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渡辺啓二氏インタビュー

2019/07/10・2019/08/09 聞き手:小井戸恵子

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渡辺 啓二
◇聞き手:小井戸恵子

■20190710

小井戸:渡辺さんも東京青い芝で一緒に活動していたんですか?

渡辺:僕は青い芝と直接関係ないよ。東京青い芝も直接は関係ないよ。若駒に若林さん顔出してたよ、ちょこ、ちょこ。若駒を始める前からだよ、青い芝は。

小井戸:なんで若駒始めたんだったっけ?

渡辺:まちづくり運動から、リフトバスを走らせる会を始めて、それで八王子市がリフトバスを5台くらい買って運行するよってことになったんで、足ができたから、それじゃあたまり場を作ろうってことで。地域の中に目的がないと、足ができたって出てこないだろうから、目的を作ろうってことで若駒が始まったの。

小井戸:八王子のグループホームのことは?

渡辺:だから、グループホームを作るんで、第二若駒の家って言うのを作ったんだよ。東京都にケア付き住宅を作らせる運動をしたのが、東京青い芝だよ、もともとが。それでじゃあ直それでケア付き住宅検討会っていうのを作らせて、それでいろいろな人たちが関わって、最終的には八王子に良い土地があったから、じゃぁ八王子に作るってことになった。それの前線基地にするために第二若駒の家っていうの作ったわけよ。

小井戸:それがグループホームにつながるってこと?

渡辺:第二若駒の家はケア付き住宅。

小井戸:東京青い芝がケア付き住宅を作る運動っていうのは、全国青い芝から見るとどうなんでしょうね?

渡辺:いろんなことやってたんだよ。具体的にケア付き住宅検討会って言うのを作らせたんだよ。それと、脳性麻痺者介護人派遣事業って言うのを作らせた。

小井戸:その時一緒に動いているんでしょう?

渡辺:動いてないよその頃は。

小井戸:ケア付き住宅も脳性麻痺者対象だったのかな?青い芝っていうことは。

渡辺:必ずしもそんなことはないよ。ケア付き住宅はね。

小井戸:渡辺さんもその時一緒に動いていたんですか?

渡辺:いや、動く段階では僕は一緒に動いてないよ。実務的に、場所ができるという段階からは関わっているけども。西八王子に。当時の土地がいいところがあったから、そこに立てよって具体的に話が決まって、それからだよ。

小井戸:第二若駒の家は脳性麻痺の人ばっかりじゃないよね?

渡辺:第二若駒の家は、最初は、ケア住宅に関わる人間の給料を出すために作っただけなんだもん。そうだよ。補助金を東京都から引っ張り出すために。

小井戸:引っ張り出すのは渡辺さんの役でしょう?

渡辺:みんなが引っ張り出したんだよ。私がやったわけじゃない。交渉に行くのは関わってないよ。ケア付き住宅検討会の人たちがやったんだもん。ケア付き住宅を実際に建てるっていうところから〔渡辺さんたちは〕関わり始めた。地元八王子だからね。ケア付き住宅の名前は自立ホーム。


■20190809

小井戸:ケア付き住宅なんでやめたの?

渡辺:我々は、純粋に、住宅。それまでは親がかりで、在宅か施設しか生きる所がなかったのを、ケア付き住宅を作ることで自立できる、自立前(じりつぜん)の一つのステップアップの場所ということ。それから、食堂ね。

小井戸:食堂?

渡辺:そう、食堂。共同用のスペース。そこを東京都の、制度の、授産という制度を使って、授産という名目で食堂を立てているわけ。都の条例を組み合わせて、ケア付き住宅を一個作っちゃったという、苦肉の策なんだよ、あれは。

小井戸:食堂とかを入れようっていうときには渡辺さんは関わっていたの?

渡辺:関わってる、関わってる。だけど我々は、純粋にそこで自立支援ということを目的にしていたんだけれども、東京青い芝のトップをしている、そこのリーダーシップをとっていて、そこを運動の拠点にしたわけよ。だからそれは違うと。そういうことに何の関わりもなく入ってきてる人もいるのに、運動の拠点にするのはおかしいと。いうことで対立をして若駒グループは全員やめたんだよ。そういう歴史があるんだよ。

小井戸:ケア付き住宅を出た人は、どこに行って、何をして、どういう人たちが出たんだろう?

渡辺:職員ね。職員として関わった、若駒グループから。5人ほどが。

小井戸:大須賀さんも?

渡辺:そう、大須賀〔郁夫〕と私は障害があるよ。あとはみんな健常者。それが全員やめたの。みんな若駒に戻ったんだよ。立岩さん興味があるならこの番号を教えてあげていいよ。電話をくだされば(笑)。


UP:20191016 REV:
渡辺 啓二  ◇病者障害者運動史研究  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築