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金城太亮氏インタビュー

2019/06/25 聞き手:立岩真也
於:仙台市中小企業活性化センター(第28回全国自立生活センター協議会協議員総会・全国セミナー2日めの会場)
文字起こし:ココペリ121

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こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす

20190625 金城太亮(きんじょう・たいすけ)氏_53分

※聞き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
 聞き取りが怪しいところは、【 】(hh:mm:ss) としています。

◇金城太亮:1980年名護市生。国立療養所沖縄病院退院。「自立生活センター南十字星」で活動
 http://www.j-il.jp/kamei/cilsoutherncross
◇20190624〜25:http://www.arsvi.com/ts/20190624.htm

立岩 ありがとうございます。急なことなのに。

金城 はいはい。いえいえ。

立岩 金城さん自身が、病院を出てきた人、ってことなんですか?

金城 そうそうそうそう。

立岩 そのへんから。ちょっと年齢不詳気味かなあ、と。

金城 (笑)

立岩 何年生まれですか?

金城 55年。

立岩 昭和?

金城 昭和。

立岩 55って、1900…?

金城 80年。

立岩 80年ですよね。80年てことは、39?

金城 8。

立岩 8。そのぐらい。で、それで、もともと沖縄?、金城だからっていうか。

金城 そうです。

立岩 沖縄のどちらの出身。

金城 生まれは、名護市。

立岩 名護。

金城 で、沖縄病院が宜野湾市。

立岩 沖縄病院は宜野湾市にある。

金城 はい。だから、宜野湾市の生活が長かった。

立岩 障害名っていうか、何ですか?

金城 それはあの、脊髄性筋萎縮症。

立岩 SMA。

金城 です。

立岩 筋ジスだと、その診断ついたりするの、6歳、7歳とかが多いじゃないですか。

金城 はい。

立岩 SMAって、生まれて、わりと早うわかる、っていう感じですかね。

金城 僕は5ヶ月で診断名ついて、5歳で、

立岩 5ヶ月でSMAの診断がついた。それで、

□沖縄病院

金城 うん。5歳で施設に入る。

立岩 それまでは在宅というか、親と暮らしていた。

金城 ええ。

立岩 5歳の時に入院したのが、それが宜野湾の沖縄病院、

立岩 沖縄病院っていうのが、まぁ、国立療養、

金城 うん。そうです。

[00:03:05]
立岩 うんうんうん。で、5歳でしょ。1980年生まれで5歳で、85年ぐらいってことですよね。それで、ざっくり言ったらどのぐらいそこにいはったんですか?

金城 17年。

立岩 17。5歳で入って、17。22とか。

金城 ええ、22まで。

立岩 そこの、その暮らしっていうかな、どんな病院で、どんな自分の暮らしやったっていう記憶っていうか。

金城 あぁ、毎日***(00:03:42)。お茶。

立岩 お茶だって。

[00:04:21]
金城 5歳で入院して、もう毎日、決まった時間に起きて、トイレして。

立岩 起床時間、何時だか覚えてます?

金城 6時です。で、6時に起きて、おしっこして、6時半にベッドから降りて、7時半に朝ご飯。で、バイタルチェック。

立岩 バイタルチェック。

金城 バイタル採って。

立岩 ご飯とかは、どこで? ベッド…、

金城 ベッドです。食堂で、テーブルで。

立岩 うんうんうん。その移動は?

金城 車椅子です。

立岩 車椅子は、職員の人が、

金城 押して。

立岩 押してってことですか。はいはい。それで、7時半?

金城 7時半に。

立岩 7時半が食事、朝食ね。

金城 で、学校に行く準備をして。だいたい9時に学校に、職員が迎えに来て、学校まで行って、11時40分ぐらいに帰ってきて、今度は昼食。

立岩 あぁ、いったん。よくあるあれですよね、国立療養所に隣接する養護学校っていう、

金城 そうそうそう。

立岩 そういうタイプですよね。

金城 そうです。はい。森川、森川養護。

立岩 森川ですか。養護学校行って、午前中の授業終わるといったんまた帰ってくる。

金城 うん。

立岩 その間って、わりと多分隣接だからそんなに距離はないんですね。

金城 距離はない。

立岩 で、車椅子で、また押してもらって。

金城 そうです。

立岩 施設の食堂、

金城 はい。

立岩 療養所の食堂で昼飯食べて。

金城 食べる。で、また、おしっこして、バイタルチェックやって、だいたい1時ぐらい、また養護学校、行って、2時半に入ってきて、リハビリがあったり。あと、トイレの日って、うんちやる日、って決まってるんです。「あなたは月水金」「あなたは…」。

[00:07:14]
立岩 (笑)月水金、うんこをする人と、

金城 うん。

立岩 月水金の人と、火木土の人と、いるみたいな、そういう世界、ってことですか。

金城 そうそうそう。

立岩 そういうふうにうまくいくもんなんですか?

金城 もう、「うまくやれ」って、言われてる。

立岩 2日間、溜めるってことですか?

金城 そうです。

立岩 でも、したくなる時はないですか?

金城 ありますよ。

立岩 それは、どうするんですか?

