた時期もあったけど。でも案外甲谷さんが幸せそうなんで。こうやって。「え?それでいいの?」っていう感じでした。

長谷川:甲谷さんとこに増えてきて、人が。なんかこう比べられることってなかったですか?

伊藤:比べられることはしょっちゅうありましたね。

長谷川:それは、ヘルパーどうしの関係とかには響かなかったですか?

伊藤:うーん。なんか、響いてたところもあるのかもしれないけど、甲谷さんやっぱり文字盤で言うから、省略して短く言うから、「なになにさん上手いです」とか。で、「だれだれが上手いとか、だれだれが下手とか、そういう言い方はちょっと聞くほうはいやですよ」って言ったこともあるけど、でもそれが原因で何か、ヘルパー間が上手くいかないってことはなかったんじゃないかな。私が知らないだけかもしれないけど。

長谷川:ヘルパーの、まあ志賀さんにはいろいろと相談はしてたと思いますけど、敦子さんが受ける側になったってことはないですか?他のヘルパーさんから。

伊藤:私も、私の顔を見ると硬直を起こすっていう状態にはなったけれども、その前に、そういう感じになっちゃったかたがいて、そのときはけっこう悩み相談的な話をよく聞いたりはしてましたね。

長谷川:甲谷さんの表情とか考えとか、例えば志賀さんとか由良部さんってちょっと違うじゃないですか。たぶん、他の新しく入ってきた人からすると、帰山さんとか伊藤さん、やっぱり長く入ってるから、ちょっとベテランっていうか見方じゃないですか。敦子さんから見て、志賀さんとか由良部さんが、敦子さんの立場からするとやっぱり調整だとか、いろいろ受け止めてくれる人であっただろうけど、甲谷さんを見てて、やっぱり自分たちと志賀さんたちが、甲谷さんにとっても違うなっていうのはありましたか?甲谷さんを見てて。

伊藤:そうですね。自分が来るのを待たれてる感じとかはあって、伊藤さんが来たらあれ頼もうこれ頼もうみたいな。で、それで、あんまり自分の比重が高くなると、上手くいかなくなりそうだなぁっていうのはちょっと感じて、それはどうしようかなぁって思いました。

長谷川:ああ。でもそれパーソナルの難しさですよね。たぶんね。なんていうのか、一般のいろんな事業所が入ってたら、ケアってすごい統一されるというか。むしろ難しい、できない人たちというか、水準がね。その人に、本人がパーソナルだったら、「この人これできるから、こう頼もうああ頼もう」って割り振りをするじゃないですか。だけど、事業所が何か所も入ってって中だったら、割り振りじゃなくて、事業所側がAとBで例えば統一するだとか、Aの事業所はこれできてもBの事業所ができなかったら、じゃあBの事業所に合わせようみたいなかたちになっちゃうから、ある意味でパーソナルでいいところであるけど、難しいですよね、それ。[01:30:24]

伊藤:そうですね。

長谷川:働いてることがあったんですね。それはなんかプレッシャーみたいなのもありますか?

伊藤:なんか、時間ギリギリに行こうとか。プレッシャー。プレッシャーという感じではなかったけど、あんまり自分に比重が重くならないようにはどうしたらいいかなぁっていうのは日々考えてたかもしれない。

ユ:それを他のヘルパーさんとかと相談したことはありますか?

伊藤:たぶんそのヘルパーのミーティングの中ではしゃべったりもしたのかなぁ。でも、やっぱり、どうしたら研修が上手くいくかなっていうことがメインポイントだったのかもしれない。

長谷川:ある意味で志賀さんとか由良部さんは、やっぱり自分たちはちょっと違うっていうか、自覚的な部分があるじゃないですか。いちヘルパーだけではないものを背負ってるっていう自覚的なものはあるけれど、他のヘルパーさんたちはそうじゃないっていうか。今の敦子さんの話だとそうですよね。自分が抜きんでるっていうわけではないけど、あまり自分だけにあてられてもっていう。研修も、そうすると、長年やってきたものと、これからの人たちって明らかに差じゃないけど、違いはあるじゃないですか。そこが今頼られてる水準になったら、それは新人の、上手くいかないよね。いくら。そうかぁ。そういうのがしんどくなってったんですか?

伊藤:たぶん最初はほんと「手足的にやっていったらいいや」って思ったけど、そんなシンプルじゃないんだなってだんだんわかってきて。だから、いくつか話に出したように、「これはちょっと受けられませんよ」って断ったり、甲谷さんから見たら、いけずをされているようなことも、だんだん増えていったんじゃないかなぁ。
質問なんだったっけ?ごめんなさい。

長谷川:いや。そういう甲谷さんにある意味で一目置かれるっていうか、頼られるっていうことが、すごくしんどくなったというか、かなぁと。

伊藤:そうですね。一目置かれるっていうこと自体は有難い、嬉しいことではあるんだけど、それによって介助全体が回らなくなっていくとやっぱり大変なので、そこをどうしたらいいかなぁっていうのは悩みどころでしたね。

長谷川:敦子さんが甲谷さんのところを、もう専属で入らないって決めたのは、なんだったんですか?

