近藤秀夫氏インタビュー、その3(2020年1月、全3回)
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近藤秀夫氏インタビュー、その3(2020年1月、全3回)


2020年1月22日 聞き手:聞き手A、聞き手B 話し手:近藤秀夫、女性C





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近藤秀夫氏インタビュー、その1(2020,全3回)
近藤秀夫氏インタビュー、その2(2020,全3回)

近藤秀夫
ひぐち 恵子・樋口 恵子
近藤氏・樋口氏インタビュー
NPO 法人 自立生活センター 土佐の太平洋高気圧 [外部リンク]

障害者運動|Disability Movement
全国自立生活センター協議会(JIL)
日本社会事業大学社会福祉学会
町田ヒューマン・ネットワーク (東京都町田市)

生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築→◇インタビュー等の記録
◇文字起こし:おとおこし.com 39分

■本文


■■

近藤:馬車引きの仕事。馬車がちょうど日本の運送業が馬車から三輪車に変わるときなの。それで、おまえなら三輪車の運転をすぐ覚えるだろうから、だから、助手に使ってもらうように言ってやるから、そこで助手して、覚えたらすぐ帰ってこい、免許取ったらうちに使うからとか言われて。紹介してくれるとかね。で、給料は紹介したほうから出してくれるわけ。で、仕事になるから、雇ってくれるわけ。そうやってるときに、けがをするわけ。

聞き手A:それは、

近藤:けがなどでもう、僕の場合はこういう話は何回も繰り返してるから、分析ができてるのね、なぜ自分が事故を起こしたのか。15、6人いるおじさんたちが、先ほど言ったものを運ぶときの人車のレールを地上のグランドからあるところに運搬する、その運送業をしてるときだったの。

聞き手B:近藤さんが?

近藤:うん。それで、その運送業の会社に雇われていて、僕は三輪車の助手してたわけ。そしたら、グランドを通りかかったら、グランドでおおい言うて、止まれ言うから誰だろう思ったら、自分の会社の馬車の担当をしてる人だったの。で、人手が足りないからちょっと手伝ってくれって言われて、行ったところで私が事故に遭うわけ。それは明らかに人災なのね。片一方、このレールがあるとすると、これを持ち上げるのに、15、6人の元気な人の力が要るわけ。下から片一方だけを持ち上げる。これをこう持ち上げるの。そのくらい重いもの、鉄だから。それを13人か4人ぐらいでやったの。だからぎりっぎりなのね。で、僕はこう持ち上げると、僕はちびだから、一番前にいないとぶら下がるようになるじゃない。だから僕は一番前に行け言われてここへ来て、さっと肩を入れるわけ。そしたら、その後ろの人が、ここにこう木を入れて、両側で持ち上げる、2人で。そう持ち上げるほうが効率的に力が入るのね。で、僕のすぐ後ろの人がここへ木を入れて、こちらとこちらをわんしょと持ち上げたわけ。ところが、片一方の人が前の晩に雨が降って、ちょっと地が、

聞き手B:ぬれてた、

近藤:ぬれてたんでしょう。ぬれてたよりも、

聞き手A:ぐちゃっとしてる。

近藤:水が引いたぐらいでちょっと水たまりの跡があった。そこで足が滑ったからいって、肩をぱっと、木をはずしてしまったわけ。そしたら、2人はずしたことになるじゃない。そしたら、もうもたないわけよ。ぎりぎりでやってるから。それで、あとの人はそれを見るわけじゃない。危ない思ったら、ぱっとのいちゃったわけ。

聞き手A:そりゃそうですよね。

近藤:でも、僕は***してると思ったことじゃない。だから1人でその重い鉄のレールを担いで、ここから折れちゃった。ところで、わかったんだけど、肩をはずした人はアル中。

聞き手B:え?

