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D氏へのインタビュー

2019/10/27 聞き手:戸田 真里 於:○市内の喫茶店

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last update: 20220113


◇2019/10/27 D氏へのインタビュー 135分  話し手:D氏 聞き手:戸田 真里(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 → ◇インタビュー等の記録

※インタビューデータの一部を生存学研究所ホームページ(以下、HP)に掲載することに関し、聞き手である戸田から語り手の方へ、掲載の趣旨について口頭と文章で説明をし、同意を得ています。
なお、インタビューデータは語り手にご確認いただき、データ内の個人情報が特定できる固有名詞は全て記号に置き換えています。また、語り手のご意向でインタビューデータを部分的に削除している箇所があります。
インタビュー対象者のアルファベット表記については、イニシャルではないことを申し添えます。


【開始】 (聞き取り不明な箇所は***で表示)

戸田:ありがとうございます。お時間いただいて。

戸田:子どもさん、お兄ちゃん、

d氏:お兄ちゃんと弟と。

戸田:お2人とも表皮水疱症でいらっしゃる?

戸田:d氏次男さん、d氏長男さんとd氏次男さん。お2人とも病型は?

d氏:同じです。兄弟、劣性の栄養障害型で。でも全然違うんですよ。

d氏:お兄ちゃんのほうも小さい時はそんなに酷くなくって、悪くなりだしたんは小学校の高学年ぐらいからかな。どーっと悪くなっていったから。下の子もおんなじ道を辿るかなと思ってたら、逆に下の子はその頃からどんどん良くなってきた。

戸田:小学校の高学年から?

d氏:ぐらいから。高学年、中学校ぐらいから。中学校の真ん中ぐらいから、下の子は成長もしてきたし。お兄ちゃんは、その小学校の高学年頃からもう大きくならなくなった。ピタッと成長が止まって。

戸田:ほんとにご兄弟でも、全然病状も違うんですね。今日はお2人の子育て、どんなふうにされてこられたかっていうのと、お母さんとしてどんな思いやったかとかっていうところをちょっとざっくり聞かせていただければ。 d氏はずっとこのあたり、おうち。○市のあたりですか?

d氏:生まれは△市の、私は△区。そこで○歳まで暮らして結婚して。

戸田:ご主人も○○県?

d氏:…も△市、でも就職が向こう、□市のほうに行ってたんで、新婚生活、□市で。家の□市の家全部、赤ちゃんのための準備は全部しておいて、お産のために△市に帰ってきたら、そんなことになってしまった。[00:05:23]

戸田:里帰り出産されてたんですね。

d氏:そうそう、里帰り出産してて、そしたら生まれたらそんなんやったからね、病気やったからね。

戸田:生まれた時、もうd氏長男さん生まれはった時に水疱?

d氏:水疱はできてなかったけど、あの右足の膝から下が皮ができてなくって、ちょっと短かかった。右足が。

戸田:それは右足だけ?

d氏:右足だけ。で、肌の皮膚欠損みたいな感じで、○病院に子どもだけ連れて行かれて。

戸田:もう出産されて生まれたよっていうんじゃなくて、もうd氏長男さんだけ○病院に。

d氏:いちおう夜中に生まれたんで、朝になって、朝になるのを待って、それでタクシーでおばあちゃんが。

戸田:おばあちゃんが?

d氏:おばあちゃんが。

戸田:d氏のお母さんが?

d氏:そうそうそう。お母さんと姑さんと。○病院まで連れて行ってもらって。あん時主人は、そうそうそう、□市かな。だから遅れて、遅れて。

戸田:その時の、ああ生まれたって思ってたのに、先生やらがあわわわわって?

d氏:実はこうこうでって。生まれた時、ほんとに長い時間かかったんで。

戸田:難産やったんですか?

d氏:難産ではないけど、疲れ果てて、生まれたと思って、最初はそんな教えてくれなかったから。顔は全然普通で、「生まれましたよ」いってくるんで、「ちょっとショックやろから」いって、朝になってからひと眠りしてから、私が。

戸田:そうですか、じゃあ生まれた直後はもうくるんだ状態で、「生まれましたよ」で。

d氏:で、朝になって、実はこうこうで、今から病院に連れて行くから言うて。その時はだから傷の状態とか見せてもらってなくって。

戸田:そうですか。じゃあもう先生からの説明で、足…、

d氏:先生から説明で、「ちょっと皮膚ができてなくって」って。「少し足が短い感じやけど、ひょっとしたら大きくなってもびっこひくかもしれんけど」みたいな。「でも皮膚が張ったら大丈夫やから、ちょっと感染も気になるから、○病院に連れて行きます」って。

戸田:その時は先生の説明聞かれて、そうか、

d氏:五体満足が当たり前と思ってたから、えーっと思ったけど、まあでもいちおうは仕方がないから受け入れて。でもそのあと他のお母さんはみんなおっぱいあげてるとかね、赤ちゃんの泣き声聞こえてるとか、私は一人で、ただ胸だけがお乳だけが張ってきて。それをなんか搾乳して冷凍して持って行ってもらうから。なんかそれが虚しくてポロポロポロポロもう泣いてばっかり、いたけど。で、初めて退院してから病院に行って、

戸田:その退院されるまでは、何か報告はしてくださったんですか? おばあちゃんとかお医者さんから。

d氏:お父さんがもう帰ってきてくれてて、ずっとミルク、ミルクっていうか運搬係ずっとしてくれてたからね。途中でなんか哺乳瓶でミルクを、それをあげてたら唇に水疱ができた。で、なんかおかしいなっていうので、ちょっと調べてみたら、病名が表皮水疱症っていうのがね、その時にわかりましたいうて。

戸田:それは○病院で?

d氏:○病院で。でもただその時は優性ですと。劣性じゃなくて。でもそんなん聞いてもね、ちんぷんかんぷんやし、なんのことかわからへんし。そんなにパッとみた感じも足、皮膚ができてなかったけど、他もまだその頃はたいしたことはなかったんで。ちょっと大変かなっていうぐらいで。[00:10:33]

戸田:d氏の産院、普通の産院?

d氏:普通、普通の産院。普通の個人病院の産院。

戸田:で、退院されて、○病院に向かわれて、

d氏:○病院をだから私も行ったりきたり。一緒に。

戸田:じゃあ○病院で。表皮水疱症ですよっていう診断は先生から?

d氏:でもあの、おかしいなっていう診断から病名が出るまでにはしばらく時間がかかってるけど。

戸田:1ヶ月ぐらい?

d氏:1ヶ月ぐらい、退院までには出てた。

戸田:d氏、d氏長男さんが退院されるまでには?

d氏:そうそうそうそう。

戸田:最初、初めてその足の状態見られた時に、

d氏:それは、それはびっくり。びっくりしたけど。

戸田:そん時はまだ先生とか説明、耳で聞いておられるだけ?

d氏:うんうん。それがあの、最初は私の皮膚を貼って早く治すっていう話で言われてたんで、私も覚悟してたんやけど。そしたら自力で皮膚全部張った状態になって、退院できたんです。それからあとは家で。家でっていうか、その前にあの、そうそう、家が□市だったから、

戸田:△市じゃない。

d氏:そう。絶対これは手助けが必要やしって言って、で、もう、□市から△市勤務に変えてくれって主人が会社に頼んで。だから私の実家にずっと子どもを置いて、2日3日ほど私だけで帰ってね、□市に。

戸田:荷造り?

d氏:引っ越し準備(笑)。主人のほうの実家で同居させてもらおう。いちおう部屋が2つ空いてたんで、それを全部片付けて、台所も全部整理してちょっと使いやすいようにリフォームして。それを帰ってくるっていう話が決まった時から、引っ越しまでにもうぐわーっとやってた(笑)。

戸田:産後でまだ体もくたくたなのに。その時その哺乳瓶の口の水疱ができちゃうって言われたんですけど、ミルクはどうやって?

d氏:哺乳瓶はだから、病院に入院してる時は古い、古くなったくたくたになったのを使ってて。で、もう家では私の乳首でだったらなんとか吸ってくれてたからね。哺乳瓶であげるときにはほんとにくたくたになるぐらいまで、もう押しつぶれて(笑)。劣化…劣化させて。柔らかいのを買ってきて。それでなんか飲ましたり。[00:15:08]

戸田:じゃあお母さんのおっぱいは、なんべんも水疱ができるには至らなかった?

d氏:うーん、でもできてたけどね。できてたけど、まあまあお腹空いてるのが勝ってるんか、ピューっと出るでしょう。ちょっと吸ったら勝手に出てくれる。でもそれでげほげほ言いながら、よく出てたから。なんか飲んでくれてた。

戸田:そのあと皮膚はどんな感じやったですか?

d氏:やっぱりその入院中もそうだったんだけど、新生児用のベッドってこんなプラスチックのちっちゃいでしょう。それにカンと手が当たったら、指が水疱ができ、足ガーンと当たったら足に水疱ができ。私が見に行った時には、だから大きいベッドにポツンと乗って。ベッドに当たらないように。コロンと寝かされて。大きいいうても子ども用のベッドやけどね。ぶつからないようにもあって、あちこちにタオルとかを置きまくって。で、なんか保護してくれてた。家でも私の横にいてて、きゅっと自分の、まだその頃は爪があったから、爪できゅっと引っ掻いて顔がビッと破れるとかあるから、全部こうミトン被せて。ここ掻くときも、こう掻くとここもズルズルといくんで、手を両方こうやって握りながら寝る。抱えて寝るみたいに。

戸田:添い寝してて、両手を持って添い寝。

d氏:そう、両手を持って添い寝みたいな。

戸田:寝れないですよね、なかなか。傷ができちゃう。

d氏:なかなかね。だから睡眠不足にはなるかな。夜泣きがね、けっこうあったから。そのたんびに目が覚めて。けっこうお兄ちゃんのときは大変やった。

戸田 オムツは布オムツ?

