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横山晃久氏インタビュー
横山 晃久
2019/01/19 聞き手:
小井戸 恵子
於:
自立生活センターHANDS世田谷
事務所(東京)
病者障害者運動史研究
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last update: 20200308
■2019/01/19 電話をいただき、HANDS世田谷にて伺う
横山:5人で介助をやってきたんだけど5人中3人辞めちゃってさ、そのこともあってね。人間関係がすごいね...なんて言うの...もうちょっと僕のことを心配してくれてもいいんじゃないかなって。...2週間前になって急に「辞めます」ってさ。だからそのこともあってね、すごいモチべーション下がってんだよいま。で、その事は別として、俺が話したかったことはさ、実はね青い芝のことなんだよ。このことをいち早くね言いたかったんだよね。さいしょはなに言ってるんだ?と。それは嘘だと思ったわけよ。だけど生き証人の埼玉の金子さん元青い芝の会長ね。その人が、「そうゆうことなんだよね」って照れ笑いしながら僕に言ってね。今までの現実が俺の中でもろく崩れてるんだよ。そこで僕らはどうしたらいいか考えちゃったんだよね。 (間)これを知ってからね強い障害者はいないんだなぁって思ったわけよ。やってもらうっていう関係性はずっと変わらないんだよ。金子さんからもっと話を聞こうかなと思っているわけよ。それともう一個あったのはさ、俺、一歩の会やってきて、若い世代といろいろ話をしているわけ。若い世代は20代の後半の人もいれば、30代前半の人もいるのCPがね。敵はいないんだって今。
小井戸:親も協力者で敵ではない、理解者。差別も感じないって。 それをどうとるかなんだ...って言ってましたよね?
横山:そこのところを金子さんと会って話してるんだけど。どう運動を継承して行くのかとかさ。さっきの話、俺からすれば土台そのものが崩れてきたわけだ。青い芝を継承してきている、そのころからの人、いるにはいるんだけどね3人くらい。もう痴ほうが入ってきちゃった。だからあと10年もしたら青い芝って何それ?ってことになると思うよ。これをどう見るかだよね。
小井戸:どう考えていますか?
横山:僕はやっぱりね、差別と闘うんだと、優生思想と闘うんだということを全面的に掲げながら、若い人たちに対しては、差別と闘うとかっていう言葉はつかわない。優生思想と闘うんだって言ったほうが。だって若い人たちは「差別を受けてない」って言うんだからさ。そういう人たちに向かって、差別と闘うって言っても離れちゃうよ。だから優生思想とは何かっていうことを徹底的に教え込まないとね。 親をどう見るかとかさ、差別をどうみるかっていうこと以前に、自分の生き方としてね。 ようするに何を自分がやりたいのか自分が。それで僕らの時代は先輩からよくいじめられたけどね。「お前は障害者として生きていないんじゃないか」とかね。要するに、「差別と闘っていない」とかさ。新田とか猪野千代子とかね。「障害者として生きるっていうことは、差別と闘うんだということを生き様として生きろ」ということで俺て育ってきたわけね。
小井戸:まえにお聞きした新田さんと会う前に介助保障のことありましたよね。梅ヶ丘改善運動のあとグループ「たびだち」ができて。たびだちが難しくなって衰退していくときに、その中の何人かが介助保障を世田谷に求める運動が始めるっていう流れがありますよね。
横山:はい。それが重度障害者の介護人派遣事業だよね。(そのときの)4人組だよ。俺と、いまも活躍している世田谷の障害者のバンドのし実方ゆうじと、亡くなった小佐野彰っていうのと、奥さんのあべみちこ。 それでその親分が遠藤滋、その奥さんの遠藤紀子さん、今でも梅ヶ丘に住んでるけどね。
小井戸:駅ができたときのテープカットがありましたよね。
横山:あの悔しさは今でも忘れらんないよ。僕らが実行委員会作っていてさ、実行委員会の中心メンバーが僕だったの。
小井戸:「俺も一人で新宿に遊びに行きたい」という言葉が実行委員会を作った。
横山:はい、はい。(誰もが梅ヶ丘駅を利用できる)実行委員会を作ってさぁ、ずうっと小田急とやり合ってたわけね。だけど小田急の方から、僕らじゃなくて光明学校と世田谷区に「どうしましょうか?」と。駅の運動を下火にしたかったのよ。光明学校が入ってきて、それと世田谷区と、おまけに親の会が入ってきたのね。俺らの立場から言わせればさぁ梅ヶ丘運動は実行委員会が作ってきたんだということでいたわけね。ところがセレモニーがあったときにね、実行委員会のメンバーは誰ひとり呼ばれなかったわけ。世田谷区と小田急と光明が力合わせて駅の改善をやったんだと。俺たちの実行委員会の名前は全然出なかったわけ。大人の世界はきたねぇなぁってことがしみじみわかった。これが大人なんだよねーって自分で言い聞かしてたわけよ。 遠藤さんにしてみれば当事者でありながら教員だったから揺れてたと思うよ。気持ち的に。
小井戸:遠藤さんの立場もあったけれども、
横山:はいはい。それが大きな力だよね。
小井戸:その時の悔しさ、いま、何かに生かされてます?
