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筋ジス病棟と地域生活の今とこれから

第33回国際障害者年連続シンポジウム,2018年12月24日,於:京都テルサ

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■シンポの映像記録(岡本さんより)

@ 開会から新潟病院長中島孝さん講演まで
https://youtu.be/2I4T_Idy8B0
A 当事者の問い 立岩真也さん×宇多野病院長梶さん
https://youtu.be/uoNDZ7sQeWY
B 自立した当事者 高橋雅之さん/古込和宏さん
https://youtu.be/2Jp_Q-X-sug
C 植田健夫さん「病院と自由〜退院体験から考えたこと」
https://youtu.be/5CpJhbcrarU
D 長期入院中3人(斉藤さん/藤田紘康さん/野瀬時貞さん)が生中継で発信
  〜立岩真也さん〜メインストリーム協会藤原勝也さん/JCIL大藪光俊さん)からの報告〜閉会
https://youtu.be/54HuRVPoIZc

■文字記録(本頁内)

 ■第1部
中島孝氏
中島孝氏&梶梶龍兒氏・質疑応答〜質問まとめ:大藪光俊&立岩真也

 ■第2部
高橋雅之氏
古込和宏氏
植田健夫氏

 ■第3部
斉藤実氏
藤田紘康氏
野P時貞氏
立岩真也氏
藤山勝也氏
大藪光俊氏
質疑応答

◆関連情報→立岩真也「長い停滞を脱する」


■第33回国際障害者年連続シンポジウム 〜筋ジス病棟と地域生活の今とこれから〜
『筋ジストロフィー・クリスマス・シンポジウム』

【日時】2018年12月24日(月・祝)11:00(10:30開場)〜16:30 【場所】京都テルサ 東館2階セミナー室
    〒601-8047 京都市南区東九条下殿田町70
    JR京都駅(八条口西口)より南へ徒歩約15分
    地下鉄九条駅4番出口より西へ徒歩約5分
    https://goo.gl/maps/VDF5VPSD4qQ2
【参加費】500円 (申込不要)
【情報保障】要約筆記あり。点字資料・手話通訳ご希望の方は12/14(金)までに下記へご連絡ください。
【連絡先】京都市南区東九条松田町28メゾングラース京都十条101 日本自立生活センター(JCIL)気付
     Tel: 075-671-8484  Fax: 075-671-8418
     mail: jcil@cream.plala.or.jp

【講演・報告】
医療者:中島 孝氏(独立行政法人国立病院機構新潟病院病院長)
地域生活の筋ジス当事者:古込和宏氏(金沢)、植田健夫氏(京都)、高橋雅之氏(西宮)
研究者:立岩 真也氏(立命館大学先端総合学術研究科教授)
【インターネット中継】
「筋ジスクリスマスシンポ」で検索!
当日、Facebookページ https://www.facebook.com/xmas.symposium/ で中継サイトを
お知らせする予定です。
(カンパ歓迎)

【クリスマスパーティーのご案内】
会場:Cafe Lounge 凛(京都テルサ内)
時間:17:15〜19:15
会費:4,000円ほど
要予約(上記連絡先までご連絡下さい)
先着35名まで

【企画趣旨】
 全国の旧・国立療養所筋ジストロフィー病棟には、今、2千人程度の人たちが長期入院していると言われます。独立行政法人化して、病院の体制や入院患者のQOLはどうなっているでしょうか。看護師による虐待の報道もありましたが、今の筋ジス病棟患者にとっても、医療者にとっても厳しい環境なのでしょうか。一方、地域に出て、自立生活をはじめる当事者もあらわれはじめました。地域生活にも医療的ケアや介護体制などの様々な課題があります。筋ジストロフィーの患者たちがどのように豊かに生きていくのかについては、まだまだ多くの人にとって手探りの状況です。
 今回のシンポジウムでは、当事者、医療者、支援者、研究者たちが集まって、筋ジストロフィーの人たちのよりよい暮らしの実現に向けて、筋ジス病棟や地域生活の現状や課題を考えていきます。
(この「国際障害者年」連続シンポジウムは、国際障害者年のテーマ『完全参加と平等』を推進するにあたり、国連決議「あらゆることに関して企画の段階から決定まで、心身障害者の参加が重要である」との趣旨を基に、現実に社会環境より多大な不利を受けている障害者からの発言を中心に、そのときのテーマに添った専門家と討議を進めるものであります。)

【講演・報告者プロフィール】
●医療者 中島孝氏(独立行政法人国立病院機構新潟病院病院長)
専門は神経内科学、特に神経筋疾患緩和ケア,Bioinformaticsなどの臨床研究に携わる。PMDA専門委員。難病を抱えながらも「ふつう」に幸せに生きていけるようなナラティブ(物語)に基づく医療の大切さを説きつつ、ロボットスーツHALの研究開発にも取り組んでいる。
●当事者
古込和宏
  医王病院(金沢)で長期入院後、2017年金沢市内で自立生活開始 [原稿]
・植田健夫氏
  宇多野病院(京都)で長期入院後、2018年11月京都市内で自立生活開始
・高橋雅之氏
  徳島病院、刀根山病院(大阪)で長期入院後、西宮市内で自立生活
●研究者 立岩真也氏(立命館大学先端総合学術研究科教授)
専攻は社会学。障害者自立生活運動や難病に関わる著者多数。近著に『不如意の身体――病障害とある社会』(青土社、2018年11月刊)、筋ジス病棟の歴史を描いた『病者障害者の戦後-生政治史点描‐』(青土社、2018年12月刊)。
 
主催:国際障害者年連続シンポジウム運営・実行委員会
協力:日本自立生活センター、メインストリーム協会
後援:京都府、京都市、京都府社会福祉協議会、京都市社会福祉協議会、(公財)京都新聞社会福祉事業団 他

チラシPDFはこちらから。
http://www.jcil.jp/symp/2018_12_24.pdf


■■記録

□前半 76分
※聞き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
 聞き取りが怪しいところは、【 】(hh:mm:ss) としています。

