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高橋雅之氏インタビュー――自立までの経緯&刀根山病院・大阪界隈のこと

2020/08/12 聞き手:安原美佐子・井上武史 於:西宮市・メインストリーム協会 

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こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築
◇文字起こし:ココペリ121 https://www.kokopelli121.com/

 2020年8月12日、「自立生活センターあるる」※の安原美佐子さんが西宮の「メインストリーム協会」来所。安原さんは大阪の刀根山病院に入院中の患者さんの支援に関わっており、同じ刀根山に入院していた経験のあるメインストリーム協会スタッフ高橋雅之(筋ジストロフィー、ベッカー型)に話を聞きに来た。「筋ジス病棟に未来を考えるプロジェクト」でいっしょに活動している、同じくメインストリーム協会の井上武史が同席した。(井上)
※自立生活センターあるる https://www.npo-aruru.com/
 その記録(ZOOM196分)をいくつかに分割して公開していく。(立岩)
 ↓
◇井上 武史・安原 美佐子 2020/08/12 「対話――国際協力について」,於:西宮市・メインストリーム協会
 ……


□自立までの経緯

安原:7年いたわけじゃないですよね?1年半ぐらい?そんなあれなんですか、転々とするもんなんですか、病院って?

井上:する人はするけど。

安原:する人はするんや。なんのきっかけで?なんか治療のあれとかでですか?

井上:積もる話で、聞いてください。

安原:はい。あるんですね。これお土産です。はい。あんま入ってないですけど。

井上:ありがとうございます。

高橋:2011年の4月まで、和歌山市の施設に、そこで住んどった。それでまあ、けっきょく重度化が施設の方で進んで、あの前はね、65歳になったら老人ホームに行かなきゃいけなかった。当時その法律が撤廃されたため、高齢の利用者が増えていました。当然、医療的ケアが必要な人も増え、医療ケアができる看護師の人手が足りなくなってきたという事情もあった。やっぱりそれで重度化が進んで、ぼくのような一番手のかかる人に、まあ「他の施設探してください」って言われて。それでいろんなとこ、そのころも和歌山、チャレンジ和歌山の大谷さん※って、
※自立生活応援センター 和歌山チャレンジ代表 大谷真之

安原:いましたね。

高橋:おられて、大谷さんと、きてそのとき、自立の話をいろいろしてもらってて。けっきょく自立を和歌山に、あの、施設にいてるときに自立しようと思って、大谷さんに相談したんですけど、けっきょく時間が無理やからって。しかたなくいったん、徳島の病院にいったという感じで。それで施設におったときはけっこう自由にさせてもらってて。それでお風呂も週2回入れたり。自分らで計画して旅行も旅行なんかも行ってたんですよ。東京行ったこともあるし。それでしかたなく徳島の国立病院機構に、徳島病院、行ってからも、その大谷さんと、

井上:徳島いったのは2011年であってる?

高橋:あってます、あってます。

井上:それ、初めて和歌山離れるの?

高橋:あ、そのときですね。

井上:けっこう大事件やね、でも。もうそんなに若くはなかったし。

高橋:なんかね、ぼく、気管切開したときにも、地震と関係あって、気管切開したときも、阪神大震災で、

井上:世界、俺が中心にまわってるみたいやね。

安原:(笑)あぁ。

高橋:2011年に東日本震災、

井上:そんな大事件が、(笑)

高橋:それで、徳島の病院に移っていって、移ってみたら、もう気管切開した人にはいっさい、呼吸器を車いすに積んで病院内を移動することが禁止されてしまって。気管切開した人はお風呂、1週間に1日しか入れてくれなくて。それで「なんでこんな目に遭わなあかんねん」と思って、和歌山での自立を描いたんですけど、和歌山市内では介助者がおらず、断念せざるおえませんでした。それでもぼくは、どうしても自立したいという気持ちが強かったので、あれからメインストリームの方もNHKの番組とかで知っていたので、なんとかメインで自立できへんかなと思って、徳島病院※のケースワーカーに相談して、メインの一番近い、刀根山病院に転院させて欲しいて申し入れて、申し入れ入れたら、たまたま病院、刀根山病院※がある、病棟が空いていて、うまいぐあいに10日ぐらいで移った。
※国立病院機構徳島病院 https://tokushima.hosp.go.jp/
※国立病院機構大阪刀根山医療センター https://toneyama.hosp.go.jp/

安原:へぇそうなんや。

高橋:そうなんです。

井上:それも2011年の。

安原:ですよね。

高橋:いや、11年じゃないです。

井上:もう6年ぐらい?もうちょっと経ってる?何年、どれくらいいたのかな?徳島に。

高橋:2011年の7月7日に移って、そこから

安原:これ、2013年の4月17日までって書いてある。

井上:まる2年か。

高橋:そうそう、そうです。それから刀根山に移ってきたら少しは生活はましになったかな。1日3時間ぐらいは車いす乗れて。買い物も指導員さんがつけば、看護師がつかなくても自由に売店行くことができるし。

安原:あの下の?

