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京都の筋ジス病棟からの地域移行――支援と運動

岡山 祐美(JCIL=日本自立生活センター) 2019/06/24
第28回全国自立生活センター協議会協議員総会・全国セミナー 於:仙台

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■クリスマスシンポ前までの宇多野の経緯

 JCILでは、京都市にある宇多野病院内の鳴滝養護学校の子たちが家族以外の人からの支援を受けるきっかけとなればと、1980年代より外出支援をしてきました。この鳴滝養護学校を卒業後、JCILのメンバーになった人もいますし、2004年には宇多野からの地域移行に関わりました。有料介助の利用者はおられるものの、かかわりが薄れた時期もありました。
 現在の宇多野病院、筋ジス病棟入院者の支援をするようになったのは、1年半前からです。JCIL障害当事者である大藪さんの友人で、自立生活をしたいという野瀬さんを訪問したことがきっかけでした。また、以前よりJCILの有料介助利用者ですが最近外出できていないと聞いていた藤田さんも訪問しました。それ以来、最低月に1回はJCILメンバーで宇多野へ通うようになり、定期的に、時には頻繁に病棟に出入りすることで、他の入院者の方との繋がりも広がっていっています。
 次に、有料介助利用者の◇植田〔健夫〕さんも訪問し始めました。植田さんには、私たちJCILメンバーが2018年4月に初めてお会いし、11月に退院、地域移行されました。
 植田さんがわずか7か月で地域移行できたのは、外出にドクターストップがかかっていなかったことと、主治医が人工呼吸器を着けた人の地域生活に理解があったことが大きな要因だったように思います。また、地域連携に関わる病棟スタッフや看護師にも地域生活に理解があったことも追い風になりました。私たちが地域移行支援のために医療者側と接していく中で、病棟の人手不足によりなかなか進められないこともありましたし、価値観の違いによりぶつかる部分もありましたが、トータルで見ると、一緒に動きながらお互いを知り合っていくことができ、比較的医療者側の協力を得て進めることができました。
 しかし、野瀬さんと藤田さんはそうはいきませんでした。お二人とも、私たちが訪問開始した時にはすでに外出禁止をそれぞれの主治医から言い渡されており、年単位で外出どころか院内散歩さえできていない状態でした。そこで、早く外出できるようにならないか、一緒に考え、様々提案などもしました。
 野瀬さんは、主治医に何度も訴えられましたが、今の状態では安全上ドクターストップを解除できないと言われ、残念ながら事態は変わりませんでした。さらに追い打ちをかけるように、誤嚥性肺炎の危険性があるという理由で、昨年秋より口からの食事はゼロになり、経鼻経管栄養のみとされてしまわれました。
 藤田さんも、外出禁止はいっこうに解けず何の動きもないので、藤田さんの意思や要望を強く主張した手紙を主治医に出されました。そこまでしてやっと、定期的に車いす移乗の練習をするということになりました。ですが、人手不足を理由に計画通りには進まず、多くても月二回くらいしか移乗できませんでした。
 野瀬さんも藤田さんも、それぞれの主治医を始め病院側に対して繊細に気を遣っておられ、お二人の意向を伝えるタイミングや回数、方法などを迷い立ち止まったり、慎重に判断したりしながら、辛抱強く待っておられました。タイミングや伝え方を間違えると、通るものも通らなくなることがある、あまり強い主張をすると病棟スタッフに煩わしく思われ、病院での日々の生活がしにくくなるかもと心配なのだと、お二人は言われていました。
 このように、シンポジウム前までは、長期に及ぶドクターストップ状態に対してなんらかの方策を求めても、安全管理を理由に医療者側の動きは非常に鈍いものでした。加えて、入院者側が気を遣い苦心して要望や意思を伝えなければならないため、伝えるのに長い期間を要せざるを得ない状態でした。

