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優生手術問題:活路と展望(第3回)――真相に迫ろう!人権回復を!

山本 勝美 20181105

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last update:202001218


近況のご報告

 今年1月30日、仙台地方裁判所に、旧優生保護法に定められた強制不妊手術の被害者による最初の提訴がなされました。以来はや9ヶ月が過ぎました。その間にこのテーマは全国に広がっています。
 現在、札幌、仙台、東京、大阪、神戸、熊本の6地裁で総勢13名の被害者が国を相手に提訴しています。このように盛り上がる背景には、ほとんど全ての都道府県に全国弁護団のネットワークがゆきわたったこと、そして今日まで繰り返し全国一斉にホットライン(電話相談)の取り組みがなされてきたことがあります。その結果5月17日には、札幌、仙台、東京で、続く9月28日には仙台、大阪、神戸の3ヶ所で一斉提訴がなされました。仙台地裁には新たに3人目の女性被害者が提訴されました。
 また特にこの度の神戸地裁への提訴は、2組の聴覚障害者ご夫妻によるものです。最近において全日本ろうあ連盟によって全国の会員を対象に強制不妊手術調査が行われました。その結果、聴覚障害ゆえに、強制不妊手術をめぐる情報が十分に伝えられていない状況が明らかになりました。たとえば聴覚障害のあるご夫婦が、なぜうちには子どもができないのかと長年悩んできましたが、お二人とも、もしかしたら、と過去に受けた手術がいま問題になっている不妊手術だったのだ、と思い当たったという事例があります。
 この度の神戸地裁原告の小林寳二さん(86)と喜美子さん(86)ご夫妻は1960年に結婚し、まもなく妊娠したのですが、ご夫妻双方の両親が話し合って喜美子さんに中絶と不妊手術を受けさせたのです。それを聞いた寳二さんはその後長い間「苦しみ続けた」、また喜美子さんは「子どもを産み育てたかった」と提訴後の会見で訴えておられます。また同県在住の70代のご夫婦は、68年の結婚直前、夫が母親に病院へ連れていかれ、なんの説明もないまま不妊手術を受けさせられました。
 こうした経緯もあり、今日の裁判では次第に情報のバリアフリー化を促進する動きが活発になってきました。とくに北海道では、西村全国弁護団共同議長を中心に、手話のみならず、法廷のスペースを広げ、車椅子の方と介護者が十分に出席できるよう、また法廷での全ての発言が文字になって表示されるようパワーポイントのシステム化が進んでいます。「裁判の開始が遅れることも承知の上でこれらの設定を進めています」と西村さんは話しておられました。
 実は、筆者も次第に難聴度が進んでいますが、ちょうど東京の弁護団から10月18日公判の前に全体へ問い合わせがあったのに応えて、裁判官、被告の国側、原告弁護団共々、もっと大きな声で発言を、またテーブルにある既設のマイクをもっと活用し手で持って発言を、など強く要望したところ、早速本番で実施され、助かっています。

各当事者固有の苦悩と前向きに生きる姿勢

 提訴した方々の訴えを聴き、その訴状を読むと、不妊を強いられた心身の痛みや悔いなどがその人固有の苦悩となって訴えられています。しかし同時に、その苦悩を乗り越えてなお前向きに生きようとする強い姿勢が伝わり、胸が熱くなります。以下に2名の当事者の体験をご紹介しましょう。

