近藤秀夫氏インタビュー、その2(2020年1月、全3回)
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近藤秀夫氏インタビュー、その2(2020年1月、全3回)


2020年1月22日 聞き手:聞き手A、聞き手B 話し手:近藤秀夫、樋口恵子、男性C、男性D





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近藤秀夫氏インタビュー、その1(2020,全3回)
近藤秀夫氏インタビュー、その3(2020,全3回)

近藤秀夫
ひぐち 恵子・樋口 恵子
近藤氏・樋口氏インタビュー
NPO 法人 自立生活センター 土佐の太平洋高気圧 [外部リンク]

障害者運動|Disability Movement
全国自立生活センター協議会(JIL)
日本社会事業大学社会福祉学会
町田ヒューマン・ネットワーク (東京都町田市)

生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築→◇インタビュー等の記録
◇文字起こし:おとおこし.com 66分

■本文


■■

樋口:意識するためにっていうか、常同行動って常にする行動っていうことでこうやってやって、目の前の雰囲気を変えるっていうか、動くっていうことを確認してるわけでしょ。

聞き手A:そんなのやってなかったですね、こないだ行ったときは。

近藤:もう今、***。

樋口:十何年前まではそれをやるだけ。だからここに爪の跡がついてるぐらい。ぐらい、それしかやってなくって。あとは、自分から出る行動って何もなくて。もちろん、痛かったら痛そうな顔するだろうし、心地よいか心地悪いっていう表現はわかるっていうか、周りの人がね。

聞き手B:表現で?表情で?

樋口:うん。

近藤:いや、最初は寝たままだったのよ。ところで、この人たちはわからないんだというようにみんな言うから、誰だって何かの表情はあるはずだっていうので、じゃあ、近藤さん、やってごらんって言うから、座らせるわけよ、起きて。座らして、斜めにするわけ。そしたら、不安定で、このままじゃいつ倒れるかわからんから、嫌だから、顔をちょっとしかめたようになるわけ。ほら、この顔が嫌だという顔なら、こうして座って落ち着いたときには、いい顔してるわけだよね。これはいい顔だよって。だからないことはない、コミュニケーションがまだわからないだけだっていうのを最初に言ったのよ、僕が。そう。それが最初だったの。で、どうしたら、じゃあ、悪いって、嫌だって言ってるんがわかるんですかと言うから、それはもう、本人が嫌がることが一番いいんだよなって言って、ちょっと座らしてみようかいって座らして、斜めに倒したら、不安定だから。だからちょっとの間は任せっきりだけど、長い間したら、本人が嫌な顔するわけ。ほら、どうやらこれが嫌な顔らしいではないかっていうところから始まったのよ。

聞き手B:で、その人、今、1人で暮らしてんの?

聞き手A:うん。町田。

近藤:いや、もうすぐ、

樋口:お母さんが、

近藤:もう1人で暮らして長い。何十年かになる。

樋口:公営住宅を出て、別に男の人と暮らしてるのか何かわかんないけど、

聞き手B:お母さん?

聞き手A:お母さん家出てる。

樋口:何となく言える(?)でしょ?ぽいでしょ。

一同:(笑)

樋口:それで、本人はヘルパーが24時間体制でついて。だから今日は何を着ようかとか言って、いろんな服を出して、これ着ようねとか、常に彼女に語りかけて。で、一緒に出かけて、お買い物してとかかわいくしてとかっていうふうに働きかける。施設だったら、管理するだけだから食べ物与えて、排泄整えて、それだけしか世話してくれないわけじゃない。それがそうじゃなくって、日常の細やかなことを介助の人が働きかけでっていうような中で、彼女自身は育ってったんじゃないかな、内面性が。

聞き手B:今いくつ?

樋口:42って言ってた。

聞き手A:そうそう。42、43かな。

聞き手B:すごい。それは***、

聞き手A:***。

聞き手B:何か大変とか、

聞き手A:大変っていうかわかってない、いろんなことがね。

聞き手B:耳とか目は見えたり聞こえたりするの?

樋口:どうも見えてるとは思う。それでこないだ近藤さんがしゃべってて、それで、タカハシサキヨちゃんの話をし始めたら、2人でヘルパーさんが一緒に上げてきて、抱いて、座ってたら、あんたちゃんと言ってよみたいな感じで見てるし。視線当てて。

近藤:彼女のこと話してたら、うん、うん、うんってうなずく。ずーっとうなずいてる、気持ちのいいときはずっと。うん、うんってね。

聞き手B:お母さんは捨てていっちゃったってこと?

樋口:ううん。お母さんは距離を置いて見つめてるし、

聞き手B:お父さんは?

樋口:お父さんは、別れちゃった。

樋口:彼女が生まれた時点で別れたのかな。弟が生まれて別れたのかな。

聞き手A:小学校ぐらいって言ってました。小学校ぐらいになってから。

樋口:やっぱり対処の仕方で、施設へ入れるとか何かもめたんじゃないの?夫婦で。それで、サキヨと生きることを選ぶっていう感じで。

近藤:僕がワーカーをしてた頃、重度心身障害児を抱えるお母さんたちが、その頃は4家族ぐらいかな。夏になったら、サマーキャンプをやるのよ。それは、僕たちが自立、自立といってるけども、うちの子にとって自立はあるのかいうことを僕から聞き出したい。それで僕は役所にいるから、それならあなたにそれをやってほしいというのが親たちの気持ちだったのよ。それを何年か続けたの。で、僕はもう最初から、この子たちにとっても自立はあると言い続けてきたわけ。しかし、そのときに自立があるって言い続ける根拠はまさにどこにもないわけよ。だからどっからも出てなかったのね。だから僕はある、ある、あると言いだして。で、ワーカーだったから、じゃあ、あなたがそれを実行してほしいという親たちの希望が全部が集まってきてたのよ。そういう時期だった。で、その1号になったのよ。で、僕は保育園も担当してたから、その頃は重い子は保育園に入れなかったのね。でも、僕が担当してる保育園はその子を預かったわけよ。そしたら今度はその親が、学童保育まで狙ったわけ。仕事をやりだしたけども、もっと時間が必要だから。で、学童保育は保育園の2階にあったのよ。で、そこも、そういう感じで僕が送り込んでたもんだから、近藤さん、頼むってまた来たわけよ。だから何とかかんとか頼み込んで。それが全部、重度障がい者の1号なのね。保育園に入れたのも1号だったし、1号、1号、1号って彼女も1号の道を歩んだのよ。で、そのときに、障がい児のための住宅、東京都の都営住宅があって、そこに申し込んで、親子で入ったの。そしたらあるときに、この子はこの子のためにここの住宅は借りられたんだから、ヘルパーがきちっとついたら、親はいなくても生活できますって。そう言って、親は引いていったわけよ。