横山:うん。その時の悔しさが介助保障という形で出てきたわけだよね。そこの悔しさがグループたびだちになる。須田、平田、じつかたおさむ、遠藤滋と、世田谷区に対して制度を作れということでハンガーストライキとかさ。区長室を占拠して。だいたいね当事者が8人ぐらいで支援者含めて30人くらいで。 要は足の引っ張り合いだね。何かっていうと、親の会が出てきたわけよ。世田谷区が親の会に頼んだわけ。あの子供たち何とかしてほしいと。親からしてみればずっと子供なわけだよ僕ら。
小井戸:「たびだち」ができたのが1977年頃って書いてあったけれど、そうすると23歳くらいですかね。
横山:はい。で、保障を作れと。ところが親の会が、家庭訪問していた先の人に、「横山たちとは付き合うな」と。「不良になっちゃうよ」って。そこ(訪問先)で知り合った仲間から、「私たち結局は小道具に過ぎないのよね」って。「大道具にもなれないんだ」と。僕ね、これ当時ねすごく考えさせられたね。当時、僕は何を思ったかって言 うとね、僕らは人間の生活の要求をしているんだとずっと自分の中で思っていたわけ。ところが小道具だったんだって。親の会がそうに言っているんだということで、僕は2ヶ月ぐらい考えたんだけど、親の会がそうに言って、あの人たちとは付き合うなと地域の中で言っているんだなと思った。すごい考えさせられたよね。結局は親の道具なんだよねって。親は「ボランティアでいいんだよ」とかっていう話があったわけよ。
小井戸:介護保障を制度にしなくても?その時代から横山さんは制度にしようと思っていたんですよね。梅ヶ丘駅改善をしていく途中で必要性を感じて。
横山:ボランティアだけでは僕らの生活は成り立たないということをずっと思っていたからね。
小井戸:いま私が事務所に入ってきてすぐに言われた、「ボランティアじゃ成り立たないよね。辞められちゃったらね。介助者がいないと」って。
横山:そうだよね。
小井戸:梅が丘、たびだち、介助の問題から世田谷区とやりあった経験は、そのあとの横山さんの運動の中でどうに生かされていますか?
横山:ずっと障害者問題あるわけだよ。教育問題とか交通系の問題とかさ。でも、僕らにとっては介助の保障がなければ何もできないわけだよ。飯も食えないし、うんこもできないしさ。そこが僕の運動の原点だと思っているわけ。
小井戸:それは、小田急の運動のころからですか?
横山:はい。もっと別の言い方、別の見方からすればね、青い芝の1期生がいわば軽度障害者だったわけだよね。だから介助なんていらなかったわけだよ。そこで青い芝と別れて新田さんとか僕らが、介助の問題に特化したわ けでしょ。だから1期生からしてみれば僕らは異端なわけよ。でもそれは、僕は時代背景だと思っているわけ。
小井戸:時代背景で思い出した。生まれた時代や地域とか、その時代の労働運動や学生運動の話が出てくるでしょう。あと残ったのは障害者運動だけっていう話をされるでしょ。
横山:障害者運動もほんとにやばいよ。もうやばくなっているよ。
小井戸:その時代の影響は、横山さんの運動の中とか、考え方とかへの影響はないですか?
