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全訳「経験とアドボカシーについてのプレゼンテーション原稿 7月24日」

サンテゴッヅ,ヨラーン 20150724 "Presentation text Experiences and Advocacy 24July"
【原文】

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last update:20151203


これは、今日2015年7月24日、京都でおこなった「オランダでの経験とアドボカシー」というプレゼンテーションです。これは、全国「精神病」者集団が企画し、「生存学:生きて存るを学ぶ(Ars Vivendi: Forms of Human Life and Survival)」の研究センターの協力を得て立命館大学の独立の建物で開催されました。

こんにちは。

私はヨラーン・サンテゴッヅです。37歳で、オランダから来ました。みなさんに会えたこと、そして私の経験や仕事についてお話しできることを嬉しく思います。

私の経験についてお話しします。
だいたい20年前、1994年16歳のとき、私は心理社会的な(psychosocial)問題をかかえるようになりました。自殺を企てていた時期もありました。私が病院で目を覚ますと、両親が私が自殺するのではないかと心配していました。医師は私を精神病院に移すように勧め、両親がそれに同意しました。でも私はそれを望んではいませんでした。なぜなら、世界にとてもおびえていたからです。

精神病院で私は惨めな気持ちになり、また自殺しようとしました。すると私は、隔離室に入れられてしまったのです。「自傷のおそれがある」という理由で。それはとても恐ろしかったです。そしてそのあと、また自殺しようとしました。すると精神科医は、自傷のおそれから守るために、私を長期に渡って隔離する必要があると決めてしまいました。私はそれでもなお自分を傷つけつづけ、それは悪化していきました。また、行動抑制も強化されていきました。私は隔離され、身体拘束ベルトでベッドに縛りつけられ、強制的に投薬され、その上体の穴の検査までされました。それは私がなにか自分を傷つけるものをもっていないか調べるために、内密な部分まで検査するというものでした。強制的におこなわれ、強姦のようにひどく面目を失わせるものでした。もちろんそれが私の助けになることはなく、この苦闘は2年近く続きました。
精神科医と看護師は私の意見をきいてくれませんでした。私の診断は境界性人格障害で、彼らは私がただ気を引こうとしているだけだと思っていたのです。このことが医学的怠慢(medical neglect)という結果を生みました。私がアキレス腱を痛めたとき、彼らは痛みを信じなかったのです。私は医師にかかることができず、代わりに強制的に歩かされました。最終的に医師に見てもらえることになったとき、それは怠慢として発見されました。このことが最終的に、その病棟を閉鎖させることになり、私は別の町の別の精神病院に移されました。そこで私はより敬意をもって扱われ、隔離されることはありませんでした。

それから私のリカバリーは始まりました。私は、施設のなかで仲間とつながるようになり、彼らと友達になって、新たな視点をもつようになりました。私はもうよそ者のようには感じなくなったのです。自分を傷つけるのをやめ、施設の外で生活することを望みました。
私はもう自傷しなかったので、強制治療という裁判所の命令に異議を唱えることに成功しました。オランダの審査会は私の退院許可を決めました。しかし、精神科医は、私がまだ治療を完全には終えていないと考え、私が自分の意思で施設に留まることを望みました。しかし、私はそれは嫌でした。精神科医は私の退院を支援〔/支持〕しませんでした。私には何の支援もありませんでしたが、私は退院しました。それからおよそ2年半はホームレスでした。ホームレスの人たちは、私に看護師よりも敬意をもって接してくれ、「もし誰かがあなたを傷つけたら、すぐに私に言ってね。私がそいつを蹴っ飛ばすから」と言ってくれました。それは私を安心させ、孤独でなくしました。彼らは専門的なケアの提供者より、私にとてもよくしてくれたのです。

私は進み始めました。2000年あたりで、私は最終的になんとか住む場所を見つけ、勉強を始めました。まずは高校を修了し、それから続けて大学に進んでサステイナブル工学の勉強をしました。私はなんとか自分の人生を自分でつくっていったのです。

私はまだ精神医療が自分にしたことに怒っていました。私は告訴したくて、医師を起訴するために裁判所に行きました。そして自分をよろこんで助けてくれる弁護士に会いました。私の友人たちはもちろんこのことを知っていました。

