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由良部正美氏インタビュー

2020/09/15 聞き手:長谷川 唯 ユ・ジンギョン 桐原 尚之 於:コモンズ紫野(NPOココペリ121)

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■インタビュー情報

◇由良部 正美 i2020 インタビュー 2020/09/15 聞き手:長谷川 唯 ユ・ジンギョン 桐原 尚之 於:コモンズ紫野(NPOココペリ121)
◇文字起こし:ココペリ121

■関連項目

ALS(本サイト内)  ◇説明/辞典・医学書等での記述
介助(介護)  ◇重度訪問介護(重訪)  ◇こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす
難病/神経難病 

■本文

145分
※聴き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
聴き取りが怪しいところは、【 】(hh:mm:ss)としています。

■■

[音声開始]


長谷川:ちょっとだけしゃべってたんだよね。

ユ:うん。

長谷川:立岩先生も来てて。あの映像を見てて、みんな若いの。甲谷さんがすごいもう48とか49ですか?あれたぶん。

由良部:そうだね。それぐらいかな。

ユ:2006?

長谷川:すごいみんな可愛い可愛いって言ってたよ。面白かった、それが。

由良部:だいたいこの前話したやろ。

長谷川:うんうん。ちょうどこの本もあったので。ボランティアのところ。病院の。たぶん、志賀さんのほうがあとですよね。

由良部:何が?

長谷川:由良部さんがボランティアするに、

由良部:そうだね。ていうか、そういう会を立ち上げたんだよね。支援と学びの会みたいな。それがぼくが発起人で、そこでいろいろ声掛けたとこに志賀さんやなんかもいた。最初30人ぐらい声かけて30人ぐらい集まって。そこで志賀さんが来てて。からかな。それで何人か世話役みたいなのがいるねぇみたいな。で、ぼくと志賀さんと、何人かが、4〜5人が世話役やって。そっからボランティアが始まって。それまではどっちかというと、お見舞いに行ったりぐらいの感じだったね。

長谷川:けっこう由良部さんは毎日ぐらいの感じで行ってたんですか?お見舞いは。

由良部:いやいや。そんな行ってない、行ってない。ぜんぜんそんなに行ってない。もうたまにぐらいだった。ただ、だから、前にも言ったけど、その頃って家族もいたから、そんなに立ち入れないっていう感じもあったし。

長谷川:それは志賀さんもこれに書いてたな。「自分がどう関わるのか」って。「家族じゃない自分がどう関わるのか」みたいな。病院にはあれですか?甲谷さんの話を聞くとかそんな感じですか?身体をほぐしてあげるとか?

由良部:ああ、お見舞い?見舞いのときは普通のお見舞い。「どうしてんの?」みたいな、「たいへんやなぁ」みたいな。普通のお花持ってって。

長谷川:でも由良部さんはきっと身体の話とか甲谷さんとされてたから。やっぱり志賀さんがそのとき言ってたのが、東京からお友達が来たときに、甲谷さんはどうしても死について話そうとしてるみたいな話をしてて。でもそれに応えられる人間はいないから、来た人も困るし、自分もそういうこと話せないからっていうのをどっかに書いてたんですけど、由良部さんはどうでした?

由良部:死のこと?

長谷川:うん。やっぱり甲谷さんすごい【死に、死んでく身体】(00:03:12)というかね、そういうことずっと考えてたみたいだから。

由良部:そうだね。病気になってからは、何回かあったよな、そういう話をね、したのは。どうやったかな?なんとなく、それはでもかなりボランティア…。お見舞いしてるときはそんな話はしなかった。ボランティアしだしてからだね。

長谷川:そうですか。じゃあ、お見舞いのときはほんとお見舞いだったんだ。

由良部:もう忘れちゃったな。どうだったかな。ほんとお見舞いだったと思うよ。そんなにしょっちゅう行ってたわけじゃないし。逆にだから、こんなんでいいんかな?みたいな。だからよくその頃、ALSもよくわかってなかったし。最初のうちは確定診断もついてなかったし。その前からしゃべんのがぜんぜんできなくなってたから、神経系の病気だっていうのはなんとなくわかってたんだけど。そうやね、だからそういうお見舞いして、こんなんでいいんかなみたいな。それからALSの勉強とかちょっと、立岩先生の本とか読んだりとかして、けっこうやばいなこれはみたいな。やばい病気だなみたいな感じで。でもどうしようも。家族もいるし、あんまり立ち入ったこともできないんだけど。どうしてもまわりは最初1〜2回お見舞いしたらあとは、まあ…っていう感じになるじゃん、どうしてもね。そういう感じでいいんかなみたいいな感じで。この病気でかなりやばいんちゃう?みたいな。やばいというか、そんな簡単な病気じゃないんちゃうんみたいな感じで。で、まあ何出来るかな?みたいな感じで、とにかく見守る輪みたいなのでつくろうみたいな感じで、ぼくが呼び掛けて、30人ぐらい集まったみたいな。[00:05:59]

長谷川:そのときのボランティア。ボランティアの前もそうですけど、お見舞いとかで由良部さんが「このままではなぁ」みたいなところの揺れ動きのときの由良部さんの中での家族の存在はどんな感じだったんですか?

由良部:やっぱりおっきかったよね。だって結局は家族の問題ってのもあるじゃない。結局はっていうか、ある種すごくプライベートな問題だし。とにかく、それに、嫌がるようなこと、家族が嫌がるようなことはしたくないしっていうのもあって。家族も良く知ってたからっていうのもあったし。逆に変に影響を与えちゃう、変に影響を与えちゃうっていうようなことも難しいなぁとは思ってたんだけど、でも、何もしないっていうわけにもいかないよなみたいな感じで、何ができるかなぁみたいな感じで、とにかく見捨てられてないっていうか、みんなちゃんと、そういうふうな人は、何かあったら手伝える人がいるからみたいな。

長谷川:それはじゃあ家族に対してもそういう感じでってことですか?甲谷さんだけじゃなくて。

由良部:そうそう。もちろんもちろん。だからそれは、まず甲谷さんに「こういう会を作りたいんだけど」っていうふうに了解して、家族にも了解して、そういう感じで。ちょっとそこらへんはけっこう気はつかったよね。[00:07:45]

(電話)

[00:09:05]
長谷川:ダンスの依頼ですか?

由良部:ダンスじゃない。違う違う。

長谷川:あ、そうそう、家族の話だった。

由良部:まあまあそんな感じで。

長谷川:由良部さんは家族からも相談受けてたんですか?

由良部:家族。あんまり、まあ相談ってこともないけど、ちょっと頼まれごとみたいな。「ちょっと買ってきてくんないかな」とか。あそこ車なかったから、車で買える買物みたいな。あまり深刻な相談みたいな感じはなくて。わりと、あんまりそういうふうなタイプの、奥さんもそうだったし、人に何か言うようなタイプではなかったから。相談っていうのはなかったよね。わりとだから、放っといたわけじゃないけど、「こんな病気なんですよ」とかいうこともなかったから、自分で調べて「けっこうこれやばいじゃん」みたいな感じだった。[00:10:16]

長谷川:ボランティアのを立ち上げて。そこに、志賀さんはちょっと前ぐらいに一回たぶん甲谷さんのところに。

由良部:見舞いはね、たぶん行ってると思う。

長谷川:ね、行って。そこでけっこう衝撃を受け、「ちょっと行けなくなった時期があった」みたいなことを言ってたと思うんだけど。でもそういうとこへ繋がったんだよね。

由良部:たぶん最初そうなっちゃうよね。最初ちょっと行ってても。

長谷川:かなりそれは、甲谷さんが施術してたときの状態から比べると、やっぱり病院に行ったときはぜんぜん違うんですか?もう進行しちゃってて。しゃべれなくなっても筆談でやりながらね、治療してたって。

由良部:ぼく、窓ふきやってたじゃん。二人で一緒に。時々やけどね。その頃はほとんど自分の指圧のほうが忙しくて、違う仕事やらないみたいな感じやったんだけど、でも指圧のあれもちょっと難しいから、何か仕事あったら、窓拭きの仕事あったら言ってみたいな感じで。そのときたぶん1年間ぐらいは全部筆談、マジックボードみたいなのを抱えてこうやってみたいな感じで。でも、はしごとかぴょんぴょんぴょんぴょん…やってるような状態やって。だからしゃべれないけど身体はぜんぜん動くみたいな感じだったから。その頃はそんな全身がどんどん動けなくなるみたいな病気のほうに、ぼくはなんとなく思ってなくて。でも大変やけど、身体は動くんやなみたいな感じで思ってて。それが1年ぐらい。筆談でやってるのが1年ぐらい。とにかくしゃべることができない。
それから入院したときは、最初、京大病院にお見舞い行ったんだね。その前は家にいたから、基本的に。家の引っ越しとか手伝ってたんだ、何回か。そういう付き合いしてて。で、病院行ったときに、すごいふらついて歩けないような感じになってて、一人で。ゆっくりゆっくり歩くんだけど、ちょっとやばいなみたいな。付いたほうがいいんちゃうかなぁみたいな。でも基本的には一人でまだ歩いてたかなぁ。ちょうど京大の病院行ったときに、色々話して「じゃあまた」みたいな感じで別れたあとでしばらくしてパッと見たら、ごてんとひっくり返ってて。で、また起こしてみたいな感じだった。だから、かろうじで歩いてたけれども、かなりやばいみたいな。ぜんぜんそのときはもうがらっと変わってたから。そういう状態からは。

長谷川:そのときはどうやってコミュニケーション。筆談とか難しかったんじゃないですか?

由良部:しゃべってたわ。あ、しゃべってない、しゃべってない、しゃべってない。だから、たぶんこれだったと思うね。だから書くことはできたと思う。

長谷川:かろうじで。

由良部:うん。どうやったかな?覚えてないけど。こんな文字盤ではなかった。たぶん筆談だったと思う。筆談はできたと思う、その頃は。

長谷川:それが、筆談もだんだんできなくなって。次はもう、スムーズに文字盤だったんですか?

由良部:その次はね。たぶんその次は、京大病院から民医連に行ったんですよね。民医連行ったときはもうほとんどぜんぜん歩けなくって。その頃はたぶん文字盤でやってたと。文字盤だったかなぁ、だと思うわ。奥さんがそういう仕事してるから、そういうのでやはり。それとコンピューターもやってた。伝の心やったっけ?ちがうかったか。

ユ:オペレーター…。[00:15:04]

由良部:うん、オペナビか。オペレートナビやったな。そんなんを使いだしてたような気がする。それで、それ見て、たぶん京大のあとに民医連行ったあとに、お見舞いに行ったときに、そっからかな、そこでボランティアの会を立ち上げようと思ったという感じで、一応奥さんと甲谷さんに聞いて。甲谷さんが「ありがとう」みたいな。「嬉しいです」みたいな返事があって。で、奥さんも「お願いします」みたいな感じやったかな、確か。で、あるお寺で30人以上集まったと思うんだけど。

長谷川:30人は毎回思うけど、すごいですね、集まるっていうのは。

由良部:まあね、幅広い交流もあったし、ダンサー関係とかね。

長谷川:でもそれは由良部さんのっていうのもあれば、もちろん甲谷さんの治療を受けてた人たちもいったってことですよね。甲谷さん知らない人もいたんですか?