伊藤:あれは何だったんだろう。たぶん、その前後で志賀さんにも相談をしてて、さっきお話したように川口有美子さんともお話をして、ちょっと距離を置く方向でってなったのかなぁ。なんか、そこらへんどうしてそういう流れになったかは思い出せないんですけど、でも、「杉江さんのところに入ってみる?」ってなったような気がします。

長谷川:甲谷さんとこを減らして杉江さんとこ?それとも甲谷さんとこはもう、

伊藤:いや。減らして。たぶん、週5を週4にして、そのうち1日を杉江さんのところにとか、そんな感じだったかなぁ。でもほんと記憶あいまいですね。嘘言ってたらごめんなさい。[01:35:13]

長谷川:いえいえぜんぜん。こないだのALS-Dの映像でも高木さんが、いろいろ人が辞めてった時期があって、そのとに、「あ、自分はいつでも辞められるんだ」というのが逆にお守りになって、「まあこのタイミングでなくてもいいかな」って思えるっていうか、「自分がいつでも退出できるんだ」っていうことが自分のお守りになってるみたいなところがあるって言ってたのを聞いて、なるほどなぁと思ってたんですけど。それが川口さんの言葉っていうかな、「いつでも逃げていい」みたいなところとちょっとかぶるなと思ったりもして。そういう気持ちになれたんですかね?敦子さんもそのときに。

伊藤:うん。たぶん、きっと志賀さんが「いいよ」って言ってくれたんじゃないかなって。志賀さんにちょっと聞いたら、「いや、記憶違うよ」ってなるかもしれないけど。そうですね、ちょっと距離を開けてみて。で、その年の夏に2ヶ月ぐらい休みを取ったんですよ。娘が行きたいって言ってたツバルに。

長谷川:ああ、ツバル。

伊藤:ツバルっていう南太平洋の島国なんですけど、娘が行きたい行きたいって言ってたから、今じゃないかと思って、で、行ったら、向こうで夜な夜な甲谷さんや杉江さんの夢を見て、なんかすっごい後悔したんですよ、向こうで。

長谷川:え?後悔したんですか?

伊藤:うーん。なんか甲谷さんに冷たくしたこととか。

長谷川:後悔したんですか?

伊藤:そうなんです。毎晩毎晩つらい夢見て、せっかく素敵なところに行ってるのに。だから、帰ったら、甲谷さんに「ごめんなさい」って言おうと思って。で、帰って、「ごめんなさい」って言ったけど、やっぱり大硬直で。私の顔見ると。だけど、だんだんと関係が修復していった感じ。

長谷川:そうか。へー。ツバル、どのぐらい行ってたんでしたっけ?

伊藤:2ヶ月。

長谷川:ああ、その期間に。

伊藤:夏ですね。杉江さんのところに入るようになって、直後の夏に。

ユ:2010年ですね。

伊藤:2010年。

長谷川:杉江さんとこ入ってなんか見えました?逆に。甲谷さんの介護とか、或いは杉江さんのところでこういうような発見をしたとか、こういうことは違うなとか。

伊藤:うん。なんかぜんぜん違ったので、甲谷さんの介助と。すごい驚くことばっかりで。

ユ:何が違いました?

伊藤:例えばなんというか。杉江さん体交ほとんどしなかった。体交嫌いでしたよね。だから、身体の具合とかもぜんぜん違ってて。甲谷さんすっごいよく動く。固まったり緩んだり、大笑いしたりとか。杉江さんは身体がしーんとしてて、まあときどきビクビクってなるけど。手のかたちとかがもう固まってて、どっちかの手が上向いて、どっちかの手が下向いてって。もうポジションが決まってる。それがまずびっくりして。で、ヘルパーさんが、杉江さんお使いに。杉江さん一人おいて、お使いに出たりとか。「えー!そんなことしていいの?」ってびっくりしたり。

ユ:杉江さん。

伊藤:そう。そうですね。[01:39:56]

長谷川:ぜんぜん変わりましたかね、考え。それまで甲谷さんのところで介助をしてて、甲谷さんの介助しか知らないというか、ALSは、の状況で、まあ杉江さんきっかけで杉江さん入って、あとからいっぱい入っていくじゃないですか。やっぱりなんか変わりますか?

