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佐藤祐氏・菅野亜紀子氏インタビュー

2019/06/25 聞き手:立岩真也
於:仙台市中小企業活性化センター(第28回全国自立生活センター協議会協議員総会・全国セミナー2日めの会場)

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20190625 佐藤氏・菅野氏_43分
佐藤祐(さとう・たすく)氏+菅野亜紀子(すがの・あきこ)氏インタビュー* 2019/06/25 聞き手:立岩真也
 *佐藤さん菅野さんから声をかけていただいた。
於:仙台市中小企業活性化センター(第28回全国自立生活センター協議会協議員総会・全国セミナー2日めの会場)
文字起こし:ココペリ121

こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす
◇自立生活センター・ラピタ:https://www.lapita.info/
◇20190624〜25:http://www.arsvi.com/ts/20190624.htm

※聞き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
 聞き取りが怪しいところは、【  】(hh:mm:ss) としています。
☆は立岩がとりあえず付したものであるだけです。

菅野 〔旭川医療センターに入院している人、〕年代も20代、30代、40代、50代と、若い方もいらっしゃって、女性もいるという情報までは、病院のワーカーの方を通して伺ってはいるんですよね。で、地域の相談支援でそのワーカーの方とのつながりというのがあって、もし退院して地域生活が出来るのであればっていうことで、CILは、ガイドは旭川にはうちしかないので、佐藤のところに相談支援のほうを通して、地域生活をもし自立するとするならば、自立生活の情報を持ってるのはCILということで、去年ぐらいから相談は受けてはいたんです。まだ直接入院されている方とはつながってないんですけども。

立岩 相談支援のところに。何ていう病院なんですか。施設の名前。

佐藤 旭川…、

菅野 医療センター。昔は道北病院っていう、北海道の「道」に「北」で。

立岩 道北病院っていう名前だったのが、

菅野 8年前から、

立岩 名前が、

菅野 そうですね。8年前から急性期の病院もやるということになって、今、ほんとに外来の部分とかは、もう改修工事というか増築をして、すごい立派な門作ってるんですよね。だけど、入院の場所とか、あの昔の場所っていうのはほんとに古いまんまです。

立岩 それはそのまんまで。

菅野 そうです(笑)。

立岩 その、かつての道北病院、医療センターから相談支援のほうに、何かあったっていうことですか? そこからその、そこはどういう出来事があったんですか?

菅野 もともと在宅で、進行の遅い筋ジスの方だと思うんですけど、在宅で暮らしてた方が、親が高齢化して本人もちょっと重度化して、呼吸のほうですよね、きっと、それでちょっと危ないっていう状況になって、医療センターのほうに入院したんですよね。命も危ないっていう状況になって。

立岩:在宅で体の状態が悪くなって入院した。はい。

菅野 それで取りとめたんですけども、もう在宅のほうでは無理だと。親がもう無理だということで、本人もそのままそこに入院して今2年。

佐藤 はい、2年になります。

立岩 2年。[00:03:01]

菅野 はい。で、やっぱりまだ40の方なので、中で働いてる看護師の方が「また戻れたらいいのにね」っていう、「在宅ではなくてもどこか地域に退院出来ればいいのにね」っていうことをその方に言ったら、本人も「そんなことが出来るんならしたい」と言ったということで、それをワーカーのほうに、ワーカーから相談支援のほうに、で相談支援のほうからうちに来たっていうことだったんですね。

立岩 そういうちょっと、いろいろ、こう、なるほど。

菅野 相談支援は在宅の頃から関わっていて、トータルで5、6年?

佐藤 うん。

立岩 その相談支援員っていうか、人は、病院の前から関わりがあってと。

菅野 そうなんです。

立岩 なるほど、分かりました、だいたい。

菅野 ただ、今現在は相談支援とかは地域移行がもし出来ればっていうことでは考えてはいるんですけども、結局本人がやっぱりその、自分がちょっと重度化してしまっているっていうのもあって、現状維持…なのか。情報もないから、自立生活の情報自体がないので。

立岩 うん。その40代の人っていうのは単身っていうか、前はどういう生活なんですか。

佐藤 あの、進行が遅い方で働いてたみたいなんですよね。長い間。その間、家で親の介助で何とか生きてて。

立岩 あぁ、あぁ。そういうタイプっていうか、そういうタイプの。筋ジストロフィーは筋ジストロフィー?

