私たちは、NIPTのよりよいあり方について考えるため、2019年7月から意見交換を重ねてきました。きっかけは、2019年6月に、日本産婦人科学会が「母体血による無侵襲的胎児遺伝学的検査(NIPT)に関する指針」を改定し、実施施設の要件緩和と遺伝カウンセリングの機会削減を明らかにしたことです。この指針は現在運用されておらず、厚生労働省が立ち上げた「母体血を用いた出生前遺伝学的検査(NIPT)の調査等に関するワーキンググループ」が実施体制を検討するための調査を開始していますが、COVID−19感染拡大防止の緊急対応のなかで、2020年1月以降開催されていません。また、最近では、日本産婦人科学会が他学会との調整を始め、小児科学会と産科婦人科学会の倫理委員会が中心となって指針の「再度の見直し」が行われているという論文(周産期医学50巻6号)も公表されました。
私たちは、このままNIPTの議論が停滞すること、あるいは逆に、拙速な結論が出されかねない状況を危惧し、以下の提言をいたします。
施策や指針の策定にあたっては、検査の対象となる女性の声や、妊婦と家族の心の揺れに精通する人、病気や障害のある子どもの出産・子育ての情報と経験を有する人、出生前検査陽性の後に確定診断を受け、妊娠を継続した人やしなかった人、病気や障害のある人、さらには、出生前検査・診断の実施拡大に懸念をもつ人の声を議論に反映することが不可欠です。
行政の審議会や学会の検討会議など、意思決定にかかわる会議や公聴会・シンポジウムでは、当事者の委員任用あるいは発言の機会を確保し、透明性の高い策定プロセス(※1)を踏むことを求めます。
※1 たとえば、NIPTが日本で臨床検査として開始される際に、日本産科婦人科学会倫理委員会は「母体血を用いた出生前遺伝学的検査に関する検討委員会」を立ち上げ、すべての議事録を公開し、委員以外にも有識者を招いてヒアリングをし、学会主催の公開シンポジウムを開催、パブリックコメントの募集をしました。このように、透明性の高い指針の策定プロセスを踏まれましたこと、そのご尽力に敬意と感謝を表します。これからも、このような議論のプロセスを踏んでいただくように要望します。
NIPTは、妊婦が必ず受けなければならない検査ではありません。女性の中にも、検査を受けたい人、受けたくない人、受けたいのに情報や医療にアクセスできない人、受けたくないのに受けなくてはいけない気持ちに誘導されたと感じて悩む人など、さまざまな立場があります。検査についての説明を聞くか聞かないか、検査を受けるか受けないか、受けた後どうするかは、妊婦がそれぞれの場面で考えた上での選択です。
さまざまな女性が主体的に決められる情報提供のあり方は、医師の説明に依存します。
たとえば。医師がNIPTについて説明する方針の場合には、意思は検査を勧めているわけではないこと、検査に関心があれば遺伝カウンセリングを受けてから、検査を受けるか受けないかを決めればよいこと、検査結果が出たあとも適切な情報提供とカウンセリングが受けられること、検査の前後を通して妊婦はいつでも自分が相談したい人と相談できること、さらに検査を受けても受けなくても、医師の診療に変わりはないことを伝えて欲しいと思います。
逆に、意思がNIPTについて紹介や説明をしない方針の場合には、その方針を伝え、検査について関心がある人には、詳細な説明や遺伝カウンセリングが受けられる医師や施設を紹介し、さらに、検査を受けても受けなくても、医師の診療に変わりはないことを伝えるよう要望します。
説明を受けたくない妊婦、検査について詳しく知りたくない妊婦については、その気持ちを尊重し、説明やカウンセリングに誘導しないでください。
いずれの場合も、医療者自身の価値観を反映した情報提供を行ってはならないのはもちろん、意図しなくても医療者自身の価値観が妊婦の行動に影響を与えることが多々あるのを認識してください。
「母体血による無侵襲的胎児遺伝学的検査(NIPT)に関する指針」の改定案では、検査後は、結果が陽性の場合にのみに遺伝カウンセリングが予定されていました。しかし、陽性・陰性にかかわらず、遺伝カウンセリングや妊娠・出産に関わる相談(※2)ができる環境が必要です。
環境整備の一環として、検査に関わる産科医などの医療者に対し、妊婦の心理や意思決定支援について理解を深め、検査についての知識と技術を深めるプログラムの研修を用意してください。また、流産、子宮内胎児死亡(IUFD)、中絶などで胎児を失った経験を受け止めるグリーフケアの研修も必要です。さらに、検査の対象となる疾患や障害がある人や家族、支援者を講師とし、その人たちの生活を理解できるプログラムも大切だと思います。
