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岡本千春氏インタビュー

岡本千春氏 2019/08/25 聞き手:立岩真也
於:東京都府中市・CILふちゅう・フリースペース
https://www.facebook.com/pages/Cilふちゅうフリースペース/729730400568813

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◇文字起こし:ココペリ121 20190825 岡本千春氏 75分
こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす
病者障害者運動史研究
◇2019/08/25 インタビュー 於:東京・調布市〜府中市〜武蔵野市

※聞き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
 聞き取りが怪しいところは、【  】(hh:mm:ss) としています。
n`m
立岩 僕は京都なんですけども、京都のJCILと、それから西宮のメインストリーム協会あたりで、およびその他諸々で、特に国立療養所、昔、国立療養所と言う頃にいた、筋ジストロフィーの人たちが、出たい人は出れるようにすると。まぁ、いる人はいる環境を良くしようっていう、まぁそういうことをぼつぼつと始めていて、で、僕はそれに少しお手伝いというか、みたいな形で関わっていて。で、今、本体のほうは…JCIL、メインストリームの本体のほうは、アンケート調査をやっているんですよ。で、ぼつぼつとその数を増やしていってっていうことなんですが。まぁそれはそれでやってもらいつつ、僕は会った人に、会える人に話を聞いて回るっていうことをやっていて。こないだJILの総会、仙台であった時に、1日目にそのプロジェクトの話をして、2日目にほんとにぶっつけっていうか、会った人に順番に話を聞くみたいな感じで、旭川、札幌、それから岡山、鹿児島。

岡本 あ、そうか、JIL総会の当日ですね。

立岩 そうです。で、お話聞いて、で、それを文字化して、それをホームページにそのまま、そのままっていうか、直すのを直してもらって、載せていくっていうことの中で、まぁどういうふうに暮らしてきて、これからどうなるのかっていうようなことの、参考になるようにっていうことで考えてまして。で、こないだの5人についてはホームページで読んでもらえるようにして。

岡本 ああ、そうなんですね。

立岩 ええ。で、今日もさっき長山〔弘〕さんに、そういう了承を得て、また出来たものを見ていただいて、忘れたっていう所は足してもらって、ちょっと不都合だとか、違うとかいう所は削ってもらったり変えてもらったりしてっていう、そういうことをやり始めているっていうようなことでして。それで今回東京に、ちょっと別の仕事ではあったんですけれども、来たついでもあって、お話を伺ってという、そういう次第です。ですから、前、国療にいたよっていう人は、もうほんとにどういうふうに暮らしてて、そこがどんな生活で、どういうふうに出てきてっていうふうな話を、ついさっきまで聞いてたんですけど。今は特にそういうことでもないので、どういうお話を聞いたらいいのかなと思いながら、でも特に何か考えてきたわけでもなくて、そんな感じです。

岡本 私、呼ネットのほうで、『風は生きよという』っていう映画ご存知ですか?

立岩 観ました。
 ※立岩 真也 2015/09/20 「『風は生きよという』」http://kazewaikiyotoiu.jp/

岡本 それの上映活動で時々お話させてもらうんです。それでいろんな資料を作ったりとかしてるんですけれども。その資料が、ちょっと今日いろいろ持ってきたので、もし参考になるなら、ぜひ見ていただいたら思って。それは府中で開催した時のやつです。その下のほうに講演内容と私の原稿とかもあって、[00:03:57]

立岩 あ、これですね。

岡本 そうですね。その上の、町田のが参考になりそうですね。自己紹介中に入ってるやつですね。見ていただいたら、

立岩 わかりました。ありがとうございます。

岡本 私もね、病院生活はほとんどないので、たまにちょっと入院で病院に帰った時には、ちょっとその、環境のちょっとすごさとか実感して。結構女性って少ないんですね、筋ジスで。

立岩 そうですよね。特にデュシェンヌのその遺伝の絡みあるんで、男性だと思います。これ〔いただいた文章〕を読めば、かなりのことがわかるんだと思いますけど、でもまぁざっくりと。もしよろしければですけれども、個人的なというか、今までの、どこで生まれてきたやら、そういう話がもしよろしければと思って。

岡本 はい。私は奈良出身で、奈良の大和郡山市っていう所で生まれて育ちました。両親と兄との4人家族で、生まれて育ってって感じですね。

立岩 大和郡山にはいつ頃までいらしたんですか?

岡本 えっとー、20歳ですね。

立岩 学校は?

岡本 えっと、普通の中学校なんです。高校は通信制の高校に。

立岩 20歳まで生まれた所にいつつ、その体の状態っていうのは、いつ頃からこう変わってきて、みたいな。

岡本 小学校中学年ぐらいですかね。3年生4年生ぐらいから、まぁ徐々に走りづらくなってきて、歩きづらくなってきて。まぁ最初はですね、手が上げづらい。ていうところでまず徐々に歩きづくなってきて。で、それで、まぁちょっと1回病院に行って検査してみたらっていうので、奈良医大。

立岩 奈良医科大学。

岡本 で行って、診断受けた。

立岩 多分、近所の病院行ったら、医大に行くようにと そういう感じですかね?

岡本 そうですね、多分。でも直接行ったかもしれないですね。

立岩 で、診てもらったら、わりとあっさり診断はついたっていう感じだったんですか?

岡本 私はちょっと子供だったのでわかんないですけど、筋生検もやって、最終確定ですね。

立岩 筋生検をその時にやって。それは小学校の真ん中?

岡本 小学校の5年生です。

立岩 5年生。で、そのあとは、ああなってこうなってっていう。で、小学校を出て、

岡本 中学校も地域の地元の中学に行きましたけど。まぁ、相当歩きづらくはなっていて、でもその学校が階段とかだったので、それでも車椅子を使わず行ってました。ちょっと休みがちだったんです。

立岩 階段はでも、どうしたんですか?

岡本 昇ってました。

立岩 小学校の時は、まぁ辛くは…。こう、足が上がんないみたいな感じなんですかね?

