判決が原告の訴えを棄却したことに、強く抗議します。
原告である北三郎さん(仮名)は、2018年5月に、国に対して損害賠償を求める訴えを起こしました。
優生保護法にもとづいて、北さん本人には知らせずに強制的に行われた不妊手術は憲法に違反していること、国と国会は、優生保護法による被害を回復するべきであったのに怠ってきたこと、これらに対する損害賠償請求でした。しかし、2020年6月30日の東京地方裁判所第14民事部は、北三郎さんの請求を棄却しました(裁判長、伊藤正晴)。
判決は、北さんの手術を決めた宮城県優生保護審査会の審査に誤りがあったとしました。そのうえで、次のように言っています。
「憲法13条は、国民の私生活上の自由が公権力の行使に対して保護されるべきことを規定し、実子をもつかどうかについて意思決定をすることは、当然、同条により保護されるべき私生活上の自由に当たるものと解される。これを、原告が主張する『リプロダクティブ・ライツ』ないしそれに包摂される概念というかどうかはともかく、本件優生手術は、少なくともこのように憲法で保護された原告の自由を侵害するものといえる」(判決要旨p.3 以下本文中のゴチック体は判決要旨からの引用)
つまり国には「損害賠償責任が生じた」(p.3)、北さんは「損害の賠償を求め得る地位を得た」(p.3)としたのです。しかし、訴えを起こすことができる期限を過ぎており、北さんの損害賠償請求権は消滅したと結論づけました。一方、優生保護法そのものの違憲性は認めていません。2019年5月28日の仙台地裁判決は、優生保護法が障害を理由として不妊手術を強制した規定は憲法違反だったとしており、東京地裁判決はこれより後退しました。
国と国会議員が被害回復のために法律を作るなどの措置を行わなかったことについては、その必要性はなかったとしました。
判決は、北さんには優生手術の対象とされていた疾患がなかったとして、優生手術を適当とした宮城県優生保護審査会の判断は誤りであり、それゆえに国賠法上違法であるとしました。これは、北さんの被害を、あたかも優生保護法運用上の過ちにより生じたかのように矮小化するものであり、貧困家庭や、教護院など少年施設収容者にも優生手術が適用された実態、及び優生保護法被害の本質を全く理解していません。当時、宮城県は、非行少年収容施設は精神薄弱児が大半を占めており、根本的な対策はそのような子どもが生まれないようにすることとしていました。(*)
家庭の事情など様々な経緯で教護院に入所した子どもたちが、優生保護法に則って「不良な子孫の出生防止」を目的に不妊手術を受けさせられたのです。
このように、優生保護法に基づいて、遺伝性疾患や障害のある人達に加えて、「社会に害や負担を与える」とみなされた人達も優生手術の対象となりました。優生保護法の第1条にある「不良な子孫」の定義は曖昧であり、恣意的で偏見に満ちた解釈・運用がなされていたことは、現存する僅かな資料からも明らかです。
北さんへの強制不妊手術が「憲法で保護された原告の自由を侵害するもの」であるのはもちろんですが、そのような人権侵害を引き起こした優生保護法そのものが憲法に違反することを、判決は言うべきでした。
優生保護法の違憲性を認めずに、障害がない人に手術を決めた個別の審査を誤りとすることは、反面で、障害がある人への手術は合憲で賠償を請求する地位になかったとされるおそれがあります。それは、被害者を区別し、分断につながります。
判決は、北さんの手術は昭和32(1957)年に行われ、損害賠償請求権はすでに消滅しているとしました。さらに、除斥期間の起算点は遅らせるとしても、優生保護法が母体保護法に改正された平成8(1996)年6月18日まであるとして、改めて損害賠償請求権は消滅しているとしました。その根拠として示した以下のような認識には重大な誤りがあり、意図的に歪められています。
・昭和50年代(1970年代半ば)には、国連障害者年等もあり国民の関心が高まり、昭和60年代にかけて与党や厚生省内部でも優生条項削除についての検討が進み、「昭和63年(1988)には、厚生省内で、優生条項の削除に係る具体的な論点整理が進んでいた」(p.5)政府内で優生条項削除に関する検討が行われていたとしても、それは隠密裏であり、公にはされていません。医療や福祉・教育の場では、1970年代半ば以降も、障害を理由とする優生手術は依然として合法的に実施され続け、「障害者は子どもを産むべきではない」「障害のある子どもは生まれてくるべきではない」といった差別意識をより強固なものにしていました。
知的障害者施設や精神病院等への「優生手術申請書」の配布といった強制不妊の勧奨も1990年頃まで行われており、4条による優生手術は1989年、12条は1992年、3条によるハンセン病を理由とした手術は1995年、遺伝性疾患を理由とした手術は1996年まで実施され続けています。
1996年の改訂時に、「障害者に対する差別になっていることを正面から認める形」での国会での議論は皆無でした。市民に対する法改正の意図の説明などは全くなく、不都合な条文を削除して終わり、文字通り「臭いものに蓋」という様相でした。だからこそ私たちは、優生手術に関する実態調査や国による被害者への謝罪・補償を求めて97年から「優生手術に対する謝罪を求める会」の活動を開始したのです。
判決はまた、「(国は)平成8年改正以降、過去に優生保護法に基づき行われた優生手術は、当時としては適法であり、同手術を受けた者に対する補償を考えていない旨の発言を繰り返し公表しているが、加害者が自らの行為の違法性を認めないからといって、損害賠償請求権の行使が妨げられるものではない」(p.5〜6)としました。被害者が提訴するハードルの高さに全く理解がなく、非常に遺憾です。