金城 それは、言ったら、やってはくれる。

立岩 言うたら、うんうんうん。

金城 くれるんですけど、怒られるんです。「今日じゃないんだ」と。

立岩 あぁ。「君の予定日と違う」的な? うーん。

金城 だからあの、食べる量をコントロールしたり、水分も、

立岩 水分を控えたりとか。

金城 控えたり、

立岩 して、出にくく、

金城 出にくくする。

立岩 それなりに努力して、みたいな。

金城 うんうん。

立岩 あぁ。それが5歳。5歳の時はまだ小学校始まってないですよね。

金城 うんうん。

立岩 で、学齢に達した時に、隣の養護学校に。で、5歳で認定。小学部はそんな感じ。中学も?

金城 中学。

立岩 そこで。6年、3年。

金城 高校も。

立岩 ちなみにその部屋は何人部屋でした?

金城 えっとね、6人部屋。

立岩 前は6人って多かったみたいですね。

金城 うん。

立岩 建て替わって4人とかっていうのが今どきだって、

金城 うん。

立岩 まぁ昨日今日聞いた話ですけどね。

金城 うん。

立岩 6か。建物はどんな感じでした?

金城 建物は、結構古いんです。

立岩 古い。古い鉄筋みたいな?

金城 そうです。

立岩 そんな感じですか。それで、えーっと高等部出ますよね。

金城 うん。

立岩 でまぁ、18か。

金城 はい。

立岩 それで、最終的にそこ出たのがいくつってさっきおっしゃったっけ。

金城 22。

立岩 その間の4年間か。

金城 はい。

立岩 その4年間、何を考えて暮らし、その22の時に、何でそこを出ることになったっていうのは、どうなんですか。そこ、はい。

金城 あぁ。まず22になるまで、自分、あの、気管切開したのが17歳で、

立岩 17歳で気管切開した。

金城 そっから寝たきりになって、もうずっとベッドの上にいて、天井ばっかり見てたんですよ。

[00:10:04]
立岩 あぁ。その時は、例えば医師から、「もうそれはしょうがない」と、「気管切開したんやから、まぁ、ベッドの上で寝とるしかないよ」っていうような説明だったってことですか。

金城 はい。

立岩 あぁ。ご本人もっていうか、金城さんも「そんなもんかな」と思って、しょうがないからベッドに、まぁ、天井見て寝てたっていうか、そんな感じ。

金城 うん。

立岩 うん。17で気管切開ね。

金城 17で。

立岩 学校出る前ってことか。

金城 出る前です。

立岩 で、切開してからも…、でもその学校は結局どうやって卒業したことになるの?

金城 えっとー、結局、体調悪くて、病室の中で卒業式。まぁ賞状をもらいました。

立岩 その学校のほうには、もうその時点では行けなくて。

金城 行けない。

立岩 でも卒業はした。

金城 はい。

立岩 それが18というか、

金城 そうです。

立岩 卒業の時期ですよね。で気切して、

金城 はい。

立岩 動けんくて、ほんで?

金城 それで、もう寝たきりなって、パソコンばっかり毎日やってて。

立岩 パソコンはあった?

金城 あった。

立岩 ネットは?

金城 使えました。

立岩 何してました? パソコンで。

金城 もう毎日みんなでゲームを、

立岩 あぁ。オンラインゲーム的なやつですか。

金城 オンラインゲーム。

立岩 おお。何? まぁいろいろでしょうけど。

金城 何ですかね。名前は忘れたんですけど、ミサイルを飛ばすような。

立岩 あぁ、はい。それは相手がいるゲームね。

金城 そうです。

立岩 あぁ、なるほどなるほど。昨日の話に出てた古込さんは囲碁が強くて、

金城 はいはい。

立岩 あの、囲碁をパソコンでやるようになってましたね。まぁ、いいや、まぁいいやっていうか、それでゲーム、他にすることないからゲームして、

金城 はい。

立岩 で、過ごし始めて、それがどのぐらい続くんですか?

□琉球大学の学生たちと

金城 だいたい2年続いて。僕が変わったのが、20歳になって、お酒を飲める歳になった時に、大学生と交流がよくあって、同じ年の大学生と外で飲むようになったんですよ。

立岩 それは、宜野湾のあたりってことですか。

金城 そうです。

立岩 宜野湾の辺りの大学生って、

金城 琉球大学。

[00:13:03]
立岩 あぁ、あぁ。「外で」っていうのは、「外」っていうのは何? 飲み屋?

金城 居酒屋です。

立岩 居酒屋に、その寝たきりだった人がどうやって行くんですか?

金城 うん。行きます。

立岩 行きます(笑)。ストレッチャー乗ったりして?

金城 そうそうそう。

立岩 ストレッチャー、ねぇ、そのストレッチャー押す人は誰ですか?

金城 …は、友だち。

立岩 それは、

金城 ほんとは家族じゃないと、外出できないんだけど。

立岩 …っていうルールでは、あったんですか。

金城 うん。

立岩 うんうんうん。「だけど」っていう話ですか。

金城 ねぇ、「親と行く」っていう嘘ついて、友だち。

立岩 うん。親と友だちって、なんか見分けがつくんじゃないかな。

金城 はい。

立岩 普通、職員的には。それはどうするんですか?

