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横山晃久氏インタビュー

横山 晃久 2019/07/02 聞き手:小井戸 恵子
於:自立生活センターHANDS世田谷事務所(東京)

病者障害者運動史研究

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last update: 20200308


■2019/07/02 HANDS世田谷事務所にて

小井戸:森永ヒ素ミルク事件の被害者に会ったことあります?

横山:あるよ。表面化したのは東京に来てからね。大阪にいた頃は、この人たちが森永ヒ素ミルクの患者なんだなって思っていたわけよ。東京に来てから裁判闘争があったから、俺も関わるしかないのかなと思って関わったわけ。そのころ喧嘩してた、一緒に参加してね。俺は生まれつき障害者なわけだよね、だけど向こうから見ればさぁ、森永ヒ素ミルクの患者は俺もヒ素ミルクを飲んだから障害になったって思ってみる。だから水俣と同じね。それから、なんであんたたち患者なのって言った。患者なら治るけど治らないでしょっていう事は森永ヒ素ミルクの人にも言ったし、水俣の人にも言った。

小井戸:大阪にいた時代に被害者はあまりいなかった?会わなかった?近所にいた?

横山:テレビで見ていた。近所にいたかもしれないけれど隠してたね。お上に盾をつくって感じだったからね。

小井戸:横山さんが自分は障害者だったって思ったのは小学校入学の時って書かれていたけど...。寝たきりでしゃべれなかったんだってね、本に書いてあった。

横山:お神輿ワッショイの状態で。当時、車椅子もなかったから。

小井戸:家の外に連れ出して道路に寝かせて子供たちが遊んでるところを見て育ちましたって書いてあった。自分が障害者って思ったのとは違う?

横山:微妙なんだけどね。自分が障害者だっていう感覚はその頃なかったね。水俣のおじさんに言われて、そこで初めて、自分は障害者なんだなって感じたわけね。

小井戸:あ、この(この日に頂いた)資料に青い芝のことがあった。青い芝の幼稚園というかなんというか、前に三井絹子さんの講演会会場のロビーで話してくれたことあるでしょ。

横山:はい。1期生ね、幼稚園のね。

小井戸:大阪にいた時が障害児だけ?それで東京に来てからは障害児と健常児が一緒だったって聞いたけど。

横山:そう。だから障害児だけじゃなかったね。大阪は障害児だけだったね。大阪は3歳から5歳位まで。1番印象に残ったのはね、校長先生もね、障害者だったわけね。(東京では:聞き手追記)若林さんね。その若林さんが、「あなた方は普通の人と違うんだ。街歩いているとジロジロ見られるでしょう。逆に見返してやりなさい」という事だけしか覚えてないんだけどさ(笑)。

小井戸:若林さんからどういうことを聞いたかなと思ったので。大阪にいた時からもう園長先生?

横山:いや、東京の時の園長先生。豪徳寺にあった。すぐそこにあったよ。事務所からすぐ。毎日行くわけじゃないけどね。

小井戸:じゃぁ、行政は絡んでいないで、何人かいた、みたいな感じ?

横山:はい、そうそう。記憶にあるのはね、階段がすごいんだよ。表階段が。表階段がすごい急で、雨が降ると滑るんだよね。それを僕のお袋がおんぶして二階に登って行ったんだよ。

小井戸:他の子供たちはどうしたの?

横山:クラスに、障害児が3人、障害児じゃない人が2人ぐらいいたかなって思うんだけどな。

小井戸:その三人は横山さんよりも軽いんですか?重い?同じ位ですか?

横山:軽かったね。

小井戸:横山さんここに書いてあるけれど、当時は寝たままで動けなかったって書いてある。

横山:僕が1番重かったね。他の人が自分で歩けてたね。階段は他の人が自分で手すりをつかまってできる。

小井戸:幼稚園出たあと学校に行くでしょう。横山さんは光明に行くじゃない。他の一緒にいた仲間っていうか友達はどこに行ったんだろうね?

横山:わかんない。そこからは全く別。

小井戸:その時に一緒に光明に行ったって事はないんだ?

横山:ない。顔合わせてない。会ってないから。

小井戸:光明に入学したときにないから?そこに行けたのは、家庭の生活力っていうのもあるかね?