近藤:アルコール中毒。で、アルコール中毒は、その時代、もうあとこの炭鉱は2年で廃鉱、やめてしまうぞと、だから自分でいくところを探せとか言われてたあとなのよ。で、組合は反対してたけども、組合そのものがどうかいうと会社と一緒になって、辞めるんなら仕方がない、だからできるだけいい条件で辞めようっていうようなかたちで、組合そのものが阻止するんじゃなく、もう向こうについてたのね。そういう時代なのよ。いわゆる、石炭が石油に変わるときなの。それで、独身の若い人が自分の仕事も、もう見つからないからっていうので、アルコールはもうなんぼでもあったから、炭鉱には(笑)、チケットさえあれば。だからアル中がどんどんできたときなのよ。そういう時代だったのね。だからその人がアルコール中毒で、その人が肩をはずして、僕の後ろで、で、僕はそれで障がい者になった、あとでわかったんだけどね。だからいわゆる、やっぱり時代ね。時代が労働条件をそんなに過酷にしていったのよ。まあ、そういうことが原因で僕が障がい者になったときには一人だったのね。だから家族も誰もいなかったわけ。だからどうしようもないわけよ。だから、最初に言ったのが、食べるんも食べられなくって。で、客車に乗ってたら動きだして、隣のおじさん見たら弁当食べてるから、じっと見てて、弁当もらって食べて。それで話をするんで。俺は今、出張中だけども、ここへ行けと。ばあさんが1人いるから。ばあさんっていうのが親だったのね、

聞き手A:その人の。

近藤:その人の。で、その人の行く運賃もくれたから、

聞き手B:なんていい人。

近藤:そらあもう、何にもない。食べてもない。何にもないいうことを知ってるから、このくらいあったら行けるから行け言って、お金もくれて。で、行って、1日もしないうちにそのおじさんは帰ってくるんだけどね、出張から。ところが、そのときには悪いことばっかりしてるから。だから、正式の手続きをしようとすると、ぼろぼろっと何かが出てくるんですよ、私の過去の悪いことが。だから着るものも何もかんもないもんだから、子どもだから。だから、そこのおじさんの息子の学生服を、これなら着れるからおまえ、ちょうどいいから着れって着れたんだけども、着たときにボタンが一つもないの。でも、ボタンはまあ、服のほうが問題であって、止めなくてもいいから、学校に行くんじゃないから言ってくれて、それを着て、裁判所へ行くわけ。その前の始末しないといけないから。裁判所の呼び出しにおじさんがついていってくれた。

聞き手A:いいおじさんですね。

近藤:それはすごいおじさん。その代わり、その息子と一緒に仕事をしてるときに、僕は障がい者になるのね。息子が運転して、私が助手で。だから息子は非常に責任を感じて。本当に茶断ち塩断ちのようなかたちで。でも、そんなことでよくなるはずがないじゃない?で、人懐っこいっていうんかな、僕が。で、一生懸命仕事するもんだから、こいつは親もないから何かいい仕事があるといいなと親方も思ってくれるの。で、いい仕事をしたら、ずっとまじめにしてたら、お正月などは、ズボンも服も新しいのをそろえて、これを着よってくれるわけ、給料とは別に。じゃあ、ある日、夜になると、げた屋さんがやってるの。表の商店街はげた屋さんで、その裏が運送業をやってる。で、昼は僕、運送業のそういうことを手伝って、夜になると、ご飯食べたらすぐ前鍵をかけて、げた屋さんに出て、店に出て、お客さんの接待するわけ。

一同:(笑)

近藤:で、それは仕事じゃないじゃない?だからそんなことしなくってもいいのを、好きだからしちゃうわけ。だからなおさらお店が助かるから、秀夫ありがとうな、1年よく働いてくれたないうて、ズボンと服をくれるわけ。ところが、途中から真ん中の兄貴も馬車引きになってそこへ雇われるんだけど、その兄貴は馬車引きで元気でしょう?だから兄貴のほうが中心になって馬のことをやり、で、僕が草刈りに行ったり何かして馬のえさをやったりするわけ。ところが兄貴は、容量がよくないね、知的だから。だから元気な体で大きな体なのに、あいつは仕事をしないと。弟の秀夫だけがよく仕事してるっていって。で、目が僕のほうに向いちゃうのね。だから悪いんだけど、兄貴は楽をしようとするわけよ、2人のときは。秀夫、これせえとか言うて。で、僕は何の気なしそれをやっちゃうと、おまえはあれは兄貴がやってたのに、秀夫に今は押しつけてやらしてるというんで、兄貴の立場がよくなくなっちゃうわけ。だから2人で仕事をすることはあまりよくないのね。僕は要領がいいんじゃないけども、普通どおりやってるんだけどね。

聞き手B:知的の人はなかなか要領までいかないもんね。

近藤:だから悪いことをした時代はある。でも、それは本当に食っていけないとき。しかも、兄貴が、兄貴っていうのはその頃の私の兄貴の友達ね。兄貴はいなくなっちゃうわけ。兄貴は給料日に兄貴が給料持って、住宅に帰ってきて、それで僕たちが生活するというこの3人。

