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優生手術問題:活路と展望(第5回)――5・19仙台控訴第2期日に結集しよう!

山本 勝美 20200331

第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回 第10回
第11回 第12回 第13回

※5・19の仙台控訴公判は中止になりました。本論文の最後に、仙台弁護士の山田いずみさんのご連絡参照下さい。
「山田いずみさんからのおしらせ」

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last update:20201218


<第1章>:旧優生保護法をめぐる経過から

 はじめに――旧優生保護法の設置と改廃
 希代の人権侵害法とされた旧優生保護法は、その目標を第1条に「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ためと謳った。同法は、敗戦後の人口増大に伴う「資質の低下」(「資質の低下」:当時人口増大の社会状況下で、避妊をするのは、社会の中上階層と考えられた。下層に遺伝性の障害が多いと考えられた。)に対する対処策として1948年に設定された。だが、約半世紀後の1996年にはその優生思想に対する内外の批判にさらされ、母体保護法に改訂された。
 ところが、2万5千人に及ぶ人々がすでに優生手術(=強制不妊手術と形式的な同意による手術)の犠牲者とされていたことが明らかになり、障害者、女性、関係者は1997年に「優生手術に対する謝罪を求める会」を結成した。
 そして厚生労働省、直接には担当課の母子保健課と交渉を開始し、強制不妊手術に対する謝罪と補償を要求した。ところが当局は「同法は国会が議員立法で設置したもので行政府には責任がない」との一点張りだった。
 そこで「求める会」は被害当事者の訴えを明らかにするため、‘98年と’99年の2回にわたってホットラインを行った。

1)被害者- 飯塚さんの追及
 他方、仙台に住む飯塚淳子(仮名)さんは、1963年、16歳時に地域の民生委員や職親による策謀により優生保護審査会で審査がなされ、優生手術妥当とされた。また彼らは飯塚さんの親から承諾印を取り付けた上、飯塚さんを優生保護相談所に誘導した。その時医師は何の説明もしないまま優生手術を強行した。
その後、飯塚さんは両親の話し合いを聞き、不妊手術を強制されたことを知った。そこで将来、上記の地域スタッフへの仕返しを心に誓った。
やがて50歳頃になって、自らの被害を示す情報開示文書を宮城県に請求した。ところが当局は、飯塚さんの強制不妊手術実施の年の資料だけが失われているとの回答に徹した。
一方、飯塚さんは上記の「求める会」によるホットラインを知り、連絡をとり、会との連携が始まった。
 飯塚さんはまた地元仙台の弁護士さん方による一般の電話相談にも連絡した。その結果、話が優生手術問題に及んで、弁護士さんは急遽それに対応された。その方が今日の全国優生保護法被害弁護団共同議長の新里宏二弁護士だった。飯塚さんの活動は直ちにTVで報じられ、幾人かの強制不妊手術被害者が名乗り出た。

続く被害者の決起
 (佐藤由美(仮名)さん)その一人は新里弁護士の法律事務所を訪ねた宮城県の佐藤路子(仮名)さんで、義妹の佐藤由美(仮名)さんは15歳時に強制不妊手術を強いられていた。由美さんは、新里弁護士の支援のもと、義姉の佐藤路子さんに伴われ、情報開示された書類を元に2018年1月30日に仙台地裁に国家賠償訴訟を行った。
この取り組みは多数のメディアにより一挙に列島に広がり、各家庭の茶の間の話題になった。
その後飯塚さんは、運動の高まりを背景に5月には県に被害者として認定させ、以後、佐藤由美さんとの共同訴訟として進められた。
(北三郎さん)また1月30日の訴訟報道により、東京在住の北三郎(仮名)さんは新里弁護士と連絡を取り、現在、東京地裁で係争中(後述)。
(片方司さん)上記の「求める会」集会が報道された段階で、岩手県の片方司さんが「求める会」に連絡を取った。片方さんの場合は後述の通り、旧優生保護法改定後の2003年に家族の強い要請で、国立花巻病院の担当精神科医師により岩手医科大学に紹介され、泌尿器科医師により強制不妊手術がなされた。
片方さんは、その後2020年3月30日に日本弁護士連合会による人権救済を申し入れた(後述)。