高橋:はい。

安原:デイリーマートか、デイリーなんとか。

井上:パン屋系列のコンビニね。

高橋:あの、その病棟じゃなくて、前の病棟です。

安原:あ、そうか、そうか。新しくなる前の?今じゃないんですね。

井上:その前って、そうとうぼろぼろだよね、木造の。

高橋:あの、阪神大震災かでなにか、地震で床が曲がっててビー玉が転がる。そんな状態でした。

井上:いっぺんいったことあるけど介助で。たこ部屋っぽいよね。ぎゅーぎゅーでベッドあって。今、コロナとか一発で感染、院内感染が起こりそうなぐらい、感じやんねあれ?、昔なんて。

高橋:でもね、広さからいったら、今の病棟狭いですよ。

井上:行ったの筋ジス病棟じゃないのかな?短期入院で入りはったから。

高橋:それもあってね。その刀根山の指導員さんがおって、ここの利用者で亡くなられた、江口って筋ジスの人がおって。その人が兵庫中央病院から自立するときの担当の指導員さんってわかって、その人からメインストリームに連絡ついたんです。

井上:仮に今みたいな状況で、そんなに昔の話ではないけれど、管理厳しくなって、その指導員の人いなかったら、こんなに、とんとんとやれたと思う?

高橋:それともうひとつ、妹が賛成してたんです、自立に。だからそれがよかったかなと。いろんなけっこう自立するのに、色んな研修とかも病院でやってくれたりして。けっこうまぁ6ヶ月ぐらいで、自立したんですけど。けっこううまいこといって。主治医もぜんぜん反対とかなかった、それは。

井上:その主治医の人って今でもいはるん?

高橋:今、一番えらいですよ。院長の次ぐらいに。

安原:斎藤さん?斎藤先生?

高橋:松村先生じゃない。松村先生。

安原:その人まだいはる?ナンバー2ぐらいの。

高橋:その先生はね、けっこう無口で。ナースステーションに行ったら、「早く出させてあげたい」とそんなこと言ってくれてた。それと心臓もそれほど悪くなかった。

井上:徳島のケースワーカーの人に教えてもらった、取り次いでくれてるのかな。あ、自分で電話して、「入院したいんですけど」って言わへんわな。

高橋:はい、取り次ぎ、くれてます。

井上:それはじゃ、自立希望みたいな、希望も伝わって?

高橋:伝えてくれてました。

井上:じゃずっといる人じゃなくて、なんていうのかな、通過点っていうのはこみこみやったんやね、当時でも。ぜんぜん扱いがたぶん違う。

□刀根山病院の中のこと、大阪の団体との関係など

安原:なんかずっといる人しかいなかったって言ってました。大岩さんが、いったときは。

井上:大岩さん※って、知ってるやんな。
※大岩裕司 http://www.ciltoyonaka.com/shien-peer.html

安原:CIL豊中※の方の、スタッフで、学生時代をそこで過ごした感じの人。
※CIL豊中 http://www.ciltoyonaka.com/

井上:大薮くんみたいに学校行くために、筋ジス病棟に入った。やすっち最後にいったんは、その

安原:その最初で最後のあれです、はい。

井上:最後って言わないの(笑)

安原:最後っていうか(笑)あの、近隣でいうと最後に行ったのは、この。

井上:いつ入れるかわからへんし。

安原:わからへん。いけんのかなぁとか、なんかどんな感じなんやろうと思って。他よりもちょっとゆるいんかなと思って。家族しかあかんとことかあるじゃないですか。でもそこは別に2人までとかやったらいい。言ってたから。他人が行っても。なんか、そのXさんよく自分のこと「契約入院やから」ってずっと言うんですよ。制度も変わってきた、病院の体制も変わって、ねぇ。ここも新しい病棟になってからって、なんかあるんかなと思って。自治会とかもぜんぜん知らんって。声もかけられてないとか言ってはるから。