伊藤:うーん。そうですね。どこでも最初入るときはもう0からっていう感じで行くんですけど。でも、そうですね、やっぱりひとりひとりぜんぜん違うんだなっていうのは感じて。でも、そこらへんがすごく微妙だなって思ったのは、全くの新人だと、すごく緊張させてしまう、不安がらせてしまうかもしれないから、「ある程度経験はありますよ」っていうはったりをかましつつ、「だけど0から教えてください」っていう感じでいくっていうのが、なんかわりと難しいなって思いながらやってました。

長谷川:甲谷さんのとこはけっきょくそれから入らなくなるんですか?

伊藤:だんだんと新しい人も増えてきて、私なしでも回るようになっていって。なので、そうですね。途中でも、2013年ぐらいまでは入ってるのかなぁ。

長谷川:甲谷さんって、甲谷さんも今まで自分の専属だったのが、他のとこ入り始めて、ある意味専属じゃなくなったじゃないですか、そういう変化ってありました?甲谷さんのところで。甲谷さんの変化とか、敦子さん自身の変化とか、まわりの志賀さんとかの変化だとか。

伊藤:あー。いや、それは特になくて。一緒に入るヘルパーさんたちも、「ああ、久しぶりです」とか言いながら、ちょっと近況をしゃべったりして。ただ、甲谷さんのコミュニケーションがだんだんとれなくなっていったのと、私がだんだん、別の仕事を増やしていったのとが同じ時期なので、で、甲谷さんがだんだんこうゆだねる感じになってきたってのもあって、特に甲谷さんから私に対して何か態度が変わるとかってのもなく。そうですね、行けば楽しく仕事をさせてもらっていて。

長谷川:敦子さん自身の変化はありましたか?甲谷さんに対して。甲谷さんだけじゃなくて、いろんなところへ入って。

伊藤:あー。いや、もう一回誰かのところ週5とかはやりたくないなと思いました。

長谷川:それはなんで?

伊藤:週1ぐらいの付き合いがいいなぁっていう。

長谷川:やっぱ違いますか?週1の付き合いと週5の付き合いと。

伊藤:うん。私は違いましたね。

長谷川:自分のポジション的なのも含めて、相手からの期待っていうかも含めてですか?やっぱり。

伊藤:そうですね。自分への何か期待とかが、そんなに高くなることもないじゃないですか、週1だったら。で、チームの中のほんとに一員っていう、別にチームの行く先を私があれこれなんとかしようとしなくてもいいっていう。それだったからかなぁ。ただ単にあっちこっち行けるのが楽しかったですねっていうのもありました。

長谷川:でも、ツバル大きかったんですね。

伊藤:ツバルは大きかった。やっぱり休みは大事ですね。煮詰まったときに。

長谷川:でも夜な夜な夢見るって。[01:45:00]

伊藤:そう。びっくりしました。

ユ:うん。夜な夜な。

伊藤:うーん。あ、夜な夜な。

ユ:聞き取りしながら。

伊藤:自分の中にヘドロがあって、そこからあぶくがボコボコこう湧いてくるみたいに、毎晩夢を見るっていう、すごい。

長谷川:いやぁ、面白い。

伊藤:すみません。あんまりインタビューと関係ない話を。

長谷川:ぜんぜん。なんか、敦子さんいろんな人に関わってるから、Mさんっていう患者さんとかも、すごい難しい、難しいわけじゃない、なんてったらいいのかなぁ、コミュニケーションとかがなかなか難しかったりする人でもあるけど、それぞれの難しさがあるじゃないですか。

ユ:人によって。

長谷川:うん。一人一人の。甲谷さんのとこで学んだことみたいなことが、その後のいろんな人の関りの中で、やっぱりああだなこうだなっていうふうに役立つこともありますか?

伊藤:そうですね。甲谷さんのところでの経験が役立ったのかどうかがあいまいなんですけど、でも、杉江さんのところに介助に入ってたときに、よくヘルパーと杉江さんが衝突するときに、言葉を額面通りに受け取らないで、「こういうことをおっしゃりたいんですよね」っていう感じで一回翻訳すると、そんなひどい、衝突から物別れになったりしないなっていうのは。それは甲谷さんのとこで学んだのかどうかはちょっとわかんないんですけど、それは杉江さんのところではとても役に立って。私も「もう来るな」とか何度か言われたけど、でもまあ、話したら杉江さん、最後は「うむ」っていう感じで、「わかってくれたならいい」みたいな感じで、「また来ますね」っていうことはよくありました。

長谷川:へ?言われたんですか?敦子さんでも。「もう来るな」って。

伊藤:うん。言われましたよ。2〜3回は言われたかな。なんかこう、ナースコールがちゃんとやったつもりでも、だんだんこう動いちゃう。で、はって顔見たら、杉江さんが一生懸命首伸ばしてて、必死の形相で届かないみたいなときに、「もう来るな」とか言われましたね。

長谷川:そのときに、その意味がこうですねっていう感じで言うってことですか?