聞き手B:すごいね、お母さんも。

近藤:それで、それを作り上げていったわけ、そのヘルパーは。だからずっとその子につきっきりだった、ある時期はね。それと、ヒューマンも作ったでしょ?僕たちが。だからそこで育ったヘルパーを、ヘルパーもそこで育ち、それからここにまた連れてきて、特別な訓練が必要なのね。

聞き手A:そうですよね。チームでやってたっておっしゃってました。ツツミさんも来てくれたんです、話しに。

近藤:その特別なというのは、今の僕にもまだここでつながってるのよ。つながってるというのが、彼女の場合は、やっぱり僕はそうやってずっとお母さん方と一緒に作ってきただけに、到達点を僕は出さないといけないのよ。現場では、もういけることにいっぱいなっちゃうじゃない。例えば、相模原事件にしても、僕は当事者じゃない。だから、その彼女、重度心身に自立はあるんだということを言い続け、実践してきた僕としては、そこまで持ってきた到達点というのは、なぜかヘルパーはどう彼女を捉えて、彼女はどうヘルパーを捉えてるかっていうようなことまで、現場では今まではもう考えないのね。考えないけど、僕は作り上げた本人だけに、考えちゃうのよ。だから、

聞き手A:どうやって教育したんですか。意思をくみ取るのが難しい人の生活を支えるっていう。

近藤:それは制度は自分たち、僕は役所にいたでしょ。だから制度は制度。それからヘルパーを育てるのはヒューマンじゃない?で、そこにも僕がかかわってるわけじゃない。それから仕事の中でも重度障がい者を抱えてる、ニーズとそれから供給と、それから質と、全部にかかわっていながら、新しい分野を作り上げないと、ないわけよ。だから何とかかんとか自分で新しい考え方、こういうこともあり得るんじゃないか、あっていいんじゃないかというようなことを組み合わせながらやるより仕方ないじゃない。だって誰もいないんだもん。誰も言わないし。でも、僕は国の制度が本当にヘルパーのような介助者を育てるのなら、本当に介助者がきちっとできたときには、指示しなくっても生きることは保障されるでしょ、法律的には。だから本当にそれをきちっとやったときにはできあがるはずなのよ、住宅問題にしても年金問題にしてもすべて。だけど、本人が何も言わなくっても、きちっと支える体制は日本なら取れるはずだ、取れないといけないというところに置かれたわけ。取れるはずじゃなくって。で、役所にいるから自分でやらないといけない。ヘルパーも何とかかんとか育てる立場にもある。法律は自分で使う立場にもある。だから自分の考え方を、

聞き手A:いっつも言うけど、気になるのは自己決定のところなんですよ。自分で決めるっていうのが自立生活の一番大事なところかなと思って、彼女の場合、そこはすごく弱いでしょう?

近藤:いや。

聞き手A:それをどういうふうにヘルパーがやってるかなと。

近藤:それは違う。もう僕は超えた、そこ。弱いでしょっていうのは、本人が弱いと取るんでしょ、取るほうが取るのよ、ほら。だって、本人は何を、生きてることそのものを保障するんが国の、憲法の中でうたわれてるわけ。そうでしょう。そしたら、今、言ったあなたの言葉は、あなたがまだ構築されてないから、あなたの中で。

聞き手A:そう。そこが疑問なんですよ。

近藤:私は構築しました。全部を、本当に全部がこの国の憲法を基本にして、生きる権利がきちっと保障されていたら、それで、仕事をする人がきちっと仕事をして、何のために仕事をしているかというところまで教育ができたら、できるということを実践したのよ。だからそれは今でも僕の中で深く残っていて、今でも本当に本人が生きるとうことはどういうことかとか、本人は何によって生かされているのかとかいうようなことが、どうやらきちっとかたちができてきて、今なら講演できるようになった。

聞き手B:確かに、今、あなたが言ったのは、あなたの考えであって、タカハシ何とかさん、

聞き手B:サキヨちゃんが本当にどう思ってるかなんて、実際わかんない。正直言って、近藤さんだって本当はわかってないかもしれないけど、

近藤:いや、わかろうにもわかるはずがないじゃん。

聞き手B:そうそう。

近藤:しかし、なぜ現実に生きるということが保障され、継続されていくかというのは、それだけのものがこの国にもうあるのよ。あるの。ある。それを使いにくくしているから、または使えなくしてる諸事情はあっても、きちっと純粋に精査していったら、裏づけも取れるのよ。裏づけ、本当に最近、そんなことを現場から離れたときに、僕は歴史が好きになったのね。歴史の中から学んだ。そしたら、やっぱり生きる力は本人の中にある。だって、心臓は人が動かすもんじゃないでしょ。本人が動かしてるわけじゃん。そこが一番元で。人が人から動かしてもらわなくっても、命だけは、心臓だけは動いてる。ほかのもろもろのことは、やっぱり人間が、文化とか何と何とかいうのはやっぱり楽しく生きる人類の知恵でしょ?楽しく。そこには自分の体を守ることも含めて。戦争が起こったのもそうだったし。福祉ができたのも、やっぱりそういうことが元になってる。そんなものを純粋に考えて、人類がこれだけ長い間生き続けたことを評価できるのなら、今、私たちはそこまでもう行き着いてるはずだと。制度から何から全部作ってきた、純粋に制度を判断すると。時によって何々がこうだから時代が変わったとかいうけれども、本当の歴史は人類が豊かに生きる、楽しく生きるために、歴史は繰り返され、繰り返されてきたわけよ。制度ができ、それから文化が華やかになるのも全部そうでしょう。だからその元に帰って、彼女の生きる力と、それから人類が今まで積み重ねてきた制度であり、法律であり、いろんなものを組み合わせたら、彼女は正当にきちっと生きる。それで、生きているいうことに、周囲がこの人たちでもこれだけ生きられるじゃないかということにまた力を得て、次の時代を作るわけよ。だから何もうるさいことを言わなくても、本当に純粋にものを構築するっていうことが可能なら、彼女は生きている今を認めざるを得ない。誰も殺すはずがないんだから。そしたら、生きるのよ。そこには純粋じゃなくちゃだめよ。

