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全訳「陽和病院訪問の報告」

サンテゴッヅ,ヨラーン 20150730 "Report of my visit to Youwa psychiatric hospital"
【原文】

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last update:20150911


2015年7月29日水曜日、私は東京の陽和病院に行った。13時にりゅうがん(関口明彦)さん、三輪佳子さん、2人の通訳者、私は、陽和病院の院長と看護師と会う約束をしていた。

まず私たちは、病院の構造について説明を受けた。古い建物と新しい建物があり、新しい建物には2つの急性期病棟がありともに48床で、古い建物には2つの慢性期病棟がありそれぞれ66床と54床である。また、認知症の病棟も2つあるのだが、そこを見学することは許されなかった…。合計で328床、228人の患者が入院している。

治療はまず、薬物療法と集団プログラムでの作業療法から成る。急性期病棟には、22人のソーシャルワーカー、24人の看護師、5人の医師(全部で96人の患者に対して)が配置されている。慢性期病棟には、1人のソーシャルワーカー、20人の看護師、3人の医師(100-120人の患者に対して)が配置されていて、著しく少ない。5つの閉鎖病棟と、8時から20時まで外に出ることのできる開放病棟がある。60%の患者が強制的な(involuntary)入院である。医師たちは1年以上入院する患者の割合が、日本全国では平均12%、東京では10%であるにもかかわらず、2.5%であることを熱心に説明した。

話のあと、私たちは個室と相部屋の両方がある急性期病棟に行った。私たちは多くの人が寝巻を着ているのをみた。それは、1日180円で病院から借りているものだった。変な場所だ。どうして寝巻なのか?どうして借り物なのか?

この場所で注目すべきことはほかにもある。寝室には鍵がかかっていて(患者たちは鍵をもっていない)、(「裸の部屋」として)すべての家具がとり払われ空っぽになっている部屋に人が閉じ込められることもあるのだ。夜に鍵をかけることが「治療」の一環となっている。6つのいわゆる「半隔離室」があって、勾留のために特別な防音設備になっている。自分たちは、〔患者が〕叫んだりドンドンぶつかったりすることを「許し」ていて、状況をカメラで監視しており、必要があれば患者が叫んでいるときにその要求を確認するのだ、と看護師たちは話していた。しかし、音がそれほど大きくなければ、介入の必要はないのだ。この〔患者を〕放置する話をきいてぎょっとした。人は理由もなく叫んだりドアにぶつかったりすることはなく、何の行動も起こさないことは間違いなくケアなどとは呼べないのだ。これはケアではない〔実践の〕古典的な例だ。

一般的な状態また危機的な状態での主要な介入としての薬物療法、鍵をかけることのできる寝室のほかに、身体拘束具(4点拘束)、点滴、隔離室が興奮している状態のときに使われる。ここでは、隔離室の中で身体拘束具を使っている(身体拘束具保管用の鞄には何匹かの蝶々がついていて、それが〔拘束の〕状態を示していた。かわいらしい蝶々が恐ろしいベルトを結びついていることにとても混乱した。とても紛らわしい)。それから、彼らは長時間にわたって身体拘束されるときに、血液が詰まってしまうのを防ぐための特別な機械(装置が膨らんだりしぼんだりして足に圧力を加える)を見せてくれた。彼らは、身体拘束されているあいだに酸素が必要になったとき(つまり実際に、ひどく投薬されて自分で呼吸がほとんどできなくなった人がいたということだ)のための酸素システムももっていた。おむつや差込み便器も利用可能だった。看護師たちは、10日間の身体拘束のあとに、再び歩くのを支援するときには気を遣っているとも説明していた…。これはまったく不愉快なことだった。彼らは、長期間の身体拘束をするための道具を完全に揃えているのだ。また、彼らは「精神」医療ケアの職員ということになっているにもかかわらず、身体的な面や身体的な尺度にしか焦点をあてていない。人の〔心の〕中のことには一つも言及がなかった。ともかく精神医療ケアの職員たちはまず無視や虐待に気づくべきなのだ。これは恐ろしい事態だ。