横山:あるよ、ある、ある。▼俺は最終的にはさぁ「共に生きる」っていう考えなのよ。でも共に生きられないから制度を作るわけだ介助制度を。最終的には共に生きたいんだけど、共に生かしてくれないからさあ(爆笑)。
小井戸:制度によってやっと、
横山:はい、はい。これをどうやって残すか。だからね僕が思うにはね、僕が総括を出すしかないと思うわけ。
小井戸:どんな?
横山:どんな総括かっていうと介助保障の総括なんだよ。要するに恵子さんもわかっているように、ヘルパーがぜんぜん集まらないわけよ。いまもうそこまで来ているんだよね。 で、そのー、茨木尚子っているでしょ明治学院の社会保障のね。一番ヶ瀬さんを抜いて権威なんだけどさ。 茨木さんは社会福祉の先生なわけだよね。茨木さんが言うにはね、「寂しいよ」っと。
小井戸:なにが?
横山:なぜかって言うとね、サークルがどんどん潰れているんだって社会福祉系サークルが、大学で。茨木さんが生徒に対して「差別についてどう思いますか?」と。そうすると、ことごとく学生から「私、差別してませーん」って。どうして?って聞くと、サークルを辞めてアルバイトに行くんだって。ミスタードーナツとか行くわけでしょ、その中に障害者がいるんだよね。
小井戸:採用してますもんね。
横山:はい、はい。 だから「身近に障害者います」と。だから「私は障害者を差別してません」と。茨木さんが嘆いてたよ、「時代、変わるんだよね。変わってきているんだよね」って。そういう子どもの背景で、やっぱり社会福祉の考えが大きく変わってきている。
小井戸:社会福祉に対する考え方もね。
横山:そう。だからその中でさぁ〜。施設っていうのはなんとなく学生もわかるわけだよ。施設の捉え方とかさ。ところが在宅介助ってなるとさぁ何やってるか分かんないんだよたぶん。だからみんな、施設には行くけれど在宅には来ない。そういう背景があるからこそね、いま俺が総括を出すしかないと思うわけ。新田もいないしさぁ俺しか介助保障やってないんだから。だからそういうことを恵子さんに手伝って欲しいの。
小井戸:まえに、横山さんみたいな運動をしていく人を作らないとならないって言ってたでしょ。それで一歩の会も。ここ(HANDSの事務所)もその一つだと思うけど。
横山:僕はなんとなく生きてきたわけじゃないんだよと。ずっと生まれたとこの社会背景があって、僕の考えもあって、こんなんじゃいけないんだということで僕は運動やってきたわけだよね。だからそこは残したいわけ。
小井戸:そこが独特なところというか。横山さん自身もそう思っているんですか?横山さんは差別を受けたとか ILを受けたとかじゃないんですよね。
横山:ちがうね。水俣のおじさん。
小井戸:どんなことを残していくかですね。
横山:自分がこうありたい、こうやりたい、だけどそれを許さない社会がある。それは差別でしょうと俺は思うんだけど、今の若い人たちは差別と思わないんだよね。「しょうがないよ」って言って終わっちゃう。だから、差別と闘うんじゃなくて、「優生思想と闘うんだよ」という言葉だけは残したいね。それは「青い芝」を残すことにつながるんだもんね。
小井戸:青い芝とか差別っていう言葉を使わなくても、それを知らない人でも優生思想からならば考えることができて、そこから「青い芝」や「差別」につなげられるっていうこと?
横山:僕は優生思想っていうのはさぁ、今の若い人、健常者でも、いつかは歳になってヒトのお世話になるんだよね。それが優生思想でわかると思うんだよ。だから俺は、それが未来永劫の言葉になると思うんだよ。それが結局、僕らが生きている証だと思う。僕はこういうことを言っているんであって、それをね、恵子さんの力を借りて文に残したいわけだね。
小井戸:そうね、残したいわけですよね。
横山:もうね〜、ほんとやばいよ俺、もうやばい。どんどん重度化になってるしね。目がしょぼくなってるしね。だからあと5年くらいでぜったい文章残さないとって思っているんだよ。
小井戸:今の横山さんの考え・思いがあるでしょう。それはこれまでに話してもらった水俣の人とか森永の人とかに出会ったこととつながっている?
