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「知的障害者の本人の会における支援者の役割」

神部 雅子 2018/11/18 障害学会第15回大会報告一覧,於:クリエイト浜松

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last update: 20181110

2018年障害学会発表 自由研究発表(壇上報告)

知的障害者の本人の会における支援者の役割

北星学園大学大学院
研究生 神部 雅子
はじめに
 知的障害者の多くは差別的経験を持ち、限定的な環境の中で生活してきており、当事者として権利を主張当事者運動に参加するに至るまでには、本人の意識の変革や環境の変革、そしてそれを支えた支援関係があると考えられる。知的障害者の場合、日常生活においても、意思決定に関する支援を必要とし、家族や障害福祉サービス従事者が「意思決定支援」の名のもとに代理意思決定を行う場合もある。西村は、意思表明をしても家族や障害福祉サービス従事者などがもっている価値基準によって、知的障害児・者の自己決定、意思表明の採否が決定され、援助者側の意見が押し通される場合が多く、その結果、知的障害児・者は、援助者のもつ価値観に合わせるように「駆り立て」られるか、だまって援助者に従うことになる、と述べている(西村2005:79、80)。また、 立岩らは、本人の会や当事者運動組織の支援において、自己決定や自己主張がまず確固としたものとして存在し、その実現を他の人達が支援するという場合、当事者による決定、そしてその決定事項の支援者による実行と、少なくとも図式としてはすっきりしているが、知的障害を持つ人達の支援の場合にはそう単純にいかず、情報を提供するだけと言っても、その提供の仕方が問題であり、微妙である、と述べている(立岩・寺本1998)。
 そのような関係性の中で支援者はどのような思いを持って知的障害者の当事者運動を支援するのだろうか。
 本報告では、支援者の語りの中から当事者運動の支援者としての価値観を培った背景を明らかにし、支援者による当事者運動における支援の意図や配慮、当事者運動に携わることによって支援者自身が受ける影響について考察し報告する。

1.用語の定義
 本稿では、本人の会、当事者運動組織、当事者運動という用語を使用している。それぞれの用語について本稿における定義をしたい。
 これまでの先行研究等においては、「本人の会」と「当事者組織」という用語は、定義が明確に分けられておらず、知的障害者自身が中心となって結成されている組織という同様の意味で使用されている。また、「当事者活動」と「当事者運動」も同様の意味で用いられており、その区別があいまいである。
 本人活動支援委員会によると、本人の会の活動内容は会によって異なるものの大きく4つ挙げられる。まず、「勉強会」である。そこでは自分たちの生活に関わる法制度等に関する情報を得たり、日常生活や就労場面における対人関係のスキルを身に付けるための学習を行う。次に、「話し合い」である。生活や仕事などのテーマを設定し会員同士で意見交換をしたり、活動の進め方についての話し合いを行う。そして、「レクリエーション」である。会員たちが楽しめる企画を自分たちで考え、実行する。最後に、「政策提言」があげられる。障害者自身の生活に関わるサービスや制度の変革や、行政機関の会議等に本人委員として参加し意見表明をしたり、施設訪問を通して利用者と交流し意見交換をすることなどがある(本人活動支援委員会2004:8-9)。 この政策提言が、本人の会におけるセルフ・アドボカシーにあたる活動であり、政策提言があるからこそ本人の会がセルフ・アドボカシーグループであると定義することができる。しかし、本人の会として発足している組織の中には、レクリエーション活動や勉強会等の活動に留まっており、政策提言であるセルフ・アドボカシーの活動をしていない、あるいはセルフ・アドボカシーを目標には掲げているがそこに至っていない本人の会も多くある。そこで光増らは、本人の会の活動の中でも、本人による、本人のためのグループ活動を「本人活動」、権利擁護、セルフ・アドボカシーを目指す運動を「当事者活動」と定義している(光増2002:56)。本人の会の活動の中でも、政策提言を含めたセルフ・アドボカシーとそれ以外の活動を分け区別するための用語である。
 これらの用語の定義については今後の課題として残すところがあるが、現段階においては以下のように用語を定義したい。まず、前述した本人の会の活動内容である「話し合い」「勉強会」「レクリエーション」「政策提言」を行っている知的障害者自身が中心となった組織を本人の会とする。また、ピープルファースト運動に代表される、知的障害者自身が中心となってセルフ・アドボカシーのみ行い、本人の会の活動にあげられている「勉強会」「レクリエーション」を行わない組織を当事者運動組織とする。
 そして、知的障害者自身のセルフ・アドボカシーについては、前述した光増らの定義を踏まえると本人の会におけるセルフ・アドボカシーは当事者活動とすることが適切であるかもしれないが、本調査のインタビューの中において「当事者運動」と「当事者活動」という言葉はどちらも同じ意味合いで使用されており、政策提言やセルフ・アドボカシーといった内容的にも違いはない。また、本人の会と当事者運動組織の両方に所属し当事者運動を行っている知的障害者も多いため、本人の会が主体となる「当事者活動」、当事者運動組織が主体となる「当事者運動」という形に運動そのものを区別するのは困難である。従って、セルフ・アドボカシーについては、本人の会が主体となる場合も当事者運動組織が主体となる場合も区別せず、当事者運動と定義する。

