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渡辺一史さん岡本晃明さんと、書くことについて話す・2

遠離遭遇――人と時代を書く,主催:立命館大学生存学研究所,於:立命館大学衣笠キャンパス創思館1階

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last update:20211204

渡辺 一史
岡本 晃明
立岩 真也

◆渡辺一史・岡本晃明・立岩真也 20190602 「渡辺一史さん岡本晃明さんと、書くことについて話す」,遠離遭遇――人と時代を書く,主催:立命館大学生存学研究所,於:立命館大学衣笠キャンパス創思館1階
◆―――― 20190602 「渡辺一史さん岡本晃明さんと、書くことについて話す・2」,遠離遭遇――人と時代を書く,主催:立命館大学生存学研究所,於:立命館大学衣笠キャンパス創思館1階
◆―――― 20190602 「渡辺一史さん岡本晃明さんと、書くことについて話す・3」,遠離遭遇――人と時代を書く,主催:立命館大学生存学研究所,於:立命館大学衣笠キャンパス創思館1階



渡辺 まあちょっと、このへんでちょっと岡本さんに。すいません、はい。こういう形で、特に私はフリーなんで、自分の本当に興味関心に基づいてテーマを取っていく。まあそれと違って、やっぱり組織ジャーナリズムの中にいる岡本さんてのは、やっぱり社会的な責任っていうのをね、メディアとしての責任とか権力の監視とか、そういうのを背負って仕事されてると思うんですけど。まあその違いはこう、まず知っていただければ。すみません、長々と。

立岩 って、振られても、岡本さんは困るでしょうけど。

岡本 困りますね。(笑) すいません。『京都新聞』の岡本と言います。日頃は弊紙の取材などに色々とご協力いただき、ありがとうございます。
 で、今日は、私も話とか色々、尽きないことが色々あるんですけど。本当に渡辺さんに聞きたいことが、私が聞きたいこともたくさんあるので、まああえて自己紹介と、簡単な自己紹介とあわせて、いかにもあの、愚痴というかですね、悩みをぜひ聞いて、

立岩 使いますか? スクリーン。

岡本 スクリーンもう、そのままで。どちらでもいいんですけど。ちょっとこれに1個、PDFを出していただけますか?

立岩 やる? どっちでもいい?

(機材の調整)

立岩 そうやって何も考えないまま進行しているので。休み時間とかも、取れって言えば取りますけど。みんな各自、何ていうか、色んなことが、

渡辺 じゃ、ここで、休憩入れますか?

岡本 休憩しましょうか?

立岩 ですので、いったんちょっと休み入れて、そのあと岡本さん。
★★
岡本 資料足りてないかもしれないですけど、すみません、僕の存じ上げている方はパス。

立岩 ゆっくり、ゆるりと、まあ支度をして。

岡本 何分ぐらい? 休憩。

立岩 まあ、適当に。

岡本 これ、繋ぐやつでもいいんですけど。

立岩 えっと何? これ、やばいな。どっちもどっちだな。

岡本 どっちもどっちですか?

渡辺 入れたくない。

岡本 入れたくないですか?

立岩 USBここに入る。で、どれ、どれ?

岡本 PDFって、その下。1個下。それそれそれ。

立岩 これでいいですか?

岡本 いいです。これって拡大とかできるんですか? それが画面にも一緒になります。

立岩 それでまたこっちを繋ぐわけ。これで繋がったんで、たぶん繋がるんだと思う。

立岩 そんなに何年も経って、何かのことで取材というか話をして、それ以来ですけど。今日どこまでそういう話になるか分かりませんが。例えば、今回っていうか昨日は筋ジストロフィーの人たちの話だったんですけれども、それとは似てるとこもあり違うところもある難病というか障害でALSってあるじゃないですか。それの関係で…、え、今でもやってるんだよね? ALS-Dって。

