渡辺啓二氏インタビュー
2019/09/17 聞き手:小井戸恵子 於:西八王子ファミレス
◇渡辺 啓二
◇聞き手:小井戸恵子
小井戸 当初のケア付き住宅に積極的だったけれど、途中から離れた理由。渡辺さんんはヒューマンケア〔協会〕を引き受けた経緯。これ、私、ずっと前に聞いたことあるけど。さっき言っていたけれど、立岩さんとかに伝えるのはいいけれども、公開するのは、ちょっと?HPに載せたいんだった。そうするとみんなが見ることができる。
渡辺 立岩さんが研究の成果として、こう思うよっていうことで。渡辺はこう言っているっていうのなら、それは研究の結果だから。
小井戸 立岩さんが研究の結果として作るならOK?
渡辺 でも、このへんは出さないでねって注文つけるよ。
小井戸 うん、それは出来る。
渡辺 それは、了解。
小井戸 文字化させてもらって。
渡辺 できたのは見せて。
小井戸 文字化したのをチェック入れてもらって。この部分は削除とか、この部分は公開していいとか。他の人も、自分で聴き取りしたこととか、本で調べたりしたこととかをやっているので、渡辺さんの頁にもそうゆうのできたらいいなぁと思ってるみたい。私も思ってる。そうゆうの欲しい。
渡辺 良いですよ。
小井戸 良いですか?やった!
渡辺 まず今日は何が聞きたい?だいたい、このあいだのこれで網羅しているけどね。
小井戸 あ、やっぱりそう?今日、私は聞きたいって言っていること。で、立岩さんが聞きたいって言ってること 私、立岩さんに言われたとき、最近答えてもらったことがあるなっと思ったの。今、これで書きたいと思っているんですね。地域運動、下から上にって。
渡辺 だから、そもそも僕がね、なんで関わり始めたかって言うと、今日、渡した資料の中に。それの頭の方で、
小井戸 少年と青年のサークル「夢トピア」を結成。(資料を見ながら確認している)
渡辺 そう、夢トピアが、
小井戸 1973年
渡辺 その頃私はもう仕事してたん。
小井戸 何の仕事?
渡辺 営業の仕事。自分でね。たまたまそのとき、地域をどうしようと。寄り集まって街を変えて出ようよ、みたいな話が持ち上がった。そうゆう話が新聞に載ったわけ。それがきっかけで僕も仕事しながら、じゃあ関わるよって関わり始めて、サークル「夢トピア」っていうのを作った。それが始まり。
小井戸 運動を始めた、
渡辺 そうゆうこと。
小井戸 それで街の点検活動やリフトバスを走らせる。
渡辺 で、1977年に、
小井戸 1977年。仕事場づくりの会議?(資料を見ながら確認している)
渡辺 ん?若駒はじまる前の年。
小井戸 若駒がはじまる…あ、1979年に第1若駒の家、所長就任。だから、78年?
渡辺 だから…1977年に、私が仕事のストレスから十二指腸穿孔という病気をやっちゃって、死を彷徨って。
小井戸 穴が開いちゃうんだよね?
渡辺 そうそう。消化器に穴が開いて腹膜炎起こして。で、仕事復帰するの難しいと思って、しばらく休んでいた。っていうところに、夢トピアからずっと街づくりをやってた連中が、リフトバスを走らせるというのをやってて、市長が市の責任でリフトを走らせるよって言い始めた。それで一応、地域内の移動の問題が目処がついた。でも、それで当事者が出てくるかっていうとなかなか出てこない。で、それはなぜかっていうと、地域の中の目的持ってないから。それだから、地域の中に目的となる場所を作ろうよと。で1978年に第?若駒の家って始まった。
。。。←―このへんのこと電話で話してもらった部分もある。。。
小井戸 第1若駒の家?
渡辺 そう、その時に僕が、病後で仕事してないから関わるよ、ということで関わり始めた。それが若駒の家と僕との関わり。っていうこと。
小井戸 若駒の家っていうのは、いろんな人が居たんですよね?障害種別とか。
渡辺 いろいろ居るよ、もちろん。
小井戸 たとえば青い芝みたいに、CPの人たちっていうんじゃなかった。いろんな人が居た?