佐藤 はい。

立岩 なるほど。それでその、どっから聞こうかなということですけど、その、旧道北病院には、直に、その人に会いに行こうと思ったら会いに行けるんですか?

菅野 それを今、模索しているところではあるんですけど、ちょうどそれをこの間の西宮のセミナーで、あの後メインストリームに行って、井上さんとかともつながって、ちょっとアドバイスを受けて。あと、【ばんどうさん】(00:05:23)さんからも具体的にアドバイス受けて。直接行くとそこでまた、あるかもしれないよというようなことを。

立岩 今日、僕、南九州病院、鹿児島、それから沖縄、沖縄病院から出た人にインタビューしたんですよ、今日一日中話聞いてるんですけど。「全然、全く構いませんって」いう所も結構あるんですよね。

佐藤 うん。

菅野 あぁ、そうなんですね。

立岩 で、僕は面会というか、しちゃいけない理由はない、基本的には、基本的には。なので、そこはあんまりビビんないほうがいいんじゃないか、最初の段階で。でも、もしなんかあったら、ていうか、ほんとに病院によるみたいですよ。だけど、南九州病院であるとか沖縄病院は完全フリー。玄関から入って行っても何も聞かれない、って言ってました。

佐藤 うん。へぇー。

菅野 はい。あぁ。

立岩 そうじゃない所もあると思うんですよ、「あんた、誰?」みたいなね、いうようなことを言われる所もあると思うんですけど、でもその時に、まぁ一種の療養相談っていうやつですよね。[00:06:36]

菅野 そうですね。

立岩 そういうことで、ワーカーのほうからも話あって、って言われた時に、病院側として、ていうか誰でも、文句の言いようがないと僕は思うんですよ、その件に関して。

菅野 そうですね、そうですね。

立岩 そういうことで言えば、俺は、心配しててもしょうがないんで、行って、本人と何の話するでもいいと思うんですよ、初回は。世間話でも何でもいいじゃないですか。ていうんで、だんだん話していって、どうなるか、こうなるかって。やっぱりその、今の話を伺う限りでは何段階もこう間が入ってて、伝聞の伝聞の伝聞みたいな訳分かんないじゃないですか。

菅野 ほんとそうなんですよ、そうなんです。

立岩 だから、それはあんまりよくないと思うんですよ、やっぱしね。やっぱ本人の気持ちっていうの聞くのがまず第一だから。だから、いいんじゃないですか? そこは、ラピタとかから、距離的にはどのぐらいあるの?

菅野 もう全然近いです。

立岩 近いんですか。どのぐらいですか。

菅野 わりと【街の中】(00:07:53)です。10…、車で行ったらもう、

立岩 超、近いですね。

菅野 そうなんですよ、事務所からだと10分とか。

立岩 じゃあすごい近いですね。

菅野 そうなんですよ。昔は多分離れた場所だったのかもしれないんですけど、もう何十年もなんで、街中になってるんですね、そこが。

立岩 そういうとこありますよね。宅地化進んで、いつの間にか、田舎だったのが今街中だって。そういうの結構ありますよね。多分そうなんでしょうね。だから…、

菅野 ホームページを見ると、外来の診察の場所と、ちょっと奥に売店があって。その売店が真ん中ぐらいで、で、病棟になってるんです。病棟の1階は恐らく筋ジスの方の40床、だと思います。なので、ほぼ行けちゃう感じはするな、っていうのは見てて思ったんですよね。

佐藤 うん。[00:08:53]