聞き手A:近藤さんのその哲学っていうか教育っていうか、そういうのをちゃんと町田の中に残して伝えていくっていう手段が難しいですよね。でも、先ほど言われて、IL系は、自立生活運動をやってる人たちはほかの人たちとの何かを作るようなことにもうちょっと力が出てきたらと、向こうが言ったんか、言ったじゃない?そういうことではなく、今、言うようなところにこそ、僕は当事者として、突っ込んでいくべき、歴史をほじくり返して、生きるということを広げて、底辺を広げていって、生きることの価値っていうものを作り上げることこそのほうが、ILに合うんだと思う。どことタイアップして何々を作るよりも、僕はむしろ、そういう先ほど言ったあの子、あの子の生きる価値っていうものを本当に地域に実態として作り上げ、それを増やしていくことのほうが、ほか、誰もしないことなのよ。それで待ってても、歴史がしてくれるようなことじゃない。それこそ、当事者が力を入れてやるべきことだろうと。というように僕は捉えてるのね。だからIL運動にはIL運動の道がある。はっきり言えるわけ。僕は思って言ってるわけよ。

聞き手B:でも、今、町田ヒューマンネットワークは、外から聞こえてくるうわさだけだからよくわからないですけど、運動体の側面が薄まっちゃって、事業体、事業所になっちゃってるっていうのを聞くんですよ。でも、それは町田だけじゃなくて、

近藤:いや、それはもちろんだろうと思うよ。でも、いつ頃か、市町村障害者生活支援事業というのが、

聞き手B:九十何年、

聞き手A:96年のやつですか。

聞き手B:6年か。

近藤:はい。これなどがやっぱり作られた範疇のときなど、僕もそのとき現場にいたから覚えてるんだけど、これなどがやっぱり障がい当事者に及ぼした影響は、人が自立、自立っていうように制度を作るよりも、こんなのを作るほうが一番よかったね。これはものすごい。本当に重度の障がい者が生き生きした。だから本当は今から僕のような考えを持ってるのが、ILなどへかかわるほうが基本がもっと固くなるんでしょうね。だけど、そんなことしてたんじゃ、

聞き手B:なかなかいないっすよ、そういう人(笑)。

聞き手A:(笑)

近藤:いや、でも、そんなことしてたんじゃ本当に体がもたないから、やっぱり時代はそうやって変わっていくんだろうと思うけどね。

近藤:だからすっごくいいところに僕はいたのよ。いい時代に。

聞き手B:そうですね。

近藤:そのはざまでね。で、役所だし。普通の職人ならまたできなかったのよ。しかし、僕は市長に雇われた職員だから。1人雇われた職員だよね。で、市長にやりなさい、それをって言われるわけ。それをやるのはあなたしかいないんだと。ほかの職人にやれ言ってもやれないから、

聞き手B:何か特命みたいな。

近藤:そう。それに近い雇われ方。だから本当にいろんなことを手がけて。いい時代なのよ。金は使わしてくれるしね。でも、僕の視線は軽いほうじゃなく、重い障がい者にいったのよ。

聞き手A:サキヨさんとか本当にそうだもんね。でも、何か90年代ってよかったよね。私も恵子さんとJILで働いて、すっげえ楽しかった(笑)。

聞き手A:(笑)。恵子さん、JILにいたのっていつからいつですか。九十、

樋口:90年から、

聞き手B:で、私が入ってきたのは、96年とか95年とか。

樋口:88年以降か。89年か。

聞き手A:全国自立生活センター協議会ができたのは、91年?

聞き手B:91年。

樋口:はい。

聞き手A:そんときは誰がトップでしたっけ。

樋口:ヤマダさん、名古屋の。

聞き手B:ヤマダさんだよね。

聞き手A:で、副でいらしたんですよね。

樋口:副代表で。で、5年後かな、私が代表になったのは。

聞き手B:恵子さんが私に電話してきて、いつだか、私が電話したのか忘れちゃったけど、マサコ、いいかげん、障がい者のことやりなさいよみたいなことを言ってくれて。

聞き手A:それが96年?

聞き手B:いやいや、もっと前。

樋口:91年ぐらい?

聞き手B:93年とか4年とか。で、私、日立って安定してるじゃん、収入源としては。

聞き手A:そうですね。大企業だ。

聞き手B:だからそれを捨てるのに2年かかった。

聞き手A:(笑)

樋口:だって、毎日はんこばっかり押してるとか、

聞き手B:いやいや、日立のときはそうではなかったから(笑)。西友グループのときはそうだったの。

聞き手A:日立の前が西友だったんだっけ?

聞き手B:そうそう。で、日立になって、コンピューターの使い方を教わったりとかしてて、

聞き手A:パワポ習ったとか言ってたもんね。

聞き手B:パワポだけじゃないけどさ(笑)。ExcelとかWordとか。でも、やっぱし障がい者雇用で入ってたから、ほかのおんなじ年代の人と昇進の具合が全然違って。で、やだなと思ってたところに恵子さんからそうやって電話があって、どうしよっかな、どうしよっかなって、2年(笑)。

聞き手A:そのときは恵子さんは誘う気満々だったんですか。

聞き手B:いや、どうなんだろうね。

樋口:だってせっかくアメリカで障がい者運動の基本を学んでるのに、そんな一般企業で誰でもできるようなことするのはあまりにもったいないと思い。社会保障からすれば、全然。私の今の年金が13万しかないというようなもんですから(笑)。

聞き手B:でも、ちょうど恵子さんが代表になるときに移ったんだよ、私。

聞き手A:じゃあ、じゃあ、タイミングはむしろよかったかもしれない、そのときに。

樋口:95年か。

聞き手B:95年とか6年とか。

樋口:そのくらいだね。

聞き手A:そのときに事務局に入った、

聞き手B:そうそう。ただの事務職員で、給与は半額になり(笑)。

聞き手A:(笑)事務局長っていうのはいたんですか。

聞き手B:は、高橋修さん。

聞き手A:修さんがそうだったんだ。

聞き手B:強烈だったね。

樋口:強烈だった。

聞き手B:でも、あの人がいたおかげで随分進んだんだと思うよ。

聞き手A:ちょっと怖かったね(笑)。

樋口:ちょっとじゃなかったね。

聞き手A:何か私、東京都の何かの会議に行ったときに、高橋さんがいるとすごい怖かった思い出がある。何か傍聴に行ったんですよね。そしたら、高橋さんがうわって出てくると、雰囲気がうわって変わって。逆にふって構えるみたいな感じで(笑)。面白かったけど。

聞き手B:私、日立から辞めて、JILに転職したわけでしょ。で、新人歓迎会のときに泣かされちゃって。

聞き手A:高橋さんに?