2.知的障害者の本人の会や当事者運動に関する研究
 知的障害者の本人の会や当事者運動組織、当事者運動にかかわる研究はいくつか散見されるが、使用される用語に関しては当事者運動と同様の意味として本人活動という言葉が使用されている。 知的障害者の本人活動に関する研究として、まず、その成立の歴史に関する研究がある。古井は、先行研究の分析を通して、知的障害者の当事者活動の変遷や、支援者の属性・役割についてまとめている(古井2012)。また、立岩・寺本は欧米の本人の会の成立や、全国手をつなぐ育成会、国際育成会連盟世界大会との関連を示しながら、日本の本人の会の発展に関して述べている(立岩・寺本1997)。これらの論文においては、知的障害者の当事者活動の歴史とともに、支援者の支援のあり方についても述べられている。
 保積は、知的障害者の本人活動の歴史から本人活動の持つ機能や支援者のあり方について考察している(保積2007)。そこでは本人活動に参加することの知的障害者にとっての意義や支援者のあり方について述べられている。
 このように、知的障害者の本人活動の研究において、支援者の役割や存在の意義が焦点に置かれることは多い。それは、本人活動において支援者の支援が不可欠であるためであり、特に、知的障害者が行う権利擁護活動においては、情報提供や活動に必要な資料の作成やスピーチ原稿の作成などを支援者の支援なしに実行できる当事者は少ないと思われる。したがって、知的障害者の本人活動をどのように支援していくのか、支援者としての関わり方や支援そのものの意義に関する研究は欠かせないものであり、研究者の関心も高い。しかし、いずれも文献調査や質問紙でのアンケート調査に留まっており、支援者へのインタビューから本人の会の支援に関する支援者自身の背景に焦点を当てた調査は見受けられない。

3.研究方法
 本研究では調査対象者を当事者運動の支援者とし、当事者運動の支援に関わるきっかけや、必要な支援をどのように考えているか等のインタビューを通して、支援者との関係が知的障害者の当事者運動に与える影響について考察する。
 調査協力者はE県内の本人の会の支援者であるA氏(男性・当時60代)、B氏(女性・当時50代)、C氏(男性・当時60代)、そしてピープルファーストにおいて支援者をしていたD氏(男性・当時50代)である。インタビュー実施時期及び実施時間は、A氏は2017年5月約130分、B氏は2017年9月約140分、C氏は2017年11月約120分、D氏は2017年8月約110分である。インタビュー結果を逐語録に起こし、佐藤(佐藤2002、2008)の質的分析法を参照し、〈コード〉をつけ【カテゴリー】を生成した。
 本研究は「日本社会福祉学会研究倫理指針」に従っている。調査協力者には、事前に口頭及び書面、メール等で調査の目的・概要について説明し、協力の承諾を得た。また、調査当日には改めて調査の目的・概要及び倫理的配慮について口頭と文書で説明し、同意を得た。

4.調査結果と分析
 インタビューから、34のコードを抽出し、【本人の会の支援を行うきっかけ】、【支援者としての価値観に影響を与えたもの】、【支援者が受けた影響】、【支援者が当事者に与える影響】、【支援者の役割】、【支援者の葛藤】の7つのカテゴリーを生成した。支援者の語りにおける()内は内容を分かりやすくするため、本人の会のパンフレットや沿革、行事のレジュメ等、いただいた資料も踏まえて著者が補足した言葉である。
 【本人の会の支援を行うきっかけ】は、職場における〈業務の一部としての始まり〉や〈本人の会以外の集まりの支援の延長〉として本人の会の支援者になったというものや、〈同僚との出会い〉をきっかけに当事者運動の支援をはじめたといったきっかけがあった。

 「やっぱり知的障害の当事者も、あの…(知的障害者のバンドの来日を歓迎するための)実行委員会に参画したらどうかっていう話があって、…(中略)…歓迎実行委員会の反省会の時に、それだったら、今までなかなかつながりがなかった…(中略)…(各グループホームの利用者や生活寮、入所施設の利用者が)つながるかとか、そういうのがなかったから、いいチャンスじゃないかということで、じゃそういう会を作ろうと」(A氏)