立岩 でも今回は、いわゆる相談支援、ワーカー、がらみなんで、ある種その公的なというか、そういう依頼というか、でもあると思うんですよ。それは、僕はどんな関係であろうと友達であろうと何であろうと、別に面会を断る権利は誰にもないと思いますけど。でも、なおさら、「相談支援やらワーカーやらから依頼されて」的な、「様子を見てこい」的なことで依頼されてるっていうのは、正当化の理由になると思うんで、私は行っても全然大丈夫、大丈夫じゃないですか。その後何がいろいろ…、だからその、行く時は断れないと思うんですよ。で、出るとなった時に、いろんな話が出得るんですよね。今日もまぁ、わりとそういう出入り自由な所でも、主治医とかね、あたりによっては、これはね、南九州病院、鹿児島。全体としては地域移行なんだけど、だけど主治医が、ていうか医者が3人ぐらいいるって言ってたかな、そのうちの1人が、なんかよく訳分かんない、「障害者に税金使っちゃいけない」的な、そういう感じの人らしくて、そこでストップっていう。で、その話はオチがあって、結局その人が、本人が、すったもんだ随分長いことやった挙句に、病院長に直訴したと。手紙書いた。その主治医の対応が尋常じゃないわけですよ。***[00:10:53]のよろしくない今時。その、組織の経営として、企業の責任としてね。

菅野 そうですよ。病院じゃなくてもおかしいことですよ(笑)。

立岩 まずいでしょ。で、その院長が「お前、それおかしい」って言ったらその医者が黙って、ていうようなこともある。だからそれはちょっと特殊な例かもしれないですけど、でも医療上の理由、「今出すとこの人死ぬかもしれないから出せません」ていうようなことで揉めるっていうか、確かにそれ微妙なとこあるじゃないですか。「出したら死ぬ」っていうのが言い訳、あの、「出したくない」っていうか「めんどくさい」っていうことの単に理由でもある場合もあるけれども、でもまぁそこそこ、もっともなっていう場合があって、そこはちょっと微妙なとこ。だから、そこでは、ちょっと難しい話にはなりにはな7得るんですけど、だけど、最初のところでビビッててもちょっとしょうがない、と思いますよね。

菅野 確かにね。

立岩 なおかつ、ほんとに単に私的なルートだけじゃないから、理由は付けられるんで、一個一個…。で、まぁ様子見るっていうか、そのついでに、その30床ですか、40床ですか。

菅野 40床だったと思う。ホームページ上ですけど。[00:12:12]

立岩 40床やとどんな具合かっていう辺りを見聞というか、してくる、という感じかなぁ。
だから僕ら行った医王病院だって、面会自体は断る理由はない。で、僕ら行って、ただ、まぁ、昨日も愚痴を言いましたけど。今日聞いた話だと、昔の病棟だと6人部屋だって。

管野 あぁ、昔ありましたね。

立岩 ほんで、今建て替えたとこが4人部屋なんだって。だから、そういうことになってるのかもしれないです。建て替えの時に、その何か基準が変わって。だからまぁ、とにかく6とかだったんですよ、その、金沢の病院は。そうすると確かにキチキチなんですよ。

菅野 キチキチですよね。



立岩 ベッドとベッドがね。2人、3人は入れますけど。それで、だから、僕ら6、7人で行ったのかな、7、8人。で、行ったら入れないじゃないですか。したら、ほんで、例えばその時は、要するに、「本人を移乗させられない」みたいなこと言われて。「同じ部屋で管理出来なくて」っていうのが昨日の話なんですけど。それにしてもね、そういうよく訳の分かんないっていうか、「そりゃないだろ」って対応された所でも、面会自体は別にさ断られたわけじゃないからさ。うん。だからそれはオッケーだと思うんですよ。もちろんあの…、うん、微妙な場合はあり得て、僕は最近、八雲?

佐藤 はい。

菅野 はい。

立岩 なかなか怖い話を聞くんですけども、八雲の噂とかってなんかあったりします?

菅野 私たち、この間の西宮で、久しぶりに**さんとは十数年前からの知り合いだったんですね。で、「久しぶり」ってことで、お互いにその後も連絡、電話をいただき、ラピタのほうに、お互い連携を取りながらやっていこうと。うちのほうの情報も、旭川の医療センターのこともよくご存知だったんですよね。「まだそんなに入院してるんだ」ってことでちょっと驚かれてて。

立岩 **さんがi?