d氏:布オムツで。

戸田:でもその布で擦れたりとか?

d氏:だから柔らかい布。

戸田:それもクタクタにしたやつ?

d氏:そうそう(笑)。

戸田:(笑)全部クタクタにして。ベビー服も縫い目が当たらない?

d氏:そうやね。裏返すっていうか、縫い目当たらないようにとか。でもちっちゃい時はそこまでは酷くはなかった。ぶつけたりとか、自分で引っ掻いてはなってたけど。

戸田:寝てたりとか、何もこう、

d氏:酷い子はもうほんとに縫い目とか、ちょっとしたことで破れたりしてるらしいけど。うちの子はそこまで酷くはなかった。やっぱり指かな、一番は。だんだんこう爪が剥がれてきて。そのうちにすぐになくなったけど。

戸田:爪はいつぐらいになくなったんですか?

d氏:半年…、1年以内には全部なくなって。

戸田:そんな早く。

d氏:ちっちゃい爪。みんな***(00:18:53)取れちゃって、最初は全部ついてたんだけどね。右足側からそんなんで、ちょっとできてなかったけど、あとはみんなきれいに、うん。

戸田:最初先生からどんな説明やったんですか? こういう表皮水疱症の優性…、

d氏:やからね、○病院の先生も、なんか形成外科やってね。皮膚科じゃなくって形成外科、皮膚科がなかったんですよ(笑)。

戸田:○病院に?

d氏:ずっと診てもらってて、けっこう親身に話を聞いてくださる先生だったので、でもまあまああまりよくわかってない先生も、「僕もあまり知らないんですけど。知らないですけどね」とか言うて。まあまあでも、その時も時々水疱ができて破れて、で、それの繰りか返しでワセリンだけ出されて。ワセリン塗っときなさいとかって、傷のところには。こんなちっちゃいのくれて。足りひんのやけど、とか思って(笑)。[00:20:25]

戸田:足りひんね(笑)。

d氏:なんかちょっと、あの感染してそうなとこは、ゲンタシンとか、それも2?3本ちょっとくれて。足りひん、足りひんよなとか思いながら。まあまあでもそんなに酷い傷もなかったんで。

戸田:ほんでガーゼはもう自分で買いなさい?

d氏:そうそうそう。どんなふうにするっていう指示もなかった、まったく。

戸田:じゃもう軟膏、ポロッと出してもらってるだけ。

d氏:「これ塗っといてね」。包帯とかガーゼとかが自前で、傷の処置、「ケガしやすい思ってください」みたいな。だから、「ちょっと傷の処置があって、なんかしてもらったらいいですから」いうて、そんで「すぐ治りますから」みたいな。

戸田:その頃は優性の表皮水疱症?

d氏:って言われて。次もし2人目ができるっていったときに、「やっぱりおんなじですかね」って。それやったら、もうできないようにしようと思ってたから。「大丈夫ですよ」とか言って、「もう99.5%大丈夫ですよ」とか言って。言われたんで、そしたらもうなるように自然に、なりゆきに任せようと思ったら、○年ちょっとして、次妊娠してね。

戸田:じゃあd氏長男さんとd氏次男さん、○歳、○つ違い?

d氏:○つ違い。

戸田:先生からは99%大丈夫(笑)。

d氏:そうそう99%パーセント大丈夫って言われたから産んだのに。そしたらね、おんなじやった。産科の先生はおんなじとこにかかったからね、産科の。「d氏、あのこの前はな、やっぱ初めてでショックやからと思って言わんかったけど、今度2回目やから言うわな」って(笑)。お産すごく軽かったからね、ほんとにあっという間に生まれて、私も元気だったし。「d氏、前と一緒や、お兄ちゃんと一緒やわ」いうて。なんかまた「病院連れて行くわな。今度は見してあげるわ」いうて、そん時にすぐこんなんやからって見せてくれて。

戸田:d氏次男さんも足の皮膚張ってなかった?

d氏:左足の足首から下。「たぶん一緒やな」いうて。

戸田:聞かれた時の気持ち、えっ?て。

d氏:えっ? て思ったけど、もう2回目はもう全然、へとも思わん。兄弟一緒のほうが、かえってええかもしれん。なんとかなるやろう(笑)。

戸田:ほんでまたd氏次男さんも○病院、

d氏:○病院行って、そしたら向こうの前とおんなじ看護婦さんが「いやー、似とうと思ってん」いうて。「d氏長男くんの弟やったん」いうて、今度は2人目やから向こうも要領がわかってるから、最初から広いベッドで(笑)、保護しつつ。

戸田:d氏次男さんもおっぱいも大丈夫やった?

d氏:大丈夫。

戸田:ちょっとケガしない限りは水疱はできない?

d氏:そうそう、ちっちゃい時はおんなじやった。あの子はほんとに夜でも飲んで寝たら朝までぐっすり。お兄ちゃんはもう夜泣きしてグジュグジュグジュグジュ言ってたのが、ほんとに楽な子や、手のかからへん子やしって。で、なんかけっこうちっちゃい時からなんか権太(ごんた)で、お兄ちゃんを追いかけ回して、お兄ちゃんのほうがヒーヒー泣いて逃げる(笑)。

戸田:足の裏とかは大丈夫やったんですか?

d氏:うち、今でもそうやけどね、手のひらと足、大丈夫。[00:25:02]

戸田:腕とか足、体幹、

d氏:体幹のほうが、お兄ちゃんなんかは悪い。先生も、「普通悪いのは手とか足とかが悪くなるけど、ちょっと反対型やね」とか言うて。

戸田:そうですか。d氏次男さんも、

d氏:d氏次男、d氏次男は、あの子はね、水疱できたり破れたりはするのは一緒だけど、それあんまり酷くならない。ちっちゃい時は転んだりぶつかったりして、ケガができたりベロンと破れたりするのは一緒だったけど。あんまり酷くならないで、どんどん良くなっていったんかな。今でも傷はけっこうちょこちょこはあるけど、もうすぐにペタペタペタッと貼れば終わるぐらいの程度で自分でやってるし。

戸田:お2人ともちっちゃい頃はガーゼと包帯? ちょっとケガしたなあって。

d氏:そうそうそう、ガーゼだったね。してたのは、あの、うちはけっこうテープでも大丈夫だったから、ちっちゃいガーゼを、ガーゼを切って折りたたんで、そのガーゼを貼ってテープで留める。テープをバーっていっぱい切ったのをいっぱい***(00:26:28)貼っといて、ガーゼもそのいろんな大きさのサイズに切ってたのを用意しといて、ペタペタ貼るみたいな。ガーゼのバンドエイドみたいな感じで。もうそのちっちゃい…傷がちっちゃいのがちょこちょこちょこちょこあるけど、それほっとくと服にひっついて痛いでしょ?だから数はいっぱい貼るけど、大きい傷はあまりなかった。

戸田:でもガーゼと、ひっつくんでプロペトを塗ったり?

d氏:いや、もうその時は何も塗ってなかった。大きな傷じゃなかった。

戸田:ちっちゃい傷やったらもう直接ガーゼでテープ貼って。

d氏:直接ガーゼで。

戸田:おっきい傷のときはプロペト?

d氏:その時はプロペトとかももらってなかったから、大きい傷、そんなにでも大きい傷ってなかった。大きい傷があったら、そうやな、あの頃はプロペトじゃなくワセリン。ちょっと塗ったぐらいで、でもやっぱりガーゼをポンとのせて包帯巻くとか。

戸田:d氏長男さんもd氏次男さんも、もう難病の特定疾患の申請を、もう生まれてすぐ申請?

d氏:もうd氏長男が生まれてすぐ、すぐ申請。

戸田:病院は○病院通ってはった?

d氏:○病院。○病院もね、初めのうちこそ1ヶ月に1回とか2ヶ月に1回とかやけど、そのうち半年に1回ぐらいになって。で、

戸田:そうか、そんなに傷もない。

d氏:そうそう、そんなにもなかったから。でその時に、「こんなことがあったんですけど、どうなんでしょう」とか、「こんなふうになってるんですけど」とかって言ったら、「まあそんなこともあるでしょうね」とかって、人ごとのように。「そうですか」とかって、「そうでしたか」とかみたいに、ほんとわかってないなっていう感じ。

戸田:伝えてもあんまりこう響かないっていう感じ?

d氏:うん。その頃には、すぐにね、親身に聞いてくださった先生がよそ行ってしまって、次々なんか新しい先生変わりはるけど、なんか「そうですか、そうですか」みたいな。でもいちおう大きい病院やしね。なんか、そう病院を変えるっていう頭が全然なくって。

戸田:ああ、そうですか。もう○歳ぐらい?

d氏:えっ?