渡辺 うん。ただまあ、現実はやっぱりね、地域に取り残されてるのは脳性麻痺の人たちが圧倒的に多い。だから脳性の人が中心だよね。
それで、(青い芝の会が)東京都の「ケア付き住宅検討委員会」っていうのを長年やってて。それで中西はその当時は都内に住んでたん。で、ケア付き住宅検討委員会に関わってたのね。で、若駒が始まってからか。反対だったかどうかは知らんけども、だんだん、その、ケア付き住宅検討委員会からは抜けて行ったのね。
小井戸 自然と抜けって行ったん?
渡辺 そうだね。距離おいてったみたいだね。それで具体化するということになって、都が持っている土地で良い場所はないかって場所探しを検討委員会でやっているなかで、最終的に、まさにこのレストランのすぐ裏側が八王子自立ホーム。ケア付き住宅だよ。
小井戸 見て行ける?
渡辺 裏側に出ればね。それで、自立ホームに西八王子は場所が一番適当だから。そこにじゃあ作ろうと決定したことで、作るにあたって前線となる当事者の居場所が必要だよねっていうことになって、
小井戸 前線?
渡辺 前線基地。準備段階の、当事者の。で、当事者の生活っていうことで、今までの若駒の家を第1若駒の家として。で、もう一個は、東京都の通所授産の第2若駒の家っていうのが、東京都から補助金出してくれる事になって作ったわけ。で、そこに、その、ケア付き住宅を推進してきた東京青い芝のトップが職員になって、所長になって第2若駒の家っていうのが始まったわけ。それで、いよいよケア付き住宅は建物が出来上がって、それはケア付き住宅だけでは運営が成り立たないから、通所授産という東京都の補助金、これをくっ付けて、それを食堂として使ってた。
小井戸 あー、まえに聞いた。教えてもらった。
渡辺 ということで、1つのものとして、2つの制度を使って自立ホームというものを作った。
小井戸 その制度を使おうとか、都に交渉に行こうとかっていうのは誰が考えたん?渡辺さん?
渡辺 いや、そうじゃない、ケア付き住宅検討会の中で。東京青い芝が中心になって、それをやったわけでしょ。それで具体化するにあたって、第2若駒の家っていうのを作った。それで出来上がったときに、磯部〔真教〕っていう東京青い芝のトップが、そこの所長になるということで第2若駒の家を離れた。その時に渡辺、大須賀〔郁夫〕と健常職員若駒の3人も。ま、一番事情が分かってるからということで自立ホームに移ったわけ、職員として。
小井戸 自立ホームを利用する人は?
渡辺 募集して。一部、その活動をやってきた人も入る。 ところが実際に蓋を開けてみると、東京青い芝が結局、運動の拠点として使う、
小井戸 その自立ホームを
渡辺 あー。という意識がものすごく色濃く出ていた。闘争の拠点にしたかったわけね。でも、一般に、ケア付き住宅として一般に募集もかけて、そんな運動とはなんにも関係ない人も何人も入っているのに、それをその運動の拠点としてね、職員に徹夜まで要求するようなやり方をするというのは、それは納得出来んということで、若駒グループの関係者は全部辞めたの。
小井戸 若駒グループの関係者が全部辞めると、そこの運営は誰がするん?
渡辺 磯部真教が責任とって、あとやったわけだよ。抜けた穴を埋めなければならないでしょ。募集したよ。で、今日に至ってる。
小井戸 ホームを作るっていうことに対して渡辺さんは反対じゃなかったん?