飯塚淳子さん(仮名)71歳
「意見陳述書」(2018年6月13日付)
 私は16歳の時、旧優生保護法に基づく強制不妊手術を受けさせられました。(略)私は、不妊手術を受けさせられる前までは、何の体の不調をもなく、生理の時の痛みも軽いものでした、しかし不妊手術をうけたことがきっかけとなって、身体の調子が悪くなり、毎月、生理の時痛みがひどく、ころげ回るほどのものでしたが、その他にも毎月定期的にひどい痛みがあり、体力の低下が原因で、仕事もほとんど出来なくなってしまいました。その為、痛み止めを打ちながら仕事をしていました。
 また、子どもが産めないことが理由で、なかなか結婚に踏み切ることができませんでした。ようやく結婚しても、子どもができない体であることを相手に打ち明けることはできず、後ろめたい思いで結婚生活を続けました。とはいえ、相手は親戚などから私が不妊手術をしたことを聞くようで、それも一因となって夫婦仲は悪化し離婚の原因となりました。結局3回も結婚と離婚を繰り返すこととなってしまいました。(略)
 このように不妊手術を受けさせられたことにより、私の人生は変わってしまいました。どうして自分がこんなひどい仕打ちを受けなければならないのか、そもそもの原因である不妊手術とは、優生保護法とは何なのか、すべてを知りたいと考え、平成9年ころから宮城県などに情報公開請求もしました。しかし、結局肝心の、私が不妊手術を受けた年度のみ記録は廃棄されたという回答しかもらえませんでした。
 平成27年6月23日、私は、日本弁護士連合会に対し、人権救済申し立てをしました。これを受けて、日本弁護士連合会は、旧優生保護法による不妊手術が重大な人権侵害であると認め、意見書を発表しました。これが私の活動のひとつの大きな転機となりました。
 これが大きく報道されて、仙台での全国初の提訴にもつながりました。また、平成30年2月19日、宮城県知事は、定例記者会見において、私が不妊手術を受けたことを認めました。
 ここまでの20年、手術を受けさせられた時から数えると56年にも及ぶ道のりを考えると、とても苦しくて長かったとしか言いようがありません。
 それでも、ここからが新たな始まりだと気持ちを新たにしています。次は私が裁判で声をあげて、全国の被害者が次に続くようにしたい。そして、私はもちろんですが、すべての不妊手術の被害者に対して、国は早急に謝罪をし、事実を明らかにし、適切な補償をしていただくことを、強く望みます。
 最後に、不妊手術の被害者の多くは高齢者と思われ、私もすでに70歳を超えました。それに私はがんにもかかっております。もはや待ったなしの状況です。裁判所に対しては、とにかく私たち被害者の声をよく聞いていただき、この苦しみをわかっていただきたいと思います。

(付記)
飯塚さんのお宅を訪ねて(山本記)
 2018年5月16日付飯塚さんとの対話記録。仙台地裁の提訴の前日。晴れ、少し蒸し暑い日でした。
 この日、私は何回目かの飯塚さんのお宅(仙台)を訪問しました。その台所兼応接間で2時間ほど話し合いました。飯塚さんはこの日は落ち着いておられました。今は健康的で少し太ったそうです。私は「よかったね!きっと病気も治ってきたんだと思うよ」と言い共に喜びました。
 いろいろおしゃべりしているうちに、飯塚さんのほうから次々と名言が溢れてきました。ぼくは急いでレポート用紙を取り出し、以下のように書き留めました。こんな時間が持てるのも珍しいことでした。
1)飯塚「自分のことを考えながら、ひとの事を思う」
 山本「感銘を覚えて”自分のことを忘れて人のことを思う”のではなく、また”自分の事のみにこだわる”のでもない、という事ということですね。」
2)飯塚「優生手術のことで当事者のことをする。自然とそういう気持ちになる」
 山本「自然とそういう気持ちになる、というところがいいですね。」
3)飯塚「今まで人に向かって声を上げられなかったけど、ずーっと思いがある。一人でも多く名乗り出てほしい」
4)飯塚「書類のない人がいっぱいいるけど、関係者は早く進めてほしい」
5)飯塚「お金では代えられない人生。考えてみたら、みんなかわいそう。役所は人をだまして、法律を作ってやったけど、名前と連絡先が分かれば呼びかけてほしい」
 飯塚「人のことばかりでなく、自分のことも少しは考えなさい、とよく言われる」
6)飯塚「仙台市の大川小学校の近くにある私の実家が流されたので、死体探しをして人を見つけた。新聞の写真に載っていた。数十人が亡くなった」
7)飯塚「戦争反対、と国会前で叫んでいるけど、戦争のおかげでうちが大変だったのがわかっているから、“戦争反対!”。私もそう叫びたい」