岡本 長距離歩けないって感じですかね。一応小学校は家から自力で歩いて通ってて。で、中学校はやっぱり、送り迎えをしてもらって、で、学校の中は一応歩いて移動してました。[00:05:13]

立岩 ていうのは小学校、中学校で、ほんで、中学校を出て、

岡本 出て、まぁ普通の高校行きたかったんですけど、体力的にちょっと毎日は厳しいかなっていうので、通信制。

立岩 それは奈良にある?

岡本 そうですね、奈良の奈良高校に通信制課程というのがあって。

立岩 それで、その通信制出て、詳しく聞けばいっぱいあるんでしょうけれど、奈良から今ここにいるっていうあたりまでの経緯っていうのは、どんな感じだったのですか?

岡本 そうですね。私はちょっと親と仲が良くなくて、父親のことがあんまり好きではなかったので、早く家を出たかったんですね。で、20歳になって、障害年金とかをもらえるから、それをもらったら家を出るって決めてたんですよ。1年間年金貯めて、で、アパートを借りて家を出たんです。20歳で。その時は奈良の、実家に近い所だったんですけどね。とりあえず家族と離れたかったので、家を借りて一人で生活を始めたんですね。

立岩 それは大和郡山市?

岡本 奈良市。一人暮らしをしたのは奈良市ですね。で、そこでもう一人暮らしを始めて、で、当時はまだ自力で家のこと出来ていたので、全部自分でやっていたんですけど。徐々に動けなくなってきて、そのために母親に手伝いに来てってお願いもしたんですけど、母親も大変。だから「帰って来なさい」って言うんですけど、私は帰りたくないって思うし。で、ほんとに動けなくなってきたから、病院か施設か実家かの選択を迫られた時に、たまたまCILの存在を知って。

立岩 そのたまたまっていうのが、どういうたまたまっていうか、

岡本 車椅子の業者さん経由だったかな? そういう人がいるよっていうのを聞いて、で相談したと思います。

立岩 それは具体的にはどこの人というか?

岡本 奈良のCILのフリーダム、知ってますか? 「フリーダム21」。
 ※https://www.facebook.com/freedom21.cil/

立岩 フリーダム21に出かけたっていうか、そういう感じ?

岡本 そうだったかな? か、電話をして、アポ取って行ったか、どうかだったと思います。

立岩 それが、自分で一人で暮らし始めて、

岡本 3年ぐらいです。2〜3年目の時。

立岩 じゃぁ、歳で言ったら22とか23とか、そのぐらい?

岡本 それぐらいですねぇ。

立岩 フリーダム21行って、どういう話に?

岡本 こういう制度、在宅で、ヘルパー制度使って暮らしていける方法があるっていうのを知って、で、そっからヘルパーを使うようになりました。

立岩 それは奈良の最初に越したところでヘルパーが来るように。

岡本 そうですね、うん。

立岩 それはフリーダム21が派遣するような形だったんですか?

岡本 その当時は、そうですね。フリーダム21は全身性介護派遣事業っていう制度だったかなぁ。それとあとは社協が、市がやってるような、週1回2時間程度の家事援助。

立岩 社協の週1回2時間ぐらいプラス全身性。

岡本 そうですね。全身性は途中ぐらいからだったかなぁ。とにかく全身性とそれを使いながら、また、在宅生活継続しました。[00:10:10]

立岩 ざっくり、1日何時間ぐらいその当時は入ってた記憶がありますか?

岡本 1日、最初は2時間とかです。で、最後のほうで、夜勤…夜間は入れてなかったので、まぁ日中8時間ぐらい。そんな感じですね。

立岩 それが、どのぐらい続くわけですか?

岡本 26までです。

立岩 26まで。3年とかそんな感じですか。

岡本 そうですね、そんな感じですね。

立岩 それで、今ここにいるっていうのは、どういういきさつというか。

岡本 当時、奈良でヘルパーさん使って生活してたんですけど、お風呂介助をどうしても頼めなくて、まぁ恥ずかしいという気持ちになって。とにかくその時は自分でやってたので、お風呂とか裸を見られる、見せるっていうのがすごい恥ずかしくて、お風呂の介助だけは母親に手伝いに来てもらってたんです、ずっと。で、それをちょっと何とかしたいと自分でも思ってて。ただ親がやっぱ近くにいると、どうしても呼んじゃうので、ちょっと親が呼んでも来れない所に行かなきゃもうダメだなぁという考えになって、それで離れた所に行こうと思って、こんなふうになった。

立岩 それが

岡本 それが27…、26です。今から18年前。

立岩 で、東京へ行こうと思ったんですか?

岡本 大阪か東京か。ちょっとあの…、わりと都会が好きだったんで、奈良が田舎っていうのもあって、大阪か東京て思ってて。で、一人、大阪から東京に行った友達がいたので、それで、その人の家を見学しに行ったりとか。

立岩 大阪から東京行ったって人は、どういう知り合いというか。

岡本 最初はネットで知り合った。江戸川に住んでる人。

立岩 大阪から江戸川に越したっていう。その人は障害は?

岡本 同じ筋ジス。歳も近くて。けど、その人は彼が東京に住んでて、彼と生活するために東京に来たんですけど。で、彼女の生活とか、お家とか見に行かせてもらって。

立岩 彼女はもう、その時点で東京に越して来た所に出かけたというか、行った。

岡本 そうですね。もうお家は彼女は決まってて、そのお家を見に行ったりとか、あとは、

立岩 それは江戸川区?

岡本 江戸川区ですね、彼女が住んでいるのは。あとは国立のセンターに相談をしたりして。じゃあ国立、その当時ちょっと自立希望者が多いっていうので、ちょっと対応が厳しいっていうので、ふちゅう? 当時20年前、ここのCILが立ち上がったばっかりだったので、そこだったらまだ全然、暇してると思うよって言うので、で、ふちゅうに相談して、そっからトントンと話が決まって。

立岩 そん時は、そうやってこう、国立行って、国立今ちょっといっぱいいっぱいやからっていう時はまだ、住んでるの自体は奈良に住んでたんですか?

岡本 そうです。[00:15:01]

立岩 それはメールでやり取り、

岡本 そうですね、電話とかで。

立岩 電話やメールでいろいろ問い合わせて、で、府中やったら今何とかなるかもみたいな、そんな感じ? ふちゅうはその当時もう始まったぐらいの?