聞き手B:恵子さん、あのときいたっけ?

樋口:いたと思う。

聞き手B:もう1人、私、

樋口:いやいや、そのときじゃないかもね。

聞き手B:同期がいて、同期っていうか何だっけあの人。CP(?)のかわいい子。名前忘れちゃった。

樋口:オカダ、

聞き手B:そうそう。オカダ何とかちゃん。

樋口:チエちゃんですか。

聞き手B:チエさんっていう人がいて、彼女のことを修ちゃんは大のお気に入りで、生意気な私はちょっとすねてて、すごい当たられて、新人歓迎会で泣きだしたという。泣かされたというか(笑)。

聞き手A:新人たって、いくつでした?そのとき。

聞き手B:もう38とか9だけど(笑)。

聞き手A:泣いちゃったの?

聞き手B:転職してきたわけだから新人じゃないよ。

聞き手A:まあ、そりゃそうだけど(笑)。

聞き手B:一方で、若いオカダチエさん、若かったよね。

樋口:オカダチエさん、今、広島にいる。

聞き手B:で、すっごい修ちゃんのお気に入りで。何か私、最初に言われたのがすごいショック。自分の稼ぎは自分で稼いでこいとか言われて。意味がわからんかった(笑)。

聞き手A:(笑)

聞き手B:だから結局、どっからかお金取ってこいっていうことだったのね。だけど、

聞き手A:今だったら、日常茶飯事でやってんじゃん(笑)。

聞き手B:そうそう。でも、そのときって日立だって言われたことをやってれば、定期的にお給料が振り込まれるわけでしょ、月に1回。だからそうじゃなくって、JIL、本当にお金なかったよね。

樋口:うん。

聞き手B:今は会費すごい取ってるから、

樋口:いや、取ってもないんじゃない?

聞き手B:いや、取ってるよ。

樋口:そう?

聞き手B:だって、みんなヘルパー派遣とかやってるから、億単位の企業になってるでしょう?

樋口:億単位にはなってるけど、JILはそれからは独立してる、もう。

聞き手B:いやいや。でも、稼ぎの、収益の0.何%とか取ってるから、すごい安定してんだよ、収入源としては。

樋口:そうだね。前よりはね。それは全然違うと***。

聞き手B:だから周りは本当に何も、会費ったって、年2万円とか3万円の世界だったもんね。

樋口:うん。未来会員とか、5000円だしね(笑)。

聞き手B:そうそう(笑)。だから50万とか60万の世界でしょう。だから自分のお給料が欲しければ、どこか助成金取ってこいみたいな感じで。最初は私、全滅だった。1年目。

聞き手A:大変だよな、それ。

聞き手B:でも、キリンさん、よくやってくれたよね、キリン福祉財団。

樋口:そうでしょうね。今もサポートしてくれてるでしょ。

聞き手B:うんうん。

聞き手A:今はJIL代表、誰でしたっけ。

聞き手B:あの人、平下さん、代表は。

樋口:大阪の。

聞き手A:大阪か。眼鏡かけた、

聞き手B:でも、中西さんがまだ絶大な影響力(笑)。それが大変なんだよ。明日そこを聞こうよ。パラリンピックのことと。

聞き手A:そうそう。でも、何で辞めちゃったんですか。ジャスティン(?)が辞めたから?

近藤:そう。僕たちはタッパーウェアに雇われてたと思ってたのよ。で、あとは辞めるつもりはなかったんだけど、***。ずっと続けたら、あるときに役員会で障がい者に力を入れすぎると役員から言われたのよ。ということは、力を入れすぎるいうことは、金を使いすぎる。そりゃあ、金は使うわね。実際はダートが全部負担していたんだけどね。

聞き手A:すごかったですもんね。だって、車買ってくれるとか。

聞き手B:本当?

聞き手A:それから寮も、

近藤:アパートに、

聞き手A:フランス大使館を改良して寮を作ったとか、

近藤:フランス大使館を改造して。で、10人が、

聞き手A:あれ、場所どこですか。

近藤:三鷹。

聞き手A:井の頭公園、

近藤:吉祥寺。

聞き手B:そんなとこに大使館あったの?

近藤:フランス大使館の別邸があったのを、10人の障がい者のために買い取って、そこをバリアフリーにして。

聞き手B:そりゃあお金使いすぎやわ(笑)。

聞き手A:それで、車も、送迎バス、何か買ったとか、

近藤:送迎バスっていうのは、

聞き手A:車椅子用の。

近藤:パラリンピックのために国が作ったリフトバス、車椅子のある、あれを1台買ってくれたのよ、タッパーウェアが。そして、通勤に使わしてくれたの。

聞き手A:すごい、それ。高いよね、やっぱり。

聞き手B:高い(笑)。そこまで一企業が。

近藤:で、料理がフランス料理と日本料理のコック1人ずつが、

聞き手A:***とかって。そう書いてあったそう書いてあって。すごい。それはやっぱり言われて、

近藤:何で見た?そんなの。

聞き手A:それ、NHKか何かインタビューされたのを、ウェブに乗ってたんです。それ読んできました。

聞き手B:何種目出たんだっけ?近藤さん。

近藤:6種目。

聞き手B:何と何と何か覚えてます?

近藤:いや、エントリーしたのだけは間違いなく、自分でエントリーしたんだから覚えてる。あとは、ナカムラ先生(?)が困ったら近藤に言えと。

聞き手B:(笑)

近藤:そら、ゼッケンつけて、たくさんの障がい者を選手にしたんだけど、

男性D?:ちょっと失礼します。

近藤:やれる人がいないわけ、競技を。そういう時代だったから。その点、僕は体が丈夫だったから、あいつなら代替えで何でも聞いてくれるからいって、役員たちに言ってたんでしょうね。だから選手村では、近藤さん、近藤さんって探し回るわけ。で、ほいで、はい、近藤です言ったら、明日、どこどこの競技場に何時に来てくれって言うわけよ。で、何があるんですかいったら、来たらわかる、ナカムラ先生から言われてるだろうって言われて(笑)。ほしたらもう行くわけよ。そうやって6種目になっちゃった。

聞き手B:じゃあ、今のオリンピックセンターのとこに泊まってたんですか。

近藤:選手村はそうよ。

聞き手B:今、すごいきれいになってる。

近藤:そうだね。そう言ってるね。僕たちはでも、一戸建てよ。府中にあったアメリカの家族の家をそのまま持ってきて、ぽんとつけた。つけて、

聞き手B:何を?