横山:結構うちのお袋、放任主義だったから、抱え込まなかったからさ。

小井戸:だから外に出したってこと?じゃぁもしかしたら他の人は家にいるだけになっちゃったかも。障害は軽くても。

横山:はい、はい。だから養護学校では合わなかったね。障害が軽いから、養護学校に行かなくて在宅だっただろうね。

小井戸:大阪の教育委員会から光明に行くように言われるでしょう。言われなければ横山さんも家にいたかもしれない?

横山:そうだねえ。

小井戸:大阪の幼稚園は、ご近所の障害を持っている人は大体そこに行ったり、幼稚園から上に行こうと思う人が行っていたんですか?

横山:全部が全部じゃなかったね。同じエリアの障害者の人たちが来てなかったね。

小井戸:たまたまご近所にあったの?それとも遠くだったんですか?

横山そう、そう、たまたま。

小井戸:青い芝がやっているのは大阪にも1つくらいしかなかったんですか?

横山:そう。三重県とかねぇ、兵庫とかね、それから広島から来ていたね。もちろん引っ越してだよね。

小井戸:横山さんが百舌で生まれて、育っていたところにあったの?

横山:あった。たまたま。

小井戸:関西の方からすれば、藁をもすがるというか、熱心な人は引っ越してっていうことですね。

横山:そうだねー。

小井戸:そうすると、全国的にって言うよりも、そういう動きがあるっていうのを真似して東京でもできたってことですかね?

横山:そう。そうそう。

小井戸:だから、横山さんが引っ越してきた時は東京にもあった。

横山:はい。あったっていうかねぇ、若林さんがこれから作ろうと思っているんだと言う話を聞かされて。俺が6歳の時かな。

小井戸:なんで若林さんと知り合うんですか?

横山:若林さんはもともとね光明だったわけね。若林さんが5、6歳の子供を探してた。今度、青い芝の幼稚園作るからってことでさ。小学校に入る前に幼稚園を作ろうと。で、大阪には現実にあるんだよと。それを東京でも作ろうかっていう話を若林さんがしてたんだね。あのね、要するにね、若林さんが言うには、障害者も教育をするべきだということをずっと思っていて、当時の文部省とよくやりやってたんだね。それで、障害児の幼稚園を作るべきじゃないかと言うことでやってたんだよ。そこ、すぐそこ。梅ヶ丘。

小井戸:初めて私たちは聞きますけれど、若林さんがそういう障害者の運動やったっていうのは有名なんですか?若林さんが文部省に働きかけて、障害児の幼稚園みたいなのを作ろうって運動したっていうのは結構知っている?

横山:いや。東京青い芝は人気なかったのよ。関西青い芝の方がすごい過激な行動したりとか関西青い芝の方が注目を浴びてたわけね。若林さんは東京青い芝の福会長。だから青い芝もいろいろあるんですよ(笑)。関西の人たちが、東京青い芝は運動じゃないと。中身で言うとさあ、ケア付き住宅ばっかりやっていると。だから八王子のグループホームだよね、そこをずっとやっていると。障害者の環境を取り巻くのはさぁいろいろあると思うんだよね。労働権の問題とかさぁ働きたいとかさ。要するに東京青い芝曰く、脱施設と言うのを掲げてグループホームを作ったわけね。だから全国から見れば東京青い芝はぜんぜん人気なかったよ。東京青い芝は除名しようかっていう話も出ていたんだから全国から(笑)。だから若林さんの事はあまり有名じゃないね、全国から見れば。

小井戸:厚労省には若林さん1人で行っていたのかね?

横山:そう。あの頃の東京青い芝っていうのはさぁ、一匹狼が多かったんだよね。

小井戸:じゃぁ、ジョイプロの渡辺さんみたい。

横山:うん。あははは(笑)。

小井戸:じゃあ、1人で交渉に行ったのかね?その話を伝え聞いてる人とか、知ってる人ってなかなかいないね。その活動を知っている人ってね。

横山:うーん、いないね〜、俺以外にね。生き証人だよね(笑)。

小井戸:東京青い芝から見た若林さんの動きってどうだったのかな。何年間くらい続けられていたんでしょう?

横山:評価されてたでしょ。3年間位だったかな。俺が1期生で、俺が卒業して2年間は持ったって聞いていたね。2年でダメになった原因は、やっぱり重度障害者。若林さんの頃はみんな歩けてたわけよ。メンバーが車椅子に乗っていないんだよね、だから介助もいらないんだよね。要するに軽度障害者の集まりだったわけだ。

小井戸:障害は脳性麻痺だけど歩けるわけね?