また、実際に彼らはここでよいことをしていると思っていたのだ。私が強制的な介入や身体拘束はよいケア実践だと思うかと直接的に尋ねたところ、その看護師は「はい、それはよいケアです」と答えた。人を閉じ込めたり縛り上げたりすることは、よいケアとはいえない。それは、とても人の品位を下げる時代遅れの実践で、虐待や放置に分類されるものであり、本当に専門的なケアは何か完全に異なるものであると私は返した。私は彼女に、強制を使用しないオルタナティブを勉強したことがあるかと尋ねた。彼女は、「私たちはすべての患者にいつも身体拘束を使うのではなく、必要なときだけで、ほかの手段ではその人が落ち着くことのできないときだけです」と答えた。私がすべての患者は薬を服用しているのか尋ねると、彼女は「いいえ、必要がなければしていません。だから数名は服薬していません」と答えた。彼らは、自分たちは電気ショック(ECT)を使っておらず、職員がその人を落ち着かせようとするのだと言った。私は緩和の過程(de-escalation)に(職員以外の)ほかの人もかかわるのかを尋ねた。なぜなら信頼関係がないところでは人を落ち着かせることは困難であるからである。しかし彼女は「いいえ、多くの患者は家族を見ると混乱してしまうのです」と答えた。私は、家族が強制的な介入を求めたり許したりする役割を担っていて、それが関係を壊している場合にはとくに、実にそれは一般的なことである。しかし、友人や〔同じ経験をもつ〕仲間やその人が信じられる誰かならどうだろうか?またその人が落ち着くのによいことをするのはどうたろうか?と答えた。
看護師は、「患者たちは「病気」のときには友人に会いたくなく、回復してから会いたいのです」と言った。(これは、地域のスティグマは対処されるべきであるにもかかわらず、その認識が欠如しているということを示している。)私は、困っている人には「あなたのために私に何ができるでしょうか、誰を呼んだらよいのですか、何を必要としていますか」ときくのがとても人間的なやり方であるということを説明しようとしたが、その看護師は「治療チームは第三者をそこに巻き込みはしません。なぜならそれは彼らの責任ではないからです」と答えた。社会的な関係や幸せを支援するための投資を彼らはしていないことが私には明らかだった。彼らは排除に投資をしているのだ。

訪問のあいだ、建設的な議論はなかった。彼らは防衛的で、オルタナティブについて議論したがらなかった。それは、彼らが自分たちの実践はよいもので、日本の平均「よりよい」という見解をもっているからである。それはとても悲しいことだった。なぜなら私は、彼らの手助けをするために自分の知恵を共有したいのに、彼らがそれに心を開いてくれないからだ。私にとって無駄な訪問であるというような感覚をもち始めていた。

それから私たちは古い建物にある慢性期病棟に行った。この病棟は、66床のうち45床が埋まっていた。そこには個室はなく、相部屋だけだった。建物は本当にとても古く、最近の水準には合っていなかった。彼ら、できるだけ早く建て直すことを望んでいた。慢性期病棟は、ひどく息の詰まるような臭いがした。それは、人々が留め置かれ窓が開けられない閉鎖病棟には典型的である。確実に健康にはよくない。私たちは再び隔離室を見ることを許された。慢性期病棟の看護師が、裸の女性が中にいるがそれでも大丈夫かと私に尋ねた…(もちろん私はこの質問に衝撃を受けた)。私はその看護師にその女性がそれを決めるべきだと言った。それから、私たちは中に入ることを許された。彼女は、3つの部屋のうちの1つで毛布の下に横になっていた。彼女はとても穏やかで、私たちを見て驚いたと言った。彼女はすでにそこに3日いるのだ…。とてもとても古い〔隔離〕室だった。この時代遅れの隔離室の区画の外に出てから、私はあの女性はあんなに穏やかなのにどうして隔離されているのか尋ねた。看護師は、その女性は最近の入院のあととても弱っていて、「彼女に何かするほかの患者たちから守るために」彼女はいま隔離されているのだと言った。私はこれをきいたとき、衝撃を受け混乱した。その女性は自分の行動のためにそこにいるのではなく、ほかの人の問題のためにそこにいるのだ…。本当にとんでもないことだ。私はその看護師に面と向かって、これは放置と呼ぶのだと言った。その看護師は「おや、私たちは違う見解をもっています」と言った。そのあと彼女はいくらか後悔したように見え、職員不足のことや〔それによる〕空きを埋めるために自分たちができる限りのことをしようとしていることなどなどをつけ加えた。最低限、彼女はこれはよくないことであると認めた。しかしまだ防衛的で、姿勢を徹底的に変える必要があることを真に認めてはいなかった。

このとても衝撃的な状況のあと、私たちは慢性期病棟の選ばれた患者たちと話すことを許された。彼らはここの慣習に適合しているようだったが、まだ夢をもっていた。ある時点から留め置かれた人々の嫌な臭いや、そこで見た恐ろしさが、私には強すぎるようになってきた。私は外に出ることをすごく求めていた。私たち全員がそこを出るあいだ、私は涙と闘っていた。しかし、なんとかすることはできず、私はその恐怖と悲惨さに泣き出してしまった。院長(熊谷あきひと医師)は、私がとても混乱しているのを見て、急に態度を変えた。彼は私のところに来て「私たちは、ここにいくつかの恥ずべき実践があることを知っています」と言った。最後には彼の完全に防衛的な態度はなくなっていた。この鍵を握る人に、このように人を処遇することはよく「ない」という認識をもってもらうことができた。彼は私に自分のメールアドレスを教えてくれた。私は彼に、強制的な治療を防ぐためのオルタナティブについての情報を送るつもりだ。