近藤:そこに外国の選手を入れたわけよ。で、その人たちがいなくなったら、今度、次の競技の僕たちがスロープを玄関につけてもらって、それだけで使えたの。

聞き手B:じゃあ、6種目にエントリーしたけど、出たわけではないんだ。

近藤:出たよ。

聞き手A:出たのは、

近藤:エントリーは2種目だって。

聞き手A:出たのが多い(笑)。

聞き手B:出たのは2種目で、出たのは6種目?

近藤:そう。エントリーが2種目。

聞き手B:すごいな(笑)。

男性C:すごい(笑)。

近藤:で、ところが、

聞き手A:今、それあり得ないですもんね(笑)。

聞き手B:ないないない。

近藤:***問題ではない。

聞き手B:面白い。

近藤:ところが、あとでわかってNHKの職員に教えてもらったんだけど、今のスポ協に1回目の名簿が載ってるんだけど、その中には、2種目エントリーした片一方の車椅子バスケットの名簿のほうに僕の名前がないっていう。

聞き手B:悲しい。

聞き手A? 逆にそういう。

近藤:だから、出たのは1種目、

聞き手B:になってる。

近藤:アーチェリーだけしか出たようになってないって。あと、近藤さんないよって言われた。

聞き手A:そういう記憶もちょいといいかげんな感じで(笑)。

近藤:それは何回か聞かされたね。そして、事務所の人たちも、そのときのことはもう言わないでほしいと。そういう時期だからということで。

聞き手A:1回目ですもんね。

近藤:そう。そういう時期だったんだ。

■(間)

男性C:今はおらんね(?)。で、結局、現在は1964年の***が出たときの競技者というかパラリンピックに出た方は、もう本当に数少ないというか、

近藤:らしい。で、何人かいるんだけど、

近藤:こうして聞き取りができる人がいなくって、

男性C:聞き取りまでは、

近藤:回っていったら、スポ協のイデさんが、そこが窓口になってて、これはもう、高知の近藤さんしかいない言って。そうじゃないと、割合、元気な障がい者いるんだけど、パラリンピックのことを聞くのなら聞ける人いるんだけど、でも、東京から、近藤さんに回しといたからねって言うわけ。自分たちがいろいろ言うよりも、トータルにそれをまとめないといけないじゃない。それを言える人がいないので、それはもう、高知へ行きなさいと言っといたって障がい当事者から言われた。そしたら今はNHKなど、スポ脇のイデさんから聞きましたと、行くならこっちへ行ってください言われて、近藤さんの電話番号が出てきたってみんな言われるね。だからほとんどの新聞が来たんじゃない?ここまで。全部。それどころか、共同通信まで来たから。そうしたら、山形から秋田から東北とか、ああいうところへ全部流すじゃない。

聞き手A:そうですね。

近藤:だからそういうところによく載ってて、新聞が送られてきたね。

聞き手B:共同通信はそうですよね。地方に流してるもんね。

近藤:この地元の通信も共同通信からのぶんを載せてた(笑)。来たらいいのに来ないで、共同通信使ってたね。

聞き手A:収尿器をご自分で作ったっていう話が出てて。国からきた収尿器を次の日返す、大会が終わったから返すっていったときに、ばらして全部作り方を覚えたって書いてあったから、それ、お父さんの器用なのが近藤さんとこに、さっき話した***いってるんだなと思いましたね。そんなこと普通できないですよね。

聞き手B:収尿器ばらして作り方覚えたんですか。

聞き手A:そして、自分で作ったんだって、そのあと。そして、売ったとかって書いてあって(笑)、商売、えーと思って、

近藤:そうそう。すごいお金になった。

聞き手A:そんなことできないですよね、今。

近藤:そら、すごい収入になったね。

聞き手A:何かシライ(?)もそうだけど、器用なんですよね、だから。

近藤:ものを作るっていうのは好きだね。その前の施設にいたときで習ったのが毛糸の編み物だったから。

樋口:そうそう。私、恵子さんとアメリカでルームメイトになり始めたとき、すっごいかわいいセーター着てて。これ、手編みだねとか言ったら、うん、コンちゃんが編んだのとかって(笑)。

聞き手A:(笑)

近藤:そう。10年間いて、まだ僕が入ったときには施設はそんな作業はない時代だったのよ。だって傷痍軍人のあとだから。そしたら、僕たち、持て余すのよね、時間を。だから何かさしてくれ言うて。で、何をしたいんだって言われたら、その当時割れてた時計の修理がしたいとか、それから印鑑彫りがしたいとかっていうのが出て。で、5人いたのよ、事務所に。で、僕は本当は一番言うほうだったんだけど、一番端にいたら向こうから聞かれたから、一番端でなくなっちゃったの、やりたいということが。

聞き手A:(笑)。みんな違うこと言わなきゃだめだったんですか。

近藤:いやいや、そうじゃないけども、同じこと言うの嫌だと思って。何かないかなと思ったから。あ、そうだ、毛糸の編み物を言おうと思って、毛糸の編み物を言っちゃったの。

一同:(笑)

聞き手A:何でそれが思いつくかが。お母さんがやってたとか?

近藤:毛糸の編み物は何だったんだろう。

聞き手A:だって、どっかで見ないと、何か思いつかない気がする。

近藤:何かわかんない。

聞き手A:しかも、男の人がやろうってすごい。

近藤:毛糸の編み物を習いたいって言って。で、結局、10年間習った。だから国家試験で教師免許三つも持ってるよ。

聞き手B:(笑)。編み物の?

聞き手A:教師免許(?)ってあるんですか。

近藤:あるの。

聞き手B:編み物の?

近藤:何々の流派もあって、その流派が国家試験まで送り込む、生徒をね。で、そこで、今、それがあるかどうかは知らないよ、資格が。

聞き手A:その頃。

近藤:その頃あったの。

聞き手B:今も編めますか。

近藤:手編みなら編めるけど、機械編みは今の機械は知らん。わかんない。だからケイちゃんと一緒になったときには、機械編みの機会を3種類持っていた、僕は。

聞き手A:じゃあ、おうちで編んだりしてたんですか、その機械で。

聞き手B:だって商売にしてた***。

近藤:機械で編んだこともあるけれども、でも、手編みのほうが、機械出したらものすごく大きいじゃない。

聞き手A:そうですよね。こんなですもんね。じゃー、じゃーって。

近藤:で、散らすじゃない?だから手編みで編んで。ケイちゃんのワンピースとか編んだことあるよ。すっごい手編みで模様入れて。まだ今でもどっかで隠して持ってるらしい。さすが、あんまり模様が派手だから、あんまり着てない。

樋口:***。

聞き手B:何?