由良部:全く甲谷さん知らない人はいなかったんじゃない、さすがに。と思うけど。いなかったと思う。

長谷川:ボランティアのところに志賀さんとかも来て、由良部さんとか志賀さんとか、代表っていうんですかね、コーディネーター的な人を立ててやり始めるじゃないですか。そうすると毎日病院に行くわけでしょ。そしたら病院側から何か言われたりこととかはなかったですか?志賀さんなんかこないだちらっと、家族やないやつが来てみたいな話。かなり病院側に気にされたみたいなね。

由良部:あんまりすごい、来ても困るみたいな雰囲気、ぼく言われたことはほとんどないと思うんだけど。いろいろやってくれるからみたいな。うーん。嫌がられてるっていう感じはなかったんじゃないかな。まあでも、「なに?この人たち」みたいな、そういう目で見られたりはあると思うけど、直接「来ないでください」とかはなかった。最初の頃、そうだね、なかったね。そういう言い方はなかったんちゃうか。どこ行ってもあんまり。来ても。来られたら困るっていう感じではないけど、例えばでも、なんとなくなんだね、例えば、甲谷さんとこは人が入れ替わり立ち替わり。で、甲谷さんの病室ってのは3人一緒ぐらいの、カーテンで仕切られてる、そこにもういっぱい物が置いてあるわけ。他のとこはすごく簡素じゃん。もう物がいっぱい置いて。だから、ぜんぜん違う部屋みたいな。人が出入りしててみたいな。だから「なんでこの人だけ?」みたいな感じでは思われてたかもしんない。それとか温度とかさ、すごい気にしてたのね。「暑いー」とか「寒いー」って。ちょっとした暑い寒いって、でもそんな一人で変えられへんやん。なんとなくでも、そろっと変えたりしてて。そんな感じはあったけど、あんまり面と向かってなんか言われたことはないんじゃないかな。来ることに関して。やっぱり助かってた部分もあると思うしね。

長谷川:具体的には散歩とか書いてあった。散歩とかマッサージとかあって、具体的にみんなが一致する、どのくらいみんな滞在して、どのくらい何をしたんだろうと思って。

由良部:人にもよると思うけど、だいたいやることっていったらマッサージしたり、とにかく要望を聞いたりとか、これしてほしいとか。まあマッサージする人もいたし。散歩はしてたんだけど、最初のうちは外出許可が出なかったから、院内だけみたいな。それからなんとなくゲリラ的にだんだんだんだん増やしてってみたいな感じでやってた。と、洗濯か。そやね、洗濯。それとか食べさすのか。食べさすのとかをやって。一人普通2時間ぐらいやったんちゃうかな。いれる人はもっと長くいたと思うけど。その人のやれる範囲で、なるべく一日だれかは行こうかみたいな感じでやってましたね。[00:20:26]

長谷川:そのときの甲谷さんとかの、例えばやって欲しいとかいう要望ってどんなことがあったんですか?

由良部:うーん、どうやったかな?とにかく身体の向きとかもあったと思うし。その頃はとにかくパソコンで絵描いてたし、パソコンのこととかいっぱいあったんじゃないかな、やってほしいことは。そうだね、けっこういろいろ。とにかく忘れてんだよね、どんどん。

長谷川:そのときは文字盤でですか?もう。甲谷さん、文字盤でですか?コミュニケーションは。

由良部:文字盤、うん。文字盤。文字盤。だからほとんどコンピューターのほうが遅いから、文字盤のほうがとれんの速いじゃないですか。だから、文字盤だったね、ずーっとね。

長谷川:みんな入る人はまちまちだったけど。

由良部:文字盤をやり方覚えてみたいな感じで。文字盤だったよな。他にやりようあったっけ?ないよな。筆談なんてできなかった。たぶん、筆談なんかできてなかったと思う。うーん。最初の頃。そうやね、そうだと思うわ。覚えてないんだよね、はっきり。たぶんでも、文字盤でしかないと思うよ。

桐原:病院の人たちも文字盤をとってコミュニケーションをとってた感じですか?

由良部:文字盤、どうやったかな。でも、とれてなかったんじゃないかな。病院の人たちは。取れなかったと思う。

桐原:ですよね。看護師さんとか文字盤をとるってちょっとイメージがわかないですよね。

由良部:とってなかったと思うんだよ。だから、伝えてたんかな、こっちが。それまでに。奥さんもときどき来てたからね。

桐原:家族も来てたっていう。

由良部:うんうん。

長谷川:本だとどっかに、甲谷さんの要求が高いから病院側ももうできないみたいな感じになって。

由良部:それは、だんだん、そうそう。だんだんそうなってって。いろんな病院に行って。そうそうそう。ていうか基本的に症状が進んでいくと、っていうか進んでいくだけじゃなくて、要求がすごいいっぱい、絶えず要求があるから、そんなんできないじゃないですか、看護師さん。文字盤もとれないし。とる人もいたかな?中には。いたかもしんないけど、でも、うん。だから、ボランティアがやれる範囲でやって、あとは、例えば夜中とか一人ぼっちだし、要求を聞いてくれる人いないしみたいな感じがずーっと続いてたと思う。

長谷川:別に病院側と甲谷さんの間に立ったわけじゃないんですか?由良部さんたちが。志賀さんとか由良部さんとかがボランティアのコーディネーター的な立場の人たちが、病院の、「甲谷さんのケア難しいからできません」っていうことと、甲谷さんのしてほしいの間に立たされたことはないですか?それは家族からの情報だったのかな。

由良部:それはたぶん最後の病院。西京都病院ではけっこうそんなやりとりあったと思うけど、他のとこでは、まあできる範囲でこっちでやってみたいな感じだったけど、限界があるからね、病院はね。どうやったんやろうね、病院も大変やったと思うけどね、できる範囲で。とにかくその頃は3ヶ月ごとぐらいやったから、そのあいだ我慢しとけばみたいな感じだったのかもしれない。

長谷川:西京都病院はかなりたぶんそういう、甲谷さんにも「呼吸器をつけた人は看ません」みたいなことを言ったんですよね。[00:25:20]

由良部:そうそうそう。ていうか、そういう病院やから。ホスピスじゃないけど、似たようなもんやから、そういう看護が必要な人っていうよりも、死んでゆくって人、そういう人を預かる施設に近い。病院っていう感じはほとんどないんじゃない。だから、回診なんかほんとに1ヶ月に一度か二度ぐらい先生が回ってきて、別になんもないしみたいな。

長谷川:志賀さんとか由良部さんとか、ここに書いてあったのが、あんまり呼吸器をつける、つけないとか、そういうことよりかは、そういう話とかじゃなくて、とにかく目の前のことをなんとかしなきゃいけない中でみたいなところが多かったけど、だんだん、でも徐々に、川口さんみたいな人が現れて、「自立生活のためには開けたほうがいいよ」っていうことで、本人も開けるんだけど。でもそれと、じゃあイコール呼吸器つけるかっていうとイコールでもなくて。でも途中でこれは確認しなきゃいけないってかたちで、たぶん在宅戻ってから、〇×のときかな、に、呼吸器つけるかつけないかっていうこと聞いたら〇としましたみたいなところがあって、そこでようやく良かったみたいな、志賀さんは思ったみたいなことを書いてあったけど。
由良部さんの動きとしてはどうなんですか?呼吸器みたいなのをつくって、はなから、甲谷さん自身が身体のことにものすごい詳しいというか向き合ってた人だから、当然死とか呼吸器とかってのは考えてたと思うけど、そのなかで一転つけないって始めね、思ってたなかで、どういう死に方っていうか死についてすごい考えている、たぶん一般のALSの人が考えるような死の張り巡らされ方じゃなくて、もうちょっと、言葉では言い表せないけど、身体のことを考えてた中でのもうちょっと大きななかでの死というか、見方をしてたと思うんだけど、由良部さんたちはそこらへんどう思ってたのかな?どう思いながら付き合ってたのかな?と思って。

由良部:うーん。そうだね。だから、ぼく、どっちかっていうと、最初のイメージだね。なんていうのかな、変に生に執着するより、死も生きることの一部なんやからみたいなイメージのほうが強かったから。甲谷さんもそうやと思うけど、「どう死を、この運命を受容していくんだ」っていうような意識がすごく強かって、それで絵をいっぱい描いてた。曼荼羅みたいな。あれは、人に見せるためでは最初はぜんぜんなくて、ほんとに自分の心を落ち着けるというか、自分の心と自分に向き合うみたいな感じで、すごい一日ずーっと10時間ぐらいかかってひたすらそれをやってたような感じで。だから、ぼくもどっちかというと、そういうふうに思ってたから。それは自分自身のことじゃないから、なんだけど、甲谷さんもそういう感じで、ぼくもそういう方向性で考えてて。だから、つけるって、「呼吸器つけても生きたい」っていうんやったらね、それはそれなりのことも考えるけど。でも本人がそういう、特に東洋医学やってるからっていうか、そういう生も死も一つの、なんていうんだろう、陰陽のなかの一つみたいな考え、感覚がどっかあると思うから。とはいえ、そう抽象的に片づけるもんでもないんで。ほんとに死に向き合ったときは大変だったと思うし。でもそういう、どう受容していくのかっていう方向を見守るというような感じだったかな。基本は。[00:30:00]
そうだよね、でも、死とかに対して対話した。どうやったかなぁ?前も話したかもしれない。あんまり面と向かって、それに対して対話するって感じじゃなかったね。まあ、恐怖があるでしょ。恐怖心っていうかね。自分が死ぬことが一種の、世界が死ぬというか。だって、自分を通して世界を見て、自分を通して宇宙を見てるっていうことはもう、自分が死ぬっていうことは世界が死ぬ、宇宙が死ぬみたいな、まあまあそんな感覚があって。よく言ってたのは「執着が恐怖を産んでるんだ」みたいな。「執着を手放すんだ」みたいな。執着。生に対する執着。生に対するっていうより、ある種恐怖だろうね、たぶん。自分の恐怖とか不安とか、起こってくることに対する自分を見つめることでもある種の曼荼羅とかをつくってたんだと思うし。そこらへんのことって、言葉で話してもなんともね、しがたいとこあるから。実際向き合ってるのは彼でやから、ぼくがそれを哲学論っぽく言っても意味がないじゃん、そんなの。あまりにも空論になってしまうから。
そんなこと、帰りだから、前話したかもしんないけど、みんなにいろいろメールかなんか来て、「あなたがALSになったらどうしますか?」みたいな。「真剣な質問です」とかいって「あなたがALSになったらどうしますか?」ていうの来てさ。そのときに答えたのが、「ぼくはALSを捨てて生きます」って言ったと思う。ALSという観念には関係なく、やっぱ生きるという。ALS、生きるか死ぬかっていう、生と死をじゃあ、ALSによって生きるか死ぬかっていうと、やっぱり生きる、とにかく生きるっていうことをするってはっきり返事したら、「すばらしい」って。「すばらしい答えですね」とかって。

長谷川:返ってきたいんですか?

由良部:そうそうそう。

長谷川:そうかじゃあ、私とかだったら、かなりALSの人たちと付き合ってる中で、呼吸器の話とか本人迷ってるじゃないですか。「つけてほしい」とは思っても、そりゃ家族とかもいて、そういう状況もあって、「つけることが正しい」だとかいうことはもちろんわかってたとしても、なかなかはばかれるというか、本人に面と向かって言うのはってあることなんですけど、そういう次元じゃないですね、由良部さんと甲谷さんのなんていうか。たぶん由良部さんは甲谷さんにそういうことをしてほしいだとか、例えばつけてほしいとか、そういうことではないんだろうなっていうのはなんとなく、今、難しいけど思った。

由良部:どっちかっていうと、その頃は「つけんでええんちゃう」みたいな感じだったけどね、ぼく。どっちかと言うとね。よくあんまりわかってなかったっていうのもあるんだけど。実際呼吸器ってどういうのとかがあって、そんなに言われてるほど不自由じゃなくて散歩もできるしとか。「別にそこまでして生きなくても」みたいな。そこらへんは軽い、あんまり知識もなく。てか本人がそう言ってるから。家族もそうだったし。家族もつける意向なかったし。[00:35:00]

長谷川:差し迫った問題としてあんまり思ってなかったですか?

由良部:ぼく?ぼくはだから呼吸器つけることつけないこと、それ自体はそんなに選択、そうやねぇ。あんまり「どうしよう。どうしよう。つけないと死んじゃうじゃん」みたいな感じではなかったと思うよね。

長谷川:西京都病院で、西京都病院になんのかな?川口さんが来たのは。

由良部:そうそうそうそう。

長谷川:その前ですか?由良部さん踊ったのは。西京都病院かなんかで踊ってましたよね。

由良部:西京都病院じゃない。踊ったのはね、双ヶ岡にある、なんだっけ?有名な。

長谷川:双岡病院じゃなくて?宇多野病院。

由良部:宇多野病院、宇多野病院。

長谷川:宇多野病院で踊ったんだ。あれ、踊るってのは、志賀さんが甲谷さんに「ダンス見たい?」って聞いたら、「そう見たい」「踊り見たい」って言って実現していくと思うんですけど、あれは、志賀さんがじゃあ病院と「こういうことやりたいんですけど」みたいなこと言ったんですか?

