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書評「猪飼周平編『羅針盤としての政策史
――歴史研究からヘルスケア・福祉政策の展望を拓く』(勁草書房、2019年)」

北村 健太郎 20000131 『保健医療社会学論集』30-02(2020),日本保健医療社会学会,pp.97-98
https://square.umin.ac.jp/medsocio/cover/30-2.htm

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last update:20220812

■対象書籍

猪飼 周平 編 20190220  『羅針盤としての政策史――歴史研究からヘルスケア・福祉政策の展望を拓く』,勁草書房,280p.  ISBN-10: 4326701080 ISBN-13: 978-4326701087 3200+税  [amazon][kinokuniya] h01 m i01 sm ※
『羅針盤としての政策史――歴史研究からヘルスケア・福祉政策の展望を拓く』

 本書は、ヘルスケア・社会福祉政策の政策史を歴史的手法によって考察する研究者たちによる共著である。 収録論文は、ヘルスケア・社会福祉領域の政策史を論じて、背景にある問題点を指摘する。 編著者の猪飼周平は、単著『病院の世紀の理論』(有斐閣,2010)で「医療システムの3類型」を提唱した。 ヘルスケア・社会福祉領域の政策史研究を牽引する研究者である。

 本書は、政策学、歴史学、精神医学、薬学、社会福祉学、医療社会学などの複数の学問領域の交点に位置する。 本書は、問題意識や全体構成を説明した序章と学問領域を越えた5章の論文で構成される。 精神医療(第1章)、高齢者の医療と福祉(第2章)、薬剤師と職能(第3章)、知的障害者の福祉(第4章)、 猪飼の「医療システムの3類型」(第5章)と多様な主題を取り上げながら、現代的な論点を論じている。 論文の関心領域は多岐にわたるが、手堅く歴史的事実を追って、歴史的変遷を丁寧に論じる手法は共通している。

 序章は、猪飼による「ヘルスケアと社会福祉における政策史の可能性」である。本書を通底する問題意識や政策史の可能性を論じる重要な章である。 猪飼は「ヘルスケア領域および社会福祉領域に関するかぎり、政策史研究の蓄積は非常に薄いといわざるをえない」(p. 1)と指摘する。 猪飼は、政策史研究が内包する政策的貢献の可能性を四つ挙げる。第一は、「羅針盤」「展望台」としての政策史である。 政策史研究の特徴は、「羅針盤」「展望台」のように、長期的な政策の方向性を指し示すことである。 本書では、第5章の猪飼論文である。第二は、現在の自明性を問う政策史である。 過去と現在を対比させる異時点間比較を用いて、現在の社会のありようを問い直すことである。本書では、第4章の原田論文である。 第三は、歴史的な通説に対して、新たな視角を提示する政策史である。私たちが共有する歴史認識には、常に見過されがちな歴史的事実がある。 歴史認識を改訂することは政策史の重要な主題である。本書では、第1章の後藤論文、第3章の赤木論文である。 第四は、歴史的トレンドを発見する政策史である。歴史法則の発見によって政策学へ寄与することである。 歴史トレンドには、変化する歴史トレンドのほかに、変化しない歴史トレンドもある。本書では、第2章の間論文である。

 第1章は、後藤基行「日本における精神病床入院と生活保護――過剰病床数と長期在院問題の淵源」である。 本章の目的は、20世紀後半期に「入院に傾斜した日本の精神医療供給構造が、いかにして作り上げられたのか、 ということについての新しい視角を提示すること」(p. 26)にある。 後藤は「長期的なダイナミズムが何によって生成されたのか、という問いに答える」(p. 26)歴史的検証という共著者が共有する問題意識を強調する。 日本の精神医療体制が構築されてきた過程を分析して、精神病床の機能を「社会防衛型」「治療型」「社会福祉型」に3分類した。 3分類によって、これまで見過ごされがちであった「社会福祉型」の生活保護制度との強い関連性を明確にした。

 第2章は、間沙織「戦後日本における病院の福祉施設的利用」である。 本章の目的は、「病院の福祉施設的利用」を「医療及び福祉供給の展開から歴史的に考察することで、 これからの医療・福祉・介護政策への示唆を究明すること」(p. 73)にある。 そのためには、戦後日本の医療と福祉の供給の歴史を明確にする必要がある。 本章は「病院の福祉施設的利用」という概念を用いて、従来の「社会的入院」という医療偏重の議論から、福祉も射程に入れた議論に転換させた。 「病院の福祉施設的利用」とは「病院が患者の治療の場として利用されるだけでなく、処遇のあてのない人々を長期的に収容する場、すなわち、 ある種の受け皿として利用される状況」(p. 73)を言う。本章では、具体例として高齢者の医療と福祉の供給の歴史的変遷に焦点を当てて検証している。