これは大変な訪問だった。しかし、最終的には防衛的な姿が砕けてよかった。彼らは言葉や議論にあまり敏感ではなかったが、最後には私の感情が届いたのだ。その医師はこの感覚を大切にしていた。それはケアを提供する職員にとってとても基本的なことだ。だから、最終的にはとてもよかったのだ。「外国人の目」は影響力があったようで、最後には医師は自分の実践を反省することができていた。だから私は、彼らは自分たちの実践が国際的な水準に合っていないと気がつくようになると思う。その気づきがとても重要な第一歩なのである。

私が東京のもう一つの精神病院を訪問したときの報告も読めます。その病院は多摩あおば病院です。
その報告はまもなく日本語で読めるようになります。〔→こちらから読めます。〕

日本での最終日の経験は、とても強烈なものでした。

そのあとは、日本のユーザー・サバイバーの組織である全国「精神病」者集団の友人たちと素晴らしい夕方を過ごし、私の日本での滞在は終わりを迎えた。長旅のあと、私は安全で元気に再びオランダに着陸した。素晴らしく濃いときを過ごすことができた。日本のユーザー・サバイバーの組織である全国「精神病」者集団の主張に貢献できたことを嬉しく思う。

現在の精神医療体制の発想は、異議を唱え変えていく必要がある。社会に基盤を置いた本当の精神医療ケアをつくっていくべきだ。国連障害者の権利条約でも説明されているように、変革はできるし、すべきである。その条約は明白にこの〔精神医療の〕領域を含んでいる。12条〔Equal recognition before the law; 法の前にひとしく認められる権利〕についての障害者の権利条約の一般的見解や、14条〔Liberty and security of person; 身体の自由及び安全〕についての障害者の権利条約委員会の声明文にみられるように。

最初のステップは、精神医療は変わるべきであると気づくことである。2番目のステップは、その変革をおこしていくことである。私は陽和病院(とほかのすべての精神科の施設)が近いうちに2番目のステップに到達することを願っている。人間の生や、精神的な問題を抱えた人たちの感じていることは重要である。精神医療のケアは、ほかのあらゆるケアと同じように、その人の幸せの感覚や経験をケアすべきなのだ。患者が心地よく感じられるようにすべきなのだ。たくさんのよい実践や手段が世界のさまざまな場所ですでにつくられてきている。たとえば、リカバリーの社会的な発想(パトリシア・ディーガンら)、WRAP(元気回復行動プラン)、ピアによるイニシアチブがそうである。生きた経験をもった人々の専門的知識は、精神医療のケアにおいてよい実践をつくっていくのに不可欠である。日本では、全国「精神病」者集団が日本の精神医療のケアをつくり変えていくのに意味あるかかわりをすべきである。私の経験から言うと、日本は生活の多くの側面において高い水準にある国である。そのことが、彼らが高い倫理観や高い社会的水準(親切心、尊重、サービス、支援)を精神医療のケアのサービスにも応用できるだろうという希望を私に与えた。私は、施設が積極的に変革をおこすことを決めたとき、多くの可能性をたしかに見たのだ。私はこれがおこることを楽しみにしており、その過程をよろこんで手助けするつもりだ。

ここまでが、日本での私の経験です。
私のブログを読んでくれてありがとう!
翻訳:伊東 香純(20150803)


〔もとのブログのページにはヨラーンさんが撮った院内の写真が載っています。以下写真の題名。00:玄関(entrance)/01:相部屋(shared bedroom)/02:患者のベッド(patient bed)/03:隔離室のドア(seclusion door)/04:隔離室(seclusion cell)/05:隔離室のトイレ(seclusion toilet)/06:隔離室の天井(seclusion ceiling)/07:身体拘束のベルト(restraint belts)/08:身体拘束具を保管する鞄(restraint storage bag)/09:酸素チューブ(oxygen tubes)/10:隔離室のドア(seclusion door)/11:隔離室の天井(seclusion ceiling)/12:隔離室のトイレ(seclusion toilet)/13:隔離室(seclusion cell)/14:隔離室の窓(seclusion window)〕


*作成:伊東 香純
UP: 20150807 REV: 20150911
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