由良部:確かそうだと思う。で、ぼくとか志賀さんの知り合いのダンサーが6組出たんかな。次から次へと、他の患者さんがもちろん見てくれてやったりとかもしたね。その前に個展もしたから。

長谷川:京都と横浜と。

由良部:いろいろそういう、表にオープンにオープンにしていって、やってたよね。

長谷川:ぜんぜん余談ですけど、ダンス、由良部さん踊った、宇多野病院で踊ったとき、何考えて踊ったんですかね?

由良部:ぼく?いや、そんな、何も考えてないと。普通の踊りだと。別になんか特別にこの人たちにとか、あんまり、場と、場でいつもやってるような感じだったんちゃうかな。そんなに特別な思い入れで踊ったってことはなかったような気がするんだけど。

長谷川:かなり反響があったみたいですね。患者さんがすごい食い入るように。普通の踊りではないから、みんなわかってるかどうかとか、そういう話ぜんぜんなくて、でもみんなすごい見てたっていうのはきっと。

ユ:土曜日の映像にも由良部さんの踊りが。

由良部:あった?

ユ:うん。

由良部:そんときの踊りか。

長谷川:そうそう。

由良部:たぶんでも、人にもよると思うわ。すっごい、こんなにして、ずーっと見てる人ほんとにいたし、ふんにゃーって見てる人いたし。ほんと人それぞれだったと思う。でもすごく、いい試みだったと思うけどね。

長谷川:西京都病院で実際に川口さんが来て、岡本さんの紹介で川口さんが来て、そこで初めて地域、さくらモデルっていうのが出てっていうことになるじゃないですか。たぶんそれはじめて甲谷さんも知っただろうし、由良部さんも知っただろうし。たぶん志賀さんは志賀さんで、

由良部:ちょっと知ってたみたいね。【調べてたみたいね】(00:38:45)。

長谷川:志賀さんなりにやっぱり甲谷さんにそれなりに生きてほしいというか、気持ちはたぶんあったんだろうなってのはなんとなくわかったんだけど、由良部さんとしてはそういう、そこまで差し迫ってはなく、そんなに呼吸器つけることも含めてそんなに重く考えてなかったってのがあったんですけど。川口さんがじゃあ実際、「地域出て暮らせるよ」みたいなことを言われたときって、由良部さんとしてはどう思ったんですか?

由良部:最初、情報としてきたとき、ぱっと来て、「何言ってんだろうなあ」みたいな感じやったけど。在宅だっけ。在宅とか言ったっけ。「何言ってんの」みたいな感じあって。まあ会って話聞いてみようと思って。一応話聞いてみようと思って。いろいろ質問したりとかして。でも実際そんなことやってる人いるんだなぁとかわかって。はなから頭になんか無いわけよ、そういうの。ぼくあんまり障害者のあれとかも詳しくないし。とにかく介護保険のイメージしかなかったから。在宅っていったら。介護保険の実態なんか微々たるもんじゃない。それを越えるっていう発想が全くなかったから。そんな在宅して、どうやって暮らしていくのよっていうような感じかあったから、いろいろとそういうふうにやってるっていうのは、そういうことができる方向があるんだって、ちょっと目から鱗的なことがあって。それ聞いたとき、「あれ?できるんかなぁ」[00:40:37]
で、甲谷さんはすごい目がキラキラしてきて。なんかとにかく出れるという、病院を出れるっていう。その前は病院にこう、最初いたときも、「ああ、やっと転院をしなくて済む。ここでちゃんと自分の死に向き合える。良かった」みたいなのブログに書いてあるのね。転院したとき。だけど実際そんな「死に向かい合う」とかいっても、「平静に死を」なんてなんないじゃない。はあはあはあって、あれして、これして、うう痛い、って、そう甘くないでしょ。ずーっと放っておかれて。24時間まあボランティアいたとしても、夜は誰もいなくてずーっと。そんな甘く平静にここで死を迎えられるなんてないわけよ。大変なわけじゃん。とにかくこうむせて、うぉぐぉお…と、こういう感じ。ずーっとむせてるような感じやから。そこでなんか、そんな病院で死を迎えるっていうようなイメージじゃないってわかったと思うし。やっぱり自分の中のなんていうかな、ぼくとにかく思ってたのは、とにかく生命力が強いから、血色いいし、生命力が有り余ってる感じがするじゃん。ほんとにそれがもう青白くて全身がいかにも全部が死に向かってくっていうような感じじゃ全くないんです。とにかくALSっていう病気はあれだけど、生命力が有り余ってる感じかあって、逆にだから苦しいじゃない。これでやっぱり、そこらへんがだんだんだんだん、ぼくも「呼吸器つけてもいいんじゃないかな」っていうふうになんとなく変わってきてた。

長谷川:それ聞いて?

由良部:それ聞いてっていうか、それ聞く前ね。情報聞く前から、なんかそういう生命力があって、ほんとに死にそうって感じになるじゃん。だって、いつ死んでもおかしくないみたいな感じだったから。ずーっとむせてたから。でも、これ、だからこういうむせを治すことができるじゃん、例えば、喉頭摘出して、ここにつけれるようにすればね。だから、とにかくこっからここを開けるとか、なんらかの処置ができるはずやけど、そこの病院はとにかくどんな処置もしない病院なわけ。処置っていうのはしないの。だって、処置したら大変じゃん。看ないといけない。死んでく人やから、この人。それを選んだ人やからみたいな感じだったのね。なんかでも、それちょっとおかしいよなっていうような感じにはなってて、ちょっと積極的な処置をしてもいいんじゃないのかなあっていうような。このまま死を選ぶとかいったって、この有り余ってる生命力でどうなんかな?っていうふうに思ってて。そういうのも、なんとなくそういうふうな感じのぼくも変化があって、そういう話があって、「そんなんでできるんだぁ」とか言って。
その頃思ってたのが、それと、ぼくがなんとなく稽古場を作ろうってのがあって、それがポーンとリンクしたんだよね。自分の欲望って言ったらおかしいけど、自分のやりたいこととか、彼のこういう。それが一緒に「これいいなぁ」とか思って。「できたらいいじゃん」って思って。で、彼もすごいやる気だし。決断したら動くことがいっぱい山ほどあるじゃない。でもある意味で時間はいつ死んでもおかしくないような状態ってこともあったし、決断するんやったら動かざるを得ない。で、そっからたぶん2〜3日後からもう動き出したんちゃうかな。[00:45:08]

長谷川:その川口さんの情報も含めて、話も含めて、家族も一緒に聞いたんですか?

由良部:それは一緒には聞いてない、聞いてない。

長谷川:じゃあ、いきなり変わるわけじゃないですか。甲谷さん今までこう思ってたのに、いきなり地域に出るみたいなふうになっていくっていうのは、誰が、家族はどう反応したんですか?

由良部:家族は。とにかく甲谷さん言うしかなかったと思うよ。もちろん志賀さんとかもたぶん話したとは思うけど、甲谷さんが「こういう方向でいきたい」みたいな感じがあり。あれ?どっちやったっけな。その前じゃないの。家族と決定的に分かれた。家族と喧嘩になっちゃったんだよね。もう別れるっていうか、甲谷さんも離婚するって。

長谷川:それも地域移行が?

由良部:地域に移行するという、そうだね、そのあたりだよね。やっぱりそこで、ちょっとボランティアの枠を越えちゃったわけよ。

長谷川:由良部さんたちが?

由良部:だってそうじゃん。それまで家族と甲谷さんの意向の中でやれることをやるっていう。でも、じゃあそれをこう、家族もそれを望んてた。望んでたというか、それをしょうがないもんとして、もう死ぬってことを受け入れるという。自分で引き受けるなんて思ってもいなかったのね。そこでもし引き受けるとなったら、まず家族が主体になるじゃん。家で引き取ってみたいな。でも、そういうのはもうはなからなかったから、独居というような感じになってたときも、家族と、どうだったかな?とにかくどんどんどんどん西京都病院に入ってから、どんどんどんどん距離が出てきたんですよ、家族と。なぜならほとんど西京都病院には家族は、家族っていうか奥さんはほとんど来なかったし、たぶん1年の間に10回も来ていない。5〜6回しか来てないと思うのね。そんな状態で、あと全部こっちがやってるわけじゃない。そうすると、どんどんどん距離が出てくるじゃん。そこで大事な決断のことも、家族抜きにそういう話が進んでくわけじゃん。でも、どっかで話さないといけないから、もちろん話すんだけど、甲谷さん話して。そのとき【ちょっと思い出せないんだけど】(00:48:20)まあメールとか調べたらわかると思うんだけど。どっかでぼく、奥さんと会ったりとかして。なんか、こっからもうなんか、「離婚っていう方法もありますよ」みたいな言い方した。離婚って。だって、はっきり言ってそのほうがいいんじゃないかなとぼくは。ほんとは望んでんじゃないかなっていう感じはしたし、なんかでもすごいカチンときたみたいで、それが。

長谷川:それは甲谷さんと奥さんの関係だけじゃなくて、やっぱり甲谷さんめぐってボランティアの人だとか、甲谷さんの今後の生活のことがいろいろ決められていく中で、もやもやとしたものがあったのかも。[00:49:16]


長谷川:そのときの病院にそれ言ったのは本人なんですか?甲谷さんなんですか?「もうぼく独居します」っていう。病院はもうずっとこのままっていうことで。

由良部:そうそうそうそう。もちろん、ほとんどもう伝えるのは難しいから、ぼくらが。ぼくだったか志賀さんかどっちか忘れたけど。言うのは。でもその前に手術のあれは決めなあかんから。【退院するにしても】(00:53:15)どこへ出んのかって。どこに出んのかってこと決めなあかんやん。だから、それを決めてからだったんじゃないかな。

長谷川:その調整も由良部さんとか志賀さんがしたんですか?

由良部:そうそうそう。

長谷川:そのときの西京都病院のときのボランティアの会員の人たちってのは何人ぐらいいたんですか?

由良部:ほとんどね、いなかった。1年2年ぐらい経ってたから。もうほとんど、ぼく、志賀さん、ぼくの妻、志賀さんの夫がメイン。あとときどき、あ、きやまさん。

長谷川:きやまさんっていつからですか?はじめっから?

由良部:きやまさんはわりと、支援の会をしだして、半ばぐらいかなぁ。途中からだったと思う。でもすごくそっからかなり熱心にしてくれて。それと、インド舞踊やってたのなかさんぐらいだったか、6人ぐらい。他の人もいつのまにかサーっと、来なくなってみたいな。そうなってくるよね、1年するとね。

長谷川:でも実際に地域移行するっていうようなとき、いろんなことが出てくるじゃないですか。それをしたのは、この今言った、きやまさんと由良部さん夫妻と志賀さん。[00:54:44]

由良部:いや、実質はだから、動いたのは、そっからまあ、その情報があって、すぐ「動くんだ」ってなったのが、たぶん年末やったんですよ。2千何年やったかな。何年かちょっと忘れた。年末にもう動き出して。そっからまあいうなれば分担決めて、どっちかというと、志賀さんがそういうこう病院と制度関係のほうをね。ぼくが家探しとヘルパー集めと。一応それは分けて。あと、岡本さんが知恵袋っていうか岡本さんの人脈とかを入れて、いろいろ。ずーっと深夜のコンビニで週3回ぐらいは集まって作戦会議してたような気がするけど。で、いろんな、こうやってこうやってみたいな、どうしたらいいかみたいなのをやりながら。だから、一回出ちゃうと戻れないから、いうなればやっと入れた病院やからな。そういう転院しなくていいような。ただ死ぬだけの病院やけど。死んでいくだけの病院やけど。でもやっと入れた。一回出ちゃうとまた戻れないから。そしたら手術して、それからまた民医連に戻ってみたいな感じで。そのあとのスケジュールつくっていかないといけないから。民医連が例えば3ヶ月、延ばして4ヶ月とか、限度があるから。で、だいたい半年か7〜8ヶ月後には目処をつけなあかん。出るようにしないといけない。それをだから、そういうふうに行ったのが、ここじゃなくて、すぐそこの。知ってる?家。

長谷川:もともと甲谷さんの家。ここ?