北三郎さん(仮名)75歳
手記「裁判に至った思い」
 私には、最愛の妻を骨髄性白血病で失う直前まで40年間以上もの間、妻に打ち明けることができずにいた秘密がありました。それは1957年に優生手術を受けて子どもを作ることができない身体になっていたことです。手術を受けた当時、私は中学生でした。妻が亡くなる数日前、私は病室の中で初めて手術について打ち明け、心から謝罪しました。妻は周囲から「まだ子どもはできないのか」と言われ続け、どれほど辛い思いをしてきたかわかりません。その妻は、ただうなずきながら私の話に耳を傾け、ひととおり聞き終わると、手術については触れることなく、「私がいなくなってもしっかりとご飯を食べるのよ」と優しい言葉をかけてくれました。
 今年1月、優生手術を受けた女性が仙台で訴訟を起こしたという報道を目にしました。この報道を見て、これまで自分一人の心の中にしまい込んできた苦しく切ない思いが溢れ出してきました。優生手術によって苦しめられ続けてきた私の人生を返してほしい、それが無理ならせめて事実を明らかにして、間違った手術だったことを認めてほしい……。そう思うようになりました。その後、周りの方々に支えられて手術記録の開示を求めるなどの努力をしてきましたが、残念なことに、私の手術を示す記録はまだ見つかっていません。
 私と同じように、優生保護法により強制的に不妊手術を受けさせられた人々は全国に沢山いますが、国にはごく一部の記録しか残されていないそうです。
 「記録が残されていないから」、「手術に同意した親族を傷つけたくないから」、「手術に同意した親族を傷つけたくないから」、「手術を受けた事実を知られたくないから」など、様々な理由で今なお優生手術を受けた事実を打ち明けることができず、声を上げることなく一人で傷ついている人が大勢います。
 私は、その方々の思いも含めて、この裁判を進めていきたいと思っています。
 この訴訟をきっかけにして、優生手術により傷つけられた人々、優生手術に関わったご家族や医師、施設職員の方が次々と名乗り出て真実を語ってくださり、当時の実態が明らかとなり、傷を少しでも埋める対応が取られることを心から望みます。

被害者の実態

 被害者の実態については、強制的に不妊手術された被害者は16,500人、さらに形ばかりの同意を求められた人をも含めると総数25,000名となります。そのうち、現在記録が残っている事例は、全国で約3,000人とされています。優生手術の問題がすでに社会的なテーマになってからもなお記録を廃棄した県などもあり、証拠隠滅ではないかと思われます。なお強制不妊手術の記録がこの間確認された中で、最年少の被害者は9歳の男女であることが宮城県ほかで判明。強制不妊手術制度の非情さが一層鮮明になっています。