■■第1部

 
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■中島孝氏

 新潟病院も実は療養所から、国立病院機構、そして措置から契約に向かって、すごい医療従事者の人員を増やして、それから生活支援員の人員を増やしています。ただ、びっくりすることは、あとで申し上げますけども、患者さんの医療的な重篤度がどんどん増してるから、実感できない、っていう状態になっています。
 ですが、国立病院機構を僕が代表してるわけじゃありませんが、理事長から常に言われてることは「セーフティネット」。もちろん地域で生活していくといったことが一番いいですが、行ったり来たりしたり、どうしても地域での自立生活がうまくいかない時に入院するっていうセーフティネット、安全網としての役割を果たせればいいと思っています。で、そのほかに、医学的なモデルか治療のモデルか、理想的な標準的な医療、新しい薬を作っていく原動力にならなくちゃいけないと思っています。
 現在ですね、もう最初から申し上げますと、例えば当院は障害者施設など入院基本料7対1っていう看護と、療養介護サービス費(T)をとっています。で、実は新潟病院は全国にある筋ジス病棟の中で一番配置が多いと言われています。ちょっとその辺は相対的評価ですから、「言われている」っていうだけなんですが。
 それで、その中でですね、今一番の大きな問題は、療養介護という入院形態はかなり保証された形態なんですけど、地域の在宅生活との行ったり来たりが非常にスムーズじゃないです。いったん療養介護契約すると、「外泊」っていう形で帰ることは可能ですけど、そこで同じような生活支援、福祉サービスが受けれない。そこで療養介護っていう制度を作ってもらって、療養介護の中でできるようにしてるんですが、なかなかそこが推進できない。
 もう一方、療養介護契約を解除したり再契約したりするってことを病院から自治体に申し上げてるんですけど、自治体の職員がなかなかやってくださらない。すごいハードルあげていくってことで。本来なら、もっと病院と在宅生活の中で行ったり来たりをしながら、生活できればいいな、と思ってます。
 いずれにせよ、今日はちょっとこの中で、どのように考えてきたのか。みなさんですね、真面目に勉強して研究してきた神経系の医者にとっては、神経システム、神経筋システムを変えるってことは、この、ドグマに反することなんです。みなさんも「神経系は一生変わらない。そこが障害されれば蘇らない。」というふうに教えられています。私たちはこれが、この治療開発に、とっても大きなネガティブな影響があって、ここを何とか打破しなくちゃいけないと思ってます。[00:02:56]
 もう一つは、先ほどの筋ジストロフィーなどの病気は、実は全て遺伝病です。で、遺伝病っていう中のネガティブなものを、ニュートラルに戻す作業はとても重要でしたけれども、もう一つ、医学的にどうしてもならないものは、「遺伝子によって規定してるんだから、遺伝子を治さない限りは治りっこない。」っていうドグマがあるわけです。それはですね、最近、遺伝子編集とか遺伝子治療という形で今、医学的に出てると思いますけど、私たちは、遺伝子編集、遺伝子治療じゃないやり方を早期に考えました。それ、エピジェネティクスっていう考え方です。これは環境を変えることによって本来持っている遺伝子の可能性をもっと引き出して、もっと【状態像】(00:03:39)を良くし、生活の質を改善するというやり方です。エピジェネティクスと言います。この治療法はいくつか商品化されたものがあって、すごい高額な医薬品になってますけれども、脊髄性筋萎縮症には2年ほど前からもう売られている。それからデュシェンヌ型筋ジストロフィー症も、これから承認されると思います。
 で、もう一つ、みなさんが医療に対する不満が多くなる原因の一つが、実は医療従事者そのもののパーソナリティにある場合もあるかもしれませんけれども、本当は医療従事者も様々なパーソナリティがありますから、一様に医療従事者が悪いことはない。じゃ何がうまくいってないかって言ったら、健康概念のドグマです。WHOが1948年に、「健康状態とは、身体的、精神的及び社会的に、完全に良好であること」。分かります? 完全に良好であることが健康で、それを推進することが医療なんだと規定したわけです。「じゃあ、完全に良好になれない人は一体どうなるのか?」っていうことになります。「じゃ、完全に良好な人っているんですか?」ってことになります。これが医療に対する大きな問題点なんですけれども、ここの文章を誰も書き直してくれないんです。で、書き直そうという運動はあります。じゃあこのまま放置しておくとどうなるかって言ったら、重篤な障害を持つ治らない病気、不治の病に対しては、医療は無駄。これ英語で"Medical Futility"って言います。で、市民社会においては、「無駄なものは省け。」っていう市民運動が起きますから、「医療は不要。生き続けるのは無駄。」っていう言説が起きる可能性と、もう一つは「病院なんて行かない方がいい。」っていう言説が起きる。それが、私は、ここをどうやればいいのかっていうことで、みなさんとともに一緒に悩まなくちゃいけないと思います。病気だ、症状苦しい、ケア体制がなく苦しい。だけど健康になれないんだったら、もう健康概念により、まず否定され、病気によって苦しめられ、そして捨てられてしまう、っていうことにならないようにしなくちゃいけない。もしくは「もう病院なんて頼れないから、もう行かないんだ。」っていうふうにも、なってもいけない。じゃ、ここをどう改善していけばいいのか、っていうことが私の課題でした。[00:05:50]
 で、私はですね、ここにいます。柏崎です。柏崎、越後の国で、越国(こしのくに)ですね、京都から見れば。ここはですね、何と昔の京都のエリートの人たちは、みんなここに流される場所です。私も、まあ流されてきて、ここで思考を深めている。でも、良寛っていうのは地元の人です。良寛、日蓮、親鸞のいたところで、私は日本のこう、思想を目覚めさせたんじゃないかなと思ってて。今日はそれを越国(こしのくに)からですね、みなさんに京都の人にお伝えできれば幸いです。
 で、新潟病院、これです。これがあの、「こどもとおとなのための医療センター」ということで、免震装置があり、原子力災害対策工事がしております。これが原子力発電所です。9キロ、9.6キロです。で、まだ完全じゃないです。どんな災害でもここで籠城できるような設備にしたんですけれども、原子力災害だけは、設備は作りました。陽圧化工事って言って、NATO軍、…NATO軍ってわかります? アメリカ軍とか、NATO軍の核戦争に耐えれるぐらいの(笑)、実は装置を入れてるんですけど。実は水の供給とか職員の供給とか、全く避難の仕方とか、計画が練れないんですね。まあ新潟病院だけではできない。私は今のところ、もしここで核汚染が起きたら、私がここに仕事してる時間帯であったら、私は一緒にここにずっと残るんだろうなあ、と思います。患者さんと一緒にですね。  それで、もう一つ特別支援学校があります。これ「養護学校」と昔言ってたんですけれども。実はですね、それ協力してやってるんで、あとでちょっと説明します。
 あと、新潟病院にはですね、ずっと在宅を支援してきて、最近もう80になってですね、肺炎になって、胃ろうを作った患者さんがいます。ちょっと、こういう患者さんです。新潟病院はこの天井走行型リフトがありますから、基本、職員1人で患者さんの移動介助ができます。この方は、気管切開して、胃ろうになって、入れるんです。で、もう、お父さんお母さん高齢になって、在宅生活が組み立てられなくなって、入院してきて、直ちに胃ろうと、気切もしちゃったわけですが、この方、何と画家なんですね。新潟病院の作業療法士さんや、色んな生活支援の人が、絵を描くことを支援しています。それで、こんなふうにして描いています。
 で、これ私の上司だった、元院長の先生。この、実はこういう美術館を新潟病院の中で作りました。こんなことも新潟病院はしていて、一人一人の患者さんの支援をしようということで、決意をしてます。これは新潟の浜に沈む夕日なんですけど、彼、これどう見ても脳みそに見えます。彼が孤独で生きていた時の夕陽の中に、自分を投影してるんじゃないかなあ、と思ったりしています。そのうちまた、彼に、深いところで議論してみたいと思ってます。[00:09:00]
 新潟病院は、特別支援学校と一緒に療育研究会を設立しています。これ教育保障ってことですけども、いわゆる受験勉強の勉強じゃなくて、障害を持った、または病気と共に向き合っていく時には、それなりの対処する学習や能力が必要なんで、それをこの学校で、とにかく習得できるようにしてもらいたいということです。それで『弁論は青春だ!』っていう本が今これ、アマゾンでも実は買えます。これ、パート2が欲しいんですけれども、ちょっと古いです。ちょっと1、2ページ抜けてますね。これは内容は、「どんな進行性の障害があっても、死の危険が迫っていても、今を生き、自立して生きて行くための知識、技術、価値観をもって育めるか、特別支援教育の一つの目標」です。
 ちょっとこれ、読めないと思いますけど、代わりに読みます。この方、実名でも出していまして、「悲しみよりも、自分の死に対する恐れであの時泣けた」。「生きることの証と生きることのすばらしさ」。「僕がこの病院に来て三年、色々ことがあった。嬉しかったこと、楽しかったこと、悲しいこと。そして何よりもすばらしい仲間と出会うことができたこと。その仲間と学校や病棟で三年間一緒に勉強や行事を体験し、さらに仲間と楽しいことを三年間一緒に過ごせたこと」。この時代ですね、中学から特別支援学校に入る人はほとんどいなくなって、高校だけ入る人が多かったです。
 で、もう一つですね、長い文章なんですが…、ちょっと待ってください。「僕はこの病院に来る前は、何度も死にたいと思った。でもいつも、親や、他人の人の...、他の人の悲しむ顔が浮かんできて死ねなかった。でもここに来て、生きることがどんなに素晴らしいことか、そして死ぬことはどんな恐ろしいことかを知った。今、僕は死ぬことが怖い。人は生まれ、そしていつかは死ぬ。そんなこと言われても、死ぬなんて嫌だ。そして自分の身近な人が死ぬのも悲しい。親、兄弟、親戚、仲間。普通の中学に通ってた時は、仲間が死んで、悲しむことはなかった。が、親戚の人が死んだ時悲しかった」。彼は書いてます。この本ぜひですね、アマゾンでまだ買えます。ちょっと色々なところ、ページめくってみてください。 [00:11:13]
 新潟病院は、筋ジストロフィー医療だけじゃなくて、難病、それから重症心身障害児医療、Post NICU医療をやっています。
 で、「何と闘ってるのか?」ということです。高い壁を作って闘うのではなく、壁を下ろして闘う必要があるわけです。その壁の外はですね、「遺伝性、治癒不能、進行性の疾患。この疾患は疾病予防を理解しなかった人に起きる現象で、この病気によって心理・社会的な不幸になる。」っていうふうに、そういう言説があります。一方、私たちは「遺伝性、治癒不能、進行性の疾患であっても、それはすべての人における自然現象であって、病気自体が心理・社会的な不幸に直接対応するわけはない。」と考えています。
 「多職種によるケアによって、私たちは支えることができる。」と考えてますが、反対する人は「多職種によるケアによっても、病気はなおらず進行するだけで、本来無駄な事をしている。」という考え方が、…と対抗しています。
 「成長発達期における進行性の病気だが、生涯における発達、楽しみの支援が可能なはずだ。」と我々は思ってますが、対抗する人たちは「成長発達期における進行性の疾患であり、疾患により成長発達が阻害され、人生は苦痛に満ちるんだ。」と主張しています。
 私たちは、例えば今の画家の佐藤伸夫さんですけども、今まで持てなかった手で、また口で、何か色んなところで使うことを「新たな機能等を使っている」と言いますが、私たちに対抗する人たちは、「人間は障害が深まると、残存機能を使うほかない。」という言葉を言います。僕らは、もともと例えば筆を手に持ってたものを足に持ったとしたら、足に持つことは残存機能じゃなくて、新たな機能を使っている、っていうふうに考えています。このような闘いを日々しながら、病院をやってます。
 「こどもとおとなのための医療センター」ってどういう概念かって言ったら、子どもは成長する、でも大人も、実は死の1秒前まで成長するんだってことにして、支援しようということです。で、リハビリテーションっていう言葉は、リ・ハビリというのは、「リ」っていうのは「再び」です。「ハビリ」ってのは実は、エイブル(able)って意味です。何か、もう1回できるようにするってことです。だから絶望してたんだけど、もう1回できるようにする。「ハビリ」だけ言う人いますけど、僕は別に「リハビリ」でいいと思ってます。それで、そのためにはですね、患者さん、年間320人平均いらっしゃるんですけど、400人以上の色んな職種の人を雇用して、何とか運営してるところです。楽しく生活を、また医療を行っていくことができるかというのが挑戦になるわけです。
[00:13:53]  学校の役割はとても重要です。今、実は筋ジストロフィーの患者さんで、中学・高校で在籍している人はとっても少ないです。みんな在宅です。それで地域の普通学校の特別支援教育をやってる人がノウハウがなくなって、わからなくなっちゃってるので、ここから出張して指導したり、ここに一時、私たちの入院して、ちょっと調整して帰るようなことを今やり始めてます。
 デュシェンヌ型筋ジストロフィーは、やはり大変な病気です。それを診断、マネジメントするためには何が必要かってことで、最近また論文が出ていますが、「コーディネートされた多専門職種のアプローチが必要だ。」と。多専門職種ということです。「色んな職種や色んな【媒体】(00:14:40)、市民が協力しない限りはできないよ。」ということを言ってます。私たちはその中で、栄養療法も、人工呼吸療法も、理学療法も、作業療法も、言語聴覚療法も、芸術療法も、楽しみながらできるようにしておりますが、患者さんや家族を中心としたこういう連携が作れるかどうか、っていうのが問題です。その時に、そういう価値をお互い認め合えるのかどうか。「無駄だ。」っていうことじゃなくて、価値を認め合えるかどうか、技術や知識を共有できるかどうか、っていう問題になります。こういう理想的なチームができたとしても、もし職種が欠けた場合にどうなるか。職種が欠けた場合には、よくあることは、職種の独占、職種独占に陥ってしまって、患者さんやご家族が巻き込まれてしまうわけです。そうすると、みんな家族が代行しなくちゃいけない、っていうことになります。「これは何々という職種はできない」「これは何々さんはできない」。じゃみんな、家族がやらなくちゃいけない、ってことになります。これで色んな医療的ケアとか色んなところが今進んでいってる最中ですけれども。私たちは一つの職種が足りない時でも、ある職種が他の職種を代行するという連携ができないのか、ってことを、ずっと今考えてきて、医療的ケアの中で、そこをなるべく法令とか色んなガイドラインにも落とし込んでいこうと思っています。
[00:16:03]
 デュシェンヌ型筋ジストロフィーはですね、本当に大変な病気で、だいたい20代ぐらいで死んでしまうというのが自然経過です。「自然経過って一体何なのか?」ってことです。先ほど「一つの遺伝子を持ってても、それを、能力を多様に使うことができるならば、ここは伸ばせるんじゃないか。」っていうふうに考えたわけです。最初、20歳でほとんどの人が、もうどんどん亡くなっていく中で、教育を入れていきます。【生前(そうぜん)】(00:16:30)、自分の病気を対応できるような力が育まれていきます。あと、呼吸理学療法を入れます。心臓、心不全に対する治療を入れます。あと栄養療法入れていきます。そういうことによって、30を超え、40まで届く人が出てきたんですけど、決して「無駄な延命」っていうふうに思っている人はいないです。みんないきいきと生きてるわけです。
 これは一つの完成形です。電動車いすと、マウスピース型のベンチレーターを使って、自由にどこにでも行くっていう概念です。彼は自分の病気を、非常に肯定的に自分自身を見ています。ということで、彼は色んな学校に行って、講演会に出て、自分の人生を語っている人です。
 で、これは年齢層と患者数です。これ新潟病院の患者さんです。ブルーは、今在宅中のデュシェンヌ型筋ジストロフィーです。だからゼロ歳からだいたい30歳ぐらいまでは、ブルーの人だいたい在宅しています。赤は入院の人です。こういうところで入院してる人っていうのは、やはり障害がすごく重かったり、病状が重いっていうんですか、障害よりもですね。家族や色んな組み合わせができない人たちです。でも高齢になると、みんな入院してきます。そう、うまくいかないんです。そこでみなさん、みなさんの援助があれば、少し高齢になっても在宅を継続できるかもしれませんね。で、また入院してきます。
 じゃ、かつてはどうだったか、って言ったら、いいですか? かつてはこの山があっただけです。いいですか、この山があっただけ。今はこの山が右にずれて、新しい山があって、こういう大きな山になってきます。ですから、ここの赤いところは、過去ブルーのところにいた人が入院していた時と比べて、2倍から3倍の医療従事者と福祉従事者が必要になってきている。だから昔は、この人たちだけのケアをしてて足りてたスタッフ数や医療技術が、この赤の人たちがとっても今、重篤になってますから、すごい実はスタッフ数と設備が必要になってくるってことです。でも在宅をこれだけ支援してるってことを理解していただきたいと思っています。
 じゃあ死亡はどんなふうに起きてるのか、って言ったら…、病院の中での死亡です。16歳でもやっぱり死亡する人はいます。21歳でも。やはり遺伝的な【コースで】(00:18:47)の中と、もう一つは使いすぎ。シンガーソングライターの子だとか、本当に頑張って、もうやっていて、コンサートしたんだけど、死んでしまうとかですね。とにかく、もうちょっとこう、抑えながら活躍してもらいたいなあ、とか思ったりするところもあったり。本当に残念な思いをしたこともあります。[00:19:08] で、私たちはですね、喪失の中にあって希望の中に生きるサポートをしようとしてます。当然、仲間の死、子どもの死、親の死っていうことを、死に際してどうやってもう一度心を取りなお...、取り、再構成して生きていくのかっていうサポート。で、もう一つは、「自分はこんな病気で、もう長く生きれないんじゃないか。」と思う中で、もう一度着実に自分の今を生き、成長していくことを支えていけるかどうかということです。
 で、ほんとに色んなことが起きます。愛する子が喪失してしまう、死別って問題にも直面していますし。兄弟の死、それから、同僚、仲間の死、それから自分自身の、本当に切なさってのがあります。このような喪失からどうやって再生できるのか、ってことが一つの私たちのテーマです。それは別の意味では「復権する」ってことです。だから希望を持って、今を生きれるようにするってことで、そこで、医療技術、あとそういう価値感ていうだけじゃなくて、ナラティブの再構成の技術っていうのが必要になってきます。これ、技術っていうのはちょっと、いい言い方じゃないですけれども。もう色んな人がいます。「今日5時15分になったらビール飲みに行きたい。」っていう職員もいれば、本当にもっと深く考えてる職員もいます。患者さんのほうは、もう毎日自分の人生考えている哲学者です。で、そういう人に対して、とにかく職員にも言ってるのは、「患者さんは、その人の代わりは誰もいないんだよ。」ってことで、「その人の個人を支援してください。無条件にその人を肯定して支援してください。」と僕はお願いしています。それが、診療的には「悲嘆ケア」とか「悲嘆作業」になるのかもしれないです。
 それで、人生はですね、色んなストーリーに満ち溢れています。「自分がこんな病気になってだめになった。」っていうストーリーもあれば、「その中からこういう出会いがあって、この患者さん同士の出会いがあって、またすごい価値を見い出した。」っていう、もう一つのストーリーを見い出せることができるかもしれません。それを「オールターナティブ・ストーリー」って言います。病気や障害や、また老化も含めて適切な支援があると、人の心に今までと異なった価値観、意味が再構成され、過去は再評価され、現在や未来の意味も変わってきます。で、「それをじゃあ、支援するためにどうしたらいいのか?」って言ったら、その本人がですね、満足するような適切な症状コントロールをすれば、本人はそういったことを自分で考えていけるんじゃないか、っていうふうに考えています。だから、一つの病気を背負い、また障害がある患者さんが、自分の物語を書き換え、自分の生活の、人生の意味を再構成しながら生きる支援です。これは簡単なようでいて、難しいことです。それを研究して深めていかなくちゃいけないです。[00:21:56]
 私たちはですね、これをナラティブの再構成とか、ナラティブの書き換えの作業と言いますけれども、物語と言葉からなります。ある事件が起きた時に、複数のナラティブで語ることはできますね。いいですか? 複数の言葉や複数のストーリーで語ることができます。例えば「ガンになってしまった。」「ALSになってしまった。」「自分の子が筋ジストロフィーなんだ。」っていうナラティブは...、事象はですね、複数のナラティブとして語ることができます。それを支援することができるかどうかです、複数のナラティブをね。
 実際にですね、人間は現実社会にいて、客観的な存在の中に生きているっていうことは事実かもしれませんけれども、人間の思いってのは全部主観です。意味づけも主観です。で、実際に医療で語られていること、また病院で語られることは、全部その人の主観です。例えば最終的には、「幸福」とか、「友情」とか、「よい医療」とか、そういったことはみんな、モノではないです。考えです。医療従事者と共有しなくちゃいけないことってのは、「苦しさ」だったり、「だるさ」だったり、「痛み」だったり、「動きやすさ」だったり、「脱力」だったり、色んなことがあるわけですけど、これはモノでしょうか? これは言葉です、概念です、意味です。だから、意味を医療従事者、福祉担当者と共有しなくちゃいけないわけです。だけど多くの医療従事者は、「医療はモノを対象とする。」っていうふうに思っています。そこが今の大きな問題です。それで、例えば生活の質ってのは、実はモノじゃなくて、意味なんです。概念なわけですね。
 で、私はですね、『総合診療』という雑誌、2015年の3月号に「神経難病ケア」、これ、筋ジストロフィーも入ってますが、「コペルニクス的転回」っていう特集号を、私が企画して組みました。これ絶版になってるんですけど、医学書院のページからは、いくつかダウンロードができます。その中で、「客観から主観へ」っていうことで、「患者さんの主観的な評価基準に基づく医療によって、もう一度医学を再構築し直そう」というふうなことを、今提唱しているわけです。これは無料でダウンロードできるようになっておりますので。今日は時間がないので、どんどんいきます。[00:24:21]
 実はですね、現代医療では「医療の魔術性」がなくなっています。わかりますか? 「俺についてくれば幸せになるぞ。」とか、いうことを言う医者はいません。禁止してるんです。それによって、とっても安全になってます。詐欺に遭わない。だけど、みなさん、医療にすごい物足りないです。「私たちどうやったらいいんですか?」 医者は確率論的に言うだけです。もう非常に何か、第三者的な言葉しか言いません。もう1回危険な、詐欺に遭わないような医学として、ちょっとインターネット中継してるとちょっとこういう言い方よくなかったんですけど(笑)、もっと患者さんの主観的な評価や、主体的な生き方を科学的に共同時間的に表現できるような医療体系に組み替えることができないものかと思ってます。これを"Patient Reported Outcome"って言います。でその中で、時間もないので、あともうちょっとですね、あと10分間ぐらいお許しを願ってですね(笑)。怒られる、ストップがかかるかも。
 医療従事者はですね、患者さんの問題点を抽出していって、"Problem Oriented Solving"をしようとしてます。だけど治らない病気の人は、「これも解決できない、これも解決できない、これも解決できない」ってことで、先ほど言った、"Medical Futility"医療の無駄の論議が出るわけです。そうじゃなくて、「患者さんの一番大切に思ってることを聞き取って、それをできる限りうまく、満足できるようにしてあげればいいんじゃないか。」っていう考え方があります。これを先ほどの"Patient Reported Outcome"の方法の"SEIQol"って方法です。
 この患者さんは難病の患者さんなんですけども、自分の一番重要な生活の領域っていうのは、家族との色んなことなんだと、あとガーデニングなんだと、それからスポーツなんだ、文化的生活なんだ、仕事なんだと言っています。このくらい満足している、うまくいってるって言っています。「じゃ、あなたの人生の中で、どういうふうな重み付けなんですか?」って言ったら、「家族との生活が非常に一番大きいし、ガーデニングです。」とか重み付けをしてきます。この重み付けと、この満足度、うまくいってる、の値の平均値、重み付け平均値を出せば、だいたい患者さんの思いっていうのが評価できるだろうという考え方です。1時間ぐらいの面接をするとこれがわかります。これは病状の変化によって、患者さんがどんどんどんどんやることを変えてった。例えばこれ、スポーツをしてたんだけど、スポーツもできなくなったらスポーツ観戦をするとか、リハビリを受けるとかいうのをスポーツに書き換えたんですね。仕事、仕事、仕事だったんだけど、文学書に浸ることができるようになったって言って書き換えていくわけです。そうすると、「人生は何も減ってるものはない。」ということになるわけです。どんな進行性の病気でもね。 [00:27:09]  新潟病院では患者さんにこんなふうにして、「あなたの生活の重要な点は何ですか?」っていうふうに、病棟の患者さんに聞いていきます。どれだけ満足してるのか、どれだけうまくいってるのかをこうやってレーティングしていきます。実際にどういうふうな重みで自分が重視しているのかも聞いていきます。こういう方法をやってます。全員にやれない場合もありますけどもね。
 で、この患者さんは、実はテレビ、ボランティア、家族、友人、医療従事者ってのはとっても重要な領域で、凄くテレビっていう領域が大きいんだと。ボランティアも大きいんだけど、全然テレビに対しては、うまくいってない。これは、テレビっていうのは彼が、テレビとかパソコンとか、そういう環境のことを「テレビ」って言ってるんです。これが、僕がちょうど着任した14年前の新潟病院ですね。これすぐ分かりました。ここをちょっと、看護師さん、リハビリの人、みんなで一緒にここをワッと満足できるようにしようよ、って言った途端に、この点数はワーッと上がることがわかります。すごく重み付けているところが、満足度が悪いからです。そんなことを私、14年間ぐらいやってきました。
 そうすると、"Barthel Index"っていうのは、どれだけ生活が自立してるか。「自立」っていうのは、他人のこの、支援がなくていい、ね、この「自立」っていうのはね。みなさんのは、他人の支援とこう組み合わせて、自分の力と組み合わせていく自立だと思いますけど、100ってのが「誰の助けもない」、ゼロは「全て助けられてる」と。「全て助けられてる」に近い人でも、こんなにうまく生活上の満足度が上がっているっていうことがわかりました。
 それで、これ筋ジストロフィー病棟の平成16年と27年の患者さんが重要だと思っている項目の差です。「家族」は依然として同じです。だけど「パソコン」も依然として同じです。パソコン使うってことは、病室で使うってことは、とっても重要なことです。あと「趣味活動」も重要です。でも重要なことは「仲間」ですね。ちょっとこれ、仲間がいなくなるって。16年前は「仲間」っていう言葉があったのに、「仲間」って言葉がなくなっちゃって。「サークル活動」はありますね。で、「外出、外泊」はあります。その辺がちょっと変わってきたなと思います。よろしいでしょうか。[00:29:15]
 もう一つですね。筋ジストロフィーの患者さん、色んな医療処置の意思決定が必要になってきます。その時に取り入れようとしてるのは、まだ完全に取り入れられてないんですけど、医療従事者は説明と同意プロセスを完璧にやろうとします。もう100点のね。だけど、患者さんや家族は満足されない、っていうことが起きます。だから、このツールを入れたんです。例えばあなたが受けた、気管切開でも、ペグでも、再生医療でもいいんですが、治療を振り返って、しなかった場合、した場合、2つあると思うんだけど、現在どう思われてるかを以下の項目について5段階で評価してもらいます。「それは良い決断だった」「その選択を後悔している」「もしも入れ直すとしても同じ選択をするだろう」。これレーティングしてもらうんです、患者さん自身に、またご家族に。レーティングしてもらって、この計算式に当てはめると、0だと、すごくうまくいった感が強い。100に近いほど後悔感が強いということです。このスケールを、その医療処置をする自己決定とか意思決定をする前に、これは「1年後にそういうのをとるよ。」ってことを医療従事者にお願いするわけです。これは1年後に、このアンケートを患者さんや家族がとるんだよってことです。そうすると、その医療処置をしたあともずーっとサポートが完璧になってくる。突き放されない。そうすると、その医療処置が決して無駄にならなくて、「ああ、よかったね。」っていうふうに患者さんが思ってくれる。このスケールを今後入れていこうと思って、今やってる。何か異議ありますかって(笑)。いいですか?