 「私も、いつぐらいからかな…働き始めたのは昭和58年に入所施設に来たんですけども、通勤寮に来たのは昭和62年に入所施設から移動になって、通勤寮に来てから、…(略)」(B氏) 「昔は業務というか、こう職員の役割分担として支援者っていう風にはなってたけど、たとえば、変な話ね、お仕事の一環としてはやっていなかったので、全てボランティアでやってた時代が長かったんです。」(B氏)

 「要は私設グループホームを作って、皆来ましたよね、そしたら同窓会を始めるんですよね。高等養護学校出た人たちとか、同窓会を始める…。だけど、同窓会ったって自分たちだけの世界だから、もっとよその世界の人たちと交流したいなということで本人活動が始まっていくんですよね。」(C氏)

 「(一度、別の仕事を経験した後、立ち寄った友人の職場である作業所にて)その時初めて障害のある人達の小規模作業所、無認可の作業所みたいなとこ行って、一緒にこうボルトはめたり…3日間くらいやったんですね。こういう世界もあるんだなって思って、…(中略)…Gさんと出会ってね。Gさんもそういう知的障害の人たちの活動を応援したいと思ってた人だから、H会とかもね、A氏たちとやってたりとか、色々手伝ったりとかしてた。」(D氏)

 支援者が【本人の会の支援を行うきっかけ】である〈本人の会以外の集まりの支援の延長〉や、〈同僚との出会い〉は支援者自身の意思に基づいて支援を開始したといえるが、〈業務の一部としての始まり〉は支援者自身の意思に基づいて開始したとはいい難い。B氏は入所施設に就職をし、その法人内の移動で通勤寮に移動した際に、「役割分担として」支援者業務があった。今現在、B氏が支援する本人の会の支援者は、支援に入る際に時間外手当をつける等の勤務保証を行っている。B氏が支援を始めた当時は、そういった勤務保証は行っておらず、休みを返上して支援に入るボランティアという状況であった。インタビューの中では「仕事の一環ではなかった」とは言うものの、職員の「役割分担として」本人の会の支援者を兼ねることは当然のことであるとの認識をしていた。
 それぞれの支援者の【支援者としての価値観に影響を与えたもの】には、本人の会の支援者や当事者に向けた〈研修会での学び〉がレクリエーションなどの楽しみが中心だった活動や支援者の支援そのものに変化を与えているもの、育成会世界大会のパリ大会に参加した当事者がその後日本で表明した〈当事者の言葉〉に衝撃を受け、支援者自身の知的障害者に対する権利意識が変わったもの、〈日本における過去の福祉実践〉や〈ピープルファースト運動の理念〉に感銘を受け、共感した経験などがあった。

 「私が衝撃を受けたのは、…(中略)…(I県の本人の会の当事者が)『“しょうがい者”とか、“ちえおくれ”とか、“精神薄弱者”といわれると、一瞬、ドキッとする。このような言葉をつかわないでほしいのです』って言って主張したことが…(中略)…。一番僕が衝撃を受けたのは、平然とさ、精神薄弱だとかね、ま、『ちえおくれ』っていう表現は学校教育現場の教員が使っていた言葉で、我々現場は『知的障害』じゃなくて『精神薄弱』って言葉を、平気で使っていたわけさ。で、これを見て、私の権利意識というのは大きく変わったんです。この文章でね。」(A氏)

 「ようするに普通学校の先生だった人が、障害をもった人がいるってことで、その人達をきちんとしきゃってことで寝食ともにしてやり始めた。…(中略)…思想っていったらあれですけど、歴史からつながる考え方をもって、権利運動としてつくり上げていく、本人たちを支えていく、そういう流れを作らないと本人活動じゃないよって思ってる。…(中略)…歴史をね、本人たちを支えてきた歴史があるわけだから、歴史を踏まえた支援をしていかないと、と思います。」(C氏)

 A氏は、自身が本人活動の支援を始めるきっかけとなった本人の会以外の集まりの支援の際には、障害者の権利をさほど意識していなかったという。しかし、知的障害者本人の言葉から、障害者に直接関わってきた施設職員や特別支援の教師が知的障害者本人の意に沿わない言葉を使ってきた事実を突きつけられている。
 また、【支援者が受けた影響】には、〈他の本人の会との交流〉や〈海外における当事者運動〉、〈当事者から〉、〈F集会〉などがある。〈F集会〉は4名の支援者が当事者運動の支援を始めた頃から、E県において知的障害者の人権について考える集会として開催されている。当初は障害福祉サービスの職員や特別支援学校の教員が中心となって運営していた〈F集会〉実行委員会であったが、その後、当事者である知的障害者がその実行委員会の中心となっている。A氏は当事者が加わる前の実行委員会から参加しており、D氏も当時、障害福祉サービス事業所において支援をしていた利用者が実行委員会に参加したため、〈F集会〉に支援者として参加している。D氏に関しては、この〈F集会〉の経験は〈ピープルファースト運動の理念〉と並んで【支援者としての価値観に影響を与えたもの】となっている。