菅野 そうですね。だからもう、「せっかくだからお互いに情報交換をしながらやって行こう」っていうことで。八雲っていうと、なんか、「面会に行けるとかいう空気ではない」っていうふうには言ってましたね。[00:15:00]

立岩 うん、**さんはそう言ってました。で、なかなか厳しそうですけどね。ただ、まぁ、「普通は」っていうかな、要するに、非常にある考え方がはっきり、経営者なり医師なり、あって、それで本来は誰と誰が会おうが知ったこっちゃないじゃないですか。っていうか、制限できないじゃないですか。だけど事実上、『「この人が来た」っていうことは我々の方針にこういうふうに反して云々』っていうことで、法的な権限も何もないけれども、でも医師になって体のコントロールをしてるわけじゃないですか。それをネグレクトっていうか、サボったりっていうか、しなかったりっていうことで、実質的に危害を負う可能性がないことはないですよね、例えば。だから、そういう意味でそういうことは気を付けなきゃいけないわけですよ。で、**さんの判断っていうか今の見立てだと、八雲はそのぐらいやばいい、と。

菅野 そうらしいですね。

立岩 なので最大限慎重にしないと、居住者に害が及ぶと。そういう話なんですよ。ほんとにそうであれば、僕はまぁ慎重にせなばならないとは思うんですよ。

菅野 移転のタイミングでしか。

立岩 あぁ、そう言ってましたね。今度、札幌の近くに越すんですって? 八雲が。

佐藤 はい。

菅野 それがいいきっかけなんですけど、北海道で今そこを真剣にやってるところっていうのは、ちょっと**さんはないんじゃないのかなっていうようなこと言ってましたね。

立岩 だから、八雲もいろんな言い方がされててね。そのバイパップっていうか、ね、それがいいっていう。

菅野 うん。すごい有名ですね。

立岩 それは嘘じゃないみたいですよ。それしかやってないっていうか。(笑)ほかに目がいってないっていうか。まぁ、そういうことでもあるらしいんですけど。もう、その「バイパップ命」みたいな感じでやってるらしいんですよね。やっぱ、それだけそれに集中してりゃあ、そりゃそのぐらいは上手になるだろっていう気はしますけど。でも、それはちょっと、ちょっと特殊なのかなと。いかに何でも、とは思うので。
 旭川、そこまで過敏っていうか、になる必要は僕はないように思いますね。で、それで様子…、だからある意味、飛び込みで行くよりいいわけですよ、今度のケースは。だって、相談支援の側から打診が来てるわけで。その、ワーカー…、来てるわけだから、「頼まれました」って言って「来ました」って言えるじゃないですか。そのついでに行って、その人の本人であるとか、隣にいる人であるとか、そういう人にちょっと様子を見てっていうふうに、で、「また来るね」みたいな話へ。

菅野 つながれるよう、[00:18:24]

立岩 うん、つながりがこう出来ていく可能性もあるじゃないですか。だからある意味悪い話じゃない、むしろチャンスだと思うんですよ。その人のことで関わるって…。で、今、旭川は、例えばその人が出てきたりする時に、制度的に対応可能なんですかね。

菅野 24時間とかの介護保障はまだない、ところなので。

立岩 どのぐらいは、何とかなる?

菅野 うーん。交渉すれば出ると思いますけど、まだまだこれからの土地なので。

立岩 ほんとに何だろう、意外にっていうか、その、街の、僕よく言う、街の大きい小さいはあんまり実は関係ないってのはあるんですけど。で、旭川、別に小さい街じゃないと思いますけど、今日会ったのは、あの、あれだ、尾道だ。広島の尾道の人に会って、尾道も出てると。でも尾道の隣の、何て言うかな、1時間ぐらい車乗って行かなきゃいけない所、山の中の街も出たって言ってました。だから、何だろ、それは可能性はあると思うんですよ。金沢なんかゼロだったのが24時間出たんです。で、それもまぁ、いかがなものかとは思いますけれども、何かね。