伊藤:「コールが動いてしまったみたいで、届かなくて、すごい呼べなくて、しんどい思いさせてしまいましたよね」って。「すみません」って。

長谷川:他の衝突してる人たちとの間にも入ったんですか?

伊藤:いや。なんか、悩み相談的なことは聞いて、「私はこうしてるよ」っていうような話はした覚えはあります。「来るな」って言われて、「それってもう私に、次いつ来るっていうシフトが決まってるけど、その日は来なくていいっていう意味ですね?」っていうふうになっちゃうと、もうどんどんそっちのほうに話が進んでいっちゃうから。まあそんな人はいなかったと思うけど。

長谷川:それはでも甲谷さんに言われるのとでは違いますよね。週5入ってるときに甲谷さんから「もう来るな」って言われるのと、週2ぐらいで杉江さんのとこ入ってて、杉江さんに言われたらぜんぜんね、関係性も含めてそうですよね。

伊藤:そうですよね。

長谷川:だからさっきの「週1ぐらいがいいかな」みたいな話って、そういうところなんかなぁって思いながら聞いてた。

伊藤:うーん。そうですよねぇ。まだ行く先があるみたいな。そうかもしれない。ここしか自分は行くところがないって思うと必死になるもんね。[01:50:12]

長谷川:やっぱり甲谷さんとの関係ね、そのときの、ずっと入ってたときの関係と、ちょっと今の介助者としていろんなとこに入ってたときの関係、他の人との関係ってやっぱり違いますか?

伊藤:うーん。うん。それは違いますね。甲谷さん、杉江さんは独居だったけど、他、独居の、完全独居の人っていないんじゃないかなぁ。ご家族さんとの関係っていうのが入ってくるから、だいぶ違いますね。

長谷川:やっぱり甲谷さんとこは準家族みたいな気持ちっていうか、まわりからはそう映るんでしょうね。ずっと病院で入院してるときから入ってて、やっぱり甲谷さんに対しても、すごいものを申せるというか。

伊藤:ねぇ。なんか自分の中でもだんだんそういう感じになってたんでしょうね。
唯さん、暑くないですか?大丈夫?これね、今、除湿にしてるんですけど、なんとなく。
ちゃんとインタビューになっていますか?大丈夫ですか?

ユ:やっぱり聞き取りしながら、立場によって違うんだなってことがちょっとわかってきました。由良部さんのインタビューと、伊藤さんのインタビューを聞いて、同じ時期だけど、みんななんか違う立場とか役割とか、いろんなことがあったなと思ってます。

伊藤:いやでもほんと由良部さんと志賀さんはすごいですよね。

長谷川:でもかなり由良部さんのインタビューのときでも、初期のメンバーはかなり信頼してたから、もちろん甲谷さんのこともわかってるじゃないですか、ずっと流れを知ってるから。そこの部分が抜けるというか、のときに、やっぱり心配だったっていうか。人が単にいなくなるっていう話ではなくて、甲谷さんとのすごい長い積み重ねがある人がいなくなってしまうこととか、それからそういう人たちが言われてしまう、甲谷さんに厳しいことを言われてるのを見るとつらかったって言ってた。実際に今たぶん甲谷さんがコミュニケーション難しい中で、今、生活ができているというか、上手くいっているのは、甲谷さんのことやっぱり知っている人がある程度核になっているからっていうのも、【実は真相】(01:53:23)なんだと思って。
でもある意味では由良部さんも志賀さんも、どっちかというと自分の、介助者というよりかは、自分の思いっていうか、実現したいことと甲谷さんのことがマッチして、そこにいるっていう感覚があって。由良部さんが稽古場を作りたいと思ってとか、そういうのがあってマッチしているから、介助者とはちょっと違うんだろうなと思いながら。でもそこにいた長い介助者の人たちも、とは言えやっぱりそこに巻き込まれていくわけじゃないですか。だからすごい、同じじゃないけど、半分ぐらいはそういうものを背負わされるというか、のもあるんだろうなと思いながら、由良部さんのを聞いてましたよ。

伊藤:いや。でもぜんぜん半分とかじゃないと。10分の1以下だと思う。志賀さんと由良部さんはね、もうずーっと付き合っていこうという気持ちで始められたと思うので、私みたいに、無理になったら離れられる。さっき高木さんが言ったみたいなものを、私もお守りに持ってたと思うんですけど、それとはぜんぜん違うから。家族、ほんとに家族でね、それが、もとから逃れられない縁っていうわけでもないのに、それをやろうと思ったっていうのが、ほんとにすごいなって思ってます。[01:55:16]