由良部:ここじゃないで。

長谷川:じゃないか。そうそうそう。

由良部:似てる造りやったから。同じ大家さんが、前。

長谷川:そうそうそう。隣。傾いてるところね。

由良部:そうそうそうそう。そこを探して。

長谷川:工繊大の子が探したんですね。そこはね。

由良部:そうそう。直して、なんとかして、あとヘルパーを集めて、制度、どういうふうに制度使えるかとか、あるいはそういう申請とかして、手術の病院見つけて、日程決めてみたいなことを。

長谷川:手術してから病院を出てきたんですよね。

由良部:手術したらまず、第二日赤か、に1ヶ月弱入院してたんかな。

長谷川:で、分離手術して。

由良部:そうそうそうそう。分離手術してから1ヶ月ぐらい入院して。そっから民医連行って。

長谷川:見院連から、こっちの。

由良部:在宅。それまで6〜7ヶ月ぐらいしかなかったから、その間に全部しないといけなかった。

長谷川:その中で由良部さんが主に役割としてやったのが、ヘルパー集めと家探しなんですよね。

由良部:そうそう。家探しと改修。

長谷川:ああ、改修。工繊大の人は岡本さんの人脈ですか?繋がったのは。

由良部:工繊大は、そうそうそうそう。まあいろいろ、そっから、その前に、もうそこは仮の宿でしかなかったから、本拠を決めないといけなかったから。それが今のとこで。それはぼく、昔からの知り合いの町屋倶楽部の小針さんっていう人がいてて、その人に紹介してもらったところがそこで。

長谷川:それは由良部さんが町家倶楽部に聞いたってことですか?

由良部:っていうかね、誰かが工繊大の先生。

長谷川:坂田先生?

由良部:「面白い人いるよ」とか言って。で、ぼくのことを知ってた。あるいは、「その人知ってるよな」とかいって、向こうの人も。「たぶんあの人じゃないの」みたいな。「知ってる人?」みたいな。実際会ったら小針さんやったみたいな感じで。そっからぽんぽんぽんって話が進んで。

長谷川:坂田先生がそういう町家倶楽部に繋がってたときに話をして由良部さんのことを知ってるってなって、で、由良部さんのことを引き合わせて。[01:00:07]

由良部:そうそうそう。久しぶりみたいな感じで。昔、一緒に舞台とかも手伝ってもらってたから。

長谷川:そうなんですね。じゃあ物件探しみたいなところで何件か回ってって話じゃないってことですね。

由良部:何回か回って…。1件目だったんですよ、あそこが。そのとき思ったのが、「狭いなぁ」って思ったんだよね。「もうちょっと広さがほしいな」とか思ったんだけど。また何件がそのあと行ったんかな。でも、また次の日に違う物件行くわって感じだったときに、よくよく考えてみたら、このぐらいコンパクトのほうがいいん違うと。あんまり広いと改修も大変だし。上手く造ったらいけるかなと思って、「もうここで決めます」って。

長谷川:改修がもうありきだったじゃないですか。それは岡本さんが坂田研を繋げてくれて、その時点で改修ってことはもう前提だったんですね。

由良部:そうそうそうそう。ていうか、まず稽古場と甲谷さんのスペースって、そんな場所ないじゃん。そんなできる場所って。作り変えないとできないじゃないですか。だから、それは前提で。どの程度のリフォームっていうか、どの程度でそれができるかはあれにもよるけど。あそこはでもほとんど廃墟。一から全部作り直さなあかんから、それは大変やったけど。それで坂田先生とかも相談して、どうやったかな?だいたいの見積もりっていうか。どんどんどんどん値段上がってっちゃったんだけどね。最初に聞いてたのと。まあまあそれはよくあることやから。まあまあでも、そんな感じであそこにしましょうって決めたんだけど。

長谷川:こっちの仮住まいはもう学生が探してたのをそのまま受けたって感じですか?

由良部:その前にいっぱい行ったんですよ。とにかくいろんなとこを。

長谷川:由良部さんが?

由良部:ぼくらも。ぼくも行ったし。で、その中で、わりとどっちかと言うと、アパートとか、何件か候補があったんだけど。とにかく借り住まいって頭があったから、そんな仁井ちゃんとしたんじゃなくてもいいかなっていうような感じがあって、あとは車椅子が通ったりとかできればなんとかなるかなと思って。そういう人受け入れられるところであれば。何回か「いいかな」とか思ってるところもあって、最終的に「こんな物件もあります。見てください」みたいな。で行って、まあまあ広さあるし、ヘルパーが待機するとこもあるから。それと、そこに近いっていうこともあった。本宅に。本宅に近いってこともあって。隣にあの人が住んでたの。

長谷川:堀田さんね。

由良部:そうそう。堀田さんが。「え?隣りなん」みたいな。びっくりして。それもあって、じゃあここに決めようみたいな感じやったと思う。

長谷川:ちなみに何件ぐらい見に行ったんですか?

由良部:何件見に行ったかなぁ。けっこう不動産屋が4〜5件やったかなぁ。

長谷川:それはもう本人連れていけないから、まわりの人たちだけで行った。その間もけっきょく同時並行で入ってるわけでしょ、甲谷さんのところに。

由良部:ボランティア?

長谷川:ボランティアで。

由良部:そうだね。誰かが行ってたような感じだよね。

長谷川:由良部さんも行ってたんですか?ボランティア。

由良部:行ってたと思うよね。行ってたよね。来ながらっていうような感じで。

長谷川:それとまた並行して介助者集めなんですよね。

由良部:うん。仕事もせなあかんし、窓拭きせなあかんし、子どもも世話をせなあかんし。

長谷川:すごいスケジュールじゃないですか。

由良部:まあまあ。うん。そうだけどね。乗り出したからどうしょうもない。だって、病院出ちゃったから、どうしようもないじゃん。前に進めないじゃんみたいな。[01:05:06]

長谷川:家探し。介助者集めっていうのはその時点でボランティアの人たちときやまさんとのなかさんと、二人二人でしょ。志賀さんとこと、

由良部:のなかさんは。

長谷川:もうそのときはなかったですか?

由良部:ああ、ボランティアはしてたけど。でも、ほとんどたまにだった。確かね。

長谷川:その残った人たちが、生活もありながら、他の支援、志賀さんだったら制度的なこともありながら、介助者集めっていうのはかなりしたんですか?

由良部:ぼくの知り合いとかにメールしたり、あと甲谷さんの個展やったときの、京都でやったときの、けっこう200人、2〜300人ぐらいの名簿があったんですよ。来てくれた人の。そういう人たちに全部送って、一つは、もしあれやったらヘルパーやりませんか?やりたい人を紹介してくれませんか?っていうような手紙と、あともう一つは、その頃まだ家が決まってなかったから、家を提供してくれる人いませんか?みたいな。家を提供というか、そういう情報でもいいしみたいなのと、その二つをみんなに送ったのかな。甲谷さんが今そういう状態で、家を、独居しようとしてますからっていうようなのを送ったりとか。自分の知り合いとかに全員こういろいろ。そこで集まったのが伊藤さんと大藤さんか。結局、それと、最終的に集まったのが、ぼくと伊藤さん、大藤さん、志賀さん、きやまさん。5人しか集まんない。まあ5人だけど、最初はね、5人から始まった。

長谷川:そのメールするときって、ヘルパーの時間給だとかというのは書いたんですか?

由良部:見込。1200円ぐらい。

長谷川:そのときまだ、ココペリが云々とかないですよね。

由良部:だから、そのときはなんとなくの計算ね。これもう、ぼくの計算、なんとなくいけるかなと思ってたのが、最低600時間ぐらいは確保できるやろうと。時間数を、制度で。それをなんかいろんな人に聞いて、それぐらいはいける、今の京都市の現状やったらいけるでしょうっていうのを聞いてたのもあって、それぐらいが勝負かなと思ってたんだけど。そしたらまあ、それで240時間を【ならす】(01:08:04)か、ある程度ぼくらのボランティアで埋めるか。240例えば。でも、1200円ってことはないから。いくらぐらいか忘れたけど、1200円くらいまでにはしないと集まんないし、最悪ぼくら自体はしばらくはボランティアやるか、ある程度ね、時間はね。240時間の中でボランティアで埋めるか。或いはボランティアじゃなくて、全部それをならして。それは、制度の、何時間とれるかによって変わってくるじゃん。最低600時間だったら厳しいけどなんとかいけるやろうと、続けていけるやろうというような計算で、1200円ぐらいかなぁみたいな。一応「1200円の予定です」みたいな感じだった。

長谷川:そのときは、それってでも事業所とかに登録しないと。

由良部:その頃は、そうそうそう。だから、どういうかたちでやるかっていうことも結局あって、いろんな、自分たちでやるっていうのが一つあるじゃない、完全に。でもなんか、ぼく自体も別にそういうのをやりたい…。甲谷さんだけの、自分がそういう仕事に興味あったり、それがやりたいと思ってたら、志賀さんにしてもそういうふうに思ってたら、まあやろうと思うかもしんないけど、甲谷さんだけのために自分の会社を、会社まで立ち上げてっていうのはちょっとモチベーション的にきつかったのはあり。なんかあと、東京のほうにそういう、なんだったかな?そういうのを受けてくれて、実質はこっちがやるような。

長谷川:広域協会みたいな。[01:10:13]

由良部:そうそう。広域協会だっけ。そういうのがあったんだけど、ちょっとコミュニケーションがなくて、ぜんぜんなんか言ってることが、なんて言ったかな?たぶんALS扱ったことがなくて、とにかく電話してても本人出せ、本人出せ、本人出せ言うわけよ。本人今、文字盤のあれで。でもそれでもいいから本人そばにいて、そばにいてって、ちゃんとやり取りさせて全部って。なんか当事者が自立するようなイメージがすごく強いわけ。でも、ALSの場合はどんどんどんどん進行してくる病気やから、自立とかいうのとちょっと違うんだよね、ぜんぜん。なんかぜんぜん話合わなくて、すごい上から目線だなと思って、そのとき。とにかく東京来いって言うわけよ。来いって言われても、この甲谷さんの状況で行けないやんって。行けないんですって言っても、「来てくれないと話にならない」とか言われて、これちょっとやめよう、なんかこの人たちと一緒にできへんわみたいになって、そんな中で、志賀さんが長見さんと前ちょっと知り合ってやったから、それで話持ってって。
で、その頃長見さんは大阪でしかやってないから。でもまあそれを受けてくれたっていうかたちで。だからとにかく事務的な、実際の作業はこっちでやるけど、ヘルパーを集めたりだとか、実際の。登録させてもらって、そっから給料とか、そういうのは全部やるっていうことになって。
それでまあ、でも実際最初に900時間出たから。どうやった?820か。24時間やからね、24時間出て。だから、まあまあココペリとしても悪い仕事ではない。仕事としても。こっちとしてもちゃんと、ボラに頼らなくてもできるようになったから、なんとかできるなぁっていう感じ。

長谷川:そこらへんの交渉は志賀さんが中心になってってことですかね?

由良部:もちろん中心はそうやったけど、もちろん岡本さんなんか弁護士さんとか、

長谷川:ふなきさん。

由良部:ふなきさんとかいたし、それ自体はなんかけっこう大変ではなかったと思う。ぐいぐいこう、何回も何回も交渉して、断られても断られてもっていうよりも、ふっといったら、あ、出てあったみたいな。840時間、うわ出たみたいな。どっちかっていうと、最初はけっこう、「出るかなぁ?」みたいな感じやったけど、けっこう出たなあみたいな。そこらへんはたぶん裏でもしかしたらふなき先生とか岡本さんとかの力が強かったのかもしれないよね。わかんないよ。それこそ立岩先生とか、なんとなく裏に大学教授がいるし、ややこしい人たち来たから、みたいだったかもしんないけど、わかんないよ。

長谷川:でもそのときに、移行するときって、甲谷さんここ開けちゃってるから、吸引っていうか医療的なことも必要じゃないですか。みんなヘルパー集まって、大藤さんとか声掛けて集まったけど、資格面とかってどういうふうな感じで取ったんですか?

由良部:資格はだから、なんだっけ、さくら会の重度訪問介護の養成講座があって、志賀さんはその前に確か2級のヘルパー免許なんか取ってたんだよね。で、ぼくは東京まで、東京やったかな?東京まで行って、講習会を1泊2日受けて、それで重度訪問介護のあれを取れて。きやまさんはあったんだ確か、免許。だったかな?たぶん。きやまさんと大藤さんもあったの、免許がね。伊藤さんがなかったから、伊藤さんとぼくだったかな、最初受けに行ったのは、東京に。で、その重度訪問介護受けて、5人が制度的にはできるって感じで。そっからまた仁井ちゃんとかが入って。仁井ちゃんが次に入ってきたのかな。仁井ちゃんがはいって、それから高木さん?それから白石さん。あと、いろいろ。そっからまあ、今は9人。9人やけど。[01:15:48]

長谷川:それずーっと募集してるんですか?始め5人だったじゃないですか。で、5人で、そこにココペリの江本さんとかが入ったんですよね。

由良部:そうだね。最初はね。最初、江本さんと、誰だっけ?