横山:はい。昔の横田、横塚みたいだよね。みんなあるけていて介助はいらない人たちだから、どんどん重度になったら対応できなくなった。若林さんがよく言ってたのはね、光明あるからいいんじゃないかっていう話はよくしていたね。光明があるから学校なんか作る必要ないと。

小井戸:西浜さんて覚えてます?2004年頃に横山さんに話を聴いていたみたい。森永ヒ素ミルクのこともその人に話している。

横山:俺には西浜って記憶にないなぁ。岩波の人かな?

小井戸:現代書館だったかな。その人にも、幼稚園にいたって話をしていたんですよ。だから私の話とその人の話は通じるんですよね。でも、その幼稚園を青い芝がやっていたっていうのはどこにも書いてなくて。その当時は、東京でやっていても関西でやっていてもどこどこ青い芝って言わないで、全部「青い芝」だった?

横山:青い芝連合だね。連合体だね。あのね60年代の後半から70年代の初期は、関西青い芝ね、北陸青い芝ね、富山ね、石川、あと山形青い芝ね、金子さんがやっていたところ。北陸、関西で広島。だから東京青い芝なんかはあとだよね。いま挙げたところが連合青い芝連合、全国青い芝ね。関西青い芝と東京青い芝が分けられるようになったのは全障連と青い芝が決別している時だよ。

小井戸:横山さんが行かれてた、大阪の青い芝がありますよね。そこはその後どのくらい続いたんですか?

横山:幼稚園、幼稚園はねぇ。10年位持ったって聞いたな。土壌が違うもんね。差別問題とか部落問題とかあったからね。

小井戸:10年なら結構続いたんですね。そのあとに東京が若林さんですよね、大阪はどうになっていたんだろう?誰が園長先生だったんだろう?送り迎えとかは大阪にしても東京にしても親がするの?

横山:そう。その2年後にグループゴリラができたんだよ。今までお母さんが送り迎えをやってたのをゴリラがやるようになったわけね。だから介助っていうところでは関西青い芝が先だったんだね。東京青い芝はぜんぜん介助とか必要じゃなかった人たちが多かったからね。

小井戸:大阪の青い芝がやっていた幼稚園か保育園の歴史というか記録が残ってないですかね?トイレとかはどうしたの?バリアフリーではなかった?

横山:若い頃の横塚さん横田さんみたいな感じだよね。ほとんどが歩けてたから。その人たちが使えるような感じだよね。障害者運動的に言えばね関西の方が地盤ができてたんだよね。

小井戸:あと西浜さんの本に書かれていたんですけれども、横山さんのお父さんは職人か何かされてましたか?

横山:千葉に行ったね。鴨川。鍛冶屋だったんだよ。

小井戸:引っ越しもけっこうありましたか?印象に残ってるのが大阪と東京なの?

横山:そうだね。あとは2ヶ月とか4ヶ月とかだもん。流れ流れて東京に来たんだよ。

小井戸:お父さんの仕事は職人さんだったのに、よく光明を受けるっていうことになったね。お父さんは職人として腕があったんだよね?

横山:僕の中の父ちゃんは酒飲んだ暴力。

小井戸:大阪から東京に来る前に千葉に行ったりしたの?

横山:大阪にいて、次に名古屋に行って、そこから静岡行って、そして千葉行ってそれで東京に来た。親父の印象は良くないんだけどね。

小井戸:じゃぁ、お母さんが熱心だったんですかね?

横山:そうね。光明は教育熱心だったんだね。日本で養護学校が初めてだったでしょう。だからうちのお袋も光明に来て感化されたらしいよ。光明に来て同級生のお母さん達と話をして、運動やろうってことで感化されたらしいよ。だからうちのお袋たちが中心で養護学校初めての介助員制度を作らせたんだよ、文部省と交渉して。だからその血を受け継いでるんだと思うよ(笑)。
 (間)
 ▽だから俺の中で東京青い芝っていうのはあんまり印象良くないんだよね。なんで印象悪いかって言うと、いっこ理由があってさぁ。遠藤滋さんと東京青い芝を乗っ取ろうかっていうことで、俺と世田谷のメンバーと、あと国立のメンバー三井絹子とか新田とかね連合体を作って、東京青い芝をもっと重度障害者の組織にしようということで総会やって選挙したわけね。役員5人選ぶわけよ。そのうちの3人をこちらが取ったわけね。会長、書記長、会計。そしたら1週間後、東京青い芝がこれは無効だということで、選挙をもう一回しようとむこうが送り込んできたのが久留米園。バス2台くらい借り切って。だから急に会員数が増えたわけね。だからクーデターが失敗に終わったんだよ。ガハハハ(爆笑)。△だから僕は東京青い芝にはそういう印象が強いんだよ。

小井戸:また幼稚園のこと聞いてもいい?