2)全国弁護団と「被害者- 家族の会」の結成
同時に各地の弁護士会によりホットラインが繰り返された結果、被害者が各地で決起する中、昨年5月28日に「全国優生保護法被害弁護団」が結成された(共同議長、新里宏二氏(仙台)及び西村武彦氏(北海道))。
一方、12月4日に「被害者- 家族の会」が結成された(世話人:北三郎さん及び飯塚淳子さん(仙台地裁))当事者の意向が求められる事態に面していたのである。

3)議員連盟の結成と「一時金」の法制化
他方、裁判が各地で取り組まれるようになるのと並行して、国会議員の動きが活発化し始めた。やがて超党派議員連盟とそのワーキング- チーム(WT)が組織化され、会長に尾辻秀久議員(元厚生労働大臣)が就任した。これに並行して与党議員によるプロジェクト- チーム(PT)が結成され、両派が連絡を取り合い、最終的には全政党の有志が関わる中、統一法案ができ上がった。しかし各地の裁判の動きとは別に、衆参両院において全員賛成のうちに「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律(一時金法)」が法制化されていった。
詰まる所、以下の3点を主要な骨子とする国会決議によって、強制不妊手術に対処する法制度ができ上がったのである。
1)強制不妊手術に対してスウェーデンの支払った額を参考に、日本円に換算した相当額320万円を支払う。
2)被害者のプライバシイに配慮し、被害者が自ら行政に申し出るのを原則とする。
3)国の謝罪に関しては法律で表明できないため、その前文で記述する、となったが、特にその関連する個所は以下の通り。

「○旧優生保護法の下、多くの方々が、生殖を不能にする手術- 放射線の照射を受けることを強いられ、心身に多大な苦痛を受けて来たことに対して、我々は、それぞれの立場において、真摯に反省し、心から深くお詫びする。
(中略)
○国がこの問題に誠実に対応して行く立場にあることを深く自覚し、本法を制定する。」

これに対し、関係者から以下のようなコメントがなされている。
1)に関しては、
- 低額である。交通事故の重傷被害者は千万円単位で支払われる。
- スウェーデンでは社会保障がなされているので価値基準が異なる。
2)に関しては、
- 当事者に対し充分なアクセスに努めるべきだ。
3)国が裁判で被告であることから、謝罪については不明瞭な主語「我々」という表現が取られているようだ。

<第2章>:仙台地裁の判決と高裁の控訴審へ

 同地裁には、上記の飯塚淳子さんと佐藤由美さんの第1次原告団に続いて3名の原告団が訴訟している(東二郎さんほか2名)。

昨年5月28日、第1次原告団に対して却下の判決がなされた。
判決の要点は
1) 子どもを産む、産まないは憲法13条(幸福を求める権利)で認められた「リプロダクティブ権」として基本的人権であるが、日本ではこの権利については、未だ判例がなく研究も不十分、と。
2) 憲法17条に基づく国家賠償訴訟(2018年)は、旧優生保護法の設定(1948年)から20年を経過しているので民法.724条の除斥期間(20年)を過ぎているため、国賠訴訟を却下する。

これに対して、弁護団は同日、以下のような声明を出した。

< 仙台地裁旧優生保護法訴訟判決に対する弁護団声明 >
 本日、仙台地方裁判所第2民事部は、原告らの請求を棄却するとの判決を言い渡した。
 この間、被害の重大性について社会的に大きく報道されるなどして、原告ら被害者は司法権による被害回復がなされるものと期待して本日を迎えたが、その期待が大きく裏切られる結果となり、憤りを抑えることができない。
 この判決は、憲法13条の注意に照らし、人格権の一内容としてリプロダクティブ権が尊重されることを明らかにし、旧優生保護法が個人の尊厳を踏みにじるものであって、憲法13条に違反することを初めて認めた。これは誰もが等しく個人として尊重され生殖に関して国の干渉を許さないことを明示したものであり、この点については一定評価が可能である。しかし、判決は、特別立法の必要性が極めて高いとしつつ、立法内容については国会の合理的裁量にゆだねられている事項であること、リプロダクティブ権を巡る法的議論の蓄積が少ないことや現在迄司法判断もなされていないこと等を理由に、立法措置を取ることが国会にとって明白ということは困難であるとして、立法不作為に付いては国賠法上の違法は認められないと判断した。
 また、除斥期間の規定は目的の正当性並びに合法性、必要性が認められるとして憲法17条に違反しないとし、手術自体の違法性に基づく国家賠償請求も認められなかった。先般成立した優生保護法一時金支給法が被害回復には不十分であることを考えても、人権救済の最後の砦である司法府が国の責任を認めなければ、原告ら被害者の今後の被害回復は困難であると言わざるを得ない。 
――――――――――――――――――――――――――――――
昨年5月31日、原告弁護団は仙台高裁に対し控訴を行った。