参加者? 丹野先生の***(00:30:47)、

中島氏 そうそうそう。これは、私と一緒に研究をしてる丹野先生っていう先生が、オタワ大学のこのサイトから、日本語版を翻訳したので、みなさんも使えます。
 それで、じゃ健康概念をどうするかってことで、もう時間も全然ないと思うんですけども。これはですね、オランダ。オランダというと、何か「安楽死の国」ですけど。安楽死の国だから、逆にそれを反対する人たちもいっぱいいたり、そんな中で「どうしようか?」っていう人がいっぱいいるんですが。健康概念をこう変えればいいと。「社会的、身体的、感情的問題に直面したときに」、人間は必ずそういう問題に直面するんだけど、「もう一度適応し、自ら管理する能力」。この能力っていうのは、でもそれも障害されちゃうんですね。「そこを取り戻すのが医療で、何とか適応する力をはぐくめれば、医療的には成功になんだよ。」と。で、ということで、そうすると、決してどんな病気の人も捨てられなくなるわけです。そういうふうに支援するような、この健康概念を提唱しているHuber博士っていう女性のドクターがいます。私たちはこれをかなり参照しています。[00:32:02]
 次、テクノロジーの話ですね。これALSの患者さんで、Gleasonという人ですけども、「テクノロジーで全てを取り戻せる」って言ってます。で、私たちはですね、ナースコールとかテレビとか、病棟にどんどんどんどん入れてって、ディスプレイはですね、転倒するので、病院で...、全部病院で買ってます。でも生活...、日常生活用品費です。ディスプレイの架台が転倒すると患者さんの頭に落ちてきますよね。だから患者さんが安いものを買っちゃうと、「どちらの責任なのか?」となる。病院で、ディスプレイの架台は買っています。
 で、こんなものも入れてます。これ、患者さんは、こちらにいて自分の端末を見てるんだけど、これがどんどんどんどん動くんです。これ、「テレプレゼンテーションロボット・ダブル」です。だけど、これで花見にも行くんですけど、実際に花見に行った方がいいに決まってますから、これをあんまり導入しすぎないよう。もう一つこれ、びっくりするのは、全情報がアメリカのサーバーを経由してることがわかりました。だから全部抜き取られる可能性がある。だから新潟病院は2台買った上で、3台目は買わなかったです。
 ナースコールはですね、重要で、前の病棟だと、これが、コネクターがなかったんです。私は切断することを命じました。切断して、患者さんのスイッチに繋ごうと。これはPL保険が効かなくなるんですね。これ、医療機器だったら法律違反です。僕がとっても罪になります、医療機器を改造するとですね。生活支援機器の場合はPL保険が効かなくなるだけで、施設長がOKすれば、これを切断してここに患者さん用のスイッチをつけることができます。それも非常にリスクが高いので、そういうものを購入しました。ここにコネクターがついてるやつです。ここにあらゆるスイッチがつけられるやつを購入したわけです。ということで、私のそのリスクから私は解放されたんです。あ、これらがあの病院でだいたい、買っている架台ですね。だから各種機器と常時繋ぐってこと。そうすると看護師さんも楽になります。
 もう一つ最近はやっぱり視線入力装置が安くなりました。これは私が遊びながら実験しているところで。「あ、こんなふうにして、視線入力装置は、勉強できるんだな。」というふうになってます。
 もう一つ、ボイスターっていう技術。ちょっと音声が混乱してましたね。これをワープロで打つと、自分の声として出せる技術が起きたんです。オレオレ詐欺に使うと大変ですよね。「お金100万円を下ろして、誰々にあげなさい」なんていう僕の声で、作れば。で、篠沢教授は、喋れなくなったんですけれども、全然ですね、こういう特別な録音をしなかったんです。だからテレビや講演をいっぱいしてたので、東京都立病院のスタッフだったかが、みんな切り貼りして作ってくれたんですよ。これ、どういうことかって言ったら、iPS細胞は篠沢教授が喋ってた時なかったわけですね。でも彼はiPS細胞についてワープロで打って、ポンとやった瞬間に、あれは篠沢教授の声そのものでしたよね、ってことですね。ということですよね。[00:35:13]
 これも時間がないので割愛します。これは川口さんとかと一緒にやってる、体が全然動けなくなった時でも使えるスイッチです。いいですか? これがベースラインですけど、ポコッて今、言いましたね。たった1個の声帯電位を使って、この意思伝達装置を作っています。全くこの患者さんは動けない人です。だから【他の人から見たら】(00:35:38)TLSっていうような人ですね。これを色んなことで今、これを実用化して、製品化してきておりますので、これからもうちょっと大量生産されると思います。
 筋ジスの治療薬は、アメリカでは部分承認されてるものがありますが、日本でももうすぐだと思いますが、一つは欠点があります。本当に重篤になったら、動かないってことです。で、HALを使おうと私たちは思っています。HALはですね、これはSMAの患者さんのHALの使い方ですけど、このアンチセンス核酸医薬とHALを一緒に、保険医療ですよ、両方を使うと、このように劇的によくなる人が出てきます。これを今、頑張ろうとしています。HALを使った、脊髄障害の患者さんですね。3年前に脊髄障害を...なった患者さんですが、この患者さんがHALを使って訓練する。2週間で、左から右になります。で、そろそろ時間になりましたので、やめなくちゃいけないと思うんですけども、この画像はちょっと見て、「HALというのはこういうふうに使うんだよ。」っていうふうなことですね。もっとどんどん話をしたいところなんですけれども。
 あと、私たちはこういう技術は超治療なのか、治療なのかってことで、これでまた医学の問題になります。なぜかって言ったら、これを悪用する人がいるからです。私たちはでも、機器ってのは、人間にとって必要なものだと思ってます。小さい頃におもちゃと遊びながら神経系が発達します。それわかりますか? そして言語を紡ぎ出していくんですけど。まず道具と遊ぶことによって、その神経系が発達するんです。だけど、成長してしまってからおもちゃでもう一度リハビリすることはできないので、HALのような機械が必要なんだと思ってます。人間っていうのはもともと道具と共に生きるってことです。「生まれながらのサイボーグなんだよ。」っていうことで、エジンバラ大学のアンディ・クラークは言っています。
 そこで、ここはもうやめようと思うんですけど、ここで一つの政治潮流との対立があります。トランスヒューマニズムです。みなさんヒューマニズムって言葉は非常にいいものだと思ってるかもしれませんけど、それはヒューマニタリアニズムです、ヒューマニタリアニズム。「人道支援」ってことね。ヒューマニズムだともっとエゴイスティックなものです。トランスヒューマニズムはもっとエゴイスティックです。例えばHALはね、このトランスヒューマニズムマガジンに載ってしまうんですけども。何をトランスヒューマニズムの人は考えてるかっていったら、これはおそらくトランプ以後の世界の潮流になると思うんですけれども、機械によって完全に幸せになろうとするのは、何かどっか似てるんですけれども、彼らは「誰かを傷つけない限り、自分の体にしたい事をする権利がある。」と主張しています。でも、この彼らの目的はですね、シンギュラリティが一つ目的にあります。「神になりたい。」っていうことです。「機械の中に入って神になりたい。」「永遠のボディになりたい。」とか思ったりですね、しています。私たちはこういうシンギュラリティを目指すトランスヒューマニズムに対しての技術革新をしてるわけじゃないというふうに考えております。ここはちょっと今日は十分に伝えきれなくて申し訳ないです。
[00:38:48]
 で、まとめです。医療は患者さんの主観評価を高めるために行うべきなんですけども、この100年、医療・医学がやってきたことは客観評価指標を高めることでした。それをWHOの健康概念のもとで、何かすごく混乱してきたわけです。もう一度、患者さんの主観的評価に基づく、医療・医学っていうのを構築できなくちゃいけないと思っております。それによって、患者さんの満足度や体調も改善すると思います。でも「真の満足とは何か?」の対話が必要です。
 日々、人間はですね、主観評価を変え、ナラティブを書き換えてます。それは、いい加減なわけじゃなくて、ナラティブを書き換える能力こそが人間の希望なんですけども、古典的な医療従事者から言えば、「あの患者さん、いつも言うことを変える。」と、「自己決定を変えてしまう。」っていうふうに言います。ですから、事前指示書っていうのは理論的な問題点があるわけです。そういった問題点があることを認識しなくちゃいけないです。
 で、患者さん家族に満足度が高い医療が良い医療なんですが、それをもっと科学的に進めていかなくちゃいけないです。このためにはですね、新潟病院で私、ここまで到達してましたので、勉強会を何とか開催できるんですけど、もっと色んな助言をみなさまからしていただかなければいけないと思ってます。ぜひ勉強会だけじゃ退屈なので、温泉付き1泊2日旅行ぐらいを企画したいと思ってます。ぜひ来れる人は来てください。
 ちょっと長くなって、立岩さんの目つきが険しくなってきてますけども、ご清聴全くありがとうございました。

会場 (拍手)

 
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■中島孝氏&梶梶龍兒氏・質疑応答〜質問まとめ:大藪光俊&立岩真也

司会 中島孝さんありがとうございました。中島さんにはこのまま残っていただき、次は当事者からの質問タイムに移りたいと思います。この時間からコーディネーターとして、立命館大学教授の立岩真也さんにご登壇お願いしたいと思います。また、先ほどご挨拶をいただいた、宇多野病院、病院長の梶さんもご登壇いただけたらと思います。今回、筋ジストロフィー患者の病棟生活や地域生活、地域移行を巡るシンポジウムを企画するにあたって、せっかく院長先生にお話を聞けるのなら、ぜひ、普段なかなか言えない、聞けない、筋ジストロフィー当事者たちの思いや疑問を院長先生に聞いてみる時間を設けることができたらいいな、という話になりました。そこでこの当事者からの質問タイムを設けさせていただきました。全国の筋ジス病棟の入院患者たち何名かから、質問を募集しました。いくつかにまとまったので、それをまず日本自立生活センター、大藪光俊さんより、紹介してもらおうと思います。その後、話の展開は立岩さんにコーディネートをしていただこうと思います。よろしくお願いします。

立岩氏 はい。何分までやりますか?

スタッフ 35分まで。[00:41:45]

立岩氏 35分までね、50分が35分に…。中島さん、斯くもたくさんの話を、よくまああの時間にやったもんだと、感心しながら聞いておりましたが、それでも30分よりはかかった、いうことでした。ほんとに盛りだくさんの話でした。ありがとうございます。
 それでですね、みなさんに配った、1枚もののこういう紙があると思います。そこに八つの質問があります。で、それは今紹介があったように、この間(かん)色んな方からあった質問をJCILのほうでまとめていただいたというものです。八つ全部読むとそれだけで結構なことになりますので、さっき大藪さんとちょっと相談して、いくつかに区切って話をし、それにその時々に答えてもらうってのがいいかなと思います。(1)っていうのは、もうそのものズバリの話なんで、「聞かれても困るよ。」っていう、そういう質問なのかもしれないと思ったので、(1)と、じゃまあ「どうしようもないんですか?」っていう、もう、そのものズバリが(1)なんですけれども、(2)、(3)が、「今、病院どんな感じになってます?」っていうそういう質問なんで、「これはまだ、答えられるかな? すぐ。」っていうことで、(1)、(2)、(3)っていう感じで、読み...、まず読んでいただきたいと思いますけど、よろしいですか? [00:43:08]

大藪氏 改めまして、日本自立生活センターの大藪光俊と言います。では早速ですけども、質問のほう読ましていただきます。
 一つ目。「デュシェンヌ型は平滑筋も機能低下するので、常に全身管理が必要です。なので、在宅を希望しても『病状的に難しい。』とか、『無理。』とか言うドクターがいると聞きます。私は『そもそも地域にデュシェンヌ型患者の受け皿がない。』と言い切られました。先生にお聞きします。デュシェンヌ型の患者は死亡退院するしか選択肢がないのでしょうか? また、在宅で生存し続けるためには何が必要でしょうか? 医学的観点からお聞きしたいです。」
 次、二つ目いきます。「病棟だと、準夜、深夜は、患者40人に対して、看護師の人数が4人と限られています。ナースコールも頻繁になるので、なかなか来てもらえない時もあり、深夜帯の朝は排泄介助、食事介助で忙しくて、必要な介助を受けられないのが今の現状です。地域で、自立生活をしている人には1対1でヘルパーが付いています。何で、こんなにも差があるのでしょうか。看護師の人数を増やせないでしょうか?」
 三つ目。「新潟病院は患者何人に対して、日勤、準夜、深夜看護師は何人ですか? 新潟病院は地域生活に理解はありますか? 長期入院患者で、家族に負担をかけずに地域移行したい人はどれくらいおられますか? 今までで、印象深い地域移行のケースを言える範囲で教えていただけますか? これは地域移行は無理だろうと思うケースもありましたか? またあるなら、なぜそのように思いましたか?」
ということです。はい。それではまたマイクを戻します。

立岩氏 はい、ありがとうございました。特に(3)は、新潟病院についての質問になっていますので、答えやすいところから、どちらからでもお答えいただきたいと思います。

[00:45:25]
中島氏 じゃ私から。まず1番ですけど、もちろん可能です。在宅は可能です。全然問題ない。ただし医療的ケアのスタッフをどう確保するかということと、もう一つはやっぱり、ちょっとした体調不良とか、重篤な体調不良、肺炎だとか心不全の悪化の時に、また再入院して、またそれ調整したらまた在宅するという、行ったり来たりする病院が絶対に必要です。そうすれば在宅は可能じゃないかな、と思ってます。どっかのタイミングで具合が悪くなった時にどうするか、っていう、先程言ったセーフティネットです。
 じゃ、3番にいきますね。新潟病院は地域のリソースが少ないんですね。だから医療的ケアをやってくれるようなヘルパーの人はとても少ないですけど。一人は、多い人で、富山の患者さんを成功させました。一人で、家族はあまり関係なくできるっていうところです。さくら会も応援してくれました。もう一人はですね、医療的ケアがあまり要らない、肢帯型筋ジストロフィーの人が一人暮らしを新潟県の長岡でやってて、時々ヘルパーさん休ませるためにってことで、当院に入院してきてコミュニケーションしていくような人がいます。ですから、障害者自立支援法って名前が昔ありましたけど、まあ、それから私たちのデュシェンヌ筋ジストロフィーの在宅の人数のグラフお見せしたように、基本は在宅を支援しています。だけどセーフティネット、安全網として入院ができるようにしてるってことですから、3番はそんなふうに捉えていただきたいと思いますが。
 日勤、深夜、準夜の看護師数ですけれども、ちょっと僕、今日予習してこなかったんですが、国立病院機構の中では最高の配置をしているつもりですが。ただ、実はですね、看護師数はですね、今、国立病院機構は昔と比べて増やせるようになってはいるんです。昔は、国家公務員の定数管理があったので増やせなかったんですけども。で、毎年増やそうと思って交渉してるんですけど、病院だけじゃなくてNHO本部っていうのが管理してるので、病院長がいくらやってもうまくいかない時があって。それはでも、病院の機能評価に基づいて、またはその、どこまで達成したかによって、配分されてる部分もあります。というのはですね、やはりこの事業は市民社会の中で行っているので、「無駄なことをしてる。」とか「無駄使いをしている。」「無駄な経営をしている。」って言われて市民が運動すると、実は国立病院機構も潰されてしまうんです。その病棟も潰されてしまいます。ですからちゃんとした経営管理をしなくちゃいけないというところで、色んな第3者の色んな目で、定数管理をされてるっていうところがあるので、みなさんの運動は非常に重要です、ですから。私たちがいくら本部に上げてっても却下されるのは、そういうバランスを捉えてるからなんですね。
 ですが、もう一つ問題は、先ほどもちょっと申し上げましたけども、国立療養所時代から、すごい人員配置を増やしました。もう、うちの病院でも1.5倍から、すごい増やしています。でも、病状がそれ以上に悪くなっている患者さんがいます。
 新潟病院ではですね、過去、患者さんの自治会がありました。新病棟になった時に、自治会を解散すると言う...、自治会の【解散】(00:48:46)が言ったんですが、僕は思いとどまらせて、病棟単位で自治組織を作ってもらいました。それで毎年ですね、1回以上、患者さんの自治会の人と話し合いをしてますが、まさにこの問題が多いです。それから、準夜帯で、自分でパソコンとか色々ワープロとか、インターネットやったんだけど、それをもう1回なおして就寝に向かう時の作業とか、そういったことの要望がすごく多くてですね。まさにこれを、クオリティの改善のために日々頑張っている最中だと思います。同じ【疑問点だと思います】(00:49:24)。

立岩氏 梶さん、これは10月ってことで、まだ着任早々なので、なかなか現状把握できてない部分もあるかと思いますけれども、現状。それから大きな問題で難しいとは思うんですけども、今現在の資源というか…、で、できることっていうのと、もっと変えないとできないことと、両方あると思うんですけれども、今の中島さんの話で。そこも踏まえてちょっと、お話しいただけますでしょうか。[00:49:50]

梶氏 それは今一番国立病院機構とですね、大学の大きな文化の差を感じながら、変えようと、かなり変えようとしています。最初にちょっとお断りしておきたいのは、僕は宇多野病院に着任して一番最初に職員集めて、病院機構の本部が「訓示をしろ。」なんて言うから、「そんな偉そうなことできない。」と言って、ミニ・レクチャーをしたわけです。その時のテーマは、「目線の高さを同じにしよう。」ということを言いました。それは「職員同士もそうだし、医者と他の職種もそうだし、患者さんとまず目線の高さを同じにしましょう。」ということを言いました。
 もう一つ、少し違和感を感じたのは、今の医学にはエビデンス・ベイスト・メディスン(Evidence Based Medicine)って言って、科学的な根拠があったらその根拠にしたがって、クリニカルパスっていうのがあって、定食メニューみたいに「全部従え。それに従わなかったらダメだぞ。」っていうふうな教育をするわけです。私は前任地の徳島大学で、それとは真逆の教育をしてました。これ、河合隼雄さんが訳された『ナラティブ・ベイスト・メディスン(Narrative Based Medicine)』っていうの教材に使いまして、それに出てくる【ダックス・コワード】(00:51:02)さんっていう人、全身大火傷を負って奇跡的に助かったっていう人の話を常にしてます。その方は、石油の採掘の調査の途中で、自動車が爆発しちゃって、全身大火傷で、90%以上の皮膚が…、それでも奇跡的に助かった。しかし、助かってから、色んな不自由があるわけです。社会的な、身体的なスティグマがあって。で、実際に救助隊に救われる前に、"Please let me die"、「死なせてくれ。」ってふうなこと言ったんだけど、その患者の自己決定権が尊重されなかった。その「尊重されなかった自己決定権というのは、今でも悔やんでる。」っていうことを書いてるわけですね。ですから、患者さんの自己決定権というものが本当に一番最初に尊重されるべきもんだ、というふうに私は医学部の学生に教えてます。ところがやっぱり、「安全管理」という名のもとにですね、非常に、ちょっと行き過ぎたような、そういうこう、制限。患者さんにとって一番重要なのは「自由」だと思います。自由、精神的に。身体的にはもちろん自由でないのでありますが、精神的な自由ですね。自分が「外出したい」と思ったらできる。そしてまた、色んなその、イベント、宇多野病院、桜きれいですから、桜がきれいな時にせめて外出したい。それはもう医師...、医者とかスタッフが総出で行けば、できない患者はかなり少ないと思うんです。そういったことも含めて、まずはイベントとしてクリスマス年末コンサートっていうのをやって、みなさん、できるだけホールに出て来てもらって、生の演奏を楽しんでいただきたい、ということを企画しました。直接このご質問に答えるっていうことはしていないので申し訳ないんですが。
 この看護体制っていうのは、これは実際、うちはそうです。これは決まりのもとで動かざるを得ないという、そういう社会制度があるんですね。それを何とかできないか、ということで、ヘルパーを増やそうとした。ヘルパーを増やすっていうことはバカにならない。そしたら看護助手さんを増やそうとしたら、看護助手さんは患者さんに手を触れたらいけないっていう、何か法解釈があるらしい。「そんな法解釈はやめとこうじゃないか。患者さんに手を触れていい。」っていうふうなことを、院長として今言ってます。そういうふうに、もうフレキシブルに解釈して、私は処分されてもいいので(笑)。もうインターネットに中継されてたりして。