岡本 やってます、はい。今ちょっとお配りした記事に甲谷さんっていう方の記事がありますけれども。またゆっくり読んでいただいたらと思いますけど。これに関わる、これをまあ取材と支援という両方やったんですけども。その時に立岩さん、がっつり割と一緒にやっていただいてっていう感じですね。はい。

立岩 でそういうことも、僕らは本当に十数年ぐらい、そんな大昔じゃない、色々やってたのに、何か順番も分からなくなったり色んなことになってたりして。でも「調べとかなきゃね」っていう話を今もしていて。あそこにユさんっていう、韓国からうちの大学院に来てる留学生がいるんだけれども。やっぱりこの十数年、京都界隈でALSの人たち、それから関係者がどういうことしてきたのかってことだって調べといて、何か論文に書いたり本にしたりする価値あるよねっていうふうに思っております。例えば私その、昨日もちょっと関係あったんだけど、制度取るっつって甲谷さんのことで市役所に行ったじゃないですか。あれって例えば何年だったのかとか、そういう記憶がないんですよ。

岡本 市役所交渉は2009年、8年か9年ですね。だと思います、はい。

立岩 調べれば分かるよね。

岡本 分かります。そこに、その配ったやつにそれもあると思うので。えー、***(00:02:03)と思います。それはそれをその年に【書いたやつを出したんで】(00:02:06)、***(00:02:08)、9年です。だと思います。

立岩 9年。

岡本 8かな、8だな。8かもしれない。

立岩 8ですか。とかまあ、そんなことを色々やってきた岡本さんなんですけど、また一つ、一さわりというかお話をいただいて。そのあとのことは終わったあと考えるということで。じゃ岡本さんちょっとお願いできますか? 

岡本 渡辺さんが、

立岩 まあまあ、そのうち来るでしょう。(笑) はい。あ、来ました。はい。じゃ岡本さん、お願いします。

岡本 『京都新聞』の岡本です。先ほど、組織ジャーナリズムを背負ってるって言われてきてます。***(00:02:47)で、私は***(00:02:50)、学生時代から何か表現をしたいと思って、物書きにもなりたいなと思ったり、映画監督やりたいな、みたいなんとか、まあ何でもよかったんですけど、まあ、【伝える側のことをしたい】(00:03:03)と思って。たまたま地方紙に入って、なんですけど。えーっとですね。表現とは全然違う世界です。私はだいたい記者人生の半分以上を【事件記者】(00:03:19)っていう、警察***(00:03:21)、警察回り等、***【ってこと】(00:03:24)をやってますけど。入ってもう、僕が一番最初に、ある意味すごく役に立てたのは、先ほどのあれなんですけど、自分の思い***(00:03:37)、こういうものを取材したいだとか自分の主観とかそういうんじゃなくて、【立場というか、普通は】(00:03:45)出てこないんで、***(00:03:48)。まあ隠していると言ってもいいかもしれない。消してる【とも言えると】(00:03:53)思うけども。私は何考えているのだってことを括弧に入れ替えるってことが、もうあの、20代頃にですね、自意識過剰にですね、「俺が、俺が。」っていう感じで逆の***(00:04:08)があって。あのー、まあ、それでまあ、それもまあ【無我夢中】(00:04:19)で。自分がそれまでに興味があったことじゃなくて。その、新聞記者っていうのは突然、興味がなくても突然取材しなくちゃいけない。で、***どうしても、これは何て言うんだろう、っていうふうに、えっとー、【考えるように】(00:04:34)取材していく中で、えっとー、【自己】***(00:04:38)だったり、まあ、***【くんもそうだ】(00:04:40)し、***(00:04:43)、あのー、仕事です。
[00:04:45] あのー、で、僕は***(00:04:48)時に、90年ぐらいっていうのは、***【の方(ほう)】(00:04:51)ですね、本当にあの、***(00:04:53)の中で、えっとー、連続殺傷事件だとか、特に【関西】***(00:04:58)ていうですね、本当にあの、そういう事件に回ってたことがあって、で、あの、精神障害の方だとか心の***(00:05:08)とか、直接【使っていいです】(00:05:10)、あの、そういうことたくさん向き合う中で、***(00:05:16)ですけど、京都滋賀精神***(00:05:21)ネットワークっていうのがあって、弁護士団だとか***(00:05:27)だとか、まあ福祉関係***【ずっとやっている場】(00:05:29)があって、そこに関わるようになって。***(00:05:34)とか。あと大っきな【訴訟でいきますと】(00:05:39)、裁判自体は***が、そうですね、薬害HIV訴訟であったりだとか、***(00:05:49)とか、水俣病訴訟であるとか、***(00:05:54)。で、水俣病の障害に、そこには触れてはいたけども、訴訟の頭っからの軸っていうのは「罪と罰」と、で、ある意味、障害者***(00:06:04)のは、被害者だとか、あるいは加害者だったりとか、そういう中で***(00:06:12)時代であり、で、その軸で考えて書きました。ていうことは、【記事】(00:06:19)書くときも、障害者***(00:06:20)どうしても犠牲者というかですね、ある意味こう悲惨な、障害***(00:06:28)か、悲惨なものっていうふうに描かれていることが非常に多かったです。
 それが、えっとー、ま、何ですかね、それがまあ、それこそ【市民の問題意識だった】(00:06:45)と思うんですけど、えー、障害者のことを犠牲者・被害者か、あるいは***(00:06:53)というキラキラの障害者像***【確かなんですけど】(00:06:56)(笑)、まあ【その人が】(00:07:00)参加しておられた、とある、とあるというか、***(00:07:06)集会にですね、えー、5年だったかな、