戸田:もう大きくなってこられるにつれて、定期的に通うっていうのはどんどん減っていった?

d氏:そうそう、どんどん減っていき、

戸田:何かあったとき、

d氏:何かあった…、でもちょっとした傷ぐらいだったらもう自分で、なんか慣れっこになってしまって、ドーンとほんとに皮が破れたぐらいだったらガーっと水で洗って砂とかを流して、とにかくその、一度その皮がベロンとめくれた時に行ったんですよ。救急じゃなくって、

戸田:○病院に?

d氏:○病院に駆けつけたら、皮膚はとにかく元に戻してくださいって、めくれた時に。それが保護になりますから。

戸田:ふたをするっていう。

d氏:そう、ふたをする。それを聞いてからは、とにかく中に入った砂を流して、ふたして、ちょっと消毒液でもチョチョッとつけて、チョチョッとつけて、もうあとはガーゼで押さえとく。そういったもう荒療治をずーっと続けてきて。[00:30:16]

戸田:軟膏ももう、

d氏:なしなし。

戸田:薬局でワセリンを買って、

d氏:そうそう、それぐらい。

戸田:化膿したりとかはなかったですか?

d氏:たまにそのふしがあったけど、気にせず(笑)。

戸田:(笑)気にせず。

d氏:行ってもね、前もね、ちょっとその指がね、指サックみたいにズルンと転んだ時に抜けたんですよ。指から小指とかズッといった時に、こう指の皮がほんとに指サックのようにそのままでズルンとめくれて、この横にぶら下がってる状態。

戸田:指の横に指サックがついてる。

d氏:そう、そう。それはちょっと驚いて、まずはとりあえず外科行こうと思って、近くの○○病院の外科連れて行ったら、それを外されて、もうその上からちょっと軟膏とあれでバーっとして。でも痛いし大騒ぎするから、

戸田:それはd氏長男さん?

d氏:d氏長男かな。で、○病院にやっぱり連れて行こういうて、連れて行ったら、「せっかく残っとうやつ***(00:31:37)」、

戸田:なんで被せへんのやって?

d氏:そうそう。「ちゃんと残しとかないかん」とか言って。またその時は、なんかソフラチュールみたいななんか、いろいろ巻いてくれたと思う。なんか処置はしてくれたけど。ねえ。けっこう痛い目にはさせてるけど、そんなこともありぃのぐらいで慣れっこになってる。ちょっとぐらいの傷とかケガ見るのも処置するのも。

戸田:じゃあよっぽどそういう指サック状態とかにならない限り、もう。

d氏:それもちょっと慣れたっていうか、皮が手のひらがベローンとめくれるぐらいだったら、なんかもう慣れっこみたいな。

戸田:幼稚園とか、小学校とか、普通に?

d氏:普通に。

戸田:学校にはどんなふうに説明?

d氏:幼稚園とかの時も学校の時も、入る時に…入る前に先生にまず説明して。入学式とか、親がみんな集まってる時に、ちょっと話がありますって、みんなの前でこんなこんなで言って、話をして。

戸田:それはd氏が?

d氏:うん。幼稚園の時には私がみんなの前で喋って。小学校の時は先生が話をまとめて。

戸田:保護者の?

d氏:保護者あてに話してくださいました。

戸田:子どもたちには?

d氏:子どもたちはもちろん。

戸田:子どもたちも先生から?

d氏:先生から。

戸田:d氏長男くん、d氏次男くんはちょっと皮膚が弱いんだよって?

d氏:そうそう。だからあんまり押したりとか、ぶつかったりしたら、すぐケガするからいうて、気をつけてねって、***(00:33:39)。よく言われたの、うつる? うつる病気?

戸田:ああ。それは幼稚園? 小学校?

d氏:小学校の時かな。だからうつる病気じゃないよっていうことをちゃんと言って。よく買い物とか行っててもうつるから近寄ったらあかんとか言ってね、親が言う、自分の子どもに。子どもはこないして、わざわざ通り過ぎたのにもう一回引き返してきて見にくるし。

戸田:それはd氏長男さんもd氏次男さんも?

d氏:そうやね、ちっちゃい時に。もうd氏次男は今は、そんなんないと思うけど。

戸田:辛いね。

d氏:お兄ちゃんのほうは、やっぱり幼稚園からの子は仲良くしてくれたし、小学校の時最初からいてる子は、もうわかってくれてるから全然なんともなかったんだけど。転校生が、その、先生がそこまで説明が行き届いてなくて。

戸田:小学校の時?[00:34:54]

d氏:小学校の時。それと他の学年。おんなじ学年には言ってたけど、他の学年の子とか、下から入ってきた子とか、そういう子にも行き届いてなくって。そこからすごいなんか、いじめではないけど、なんか変にちょっと嫌な言葉をかけられる。その転校生なんかやったら、もう、もろいじめ。なんかおんなじクラスやから、なんか言われて。もうそれで学校に行けなくなった。お兄ちゃん。4年生ぐらいの時に。

戸田:ちょうどそのあたりから、ちょっと病状が。

d氏:そうそうそう。

戸田:そのガーゼの量も増えていった?

d氏:増えた、増えた。あの頃は首回り、首回りがもう全部ズルズルで。背中とか、それから体幹、腕とか足とかはまだそんなでもなかったけど。

戸田:首からこの体幹のところがもうズルッていう。

d氏:そうそう。けっこうあの頃どんどん酷くなってきて、包帯ガーっと巻いて、

戸田:ほんとにぐるぐる状態で。

d氏:そうそう、ぐるぐる状態で。包帯とガーゼは普通のドラッグストアで、あちこち見て一番安い所で、もういっぱい買って。滅菌なんてとても高いから、10メートルの巻いてある、あれをハサミでジョキジョキジョキと切って。かなり使ってたなあ。

戸田:その頃は、それだけちょっと病状が悪化してたから、○病院でちょっと診てもらって軟膏もらったりとか?

d氏:その頃やっと△△市の〇〇病院で軟膏もらえるようになったけどそれまではもらってなかった。

戸田:じゃもう傷に直接ガーゼ?

d氏:もう直接ガーゼ。その軟膏を塗るっていう頭が、傷に軟膏を塗るっていうその知識がなかったから。教えてくれなかったし。で、向こう行っても、その傷を開くことはないからね。

戸田:開かないんですか?

d氏:そうそうそう。行ったら、「どうでしたか?」とか言うから、「ずっと一緒です、ここが悪いです、あそこ悪いです」って。

戸田:診ないんですか? 傷

d氏:「ああ、そうですか」いうて。長いこと待たされて、5分ほど話して。でもこっちもだから病院にも期待しなくなるし、先生もどうせこんな病気のこと知らんしなあ、みたいな。で、その首のところもね、ここがだんだん傷がずっとあるから今もそうなんですけど、ここ、うちの子、首がなくなっちゃって。ひっついて。

戸田:ああ、もう癒着していって。

d氏:そう。だから普通に肩がこうなってるところが、首とこの前と、こうひっついてる。…から今も飲みもの飲むときでも体ごとこう***(00:38:17)、回んない。

戸田:顔を左右にぐるっとかっていう、

d氏:左右にも、もうほんとにわずかにしか動かないし、首。

戸田:向くときは体全体から向くって。

d氏:そう、体全体で向かんとあかんかったりとか。ここも脇もひっついてしまってるから、こうは上がるけど、これが上がらない、手が。脇がひっついてしまってる。

戸田:肘はいけれる?

d氏:で、なんかこう、だからちょっと前傾姿勢になってしまってるから。その時も「すごくね、背中が曲がってきてるんですけど」いうて。で、なんかこれは骨に異常がある、まさか皮膚が、傷がね、だんだんとひっついてきて、それは全然わからなかったから、

戸田:病院からもそんな説明、

d氏:そんな説明もないし。その時でも、「じゃあレントゲン撮ってみましょう」とか言って、レントゲン撮ったら、「骨に異常ないですよ」とか言って、「皮膚のせいかもしれませんね」とか言って。「お風呂に入ったときになるべくその体が腕が上がらなかったら、手を伸ばしてお風呂で柔らかく、傷、柔らかいときに伸ばしてやってください」とかいって、言われて。もうお風呂で「伸ばせー、伸ばせー」とか言って。そんなん、まあ言うたらほんと傷であって、ひっついてしまってるからね、全然意味ない話なんやけど。なんかそれでも泣き叫んでた時期がある。もうね、まあ言うたらあんまり酷くしたら、傷のところ裂けてくるからね。ほんとやったらそこへいくまでに、その傷のこれをね、なんか、ね、もうちょっとこう、

戸田:なんとかね。

d氏:してたら…できてたらよかったんだけど。[00:40:18]

戸田:その方法を教えてもらえてたらっていう気持ちも。

d氏:そうそうそう。だから今になったら、もうここを開け、「皮膚移植したら首延びるようになりますかね」って言ったら、この辺はすっごく皮膚がいっぱいいるから、それは△病院でね聞いたら、「かなりの皮膚がいるから、もし命に関わる病気とかのときに、皮膚がまた必要やったらそっち優先やから、それはしゃあないね」って。

戸田:ちょうどその小学校高学年、d氏長男さんの場合はひどくなって、

d氏:その頃からか、どんどんどんどん、

戸田:ちょっとお友達のそういう、転校生とか、

d氏:ちょうどその頃って、だんだんこう、今までは自分が楽しいっていうの、ずーっと周りあまり気にしてなかったんが、なんかこう周りと自分を比べたり、またそういう年頃?

戸田:ちょっと周囲が見えてくるって。

d氏:周囲のことを気にする、なんかそういうので、「僕はみんなと違う」とか言い出して、「なんで僕だけ」とかって。「嫌や」ってなんか言ったら、「みんなが僕のことジロジロ見るし、そやから学校行きたくない」って不登校になって。4年生ぐらいから。4年生、5年生。4年生、5年生はだからもう行ったり行かなかったり。最初のうちはもう車に押し込んで(笑)、「行けー!」いうて、もう引っ張って、ズルズル引っ張りながら。とりあえず保健室までとかで。

戸田:とりあえず校門はまたぐ、みたいな。

d氏:そうそう。校門にタッチして帰ってこよかとか、そのうちなったり。もうだんだん、「もうええか」いうて。「もう休んどこか」いうたら先生が来てくれるようになったりとかね。保健の先生もなんかいい先生だったので、保健室やったら行けるとか。そんな時期もありつつ。

戸田:それは担任の先生とも相談しながら?

d氏:そうそう。

戸田:担任の先生は理解を示してくださった?

d氏:担任の先生はいい先生、すごく。だからそのうちの子と仲のいい子を同じクラスに、故意にもってきてくれて。

戸田:周りを固める。

d氏:クラス替えの時でも、仲良しの子はもうずーっと5年、6年おんなじクラスにしてくれて。ほんで、6年ぐらいなったら、なんかふと目覚めたのか、「僕、最後やから頑張る」とか言って。6年なってから、なんか嘘みたいに学校行って、で、委員長立候補してみたりとか。なんか音楽委員、音楽会のなんか、なんとか委員とか、アルバムとかのなんとか委員とか、そういうの「はい」とか言ってみんな立候補して、なんかむちゃ頑張ってたけど。そのままでこの調子でうまいこといくかなと思ったら、中学校になると、あ、中学校になってね、入院したんや、あの子。1年生の時に。