樋口:***つけてる。

聞き手B:何の?

樋口:いやいや(笑)。つけてた、つけてた。

聞き手B:すいません。

聞き手A:すいません。

樋口:いいえ。

聞き手A:すいません。

聞き手B:今も隠し持ってるの?

樋口:何を?

聞き手A:編み物の、

聞き手B:ワンピース。

聞き手A:ワンピース。

樋口:うん。ジャンパースカート***。

近藤:公にはしたことがないね。

樋口:そうでもないけど。あまりに派手だから。

聞き手B:そんなに派手なの(笑)。

樋口:ヤマモトコンサイ(?)っていうぐらい。

一同:(笑)

聞き手A:ちょっとセクシーだったりとかして?

樋口:いやいや。色が派手。色見本。

近藤:ど派手ね。

樋口:昔っから私は色見本って言われてたけど。

聞き手B:私が初めて聞いたときのセーターもはっきりした色だった。

聞き手A:割と赤とか多いですもんね。

樋口:はい。

聞き手B:で、あのときは緑か青か***ます。

近藤:意外なことはできて、手でこちょこちょ縫い物をしたり、

聞き手A:器用なんでしょうね。

近藤:は、できる。小さいことは。

聞き手B:それはお父さんの遺伝だね。

近藤:かもしれないね。

聞き手A:そういうことができるっていうのは。

聞き手B:お兄さんって、その後、もう亡くなっちゃった?

近藤:もう死んだよ、2人ともね。

聞き手B:上のお兄さんは何してらっしゃったんですか。

近藤:一番上?これは悪いことばっかりして刑務所にも入ってた。で、刑務所でバセドウシ氏病が元で死んだ。

聞き手A:割と、じゃあ、早く亡くなられたんですか。

近藤:うん。それでも、40代ぐらいまで生きてたんじゃない?

聞き手B:若いな。倍生きてるってことですから(笑)。

近藤:家族では、父親も含めて、私が知ってる代では私が一番長生きしてる。車椅子にもう六十何年乗ってるというのに、それで生きてるんだからね。

聞き手A:お母様はその後はお会いになんなかったんですか。鹿児島にお帰りに、

近藤:これがまた、私が障がい者になって。で、一応子どもだったけども、労災扱いしないと大変じゃない?お金が。だから大人たちが話し合って労災にしてくれて。で、労災に入ったら、私のような重度障がい者は個室が与えられるわけ。で、個室には2畳のこのくらいの高さの畳の間が与えられて。そこがヘルパーさんが寝るわけ。当時はヘルパーと言わないな。付き添いさん。で、そしたら、付き添いさんは金があるのね。その当時は女の人のお金では一番高かった。しかも、夜までつくでしょう。だからすっごい高くって。で、僕は何か自分が若かったせいで、自分の体を若い人に見られるのが嫌だった。恥ずかしくって。だから自分の親よりも、もっと高いおばあちゃんに見てもらうぐらいのほうが好きだった。で、年寄を寄こしてください言ったら、家政婦紹介所は喜んで。どっこも取ってくれない。近藤さんのところだけですよって。その代わり、疲れて寝込んで死んじゃった人もいる。

聞き手A:本当に?

近藤:それで、今度は家政婦協会のほうから、もう2人もおばあじゃん出したけどもたなかったから、申し訳なかったから、近藤さん、悪いけども、若い人にしてくださいって言って、また年代を下げて(?)。そういうときに私のおふくろが現れて。付き添いしたら、付き添いはその頃はヘルパーじゃないからあれがなかったの、資格が、資格証が。無資格じゃない。だから私がいいって言ったら、付き添いになれるわけじゃない。そしたら、また親子で生活できるからしないかって言って来てくれたけど、私は断った。

聞き手B:断ったんですか。

近藤:うん。断れと隣の部屋のおじさんが教えてくれた。僕は悩んでたときに、何悩んでるか言うからそれ話したら、君は僕の話を聞く、聞かないは別にしても、僕の意見というのはっていったら、あんたはすっごい苦労してきたと。しかし、これからは本当に苦労しなくて済むだろうと、生活だけは。それには、そういう身内っていうのは作らないほうがいいと、1人のほうがいいと、そのおじさんが全部伝授してくれた。ということは、生活保護にかかって、生活保護になったら付き添い料から何から全部無料になるじゃない。今のように法律がなくても。

聞き手A:***出るからね。

近藤:だからその道を歩めと。それと、障害者福祉法っていうのができたから、これと生活保護とマッチ(?)したら、君は本当に今までの大変な時代を忘れるようないい時代がくるぞって言われて。何のこと言われてるかわからなかったから、その道を歩んだ。そういうように本当に知らない人よ。隣の病室のおじさんだったから。そういうように教えてくれる人がいたのよ。

聞き手A:その人はよく知ってたんですね。

近藤:その人はその病院に10年いた。それでやっぱり奥さんが付き添いで。で、子どもが、女の子がいて、イヌまで飼ってた、病室で(笑)。

聞き手A:でも、近藤さんのすごいところはそうやって言われたことをちゃんと受け止めて、それでやってくっていうか、

近藤:いや、やってくよりも、それしかない。いくつもの選択肢があってやるんじゃなくって、その道しか私にはなかったっていうことね。ただ、母親と一緒にならないほうがいいと言ったのには、後は引かれたけどね。それは引かれるのが当たり前じゃない。で、そのとき別れたら、もう母親は私は病院から出たあとは全然知らなかったんだけど、パラリンピックをテレビで見たとき、あ、あれは秀夫だと思ったと。

聞き手A:わかったんだ。

近藤:そう。

聞き手A:じゃあ、お母さん喜ばれましたよね。

近藤:それから私の近くに来た、母が。町田に来て生活した。妹も町田に来て。

聞き手A:一緒に来て?

近藤:うん。僕たち2人で生活してるときに、あるとき妹が現れて。

聞き手A:10歳ぐらい下ですかね。

近藤:九つ違う。その妹が離婚して。そして、

聞き手A:訪ねてきたんですか。

近藤:うん。町田に来たの。それで、ただ、彼女は看護婦の資格持ってたから、すぐ、町田の市民病院の看護にすぐ紹介したら、もうそのままぽんっと取ってくれて。

聞き手A:仕事はありますよね。

近藤:そう。

聞き手B:看護はね。

聞き手A:そうですね。ちゃんとしたお給料もられるし。

聞き手B:産んでくれたお母さんは?