金城 あの、下で、待っててもらって、下までは、友だち、***(00:14:04)の、病棟の友だち。僕よりも動ける人に連れてってもらう。で、下でバトンタッチするという。

立岩 それで、何とかなるもんなんですか?

金城 いや、バレます。

立岩 バレるよね。

金城 バレるし怒られる。毎回、

立岩 怒られたら、出られなくなるんじゃないですか。

金城 毎回、怒られて。

立岩 怒られるけど、出られた。

金城 一応、出れました。

立岩 ふーん。怒られた。帰ってきて、怒られるんですか?

金城 帰ってきて、怒られる。

立岩 あぁ。

金城 だから、ものすごい後味が悪い。

立岩 それは、ちゃんと怒られる?

金城 ちゃんと。

立岩 「しょうがないから怒る」的じゃなくて、

金城 うん。

立岩 ちゃんと怒られる。

金城 うん。

立岩 門限てあるんですか?

金城 門限、9時。

立岩 酒飲んで9時ってつらいですよね。

金城 つらいです(笑)。

立岩 どうしてるんですか?

金城 いつも、遅刻して、11時ぐらい、

立岩 なりますよね、酒飲んでりゃね。

金城 なっちゃって。友だちと一緒に説教食らって。

立岩 あぁ。

金城 とりあえず、

立岩 毎回説教食らうんですか?

金城 毎回。

立岩 それは嫌ですね。どのぐらいの外出頻度だったんですか?

金城 あの時は、月に2回ぐらいです。

立岩 月に2回飲みに出てた。

金城 だいたいそれぐらい。

立岩 あぁ。酒、20歳で酒を飲み始め、酒は、今でも、酒、飲まれる?

金城 今も飲む。

立岩 何、飲みます?

金城 ビールを。

立岩 ビールですか。

金城 うん。

立岩 はい。で、その琉球大学の学生と宜野湾の飲み屋でビール、

金城 飲み交わし、そして、話をしていくと、大学生はバイトの話とか、車の話、と彼女の話とかいろいろやるんだけど、僕は全然、

立岩 ネタがないとか。

金城 ネタがなくて。それで世界が違うんじゃないかと思うようになって。で、

立岩 ちょっと話戻しますけど、その、そもそも酒飲む相手の、琉大の学生さんと知り合いになったってどういうきっかけというか。

金城 えっとですね、卒業後、やることがなかったのでサークルを立ち上げて、

立岩 その療養所の中でってことですか?

金城 療養所、はい。で、週に1回、この琉大のボランティア、ボランティアサークルを呼んで「一緒に交流しましょう」っていう。

[00:17:15]
立岩 自分が作ったサークルは、何か名前があったんですか?

金城 うん。ゲッコーズ。

立岩 あ?

金城 ゲッコーズ。

立岩 ゲッコー?

金城 英語で、ヤモリ、ヤモリのことを、

立岩 ヤモリ?

金城 うん。英語で。

立岩 英語のヤモリ。はいはいはい。それの英語の…が、

金城 はい。

立岩 サークルの名前で。で、それは何、その、琉大の、そのボランティアサークルみたいなのと交流というか。

金城 交流やって。

立岩 そういうようなことを、まぁ、それ自体が目的というか。

金城 そうです。

立岩 そういうようなサークルを自分で作り、そしたらその琉大のボランティアのサークルの人たちが、

金城 集まって。

立岩 療養所に来るようになったんですか?

金城 病院に来るようになった。

立岩 その、病院に来るのは、病院は拒まないというか、

金城 …は、OKです。

立岩 それはOK。ボランティアは、まぁ、たいがい歓迎はされますね。

金城 はい。

立岩 それで、知り合いになったと。

金城 うん。

立岩 で、その、療養所の中でそういう交流する分には、

金城 問題ないです。

立岩 それはもう、あの、療養所的にもOK。

金城 うん。OKです。

立岩 でも、それでは、ちょっと足りんようになって、町に出て酒を飲むようになったら、あかんかって。

金城 あかんかったです。

立岩 あかんかったけど、まぁ、月に2回酒を飲みに行き、で、そうすると向こうはいろいろ話すねんけど、自分はネタがないと。

金城 そう。

立岩 話ここまで来たわけですけど、それでどうなったんですか?(笑)。



金城 で、もう、病院に帰ってくるたんびに、自分もこれでいい…このままでいいのかな
ぁって考えるようになって。ちょうどその当時、先輩が自立してた方が一人いたんですよ。その人を見て、もしかしたら自分にも出来ないかな?

立岩 それはおんなじ、その療養所の、何年か上の人ですか?

金城 もう、10、20、もうだいぶ上。

立岩 あぁ、年は結構上の人。で、その、自立っていうか、そこを出たのが何年前、みたいな。自分、

金城 もう、5年前ぐらい。

立岩 あぁ。その人のことは、何で知ってはったんですか?