一同 (笑)

梶氏 とにかく、そういうその、制約をまず取り除いた上で、やはり患者さんの自己決定権、自由、そういうものが反映されるような病院運営にしたいというふうに考えています。
 すいません。立岩さん、お答えになってないかもわかりませんが。[00:54:04]

立岩氏 ありがとうございました。たぶん二つの話があって、一つは「安全管理」っていう理由で色んなことが制約されるっていう。これはまあ、一つの制約の理由なんですよね。それからもう一つ、端的に、人員がいない、人がいない、お金がないから制約せざるを得ない。二つあると思うんで。今日の、今のお話は、宇多野病院がこれから、これまでその安全管理の名のもとに不要な制約をしてきたと。その制約を減らすという方向に宇多野がこれから動くという決意、決意っていうか、決定の表明やったと、いうふうに受け取らせていただくことはできると。それは一点ですね。
 それはそれで非常に前進だと思いますけれども。それとともに、その、人の話なんだけれども、一つはね、「国立病院機構の例えば院長さんたちが、もう少し訴えるとか、そういうことはないんだろうか?」っていうのは、疑問も一つあるんですよ。もう一つは「同じ予算で、国立病院なんだから動いてるはずなんだけれども、随分その扱いが、境遇というか、に差がある。これは一体何だろう?」という素朴な疑問もあるわけです。つまり「同じ予算の範囲内でもっとできることはないだろうか?」っていう、その、お金の話でもやっぱり二つに分かれるんですよね。そこのあたりのことを伺いたいというのがあります。
 それからもう一つ、病院の方で今、人が揃えられないっていう状況を今梶さんおっしゃったんだけど、その通りだと思うんですけれども、それを例えば、JCILとかであるとか、あるいは兵庫であればメインストリーム協会であるとか、そうした外部のヘルパーたちが入って、生活を補助する、援助するっていうことについてどうお考えなのかと。それについてどちらからでもお話をいただきたいと思います。

梶氏 すいません、先にお答えさせていただきます。全く立岩さんのおっしゃるとおりで。今まで私、実は宇多野病院の非常勤で30何年前に勤めたことがあるんです。それで「大変だ。」ということで、私が呼ばれたわけですけども。その時はボランティアの方がたくさんいました。今ボランティア登録されてる人はほとんどいません。で、一応制度としてはあるんですよ。外部の方、入って来ていただいて全くウェルカムなんです。じゃあなぜそうなったかっていうと、ボランティアをやっていただいた方に対して我々がほんとに感謝するっていう、そういう意思表示を表す場もなくて。そりゃ、ボランティアやってるの、ほんとにその人が自分の生きがいを感じてもらえるかっていうことは、かなり「?(はてな)」になってると思います。だから、そういうシステムをもう1回再考してですね、外部からどんどん入っていただけると、いうふうなシステムにしたいなと考えています。[00:56:41]

中島氏 じゃボランティアのほうから言いますとですね、ほんとにボランティア養成講座をしたり、ボランティア感謝の集いをやったりして盛り上げようとしています。あとは定期的な院内コンサートとか、非常に著名な音楽家を招いてですね、そうするとボランティアの人が支援しながら病棟から降りてくるみたいなことを作ろうとしてますね。
 それでですね、もう一つ先ほどの「安全管理」のほうで、悪いスパイラルにはまるのはですね、安全管理ばかりしていて患者さんを見ない職員が出てくることなんですよ。安全管理っていうのは、自分が処罰されない、処罰されるかもしれないから安全管理する、っていうふうになっちゃうと困るわけです。我々どうしてるかと言ったら、安全管理っていう名のもとで安全管理をするんじゃなくて、ケアの質を上げることによって安全管理が守られるっていうふうに、辻褄合わせようとしています。例えば患者さんに笑顔で接してケアの質が上がってくると、ちょっと何かおかしいことあったら、すぐ患者さんから教えてもらえると。でもギスギスした環境だと、患者さんは最後まで言わない。そうすると、すぐ事故が起こってしまう。だから「どちらがいいか?」って決まってます。ほんと笑顔で接して、十分に情報が患者さんから来た方が、安全になるに決まってますね。だから安全管理のやり方を、僕らは変える。ギアを変えようとしています。
 それから先ほどの、「筋ジストロフィーで院長は何やってんだ?」っていうことですけども、当然、筋ジストロフィーの院長協議会があって、たぶん梶先生もそのメンバーになってて、来年から入ると思いますが、そこでもやっぱり色んな陳情とか色んな情報交換をしています。本当に頑張ってます。国立病院機構でも、非常に変なボスが居て仕切っているようなところじゃなくて、ちゃんとした議事録があり、公開されているものもいっぱいありますから、ちゃんとしたステップバイステップで解決しようとしています。だからちゃんと協議会があったり、委員会があったり、学会があったりしてるってことです。
 あと「同じ制度、同じ国立病院機構なのに差があるのはどうしてか?」っていうのは、ちょっと僕は、意見が全然違います。標準化、均てん化の話はありますけれども、じゃあ、院長の意味がなくなります。僕はこれを工夫して頑張ってる。同じ制度、同じ予算の中で、「こんなふうに工夫すれば、こんなふうにできますよ。」ってことを証明するのが私の仕事ですから、差をつけるということです。で、差をつけて、それが正しければ、そこにみんな向かえばいい、ってことで。で、ヴァリアンス(variance)がある、差があるってことはすごくいいことで、「個性」なわけです。個性で、その個性がいいと思ったらそちらへ向かえばいいわけだから、みんなが最初から同じで、同じことしかしなければ、その時代を乗り越えられなくなってしまいます。ということで、でも、いいものがあれば、みんなそれに繋がっていきます。そのためにはやっぱり壁を下ろし、交流を増やし、研修会や、また場合によっては夜の懇親会も増やしていくとかいうことをしながら、一歩一歩広げていくほかないなと思います。お互いの情報交換。[00:59:33]

立岩氏 個性がそれぞれにある、っていうのがいいことだってのは、おっしゃるとおりだと思うんですけれども、先ほど紹介いただいたのは、新潟病院レベルのケアっていう、看護も含めてですね、医療も含めた、っていうのは、まあそれこそ同じ予算ベースの元なんだから、基本的にはできるはずだ、っていうことは動かないわけですね?

中島氏 ええ、できるものはいっぱいあると思います。ただ、じゃあ新潟病院がまずそういうこと言った時に、「うちは逆にこんなことが逆にできてるぞ。」っていう病院もあるかもしれません。だから情報交換しながら、お互いにいいとこを取り合いながら、一番いいところに持って行こう、っていうのが重要だと思います。

立岩氏 ボランティアに関してはお二人とも歓迎だっていうことで、それは全くそのとおりだと思うんですけれども。例えばその、ここ、JCILであるとか、メインストリーム協会のような民間のその、NPOですよね、それが、その福祉、障害者福祉の制度のもとで介助者を病院にこう派遣すると。あるいは外出の時なんかにも使うってことに関しても、ボランティアと同じか、あるいは、ボランティアよりむしろ優秀な有能な人たちであるわけだから、それについては基本歓迎ということで受け取ってよろしいですよね?と。っていうのもですね、宇多野病院の中で、ここ数年の間に結構そういう介助者たちが、言葉はよくないかもしれませんけど、疎んじられる、っていうような場面、私はちょっと聞き及んでいる部分もあるんです。その点に関してはいかがですか?

梶氏 まあ、私10月から来てその話を聞いて、「色々、どういうことがあったんだろう?」っていう調査をしてます。実際に、根っこのところはやはり、患者さんと同じ目線で考えていない、ということで、そういうことが起こったんだろうと、今、解釈しています。要するに目線の高さが同じでなければですね、「医療者は患者さんに対して上から目線では絶対いかん」的な話を着任早々したわけですけれども。宇多野病院、これからどう変わるか。実はその、認められた制度のもとで、認められたことだけやってるのは不十分です。それ以上のことやりたいなと。そのためには何が必要かというと、やっぱり国立病院機構は一応独立採算の病院なんですね。と言いながら、宇多野病院、非常に経営的に厳しいということで、その真っ最中に私が院長になったわけなんですけども。何とか、きちんとした医療をしながら、もうみんなこう…、何か、要するに、治療のために、医療費のために医療をするような傾向にあるんですね。「赤字だ」っていうと。それではいかん。まともな医療をしながら、みなさんのお役に立ちながら、経営を改善する、というようなことで、実際に決められた以上のスタッフを揃えられる、っていうふうにもしたいし、みなさま方、NPO法人でいらっしゃるので、これはもう我々全くウェルカムです。お手伝いいただければ、というふうに思いますし、教えてください。[01:02:35]

立岩氏 ありがとうございました。時間の関係もあるので、(4)、(5)、(6)、(7)ってあたりを少し質問に移っていきたいと思います。これ、基本的には今、院長さんとして、あるいはもちろん医師としてでもありますけれども、見解をいただいたわけですけれども。結構その一人一人の入所者の主治医によって話が違うっていうか、対応が違うってことで、ずいぶん悩まれてるとか、困ってる人がいるってことで、(4)、セカンドオピニオンだとか、その辺の話はそれに関係すると思いますけども。大藪さん、お願いいたします。

大藪氏 はい、読ませていただきます。
 4番。「筋ジス病棟に長期入院している人でセカンドオピニオンを利用された方を見たことがありますか?」という質問です。
 続きまして5番。「筋ジス患者は、筋ジス病棟でしか長期療養できないのでしょうか? 病院や医師とうまくいかない場合、他の病院に転院することは可能でしょうか? またどのような条件が揃えば可能でしょうか?」
 続きまして6番。「主治医によるドクターストップというものは、どれほどの強制力があるものなのでしょうか? 例えば、毎日普通食を食べていたのに、誤嚥性肺炎の危険性があるからということで、急に鼻注での栄養摂取のみになってしまいました。食事制限がいつどのような状態になったら解除されるのかもわかりません。食事制限の解除を希望しても、医師がほとんど取り合ってくれません。患者はこうした場合、医師の指示に従うしかないのでしょうか?」という質問です。
 次に7番。「自立生活を望む入院当事者に対して、自立生活に消極的、否定的な主治医もたくさんおられます。患者は主治医を変えてもらうことはできないのでしょうか? また、その後の関係性も考慮して、対立をすることなく、主治医に考えを改めてもらうことはできないものでしょうか?」という質問です。
 よろしくお願いします。

立岩氏 はい、この(4)、(5)、(6)、(7)は、基本的には一人一人に主治医が付いてるんだけれども、なかなかそこがうまくいかないといった場合に他のチョイスというか、そうしたものっていうのがあって然るべきだけれども、それについてはどうお考えか、というよりは、どういう仕組みっていうのを今作ってるか、これから作れるか、っていうそういう質問だということで、お答えいただきたいと思います。[01:05:16]

梶氏 これは先ほど申し上げた患者さんの自己決定権っていうものを尊重というものが一番ベースにあると思いますね。「あなた危険だから、もう絶対口から物入れちゃダメよ。」という、そういう権限は本当は医者にないはずです。「こうなったらまあ、こういう危険があるけど、食べたい? どうしても食べたい。じゃあ一緒について食べさせてあげよう。」ということになるわけです。で、肺炎になったらそれも治療すればいい。ですからその、自己決定権というものを、もう少し大切にするような医療をしたい、というふうに思ってます。
 それと、自立生活を阻むっていうことはなくて、「自立生活をサポートするためにどうしたらいいか?」という視点を変えていきたいと思います。例えばその、自立なさってる方であったとしても、時々ちょっとこう、「もう大変。疲れた。」っていう場合は、入院を短期間やっていただくという、そういうシステムを作りたいっていうふうに思っています。
 そしてもう一人、「主治医変えてくれ。」と。これはもう絶対可能にしたいと思います。そういう事例が実際、僕はもう、実際に見ましたので。何をしてるかというと、普通、院長回診はしないんですね、うちの病院は。院長回診を全病棟の中で、その筋ジス病棟から始めました。まだ一人一人のその、ナラティブが非常に大きくて、半分ぐらいしか回診できてませんけれども。実際にその患者さんと、第2の主治医である院長が【対話を】(対応? 01:06:49)することによって、そういう必要があれば、私の権限で対処していこうと思っています。

中島氏 筋ジストロフィーとか、そういう病気ってのは、ほんとにドクターが少ないんですね、専門の。で、じゃ、院長的な存在って何やればいいかって言ったら、患者さんがセカンドオピニオンを聞く前にですね、そのドクターが、【このドクターが】(01:07:16)困ってたら助言をすること。このドクターに「あの病院の何々先生がよくこの問題をよく知ってるから聞いてごらん。」とか。だからそういったことをしていくことがまず必要です。患者さんにセカンドオピニオンに走ってもらう前にですね。それで何とかレベルアップしていく。それでその時に、やはりあの、筋ジストロフィーはですね、昔、厚生労働省が研究班を三つ四つ作ってたんですね。ケアの質を高めるための研究班があったのに、それが非常に縮小されて、今細々としか繋がってないのを、そこをもう一度やらないとまずいな、っていうふうなことで、ぜひそれもみなさんのほうから言ってください。僕は口酸っぱくいつも言ってるんですけども。それで、とにかくこの領域におけるドクターや医療従事者の研修とか…、本当は「研究」になるんですけど、ケアの研究が必要なんですね。それで何のための研究か、って言ったら、患者さんの主観的な満足度、主観的に「よくなった」っていう感覚をよくするための研究が不足しています。だからそれをやってかなくちゃいけない、と思います。で、主治医を変える問題っていうのは、とっても本当に、そのようにやりたいんですけど、一番の大きなネガティブな現象が起きるとしたら、医師も燃え尽きて、いなくなってしまう。誰も筋ジス診てくれる医者がいなくなってしまう、っていうことがある。去っていく、ってことになって。そこが今一番大きな問題になっているので、そこを何とかしなくちゃいけないので、今日のような、またこういう研究会、とても重要だなと思って。ここでもっと医師も、もっと参加してもらえればなと思います。[01:08:50]

立岩氏 はい、ありがとうございました。最後、8番、***(01:08:53)、そこの大きな話だと思いますけれども。

大藪氏 はい、それでは最後の質問です。「どうしたら、病院からの地域移行を進めることができると思いますか? 病院側の課題と地域側の課題について、思っていることを教えてください。」

立岩氏 これ、まとめみたいな質問で、もうすでに色々な話をいただいたと思います。特に、もう話した話はそれとして、加えて何かお話しできることっていうか、今お思いになっていること、そうしたことがありましたら、どちらか、どちらでもお願いしたいんですけど、いかがですか?

中島氏 さっきちょっと言い忘れたことで、病院間だって転院することは可能か、っていうのは、国立病院機構の中だったら、例えば新潟病院と箱根病院とか、新潟病院と何とか病院とか、結構転院しています。だからそういったことも可能ですし、とってもそのうまくいったところから在宅移行する、っていうのも可能かな、と思います。

立岩氏 はい、ありがとうございました。今日、実は中島さんは、仕事がいっぱいある人で、2時の新幹線に乗らなきゃいけないんで、それまでしかいられないって聞いてます。梶さんはもう少しいてくださるのかな、というふうに思ってます。

中島氏 2時半まで【一緒に、】(01:10:08) 一つ遅らせましたので。

立岩氏 だそうです。大変ありがたいですけれども。とは言え、午後の部は報告が続きますので。そうですね。これから宇多野病院とは、僕らこういう形で、今日来ていただいて色々話していただいてますし、近いところにもあります。で、そうですね。このセッションのまとめはあとでしますけれども、新潟病院の中島さんに、特に今聞いときたいっていうのがフロアの中にあったら、お伺いしますけども何かありますか? 特にはない? いいですか? ある? はい。[01:11:08]

参加者 あの、人間ってあの、絶対いつか死ぬのに、何で安全管理が必要なんですか?

中島氏 もう1回ちょっと最初のとこ。

参加者 人間って結局、最終的に死ぬのに、何で安全管理が必要なんですか?