横山:もともと若林さんは光明を出てから社会事業大学なんだよね。だから社事大のボランティアが多かったね。若林さんは3年間で辞めた後はだんだん重度化になって車椅子になって、若い時に介助者使ってなかったから介助使うの下手だなと思ったわけよ(笑)。言いたいことを言えなくてさ。イライライライラしてるんだよね。だから、「なんで若林さんイライラしてるんだよ。自己主張が大事だって言ってただろう」っていったりね(笑)。東京青い芝のずっと福会長だったよね。会長は今は寺田。年に1回会うよ。年に1回集まって東京都行政に対して要望書を作るわけ。僕は自立生活センター東京の代表で、寺田さんは青い芝の名前で参加するわけ。

小井戸:寺田さんは、『ノーマライゼーション』の中で「障碍理解と言うけれども行きづらくなって」いるって言ってたけれど、寺田さんが言っていた頃と今は変わらないですか?制度が整ったことによって行きづらくなったって書いてあったけど。

横山:変わらないでしょう。よけいにひどくなったと思うよ。若い時はがむしゃらでね、僕も怖いものなかったからね。今はね...、今は...、いちばん残念だなと思うのは、実は僕65歳なのね。定年なのよ、ここ。あと1ヶ月でね。65歳が近くなるとね、目がしょぼしょぼでね、体が余計ボロボロでね。だから僕が後継者を、と思ったわけ5年前からね。ご存知のように自立生活センターどんどん潰れているわけだよね。

小井戸:5年前。それで一歩の会を作ったの?2015年ですよね?

横山:そう。若い障害者いるにはいるんだけどね、私は横山さんみたいにはならないよって。疲れちゃうと。

小井戸:横山さんがすごい頑張っていて大変そうに見えるのかな?大変だけどね?

横山:そう(笑)。○○〇君いるでしょ、後継者なんだよ。10歳しか違わないのに、こうも違うかとショックだったんだよね。運動の立て方とかいろんな面で、楽な方向楽な方向に行こうとしてるんだよ。俺なんかの若い時はさぁ、はじめに地元の行政行ってはねられて、厚労省行ってさー、それで東京都さー、ぐるぐるぐるぐる回ってたわけよ。それでやっと勝ち取ってきたわけだ。ところが○○○君は、厚労省なんか行く必要ないって言うわけ。東京都にも行く必要ないって言うの。全部世田谷区で用を済ませると。

小井戸:世田谷区で済んじゃうのか...。

横山:済んじゃうんだよね、彼ら的な発想で言えば。それだけ地方自治に、厚労省はおんぶに抱っこなんだね。あと民間委託とかさ。たった10歳なのに、こうも違うかと思ってショックなんだよ。

小井戸:夢が小さくなっているっていうかね。全体の事じゃなくて近視眼的っていうか、自分の近くっていうか、生活範囲っていうのが狭く。

横山:差別ので、どんどん縮小していると思うんだね。

小井戸:差別が縮小している?

横山:運動の範囲とかそういうので差別の範囲が。思うんだけど、このままで行くとね、学生運動が潰れて、労働運動が潰れて、障害者運動も潰れると思う。

小井戸:最初、私がここに来て聞き始めた頃は、「残ってるのは障害者運動だけ」って言っていたよね。2012年頃は。

横山:なんでそういう風に思ったかって言うとね、僕は介助保障ずっとやってきたよね。今の若い人たちはあまりこだわってないんだよね。ロボットでいいって言うんだよ。僕はロボットじゃ人間味がないから嫌だなって思うんだよ。若い人たちは、同性介助の基本原則がおかしいと。ロボットになったら性別関係ないよと。だからね、なるほどなと思ってるわけよ。論理が狭いところで完結しちゃうんだよね。そういう問題よりも今が1番大事だから、今を楽しく生きればいいじゃんってなるわけよ。それを言われるとねぇ、終わってるなぁと思うわけよ。悲しいよね。

小井戸:定年てあるんですね?でも延長もあるでしょ。どうするの?