岡本 そうですね。始まって1〜2年の頃ですね。

立岩 それでもう、そうするわって、見に行ったりしたんですか? 本格的に引っ越しする前に。

岡本 そうですね、家探しで多分4〜5日東京に来て、で、その前に見に行く日とかいくつかピックアップしといて。まぁ、センター、このCILふちゅうの職員の人もいろいろ物件を探していてくれてて。で、実際に見に行って。

立岩 引っ越しする時に住む場所を決めて、それからこっちに越して来た。

岡本 そうですね、引っ越して来たのは7月3日なんですけど、その1週間ぐらいで、2週間ぐらいだったかな、家を見に行って、探して、で、決めて契約して、住民票を移動して。

立岩 さっき長山さんに聞いてきたんだけど、彼の場合は千葉の下志津からこっちに来る時に、あそこにいればいたで、病院で暮らせる分には暮らせるじゃないですか。で、まぁ府中に来れば来たでそこの制度使ったりして、その繋ぎが結構難しいよねって話で。彼の場合は、有償ボランティアのサークルみたいなのが下志津にあって、それを使って、時給500円かな? 年金から払ってみたいなことをおっしゃってたんですけど、いかがでしたか? 岡本さんの場合。

岡本 私は引っ越して来てから全部スタートしたので。引っ越して来て、制度。あー、でもあれか、引っ越した時は友達が付き添ってくれたので、引っ越し当日から3日間、当日から2日目は友達がやってくれて。で、3日目ぐらいから制度使ってヘルパーを雇ったので、ですかね。まぁ1週間前ぐらいに住民票を移動して、で申請して。

立岩 じゃあもうかなり準備を周到にというか、丁寧にいろいろ支度をしといて、で、パッと来て、もう3日後からは使えるっていうぐらいの感じだった。

岡本 そうですね。ほんと、今は結構行政厳しいですけど、あの当時は言えば、わりと府中は大盤振る舞いで、すぐ時間数とか出してくれてたので。そうなんですよ。

立岩 あの、彼は、そっか。

岡本 時代がちょっと。

立岩 2泊3日で自立生活体験室みたいな所に泊まって、それでいろいろ準備というかな、やってましたけど。そっか、岡本さんの場合は結構いろいろやりとりをして、制度ももう、それはもう3日後から使えるぞっていう感じでわかってて引っ越してきたっていう、そんな感じだった? じゃあ、そういう意味で言うと、わりとすんなり?

岡本 かなりすんなりのほうだと思います。

立岩 で、来て。その奈良の時は、フリーダムの所では、働くというか、活動に参加してたってことはあったんですか?

岡本 そうですね、活動、一応してました。

立岩 それは主にはどういうことをしてた?

岡本 うーん、そうですね。いろんな交渉してたりだとか、機関紙作ったりとかですかね。

立岩 奈良からこっちに来る時に、奈良の仲間というか、なんか言われたりしました?

岡本 (笑)まぁねぇ。言っても私は聞かない性格、みんな知ってるので。[00:20:04]

立岩 もう行くもんやなぁと。言ってるからには、言うからには、もうそうするんやねっていうことか。

岡本 そうですね。まぁでも、今でも交流するので。帰ったら。

立岩 そうか。時々は田舎に帰ることもあるんですか?

岡本 そうですね、帰りたいと思っているので。ただ一人では帰れないから、同行できるヘルパーが見つかれば。

立岩 なるほどね。今、特に、これ一応みんなに聞いとこうと思うのは、在宅からでも、あるいは病院からでも、出てくる時の繋ぎ目っていうのがね、そのところがうまくいく人と、そこがすごいネックになってあかん、すごい時間かかったりとか手間かかったりとか、苦労したりって人がいて、そこが何なんやろうな? ていうところでね。まぁちょっとその辺を少ししつこくお聞きしたんですけど。なるほどなるほど、そんな感じだったってわけですね。じゃあ奈良は奈良でフリーダムの仕事をなさっていて、こちらでその、頼って来る時に、ここをっていうことあったでしょうけれども、ここのセンターに、わりと当初からメンバーとして関わってきたっていう、関わりだしたっていう感じなんですか?

岡本 そうですね。最初はいまいち、一利用者だったんですけど。まぁちょっとずつですかね。最初はですね、大学に行っていたので。

立岩 ここに来てから大学に入学した。来てから受験っていうか。

岡本 そうですね。来て、1年間予備校行って。で、次の年に受験して、で、そっから大学に入ったんです。

立岩 差支えなければ、どこで何を学ばれたというか。

岡本 八王子の大学で、一応まあ法学。名前だけですけど。

立岩 京王、京王線に乗って?

岡本 当時は車で行ってました。

立岩 車? 車の送迎というか。

岡本 自分で車、実家から持ってきたんで。ヘルパーさんの運転で。

立岩 ヘルパーが運転して、で、大学。それは4年間行って。

岡本 私、7年かかった(笑)。

立岩 7年いて、卒業はしたわけだ。

岡本 卒業しました。

立岩 なんか、聞いていいかどうか…、法学って何だったんですか? 法学って言わなかったっけ? 法学部って。

岡本 法律です。

立岩 それは法律勉強したらいいことあるかなって思ったから?

岡本 いや、大学に行きたいっていうのがあって。まぁ学部はちょっといろいろ迷ったんですけど、ちょっとやっぱりハード面で、建物が当時やっぱりバリアフリーになった建物と、そうじゃない建物とがあったので、法律のほうが建物が動きやすく、バリアフリーだったので。

立岩 それは、下見というか、見に行ったら、ここやったら、まぁ何とか移動できるわっていう、そんな感じで。それで選んで、そこを受けてっていう?

岡本 そうですね。

立岩 じゃあ7年か。それは何? まぁどっか書いてあるかもしれない、すみません、事前勉強が足りなくて。来た、

岡本 来たのが26。

立岩 で、学校に入ったんが?

岡本 27、

立岩 じゃあもう翌年みたいな感じですね。

岡本 そうですね。

立岩 じゃぁ何、来た年にもう、予備校に入っちゃってみたいな?