金城 …は、おんなじ病棟。

立岩 あぁ。じゃあその、現にその人がおった時期のこととか、

金城 そうです。

立岩 記憶というか、

金城 あります。

立岩 分かるわけですね。

金城 そうです。

立岩 「ああいう人、おったな」と。

金城 そうなんです。

立岩 ていうようなことを、思い出したというか。

金城 思い出して。

立岩 その人はちなみに筋ジスですか?

金城 筋ジスです。

立岩 あぁ。ほんで思い出して、ほんで

[00:20:07]
金城 その人に、相談して、沖縄のCILとつながるようになって。

立岩 その人は、その当時というか、どこに住んではった? その、

金城 同じ宜野湾。

立岩 宜野湾に住んでた。

金城 そうです。

立岩 ちなみにお名前は?

金城 しんもんさん。

立岩 しもん? しもんて、名字ですか?

金城 名字。

立岩 「しもん」てどういう字やろ?

金城 しんもん、「あたらしいもん」に「のぼる」。

立岩 「あたらしい」に「のぼる」。
*新門登:沖縄県自立生活センター・イルカ代表など

金城 うん。

立岩 はいはい。で、その方に相談した、と。

金城 うん。

立岩 したら、沖縄の自立生活センター? それは、何ていう、

金城 イルカです。
*沖縄県自立生活センター・イルカ:https://okinawa-iruka.jimdo.com/

立岩 あ、イルカ。その、イルカを紹介してくれた。

金城 はい。

立岩 ほんで、

金城 で、イルカとやり取りを始めて。

立岩 うん。それはメールとか?

金城 メールと、実際にイルカに足を運んで。

立岩 イルカに行って。はいはいはい。イルカのオフィスっていうか、オフィスじゃない事務所は、その宜野湾と距離感的にはどんな感じなんでしょうか?

金城 だいたい病院から30分ぐらい。

立岩 そんなもんですか。で、イルカの事務所にも行くようになった。

金城 それで相談し、で、僕のような重度の人は初めて、ということもあって、

立岩 あぁ。イルカの人はそう言った。

金城 で、もう、一緒にやりながら、一緒に制度を、勝ち取ろうって話になって、

立岩 うんうんうん。

金城 あの、最近、僕24時間なんです。

立岩 今、24時間、取れてる。

金城 はいはい。で、前は1日6時間。

立岩 前はっていうのは、もう最初っていうことですか?

金城 最初です。

立岩 うんうんうん。それで、ちょっと待ってよ。18でしょ、17、手術。18、高等部終わり。それからしばらくそういうんで、寝たきりではあるけど飲み屋には行ってるみたいな、そういう20歳、最初の頃の数年。で、イルカに行く。ほんで? いよいよっていうか、もう出たのは20…、

金城 2です。

立岩 22だ、そんなに時間が経ってるわけでもないですよね。

金城 はい。

立岩 ですよね。20歳になって、酒飲みだしてから2年やからね。で、それはもうイルカに行ってたわけですよね、イルカと関係してて。で、じゃあ、出る準備をイルカと相談しながらしたみたいな、

金城 はい。

[00:23:21]
立岩 そういうことですか、なるほど。で、それで、宜野湾に部屋借りて?

金城 そうです。

立岩 あぁ。アパートっちゅうか。

金城 あの、うちの親が、宜野湾にマンション持ってて、そのマンションにそのまま自分が、入りました。

立岩 それが22。

金城 2。

立岩 で、最初は6時間。

金城 6時間。

立岩 で、それをまぁ24時間まで持ってってっていう。何年経つねん。今が30いくつとおっしゃった。

金城 8。

立岩 38。16年か、その間。

金城 はい。

□南十字星

立岩 その、6時間からっていうので、まぁ。ほんまは、その16年の話をゆっくり聞きたいんですけど、それはそのうちっていうことにして。で、今やっておられる南十字星っていうのはもう立ち上げから関係してるんですか。
*自立生活センター南十字星:http://www.j-il.jp/kamei/cilsoutherncross

金城 そうです。

立岩 ちょっと僕は昔はめっちゃ自立生活センター詳しかったんですよ、30年ぐらい前はね。

金城 (笑)

立岩 ですけど、ちょっと長年さぼってきたので、ちょっと今の状況分かってないんですけど、

金城 うんうん。

立岩 南十字星っていうのは、何年からやってる?

金城 6年前です。

立岩 6年前に、もう、金城さんたちというか、が、立ち上げた。

金城 立ち上げて。

立岩 それは本拠、本拠というか本部というか、が宜野湾にある、

金城 そうです。あの、本店が宜野湾市で、支店が石垣になるんですけど。で、自分は本店の役員やってて、役員のなかで、宮古だったり石垣だったり、みんな飛ばされて。センター作って(00:25:35)。

立岩 今、沖縄ってセンター何個あるんですか?

金城 今5つある。

立岩 すごいですよね。あの人口で5つあるとこって、日本中ほかないんじゃないですか? イルカが最初ですよね。

金城 うん。

立岩 そうですよね。

金城 そうです。

立岩 今、5つ。あの、非常に、あの、変…、あの、聞きますけど、聞きますけどっていうか、南十字星ってどこに行ったらほんまに見れるようになるんですか? どこまで南に下がると、

金城 ああ。

立岩 南十字星ってほんまは見えるんですか?

