お世話になります。
私たちは、どんな障害があっても誰もが地域で自立して生きていける社会の実現をめざす障害者(難病患者含む)の当事者団体です。
2019年6月2日に放映されたNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」の内容が、私たち障害者・難病者の生の尊厳や命を脅かすとともに、放送倫理上も問題があると感じ、以下の添付資料の通り、NHKに対して声明や質問状を提出してきました。NHKより二度回答をいただきましたが、基本的に障害者(難病者)の尊厳を傷つけるつもりはなく、放送倫理上も問題はない、とする回答であり、議論は平行線をたどっています。 そのため、放送倫理・番組向上機構において、当該番組における放送倫理上の問題の有無等について、調査・審議をしていただくよう、お願いする次第です。
添付資料及びその概要は以下の通りです。
上記の添付資料に目を通していただけたら、わたしたちの主張や疑義、およびNHKの見解は把握していただけると思いますが、なお二、三言、付言いたします。
まず、NHK側の、「自殺とは単純にいえない」ため、「各種の放送基準が必ずしもそのまま妥当するものとは考えて」いない、という点です。「自殺とは単純にいえない」というのは医師による自殺幇助を推進、実行している民間のスイスの安楽死団体の意見です。いうまでもなく日本国内においては、今回の番組で報道されるような死に方は、刑法の自殺幇助罪が適用される案件です。
スイスにおいても、自殺幇助罪の解釈によって安楽死(医師自殺幇助)の違法性が問われないかたちがとられています。本人の意思および行動による自殺ということがここでの前提です(スイスの刑法には、利己的な動機から他人の自殺を幇助したものは処罰されるという条文がありますが、この条文の反対解釈によって、利己的な動機によらなければ、自殺に関与したものが処罰されない、とみなされます。つまり医師が利他的な動機で、あくまでも本人自ら死を望む限り、その自殺を幇助しても処罰されないが、一方で、たとえば医師が儲け(利己的な動機)のために高い対価をもらって自殺の幇助を行ったら処罰される、ということです)。NHKのいう「厳格な要件」というのも各民間団体の独自ルールであり、それぞれに議論のあるところです。
こうした状況の中で、スイスの安楽死推進団体の意見のみをもって、自殺とは単純にいえないので、各種放送基準が必ずしもそのまま妥当するものとは考えていない、というのは、安楽死推進派に偏りすぎた見解であり、公共放送としては不適切です。
そしてNHKの見解にあるように、安楽死(幇助自殺)が「世間一般にいう「自殺」とは大きく異なる部分があるため、自殺に関する各種の放送基準が必ずしもそのまま妥当するものとは考えておりません」という言い分が通るならば、今後各メディアは、「幇助自殺」という言葉を「安楽死」という言葉に言い換えることにより、安楽死報道はフリーハンドで、自殺に関する各種放送基準等は無視してよい、ということになり、きわめて大きな問題を残すことになります。
また、NHKの回答では、「番組に安楽死を推奨するような意図は全くありません」とあります。しかしながら、「NHK月刊みなさまの声2019年6月」によれば、「安楽死を受け入れているスイスの団体の連絡先などを教えてほしい」(60代女性)など、「スイスの民間の安楽死団体についての問い合わせ」が59件あったとのことです。もちろんNHKがこの質問に答えて安楽死団体の連絡先を伝えていることなどはないと思いますが、番組の教唆によって、少なくとも59名の方(潜在的にはより多いでしょう)が実際に安楽死(幇助自殺)を検討する行動に移っているのです。たとえ番組制作者の意図としては安楽死(幇助自殺)を推奨するつもりがなくとも、番組内容がこのような結果をもたらしていることはきわめて深刻な問題ではないでしょうか。
細かな点ですが、番組中の証言の改ざんと思われる点も二か所指摘しておきます。
安楽死された方は、四人姉妹の3番目で、末っ子の妹は安楽死に反対だったそうです。その妹のメッセージはこのように書かれていました。
「鎧を脱いで、人の助けを得ながら生きてほしい」
しかし、NHKのナレーションは「人」の助けの箇所を、「『家族』の助けを得ながら生きてほしい」と読み替えていました。「人の助け」という場合、通常は家族だけでなく社会的な支援も含めての援助のことを言うと思いますが、ナレーションは「家族」に限定させていました。社会的支援の観点が番組の中にまったくないことは、声明や質問状でも書きましたが、本人と家族のみの物語に収めようとする番組の意図がここにも見え隠れします。
また、スイスで医師による安楽死可否の判定をまっているときのお姉さんの語りの場面です。安楽死不可と判定されたら、日本に帰らないといけないわけですが、
「帰された場合のことを考えると、それもまた不安で、その後がほんとに、また地獄がはじまるのかなって。」
と姉が語ります。お姉さんも自殺企図のある妹との暮らしには本当に苦しみを抱いていたと思うので、当然この場合「地獄」というのは本人と姉含めての「地獄」と思われますが、番組の字幕では、「(本人の)地獄がはじまるのかな」とわざわざ「(本人の)」という限定をつけていました。幇助自殺はあくまで本人の意思によるもので、家族介護の地獄のような苦しみから逃れるためではない、という配慮からの言葉からかもしれませんが、背景にあったはずの家族介護の苦しみ(=社会的支援の不足)はこの付け足しの言葉でぼやかされています。
なお、今回のNHKスペシャルについては、医師や障害者、患者、家族などからも、疑義が呈されています。以下のものなども参考にしていただけたらと思います。
わたしたち障害者・難病者の生と死についての今回のNHKスペシャルのような取り上げ方は、きわめて危険です。相模原障害者殺傷事件を例にあげるまでもなく、わたしたちは常に「死んだほうがいいのに」というメッセージに囲まれており、わたしたちの中には潜在的に希死念慮を抱えている者が数多くいます。社会的支援を活用して生きる道があることを知らせることなく、障害や難病のある生を否定して死を選ぶ道があることを私たちや家族にわかりやすく知らせることは、わたしたちを「死」へと着実に誘導することにつながります。そうした点への配慮のない番組が今後制作されることがないよう、丁寧な調査と審議をお願いしたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。