その後、学生だった期間のあるとき、一人の友達が私にメールをくれました。それは、〔私と〕同じ子どもの施設で、男の子がデザートをテーブルから自分の部屋にもっていったことを理由に、隔離室に入れられているという記事でした。私はそれに怒りました。これはやめさせなくてはならず、そのために何かしたいと思いました。でも私は何をすべきか全くわかりませんでした。でも、それについて何もしないのはいやだとも思いました。そこで私は電車に乗って、その施設のある街に向かいました。道中、私は自分のできることを見つけようと一生懸命考えました。そして「公訴」という言葉に思い至ったのです。私はそれを公にすることを決め、ペンと紙とテープを買いにスーパーマーケットに行きました。私はいくつかスローガンをつくってそれを印刷し、それを小さな広告にしてその施設の近所と市の中心にまきました。次の日、地方紙に「精神医療の隔離に反対する匿名の抗議」という記事が出ました。私はその自分の自主的な行動の結果を見て嬉しかったです。そしてこのようなことを続けていこうと決めました。仲間と友人たちが支えてくれました。

それから2002年ごろ私は、「隔離に反対する」(オランダ語では:Actiegroep Tekeer tegen de isoleer!)という公式でない「活動隊」を始めました。いくつかの抗議行進を組織し、強制的な治療に反対するポスターとパンフレットをもっとまき、ウェブサイトをつくりました。また、いくつかの精神医療ケアや強制的な治療の問題についての会議に呼ばれて、自分の意見を述べ、強制はものごとを悪くするだけだということを説明しました。私が耐えてきたのは精神医療ケアではなく虐待です、と。

私は、隔離への反対を自分の活動の鍵としてかかげて抗議しました。なぜなら、それは本当のケアではないということが部外者にとってわかりやすく、そこからその考え方をより簡単に広げていけるからです。また、投薬は化学的な拘束であり、隔離と非常によく似ているとも言いました。

前進的な看護師のグループからの支援を得ることができ、よかったです。彼らも精神医療を改善する必要があると感じていました。彼らは、よいケアを提供できるだけの時間がないと感じており、心理社会的な問題をかかえた人に配慮できるようなシステムに変えたいと思っていました。それが強制的な治療に反対するという、私の目標に重なったのでした。
それからこの看護師たちのグループは、隔離を減らすための公式の事業を始めました。それは2、3の施設で2004年に始まりました。そして、2005年から2008年までのあいだ、「抑圧〔/強制〕(coercion)と強制(compulsion)の事業」というこの〔看護師たちの〕事業をもとにした事業に、政府によって700万ユーロが投入されました。その期間のあいだは、より多くの施設が議論に参加し、隔離の代替となるものを探そうとしました。私は積極的にこの事業にかかわりました。

2008年、男性が隔離室の中で亡くなったのです。投薬によって、ピーナッツバターサンドで窒息したのでした。彼の友人が私に教えてくれ、その人の同意を得てそのことを公開しました。その友人は、その男性はちょうど私と同じように、強制治療に強く反対していたのだと教えてくれました。私はメディアを含めて多くの人にメールを送りました。彼の死はその地域でかなりの議論と怒りを生み、議会での議論もおこなわれた。結果として〔いままでは事業ごとの予算でしたが〕、施設による強制を減らす〔国家〕事業に構造的予算(structural budget)がつきました。それは年に500ユーロで、すべての大きな精神医療の施設はその事業に参加して自分たちの計画を提示しなくてはなりませんでした。それらの施設の義務だったのです。しかし、その事業のお金は施設にしかいかず、いくつかのユーザーの組織は活動的に〔その事業に〕参加し貢献していましたが、ユーザーの組織にはそのお金はきませんでした。私はそれでもこの事業に活動的に参加していました。

この国家事業の目標は、(GGZ Nederlandという、ケアの専門家だけの)精神医療の包括的な全国組織によって設定されました。その目標は、毎年10%隔離を削減するというものでした。また、いくつかの指針となる原則や鍵となるスローガン、構想もつくられました。それは以下の通りです。