○また。6月4日に、国会議事堂前で抗議行動、そのあと議員会館で抗議集会が持たれた。
○ なお、仙台の東北大学の學生を初め、高裁向けに「被害者の声に耳を傾け、公正な判決を」、また衆議院及び参議院議長に対して「被害者に謝罪-補償を」等の署名が集められている。

< 仙台高裁控訴審第1回期日の内容 >

第1回期日は、2020年1月20日に設定された。

(1)原告の飯塚さんは、法廷にて以下の口頭弁論を行った。
「16歳の時に何の説明もなく、強制不妊手術を受けさせられ、優生保護法も国の違法行為も知らないまま20年以上が過ぎてゆきました。それで「20年が経ったから請求できない」という1審の判決は受け入れられない。」
 かつて人前では寡黙になっていた彼女が、今やと怒りに打ち震えながら叫んでいた!
(2)また原告の弁護団は、交互に力を込めて、「飯塚さんは、事前に強制不妊手術であるとの説明もなく、また社会が容認していた手術が違憲であるとの認識もないまま年月を過ごしていた。
 その原告に対して、1審の判決は「こうして除斥期間を適用して被害者の救済を行わず、国会や政府の責任を免除するのは司法の役割を放棄している」と批判した。
 一方、国は「賠償を求められる期間は過ぎている」と主張していた。
――――――――――――――――――――――――――――――
  <高裁第1期日の集会での報告>
 公判後、弁護団による集会がメデイアを交えて持たれた。そしてこの日の公判に関する説明、原告や関係者の感想などが述べられた。
以下では、第1審の裁判で述べてきた主張を整理した内容と、判決を踏まえた主張が文書で報告された。

(1)被害者の被害状況を無視した第1審判決には問題があること。
(2)旧優生保護法によって憲法上の権利を侵害されたこと、13条(個人の尊厳、身体の不可侵、リプロダクティブライツ)、36条(残虐な刑罰を受けない権利、14条1項(平等原則違反)
(3)国は、国が制定した旧優生保護法により違法な手術がおこなわれたことについて、損害賠償責任があり、被害者が請求することが難しかったことを踏まえると20年以上経過したことを理由に請求を認めないことは正義や憲法等に違反すること。
(4)国会が優生手術被害を補償する法律を作ることを長い間怠ったことについて、国は国家賠償法により責任を取るべきであること。
(5)厚生大臣には、優生手術を実施させたこと、及び優生保護法の問題を認識しながら何の対策も取らず放置したことの責任があること。
(6)国から受けた優生手術による被害の賠償は佐藤さんの妹について3300万円、飯塚さんについて3850万円が相当であること
(7)裁判所(司法)の役割は権利侵害を受けた者に対する人権救済の最後の砦であること