立岩 4年かな。

岡本 4年か。4年にありまして。まあそこで、そうですね、水俣病の運動に関わってきたお医者さんが来て。まあその方が水俣病【のことを世界に知らしめた】(00:07:29)のは、胎児性水俣病ということですね、生まれたときから障害を【担うことになる】***(00:07:34)のことを、えー、***(00:07:39)差し出して、えー、***(00:07:43)公害【のちらし】(00:07:45)にはなるけれども、今そのお母さんは、その写真を封印したいと、「もううちの娘はたくさん仕事をしたから、休ませてあげてほしい。」って言ってその写真を封じたって話をしておられて。あわせて「自分たちが***(00:08:02)こういう『悲惨な障害者』っていうことを***(00:08:05)運動の前に言ったけど、それは本当によかったんだろうか?って、今思ってる。」っていうふうにおっしゃいました。僕はそれにすごくこたえて、自分がやってきたことも全く同じやなあと思いまして。まあそれからちょっと、障害のある【人の】(00:08:22)暮らし、生きている***(00:08:24)かなってことで、取材をするようになりました。
 あ、そうですね、ここに今あげていただいたこの原田正純さんっていう***(00:08:36)ですけども。えっとー、ま、そうですね。ま、***(00:08:43)言うと、その時原田さんがおっしゃっていたのは、水俣病では【胎児性水俣病患者が】(00:08:49)おられたけど、続いて起きた新潟水俣病では胎児性水俣病患者の方、ほとんどおられないです。それは障害を持って生まれたら悲惨だということで、当時の妊娠した女性たち、あるいは***(00:09:10)たちが産むことを差し控えたせいではないかという話も、併せてしておられました。それも含めて、まああの、何て言うかな、ああ、そうですね、ああ、そうそう。まあ、***(00:09:22)ですけど、まああの、こういう話をしておられましたです。
[00:09:27] まああの、はい、そうです。はい。まあそういうことが、京都や、***(00:09:36)出身は京都、滋賀***(00:09:38)ですけど、そこで、えーと、何て言うんですかね、自分では言葉を発しにくい方たちの取材をしようと思って。それから重度障害のある方、先ほど申したALSの方だとか、あるいは***(00:09:57)だとかに、医者だとか福祉を介さず直接会って、で、***【取材ですって、】***(00:10:10)て。
 で、ところが、***(00:10:17)ALSで一人暮らしの方の取材を始めたんですけど、その時も、ま、その取材っていうのは既に僕は***(00:10:29)と思うので、読んで***(00:10:31)ですね。で、そのALSっていうのは筋ジスと同じように進んでいくんですけど。まあそうですね、何て言うのかな。「全部書いて。」って言われて、「生活のこと全部。今自分が人工呼吸器つけるかつけないか悩んでいることも含めて、書いていい。」って言われた人で。で、実際に会うと本当におもろい、ベアさんっていうんですけど、***(00:10:58)けど、めちゃくちゃ面白い人だったんですけど。ドキュメントしようって【最初に】***(00:11:06)転倒して亡くなってしまったんです。それは、もう一人暮らし***(00:11:15)に同時並行***(00:11:18)しちゃったせいで、ちょっとあの、【支援者とか】***(00:11:22)が、何て言うかな、こぼれたというか、介助では***(00:11:31)、ちょっと***(00:11:31)させてしまったような理由があって。まあすごい悔しい、今でもちょっと「あれはどうだったんかな」っていう思いが募って。
[00:11:41] でそれから、京都でお伺いした甲谷さんってALSの方が病院におられた時ですけど、在宅に***(00:11:53)ないかと僕がすすめて色々輪が広がって、京都でまあお元気、元気というかまあ、ある意味元気に暮らしておられます。
 えーと、僕も渡辺さんの話につなげてちょっといくつか挙げますと、ま、そうですね、新聞記者の方は【今日お話ししたように】(00:12:15)巻き込まれながらやって。で、何ですかね、モチベーションの中で僕の中であるのは、やっぱり「あん時ああすればよかった。」っていうのあるし、自分の中ではたくさん、何て言うかな、報道の中で、短い、本じゃないんですけど、断片的な記事、短い記事ですから、どうしても十分は書けないし、1回では思いを全部は伝えられないです。