菅野 いきなり【だもんね】(00:19:46)。それもそうですよね。

佐藤 うん。

立岩 だけど、まぁ、そういうことで今はあれだけど、まぁその人を、ある種きっかけにしてっていうかさ。それも、ある種のチャンスだと思うんです。病院に入ってて、その、「病院にずっといなきゃいけない、ギリギリぐらいケアが必要だ」と、ね、「常時の見守りっていうのがないと」っていう人だというのは、ある種その、病院に2年間いたってこと自体そういうことだって言えて、で、なおかつ、移行出来るというかすべきだという話になった時に、在宅で時間必要だって話にして、で、まぁその、自治体、まぁその辺のことは保障協議会、そっちの人たちがプロなので、あの人たちに知恵をもらって交渉して、っていう意味で言えば、訳分かんないっていうかな、重度だってことはそういう病院に2年間いて「なかなか出れないよ」って言われてたってこと自体で証明出来る、みたいなとこあるじゃないですか。重いと。だから、それは「要る」という話になるんですが。だからそういう意味で…、[00:21:11]

菅野 いや、***(00:21:12)は鼻マスク***(00:21:13)。

立岩 鼻マスクなんですか?

菅野 はい、彼も。

立岩 あぁ。前からちょっと疑問なんですけど、鼻マスクがほんとにいいのかって話があって。

菅野 あれも【難しい】(00:21:22)、ほんとそうなんですよね。合わない人にはほんとに拷問、すっごい吸い込めないって言ってました、タイミング…。

立岩 だって苦しいと思いますよ。こうでしょ、こうでしょ。なんかこう、ここ穴開けたほうがスッキリすると思いません?

菅野・佐藤 (笑)

菅野 自分付けるんならあれは無理だと思う時ある。

立岩 ねぇ。むっとしますよね、ここがね。

菅野 眠れないか、窒息する気持ちになる人いっぱいいるって言いますよね。

佐藤 うん。

立岩 だから、その、ねぇ、石川悠加先生がね、何でそんなにこう、なんかよく分かんない、僕は。それはいいんですけど、いいんですけどっていうか、それも大切なあれだと思いますけど、まぁそういうこと、これからどうするか、気切のほうが楽なのかってなことも含めて。あとはそうですよね、その、今日も思ったんですけど、やっぱり主治医、僕はそういうのダメだと思いますけど、主治医のキャラとか方針とか考え方で、かなり運命左右されることになる。それ全然ダメだと思いますけど、そういうことがあってはいけないと思いますけど。

菅野 ほんとですね。

立岩 そうみたいですよ。そん時にどうするか、っていうのはあると思いますけど、まぁ、それはそのあとの話なんです。とにかく彼に関係している主治医っていうのが、まぁ、最初は噂でもいいと思うんですよね。その、看護師さんなり何なり、あるいはワーカー、で、この人、どういう考えなのかみたいなことで、あの、ちょっと。それは、ただ、おおむね、だんだんとというか、「病人は病院にいるもんだ」っていう話では次第になくなる、なくなっていくっていうのが趨勢、トレンドっていうか、ではあるようなんですよね。だから、そういう情報収集、どういう体制で病院回ってるのか、それを観察っていうか、「頼まれました」って、ね、そういう名目っていうか、まぁ名目じゃない、ちゃんとした理由ですけど、それで行って、様子見て、で、どういう医療者が関わっているのかっていうようなことですよね。ていうあたりから、始められる。ただ行って「この病院、見たいですけど」って言うよりも、なんか、こう、いいじゃないですか。

菅野 (笑)全然、ほんとそうです。CILっていうところから何だっていうことなので。[00:24:00]

立岩 そうなんですよ。だからいいと思いますよ。僕は問題ないっていうか。あんまり怖そうにも見えないし。

菅野 ほんとですか

立岩 この、お二方であれば。井上〔武史〕さんみたいな人だとね。

佐藤 (笑)