岡本 2001年の7月に来て、で、次の年に1年予備校に行って、

立岩 2002年に予備校に行ってて。

岡本 2003年に入学です。

立岩 3年に入学して、それから7年かけて、10年か。10年に卒業して。で、その間、学校行ったりしながら、どうなん? その、ここのセンターの仕事と学生の生活を同時並行みたいな?

岡本 そうですね。ほぼ学業を優先したので、センターのほうは余力があったら行ってたんです。

立岩 結構学校はマメに行ってたんですか?

岡本 いや、なかなかやっぱり体力が少なくて、週3とか、ぐらいですね。[00:25:07]

立岩 ああでも、それぐらいは行ってて。

岡本 学生時代にやっぱり、すごく体調を崩したりとか何回もあって、途中休学とかも何回かやったりしたりとか。その間に呼吸器を使いだしたんですね。

立岩 大学生だった時に?

岡本 そう、2006年から、ぐらいから。6年7年ぐらいから呼吸器使いだしたので。

立岩 今その呼吸器関係で、お世話になってるというか、使ってるというか、決めてる医療機関があるんですか?

岡本 一応かかりつけ病院が、小平の国立精神ですね。あとは在宅で今は管理してもらってるんですけど。

立岩 で、そっか。いよいよ体調悪くなって、これだとやっぱ呼吸器が関係してるから、バイパップ、鼻マスクつけなあかんのかなっていう、そういう流れだったんですか?

岡本 着ける前の何年かはものすごく風邪をひきやすかったりとか、息苦しさはずーっとあったんですよね。当時、あそこ、病院、たまそう? 多摩総合医療センターに通ってたんですけど、多摩総合医療センターの主治医が、まぁ、そういう私の息苦しさとか、そういうのを伝えたんですけど、「気のせいだよ」みたいな。

立岩 気のせいで風邪ひくかなぁ? まぁいいや。そんなようなこと言われた。

岡本 まぁ、顔面肩甲上腕型っていう、結構あの、まぁ、あんまり呼吸器にこない人が多いんですね。この、私の型は。

立岩 そうなんですか。何型って?

岡本 顔面肩甲上腕型。

立岩 難しい。

岡本 顔ですね、顔。肩甲、肩甲骨の肩甲。

立岩 顔面、肩甲骨の肩甲、上腕ってこう、腕の上腕。顔面肩甲上腕型っていう、そういうタイプなんですね。

岡本 そういう型なんですけど。

立岩 そんなに呼吸器にはこない? 一般的にはというか。

岡本 まぁそうですね。て言われているので、まぁその先生も検査もせず、まぁ気のせいだよねって感じで。そんな2年ぐらい苦しい思いをして。で、そうしてるうちに、夜、寝れなくなったんですよね。呼吸がやっぱ浅くなるので、呼吸が止まっちゃうと、目覚めるっていう症状になってきて。それで、病院を変えて、今行ってる国立精神のほうに行って検査したら、

立岩 これ着けたほうがいい。

岡本 そうですね。血中二酸化炭素溜まってるから、着けたほうがいいって。

立岩 そういう検査もその前の病院ではしなかった。血中濃度というか。

岡本 しなかったですね。

立岩 あぁ、大丈夫のはずやっていう話で。

岡本 そう。で、いろんな結構あの、呼吸器科とかいろんなクリニック行ったりしましたね。

立岩 で、それで、着けたほうがいいよねっていうことになったのは、その、話に行って、行ったらそういう話になって、で、

岡本 最初は夜間だけ。

立岩 あぁ、寝てる時にっていうことですね。で、今は常時?

岡本 そうですね。まぁ、自発呼吸も一応少ないけどあります。

立岩 それで体調は、苦しかった時期に比べたら良くなったっていうことですか。なるほど。それで、そんなことが途中ありながら、学校のほうは休学なんかもしつつ、7年かけて終わり。で、そのあたりと、時々顔出しっていうか、参加したっていうのは、ここのセンターの仕事っていうのは、奈良では機関紙やら交渉やらと、さっきおっしゃたけれども。ここではその、そんなに頻繁にじゃなかった学生の時代とかは何をしてたんですか?[00:30:12]

岡本 卒業したら、一応この活動1本になって、そうですね、いろんなことさせてもらいましたけど。

立岩 学生の時はたまに顔出すみたいな感じじゃないですか?

岡本 そうですね、うん。

立岩 それは何かこうイベントとかそんな?

岡本 あぁ、そうですね。イベントとか、

立岩 …に参加するみたいな感じで。でその、大学卒業するあたりに、もうここで働こうみたいな、そんな気持ちだったんですか?

岡本 そうですね。

立岩 じゃあ、それはこちらのセンターのほうも、岡本さんそういうつもりやねっていうのはわかってて、じゃあ働いてってそういう流れですか。で最初ていうか、その、今、どういう仕事から始めて、今に至るみたいな。

岡本 いろんな研修会に出させてもらいましたね。やっぱりJILセミナーだったり、〔全国障害者〕介護保障協議会のだったり。

立岩 いろんな所で研修して、覚えたり、知ったり、ことがあって。で、ここに就職したのが何年ってことになる?

岡本 なんかアバウトなんですけど、一応2008年から実習生っていう形で。卒業の2年ぐらい前ですかね。

立岩 卒業の2年前か。2年前から研修生みたいな形で。なるほどなるほど。勉強をしてて。卒業と同時にまぁ言うたら常勤のスタッフみたいな感じになったんですか?

岡本 いやでも、あんまりその、待遇とか働き方はそんなに変わらなくて。うちの元代表がすごいゆるいタイプだったので、知ってますか? 鈴木。多分日本一ゆるいセンターって言われてるぐらいゆるかったので、もうなんか自由に、やりたいように、来れる時に来たらいいよぐらいな感じだったので、何曜日の何時何時に勤務するとかそういうのもなく、って感じですね。
 ※鈴木一成:https://blog.goo.ne.jp/kazu--suzuki/e/fd1b99ef4091cb460cb25ff8c520e8ba


立岩 それが結構今、重責というか、担うようになったのは、いつ頃からどういうこう流れで?