長谷川:いやぁ。でも私、いろいろとやっぱり敦子さんすごいなと思うな。いろんなそのときどきの決断、決断って言葉が合ってるかわからないけど、甲谷さんところを減らしていくのも、甲谷さんに言うのも、一つ一つがそんなに簡単なことないじゃないですか、やっぱり。由良部さんとか志賀さんとかがいくらすごくても、そこの人たちから見るヘルパーさんの位置もやっぱり大切なことじゃないですか。やっぱりすごく信頼があったと思うんですよね。ずっといるっていうことも含めて。そこの部分をやっぱりわかるじゃないですか、それなりに。その人たちに対して、例えば「自分がつらいから」とか、それこそ増やしていくっていうことも含めて、伝えるっていうことが、他の人のところに行くっていうか、杉江さんのとこ行くっていうのも含めて、大きなことだったんじゃないかなと思って聞いてました。

伊藤:いやあ。でも、わりと私は易きに流れるっていうか、流れに乗って楽なほうに楽なほうにって。寒くない?逆に。

ユ:大丈夫です。

伊藤:よかった。っていう感じがしてるので、ひとところで頑張ってる人たちを見ると、ほんとに頭がさがるくらい。

ユ:甲谷さんにとっても、一週間のスケジュールの中で、例えば週5回の9時から17時までの時間を一緒に過ごせるのは、大きな存在だったと、今、私も思っているので。甲谷さんにとっても、まわりのヘルパーさんにとっても、伊藤さんにとっても、その決断は【その時期に】(01:57:28)すごいなと思ってます。

伊藤:でも、その頃からだんだん甲谷さんも人を受け入れるようになっていったので、なんかそれと上手くタイミングが合った感じ。白石さんとかね、入ってきて。

長谷川:そうですね、白石さん。

伊藤:するーって入ってきてくれたから、「あ、なんだー」って感じ「大丈夫だー」って思って。

長谷川:ユさんも今そうだもんね。増田さんのところに入って。増田さんのところでは、学生さんいるじゃないですか。看護学生が入るから。そうすると、看護学生って期間限定だし、入れるのもまちまちなんですよね。決まった時間にずっと入るわけではないから。ユさんがかなり、増田さんの生活の中では核となるというか。

伊藤:あ、そうなんだ。

ユ:ほぼ看護学科の人たちなので、平日の時間帯はあんまり入れないし、来ても夕方の6時から9時の短時間で来たり、週末しか入らないから。しかも平日は私と他の大学の人がもう一人いて、その人以外は今はもうみんな入れない状況なので、今日はなんか伊藤さんの聞き取りしながら、同じ気持ち、ちょっと通じるところがけっこうありました。

伊藤:じゃあユさんは今その渦中にいて、ちょっといろいろ悩んだりしながらっていう。

ユ:も、もちろんあります。だから、私は今の状況では、私はヘルパー、手足のように今やっているところで、たまたま自分の意見とかは言うんですけど、あれを言うまでもけっこう時間がかかったし、今も、うん、隣に家族がいるから、志賀さんみたいに真ん中で、両方を、ヘルパーさんと増田さんのことを調整している人も大事じゃないかなと思うことも感じでいたし、通じることがけっこうありました。[02:00:15]

伊藤:そうですね。増田さんのところも甲谷さんのところも、志賀さんとかね、奥さんみたいなすごく有能な調整役がいて、それで回ってるというか、スムーズにいってるようなところがあるかもしれないですよね。

長谷川:介助者。最初らへんのところで、甲谷さんの外との繋がりが、ちょっと薄くなってきてというか、もっと繋がれたらいいのになというふうに思ったって、それは私も甲谷さんだけじゃなくて、介助ってすごい難しいじゃないですか。でもある意味で、介助者と、介助する人間、される人間みたいな関係っていうのは、やっぱりどうしても生起してしまうから、本人にとっても窮屈なんじゃないかなっていうのはなんとなく思うときがあって、そういう意味では甲谷さんのところって、由良部さんとかが友人の部分もバランスとして持ちつつ関わっているし、ダンスっていうかね、ああいう白石さんとかDJとかがね、開かれていくというかがあるのがなんかいいなと思ってたんですけど。窮屈に感じることはなかったですか?入ってて。

伊藤:窮屈っていうか、すごく孤独な感じが、甲谷さん孤独なんじゃないかなって感じてた時期があって、スイッチもだんだん自分で、パソコンのスイッチも押せなくなって、だから自分でメールも書けなくなっていって。で、外から訪ねてくれる友人もだんだん減っていって。ヘルパーにはやっぱり日々のケアのことだけでいっぱいになっちゃう。外から本当のご友人が来てくれたら、ケアをそっちのけにして会話をしたりもできるけど、ヘルパーとだとそうはなりにくいから、ちょっと寂しそうとうか、それが気になってた時期はありますね。誰か来てくれたらいいのになぁって。

長谷川:ALS-Dに関わって、変わりましたか?