聞き手B:男の子3人。

近藤:おふくろが私にある日、どうもこのまま生活続けて(?)いけないから。だから私は鹿児島に帰ろうと思うと。ついては、あとの上の2人に言ってもだめだろうから、秀夫、おまえはまだ年が低いんだから、12のときね、これが、だから一緒に帰らないかと。もうそのときには僕に妹があったの。だから妹がまだ小さい、2歳のときだったから、妹と一緒に3人で帰らないかとおふくろから言われたことがあるの。で、そのとき悩んだのよ。おふくろのほうについていって鹿児島に帰るのがいいか、それとも、兄貴と一緒に残るのがいいか。残ったら、12、15、17なのよ。17の兄貴は、

聞き手A:炭鉱で働いてる、

近藤:働きだして、まだ2、3カ月っていうぐらい。

聞き手B:じゃあ、2番目のお母さんはおたふく風邪で子どもはできないって言われてたけど、

女性C:マサコは鋭いとこを覚えている。

聞き手A:できたんだ。

聞き手B:でも、できたんだ。

近藤:できた。できたというのが、自分の腹を痛めた子どもじゃないというかたちで作った。

聞き手B:何だそりゃ。

近藤:そこまで、

聞き手A:もらったってこと?

近藤:それ以上のことは言わない。

聞き手B:わかった(笑)。

聞き手A:(笑)

女性C:(笑)

近藤:関係のないことで。要するに、腹違いの子どもになるわけね。だって、

女性C:そこはついてくるだろうと思ってました。

聞き手B:いやいや(笑)。だって、

近藤:2回目にきたおふくろじゃない?だから妹は腹違いの妹になるわけね。僕を産んでくれたおふくろは2歳のときに家を出ていったから。それで鹿児島に帰ろうって言ったけども、私が選んだのは、あとに残る、兄貴たちと生活するっていうほうを選んだの。で、おふくろは子どもを連れて、帰っちゃうわけ。あとから私の目の前まで現れるんだけどね。

近藤:そういう時代だったのよ。それで私はあとへ残ったの。ところが、あとへ残っても、12、15、17でしょ。

聞き手A:男の子でね。

近藤:そう。うまくいくはずがないじゃない。で、ちょうど炭鉱がもう、

聞き手A:閉まるし。

近藤:人を追い出すときだったから。仕事を辞めて、2カ月のうちに家を空けたら、空けるということを決めたら、1カ月ぶんの給料をくれたの。つまり、お金を出して追い出すのよ、早く空けないといけないから。そんなことをするんだよ、企業っていうのは。

聞き手A:で、それはお兄さんが持ったんだ(?)。

近藤:それでみんなお金が、先ほど言ったように、チケットがたくさんあって、お金を、現金が少なかったから。みんなやっぱり現金が欲しいわけ。で、その手で、兄貴は出ていくようにして、給料をもらって出ていくようにした、1カ月ぶんのお金をもらって、うちへ帰ってこなかった。どっかへ行っちゃったの。で、あとへ残ったのは知的障がい者の兄貴と僕じゃない。今日が給料日だというのに帰ってこないから、どうしたんかなと思ったら、もうそのまま僕たちの前から、

聞き手A:もうそのあと会ってないんですか。

近藤:私が障がい者になってから会う。で、それから、

聞き手A:大変だ。

近藤:僕たちが急に仕事しないといけないから。

聞き手A:そっからいろいろなことで。

近藤:で、兄貴は兄貴で知的があるから、兄貴の仕事も僕が探さないといけないわけ。で、書類から何から僕が作らないといけないわけ。そういう時期を送るんですよ。

聞き手A:大変だな。

近藤:で、そのうちに兄貴は何とか就職して、そこで寮のようなとこへ入る。で、今度は僕一人で生活しないといけない。そしたら、いなくなった兄貴の友達だという人が現れて。で、生活見てやってくれ言われたから俺についてこい言われてついていくのが小倉なの。北九州の小倉。またそこは戦後がまだ抜けてない時期だから、子どもを集めて靴磨きをさせるわけ、昼の仕事は。で、夜の仕事になったら、また全然違う仕事へ変えちゃうわけ。だからそういうところへ使われるわけよ。だから、子どもだったけど、裏から表まで知っちゃうわけよ。