渡辺 決める時点で別に反対はないよ。ただ、やってみて、明らかに運動の拠点とするのは違うということで辞めたわけよ。だからそこは、あくまでも我々がやっぱり、今まで施設や家庭に閉じ込められた人たちが、まずは介助付きの住宅というところにステップアップして、そこである程度の社会規範や対応能力が身に付けば、普通の住宅の借家を借りて一人住まいを始めるという。介助者を使って、みたいなステップアップな機関というので、我々はいたから、若駒は。
小井戸 ステップアップで思い出した。福島本※にも書いてあったけど、そこにずっと住むっていう感じになっちゃう、
※青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉 2019/09/10 『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』,生活書院
渡辺 我々は終の住処としては考えてないから。
小井戸 「スペースらせり」じゃいけど、生活体験みたいな?
渡辺 ま、広い意味での体験室かも知れないね。
小井戸 そこで生活ができるようになったら違うアパートとかに住んでもらうっていうのが最初の目的?
渡辺 いや、あのー、想いとしてね。べつに明確にそれは制度として決めていたわけではないから。ところが蓋を開けてみると、特定の団体の闘争の拠点にすると。これはもう明らかに間違い。それで決別した。若駒はあくまでも、運動のために組織化して闘うというのは良しとしてないから。生活というのがまずあって、そっから出てきた問題を社会化すると。社会化するのはニュースでも新聞でもテレビでも良いし、公に対してのアプローチでも良いし、それはいろんなその時々で。だから運動のために出来たんじゃないんだよ。生活で明らかになった問題を社会化するというのが若駒の理念。そこが合わない、青い芝などの運動は。青い芝の基本的な考え方は別に否定はしない。
小井戸 あ、なんか前、言ってたよね。考え方は共感できるところがあったって。
渡辺 そう、そうゆうこと。ただ運動のやり方が合わない、ということ。
小井戸 それは何年ごろになるんだろう?ねえ、ねえ1981年のさ、ここ(渡辺さんのその日の資料)にはちょっと無いけど、「全国所得保障確立連絡会」〔所保連〕っていう中に、「脳性を始めとする幼い時から障害者の所得保障制度設立に関する統一要求」みたいなのを出す時に渡辺さんの名前が入ってる。その時にさ、寺田さんとか古賀さんとか三澤さんとか今岡さんとか秋山さんとかいて、みんな、なんて言うかな、青い芝関係の人、あとは三澤さんみたいに、
渡辺 頸損連絡会
小井戸 あ、そうそう。とか、全障連の人とかってなるじゃない。そうに分けると、みんな何かの組織、寺田さんが青い芝とか、組織に居たってなるけど。そのあとさ、例えばみんなDPIとか全障連とか、そこにつながるような運動に関わって行くけども、渡辺さん若駒の家としてここに参加されているんだよね。
渡辺 まあ、そうだよ。うん。
小井戸 そうするとさ、他の人がDPIとか全障連とか青い芝やってるときに、これが無くなって、こっから離れても(福島本で立岩さんが記している所から自分のノートにメモしてあるものを見せながら話している)渡辺さんはDPIとかじゃなくて若駒の家をずっとやっていた、やって行く、
渡辺 僕は地域での生活って思ってやっていたから。
小井戸 あー、やっぱり地域、
渡辺 で、必要な時には共闘はすることはあるよ。中央闘争がメインじゃないから。 ←これ、昔も話してくれたことがある。
小井戸 やっぱ、そこなんだ。これだよね(この日の渡辺さんからの資料を指している)。こないだね、学会であった人が、研究として国とか中央を研究している人がいたん。で、なんか話が合って。私が地域での聞き取りだったって言ったら、「そっちからも研究ありじゃないですか」とは言われたんだけど。それをやるつもりでいたけど、ちょっといま滞っちゃっていたんだけど。中央じゃなくて地域からの動き。
渡辺 うん。だって一番そこが生活圏。
小井戸 生活圏(聞き取りにくかったので復唱した)
渡辺 生活が無きゃ、なーんの問題にもならないじゃん。
小井戸 まず、そこか。
渡辺 そこでしょ。それを大事にしないで、なにが運動だ、っていうのが若駒の考え方。
小井戸 その考え方ってさ、渡辺さん、若駒に集まった人がみんな、
渡辺 それは夢トピアの伝統だよ、ずーっと。障害が有ろうと無かろうが、地域で居るっていうことはどうゆうことか。そのために街はどうあるべきか。〇〇(聞き取れない)足りないよね、起点は全部そこ、生活だよ。それが一番大事だ。基本の「き」。それ抜きにした運動は運動じゃない!だから、こうゆう中央闘争には目的限定の共闘しかしないよと。だから、ヒューマンがDPIって言った時点で、こっちはもう引いているわけ。
小井戸 誰が?