佐藤 ありがとうございます。

立岩 で、まぁ、北のほうで何か動きがね、ちょっとずつでも出られるんであれば、それはそれで面白くなるっていうか。まぁ当面、札幌っていう…、まぁ八雲のほうが難しくてもね、北海道で一つ、二つ。ついさっき前は、その仙台、まぁここ仙台ですけどね、仙台西多賀病院のね、そこの一人がどうなのかみたいな話はしてましたけどね。でもそこも、入るのは全然問題ないみたいですよ。で、そこの若い人と、今、少し関係はあって。で、外出とか連れ立って出るとか、みたいなことはやってる。そこまではわりと簡単に行けるし、CILのスタッフなんかも行けると。コンタクトは取れる。でまぁ、西多賀の問題っていうか、そこまでは行けるんだけど、それからじゃあ仙台で暮らせるかっていった時に、さっき聞いた話の限りでは、制度はなくはないんだけど事業所がないっていう。

菅野 そうですね。

佐藤 うーん。

立岩 一つは事業所がない。一つはね、この業界でいうところのロールモデル。元気にというか楽しくというか、筋ジスで街で暮らしてる人っていうのがいない、っていうか、っていう、二つ言ってましたね、さっき会った人はね。だから今日聞いて思ったんだけど、やっぱりその一つ一つの場所に、数えれば五つぐらいなんですよ、そのファクター、なかなか難しくしているファクターって。だけど場所によって、その五つのうちどれが当てはまるのかって地域によって違う。で、仙台の場合は事業所がない、それからロールモデルがない。とかね、まぁなんか。

菅野 その二つ。

立岩 それになる。だから、そういうことで。だから僕はその手前のところね、最初にコンタクトを取るとか話をするとかっていうところで言えば、そんなにめちゃくちゃ、囲い込むっていうか、まぁ今の****、渡辺さん話によればその八雲はそうかもしれない、そういう感じはしてるんですよ。だけどそれ以外の所では、うん、だって、僕は京都ですけど、毎週のようにっつうか、JCILの人たちが行って、聞いたのは、主治医で、「全然だめ」っていう主治医もいれば「大丈夫だ」っていう人もいて、言ってましたよね。

佐藤 うん、うん。

立岩 古込さんも出てから、そんなに時間っていうのは。それでも死ぬ前に出れたっていうのは、僕は良かったと思いますけれど。ただ、そんなにゆっくりっていう訳にいかないとこあるから、最初のところはちょっとササッとやってみたほうがいいと思いますね。そうしないと「もう死んじゃったよ」みたいな話になっちゃったらさ、ちょっと嫌、なんか寝覚めが悪いっていうかさ、ねぇ。

菅野 ほんとそうですね。

立岩 全くその人と、在宅の時も会ってはいない?

佐藤 はい、はい。

立岩 その進行が遅い筋ジスって何だろう。ディシェンヌ型っていうのは、5、6歳、6、7歳に発症する。で、かなり早い段階で、あの…。あと何だっけ、福山型とかなんか何種類かありますよね。よく分かってない。

菅野 はい。私たちも2つぐらいだと思ってたら、結構いろいろあるんだなと。

立岩 あります、あります。僕はCIL立川っていうとこと付き合いが長いですけど、そこの代表、野口さん*、筋ジストロフィーで、進行性の筋ジストロフィーのはずなんですけど、僕30年ぐらい知ってますけど、おんなじですね。全然進行しない。
*野口俊彦:http://www.arsvi.com/w/nt13.htm

菅野 (笑)そっか。

佐藤 うん。

立岩 変わんない。それは誤診なのかもしれない、診断間違えたのかもしれないですけど、でもまぁいろいろですよ。でもまぁ、とは言ってもさぁやっぱり、あの…、佐藤さんは普通に脳性麻痺でいいんですか?

佐藤 はい、普通に。

立岩 脳性麻痺ほど丈夫じゃないです。

菅野 (笑)脳性麻痺は丈夫ですね。

立岩 脳性麻痺、丈夫ですよ。あとさっきSMA、脊髄性の人とも話ししたんですけど、「俺たちは丈夫だ」って言ってました。

佐藤 (笑)

菅野 自分たちで(笑) 

立岩 「あぁそうか、そうだなあ、そうかもしんないな、そうかもしんないな」と思って、やっぱり。北海道は旭川と八雲と、国療、2つですか?