  <国側の主張:控訴審答弁書から引用>
(1)請求を認めなかった第1審判決は正当である。
(2)除斥期間の適用を認めるべきではないという主張は判例に反すること
(3)国会や厚生大臣が立法をしなかったことに違法性があるとは言えないこと
(4)立法をしなかったことと損害には関係がないこと
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「優生保護法国家賠償請求訴訟について」
また、この集会で配布された資料の中で、特に優れている資料をご参考迄にご紹介する。
(1)裁判の経過
2018年1月30日に、優生手術に関する、全国で初めての裁判が仙台地方裁判所に起こされた。最初の事件の原告は、飯塚淳子さんと佐藤由美さんである。
(2) 仙台訴訟の原告たちの被害状況
イ)飯塚淳子さんは、障害がないにも関わらず知的障害があるとされて、16歳の時に何も説明されないまま手術された。
ロ)佐藤由美さんは、遺伝性障害があるとされて、15歳の時に何も説明されないまま手術された。
(3) 仙台地方裁判所の裁判で、私たちが国に対して言いたかったこと
イ)旧優生保護法は憲法13条?憲法14条に違反している法律である。
  ==> 憲法13条は、人として幸福に生きる権利
  ==> 憲法14条は、平等な扱いを受ける権利
ロ)優生手術は違法(=悪いこと)であり、違法な手術を受けさせられたことによる辛さを取り除くために、賠償金を支払ってほしい。
ハ)国は、優生手術を受けさせられた人たちを救済する法律を作るべきだったのにつくっていない(=立法不作為)。
このことによる辛さを取り除くために、賠償金を支払ってほしい。
(5) 飯塚さん、佐藤さんの事件での裁判官の判断(判決)
イ)旧優生保護法は「リプロダクティブ権」(憲法13条)を侵害するものであり、憲法に違反する。(『リプロダクティブ権』とは。子を産み育てるかどうかを自分で決める権利のこと)=>私たちの主張が認められた!
ロ)優生手術は違法(=悪いこと)だから国に賠償金を求めることができるはずだが、民法の規定(違法な行為から20年過ぎると請求できなくなる)により、賠償金をもとめることができない。
===>私たちの主張が認められていない
(6) 不当な判決に対して仙台高等裁判所に控訴した
イ)優生手術を受けた人がどれだけ辛い思いをして来たのか、裁判官にわかってもらいたい。
ロ)旧優生保護法のような本当にひどい法律により、優生手術を受けさせられた人は絶対に救済されなければならないから、民法の規定の例外を認めるべきだ。
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○ 次回の予定:弁護団の方で国の控訴答弁書への反論を検討します。
○ その他の仙台地裁の裁判:(原告)甲3さん、甲4さん(東さん)、甲5さんの予定。2020年2月6日(木)午後4時から。
○ 第1審の原告が控訴をしたので控訴審では原告のことを控訴人、被告のことを被控訴人と呼びます。
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<第3章>:母体保護法下の不妊手術-中絶被害について
当事者と共に考える院内集会報告(2020年1月30日)


はじめに――「優生手術に対する謝罪を求める会」の集会から
 3年以上も前になるが、「優生手術に対する謝罪を求める会」(以下、求める会)は、2016年5月14日、文京区民センターで集会「産む事を奪われた優生手術からの人権回復を目指して――日弁連人権救済申し立てとCEDAW(女性差別撤廃委員会) 勧告を受けて」を行った。
その日、優生手術をめぐり、被害当事者の飯塚淳子さんを仙台からお招きし,その非人権性を追及した。
同年7月6日、NHK- Eテレで「私は産みたかった――強制不妊手術20年目の証言」が放映され、飯塚さんの経験が紹介された。
そして、同年7月7日には、「優生手術に関するホットライン」として、電話、ファックス、メールアドレス等を公開して情報提供をよびかけた。 その結果、5件の情報が寄せられた(障害者本人一人、障害者家族3人、その他一人)。
同年7月26日、片方司さんから求める会二電話があった。そして、同年10月13日、求める会のメンバーが片方さんのご自宅を訪問し、インタビューを行った。
 その後、2017年2月には、日弁連が「意見書」発表。
 2017年3月28日には、院内集会「今こそ優生手術からの人権回復を目指して?日弁連意見書を生かすために」開催。当日、片方司さんも出席し発言。
ただ、伺うと2003年11月であり、優生保護法が廃止されたあとのことでる。
「求める会」では早速、この集会においてご本人のご希望通りにお名前、おところを明らかにし、出来事を語って頂いた。ご家族から「手術を受けなければ、一生病院から出さない!」とお兄さんに追いつめられたという経過を明らかにして頂いた(後述)。
 さて、優生保護法による強制不妊手術被害者については、全国優生保護法被害弁護団によって、国を優生保護法訴訟の被告としていま全国の8法廷で取り組まれている。
その一方で、母体保護法下の強制不妊手術被害者については、組織を別にして、弁護士さん、市民の支援の元で取り組まれることになった。
ところが折しも東京八王子の精神医療施設で、一女性が強制不妊手術をされたことが明らかになった(後述)ので、片方さんと両被害者についてこの度、日本弁護士連合会に対して、本年の1月30日午前9時30分日弁連人権課長に「人権救済申立書」(注1)を提出した。
申立人は片方司、米田恵子、申立人代理人弁護士は、小笠原基也、佐々木信夫、佐藤暁子(敬称略)の5名の方々である。


(注1)人権擁護委員会の任務は、「基本的人権を擁護するため、人権侵犯について調査をし、人権を侵犯された者に対して救護その他適切な措置をとる」
(会則75条)と定められており、その中心的な活動として、人権救済申し立て事件の処理を行っています。
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さてこの度の1月30日の「母体保護法下の不妊手術- 中絶被害について当事者と一緒に考える院内集会」に向けて片方さんが綴られた手記を記そう。