*鍵となるスローガン:「強制から集中的なケアへ/管理から支援へ」
*予防は治療よりよい。
○危機的な状況は徐々に起きていく。苦痛の早期の合図〔に気づくこと〕が悪化を防ぐのに重要である。
○接触しコミュニケーションすることが、危機の早期の段階に気づくことができるための鍵である。
○おもてなしの気持ち:「最初の5分」:第一印象が関係を築くのに決定的に重要であり、着いたときから友好的な接触をもつことが、闘いから関係を始めてしまうのを避けるために重要である。このため、オランダには「観察」のために入院時からの隔離を標準化する古い慣習があるが、現在では排除され禁止されている。
*悪化を防ぐことも鍵である。危機的な状況に別の方法で対処することは可能である。その人を圧倒してしまう代わりに、支援を提供することは可能である。たとえば、その人がめちゃくちゃでいることを許容するためにサンドバッグをつるしたり、落ち着くように会話したりといったことである。これには、支援者の技術や柔軟性、創造力が求められる。
*また、代替となる選択肢や施設も必要である。それは、より幸福(wellbeing)やリカバリーに焦点を当てたものである。従来の精神医療では、意味ある活動がほとんどなかったり、義務的な集団の計画に個人的な感情をとり入れる余地がなかったりしたために、危機的な状況はより頻繁におこった。しかし、個人がニーズを考慮に入れたより個別的なアプローチを採用することによって、悪化や危機的状況を防ぐことができる。たとえば、うつ状態にある人にデイプログラムに出ることを押しつけるのではなく、その人が望むことやその人がそれほど沈んでしまうことなくより心地よくいられるための手助けになることを知るために時間をかけるということだ。
*友人や家族も助けになりうる。なぜなら、彼らはその人を愛することができ、看護師が達することのできないようなレベルでその人を理解することができるからだ。それは、幸福にすることや悪化を防ぐことの手助けとなる。彼らは悪化を防ぐのに役立つ知識をもっている。たとえば、その人の好きな食事をもってくることだ。

これらすべては、強制を減らしたり防いだりするためによい実践として公式に認められています。そして、強制を減らすための事業は議題にのせられています。

残念なことに、これらの標的事業や資金は現在、ケアの質向上(care-quality)のための総予算(general budget)の方に組み入れられています。また、隔離の問題は、多くの施設で注目を集めなくなってきています。そして、それらの施設では再び隔離の増加が確認されています。
しかし、ほかのいくつかの施設は力になってくれています。2009年からよい実践を「高度で集中的なケアの発展」という開発事業に組み入れています。これは、隔離を止めることを実現するために、すべてのよい実践を集め組み合わせることを目的としているのです。私は開発が始まったときからこれに活動的にかかわっており、アムステルダム自由大学医療センターとオランダの南部のいくつかの精神医療ケア施設と協力体制があります。私たちは「高度なケアの開発のための南部のネットワーク」を形成しています。この2年間、私はあまりかかわっていません(というか、コンサルタントとして呼ばれることがあまりないのです)。2015年現在、2つの施設はなんとか隔離をほとんどゼロまで減らしました。しかし、オランダには隔離室をもつ精神医療ケアの施設がおよそ55あるのです。
残念なことに、その隔離を削減する事業には強制入院や強制投薬、そのほかの強制的な治療の削減は含まれていません。CRPD(障害者の権利条約)に基づいた見方や配慮はありません。
もちろん私は意識を高めさせることによってこれを改革しようとしています。

2008年、集中的なケアの開発の前に、強制的な精神医療の治療の手続きを変える法律が動き出しました。3つの法案がつくられました。
1. 「強制的な(mandatory)な精神医療ケア」にかんする法案
2. 「ケアと強制(coercion)」にかんする法案
3. 「司法精神医療ケア」にかんする法案

この改革の目標は、心理社会的な障害や知的障害をかかえた人をあるシステムからほかのシステムへ流すことができるように、法を一致させることでした。これらの法では、裁判官は医師ではありませんが、裁判所が強制治療の範囲を判断することとされています。
治療の場所は、治療の指示の条件や治療のときのいわゆる「保護の必要性」によってさまざまです。このため、その人は精神医療の職員の判断に基づいて、安全性の高い環境や低い環境に移ることが可能であり、治療の指示も移動が可能です。裁判官が治療計画を決め、治療の範囲を表明します。治療のさまざまな段階において、「段階的なケア」と呼ばれる安全性のレベルにかんする条件があります。それによって強制的な精神医療の治療をより制限の少ない形にすることが可能だといわれています。

法案において、介入の範囲は定められておらず制限されていません。それは「ケアの領域におけるあらゆる介入」と述べられおり、制限がありません。法律に従うとその人に何でもすることが許されているのです。
衝撃的なことに、立法者は強制的な治療の使用も要求しています。たとえば、地域において身体拘束することは病院ですることよりもより侵襲性が少ないとか、知的障害のある人や認知症の人を苦痛のあるときに自分の家のいすに縛りつけるとかいったことです。これは世界でいちばん原始的なやり方です。言うまでもなく、精神医療ケアは本当は、心理社会的な障害や知的障害をかかえる人を家の中で拘束するというこれらの原始的な実践を防止するという目的をもって始まったはずです。

私は、立法者に多くのフィードバックを伝え、CRPDや強制治療のオルタナティブの必要性を説明していましたが、これらはとり上げられていません。立法者によい法案の提出を期待できないことはわかっていました。なぜなら、彼らは単純に障害の社会モデルを理解しておらず、完全に医学モデルの中にいるからです。だから私は、自分で代替となる法案をつくってみようと決めました。

