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内田由佳氏インタビュー

2019/11/09 聞き手:立岩真也 於:徳島市 

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◇文字起こし:ココペリ121 2019/11/09 内田由佳氏インタビュー 119分 聞き手:立岩 真也
内田由佳
こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす  ◇病者障害者運動史研究  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築→◇インタビュー等の記録


立岩:内田さんはもともと徳島の生まれなんですか?

内田:そうです。美馬市という。

立岩:徳島の中にある市で。

内田:そうです。

立岩:で、いろいろ、この間(かん)話聞いてるんですけど、最初から順番に聞いたほうが結局いいなって思うことがあって。もしよろしければなんですけど、何年生まれなんですか?

内田:昭和57年です。

立岩:昭和57、1982か。それで、82年に徳島県生まれで、それでああなって、こうなってっていうあたりのことを、好きなようにというか、言っていただければと思いますけど。

内田:えーと、筋ジスなんですけど。

立岩:うんうん。何とか型っていう型の名前はついてるんですか?

内田:いちおう非福山型。福山型じゃないけど、それに一番近いっていう。はい。

立岩:ずばりバッチリじゃないけど近いみたいな。

内田:そうですね。それで、6歳の頃に、施設へ入って。

立岩:その時はじゃあもう発症というか。

内田:そうですね、もう生まれてすぐに発症。診断が下りて。

立岩:診断はいつ頃だったか記憶にありますか?

内田:もう1歳にならないぐらい。

立岩:じゃあけっこう小っちゃい時。

内田:そうですね。生まれてすぐぐらいです。

立岩:ああ、そうなんだ。デュシャンヌの人ってけっこう五つとか六つとか小学校上がるぐらいの時に…っていう人いるじゃないですか。

内田:そうですね、はい。

立岩:それとはちょっと違うんですか?

内田:ほんとに歩けたりは全然できなくて。一人で立ち上がったり、それぐらいしかできなかったので。

立岩:じゃあけっこう小っちゃい時に診断。診断ていうのはどこでついたって記憶…親から聞いたりしてます?

内田:徳島大学の病院で。

立岩:それで診断ついて、その施設に入ったというのはいつっておっしゃいました?

内田:6歳です。はい。

立岩:それはどこですか?

内田:それは「ひのみね」※っていう、小松島市にあるんですけど。徳島県の。そこに入って、隣接する養護学校へ通ってたんですけど。で、その施設で高校卒業までいて。
http://www.hinomine-mrc.jp/

立岩:小、中、高と。12年とか。

内田:12年です。

立岩:ちなみにその施設っていうのは、なんとか施設っていう制度上の名前があるじゃないですか。それはなんか覚えてらっしゃいます?

内田:それは肢体不自由児の。

立岩:じゃあ併設の養護学校があって、それはすぐ近くというか、廊下を隔てて的な感じ?[00:05:00]

内田:そうです。廊下でつながってる。

立岩:うんうん。けっこうありますよね。

内田:そうですね。

立岩:そこはご実家からはけっこう遠いとこなの?

内田:遠いですね。車で1時間以上。

立岩:寄宿舎っていうか。

内田:そうです。

立岩:その12年間ていうのは、82年に生まれて、6歳で入ったんだから、88年ぐらいで、それから12年だとちょうど、

内田:2000年ですね。

立岩:そうですよね。今から20年ぐらい前か。

内田:そうです。

立岩:その12年間はどんな暮らしというか、どんなふうに過ごされてました?

内田:家に帰ったりするのは、月に1回とか2回。で、外出とかもできなくて。外へ出てるのは、ほとんどしない感じで。

立岩:周りに商店街だのお店だのっていうのはある場所、そういう地域なんですか?

内田:そうですね。わりとあるほうなんですけど。

立岩:外出っていうのは、許可が得られれば出れるみたいなことだったんですか?

内田:家族と一緒であれば。はい。決まった日に、家族と一緒であれば出れる。

立岩:うんうん。その月に2回っていうのは、ご実家に帰るぐらいのことですよね。

内田:はい。

立岩:それはそれで、近所に外出っていうのは、基本、家族いないとだめ?

内田:そうですね。基本的に。

立岩:実家に帰るのとは別に、家族の方が来られて一緒にそこの町を外出ってことはあったんですか?

内田:それも、うちは月に1回、

立岩:月に1回。

内田:外出をしていい、っていうのがあって。その日家族が来て、会って、外へ出て。

立岩:ああ。いつでもいいっていうことでもなかったってことですか?

内田:そうですね。決まった日がありました。

立岩:月に1回っていうのが、基本の回数みたいな感じですか?

内田:そうです。

立岩:ほんとに施設によってだいぶ違う、この間いろいろインタビューしてますけど違うみたいですね。いつでもいいっていうとこもあれば、ほんとにめったに出れないっていうとこも。

内田:そうなんですよ。へえー。

立岩:それで、実家に帰ったり外出っていうのはそんな感じで。寄宿舎っていうのは、この間、「6人部屋がそのうち4人部屋になった」とか、そういう話多かったんですけど、どんな感じでした?

内田:基本的には6人部屋で。カーテンとかがなくて。ほんとに。

立岩:カーテンがない6人部屋。

内田:そうです。

立岩:一つの部屋に、ベッドが3つ×2みたいな感じで並んでるみたいな。

内田:そうです、はい。

立岩:それは、女性は女性でっていうことですよね?

内田:そうです。

立岩:その障害っていうのは、筋ジスの人ばかりというわけでもなく?

内田:ほんとにバラバラで。私がいた頃はもっといろんな障害の人がいて。軽度の人が多かったですし。すごく元気で。

立岩:軽度なんだけど、でもそこの寄宿舎というか施設と養護学校に、っていう人ってことですか?

内田:そうですね。ケアをして、リハビリの間だけ入る人とかもいたし。

立岩:ああ、なるほど、短期というか。

内田:そうですね。

立岩:そんなに長いわけじゃなくてね。

内田:はい。重度の知的障害の人もいましたし、ほんとに幅広い感じでいろんな人が。

立岩:知的障害。

内田:はい。重心ということね。

立岩:ああ。身体のほうにも障害があるっていう。

内田:そうですね。

立岩:いわゆる重心ていう人か。

内田:はい。

立岩:じゃあけっこう雑多って言うとそうなんだけれど、いろんな人がそこに。

内田:うん、いろんな人がいましたね。

立岩:外出とか自宅に、っていうのが月2ぐらいで、けっこう少なかったっていうのは、さっきおっしゃってましたけど、それ以外に、その12年間というか振り返って、覚えてることとか思ってたことっていうのは…。[00:10:22]

内田:そうですね…。やっぱり、いろんなルールがあって、そういう障害とかもいろんな人がいたんで、その人に合わせたルール、知的障害の人がいるから食べ物とかを、

立岩:ん? 何?

内田:あの、おやつが出るじゃないですか。そういうのも、管理がすごく厳しかったり。あと、時間的なルールっていうのが、すごいスケジュールが決まってて。私は初めの頃は、身の回りのことは自分でできてたので、あまりスタッフにやってもらう…身の回りのことをやってもらうことが、最初はあまりなかったんですけど、中学生頃になってきたらだいぶ体が動かなくなってきて、いろいろやってもらうことが増えたんですけど。トイレの時間が決まってたり、お風呂も男女合わせて入ったりとか、そういうことがありましたね。

立岩:車椅子を使いだしたのって、いくつぐらいだったんですか?

内田:車椅子はもうその施設に入った時に使い始めました。

立岩:じゃあその下肢というか足のほうは車椅子だけれども、小学校の時はわりと手とか使えるみたいな感じだったということですか?

内田:そうですね。うん。

立岩:で、中学校入って、そういうところが弱くなっていってという感じ?

内田:そうですね。トイレとか着替えとか、お風呂と、あの、できなくなっていって。

立岩:うんうんうん。その、だんだんお伺いしますけど、学校っていうのは…。3日前か、新潟行って、新潟の盲学校にいたっていう人に聞いたけど、全校で20人とか?

内田:へえー。

立岩:同学年だと、1人とか2人とかいない学年があったりとか。「ああ、そうか…」と思ったんですけど。いらしたとこはどんな感じだったんですか?

内田:同級生は10人ぐらいはいたんですけど、障害によってクラスが分かれてて。

立岩:10人の中でもね。

内田:そうですね。知的に障害があったり、勉強のほうはレベルによってクラス分けされてて。私の同じクラスは、私を入れて3人だったんですけど。

立岩:ああ。10人の中で、まあ言うたら勉強ができるって人と、分かれてて、その10人のうちの3人が、内田さんのクラス。

内田:そうです。

立岩:小、中、高と違うでしょうけど、学校のほうで覚えてることっていうのは?

内田:学校では外へ出たりする機会っていうのはなかなか…。

立岩:うん。

内田:外へ出て、勉強しに行ったり見学に行ったりとかっていう授業があったんですけど。

立岩:あった。

内田:そうです。そういう時も親が来たり、とにかく親と一緒じゃないと外には出たらいけない、みたいな。

立岩:外に出るような行事っていうのは、もう基本親が付くっていう。

内田:そうですね。

立岩:それが前提になるっていうことですかね。

内田:そうですね。

立岩:それは、例外っていうのはあったんですか? 「今日はお父さんお母さんが来れないから、じゃあ 先生が」っていうようなことも、ないではなかったんですか?

内田:そうですね。そういうのもありましたけど。

立岩:たまたまというかどうしてもというか、来れないような時で、原則は親が同伴というか。

内田:そうですね。

立岩:いろんな人いて、「勉強ってほどのようなことっていうのはまあなかったよ」っていう人もいれば、いろんな人いるんですよね。

内田:うーん。はい。

立岩:前に聞いた青木さんていう、今、新潟市議会の議員やってる人は、高校3年生の時に出会ったというか担任の先生が「お前、勉強して大学行ったらいいんじゃないか」みたいなこと言われて、それで初めてというか、勉強する気になって、っておっしゃってましたけどね。内田さんの場合は、どういう流れだったんですか? どういう感じだったんですか?

内田:まあ普通に教科書で勉強したりとかはあったんですけど、でもほんとにゆるい感じで。私もう常に不安で。

立岩:不安で?