私の体験
片方 司(かたがた つかさ)
私は、昭和25年、岩手県北上市に生まれました。
 高校時代、いじめと失恋で統合失調症になり、精神病院に入院しました。8カ月後退院して、高校に復学して卒業して、大学に入学しましたが、再発して3回入退院しました。
 22才の頃、安定期に入り、岩手医大を退院しました。その後、数々の職業を経験して、結局、母が経営している酒店を手伝いました。
 32才の時、自分のマイホームを建てました。
 45才の時、Y子さんという人と結婚したいと思いましたが、兄夫婦に反対され「籍は入れるな。子どもは作るな」と言われ、しぶしぶ内縁関係として同居しました。48才の頃、妊娠しましたが1週間で流産しました。流産後、兄夫婦に強く勧められ、Y子さんは県立病院の産婦人科に入院して卵管結紮の手術を受けました。Y子さんも私も、望んだわけではありません。
 2002年5月、私は体調をくずし、国立花巻病院に約2年間入院しました。2003年、兄夫婦と、当時の担当の医師とケースワーカーに、パイプカットをするようにと言われました。私は、いやだったのですが、パイプカットしないと一生入院させておくと言われました。
 2003年10月15日、岩手医大に連れられて行って、11月26日午後、手術されました。手術は、約30分でした。12月1日に抜糸、12月5日に、医大から花巻病院に戻りました。
 私は、子どもを失った気分でした。残念だった。障がい者は、結婚も、子どもをつくることもだめなものでしょうか。
 私のように、1996年以降も、望まない不妊手術を強制的に受けさせられる事のないようにお願いします。憲法第13条にある幸福追求権などを無視しないように、今でもやられている人もいるかもしれません。絶対に止めてください。
 よろしくお願いします。



(米田恵子さんの経過)

米田さんは、貧しい家庭に生まれ、波乱の人生のなかにあっても家族と協力しながら生きてきました。複数の男性と婚姻暦があり、子どもも7人産みました。
しかし、行政当局や児童相談所(以下、児相という)は米田さんを性的にふしだらで育児放棄をしているなどと決めつけ、児相が米田さんの新生児をあずかったにもかかわらず死亡させたことで精神が不安定になっていた頃、強制的に八王子市の多摩病院に強制入院させられました。
 しかも、2015年1月19日、最後の子どもである五女を分娩した際には、説明もなく米田さんに不妊手術が実施されました。そしてその後、約四年も強制的に精神病院入院させられていました。

米田さんは、1977年(昭和52年)生まれの女性。現在、男の子が2人、女の子が4人。そのうち、長男は2020年2月に成人します。2006年、その頃の夫と離婚しましたが、長女と次女は元夫の親権に服すことになりました。
米田さんは、2009年ごろ八王子市に住み始めましたが、その頃から暴力的な夫との関係で鬱状態になりパニック障害を生じました。その頃から八王子市恩方病院に通院するようになりました。
その以前から米田さんは生活保護をうけていましたが、同市に来た頃から子育て支援課や児相から過剰な介入や監視を受けることになりました。
2012年9月12日、四女の琉花(るか)ちゃんが生まれましたが、同女は同年12月に検査入院し、翌2013年1月7日に退院しました。米田さんは、同日、病院に硫花ちゃんを迎えに行き、主治医から同女に何も異常がない旨の話を聞いていました。しかし、その後すぐに児相の担当者が来て、米田さんが毎日見舞いに来なかったというだけの理由で、硫花ちゃんを強引に連れ去りました。
同月20日午前9時過ぎに、児相と乳児院の関係者5、6人くらいが米田さん宅を訪問した。彼らの言うには、硫花ちゃんは早朝に東京医科大学八王子医療センターに救急搬送され、同日午前7時台に死亡したとのことでした。
米田さんは何故すぐに連絡してくれなかったのか問うたところ、児相が言うには、米田さんが寝ているかと思ったから連絡しなかったと説明した。死亡の理由は乳幼児突然死とのことでした。
このように米田さんの四女が児相の下で死亡したにもかかわらず、いまだに児相は何の責任も果たしていない。
2015年1月19日、米田さんはNICUがあるので都立多摩総合医療センターで五女を帝王切開で分娩しました。その際に米田さんが認識しないままに不妊手術が施行されました。この手術は米田さんがいないところで、妹さんが訳も分からずに同意させられたということでした。