金城 えっとですね、波照間まで行けば確実に見えます。

立岩 宜野湾からは見えないんですね。

金城 見えないです。

立岩 見えないんですね。見えないんだけど、でも、南十字星と、

金城 そうです。

立岩 いうネーミングでやってるみたいな。なるほど。あの、実際にはその十何年間の苦闘というか、それから6年間、この6年間のセンターのこと、非常に興味があるんですけれども、

金城 うん。

□沖縄病院

[00:26:44]立岩 まぁ今回、その、「旧国立療養所、どうする?」みたいな、そういう一環でもあるので。金城さん本人がどんな暮らしだったかをさっきちょっとお伺いしたんですけど、今、その、沖縄病院っていうのが、聞くところによるとってことも含めてですけど、どういう状況で、そこの…から、金城さんはそうやって22で出てきはったわけだけれども、その、今ほかの人とか、現在の状況っていうのは、どんな感じなんですかね?

金城 今はね、みんなベッドから降りない。あと、降ろさない生活になってる。唯一降りてる人は2名いるんですけど、その人たちはかろうじて動いている。でももう、たまに顔を見にいくんですけど、みんな元気がなくて、もう何だろ、お風呂も週に2回しか入ってないから、脂汗かいてたり、なかなか、人間が住める場所じゃないなぁというのは、気づきます。

立岩 うーん。あの、ベッドから降りれないっていうか…っていう話で、よう言われるのは重度化してるっていう、まぁそのこと自体は多分そうだとは思うんですけど、その、降りれないっていう状態っていうのを、金城さんは、どういうふうに見てるっていうか、どういうこと、どういうことだろうと思います?

金城 もう、降ろしてもらえないんだろうって。

立岩 うん。

金城 で、なんか、最初分かんなくて、「何で降りないの?」って聞いたら、降ろしてもらえない、って言われてる。「もうベッドで、トイレも排泄も全部やりなさい」って。

立岩 食べるのも、

金城 食べるのも、

立岩 全部。

金城 全部。

立岩 で、まぁ、そっから出るのは週に2回の、風呂は一応移乗というか、するって、

金城 そうです。

立岩 そういうことですか。週に2回の風呂以外は、すべてがベッドの上的な。

金城 そうです。

[00:29:35]
立岩 その2名降りれてるっていうのは、

金城 うん。

立岩 身体的に可能とかそういうことですかね。

金城 そうですね。まだ、まだ可能。

立岩 自分でっていうことですか?

金城 自分、いや、

立岩 そうではない。

金城 介助は、

立岩 介助はいるけど、自分で動かせる部分もある、

金城 そうです。

立岩 そういう感じですかね。あぁ、なるほど。そういうまぁ、そういう厳しいというか、状況で、その、これからというか、あるいはその南十字星が、この、どういう関わりというか、

金城 そうですね。

立岩 が、「出来そうか」というか、あるいは「したいか」とか、「うん、でも難しいかな」とか、まぁいろいろあると思うんですけど、それはどんな感じですか?

金城 スタッフとは、うん、もう今、みんな後輩とか先輩いるんですけど、ちょっと、連絡取るためにLINEのグループ作って、沖縄病院のメンバーでLINEを(00: 30:56)、

立岩 はいはいはい。

金城 「自立、いいよ」とか「自立って、こんなだよ」という話をよくやるんです。

立岩 ええ。その、LINEに加入してるというか参加してるメンバーって何人ぐらいいはるんですか?

金城 今、13。

立岩 13か。ちなみにその、沖縄病院に入院してる、

金城 うん。

立岩 まぁ筋ジス、SMA、そういう、そっち系の人って、全部で何人ぐらいいはる…いるんですか?

金城 80名ほど。

立岩 あぁ、結構多い。

金城 います。

立岩 そのうちの、でも13とか、

金城 そうです。

立岩 そのぐらいがLINEでつながってる。

金城 そうです。

立岩 あぁ。それはいつ頃から?

金城 それは、もう、多分今から2年前ぐらいから、みんなでLINEを【公開】(00:31:44)しているグループ。

立岩 今じゃあ、その何、ベッドに寝て、まぁこんな感じで、こう、ディスプレイがある的な、

金城 そうそうそう。

立岩 状況で、まぁみんな、

金城 そうです。

立岩 あの、パソコン、ネット。ネットは、自由?

金城 ネットは自由です。

立岩 あぁ。ネットはじゃあ24時間やろう思ったらやれる?

金城 やれます。

[00:3209]立岩 どこやったかな、昨日なんか、1日1時間ぐらいしか実質できないところがあるっていう。

金城 あぁ、はぁはぁはぁ。

立岩 ちょっとたまげましたけどね。それは、ない?

金城 自由に。

立岩 ない。あぁ。じゃあその、LINEの、その2年間やり取りしてるなかから、なんか、これからこういうことあるかな的なことってあります?