内田:うん。外の、まあ一般的な人たちとどれぐらい差が…レベルが違うんだろうとか、そういうのはすごい不安で。私も大学に行ったんですけど、そこから。ほんとに高校3年になって初めてちゃんと勉強して。それも進学したいという希望はあったんで。それで受けて。いや、ほんとに、そこから勉強し出したっていう感じでした。

立岩:うんうん。大学行こうっていう気にはなって、3年生の時はとにかく受験しなきゃっていうんで勉強して。

内田:はい。

立岩:それは結局というか、下調べがついてなくてすみません。どちらに、どこにどうなってああなってっていうのは?

内田:はい(笑)。香川県の大学に行ったんですよ。四国学院大学っていう。

立岩:はいはい、ありますよね。四国学院、いるぞ。そこの大学出たので、うちの大学院にいるのが。

内田:あ、そうなんですか。

立岩:白杉っていうんですけどね。知らない、まあ…。脳性麻痺の男性ですけどね。

内田:へえー。え、何歳ぐらいですか?

立岩:30代じゃないか?

内田:あ、じゃあ近い。

立岩:40いったかな? うん、今ね京都で、大学院生、あんまり論文とか書いてないんですけど、

内田:(笑)

立岩:「書けよ」って言ってるんですけど(笑)、京都でCILやってるんですよ。

内田:へえー。

立岩:スリーピースっていう

内田:はいはい。

立岩:自立生活センターの代表やってるのが四国学院ですね。その時、そう、もう何でも聞きますわ。そうか四国学院だったらけっこう、それなりに受け入れに慣れてたってとこがあったのかな?

内田:そうですね。ただ、私ぐらい重度な人は初めて、っていうので。

立岩:ああ、障害者はそこそこ受け入れてたけれども、

内田:はい。

立岩:内田さんみたいな重度な。その時、車椅子は車椅子でしょ?

内田:そうです、電動車椅子で。

立岩:ちなみに話前後しますけど、呼吸器つけたのがいつですか?

内田:これは二十歳ぐらいに。

立岩:じゃあ大学にいる間ってことか。

内田:そうですね、夜間だけ。夜だけつけるようになって。日中ずっとつけるようになったのは、もっとあとなんですよね。

立岩:ああ、そうか。じゃあ寝る時に使うみたいな。

内田:そうです。

立岩:ああ。大学受験したのは18とか?

内田:そうですね。

立岩:で、一発で受かったんですか?

内田:はい。

立岩:あらま。

内田:(笑)

立岩:受かって。その時は、根掘り葉掘りみんなに聞いてるんですけど、受験の時の例えば筆記であるとか、その…。3日前、僕視覚障害の人に「どうやって試験したの?」っていう話聞いてたんだけど、内田さんの場合は、どんな…、どういう配慮というかどういうふうにして、その試験を受けたんですか?

内田:…は、特になくて。普通にやりました。

立岩:それは何、ペンというか鉛筆というかを自分で持ってっていうこと?

内田:そうです。

立岩:その時は筆記を自分でした?

内田:そうですね。

立岩:時間も普通の時間内ですか?

内田:普通の時間内。

立岩:そうだったんだ。特にその、「受験を考えてるんだけど」って言いに行ったら「いや、うちはこんな…」っていうような、そういう対応というか、そういうものはなかった?

内田:なかったです。

立岩:わりとすんなり。

内田:はい。

立岩:普通に行って、普通に受けて。

内田:普通…、そうですね。

立岩:そうか。四国学院、香川か。河東田博ってご存知ですかね。知的障害の人の自立生活とかそういう…、

内田:名前は聞いたことあります。

立岩:たぶん彼はそのあとずいぶん長いこと立教にいたので、たぶん時期的にはかぶってないと思うんだけど、振り出しは四国学院じゃないかな。

内田:あ、そうなんですか。

立岩:うん。もう、立教も退官されたと思いますけどね。そういう人が。四国学院、けっこうなんだかんだ…、

内田:けっこういますよね。

立岩:いますよね、関係者っていうか。

内田:うん。

立岩:大学の生活っていうものはどんな具合でした?

内田:トイレとかは自分でできなかったので、介助はやっぱり必要なので、最初は親に来てもらったりしてたんですよ。お昼だけ来てもらってトイレして、っていう感じでやってたんですけど。でも、私が入学した時に、もう一人脳性麻痺で、かなり重度な人が一緒に入学して。で、その人と一緒に、サークルというかボランティア団体を作って、

立岩:新しく自分たちで作った?

内田:そうですね。他の学生とか何人かで。で、学内で介助をしてもらえるボランティアを集めて、その人たちに介助をしてもらう。

立岩:ふーん。その、新たに作ったってことは、それまではなかったっていうことでもあるんですかね?

内田:そうですね。そういうものはなくて、今までは。

立岩:障害のある学生はそこそこいたけど、常時というか学校の中で介助が要るような人っていうのは、いなかったっていうことなんですかね?

内田:そうですね。ノートテイク・サービスとか、聴覚障害とか、そういう人に対するサービスはあったんですけど。

立岩:ああ、それは学校が提供するものとしてあった。

内田:はい。

立岩:だけど入った時には、そういう日常の介助とかそういうのはなくて。

内田:うん。

立岩:ボランティアベースで、学生さんにやってもらうっていうのか、そういうことか。

内田:そうです。

立岩:ちなみに、そのサークルっていうのは名前があったんですか?

内田:サークルは、えーっと、「WITH(ウィズ)」っていう。

立岩:「一緒に」っていう、その「ウィズ」ですか?

内田:そうです、そうです。

立岩:カタカナ? 英語?

内田:英語で。

立岩:英語のほうの。はいはい。

内田:…だったと思います。で、その団体を、まあ、大学に予算をつけてもらって、バイト代を払って学生を雇うみたいな形にしてみようってことになって。で、大学側と交渉して予算を出してもらって。大学のサービスとしてそれをしていったっていう。

立岩:それがその在学中というか。それは何、サークル作ったのはもう大学入ってからすぐみたいな感じ?

内田:そうですね、半年ぐらい。

立岩:1年生の半年ぐらい経って、その脳性麻痺の。その人はちなみに男性、女性?

内田:男性です。

立岩:男性の脳性麻痺の。その人も同時だから1年生ですよね。1年生2人で、学生呼びかけてサークルを作って。で、その大学が、その学生さんに人件費というかお金を払うようになったのはいつ頃だか覚えてますか?

内田:それは…、2年の途中ぐらいだったと思うんです。

立岩:1年の途中で始めて、2年の途中で、

内田:1年後ぐらい。

立岩:うん、1年ぐらい経って、大学が「お金出すよ」っていう。

内田:そうです。

立岩:そういうことになった。

内田:はい。

立岩:そうか。82年、2000年、2001年とか、そのへんか。

内田:そうですね。

立岩:ああ。いや、わりと最初からそういう意味ではこう、みんなを組織したりとか一緒にやるっていう積極的な感じがするんですけど。

内田:はい。

立岩:やっぱりほんとに人によって違いがあって。「学生の時は何もそんなことなかったよ」っていう人と、わりと最初から飛ばした人と。

内田:うん(笑)。

立岩:何が違うんだろうなって思うことあるんですけど。内田さんはわりとこう、僕の、今、聞いてる範囲ですよ、としてはスタートが早いなっていうか。

内田:そうなんですかね。

立岩:積極的っていうか…な気がするんですけど、それはなんか自分で思い当たるというか、事情っていうか、自分で思うわけっていうか、そういうのはあります?

内田:うーん…。まあほんとに知り合いとかもいないですし、頼れる人がいなかったので。それに施設でいた時はほんとに何もできなくて。そういう外での経験とかも何もなかったのでほんとに不安で、なんとかしないといけないっていう、身の回りのことも誰かにしてもらわないといけないっていうので。いちおうまあ、そういうのがないとやっていけないので。

立岩:ああ。

内田:うん。「やるしかない」っていう感じで。

立岩:けっこう実用に迫られてというか。

内田:そうですね。

立岩:ああ、なるほど。四国学院、入ったのは何学部っていうか何学科っていうか、どういうところだったんですか?

内田:えーと、社会学部、社会福祉学科です。

立岩:それもいろいろじゃないですか。この間聞いた時、なんだったかな。英語の先生になるってその時思って、外語大学みたいなのに入ったっていう人だったかな、4日前に聞いた人は。内田さんの場合は、四国学院のそこを志望されたっていうのは、何かその時に考えはったんですか?

内田:社会福祉士を取りたくて。

立岩:はいはい。そうか、もうあるもんね。

内田:そうです。ちょうど始まったぐらいですかね。

立岩:うんうん。そういう資格化が、2000年だから介護保険が始まって、なんやかんや資格が…っていう頃か。

内田:変わっていく時期ですよね、いろいろ。

立岩:「なんか資格取ったら、資格で飯が食えるかな」的な、そういうのもあった?

内田:そうですね。仕事をするには、っていう考えだけで。

立岩:うんうん。養護学校の時に、その種の、こういう資格とかがあって、社会福祉士っていうのがあるっていうような、その類の情報を得たっていう人と、いや、そんなこと誰からも聞いてないなっていう人と、これまた分かれるんですけど。内田さんの場合は、高等部とかにいた時に、進路指導とか担任の先生とかから知らされたみたいなことがあったんですか?

内田:そうですね、相談はしましたけど、そういうのを聞いたことはなかったです、人からは。自分で本を読んだりして、調べて、そういうのをやりたいっていうふうに。

立岩:そういう資格がある、と。で、四国学院にそういう学科があって、試験受けて通れば社会福祉士の資格が取れるってなことを。ネットですか?

内田:そうですね。

立岩:ああ。で、知って、ということか。

内田:はい。

立岩:それで、そこでサークル組織して、2年生になったら大学からお金が出るようになってっていうような、それはさっきの話でしたけれども、それ以外にというか、大学は4年間いらした?

内田:はい、そうです。

立岩:ていうことは、4年で出たというか。

内田:そうですね、卒業です。

立岩:その4年間、後半というか、結局それで社会福祉士取ってっていうその願望というか、それはどういう…、どうだったんですか?

内田:授業はずっと受けてて単位も取れてたんですけど、その、呼吸器つけるぐらい…、ちょうど体調とかがいろいろ変わってくる時期になっちゃって。で、カゼをひいたりして入院を繰り返したりして、すごく体、一気に変わってしまって。で、実習とかに行けなくて、実習の単位てほんま取れなくて。で、補習を受けるのは難しい、というふうになってしまって。で、結果的に社会福祉士もちょっと挫折してしまって。なんとか卒業はできたんですけども。

立岩:4年間で単位は揃えたというか。

内田:そうですね。

立岩:規定単位数は数は足りたと。だけど、社会福祉士の試験受けるための、実習であるとか、そういうことが無理というか。

内田:そうですね。

立岩:なるほど。ちょっと話戻しますけど、一番最初に親が来てたって言いましたけど、それは母親ですか?