戸田:○病院に?

d氏:いや、あの時はね、□病院って整形の、身障者の子とかも入ってるのが、いちおう△市だけど、△△、その頃は△△に住んでるからね。そっちのほうにあって。

戸田:それは○病院の先生は?

d氏:○病院は関係なく、あれはなんで行ってたんかな。あ、足がだからその生まれた時からちょっとこう短かったのと、かかとが着かない、足、それで固まってしまってて。そこで整形外科がそこがちょっと有名やったからね、おっきかったから、近いし。

戸田:行こかって。

d氏:うん。足も大きさが左は普通だったけど、右が生まれつきちっちゃかったから歩きにくいのもあって。

戸田:ちょっとびっこひいたり。

d氏:うん。その歩きやすい、技士のあの…、あるでしょう、足のね。ああいう靴を作ってもらったら歩きやすいん違うかな。

戸田:ちょっとその高低差を。

d氏:うん、そうそう、高低差とかね。それもあって、そこにまずかかったかな。で、「靴作ってほしいんです」言って。「その前にこの子はそれ、靴を作る前に、かかとを着くようにそれを伸ばさんといかんやろう」、そこの先生が言いはって。アキレス腱を切って、皮膚がやっぱり悪いから。

戸田:手術した後の皮膚があれですよね。

d氏:ほんとやったらガチッとギブスをするとこを、その骨に穴を開けて、骨とか皮膚とか、こんな輪っかみたいなボルトを通したような、それで固定するような。そういう装備で、ちゃんと治るまでそれを使って、かかとが着くようにあとしばらくリハビリして。そんなんで、そこには学校があったからね、そこの学校通いながら、2ヶ月3ヶ月そこで過ごしたかな、中1の時に。もう本人曰く、その時に友達が全部離れていったと(笑)。

戸田:ああ、そうか。その2、3ヶ月の入院の時に?

d氏:それまではみんな話してくれたりしてたんが、やっぱりみんな部活に入ったりとか、新しい地域から来た新しい友達ができたりとか。

戸田:関係性がもう固まっちゃって。

d氏:そう。もう中学になったら小学校と違って、そういうこうグループ的なあれができちゃって、でも僕は帰ってきた時には友達は誰もおらへんようになった。

戸田:それは中学入ってすぐぐらいやったんですか?

d氏:いや、すぐじゃないよ。すぐじゃない。2学期入ってから。

戸田:ああ、そうか。じゃあ戻ってきた時にもう友達が、

d氏:そう。もう誰も…、まあ声かけてくれる、ずっと小学校の時から一緒に繰り上げてしてくれてたその子たちはいてくれたけど。でもクラスがまた違ってたりしてね。

戸田:中学の先生も理解は示してくださった?

d氏:いやー、小学校ほどじゃなかった。保健室の先生も、「もうそんなすぐに帰るんやったら最初から来んとって」みたいな。前はちょっと、小学校の時は保健室でちょっとしんどいときとかの居場所になってたのが、「しんどいんやったらね、迷惑になる」とかって言われて。きっつい先生で。保健の先生が。「それやったら最初から休んで」とかって。入ってすぐのみんなのオリエンテーリングみたいな、1泊とかね、そういうのでキャンプみたいなの行ったりするのあるでしょう。あんなのでも、やっぱり、私はちょっと行くだけでもいいから、やっぱりみんなと行くっていう体験をさせてやりたい。「もしあれやったら、途中でしんどかったら迎えに行くし」って言ったけど、もう、うちの子が行くために1人の先生がそれで、なんて言うか手をとられるから、「それやったら行かんと最初から家におってくれ」って。そういう言い方されて。[00:50:52]

戸田:心折れる。そのオリエンテーリング、行けなかった?

d氏:結局行ってない。で、もうどんどん友達付き合いもなくなるし。中学校になったら、また先生が変わったり、教室変わったりするでしょう。それも移動もしんどくて。

戸田:そこに入るの…サポートもなかった?

d氏:なかった、何も。

戸田:中学の時は、d氏長男さんの病気の説明はお母さんから?

d氏:やっぱりちゃんとやってるけどね。やってるけど…、

戸田:保護者と子どもたちにも。

d氏:子どもにどんだけ伝わってたんか、みたいな。うーん、ねえ、わからない。けっこう中学校の時もしんどかったみたいやけど、いちおう頑張って行ってた。荷物はその仲のいい友達が持ってくれたりとか、そんで私が迎えに行って、みんなカバンだけ歩いて帰るいうて、カバンだけ先、私が持って帰って、プラプラその子らと一緒に歩いて帰ってきたりとかね。まあまあ、なんやかんや言いながら。

戸田:でも一緒に帰ってくれるお友達が。

d氏:そう、うん。で、中学の時はなんとか、問題もあるけども、まあいうても義務教育やからね、休んでも大丈夫やし。

戸田:でもその頃もだいぶ病状ひどくなってる?

d氏:うーん、でもひどかったけど、今ほどじゃないよ。

戸田:制服も着て?

d氏:制服はでも詰襟やったからね、特別、丸首に、

d氏:あの、ここ首がやっぱりちょっと詰まってきてるから、当たると傷になるからね。丸首で作り直してもらって。カッターシャツも着なくていいように、下Tシャツで、異装届けみたいなのを出してもらって、靴も革靴じゃなくて運動靴でいいように。

戸田:なんとか中学も行かれて?

d氏:なんとか中学校は行けたし、高校もいちおう普通高校、受験して。公立と私立と受けて合格して。中学校がなんとかそれで移動教室とかあるのちゃんと行けてたから、行けるかなあと思ってたら、やっぱり高校なると学校の大きさが全然違うでしょ。だから教室の端から端まで行くだけで、もう疲れきって。まず登校の時点で疲れきってた(笑)。

戸田:おうちからちょっと遠かったんですか?

d氏:でも車で私、送り迎えして。だから教室まで鞄を持って行って。帰りは帰りも教室に置いてるの私が取りに行って、一緒に帰ったりとかしてたけど。でももう教科書も2セット買って、教室に置けるのは置いとき、とか言って。

戸田:2セット買って、家用と学校と?

d氏:とかいろんなことをしつつ、やってたけど。ちょっと風邪ひいて、しんどくなってからがもう行けなくなって。体調壊してから。1年生で。で保健室に行って、ずっと保健室で寝て、「お昼ご飯も食べずに、食べずにずっと寝てます」とか言って。ほんで「迎えに来てください」って保健の先生から連絡があったりとか。そういうのがずっと続いたら、もう高校なったらたちまち単位が、先生がもうあとこの時間、この時間行かないと進級できませんよみたいなのを言われながら。なんか***(00:55:33)(笑)。お尻叩きながら。

戸田:それで単位取りながら?

d氏:でももう、最後3学期にはもうだめになった。

戸田:1年生の?

d氏:うん、1年生。

戸田:体調的に?

d氏:うん、体調的に。で、先生は「もうどうしますか?」言って、留年してもう1年、1年生から行くか、それか辞めて他の学校に変わるかって言われて。この状態やったら、とにかくその移動だけでしんどいのと、けっこうその意地悪されるのも多かったから。教室、私も目の前で見てしまったんやけどね、うちの子の席に違うクラスが変わってきたら、そこに座るでしょう。ほんなら消毒、シュッシュッシュってなんかやって、あの子の席に。「ええっ?」って思って。そういうのなんかあの子にもその他にいたし。そういうのがけっこう日常茶飯事であったみたいで。

戸田:それはd氏長男さんもd氏も一緒に見られて?

d氏:そん時はたまたま一緒に見て。別に言わなかったけどね(笑)。だからなんか、そんなんいっぱいあるとかいって、本人も言うし。それより何より、体力的にもうしんどくってしんどくって、ついて行けなかった。それで、中学校の時も先生に「やっぱりどうなんですかね?」って、「支援学校とか通信教育とか、そういうの考えたほうがいいですか?」って言ったら、「いや、大丈夫やと思うよ」いうて。「いつでもそういうとこは行こうおもたら行けるから」いうて。「せっかく勉強も頑張っとんやから受けたら」いうて。行ったけど、結局あの子にしたら、その自分の失敗としか残らんかった。行ったけど、自分はだめやった。あれはちょっとかわいそうやったかな。その時期。そのあと通信高校に変わった、退学して。通信で、あとスクーリングを月に2回ぐらいまとめて受けるかたちで。2年ぐらいまでは行けたけど、やっぱりそのスクーリングの時間が体力、あれ長いでしょう。車で私が連れて行って、駐車場待機しといて、授業が終わったらそこに休みに帰る。

戸田:車に?

d氏:そう。でもこないして横になって。

戸田:d氏ずっと車で待機?

d氏:そうそうそう(笑)。でもあの何分間ぐらいやったらその遅刻オッケーとか3回まで遅刻オッケーとか、いろいろ計算しながら。「もう時間やで」って言って遅刻で次の授業に入っていくとか。この次の時間は休んでも大丈夫、あとのこれはあと何時間、何時間出なあかんっていうあれが、計算しながら。「今日はこれ絶対出なあかんで」とか。「この授業は休んでも大丈夫やから、寝とき」とか言って。言いながら。言いながらやってたけど、それも結局限界になって。それも中途半端で。高2までの資格は、資格じゃないけど、行ったけどね。2年生でもう辞めて、もうちょっと。その時には入院するっていうのもあって。ちょっと治療のほうに専念したいんで、やめますっていう。理由はそうやったけどね。***(00:59:56)の高校の時に保健の先生が、「患者会っていうのが、そういうのに入ってないんですか?」いうて聞かれて[01:00:05]