相談の手段としても、オンラインや、電話の活用など、妊婦の負担に配慮した方法を模索する必要があります。COVID−19予防が必要な現在においては、なおそのように考えます。
※2 ここでの妊娠・出産に関わる相談には、避妊、妊娠、流産、死産、中絶、出産、育児に関する相談を含みます。
NIPTに関する意思決定は、女性が自身の妊娠・出産・子育てについてイメージし、自分と家族と子どもの将来について考えた上でなされるものです。しかし現在、まとまった情報を得るのが難しく、疾患や障害のある子どもが生まれたときに利用可能な、医療や福祉、教育、社会資源や療育環境、生活の様子について、妊婦と家族が短い期間で情報を得ることは困難です。継続的な相談・支援環境がわからなければ、妊婦は、子どもを産み育てるための手がかりを得られないままに、意思決定をしなければなりません。
行政と医療が協力して情報を入手しやすくする環境の整備を求めます。
陽性の結果を受けたとき、女性は短期間での決断を迫られます。最近、NIPT陽性判定後、検査結果を郵送やメールで通知するだけであったり、検査施設に問い合わせても十分に対応されない事例が報じられています。このような現状があるとすれば、早急に解消されなければなりません。
NIPT陽性後の確定診断が陽性となり、できるなら産みたいと思っている女性には、産み育てるための情報を持つ当事者や支援者にメールや電話で相談できることや、医療者や福祉にかかわる専門家を紹介できることを医師が伝えてください。
どうしたらよいか迷い、時間内に決められない人には、決断を急かすことなく、難しい選択であることを理解し、見守り、寄り添ってください。
産まない・産めないと考える女性には、同じように考えた経験をもつ当事者や支援者を紹介したり、より安全な中期中絶手術ができるよう、施設の情報を提供してください。
また、流産や子宮内胎児死亡が生じることもあります。この場合も、体験者同士のピアサポートにつなぐことも視野に入れつつ、迅速に安全な施術ができるうにしてください。
そして、流産や子宮内胎児死亡、中絶などで胎児を失った経験を受けとめるグリーフケアの充実も、不可欠です。グリーフケアをその医療施設で行なえない場合には、適切なカウンセラーなどを紹介できるように、関連機関・職種と連携してください。
NIPTをはじめとする出生前検査の存在は、病気や障害があること、それをもつ子どもを産むことに対して、否定的な眼差しを強めるおそれがあることは否めません。これを差別につなげないためには、病気や差別をもつ人と共にある暮らしに肯定的な社会風土の醸成と、平等や社会の構築が必要です。
しかし、近年の検査の急速な広がりに社会の歩みが追いつかず、妊婦やパートナーの葛藤は増大しているようにみえます。たとえば現在、「この検査によって安易な中絶が増える」、「検査陽性者の9割以上が中絶」などの言葉にみられるように、検査を提供する側ではなく、検査を受ける側の行動が評価の対象になっています。検査は選択肢として提示されているにもかかわらず、受けるかどうか検討したり、産まない選択をした妊婦とパートナーが、道義的責任を負わされるのは理不尽です。
社会的に未解決の問題は、その責任を個人に負わせるのではなく、社会として解決に取り組まなければなりません。障害のある人への偏見・差別の解消と支援の拡充は、この社会の基盤づくりとして、国・行政・民間団体の力を合わせ継続的に実施すべきです。
女性のリプロダクティブ・ヘルス/ライツは、1990年代から国連北京女性会議や国連カイロ国際人口開発会議で確認されているように、妊娠・出産に関することだけではなく、生涯にわたる女性の健康支援が基にあって達成されるものです。出生前検査については、妊娠継続・中絶のどちらについても、女性の健康支援の問題として、国や行政、関連団体で、取り組むことが必要です。
しかし日本には、明治以来の家父長制度の価値観に基づく刑法堕胎罪(※3)があり、中絶をした女性に対する懲罰感情がいまでも存在します。そのため、検査を受けた女性が、その先の選択肢について、自身の迷いを相談できなかったり、 必要以上に葛藤を抱え続けることがあります。この状況は、改善される必要があります。
また、出生前検査後に中絶を行うには、母体保護法(※4)にいわゆる「胎児条項」を加えれば、堕胎罪で中絶を禁じながら、胎児に疾患や障害があるとわかった場合には中絶しても良い国が法律で認められることになり、それは差別に他ならないからです。
※3 刑法 第2編 第29章 堕胎の罪(部分)