安原:なんか中部が最近その支援学校、ずっとね、日中持ってるじゃないですか、支援学校の卒業生いったら、最近筋ジスが増えてるんですって。
※NPO法人ちゅうぶ https://npochubu.com/

井上:かかわってるよな?ここと、

安原:なんかそれで、多くなってきて、もともと青い芝の系やから、CPの人多かったけど、最近多くてみたいな言うてて。みな、刀根山行ってるみたいな、通院とか訓練入院で。

井上:あれ、どうなってるの今?中部の若い子きてたやん。

安原:つるはくん?とかじゃなくて?若い子。

井上:いや、去年、中部のなんか筋ジスの子がいるから、交流みたいなしてたでしょう?あれはどう始まって、今どうなってんの?

高橋:作業所、

井上:作業所ある?中部に。

安原:めちゃあります。そこに、

井上:なんていうの?なんて名前やったっけ?

安原:赤鬼とか青鬼とか。

高橋:それで関わって。

井上:もともと、どういうあれでうちに関わってくれたんかな。

高橋:若い、筋ジスです。二十歳台かな。SNSでも見たんかな。

井上:まだ自立はしてないから、将来こういうモデルみたいなんを見せにっていう?

高橋:はい、そうです。

井上:病院へ入らんらしいからね、最近の筋ジスは。

安原:入らない?うんうんうん。

井上:通学とか通院だけで、梶山くんなんかはこういう、ずっと家にいるから、病院より在宅問題の方が、今。

高橋:でもね、筋ジスっていうても、だいたい小学校くらいまで、歩いて、歩ける状態なんやけど。中学校ぐらいになったら歩きにくくなって、車いす生活が始まるので。それで刀根山の特別支援学校、そこに小学校ぐらいまでは普通に通学できるねんけれど、中学校になったら、車いす生活になる。そのとき刀根山の特別支援学校の中等部に何人か入ってきた人があって。その人も、2?3人知ってる人は、もうその卒業しても行くとこがなくて、病院に残ったままで。けっこうそういう人もあります。

井上:中等部っていうのがあるんか、知らんかったけど。

高橋:高校卒業してそのあと家帰ることもなく、もう病院でずっと。こういうパターンもあるみたいです。

安原:なんか、刀根山通ってる人がいるんですよ。SMAの人でね。行って、その子が大学行って、普通に。関西大学行って。その卒業後、やっぱり就職活動あかんくて、今、在宅にいるんやけど。その人の話を聞こうみたいな、刀根山の保護者、あの学校の。そこについて行ったんですよ。岡山さんと。ほんなら、なんか専門的な病院やから、いろんな地方から移り住んで通ってるとかいうお母さんがいっぱいきましたね。入る感じではないですよね。そこの近くにマンションを借りて、通学してる感じ。00:35:43 ()

井上:ああ、そうなん、ふーん。

安原:はい。

井上:地元の学校に入れない人がきたんやね。でもそこまでせんとあかんの?それはどういうことやろう?通院もするから?親がってこととちゃうの、それ?本人は入院してるんやろう?

安原:入院してないです。通ってるんです。

井上:そこの学校に?

安原:その刀根山のね、そうそうそう。

高橋:外からくる人もね。

安原:ね。なんかあえて入院とかはしないみたいな。その発表とかもあったんですよ。お母さんの。今とか制度整ってるから「こうやってベッド入れて」みたいな。「介助者も入れて住んでます」みたいなんを披露してました。で、放課後とかやったらデイとかあるやないですか。行ってみたいな。

井上:専門の医療にかかるため、それは?

安原:お母さんはそうんなふうに言うてました。「専門の病院やからわざわざきました」みたいな。

井上:学校行かれへんから入院したというか、そんなんは大藪くんとか、府中の岡本くんとかもそうやと思うんやけど。それで家族ごと、けっこう大変なことやね。家的には。

高橋:時々、刀根山、受診に行くんやけど。年老いた親が子供連れて受診きてるんですけど、ヘルパーさん使ってる人はまだ知識は知ってると思うんですけど、親だけで親の責任というか、そんな感じでずっと年老いてまで面倒みてるんですけど、けっきょく最終的には刀根山に入ってしまうんかな。あのー、まあ、施設をなくすのは大事なんやけど、予備軍みたいな人に対してもあるていど働きかけ、ちゅうのも必要なんかな。