横山:僕はもう老後、楽しく過ごそうかなと思って。僕だってね、たかが5年前まではね、青い芝の1期生とか2期生を見ていると、若い頃は「施設なんか嫌だ」って言ってたのに、「施設に反対だ」って言ってた。ところがいま、1期生なんかは好んで特別養護老人ホームに入っちゃうわけよ。だから、この人たちの若いころ言ってた事はどうなってるのって思ってたわけ。でも僕今65だから...、現役にはなれないなと思うわけよ。

小井戸:横山さんが引退したらどうするの?一歩の会とか。青い芝の精神的主張とかの姿を見てっていうのがあったんじゃないの?一歩の会を脳性小児麻痺者の会から、重度障害者の会しようと思うって言っていましたよね?ここは定年で、あと1ヶ月後に来たらいないの?

横山:○○○ちゃんが理事長になる。怖いけどね。だからここの健常者とかにも言ってるよ。いつまでもあると思うなハンズと横山って。そろそろ自分の身の振り方を考えたほうがいいんじゃないかって。障害者は年金とかあるから。健常者は給料が。そこまでリーダーは考える必要があるんだよ。でも僕ここはやめても、一歩の会は続けるし、恵子さんとも続けるよ。会えるよ。

小井戸:障害と患者が違うっていうことで、横山さんは患者の人に会いに行ったことによっていろいろ学んだというか聞いて来たでしょ。聞きに行ったことによって障害問題への関わり方を気づかされるというか。横山さん言っていたと思うけれど、「水俣や森永の人たちはもともと健常者だった」って。水俣の人も森永の人も治らないから患者じゃなくて障害じゃないかって言う話をしてましたけれども、それと同じようなこと横田さんに聞き取りした人の文章の中にあったんです。横田さんが「もとをただせば健常者だった。だから活動する方向性というかベクトルが違う。自分たちはあの人たちとは違う」と。横田さんの考えだけど横山さんは?

横山:また僕は違うよね。俺がよく言うじゃん。要するに、中途障害者、頚損、脊損とか。僕ら生まれつきなんだよね。だけど僕らの存在意義っていうのは大きいわけよ。初めからこんな体なんだよね。初めから醜いわけよ僕らの体は。醜いし、できないわけ、いろいろなことが。みんなだんだんと歳をとったらできなくなるわけでしょ。そこで、脳性麻痺があんなこと言ってたなと気がつかせるのが僕らなんだよ。それが僕の役割だと思っているわけ。それが脳性麻痺だと思う。だから横田さんとはまた違うだろうね。

小井戸:運動の仕方、捉え方も違いますか?

横山:過去のことにこだわってほじくり返してもしょうがないだろって僕は思うわけ。未来だよ未来。ただね、横田・横塚はね青い芝っていうすごい団体を作ったからね。俺は時代が青い芝を作ったと思うんだよ。過去のことをいくらほじくり返してもさ。じゃ、どこで結合するかということなんだよ僕の1番こだわっているのは。

小井戸:何と結合するの?

横山:俺から言わせれば中途障害者の人たちとったってこと。

小井戸:横山さんの中では森永や水俣の人たちは中途障害者っていうイメージ?

横山:恵子さんと話す中で、僕が6人部屋っていう話ししたでしょう施設の中で。僕以外みんな中途障害者だったわけね。だからあの感覚なの僕は。彼らに気がつかずさせるのが僕の存在なんだよ。俺は、中途障害者が気がつくってことはさぁ、健常者もいつかは気がつくと。それがCPの役目だと思っているわけ。この辺の話をね、あの人としたいんだよね。誰だっけ、あー、また名前が出てこない。恵子さんの先生。

小井戸:立岩さん?

横山:そう。立岩さん、青い芝は大好きだからさ。僕は偉そうなことを言うけど、横田、横塚を僕は乗り越えたと思うよ。

小井戸:うん、うん。横山さんの中でも、最近、酸素をつけている人とかALSの人とか大変な人がいる。自分たちよりも大変な方たちが出てきて自立生活しているってお話ししてくださったじゃないですか。だから自分は軽度になったって。バトンタッチの本でも書いてあるけれども、結局もっと困難な病気の人たち、難病の人たちその人たちをどういう風に一緒にしていこうかって考えていかないとって尾上さんとかも書かれてましたよね。横田、横塚さんの考えていた時代と違ってきていて、それだけではピアじゃなくなってきたってことですよね?