代弁者(介助者?) 「人間って最終的には死ぬのに、なぜ安全管理が必要なんですか?」と。

中島氏 じゃあ僕と梶先生で、一つずつ。私の意見は、よりよく生きる、満足して生きる、満足してその時を生きるために、安全管理はあったほうがいいと思ってます。だから、「安全管理のための安全管理」は要らないです、と思ってます。

梶氏 そこはさっきお話にでたように、医療者側の保身と言ったらちょっと言い過ぎかもわからないですけれども、自分の責任になりたくないというふうな面があったことは否めない。ですから、何度も言ってますけども、患者さんの自己決定権が一番上に来ると思います。私もいつ死ぬかわからない。私も実は持病を持ってるんですね。ですから、私は…、ま、外に見えるか見えないかだけの差であって、いつかはみんな死ぬ。じゃ今、この1日をいかによく生きるか、っていうことが本当に重要なことなんだと。がんで、1ヶ月しか余命がないって言われた人でも、明日という日は必ず来るんですね。そういう…、答になってるかどうかわからないですけど、立岩先生。「先生」って…、

立岩氏 今日は言っちゃいけないことになってる。

会場 (笑)

梶氏 すいません。

立岩氏 ありがとうございます。35分までと言われているので、もうほぼ時間です。今日特に、ここは関西で、京都で、大阪、兵庫っていうあたりの人たちだと思います。特に京都です。その京都の病院について重要な発言・確認がなされたと思います。
 今日お話をいただいたのは、安全管理が、そのものは要らないと思ってる人は誰もいないわけです。ただ、そういったものを理由にされて、様々な制約があると、いうことは現実にあると。それに対して、その制約というものを取り払っていく、軽減していくということを一つ、一点確認されたというか、言っていただいたと思います。
 それから、様々差があり、個性がある、それは結構だけれども、そこの中でよりよくやれているところっていうのは、現にある。僕は新潟病院に行ったことはないので、どこまで信じていいかわかりませんけども、たぶん比べればいいんだと思います。で、そういったところに今の同じ予算の規模の中で、改善し、近づけていくと。そこの中で、その個性というものを発揮していくという、そういう動きってものは必要であると。そういう形で病院長が、組織は組織で、病院長は病院長で動いてるけれども、それをバックアップするような形で、その民間のレベルのその、主張といいますか要求といいますか、そういうものを院長さんたちも期待しているということ、これは二つ目にあったと思います。
 それから、その実際にそういうふうに言ってくれても、「うちの主治医が」っていうお話があって、それに関しては基本的には自分の生活のスタイルってものを決めるのは本人であるから、主治医がそれに対してしかじか言うことっていうのは本来はダメだと、それ自体が。ダメだったということの確認の上で、しかし、それがそこのところでうまくいかないというような、二人の関係がうまくいかないってことがあれば、それは宇多野であれば、院長としてその組み合わせを変えると。簡単に言えば、その主治医を変えるということも、十分に、これからやってくという。そういう決定でもあり、決意でもあると思いますけれど、そういう方向が午前の部で示されたと、私は思いました。
 これでよいですか、35分。35分をちょっと過ぎましたけれども、今日、午前の部のセッションこれで終わりにしたいと思います。どうもお二方ありがとうございました。

会場 (拍手) [01:15:28]

司会 みなさんありがとうございました。以上で第1部が終了となります。ここからお昼休憩に入ります。第2部は13時半からになりますので、またお集まりいただけたらなと思います。よろしくお願いします。
 なおシンポジウム後のクリスマスパーティーについてなんですけれども、クリスマスパーティーの申し込みをされた方は、事前に受付をこのパーティー用の受付にてお支払いをお願いします。おかげさまで定員に達したため、新たな申し込みは締め切りました。当日申し込みはありません。申し訳ありませんが、ご了承ください。

■■第2部

【3下02】筋ジスシンポ20181224-2_155分
※聞き取れなかったところは、***(hh:mm:ss)、
 聞き取りが怪しいところは、【 】(hh:mm:ss) としています。

 
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■高橋雅之氏
 用意した原稿

司会 …自立支援のほうに関わっておられます、では高橋雅之さん、よろしくお願いします。

高橋氏 みなさん、こんにちは。私の話を始める前に一つ、断っておきたいことがあります。私は今こうして普通に声が出ていますが、気管切開の影響で、時々急に声が出なくなってしまうことがあります。呼吸には特に問題ないのですが、もし今日私の話の途中で声が出なくなってしまう時は、隣の介助者に代わって、代わりに原稿読んでもらうことになると思う…、ご了承ください。では始めたいと思います。

 私の名前は高橋雅之といいます。和歌山県出身の56歳です。現在は兵庫県の西宮市というところで、24時間介助者を使いながら一人暮らしをしています。
 私の障害は筋ジストロフィーのベッカー型というものです。12年前から24時間人工呼吸器をつけています。今は障害が重度化して、口から食事ができなくなって、胃ろうからの栄養補給になっています。普段は地域の訪問医に定期的に往診してもらい、またその訪問医に筋ジストロフィーの専門である国立病院機構刀根山病院と市内の別の医療機関を連携してもらっています。そのため検査のデータを近くの医療機関で測定し、距離の遠い刀根山病院に送ってもらうことで、3ヶ月に1度のペースで刀根山病院に行くことができています。緊急時は訪問医の判断で救急車で刀根山病院に搬送してもらうように、介助者の方(かた)に周知しています。さらに24時間対応の市内の訪問看護センターの訪問看護と訪問リハビリも毎週利用しています。このような医療体制が整ってるため、私は地域での自立生活を送ることができています。[00:04:17]
 これから少し、私の昔の話をしたいと思います。小さい頃は周りの子どもたちと同じように走り回って遊んでいました。しかし小学校に入学した頃からよく転ぶようになり、大学病院に1ヶ月ほど検査入院した結果、筋ジストロフィーと診断され、二十歳までしか生きられないと宣告を受けました。現在は医療の急速な進歩があり、この年まで生きることができています。中学校を卒業してからは、在宅生活を続けていましたが、父や母が亡くなった後、平成11年11月1日に障害者の施設に入所しました。入所から11年過ぎた頃、突然「他の施設を探してください。」と施設から言われました。当然納得できることではなく、色々な手を尽くしましたが、残念ながら状況を覆すことができず、友だちとの別れを惜しみながら、悔しい思いを抱き、平成23年4月6日に施設を卒業していきました。そしてその日に、私は国立病院機構徳島病院の筋ジス病棟に入院しました。当時は筋ジストロフィーが重度になると、国立病院機構の筋ジス病棟に移って亡くなっていくのが運命付けられていました。
[00:07:34]
 しかし、その国立病院機構徳島病院での生活はとても悲惨なもので、気管切開をしている人は電動車いすに乗せない、お風呂は週1回だけという信じがたいものでした。食事も施設の時は普通食の刻みを誤嚥もなく食べられていましたが、徳島病院では飲み込み検査もせず、医師の判断でミキサー食に変更されてしまいました。犯罪者でもないのに、どうしてこんな生活をしなければならないのか。私はこんなところでこのまま終わるのは嫌だと思い、故郷の和歌山での自立を目指しましたが、しかし和歌山市内では介助者がおらず断念せざるを得ませんでした。
 このままでは一生自立できない。そう考えていた時、NHKの障害者情報番組でメインストリーム協会を知り、ここなら自立できると考えた私は、徳島病院のケースワーカーに相談して、メインストリーム協会から一番近い距離にある国立病院機構刀根山病院に平成25年3月7日に転院することになりました。刀根山病院での生活は徳島病院での生活と比べて、お風呂週2回、病棟内での車いす移動は1日3時間。指導員さんの付き添いで、売店への買い物など、格段に良い生活になりました。ただ目的はあくまでも自立することだったので、入院中にメインストリーム協会の同じ筋ジストロフィーの当事者の方に来てもらい、自立に関する相談など経て平成26年8月18日に西宮市で自立しました。[00:11:44]
 ここから、自立してからのことを話したいと思います。自立して良かったことは、なにより自分なりの生活ができることです。外出や旅行など自分で計画を立てて、好きな時に好きな場所に行けます。私は鉄道が好きなので、電車に乗って景色を見るのが一番の楽しみです。カラオケや外食なども行き、施設や病院ではできなかった人間らしい生活を楽しんでいます。自立してから、旅行は4回行きましたが、中でも大分県の湯布院に飛行機を使って行った時、介助者二人に協力してもらってリフトのついた温泉に入浴できたことが一番の思い出です。
 「自立生活は楽しい」ということを伝えていきたい。このような活動をしたいと思い、私は今メインストリーム協会にいます。人工呼吸器というものに対して、病院のICUとか、生命維持とか、悪いイメージを持ってる方も多いと思います。けれども私は、目の悪い人は眼鏡、耳の不自由な方は補聴器と同じような感覚で、呼吸が困難な人は人工呼吸器を使う、このように考えています。[00:14:51]
 これから自立を考えている方へ、自立は自己決定です。社会の中で自由に過ごせる分、自分の、自分の…、あ、ごめんなさい、…自分の意思と責任を持たないといけません。なので当事者の話やILPなどを通じて大切なことを学んでいただきたいです。強い意志を持っていただければ、必ず実現できます。
 筋ジス病棟に入院中の方へ伝えたいことがあります。病状も関係あると思いますが、健常者も自立していくのに、障害があるだけで自立できないのはおかしいと思います。筋ジス病棟で一生終わるのはもったいないと思います。だから頑張って自立を目指していただきたいと思います。これが僕の願いです。
 最後まで話を聞いていただき、ありがとうございました。ご静聴ありがとうございました。

 
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■古込和宏氏

会場 (拍手) 司会 はい、高橋雅之さん、ありがとうございました。 [00:17:34] 司会 続いて、石川県金沢市より古込和宏さんです。今日、古込さんは金沢からこちらへ来ていただく予定だったのですが、体調を考慮して、音声通話での出演です。古込さんは金沢の医王病院から昨年2017年に地域移行された方です。では古込和宏さん、よろしくお願いします。少し設定しますのでお待ちください。

川口氏 こんにちは。古込さん。

古込氏 聞こえますか?

川口氏 はい、聞こえます。

古込氏 はい。

川口氏 それではどうしましょう? あ、やりとり? じゃ、じゃ。

司会 古込さんと深く地域移行支援に関わって来られた、川口有美子さんもご紹介したいと思います。川口有美子さんは、橋本操さんという代表でALS当事者の方と、東京にあるNPO法人さくら会で20年来のNPOをされています。ALSの方を中心に人工呼吸器や経管栄養などの医療的ケアを必要とする人の家族の普通の暮らしを応援されており、家族介護に頼らない在宅人工呼吸療法を追求されています。では古込さんと川口さん、お願いします。

川口氏 川口です。よろしくお願いします。今日は、大変すばらしいお話を聞かせていただいて、大変有意義だなと思っておりますが、今日は古込さん、ほんとだったらここに来てるはずだったんですけどちょっと体調があんまり良くないということで、ご本人のもちろん決断もあるんですけど、私もちょっと、あんまり無理しても良くないんじゃないかということで、こういう形になりました。で、古込さんが文章をまとめてくださって、これはご本人が読んでくださることになってるので、じゃあ古込さんお願いします。
[00:20:29]

古込氏 それでは原稿を読ませて...、読まさせていただきます。
 原稿:「地域移行2017年秋於金沢」(題はとりあえず立岩が)

 私は輪島市に生まれ、5歳の時に筋ジストロフィー・デュシェンヌ型と診断され、地元の輪島の小学校に入学し1年間だけ通い、8歳まで輪島で過ごしました。私の障害を手探りの中で受け止めてくれた、当時の担任には感謝しかありません。
 母親からある日突然、病気を治すのに金沢の病院に入ることになると言われ、大泣きした記憶があり、入院して家族と離ればなれになるのは、子どもの私にとっては衝撃で、私はただ入院生活で頑張れば、すぐに家に帰れるものだと思い、決心して入院したのが、1980年12月1日の大雪の日でした。
 やがて歩行困難になっていくことと当時の時代背景を考えれば、私が義務教育を受け続けるためには入院しながら、病院と棟続きになっている養護学校に通うしか選択肢がなかったのです。
 筋ジス病棟では年下の子から成人した患者まで45人程度が同じ病棟内で療養生活を送り、同年代の子どもらが兄弟のように過ごしました。その中で、自分が将来にどのような道をたどるか見えていました。子どもの時から闘病の果て無言で帰宅する友を、何度も数えきれないほど見送ってきて、私は二十歳ぐらいまでしか生きられないとわかったのです。[00:24:20]
 長く重苦しい入院生活で一番良かったことは、囲碁という一生の友を得たことでした。退屈で仕方なく暇を持て余していた私は、軽い気持ちで養護学校の先生に囲碁を教えてもらい、やがて学生の大会などに連れて行ってもらうようになり、病院から出られる貴重な機会も得られ、いつも病院にいながらも心の眼はいつも外を向いていたのですが、ついにそこから一度も自分の将来の姿が見えたことはありませんでした。
 高等部を卒業し、病状の進行で人工呼吸器をつけ、ベッドで過ごす時間も長くなりましたが、ケアの進歩と人工呼吸器の普及で、二十歳前後までしか生きられないと言われていたデュシェンヌ型筋ジス患者の生命予後も改善されましたが、高等部卒業後の人生はとても長く感じ、気が付いた時には30代になっていて、これ以上入院生活を続けることに意味を見出せず、かといって病院から出て生活している自分を想像しても、実現のためにどう行動を起こせばよいかわからずにいました。家に帰りたいと言えば家族の生活が立ち行かなくなるのはわかっていたので、絶対言葉にしてはいけないことだと思っていました。 [00:27:57]  そんな私の人生に転機が訪れたのは、2012年4月26日の40歳の誕生日で、その日、虫垂炎と腸捻転を併発した私は、他の病院に救急搬送され全身麻酔で手術を受けることになり、死ぬ覚悟で手術室へ入っていったわけですが、10日間ほど眠り続けている間に一度心停止に陥り、目を覚ました時、声を失ったこと...、声を失ったことを思い出しました。
 私は伝達手段を失くしたことで、生活のあらゆる場面で困りごとが増え、毎日両親を頼るメールを入れているうちに、いずれ家族を頼れなくなる日が来ることを想像し、今後の生活と人生について真剣に考え始めたのでした。
 親が高齢になるにつれて、面会に来る時の長距離移動も辛くなり、無理までして来なくていいと...、来なくていいと言ったこともありますが、親の立場からすると、少しでも我が子と過ごす時間を取りたいと思うし、「来なくていい」という言葉は両親には強烈で、理解に苦しんだかもしれません。ただ私としては、いつか来る親との別離は避けられないので、「自立しなければ」という方向へと考えていくのでした。[00:31:05]  長期にわたる入院ともなれば、そこにある自分が持つ人間関係は、病院職員か家族だけという患者が多く、私の場合、両親が唯一の頼れる存在なので、両親には自分に必要な手続きや金銭管理は任せていたので、自分が利用している医療サービスの内容も知らなければ、自分名義の口座の残高も把握していませんでした。
 2013年12月20日、少しでも自分のことを把握しなければと思い、両親が面会に来た時、自分は退院して一人暮らしをして自立したいので、自分のお金の管理状況を聞いたところ、怒り出し、その場を去ったのでした。
 生活が苦しいのは知っていたので、聞かれる両親も心苦しく、辛いこともわかっていました。
 時系列は前後するのですが、2013年の2月あたりに、退院して地域で暮らしたい希望があることを病院のワーカーに相談したところ、「地域で生活するための重度患者の受け皿がない。」と言われ、自立以外の方法も考え、2年近く模索しましたが、結論としては「地域に受け皿がない」という言葉を疑ってみることにしました。地元で協力者を得て地域移行のため情報収集をしていたものの、地元では地域移行に関する好材料がなく、さくら会の川口さんに相談をした時、まず広域協会を紹介してもらい連絡を取り合うようになってから弁護団も結成され、本格的に地域移行が動き出しました。遠隔地支援だけじゃなくて、これはあとで述べますが、地元の機動力がある支援者となる人材も、同じぐらい重要だと痛感しました。[00:35:32]
 私が地域移行を進める上で大きな障壁になったものは二つあり、一つ目は医療的な問題と家族の問題なのですが、退院の希望を伝えて以来、両親とは疎遠になり、自分の..、.自分の起こしている行動が死ぬ前に唯一できる親孝行だと信じ、互いに距離を置き自立すること、今後互いの時間を大事にすることが重要なことだと考えました。地域移行に反対している両親に手紙を送り、地域移行への理解を求めましたが、手紙の返事はもらえずじまいで、両親と話し合えることはありませんでした。
 ***(00:37:28)、病院で身動きが取れないため、私の代わりに動いてくれる方は川口さんの紹介から繋がった方々で、その方たちで構成される地域移行を支援する会の第1回会合を医王病院の一室を借り、開き、私は会に「地域で暮らすためにみんなで考える会」と名付けました。
 人の繋がりで、私は地域移行できました。
 私が身動き取れない理由としては、外出や外泊の実績がないため、まずは地域移行するための外出や外泊のトレーニングの必要がありました。そのためには看護師の人材を自分で確保しなければなりません。「退院後での生活ではヘルパーと過ごす時間の方が多いのに、なぜ看護師?」と思われた方が多いかもしれませんが、病院では家族以外との外出や外泊では、看護師を同伴しなければ…、指導があり、自発呼吸がなく人工呼吸器による管理が必要な…、デュシェンヌ型の患者を、安全に送り出し無事帰さなければ...、無事帰さなければという責任は、***(00:40:48)、***(00:40:53)、

[00:40:55]
川口氏 古込さん、何か苦しそうだから、後は私が読もうか?