優生保護法制定と優生保護審査会の杜撰

 旧優生保護法は1948年に制定され、その第1条に「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」と刻まれました。つまり「心身の優れた人ほど価値があるとの見方に立ち、逆に心身の劣った子孫(≒障害者)の出生を防ぐ」、この簡潔な条文に「優生思想」とは何かが明記されています。
 優生思想は19世紀半ばに、進化論に学び遺伝学を利用して知的に優秀な人間を創造すれば、人類に幸せをもたらすとのバラ色の未来を描いていました。ところが第一次世界大戦後(1918年〜)の社会経済的混乱の中で、不況対策として「劣等な」人間を減らす政策が各国で取られました。やがて敗戦国のドイツでナチスの「断種法」(1933年)により約10万の障害者が殺害され、さらには国を失い人種的に劣等とされたユダヤ人600万がガス室で消されていきました。そして日本にも「断種法」の波が及び国民優生法(1940年)が設立されました。
 第二次大戦後、敗戦と共に海外から夥しい人が引き上げ、食糧難に見舞われました。そこで国は産児制限を政策としました。でも「上層階級は産児制限を実施しても下層階級は関心を払わず、結果的に人口の資質面で逆淘汰を招く」との考え方に立って優生保護法を制定しました。そして「遺伝性の」障害者等に不妊手術と人工妊娠中絶を強制しました。でも、1996年には国の内外から批判の声が高まり、同法の優生学的な部分は削除され母体保護法に改定されました。
 一方、1997年に福祉国家スウェーデン国内で、1975年まで強制不妊手術が実施されていたとの報道がなされ、これが世界的に知れ渡りました。この報道が日本でも大きく報じられるや、「強制不妊手術は日本でも実施されてきた」と障害者、市民、学者らが声を上げました。そして直ちに「優生手術に対する謝罪を求める会」を結成し、国に対し交渉で謝罪と補償を要求し始めました。
 これに対し、国は「優生手術は厳格な法的手続きに従って実施されてきた」とくり返し合法性を強調するのみです。この回答は実は「優生保護法は議員立法であって行政府に責任はない」との言い逃れなのです。
 運動のこうした動きの中で、旧優生保護法第4条に定められた「優生保護審査会」の実態をめぐり各地で掘り返され、杜撰な実態が明るみに出されました。
 そもそも同審査会は、医師を中心に法律家や行政関係者等有識者9名で構成され、優生手術対象者を判定する審査機関でしたが、審査対象者が多数で時間を要するためか、往々にして審査会議を省略し持ち回り会議で行われました。各メンバーが簡単な資料を読んで遺伝性も含めた手術の適否を当局に報告するという運営ぶりを繰り返していました。
 筆者は、資料の保存状態がわりと良好で一部の情報開示可能な福岡県に情報開示請求をして検討しましたが、開示された全20ケースが持ち回り会議で強制不妊手術「適当」(“遺伝性の障害”!)と確定されていました。もとより当事者との面接・診断などは一切ありませんでした。
 また、「遺伝性の精神薄弱」と診断された宮城県の、全国最初の提訴女性の場合、所持していた療育手帳には幼児期の手術に当たっての麻酔薬の結果である、として後天性の障害で「遺伝性なし」という診断がすでに記されていました。それにも関わらず、審査会では「遺伝性の精神薄弱」であるとの診断が下され不妊手術がなされました。
 この事例の事実が公表されて以来、上記の「厳格な法手続きに従い」という説明は二度と聞かれなくなりました。

弁護団と国会議員団の取り組み

 上記のように現在、各地の裁判所で被害者に対する謝罪と補償に向けた提訴がなされていますが、このほか国会では与党のワーキング・チーム(WT)と超党派議員連盟(会長:尾辻元厚生大臣)プロジェクト・チーム(PT)が連絡を取りつつ被害者補償の議員立法を2019年4月からの次期通常国会に向けて起草中です。旧優生保護法は議員立法、という責任に対する謝罪に関して、超党派では一貫して「謝罪がなければ意味がない」との見解、与党WTには当初、慎重論があったようですが、現在、謝罪明記の方針になりました。また謝罪自体を法文化するのは困難で、むしろ立法の前文に明記するという案が議会事務局から出されています。

 去る10月25日に、与党WTが当事者の声を聞きたいと弁護団に呼びかけ、25分間(!?)の会見が行われました。準備された弁護団の要望書には、以下の要点が記されていると見られます。

1)国に集約された各都道府県の優生保護審査会等からの記録により、氏名、所属県が明らかになった当事者に対して、プライバシイに十分配慮しつつ、名乗り出て謝罪と補償を受けるよう働きかけること
 これは、与党WTが、逆に当事者のプライバシイに配慮し、待ちの姿勢を取る、つまり一切働きかけない、との方針であるからです。その代わり、積極的な通知広報を行う。これらが当面の最大の論争点と言えそうです。

2)優生手術による被害に対して謝罪を表明すること。
 上記のように、この点についてはWTも既に方針化していますが、ではどのような内容の謝罪か、となると「反省とおわび」「心身に傷を負わされた苦痛に対する謝罪」とあいまいです。さらにお詫びする主体が未定です。これに対して弁護団は憲法第13条(幸福権の追求と個人の自己決定権)及びリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する選択の権利)に関する憲法違反である、と明確にすべきとの見解に立っています。この点も大きな論争点になっています。WTの代表は、「いま法廷で国が被告として争っている時に、議会側から憲法違反、新たな救済法案を設定すべきとの法的責任については発言できない」と述べています。