横山:だから重度障害者が生きるって事は、そういう人間の存在そのものを気がつかせるってことなんだよ。それが僕は優生思想と闘うってことだと思うんだよ。

小井戸:優生思想で思い出した。優生思想を横山さんが意識したのは、何をきっかけで思い始めた?

横山:きっかけはね、施設入った途端ねノルマがあるわけよ。

小井戸:西浜さんの本に書かれてた。授産の作業が間に合わないって。

横山:そう。だから僕はできないから、15人とか施設のグループで流れ作業しているわけよ。で、僕は流れ作業に入れないわけね。だから個人作業をずっとやっていたわけ。そこで僕は、なんで障害者同士なのにこうも違うんだろうなって思ったんだよ。そこで僕は優生思想って言うかなぁ。

小井戸:そのころ優生思想っていうのは考えなかったですよね。

横山:なかった。概念がなかったね。だから僕の中で優生思想っていうのは、スピードだと思っている。生産性だと思ったんだよね。やまゆり園事件の事から始まってね。生産性だけの話じゃないなって思ったわけ。そこで僕は、さっきも言ったけれど、横田さんが自分の体は醜いとか言う、そういうのが優生思想なのかなと思ったわけ。僕はこの話を立岩さんを交えてしたいなと思っているんだよ。バトルだろうな〜と思ってるんだよ(爆笑)。

小井戸:今回、どこかで「乗り越えた」まで書いたらすごいことだよ。2人を乗り越えたまで横山さんの語りとして書いたりしてね(笑)。乗り越えたと語る、みたいな感じで。

横山:僕、言うもん、立岩さんに。悔しかったら乗り越えろって(大爆笑)。

小井戸:いやいや、それは障害のある者同士でしかできないよ、乗り越えられないよ。障害のない人にはそれは乗り越えられないよ(笑)。...優生思想を意識したのはいつなのかなと思ってた。

横山:優生思想がいけないんだとかさ、具体的なものがないわけよ優生思想の中には。もっとわかりにくく言えば、内なる優生思想って言うじゃない、あれ最初は、なにかなって思っていたわけよ。僕にしてみれば、言い換えれば内なる差別化なんだよね。わかりやすく言い換えれば差別なんだよ、差別。

小井戸:優生保護法の裁判とかあるでしょう、そういう事は一歩の会とかこれからの障害者にどういうふうに伝えようとしているの?

横山:俺の中では、全部原点は公害病なんだよね。

小井戸:横山さんの中ではね、そこに戻るんだね。

横山:このあいだ僕イイノホールで話したんだけど、優生の問題と、らい病の問題はつながってくると。優生思想の最たるもんだと。僕は、らい病の差別問題とだいぶつながってくると思うので、隠されたヒントがいっぱいあると思うんだよね。例えば裁判は、らい病の人たちも勝ったけれど全面勝利じゃないわけでしょ。てことと、いかに連帯していくのかと。僕は障害者問題だけに止まったら未来はないと思うよ。止まったら未来はないと思うよ。そこにいかに医療的分野がどう関わってくるかだね。難病とかさぁ。

小井戸:一歩の会とかこれからの障害者に伝えるのは結構大変だけれど、出生前診断とか今いろいろ問題になってるじゃないですか裁判とか強制不妊の事だってね。でも若い方たちには伝わらないですよね、なかなか。伝えるのが難しいっていうか自分のこととして捉えてもらえるんだかどうか。

横山:だから軽い障害者はさぁスルーしちゃうわけよ、そういうことを。だからこそ重度障害者の問題なんだよと。いつかはあなたもっていうことを気がつかせるのが重度障害者の役目なんだよね。それが優生思想と闘うという意味だと僕は思っているんだよね。