渡辺 ヒューマンがDPIを作ろうとかさ、なんとかをやろうとか、
小井戸 JILを作ろうとかさ?
渡辺 JILを作ろうとかなんて言った時には、もうこっちは。
小井戸 そのー、なんて言うか、考え方、それの違いか。このさ、えーっと、ちょっと待って。あ、自立ホームを作るとき、設計とかさ、交渉段階は関わってなかったって言ったじゃない。設計とか交渉。
渡辺 後半では、形が出来てくる過程では関わってるよ。
小井戸 それが出来てからのことは…、あ、立岩さんのホームページにあったんだ。労働とか所得保障とかそっちの、なんて言うか、住宅とか
渡辺 だから所得保障っていうのは磯部とか今岡が中心になってやってたんだよ。だからそりゃ共闘で若駒は名前出しているけども、若駒が主体的にやってるわけじゃないから、そうゆう運動は。ただ必要性は分かるから共闘はいいよと。
小井戸 そうするとさ、同じように1980年の所得保障連絡会みたいなの。所保連っていうのも渡辺さんとか若駒として関わるのではなくて、
渡辺 だから自立ホーム
小井戸 自立っていう意味では同じ?
渡辺 どうに?だから自立ホームが運動の拠点になっちゃってるんだから、そこが中心になってやったよってこと。
小井戸 これも?(所保連の文字を指している)
渡辺 所保連だって、自立ホームが出来てからは、東京青い芝の会を中心にした、だから。
小井戸 自立ホームが出来てからの東京青い芝が関わる運動は、みんなそこが拠点になっちゃうってことなんだ。
渡辺 全部、拠点。自立ホームが。
小井戸 たとえばさっきの、東京青い芝の考え方には共感したよっていうのがあるじゃない、
渡辺 基本的な考え方はね。
小井戸 親が敵だとか。で、そのほかには共感できることとかあった?
渡辺 第2が教師でさ、医者で。その通りだと思うよ。彼らが抑圧してきたのは間違いないんだから。小さい頃からの障害者はね。
小井戸 話が飛んじゃうかも知れない。あっちこっち飛んじゃってごめんね。さっきさ、第1若駒とか第2若駒を作る時に、
渡辺 で、第2若駒の家は自立ホームが完成したことで、用が無くなったわけよ。
小井戸 あー(なるほど)
渡辺 ね。自立ホームを作るために、人件費を出すために第2若駒を作ったんだから。自立ホームが出来て、そこの磯部とか何人か働いていたのがみんな自立ホームに移っちゃって、あと空っぽなわけよ。いらないわけよ。
小井戸 第2若駒の家が、
渡辺 うん。だけどせっかく東京都の制度を取ったんだから、みすみすこれを返すことはないだろうと。いうことで、肢体不自由者父母の会に声をかけて、ね。要するに、まだ青年に達していない障害児を対象とした通所施設として、親が運営責任を持って運営したらどうですか?って、声をかけた。それで第2若駒の家がスタートした。
小井戸 だから第2若駒の家は、よく、親が運営って(昔から渡辺さんが話していた)。
渡辺 いまの第2は、少なくとも。そこは始まり。
小井戸 第1若駒は、いま無いんですか?
渡辺 いま名称変わっちゃってる。
小井戸 なんだっけ?ユニットじゃなくて
渡辺 忘れた。横文字になった。
小井戸 そう、そう。なんかあった。やってることは同じ?
渡辺 いろいろ手ひろげてるみたいよ。あの、ケア付き住宅作ったりとか、いろいろやってるみたいよ。関わってないから分からない。
小井戸 昔さ、渡辺さんがよく金曜日に若駒に行っているって言ってたのは第2かな?