菅野 その2つみたいですね。

佐藤 はい。

立岩 「北海道CIL、なかなか、なかなかだ」って**さん言ってたけど(笑)、どうなんですか、なかなか厳しいですか? 札幌、うん。

菅野 私たちも、佐藤はCILさっぽろにいて、自立支援を受けてて。

佐藤 ちょっとだけ受けて、

立岩 あぁ。CILさっぽろって喜美代さんとこ?

佐藤 はい。

菅野 そうです、喜美代さんのところ。私もそこでの女性の方の専属介助者だったから

立岩 そうなんですか。

菅野 そうなんですよ。で、しばらくやっぱりそのCILさっぽろがCILだと思ってたんで、自分たちがCILをやるっていうことになるというのは思ってもみなかったんですね。

□佐藤さん

立岩 佐藤さんはもともと旭川の人なんですか?

佐藤 生まれは稚内で、

立岩 稚内。北海道、地理分かってない(笑)。

菅野 (笑)てっぺんなんです、てっぺんなんですよ。

立岩 稚内、てっぺん。

菅野 はい。サハリンとかに近い場所ですね。見えちゃう感じ。

立岩 サハリン、あぁ、あっちね。はいはいはい。

佐藤 で、小学校を***(00:33:06)ので、旭川の養護学校に。

立岩 あぁ。

菅野 あ、そうなんだ。医療のリハビリ施設と併設になった形の療育センターっていうんですけども、そこに養護学校が付いてて、ほぼ全部施設ですよね。渡り廊下でその…、

立岩 そのパターンですね。

菅野 入院って形で6歳から旭川移ってきて。

立岩 じゃあ、6歳から旭川、小中高みたいな、そんな感じ?

菅野 そうですね。

佐藤 はい。

立岩 じゃあ12年間そこでいて。それで、何? CIL、札幌にいた時期があるということですか? そういう訳ではない?

佐藤 12年いたんですよ。

立岩 12年、12年旭川ですよね。

菅野 その前に、高校卒業して、やっぱり「もう施設は嫌だ」っていうことで、稚内にその時に大学ができたんですよね。

立岩 あぁ、はい。

佐藤 そこを、

菅野 狙って(笑)、

佐藤 4年間出て、実家にいて、

立岩 稚内に大学できて、その大学に入ったんですか?

佐藤 はい。

立岩 あぁ。大学生を4年やった。

佐藤 はい。

菅野 大学で初めて実家に戻れた人なんですよ。普通、あの、大学のために実家から離れるのに、18で初めて戻れたんですよね、4年間。そっからは本人が、それでなぜ自立をしたのかは言ったほうがいいんじゃないですか。ちょっとだけ遠目に写真を撮らせてもらってもいいですか。

立岩 はいはい。[00:34:52]

佐藤 4年、問題なく***(00:34:54)、「これから自分どうしよう」となって。「このまま稚内にいても何もない」っていうので。で、たまたまインターネットを見てたら、

立岩 インターネット。はいはい。

佐藤 あの、『生の技法』っていう本にであって

立岩 僕らの本じゃないですか。

佐藤 はい。

立岩 素晴らしい、素晴らしい。ありがとうございます。

佐藤 ありがとうございました。「このやり方なら自分もできるんじゃないか」って思って、で、「とりあえず、北海道でやれそうな街ってどこだろう」って思って。

立岩 「北海道でやれそうな街、どこだ」と思った。そしたらまぁ、普通に札幌、そりゃ普通に思いつくことですよね。

菅野 16年前なので(笑)。

立岩 そりゃそうですよね。稚内、厳しいですよね。いや、よく知らないのに、行ったことない、知らないけど。

菅野 厳しいです、今でも厳しい。

立岩 厳しそうな気はしますよね。札幌行ったんですか?