筋ジストロフィークリスマスシンポジウム※とその成果

◆シンポの内容
 『筋ジストロフィー・クリスマス・シンポジウム』〜筋ジス病棟と地域生活の今とこれから〜
 当事者、医療者、支援者、研究者たちが集まり、どうしたら筋ジス病棟からの地域移行が進むか議論した。

◆野瀬さんの変化
 シンポジウム後に、野瀬さんの食事制限に対する本人の思いを病院長と主治医に伝える場を設定することができました。結果としては、経口摂取は認められませんでしたが、ご本人が自ら思いを主治医と病院長に伝えられた意義は大きかったと思います。
 また、シンポジウム前までは、主治医に地域移行の希望を訴えても、まったく取り合ってくれなかったのが、シンポ後は医療者も理解を示し、地域移行に向けた準備を進められるようになりました。
 外出についても、どう訴えても許可されなかったのが、地域移行に向けた準備のためならということで、1度外出ができました。もう間もなく退院、自立生活開始目前です。

◆藤田さんの変化
 シンポジウム前から主治医に、一人暮らしのために早く外出をできるようにしてほしいと藤田さんは伝えていましたが、主治医は気持ちはよく分かったという返答だったものの、話はなかなか進みませんでした。
 シンポ後の今年1月上旬、改めて「一人暮らしする考えは変わらない」と藤田さんが伝えたところ、主治医が一人暮らしに同意されました。そして1月下旬、藤田さんの地域移行のための初めてのカンファレンスがひらかれました。先週2回目のカンファレンスがあり、2年以上ぶりの外出を、来月かなえようと動いています。


◆ドクターストップを突破し、地域移行を進めるために
 野瀬さんと藤田さんの事態が動き出したのは、シンポジウムでお2人が自分の意思をはっきり示されたことが大きかったと思います。
 アンケート中間結果にあるように、人手が足りず安全管理が厳しくなるばかりである中、野瀬さん藤田さんの外出ドクターストップ解除に対して、両主治医とも消極的で現状維持からアクションがない状態でした。しかしシンポジウムという公の場で意思を明言されたことで、主治医も色々な意味で動きかされたのではないでしょうか。
 また、先に退院された、植田さんが地域移行を進める過程で、呼吸器使用者の一人暮らしのイメージが徐々に病棟スタッフに共有されていき、シンポジウムではそのイメージをさらに明確に広く伝えることができて、それぞれの主治医からもシンポジウム以前より理解を得られたのではないかと思います。
 野瀬さんの経口摂取禁止に関しては、結果としては残念ながら覆りませんでした。しかしこの野瀬さんの要望がきっかけの1つとなり、「主治医以外の医師の意見を求めたいようなことがあれば、まずは病院長がお聞きします」とシンポジウムで宇多野病院長が公開約束されたのは大きなことだったと思います。それは入院者の要望を放置せずに向き合うという姿勢を病院長が自ら示されたということだからです。病院長は他にも、外出できるようにしていきたい、自己決定権の尊重が大事とも公言されました。そしてそのような姿勢や言葉は、病棟の医師や看護師に少なからず良い影響を与えたのではと思います
 また、野瀬さんも藤田さんも、シンポジウムや経口摂取について話す場を持った件を通して、自分自身で意思を伝えることができた、たくさんの人が応援してくれているのを実感したという体験が自信につながって、シンポジウム前よりも躊躇することなくはっきりと主張できるようになられたと思います。そうすると医療者も耳を傾けるようになり、好循環がうまれているように思います。(しかし、強い主張でないと医療者がなかなかとり合わないという問題は残ります。)
このようにして、病院の中へ私たちが積極的に入っていき、医療者に協力を求めながら病棟を様々な形で開いていく運動が、ドクターストップを突破し、地域移行を進めることを可能にしたと思います。

※2018/12/24 第33回国際障害者年連続シンポジウム・筋ジス病棟と地域生活の今とこれから,於:京都テルサ


UP:20190818 REV:
こくりょう(旧国立療養所)を&から動かすJCIL=日本自立生活センター  ◇病者障害者運動史研究 
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