伊藤:うん。それはそうですね。変わったと思う。

長谷川:考え方とか?介助とか。

伊藤:そうですね。一旦すごく受け入れてもらえて、「あ、自分ってこれだけのことができるんだ」と思ったけれども、でも、「やっぱり所詮この程度か」っていうふうな。なんていうか、甲谷さんに対してすごい憎しみみたいな感情を抱いたりだとか、そういった時期も経験してみると、「ああ、そんな淡々と上手くやってけるものじゃないなぁ」っていう、なんか自分の限界を見たというか。それはすごく良かったんじゃないかなと思います。

長谷川:素晴らしいなぁ。なんか勉強になるなぁ。

伊藤:いやぁそんなことないよ。皆さん通ってる道じゃない。[02:04:56]

長谷川:いやあ、その憎しみを持つっていうのが、ある意味では家族的なところでもあると思うんですけど、なんか、うん、って思います。ほんとにそうだなと。でもそれが、どう解消していいのかってわかんなくて、その憎しみ持ってしまったことを、自分ではもっとね、そういうつもり、介助者だと思うと、そんな気持ちって持つべきじゃないとか、なんかお思っちゃうから。でも、自分だって人間だしなんて思うところもあって、すごいその切り分けっていうか、難しいなぁって。
でも、由良部さんとか志賀さんとかは、由良部さんはたぶん友人としてみたいなところがあるから、そういうところのバランスをとっているんだろうなとか。志賀さんも、なんかこう自分はもう「こうと決めたらこうなんだ」という道があって、絶対に例えば「甲谷さんは病院に帰したくない」とか、そういう気持ちがあってやってるんだろうなとか思うと、逆に自分が例えばそこに行くっていうことが、なんとなく申し訳ないなって思うところも出てきそうだなと思って。そんなに熱いパッションを持って、介助者だけだったら、そんな熱いパッションって、なかなか生まれないっていうか。そういうのを見てると、すごくALS-Dって、特殊っていう言い方があれかわからないですけど、やっぱり京都で初めてALSの人が独居して、そのプロジェクトで、で、甲谷さんがいたからあとの人が続いてきたのはほんとに間違いないことだし、すごいことなんだけど。でも、みんなが思ってるように、崇めるようなものでもなくて、ものすごい中ではいろんな葛藤があるわけじゃないですか。で、それを例えば、「じゃあ、志賀さんとか甲谷さんとかいなかったら地域移行できないのか」って言われると、そうじゃないって思いたい部分もあるし、で、それなりの、「じゃあ、ALSって介助がすごい難しいけど、スペシャリストみたいな人がいなかったら、その人の生活ってなんか上手くいかないんじゃないの?」って言われるのも、なんかうーんって思うし。なんかすごい難しいなっていうのを話を聞いててすごくめぐってきて。
私もなんていうかな、その人のことを憎しみながら、必要でも介助をするってことが、本人にとってどうなのかな?とかって思うことがあって。どうしてもただの作業だけども、例えばただの、身体を動かすだとか、そんなことだけども、絶対なんかこう憎しみみたいなものとかってものが、相手に伝わるんだよね、あれ。不思議に。なんでかわかんないけど、身体を通して伝わるというか。だんだんそれが、みんな触りたくなくなる気持ちになるっていうか。で、「触るな」とかって、その通りだなと思うときもあるし。すごい難しいなぁってすごい思う。介助者の立ち位置って。単に手足論ではないんだと思うし。
だから、ALS-Dのことも、すごいことだけど、難しいこともいっぱい含んでいて。ちゃんとそれはでも、ちゃんとね、言っていかないとというか。そこはそこで、「すごいね」「すばらしいね」「たのしいね」だけじゃないところはみんなが見ないと、より入ってく絶望が大きい気がして。
やっぱりああいう京都で初めてだから、こないだの藤井さんっていう、マイクさんっていうかたも、やっぱり甲谷さんのとこ訪ねて、で、甲谷さんのを見て、綿密なケアも含めてね、あこがれるというか。だけど一方でできるんだ、でもできてるから、できるんだっていうふうな希望は持つけれども、実際にほんとさ、できるのかなっていう不安も持ちながら。確かにそこまでのケアってどこまで可能になんのかなってもちろんあるし、そこまでの関係をつくるっていうのも難しいやん。でも、逆にそんな、週5とか、その人のために入るっていうことじゃなくて、週1ぐらいのフランクな関係が良かったりもするわけじゃないですか。増田さんなんかまさにたぶんそうだと思うけど、定着しないで入れ替わっていくっていうことのほうがなんかこういいというか、そういうのもあるのを見てると、ほんと難しいなって。それはたぶん本人の、障害学のように「本人がこう思うから」とか、本人の視点だけでは語れないことだなぁってすごい思って、今聞いてました。
憎しみとか、ほんとそう、私も思ったから。それこそ、敦子さんと一緒に出た、かりん燈とかで「死ねばいいのに」って思うことがほんとにあるっていうのを書いて。そんなことを思いながらケアされるのって、今思えばどうなの?って話なんだけど、渦中にいるときって。そのときのなんていうかな、時代なのかわかんないけど、今みたいなオープンじゃなかったっていうか、ケアの問題にしても。私が例えばそういうふうに思ってることを、他の介助者に言うとか、相談するっていうことが、かなりはばかられるというか、その人に関わることをその人のいないところで言うっていうことがタブーというか、そんなときだったんだよね。今はそうでもないというか、オープンな感じがするけれども、そのときは本人抜きでそういう話をするっていうのがどうなの?っていうのがあったような気がして。[02:11:07]