井上:どこまで浸透させれるんかわからんけども、そこで生まれたら普通にそこで学校行けて、そのまま住み続けるみたいなのがあたりまえになるような、ふうに、その日本国全体の意識を変えよう思ってるんやけど。そうしないとどっかで、ぶちぎるでしょう。まあうちの鍛治くんなんか豊中に、まずこっちきてやってるけども。インクルーシブであれだけ全国的に有名になってるのにそこで自立してる人が少ないというのは、***(00:40:13)んでやねんっていわれてるから。そんなんはもうその人らの都合じゃん、ぜんぜん。豊中の教職員組合であったりさ。

安原:私、あのー、そのXさんの病棟だけしか行ってないけど、行ったときに、こう4人部屋じゃないですか。わりと広いなと思ったんですよ。私はその前にちょっとだけ他の病院に入院したから、そこよりは広いなぁと思って。新しいからやろうなというのはあるんやけど。Xさんがおって、Xさんとかは普通に座れたりするんですよ、ベッド上でちょっと。足とか組めばね。

高橋:はい、はい、そうです。

安原:ぜんぜんもうカーテンとかも開けてて、ドア側やからぜんぜんオープンなんやけど、あと2人おったんですけど。1人はもうカーテン閉まってるから誰がおるかわからないんですよ。1人は、もう全員呼吸器なんですよ。で声が出ないから、1人はずっと寝てて、あるていどしたら、そこにDVDついてて、あるていどしたら職員が変えにくるみたいな。なかなかこうここの画面しか見てないから、なんか誰が誰とか、そういう、なんか広がりって難しいなぁと思ってて。でもかたや1人で車いす乗って電動でグワー回ってる男の人とかおったらから。その中で、

高橋:なんかね、9時か11時くらいやったんです。自由に動ける時間があるんです。

安原:ねえ、いはるから。つながりが。

高橋:親の会、会の役員とかやってる人は、やってる患者は、ちょっと優遇されるんで、そんな感じかな。今、パソコンも唇で操作できたりして、けっこういろんな操作をなんかCDかけたりDVD見たりそういうのは全部指で、操作ができる人もいるんですけど。なんかそこってけっきょく引きこもって、しんとあかんから。

井上:刀根山って、まあここ(高橋)が自立に協力的であったりとか、その前から聞いててもわりと地域との関わり深くて開かれたとこかなと思ってて。何年か前に介助で一泊したことがあるんです。普通は空いてなくて、ICUじゃなく、ナースステーションの近くの個室とかに入るねんけど、そのときは普通のあの、筋ジス病棟の、ひとベッドに入ったん。そのときもう、この活動はじめてたからちょっとラッキーかって思って。そうしたら病院ぽく、そういうの聞いてたから、もうちょっと生活感あるんかなと思ったら、病院なんよなー。そのほんまに移れる人以外はずっと1日寝かされっぱなしやし。あれっと思ったん。逆に兵中とか、めちゃくちゃ評判悪い、医王病院の人に「あそこひどい病院らしいですね」みたいな。心配されるぐらいやったのに、何年か前かに行って、こないだ去年か、聞きとりかなんかに行ったら、ちゃんと作業部屋みたいなんがあって、日中移れる人はそこに行ってて。その生活してる感があって、普通に、あの楽しそうなお祭りの写真とかがそこに貼ってあるねん。「あれぇ」と思って。なんか噂で聞くのと実際行くののイメージってだいぶ違うなと思ったんやね。かなりあの病院っぽい、刀根山は。俺が知ってる筋ジス病棟の中でも。
 周り人、全部名刺配ってきたけど、誰からも連絡こんな(笑)。そうそう、その隣にいた20何歳かの若い子がおって、調子が悪くてちょっと入院したらそのまま許可が出なくて1年ぐらいいるっていう人、それ拉致ちゃうん?それ。(笑)「えーっ!」と思ってさ。

安原:Xさんもそんなこと言ってましたよ。ちょっと調子とか、家族がみれなくなって、ここにいるつもりないのに、なんでこんなにいろいろ言われるんやろうって。

井上:拉致っぽい話はちょこちょこ聞くよ。そんなつもりはなかったのにみたいな話は。

安原:そうか。

井上:Xさん、連絡とって?

安原:ぜんぜん、はい。

井上:最近どう?

安原:最近、

井上:もうちょっとしんどくなってきてる?