古込氏 読んで、読んで。

川口氏 (笑)じゃあ読んでって言うので、じゃあ私が読みますね。何か息切れになりそうで心配になってきた。そしたら私が読みますね。どこまでいったんだっけ。

 「自発呼吸がなく、人工呼吸器による管理が必要なデュシェンヌ型の患者を安全に送り出し、無事帰さなければという責任は、送り出す側の病院にとっても重い負担である事実を無視できません。一方で、地域移行する側としては、自費で看護師の確保を求められるのなら、経済的負担が大きく、例え本人が地域移行を希望してもできないという状況が今後出てくるでしょう。望まない死亡退院を選択せざるを得ないような状況は、共生社会の実現を目指す流れに逆行するもので、医療依存度の高い患者は介護保障だけでは地域移行進めるのは難しく、医療側が地域移行を積極的にサポートできる制度の裏づけがなければ、スピード感を持って進めるのは不可能であり、進行性の難病患者にとっては深刻です。実際地域移行の最終段階に来て私は体調を悪化させ、点滴から強心剤を入れる治療を受けている時は、「はたして本当に退院できるのだろうか?」と思いました。[00:42:35]
 退院できたのは2017年10月17日で、手術を終え、「このまま入院生活を続けていたら人生に行き詰まる。このまま病院で人生を終えたくない。」と思い始めてから5年近く経ち、地域移行にはかなりの時間とエネルギーを要しました。
 退院直後から約2ヶ月間は金沢市内の重度訪問介護事業所にお世話になりました。私はヘルパーを全て自選ヘルパーにするつもりでしたので、求人を出す作業や求人を見て面接の応募をした人への対応、そして行政との交渉など、慣れないことが一度に押し寄せてきたので、3ヶ月ほどはかなり精神的な疲れを感じました。介護経験のない人に自分の介助方法など教えられるものかと退院前には不安に思いましたが、何とかなるものです。
 ヘルパーへのレクチャーで一番力を入れたのは、緊急事態を想定してのアンビューバッグの練習でした。実際自宅で人工呼吸器が停止した時は練習通りにヘルパーはやってくれ、私の命は救われました。退院前に言われていた「病院の方が安全」という言葉もありましたが、精神的ハードルが私の中でかなり下がりました。
 「病院にいればお金の心配は要らない。」とも言われました。しかし地域で生活してみて、経済的にも自立して生活していけることがわかりました。確かに病院では何の心配もなく生きていくことができます。ただ生きている実感がなかった。地域での生活は大変な部分もありますが、生きている実感を得られ、大変なことよりも楽しいことの方が多いです。
 以前私は病棟の業務の流れに沿って、病室の白い壁や天井に囲まれ、人工呼吸器の呼吸音やアラームだけが聞こえる空間で一人静かな時間を過ごしていました。今はアパートの一室という生活感あふれる場で、自分だけの時間を楽しんだり、時には人が訪ねてきて共に楽しい時間を過ごしたりしています。近所に買い物に出かけたり、囲碁大会に参加したりと人生を楽しんでいます。[00:45:04]
 37年近くの長期入院で、人生の軸足を医療だけに置いて生きてきましたが、今は自分のペースで無理なく生活し、程よく力を抜き生きることができていますが、社会復帰を果たすまで約3年もの月日がかかりました。その間(かん)に、重度の障害を抱える私にとっては病状がさらに進行してしまったのは、地域移行をさらに難しくし、私にとっては痛手でした。ただ病状が進んでしまっても何とかなるもので、退院し地域に出て1年経ちますが、在宅医療で解決できない問題は、以前長期療養していた病院で治療を受け、入退院を繰り返していますが、あらゆる資源を活用し、医療中心だった私の人生は、生活の場にも軸足を置くことに成功し、今はより豊かで平穏な毎日を送っています。  私は小学校1年生の時だけ地元の小学校に通っていたのですが、病院に入院したと同時に同級生とは離ればなれになってしまい、それ以来交流が途絶えていたのですが、約37年ぶりに幼稚園と1年生の時に一緒にいた幼なじみと再会した時は、積もる話ばかりで何から話してよいか分からない自分がいて、それと同時に社会から隔てられた場所にいた年月の長さを感じました。
 嬉しい再会もありましたが、叶わぬ再会もありました。小学1年生の時の担任の先生は、私の障害を受け入れてくれたおかげで、短い間でしたが1年間だけ私は地元の小学校でたくさんの思い出を作ることができ、そんなこともあり、私は退院する前から必ず帰省し、先生に会いお礼を言おうと決めていました。しかし地域生活2度目の退院後の1週間後に先生は亡くなりました。高齢だったから仕方がないと言えばそれまでですが、私の体調も良く帰省の準備を考えていた矢先だったので、本当に悔やまれます。悲しい別れもありましたが、新しい出会いにも胸が膨らみます。[00:47:26]
 同じ障害を持つ当事者として言えることがあるとしたら、施設や病院に入所、もしくは入院している方、あるいは家族介護を受けてる方で、今の生活に疑問や閉塞感を感じるなら、ぜひ勇気を持って自立の一歩を踏み出してください。必ず未来は開けます。自分の人生の中でやりたいことがあるなら、なりたい自分がいるなら、それが叶うように行動を起こしてください。進行性の難病を持つなら時間との戦いになるので、自分の生き方に疑問に感じるなら、迷うことはあるにしても行動し続けないと好機を逃すことになります。私は自立に関して両親から反対されたまま、一切の応援も受けられず疎遠になってしまいましたが、いずれにせよ親子の別離は避けられないので、もっと早く地域で自立するべきであったと、あとになり思いました。障害を持つ人とその家族は互いの行く末を考えてしまうと思いますが、やがて家族で支えるのもいずれ限界の時期が来ます。そう思うと自立は互いのためになるので、早い時期に行動を起こした方が良いと私は思います。
 障害を持つ人の家族の中には、「障害者の最後に行き着く場は施設や病院しかなく、そこに入れば安全で、そこでしか生きていけない。」と思う方もいるでしょう。もし施設や病院か施設に入るとなれば、障害を持つ人は、これまでの自由が保障されるのか不安に思うでしょう。もし障害を持つ人が施設や病院ではなく地域での自立を目指しても、家族の方には温かく見守りその思いを応援してあげてください。地域で自立するなら早い方がいいですが、施設や病院に入ってしまい、そこに長年いたとしても自立は無理とか難しいということはありません。色んな失敗をしたとしても、人は失敗から学ぶのです。  もう一度述べますが、施設や病院での生活に疑問や閉塞感を感じ、自分の生き方に疑問を感じるなら行動を起こし、迷いながらも行動し続けてください。施設や病院は職員の方には、「ここで生活していればお金の苦労はしない。」とか、「地域で生存するのは難しい。」などといった発言で結論付けるのではなく、「自立したい」という本人の気持ちに寄り添って欲しいものです。」
 以上です。古込くん、聞こえてますか? 何か補足あれば。[00:50:06]

古込氏 そうですね。今、私は1日2回、午前と夕方に訪問看護のお世話になっていて、医療管理をしてもらっています。病院から出ても医療の面では何の心配もないし、体調がすごく悪くなった時には、前にいた病院にお世話になっているので、ほんとに何の心配もないと私は思います。なので病院から出るのが怖いとかそういうことは一切ないので、もし自立してみたいという、思う方がいるなら、【まず】(00:51:16)一歩を踏み出してみてください。はい、それだけです。

川口氏 そしたら川口の方から少し、話(はなし)してもいいですか?

古込氏 どうぞ。

川口氏 「どうぞ」ということなので、古込さんは、かっこいい話しかしてないので、ちょっと裏の話をさせていただきたいと思います(笑)。
 今の古込さんの意見はイケイケなんですけれど、ここまで地域医療の仲間を集め、それから、その病院の人たちと、ね、最初本当に反対しかなくて。病院の中でも完全に孤立し、相談する人は最初は私しかいないっていう状況の中で、よくここまで来たな、と思って、川口も感無量です。で、簡単に古込さんは、今の状況を「大変恵まれてる」というふうにおっしゃられましたけれど、ここまで作り上げてきたのは、もう、ひとえにご本人の努力の賜物です。これは、私のできることとしては、金沢に何人かの知り合いがいたので、その人たちに古込くんの状況を伝えて、「味方になってあげてほしい」というふうに言っただけで、そこからあとは古込くんが自分でメールをしてですね、その人たちを一人一人こう、味方にしていったということをして。それで応援団を組織して、その人たちに古込くんは、また一人一人にしてほしいことを具体、個別、具体的に頼んで動いてもらったということをしていました。[00:53:00]
 最初に戻ると、何で私と古込さんはこう知り合ったかっていうと、フェイスブックなんです。で、私は「重度の障害を持ってる人たちが地域で普通に暮らせるようになったらどんなに楽しいだろう。」という個人的な、何て言うか理想があって、こういう活動をずっとしてるんですけど、その中で、石川県、富山県、それから滋賀県、この3つの県で24時間介護保障がないと。つまり、誰一人、自立…、何だ、一人暮らしができないっていうか、自立した…、で生活してる障害者がいないし、家族介護っていうことになれば、ほとんどその時間数が出ないという、応援してもらえないっていうことを知ったので、ずっと、何かこう、フェイスブックで、自立したい人材がいないかっていうのを、目を皿のようにして探してたんですね(笑)。そしたら、古込さんが、何かすごいこう、病院のことをはっきり悪口書きまくってるっていう(笑)。で、ね、読むと、ちょっとそのすごいとんがってる人だなっていうのもあって、そのメッセンジャーで、どういう人なのかなっていうのを聞いたら、非常にこう、文章が上手というか、知的な会話ができる方だったので、「この人だったらもしかしたらこううまく病院から出て、しかも24時間介護保障ということで、獲得していけるんじゃないかな。」と。
 石川県だし、24時間介護保障がない地域でもあり、また私が子どもの幼少の時に金沢で3年間過ごしてるっていうのもありまして、私にとっても第2の故郷、金沢だったので、金沢でそういう運動をしてほしいということがあって二人で相談を始めた、ということがありました。
 その時に、ALS協会石川県支部あるんですけど、そちらにも古込さんの支援を頼んだところですね、すごく叱られまして、「そういう余計なことをしたらいかん。」と。その古込さんのご家族は、古込さんの年金をあてにして生活しているから、古込さんが病院から退院するとご両親が困ることになる、っていうことを言われたんですね。私は「それは何かちょっと違うんじゃないか」と思って、「それ搾取じゃないか」と思ったんですね、子どもの年金で親が生活するなんて。それはすごい不思議だったので、その、古込さんが入院してる病院のソーシャルワーカーの人たちに、「こんなことを家族が言ってる。」と言ったら、「違うんだ」「そうだ」って言うわけです。病院も(苦笑)、病院も「退院させられない」と。「退院すると家族がすごい大変だから」。その、「ええ?!」と思ったりね。それ、ということは、何か「筋ジス病棟ってどういう役割をしてるんだろう?」と思ったんですね。健常者である両親のために、患者、重度の障害者が病院にずっと入ってて、しかも出ると家族が生活していけなくなるというのは本末転倒というかありえない話で。それで、もう私は何か怒り心頭になっちゃって(笑)、「絶対にこれは古込さんに成功してもらわないとやばい。」と思って、本気で二人で悪だくみを始めたというか、そういう企みを始めたわけですね。そういうことがありました。[00:56:25]
 実際に、やっぱりその支援団体って色んな団体がありますけれども、色んな考え方をする人がいます、ほんとに。「地域でこうやって一緒に暮らしていくことが楽しい。」って思う私みたいなのもいれば、その、「いや、病院に入ってれば、みんなに迷惑をかけないで、しかも安全で命を保障されるから、病院に入った方がいいんだろう。」っていう、そういう支援者もいるし。ほんと支援っていうのは180度違うわけ。どういう考え方をするかっていうことが。そのALS協会のなかでも、ほんとに全然考え方違う人たちがいるわけですね。
 で、そういうことしながら、古込さんとほとんど毎日、朝起きて「古込さん、おはよう。」って言って、で、日中もずっと相談してたよね。相談して、夜も寝る、寝るまでずっと相談してて、毎日何時間もずーっと相談して、っていう、そういう日々がずーっと続いてたのを何か今、思い出しました。最初はほんとにそうやって孤立して二人で言ってた話が、だんだん、だんだん色んな支援者が集まってきて、そのうち私はそんなにずっと古込さんの話を聞かなくてもいいようになって、だんだん離れていって今に至るんですけども。本当にこういう形で、その、何て言うんですか、古込さんの体験をみなさんにシェアできるようになったってすばらしいことだと思います。
 で、一つは、こういう形でシンポジウムに参加できるのであれば、もう自宅でアパートで、こういうふうにどんどんスカイプで、色んなところで自分の発表したらいいと思うんですね。もちろん本体が来るのが一番インパクトあるのかもしれないけど、別に、でも、来なくても十分みんなに気持ちは伝わってるはずです。こういう形で移動しなくても自分の意見を言う、それから本当に行きたいところには本体が行く、っていうことだと思います。今回ちょっと、ほんと「リスクがあるからやめといた方がいいんじゃないの。」って話し合いしたんですけど、古込さんが今一番行きたいのはどこですか? ちょっとこれ聞いて、終わりにしたいと思いますけど。 [00:58:29]

古込氏 えっと、来年金沢で世界中から囲碁ファンが集まってくるイベントがあるんですよね。それに参加したいです。

川口氏 いつ?

古込氏 来年、はい。囲碁のイベントが、世界的な何かイベントがあるので、

川口氏 それいつですか?

古込氏 来年の7月。

川口氏 4月?

古込氏 7月。

川口氏 7月?

古込氏 はい。

川口氏 じゃそれまで生きてないとあかん。

会場 (笑)

古込氏 はい。

川口氏 リアルなんですよ、ほんとにね。だから無理をしないように、そういう囲碁の大会にじゃあ出るんだったら応援に行かないといけないな、と今、川口は思ってますね、7月に。行ける人は一緒に応援に行きましょう。そういうのがやっぱり一番ね、やっぱりいいんじゃないかな、と思うんですよね。やっぱり限られた体力なので、温存して、さっき先生方もおっしゃられたけど、やっぱり筋ジスって無理すると、なかなかこう、体力、ね、消耗すると戻らない病気みたいだから、温存して、自分の好きなこといっぱいやってください。

古込氏 はい。その、ありがとうございます。

川口氏 はい、こんな感じです。

 
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植田健夫

会場 (拍手) 司会 古込和宏さん、川口有美子さんありがとうございました。では、第2部、最後になります。京都市より、植田健夫さんです。 [01:00:13]

 発表全文

[01:32:38] 司会 以上で第2部を終了します。高橋さん、古込さん、川口さん、植田さんありがとうございました。

会場 (拍手)

司会 ここで少し休憩をとります。次の第3部は15時15分からでお願いします。

(休憩)

■■第3部[01:43:23]

司会 すみません。第3部を始めたいと思うので、ご着席ください。では第3部を始めます。まずは入院患者の思いをリアルタイムで、みなさんに届けたいと思います。筋ジス病棟に長期入院中の3名の方と今、この会場がテレビ電話で繋がっています。
 ではお一人ずつお話を聞いていきます。

 
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■斉藤実氏

まずお一人目、斉藤実さんです。斉藤実さんは石川県金沢市にある医王病院からです。では、斉藤さん、早速ですがお話を聞きたいと思います。斉藤さん、こんにちは。聞こえてますか?

斉藤氏 こんにちは。

司会 こんにちは。斉藤さんは今、どちらの病院にいらっしゃいますか?

斉藤氏 金沢の医王病院です。30年間ここで入院しています。

司会 30年間ここで、入院されてるそうです。では、病院での生活はどうですか?

斉藤氏 夜中にナースコールしても、なかなか来てもらえず、体位変換してもらえない。しんどいです。夜中に体が痛くて泣いてしまったこともあります...、ありました。

司会 「夜中にナースコールを押してもなかなか来てもらえずに、体位交換してもらえなくてしんどいです。夜中に体が痛くて泣いてしまったこともありました。」ということです。それは辛いですよね。どうしてすぐに来てもらえないと思っていますか?

斉藤氏 人がいなくなります。40人の患者を4人のスタッフでみます。担当です。だから大変なんだと思います。

司会 「人がいなくなります。」

斉藤氏 と思います。大変なんだと思います。

[01:46:45]
司会 ちょっと斉藤さん、お待ちくださいね。「人がいなくなります。40人の患者を4人の、4人のスタッフが担当です。だから大変なんだと思います。」ということですね。斉藤さん、このことは色んな人から色んな場所から聞いています。何とかしてもらいたいですよね。

斉藤氏 はい。

司会 ところで斉藤さんは、

斉藤氏 地域で、

司会 地域で暮らしてみたいと思っているでしょうか。
斉藤氏 介助者に、体位変換してもらいたいです。 司会 はい。「地域で介助者に体位交換してもらいたいです。」ということです。では、もし地域で暮らすなら、したいことはありますか? 斉藤氏 友だちの家に遊びに行き、パーティーを開いて楽しみたいです。外出や買い物に行きたいです。京都、大阪、神戸、東京、旅行したいです。温泉に行って、美味しいものを食べてみたいです。全国から色んな障害者が集まる研修会でお話ししながら、たくさんの人と交流を深めたいです。経管栄養ですが、おせち料理、ケーキ食べたいです。

会場 (笑)

斉藤氏 食べたいです。はい。

司会 斉藤さん、復唱しますね。「友だちの家に遊びに行き、パーティーを開いて楽しみたいです。外出や買い物に行きたいです。京都、大阪、神戸、東京、旅行したいです。温泉に行って、美味しいもの食べてみたいです。全国から色んな障害者が集まる研修会で、お話ししながらたくさんの人と交流を深めたいです。経管栄養ですが、おせち料理、ケーキ食べたいです。」斉藤さん、ぜひ実現させてくださいね。

斉藤氏 はい。

司会 ありがとうございました。

斉藤氏 ありがとうございました。

会場 (拍手)

司会 斉藤実さん。そして今日そちらで介助に行ってるのは、JCILから段原さんでした。ありがとうございました。

会場 (拍手) [01:50:03]

 
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■藤田紘康氏
司会 はい。では次にいきたいと思います。
 お二人目。次は京都市にある宇多野病院から、藤田紘康さんです。ちょっとお待ちくださいね、携帯が…。
 藤田さんは36歳で、3歳の頃に小学5年2学期11歳から、高校3年卒業まで、宇多野病院隣にある、併設された旧京都市立鳴滝養護学校へ通い、卒業後は在宅でヘルパーを利用しながら生活を送り、地元の作業所に週5日通われていました。23歳の時に誤嚥性肺炎を起こして、地元の病院へ緊急入院。7月中旬に気管切開し、9月上旬に宇多野病院へ転院されました。それ以降36歳の現在まで、11年間も宇多野病院で生活されています。では、藤田さん、よろしくお願いします。 (色んな音声が混じっている)
[01:52:36] 藤田氏 みなさん初めまして。みなさん初めまして…、

(音声トラブル?)[01:54:18]

藤田氏 今、岡山さんからご紹介に…、藤田紘康です。
 病院に入院していて、悩みごととか、困ったことが多くあります。
 現実的な話として、今一番困っていることは、病棟のスタッフが少ないということです。病院のスタッフが少ないということです。
 現在は、数年前とは違い、色々なことが制限されるようになりました。
 全てのこと、全ての話をすると長くなりますので、僕の場合の例えで、一つだけ、[02:00:03]

司会 すみません。藤田さん、ちょっと、藤田さーん、藤田さーん、ちょっと、待っていただいて。えっとね、ちょっと時間が、

藤田氏 一つだけ言います。

司会 すいません、藤田さん聞こえてますか? 村田さんと。ちょっとすみません、時間が押してまして、村田さん、介助者にちょっと代読を、このあとの分をしていただいてもいいでしょうか?