岡本 代表が亡くなったので、それから、今さっきのもう一人の男性の岡本〔直樹〕君が代表になって。あと、スタッフ的に私が一番関わりが長い、18年ぐらいなので。

立岩 今は事務局長でいいんですよね。

岡本 名前だけですよ。

立岩 そうなんですか? どのぐらい出て来てはるんですか? 事務所っていうか。

■呼ネット

岡本 呼ネットのほうとか回ったりするので、そうですね、週2〜3ぐらいですかね。はい。
 ※http://conetnet.web.fc2.com/

立岩 そんな感じで、今こちらでは仕事して。わかりました。「呼ネット」の人、僕何人か存じ上げてますけども、呼ネットは今何してて、私〔岡本さん〕は何をしてるっていうのは、どんな感じなんですか?

岡本 一応代表は小田で。副代表が海老原さんで、何人か事務局メンバーがいて。で、今のは9月にあるイベントの準備をやっているのと、私たちのホームページのほうの管理をやってます。呼ネットはイベントがあったら動くっていう感じですかね。あとは『風(風は生きよという)』の上映をやってた頃は、よく上映会で話したりとかしたりですね。[00:35:19]

立岩 なるほど。呼ネットって、会員は何人とかって言えるような感じの組織なんですか?

岡本 そうですね一応。会員は全国で160人ぐらいいますね。

立岩 今、一方で、旧国立療養所に1000という単位でまだいるっていうのも事実だけれども、とはいえ、特にまぁ、若い人っていうかなぁ、は、ずっと在宅でという人も多いと思うんですけど、呼ネットっていうこの集まりっていうのをバッと見たときの、みんなの出自というか…はどんな感じなもんなんですかね? どういう生活をこれまでしてきたのかというので、それはいろいろだと思いますけど。

岡本 いや、基本やっぱ病院が多いと思いますよ、呼吸器ユーザーの方は。

立岩 前は病院におったよっていう人のほうが多い?

岡本 在宅のほうが少ないです。もうかなり少ないと思いますね。

立岩 それはその、いて、出てきたっていう感じの人が多いってことですか? 今現に、今現在病院にいるよっていう人もいるんですか?

岡本 会員のなかにですか? 会員は半々、まぁ在宅のほうがどっちかというと多いですね。その160人という人の全員が呼吸器ユーザーではなくて、家族だったり、医療関係者だったりですね。ユーザー自体は56人。

立岩 そのぐらいの感じで。今、短期的に病院を一時的に出たり入ったりはもちろんあると思うんですけど、生活の場所として、病院、施設っていう人もメンバーにはいるんですか?

岡本 恐らくいると思う。けどまぁ在宅のほうがメンバーとしては多いと思いますね。

立岩 何年前ですか、映画できて映画作ってっていう、まぁそれが一つの大きい活動だと思いますけど、それ以外にというか、これは言うてこうみたいなことっていうのは、今、目標っていうかなぁ、それはなんかあるんですか?

岡本 まぁ、地域に出ようっていう運動ですかね。病院とか施設とか、親元から出て。まぁ、もっと街に出ようっていうのを。

立岩 それは例えば映画観てもね、映画観をるだけでというか、こういう生活というか、暮らしの仕方もあるんやなって、まぁ思うっていうか思ってもらえるってことはあると思うんですけど。そういうメディアっていうか、映画使ったりするっていうこと以外にというか、今、取り組んでいるか、あるいはこれから取り組もうかみたいなことっていうは、なんかあったりするんですか?

岡本 呼ネットカフェっていうのを毎年やって、カフェ、交流会ですね。それは設立当時から毎年やってるんですけど。それを、やっぱり東京がメインなんで東京でやるんですけど、地方の人も参加できるように、まぁ地方で開催とか、あとはネットとかで繋いで、どこにいても交流会に参加できるような感じで。

立岩 交流会っていうのは、何月何日どこそこでみたいな? 半日とか1日とか。[00:40:04]

岡本 そうですね。毎年夏に、都庁で、都庁の屋上でやってたんですよ。

立岩 都庁、新宿の。

岡本 展望台の、そこのカフェが貸して、場所を貸してくれてたので。

立岩 都が貸してくれるみたいな形になるんですか?

岡本 都のカフェですかね、あれね。ただそこのカフェが去年で無くなっちゃったので、今年はちょっとやれてなくて、今年はそのまぁイベントを交流会にしようということで、3部(呼ネット10周年記念シンポジウムの第3部)で交流会※をやるんですけども。また来年から場所をね、どこか借りてやる。
 ※http://conetnet.web.fc2.com/event.html


立岩 ああそっか、あったけど無くなったってことなんですね。わかりました。

岡本 あとはなんかもう、呼吸器ユーザーの主張コンテストみたいなのをやろうとは企画してますね。

立岩 はい。ありがとうございます。うん、他の人にも時々会ったりするやろうから、その皆さん思ってることとかは、また一人一人に伺うことできると思うので。

岡本 そうですね。なんか病院にいる人たちの声とか、そういうのを知りたいと思います。

立岩 そうなんですよ。今、なんでか?って言われると困るんですけど、聞いてるかもしれませんけど。僕らの場合だと、古込さんっていう金沢の医王病院に長いこといた人の退院に少し関わったりしたってなことが、一つの具体的なきっかけではあって。今、京都だと宇多野病院っていう病院があって、今、JCILの人たちがそこに、けっこう割合頻繁に訪問して、なんやかんややってて。わりとすんなり上手くいくこともあれば、結構大変なこともあれば。で、それは何で大変だったり、そうでもなかったりするんやってなことを調べるっていうのが。アンケート調査でもそういうことがある程度わかるし、こうやって、よもやまと人に聞いてもいろいろ出てくるんで。ていうのが今、進行しつつあるというか、こっちはそんな感じでやってるんですよね。

岡本 一番大変なことって何ですか?