長谷川:山城さん。

由良部:山城さん、山城さん。二人が来てくれて。

長谷川:その間も募集はしてたんですか?ヘルパーの。

由良部:そうそうそうそう。募集ていうよりアンテナを張り巡らして、知り合いでやりそうな人は声掛けてみたいなぐらいで、別にどっかに募集したってわけでもなかったし、なとかそれで、5人プラス二人では、山城さんと江本さん含めてなんとかはやってけたんで。でもこのままずーっとはしんどいなぁと思いながら、一人二人増やしたいなぁとか思って。で、仁井ちゃんが来たときはかなり楽になって、一人増えて楽になって。それからぼちぼち増えて、その頃になったら山城さんや江本さんもそんなにもう来なくなってもいけたから、全部こっちで回してって、みたいな感じでぼちぼち増えてったっていうか。

長谷川:じゃあ甲谷さんが退院してたときはまだ医療的ケアの3号研修みたいなのはなかったから、

由良部:退院したとき?

長谷川:うん。ここの部分とかって、みんな、ごはんも含めて胃ろうも開けてたでしょ、甲谷さん。

由良部:胃ろうも開けてたね。

長谷川:うん。そういう、医療的ケアっていうのは、教えてもらって、

由良部:医療的なケアどうやったかな?病院で、なんかでもやってたような気がするんだけどな。確か。やってなかたっけ?病院でさすがにやってないか。

長谷川:帰ってきたときにそれは、別になんの関係もなくやってたんですか?

桐原:胃ろうが開いたのっていうのは京大ですか?

由良部:京大京大。だいぶ前ね、胃ろうは。だけど、口からも食べてた。けっこう。

長谷川:それをヘルパーがやるっていう。

由良部:えーっとね、どこでやってたかな。とにかくぼく、研修で覚えたっていう感じは全くなくて、全部知ってることを研修したっていう感じだったから、やってたんですよ。

長谷川:もうすでに。

由良部:とっくにやってる。

長谷川:吸引も。

由良部:うん。だって、一応、「あ、そうか、そこまで消毒するんだ」みたいな。こんな手順でみたいな感じで、自分でもぱっぱかぱっぱかやってた思いがあるから、やってたんだよな、確か。それをどういう資格でやってたか。友人としての資格だったのかなぁ?まあ家族もやるじゃない。

長谷川:帰ってきて別にそこは問題にならなかった?

由良部:だから要は、あれはそう、職業としてやるからまずいんじゃん、要はお金もらうから。でも友人がやるんやから、それ本人との同意があるんやから、家族とある意味同等の、別にそれでお金貰ってるわけじゃないから、やってたよね全部、そういうのもね。

長谷川:帰ってきてもやってたってことですか?甲谷さんが地域に出てきて実際、

由良部:病院でもやってたと思う。

長谷川:時間数が出て、こっち側に帰ってきたときも、由良部さんとか。

由良部:そのときはだから行ってるから。

長谷川:重訪で?

由良部:講習会に。

長谷川:講習会、じゃあもうそのときに胃ろうとか吸引とかが入ってたってことですか?さくら会の。

由良部:あ、違う違う違う。そこは入ってない。

桐原:吸引とかが研修になったのは、2012年以降だと思うんだけども。

由良部:だからそれは、たぶん、

桐原:みんなやってたんだよ普通に。

由良部:やってたんだけど、やってない扱い。

長谷川:やってたんだけど、やってない扱い。[01:20:00]

由良部:でも、違法までじゃなくて、グレーゾーン。

長谷川:みんなじゃあどうやって教えてたんです?それ。由良部さんがその前から吸引とか病院とかでもやってたから、それを例えば仁井さんとかに教えてたっていうことですか?

由良部:そんな感じだったと思うよ。

長谷川:それが今度こう制度化されてくるじゃないですか。それこそ今から甲谷さんとこに入る人たちって、そういう制度がもうあるから、それを受けてるんですか?今は。新しく甲谷さんとこに入る人たちは、3号研修受けてね、それを受けて入る。

由良部:そうそうそうそう。看護師さんに指導してもらって、何時間かやって許可を書いてもらって、で、やれる。

長谷川:由良部さんとかはぜんぜんそんなのはなく、もうずーっとやってるから。

由良部:いやいやいや。だから制度が始まったときはやっぱり受けないといけなかったよ。

長谷川:受けました?

由良部:受けた受けた。全員受けなあかなんかったよ。だって、勝手にできますからとかって言えないじゃん。やってましたよとは。だって、知ってるけど、知らないふりしてる。胃ろうだってそうやけど、すごい汗かいてたから、硬直して。夜中、だから、朝晩来てたんだけど、看護師が。あ、夕か。朝夕。それ以外だって、お茶とか入れられへんやん。最初ほんとにもう、汗かいてもお茶入れてほしいって言ってもできないから。最初の頃電話してたんだけど、「こんな夜中に電話しないでください」ってな感じ。「またですか」みたいになるじゃない、毎回毎回だと。でも注入してほしいって言ってるし、汗かいてるし。で、そっからなんとなく入れてた、こっちでやってたんだけど、なんとなく許されたのは、とにかく胃ろうに繋ぎっぱなしの状態と仮定しましょうと。で、水、お茶入れるのはいいですよと、ここに触ってはいけません。でも、実際外すよ、ずーっとつけっぱなしじゃないから。朝来て、訪看さんが胃ろうして、じゃああと、つけて、じゃああとはまあ、どうしても水分補給いったらしてくださいって。つけっぱなしの、ここを触ってはいけません。これは医療行為ですからみたいな。もうわかりきってるんだよね。本当はね。建前はそうしてもらわないと困るみたいな。

長谷川:それはもう退院してからずっとですか?

由良部:退院してからしばらくそう。ぼくらがそういう資格を取れるまでは。建前はとにかくそういう感じ。でもだんだんだんだんグレーゾーンが広がっていく。

長谷川:そうですよね。病院と同じような感じですよね。

由良部:そうそうそう。

長谷川:もう事業所。由良部さんたちの頭のなかでは、甲谷さんとかみんなで、川口さんとかの話があって、「地域で生活できるんだ」っていうことがあったときに、どっか、介護事業所を探そうっていうのはそういうことは頭になかったですか?

由良部:え?

長谷川:どっか自分たち以外の例えば介護事業所を入れようとかっていう話とかはなかったですか?

由良部:あー。それは全く考えてなかったよね。自分たちでできると思い込んでたからね。だから、最初はヘルパー探すの大変というかめちゃくちゃ言われて、「そんなのすぐ集まるよ」とか思ってた。そんなんすぐ集めて、そんなのそんなに難しいことかなあ?けっこう食いっぱぐれてるアーティストいっぱいいるからみたいな感じでさ。

ユ:前向きでしたね。

由良部:だってほら、仕事がなくて、でもアーティストやから普通の就職とかしたくなくてみたいな人、けっこうなんとなく頭に思い浮かんでたから。けっこうそういう人集めたらいっぱいいるやんって感じで思ってたから。まあそう簡単ではなかったけど。ある程度それで集まったからね。

長谷川:集めて、その中でやってきた中で、本にも書いてあったけど、夏、魔の夏があって、みんな辞めていくっていう。

由良部:うんうんうん。それはけっこう。魔の夏か。魔の夏だけじゃないんだけど、けっこう続いたんだけどね、ずーっと。

長谷川:そのときはさすがにと思いました?それとも。[01:24:56]

由良部:うーん、そうだねぇ。とにかく、休養は必要な人とか、辞めていく人が。まあ、私、ちょっと、これ以上、ちょっと休ませてくれ、半年休ませてくれって、二か月休みにしてくださいみたいな感じで。あ、そうそう、けっこうそれから新しい人で、募集っていうよりも、人が新しく探してきては来たんだけど、何かとにかくね、なんかね、けっこういっぱい来たんですけど、全部脱落してくわけよ。増えないわけ、人が。

長谷川:脱落っていうのは甲谷さんが「だめ」っていうの?それとも本人?本人っていうか来た人が。

由良部:両方、二つともの場合がある。3ヶ月ぐらい研修みたいなのかかるんだけど、3ヶ月ぐらいで「ああ、やっと独り立ちできるかなぁ」っていって、で、次の日一日やって、「もう私だめです」って人がさ。1ヶ月2ヶ月研修に来たら「もうだめです」って、甲谷さんもだめって場合もあったかな。とにかく全然増えないんですよ。増える気配がなくて、どんどん、とにかく5人と、ああ、そのとき7人いたのかな。5人プラス仁井ちゃんと高木さんか。7人いたんだけど、7人のそんな中でも、みんなちょっとこれ以上働けないとか、半年休ましてとか、っていう感じになってって。その頃ぼくもまだ窓拭きの仕事もけっこうしてたし、志賀さんも大学まだやってたから、そういう二足の藁のとこもあって、けっこう大変だったときもあって。これは、人も増えないし、みんななんか鬱っぽくなってきて。きやまさんが抜けて。きやまさんがとにかく大変だって、一番大変やったかな。きやまさんがうんと大変そうで抜けざるを得なくなったような感じもあって。きやまさんけっこうすごい頑張って戦力やったから、それがちょっと無理になりそうで、他の人に。ほぼ全員鬱っぽい。で、もう休養させてみたいな感じになったときがけっこう、志賀さんなんかも病院に戻るなんて二度とできないけど、頭にもよぎったんじゃないかな、そういうことを。でも、うん、そうだね。とにかく24時間ずーっと神経が休まんないわけ、ヘルパーが。ずーっと絶えずわーってなってるし。ナースコールがビーって一日ビービービービー、センサーがブーブーブーブーっていって。やればやるほと介護して、体交とかするじゃない。ちゃんとまだ文字盤とれる時期だったから。ずーっと文字盤見ながら、じーっと「なんですか?」文字盤見ながら、なんか言ってることわかんない。でもこうなってる、うーってなって、ずーっとなってるじゃん。やればやるほどずーっと神経休まんないような状態だったね。そんな感じがけっこう続いて、みんな限界に近づきつつあってみたいなんがあって。
でもなんか、そうだな。一つが。モルヒネ系の薬ちょっと使いだしたのでね。ちょっとね、最初ね。それもあったんかもしれない。なんとかパッチだったっけ?そういうのをちょっと使って。さすがに、そういうのってなんか、あんまりどっちかというと使ってはいけないようなイメージもあったんだけど、最終手段っていうか、死にゆく人のホスピス的ケアみたいなイメージがちょっとしたんで。でもそうでもないみたい、けっこう積極的に使ってもいいみたいな感じの。ちょっと使ったのが効いたのも一つある。だんだんだんだん落ち着いてきたのが一つ。

長谷川:それはだれかが、お医者さんとか看護師さんとかに相談したんですか?[01:29:46]

由良部:そうそうそう。それはぼくが、ALSの本があったじゃない。先生が。中島先生が書いてるやつ。そういう何系っていうんだっけ?大麻?よく知らない、そういうような薬をつかうのは悪くない。そういうのも場合によってはすごく有効な場合があるっていうふうに書いてあったのを見て、で、志賀さんとも相談して、先生にこういう方法を、これでやってみて、こういう記述もあるし。先生はそれほど詳しくないから、ALS。今診てる、***(01:30:39)病院の先生とかも。でもまあそういって、そういう方向でちょっとやってみましょうかみたいな。それでけっこう。でもわかんないんだよね、薬って。ほんと効いてんのか効いてないのか。何か効いたのかってのは、ほんとはわかんないとこあんだけど、たぶんそれがちょっと効いたかなって。それを2〜3ヶ月続けて、それですぐ止めたんだけどね、そっちはね。
それが効いたのが一つと。あと、ちょっと覚悟が決まったとこもあって。ぼくなんかでも、とにかく、その頃はけっこう不安で、人が辞めていくっていうのが。でも最終的になんかそういう自分の仕事があってなんか、「今日も徹夜。今日も甲谷さんがいて、次朝から…朝から窓拭きすんのか。はぁ」とかって。「ああ、あとでまた次甲谷さんとこ行かなあかんのかぁ」とかこういう感じ。で、人が辞めて、「またおれが入らなあかんのー」みたいな感じになるでしょ。でも、あるときもう、全部そっちで辞めて。辞めてもいいわと思って、窓ふきなんか。だって、別にそれで仕事、お金にはなるわけやん。こっちに入って。だからもう、辞めたらもう、あそこ住み込んでおれずーっとやるわ。最終的には。一人でもやるみたいな。それと、隣にベッド置いて、それでできるやん、みたいな。もしそういう状況になっても。という気持ちになったら、なんか楽になって。人、なんとかなるやんみたいに思ったら。っていうなんかちょっと余裕ができたら。例えば志賀さんなんかも今まで、「いやーなんか由良部さんに世話かけちゃうし、なんか…」ってなるじゃん。それまでやったら。「いやもうぜんぜん全部。たいがいの全部ぼくに入れてくださーい」って言って。なんかそう思うと楽になっちゃう。