戸田:それは、定時制じゃないわ、

d氏:高校、普通高校。

戸田:公立高校。

d氏:公立高校の先生が。ちょうどその保健の先生が□病院、足で入院してた時の、…支援学校の養護の保健の先生でね。ちょうどそこの高校に異動になってて。いや知ってるわ、いやよかったわいうて、その先生がけっこう親身にいろいろ調べてくださって。その当時やったら、東京に〇患者会がある。で、「そういうとこでちょっと相談してみたら? いろいろ情報もあると思うし」。そこで東京まで行って話を聞きつつ。そこで講演会みたいなの聞いた時に、○県のね、培養表皮っていうのやってるっていう話があって、○県大学で。そんならそれやってみたいと思ったから、それに繋がるのに△病院の○先生が懇意にしてはるから。

戸田:その○県の先生と○先生が?がっているからっていう。

d氏:○県の先生と、うん、…から、「一度△病院の○先生から紹介してもらったらどうですか?」いうて言われたんで、そこでもう○病院やめて△病院に替わったけど(笑)。

戸田:d氏長男さんが高校2年生の時?

d氏:そうやね、うんうん。

戸田:○県行かれたんですか?

d氏:○県に行って、向こうで1ヶ月、1ヶ月入院して。部屋を借りて。

戸田:うーん、d氏も一緒に?

d氏:私も一緒に。

d氏:…したら、すごく一時的にものすごく綺麗になって。うわあ。その時に初めて皮膚の傷の処置っていうのを教えてもらった。

戸田:それは一回こう、元気な皮膚を取って培養してもらって、それを貼る?

d氏:貼る。

戸田:ちょっと病状の悪いところ。

d氏:ほんとにあの、うすーいシート上のものを、ペリッとその傷のところに貼る。

戸田:それは自分の皮膚を培養したやつ?

d氏:自分の皮膚を培養して大きく広げた、

戸田:育てて。それを貼ったら良くなった?

d氏:でもその効果っていうより、今までお風呂っていうのは、ガーゼを外すための目的。

戸田:言われてましたね。お風呂にジャボンと入って、[01:05:00]

d氏:そう、入ってふやかして。そこを触るなんてもう論外。痛くて。そのガーゼを外すだけでも、その刺激だけで痛くて、もうワーワー言うから。でもそのブヨブヨっと小汚くなってるのを見なかったことにして、またその上から貼ってたから。

戸田:お風呂にジャボンと入って、ふやかしてそれでも剥がれない?

d氏:ふやかして、剥がれないとこはもうそのままほっとく。

戸田:剥がれたところは新しいガーゼを貼る?

d氏:そう、新しいガーゼを貼る。

戸田:でももう剥がれなかったら、もうその濡れた、

d氏:濡れたのをもうそのまま勝手に乾くまでほっとく。

戸田:で、上から新しいガーゼを貼る?

d氏:うん。ていうよりその傷を取ったあとにふやけたこう周り汚れてるでしょう。だからそれを擦らずにただ剥がすだけで、で、剥がしたあとにきれいなガーゼを貼ってく。それを病院ではお風呂入って、まず石鹸で綺麗に洗ってくださいって。その傷を泡ブワーとたててゴシゴシ洗った。今までにそんなことしてないから、もうワーワーもう泣き叫んで、痛くて熱が39度まで出た(笑)。

戸田:○県で。

d氏:○県でそれをやられて。「清潔にするのが一番ですから」って。その綺麗にしたとこに、その綺麗なそれを貼っていく。もちろんそうなんやけど、今もほんとはそれが基本ですよね。

戸田:まあ痛みがあるからね。

d氏:したら、なんか、それをずっと繰り返してる、それも良かったんかもしれない。

戸田:おうちでのケアはジャボンとお風呂入って、剥がれなかったらもうそのままにして。

d氏:そう。でも剥がして、で、水気をパタパタっと、パタパタっとほんとに拭いて、上から新しいのを貼っていくの繰り返し。

戸田:ちょっとその剥がれても、ちょっと化膿してたりとか、ちょっと汚れてたりしてもそこは触らずに、新しいガーゼを貼るっていう。傷を触るっていうこと自体がもう御法度?

d氏:御法度。もう本人は触らしてくれない。「触らんといてー」。

戸田:石鹸で体を洗うっていうのはなかった?

d氏:なかった。もう傷のないとこだけをちょこちょこっと。指先でちょこちょこっと。そんな感じだったんで、「え、こんなにしなあかんのや」みたいな。で、薬を塗って、あ、でもその前に4年生、5年生ぐらいの時に感染、たぶん感染症かなんかで熱が続いて入院した時に、その時初めてその皮膚科の先生がソフラチュールとか、あとゲーベンクリームとか。

戸田:はいはい、抗生剤の入った。

d氏:そういうのを、これを塗ったほうがいいからって。そこが初めてかな。それ、4年生ぐらいが初めて傷の処置を教えてもらった。○病院じゃなくて○○病院。○○病院、入院した時。皮膚科の先生。

戸田:それは○市の?

d氏:△△市。△△市の○○病院。そう。「へえっ」て言うて。それからあの○○病院で薬をもらって、その傷のところには塗って、塗ってたかな。でもゲーベンクリームとか塗っててもやっぱりひっつくんですよ。

戸田:乾燥しちゃう。

d氏:全部吸い取ってガーゼに。一緒のことなんやけどね。お湯も真っ白白(まっしろしろ)になるし、それこそ。

戸田:そうか、軟膏が溶けて。

d氏:溶けて。もうドロドロのお風呂になりつつ。

戸田:で、ガーゼが浮いてくる。

d氏:そうそう(笑)。

戸田:じゃあその○県でゴシゴシ洗って、でもd氏長男さんにしたら痛い、痛い。

d氏:そう。その時に包帯をこうガーゼに当てて全身、その頃は全身ひどかったから。包帯、こうガーゼを切って、うまいこと回して、ガーゼのこう回したり、包帯回したり、あとネット包帯をいい感じの形に切って、スポッとはめて固定するとか。こんなふうにしたらいいんか、と思って。それ、こう目の前でやってくれるからね。[01:10:17]

戸田:それを初めて見て。

d氏:そう、初めて。こんなしたらいいんか。

戸田:今まで○病院で外来でも、

d氏:○病院はもうまったく意味なかった。

戸田:看護師さんももう全然関わりなく?

d氏:関わりなし。

戸田:先生に診察してもめくることもなく、

d氏:そう、めくることない。

戸田:じゃあその、一番最初の4年生の時に感染症で熱が下がらなかった時の○△病院で。

d氏:そこの皮膚科。それも小児科にかかってたけど、小児科の先生が「皮膚科の先生に診てもらったほうがいいかなあ」言って。

戸田:そこで皮膚科を紹介してくださった?

d氏:入院してるから、皮膚科の先生が来てくれた。「これちゃんと、この子薬塗ってちゃんと処置しないかんわ」とか言って、「なんで? なんでこんなんなん?」とか言われた(笑)。

戸田:○病院はずーっと形成の先生やった?

d氏:ずっと形成の先生。

戸田:皮膚科と連携してくださらなかった感じなんですか?

d氏:皮膚科の先生がずっといなかった。時々聞いてたけど、「いや、皮膚科、皮膚科はないんですかね?」とか言うたら、「皮膚科はね、昔はあったんですけどね」とかって。「でも形成で大丈夫ですよ」とか言うたよ。

戸田:そこの○県でゴシゴシ洗って、培養皮膚もしたら一時的には良くなった?

d氏:すごく綺麗。見違えるように綺麗になって。いやー、良かったわ。でもまた傷が、またできてくるけど。

戸田:で、帰られて自宅に。

d氏:で1ヶ月経って、1回帰って、またもう1回やりたいねえって、前がすごく良かったから。家帰ってきてまたちょっと悪くなったから。

戸田:帰ってきても、またやっぱり御法度になったんですか?

d氏:でもそれからは洗うようになった。

戸田:痛くても?

d氏:痛くても。痛くても***(01:12:25)。

戸田:ご本人、自分で? お母さん?

d氏:お母さん。うん。で、やってたけど、やっぱり新しく傷ができるし。

戸田:治りもあんまり?

d氏:うん。なんで、またそのあと○先生にかかるようになって、またもう1回やりたいなっていう話があって。別に何回もやってもいいよ。次は私が通ったかな、バスで。高速バスで。

戸田:○県?

d氏:○県、通いつつ。ちょっと仮眠して、横で寝たりして、行ったり来たり。

戸田:それは1年後ぐらいですか?

d氏:1年後、

戸田:劇的なあれはなかった?

d氏:前はその、あまりにも処置が違ったから、それでかなあ、とか言って。で、思ったほどじゃなかったからもうええか、と、

戸田:d氏長男さん、そのあともう学校には通われず?

d氏:その通信やめて、

戸田:○歳で。

d氏:そうそうそうそう。それからはもうずーっと家に引きこもり。

戸田:○歳から、今の○歳***(01:17:56)。

d氏:そう。あとに、引っ越してきた時いくつ、○年…、でも初めの頃はわりと外に出たりとか、水族館とか好きやからとかいって車で連れて行ったりとか。どっか行こかって、ご飯食べに行こかって、あそこ行きたい、ここ行きたいとかって、もうちょっといろいろは行ってたけど。○市に移ってからは、

戸田:○年前。

d氏:いちおう下の子の就職がらみで。

戸田:ああ、そうかそうか。d氏次男さんの就職が○市に、

d氏:っていうか、まだその時は大学に通ってたけど、d氏次男のほうは普通に高校も元気よく、もうすぐ近くの学校やったからね。もう朝、もう必死で走って。

戸田:きわきわまで寝て。

d氏:そう、きわきわまで。走ってガーっとダッシュで行けるぐらいのけっこうな体力もあったし、行ってて。友達もそれなりにいたし。まあまあ普通に生活、大学も行って。

戸田:就職もされて?