渡辺 忘れた。(笑)知らん。 ←これは、あとから考えたら第1だった。
小井戸 (笑)。離れたのは、渡辺さんとか八王子の中で何あったってことじゃない、東京青い芝との考え方の違いだけで、
渡辺 そう、そう。
小井戸 待って。この中に、この本を読んで聞きたいことをこの中に書いてたんです。その中から。例えばさ、さっき言った白石さん。白石さんは自分が関わってみてちょっと違うなって思うと、そこから引き返してまた戻ってみたり、違う方のことをやってみたりって書いてあるんですよね。
渡辺 白石さん、が?
小井戸 うん。そうに考えると、例えばさ、渡辺さんがさ、1981年の自立ホームとするでしょ。で、1986年にヒューマンが出来るでしょ。その時になんで代表になったんだったっけ?
渡辺 なんで、って言われても困るよ。たまたまそこに居たからだよ。
小井戸 いやいや、違うよ。あれ?そうだったんだっけ?なんだっけ?なんか、まえ、教わったんだけどな。
渡辺 いや、だから、そのまま自立ホームの職員続けてりゃあ絶対なってないよ。
小井戸 自立ホームの職員としていれば、 なってない。あ、じゃあ自立ホームから離れたから、
渡辺 フリーで若駒に関わってたから。それにヒューマン作る時にいろいろサポートしてたから、ということ。 ←以前にもっと話しもらった。
小井戸 その時に渡辺さんが代表でしょ。でも初代代表ってあまり出てこないじゃん。代表だっていうのはあまり出てこなかったよね。
渡辺 そりゃもう、ヒューマンって言えば中西だから。あたしゃ単なるお飾りだから。 ←この、お飾りっていう表現を前も聞いた。
小井戸 (笑)なんでそんな、
渡辺 いや、現実がそうだから。
小井戸 自立ホームから離れたでしょ。で、ヒューマンの代表になったでしょ。で、代表から離れたでしょ。代表じゃなくなったでしょ。
渡辺 ずいぶん、だけど居たよ。
小井戸 けっこう居たんだよね?でもさ、なんであまり出なかったんだろう?
渡辺 いや、自分は自分で別のこと始めたからさー。
小井戸 「ジョイプロ」?
渡辺 そう。
小井戸 わー!
渡辺 で、いつまでも代表、あちこちの代表やだから辞めるよって言って辞めた。
小井戸 え?JOYプロを作ったから辞めたの?
渡辺 そうだよ。
小井戸 あ、そうなんだー。JOYプロになってからは、ねぇ、結構お世話になりまして(笑)。群馬の福祉車両展のはじまりは、JOYバンを入れたのだったんだよね。次の年から県が第1回って開催し始めた。
渡辺 自分は自分でやりたいことがあったから。で、お飾りの代表はもう辞めましょって言って辞めた。
小井戸 まえ聞いた、中西さんのお給料がなんとかっていうのは、なんだっけ?関わってた。
渡辺 中西はお給料とってたよ。
小井戸 代表じゃないからね。代表になったら
渡辺 取れないもん。代表だったら厚生年金入れないし。
小井戸 あー、勤めてれば入れるし。渡辺さんはそうすると自営業になっちゃうん?
渡辺 私はもらってないもん。
小井戸 ヒューマンでお給料もらってなかったの?