内田:そうです、母親とか。

立岩:ああ。それは何、僕は徳島のことわかんないんですけど、ご実家のある町と、でも香川だもんね、県が違うわけだよね。

内田:そうです。

立岩:その時は、お母さんは大学の近くに住んでたんですか?

内田:そうです。あっちで部屋借りてて。で、母親と、あと祖母が交代で来てくれてて。

立岩:ああ、なるほど。そのアパートというか借りた所に、お母さんかおばあさんかが交代で来て、二人でそこに住んでたみたいな?

内田:そうですね。で、母は、その大学がある所まで、こっちへ来るより近いんですよ。で、車で3、40分で行けるので。

立岩:徳島の家から?

内田:そうです。

立岩:ああ。じゃ、そんな、むちゃくちゃ遠いってわけじゃない。

内田:そうなんです。

立岩:そのアパートから通ってた時も、ご実家からお母さんが通ってた時も、両方あったみたいなことですか?

内田:そうですね。

立岩:ああ、なるほど。その4年間の間にそのサークルができ、大学からなにがしかのお金が出るようになり、その4年間の間に親…、でも4年間は親なりおばあさんなりっていうのは来てらしたんですか?

内田:そうです。ずっと来てもらってました。

立岩:ああ、なるほど。それでその、社会福祉士は取れなかったけど、大学は卒業した。

内田:はい。

立岩:2003年とか2004年とか?

内田:2004年でしたね。

立岩:2004年の3月に卒業。

内田:はい。そうです。

立岩:今から15年前か、ですよね。

内田:そうですね。

立岩:うん。で、その時というか卒業した時は、というか卒業する前後?

内田:はい。

立岩:その、社会福祉士のほうはあきらめて、どないすんねん、みたいな。

内田:そうなんです。それで、「どうしよう」と思って。まあその、体調が悪くなった時とかに、「もうちょっと勉強したいな」とそういう気持ちもあったんで、資格も取れなくなって就職とかも難しいってなって、「大学院に行ったりするほうがいいのかな」って思ってたんですけど、それもできなくて。で、結局実家へ戻って。ずっと、何もせずに過ごすって。

立岩:四国学院て、大学院その時ありました?

内田:ありました。

立岩:大学院生もいた?

内田:はい。

立岩:ああ。それは何、いろんな理由あるじゃないですか。お金がかかるとかさ。立命館とかけっこうかかるんですけど。

内田:そうですよね。

立岩:ちょっと上に行ってっていうのは、その時はしなかったっていうのは、何ですか?

内田:それは体の…体調というのはありましたし、精神的にもちょっとつらくて。「やっぱ行けない」っていうふうに思ってしまって。

立岩:あ、なるほどね。そっか、じゃあ、まあ言うたら自宅療養みたいな?

内田:そうですね。

立岩:2004年。その生まれた街の、生まれた家に、

内田:そうです。

立岩:ちなみにそこはご実家っていうのは、ご両親、おばあさん、

内田:そうです。あと兄が。

立岩:おばあさん、両親、お兄さん、

内田:と、私。

立岩:これで4ですよね。

内田:はい。

立岩:で、5。

内田:はい。

立岩:5人家族というか、5人同居というか。

内田:はい。

立岩:そんな感じで。そこは、実家にっていうのは、どういうふうにその生活は続いていくんですか? あるいは変わっていくんですか?

内田:原則は、家族にずっといろいろやってもらってて。で、まあ障害はどんどん重くなっていくので、ヘルパーさんに入ってもらうようになったりして。で、もっと時間数を増やしたいってなって、まあなかなか行政ともうまくいかなかったり、事業所もなかったりっていうなかで、CILの存在っていうのは大学時代に知ってて、関わったりはあんまりなかったんですけど。

立岩:知ってはいた?

内田:知ってはいました。

立岩:その、いわゆるヘルパーっていうか、制度を使うのは卒業してからすぐに使い始めたんですか?

内田:大学時代も少し使ってたんですけど。

立岩:香川にいた時に使ってて、実家に戻られてからも。ちなみにその時間数というか、どのぐらいの感じで使っていたのがだんだんどうなってっていうのは、覚えてらっしゃいますか?

内田:最初は1日2時間とかでちょっとづつ増やしていって。で、最終的には1日5、6時間使うようになったんですけど。

立岩:それが何年でもいいし、自宅に戻ってから何年目でもいいし。いつ頃ってことですか?

内田:そうですね、自宅に戻って5年ぐらい経った時。

立岩:5年ぐらい経った時に、2時間が6時間ぐらいになった。

内田:そうです。

立岩:それは直接自治体というか窓口にっていうようなことがあったんですか?

内田:そうです。

立岩:自分で行った?

内田:はい。

立岩:ああ。で、それで2時間は6時間になった。あと、さっきおっしゃったけど、事業者というかそれを派遣してくれる団体っていうのが、なかなか難しかったということですか?

内田:そうですね。普通のコムスンとかを使ってたんですけど。来てくれるところがなかなか見つからなくて。

立岩:コムスンは初めは来た? この間そのコムスンの話、別の人から聞いて。梶山さんていう今東京にいる筋ジストロフィーのお兄ちゃんに。

内田:ああ、はい。

立岩:「あれはあれでまあ悪いことやって潰れたけど、あれ、あん時はあれで助かったんだよね」みたいな話を彼もしてましたね。

内田:うん、そうですね。他は来てくれないけど、コムスンは…。

立岩:そうだよね。

内田:入ってくれるって。

立岩:うんうん。その話はたまに聞きますね。たぶん全国津々浦々っていうか。

内田:そうですよね。

立岩:客がいれば、みたいなね。

内田:うん、そうです。

立岩:そういうことありましたよね。そっか。コムスン。自分が使ってた時期と、コムスンが撤退した時期っていうのはかぶるっていうか、そういうことも。自分が使ってる時にそういうことがあったっていう記憶はありますか?

内田:そうですね。途中で、まあコムスンはああいうことになって、別の会社に、なんていうんですか、吸収っていうんですか、されて、そこから来てもらうようになったので、特別困ったっていう感じではなかったんですけど。

立岩:ああ、なるほど。コムスンが別のところに吸収というか、ていうことで。

内田:はい。そのまま同じ人に。

立岩:じゃあその、2時間から6時間ぐらいの時は、それなりに派遣の会社というか、それ自体はなんとかなってたってことですか?

内田:そうですね。でも、6時間になった時点で、増えた時点で、そのコムスンだったところが「これ以上は増やせない」ってなって。で、別の事業所を何軒も当たったりして。時間数は増えたんですけど、実際入ってもらうことはなかなか難しかったです。

立岩:「6時間まではいったけど、それ以上は」っていう感じ?

内田:そうですね。

立岩:それで、どうしたの?。

内田:それで、どうにかしないといけないってなった時に、そのCILっていうのを思い出して。高松のCILとか、高松のほうのCILに問い合わせたり。CIL高松に問い合わせたりして、相談したりしてたんですけど、なかなか具体的には進まなくて。で、広域協会をたまたまネットで見つけて。で、大野〔直之〕さんに連絡して。

立岩:それはほんとにたまたま?

内田:そうです。

立岩:ネットで検索したら、広域協会出てきた。

内田:はい。

立岩:その時検索した時は、大野さん、もともと四国の人だとかも全然知らなかった?

内田:全然知らなかったです。

立岩:でしょうね(笑)。

内田:はい(笑)。で、「徳島です」って言ったら、「やってるよ」って言われて。

立岩:あの人、高知大じゃなかったっけ?

内田:そうですね、高知出身。

立岩:ですよね。たぶん彼が東京に出た頃のことから、ちょっと知ってますけどね。

内田:へえー。

立岩:それは電話で? メールで?

内田:最初は電話で。

立岩:広域協会に電話したのが、

内田:それが30歳ぐらいなんで、7年前ですね。31歳…とかですかね。

立岩:そうか。22で大学出られたんですよね。

内田:そうです。

立岩:そこから言うたら、8年、9年。

内田:そうですね。はい。

立岩:それなりに年月を過ごしたあと。

内田:そうです。

立岩:そのあいだに高松…コムスンとか、CIL高松とか、なんやかんやあったけれどもっていうことですね。

内田:そうです。

立岩:それで広域協会に、31ぐらいの時に。それで話はどうなっていくわけですか?

内田:で、まあ自薦ヘルパーを使うっていうことになって。それなりの時間数を出してもらえて、実家にいる時点で。家族と一緒に生活しながら24時間介護を使えるっていうふうにして、で、そこから自立に向けて準備を。

立岩:実家で生活している段階で24時間取れた。そういうことですか?

内田:はい。

立岩:それはちょっと珍しいかもしれないですね。でもまあ、それは何、もとの、徳島の町というか…で、取れた?

内田:そうです。美馬市で。

立岩:なるほど。で、自薦ヘルパーだから、自分でヘルパー見つけてこないといけないですよね。それはどういうふうにして?

内田:で、広域協会に教えてもらいながら、あとILPとかも徳島に来てもらって。受けながら、求人とか面接をやって。で、徐々に人を増やしていって。で、ちゃんと24時間埋まるぐらいになった時点で、徳島市へ移ってきて。

立岩:その時の求人は、どういう求人の仕方? 求人誌とか使ったりしたんですか?

内田:そうですね、ハローワークと求人誌で。

立岩:なんとかなったんですか? その時は。さっきは「なんとかした」つってましたよね。

内田:そうですね、5人集まるまでに1年ぐらいかかったので。

立岩:だんだん増やしていって、5人確保というか、ゲットして。

内田:そうですね。はい。

立岩:それは実家におられた時ってことですよね?

内田:そうです。

立岩:そのあと徳島に引っ越した?

内田:そうです。

立岩:ちなみに、全然土地勘わかんないんですけど、その、美馬から徳島って、距離的にはどんなぐらいのもんなんですか?