横山:つながってる、つながってる。
小井戸:どういうふうに今の運動に影響している、つながってると思います?改めてそういうことは考えないでしょう?
横山:まぁね。だけどいろんな人がいるんだよということ事実で。人とは違うんだっていうことをさぁ。あの森永の人たちは、自分たちのことを「患者」って言っているわけだよね。障害者とどこが違うの患者と。やっぱり患者っていうのはさぁ僕から言えば病気なんだよね。もっと言えば治るんだよ。でも障害は治んないんだよ。
小井戸:それでも横山さんは、「患者」って言う人から...なんて言うのかな...、障害の問題に向き合うきっかけをもらったでしょう。そこの出会いからですよね。
横山:そうですね。僕は障害者のことをこよなく愛しているんだよ。だから患者じゃないんだよということを。僕と知り合って、国が悪いんだということを、考えを改め直してほしいという思いが僕の中にあったわけね。▼好き好んで水俣患者になったわけじゃないしさ、好き好んで障害者になったわけじゃないしさ。そこは同じだから。だから残り少ない命を、どこでどう燃やしていくのかということだよね。それでやっぱり、若い世代にどう伝えていくのかと▲。
(間)
横山:ヘルパー不足もそうだよね。俺の中で怖いと思っているのは、自立生活運動っていうのはなくなっちゃうんじゃないかなって。
小井戸:なくなるっていうのは、なくなってもやっていけるって言うこと?
横山:いや、終わり。じゃぁ障害者どうするのっていうことでしょう。施設はもう満タンなわけだよね。だから僕が思うに、地域が施設になっちゃうわけよ。そのへんの視点を持って、どう社会と向き合っていくのかという ことだと思うんだよね。それが丸ごと...なんだったっけ...。
小井戸:あー、厚労省の我が事丸ごと。
横山:そう、それそれ。それに対抗できる唯一の考えだと思うんだよね。今までは僕らは地域にこだわっていたわけだよ。施設じゃなくて地域でって。でもこんどは地域が施設になっちゃうわけでしょう。だからグループホームどんどんどんどん施設になって1人生活になっちゃうよね。だからそのへんでどう社会に対峙できるかっていうことだよね。まぁ、そこまで考える必要ないとは思うんだけどね自分ではね。
小井戸:必要ないとは言っても、横山さんはここの理事長もされてるでしょう。それに10月に毎年行われる骨格提言の大フォーラムのトップもされてるでしょう。
横山:俺の中でね、ほんとのこと言ってね、モチべーションが下がってるんだよ。年齢だけじゃなくて肉体的にも精神的にもね。介助者がいないんだよ。
小井戸:まえに**さん、介助者募集って書いてあったので...。
横山:**ちゃんはさぁ制度の時間数は24時間を勝ち取れたんだけどさぁ人がいないんだよ。だから、どんどんそうゆう逆転が出てくると思うよ。だから運動も変わってくるんだよね。いままでは時間数を勝ち取れだったでしょ、24時間の。今度は人を増やせだよ。そういう闘いになっていくしかないと思うよ。だからそのへんのところねぇ、俺は介助保障を中心に闘ってきたから、よけいに俺が今の段階で総括を出さなきゃなと思っているわけ。それが僕の責任なんじゃないかなぁと思ってるわけ。
小井戸:確かに、高崎のコロニーがあるじゃない。コロニーも将来的には無くすっていうわけでグループホーム化できるところはできたけれども、やっぱりどんどん行き場がなくて、重度の方が増えているんで、また入れることになったんですよ新たに。もう行き場がないっていうことで。じゃぁグループホームのほうはどうかって言うと、さっきのお話じゃないけれど、地域化を図っているんですけれどもやっぱり職員不足なんですよ。そうゆう状態で...。
横山:それが向こうの我が事丸ごとなんだよ厚労省が考えている。
小井戸:自分たちで考えてやりなさいっていうことですよね。
横山:そう。ほんと怖い話だよ。介助ロボットが賄うようになるでしょ。それで外国人ヘルパーは施設に行くでしょどんどん。在宅の介助は一人ひとり介助の仕方が違うから対応できない。そうなると同性介助もクソもないわけだよ(笑)。***がいるでしょ運動経験者なんだよね。なんでこんなに落ち込んでるのかと思ってるわけ。CPだから少しずつ少しずつ落ちていくわけでしょ。「今までできたことができなくなっている」と。でもそこらへんは青い芝でさんざん勉強してきたわけ。今まで出来たことができなくなるって事は介助者をつければいいんだっていうことをずっとやってきたわけでしょ。自分は介助者があまり必要じゃないと思っていたんだよ。だから、お互いにプライドを捨てような、っていうことでね。だからいま車椅子の胸べルトも同じですね、オシメも同じなんだよ。
小井戸:前に会ったときは、べルトも自分でできてましたよね?