伊藤:そうですね。そこは今も微妙なところですよね。

ユ:今もじゃないの。

長谷川:もっとなんかこう、すごいだから、本人も孤独になっていくけど、介助者も孤独になっていくっていうか。でもやっぱり、持ってしまう感情って、持ってしまうから。それを本人にぶつけるっていうことが難しいっていうか。それこそね、もっと深い家族みたいな関係だったら、言っても、ずっと付き合うっていう、ある意味での安心感っていうか、どんなけ言ってもその人はいなくならないっていうか。介助者はなんか違う気がして。そこで終わる、お互いのなんかね、関係がそれこそなけりゃ、そこで終わることも可能だし、憎しみあって終わることも可能だし。そういうのを抱えると、本人はなおさらつらいと思うし。だからさっき言ってた、「甲谷さんにもっと外の」っていうのはなんかわかる気がして。本人だってはけ口はないわなぁっていう。ね。なんか思ったりもするんだよね。志賀さんはすごい人だし、ほんとに志賀さんてすげーなーって思うけど、例えば甲谷さんにとってしまったら、わかんないけどね、志賀さんもすごい頼りにしてる人だけど、やっぱり介助者のことを見てるから、志賀さんだってしんどいだろうなとか思うと、なんかちょっとやっぱり、ぜんぜんただの友人とかただの人じゃなくなってしまうから、もっとこうフランクに、なんの利害もない人にぱーっとしゃべって発散するっていうことも、ときには必要だなとか思ったりもして、すごい難しいなみたいな今思った。こないだの林さんの事件も含めてだけど。ね。

伊藤:でも甲谷さん、すっごい煮詰まっていく前だけど、呼吸器をつけるかどうかっていう選択で、お寺のお坊さんに相談しに行ったりとかもしてて、そういうのすごいいいなって思って。

長谷川:チベット仏教はすごいよね。家の中で火焚いたときはびっくりしました、私も。甲谷さんのところで。

伊藤:由良部さん怒ってたけど。

長谷川:木造で火焚いてたんだよね。すごい勉強になりました、今日も。今日の話も。

伊藤:いえいえ。こちらこそ。

長谷川:ユさん、なんかありますか?最後。

ユ:だいたい聞きたいことは聞いたかなと思います。ただ、流れとして、またちょっと整理して、聞きたいことがあればメールとかに送ってもいいでしょうか?

伊藤:もちろんです。

長谷川:この一年は日本にいる?

ユ:そうですね。

伊藤:うん。うん。

ユ:しばらく。

伊藤:ユさんもまだしばらく日本。

ユ:そうですね。

伊藤:今、博士?

ユ:そうですね。ビザが来年6月まではまだあるので、そのあとは更新するかどうか。

長谷川:立岩先生がなんとかしてくれるもんね。

ユ:一応更新する予定なんですけど。

伊藤:ユさんとしては日本にいて。[02:15:02]

ユ:はい。ここの課程がまだ終わってないので。更新たぶん学校の書類としては更新はできると思うんですけど、期間がどれくらいビザがもらえるかの問題なので。しばらくはいます。

伊藤:増田さんにとっても、入れ替わりのコンスタントにあるヘルパーさんたちと、ユさんとか、例えばずーっと長く関わってる事業所のヘルパーさんたちとかっていう、奥さんではない柱もあって上手くいってるのかなと思うから。

ユ:増田さんは入れ替わるのが好きじゃないですか。

長谷川:あれがたぶん可能になるのは、たぶんそういう。

伊藤:うん。ユさんたちみたいな人がいるから。

長谷川:そう。下支えっていうか、変わらない人がいるから変われるところもあると思うよ、やっぱり。だって、全部が変わっちゃったら大変。大変っていうかケアを伝えるのもそうだし、自立生活とか、さくら会、さくらモデルとかでも、やっぱり自分で育てるっていうことで始まった。甲谷さんもそういうプロジェクト始めた。だけど実際にそれをするってことはかなり大変なこと。だから、どうしてもそこにいる人、関わってきた人が伝えてあげるっていうことは必要不可欠だよね。全部が全部ね「ああしてくれ」「こうしてくれ」っていうのを言うのは難しいし、それ言うにしても文字盤使える人がいなかったらコミュニケーション難しくなったら難しいわけだしね。

ユ:文字盤はそうですね。

長谷川:でも、そうだよね。思いました。桐原さん。

桐原:起きてるよ。

長谷川:桐原さん何かありますか?