d氏:就職でちょっとつまずいたというか、大学も何年行ったかな。○年ぐらい行った(笑)。[01:20:11]

戸田:就職はなんでつまずかはったんですか?

d氏:面接で。面接でその心にもないことは言われへん(笑)。

戸田:ああ、御社のためにとか(笑)。

d氏:自分のあれを書くのでもね、長所を書きなさいっていうとこで、「あんたここもええとこ、ここもええとこ、いっぱいあるやん」って言ったら、「いや、あかん。僕はあかん、あかん」って。「そんな嘘書かれへん」って。

戸田:ご病気でとか、そういった***(01:21:18)ではなかった?

d氏:きっと根っこにはあるかもしれない。

戸田:スーツやから見えるようなご病状とかは?

d氏:全然見えない、着たら。

戸田:じゃあ別にご病気のことも伝え、

d氏:伝えないと***(01:21:37)けど、あの子は正直に言う。病気でとかいってから、もうほんと力仕事とかはできないとか。

戸田:それは伝えて。

d氏:それは伝えてとか。けどその人前で喋るのが苦手っていうのがあって。で、結局就職できないまま、ずーっと家でゴロゴロ。

戸田:そうやったんですか。最終的には就職?

d氏:まだ就職、正社員じゃないんですけど。

戸田:そうか。ご兄弟の関係ってどう?

d氏:ええー、関係ね。変にお兄ちゃんはすごくプライドがある。だから私らがちょっと遊びに、夫婦で出かけたとき。

d氏:「困ったときは言いよ」いうて、「手伝ってもらったらいいし。d氏次男になんでも言いよ」って。「いや、僕はそんなん言わへん。絶対あいつに頼りたくない」って。

戸田:ああ、そうか。じゃあ今もケアはお母さんが?

d氏:私が。

戸田:メインで。

d氏:絶対私しかやってなくって。

戸田:ああ、そう。今のケアはお風呂毎日、夜に入る?

d氏:入ってない、入ってない。

戸田:毎日入ってない?

d氏:毎日は入ってない。前はその、お湯に浸かって、湯船の中で綺麗に洗い流して、っていうことをずっとやってて。で、それもなんかメピレックスになってから、前はそれをしないと薬も塗ってるし、薬を洗い流さんと、やっぱり体に害も残るやろっていうのもあって。で必ずお風呂に入ってこう流して、また新しい薬を塗って貼るっていう、そういうのをやってたから。メピレックスにしたら、もう何も薬塗らなくっても貼るだけ、貼るだけでいい。初めは消毒もしなくっていいんかなと思った。もう普通に綺麗にしてたらいいとかいって言いはるし。えーっとか思うんだけど、それに慣れてしまうと、今までのその時間と、

戸田:テープ切ったり、ガーゼ切ったり。

d氏:そう、切って、その、○県で教えてもらったのが、すごく画期的やったのがね、ワセリンガーゼ、薬を…軟膏を塗ったあとに、また別に何枚も重ねたガーゼの上にワセリンをべっとり塗って、それをちょっと圧縮してあっためて病院では滅菌してたけど、そのワセリンが層になった感じのガーゼを、それを当てるとひっつかない。その薬のそのガーゼに入ってこなくて。だからスルッと、その痛みなく剥がれる。

戸田:ああ、ワセリンをかますと?

d氏:そう。その方法を教えてもらって、もう「ええっ!」て、その時それですごいもう驚き。こんな方法があるんだと思って。今まではだから、ゲーベンとか薬、テラジアパスタとかやったかな、塗ってガーゼを貼ると、それが必ずひっつく。ひっつくから、パリパリになってくるから、お風呂でしばらくふやかして、それを取とらないと取れなかったんが、その時にスルッと剥がれる、綺麗に。っていうのがびっくりで。

戸田:でもそれだけ大量のワセリンを買ってはったんですよね?

d氏:いや、その時はでももら…、

戸田:病院で処方してもらえた?

d氏:処方してもらった。ワセリン出ますって、もうもらってて。で、ずっとやってたから。薬を塗って、ガーゼを貼って、またこうワセリンのそのガーゼを作って、それをまた貼って。で、またその上から、滲出液多いとこはさらにその上からガーゼをのせて、で包帯を巻く。それか、ネット包帯とか、あとテープとかそういう固定するっていう何段階もやってたのが、メピレックス、ポーンで終わり。終わり(笑)。

戸田:驚き(笑)。

d氏:楽。

戸田:メピレックスを最初に使われたのは、友の会ができてから?

d氏:できて、みんなに配ってもらえるようになってから。

戸田:友の会はいつ入られたんですか?

d氏:私はね、いつ入ったかな。

戸田:友の会できたのが、10年前? 2018年、ちゃう2008年。

d氏:8年。でもできて、やって…。え、あれなんで知ったかな?

戸田:〇患者会には入られてたんですよね?

d氏:〇患者会には入ってたけど、メインが東京だからね、しばらくは東京でなんかあるっていうたんびに行ってたけど。もうだんだん本人がだんだん体調…症状が下り坂で、新幹線のホームって遠いねん(笑)。その移動が、移動でもうくたびれる。電車乗るだけでくたびれる。で、もう東京行きたくないって。そんなに新たな情報っていうのもあんまなかったから。けっこう○先生のとこに行くようになって、○先生のとこからいろんな情報が入ってくるようなって。なんで、もう東京まで行くのしんどいなって。

戸田:あまり価値も見出せなくて。

d氏:そうそう。で、行かなくなった。でもあれです、ほんとや、友の会の情報ってどっから来たかな? ○先生、

戸田:○先生が教えてくださった?

d氏:あれ? 違った? でもわりと最初のほうに、えーとね、その前に△△にいた頃から、○△県の水疱症、この前の家族会が始まった時には、まだ友の会はなかったと思う。

d氏:うーん、いつやったかな、私が友の会に入ったの。

戸田:でも、友の会がメピレックスとかが公費助成、

d氏:署名のやってる時にはもう入ってた。

戸田:入ってた。署名活動の?

d氏:うーん、私はちょっと積極的でな…。

戸田:なかった?

d氏:あの、まあ言うたらちょっとこの病気のことを、その頃はもううちの子も引きこもってた時期だったかな。

戸田:○年前、○歳ぐらい、d氏長男さん○歳ぐらい。

d氏:うん。で、やっぱりその自分からこの子の病気がこんなんでって、なんかこう、それ以外の世界に私は、逃げかもしれないけど他にボランティアやってたりとか。いろんな活動はね、地域の役してたりとか、そんないろいろはやってたんだけど、それは家であの子と向きあうための私のちょっとした逃げ場だったんで。そこに、

戸田:d氏ご自身の時間やったんですね。

d氏:そうそうそうそう。そこにその病気のことをあまり持ちこみたくなかった。

戸田:d氏ご自身の時間をちょっとそこに持って行かれちゃうと、保つ時間やったんですね。

d氏:いやいや大変やね、かわいそうやねってこう言われるのが嫌で。うんうん(笑)。そこはそこで私の場所で置いときたかった。だからそれで、その署名をお願いする、持って行く場所をちょっと思い当たらなかったというのもあって。個人的にはこの人だったらっていうこととかには、それはお願いしてきたけど、あまり大々的には私はやれなかった。

戸田:じゃあその、d氏の活動、個人として活動されてるところには、表皮水疱症っていう言葉は一切伝えては、

d氏:そうそう、伝えてはなかった。

戸田:一個人の活動っていう。

d氏:うん、そうそうそう。でもだいたいその病気で、ちょっとしんどい病気の子がいるっていうことは知ってるけど、その水疱症がこんな病気で、こんなに大変で、自分はこんなに毎日大変な処置をやってるぞっていう、それは全然言わなくて。それを言ってしまうとなんか、「いや、大変やねえ」ってなんかそういうあれで思われるのが、なんかちょっと嫌で。今までの関係性が崩れるような気がして。うん、置いときたかった(笑)。それがいいのか悪いのか。[01:35:16]

戸田:その署名ができて、公費助成でメピレックスが使えるようになって。でも○先生の所やから、すぐにそういうのも、

d氏:そう、すぐにもらえて。

戸田:もらえてて、今まで買っておられた、

d氏:その前になんかちょっとお試しみたいなんでもらったりして。ええーっ、とか言って。

戸田:これか! みたいな(笑)。

d氏:(笑)大事に大事に使った。

戸田:d氏長男さんは最初貼る時は、抵抗とかなかったですか?

d氏:別にそれはなかったけど、本人もすごく喜んでて。すごいって。

戸田:その手間が、剥がすときの痛みも。

d氏:痛みがないし、うん。で、あの子がちょっとズボラになったのは、そのお風呂のあれに戻るけど、戻るけど(笑)。薬を塗ってない状態で貼って、こうピッと痛く、痛みもそうなく、痛いときもあるけどね、で剥がれる。「そしたらお母さん、もうお風呂入らんでもいいんちがう?」って言い出した。

戸田:お風呂やっぱりしみるから入りたくない?

d氏:お風呂、疲れる。やっぱりお風呂入ってこすられるのは嫌やし、ずーっと同じ姿勢で、じーっとこう座ってる、お風呂の中で。しばらくお湯の中で浸かってたからね。シャワーはやっぱ痛いから嫌、嫌。湯船の中でずーっと浸かってるのもしんどい。もうあれだったら、ベッドに寝そべったままで、ちょっと方向をちょこちょこ変えながら、こっちあっちってこう剥がしながら交換できる。

戸田:それはd氏がされるんですよね?

d氏:そう。で、それを最初にあかんて言うてたらよかったんやけど、ちょっと私も夜になったらもうしんどくて、もう今日は替えるだけでいいかとかって。で、最初は「うん、それでいいよ」って本人も言って。今日はお風呂パスしよかっていうのが、そういうのがたまにちょこちょこ入るようになったら本人が、いけるやん、お風呂入らんでもいけるやんっていう(笑)。これがでも学校とかでどっか外に出ていくんやったらやっぱりちょっとこう臭いもあるだろうし、湿らせてたら見た目もあれやから、ちょっと綺麗にしとかなあかんよって、本人も親も思うけど。じーっと家にいるから、誰に迷惑がかかるわけでもなく、本人も別にそれでお風呂に入らずに交換したからって、あんまり治りが変わらへんって。