金城 えっとね、一人、自立した方がいて。

立岩 あぁ、その2年の間にってことですか。

金城 うん。

立岩 あぁ。

金城 で、あ、二人だ。

立岩 二人。へぇー。

金城 二人いる。

立岩 うんうんうん。

金城 その二人も、「自立してよかった」って感じで。

立岩 二人とも筋ジス?

金城 筋ジスです。

立岩 歳で言うたら、

金城 自分より、5つ下と、3つ上。

立岩 あぁ、そのぐらいの、まぁまぁ似たような世代というか…の人が。

金城 うん。

立岩 宜野湾で暮らし…今、暮らしてはるっていう。

金城 うん。

立岩 あぁ。じゃあ、そうか、二人っていうのは他の地域とか病院とかで言うたら、決して少ない数ではないですよね。

金城 うん。

立岩 あぁ、そんな、LINEでね。なるほど。やれてると。

金城 自分も、「自立する」言った時は、金城 誰も信じてくれなかったんです。病院の職員、

立岩 誰もっていうのは、そうか、あぁ、病院のね。

金城 【多分】(00:33:54)、友だち。

立岩 あの、今日ね、ていうか、今日だけじゃないんですけど、「出る」つった時に、あの、今日聞いた南九州病院か。

金城 うん。

立岩 鹿児島のね、の場合は、主治医の一人が結構めちゃくちゃな人で。それでまぁ、医療的な理由ではなくて「とにかくあかん」て言われて、そこでストップして長い時間が経ってしまったっていう話を聞いたんですけど。その沖縄病院の場合、その、いざ出たいと、っていう時の、病院の対応? その、本気にせんかったっていうのは、まぁ、まぁ、分かる、分かるっていうか、

金城 うん。

立岩 そういう反応あり得ると思うんだけど、「あかん」とか、あるいは積極的に支援するとか、その幅のなかで、その、病院は、自分の時はどうで、今、それからだいぶ経って、どんな感じですかね。

金城 えっとね、自分の時は消極的だったんです。でも、今は逆で、全面的にプッシュしてくれる。

[00:35:17]
立岩 うんうんうん。その、自分の時に消極的っていうのは、「邪魔はせんけど何にもせん」ぐらいの感じ?ですか。

金城 あぁ、そうです。うん。

立岩 別に、何かしたらあかんていうことはなかった?

金城 …は、なかったです。

立岩 例えば外出するっていう時に、ほんとに病院によったら、医師によったら、その健康上のあれで、「体壊すとか、死ぬかもしれんから、出るな」みたいなことって、それはなかった?

金城 それは、最初はありましたよ。

立岩 「ちょっと危ない」みたいなことは言われた。

金城 うん。

立岩 その時、でも、どうしたの。

金城 でも、一応家族と出ることが週に1回はあったから、週に1回はもう外出も認めてくれて。家族同伴であれば。

立岩 それはまぁ言うたら家族同伴週1回は無条件というか、

金城 うん。

立岩 それは大丈夫。例えばさ、イルカとかとやり取りしながら、こう仕度して、出るための準備して時々外出するとか、そういうことありますよね。

金城 あります。

立岩 そういう時って、その、家族じゃなくてイルカのスタッフだったり。

金城 うん。

立岩 そういう時に、その病院はこう、黙認的な感じだったんですか?

金城 まぁ、黙認。

立岩 いいとも悪いとも言わない。

金城 そうです。

立岩 まぁ、止めることもしないし、積極的にっていうことでもなく。

金城 うん。

立岩 っていうのが、まぁ金城さんの22の時だった。

金城 うん。



立岩 その、「今、積極的や」っていうのはどんな感じなんですか?

金城 今、あの、在宅に出ても、この、僕の後に4名ぐらい一気に出たんです。

立岩 おお、それはさっきの2名以外に4名、

金城 以外に4名。

立岩 あぁ。

金城 僕が出来るのだったら、

立岩 金城さんが出来た、

金城 うん、出来たっていう。

立岩 っていうことで、あんまりその時は本気にしてもらえんかったんやけど、まぁ出て、

金城 出て。

立岩 街で暮らせたっていう。

金城 みんな出てきて、

立岩 うんうんうん。4人?

金城 うん。そっから、だいぶ考え、変わって。

立岩 それは病院の側の?

金城 病院側の。

立岩 あぁ、あぁ。[00:37:45]

金城 在宅でも暮らせるのがあって。今は、子どもたちもいるんですけど、子どもたちも、どちらかというと、入院じゃなくて在宅を勧められる。今そういうセンターがあちこちあるから、そこ頼って自立するっていう、いうのも選択肢としてあるよ。で、重度、重度化したら戻っておいでって感じで。今だから、若い人はいないです。

立岩 あぁ。

金城 逆にね。

立岩 逆にね。そやけど、その積極的っていうのが、例えば今ね、その、まぁその病院の中では結構しんどいというか、結構動けん形のなかでというか、その何だろう、例えば今、金城さんたちがセンターとして出すのを手伝うっていうことに、「まぁそれは別に悪いことじゃないね」と、「いいことやね」っていうぐらいなのか、なんかプラス? その、例えばそこの看護師さんなりスタッフが、地域移行に向けた支援というかなんかお手伝いというか、そういう関わり方っていうのは病院としてはある? ない?