長谷川:由良部さんと志賀さんって、そもそも会、由良部さんなんかもっと長いけど、ボランティアの会とかずーっと関わってきてるじゃないですか。やっぱりにいさんだとか、きやまさんだとか、他のヘルパーとは立ち位置が違うじゃないですか。まあざっくり志賀さんが制度的な、地域移行にあたっては制度的な面を担当して、由良部さんが介護というか、ヘルパーを集めたりとか、家探しを担当したじゃないですか。それが地域に移行してからは、役割分担だとか、それから由良部さんと志賀さんとの役割の違いだとか、他のヘルパーとの違いだとかっていうのは。

由良部:だからね、ある時期、いつ頃、半年も、それが始まって、いつ言ったか忘れたけど、ぼくは意思決定に対して、本人がやることはもう前提だけど、だんだんだんだん本人はできなくなってるでしょ。そこである時期に、ぼくは二人が、二人体制ってなると協力し合うのはいいけど、いい時期もあったけど、ずーっとじゃあ二人で、いちいち二人で意思を確認してみたいなんてしんどいじゃないですか。うっとうしくなってくると思うのね。だから、基本的にぼくは、あそこのスペース、あっちのスペースはぼくが家賃払ってる、半分払ってるから、そっちはぼくがやるけど、もちろんヘルパーは続けるけど、基本的な意思決定は、もう志賀さんに任せますから。ぼくはもう、あとは友人に戻りますからみたいな。あとは一友人で、ヘルパーで、あと、隣で踊りをしてる人みたいな。[01:35:04]

長谷川:それはいつぐらいですか?

由良部:わりともう軌道に乗ったらそういう感じにした。そういうふうに言った。書面に書いたわけではないよ。ちゃんとそういう話、「いやそういうふうにしましょう」って。二人いるとうっとうしいからみたいな。

長谷川:それなんかきっかけがあったんですか?

由良部:いやいや、ずっとそう思ってた。そのほうが誰か。だって実際うっとうしいもん。いちいち気をつかいあって、二人で意見調整するのって。じゃあどっちが。だって、「私がここまで頑張ってきた」「俺だってここまで頑張ってきた」みたいなのってうっとうしいでしょ。そういう戦いになんの。だからもう、そういう甲谷さんの最終的にどうするって。まあ志賀さんも今でも気をつかっていろいろ言ってくれるけどね。でも基本的にもうお任せしますって。だから、この前のNHKのあれだって、ぼくのところかかってきたけど、なんか調べて、全部志賀さんにふって、「出ません」って「。志賀さんやってくさださい」みたいな感じやし、なるべくそういうのはしないようにしてる。

長谷川:戻ってきてからすぐって、まだやっぱり介護体制も含めてふわふわしてたじゃないですか。その頃はもちろんケア会議とか開いていたと思いますけど、志賀さんとか他の人たちとかと意見が違うことってありましたか?

由良部:えーっと、おっきなとこではなかったんじゃないかなぁ。いちいち細かいことでぼくも言わないし、会議なんかでも別に一ヘルパーとしての立ち位置でいたから。だから志賀さんが会議を回すようにそこらへんからなっていったから。

長谷川:じゃあ今はもう由良部さんは友人でありヘルパーでありっていう。

由良部:そう。ダンサーであり。一応でもそれは気はつかってくれるけどね。一応そういう立ち位置で。

長谷川:前も私、違うので聞いたんだけど、友人でありヘルパーであり、で、ダンサーでありって、けっこう難しいかなと思うっていうか、他のやっぱり違いますか?要するにヘルパーじゃないでしょ。由良部さん。

由良部:まあ好き勝手にやってるよね、逆に言うと。だって、この前なんか、この前っていうかだいぶ前やけど、ベッドにね、二人で添い寝してね、「ちょっと休むから一緒に寝よ」って「がー」一時間ぐらい一緒に寝てた。普通できへんやん。ヘルパーさんいうたら。そういうことはできるし、いいとこかもしんない。誰に注意されるわけでもないから。別に寝てたっていいし、添い寝してるほうがわかるやん。相手***(01:38:15)やったらすぐわかるし。わかんないけどね、向こう行ってくれってほんまは思ってたかもしんないし。

長谷川:すごい甲谷さんはまだ、あがいている時期というか、みんななんていうか、甲谷さんがすごいいろんな人を拒否、拒否っていうか「だめだ、だめだ」って言って、みんなが辞めてったときがあって、ヘルパーだったらもっと違う選択というか、あったような気がするけど。

由良部:ああ、そうだろうね。それはただ単に仕事でやってたら続かなかったんちゃう。続かなかったし、と思う。

長谷川:でも友人でもすごくないですか?

由良部:友人っていうよりも、その頃はやっぱり引き受けちゃったから。だって、家族とも別れさせて、半分、「離婚する方法もありますよ」みたいな。半分は別れさせたようなもんじゃないですか。で、死ぬ、もうこのままじゃ死ぬってなったら切開して、手術して、まあ道をつくっちゃったわけじゃないですか。ぼく一人じゃないとしても。やっぱり引けないでしょ。そこまでしたら。「知らない」「やっぱ知らない」とは言えないじゃないですか。それはやっぱりあったよね。責任感って言うとあれやけど、だってどうしようも、だって、知らないって誰がそういうことをってなっちゃうじゃないですか。

長谷川:そこまで向かわせたものってなんですか?由良部さんに。だって、ただの友人だけでやっぱりそこまではいけないのはこの世の中じゃないですか。[01:40:01]

由良部:そうかなあ。まあ、どっかで決断しなきゃいけないことがあって、決断したからにはその道でやるしかないっていうことは誰でもあるんじゃないかなと思うんだけど。

長谷川:じゃあ別にそれは甲谷さんを助けたいとかそういう思いではなかった。

由良部:それだけでもないし、例えば自分と稽古場と、そういう場所をつくるってなんとなくの夢もあったし。それもあったし、もちろん、なんとなく、ぼくみたいな舞踏みたいなダンスやってるのと、まあ、言うなれば究極の身体が動けない人とダンスというか、なんとなく面白そうじゃないですか。なんとなく面白そうっていうの軽いけど。まあそこらへんのもあって、甲谷さんとずーっとそういう身体をめぐる対話を元気なとこからしてたってのもあるし、それで、会を立ち上げて。前も言ったかもしれないけど、もしあのとき会を立ち上げなかったら、もうすぐ1ヶ月後かぐらいに長野かあっちのほうに行く予定だったから。奥さんとそういう話になってた。だけど、会を立ち上げたから、「京都にいたい」って言いだしはじめて、それ後から聞いた話だけど、そういうようなこともあり、流れを変えちゃったわけじゃない。そしたらまあ、途中で放り出されないよね、やっぱりね。手術までして病院に戻れなくて、また「知らん」って言えます?言えないでしょ。

長谷川:でも辞めたいと思ったことはないんですか?もうここから降りたいっていうか。

由良部:降りたい。うーん。まず場所がもう、あそこが稽古場としてあるし、もっと時間数減らしてほしいとかあった時期もあったけど。降りたいっていうより、降りたい?降りたいって、降りれないしね。考えないんだよね。降りれるんやったら降りること考えるかもしんないけど、まず降りれないから考えないっていう。

長谷川:なるほど。こないだのALS-Dの映像の中で高木さんがみんないろいろ辞めていったときがあって、そのときまあ自分も考えざるを得なくなって考えたと。

由良部:高木さん?

長谷川:うん。高木さん。その高木さんのインタビューのときに、ヘルパーはいつでも辞められると。私もそういう辞めるっていう選択を持ってるんだと。でもそれを今行使するのはなんか悔しいなと思って続けたっていう感じで、いつでもそういうのを持ってるんだっていうのが一つお守りになってたから。

由良部:いつでも辞めるんだみたいな。まあ高木さんの立つスタンスっていたったらそうでしょうね。

長谷川:でも由良部さんはそんなんはないんですね。そういうんじゃなくって、もうそもそもそういう選択としてそれがないから考えないというか。

由良部:でもそうだね。でもまあ別にぼくがいなくても回れるんやったら別に。今はたぶん回れるわけね、別におれがいなくても。それだったら別に。今やったらね、いなくても。例えばちょっと外国へ行ってダンスしてくるわって、そっちの思いが強くなったわっていったら、ずーっともう1年2年経ってれば大学でちょっといい話があんだよねみたいになったら行くかもしんないよね。だってあとはぼくいなくてもできる体制やから。っていうことはあるけど。最終的に今稽古場もあそこにあって、一応別にそんなに外国行きたいわけでもないし。うん。

長谷川:今は介護が必要だから、介助者が足りないから入ってるっていうわけではなく、由良部さんの、[01:44:58]

由良部:今はだから、昔、舞踏会やってるときなんかは月3日ぐらいやったもん。忘れない程度に入りますみたいな感じで。今は舞踏会なくなったから、ちょっと実入りがないから、逆に10日前後ぐらい入れてくださいみたいな感じになってるけど。そんな感じで別にぼくいなくてもそんなに困んないと思う。

長谷川:感覚的にはそうですね、たぶん。したいとかそういう話でもなくってことですよね。

由良部:そうそうそうでも。稽古場として週3回はクラスもやってるから、なんやかんやで顔は見るし。で、そうやね。だから、ヘルパーとしていなくても、けっこうあそこは顔を出すからね。週3回は必ず出すでしょ。必ずはないけど出して。それからヘルパーがあったら週4〜5日は行ってるから。そんな感じかなぁ。

長谷川:由良部さんが今まで一番大変だと思ったことはなんですか?

由良部:この甲谷さんのことで?一番大変っていうか、ちょっと傷ついたのはやっぱり向こうのご家族との関係かな。一番ちょっと寝れなくなったぐらい。「こんなこと言われんだ」みたいな。「こんなことやんなくていいじゃん」って。

桐原:外形的なことをちょっと確認したほうがいいと思うんだけど。すごい長くなってきてるし。

長谷川:言ってください。

桐原:まず、支援し学ぶ会のメンバーを集めたときはどの辺に声をかけて、どういった反応だったかについて教えてください。

由良部:ぼくと甲谷さんの、まず共通の友だち。それから、甲谷さんの友だち。ぼくは知らなくて、甲谷さんだけが知ってるような人は、たぶん奥さん、奥さん、聞いたんだっかな。奥さんが聞いたか奥さんから声かけてもらったのかな、ぐらい。その両方ぐらいかな。ぼくと甲谷さんの共通の友だちはぼくから全部かけて、で、甲谷さんだけが知ってる友人にも何人か。それはそんな多くなかったと思う。で、30人から40人近くいたような気がするんだけどな、そのぐらいの人数は、最初に集まった。

桐原:支給決定を取って時間数を取って、実際にそれを使うだんになったときの話なんですけども、そのときの事業所も最初からココペリ。

由良部:ココペリ、ココペリ。

長谷川:志賀さんが繋がりがあって。

桐原:志賀さんからでいいんだよね。

由良部:志賀さんが「どこの事業所にしようか」って言って、じゃあココペリに決定して。で、ココペリに全部そういう事務的なことはやってもらって。

桐原:あと、ずっとALS-Dに移ってから、なんていうかな、ヘルパー長く続けている人けっこう多いとは思うんですけども、たまに新しく入るじゃないですか。それはやっぱりALS-Dに来る中で知り合った人とかそういうのも当然いたという感じですか?