 一方、WT案からは以下のような具体案が出されています。
3)公的な資料がなくても補償の対象になり得る。手術に対して同意を得ないまま手術された人、また同意して手術された人、子宮摘出された人、コバルト照射された人等法律の規定以外の手術被害者も対象に含む点は優れています。
4)それらについて本人か、法定代理人が大臣に申請する。その際は「認定委員会」という有識者・専門家の審査機関を厚労省内に設けて検討する。また国は一時金を補償する。額は未定。

 私たち「優生手術に対する謝罪を求める会」では、検討すべきこととして上記の1)から3)までのほか、
5)「被害者の手術の傷跡を診断するかどうかは、当事者の選択に委ねること」
6)「優生保護法自体を調査し検証する委員会の設置を」の2点を含めた「優生保護法による被害回復のための法律案に関する要望」をWT及びPTに提起しています。また”救済”という用語を避けています。(2018年10月30日)。
 筆者の意見としては、さらに診断する医師は同性であること、従って両性の医師を設置することを提言しています。

訴訟と今後の展望

 法廷では原告側が、旧法は憲法第13条(幸福権の追求・自己決定権)及びリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する選択の権利)違反という見解を掲げています。これに対し、仙台地裁の裁判官も「判決では違憲か否かについて触れる方針なので国側(被告)も違憲の認否に関する見解を明確にするように」との画期的な指示をされていますが、被告の国側は違憲問題には触れず、原告の訴訟は国家賠償法に関する訴訟(国賠訴訟)のみだから国家賠償訴訟判決で十分、との論旨に終始しています。
 上記のように議員団は来年の通常国会に向けて立法化の準備をしていますが、これに対し、裁判官は立法内容に良き影響をもたらすような判決を検討中と考えられます。というのは、裁判のペースが通常よりは早いと弁護団の方々は語っています。来年2月には証人喚問等口頭弁論をする予定です。

 「優生手術に対する謝罪を求める会」は、去る6月14日夕刻から日比谷図書館地下ホールで「日隅一雄・情報流通促進賞」表彰式にて、落合 恵子さんから表彰状を頂きました。米津 知子さんがスピーチし、市野川 容孝さん、瀬山 紀子さん、大橋 由香子さん、山本も壇上に。記念写真が下記フェイスブックに出ています。
 https://www.facebook.com/hizumikikin/

 また、12月15日土曜日午後2時から5時、「多田謡子反権力人権賞」発表会で「優生手術に対する謝罪を求める会」が受賞します。
 http://tadayoko.net/

参考:補償・救済の差別事例

 国には、C型肝炎問題において、C型肝炎特別措置法という救済策のような差別法を制定した悪しき先例がある。旧優生保護法による強制不妊手術の問題では、時間の経過が「解決」を困難にしている。補償・救済を「被害者全員に」行きわたらせる方策を提案できるのかが重要である。拙速な「解決」に向かうのは、C型肝炎特別措置法のような差別法の再生産になりかねないので留意したい。(北村)

北村 健太郎 20081010 「C型肝炎特別措置法に引き裂かれる人たち」山本 崇記・北村 健太郎編 『不和に就て――医療裁判×性同一性障害/身体×社会』:69-70. 生存学研究センター報告3,199p. ISSN 1882-6539 ※

↓補論として収録 

◆北村 健太郎 20140930 『日本の血友病者の歴史――他者歓待・社会参加・抗議運動』,生活書院,304p.  ISBN-10: 4865000305 ISBN-13: 978-4-86500-030-6 3000+税  [amazon][kinokuniya][Space96][Junkudo][Honyaclub][honto][Rakuten][Yahoo!] ※


*作成:北村 健太郎
UP:20181110 REV:20190526, 20200411, 0618, 0722, 1218
優生学・優生思想  ◇不妊手術/断種  ◇優生:2018(日本)  ◇病者障害者運動史研究  ◇全文掲載

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