内田:距離的にいえば4〜50キロはあるんで、車で、高速を使って1時間ぐらいですね。

立岩:そういう距離感のとこなんですね。で、徳島に移った。それは自分で部屋というか、探して。

内田:そうです。

立岩:そこは今も。徳島の中では引っ越してないんですか?

内田:そうですね。

立岩:その時に、越してきた所に住んでる?

内田:今も住んでます。

立岩:市内の、全然わかんないんですけど、市内の?

内田:はい。

立岩:今日はだいたいどうやっていらしたんですか?

内田:いちおう車でここまで15分ぐらい。

立岩:ちなみにあそこにいる二人のヘルパーは、そういうヘルパー?

内田:そうです。

立岩:そうそう、その美馬にいた時の、その5人のヘルパーっていうのは、徳島に移った時にどうなったんですか?

内田:徳島に移ることは前提で求人してたんで、こっちに近い人を求人したんですよ。

立岩:うんうん、なるほど。

内田:なんで、一緒に。一緒の人が入ってもらって。

立岩:じゃあその5人は、徳島市に移ってからも継続というか。

内田:そうです。

立岩:なるほど。徳島、引っ越したのが何年だ?

内田:こっちに来て…。2016年の3月に引っ越ししたんで、3年半以上ですね。もうすぐ4年ですね。

立岩:来年になると4年か。3年半、徳島市に住んでいると。

内田:はい。

立岩:美馬で24時間出たって言いましたけど、徳島もそれは継続というか、取れた?

内田:そうです。また交渉し直して、取れたんですよ。

立岩:それは、すんなりいったんですか?

内田:すんなりはいったんですけど、時間数はちょっと減っちゃって。

立岩:24ではなくて、っていう感じですか?

内田:いや、24時間以上取れてたんで。今、860…、

立岩:二人の部分がちょっと削られたみたいな、そういう話ですか?

内田:そうですね。

立岩:じゃあその5人は、3年半のあいだに交代というか変わったりっていうことはあったんですか?

内田:そうですね、1回ありました。こっちへ来て、もう1人雇って。

立岩:5人が6人になって。

内田:6人になったんですけど、でも1人辞めちゃって。

立岩:それは最初の5人の中の一人が。

内田:そうです。

立岩:で、また5人いる?

内田:そうです。

立岩:今、その5人で回してるというか。

内田:そうですね。

立岩:それは安定的にというか、うまいことやれてるっていう、自分では思ってらっしゃる?

内田:そうですね…。なんとか、なんとか(笑)。

立岩:その、徳島市でも徳島県でもいいですけれども、そういう暮らし方をしている、広域協会利用する分にはけっこう一人でやれちゃう部分もあるじゃないですか。

内田:はい。

立岩:そういう、徳島の中での横のつながりっていうか、同じような境遇というか、そういう人っていうのは、この間 (かん)、どんな感じ、あったんですか?

内田:私が24時間取ってから、他に二人ALSの人なんですけど、24時間取る人が出てきて。

立岩:じゃあ、第1例みたいな感じだったんですね。

内田:そうです、ほんとに一人目で。全然なかったので、今まで。

立岩:それまでなかったけど、徳島に関してはわりといけて。で、そのあと、ってことですよね。

内田:そうですね。

立岩:ああ。ALSの人ですか。

内田:そうです。高齢の人なんで、自立とかじゃないですけど。

立岩:はいはい。なるほど。じゃあ制度的には自分が最初の例だったんだけど、2人目、3人目、ALSのまあまあ年いった人たちが取れるようになったっていうのは、徳島市でいいんですかね、それは。

内田:いや、違う所です、全然。

立岩:県内の別な所ですか?

内田:はい、そうです。

立岩:その人は、そういう人がいたよっていうこと? それ以上の付き合いっていうか、関係というか、そういうものは。

内田:まああの、私はちょっとアドバイスをさせてもらったり、そういうので関わったりはしてたんですよ。

立岩:それはどういうルートで、そのALSの人から相談というか、どういう、どこ周りで、どこ経由で来たっていうのはあったんですか?

内田:その人は、私の新聞記事を見て。で、相談してくれて、広域協会につなげて、っていう形ですね。

立岩:本人が新聞記事見た。で、連絡があった。それで、内田さんが広域協会につなげたと。

内田:はい。

立岩:ちなみによろしければ、その人のALSの人のお名前っていうのは覚えてらっしゃいますか?

内田:えーと、武川さん。武士の武に、かわ、3本の川で。

立岩:へえー。武川さんていう人が県内にいらして。

内田:そうですね。

立岩:それは、徳島市に来てからってことですか?

内田:からですね。

立岩:新聞、そうやって何度か、こういう人いるよ的な記事にしてもらったってことが、この間、何度かあったりしたんですか?

内田:そうですね。けっこう出してくれて。知ってもらったり、できるようになってきたみたい。

立岩:徳島って、『徳島新聞』って

内田:あります。

立岩:自分が出たのは、何新聞とか何新聞とかあるんですか?

内田:一番多く載せてくれたのは『徳島新聞』なんですね。でも『朝日』とかも載せてもらったりもしました。

立岩:それは『朝日』の徳島県版みたいな?

内田:そうですね。

立岩:それで、そうか、そういうのを頼ってというか、それで一人の人はその武川さん?

内田:はい。

立岩:…はそれで。もう一人の方は、どうやって知り合いっていうか、知ってるんですか?

内田:その人も、まあ同じような感じで。

立岩:あ、そうか。けっこうやっぱ新聞で知るっていうことは、まあ逆に言やあ、見なきゃわかんないっていうことになるかなあ。

内田:そうですね。

立岩:なるほど。この間そういうことがあったと。それで、この3年半か。で来年、例えば徳島で催しという話もあるじゃないですか。

内田:はい。

立岩:それも含めてですけど、これからどういう展開というか、を考えて、自分でセンター作りたいみたいなことは。

内田:いちおう作ってて、今もやってるんですけど。

立岩:それは、いちおう、いちおうじゃないや、ある?

内田:いちおうあります。

立岩:名前は?

内田:「自立生活センターとくしま」※でやってるんですけど、まだまだ、自立者とかは出てないんで、そういうのをもっと増やして、利用する人を増やしていきたいなっていうのは。
https://www.facebook.com/ciltokushima/

立岩:「とくしま」は、漢字の徳島でいいんですか?

内田:ひらがなです。

立岩:ひらがなの「とくしま」ね。「自立生活センター(ひらがなの)とくしま」。

内田:はい。

立岩:それは法人ですか、任意団体?

内田:任意団体です。

立岩:今のとこ任意団体。

内田:はい。

立岩:設立はいつってことになるんですか?

内田:いちおう2017年の夏頃です(笑)。

立岩:2017年ね、の夏。8年、9年、2年そうか。こちらにいらして1年ぐらい、

内田:そうですね。

立岩:ていうことですかね。1年ちょい経ったあたりで。それは、今そのオフィスっていうか、はご自宅というか。

内田:そうです。自宅で。

立岩:一緒にやってくれてる人っていうのはいるんですか?

内田:当事者はいないですね。

立岩:ああ、まだいない。それは事務局っていうか、事務仕事的なことを誰かにお願いしてるんですか?

内田:いや、まだ。

立岩:まだ。これからっていうか。

内田:そうです。ほんとに、うん、これからみたいな…です。

立岩:JILとかには、加盟というか。今でも未来会員とかあるんですかね?

内田:いや、今はないですね。

立岩:昔はなんか、未来会員、準会員、正会員って、3ランクくらいあったんですけど。

内田:ありましたよね。JILにまだ加盟はしてないですけど。でもまあ参加して、いろいろ。

立岩:加盟はしてないけど、催しがあったりすると出ていくっていうか。

内田:そうですね。

立岩:そういう感じですか。

内田:はい。

立岩:どうですかね、そういう活動がいけそうなとこと、なかなか思いはあるけど難しいよっていうとこと、いろいろ聞きますけど。僕は3日前聞いたのは新潟だったんですけど、「いっぺん作ったんだけど、いろいろ内輪揉めがあったりなんやかんやでね」っていう話が3日前の話でしたね。

内田:へえー。

立岩:徳島、なんか、そういうこう、一緒にいけそうな人とか、どうですか(笑)。

内田:そうですねえ。介助を利用したいっていう人はいたりして。まあヘルパーさんがいないとか、そういうので利用したいとかいう人はいたりはするんですけど。一緒に活動したりとかっていうのは、まあまだいないので、そうですね。そもそも、そういうのをね、自立したいっていう人は、まだ出会えてないです、出会えてないというか。

立岩:事業所として利用したい的な人はいるけれども、っていうか。

内田:うん。で、まあ、ILPをやってる人とかもいて、まあ自立に向けてやってる人はいるんですけど。

立岩:なるほど。僕実は徳島に来るのこれで3回目なんですけど、一番最初、何だったっけなと思って、10年以上前だと思います、徳島大学に呼ばれた時が最初だったんだろうなと。
※立岩真也 2001/02/05 「障害者自身によるニーズ評価とケアマネジメント」(依頼された題),平成12年度難病研修会(徳島県保健福祉部健康増進課)

内田:へえー。

立岩:まあ、それはほとんど何の関係もないんですけど。例えばね、今、京都だとね、旧国立療養所だった宇多野病院てのがあって。そこの院長さんて、去年の4月からかな、代わったんですけど、その人って徳島大学の医学部にいた人なんですよ。

内田:あ、そうなんですか。

立岩:で、徳島って、私、今、18年…去年に本を1冊書いたんですけど、けっこうその…拠点ていうのも違うかもしんないけど、神経内科のお医者さんがいて、わりと初期から筋ジストロフィーとか、筋疾患、神経疾患のところのパートがあるみたいなとこらしいんですけど。

内田:そうですね。

立岩:そういう話っていうのは、なんか聞いたりします?

内田:前、多田羅先生っていう…、

立岩:たたら。

内田:はい。だいぶ、神経難病とか、筋ジスとか、だいぶ力入れてやってる先生がいたんですけど。今は大学の先生で病院にはいないんですけど、その人がいた時はだいぶ、いろいろやってた印象はあったんですけど、今はあんまり。そうですね。いちおう、ね、筋ジス病棟がある病院はあるんで、拠点ではあるんですけど。

立岩:そうなんですよ。それをちょっとお伺いしたくて。僕も今みんなで一緒にやってるプロジェクトの隅っこのほうで、加わらせてもらってるけど、やっぱ地域地域でほんとに状況、いろいろ違うんですけど、徳島って国立療養所にあたるっていうか、例えば筋ジストロフィーが何十人とかいるような病院というのは、ある?