安原:1回ね、

井上:行かれないぐらいになってる・

安原:いや、1回ね、京都の事件が、このALSの事件があるちょっと前ぐらいに、早う、出て、私もね、「早う出ててね、遊びましょうよ」みたいな。もともと普通に学生とかしてはったし、そういうのがあったから「戻ってあれしたらいいんじゃないですか」みたいな。「今はできひんけど」みたいな言うてたら、「ゆっくり過ごしたい。家でとにかく戻りたい」と言うてて。もうそのときはすごくしんどくなってたんやと思うんですよ。いろいろ規制されたから。「自分でこのままここにいたり、生きる意味とかわからんから尊厳死協会に電話した、メール送って「どうしたら死ねるか」みたいな。そしたら命を終えられるかっていうのを問い合わせをしたんです」とか言うてて。「もうちょっと自分ではしんどくて」みたいなことを言ってはって。いやぁ、どうしようと思って。行かれへんし。なんの言葉もかけられへんなと思ったときに、でもそれでもね、って言ってたときに京都のあれがあって。ますます連絡できひんようになったときに、でもちょっとこの前きて、早く出たいとは思ってて。そうそうそう。別にガーっと落ちてるわけじゃないけど。

井上:大野(直之)さん※からも最近ぜんぜんやけど、あっちとはどうなってるの?
※大野直之 全国ホームヘルパー広域自薦登録協会 http://www.arsvi.com/o/jisen.htm
安原:そうなんですよ。私もどうなってるのかわからなくて、今、どんなタイミングで、なんのあれをしようとしてるのかが見えなくて。

井上:止まってるるのかな、全て。そういう時期も必要と言っていいのかわからへんけど。最初がちょっとバタバタしすぎてたような気がするんですね。

安原:それはあると思う。

井上:積み重ねていったらいいとは思う。

安原:それね、その私も大野さん、聞いてみようかな、どんな具合か。そのXさんは転院してみたいな。近いところに転院して、そこで自立、ちょっと自立のあれして、出るみたいな感じでずっといってて。その転院とかもコロナとかで難しいのかなとか。

井上:普通にもう出たらあかんの?

安原:あぁあぁあぁ。ですよね。

井上:転院するとこ見つけるのも難しい状況。今みたいな状況やったら。

安原:なにも進んでないのかもしれんけど。京都のなんか2人はもう出るとかってなってるじゃないですか。出ようと思ったら出る…こんなタイミングやけど。

井上:いや、出れるやろう。

安原:ね。

井上:積み重ねがある。

安原:あるからなんですよね。その積み重ねがちょっとない、Xさんないから。

井上:それは介助の問題絡んでたから。今はその、こないだ利用者の人、1人亡くなりはった。それでぜんぜんできたって…。

安原:Xさん的には、内部の事情とか中で知り合いがおるってわけじゃないから、ちょっとXさんから刀根山の状況聞きだすって難しいですよ。知らないって感じで。
て他にいはるんですか、知り合い?

高橋:1人、自立した人が、中島さんっていう。その人はね、ぼくが退院したら隣のベッドおった。それぼく面会にしょっちゅう行ってたんです。その人はお姉さんが、一人のお姉さんが病院にいるぼくの顔と自立してからの顔とぜんぜん違うって。それ、弟も自立やりたいって言うて、自立、CIL豊中で自立したんですけど、でも去年の暮れに亡くなって。3年かな自立生活やって。その人、心臓が悪い人なんで。7回ぐらい止まって。そうやって、その人は私に筋ジス協会に役員もやってた人やって。すごい人やったんですけど。亡くなってしまって。筋ジス協会のことも聞いてみようと思ってた先の。その人3つ下なんですけど、7つの***(00:55:06)それを生活やっていける、なんかいろんな食べもん食べてる写真とかいっぱい撮って。

井上:大岩さんは、学校通ってだけ?入院?

安原:ずっと入院してました。

井上:その間は入院してたん?

安原:ずっと、けっこう長いですよね。

井上:は、今つながってるっていうのは?