金城 あります。

立岩 それはどんなことしてるんですか?

金城 カンファレンス開いたり、どういった感じで、吸引とか医療ケアの研修を病院内で、

立岩 病院の例えば看護師なり何なりが、吸引なら吸引のやり方を、在宅に出た時の、

金城 ために、

立岩 人のために教えるみたいなことですか。

金城 そうです。

立岩 そういうことを病院側としてやってくれてる…くれるっていうこと、

金城 やってくれる。

立岩 あぁ。そういう形でまぁ協力。

金城 うん。

立岩 そのカンファレンスっていうのは、誰が出る…参加するカンファレンスなんですか。

金城 えっとー、もちろん主治医、と看護師長と看護師、でヘルパーさん、リハビリ、全部です。

[00:40:33]立岩 うんうん。で、そういう人が、この人の、まぁ言うたら地域移行のための、なんか、ことについて話し合う的な、そういうカンファレンスもやるよ、っていうそういう話ですか。そういった時にね、さっきの話ですけど、まぁ今日聞いた話で言うたら、南九州病院も病院として反対ではないというか、わりと積極的なんだそうですよ。で、その話は、この主治医が頑固に反対してって話は、その、まぁ結局は院長に直訴して何とかなったっていうオチなんですけど、

金城 うん。

立岩 でもまぁ時々、ほんと主治医によって非常にネガティブっていうか…な人がいて、そこで話がストップしてしまうっていう話は、他でも聞いたことあるんですよね。

金城 はい。

立岩 それ、沖縄病院の、まぁ過去でも現在でも、まぁ両方でもいいんですけど、そういうことって見聞きしたというか体験したりすることはありますか?

金城 うーん。ん、どういう?

立岩 「お前は…」その、いろんな理由あるでしょうけど「出たらあかん」、まぁ結論から言うたら。

金城 あぁ。

立岩 そういう方向で、結構、その、出るっていうことをブロックするっていうか、そういう主治医っていうのは。

金城 えっとね、心臓に疾患持ってる人とかは「出たらあかん」、止められそう、は、いるんです。でも、やっぱり、「リスクを背負ってでも出たい」と言ったら、とりあえず応援はしてくれる。

立岩 あぁ。一応それはあかんていうか、リスクが高いとは言うけど、でもそれでも出るって言ったら、まぁしょうがないかなぁっていう。

金城 はい。

立岩 そういうふうになる場合もあんねんけど、もうそこで、その手前でストップっていうのは結構あるって話なんですよ。

金城 あります。

立岩 それは沖縄でもあるのかな?

金城 あります。

立岩 したらどうするんですか? その、主治医の言うこと聞かないかんかどうかは別として、実際にその、そこで話が、こう、「だめだ」って言われた時に、たとえばセンター南十字星としてはどう対応するとか。なんかそういうことって、これまで経験としてあったりしました?

金城 それは、うちはまだない。

立岩 じゃあそこまで、その、「出たい」「いや、出たらあかん」でバチバチなって、 で、こう、どうもならなかったっていうケースは自分が知ってるかぎり、ない。

金城 うん。

[00:43:35]
立岩 わりとでも、全体としてはそのリスクのことは気にしつつ、地域移行的なことに積極的というか、っていうことですかね、病院としても。

金城 そうです。

立岩 それは何だろう、やっぱ、なんかそれに関して、病院はどういうこと、どういう…。まぁやってみたら出来たっていうのは、さっきの話やったと思うんですよ。

金城 うん。

立岩 で、それは全くその通りやと思うんだけど、それ以外になんか病院の今、動かしてる、こう、力っていうか要因ていうか、「何を今、病院の人たちは考えてるんやろ」ってなんか思うことってあります?

金城 なんか病院は、今は逆に、地域に出すっていう意見が多いらしいんです。

立岩 そういうとこありますよね。

金城 ただ、受け入れる事業所が追いついてなくて、あの、どうしても、出したいけど出しきれないっていう状況が続いている。

立岩 それは、沖縄が…も、そうだっていうこと?

金城 そうです。

立岩 ちなみにその、この2年の間にLINEつながりで出た二人の人は、宜野湾に住まれてて、その人たちの介助は南十字星がっていう、

金城 いや。

立岩 そういう感じではないんですか?

金城 別の事業所。

立岩 別の。その人たちはその人たちなりに、その自分の使う事業所を使って暮らしてる? 暮らせてる?