横山:いま、ぜんぜんできない。 でもさ、俺からしてみればさぁオムツをしている自分がいるわけだよ。オムツっていうのは自立生活では使わないと僕はずっと思ってきたわけよ。オムツは病院か施設だと思っていたわけよ。そのへんはまったく同じで。だから、もうプライドを捨てようと。運動的にもね、介助が集まらないという事も含めてね、どないしようかなぁと。これから先。俺はまぁ何とかなると思うんだけど、障害者運動的に見ればさ、どう闘うのかと。介助ロボットが多くなるしさぁますます介助者っていう人間が減るだろうね。そうすると介助保障運動はどうなっていくのかと。こういうふうに考えてると落ち込むんだよね。落ち込んでばかりいらないから、どう僕のやってきたことを残して、どう継承していくのかっていうことをよろしくね。
小井戸:介助ロボットっていうのが出てきても、やっぱり人じゃないとダメだよっていうことがあると思うんですよ。その時に今のことを継承していなかいと、あとで、やっぱり聞いておけばよかったっていうことになると思うんですよ。横山さんが以前、「光明にいるうちに自立のことを聞いておけばよかった」って言ってましたよね。それでHANDZで「光明プログラム」を始めて今もやってますよね。だからやっぱり、知りたいときには知ることができるっていうものを残していきたいですよね。誰かが知りたいと思った時に使えるように残して行けたらいいですね。
横山:そうね。だから...悔しいよね...ほんとに。
小井戸:まだまだですよ。介護事業者としてもね、今度は「教育」っていうか、接点を持ってもらいたいですね。たとえば高齢者から入ってきたような人たちもいるわけじゃないですか介護のところに。その人たちを重度訪問のほうにつなげるようなものがぜんぜん何もないでしょう。その窓口か何かになっていただくとか。ただ...自己責任でもやってもらわないとなかなかつながっていかないけれどね。群馬の方でも、もう5年も6年も前から重度障害者の派遣をどんどん切り捨てて結局はそれが良しとされちゃってる。さっきの**さんの話じゃないけど、「制度は(時間数は)勝ち取った」ってさっき言ってたけど、知的とか発達障害の人たちだってみんな時間数を持っているのに結局、土日はダメ。そうすると、「問題がある」、「駄目だ」って言われてるような障害者デイに行くしかないんです。
横山:こないだね、俺と***と金子さんと3人で会って、「どうしようかねぇ」って話をしていてね、「やっぱり3人が金出し合ってグループホーム作るか」と。制度に頼らないでね自分たちで。唯一20年前と違うのは、俺も***もある程度は金があるわけね。その金を使って老人ホームを作るかと。
小井戸:なんだか、いままで運動して来た人たちが...。自分たちの居場所を自分たちでつくって確保していかないと自分たちが生きていけなくなっているって感じですね。
横山:そぅ...。そぅ...。だから、そこらへんを書き残してほしいなぁと思うんだよね。今日はね、このへんの話をね、したかったわけよ。
小井戸:そうだったんですね。
*作成:
小井戸 恵子
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小川 浩史
UP: 20200307 REV: 20200308
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横山 晃久
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脳性麻痺/脳性マヒ/脳性まひ(Cerebral Palsy)
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自立生活センターHANDS世田谷
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小井戸 恵子
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病者障害者運動史研究
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