優生保護法の第4条と第12条にもとづく優生手術は、ナチス・ドイツの断種法が認めていたのと同様に強制的なものですが、当時の厚生省が同手術で用いることを認めた「麻酔薬の施用」「欺罔(ぎもう)」といった方法の核心にあるのは、本人にそうとは分からせない(知らせない)で、手術をするということです。それが強制の内実でした。したがって、被害者の皆さんが、手術を受けた時から、30年、40年、あるいは50年以上経ったごく最近まで、自分の被害そのものをはっきり認識していなかったとしても、何ら不思議ではありません。
20年という除斥期間を適用し続けるかぎり、優生保護法が認めていていた強制は、今も、今後も、失効せず、容認され続けると言えます。本人にそうとは分からせない(知らせない)形で手術を実施させてきた優生保護法を、本当の意味で廃止させるためには、20年という除斥期間を外して、損害賠償請求を認める以外にないのではないでしょうか。それは異例なことかもしれませんが、優生保護法が認めていた強制の特殊性に照らせば、それ以外に途はありません。
優生保護法が母体保護法に改訂された1996年6月以降も、自分の受けた手術が優生手術であること、あるいはその優生手術が優生保護法と結びついていることを認識できた被害者は非常に少ないと言わざるをえません。また、そう認識できていたとしても、かつて「不良な子孫」という烙印を押されて優生手術を受けさせられたことを、誰が進んで人に言えたでしょうか。20年の除斥期間の起点を1996年6月に求める東京地裁の判決は、被害者のそうした状況と社会の偏見・差別を十分に考慮したものとは、到底、言えません。
判決は、1996年以降に、優生保護法による被害回復の立法が必要不可欠だったとは言えないとし、国と国会には被害者への救済措置をとる法的義務はないと免責しました。その根拠として、除斥期間の起算点は遅らせることができないとした、同じ理由があげられています。これらの認識には大きな誤りがあることは、2.に書いたとおりです。
とくに、「改正の時点では、既に障害の有無によって人を差別することは許されないという意識は国内に広く浸透していた」(p.9)とされていますが、1996年の改訂に際して優生保護法の犯した罪に向き合わず、改訂後も国による教育・啓発が全く不十分であったために、母体保護法になってからも精神疾患等を理由とした強制的な不妊手術が行われ続けた事実が、判決の認識の誤りを如実に示しています。
問題はさらに、2つあります。優生思想は被告(国)が作ったものではないとしたこと、また、優生条項を削除する法改訂が遅れたのは、中絶の議論が政治問題化したためとしたことです。
判決は、「我が国における優生思想自体は被告が作出したものではなく、その排除は現実問題として必ずしも容易であるとはいえない」(p.6)(p.8)としています。
しかし、19世紀末から世界に広がっていた優生思想を、日本の社会に定着させたのは、国民優生法、優生保護法です。容易ではないからこそ、優生思想の排除のためにも、国と国会議員は謝罪し賠償する責任があります。
判決は、「優生条項が平成8年改正まで残置された一因は、人工妊娠中絶の要件にかかる議論がいわゆる政治問題化したことにあるとうかがえ、少なくとも厚生省が優生条項の残置を図ったものではない。」(p.8)としました。
優生保護法において、人工妊娠中絶も優生手術と同様に、障害をもつ人の生殖を奪う手段であったことを、判決は無視しています。中絶の要件5つのうち、3つが優生条項でした。1972年の法改訂案で国は中絶要件から「経済的理由」を削除し、「胎児条項」を導入しようとしました。中絶の禁止(刑法堕胎罪の適用拡大)と、優生政策の強化といえます。1982年の改訂の動きは「経済的理由」の削除だけでしたが、産むか・産まないかを個人が決めるリプロダクティブ・ライツを国が否定しようとしたことから、中絶をめぐる議論はおきたのです。そのために改訂が遅れたとするなら、それは国の責任です。
優生保護法は、障害の有る無しで、人を区別し、差別して傷つけました。そもそも優生手術の対象とされた「不良な子孫」というレッテル貼り自体が差別です。そのレッテルは恣意的に変わりえます。
東京地裁判決が、障害がない人の手術を誤りとしたことは、一方で障害がある人の手術を間違いではないとするおそれがあり、このことは、各地で国賠訴訟をおこした原告、支持する市民を、分断する危険さえあります。
優生保護法はまた、刑法堕胎罪の例外として合法的な中絶をかろうじて認めていた法律でもありました。障害者差別と女性差別が分かちがたく盛り込まれたことで、障害者と女性は、この法律に動きがあるたびに、分断と対立の関係に追い込まれてきました。判決が、優生条項の残置を人工妊娠中絶をめぐる議論のせいにするのは、障害者運動と女性運動とを対立させる印象操作ではないでしょうか。
判決はまた、ハンセン病については、療養所に強制隔離され治癒後もその生活を続けざるを得ない状況が長期にわたり、「優生手術を受けた者の置かれた問題状況とは質的に異なる」(p.6)としました。両者の被害をこのように比較すること自体が不当で、被害者を分断するものです。
以上のように、東京地裁判決には、人を区別、差別して分断する優生保護法の本質が、そのまま表れている怖さを感じます。不当な判決に、あらためて抗議します。