病院の言うにはその手術の理由は、母体に危険があるとのことでした。そして五女は、2015年1月の退院時に児相に連れ去られました。
そうするうちに、更に米田さんが病気だからとか、児童虐待者だからなど言われて、2015年9月には三女を母子分離させられました。
米田さんは琉花ちゃんを死亡させられ、五女を連れ去られ、加えて三女まで連れ去られ、完全に打ちのめされました。米田さんは精神的に不安定になり,行政や児相に抵抗していたところ、2016年2月10日、精神安定剤を過剰に利用したということで多摩病院に医療保護入院となりました。入院の同意者は米田さんの妹です。
それ以来、ほとんど治療らしい治療は行われないままに拘禁が続けられ、ようやく2020年1月6日に退院できました。



ふり返りと展望

はじめに …… 障害者のおかれてきた状況
終戦直後の日本では人口が急増する中、国は「人口の資質の劣化」を防ごうとして、特に障害者- 病者に「不良な子孫」を産ませないよう、1948年に国会で優生保護法を設定した。その第1条に「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ため、と唱えている通りである。
本論考では、同保護法の中に強制不妊手術や妊娠中絶(=優生手術)を明記し、総計二万五千ケースに強制手術を行った経緯をたどってみた。
ただし、同保護法は1996年に母体保護法に改訂されたが、その後においても、強制不妊ないしは強制中絶が違法に行われて来た事が、この度の「母体保護法下の強制不妊手術ないしは違法な中絶」が行われてきた恐れがあるとして、この部門で取り上げた次第である。
この章では、このように今日に至るまで決して平坦ではない経緯をここで振り返り、今後の医療、福祉の基本的な問題点を浮き彫りにし、その上で今後の医療、福祉をはじめ、社会保障全体のあるべき方向を模索しようと試みた。

経過(その1)母体保護法に改正されて
優生保護法改悪阻止運動(‘72)、‘82優生保護法改悪阻止運動。母子保健法改悪阻止運動(‘84〜)の流れから「なくそう優生保護法-堕胎罪、変えよう母子保健全国連絡会」(〜96年)の流れへと続いてきた。
そして1996年、政府の機構改革によって精神保健福祉部が設置されるとほぼ同時に優生保護法が母体保護法に改正された。
一方、国内のこれらの動きと並行して、海外の人口会議でも日本の障害女性による優生保護法の告発がなされ(1996年)、国の同法改革につながった。

経過(その2)同法改正後
しかし、母体保護法への改革は国会議員と政府による上からの改革だったことから、それでは何が問題だったのか、という追及がほとんどなされずに終つた。
従って、法は改正されたが、肝心の強制不妊手術はまったく取り上げられる事なく、被害者の存在についてもかえりみられることなく一旦は収束してしまった。 しかし、スウェーデンのサレンバ記者による、自国の優生手術に対する告発が国際的な反響を呼び、その結果、日本の障害者、女性、関係者の動きにつながり、「優生手術に対する謝罪を求める会」の結成に至った。

経過(その3)
その一方で、やがて各地の強制不妊手術の被害者が決起し、全国優生保護法被害弁護団や「求める会」のメンバーとも連携し、現在では8地域の裁判(仙台、東京、北海道、静岡、大阪、兵庫、熊本、福岡)で訴訟を行っている。その動きと連動しながら、国会でも超党派の議員が連帯し、少額ながら一時金(320万円:コメント上記)の支給にまでこぎつけた。だが、旧優生保護法によらない強制不妊手術被害者はこの一時金の対象にはなっていない。

今後の方針
こうした経緯から、本論考の「母体保護法下の被害者」はまだ多く存在し、今後とも問題化してゆくのではないかと思われる。これらの被害者の救済のために当「歩む会」は取り組んでゆく方針である。



<「歩む会」の目標>

私たちは、優生思想の根絶に向かって以下のことを求めて被害者とともに活動に取り組んでいきます。
1)優生政策の全貌と実態を明らかする
2)優生政策を推し進めてきた国、自治体、医療、福祉、教育機関等の責任を明らかにする
3)優生政策の被害として母体保護法のもとでの被害者にも等しく補償する
4)未だに差別が漫然と行われている現実に目を向け、旧優生保護法によって社会の隅々に優生思想を根付かせたことを反省して謝罪する
5)共生社会の実現に向けて、優生思想に支えられた障害者への差別、偏見をなくすために被害者とともに取り組む