由良部:そうそうそうそう。だいたい人間関係だよ。全部ほとんどね。最初の5人、それから6人目の仁井ちゃんはぼくの昔教えてた子だし、7番目の高木さんは志賀さんの大学の教え子だったし。坂田さんはもういないけど、坂田さんはぼくの生徒だったし、

長谷川:池田さん?

由良部:池田さんは伊藤さんの知り合い、っていうかほぼ旦那さんみたいな。

長谷川:伊藤さんは?

由良部:伊藤さんは最初の5人の中に入ってる。

長谷川:どうやって?繋がりは?[01:49:54]

由良部:伊藤さんはぼくのワークショップに来てた。伊藤さんと大藤さん。そうそうそうそう。そういうような人間関係の繋がりでほとんど。ほとんどそんな感じで。で、白石さんはぼくの知り合いの知り合いみたいな感じで来たのかな。あと誰だったっけ。今、稲垣さんか。稲垣さんはぼくのところにダンスで来てた子だし。だいたいダンス関係やっぱり多いかな。

長谷川:アンテナ張り巡らして。

由良部:そうそうそう。っていうかやっぱり、アーティストっていうか食えない人って正規のちゃんとした働き方じゃない、どっちかっていうとみんな正規の働き方じゃなくて、みんながこう【NG日】(01:50:54)。【NG】(01:50:58)の人を集めて申告してもらって、それでなんか回していくっていう感じが自分は例えば講演があるからとか、わりと自由に、ほぼ自由に、行けない日は大丈夫な体制だから。逆にそういう意味では働きやすいんじゃないかな、表現者にとっては。

長谷川:新しい人間関係で入ってくる人って、繋がりで入ってくる人って、あそこでワークショップを受けたりとかして甲谷さんを見て興味を持って入るんですか?それとも由良部さんたちが「ちょっとやってみない?」っていう感じですか?

由良部:そうですね。甲谷さんに興味を持ってやりたいって言った人はあんまりさすがにいないかな。出入りする中で「やってみる?」みたいな感じでいたら、「ああ、やりたい」みたいな感じで。あとはあかしさんがいたかな。あかしさんもダンスのワークショップ来て、それで。けっこうでも、ダンサーとかアーティストってさ、すごい安いさ800円とかさ、時給で働いてる人いるからさ、それからしたらいいわみたいな。けっこういいんですよ。だから、誰も辞めへん。誰も辞めへんやんみたいな。すっごい続いてる。

桐原:その後、杉江さんとか続いていく人が出てくるわけですけども、やっぱり相談みたいなのっていうか、どうしたんだ?みたいな問い合わせっていうのがそれなりにあったって感じですか?

由良部:杉江さんとか?

桐原:杉江さん以外でもいいんですけども。

由良部:ああ。うーん、そうやね。杉江さんのときはわりと相談っていうか、わりと近かったし、岡本さん入ってたでしょ。けっこう関わってたでしょ。いろんな情報とか、だから「どうしたらいいかなぁ?」みたいな、なんとなく聞いてたけど、なんか具体的に助けたかっていうと、まあちょっと話を聞きに行ったりとかはしたと思うけど、あんまり役立ったことはあったかな?あんまりないよね。岡本さんとか西田さんとかがそれぞれに頑張って、みんなも頑張ってたから、あまり役立ってないかもしんない。情報交換それなりにしてた。あと誰だっけ。増田さんとか。この前亡くなられた。

長谷川:マイクさん?藤井さん?

由良部:この前っていうかだいぶ前。

長谷川:あそこの…。お父さんですね。

桐原:やまださん?

長谷川:いやいや違う。なんやったっけ?

由良部:いやいや違う。すぐ忘れちゃうな。ずーっと呼吸器ずーっとつけて、ほとんど動かなくなって長かった人。

桐原:例えばヘルパーの集め方とか、支給決定の取り方とか、病院から在宅への移行、それから家の探し方みたいな、そんなのとかは聞かれたりとかはしたことはないんですか?[01:54:48]

由良部:もしかしたら、志賀さんなんかはたぶん。誰だったっけ?この前亡くなられた。名前出てこない。とかは、志賀さんとけっこう奥さん、知り合いやったから、たぶん情報交換はしてたんかもしれない。杉江さんに対してはたぶんほとんど岡本さん、こっちのことぜんぶ知ってるから、たぶん岡本さん経由で情報なりは流れてたと思う。だから、改めてそんなにぼくや志賀さんがそれに対して、それなりの話とかはしたと思うけど。まあ、杉江さんが甲谷さんのことでたぶんこういう生活やりたいっていうのは思ったと思うし、たぶん最初、西田さんなんかもそういう甲谷さんらの情報を知って、たぶんこういう方法があるってことがわかったっていうのは確かだから。知ってることはたぶん岡本さんからも全部伝わってると思うし。

長谷川:逆にたぶん由良部さんたちが橋本操さんとかの情報を聞いて、橋本さんたちにじゃあ相談したかっていうと、

由良部:相談したとは思うね。

長谷川:そういう具体的なあれじゃない、もう外形的なものは川口とかが知ってたからそこから教えてもらって、実際に橋本さんとぐっとしゃべったってことはないと、そういう感じだと思うよ。

由良部:そんなんないと思うね。

桐原:JCILはこれ入ってないわけですよね。

由良部:JCILは基本的には入ってない。

長谷川:志賀さんが詳しいと思う。制度のところでJCILが書いてあったから。

由良部:JCILはなんか最初、相談にぼくらは行ったから。JCILの事務所まで行っていろいろ話は聞いて。

長谷川:それは岡本さんかなんかの紹介ですか?

由良部:そうそうそうそう。岡本さんからの紹介で。

長谷川:甲谷さんが病院にまだいるときに?

由良部:病院にいるとき。うん。そうそうそうそう。病院にいるときに。まだそんなにまとまってないときに、どういうふうにしようかなぁって。で、いろいろ聞いて。

長谷川:もうそれは川口さんのアドバイスがあったあとに行ったっていうかたちですか?

由良部:そうだね。実際に京都がどうなのかよくわかんないし、そういう中で。そうやね、JCILにも行って話聞いて。そういう関りはあったけど、JCILから誰か派遣してもらうとかはなかったし。まあ協力関係みたいな感じではあるけど。

桐原:民医連とか、西京都病院で、要するにボランティアの人がたくさん入ってくるわけだから、他の患者さんとは少し浮くわけじゃないですか。そういった状況をほんとにゲリラ的に可能になったのか、それとも病院の中で「それはそれでいいよ」みたいに言ってくれる味方みたいなのが医者とか看護師の中にいた感じだったわけですか?

由良部:とくに味方という感じでも、味方でも敵でもなかったかなぁみたいな。まあボランティアで入って、見舞いでいろいろ洗濯したり、身のまわりのことをやってるから、特に迷惑かけてるわけでもないし、まあ出入りはするから気になることは気になるけど、そんなに敵でも味方でもなかった。けどまあ最初のうちはちょっと散歩とかでも院内だけとかいって、だんだんなんか見逃して、だんだん、敷地の外にちょっと出て、で、今度は遠くのスーパーまで行って。見てみぬふりみたいな感じではあったけど。
この前、誰だっけ、京都で亡くなった。

長谷川:藤井さん?

由良部:藤井さんだっけ。

長谷川:知り合いですか?

由良部:知り合いじゃないけど。けっこうボランティアしてたって?岡本さんから聞いて。

長谷川:ああ、そうです。ユさんたちと一緒に。

由良部:してたの?

長谷川:うん。

由良部:よく知ってる人だったの?[01:59:46]

長谷川:いやいやぜんぜん私はほんと去年に知り合って。去年、彼もたぶんALSっていう告知を受けたんだと思うんですけど、ずっと宇多野に入院してて、土日だけが、週末だけ外泊で家に帰る生活だったんですけど、たまたま立命の尊厳死の勉強会のところにいらして、そこでお会いして。はじめはね、それこそ呼吸器つけないし、死にたい死にたい言って、尊厳死したいって言ってたんですけど、それこそ甲谷さんとか訊ねていったんじゃないかな。志賀さん。藤井さんをもともとバックアップしてた。藤井さんダンサーで、バックアップしてたのが、

由良部:ごめんごめん。藤井さんじゃないわ。この前の尊厳死の人。

長谷川:ああ。優里さん。林優里さん。林優里さんはね、支援というか、京都に帰ってきてから、それこそ難病相談支援センターからちょっと相談があって、住まい探し、それこそ必要だっていってそんなとこから関わりながら。もうそっからあとは別に、難病相談支援センターやってたから、私はコミュニケーションとかでちょっと関わりながら。まあただご本人がいきのいいお姉さんだったので話が合って。由良部さんで言う友人みたいなところですね、ほんとに。ぜんぜん介助はなくて別の次元で付き合ってて。

由良部:そんなけっこう「死にたい」みたいなこと言ってた?

長谷川:いや、私にはぜんぜん。ただやっぱりまわりには。それこそ甲谷さんとこだったら由良部さんとか、甲谷さんのことをよくよく知ってるっていうか、しゃべれなくなる前での甲谷さんのことを知ってる人たちがいっぱいいるじゃないですか。あの空間って介助っていう空間でもないじゃないですか、もう。やっぱり他のALSの患者さんとか事業所とかだと、入れ替わり立ち替わり知らない人も来たりとかして、その中で別に介助を誰が教えるかって話ではなく、本人が言わなきゃならないし、それは甲谷さんも我慢してるとこあるだろうけど、そういう我慢とかもしはったし、そういう中で思ったんだろうなって思ったけど。

由良部:まあいろいろね、京都新聞とかでも岡本さんだいぶ書いてたけどね。

長谷川:甲谷さんの介助っていうか、これだけの体制っていうのが築けたのが、やっぱ由良部さんたちも、今のもちろんコミュニケーションすごく難しくなったときでもこうやって続いてるのは、甲谷さんっていう人を病気になる前から知ってる人がいて、その人たちが支えているっていうところが大きいと思いますか?

由良部:そうな部分もあると思うんだけど、そう言ってしまうと、そうじゃない人はってことになっちゃうからね。それは、甲谷さんの場合はたまたまそうだったっていうふうな状況やったけど、それが不可欠か、うーん、甲谷さんの場合は確かにそうだったけどね、他の人の場合はちょっと。

長谷川:甲谷さんの場合はやっぱり、今甲谷さんのことを知ってる人から見ると、例えば、そういう知った人じゃない人たち、事業所の人が何人か入って、入れ替わり立ち替わり入ってっていう生活だと、例えば呼吸器も含めてつけるっていう選択しなかっただろうなって思います?甲谷さんを知ってる人間からすれば。甲谷さんっていう人だったら。

由良部:どうでしょうね。わかんないね、そこらへんはね。まあやっぱり甲谷さんで一番大きかったのは、自分で独居できるっていうことだったから、病院から抜け出してってことで、そういう決断に変わってったってことと、実際にやっぱりどんどん病状が進行していく中での変化もあっただろうし。それはコミュニケーションが上手く取れるほうがいいに決まってるし、なんだけど、でもそうじゃなかったらしなかったかどうかはどうなんでしょうね。

長谷川:甲谷さんにとってはものすごい、由良部さんから見てても病院っていう場所は過酷だったんですね。[02:04:41]

由良部:過酷だと思いますよ。だって、常に要求がある、自分の中では要求が生まれてくるわけじゃないですか。夜、誰も来てくれないじゃないですか。それこそちょっとした、首の角度が、***(02:05:03)直してほしい、頭の中でそういう***(02:05:06)がずーっとっていうような状態とかさ、ちょっとしたことで要求があるわけじゃない。それがこう朝まで誰も来てくれないとかさ、それは過酷じゃないですか。特にコミュニケーションが逆にとれてないから、ずーっとその思いがあるわけだから。やっぱり誰かがそばにいてっていう。何か要求したらとりあえず応えてくれる人がいないとしんどいと思うけどね。

長谷川:そうですね、病院。やっぱ違いますよね、家と病院ではね。

由良部:風景が全く違うしね。なんかまっ白なずーっと変わんないようなまっ白な天井と、まっ白な壁と。やっぱりいろんな風景が違うだけで、自分の好きなものがあったりとかするだけで、ぜんぜん違うし。

長谷川:今の甲谷さんは、〇×もちょっと難しいぐらいな感じのコミュニケーションでしょ。

由良部:うん。ずーっとそれはもう、〇×しなくなってもう5〜6年経ってる。もっと経ってるかな。

長谷川:その甲谷さんの介助っていうか、との生活というか、やっぱり変わりましたか?