金城 暮らしてます。

立岩 それは、その、重度訪問使って。

金城 重度訪問。

立岩 使ってる。あぁ、そんな感じですか。

金城 あと、あの、生活保護受けて、あの、他人介護加算取って、24時間使ってるっていう、いう人たちもいます。

立岩 それは重度訪問とはまた別の、

金城 別で。

立岩 系列というか。

金城 そうです。

立岩 生活保護は他人介護加算っていう、

金城 はい。

立岩 なるほど。で、今、だいたい感じが分かってきました。ありがとうございます。

金城 うん。

立岩 で、今、その南十字星としては、今現在のっていうのは、まぁ何人ぐらいの人手で、スタッフで、何人ぐらいの、いろんなことやってると思いますけど。こう、何を今してて、これからどうしたい的な、ところはどうですか?[00:46:28]

金城 うーん。今一応スタッフが16名。で、当事者が6名。で、今、人材不足なんですけど、あの、今新たにALSの方と関わり始めて、ちょっとALSの方って進行が、

立岩 早いです。

金城 ものすごい早いので、その、介助の使い方が、ものすごく雑なんです。

立岩 はいはいはい(笑)。それはよう分かります。はい。

金城 それで、今うちの課題としては、その人に、ヘルパーさんの立ち位置だったり、立場だったり、教え方っていうのを、どういうふうに伝えていくか、っていうのが課題で。活動としては、今いろいろやりたいなって。その人を連れて全国回りたいなと。

立岩 へぇー。歳の頃はどのぐらいの人なんですか?

金城 65です。

立岩 あぁ。はいはいはい。何となく分かります。

金城 大変です。

立岩 それは何、その16人つったっけ、スタッフがおって、

金城 うん。

立岩 その6人が、本人、当事者のスタッフで、利用者っていうか、そういうのはどのぐらいの、ざっくり言ったらどのぐらい…、

金城 利用者は6人。

立岩 利用者が6ね。16っていうの、

金城 当事者スタッフは、そのうちの2名。

立岩 2名。自分も入れてってことですか。

金城 うん。

立岩 金城さん入れて2名がスタッフのほうにいてて、6人の人の。その6人のうちの一人は、ALS。

金城 うん。

立岩 今はその6人のなかに、その、自分以外にっていうか、筋ジス、SMA的なというか、人は、

金城 まだ、今はいないです。

立岩 後は何、どういう人? 脳性麻痺とか。

金城 脳性麻痺。脳性麻痺が4名。

立岩 あぁ。じゃあ脳性麻痺が多いって感じで。

金城 多い。

[00:49:36]
立岩 へぇー、そうか。沖縄、で5つですか。仲良くやれてるんですか?

金城 ええ、はい、そう。

立岩 そうですか。あの、ね、北のほうってよくない…、札幌とかだとさ結構3つぐらいが何か、結構喧嘩してたりとかさ。

金城 (笑)

立岩 ね。やっぱ南のほうはいいんですか。関係ない? あぁ、でもいいですよね、5つもあって。それがそこそこ、仲良くやってくれるんやったら。それは何、もとはと言えばイルカから分家みたいな。

金城 そうです。

立岩 分店、暖簾分けみたいな、

金城 うん。

立岩 独立みたいな。そうか。金城さんとこからも、何、さっきの話で言うと、独立っていうのがあったってことですか? それがその各島に。さっき分店っておっしゃった、その、宮古島?

金城 宮古にもある。

立岩 …にもある?

金城 ある。

立岩 あぁ。それが全部で五つ。分かりました。あの、昨日もそういう話も出ましたけど、 かなり、その、地域、病院によって、違うっちゃあ違う。でもその、…っていうのは、まぁ、ほんと聞いてて思った。

金城 うん。

立岩 ただその、沖縄病院にしても、その、じゃあ、いいとだけ言えるかっていうとそれはまた違ってて、かなり中にいる限り、移動の自由というか、は非常に厳しいと。そういうまだら模様って言うんですかね、「出ることには積極的やけども、いる人は結構しんどいよ」っていうことも一方にあったり。

金城 うん。

立岩 結構まぁ複雑は複雑なんでしょうけど。でもまぁ、ごちゃごちゃ、いろいろ複雑だよねとか言っててもしょうがない話なんだけど。

金城 うん。

立岩 やっぱり、出来るところというか、

金城 うん。

立岩 出来ることはいろいろるやろうし、思ってはいます。

金城 うん。

立岩 まぁ、この、さっきも、えーっと広島の人と話してて、広島で、あの、支援を始めた、筋ジスの人始めたって話で。まぁちょっといろいろと動き出てきてると思うんで。でも、率直に、そのLINEで2年間やってて二人っていうのは「あぁ」って思いましたし、「そういうやり方もあるな」って思ったんで。

金城 うん。

立岩 まぁそんなことも共有さしてもらって、と思います。何だかんだってちょっと遅れて飛び込みで、話聞かせてもらったわりには52分経ちました(笑)。ほんとにどうもありがとうございます。

金城 あぁ、はい。

立岩 で、あの、僕、字書くのが一応商売になる、商売っていうか、商売にはなってない、儲かってないんで商売になってないんですけど、まぁ、書いたもん、誰も読まなくても、あの、今日お礼も差し上げませんでしたし、そのうちお送りしますので、どっかに捨てないで置いといてください。

金城 分かりました。

立岩 どうも今日はありがとうございました。

金城 ありがとうございました。

立岩 これからもよろしくお願いします。

金城 はーい。

立岩 はい、どうも。失礼します。

金城 はい。[00:52:49]音声終了


■言及

◆立岩 真也 2018 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社 文献表


UP:20190727 REV:
こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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