立岩 一つは、施設での生活がどういうふうに大変かっていう、そういう大変さもありますよね。それはそれでまぁ、いろいろ聞いて回ってるんですけど。出る時はね、ほんとに結構違う。まずその、外…、岡本さんも結局いろんなルートで、あそこにああいうのが、奈良にフリーダム21があるよとか知って、連絡してやり取りしてっていう、そういうのがあるじゃないですか。そこのその、出入りっていうんですかね、が、ほんとに病院によってかなり違ってて。わりと、こないだ聞いた沖縄病院とか、そういうとこはもう、フリーパスでわりと誰でも入って面会したり話したり出来るんだけれども、全然、一見さんお断りっていうか、紹介とかそういうのなければそもそも入れてもらえない。そうすると、コミュニケーションできないから、まあネットである程度今は知れるかもしれないけど、でもやっぱり具体的なやり取りというのが、出来るとこ出来ないとこある。それは入るほうですよ、人が入ってくるほうですよね。そして、出ていくんでも、今日聞いた話だと、下志津やったら一応届け出はいる、門限はある、それから付き添いは必要っていう条件は付くんだけれども一応出れる。で、彼の場合は有償ボランティアの人のそのサークルっていうか繋がって、出れたと。で、こないだ聞いた沖縄の病院の人だと、沖縄の大学生と、名護の街かな? に飲みに行ったと、飲みに行けるって、行ってたっていう。それが、やっぱり娑婆に出たいというか、そうなって、出たっていう。そういう人も一方ではおるけれども、ほんとにこう、まず物理的にとか、介助者いないとか、決まりでとか、出にくいっていう人もいるし、出ても、まぁ田舎の施設とかだったら出てどうすんねんって、人がいないみたいなとこもあるじゃないですか。で、やっぱり入り、出入りですよね。入るのが難しい、そんなでもない、易しい、出るのが難しい、そうでもない。そういうのの掛け合わせみたいなので、外の世界との繋がりとか、それが難しいっていうことがまぁ、結構多様性があるなぁっていうのが、それと。[00:45:36]
 あとね、医者が立ちはだかる場合と、ええよっていう、わりとすんなりいくパターンと、わりと積極的に賛成するってパターンと、それも結構違うみたいですね。今日、さっき言った長山さんは、症状自体がそんなに出た当時重くなかったんで、身体的なことを理由になんのかんの言われたことはなかったし、下志津の場合はわりと、地域移行ていうのかな、そういうものに割合積極的だったんじゃないかとおっしゃってました。だけど、だいたいそんなことも考えたこともないみたいな施設もあるし、やっぱり、なんだろうなぁ、未だにまだよくわかんないですけど、やっぱり、身体を気遣ってってことになるんですかねぇ、非常に強く認めないというか、出したがらない、そういう病院や医師がいたりとか、その辺かなぁ。
 あとは地域に資源があるかどうかですよね。当たり前っちゃ当たり前ですけど。で、それと、それからさっきお話したんですけど、出れば出たで何とかなるかもしれないけれども、出るまでの間の繋ぎのところの制度とか、人とか、そういうものがあったりなかったりで結構難しい。特にその、こないだの金沢の例で言うと、やっぱり何もなかったわけですよ。制度は作ったんですけど、でもまぁそこの、例えば家を探すとかってときに、結局、金沢とか富山とかね、そういうところの運動に長く関係した人がボランティアで、間、まぁいろいろ動いてくれたんでっていう。そこのところですかね。だから、3つ4つ5つ、なんとかそういう、PULLの要因とPUSH、両方あって。それをでも一個一個手直ししていくっていうか、手当していけばっていうことですけどね。あとまぁ、病院、さっきの出入りの話の一部でもあるんですけど、介助者としてとか、病院の中で介助サービスが使えるか使えないかとか、まぁそういうことですよね。そこんところが、まぁ調べてくといろいろわかってくるので、それを一つ一つ手当てっていうか、やってけばいいのかっていうのが、出てくるんじゃないかな、出てきつつあるんじゃないかなと私は思ってるんですね。だいたいそんな感じです。
 まぁその呼ネット繋がりで、旧国療に限んなくてもいいんですけど、そういうこう、ここ何年かの間に出てきたよとか、あるいはそういうことを望んでいるとか、そんな人の話ってあったり、出てきたりしますか?

岡本 北海道の八雲病院、私、この車椅子そこで作りに行ったんですね。で、そこで2週間ぐらい入院をして作ったんですけど。そこで生活している人たち、ほんとに長く入院されていて、なんだろ、私的にはやっぱり出てほしいなぁって思うんですけど、なんだろ、やっぱり諦めてるのかなぁというような感じのところがあって、それはどうなんですかね。そういうところにじゃあ自立というのは、まぁ資源もないし何もないから、そういう所でっていう概念すら、若干薄いのかなという感じはすごく感じたんですけど。[00:50:30]

立岩 八雲も、もう一人の岡本〔直樹〕さんにこないだ、3年間いたのかな? 彼。その間の話とか伺いましたけどね。まぁ、ただちょっと、札幌に近い所に移って来るんですってね。なんかまぁ、それが一つのきっかけになるのかなってことは言ってましたけど。なんだろなぁ、こないだの古込さんにしても、まぁ、苦節何年みたいな感じで、すごい強い意志を持ち、計画しっていうのは、立派だとは思うけど、そんながみんな立派ではないからね。まぁちょっと、そのうち戻ってくるかもしれないけれども、まぁちょっとずっとここに居続けるのもなんやなぁっていうぐらいの、まぁ言ったら軽い気持ちでっていうか。で、こう出たくなったときに出れるぐらいのことでね、なんか、強い意志と計画性がないと出れんていうのも悔しい話だなということは思ってて。それを、どういう形で支援というか、関わるのかっていうのがありますかね。だから、他の施設もそうですけど、やっぱり一番根性のある奴っていうのは最初に出て、その波っていうか、まぁだいたい終わってる。そうすると、次の、何て言うか、そんなに意志堅固でもないし、めっちゃ計画的でもないし、利口っていうわけでもないけれどもっていうぐらいの感じの人たちと、どう付き合い、どう支援するかっていうことになるのかなと思いますけどね。医王病院も、そうやって一人目の古込さんは、何年もかけて、ようやくでしたけど、二人目の斎藤さんっていうのは、もうちょいヤワな感じの人で。でも、一人目よりは楽にいけるかなと思った矢先に亡くなられてしまって、残念でしたけれども。やっぱり、一人目よりは二人目って、まぁそういうことかなと思ってますかね。