 で、書くっていうのは人を傷つけるし、僕は【主に自分の記者人生の】(00:12:49)ほとんどを、自分では話したいと思ってない方、取材【に行って】(00:12:56)断られる人たちの話、【いや、そうなのか、と思って】(00:13:00)仕事をしてきましたので。あのー、【話は飛ぶん】(00:13:04)ですけど、そういうところもですね、書く***【限り、自分にはいくつか】***(00:13:09)から、しまっている***(00:13:14)そういうところが***(00:13:15)ですけど、【繰り返す】***(00:13:18)しなくちゃいけないなとも思うし、【各自】***(00:13:26)とも思うし。本当は地方紙ですので、【記者が】(00:13:32)書く***(00:13:32)で、出会った人と出会った人が繋がるっていうのもあるし、支援を***(00:13:37)ますから、書きたい人***(00:13:39)に場を作りたいっていう、いうふうな思いもあります。まあ、そういう思いで、やっています。
[00:13:47] で、だんだんやればやるほど、福祉、障害の方(ほう)に関われば関わるほどですね、いかにあの、マスメディアの取材っていうのは雑だなあっていうことを、雑だなあっていうことを本当に思わされるんですね。まあ、渡辺さんはヘルパー***(00:14:06)ておられるからあれですけど、本当にあの、1回ぐらい話を聞いてですね、***【よく】(00:14:12)分からないですし、自分が支援に関わって***(00:14:16)ですね、***(00:14:18)に取材をその支援に***(00:14:21)受けて***(00:14:23)ですね、こんだけ***(00:14:25)書くんかよ、と思って、取材【するにも】(00:14:27)腹が立って仕方がないんですね。あの、【支援…、】(00:14:32)えーと、訪問介護とか福祉とかですね、【あんたが】***【しゃべるなよ】***【出てくることが】(00:14:36)あるんです。で、***(00:14:41)れば、あの、***(00:14:45)ですね、あの、いかに本当に、講座とかの仕事を【追い求められてる】(00:14:49)な、とかも思わされますけど。【僕は僕で】(00:14:53)やってるので、人を繋ぐ仕事を丁寧にしていきたいな、というふうには思ってます。
 で、ちょっと先ほどから***(00:14:59)したかったんですけど、ちょっと組織ジャーナリズムっていう意味で反省も込めて一つ出しておくと、これサン・グループ事件ていうですね、知的障害の方(かた)が施設の方(かた)に虐待を受けていた事件を描かれまして。これは記事自体は去年私が***(00:15:25)、えっとー、もう1回ちょっと、どういうふうなのかを検証し直して書いた記事です。で、ですね、ちなみにこの虐待の時ってその、知的障害のある人たちがですね、SOS出したんですけど、【検事】(00:15:41)の人たちも出した***(00:15:43)握りつぶしていて。で、まあ【ある人が】(00:15:48)それを気づいて、裁判になっていったんですけど。裁判を起こした時も、ほとんど***(00:15:55)えないし、***(00:15:57)時も、【今度】(00:15:59)どうせ、***(00:16:02)ならないっつって黙殺しているんです。本当はあの、何て言うかな、責任ていう意味で言うと、そういう日々SOSを目配りして、これきちんと本当にあの、何て言うんですかね、一報を届けるっていうのが我々の役目だと思うんです。で、それ本当に、被害者の方だとか、あるいは学者の方とか***(00:16:29)も大事だけど、本当にその、日々警察だとか施設とかを、あるいは行政を張り付いて回っている我々にはSOS***(00:16:40)ことが、一番【途絶えていて】(00:16:42)。これは本当にあの、【出だし】***(00:16:46)虐待***(00:16:48)広がっていきましたですし。これはもう、何て言うんですかね、当事者の言葉をですね、支えている側がみんなで黙殺したという【部分】(00:16:59)もあるんです。当事者に聞かずに、周りの人、支える側を取材して、福祉を取材したふりをしてしまってると、本当にこういうこと何べんも繰り返されてしまうという、まあ反省を込めてこれを出しました。
[00:17:13] まあ本当に、***(00:17:14)と、えーと、声を出せない人の声をどう拾うかっていうのが我々の役目だけども、なかなかそれが時代の変化の中で厳しくなっていて、そういうところで色々悩みもあれば、***(00:17:31)もあり。かつそれを【取材一辺倒の】(00:17:34)記事でやるってのは、【もしくは】(00:17:33)本当、どうかな、っていうふうに***(00:17:37)。やっぱり長い、もうちょっと長くかからないと、何を伝えていいのかっていうことも、やっぱり分からないって***(00:17:43)ます。
 これはあの、新聞社異例の量ですね。これって何字だろ? 2千字ぐらいだと思います。