近藤:何?

聞き手B:産んでくれたお母さん。

近藤:いつ死んだか知らない。

聞き手B:全然会うこともなく。

近藤:僕が覚えてないときに一遍現れて。そして、その母親の膝にちょこちょこ歩いていって、ぽんと腰かけたんだって。

聞き手B:じゃあ、すごい小さいとき。

近藤:小さいとき。そしたら誰のところにも行かないのに、その人が来たときだけその人の膝に腰かけたっていうのが2回目の母親の悔しがる一番大きな原因だって。どっこにも行かないのに、あの人のところだけは行ったのよねって言って。それはケイちゃんも聞かされた話だったね。

聞き手B:じゃあ、とにかく近藤さんにとってお母さんは、

近藤:その、

聞き手B:その2回目の、

近藤:そう。親しかいないの。

聞き手A:でも、晩年は割と町田に来られたし、

近藤:町田に来て、妹が僕んところに勤めていて。僕のとこから巣立って、それで結婚して、子どもを産んで。で、親はそここそ親子関係じゃない?で、母親がその妹のとこいってたわけ。で、妹のところで死んだ。で、妹はまだ今でも町田に住んでいて、看護婦していて。僕はこないだここで入院したんだけど、60日間、そのときには妹が来てくれて。看護婦だからうるさいけれどね。

聞き手A:(笑)。あれやれ、これやれって感じね。

近藤:そう。体のこと***、

聞き手B:しちゃいけないって言うんじゃない***。

近藤:ケイちゃんはその代わり、精神的には疲れるだろうけども、体力的には楽だよね、彼女がしてくれるから。そういう妹がいます。だから今、身内はその妹と僕2人だけね。向こうも双子を産んで。2人とも医療系の看護婦に仕立てて。

聞き手A:女の子2人なんですね。

近藤:女の子。

聞き手A:すごい。じゃあ、

近藤:もう孫までできてます。

■(間)

近藤:だからそこにおふくろが来たときには、僕はおふくろいえるのがその人しかいないじゃない。だからおふくろだったんだけどね。でも、面と向かっておふくろと話したことは、一遍別れて以来はない。時々町田の私の家にも近くだったから来たことはあったけども、親子にしちゃあ、突っ込んだ話とかはしたことなかったね、あのとき。

聞き手B:でも、息子と母親ってそんな感じじゃないの?

近藤:そんなもんかね。

聞き手B:何かテレビでしか知らないけど。

一同:(笑)

聞き手A:知ってるかと思うような語りだったけど(笑)。

聞き手B:だって、もうちょっと***(笑)。

聞き手A:そうだ、女2人だ。

近藤:だからそのおふくろっていうのはテレビで僕を見て、車椅子で、競技してるところじゃなくって、

聞き手B:インタビュー?

近藤:いや、皆が並んで入るじゃん。あのときの、

聞き手A:行進っていうか。

近藤:車椅子の中の、あ、これは秀夫だと直感的にわかったって言ってたね。

聞き手B:喜んだでしょうね。うれしかったでしょうね。

近藤:すっごい、だって、寝たっきりで動けなくなった僕しか知らないでしょう。しかも、自分が付き添い者として一生見てやろうかなと思った僕が***という。で、兄弟も誰もいないのに、どうして生きるんだろうと彼女は思ってたって言うけど、その僕が一番長生きしたんですよ。

樋口:高知にもあるんじゃないかな。高知でそういう新しいことどんどんやってく人がいて、竹村さんっていう人が。その人がそこを引っ張られて、今、日本財団にいってる。

聞き手B:タケちゃんっていわれてる人?

樋口:かな。竹村さん。

聞き手B:高知出身なの?

聞き手A:じゃあ、話してみればいい。わかるかも。

樋口:おんなじ人かわかんないけど。

聞き手B:私は知らないけど、日本財団って、今、高知に3倍、ほかの人に言わせると倍増計画っていうんだけど、私は3倍って聞いたんだけど、の、働く日本応援団っていうプロジェクトをここ4、5年ずっとやってて。その中心人物がそのタケモトさん、

樋口:竹村さん。

聞き手B:って聞いたような気がする。

樋口:その人かどうかわかんないけど、

聞き手A:障がい者雇用もやってんだ、

樋口:高知だった人。で、最初に私を高知に呼んで、講演会開いてくれたのもその人。自立生活運動を高知に広めるみたいな感じで。

聞き手B:で、ミライロって知ってる?

樋口:ん?

聞き手B:株式会社ミライロ。

樋口:ううん。

聞き手B:知らないか。何か今、ノリノリの会社で、社長が28歳の若いこっち系の人で、すごい、

樋口:ミライロ?

聞き手B:ミライロ、カタカナで。で、まゆもきれいにそってて、関係ないけど(笑)。

一同:(笑)

聞き手A:またそういうところ見てる。

聞き手B:今どきの、

聞き手A:まあ、そう見るべきだね。

聞き手B:誰でもわかるじゃん。

樋口:今どき、じゃあ、きちっとね。

聞き手B:そうそう。で、メディア受けする人で、

聞き手A:でも、こないだ入院してたよね。

聞き手B:いやいや、それは去年の随分前の話だけど、

聞き手A:大丈夫?

聞き手B:全然大丈夫。で、テレビの露出もすごくって、すごいメディアに取り上げられてる。で、日本財団が何億を投資してるの。

樋口:そのミライロに?

聞き手B:そうそう。そういうのもあってかわかんないけど、すっごい今、急成長で。

樋口:何をする会社なの?

聞き手B:企業とか行政とか学校とかに対して、研修をしてる、主にはね。あとは、バリアフリーチェック。バリアフリーのアドバイザー的な。そもそもはそこから出たんだけど。で、接遇研修とかっていうのも作って、企業に対して研修をやって、認定、

聞き手A:検定を作ってるの。

聞き手B:そうそう。認定制度、

聞き手A:3級とか、バリアフリー検定何級っていうのがあんだよね。

聞き手B:で、今、大阪、そもそも本社で、東京と福岡にも支店があって、70人以上社員がいるの。で、そこは本当に企業としてやってて、どうもタケちゃんがもし、竹村さんがやってるやつとどうも一緒にはできてないらしくて、日本財団の中でも二つに別れてるんじゃないかな。

聞き手A:タケちゃん派と?(笑)

聞き手B:わかんない、わかんない、本当に。内部のことだから。

樋口:2年ぐらい前からいってんじゃないのかな。

聞き手A:障がい者雇用の、

聞き手B:東京に?

