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「レジストを知覚する ―差別と抑圧のエッチング―」

川添 睡 2018/11/18 障害学会第15回大会報告一覧,於:クリエイト浜松

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last update: 20181101

2018年障害学会発表 読みあげ原稿

*今年は質疑応答における機会是正の試みとして,
発表に対する質問やコメントの, インターネットによる事前受け付けをしております.
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いただいた質問は, 質問者が希望した場合は
当日の時間にも一部を取りあげる時間を割きたいと思います.

何かご不明な点がありましたら
kawazoe.n.aa@gmail.com
までご連絡ください.
@


A
川添です。
今日は私が日常で抑圧を感じ取り、解釈する一つの方法を話します。

星加さんはディスアビリティとは
「不利益が特有な形式で個人に集中的に経験される現象」である
と表現しました。
言葉が問う先を「障害される人達」から「健常者」へと
向け返してみます。
「どの様にして利益は集中するのでしょうか?」

障害される人が抑圧される時、
直接的な表現で理由が示される事は少ないです。
また、あなたが抑圧を感じる時、
具体的に何によって無力化されているのか、
加害者や原因を特定した言い方では、
うまく言葉にならない経験があるかもしれません。

利益の集中も似ています。
健常者が「当たり前」とされる暮らしを生きる事、
何かの役どころに適格だと周囲から選ばれる事、
自分自身の事を疑いなく「生きるに値する生命」だと信じている事、それらも
特段にその人に直接の理由、理屈、体験があるかというと、
あやふやです。

この様に
誰がしているのかという表現では言いにくい、
どういう理屈や責任でそういう事になっているのかは普段よりもわかりにくい
といった不公平の有り方は
エッチングという技法に似ています。

  今日は、社会の中の抑圧や差別を
エッチングという概念に当てはめます。
さらに、私達によって乱用されているこのエッチングが
台なしになる可能性について考えていきます。

B
エッチングとは薬品を組み合わせて、物体の表面を加工する技術です。
元々は版画、銅の板を彫刻する技法として開発されました。
近代では小さな電子回路の製作にも応用されています。
彫刻のエッチングは、絵、つまりインクの通り道やパターンを彫る訳ですが、
電子回路では電気の通り道、つまり流れ方を制御する回路を作ります。

銅版画の彫り方について説明します。
彫刻刀を銅板に強く押し当てて溝をひく直接法に対して、エッチングは間接法です
用いるのは3つの物です。
@ 銅板を削るのではなく溶かす為の酸
A 酸の腐食をさまたげる作用がある防蝕剤 酸に抵抗する事からこれはレジストと呼ばれます。
B レジストを剥がす道具、鉄筆です。

手順です。
まず銅板を置き、その表面に全体的にレジストを塗ります。
次に鉄筆を使って、
図を描きたい所、つまり銅板を削りたい場所に
線を引いてレジストを剥がします。
直接法の様に板を強く彫る必要はありません。
次に、銅板全体を酸で腐食します。
レジストが塗られた場所は酸と銅板がふれないので、何も起こりません。
しかし鉄筆を引いた場所だけは、
レジストがないので銅板が溶けていきます。
時間が経つとレジストの無い部分に溝のパターンが作られていきます。
銅版に思い通りの深さで溝が付いたら、酸から引き揚げて反応をとめます。
最後に銅板全体からレジストを剥がして、溝にインクを詰めて上から紙を押し当てます。
そうすると、版画家が鉄筆で書いた絵が紙に転写されます。
以上がエッチングの手順です。

C
エッチングの様に間接的に抑圧されるとは、どういう事でしょうか。
2つ例を挙げます。

1つ目は2018年の朝日新聞の記事
台風21号で被害の朝鮮学校 補修の公的支援なく の見出しです。

台風21号から1カ月が過ぎてなお、しろきた朝鮮初級学校
大阪市旭区の児童らは日々の授業で不自由を強いられている。
強風によって校舎の屋根が吹き飛ばされたため、
いちじは別の学校に通うしかなかった。
補修のための公的支援はなく、自分たちで寄付を集めるしかない。

記事の続きに詳しい背景や学校長のコメントがありますが、
日本政府は一貫して
外国人学校、とりわけ朝鮮学校に対して差別的にふるまっています。
台風とレイシズムに基づいた公的な無支援とが
組み合わさる事により結果として
教育を受ける権利を
日本の社会が特定の学校の利用者に対してだけ脅かしています。
今回の「原因」は台風だとされていますが、
屋根が被害を受けたのは、慢性的な資金難によって校舎が老朽化していたからでした。

災害を酸だと解釈すれば、
校舎の為の資金というレジストが足りない事により、
民族学校に特に大きな被害が出ました。
そもそも他の学校では、レジストがある事自体が意識されていません。
この様に、選択的に不利益をもたらしていく社会の有り方があります。

D
次は利益の集中について、私の体験を挙げます。
私は人の乗った車いすを押す立場で、電車に乗った経験があります。
駅員とコミュニケーションをすると、車いすの乗り手ではなく
まず押している私に話しかけてきます。
有名な話ですが、本当に頻繁にそうです。
位置関係的に車いすに乗った人が私と駅員の中間にいても、
それでも迂回してくる、そんな視線を感じる時もあります。
先ほどの例とは逆に、車いすに乗った人は駅員の認識からレジストされていたので
自分の意見を伝える機会にアクセスしにくくなっています.