戸田:今はじゃあ、お風呂は何日に1回?

d氏:何日に1回ぐらいだろう。

戸田:1週間に1回?

d氏:うん、そんなぐらいかもしれん、そんなぐらいかもしれへん。それでももう全然大丈夫。

戸田:日中はもうお部屋で過ごしておられる?

d氏:もう24時間、24時間っていうか自分の部屋で365日ほぼ。

戸田:あまり外に出られることもなく?

d氏:病院のときだけ。

戸田:△病院は3ヶ月に1回?

d氏:いや、今は2、3ヶ月に1回だけど。それまでは1ヶ月に、毎月ずっともらいに行ってたんね。で、がんになったから、

戸田:d氏長男さん?

d氏:皮膚がんに○年ぐらい前に。初めの頃はその○先生の新しい治療の話を行ったら聞ける、進行具合聞けるっていうので、楽しみにしてずっとこう行ってたのが、「お母さん、行ってきてよ」って、「もうメピレックスだけもらってきて」。先生も「別にいいよ」って、そんな、***(01:40:04)もけっこう何年も続いてたら、がんになったんで、やっぱりその傷を定期的に見せてほしい。それで毎月行くようになって。で、それもちょっとこう落ち着いてきてたんで。[01:40:23]

戸田:がんはそのあとはもう、○年前、

d氏:その時に続けて、足、あれ、右…右足、最初に放射線治療をやってみたけど、結局だめで、最終切った。入院して。で、あともう1回腕、腕のところになんかできたのを、また、それはまたそのあと、どれぐらい経った…、1年…1年経ったかな。1年以内だったかな。それでまた腕、腕の手術をして。次また今度○月ぐらいにね。

戸田:去年の?

d氏:え、今年、今年。今度、もう来月か再来月。

戸田:今もがんができてる?

d氏:いや、がんかなあ。怪しいのがちょっと足、ちょっと大きくなってきてるし。一度生検したけど、普通じゃないけどな、様子見しよか、いうて様子見してたら、ちょっとこう最近ピリピリ痛みがはしりだしたし、少し大きくなったら切ったりするから、取ったほうがいいかなみたいなことで、もう○月ぐらいに入院にしよかってなったんです。

戸田:○先生との関係は? d氏長男さん。

d氏:いいです。あの子はだからそのすごい医者不信がけっこうあって。

戸田:○先生に出会われるまで?

d氏:出会うまで。うん。医者なんかロクなんおらへんとか言って、行っても仕方がない。で、〇患者会の紹介で、初めてその専門医みたいな感じでかかった先生がけっこうきつくて。

戸田:それは  の先生?

d氏:  の先生(笑)。

戸田:○かな?(笑)

d氏:(笑)こっちはこんなんで、こんなんで、いうてもう。

戸田:すがる思いで、

d氏:そう、ほんと  まで行って、今まで「そうですか、そうですか」、「こんなになったんですけど」って言われても「ふーん」としか言ってもらえなかったのが、「そうですよ、水疱症はそうなんるんですよ」とかっていうふうに、これが水疱症の今までは、水疱症知らんかったけど、全部水疱症の症状でこうなる、みんな水疱症の原因やったんやっていうのがわかったけど、「これぐらいたいしたことないですよ」って。「もっとひどいのも、ひどい子もいますからね」って。「東京までまた来たほうがいいですかね? よかったら来させてもらいます」「いや、もう来んでいい、来んでいい」いうて。「どこで診ても一緒やから」とか言って。

戸田:せっかく行ったのに。

d氏:そう、せっかく行ったのに。こんなぐらいたいしたことないとか言って、まだマシなほうやとかって。マシなほうやいうても私はこの子しか見てへんから、十分大変やおもてるんやけど。[01:45:05]

戸田:ほんまやねえ。それもd氏長男さんも聞かれてて?

d氏:うん、そうそうそうそう。

戸田:こんなんやったらあんまり意味ないんちゃうかって。

d氏:も思ったし、その、わからへんかったらわからへんなりの、一生懸命話を聞いてくれたらそれでまだいいんだけど。なんかもう軽くあしらわれて、うち来んでもよそ行ってくれ、みたいなふうだったから。向こうの先生にしたら「わざわざこっち来んでもええよ」って言ってくれたと思うけどね。それが○先生は、けっこうあの先生、その本人の目線下げて、こう下げて(笑)、私じゃなくて、「d氏長男さん」って話を聞いてくれる。で、初めてかかった時とかでも、病気のことだけじゃなくて、生活面、何かこう頑張ってみようかとか、何かちょっと目標を立ててみよか。じゃ、今度来た時に教えてくれるかなあ、いうて。で、それちょっとなんか頑張ってみようとかって。ちょっとでも元気になれるから、みたいなことを言ってくれて。この先生、こんな先生初めてやわ。皮膚以外のことでも、

戸田:ご本人に向き合ってくれる?

d氏:そう、向き合ってくれて、「僕の今まで受け持った患者さんで、こんなふうな頑張ってる人もいるよ」って。「だからできるよ、大丈夫やから」いうて。なんかすごいその子の気持ちになって、

戸田:寄り添ってくれる?

d氏:うん、そう。この先生はいい先生やわ。うちの子もこの先生はすごいいいって気に入って、それでずっと行く。

戸田:○年間。

d氏:今でも「○先生はいい先生やけどな」。

戸田:信頼関係を。

d氏:信頼、うん。先生のことは、うんって。

戸田:d氏次男さんは、○先生のとこには?

d氏:1年に1回ぐらい(笑)。

戸田:あまりそのメピレックスもそんなに貼る?

d氏:ああ、でも今、今、最近背中にちょっと水疱ができたのが広がって、珍しいんやけど、それがズルッと剥けて、これぐらいの傷ができてるから。

戸田:5センチ大ぐらいの。

d氏:うん。それをメピレックスでずっと貼ってるかな。

戸田:お兄ちゃんのを借りて?

d氏:お兄ちゃんのを借りて。普段はあの子はシルキーポアっていって、ガーゼがね、ちっちゃいテープ貼る? あれをもらって、で、それをペタペタ貼ってるだけ。

戸田:お父さんはどうですか? ケアは?

d氏:おとうさん、全然。

戸田:全然?

d氏:全然。

戸田:ちっちゃい頃から?

d氏:ちっちゃい頃から。ちっちゃい頃やったら、それを助けてもらうので、おじいちゃん、おばあちゃんと同居したから。おばあちゃんがけっこう手伝ってくれてて。でも手伝うっていっても、生活、お風呂入れてくれたりとか、あと、せいぜい処置やったらテープを切ってくれるとか、直接するのは全部私で。お父さんね、なかなか自分の出るあれもなかったかもしれないけど、あんまり(笑)。

戸田:関係、d氏長男さんとd氏次男さんと。

d氏:そんなに悪くは、悪くはないけど、病気っていうのに関してはあんまり理解がないかなあ。自分からすすんで知ろうとしないし。まあお前がやっとけばええやん、みたいな。

戸田:d氏…お母さんがやっとけばいいかなあっていう感じ。

d氏:そやから私が前の入院した時にね、

d氏:もうどうしようと思ったけど。もうほんと痛くて痛くてそのまま入院になったから、なんの準備もないし。もうちょっと痛みが薬で治まった時に、わーっとメモ書いて、

戸田:メールで?

d氏:え?

戸田:あ、紙で。

d氏:そうそう、紙で。手帳のとこ破って、頭はこの状態の方向、手貼るとか、体はこないして貼るとかって。もう全身の処置の仕方とか、そういうので、詳しくは本人に聞いて。[01:50:17]

戸田:d氏が入院中は、お父さんがやってくださった?

d氏:自分でできないから、自分でできるとこは自分でやったって。

戸田:届かへんところはお父さんに。

d氏:…ところはお父さんにやってもらったり。普通だったら1日したら私に、今だったらもう、お母さん、替えて、替えてっていうところを、何日か辛抱してたりとかはあったみたい。

戸田:ああ、そう。でも弟さんには頼まれ…、

d氏:なくて(笑)。

戸田:お話されたりとか?

d氏:それは、でもしょっちゅうはしないけど、たまに、たまに喋ってるけど。

戸田:ちょっと病状が違うし、

d氏:違う、違うからすごく羨ましい、嫉妬みたいなところが感情がかなりあって。あいつはなんか、なんでも恵まれてるって。その喉の手術もしたんですよ、食道のね。

戸田:やっぱり食べづらさもあったんですか?

d氏:食べづらさ、d氏長男はもう全然なかったけど、d氏次男のほうが小学校の頃から。傷は少なかったけど、

戸田:食道の粘膜が弱かった?

d氏:そう、弱くて、よく詰まらせてた。で、だから体も細かったし。そのへんはお兄ちゃんは食べれて、大丈夫やからよかったねって言ってたのが、○歳過ぎてからお兄ちゃんは詰まりだして。で、d氏次男はそれであの、ちょっと食べにくくなったから、一度食道狭窄の手術、広げるバルーンのあれをしよう、いうことになって。で、やったらかなり痛かったらしい。それ、△病院でね。

戸田:d氏次男さんの? 

d氏:うんうん。

戸田:その、○歳超えてから初めてしはったんですか?

d氏:そうそうそうそう。で、痛かったからもう二度としたくないとか言ってたけど、それをやってからもうどんどん食べれるようになって、

戸田:体力もついて。

d氏:そう、体力ついて。もうそれまではひょろひょろだったのが、もうスーッと。やから大学の入る時のスーツでも、もうほんとにスマートなやつでないとウエストぶかぶかで、してたのが、今もう何キロあるかな?