立岩 へー。

岡本 え、2千字いってたかな、1,500字くらいだったかな。でこれを、新聞やと思ったら、大きな扱いなわけで、すごいですよ。で、***(00:18:01)本当は、まあ***【毎週やってます】(00:18:04)けど、ひと月ふた月かけて取材してるけど、まあ***(00:18:08)取材しましても、出すときはこれだけ。まあそれがね、新聞の限界でもあるし、まあそうかな、とも思うんですけど。これ僕本当、***(00:18:20)時から、この一つの***(00:18:23)しか持ちえないと思います。それを記事の【とこに】(00:18:28)丁寧に出すってことは大事な役目やな、というふうに自分では思ってやってます。
 ま、あの、違いと言えば、【そんな感じです。】(00:18:37)これ本当にあの、今本当に新聞が読まれなくなっている時代なので、そうですね本当に、どうやっていったらいいのかなって***(00:18:46)、難しいなって思うし、この記事をネットニュースとかに出して読まれるかって言ったら、まあみんな読まないだろうな、みたいにも、今だと思ったりもします。誰も、ではないけど、大きくこれが***(00:18:58)なかなか難しいだろうなとも思いますし。みんなが関心持ってないことを新聞は家に届ける***(00:19:09)けど、手に取ってもらうための努力【なので】(00:19:12)、どうしていくかってことを我々も今になってようやく、どうしたらいいのかな、と思いながら仕事してます。そういう感じです。はい。
 すみません、何か【早口で】***(00:19:25)、はい。で僕、あ、【先生ちょっと渡辺さんに】(00:19:30)ちょっとお聞きしたいこといくつかあって。えっとー、あ、二つ。一つは、何て言うかな、読まれるため【に書く、】***【のために書く】(00:19:42)てことと、自分が取材したことのテーマということとの関係をどう考えておられるのか、ていうのを一つ、教えてほしいのが一つです。で、もう一つは、今の、***(00:19:57)ネットベースで配信をされてる方が増えてることに対する、そうですね、ネットでのお仕事とか、ウェブにいきない書き下ろすってことをどう思われているか、この二つ、最後にお聞きしたいです。