樋口:うん。

聞き手A:テレビとか出てました?

樋口:その人?

聞き手A:その人。結構、賃金上げてるとかいう、

樋口:うん。最賃で働く場所を高知市内のメイン商店街なんかでもやってて。

聞き手A:何か見たことあるかも。

聞き手B:じゃあ、ケイちゃんは、

樋口:で、土佐茶バル(?)とか、土佐茶を、

聞き手B:土佐のお茶?

樋口:高知のお茶、いろんな作るとこがあるので、それのいろんなお茶を出す喫茶店みたいなやったりとか、なかなかいろいろ目新しいことを展開して。で、精神の人が多いのかな、働くのは。

聞き手A:テレビで見たことある、そう言われれば。

聞き手B:じゃあ、その人日本財団の人かな。

聞き手A:日本財団かわかんないけど、ハートネットTVか何かそういうやつで取り上げてて。賃金がすごく高くなってる、

聞き手B:恵子さん、よく知ってる人?

樋口:そんなよくは知らないけど、あるときに声かけると一緒にやってくれたりするから、自閉症の人のイベントやりたいんだけどって言ったら一緒にやってくれたりとか。

近藤:蔵?

樋口:ん?

近藤:蔵?あれをやったの、

樋口:うん。竹村さん。

聞き手B:今も高知にいない?

樋口:いない。

聞き手B:やっぱり、じゃあ、そうかもね。

聞き手A:そうかもね。

近藤:事業家だね。

聞き手B:そもそも、

近藤:ただ、事業が元気な人じゃなくて、障がいを持った人のほうに目を向けてくれている事業家。

聞き手B:じゃあ、もともと何か、

樋口:社協か何かに勤めてたんじゃないのかな。

近藤:そう言ってたね。

樋口:県社協か市社協かわかんないけど。

聞き手A:すごいね。いろんな人がつながってるね。高知もすごいね。

聞き手B:いろんな人がつながってる、私の周りでぐるぐるぐるぐる。

男性D:カミマチ***、どっか行った***。何かしよったんやない?

樋口:カミマチがわからんから。

男性D:トイレ休憩行ったとき***。

樋口:前、別れたとき、私が東京に行ったとき、イシクイ山かね、

男性D:工石山?

男性C:工石山。

樋口:早明浦ダムの近くの公会堂みたいな、青年の家みたいなところで、講演会やってくれて。そのとき早明浦ダムを飛行機が低空飛行して。訓練、自衛隊かアメリカ軍の。

男性C:そうそう。

樋口:あれがびっくりした。

男性C:朝鮮軍を***。で、やるわけ。

聞き手B:今、多分、竹村さんっていう人、すっごい乗ってると思う。今、日本財団の中で、そのプロジェクトって本当に大きくなってて。毎年就労支援フォーラムっていうかたちで12月の初めにやってんのかな。11月か12月。すっごい満席で、立ち見も出るっていう。

■(間)

樋口:地方発で。

聞き手B:もし、高知の竹村さんが日本財団の私が思ってる人と同じだったら、それはそれですごいな。会ったこともないんですけどね。

聞き手A:今度、会う機会があったら、恵子さんの話で盛り上がっちゃうんじゃない?

聞き手B:会おうと思ったら会えるけど。

聞き手A:知ってますか?と(笑)。

樋口:知ってますぐらいは言うと思うけど(笑)。

聞き手A:(笑)

聞き手B:高知出身だったらすごい。すごいよね。

樋口:古い蔵を改装してイベントホールみたいにしたり、それから美術館みたいにしたり。

聞き手A:見たことある、やっぱり。

樋口:それとレストランとバーみたいにして。***。

聞き手B:社協の人だけど、そういう事業的なセンスがすごいのか。

樋口:社協ではやりきれないから辞めて。で、そういうのに入ったっていう感じだと思う。

聞き手B:でも、もともとは社協の人?

樋口:うん、社協の人だと思う。行政の人じゃないと思う。

聞き手B:今、そうやって福祉の世界とか、そういった社会貢献的なところに来る人が多いよ。

聞き手A:(笑)。一口***。

聞き手B:***。今、一般企業もこれまでみたいに、ただただもうけを追求するんじゃやってけなくなるんだって。ESG投資っていうの。

樋口:***。

聞き手B:ESG投資っていうのをドコモ(?)の会社は念頭に置いて、

樋口:e。

聞き手B:eは、

樋口:エコロジー?

聞き手B:エンバイロメント。で、sはソーシャル。ソサイエティ、社会。で、gはガバナンス。運営とかそういうので、そういった環境と社会と運営みたいなのをちゃんと考えてやらなくては、これからの経済活動はやってけないよっていうんだって。

聞き手A:CSRだったっけ?何だっけ。

聞き手B:CSRは、

聞き手A:それとは違うの?

聞き手B:corporate social responsibilityって社会貢献。でも、今はそれが一歩進歩して、CSVっていって、

聞き手A:Vになっちゃったの。

聞き手B:Creating shared valueっつって、何かばかばかしいと思います。こういう言葉ってどんどん生まれてて。

聞き手A:(笑)。どんどん変わってくんだね。でも、目指してるとこはおんなじような、企業が要するにそういう社会貢献するっていうとこなのね。

聞き手B:いや、社会貢献じゃなくて、社会とか環境とか、そういったことを考えながら、もうけを追求しましょうって。

聞き手A:もうけは追求すんのか。

聞き手B:当たり前だよ。企業それしないとだめだよ。

聞き手A:(笑)。そりゃそうだな。

男性C:それは言わないで。

聞き手B:明日食べます。おなかいっぱい。

聞き手A:おなかいっぱいだよね、もう。

樋口:きりっきり(?)。

男性C:マドカさんがそれ嫌なら、私が食べる。

聞き手A:(笑)

聞き手B:オリンピック見ていい?

聞き手A:オリンピック見る?

聞き手B:だめ?

聞き手A:いいよ。


(音声終了 01:05:08)


*作成:中井 良平
UP:20200411 REV:
近藤秀夫  ◇ひぐち 恵子・樋口 恵子  ◇障害者運動|Disability Movement  ◇障害者(の運動)史のための資料・人  ◇WHO
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