安原:なんか、いないみたいです。ぜんぜん回答もなんか、うまくいけへんくてみたいな。自分から連絡とるの難しいですとか言って。

井上:そういった意味でも兵中って今、中西くんとか、さっき連絡とってくれてるけど、なんかこう、一緒に過ごした感、中西くん通してやけど。中西くんはそうやって人とつながりを保つのがうまいっていうのがあるにしても、そのそれがマイナスのイメージばっかりじゃなくて、そこを一緒に生活したみたいな空気感が一緒に中西くんを通して出てくるんやけど。なんか孤立してるよね。刀根山からそういうふうな感じがぜんぜん伝わってこないよね。たぶん行ったときに感じるのとおんなじ対応するのと思うんやけど。あの感じは医王病院と一緒にやし、もう完全に病院のケアする場所、生活の場の感じは全くないね。

高橋:なんかぼくが刀根山に入ったときの指導員は情があったなと感じがします。なんか今は事務的な感じになってしまってる。

安原:あのー、刀根山で普通に処置する人は、普通に看護師が処置してるんですよね。そこに介助員っておるんですね?あれはなにの違いなんですか?

高橋:介助員は、

安原:食介とかする?なんの仕事?

高橋:食介と体交とかもやってた。たまに話、患者さんの話やったりしてるけど、けども、あの人たちは、看護師の資格もってないです。

安原:ナースコール押してくるのは看護師?

高橋:看護師だけって決まってない。

安原:決まってない?え?

高橋:決まってない。指導員がくるときもあるんです。

安原:コンビニ行くとかは、看護師行ってくれないですよね。

高橋:はい無理です。

井上:そうなんや、やっぱり。

安原:(笑)

高橋:指導員、

安原:か、その介助員か。

高橋:介助員はちょっと難かしいんちゃう。よう指導員の、指導員はだいたい保育士の資格もってる。いろんな行事考えたり、

安原:やっぱ行事はあるんですね?

高橋:あります、あります。年に1回は落語会やる。クリスマスとか、そういうのいろいろやってる。

安原:なんかあの、その、あの、その、あの、学校の保護者向けの会に行ったときに刀根山の簡易的なパンフレットをもらったときに見えるじゃないですか。あれですよね、いろいろイベントやってるって書いてあって。あれですよね、どっかからコーラス隊みたいなんきて歌ってくれたりもするんですね。

高橋:します、します。

安原:そんなん書いてあったから、まぁまぁ出入りっていうか、外の風はあるんかなと思って。でもXさんは風呂のときしか部屋から出ないって言ってたから、そんなんも全く行ってないし、声もかかっても行かないっていうんやろうなーとは思う。

高橋:Xさん、一番はじめに会ったときは、グループホーム入って、それで24時間対応してくれる在宅利用してましたみたいで、それはなかなか見つからんかった。そのままもう、その頃契約入院とか、そんなこと、そのうちに契約入院になった。

安原:それ入院中にきはったんですか?在宅にいるときにきはった?

高橋:きました。入院中です。

井上:誰と一緒にきた?家族やったっけ?

高橋:家族。

安原:リアライズ※の人かな。なんか病院にちょっと。
※自立生活センターリアライズ https://realizeblog.wixsite.com/mysite-1

高橋:まだ、

安原:ちょっと入ってたんです。最初。

高橋:リアライズもありました。コーディネーターにも会いました。そのとき。メインストリーム 、

井上:けっきょくなかったもんね。

高橋:なんか、一番初めはメインストリーム協会の新井さんから聞いて。今木村優子になってますけど。木村さんが声かけられて「1回落ち込んでるので、顔を見に行ってあげて」って言われて、まぁ行って。

安原:契約入院なったら、あれが、そうか、入院中やったらヘルパー使えるんですよね?え?今、使えないの?

高橋:使えないです。それは使えないと。あれ、外出のとき、家帰って過ごすとき。その間だけヘルパー使ったりすること。病院だめです。家との行き来。外に出る、外出するっていうことできないんです。それに、それだけにな、それだけができるんじゃないかな。あとは刀根山も、ヘルパーさんがいっぱいきてますけど、今はもう難しい状態になってるんやけど。その前はぼく徳島からあの、刀根山に移ったとき感じたんは、ヘルパーさんが徳島には1人もきてなくて、刀根山病院ではまあ、有料でヘルパーさん使ったりもしてる人もあって。徳島よりヘルパーさんとのなんか、つながりっていうか、あったみたいなんです。徳島とね、刀根山と一個違うことは、インターネットなんです。

安原:言うてはりましたね。

高橋:それが大きい。病院のインターネットです。ベッドサイドまでインターネットの端子がついてるんで、それもまぁいちいち、検査入院きた人に使わしたみたいで。なんぼかお金いると思うんですけど。いずれ自由に使わしました。ぼくは刀根山に入院のときは、入院したら契約入院になったら、なんぼか小遣いみたいな使えるんですけど、それで、なんかぼくはパジャマ買ったり衣類買ったりしてました。今はどういうふうになってるかわからないんですけど。それ出したらね、妹は、ぼくにずっと通帳を持たせてくれてたんで、まぁカード作って、買い物はカード使ってしてました。

安原:療養介護になるか、その辺もやってくれるってことですよね。通常ならね、お金の管理とか。管理、いや、なんやろう、その辺の。どこまでやってくれるのかわからへんけど。

井上:ちょっと制度はあまり詳しくないですけど、Xさんは今、契約?