内田:あります。徳島病院ていう。

立岩:徳島病院ね。

内田:はい、独立行政法人。

立岩:…に今はなってるっていう。

内田:そうですね。

立岩:そこには、今でもというか、けっこう筋ジスの人はいるっていう。

内田:いますね。

立岩:ああ。例えばね、鹿児島なんかだと、それこそ鹿児島の療養所の近くで自立生活センター始まって。そこから出た人が中心になって始めてる、とか。

内田:うん。

立岩:そのパターンが。この間、JILのやつでインタビューした時は、「へえー、そうなん、それもあるんだ」と思ったんですけど。徳島の、その徳島病院の人たちとの動向というか、付き合いというかつながりっていうか、そうしたものは? あるいは、誰かの話を誰かから聞いたとか、そういうのは?

内田:私も、あんまり筋ジスの知り合いとかいなくて。入院してる人とかつながりはなかったんですけど、最近ちょっと持てるようになったり、話を聞いたりできるように少しづつなってきて。で、これからもっと関わりもっていかないといけないなっていうところで、まだまだなんですけど。

立岩:それは、今までは知らなかったけど最近ていうか、知り合ってっていうのはどういう経緯で?

内田:知り合いにつなげてもらったり。

立岩:知り合いの知り合いみたいに。

内田:そうですね。

立岩:それはどういう知り合い?

内田:徳島病院に入院してて、今は自立して生活してる人がいるんですけど、香川県のほうで。で、その人につなげてもらって。

立岩:じゃあぽつりぽつりと。まだ徳島病院に行ったことはない?

内田:私、通院してて。でも入院してる人とは…。

立岩:入院の病棟っていうかさ、外来の病棟とちょっと違うじゃないですか。それは入院してるところの病棟とかにいたりっていうのは、経験ていうのはあったり?

内田:検査入院とかではあるんですけど。

立岩:ああそうか、検査入院ね。どうなんですかね、その徳島病院に今いる人たちってどんな人たちで、どういう気持ちでって。あるいはその病院、ほんとにあのJILの仙台でやった時に3、4人たて続けにお話を伺ったんですけど、なんかもう全然外出とか勝手にできるってとこもあれば、かなり厳しくっていうところもあるし。

内田:そうですよね、バラバラ。

立岩:一言で独立行政法人つって、国立療養所つっても、けっこう違いもあるんだなと思ったんですが。なんか、徳島のことで聞いてることっていうのはありますか?

内田:徳島は、あまり車椅子に乗ってる人自体あんまりいなくて。もうほとんどベッドにずっといるっていう人がほとんどなんですよ。で、この間のプロジェクトのアンケートを二人ぐらいやったんですけど、その人、もう外出とかも何年もしてないって言ってたり。お風呂に入ること自体、10年ぐらいしてないから。

立岩:どのぐらいしてないって?

内田:10年。

立岩:拭いたりなんかはするけど、浴槽に入ったことはないよ、っていうかそういうことですか?

内田:そうですね。

立岩:なるほど。アンケートは、面接に行ってやるのと、オンラインというかネットでというか、両方あるじゃないですか。その徳島の二人っていうのは、どうやってやったんですか?

内田:一人は面談で。

立岩:それは行かれたんですか?

内田:そう、行きました。

立岩:一人の人にじかに会いに行って。一人の人はネットで?

内田:ネットで。

立岩:ああ、なるほど。けっこう、そうか、車椅子に乗らないというか乗せてもらえないというか。どうなんでしょうね。

内田:乗せ…、どうなんですかね。いちおう、その、話しした人は、「自分もういい」っていうふうに。

立岩:何がいい?

内田:もう、自分も今の状態で、

立岩:ああ。

内田:うん。「座ったらしんどいし」とか「お風呂もしんどいし」って言ってる。

立岩:うんうん。まあこれはこれでが仕方ない的なっていう感じですかね。

内田:まあ仕方ない、っていう感じで言ってたんですけど。

立岩:うんうんうん、なるほど。どうなっていくかなあ。その徳島病院っていうのは、今、ここ徳島駅から、例えばね、だと、どういう位置感というか距離感というか、なんですか?

内田:ちょうど車で1時間ぐらいですね。ここからだと。

立岩:あとで調べてみますけど、方角的にはどっち行くんですか?

内田:西のほうへ。

立岩:今、僕、京都に住んでいて、日本自立生活センターJCILの人たちが宇多野病院という旧国療に通ってる、それはまあまあ街の中にあるんで、比較的みんな通ってるんですけどね。車で1時間だとちょっと遠いか。むちゃくちゃ遠いわけでもないけど。

内田:ちょっと遠いですね。

立岩:そこらあたりから、徳島、越してきたいんだけど的な人っていうのはいるのかなあ。体の状態もあるだろうし。けっこう長い人も多いんでしょうかね。

内田:長い人がほとんどみたいですね。

立岩:でしょうね。そうか。それがこれからどうなっていくんだろうなあ。

内田:そうですね。

立岩:今度、11月23、24日、DPI、東京であったりですけど、いらっしゃったりする? あるいは年末はJILか。

内田:そうですね。

立岩:どっちかに行ったりってのは、あり…、

内田:JILには行こうと思ってます。

立岩:JILは今年は福岡?

内田:そうですよね。

立岩:JILには行こうと。

内田:はい。

立岩:そうですか。あれ、今年の仙台でやった時にはいらっしゃらなかった?

内田:仙台行ってないです。仙台、行かれてたんですよね。

立岩:そうなんです。仙台行って、1日目かな、着いた日の午後に筋ジスのシンポジウム行って。その翌日に、沖縄、鹿児島、岡山、北海道にいて今は東京の人、それから北海道の人に話を聞きました。
※金城 太亮 i2019 インタビュー 2019/06/25 聞き手:立岩真也 於:仙台 …沖縄
※川崎 良太 i2019 インタビュー 2019/06/25 聞き手:立岩真也 於:仙台 …鹿児島
※小林 勝 i2019 インタビュー 2019/06/25 聞き手:立岩真也 於:仙台 …岡山
※岡本 直樹 i2019 インタビュー 2019/06/25 聞き手:立岩真也 於:仙台 …北海道→府中
※佐藤 祐・菅野 亜紀子 i2019 インタビュー 2019/06/25 聞き手:立岩真也 於:仙台 …北海道

内田:ああ、佐藤さんとか。

立岩:いろいろ聞いて。違いもあるし、共通性もあるし、面白かったんですけど。そのあと東京に行った時に3人ほど、今東京にお住まいの筋ジストロフィーの人に、3人に話聞いて。
※長山 弘 i2019 インタビュー 2019/08/25 聞き手:立岩真也 於:東京都調布市・長山氏自宅
※岡本 千春 i2019 インタビュー 2019/08/25 聞き手:立岩真也 於:東京都府中市・CILふちゅう・フリースペース
※梶山 紘平 i2019 インタビュー 2019/08/25 聞き手:立岩真也 於:東京都武蔵野市・梶山氏自宅 ※

内田:梶山くんとか。

立岩:梶山さんとか。梶山さん、その1週間後だか10日後ぐらいに京都に遊びに来てて。その時、京都でもちょっとしばらく話ししましたけど。あのへんはなんで知ってるんですか?

内田:それは研修とかで一緒だったり。

立岩:ああ、研修か。あとはフェイスブックつながりとか?

内田:そうですね。

立岩:ああ。そうですね、東京で会った3人は、一人はかなり年になってからいっぺん国療入って、まあそんなに長いこといないで出たっていう人と、残り二人は、一人はもともとは奈良の人で、施設に入所してたってことはなくて東京にやって来て、大学生、女性の方ですよね。大学生やって、でもやっぱその方も大学にいる間に体の状態、けっこうきびしいというか、ようなことがあってってことはおっしゃってましたね。

内田:へえー。

立岩:そうか、わかりました。だいたいそのアウトラインというか概略というかな、はお伺いできたような気がしますけど。そうですね、これから…。じゃあ、ゆっくりではあっても、いったん立ち上げた自立生活センターをこう伸ばしていくっていうか。

内田:そうですね。

立岩:そんなのが今の気持ちというか、つもりというか、そんな感じですか?

内田:そうです。

立岩:今、その、自分の生活面で、朝起きて夜寝るまでっていうようなことでいうと、まずまずいけてるっていう感じなんですか?

内田:そうですね。

立岩:それはまあ、特に大きな不安というか。

内田:そうですね、はい。

立岩:今、これ〔人工呼吸器〕はもう、前は寝る時だって言ったけど、これはもうずっと、

内田:ずっとです。

立岩:バイパップ

内田:はい。25、6歳ぐらいから、もうずっとつけるようになって。

立岩:なるほど。それで、また、これみんなで話したりしますけど、今年は、年の前半…、待てよ、去年の12月に京都で宇多野病院の人と新潟病院の人と院長さんと呼んでイベント、クリスマスイブの日にやり、

内田:はい。

立岩:で、次の年に西宮でメインストリーム協会の主催で一つやり、

内田:はい。

立岩:で、そのあとJILの仙台の集会でシンポジウムやり、

内田:はい。

立岩:で、これ、今月、DPIの、東京、戸山サンライズでやる。

内田:はい。

立岩:だからまあ、去年の12月からだと4回ぐらいイベントやってるんですけど。いったんほら、「いっぺん徳島でやろうよ」っていう話になったじゃないですか。

内田:そうなんです、はい。

立岩:それがまあ来年、あの話は、「じゃあ来年やろうよ」っていう話は、今、僕もちょっとちゃんとみんなと連絡取り合えているわけじゃないのでわかってないんですけど、あれは今どうなってるっていうふうに…なんですかね。

内田:とりあえず日程だけ、

立岩:日程を押さえて。

内田:そうです、3月に。まだ内容とかは全然なんですけど、立岩さんの渡辺さん…、

立岩:渡辺、

内田:渡辺一史さん。『バナナ』の

立岩:はいはいはい。『バナナ』、一史さんの本ね。

内田:そうです。

立岩:呼んでっていう、あ、そうかそういう話だったよね。

内田:そうです。

立岩:はいはい。四国ってどうなんですかね、4つ県あるじゃないですか。わりと各々やってるって感じなのか、例えば香川県と徳島県だといろいろ交流があったりとか付き合いがあったり、みたいな感じなんですかね?