岡本 今、仙台の岩崎〔航〕さんが自立、今目指してらっしゃいますよ。

立岩 そっか。そうですよね。家族…、

岡本 今、家族と暮らしてますよね。

立岩 そうですよね。仙台、去年だっけな。仙台で話をさせてもらう機会があって、仙台で聞いたんですけど。そん時に岩崎さん、名前と詩集とかね、そういうのは知ってましたけど、初めてお会いして。彼もそうね、実際に生活回していくってところで、今までやってきた、その文筆活動っていうんとはまたちょっとね、違う頭を使わなあかんというか、多分そんな感じで、苦労もされてるんだと思いますけどね。でも、そっちの方角に進みつつあるのかなぁと思ってますね。

岡本 あと自立目指している人っていったら、水戸のTさん。

立岩 水戸? 茨城の水戸? Tさん

岡本 画家でイラスト描かれる、パステル画描かれてる女性。筋ジスで気管切開してて。で今在宅で、ご両親と住まれてて、ヘルパーを使いながらされてるんですけど。自立、ほんとに一人で生活できるように、今、頑張っておられます。

立岩 そっか。親元に、これまで今いるけどもっていう人が、そこからっていう、がいるっていう感じですか。なるほど、わかりました。僕から、今日聞かなあかんっていうのは、だいたいざっとではあるけども伺って、あれだったんですけど。今そうやって、ここであったり、センターであったり、あるいは呼ネットに関わる中でっていうのも変ですけど、変っていうか、これから、自分として、あるいは自分たちとしてはというか、どういうことが出来そうかっていうか、したいかって。[00:55:07]

岡本 できそうか、したいか。そうですね…、今、呼ネット、海老原さんも体調悪くて、【小田】(00:55:32)さんもね、ちょっとなんか熱でたり、なんか肺炎になったりするから、なんか動けるメンバーが少ないから、ちゃんと後に続く若い当事者とかを育てていかないととか、ていうのはひしひしと感じてて。そこで私がどれだけ、何ができるのだろうかとか。

立岩 海老原さんそうですか。あまり体調…、

岡本 そうなんです、心臓のほうがかなりちょっと数値が悪いみたいで、もう入院すれすれの状態なので。

立岩 昨日ちょっと、東京出たついでに、そういう関係の人たちと会って、夜。今度、れいわで二人、国会議員になった人いるじゃないですか。そのALSのほうの人の側面的なというか、支援というかアドバイスしてくれる人っていうんで、海老原さんも、まあ、ね、体調のこともおありなんだと思いますけど、ずっとっというわけにはいかんけれども、時々アドバイスに来れるっていうか来たいっていうことをおっしゃってるっていうふうなことは、昨日、間接的にですけども聞きまして。まあ、そういう形で関わってくれると思ってはいますけどね。

岡本 多分働きすぎですよね。

立岩 でしょうね。そうね、それにこんど当選した国会議員に協力するという話も聞きましたし。それも加わったらもっと忙しくなってしまって、…。そうですか。

岡本 TIPのほうのね活動も、DPIでも多分なんか、関わりを持たれてるよね、海老原さん、DPIの。

岡本(直) 常任委員になったって言ってました。

岡本 常任委員になってる。うん。

立岩 ああ、そうか。

岡本 多分、もう休めるなら。最近ちょっと、だからほんと体調不良だから。しばらく横になってたら、ちょっとは楽になったって言って。

立岩 ああそうですか。いやね、あんまり、あんまりっていうか、無理してほしくないですけど。
 〔岡本直樹さんに〕どうもこないだはありがとうございました。あれから何か変わったこととかありますか?

岡本(直) なんかその、お医者さん、その、先生は、それは事実と異なるって、ちょっとちらっと言ってましたけど。

立岩 八雲のですか?

岡本(直) はい。土畠先生の関係の話が、もしかしてちょっと違うかもっていう話を、ご本人から連絡があったりしました。

立岩 それはその、石川さんじゃない?

岡本(直) 直接的にはその、あの先生ではなかったんですけど、同じような境遇の方もいらっしゃるらしくって。若干、事実と異なることが少しあったっていうぐらいで、内容的には別に大丈夫。

立岩 違うことがあるよっていうのを、誰がおっしゃったっていう話?

岡本(直) 土畠先生。

立岩 そうですか、そんなことがあったんですか。

岡本(直) はい。それも、なんか八雲の入院患者さんから連絡があったみたいなことを言ってたので。

立岩 ああ。もしあの、付け加えるというか、訂正でもいいんですけど、あったら言ってくれるなり、書いてくれるなりすれば。

岡本(直) あのままでいいかなと僕は思ってるんです。

立岩 いやあ僕もいいと思ってますけど、はい。ありがとうございました、あの時は。なんかすごいバタバタした時に割り込ませてもらって、ありがとうございます。でもなんか、ああいう、こう人がみんないる時に、ちょっと僕もさぼり過ぎかなって思いつつも、人がいっぱいいる時に、いっぱいの人に聞くっていうのは、こっちとしては楽でいいなって思ってて。今度DPIの時も、またそういうちょっと企画があるみたいなんで、そん時またいらっしゃる方がいたら、ちょっと伺ったり出来るかなって思ってるんですけどね。今年の秋は徳島でなんかやるっていう話が出てたんですけど、それはちょっと延期というか、年明けになったので、まぁそれは来年で。まぁDPIでやるっていうのはまぁ一つかなっていう話をこないだ会議、つい数日前、8月21だったっけ、2だったっけ、したところです。[01:00:45]

岡本(直) なんかDPIのほうの政策討論の話も、ちょっとれいわの人を呼ぼうかって話も出てきてるので、重訪拡大とか、通勤通学の部分の話をっていうのは話題に上がってて、一応、提案は今しているところなんですよ。どうなるか。