私の考えでは法の目的は、いつどうやって強制治療をおこなうかではなく、どうやって危機的状況にいる人を助けるのかです。だから私たちには、その人の人生の幸福を支援するための社会的な解決策をつくることに焦点を当てていくことが求められているのです。

2009年、私はFGC(Family Group Conferencing)を可能性のある解決策として認めました。FGCは、その人の人生において鍵となる問題をめぐって自発的に(voluntary)協議する過程です。そこでは、中心となる人が望ましい解決策を一緒に考えるために、自分の信頼できる人を呼び集めます。先週、東京でFGCについての4日間の研修会があったので、これがどういったものであるかについてすでに明確にわかっている人たちもいると思います。「家族(Family)」という言葉が社会的な家族と関連していて、その人がつながっていると感じる人のことを意味し、友達や仲間も含んでいるということを言っておかなくてはなりません。それらの人たちと一緒なら、危機的な状況を生き延びるために望ましく役に立つ解決策を考えていくことができます。不愉快な強制治療を始めてしまう代わりに。中心となる人とその人と親しい人たちの輪は、何が役に立つのか一緒に特定していくことができます。これは、中心となる人の自分にとって望ましい決定を支援します。このようにして、その人のニーズや意思、好みを尊重しながら、うまい具合に危機や問題に対処するための計画をつくることができるのです。これは、心理社会的な障害やそのほかの障害をかかえる人のための支援された意思決定の実践といえます。そしてこれは、その人の人生において本当に役に立つ解決策をもたらす大きな力を秘めています。
最近、強制的な精神医療の治療を回避するための、FGCをもちいた試験的計画がオランダにはある。私たちは2015年の夏のあと、つまり数週間のうちに出る最終報告に期待している。

CRPDや、オランダでよいと認められている多くの実践にもかかわらず、立法者はまだ強制的な精神医療の介入を廃止したがりません。その人は自分のネットワークと協議することによって自分の「ファミリーグループプラン」をつくる機会を得ることができるということを法案に含めただけです。
立法者たちがFGCが強制治療を回避するための選択肢になりうることを認識したのはよいことですが、残りの法案は変わらないままです。私はそれが残念です。

2010年私は、自分が住んでいるアイントホーフェン市の市長に、FGCのモデルをプレゼンテーションするように招待されました。私が彼の部屋に入ると、そこには私の家族が座っていました。それはサプライズパーティーのように見えました。アイントホーフェンの市長は私に「隔離に対して革新的な抵抗をおこなった」ことへの賞をくれました。また、私の自主的なアドボカシーに対して2500ユーロをいただきました。それはうれしいことでしたが、私は少し奇妙な感じがしました。私のアドボカシーの仕事が認められた一方で、私のアドボカシーの根にある私の申し立ては認められていないのです。私がいつも裁判をしようとしていたという事実にもかかわらずです。

2002年から、精神病院を相手に異議申し立てを始めようとしています。私には弁護士がいて、私たちはいくつかの過程を踏んできていました。しかし2008年、彼が脳腫瘍のために倒れてしまい、これ以上私の支援をすることができなくなってしまいました。そして残念なことに、私のケースを扱ってくれる別の弁護士を見つけることができないことがわかってきました。オランダには私のケースを扱おうと言ってくれる弁護士がおらず、私はそれにとても苛立ちました。
私は弁護士を見つけようととても努力してきました。インターネットや弁護士の雑誌で公に呼びかけたのですが、成功しませんでした。とてもがっかりしました。

2010年、私は32歳になりました。それは私にとって、自分やほかの人たちになされてきた害悪との闘いに自分の人生の半分以上の時間を使ってきたということを意味します。私のあらゆる努力にもかかわらず、私の申し立てに対して一つの調査もなされていません。私は権利が尊重されていないことにとても悲しくなりました。そして、国連の拷問にかんする特別調査委員会に自分の申し立てを送ろうと決めました。その人は、国連の健康〔医療/保健(Health)〕にかんする特別調査委員会とともに、私のケースの調査と人権侵害の改善を求める通知をオランダ政府に送って、2013年に私のケースを追いかけてくれました。これは私にとって、公的機関が自分の申し立てを重要なものとしてとり上げてくれた初めてのことでした。このことが私はとても嬉しかったです。

私はオランダの国家が、国連の拷問にかんする特別調査委員会と健康にかんする特別調査委員会からの国連通知に敏感に反応してくれるだろうと信じていました。しかしひどいことに、オランダ国家は肯定的な反応をしませんでした。そして、私がもう申し立てをすることはないのだと言い、こんなに時間が経ってしまったあとに調査を開始する必要はないと考えました。それから約2年経った現在、私はまだ裁判へのアクセスする方法を見つけられていません。オランダ国家は精神医療における拷問と虐待にかんする私の申し立てに沈黙しつづけています。