[00:20:14]
渡辺 まずあの、自分のやりたいことと、どう読まれるかってこと【も容認する】? それは僕はあの、バナナと…、うーん、あまり考えないですね。だからバナナの最初はあの、さっきお話ししたように突然振られた仕事だったんですが。僕はライターとして23歳の頃からフリーライターをやって。で、バナナの取材を始めたのは32歳だったので、だいたい***(00:20:44)ですが。さっき言ったように全然畑違いの仕事をしていて、福祉とか介護のことは全く知らなかったんですね。だから「書かないか。」って言われて、鹿野さんのとこ取材に行ってみたんだけど…、あ、取材に行くまでは、まあ、当然その障害者とボランティアの物語っていうとある一定のイメージがありましてね。まあ24時間テレビ的な。だから、何かやりたくねえな、と思っていたんですけど。
 まあたまたま取材を始めていくと、鹿野さんっていう、まず障害者のイメージから大きくはみ出すような、非常にこう個性豊かなっていうか、よく言えばそうなんですけど、悪く言うとわがままで「何じゃこの人」って感じで(笑)、***(00:21:32)しまうかのような鹿野さんのところに集ってくるボランティアたちもまた、本当にもう「善意に満ち溢れた献身的な若者たち」っていうイメージからは全く外れる、何度介護…、介助を教えてもうまくできなくて、鹿野さんに「もう来なくていい。」って怒られるような学生がいたり。それからよく遅刻してくる学生とか。まあそれぞれに悩みを抱えていて、本当に今、今ここに生きている普通の若者たちと、その、見た目すごくわがままで、何て言うかな、障害者のイメージをはみ出しているような鹿野さんのところに、なぜこういう若者たちが集まってくるのかっていうのに、まあだんだん興味…、まあ【言って】(00:22:19)最初のイメージがすごく裏切られたっていうことがスタートとしてあるわけですね。で、それは果たして、これを書けば世の中に受け入れられるかっていうことは【頭になかった】(00:22:33)ですね。はい。だから、まああくまで私が描いていたイメージが取材をすることによって砕け散って、何て言うか、最初の描いていたことが、先入観が、うーんと、こう崩壊していくっていうところから、まあいつも私の取材っていうのは始まるんですが。
[00:22:58] その、まあ次の『北の無人駅から』に関しては、さっき言ったような、もともと北海道を自分でバイクに乗って旅をしていて、で無人駅っていうか、駅っていう空間に非常に惹かれていて。その駅っていう存在は、ある種、まあある種その、北海道は特に鉄道系のものが非常にあの、北海道の発展と不可欠に結びついている要素がありまして。それはなぜかというと、本州に比べて…、比べると、鉄道の要素が非常に大きいというのは、やっぱりその明治に入ってから本格的に開発されたっていう歴史があるわけですね。もちろんアイヌの人たちは住んでいたんだけれども。明治維新後に開拓使ってものが北海道の札幌に置かれて、それでその北海道ってものが本格的にそこに、まあ和人って言われるんですけど日本人たちが侵攻し始めて、で、北海道、今の北海道に***(00:24:07)と。で、その原動力となったのが鉄道っていう。鉄道網が敷かれることで、やっぱり北海道のその他地域、その***(00:24:17)が拓かれていったっていう。まあ特にそういうやっぱり駅、鉄道、それから北海道の歴史、それがまさにリンクしているのと同時に、まあ北海道っていう日本にとって最初の外地ですね。外地。【植民地と言ってるんですけど】(00:24:34)。まあ沖縄も北海道と似たような関係にある土地ですけど。やっぱりその…、で、北海道の【資源】(00:24:45)とか、さっき言った林業、木材だとか、それから海産物とか農産物っていうのを、ある種、本州に送ることによって日本の近代化っていうのがこう、起こっていたっていう、そういう歴史があるわけですけど。
 まああのそれもまた、読者にこれが受け入れられるかっていうのは全然(笑)、考えてなくて、とにかくまあ自分が興味があって、で楽しくて、で「駅って何だろう」って思って考えていたものを、とにかくまあ形にしたいってとこかな。
[00:25:20] それからライターとして地方自治体の仕事をたくさんしていたんだけれども。それはある種お仕事として、まああの受けてやっていたんですね。コピーライターって言うんですけど、そういう仕事の方は。まあやっぱりある種、落とし所があるんですよ。例えば地方自治体の仕事、地方自治体から発注された仕事で「この街にはこんなダークな側面がある」ってことは当然書けないですよね(笑)。その、地方自治体、その例えば富良野市なら富良野市から発注された仕事のその媒体のパンフレットを書く文章の中に、「この富良野市では実はとんでもない汚職が行われている」とかですね、そういうことは(笑)、書く…、書いてはいけないし、もちろん最初からもうお約束として、「富良野の街って、こう、こんなに素晴らしいですよ。」っていう落とし所を目指して書く文章ですよね。ただそういうのを取材する過程で、やっぱり本当のことって、本当のこと、自分は本当は富良野についてこういうこと書きたいなとか、あるいはまあ網走なら網走、網走についてこういうことを書きたいなとか、そういうことがいっぱいたくさん自分の中にあったものを、その『北の無人駅から』って本の中にずいぶんこう、封じ込めたいっていう思いが大きすぎて、とてつもない***(00:26:51)(笑)、あの、読者のことを何も考えない本になってしまったですね。

