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シンポジウムでのコメント


大藪光俊(JCIL) 2019/11/24
筋ジス病棟の未来を考えるプロジェクト始動,第8回DPI障害者政策討論集会分科会 於:戸山サンライズ

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こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす

 ただいま今村さんから重度訪問介護のシームレス化の話がありました。いまや病院、学校、職場などでの介護保障が現実のものとなりつつあります。これは介護保障の運動がつくってきた、本当にすごい成果です。2014年の障害者権利条約批准後、2016年には障害者差別解消法も施行されました。私たちは各地で相談窓口をつかいながら、差別解消に向けて日々とりくんできました。先人・先輩の運動のおかげで、国会で、電車で、レストランで、飛行機で、障害者がサービスを受け、権利を行使できる時代がやってきました。障害者が地域で暮らす環境は、どんどん整ってきています。

 しかし、施設の中ではどうでしょうか。私も支援に関わっている旧国立療養所筋ジス病棟では、院外への外出が年に一度のとびっきりスペシャルなイベントだったり、数年・数十年単位で太陽の光さえまともに浴びれていないという状況が当たり前になっています。看護師に嫌な顔をされたり、舌打ちされたり、暴言を吐かれたりするからと、ナースコールを極力押さないように心掛け、常に看護師の顔色を伺いながら毎日毎日終わりの見えない日々を何年間も暮らす。そして、ついには陽の光を浴びることなく病院のベッドの上で静かに息を引き取っていく。そんな監獄のような風景があります。宇多野病院まで京都の市街地からバスで20分。宇多野病院を訪問するたびに、筋ジス病棟の実態を知るたびに、地域と病院との落差に言葉を失います。
 金沢の医王病院の斎藤さんは、医療者からいつも「あなたの命のために、身体のために」という言葉を使われて、自由を奪われました。家族もその言葉を信じて、わが子のために医療現場の人たちのいいなりです。閉鎖的な環境に追いやり、経験する機会を奪い、そして子ども扱いをする。あなたは、何も知らない、何も分からないのよ、というように。

 2年前、長期療養の人も重度訪問介護をつかって、病院からの外出や外泊ができるようになりました。重度訪問介護のシームレス化によって、病院の壁に小さな穴があきました。しかし、その穴は、医師や病院の強権力によっていとも簡単に閉じられてしまうものなのです。

 脱施設、地域移行の運動は、どれだけすすめられてきたでしょうか。地域のサービスが充実していく一方で、津久井やまゆり園・相模原事件の後、障害者運動がどれだけ施設にとりのこされた人たちと向き合ってきたのか、と自ら問い直さざるをえなくなりました。各地の人たちの話をきくと、障害者運動が、各地で地道に個別の支援をつづけ、施設や病院に穴を開け、地域移行を粘り強く続けてきたのだとわかります。

 ところが、平成28年11月に厚生労働省が障害者施策の数値目標を検討した資料によると、平成25年度末の施設入所者数を母数とした地域生活移行者の割合は、平成27年度末時点でわずか3.3%。具体的な数で言うと、平成25年度末の全施設入所者数が約13.2万人なの対して、2年間でわずか約4000人しか地域移行できていないということです。また平成32年度までの施設入所者数の削減目標は、年間で1%という低さです。地域移行と施設入所は拮抗しています。地域移行は各地域の個別の努力で、徐々に進んではいるとはいえ、日本全体でみると脱施設や施設解体にはほど遠い状況が依然として大きく横たわっています。
 障害者権利条約第19条には、障害者自らが選択する場所で自由に暮らせる権利を有すること、特定の施設で生活する義務を負わないことがすでに明記されています。しかし、筋ジス病棟をはじめいまだ施設に取り残されている人たちのところにはこんなことなど届いておらず、蚊帳の外に取り残されている状態です。

 私事ではありますが、私は宇多野病院に併設してある鳴滝総合支援学校に小中高と在籍していました。私はたまたま家族の支援を受けて地域で暮らしながら通学していましたが、先輩・同級生・後輩たちのうち、入学後、在学中、そして卒業してからも宇多野病院での長期入院生活をしている人たちがたくさんいます。そして現に私自身も、学校の決まりで高等部に進学する段階で宇多野病院に入院することが決まっていました。たまたま当時の主治医が「君は入院しないで地域で暮らすべきだ」と協力してくれたことで、入院することなく地域で暮らし続けていますが、ほんの少しの偶然とタイミングがかみあわなかったら、自分は間違いなく宇多野病院に入院していました。誤解を恐れず言うならば、自分は綱渡りの上を歩いた結果、たまたま地域の側に転がったのです。もしもあの時、主治医が私の入院に反対しなかったら、今私はここに居らず、宇多野のベッドの上で、ナースコールをおすことをひかえながら、毎日を暮らしていたと思います。
 同じ筋疾患を持っているというのに、地域で暮らす私は好きな時に好きなだけ介助を受けて好きなように暮らせるのに、筋ジス病棟にいる仲間は毎日いつも遠慮し我慢しながら耐え忍んで暮らしている。こんな現状は、誰がどう考えても不平等で理不尽です。この状況をこれ以上黙って見過ごすわけにはいきません。

 いま私たちはずっと粘り強く続けてきた個別支援だけではなく、より大きな波をつくり、地域移行、脱施設を実現したいと思っています。筋ジス病棟からの地域移行、脱施設の運動を、日本全国の施設や病院に隔離収容されている、障害者たちの解放につなげていきたいです。それと同時に、大きな規模の地域移行をうけとめる社会資源の拡充、病院の必要な機能の強化、地域医療の高度化、病院と地域医療との連携なども整備していくことが求められます。そのためにはどのような制度設計が必要なのか。考えていきたいです。みなさんの知恵と力をかしてください。


UP:20191212 REV:
こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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