佐藤 はい。

立岩 稚内行った。旭川12年いて、稚内で4年、その後札幌。

佐藤 はい。

立岩 その時に、佐藤さん、あっちの佐藤さんのところに門を叩いた的な感じなんですか。

佐藤 はい。で、半年ぐらい、1年ぐ…、お世話になって、自立までの支援を受けて。で、それから、ちょっと思うとこがあって、【出て行きました】[00:37:21]。

立岩 札幌を出たってこと?

佐藤 あ、CIL。

立岩 CILさっぽろを出た。

佐藤 はい。

立岩 あそこはいろんな人が出たり入ったりっちゅうかまぁ、出たりするとこですね。

菅野 そうなんですよ。当時、やっぱり脳性麻痺の方がスタッフとかそういう、***(00:37:48)、初めてだったので。そこはかなり***(00:37:54)感じかな(笑)。

立岩 あ、そうなんですか。

佐藤 はい。で、ちょっと、***(00:38:01)を感じて、うん。ちょっと…。

菅野 今でも同じCILをやっているということで、協力関係ではありますけれども。
 旭川はやっぱり第2の故郷みたいなところがあって、そこでっていうことで、同級生とかとつながり、後輩も***[00:38:24]

立岩 じゃあ、札幌にいたのはどれだけの期間なんですか。

菅野 10…、

佐藤 約10年。

立岩 10年いた。CILさっぽろに関わったのは1年ぐらいだけれども、札幌にいたのは10年。

佐藤 はい。

立岩 そのあいだ、札幌で暮らした。

佐藤 はい。

菅野 そうですね。

立岩 それはヘルパー、使って。

佐藤 はい。

菅野 自分で事業所、自分で作ったんですよね、札幌で。

立岩 あぁ、札幌で。

佐藤 あの、当時、学校の同級生の知人が作って。

立岩 …って10年札幌で暮らした後、旭川に戻った。

佐藤 はい。

菅野 旭川の、正確には隣の東川町っていう、人口8,000人ぐらいの町なんですけど、そこで生活をするという形で。

佐藤 2012年の6月に、旭川

立岩 2012年から旭川で活動を始めて、そうすると、6〜7年、7年、7年とかですよね。

佐藤 はい。

立岩 そこの中で最近、先ほどの筋ジスの人の、っていう話が出てきたっていう。

佐藤 はい。はい。

菅野 はい。

立岩 僕らの時もそうだったんですけど、京都で一番重い人を最初に前面に出して、で、僕らも京都市役所行ったんですよ。僕も行きましたし、新聞記者もついて来ましたし。で、障害福祉課長さんと話して。「現物」を見せるわけですよ、「ALSで動かないぞ」みたいな。

佐藤・菅野 (笑)[00:40:15]

立岩 「どっこも動かないだろ?」みたいな。「24時間いるだろ? 見ろよ、見ろよ」って。そういう感じなんですよ。それで、やっぱり、それまでって、京都、しょぼかったんですよね。2008年だったかな。で、交渉して、取れた。だから、軽いものからだんだんっていうよりは、重いのボーンとやって、それでやったほうが。そういう意味で言うとね、その、筋ジスの人っていうのは、それをとっかかりっていう、なるかもしれないですよね。あり得なくはないじゃないですか。

菅野 あ、井上さんだ。

井上 どうも。さっき言ってた、岡本さん 八雲にいた。〔→次のインタビュー〕

立岩 あぁ、はいはいはい。

井上 高校通うために行ったんだって。だから3年間高校で。

立岩 学校に通うために3年間て話は今日も、別、聞きましたよね。

井上 あの…、つないどきますよ、立岩先生。

立岩 今の、メーリングリストでもいいし、ちょっとそれがはばかられる的なことであれば、僕が別の人とつなぐとかっていうのもあり得るので、まぁまたこれを機会に。

菅野 ありがとうございます。あ、今、名刺を。

立岩 はい。

菅野 草かんむりで、菅野(かんの)と言います。ありがとうございます。メーリングリストには、この間の西宮セミナーをきっかけに、井上さんから入れてもらえるようになったので。

立岩 それじゃあ、北海道なかなか行けませんけど、よろしくお願いします。

菅野 ありがとうございます。

佐藤 ありがとうございます。
[00:42:32]


UP:20190728 REV:
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