岡本 でも、それを本ていう、***(00:27:02)だと、渡辺さん、渡辺さんも、編集者や出版局に「この本は売れますから。」ってやっぱりこう、プレゼンは。【持ち込みだとか】(00:27:11)、

渡辺 そうです、ね。その辺は、まあ、使い分けて***(00:27:18)。でも、あまり売ろうとしてない本じゃないですかね。あの2冊に関しては。3冊目は、ちくまプリマー新書っていうのに関しては、完全に読者を想定して、高校生、大学生の全く福祉とか介護を知らない人たちに向けて、とにかくバナナを通じて、あるいは『こんな夜更けにバナナかよ』の取材以降本当にたくさんの障害者の友人ができたりとか、あの、障害のある人たちのおかげでこの社会が支えられていて、その辺を私なりに非常に感じていたことを、まあ相模原で起こった事件以降、今の社会に対して自分なりのその、彼らに頂いたものを言葉にしたい的なっていう、初めて、だから、使命感に燃えて書いた本ではあるかもしれませんね。はい。

岡本 ちょっとあの、この公沙汰で、悩みみたいなのを。2番目の質問とも関わってくるんんですけど。この前ちょっと、私がちょっと、某大手ネット媒体***(00:28:28)て、京都の被差別部落の歴史と今の現状【を3ヶ月ほど】(00:28:37)関わっている***(00:28:38)。で、それは【何か】(00:28:40)を書いてくれって言われて、テーマは僕が【持ち込んで】やったんですけど。ま、もう本当、大変で。まあいわゆる、【「これにアクセスが来ますか?」】(00:28:49)「こんな書き方***(00:28:53)」等、数字と結果を見る。本当はテーマが***(00:29:01)ど、【どっかに懸念する】(00:29:03)気持ちがあったんかもしれないけども、取材としては、数字とですね、

渡辺 ネットはそれで原稿料増えていくってのは…、原稿料は増えるんですか?