安原:契約入院。

高橋:療養介護?

安原:療養介護。

井上:の療養介護?

安原:はい。3ヶ月経ったらそっちに切り替わるんですって。

井上:じゃもうYさんのあれでいうと内部の人になったってこと?

安原:そうそうそうそう。やと思います。そういう言い方なんですね、内部の人やと思う。(笑)

高橋:内部の人、じゃないですか。けっきょく3ヶ月経ったら、普通入院でもなんか、お金が収入がガバッと減る。その段階で切り替える。だと思います。

井上:病棟自体は普通のあの、筋ジス病棟に今でも?

高橋:います。ただテレビとかのそういう感じも、療養介護になったらテレビ台置けるので、自由に自分のテレビを置けたりもします。

井上:コンビニ行けない問題はそのままほったらかしに?

安原:ほったらかしやと思います。ね。

井上:あれは、どうなん?その病院は、病院は病院で腹立ててんの?あれは。対立してるかっこうになってる?

安原:ぜんぜん無視されてる感じですよね。

井上:普通でもありえへんやん。そんなん。

安原:そうそうそうなんですよ。

井上:まぁ想像するに、病院の気にくわないことをしてるから、意地悪されてるって思ってるんやけど。そんなぐらいのことしてはる?まぁいろいろいうてはったんはいってはったけども。そんなにいうたって、そんだけ体動けへん人が、やれることってしれてるじゃん。看護師にたてついたりするの?それとも。そんなことがあったってことなんかな。

高橋:それ、そのひょっとしたらコロナのことでけっきょく職員たちも、人少なくなってくるじゃないですか。ぼくはね、今年の3月1日にちょっと肺に穴あきまして、それで入院したんですけど、そしたらその頃からコロナのことが大変なり始めて、もう看護師が「もう外食行くな、カラオケ行くな」そういうふうなことものすごく言われてるみたいで、普通の病院よりも余計に言われてるみたいなんで、そういうストレスがもうなんか渦巻いて、なってきたんかな。けっきょくコロナの場合は前は病棟に入っていくの、前に入院してたあれで簡単に入って行きました。看護師さん、「久しぶり」とか声かけてくれてたんです。

安原:なんか今、わからないんですけど、私がそのコロナのちょっとあれになったときに行ってみようと、いったんですけど、土曜日やったか、日曜日、どっちかやったんですけど、入ったら、あれ、ナースステーションあるじゃないですか。もうね、1人しかいなかったんですよ。一応声かけたら、「もういいよ」みたいな。「そんなん、かまってられないから」みたいな。だからいけたんですけど。これ師長とかいたらけっこう難しいですよね。とか思って、平日とはけっこういっぱいおるし、それなりに「誰?」みたいなん言われるんやろうと思う。今の師長はすごく、なんか、けっこう厳しいというか、出前のこととかもそうやし。師長がよかったらちょっと体制が変わったりするんですよね。だから大岩さん、そういうふうに言ってました。

高橋:ぼくおったときは、東京から男の師長に変わりました。けっこうお風呂の手伝いしにきたりしてて、けっこうぼくとも話した。あの筋ジス病棟で一番経験のある師長。1階の松本師長やと思う。その人が一番経験長いと思う。01:16:03 ()

安原:1階と2階で師長が違うんですね。

高橋:違います。

安原:へぇそうなんや。病棟が大きいからやね。

高橋:どっちも松本っていう。1階の松本師長は、ぼくが入院した3月やったんで、4月でちょうど変わったんです。それでぼく、今年の3月に1階に入院したら、その師長が挨拶しに。なんか、けっこう異動が激しいちゅうか。NICUに、ぼくが入院したことがあって、そのときもなぜかその師長でした。コロナでこういうことになるとは、想像もつかへん。


UP:20201210 REV:
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