でも、私は諦めるつもりはありません。オランダのユーザー・サバイバーは、私の仕事を大いに手助けしてくれいます。それが私を前に進ませつづけてくれていのです。

オランダはまだUN CRPDに批准していません。これはオランダの自由や人権という遺産を考えるなら、とてもおかしなことだともいえます。ヨーロッパの国では28か国のうち25か国はUN CRPDに批准しており、世界的には157か国が批准しています。しかし、オランダはしていないのです。

ほかのいくつかの障害者組織(DPO: Disabled People’s Organization)とともに、「インクルージョンに向けた連合」という、CRPDの批准と履行を進めるための包括的なDPOが結成されました。(2006年に非公式の〔隔離への〕抵抗組織からできた)私の公式の組織である法人組織マインドライツは、インクルージョンに向けた連合のメンバーです。また、連合の中で心理社会的な障害をもつ人たちの権利は、忘れられたり除外されたりしていません。これはとてもいいことであり、この組織は好ましい組織といえます。

また、精神医療ケアのダッチプラットフォーム(LPGGZ: Dutch platform on mental health care)もその連合に入っています。ダッチプラットフォームはユーザーだけでなく家族もいる混合の組織です。この組織は、家族の影響によっていくらか前進的(progressive)でなくなっています。2005年からある組織で、彼らの主な目標は政策づくりに影響をあたえることです。オランダには、大きなものから小さなものまでいくつかのユーザーの組織があります。しかし、政府の資金はほんの限られた量しかありません。このため、組織が増えると資金を得るための競争が激しくなってしまうのです。精神医療ケアのダッチプラットフォームが設立されたとき、法人組織パンドーラという大きな組織が既にありました。それは1964年に設立された組織で、ユーザーと家族が混じっているけれど、世界で最も古いユーザーの組織の一つです。〔パンドーラは混合の組織です〕が、啓発にかんしてとても前進的で他をしのぐ組織です。ダッチプラットフォームが設立されてから――また、もしかすると彼らの目標が政府と疎通をとることだったからかもしれませんが――このこと〔つまり、ダッチプラットフォームの設立〕が、法人組織パンドーラへの資金のうちきりを進めました。そして、パンドーラは崩壊してしまいました。法人組織パンドーラの悩み事電話相談に応じていた100人のボランティアのピアサポーターたちはほかの組織にうつり、パンドーラはもはや完全にユーザー・サバイバーの運営する組織ではなくなってしまいました。

しかし、精神医療ケアのダッチプラットフォームは、いまも私が協力している組織の一つです。彼らは、隔離(seclusion)(独房監禁(solitary confinement))を減らすための事業に積極的に参加し貢献しています。

ダッチプラットフォームには、私の組織であるマインドライツより多くのメンバーがいます。マインドライツは、オランダの法の下では〔ダッチプラットフォームとは〕違う種類の組織です。マインドライツは、連合ではなく啓発者であり、私たちには会員制ではありません。私たちにはさまざまな方法で貢献してくれる味方たちがいますが。このため、政府が、〔家族と〕混合したり専門化したりしていないために小さいユーザー・サバイバーの組織よりも、ダッチプラットフォームの意見を重視するということがしばしばおこります。このため、ユーザー・サバイバーとしての自分たちの意見をもつことはまだ難しいのが現状です。しかし幸運なことに、ダッチプラットフォームは私やマインドライツに協力を要請してくれています。

私は、強制的な投薬に反対するマインドライツのパンフレットをもってきました。このようなパンフレットを使って私たちは、議論を巻き起こしたり関心を高めたりしようとしています。公然と見えるところにいることで、システムに対して孤独を感じているかもしれないユーザー・サバイバーの支援しようとしているのです。マインドライツは、強制の廃絶、また最近ではUN CRPDの推進にも焦点をあてています。

これがオランダでの私のアドボカシー活動であり、オランダではどのようにユーザー・サバイバーが政策づくりにかかわっているのか、ということです。莫大な苦闘があり、変化はじわじわととても遅く、たいへんで失望や痛みを伴うものです。しかし、これは確実に重要なものです。それは私たちの人権にかかわることであり、確実に闘う価値のあるものなのです。

きいてくれて本当にありがとうございました。フロアからのご質問をききたいと思います。


翻訳:伊東 香純(20150925)




*作成:伊東 香純
UP: 20150911 REV:20151203
Santegoeds, Jolijn  ◇精神障害/精神医療
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