小井戸:今度代表になる○○ちゃんも出生前診断とか、情報としては処理するだろうけれども、そのあと、他のことにつなげていくっていうところまで...そこがね。

横山:そうなんだよね。自分の問題としていないんだよね。つながっているんだよっていうことがなかなかね。それが内なる差別意識なんだね。

小井戸:自分の問題としてつながらないと差別意識が出ちゃうね。

横山:だからいつかは仲間をけ落として向こう側の人間になっちゃうわけよ。

小井戸:あの...次の世代にバトンを渡す、の本がありますけれども、それぞれのリーダーたちが自分の所属している団体の若い障害者とか次世代リーダーをどうにかしようっていうのはあるけれども、横山さんみたいに全部の障害者のことを考えているっていう運動ってないなぁって思いますね。横山さんは公害、そこが原点になっているからなのかどうかわからないけれども、いろんな人とつながって、いろんな人の問題から自分たちも学ぼうって。......障害学会が9月にあるんです。そこでポスター発表を。今回は研究の、やはり横山さんとのつながりかなと思ったんです。1960年前後のことを最近は聞いていますけれども、障害学会は一番新しい一歩の会のことを発表しようとしてます。事前の要旨の中には横山さんの名前を出さなかったんですけれど、当日のポスター発表には名前を出してもいいですか?

横山:いいよ。

小井戸:横山さんが最初は一歩の会を脳性小児麻痺者会でしていたけれど、今年、重度障害者の会にしようと考えているって言ってましたよね?

横山:あともういっこ付け加えればね公的責任。何かって言うとさぁ、日本は責任を取らない人があまりにも多すぎるんだよね、行政もそうだし。介助保障っていうのは公的責任なんだよホントは。だから公的責任論というのをね大学でやれって言ってるんだよ、熊谷とか。あと市ノ川、東大の教授なのねやっぱり。あと茨木さん。茨木さんは我が事丸ごと詳しいからね。こちら側に近い教授を集めて公的責任論っていうのやったほうがいいと思っているわけ。誰も責任取らないんだもん。公的責任っていうのはいろんなところに波及しているわけでしょう。僕は障害者問題だけに固執しようと思わないわけ。防衛問題とかにも僕らが参加して変えていくと、それが社会の一員なんだよね。日本のモノサシっていうのは弱者を切り捨てしていると思うんだよ。それを...??(聞き取れない)が中心になってモノサシを作ってきた結果として世の中不平等だと思うわけ。諸外国とぜんぜん違って国会議員も男多いでしょう。それはおかしいなと思うわけ。だからそういう弱い者の立場からの目線ていうのを、しっかり言い続けて行かないきゃいけないなと思うっているんだよね。だからその中で青い芝の話をもう一度出すけれども、だけどそれだけじゃ終わんないなと思うわけ。もっとグローバルな問題。

小井戸:一時期、障害者を国政にって金さんとかの動きがあったでしょう。でもそれがぽしゃって最近またその動きがあるじゃないですか。筆談ホステスの方とか。木村英子さんとか。

横山:その選挙対策もあるんだよ。どこまでできるかわかんないけど。

小井戸:要求者組合の動きはどうになってくるんだろうね?。

横山:絹さんは生きてるだけでカリスマなんだよ。

小井戸:木村さんが国政に出ちゃっても要求者組合はやっていけるのかね?

横山:僕は英子にメールを送って、全面的に一歩の会は協力するからねと。一歩の会の木村英子だっていう意識を持たないとさ。

小井戸:「厚労省の我が事丸ごとに対抗する事をやっていかないと」って言っていたけど、全面的に木村さんを応援するっていうのは、一歩の会として厚労省に対抗するものの1つになりますか?対抗する方法の1つのものになる?

横山:そうかもね。新選組だっけ?見ててがっかりなんだけど、障害者の事なんか全然書いてないじゃない。10項目の中に。

小井戸:はい。

横山:木村英子のあれ見た?

小井戸:YouTubeね。1時間全部見た。

横山:宣伝カーに乗って手も振れないって言ってだけれども、僕はあれでいいと思うんだよね(笑)。山本太郎が木村英子に目をつけたっていうのは、そういうことじゃないかなと思うんだよね。

小井戸:一歩の会が応援するってことは、我が事丸ごとに、

横山:楔を打つ?

小井戸:そういうことにもなる?

横山:はい。

小井戸:政治に関わるっていうか、障害者が政治家から離れちゃっている感じがするんだよね。国に言っているけれども、政治の場に出る、中に入るって事から離れちゃってるでしょう。

横山:相当、木村栄子も悩んだと思うよ。まだどこから出るか分からないんだよね。順番があるみたいだね?あるの?