由良部:全く変わったんじゃない。だから、介助という意味では、変にこれが慣れてしまうとまずいんだけど、昔は常に要求があった。常に要求があって、それに応えないといけないけど、要求無いし。言えないし。で、なんか身体を、最近ちょっと硬直気味なんだけど、けっこう落ち着いているときが多いし、ずーっと落ち着いてるときが多いし。ちょっと言い方誤解があるかもしれないけど、この世にいないようなとこも、意識がちょっと違うとこ行ってるようなとこあるから。昔やったらすごい「これやって」とか気になってることがずーっとっていうのがフラストレーションみたいな、そういう感じもなくなっちゃったし。機械の音もほとんどなくなったし。センサー、ナースコール、パソコン、吸引ですらほとんど自分でやるから。自力でこう出てきたの取るぐらいだから、吸引もやらない、ほとんど。たまーにぐらい。呼吸器を付けてるだけで。で、酸素飽和度は97〜8ある。毎回計ると、いろんな、体温とかほぼ異常がない。めちゃ楽といえば楽。散歩してちょっと、昔やったら体交するだけでも大変やから。最近体交もしないから、足が曲がんないから。ときどきこう持って支えるぐらいで。すっきりしちゃって、やることないじゃんみたいな感じになっちゃってるから、すごくある意味で楽だし、ちょっと違う次元の介助になってるかもしれない。
違う次元っていうか、甲谷さん自身が、そういう言語的な、選択する言語みたいなのなくなっちゃったから。常に前は、「右に行きたい」「左に行きたい」「右って言ってるやろ」みたいな。ずーっとずーっと、「右ないやん」みたいな、「次こっちだよ」みたいな。常にこう張り巡らしてるのがあったけど、「右も左もお好きに…」「お好きに…」「お任せ…」みたいな感じやから。たぶん意識としても、別に選択的言語がもうない、たぶんないんですよ、ほぼ、どっかで。だってもうしゃべれないからそうなったっていうよりも、なんかぼくの中では、ある種もう選択的言語がない。なくなった。

長谷川:それは委ねてるっていう感覚ではないですか?[02:10:04]

由良部:委ねてるっていうか、ちょっと内的な感じが違うとこ行ってるって感じもあるし。まあ委ねてる。だから体の起きる出来事に、起きてるが起きてる。風が吹くように、身体の中に起きてるみたいな。ちょっとそんな雰囲気、正直。出来事が起きている。で、自分がそこで、「風を止め」って言っても風が止むわけでもないから、そういう選択はしないみたいな。

長谷川:ふーん。その中ででも選択しなきゃいけない場面があるじゃないですか。

由良部:いや。それは本人はないの。

長谷川:そのまわりとしてはいろいろね。そうするときの、前だったら甲谷さんに聞いてやってたのが、今は違うじゃないですか。それはやっぱり、それがある意味できるっていうのは、今までの積み重ねがあるからっていうことですか?

由良部:そうだね。まあ昔、まあそれが例えばさ、まあわかんないんだよね、それがほんといいのかどうかはね。例えばでも、散歩を行くとなんか身体の調子が良くなるし、昔みたいに例えば美術館行って絵見たいとか、そういうのもたぶんもうないと思う。鑑賞、なんかゆっくり鑑賞したいっていうのはたぶんないと思う。鑑賞するってすごくたぶん意識的な行為だから。例えばここに描いてる絵でも、ここがあって、全体をこう…って目を動かさなくてもこう意識で辿るじゃない。たぶんそういうこともしてないんだよね。だから、鑑賞ってことはテレビ観るとか。音は、音に対しても、鑑賞ってちょっと違うような気が。音はけっこうすぐ反応するけど。だから、そういう意味で美術館とかは行くけど、なんかちょっとそれは雰囲気が買えるぐらいの。度々行くけどね、どっか。見ているというか。いちいち前はこう、一つの作品にこう、見て、「こうか?」「見えてますかー?」みたいな感じだけど、今はもう、見る気ないし、こうきたらこう、みたいな感じやから、別に見なくても雰囲気だけでって感じ。

長谷川:面白いね。そうなんだ。由良部さんなんの資料持ってきていただいたんですか?すみません、見せてください。

由良部:いや。これ知ってるよね。

長谷川:はい。これ二つ、しっかり読ませていただきました。めちゃくちゃあるじゃないですか。

由良部:でもなんか、そうだね。最初の頃の。天療術院とか。

長谷川:あー。甲谷さんがやってたやつだやな。

由良部:適切な。天療術院のなんか。「適切な治療を受け身体がよく…」これはたぶん甲谷さんが書いたやつやで。

ユ:本で見た。

由良部:これが天療術院の、***(02:13:42)ちらし。領収書って***(02:13:48)あるんだ。これがその個展の***(02:13:54)。これはそのときに出た***(02:14:00)個展の。これもそうだね。これも個展の。これは東京の、横浜のやつかな。小浜美術館ね。

長谷川:このときはまだパソコンできてたんですよね。

由良部:そうそうそう。作品か。これだけ。すごいよね。これだって1年。1年半ぐらいやったんじゃないかなぁ。60点ぐらい。だって、ただ単に描くっていうよりスイッチだけで描くから、すごい集中力。

ユ:写真撮ってもいいですか?

由良部:いいですよ。あるよ***(02:14:52)。これは、***(02:14:58)ね。毎日新聞出て、いろいろ出ましたね。西川さん。[02:15:23]

長谷川:これ、志賀さんが書いたんじゃないですか?

由良部:『難病と在宅ケア』ああ、うん。そうそうそう。これの本がね。これ、それの前身。これとこれの本になる前の雑誌かなんかで出たやつ。

桐原:2007年***(02:15:57)あとでコピーとってほしい。

長谷川:たぶんこれが原本。これはなんですか?志賀さんだ。

桐原:20年前の志賀さん。20年じゃないか、13年か。

由良部:20年も経ってないな。甲谷さんと会って、15〜6年か。

長谷川:これは貴重な。

由良部:面談用紙。

桐原:「今のところつけないつもり」って書いてる。

由良部:ああ、面談。1月23日夜。さくら会***(02:17:00)まあここらへんは、

長谷川:記録ですね。

由良部:「今のところつけないつもり」

桐原:これさっきのやつ?じゃなくて。

長谷川:さっきのやつとは?

桐原:さっきの話聞いてた中身が全部図になってるやつ。

由良部:いる?コピーする?

長谷川:コピーしたいです。

桐原:広域の話はけっこう貴重だったね。そういう流れがあったのは知らなかった。

由良部:コピー。コピー機ある?好きにじゃあ、今、どうでもして。

長谷川:いいですか。由良部さん今いつ入ってるんですか?甲谷さんところは。

由良部:いろいろ。土日が多い、最近。金土日がどれかが多い。

長谷川:今週は入らないんですか?

由良部:今週ね、確かね、

長谷川:今週入ってたらコピーしてそのとき持っていきますけど。今時間あれだったら。

由良部:今何時?

長谷川:今もう5時半だから。今週でも来週でも、由良部さんが入ったとき持っていきます。

由良部:金曜日の5時から朝の9時だ。16時間。

ユ:今週金曜日?

由良部:金曜日の夕方5時。

長谷川:夕方5時。あ、から入ってます?

由良部:うん。

長谷川:じゃあそのときに。

ユ:伊藤さん終わってから。

長谷川:持っていきます。

由良部:伊藤さん?

長谷川:伊藤さんのインタビューが、ちょうど金曜日ここでするんですよ。

由良部:あ、そうなんだ。

長谷川:そのあと甲谷さんとこ行って、これ渡します。

由良部:わかりました。じゃあお願いします。

長谷川:いいですか?これ借りて。

由良部:うんうん。

長谷川:すごいなぁ。嬉しいな。なんかあと、由良部さんね、今日のインタビューはこれだけですけど、あのかた。ダンサーのさ、由良部さんと***(02:19:00)やってた。

由良部:さとう?

長谷川:そう。と、ちょっと、さとうさんってこないだ、***(02:19:17)さんときにお世話になったさとうさんで。病院で一緒に。

ユ:うんうんうん、さとうさん。

長谷川:さとうさんと由良部さんはすごい旧知の仲だから、その二人と一緒にごはん食べながら聞きたいんだ、話。めちゃくちゃ絶対面白いと思うわ。

由良部:(笑)さとうな。

長谷川:さとうさんところで、その藤井さんっていうALSのかたがダンサーで、ダンスをおやりになってたんですよ、一緒にダンスしてて。たぶん、その支援をしてたまやさんっていう人が、志賀さんとも知り合いなのかな。だから甲谷さんところに何回か行ってるみたい、一緒に、藤井さんと。[02:19:56]

由良部:うんうんうんうん。

長谷川:こないだ亡くなったんですけど、

由良部:何か前。ぼくちょうどいなかったときなんだよね。で、そこで藤井さんっていうか、マイクさん。

長谷川:そう。マイクさんです。

由良部:あの人も亡くなられたみたいだね。

長谷川:そうです。亡くなってしまったんですよ。悔しかったですけどね。それもやっぱり家族との関係難しかったんですよ。私も。

由良部:で、コロナがあったからね。またね。誰も行けなくなっちゃったじゃない。

長谷川:そう。甲谷さんもね、やっぱり大事だなと思った。支援の会みたいなの。毎日誰かが行くっていうのがすごく大事だなあと思って。けっこう私それも、家族じゃない人がそういうことするのってすっごい大事だなと思っていて。それは林さんのときに思ったんですけど、家族じゃないっていう言い方もあれですけど、なんていうかな、本人は家族に対して気をつかう部分もあるから、気が休まらないじゃないですか。

由良部:うん。閉じちゃうんだよね、関係がね。

長谷川:なんか大事やなと思ったよ。じゃあこれ借りて、金曜日お返ししますね。ユさんなんか由良部さんに聞きたいことありますか?

ユ:気になったのは、独居生活始めてから安定するまでどれぐらいかかったかなと思うのがちょっと気になりました。

由良部:安定。独居生活で。うーん、そうだね。今のとこの前の、すぐ近くのね、この家のとこの。最初にいたとこが1年いて、そっからそこに引っ越して、そうやね、2年ぐらいかなぁ。2年ぐらいしたら身体もだいぶ、少しずつ落ち着いてきて。最初の1年、こっちもけっこう大変やって。最初の1年ぐらいはけっこういろいろ起きて。まあ今でも別に安定っていうか、日々なんかいろいろ起きてるといえば起きてるんだけど。まあヘルパーもちゃんと安定して人数を確保するのに2年間ぐらいかなぁ。2年間ぐらいしたあとはけっこう、そうだね、楽になってきたというか。そうですね。2年間ぐらいかなぁ。だから、最初の立ち上げるっていうか、独居を始めるまでの7〜8ヶ月と、入れたら3年弱ぐらいはけっこう大変だったかな。そうですね。そんな感じでした。

長谷川:ユさんまだ甲谷さんとこ行ったことないから、

由良部:あ、そうなの?

長谷川:10月の2日に今度志賀さんにインタビューできるので。志賀さんが、ぜひ甲谷さんのとこ行ったことないんだったらって。その日11時ぐらいに行って。ね。

ユ:期待してます。

長谷川:面白いよ。

由良部:こっから近いしね。

長谷川:そう、すごい近いから。

由良部:歩いて10分。今日も、車置いてきて。だから、ここだったらできるなと思って。甲谷さんとこだとね、ちょっと落ち着かないしね。ここだったらいいかなと思って。ありがとうございました。

長谷川:ありがとう、

ユ:その前に、金曜日これ返すときに行けるから。

長谷川:そうだね。そうかそうか。金曜日、由良部さんいるときに甲谷さんとこ行けるから。凝った出窓も見たらよろしいよ。

ユ:これ返す。

長谷川:じゃあこれちょっとお借りしますね。

由良部:はい。じゃあよろしく。なんか役に立ってました?

長谷川:もちろん。

ユ:去年一回インタビューしたんじゃないですか。あれをちょっと整理して、今日また聞いたら、ああ、その流れとか年表みたいなこと、ちょっとわかってきて。

由良部:こういう資料あるとね、ちょっと違うよね。

長谷川:ありがとうございます。資料持ってきていただいて。[02:24:46]
[音声終了]

*作成:中井 良平
UP:20210816 REV:
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