立岩 まぁ、当選しちゃったので、その意外感も含めて。で、やっぱりそれを前提にするしかないじゃないですか。でもその入った、その本人自身が、どれだけいろいろ知っててやってるかって、それはまたちょっと、当選した、しないとはまた別の話であるじゃないですか。それがこれからどういうふうに双方すり合わせて、勉強してもらう部分も、必要な部分は必要やろうし。昨日、その、舩後さんのほうの秘書になるっていう、もうなったのか、人と夜会って、ちょっとそういう、その辺の戦略というか、作戦というか、少し話したんですけどね。まぁなかなか難しいところもありつつ、でもまぁ、基本的にはいいことやというふうにして。だって、でも、その上でどうやって動いていくかっていうことだと思うんですね。木村さんも、木村英子さんも、近いっちゃ近いけど、遠いっちゃ遠いっていうか。やっぱり運動の系列としてはさ、ちょっと違う流れでもあったわけじゃないですか。そこんところでこれからどうしてくのかっていう感じかなぁ。で、舩後さんは多分、それでもなくて、木村さんは木村さんでそれなりの運動の蓄積っていうのがあって、経験もあり、そこん中でっていう感じだし。舩後さんは舩後さんで、ある意味素人っていうかさ、なんですよ、ぶっちゃけ。それはそれの苦労もあるけど、でもまぁ、もうね、当たったのが前提なので、その上でどういうふうになってもらうかっていうことなんだろうな。だからそれ込みで言うと、両方にどういう人がサポートで付くのかって、大切なことなんですよね。
 で、昨日一人会ったのは、小林律子さんってご存知ですかね。『季刊福祉労働』をずっと担当なさっていた、現代書館の編集者だったんですけど。彼女が定年というか、現代書館辞めて、どうすんのみたいな話をしてたんですけど、なんと秘書になって。もう動いてる。舩後さんのっていうことなんですよね。で、彼女はもう何十年てやってきて、雑誌作ってたから、人も沢山知ってるじゃないですか。なので、優秀なスタッフになってくれると思うんですよね。で、話を昨日してました。僕はずっとなんか、学生の時にもう彼女は雑誌の編集やってたんで、なんかずっと僕より先輩というか、上の人だと昨日まで思ってて、それなのになんか若い顔してんなっていつもなんか思ってたら、違ってて。歳、僕と一つしか違わへんていう。失礼ね、とか言われましたけど。いやでもなんか、最初っから僕の先輩みたいな感じやったから、ずっとそう思い続けてましたよっていう話を昨日しました。[01:05:08]
 横田弘っていう、青い芝の…神奈川青い芝の先祖みたいな爺さんがいて、何年か前に、5年前かな、亡くなられたんだけれど、その介助を学生の頃してたって聞いたんです。それ嘘じゃないらしいんですけど、でも、爺さんも介助者なんだから、すっげーなんか、昔、学生だったんじゃないかっていう、そういう思い込みもあって、すごい歳とってんのに、歳とってない顔をしてる不思議な人ってイメージだったんですけど、そうやって、僕が思ってるほうが間違えてたっていうことが昨日わかって叱られました。でもまぁ、彼女はずいぶん、これから働くっていうかもう既に働いて、昨日もなんかすごい忙しそうでした。とかいうんで、まぁ取り巻き方っていうのかなぁ、それが上手くいくと上手くいくし。まぁ若干不安感もあり、双方に。さっそく舩後氏のほうは大失言をしたらしいし、ラジオでね。なんかお詫びのメールが出回ってますが。やれやれっていう。まぁなかなか難しいこともあるんでしょうけど、まぁ、でもって感じですかね。はい。あの、僕からはだいたい、またなんか、思いついたらお伺いすることがあるやもしれませんが、お伺いすることが出来て、ありがとうございました。

岡本 はい、こちらこそありがとうございました。

立岩 これから武蔵境に移動しようと思って。ちょっとなんか、僕も東京、16年は住んでいたので、東京のことはわかってるつもりなんですけど、やっぱり若干舐めてましたね。東京広いですね。京都狭いんで、なんか移動するのが簡単なんですけど、やっぱ東京広いね。だいたい府中と調布の位置関係とか、あんまりよくわかってなくて、結構あるやんみたいな感じで。

岡本 東京におられた時はどの辺に住んで。

立岩 東京は、えっと、大学の最初の2年は駒場、目黒区にいたんですけど。そのあと4年間高円寺にいて。それから10年三鷹にいたので、基本、中央線な人間なんですよ。で、中央線のことはだから、その立川・国立・八王子、あの辺は結構、まぁ実際僕、ヒューマンケアの人たちであったり、僕の場合、自立生活センター立川との付き合いが長かったので、立川に行き来したりとか。中央線はもうだいたい何となく、感触的にわかってるんだけど、京王線って、ああそっか、俺よくわかってねぇなって、今日も思って。電車も難しいしね。着く駅と着かない駅とかあって、なんか、ええーやべぇとか思いながら、間に合わんとか思いながら、電車に乗ってきました。

岡本 今日、これからどういうルートで行かれるんですか?

立岩 そうなんですよ。なんかなめてました僕、昨日まで。府中〜武蔵境は、武蔵野台? 武蔵野台に出て、白糸台? それだと乗り換えは1回で済むみたいなんですね。それでいいかなって思ってますけど。

岡本 あそこどう乗り換え、歩くんじゃない? 結構歩く。

立岩 駅が違うんだよね。だから、その、駅内で乗り換えるって感じじゃない、ですね。

同席者 バス…。

立岩 バスもあるみたいです。

岡本 こっからバスで、国分寺とか。

立岩 バスで国分寺? そのほうが近いんかなぁ。

同席者 武蔵小金井とか、バスで行くっていう手はある。

立岩 武蔵小金井、武蔵境だったら2駅ですよね。

同席者 はい、多分府中駅ではありますよ。

立岩 府中駅出たら、バス、見繕ってというか。そのほうが楽かもしれないっすね。ありがとうございます。どうもなんか、ほんとに突然の来訪というか、で、失礼いたしました。ありがとうございました。

[01:09:55] 終了


UP:20190909 REV:20190911
こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす病者障害者運動史研究 
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