聞き手A:12歳ぐらいだったらわかりますもんね、

近藤:わかる、わかる。

聞き手A:いろんなことがね。

聞き手B:何か、

聞き手A:すごいな。

聞き手B:これ、書いて、テレビの台本になりそう。

近藤:そんなん、なりゃしない。

聞き手A:(笑)。ドラマになるね。

聞き手B:うん。戦後の。

近藤:それはこの中に入ってないんよ、年代は。そういうことがあって、そして、その仕事が落ち着いたと思ったら、けがをするわけ。で、その前に僕を雇った親方は、商店街の役員か何かをしていて、げた屋さんね。で、アイスキャンデー屋さんが3軒ぐらい向こうの商店街に並んでたの。で、そこにも女の子ばっかりのきょうだいがいて。そして、何番目かに障がいを持った女の子がいたんだ。だから、女の子ばっかりだったから、誰か婿を取らないといけなかったのね。だから何番目の子に、おまえのとこのあの秀夫、一緒になる気持ちないかなとかって言われたらしいの。

聞き手A:よく働くし、

聞き手B:障がい者になってから?

近藤:いいや、まだ元気で働いてるとき。昼は馬車引きして、夜はげた屋さんでいらっしゃいませってやってるときよ。そしたら、あれなら特に親もいないし、

聞き手B:いいよって。

近藤:本人がいいって言ったらそれでいいんだろうから。それで割合まじめだし、いいよってこう言って、秀夫、そんな話があるがどうするかいったら、親方がよかったらいいよってそれで任してたわけよ。だから全部任せるわけ。だって、自分の兄弟も誰もいなくなっちゃって、身内もいないんだもん。だからいいよ、いいよしかないわけ。いいよって言う人生っていうのは悪いほうにいかない。

聞き手B:(笑)

近藤:だって、うちへこないか?っていったら、いいよって言う。

聞き手B:私、一回それ、何でもいいよって言う(笑)。

近藤:うちへこないか?って言ったら、いいよ、私と一緒にならない?言ったら、いいよ。

一同:(笑)

聞き手B:それで一緒になったの?

近藤:いや。考えてみたら、果物屋さんとついてるの。いわゆる、青果業、親の家が果物。

聞き手B:その女の人?

近藤:いや、それは1人や2人やない。岡山から来た果樹園っていったのは梨屋か何かの人がある日来て、僕が障がい者になってからよ。タッパーウェアって書いてあるとき。来て、結婚したいと私に急に言うの。

聞き手B:(笑)

近藤:その人は元気な人よ。で、紙を出したから何だろう思ったら、学校の校長先生か誰かが書いてくれた紹介状のようなんを持ってる。で、私が知らないのに、この子を保証するっていう紙を持ってる。それと、そこも果樹園できょうだいがいて。その女の子は1人で、あとは男の子ね。そしたら男のきょうだいが、年間このくらいの収入の果樹園を持ってると。で、これは私たち男が2人でやるから、売り上げは三等分して女の子にやる。だから女の子には1年でこのくらいのお金が必ず入るからという、そういう誓約書のようなもんを持ってきていた。そのタッパーウェアのときだ。

聞き手A:何ですかね、それ。

聞き手B:12歳のときに、親方が紹介してくれた女の子は、

近藤:そこはキャンデー屋さんなのよ。

聞き手B:それは結婚しなかったの?

近藤:いや、

聞き手B:12だし、できないか(笑)。

近藤:そのとき俺、元気じゃない?元気だから、いいよってこうやってやったわけよ。ところが、その後、最後、けがするじゃない。ほいで入院してたら、もう忘れてしまうよ、いいよっていって言ったんが。

聞き手B:12歳だしね。

近藤:そう。そしたら、12なら、12じゃない、

聞き手A:16か。16でしたっけ、けがしたとき。

近藤:16か。

聞き手B:じゃあ、キャンディー屋さんの。

近藤:それでキャンディー屋さんの親方はその女の子を連れて病院へ来て、婿殿だから、もう***になった婿殿ではない(?)、だから迎え来たって言うからびっくりしちゃって。いや、あれは元気なときの話なんで、私は全然動けなくなってるから。だからその話は確か親方から聞いたことはあったけども、

聞き手B:なしにっていうことですね。

近藤:なしにしてくださいって断ったの。だからもう1人になっちゃった。

聞き手B:よかったね、そのとき結婚しなくて(笑)。結婚してたら、樋口恵子さんと(笑)。

近藤:そんなことはまじめにやってたら、いっぱいあるのよ。で、いいよ、いいよって言ってたんだけども、結局はいいよ、いいよが樋口恵子さんに落ち着いちゃったわけや。

聞き手A:(笑)

聞き手B:そのときは近藤さんからプロポーズしたんでしょ?