渡辺 当たり前じゃん。代表に金なんか出るわけないじゃん。ずーっと無給で、「困った時のナベだのみ」って言われてた。
小井戸 困った時のナベ頼みが、けっこう多いよ、みんな。
渡辺 それは分かってる。
小井戸 なのに、
渡辺 無給。
小井戸 無給でさ、名前が出ない。
渡辺 生涯ボランティア。で、JOYプロジェクトももちろん無給だしさー。人も雇えないし。
小井戸 ぜんぶ自分でやってる感じ
渡辺 ま、趣味だよ、趣味。
小井戸 そんなー。ねえ、八王子ホームみたいなさ、個室のそれが、何箇所かに出来る。たとえば北海道とかさ、札幌いちご会とか。そっちにも出来たりするけれど、そうゆうのだと、同じ人がずーっと居ることになって出入りが出来なくて、居られる人は居られる。でも次に入りたい人もいるじゃない。そうゆう人が入れなかったっていうはさ、そういうふうになっちゃってたってこと? さっき渡辺さんが言った、そうじゃなくて、次のステップとして置いたって言ったじゃない。本来の目的はそうに置きたかったって。
渡辺 自立ホームの位置付けはね。でも実際に新陳代謝も有るし、ずーっと居る人もいるよ現実に、今でも。それはもう、個人の問題だからね。追い出すわけにはいかないじゃない。そうゆう契約にはなってないから。生涯此処が良いっていう人はダメとは言えないじゃん。
小井戸 これ(福島本のこと)を読んでると、こうにこうにって浮かんで書いてたのに。話が、こう、繋がらなくなっちゃった自分に中で。なんでだろう?読んでたときは、こうにこうに渡辺さんに聴くんだと思ったからこれを。で、この赤い所は渡辺さんに聴きたいことなんですよ。
渡辺 はい、聞いてください。
小井戸 だからそれが…(沈黙と笑い)…待って。待って、待って。ねえ、ねえ、(福島本を読んでいる介助者を呼んでいる)その本のさあ278(頁)を開いて。
渡辺 これは何?立岩さんの本?
小井戸 うん。この部分。これ1冊買ったんだけど、もう一個欲しいって言って(介助者のこと)いるところなんだけど。これ渡辺さんにあげる。おいていこうか? あ、この辺。この人が言っている。むこうの先進国のモノを持ってきても機能するわけじゃないっていうようなことを言ってる。まえにさあ、
渡辺 そりゃ、私もそう思う。
小井戸 ね、言ったよね、まえね。
渡辺 だから、ヒューマンと距離置いたの。
小井戸 はあ。他の地域運動している人も、昔と違ってアメリカナイズされちゃったって言った人がいた。運動が。
渡辺 って言うかさ、アメリカナイズじゃなくて日本独特のさ、模倣なんだよね。アメリカのILプログラムとか、ILの流れというものをつまみ食いをして。でもむこうはILセンターは金を取らないんですよ。
小井戸 どっから?利用者から?
渡辺 利用者から。で、介助者との契約はあくまでも個人。
小井戸 あー、なんか前、そうに言ってた。
渡辺 ILセンターがするのは、その人のニーズに合った介助者の名簿を提供する。
小井戸 うん、うん、だいぶ前に教わった。
渡辺 で、その中から利用者が個別に介助者と契約をして利用をする。ところが日本のILセンターは、センターが介助者を派遣しちゃうわけ。そこは根本的に違う。結局、そうすると何が起こるかっていうと、公の金を一切拒否してる限り公と対等にケンカできるんですよね。ところが、ケア料を一度ILセンターに落とす。公の金が落ちる関係になると、言いたいこと言っているようで実は言えてない。いざとなったら税金絞ると言われちゃう。という関係性は出来ちゃうわけ。←この話「バトン」の本の中で小泉さんも言っている。
小井戸 その課題はけっこう今、なんだっけ、いろんな、CILやってきた人が課題として挙げている。
渡辺 だからそうゆう関係つくったのはILセンターなんだよ。その時点で僕はもう、バツ×だと思っているから。
小井戸 最初は、そうゆうつもりじゃなかった?