 第3章は、赤木佳寿子「薬剤師の職能史――医療システムの変容と薬剤師の再専門職化」である。 本章の目的は、「日本の近代薬業史を薬剤師の職能変化という観点から再構築することによって、 近年批判の対象となった薬局薬剤師のアイデンティティ・クライシスに対して政策的な展望を提示すること」(p. 185)にある。 赤木は、薬剤師の職能の観点から医薬分業の歴史を詳細に再検討し、薬剤師が医薬分業の歴史を見誤っていると指摘する。 薬剤師が調剤権の獲得のために戦った〈目的としての医薬分業〉の時代と1970年代以降に進展した〈手段としての医薬分業〉の時代の差異を強調するとともに、 医薬分業が〈手段としての医薬分業〉として進展したと論じる。

 第4章は、原田玄機「知的障害者像の偏りから生まれた典型的な生活――なぜ日本の知的障害者は親元から作業所に通うのか」である。 本章の目的は、戦後日本の知的障害者の処遇の歴史の素描から、 知的障害者の「親元から作業所など福祉的就労の場に通う」という生活は 「重度の知的障害者への着目と家族の負担の大きさという知的障害者処遇の特徴によってもたらされた」(p. 201)という視角の妥当性を検証することである。 原田は、想定されている家族像と知的障害者像に偏りがあると指摘し、2つの偏りを踏まえた4つの象限に整理する。 歴史的な経緯を丁寧に検討した結果、成人の知的障害者の就労する場所として、親たちが小規模作業所の増設を積極的に引き受けてきたと論じる。

 第5章は、猪飼周平「海図なき医療政策の終焉」である。 本章の目的は、1つ目は「日本の近視眼的医療供給政策を永らく有効なものとしてきた条件とは何か」、2つ目は政策の「短期的思考によって、 医療供給システムのいかなる変動が不可測なものとして隠されてきたといえるか」(p. 253)を明瞭にすることである。 本章は、猪飼の単著『病院の世紀の理論』のエッセンスを圧縮した内容である。単著未読の方は、併せて読まれるとよい。

 本書は、日本のヘルスケア・社会福祉領域の重要な政策史研究として位置づけられる。本書の評価すべき点を挙げる。 第一に、多様な共著者が様々な領域の政策史を描いていること。第二に、各章の共著者が政策史の通俗的理解から脱却して、新しい視座を提示していること。 第三に、共著者が単に根本的な問題意識を持つだけでなく、自らの問題意識を社会資源の視角から具体的な統計やデータを用いて、 政策の遂行可能性を物理的に説明していること。第四に、具体的な統計やデータを用いているので、共著者の主張の証明がたいへん手堅いこと。

 惜しむらくは、本書で取り上げた政策史を整理した年表がなかったことである。年表があったほうが良かった理由は2つある。 1つは、本書で論じられる問題意識や論点は、専門研究者に留まらず、現場で福祉サービス等の供給を担っている方々にも大いに参考になるからである。 もう1つは、本書は検討したヘルスケア・社会福祉領域の政策史の範囲が幅広い。 日本の医療福祉の供給システムの全体像の把握を助けるような年表が充実すると良かっただろう。 本書の内容が素晴らしいだけに、ヘルスケア・社会福祉領域の政策史を俯瞰できる年表が欲しいところだった。

 日本におけるヘルスケア・社会福祉領域の政策史研究は、多いとは言えないので、 本書は貴重な研究成果として多くの方々に読んでいただきたい。

■関連書籍

猪飼 周平 201003331 『病院の世紀の理論』,有斐閣,330p.  ISBN-10:4641173591 ISBN-13:978-4641173590 \4000+税 [amazon][kinokuniya]
後藤 基行 20190117  『日本の精神科入院の歴史構造――社会防衛・治療・社会福祉』,東京大学出版会,216p.  ISBN-10: 4130564013 ISBN-13: 978-4130564014 5200+税  [amazon][kinokuniya] ※ i05m2. m


*作成:北村 健太郎
UP:20220811 REV:20220812
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