近藤:もちろん。

聞き手B:いいよじゃないじゃん(笑)。

聞き手A:決めるときは決めるんですよね。ここぞっていうときは(笑)。

近藤:本当に僕はそういう人生なの。だから人生っていうのは不思議なもの。

聞き手A:じゃあ、大分の太陽の家にいくときは、福祉事務所の人の話で行ったんですか。

近藤:そう。太陽の家というのは、太陽の家じゃない。

聞き手A:太陽の家じゃないの?

近藤:ではないよ。

聞き手A:中村先生って太陽の家作った人だと、

近藤:中村先生はまだまだあとのこと、知り合いになるの。

聞き手B:そうだよ。何か早いなと思った。

近藤:日本の障害者福祉法の体系っていうのは、一般障がい者のために施設を造ったいう歴史じゃなくって、傷痍軍人のため、

聞き手B:そりゃそうだ。アメリカもそうだもんね。

近藤:傷痍軍人のために造ったけども、傷痍軍人が亡くなるでしょ。なら、一般の障がい者を入れだすのよ。その入れだしたときの切れ目に私がいるわけ。そういう時代なの。

聞き手B:でも、近藤さん、自分が事故で障がい者になったとき、動けなくなったって知ったとき、どう思ったんですか。覚えてる?

近藤:ものすご覚えてるよ。あれは一番幸せになったときだ。

女性C:(笑)

聞き手B:まじっすか(笑)。ご飯が食べられるから(笑)。

近藤:そう。

聞き手A:寝ててもご飯が出てくるって、

聞き手B:でも、

近藤:本当そのとき、目が覚めたときに、ここどこだろうと思ったわけ。いつもわら小屋だったから、馬車のわら小屋が寝床だったから。で、冬寒くなったら、炭鉱っていうのは24時間大きな風呂があるわけ。この部屋よりももっと大きい風呂がある。だって、真っ黒い人が入ってくるでしょう。炭鉱は3交代で上がってくるわけ。

聞き手A:みんな真っ黒。

近藤:普通の服を着て仕事に出て。で、仕事場にはこのくらいな自分のスペースがあって、そこに服を脱いで入れて、そこに入ってる作業着を着て、それで仕事場に行くわけ。

聞き手B:***も?

近藤:もちろん。全部。真っ黒だもん、本当に。そして、上がってきたら、それを持ってそのまま家へ帰らずに、風呂に入って。で、全部を着替えて、

聞き手A:家に帰る。

近藤:それから家に帰るの。

聞き手B:その汚くなったのは自分で洗うの?

近藤:誰が。それは家族のある人は奥さんが洗うんでしょう。

聞き手B:そのときは近藤さんは自分で洗う。

近藤:私は地下には入らないじゃん。真っ黒にはならない。

聞き手B:人車だった。

近藤:そう。重要な仕事だからね。だからそういう時代なのよ。

聞き手B:で、気づいて、

近藤:気づいたら、白いシーツの中で寝てるんだよね。

聞き手B:わらの上でなくて(笑)。

近藤:わら小屋じゃなくて。で、上を見たら天井があるじゃない?おっと、これはどこだと思って、一瞬何かわかんなくなっちゃう。ただ、ぱっと、ああ、そうかと思い出す、ここは病院なんだと思うわけ。ようし、しめた、この生活は絶対逃さないぞと。

聞き手B:本当?

近藤:だって朝昼晩ご飯がくるんでしょう、寝てたら。それで付き添いさんもつけてくれるし。足が動かなくて寝てるっていうだけなの。まだ痛みも何にもないから。ところが、確か1週間ぐらい意識がなかったのね。

聞き手A:そんなに。

聞き手B:そんなになかったの。

近藤:そう。そして目を覚まして、そっからどのくらいたったときだろう。朝、回診が必ずあるじゃない?お医者さんにいつ退院できるんですかって聞いたのよ。そしたら、いつ退院どころか命がない。だからいつ退院どころじゃないのよ。おまえの命はこのくらいだよって言われたの。それが2年だったの。2年から長くて3年って言われたけど、何で?っていうようなもんだな。ただ、足だけは動かないよ。で、上はどうもなくて、背(?)はどうもない、口はどうもないわけ。でも、それほど重いわけ、脊髄を折るっていうことは。しかも、折ったところが上のほうだったから。だから先生が2、3年って言われたの。長く生きて3年。

聞き手B:それ聞いたときは落ち込んだ?