桐原:杉江さんあたりとか、まるっきり聞いてないというか寝てたんだけども、とりあえず聞いてたよ。

長谷川:なんか最後ありますか?

桐原:ちょっと聞き返してまたっていう感じで。

伊藤:うん。長くてあれですね。ちょっと大変かも。

ユ:最後に一つ。伊藤さんにとって、介助はなんですか?

伊藤:えー。私にとって介助は、なんだろうなぁ。仕事って言ってしまうと身も蓋もない感じだけど。

桐原:なるほど。

伊藤:そうですねぇ。私にとってかぁ。

ユ:難しいか。なんかいろんな人に関わっているから、伊藤さんにとって介助はなんだろう?ってちょっと聞きたいなと思います。

伊藤:なんかね、すごい好きやなとは思ってたんですよ。2014年ぐらいからコーディネーターの仕事がだんだん増えてって、介助の仕事がだんだん減っていって、「半々ぐらいがいいなぁ」って思ったら、もう最後のほうはほとんど介助がなくなってったので、たまに入ると、「あ、やっぱりいいなぁ」って。帰って、手洗って帰るんだけど、その人の匂いがちょっと残ってたりとかして。するとなんか、「あ、なんか、今日もさせていただきました」じゃないけど。

長谷川:それはサービス協会に所属してたときとは違いますか?からですか?

伊藤:サービス協会のときからかも。そう。人の匂いがね、好きなんですよ。実は。だから、その人の匂いが残ってると、なんか嬉しいっていうのがあるけど、でも最初に思い浮かんだのは仕事っていう言葉なんですけど。逆にユさんにとってはなんですか?[02:19:48]

ユ:一言で言えないですね。私も人間関係するのがすごく好きなので、書類とかより現場でその相手と話しながらやるのが好きだから、すごく合っているし、もちろんつらいときもあるんですけど、「生きてるんだな」と私が。人生を今日もやっと終わったなっていう感じで、やりながらしてます。

伊藤:わかる気がする。

長谷川:桐原さんだけ唯一ここで介助受ける側ですけどね。

桐原:うん。ほぼほぼおれが。増田さん入ってるいうても、なんだろう、運動のそういう指南じゃないけど、みたいな感じになっちゃってるから。あれはなんだろう?一般的に言えばあれは介護じゃないよなぁ。

長谷川:受ける側としてなんですか?介助って。

伊藤:介護受けてるの?

桐原:ぼくね、区分4の行動障害15だから重訪の支給出るんですよ。

伊藤:実際に利用してるの?

桐原:今はちょっとわけあって、録音機の前では言えない事情で、支給してないんですけども。やがては考えてます。

長谷川:でも受けてたよね。そういう。

桐原:居宅介護だけは。

長谷川:どう?利用者としては。介助。ビジネスライクですか?

桐原:えー。いやいやいや。あれは権利でしょ。介護保障は生存権だよ。生きるために必要な権利であって。それ誰かがやってるっていう話だからね、それが。誰かがやってるって言うと、なんかいきなりあれだよね、暗―い気持ちになるよね。

伊藤:え?誰かがやってる?

桐原:誰かがそれをやるってことだからね。要するに、実際に介護する人がいてやるわけだから。っていうところは、事業所でもやらないとそういうふうには考えないですね。

長谷川:でもなんか面白い。あんなけ濃密な甲谷さんのところに入ってた人、敦子さんが、「介助は仕事です」っていうのはなんかすごい意味がある。すごい面白いなって。増田さんとか、「介助者は家族です」みたいなことを言ってたことがあって。

伊藤:ああ、そうなんだ。きゅんとする。

桐原:消すべきものが多く入ってるような気がするね。

伊藤:消しましょうね。

長谷川:面白いなと思って。

伊藤:私も、いろいろ変遷がありましたよ。

長谷川:それがわかった上でのそれが良いです。なんか逆にいいな。いつもそうなんだよね、敦子さんは。そうやって。すごいはっとさせられる。いつもほんとに。

伊藤:いやいや。でも甲谷さんとこ、最初に始まったときの5人は、ゴレンジャーに例えたらって話をしてて。やっぱり帰山さんはモモレンジャーでしょうとかって。でも由良部さんは、ひとりなぜか白塗りで、なんかこう厳しい目つきでくねくねしてるみたいな。ゴレンジャーに白はいないけどねみたいな。どうでもいいけど。

長谷川:ぜんぜん。いや、ありがとうございます。長い時間。

伊藤:こちらこそありがとうございました。

ユ:ありがとうございました。[02:23:41]

[音声終了]

*作成:中井 良平
UP:20210816 REV:
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