小井戸:はい。

横山:トップにいないと...。でも山本太郎はそんなないだろうね。パフォーマンスだから。

小井戸:そう?...いきなりトップのほうにもっていくと思うけど、ちがう?

横山:いやいや(笑)。

小井戸:けっこう読んでますねー。ところで、エレベーターをつけるつけないの話があるでしょ。DPIが声明を出したりしているけれど、そういうことについてどう思いますか?

横山:もともと話の話題はオリンピックだよね。俺なんかオリンピックはどうでもいいわけよ。だって重度障害者はオリンピックなんか出られないから。あれこそ僕が言う中途障害者のものでしょう。僕はそういう悲観した見方をしているから(爆笑)。本当に重度障害者が楽しめるスポーツはないんだよ。

小井戸:同じDPIがあげた声明でも、エレベーターの事と優生思想の事ではぜんぜんちがう、重度障害者として見た場合。大阪城のエレベーターとか、そういうことに対して一歩の会ではどんなふうに話すのかなと思っていたんですよ。

横山:俺なんかの考えで言わせてもらえば、そんなところに金使うなって思うよ。一歩の会で、パラリンピックどう思う?って聞いたら、みんな関係ないって言うもんね。できないって。介助付きのスポーツなら考えてもいいけどねって言ってるよ。

小井戸:エレベーターの問題で言うと、横山さんが梅ヶ丘にスロープをつけた頃のアクセスの問題とちがう?

横山:あのね恵子さん、僕の反省っていうかね、現時点で迷っているっていうかね。昔の僕はね、電車に乗るためにエレベータをつけろと。それは正しかったなと思うわけ自分の中ではね。ただ、青い芝のころ勉強した中に、青い芝は、エレベーターなんかいらないって言うわけ。

小井戸:人との接点が少なくなる。

横山:はい。だから、なるほどなーと思ったわけ。そこで僕は??(聞き取れない)だけど。だけど今度は使う側の人間の意見では、大多数が便利になったって言う人がいるんだよ。青い芝から言わせればさぁ、障害者は隔離されてると、エレベーターなんかつくったために駅員が減らされるだろうと、そういう考え方もあるわけだよ。どっちが正しいかなぁと思ってさ(爆笑)。迷ってる正直言って。だから便利になった分ね、見落としてる部分もいっぱいあるなと思うわけ。スマホ問題もあると思うんだよね。昔は道が分からなければ通行人とかに聞いたけれど、今はスマホで調べて個人の中で終わっちゃうわけ。そうするとコミニュケーション能力が薄れちゃうわけね。便利になった分それだけ代償が大きんだよね。人間関係ね、そこを僕は追求していきたいと思うんだよ。

小井戸:ピッてお金払えるようになったら、レジの人と話もなくなるね。何も話さないで買い物できるね。

横山:それがほんとにいい世界なのかなぁと思ってね。怖いと思ってね。あいつは違うんだ、人とは違うんだっていうレッテルが貼られて。

小井戸:それができる人が当たり前で、できない人は違うんだと?

横山:その機械が使えないのが障害者で使えるのが健常者だね。ますます健常者が減ってくるわけね。

小井戸:ますます障害者が増える、横山さんの考え方でいくと。IT障害者になったら、足や手の障害以上にもっと障害者が増える。前にね、毎日新聞の野澤さんの話の中で、視覚障害者と目の見える健常者の話があったのね。選挙で視覚障害者が半数以上を占める社会になったら、通訳は健常者のためにつけるようになるっていう逆転現象の話し。

横山:障害者がもし4割5割になったら社会がひっくり返るわけだ、それ面白いね。例えば発達障害とか、人間関係障害とかいろいろあるじゃない。名前をつけるのは勝手なんだよ。(でも)名前をつけたならば保障も考えろと俺は言いたいんだよ。保障もないのに名前ばっかりつけてね。俺はそういう社会が1番いやだ。だからそれが責任持たない社会なんだよ。

小井戸:あれ、もう3時40分だ。また来ます。

横山:またね。

小井戸:ありがとうございました。


*作成:小井戸 恵子小川 浩史
UP: 20200307 REV: 20200308
横山 晃久  ◇脳性麻痺/脳性マヒ/脳性まひ(Cerebral Palsy)  ◇自立生活センターHANDS世田谷  ◇小井戸 恵子  ◇病者障害者運動史研究  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築
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