藤田氏 わかりました。

司会 はい、すみません。じゃあお願いします。

司会 村田くん代読の原稿もらってますか? 原稿持ってる? [02:02:06]

代読者 代読さしてもらいます。「1982年7月18日生まれ、36歳です。小学校5年生から高校卒業まで、宇多野病院附属の鳴滝の養護学校へ通い、18歳から地元の作業所に6から7年近く通所しながら、在宅で家族で暮らしていました。18歳から地元の…、あー、ごめんなさい、24歳の時に体調を崩し地元の病院に1ヶ月緊急入院し、9月に宇多野病院に転院しました。
 どんな感じで病院で生活をしているか、何となくでいいからわかってほしいです。パソコンを使って今日のニュースや出来事を調べたり、ユーチューブで...、ユーチューブやフェイスブックなどSNSをしたりしています。でも、パソコンするにしてもセッティングを誰かに手伝ってもらわねばなりません。今、筋ジス病棟は人手不足で、なかなかしてほしいことが思うようにしてもらえないことが多く困っています。パソコンをセットしてもらうだけで時間かかります。」以上です。

司会 はい、ありがとうございました。藤田さん、すいません、こちらのちょっと技術の問題で、代読になってしまって。はい。では藤田さんここまでですかね。介助者、藤田さんのほうの介助者はJCILから村田さんでした。一緒に写っていただけますか?
 村田さん、一緒に画面の方に入っていただけますか? …聞こえない?
 すいません、じゃあすいません、これでありがとうございました。

会場 (拍手)

 
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■野P時貞氏
司会 では続いて、3人目は藤田さんと同じく京都市にある宇多野病院から野P時貞さんです。では野Pさん、よろしくお願いします。 [02:04:28] 野P氏 はい。みなさん初めまして。私は野P時貞です。生まれつき脊髄損傷を患っています。手足が不自由なため、口を使ってパソコンや携帯、ゲームや折り紙などをしています。
 僕が宇多野病院で入院生活を始めたのは小学1年の時でした。今で、入院生活16年目ぐらいになります。数年前までは、今より割と病院でも自由に生活できていました。学生時代は病院の隣に併設されている鳴滝総合支援学校で学んでいたのですが、毎日ベッドから車いすに乗り換えて、院内を移動して学校まで通っていました。病院の廊下で、同じ病棟に入院している人と会った時に、色々と話をするのが楽しかったです。
 また鳴滝を卒業してから、友だちと一緒に運営しているボランティアサークル朝顔のボランティアさんと一緒にイオンモールへ買い物に行ったり、ボランティアサークル朝顔のボランティアさんと一緒に琵琶湖のミシンガンクルーズに行ったり、大阪のUSJに行ったり、色んなところへ外出していました。外出をして楽しいことをすることで僕の気分転換にもなっていました。[02:06:28]
 しかし、数年前からは、外出はおろか、ベッドから車いすに移乗して院内を移動することさえできていません。病院での生活は他にも、こちらに不利なことが多いのは事実です。好きな時に好きなことができない。起床や就寝など色んなことに時間が決まっている。お風呂でも「傷がついたらあかんから」と石鹸を軽くつけて流すだけなど。
 そして今一番困っているのは、先ほど親友である大藪くんも質問していた通り、今年の秋から口からごはんを食べることを制限されていることです。それまで普通食、毎日食べていたのに、誤嚥性肺炎の危険性があるからということで、急に鼻注での栄養摂取のみとなってしまいました。もともと食べることが好きだったので、今はごはんどころか、おやつやジュースも口にしてはいけないと言われていることがとても辛いです。それまで普通に食べていたのに。せめて軽く好きなものを食べるだけでもいいから早く食事制限を解除...、解除してほしいです。そういったこともあり、現在JCILのみなさんのお力を借りながら、一人暮らしを考えています。 [02:08:28]  さて現在ですが、印刷物のデザインを学びながら、福祉工房P&Pというところで契約を結びデザイナーとして働いています。院内でもどうにか働きたいという思いに、全力で役所や病院に掛け合ってくださり感謝しかない事業所です。
 これからは自分のことは自分で決めて、自分が進みたい道を突き進んでいきたいなと思っています。僕の座右の銘、「人間に不可能はない」を心に、夢を実現するために頑張ります。
 以上です。ありがとうございました。

会場 (拍手) 司会 野P時貞さん。そしてJCILから介助者の高橋さん、一緒に画面に出ていただけますか。

会場 (笑)

司会 はい、介助者の手です。はい、ありがとうございました。
 入院患者の方との中継はここまでです。金沢から医王病院の斉藤さん、京都宇多野病院の藤田さんと野Pさん、ありがとうございました。もう一度大きな拍手をお願いします。

 
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■立岩真也氏

会場 (拍手) 司会 はい、次は研究者の立場から、立命館大学先端総合学術研究科教授の立岩真也さんにご講演いただきます。立岩さん、よろしくお願いします。[02:10:08]

立岩氏 →「長い停滞を脱する」

会場 (拍手)

 
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■藤山勝也氏
 報告資料

司会 立岩さんありがとうございました。続きまして、支援者からの報告として、メインストリーム協会より藤山勝也さん、日本自立生活センターより大藪光俊さんからお話しいただきます。まずは兵庫県西宮市にある、メインストリーム 協会の藤原勝也さんよろしくお願いします。[02:19:38]

藤原氏 はい。みなさん初めまして。メインストリーム協会の藤原勝也です。今日は僕からはメインストリーム協会が、今まで筋ジス病棟から自立のサポートをどんなふうにやってきてたかを紹介したいと思います。先ほど当事者からの発表でありました、高橋雅之さんのケースのことをお話ししたいと思います。その上で、実際にサポートしながら、筋ジス病棟に対して僕の思ったことをちょっと喋りたいと思っております。
 たぶん今日の資料の中にあると思うんです。「筋ジス病棟からの自立のサポート」っていう資料があるんですけども。
 まず高橋雅之さんは、どんな思いで自立したかっていうのを先ほど聞いてもらったと思うんですけども、一番最初に相談あったのが、2013年の7月30日でした。色々とその間あるんですけども、高橋さんが自立したのが2015年の8月だったので、丸2年かかりました。
 【これやってみてわかった】(02:20:53)のは、まずは、病棟...、大阪の刀根山病院なんですけども、非常に介助者を使って生活するとか、地域移行するっていうことに協力的でした。例えば介助者に対するたん吸引とか色々な緊急対応とかの研修も、刀根山病院の看護師のみなさんがやってくれましたし、呼吸器会社の研修も受けることができました。それを経て初めて、介助者を使って、その、外出ってことになりました。だけど最初はやっぱり病院から制限付けられまして、「公共交通機関は病気とかになったらあかんから、使わないでください。」と言われました。そこから間(あいだ)あいて、地域移行支援の本人中心計画というものを作成できました。何でこんなに間があいたかっていったら、これは病院の特徴かもしれないですけども、冬の寒い時期ってなかなか外出許可が出ないんですね。ちょっとあったかくなったということで、3月の末になったということもあります。
[02:22:26]
 一人暮らしするためには自立生活プログラムというのがありまして、それによってその、介助者への仕事の頼み方であるとか、緊急時とかに自分がどういうような対応をすることが大事だとかいう、***(02:22:44)とか安全管理とか色々あったんですけども、つまり自立生活する以上は、それ、施設や周りが勝手に決めるんじゃなくて、やっぱり本人がどんなふうにしたいかってことを考えながら、安全のところに関してもやっぱり自己決定だと僕らは思っています。そこの過程で、例えばナイトトレーニングとかいうのがあって、介助者が病院内の宿泊施設で高橋さんと一緒に宿泊をして、夜ちゃんと対応できるかということを試すそうです。
 そういうことを経て、とりあえずメインストリーム協会の担当の者と病院のケースワーカーとの間で揉めることとか、そういう紆余曲折あったりもしたんですけども、何とか、***(02:23:40)で一人暮らしに移行できたことは良かったかなと思います。これは大阪の、まあ、***(02:23:48)具体名出すのはどうかっていうのありますが、これは刀根山病院の事例でした。
 ほんで筋ジス病棟からの自立サポートっていうのは、この高橋さんが初のケースじゃなくて。今から10年以上前に関しては、兵庫県にある、まあ某病院としときましょう、そこの筋ジス病棟に対するその自立の支援が初めてでした。その頃というのは、地域移行支援とかさまざまな制度が全くない時代で、どういうサポートしたかといったら、まずは入院してる本人さんが「自立生活したい。」ということをメールとかでメインストリーム協会に伝えてくれました。その上で、どうしていくかってことを話し合って、***(02:24:41)したんですけれども、その某病院は、筋ジス病棟の中でも結構、僕の中では全国の中でも屈指の閉鎖的な病院だなと思うんですが、【失礼】(02:24:53)ですけども、なかなか、地域移行に対する理解が全くないんです。それ、その本人さんの中でどうしたかっていったら、病院には黙ってこっそりとメインストリームと本人さんとメールでやり取りしました。それで、それと本人が、地域【で支援してくれる】(02:25:12)病院探したりとか。その人のすごいのは、西宮市内の往診やってる病院に、全部の病院に手紙書きはったんです。「地域で生きたいからサポートしてください。」って。そこで、その手紙を読んだ一人の先生が「サポートする。」っていうことをおっしゃって。で、その先生【に支援】***(02:25:38)集めてもらったりしながら、用意をしていきました。[02:25:45]
 例えば宿泊体験の時にどうしたかといいますと、例えば家族との外泊を認めると言ってたから、家族が「ちょっと外泊に連れていきます。」っていうことを言っといて、実はそれはそのまま実家に帰るんじゃなくて、そう言いながら、家族がメインストリーム協会まで連れてくるんです。そこで、メインストリームの体験室入って、そこで自立体験しました。これはそのあと家族が連れて帰るっていう形ですね。この場合のケースはやっぱり、家族さんも「本人がやりたい生活をさせてあげたい。」っていうことを強く思ってはったからやな、というふうに思っております。で、出る時っていうのは、出る直前になって、「退院しますわ。」って病院に言いつけて、それでそのまま退院させて、メインストリームまで連れてきた、っていうことを今でも覚えています。
 同じようなケースが2件ぐらい続きましたね。秘密裏にやって、最後に「出ます」ゆうて言い切って出る、っていう。二つ事例を、病院の事例を言いましたが、やはり地域移行もっと進めようと思ったら、本人さんの【力頼み】(02:27:06)っていう形では、本人さんや家族の協力ありきであれば、誰でもできる状況ってできないと思うんですよね。さらに支援して思ったのは、まず病院側が地域移行をサポートするっていう、つまり意識を変えることも大事です。先ほど、外部からの介助者さんが入って来やすくするとか、ていう環境を整えることが大事かなと思うし、「やっぱりあんなん無理や。」とか、そういう言い方をするような病院のスタッフがいるのも問題やから、やはり梶先生がおっしゃられたように、自己決定とかっていうのを尊重できる体制っていうのが大事かな、と僕は思っております。[02:27:59]
 こうやって医療のサポートが変わることももちろん大切ですけども、やっぱりメインストリームが一番大事にしてるのは、まず一人暮らしを始める本人さんの意識ですね。やっぱり一人暮らししてどんなことを、どんな生活やりたいかとか、どんな人生送りたいかっていうのをちゃんと確認するようにします。だから自分のやりたいことやったら全力で頑張れると思うんですよね、やっぱり。やっぱり医療的ケアが必要で一人暮らしするってことは、かなり危険なこともたくさんあると思います。それはやっぱり本人さんがちゃんと自覚を持ってること、自己決定とかっていうのを理解してることって大事だから、そこはちゃんと確認するように僕らはしています。そこに***(02:28:50)方々に関しては、支援していく***(02:28:52)ってやってるんですけれども、手がかかる人はかかりますね。やり方だけど。ただ、繰り返しになりますが、まあ、病院...、別に病院自体の組織を変えろは言いません。でもせめて理解してほしいです。だからそれを妨害するようなこと、「***(02:29:20)したら危険やから無理や。」とか、そういうことを言ったりするとか、そんなん言われたら、長いこと入ってる人は、自分のやりたいこと言えないと思うんですよね。そりゃやっぱり本人がやりたいと思うことを口に出せるとか、気持ちをうまく聞けるっていうような体制をまず作っていただきたいなと僕は思っております。それにより、もうちょっと地域移行は進むかなってことは...、いうように僕は感じております。
 以上、メインストリーム協会の事例を紹介しました。ありがとうございます。

会場 (拍手)

 
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■大藪光俊氏

[02:29:59]
司会 藤原勝也さん、ありがとうございました。続きまして、京都市にあります日本自立生活センターの大藪光俊さんよろしくお願いします。

大藪氏 はい。みなさん初めまして。先ほども少しお話をさせてもらいましたけども、ただいまご紹介にあずかりました日本自立生活センター、JCILの当事者メンバーとして活動させていただいています大藪光俊と申します。今日はこれまでに医療者というお立場からのお話、また研究者というお立場からのお話、地域移行をした当事者の方々からのお話と続いてまいりましたが、私からはJCILのメンバーと共に宇多野病院の筋ジス病棟に入院されている方の地域移行支援に関わらせていただく中で感じてきたことについて、お話をさせていただきたいと思います。
 そもそもJCILは1980年代半ばに設立されたのですが、アテンダントといって有償の介助者派遣であるとか、ハンディキャブの利用、夏の研修キャンプへの参加などを通して、80年代、90年代より宇多野病院筋ジス病棟の入院患者の方々と交流があったというふうに聞いています。宇多野病院に通院している、在宅の筋ジストロフィーの方の支援も行っていました。また宇多野病院内の鳴滝養護学校の生徒の将来を考え、家族以外の人からの支援を受けるきっかけになればと、アテンダントを利用しての外出支援なども行いました。そうして、卒業後JCILのスタッフとなったメンバーもいます。アテンダントを定期的に利用されていた方も何人かおられた時代もありました。2006年には24時間介護が必要な方への地域移行にも関わっています。その後、少し関わりが薄れた時期もあり、そして、今です。現在の宇多野病院筋ジス病棟の地域以降支援に本格的に関わり出したのは、ちょうど1年前の昨年12月からです。それ以来、最低月に1回はJCILメンバーで宇多野病院を訪問し、先ほど出てこられました、植田さん、藤田さん、野Pさんの相談に乗ってきました。
[02:32:40]  で、私個人のことになるんですけども、私がJCILのメンバーに加わったのもちょうど1年前頃だったのですが、私自身、宇多野病院の隣に併設されている鳴滝総合支援学校、旧の鳴滝養護学校に小学校から高校まで通っていたということもあり、宇多野病院筋ジス病棟のことはよく知っていたので、私も地域移行支援のメンバーに加わらせていただきました。
 私が地域移行支援に関わりたいと思った最大のきっかけは、先ほどスカイプで登場してくれた野Pくんの存在です。野Pくんとは鳴滝の小学部以来の親友であり、彼が「病院を退院して一人暮らしをしたい。」という夢を持っていることは前々から知っていたのですが、何か私も力になりたいと思いながらも何もできていなかったところにJCILでの地域移行支援のお話が舞い込んできました。
 また、先ほどスカイプでお話をされた藤田さんは、以前JCILのアテンダントを利用して外出などをしておられ、「もう一度再び外出できるようになりたい。」と当初は思っておられたのですが、毎月お会いしてお話をする中で、「外出だけではなく、一人暮らしを目指す。」っていうことを決心されました。
 先ほど一人暮らしを実現された植田さんがおっしゃっておられたように、植田さんはわずか7ヶ月という退院期間で地域移行を実現されました。それは植田さんご本人の思いと周囲の方々の色んな思いが一つになった結果だと思います。本当にすばらしく、嬉しいことでした。
 しかし一方で、地域移行支援に実際に関わらせていただく中で、どうすればいいか明確な答も見えず、難しいなあと感じることがたくさんあることも事実です。例えば病院の先生は、患者さん本人の体調や健康面のこと、また安全を考慮してさまざまな制限、例えば外出の制限などの措置を講じられます。もちろんそれは患者さんの安全、命というものを最優先に考えた上での措置であるということは私たちも理解をしているつもりです。ただ、場合によっては、その安全対策が厳しいがゆえに、患者さん本人の意思や希望が実現されなかったり、あるいはその方の自由というそのものが、ないがしろにされてしまっているという場合もあるのではないでしょうか。[02:35:33]
 また、病院に長く入院されている方にとっては、病院は医療ケアを受けるための場所であると同時に、日々の生活を送る暮らしの場でもあります。人が豊かな人生を送るためには、周囲の人々と良好な人間関係を築いていくことが一つの重要な要素であると思うのですけれども、入院されている方にとっても、お医者さんや看護師さんといい関係を維持することで、入院生活を円満に送っておられる方も多いんじゃないかなあというふうに感じます。
 しかし一方で、「病院関係者の人たちと関係を悪くさせてしまっては、自分の居心地が悪くなってしまうんじゃないか。」また「病院に居づらくなってしまう。」という懸念から、お医者さんや看護師さんに自分の本当の思いを伝えずに、我慢して生活をされているという現状も中にはあるのかもしれません。
 人が人として生きる、それは色んなものが絡み合って、色んな人が絡み合って、色んな感情が絡み合って、とても複雑なものだと思います。その中で一番大切なこと、それはその人、一人一人の選択の自由というものが担保されているということではないでしょうか。選択というと将来を左右するような大きな選択みたいに大げさに聞こえるかもしれませんが、私たちは日々の生活の中で数え切れないほどの選択を繰り返しています。「今日の昼は何食べよっかな。」「お風呂入んのめんどくさいし、明日にしとこう。」とか、「次の休みは映画でも見に行こうかな。」とか、こういう全てが選択です。その選択の中には、安全、安定と引き換えにリスクを伴う選択もあります。だけど自分でよく考えた上で、リスクを犯してまでもやってみたいというのであれば、リスクのある道に進む、という選択をするのもその人の権利、誰にも奪われてはいけない権利であると思います。そこには「障害者だから」とか「健常者だから」とか、そういう差は存在せず、一度きりのせっかくの人生、何にもせずに後悔するくらいなら、ちょっと挑戦してみる方がいい、と私は思います。そして「挑戦してみよう」と思って動き始めると、それを支えてくれる人が必ず現れてくるはず。そういうふうにして、障害のある人もない人も、その人オリジナルの人生を紡ぎ出していくものではないでしょうか。[02:38:29]
 またここで、一つ大事なことは、自分でリスクのある道を選んだからといって、全て自分で何とかしないといけない、全てを一人で背負わないといけない、というわけではないということです。必要な支援を受けながら、協力してくれる人と一緒に頑張ればいいし、時には休みながらでも自分が主体となって、自分の理想とする生活へと着実に進んでいくことが大切だと思います。
 2006年に国連で採択され、2014年に我が国、日本においても批准された障害者権利条約の第19条には「全ての障害者が他の者と平等の選択の機会をもって地域社会で生活する平等の権利を有する」と明記されているように、どんなに障害が重くても、自らの意思で選択し地域社会で暮らすことは、障害者の権利です。また、今やそれは決して重度障害者にとって無茶で無謀なことではなく、24時間の公的介助や訪問看護を利用しながら普通に地域で暮らせる時代です。今後、今日本の筋ジス病棟に入院されているたくさんの方の中から一人でも多くの方が病院を退院して、地域で、自由で自分らしい新たな生活を始められることを私たちは心から願っています。そのためにもこれからは、患者さん本人、および地域移行支援者と病院関係の方々が対立をするのではなくて、ともに連携しあって、みんなで一緒に地域移行に向けたベストな方法を考えていきたいなあ、また考えていけるようになってほしいなあ、と切に思います。
 これからも私たちはできる限り、地域移行支援に精一杯取り組んでいきたいと思いますので、ぜひみなさまのご理解とご協力をいただければ幸いです。
 とりとめない話で申し訳ありませんが、これで私からの報告とさせていただきます。ご静聴ありがとうございました。