結果として色々な選択する権利というか機会が
駅にいる限り私に集中します。
利益の集中はそんな風に起きていると感じます。

E
前半をまとめます。
私達が差別をする時される時、
エッチングの様に分業をして、責任の所在、原因、意図を曖昧にした加害をする事があります。
エッチングとはレジストによって差異を作りあげ、別々に取り扱っていく普遍的な方法です。

レジストは社会の何に対して作用しているでしょうか。
例では社会制度からの排除と
認識において無意識に除外された問い
を挙げました。

付け加えて私達の感情にあるレジストを挙げます。
私達が都合の悪い問いを無意識に避けるのは、
問いを向ける対象に対して抱く、
これまた無意識の恐れの感情と繋がってはいないでしょうか?
障害される人はある意味怖がられていません。
だから頻繁に問いが立てられ、研究され、そして無力化されています。

重要なのは、健常者を覆うレジストにこそ鉄筆を入れる事です。
「障害を研究していれば障害学という訳ではない。障害学はマジョリティを、優生社会をこそ問うのだ」
とひろく喋られてはいても、どうしてもそうなっていると信じる事が出来ずにいます。
どうしてかというと、結局は障害される人たちの中から
理由をみつけようとしている研究が多いから、
そして論述と
それを描く人の日常で感じる問い
とのつながりが、
論述の中で切断されているからだと思います。
そうでない姿勢の先で、障害される人と健常者は初めて出会う可能性があるのだと思います。


F
最後の例としてエッチングと社会とを混ぜ合わせて考えます。
酸の等方性についてです。
これは電子回路で半導体をエッチングする際に説明される概念です。

エッチングには等方性のものと異方性のものがあります。
先程同様に、酸を半導体の基盤に浸すと
レジストの無い場所の真下から浸食が始まります。
通常の環境では、
酸は下方向だけではなく横にも進む、
これを酸の等方性というのですけれど、
レジストされている場所の真下であっても、
多少割り込むような形で基盤がえぐられて、円形に近い形状で削れます。
レジストの境界で断面が直角になる様に削る技術は
異方性エッチングといいます。

この話から学べる事を2つ提示します。
@ レジストがある筈の場所でも、酸に浸食される事があります。
私達には、額面上は保護が提供される事になっている筈なのに、
何故かそれがない事があります。
あるいは、ある時には保護されていてもある時は保護がない、
自身の経験する状況は流動的で、予測しづらく、他人に説明しにくい
と感じる事があります。

あなたを取り巻く酸の、複雑な満ち引きのパターンについて
考える事にも意義はあります。
ただ同時に別の解釈をする事もできます。
つまり、あなたはレジストの下にいますが、酸と触れ合う
きわにいるのかもしれないという仮説です。
逆にあなたよりもレジストから遠い位置にいる人は、
より多く酸を感じているのかもしれません。

A 酸の「全ての方向に対して広がる」という特性には嘘があります。
社会が抑圧を割り当てる時、それは「平等な試練」であり、
たまたま不幸にも不均一に存在している、
酸を提示する人、エッチングを構想する人はその様に語ります。

でも社会にレジストはあるのです。
先ほど用いた、酸の等方性の説明文自体からそれを読み取れます。
「酸には等方的に基盤を浸食する作用がある
(ただしレジストされた部分を除く)」
先程の説明では、2番目の文自体が省略されていました。
私達の認識にはレジストが常にある事を意識する必要があります。


G
最後に大切な話をします。
エッチングという加害に対してどう向き合うべきか、です。
これまでに社会の中にエッチングが普遍的にある事を示しました。
しかしエッチングのやり方を理解するだけでは、
エッチング自体から遠ざかった事にはなりません。
いま私達に必要なのは、私達が乱用しているエッチング自体に対して
それは加害であると気づいていく事、やめていく事です。

エッチング自体を肯定して、より良いエッチングの制御法を考えるといった
研究する姿勢ではありません。
その様に「抑圧を効率的に配分する」という「戦略」の方向へと考えが進む時、結局は
「あの部分にはレジストがないのでかわいそう」
「酸に晒される人生とは不幸なもの、レジストの在る生こそが基準であり正常」という
障害学とは相いれない態度へと導かれます。
とるべき方向とは、野崎さんから表現をお借りすれば
「すべての生の無条件の肯定」を模索する態度です。
「酸とレジストの狭間にある全ての存在を肯定する」事と
「エッチングという加害自体を否定する」事は両立します。

この様な考え方として、堤さん、野崎さん、米津さん等が
「障害児が生まれるから原発に反対する」という論法にも「原発自体」にも、同時に反対する
模索をしてきました。
私もそれに倣います。
重要なことは、今のエッチングという枠組みが台なしになる事なのだ
と重ねて強調します。


H
最後は「意図」について考えます。
今回私は「エッチングから加害の意図を見出そう」と主張しています。
そうすると反論として、
「抑圧や不平等はあるのかもしれないが、そこに意図があるという証明は出来ない」
と言われるかもしれません。

歴史的に様々な運動が丹念に
社会の中の加害性、目的や意図について論証してきました。

でも私はそれに追加して、証拠のあるなしに関わらず
自閉者からみえた意図を軽率に読み込んでいく、書きこんでいく、提示していく
試みがあってもいいと思います。

意図をクィアに読み込んでいく、という事です。
あるいはさらに付け加えれば、社会の中の「無意図の享楽」を観察します。
私は勿論「わざとじゃないんですよ」みたいな言い回しを聞いた事がありますけど、
なんだかその人はすごく気持ちよさそうでした。
意図はないのかもしれないけど、その「意図がない」こそ、
社会で、日常で心地よいものとして乱用されているんじゃないの?
そういう風にも指摘してみたいと思います。

以上で発表を終わります。


I
Q&A

J
参考文献




*作成:安田 智博
UP: 20181107 REV:
障害学会第15回大会・2018 障害学会  ◇障害学  ◇『障害学研究』  ◇全文掲載
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