内田:そうですね。香川はあんまりやり取りは少ないですけど、愛媛と高知とはまあちょくちょく交わして、いちおう四国でいろいろやっていこうっていうふうに、今やってるとこなんですよ。

立岩:それは何、どういう知り合いで知り合ったような人たちなんですか?

内田:それは、私がILPをやってる時に、愛媛の人が講師で来てくれて。

立岩:ああ。愛媛の人がILPの講師で徳島に来たんですか?

内田:そうです。

立岩:ちなみになんてお名前の方?

内田:井谷〔重人〕さんていう。

立岩:そっちのほうでセンターというかやってる人なんですか?

内田:センターやってます。「CIL星空」※って。
http://cilhoshizora.com/

立岩:じゃあそこと付き合いが、そんな感じで、ちょくちょくというか、この頃あるっていうか?

内田:はい。

立岩:なるほどね。あ、そう、それから、一つ、昨日ね、まあこれから2時から喋りにいきますけど、あれは何だろうな、社会福祉士の会みたいなもんなのかなあ。

内田:どういう内容なんですか?

立岩:よくわかんないんですけど(笑)。

内田:(笑)

立岩:ソーシャルワーカーたちの集まりなんでしょうけど、そこの役員みたいな方、5、6人と、昨日夕飯ごちそうになって、何人かのお話を伺ったんですけど。「太陽と緑の会」っていう、

内田:はいはい。

立岩:知ってます?

内田:聞いたことはあります。

立岩:聞いたことあるぐらい?

内田:そうですね。

立岩:それね、近藤文雄さんていう、もうだいぶ前に亡くなられたお医者さんがいて。その人、仙台の西多賀病院ていう国立療養所で、日本で初めて国立療養所に筋ジストロフィーの人を受け入れたお医者さんなんですよ、その人が院長だった時に。国の制度とか全然ない時代で、いわば独断というか。

内田:それっていつぐらい?

立岩:1960年。ずーっと前。僕が生まれた年なんですけど。

内田:へえー。

立岩:で、国が「国立療養所が受け入れなさい」って決めたのは65年なんで、その5年前なんですよ。それ、まあ言ってみれば近藤さんが勝手にというか、なんか見るに見かねてっていうか、それが始まりなんですよ。そういうことずっとやって。もともとは徳島の人で。

内田:ああ…。

立岩:でね、国立療養所、定年なのかな、辞められたあと徳島に戻られて。それで徳島で開業しつつ、筋ジストロフィーの治療法を探す研究所みたいなのを国に作らせようっていう運動をやって、それは結局はうまくいかなかったんですけど、そういうことをやってらっしゃった方と一緒に仕事してきたっていう、1953年だったかな、その生まれの人に昨日話聞きました。

内田:へえー。

立岩:そんなところにそんな人が来てると全然思わないから。

内田:ほんとですね。

立岩:ちょっとびっくりしましたけど。そこはね、たぶん今、ちっちゃく…。で、その、 仙台から徳島に戻られた方っていうのはお医者さんだから病院をやったんだけれども、その「太陽と緑の会」っていうその会を実際に回してきた、今でもなんか代表理事みたいなのやってる人が杉浦さんつったな。杉浦良さんていう方が延々2時間ぐらい、インタビューすることになろうとは思わなかったんだけども、結果的には話たっぷり伺ってきたんですよ。そこも、今ね、リサイクルショップ的な、たぶん知的障害とかそういう人が何人かやって来て、なんかしてっていうような場所を提供してる? 

内田:うんうん、そうですね。

立岩:たぶんそんなとこみたいなんです。

内田:ふーん。

立岩:だけど、もともとはそういうことで筋ジスから始まったみたいなとこがある。

内田:そうなんですね。

立岩:そういうところが、まあどういう形でこれからやっていけるのかわかりませんけど。立場も違うし考え方も違ったりもするけれども、まあそんなに大きい街でもないじゃないですか、徳島ね。

内田:そうですね。

立岩:そうすると、結局、行政であったり民間のそういう活動やってる人と、場面によってはうまい具合に、ね、つるんでいけるといいかもしんないですよね。

内田:そうですよね。なんか、ちょっとずつ。

立岩:そうだと思いますよ。まだ3年じゃないですか。

内田:そうですね。

立岩:これから何年かの間に、なんだかんだ言って、新聞やらなんやら、そういうとこ出たりなってくると人も知るようになるから、そのへんとうまい具合につるめるといいかもしれないなと思いますね。

内田:去年に殺人事件あって。

立岩:え? 徳島で?

内田:徳島で。難病の息子を、

立岩:ああ、はあ、

内田:母親…、

立岩:あ、徳島でしたっけ。

内田:そうなんですよ。その時に、徳島県庁で記者会見みたいなのをやって。「こういう24時間の制度があります」ってことを。

立岩:ああ、なるほど。

内田:うん。それでテレビとか新聞とかにも取り上げてもらって。

立岩:ああ、ないわけじゃないんだと。

内田:そうそう。

立岩:制度で生きてこうと思えば、手段がなくはないんだ。

内田:そうです。

立岩:…ってなことを、県庁の人が言ったってことですか?

内田:いや、私が、

立岩:県庁が場所で、ってことですか?

内田:県庁の記者クラブで。はい。自分で話を、

立岩:した?

内田:やった時に、反響というかいろんな人が反応してくれて。でも、なかなか、なんていうんだろう、否定的なほうが多くて。うん。

立岩:否定的ってどういう否定的?

内田:「あるんだろうけど、実際そんなのできないでしょ」とか。

立岩:ああ。

内田:なんていうんだろう、そういうのをずっと続けていくことに対してとか、まあ予算の面でとか。

立岩:ああ。そっか。そういう消極的な人っていうのは、どういう人? いろいろある、なんの関係もないただの野次馬みたいな人のこともあるだろうし、いろいろあるじゃないですか。

内田:うん。

立岩:どういう人がそういうネガティブっていうか、消極的な反応だったんですか?

内田:あの、メールとかメッセンジャーとかだったんで、あんまりその人に対してよくわからないんですけど、でも当事者の人がいたし。あとは相談支援員とか病院の人とかもいましたね。

立岩:それはSNSの、…的な場が多い?

内田:そうですね。直接メールとか。

立岩:何なんでしょうかね。この間のNHKの番組とかでもけっこう…。

内田:ああ。

立岩:JCILって、今付き合いがある京都のCILですけど、が抗議すると、なんかね、逆の反応っていうか。

内田:そうですよね。で、私も新聞記事が1回ヤフーニュースで載ったんですよ。ヤフーのニュースのところに。その時のコメント欄とかを見てると、

立岩:それは何、徳島のその事件があった、

内田:あ、それとは別の記事で。

立岩:そっちとは別の記事で。

内田:はい。

立岩:取り上げられた記事ってことですか? ヤフーニュースとかに出た。

内田:そうですね。

立岩:それに対する反応みたいので、ネガティブなこと言ってくる奴がいる、みたいな。

内田:そうですね。だいたいそういうのに書き込んでいる人はやっぱりネガティブなほうが多いですね。

立岩:あれ、なんつうんだろうな、真面目に反応したほうがいいのか、無視したほうがいいのか、どっちがいいのかって思う時ありますね。

内田:そうですね。

立岩:いや、でも8割、9割は無視したほうが健康のためにいいような気がしますね、僕は。

内田:まあ、こっちの精神は(笑)。

立岩:うん、あれ、真面目に受け取ってると、精神病んじゃいますよね。

内田:もたないし、そうです。

立岩:いや、それはほんまにそう思うわ。

内田:まあでも、そんなに深く考えて発言してるわけじゃないと思うんで。

立岩:ああ、そうですね。簡単に言えちゃうってとこあるからね。

内田:そうそうそう。

立岩:真面目に言わなきゃいけなかったらそんなこと言わないんだけど、簡単に書けちゃうから言っちゃうっていうのはあるだろうな、実際。

内田:そう。それがほとんだと思うんで。

立岩:それをいちいち気にしてたらね、やってらんねえよっていう。それは本当にそう思いますね。

内田:うん。

立岩:そうですね。たぶんね、新聞記事とかをどこまで僕らのサイトとかで紹介していいのかっていうのはあって。建前的に言うと全文をやるのは著作権がどうとかってなると思うんですよ。

内田:はい。

立岩:ただ僕が思うには、一部なら一部でも全然、有料の記事とかはね、特にね。で、「あとは向こうの新聞のところでお金払って見てください」で、全然僕はそれでオッケーだし、あと、実際にもうメインで紹介されてる記事とかで、本人が「いい」つってる時に、ほんとは新聞社断わんないですよ。だから、なんか自分がこういうこと言ったとか、こういうふうに…中心的に取り上げられてるっていうの、記事があれば、いくらでもこちらで紹介させていただきますので、よろしかったらお使いください。

内田:ああ。前のやつとかでもいいです?

立岩:何でもいいです。例えばツイッターのあれがある、住所とかURLがあるじゃないですか。ツイッター、フェイスブックとか、そういうのとか新聞。それからなんかどっかに書いた文章とか、そういうのが。…を僕らは人別に、人の誰それっていう名前別にページを作って、書いたものを並べていって、それをさらに例えば筋ジストロフィーなら筋ジストロフィーとか、「国立療養所をなんとかしよう」みたいなページとかとリンクさせて。っていうことをチマチマやっているので。そうすると、内田さんが最初にたまたま広域協会を知ったとかさ、

内田:はい。

立岩:それから、内田さんのことたまたま新聞で見て問い合わせる気持ちになったALSの人とかさ、そういうのと同じで、やっぱり検索で引っかかったりとか、相談とか、一緒にやりたいとか、出てくると思うので、できれば僕らもそういう活動をこれからだいぶ長く続けていくつもりですので、よろしかったらご協力というか、一緒にやっていける部分があるといいなっていうことです。

内田:はい、お願いします。先生に送ればいいですか?

立岩:うん、僕に送ってもらうのが一番、

内田:ですね。

立岩:あの、メーリングリストでもいいです。どっちでもいいです。まったく僕にとっては同じなので。

内田:わかりました。

立岩:じゃあ、わりと長時間、やっぱ疲れるは疲れる? 呼吸的にというか。

内田:そうです…、でもまあ大丈夫です。

立岩:わかりました。だいたい、

内田:ラジオで、

立岩:ラジオ?