近藤:落ち込むよりも、何で死ぬんだろうかと思うわけ。だって、結果が脊髄が折れただけであって、ご飯もよく食べるし、おいしく。ああ、そうですかっていう感じで、そんな気は全然ないじゃない。そしたら、そのまま生きてるんだよな、まだ今。もうそれから六十何年たつのに。不思議でしょう。僕に言ったお医者さんのほうが早く死んでるよ。

一同:(笑)

聞き手B:じゃあ、とりあえず障がい者になったって気づいても、落ち込むことはなかった?

近藤:全然。

聞き手B:(笑)。いい。

近藤:落ち込むどころか、生活がばーんと上がったんだよ。それを僕は人によく言うんだけども、あそこ(?)にも書いてあったりするけれど、あの落ち込むっていうのは、もう前の生活に帰られないと自分が本当に思ったとき、がーんと落ち込んで***。だから足の骨折ぐらいならどうもないわけ。ただし、脊髄損傷っていうのは、もう決定的な、特にその時代はまだ医学も何にもない、スポーツもない時代だから、もう廃人になるということを意味してたの。

聞き手B:でも、それでも落ち込まなかったんでしょう?

近藤:だって、食べられるんだもん。***できるんだもん。それのほうがどれだけいいことか。

聞き手B:それほど、その前の生活が大変だったってことか。

近藤:だって、夜、馬小屋のわらの中で寝るんだもん。で、冬で寒くなったら、その大きい風呂が24時間あるでしょ?それを沸かすのはボイラーでしょ。ボイラーの上にいたら、ネコもイヌもいるけれど、ちょっとのいてもらって一緒に寝せてもらえるわけや。

聞き手B:あったかい。

近藤:あったかいよ、ボイラーの上は。そういう生活をしてたから、それがどんだけ高いレベルに上がったことか。

聞き手B:すごいね。

近藤:そこがポイントなのよ。そこで不幸になるか幸福になるか。私の場合は、生活が安定したんだから。しかも、生きてる間、これは絶対、

聞き手B:大丈夫って思った(笑)。

近藤:大丈夫と(笑)。だから絶対、この生活を逃さないぞと思ったら、逃れなかった。障がい者だった。

聞き手B:(笑)

近藤:もう十分、障がい者だった。でも、障がい者っていっても、障がい者になったら、じゃあ、生活はよくなるかっていうけども、病院から退院するときなかったからね、ずっとフォローが。誰も迎えに来ないし。あ、迎えに来たんだけども、それは元気なときの結婚相手の。だからそれを断ったからもう誰も来ないのよ。そしたら、福祉のおじさんが来て、近藤さん、あんたのことは病院から相談があって私が来たけれども、どうするかいと言われたときは、福祉法ができてちょっとしてから。で、その人に聞いてみたら、あんたのような人は初めてだと、ケースで持つのは。だから何があるかわかんない、どうしたらいいか私もわからないから、勉強さしてくださいっていう。

聞き手B:1人だったんですか。

近藤:で、その人が勉強したら、ちょっと前から障がい者の施設が入れるようになってるって。それが傷痍軍人と切り替わるときなのよ。障害者福祉法ができて、前の傷痍軍人のためにできた施設が、ぼつぼつ、何でしょうか。

聞き手B:はい。でも、基本、いい人だよね。障がい者になって退院するときに迎えに来た、

聞き手A:アイスキャンディー屋?

聞き手B:アイスキャンディー屋さん(?)断った、普通だったら、障がい者になったけど、生活のために結婚しようとか思わなかったんだ(笑)。

近藤:生活ができないじゃん。

聞き手A:働けないからね。

聞き手B:自分が働けないかららか。

近藤:***だけで、全然寝たっきりで、膝の関節も、ここも固まってしまって、棒になってしまったの。元気な人たちというか、ほかの人たちは奥さんが来て、先生が言われるように、朝必ずマッサージをして関節を動かしてるけど、私は来る人がいないんでしょ。だから誰も私の関節を動かしてくれないから、3カ月たったら棒になってしまった。でも、それよりも、食べられるほうが、安心して寝られることのほうがやっぱり幸せだったのよ。はい、そこまで。

(音声終了 00:38:38)


*作成:中井 良平
UP:20200411 REV:20200520
近藤秀夫  ◇ひぐち 恵子・樋口 恵子  ◇障害者運動|Disability Movement  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇障害者(の運動)史のための資料・人  ◇WHO
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