会場 (拍手)[02:40:43]

司会 はい。大藪光俊さんありがとうございました。これで支援者からの報告を終わります。ありがとうございました。支援者のお二人はそのまま壇上にお残りください。はい、続きまして、質疑応答の時間を設けたいと思うんですけれども、その前に一つメッセージが届いてますので、そちらをご紹介させていただきます。

 
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■質疑応答

司会 はい。今日みなさんにお伝えしたいということで、筋ジス当事者で、村松加奈子さんという方からメッセージをいただいています。時間の都合上、一部のご紹介になりますが代読します。
「私は今24時間の呼吸器になり、介助は全介助です。親やヘルパーさんや支援に関わってくれているみなさんに助けてもらいながら、在宅生活をしています。生きることって大変だけど、当事者しかわからない気持ちやし、人に伝えるって難しい。私も障害や病気に負けず当たり前の社会になってほしいので、頑張って伝えようと思います。頑張ります。延命は本当に難しいけど、命っていうのはそう簡単ではありません。一生懸命頑張って生きようとする姿をみなさんに理解してほしいと思っています。健常者も障害者も関係なく、普通に差別なく暮らしていきたいです。それが普通の社会になってほしいです。私は目標があって、一人暮らしができるように頑張っていきたいと思っています。」
 以上、村松加奈子さんからでした。ありがとうございました。

会場 (拍手) 司会 はい。それでは質疑応答の時間に入りたいと思います。今回質問に答えていただくのは、支援者として先ほどお話しいただいた藤原勝也さんと大藪光俊さん、そして研究者の立岩真也さんです。よろしくお願いします。
 はい、質問ある方どなたかいらっしゃいますかね? 

かじやま氏(質問者) はい。

司会 はい。かじやまさん、はい。[02:43:11]

かじやま氏(質問者) 立岩さんに聞きたいんですけど、国療の存在自体が人権侵害だと思うんですけど。国療の存在自体が人権侵害だと思うんですけど、

代弁者 「国療の存在自体が人権侵害だと思うんですけれども。」

かじやま氏(質問者) 医療者には人権意識がないんですか?

代弁者 「医療者の方には人権意識はないんですか?」

立岩氏 それを私に聞かれても困るんですけど。困りますが、国療の存在自体が人権侵害だ、とまでは私は言いません。ただ「国療を出たい」という、例えば「出たい」という希望があった時に、それを叶えないっていうのは明らかな人権侵害だっていうふうに思います。思いますっていうか、思わなくてもそうですよ、侵害ですよ。で、それに関わるその人権意識がないのかあるのかっていうのは正直わかりませんけれども、何か無知な感じはしますね。つまり、そういう権限というものをですよ、「人が住みたいところに住む」ということに関わる権限というものを、本来医療者なり何なりが持ってるはずはないわけです。それを持ってるかのように考えるんだとすれば、人権意識以前、何...、問題というよりは、問題でもありましょうけれども、何かしら根本的な無知というものがそこにあるんじゃないかっていうことは思いますね。というぐらいで、とりあえず。続きは色々ありますけれども、とりあえずそんなとこです。

かじやま氏(質問者) 立岩さんの本買ったんでサインください。

一同 (笑)

立岩氏 買っていただけるんであれば、何でもします。

かじやま氏(質問者) 予約して買いました。

立岩氏 ありがとうございます。

かじやま氏(質問者) はい。

司会 はい、ありがとうございます。続きまして、他に質問ございますかね?

質問者 教えていただきたいんですけれども、この前の植田さんの新聞の記事を読んだ時に、病院での訪問重度は利用できると書いてありましたけれども、この利用が進んでないっていうふうに書いてあったんですが、その進まない理由っていうものは何なんでしょうか? 病院がスタッフが少ないことはもうよくわかってるわけであって、そのことに対する苛立ちはみなさん持っておられますよね。それを補えば、不十分かも分かりませんけれども、重度の訪問を入れる***(02:46:10)なるんじゃないでしょうか?

小泉氏 聞こえないんで、マイクをお願いします。[02:46:15]

立岩氏 私が再唱してもいいですか? 小泉さんが「聞こえない」って言ってるんで。病院の...、が足りないっていうのはわかったと。その代わりに重度訪問ってのがあるはずだと。それの利用が進まないっていうのはどういうことなのかっていう、そういうご質問ですよね。

質問者 はい。

立岩氏 はい。JCIL、誰か答えてください。渡邉さん、マイク持ってるじゃないですか。

渡邉氏 病院が何で、重度訪問介護が進まないのか、病院の中での重度訪問介護が進んでないのか、ですよね? その理由は大藪くん…、どういうふうに制限されてるか、

大藪氏 何でそれが使えないかっていうか、使わないかというご質問かと思うんですけど。今、あれです、重度訪問介護、長期で入院する人が重度訪問介護使うには、外出をするということで重度訪問介護が使えるという制度に今なっているので、病院内で重度訪問介護を使って、看護師さんの代わりに身の回りの介助をするっていうことは、原則基本的にはそこは認められていないということが、その、問題の一つじゃないかな、問題になってるんじゃないかなあ、というふうに思います。なので、現に先ほどスカイプでご登場いただいた、藤田さんとか野Pくんに関しても、そういうところでまだ重度訪問介護が使えていないという、ま、外出できない、ドクターストップがかかっているからというところで、使えてないというのが大きいんじゃないかな、と思うんですが、どうでしょうか。

司会 はい。いかがでしょうか。

質問者 外出だけに限られてるんですか?

大藪氏 そうですね。今の重度訪問介護は、その外出介…、えっと、詳しくはあれなんですけれども、コミュニケーション支援ということでは、何かあれは、また重度訪問介護じゃない制度になるんですよね。

渡邉氏 入院中患者は使えない。

大藪氏 使えない。入院…、そう入院している方、長期入院している方がその、は、外出をする、ということで使…、 渡邉氏 ああそうか、使えるわ。使えるようになった。ごめんごめん。

大藪氏 使えるようになったか?

川口氏 補足…、

大藪氏 あっ、補足、補足お願いします。[02:48:53]

川口氏 この制度に関しては、10年間、日本ALS協会として毎年トップ項目で要請してきて、ようやく昨年実ったっていうか、平成30年から全国で使えるようになった制度。
 東京は実は2006年に団体交渉して、内緒で東京都の場合は重度障害者は病院入院中にヘルパーを付けてよかったんですね。全国的にできるようになったのは今年、30年度からです。
 それで、色々その、やっぱり病院の中のルールだとか、あと自治体のルールがなぜか色々言われて、病院の中で、「コミュニケーション支援のみに限定する」とか、それはほんと個別に変な規則がくっついちゃってるんですけど、一応厚労省として言ってるのは、「重度の知的障害の人もいい」ってことになってるので、原則は体触ってもいいんです、実は。で、ただしやっぱり吸引等そういう医療的なことは、病院なので病院のスタッフを呼んでください、っていうことです。で、この辺はやっぱり運用をみんなで良くしていくしかないだろう、ということです。
 で、一つ、古込くんが一旦退院しました。そうすると、今度退院すると、ヘルパーを伴って入院をしていいことになってるので、自宅でもヘルパーを使い、入院中も24時間ヘルパーがついてるっていうことになるので、一つは何か退院しちゃうのが一番いいかなって(笑)。退院すると病院の中でヘルパーさんを使いたい放題です、ということになってますね。なので、古込さんの場合はほんとにちょっとでも具合が悪いとすぐ入院する、というふうにして、病院をうまく使いこなしてます。さっきもご本人がそういうふうに「資源をフル活用できるようになった」っていうふうにおっしゃってましたけど、そういうことだったと思います。
 ずっと入院してると、そういう使い方はできません。外出する時だけで、外出先で、例えば「自宅に帰る」ってのはオッケーなんですけど、自宅の中でヘルパーを使うってことができないので、移動しか使えないのね。ちょっと変なんですね、それ。移動して、移動してっていうか、病院から一旦実家に行って、実家でお泊まりをして戻ってくる時には、実家の中で...、実家ではヘルパーは使えないんです。そこはやっぱりちょっと改善していかなきゃいけないだろうと。ただ外泊に関しては、移動、あ、そうか、移動してる間しか使えないんで、やっぱりホテルでは使えないことになっちゃうんですよね。うん。なので、まだ改善の余地がある制度だと思います。
 あと、そうですよね、長期入院者の場合と、コミュニケーション以外の重度訪問の使い方、両方説明しましたね。わかりました? 今の話で。[02:51:46]
司会 今ので大丈夫ですかね。

質問者 わかりました。***(02:51:50)な制度なんだということを確認しました。

司会 はい、ありがとうございます。

立岩氏 この辺の情報はちょっと整理して、こちらのウェブサイトに載せますので、それでご覧になっていただければと思います。そのうち、ですけど。いつとは確約できませんが、載せるつもりです。

司会 はい、ありがとうございます。それじゃ時間の都合上、あと一つ質問受け付けたいと思うんですけれども。あ、オレンジのジャンパー着てる人でしょうか。

質問者 すみません、講演会、貴重な講演会ありがとうございます。私も精神科の薬を飲んでるんですが、筋ジスの方は精神科の薬は飲まれてるんでしょうか? またどれぐらい、一日に飲まれるんでしょうか?

司会 はい、じゃあ藤原勝也さんに答えてもらいましょうか。はい、よろしくお願いします。

藤原氏 はい。筋ジスの人も…、筋ジスの人が飲んでる薬っていうのは、精神の薬っていうよりかは、筋ジスはだんだん心臓が悪くなっていくので、心臓の働きを楽にするっていう薬をだいたい20代から飲んでますね。僕はその薬を毎日飲んでます。で、筋ジスの人でも、精神的な疾患を抱えた場合は、その場合は心療内科とかに行って、精神科の薬をもらっている人もいます。長期入所されてるからといって、薬を飲まされたりしてるわけではありません。こんな答えでよかったでしょうか。

質問者 すみません、ありがとうございます。あと、何か私は眠れない時に睡眠薬がもらえるんですが、みなさんは眠れない時は睡眠薬は飲まれるんでしょうか?

立岩氏 答えていいですか? いい映画になったかどうかわかんないですけれども、「夜バナ」っていう『こんな夜更けにバナナかよ』っていう本がありますけど、そこの中に出てくる鹿野さんは、やっぱり何か死ぬのが怖くって、それで眠れなくなると。それで睡眠薬の一番強いのを飲んでようやく夜中に少し眠れるようになった…、なる、なってるっていう、不安神経症だっていう記述がその本の中にはあります。ご参考までに。これも参考かよくわからないですけど、はい。[02:54:47]

司会 わかりました。そしたら他に質問ある方いらっしゃいますかね。じゃあ最後、じゃあお願いしましょうか。

質問者 すみません、みなさん、生活費とかお金の問題はどうされているのかなあ、というのが素朴な疑問で、聞きたくなりました。

司会 藤原勝也さんからお願いします。

藤原氏 はい。生活費なんですけども、まずは障害者の基礎年金です。ちなみに筋ジストロフィーは重度の1級もらえます。それからあと、介助を使って生活している重度障害者には、特別障害者手当っていうのももらえます。でもそれだけやっても、なかなか生活しよう思ってもできないので、多くの方は生活保護の制度を使っています。これ、生活保護は地域によって金額が変わるんですけども、まあ基本的に生活はできます。生活保護でやると家賃の補助とか出るので、それからあと医療費も生活保護のほうから全部出るっていうのもあるので、そういう制度でまかないます。***(02:56:06)就労できる人であれば、在宅の仕事とかで、それで稼いではる方もおられます。社会保障制度はやっぱりなくてはなりません。そうそう、呼吸器のレンタル料金もこれ、医療費なんですよね。そういう生活保護の人の場合であれば呼吸器利用しても医療費はかかりません。以上です。
司会 はい、大丈夫ですかね。はい、ありがとうございます。まだまだご質問等あると思いますけれども、そろそろ終わりにさせていただきたいと思います。たくさんの質問ありがとうございました。壇上のみなさんもありがとうございました。

会場 (拍手)

司会 はい、それでは、続きまして、閉会の挨拶にさしてもらいます。閉会のご挨拶は今回のシンポジウム共催団体である、メインストリーム協会より藤原勝也さんです。藤原さん、よろしくお願いします。 [02:57:21]

藤原氏 はい、再び藤原勝也です。今日は年末の大変忙しい中、みなさん集まっていただきありがとうございます。
 で、今日のシンポジウムを通して僕の思ったこと言います。先ほどJCILの大藪さんが、国連の障害者の権利条約の話をしたと思うんですけども、僕のもちょっとかぶるんですけども、権利条約19条の話をしたいと思います。権利条約19条には、障害者地域生活について書かれています。それは「他の者との平等」っていうのもあるんですけども、かなり細かく書いてあるところを見ると、「どこで誰と住むかは、それは本人が決めることである」とか、「特定の生活様式を義務付けられない」って書かれてるんですね。だから「あなたは家(うち)じゃなくて、施設に行きなさい。」とか、周りが勝手に決めたらあかんってことなんです。本人が望んでる場所で生活できるっていうのが大事なんで、基本的にはもう、国連の条約っていうのをもとに、色々制度を改善していくっていうことが重要です。世界的にはもうそんな感じです。施設やなくて地域で暮らすのが当たり前になっています。そ]れで、日本もその方向に今行く必要あるんかな、ということはもう一回言っておきたいと思います。
 で、今回はシンポジウムでなぜこれを取り上げたかと言いますと、今、日本では介護制度が結構整ってきて、多くの障害者が地域で生きていけるようになったんですね。自立生活してる人いるんですけども、ところがこれでも、今日も【呼吸器付けてる】(02:59:16)人がいますが、いまだに多くの人が筋ジス病棟にたくさん入ってるんですね。だから、「車いす【乗ったら】(02:59:27)自立できる」ってなりそうやけども、いまだに医療的なケアがいる人っていうのは、そういう自由のない生活を強いられてるんですよね。僕は幸いにも病院に入ることなく、全部地域で生きてきましたが、でも途中で親に入れられそうになったこともありました、正直。「それはしたくないなあ」って一心で生きてきたんですけども。だからと言って、だから今入ってる人がそのままでいい、とは全然思わなくて、やはり一人でも多くの人が、やっぱり地域で暮らせる、そんな社会になってほしいって思いが僕は強かったからです。なので、今日はまだスタートやと思ってます。それから今日、二つの病院の話も聞けました。さらに少しでも、呼吸器付けてるとか、筋ジスの人たちだけじゃなく、難病の人たちが、本人が思う生活ができるように、変えていけるように、色々な所に働きかけていきたいし、やっぱり実際に病院から相談があったケースもあるんで、その人たちの夢が実現できるように、僕は頑張っていきたいなと思っております。
 終わりになりますが、本日はみなさんありがとうございました。これで今回のシンポジウムを終わらせていただきます。

会場 (拍手)

[03:01:06]
司会 はい、藤原勝也さん、ありがとうございました。 司会 これにて、2018年12月24日、月曜・祝日、第33回国際障害者年連続シンポジウム『?筋ジス病棟と地域生活の今とこれから〜 筋ジストロフィー・クリスマス・シンポジウム』は終了です。ご来場のみなさん、インターネット中継でご覧のみなさん、登壇者のみなさん、その他、ご協力くださった方々、本当にありがとうございました。おかげさまでこのシンポジウムを無事に終えることができました。みなさんにとって実りあるシンポジウムであったなら幸いです。
 ご感想などありましたらフェイスブック、メール、今回生中継に使用した、JCILのユーチューブチャンネルなど、何でも結構です。ぜひ率直なご意見をお寄せください。では、忘れ物のなきようお気をつけてお帰りください。ありがとうございました。

会場 (拍手)

司会 それで一つお忘れ物があるんですが、紺色の帽子をお忘れの方、この前に今持ってるものなんですが、おられましたら取りに来ていただけたらと思います。
 すみません、このあとのパーティーなんですけれども、参加費をまだお支払いでない方は、後ろの受付の横の所でお支払いいただきますようよろしくお願いします。このあと、1階のCafe? Lounge 凛にて、西側の所ですね、でパーティーを行いますので、参加者の方はそちらへお集まりください。
[音声終了]


UP:20190428 REV:
日本自立生活センター(JCIL)  ◇筋ジストロフィー  ◇植田 健夫  ◇古込 和宏  ◇立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇病者障害者運動史研究 
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