内田:はい。今度、ラジオに出させてもらうことになって。『ラジオ深夜便』ていう、全国の。

立岩:おお、『深夜便』。僕、『深夜便』の担当の女性の記者にこの間会って、ちょっと酒飲んで。

内田:あ、そうなんですか。へえー。

立岩:名前、何つったかな。いや、その方かどうか、あ、違うわ。その人は、『深夜便』長いことやってたんだけど、今担当が代わったって言ってたな、あの時。ああ、じゃあ、それはまだ収録はしてない?

内田:まだしてないです。

立岩:ああ、そうですか。あれけっこうコアなファンいますよね、『深夜便』て。

内田:そうなんですか。

立岩:そうらしいですよ。

内田:全然知らなかった(笑)。

立岩:若い人は知らないんですよ(笑)。早起きしちゃう、ていうか夜眠れない、年とった人とかはけっこう、

内田:朝方ですよね。

立岩:うん、あれ聞いてるみたいですよ。

内田:へえー。

立岩:うん。あれ、けっこう根強いファンがいるみたい。

内田:そういう内容もやるんですね。

立岩:時々やるみたいですよ。

内田:へえー。

立岩:うん。僕ね、ああいうのって、録音そのままじゃなくてもいいんですけど、それこそ、その時喋るじゃないですか。それを録音させてもらったものを、例えば今日の記録も、僕帰ったらさっそく大阪のNPOに文字化?

内田:はい。

立岩:文字起こししてもらって。で、また内田さんに見てもらって、足したり引いたりしてもらったやつをっていう、そういう段取りなんですけど。

内田:はい。

立岩:例えば『深夜便』とかさ、そういうのでも基本は同じだと思うんですよ。アナウンサーと会話っていうか、聞かれたこと答えるみたいなことじゃないですか。

内田:はい。

立岩:そういうのも、僕は、録音したものをそのままウェブに載っけるとNHK的にどうなのかっていうのはあるかもしれないけど、そこで録音したものをいったん文字にして、それを本人の許諾を得て…許可得てやるんだったら全然いいと思っていて。

内田:いいんですかね。

立岩:うん、いいと思いますね。もちろん必要であれば、NHKさんにも許可求めますけど、それもたぶん問題なくて。

内田:ふーん。

立岩:そういう、いろんなとこで、短い文章長い文章書いたり、短い話長い話したりするのを取っといて。で、それをいろんなとこに載っけていくっていうのはいいと思うんですよね。

内田:ですよね。ラジオってなかなか聞かないです(笑)。

立岩:そうしないと、放映されたらそれで終わりじゃないですか。NHKのほうはたぶん今、映像の番組はけっこうNHKオンデマンドとかさ、そういうので残ったりするものもありますけど、ラジオはどうなんだろうなあ。なんか、とにかく今僕らが研究所っていうのやってて、やろうと思ってるのは、そういうふうに放っとくとなんかそのまま消えちゃうっていうか、そういうものをできるだけ取っといて、増やして、みんなが見れるようにできればねって思っているので。なんかそんなところで気がついたことがあったら。あとね、画像。写真とか動画とか、それもあったほうがいいですよ。

内田:ああ。

立岩:あの、いいですよね(笑)。で、僕ら、ずっとそういうことあまりしてこなくて。専ら文字人間ていうか、言葉だけでやってて。まあそれは言い訳としては、うち、けっこう視覚障害の院生とかもいて、文字だったらスクリーンリーダーとかで読むからっていう、そういう理由もないことはないんですけど、でもそれは言い訳みたいなもんで。ほんとは動画もあれば、読めるものもあれば、こうやって聞けるものもあれば、全部あればいいと思ってて。

内田:うん。うん。

立岩:だから、なんかね、これからだと思うんですよ。もう、本格的に活躍というか、徳島で内田さんが活躍するのは。そうすると今年ぐらいかな(笑)。

内田:はい。

立岩:なんか『ラジオ深夜便』あたりをスタートに。その前のあれで、県庁で記者会見のやつとか、徳島新聞に出たやつとかも、あたりから、ちゃんと取っといて。処理が面倒くさかったら送っていただいて。そしたらこっちでなんとかいろいろしますので、よろしくっていう感じです。

内田:はい。じゃあ、送ります(笑)。

立岩:お願いします。

内田:記事もとりあえず(笑)。

立岩:はい、いいと思います。いいと思いますって、非常にありがたいです。

内田:なんかもう、焦っちゃうんですけども。

立岩:うん。そしたらその、二十歳の時とか1回ガーッとちょっとかなり急激にしんどくなったっていう体調は、今はまあまあ落ち着いてる感じ?

内田:そうですね。まあ、呼吸状態とかはどんどん進んでるなって感じはあります。

立岩:進んではいる?

内田:はい。呼吸器離せる時間とかは、短くなってきてるんで。

立岩:ああ。今も、まるまる24時間ていうわけではないの?

内田:いや、そうなんですけど、移乗の時とか入浴の時とかに離す時間、数分なんですけど。それでもちょっとしんどくなってきてるから。

立岩:数分離しててもしんどいから、すぐつけないといけないみたいな。

内田:そうですね。

立岩:さっき言ってたけど、福山型に近いけど福山型じゃないていうのは、なんておっしゃったんだっけ?

内田:非福山型。

立岩:非?

内田:そうです。非。うん。福山型に非ず、みたいな。

立岩:ああ。福山型に非ずっていう(笑)。

内田:そうです、そうです。

立岩:へえー。そんなんあんだ。

内田:どれにもあてはまらないっていう。

立岩:ふーん。そんなんあるんですね。

内田:はい。福山型は知的障害とかね、痙攣とかがあるんですけど、私はないんで。

立岩:ああ福山、そうか、そうですね。僕はこの間男の人ばっかりで、デュシャンヌ型でっていう人が数的には多いなあ。それだけではないですけど。

内田:デュシャンヌは全員男ですから。

立岩:うん、遺伝的にそうですよね。昨日長々と話聞いた杉浦さんていう人は、今日はなんか別の、作業所かなんかの仕事で、今日の講演会には来れないつったけど、たぶんね、50代、60なったかぐらいのおじさんおばさんたち、もう、なんだろう、ずっと民間でやってきた人もいれば、ちょっともう定年みたいな人もいるじゃないですか。で、その人たちをもう、62、3ぐらいで定年になったってめちゃくちゃ元気だから、そういう連中というか(笑)、

内田:(笑)

立岩:…を味方につけるっていうか。

内田:なるほど。

立岩:手足のように使うっていうのは、けっこういけるんじゃないかと思うんですよね。うん。だから、一つはそういう引退、今までいろいろ経験があって、ある種のノウハウ、スキルがあるけど、引退したけど力が余ってるみたいな。で、志というか気持ちもあるみたいな人はけっこう…。癖ある人もいますけどね、うるさいっていうか。

内田:うーん(笑)。

立岩:一言多いっていうか、二言(ふたこと)ぐらい多いっていう人も多いですけど、それをうまい具合に使いこなせると、わりといいのかなあ。僕らの世代だとやっぱりね、大学生を使うっていうのがあったんですよ。それは、でも、場所にもよるじゃないですか。

内田:うーん、そうですね。

立岩:大学生は今みんな忙しいし。昔の、僕らの大学生って本当ひまで、大学行かなくてそういうことにかかずらわった人っていたんですけど、今はそうじゃないから。うん。学生さんよりちょっと上の人っていうのは。

内田:今の学生は真面目なんですか?

立岩:そうなんですよね。

内田:へえー。

立岩:授業出たりするからね、ちゃんとね。そうなんです。学校行っちゃうんですよ。うーん、行かなく…、行かなくてもっていうか。

内田:(笑)

立岩:徳島大とかそういうとこの付き合いってのはないんですか?

内田:徳島大はないですね。そういうのもね、作っていきたいですけど。

立岩:うん。研究者ってね、あんまりあてになんないし、使いものになんないんですけど、それでもね、それでもいないよりはいいっていうか、なんかの役に立つ時もたまにはあって。僕はあり得ると思うなあ、大学。

内田:ふーん。

立岩:うん。今、僕らは大学、僕はまあ教員ですけど、そこの大学院生とか大学院終わった連中がけっこうそのJCILとか、あるいは町の中のALSの人たちとか、けっこう関わりが続いてて、もう10年以上続いてて。なんやかんや調査やったりすることもあれば、調査とか関係なくてただ飲み会やったり、介助に入ったり。で、時々、「NHKの番組、変だ」みたいなこと言ってみたり。なんかそういうことを、ここ15年ぐらいやれるようになってきて。まあ、よいです。だからこれからですよね。たぶん今年、で、まあ来年、

内田:そうですね。

立岩:ねえ。3月とかになんか企画ができればね、そんなのもきっかけにして。ちょっと、支持する人、手伝ってくれたり話聞いてくれたりする人の範囲を増やしていく、広げていくっていうのはね、たぶんいいんじゃないですか。

内田:そうですね。講演とかで呼んでくれたり、まあ、したりはあるんですけど、それからつなげていったり、そこから発展させていくっていうのが難しくて。

立岩:そうですよね。講演てそうなんですよね。なんだろうな、今年の予算を消化(笑)じゃないけど、なんか、ね、もう喋って終わったら終わりみたいなね、そんなのあるじゃないですか。あれはもったいないですよね。

内田:そうそう。「そういうのがあるんだ」ってそれで終わってしまって。

立岩:なんかね、一定の距離感を持ちながら、あるいは時々は「あんた言ってること、違うよ」みたいなことを言いながら、組んでやっていけるといいかな。

内田:私も最初「24時間やりたい」って言った時に、まあ広域協会とかの前に、最初は相談員とかに相談したりしたんですけど否定的なこと言われるのが多かったんで。

立岩:「えー、そんなこと言うの?」みたいなね。

内田:そう。

立岩:ああ、そういうのあるかもしんない。やっぱり初めてとか、そういうのちょっとないいじゃない。

内田:ないからね、わからない。

立岩:ないから、だから何言ってんの的な、ポカンみたいなさ、そんな反応ってたぶん徳島もそうだったかもしんないけど、ここんとこ僕インタビューしてんのだとやっぱり金沢とかね富山とかね、そういうまだ制度が始まってないか始まったばかりみたいなとこってほんとにそんな感じですよ。だけどそれがそうやって3年とか4年とか経ってここまで生活できてるっていうか、実績みたいなのあるなかで、「こういうふうにもできるんだよ」って言うとちょっとなんていうのかな、少し教えてあげる的な、強い…強いっていうかそういう立場になってからが始まりで、それでこんなふうに生きてられるし生きてるよっていうのを知って、それに賛同させるっていうか、そういう姿勢に変われるっていうか、そんな気がするんですよね。