岡本 あ、僕***(00:29:16)、会社に、直接会社に***(00:29:18)。

渡辺 あの、京都新聞?

岡本 そうです、そうです。ええ。言っちゃうと***(00:29:23)けど(笑)。

渡辺 逆に、ギャラは【払ってくれない】(00:29:29)ってことですか? 取材費も出してくれないし。それだけに自由に書かせてくれるっていうのは、雑誌よりはあるのかなあ、っていう気はしますけどね。

岡本 なるほど、なるほど。ま、そうですね。そこは結構、***(00:29:43)

渡辺 ネットによりますよね。アクセス数とかすごく気にしてくる媒体は、ネットでもあるかもしれないですよね。

岡本 何かあの、結果的にはその記事は【絶対】(00:29:56)譲らないところは譲らぬまま出して、そこそこまあ自分でも思っていた以上には読まれて。先ほどの渡辺さんのお話なんだけど、やっぱり誰かに届くってね、書き手が知っていないと***【と思いました】(00:30:10)し。あの、まあそうですね。どうやったら読まれるとか***(00:30:18)と、逆に読まれる記事って何だろう、読まれないんだろうなとも、改めて***(00:30:24)、

[00:30:26]
渡辺 いや、ただ僕は最初、子ども頃思っていたように、やっぱり自分がやりたいもの、自分で書くしかないんだなってものがあったので、そこに忠実に、まあ今のところはやってると思う。「自分がこれ、面白いと思うだろうか?」っていうレベルが…。でもただそこで、編集者には「これで十分じゃないですか。」って言われてんだけど、「いや、まだだ。」って思って。僕はさっき言ったように18年で3冊しか書けてないんですけど(笑)。だから本当にね、無人駅にしたってそうですし、あの、プリマーの『なぜ人と人は支え合うのか』に関してもそうだけど、編集者は「もう十分です。」って言ってたけど、「いや、まだだ。」って言って。とにかく自分が面白いと思うかどうか。それは僕の場合は一番【必須かな】(00:31:14)って(笑)、

岡本 併せてもう一つだけ。今ちょっとお配りしたやつに書いて、先ほど立岩さんにもご紹介していただいた、あの、ALS-Dっていうのの在宅移行のやつの、独居ですが、ご本人を支援、支援をするところを【好きなような形で】(00:31:36)作って、そいでご本人も***(00:31:38)とか言いながら、初めてやってたんですけど。えっとー、やっていく…、もう【仲間に入って書かな、中に入っちゃうわけです、】(00:31:46)書けなくなったんです。もう、***(00:31:52)色んなことに***(00:31:55)と、本当書けなくなってきてしまって。そこをどうして、

渡辺 どうしようもないですよね。それは例えば鹿野さんの暗部とか、無人駅でいうと、非常にこう、市町村合併を巡って反対派と賛成派が激突する話を書いて、どっち側にも親しく潜入取材的なことをしていたんだけど。で、特にちっちゃな村だと「こんなこと書いちゃっていいだろうか」ってことがあったんですね。何だろう。でもやっぱり、そこは、えー、そこを書かないと終わらないって。それは何、何だろう。その、自分の中のその、***(00:32:45)なのか、別にこう誰かに言われたわけではないし。ただそれは不思議とありますよね。それは一体何かと言われたらその、何だとは言えないんだけど。そこを書かないと何か、読者に読んでいただく価値がないっていう思い込みの元で「とにかくこれだけは」とかっていうところに固執し。やっぱり書いたあとはやっぱり何がしか人を傷つけたりするので、そこはちゃんとフォローして***(00:33:21)けど(笑)。まあ要は、それで訴訟になったりすることはノンフィクションでは多々ありますよね。それを【あと】***(00:33:28)ね。

岡本 あ、すみません。僕が…

立岩 はい、やってください。

岡本 いいですか?

立岩 はい。


UP:20211204 REV:
生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究  ◇一覧 
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