<おわりに>
1)諸用に追われ、ほぼ1年間このシリーズを手がけられず、読者の皆様には、大変ご迷惑をおかけしました。 今回の執筆も、東京地裁ほか全国各地の取り組みも触れるゆとりがなく失礼しました。 ただそれらにつきましては、このあと執筆致しますのでご期待下さい。
2)なお以下に小生の強制不妊手術関係諸論文及び関係者の論文をご参考までにリストアップさせて頂きます。


(A)<筆者の優生手術関係文献リスト>

(1)「優生手術からの人権回復をめざして―日弁連意見書を機に法的救済を」
                 福祉労働No.155(summer,2017)

(2)「優生保護法下の強制不妊手術問題に挑んで―最前線からの報告(1)」
                 福祉労働No.159(summer,2018)

(3)「優生保護法下の強制不妊手術問題に挑んで―最前線からの報告(2)」
                 福祉労働No.161 (winter,2018~2019)

(4)「優生保護法下の強制不妊手術問題に挑んで―最前線からの報告(3)両議連の統一法案をめぐって」
                 福祉労働No.162 (spring,2019)

(5)強制不妊手術問題に挑んでー最前線からの報告(4)―仙台控訴審と「母体保護法下の強制不妊手術集会」―
                 福祉労働No.166(spring,2020)

(6)「入所施設と自分」「臨床心理学研究」第55巻第1号(2017年8月)

(7)「優生手術問題:最前線からの報告」(第1回)「臨床心理学研究」(第55巻第2号)(2018年3月)

(8)「優生手術問題の取り組みとその歴史」
       「臨床心理学研究」第56巻第1号」(2018年12月)

(9)(公開研修会報告)
「当事者が語る強制不妊手術の体験-強制不妊手術の国家賠償請求訴訟の経過」
シンポジスト:飯塚淳子、北三郎、新里宏二、山田いずみ(敬称略)
       「臨床心理学研究」第56巻第1号」(2018年12月)

(10)「強制不妊手術に対する謝罪を求める取り組みの報告(3)」
       「臨床心理学研究」第57巻第1号(2019年9月)


(B)<共同研究者著作の参考文献>

(1)利光 恵子著(優生手術に対する謝罪を求める会)「産むこと」を奪われた優生手術からの人権回復をめざして
             (福祉労働、No.152)(Autmn,2016)

(2)杉山 裕信著(CILたすけっと事務局長)「優生手術被害者を支援して」
             (福祉労働,No.156)(Autumn,2017)

(3)新里 宏二著(全国優生保護法被害弁護団議長)「旧優生保護法は違憲、しかし請求は棄却」
             (福祉労働No.164)(Autumn,2019)



<単行本>

(1)山本 勝美『共生へ――障害をもつ仲間との30年』(岩波書店:1999年)
  (コメント)この著書の第4章に猪野千代子さんが、追いつめられた結果自ら同意して、子宮摘出している。

(2)丸本 百合子山本 勝美 共著『産む/産まないを悩むとき――母体保護法時代のいのち-からだ』(岩波ブックレットNo.426)2000年

(3)優生手術に対する謝罪を求める会『優生保護法が犯した罪』(共同執筆:現代書館:増補版):P216-241





山田いずみさんからのお知らせ

仙台弁護団の山田いずみです。

いつもお世話になっております。
コロナウィルスの状況を踏まえ、仙台高裁の5月19日の第2回期日が取り消しになりました。
変更後の期日は未定です。

コロナウィルスの影響で各地の裁判期日が取り消しになっておりますし、傍聴を呼び掛ける状況にもなくなっております。
弁護団の活動も限定されてはおりますが、各地、優生手術被害者救済の活動は継続して行っておりますことをご報告します。

なお、本MLの趣旨と違いますが、コロナウィルスの影響での困難について、弁護士がお役に立てることもあると思います。
各地状況が異なるので(仙台弁護士会は法律相談はすべて電話相談に切り替わっております)、各地の弁護士会等へアクセスいただきたく、ご案内します。

皆様のご健康と、またお会いできる日を願っております。
取り急ぎ、用件のみにて失礼いたします。


*作成:安田 智博
UP:20200411 REV:0412, 0417, 0617, 0722, 1218
山本 勝美  ◇優生学・優生思想  ◇不妊手術/断種  ◇優生:2020(日本)  ◇病者障害者運動史研究  ◇全文掲載

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