内田:今まで自分のことどんどん進めていったんで、これから、説明というよりはそういう姿勢を見せて、周りから納得というか支援してもらえるようになっていったらと。

立岩:これからそういう時期なんじゃないかなあ。広域協会の大野さんとかも結構長いことわりと、地下に潜ってってほどじゃないけど、わりと現場で取るもん取れって、とにかく広げるとか宣伝するっていうスタンスでやってこなかったけど、今回国会議員が二人出ちゃってあの人たちが議会で重訪使うとかさ、そういう話になってちょっと注目を浴びちゃったりして、もうそうなっちゃったし、それは悪いことじゃないんで、だからもうわりと広げるっていうか広めるってスタンスをもっと強めるっていうのが、大野さんたちも考えてるみたいだから。そういうスタンスで各地でやってくっていうか、さっきも言いましたけどSNSのゴミみたいな反応はほっといて、自信持って、ある種のモデルだっていうふうに、自分がモデルだっていうふうに言い張るっていうほうが楽しいですよね。

内田:うん、そうですね。

立岩:たぶんそれで一気に行けるところまで、何やったって反対する奴は必ずいるんでしょうがないですけど、あるところまでは行ける、理解する人は必ず出てくると思うんでいいと思いますね。

内田:なるべく取り入れないようにね、左右されないように。

立岩:独立独歩というか、我が道を行くでここ10年とかねやってこられたっていうのはやっぱいいいことで、それを元手にっていうか基礎に、それからだいぶ長いこと活躍というか動いていけるんじゃないですかね。

内田:難病…、難病とは言わず、重度に限らずですけど。

立岩:ちょっと聞いてはみますわ。僕のところの大学院生で、松浦さんて、ALS協会の徳島県支部なんかに関わってきた人がいます。

内田:ALS協会の会長さん、支部長さん、

立岩:長尾〔義明〕さんかな?

内田:そうです、そうです。

立岩:絵描いてる人ですよね。

内田:そうです、そうです。

立岩:そうですよね。義明さんね。

内田:そうです。

立岩:だいぶご高齢ですよね。

内田:そうですね。最近はあんまり前ほど。

立岩:たぶんね、そう、大学生は今どきそんなに最初から当てにはなんないから、中年でちょっと時間がある的な元気なおばちゃんとか、それからちょっとリタイアしかかってるおじちゃん、おばちゃんとか、そういうのにいろいろ教えてやってっていう体制ができるといいかもしれませんね。ぽつぽつそういう人っていますね。京都、大阪。ある人はメカニックに強くって、呼吸器とかセンサーとかスイッチとかそういうののセッティングの支援をしてたとか。そういう人は長くエンジニアとして勤めてきてそういうことが得意だとか。僕が会った時もう60代とかで、もう70とかなってますけどそういう人いたり。

内田:なかなか若い人につながっていくっていうの、難しいですね。

立岩:でもね、それが2万、3万の小っちゃい街だとね、さすがになかなか大変ですけど、でもこのサイズがあれば、うん。

内田:(笑)

立岩:この間徳島来た時聞いたけど、徳島県民の半分は徳島市に住んでるって言ってましたけど、そんな感じなんですか、今は。

内田:そうみたいです。ほんとに西のほう行ったら、

立岩:人、いないみたいな。

内田:私の実家があるところ、ほんとにお年寄りばかりで。

立岩:まあそうでしょうね。私もほんとは田舎なんでよくわかりますけど、その田舎の感じっていうか年寄りばっかりしかいない感じはよくわかりますけど。

内田:関西じゃないんですね。

立岩:僕ですか。僕はね、島なんですよ。

内田:へえ。

立岩:ここ四国でしょ。四国の次に大きい島、沖縄本島じゃないですか。その次に大きい島。

内田:淡路島?

立岩:淡路島と沖縄本島の間。

内田:間?

立岩:昨日淡路島渡って来ましたけど、淡路島大きいなあと思いながら渡ってました。淡路島より大きい。沖縄本島よりちっちゃい。

内田:淡路島より大きいですか。え…、

立岩:日本海。

内田:日本…、あ、佐渡島。

立岩:当たり、そうです。

内田:えー。

立岩:佐渡の出身で18まで佐渡にいた。

内田:あ、そうなんですか。

立岩:淡路島おっきいですね。そう、京都から来るバス、島ずっと通ってくるじゃないですか。あの時間ってすごい長いですよね。

内田:長いですよ。

立岩:あんなにでかい島だったのか、毎回来る度に思いますよ。

内田:徳島にいたらしょっちゅう通るんです、淡路島。

立岩:島。佐渡みたいな島だとたいへんですけどね。徳島のサイズ、学校もあるしいろんな人いるから、けっこう展開できると思いますよ。

内田:できますかね。

立岩:うん、できると僕は思いますね。

内田:人脈ですよね。

立岩:そうですね、結局ね。

内田:結局ね。

立岩:人、ある程度、ほんとにもう心底やってけないっていう人も時々はいるので、そこはあまり消耗しないでほっといて。でも100%一緒にやれなくても、50、40、できる人とできるところで、っていう、そうですね。ここ数年インタビューした人だと宮崎でヤッドっていう自立生活センターあるんですけど、そこはやっぱりいろんな人たちとうまい具合にやってこれて、けっこう力もあるなっていう感じしましたね。
※永山 昌彦 i2018 インタビュー 2018/09/28 聞き手:立岩真也 於:宮崎市・障害者自立応援センターYAH!DOみやざき事務所
※山之内 俊夫 i2018 インタビュー 2018/09/26 聞き手:立岩真也 於:宮崎市・障害者自立応援センターYAH!DOみやざき事務所

内田:すごい!

立岩:あるところまで一人で突っ走って、でもそこで取るもん取って作るもん作ってからがやっぱり組織とかその運動的には本格的なんじゃないですか。でも考えてみたらそうなんですよね。その人たちも40とかになってから始める、本格的な運動とか、なんか人に知られるようなこと始めてるって感じだった。なんかもう20、30は自分でもよくわかんないっていうか、私何してるんだろう、みたいな人けっこういるから。

内田:海老原〔宏美〕さんとかいるから、自分というか、不安というか、ほんとにそれがえんだろうか考えちゃう。

立岩:そうですよね。

内田:生活支援ってなんか、その人の人生とか、なんていうんですかね、いろんなことは工夫をしてきて、自分自身にもまだまだ自信はない、現時点で自信はないし、やってるのかっていうね自分みたいなのがいるんで。

立岩:でもやっぱりさあ、30代と20代とか…、なんていうの、例えばILPとかでさ、「こうやったら制度できます」みたいなこと言われてさ、まあそうなんだろうなと思いつつ、でも実際に自分ではそんなにリアルじゃないじゃないですか。そうすると人に伝える時に確信持って伝えても嘘っぽいみたいな、感じになるじゃないですか。

内田:そうなんですよね。

立岩:でもそれがそれで5年、10年、曲がりなりにも生きてこられて、「そうやったらほんとにできるじゃん」思ってからですよね。やっぱりちゃんと伝えたり、言えるって。だからだんだんそういうモードにこれから変わっていくんじゃないですかね。いいと思いますよ。

内田:今までと言われたことを、ただ)何も考えずやってるだけみたいな感じで。

立岩:カウンセリングとかプログラムって言われてることは正しいんだろうと、きっと正しいに違いないと思うけれども、実際自分でほんとに試してみてってわけじゃない。

内田:それは正しいなっていうふうに思わないといけないけどね。

立岩:もう思わない…、そう、きっとみんなそう言ってっからそうなんだろうなって思うけどっていう感じですよね。

内田:そうです、そうです。

立岩:それはだんだん板についてくると、自分の生活とか自分の言葉で伝えていけるから、と思いますよ。
 ここ、便利ですね。

内田:便利ですよ。

立岩:時々使うんですか? ピザハット。

内田:そうですね。こういう話する時とか、ゆっくりできるし、そんなに人がいないし。

立岩:この間徳島2回来て1泊するとかって、ほんとに半径500メートルぐらいのところで、駅前で酒飲んで泊まったりしてますけど、ちょっと慣れた、徳島、徳島駅前だけど。

内田:どこに泊まってるんですか?

立岩:今日はねロイネット。それからこの間はサンルート。駅前30秒みたいなとこ泊まってて。いやほんと便利ですよ。

内田:そうですね。

立岩:サンルートの上に温泉があるんですよ。

内田:入りに行ったんですか?

立岩:入りに行きました(笑)。別の宿に泊まるのに。あそこ風呂だけお金払うと入れるんです。

内田:最近ホテルとかが増えてきて。前は全然なかったです。

立岩:ありがとうございました。もう2時間も経ってしまいました。

内田:はい。ほんとですね。

立岩:それでまたメールしますけど、今文科省の研究費取れてるんで、それで一律一人1万円謝礼をお渡しするってことになってて、「それ、手渡しでいいでしょ」って事務に言うんだけどだめだと言うんで、口座の情報とかそういう問い合わせが大学のリサーチオフィスっていう研究担当している事務から来たりすると思うんですけど、申し訳ありませんがそういう情報を伝えてあげてください。

内田:はい、わかりました。

立岩:僕のほうは家帰ってテープ起こしっていうか文字起こしのほうに依頼して、データができてきますのでそれをまたお送りしますので、いかようにもしていただくなり、もうほっといてそのままでもなんでも構わないんで、いただければそれを皆さんに見られるような形にしていきたいと思います。ていうことでずいぶん長い時間お付き合いいただきまして、どうもありがとうございます。2時から僕何を喋るかわかりませんけど、なんか喋って帰ります。

内田:何を喋るんですか? でもけっこう長いですね。

立岩:1時間半ぐらい喋ればいいんじゃないですかね。適当なことを喋って適当に終わります。どうもありがとうございました。

内田:ありがとうございました。

立岩:介助者呼んだほうがいいですか?

内田:お願いします。

立岩:はい。


UP:20191126 REV:
内田 由佳  ◇こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究  ◇立岩 真也 
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