渡辺 いや、中西は最初からそうゆうつもりだった。だから〇〇マニュアル(聞き取れない部分)なんてのを作った。そこからは、違うんじゃない?って、僕は。
小井戸 ん? ここに(自分の ノート)こうに書いてきたけど、ちょっと待ってよって思ってる。私がいま聞きたいことって聴けたのかね?この中のは聴いたみたい。これも聴いたもんね。聴いたのかな?ちょっと、1時半になっちゃった。
ポスター発表したんですね。(ポスター発表の原稿を見せている)今さっき渡辺さんも言った、上からじゃなくて地域から、生活がある場から。生活がまずなければって。地域運動っていうのは、渡辺さんの中で、それってどうゆうこと?っていうのは、さっき言ってくれたこと。
――少し時間が空く――
渡辺 うん。一番基本的な物の考え方は、生活がイコールそのものが運動なんだよ。施設とか親元で閉じ込められている限り〇〇出来ないんだよ。一人ひとりが地域で生きる。という障害者が増えれば増えるほど社会が変わるんだよ。生活イコール運動なんだよ。運動って言った時に、なんか頭数そろえて、どっかに言いに行くのが運動だって勘違いしてる人が多すぎるんだよ。まず、その事をきちっと抑えて話をしないと、運動っていう言葉が一人歩きしちゃうよ。そうゆうこと。
小井戸 分かった。何が分かったんだろう。
渡辺 何が分かったの?
――少し時間が空く――
渡辺 いざ当事者を前にしたら、何をしたら何をどうすればいいのか分からないって言うわけじゃん。一般ピープルは。
小井戸 一般ピープル。法律が出来ようが何できようが、
渡辺 現実の問題として、目の前に障害者がいたら、何をどうしていいか分かんない。おたおたしちゃう。そこが問題なんだよ。それは小さい頃から隔離してきた結果なんだよ。それが今になってる。小さい頃から地域に当たり前にっていうのをきちっと実践して来なかった、この国の政治の問題なんだよ。という事を、きちんと一人ひとりが意識して、…当事者がだよ、それを社会化するということを、想いを一人ひとりが持たなけりゃ変わらない。いくら地域生活って言ったって。
小井戸 政治の問題って。今回あの、れいわの2人が出たでしょ国政に。それと今の政治の問題っていうのはまた違う?
渡辺 いや、それが関わることで、政治、いろんな制度、法律、条例、そういったものを変えていくという意志で彼らがして行ってくれれば。健常者の一方的な思いでいろんな法律作っちゃったから、隔離する。親もそれに加担したわけじゃん。養護学校作ってくださいって言ったのは親なんだから。同じ学校で〇〇してくださいってことをしなかった。だから親は第一の敵なんだよ。隔離することをすすめちゃった。ガキの頃からクラスに重度の障害者が居たっていう環境で育った人は大人になったってビックリすることない。それをやって来なかった。当事者がそうゆうことを常日頃から意識持ちながら社会に関わっていく。であれば、そうゆうことを全く知らない人に出会った時に、こうなんですよって伝えられる。広められる。
小井戸 その意識っていうのは、当事者の意識っていうのは?
渡辺 僕はすごい希薄だと思うよ。
小井戸 伝えるものじゃない?
渡辺 だから、伝えるだけの意識持ってない当事者が多いと思うよ。
小井戸 なんでそうなっちゃったんだろう?
渡辺 知らない。当事者自身が当事者に教育して来なかったから。必要とする人が後輩に教えないで誰が教えるの。健常者任せにして来たんでしょ当事者が。だと思いますよ。全国のILセンターが当事者にそうゆう教育して来たかって言うと、僕は疑問だと思うよ。
小井戸 あ、それをやって引き継いだ横山さんの事を報告したんですよ。そしたら、引き継いだんじゃなくて放り出したんでしょって。
渡辺 誰が放り出したって?
小井戸 横山さんが。それはどう思う?
渡辺 それは分からない。横山さんがどうゆうケアをしたか、知らないから。
小井戸 5年かけて勉強会とかやって育てて来たんですよ。あ、だけどその部分を私が説明しきれなかった、今回(の学会であった人に)。
――少し時間が空く――
小井戸 ここに(ポスターの吹き出し。若者世代と現役世代)関心持たれたのは意外だった。
渡辺 おおむね、みんなそんなもんでしょ。いろんなモノがそろった中に居る。そろったわけだからさ。
小井戸 んー、整ってるよね。
渡辺 そりゃ、脳性麻痺だけじゃないよ、いろんな障害者がそうだ。
――福島本の話をしながら小井戸帰り支度をする――