戸田:60キロぐらい?

d氏:もっとある、もっとある。70何キロかって、ウエストももう85センチのはいてるかな。

戸田:二十歳のその手術をされてから、今は1回もされず?

d氏:1回もせず。1回もせずでそれからもうガンガン食べれるようになって。ぶくぶく太って。もう太り過ぎや(笑)。もう太ったらあかんで、とかって。

戸田:d氏次男さんは○歳超えてから粘膜が?

d氏:いやだから、

戸田:d氏長男さん、d氏長男さん。

d氏:d氏長男はそうそう、d氏長男は○歳超えてからになって。で、そのd氏次男のそれを見たから、あんなに劇的に良くなるんやったら僕もしたい。でやったところが、食道に穴が開いた(笑)。

戸田:△病院で?

d氏:△病院で。

戸田:それは○歳ぐらい? もうちょっとあとか。d氏次男さんが○歳頃ですよね。

d氏:え、食道いつやったかな。大学入って、すぐ…、すぐではないね、○年ぐらいかな。食道は○年やから、○年前。

戸田:○歳ぐらいの時?

d氏:かな。

戸田:食道に穴開いちゃった?

d氏:いちおうリスクとして説明にはあったけど、でも○先生も「そんなにいっても、僕の知ってる限りはないよ」とか言って。いうて話もあったし。で、消化器あれは内科かな、外科かな、先生も何例も水疱症の患者さん、それをやってきてるし、こっちも安心してた。廊下で聞いてたら、すごい、うぇー、ああーとか。麻酔っていってもこの喉、喉だけの麻酔で。でも本人が言うにはすごい痛かったって。で、結局広げたけど食道に穴が開いたの最初気がつかなくって。もう早く帰りたい、もう水分が取れたら帰れるよ、で、ちょっと飲んでみたら飲めたから、もうちょっと早めに帰ろかみたいな話をしてたら、[01:55:30]

戸田:閉じてから開いてることがわかったんですか?

d氏:そうそうそう。

d氏:びっくり。病院もびっくり。先生もまさかみたいな。で、調べたら食道に穴が開いてるからって。そこからもう絶飲食で。

戸田:緊急オペ?

d氏:いや、オペじゃない。塞がるまで、自然に。自然に塞がるまで絶飲食。本人はもうあれが食べたい、これが(笑)。

戸田:ああ、そう。でも唾液飲み込んだりとか。

d氏:だから全部外出して飲み込まない。で、どれぐらい入院してたかな。結局2、3週間入院したかな、3週間ぐらい。

戸田:で、自然に閉じて?

d氏:自然に閉じたことを確認して、造影剤入れて確認して。あれが食べたいって、いっぱいメモに食べたいものを、食べ物の名前をいーっぱい書いて。退院したらこれを食べる(笑)。

戸田:それからはもう大丈夫?

d氏:いやそのあとまた、まだちょっと通りにくくって、なんか食べるときでも、ぐぐって飲み込んだりとか、空気がすぐ入ってこうゲップみたいに上がってきたりとか。

戸田:それは、またそのあとも手術? もうそれからはしてない?

d氏:してない、してない。だからそれもあって、あいつのときはうまくいったのに。僕はうまいこといかへん。

戸田:余計にその兄弟の比較になっちゃう。

戸田:そうかー。d氏次男さんはd氏長男さんに何か、そういう何かを持ってるってわけでは?

d氏:喋らへん、これ。d氏次男くんはあんまり、何を考えてるかちょっと。最近は少しはね、やっぱり年になってきたから、話すようにはなってきたけど。でも自分から進んで…、かな。でも私入院したりとか、ちょっと今回調子悪い時なんかは、まあまあ手伝って。

戸田:間接的に?

d氏:まあ、くれてる感じはあるけど。

戸田:最初、優性遺伝? 優性じゃないわ、優性、劣性…、

d氏:それこそ2人目、d氏次男が生まれた時点で、2人とも一緒っていうことはこれは劣性やね、みたいな。もうとりあえずその検査しなくても、どっちもこれ、こういう状態やったら、これやったら劣性の栄養障害型です。

戸田:遺伝子検査はされてはおられる?

d氏:してない。

戸田:遺伝のお話聞かれた時に、

d氏:でも、えっ? と思って。心当たりがなかったから、[02:00:02]

戸田:親族?

d氏:そう、親戚にそういう皮膚の病気。うちの母親がちょっとこう湿疹、洗剤でちょっと荒れやすいとか、それぐらいで、それこそアトピー的なそういう子もいなかったし、どこにも。だから○のところに子どもができる時はすごくヒヤヒヤ。○さんのところの子どもは全然大丈夫だったし。

戸田:○さん?

d氏:そうそうそう。

戸田:その遺伝のお話をご主人も聞かれて、ご主人とお話、なんか、

d氏:でも突然変異みたいなこともあるからっていうふうに言われて。ねえ。でもできてしもたもんは仕方ない(笑)。もうね、ほんと○のところの子どもができた時には、どっちか悪いかなって、どっちの責任っていうことはないけど、

戸田:それは○さんにはお話しされてたんですか? ***(02:01:18)、これ遺伝の可能性がっていう。

d氏:それは言ってない。

戸田:でもちょっとドキドキは、

d氏:ドキドキしてた。○さんのほうは大丈夫やったから、あとやったからね。

戸田:○さんもあとやった? d氏長男さん、

d氏:違う、違う。○さんとこは私とこより先で大丈夫やったから。

戸田:表皮水疱症のご病気はお持ちじゃなかった?

d氏:大丈夫。○が私とこよりあとやからね。

戸田:ちょっと言葉悪いんですけど、もし○さんの子どもさんが表皮水疱症であれば、

d氏:やったら、うちとこの家系に原因があったんやって思うけど、ドキドキしたけど。やっぱり突然変異?とか。でもなんか最近いろいろそういう話するあれが、聞くことがあって。やっぱりどっちもが2人ともが、なんかそういう要素を持ってなかったら、出てけえへんみたいなね。でもどっちが悪いでもないよな。

戸田:悪いとかそんなじゃ全然ない。そうか、そうか。

d氏:でも2人ともっていうのは、なんかいいのか悪いのか。ただうちところは、両方ともが重症じゃなくて片方が軽症だったから。まだちょっと楽かな。どっちもが重症やったらもうほんとに大変。

戸田:もう2時間。大丈夫ですか?

d氏:大丈夫(笑)。

戸田:なんかちょっとd氏長男さんとね、d氏次男さんのお話が中心やったんですけど、さっきd氏がね、ボランティアとか、自分の世界に表皮水疱症は持ち込みたくないんやっていう、2人の子どもさんを育てるなかで、d氏が自分を保つためというか、さっきのボランティアの話に通ずるんですけど、なにか意図的にされてたことってあります? 自分の時間をちょっとだけ持つとか。

d氏:やっぱりでも、そのへんかな。△△のほうにいてた時には、○のサークルに入ってて。けっこう忙しかったけど、○のサークルとかというところで、講演したり練習したり○作ったり。なんかそういうとこ、やってる時には病気のことを忘れてる。で、家帰って、あの子の姿を見たら、まあまあこっちはこっちで切り替えるみたいな。で、おじいちゃん、おばあちゃんとも同居してたし、ちょっとこう外へ、私の行く時間、

戸田:ちょっとそこも頼りつつっていう。

d氏:頼りつつ、

戸田:自分の時間を確保するっていう。

d氏:そう、自分の時間を。

戸田:お勤めはずっとされてたんですか?

d氏:勤めはずっとしてなかった。働くとけっこうその、ボランティアだったらちょっとごめんとかって言いやすくても、やっぱり働く…お給料もらっちゃうと、ちょっと言いにくいなって。でもあの○みたいなんが、近くに○教室があって。そこへ、ほんとに目と鼻の先で、町内のもう歩いて1分かかれへんぐらいの所にあったんで。

戸田:○されてた?

d氏:○っていうか、○のお手伝い。で、なんかうちの子も一緒に入ってね。なんか○してあげたりとか、いろいろ○書いてやらしてとか。[02:05:29]

戸田:じゃあ本格的にお勤めされたのは?

d氏:だから最近。

戸田:そうか。それはパートかなんかで行かれて?

d氏:パート、パートで。それは、ちょっと症状も安定してるし、で、主人がもう定年退職に、もうなってるんやけどね。なる前に。私も○代のうちにちょっとこう仕事かじって、で、大丈夫だったら○過ぎてからでもそのまま働けるし。ちょっと慣れてきたらいけるかな、みたいな感じで行ってて。

戸田:ちょっと切り替わるし、いいですよね。

d氏:それぐらいの時間やったら、

戸田:いけるかな。

d氏:そうそう、他のボランティアのほうも両方継続できるし。ちょっとこう早起きするだけで、もう子どもが病院行くっていっても、この日は行けない、次この日どうですか? とかって言われた時に、この日はだめなんです、この日だめなんですって言いたくなかったから、どこでも朝の時間だけ。○時―○時の勤務だったんで。

戸田:そのあとがちょっと自由がきくっていう。

d氏:そう、その。きくし。で、ちょっと小遣い稼ぎになったらいいなと思って始めた。

d氏:もう何十年ぶりかな、勤め。子どもができるまでにパート、結婚してから、その間にちょっとパートしただけで。それ以来全然してなかったからね。

戸田:もうおうちのことで、ね。

d氏:そう。もう家のことと、子どものことで手いっぱいで。おじいちゃんおばあちゃん亡くなる前は、もう、

戸田:明日お疲れ出たらあれなんで。2時間超えた。ありがとうございました。2時間15分も貴重なお話。

d氏:いえいえ、役に立ちましたでしょうか。

戸田:とっても。

【終了】[02:14:43]


UP:20200912 REV:20210818, 20220113
表皮水疱症  ◇こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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