 「本人たちの組織ってそんなになかったんですよね、その当時。…(中略)…なんかやりましょうって言ったら、いつも同じようなメンバー集まるんですけど、声かけてもらって、そこに参加させてもらうっていうかね、そんな形で、ここ(パンフレット)に書いてある交流会とかね。…(中略)…世界でもこんな活動あるんだなとか他県ではこういう活動してるんだとか、今まで(支援している本人の会が地元の中で)自分たちだけでやってたのが拡がってったていうか、地域がね。他にもいっぱいそういう会があるんだなってことが分かったり、…(略)」(B氏)

 「(他の本人の会や世界会議への参加し)同じように、そこに一緒に行く支援者も影響を受けているっていうことです。」(A氏)

 「その人がどんどん経験によって変わっていく姿…これは、凄まじいものを感じて、…(中略)…こんなに人って変わるんだなって。もちろん自分も少しずつ変わってんだけど、衝撃的に変わってくんですよ、…(中略)…こんなに人って力を持ってるんだな。今まで、だからどれだけ、奪われて、奪ってきたのかって、環境的な社会の中でこの人たちが奪われてきたんだろうって。それだからこそ、やっぱり本人たちがもっと訴えていかないといけないんだろうなって。それを訴えてく力を、やっぱり、うん、こっちも勉強して一緒に、勉強しながらやってくしかないのかなって。一緒に勉強するという感じ。」(D氏)

 「いや、もうF集会とかの前段で、そういう本人たちの研修活動っていうのは、始まってたので、ちゃんと研修活動っていうのは活動の軸に入れてやっていきたいなっていうのは思ってたから、ただね、独自のものをやりたいっていう風に思ってきてたから…(中略)…ピープルファーストの考え方を勉強しながら、こういう文章を作りまして、研修会の冒頭にこの文章使いながらやってきてますね。」(C氏)

 「(F集会の)シンポジウムで、…(中略)…その(当事者の)女性の人は、療育手帳が例えばワイシャツのこのポケットに入らないくらい大きいと。それを何とかしてほしいと発言したら、…(中略)…翌年、すぐ療育手帳を小さいサイズにしてくれたの。だから、あぁ、本人、僕らが主張してもなかなか変わらなかったけど、本人が主張することで行政はすぐ出来るんだっていう実感っていうのがあって、…(中略)…F集会が与えた影響って大きくて、特に行政の人たちに対して、家族もそうだけど、みんながなんでこんなに喋れるんだっていうのは実感として見て分かるわけさ。」(A氏)

 B氏の支援する本人の会は当初は支援者主体の活動であったが、本人たちとともに本人の会とは何かという勉強会を重ね、他の本人の会と交流することでB氏も支援の仕方が徐々に変わっていったという。また、〈F集会〉は知的障害者本人の発言の機会をもたらしただけでなく、その発言が行政を動かし、それまで知的障害者が自分の言葉で発言することは困難だと思っていた支援者や家族の意識も変化させた。そして、C氏が支援する本人の会においては、〈F集会〉のような研修活動を行いたいと、活動の内容にも影響を与えている。
 【支援者が当事者に与える影響】については、支援者が〈経験の機会をつくる〉ことで、当事者が徐々に自分たちで会の行事を仕切れるようになり自分たちだけで出来ることも多くなって行くことが語られた。また、海外研修等の〈経験の機会をつくる〉ことは〈交流の場をつくる〉ことにつながり、本人たちの権利意識の芽生えとなっていることが語られた。

 「本人が全部自分たちの力でやっていけるように、何でもね、やっていけるようにしてあげたいっていうのが願いなので、下準備はするけれども実際には自分たちで。…(略)」(C氏)

 「総会を自分たちでまず仕切るということは、結構前から、本人活動と言われるまえからやってたんですよね。あと、その忘年会だの歓送迎会だの、年に大きな、忘年会と歓送迎会というのは、ホントに一大イベントなんですよね、…(中略)…企画もお手伝いしたりしますけど、ホントに今、自分たちでしっかり仕切れるようになってきてるんですよね。」(B氏)

 「(海外研修が)結構色んな影響になってるし、Jさん(当事者)もスウェーデンに行ったことですごく目覚めてきたし、Kさん(当事者)アメリカのPF活動の見学にいったり、研修に行って目覚めてきたし、そういう原動力はJさんやKさんにもあるし、Jさんの前の前のLさん(A氏が支援している本人の会の会長)もNFPUという「北欧知的障害者会議」に参加してオーケヨハンソンに会うとかね、やっぱり、そういうつながりが結構影響を受けていたと思うんですよね。」(A氏)

 【支援者の役割】として共通して語られたのは〈情報提供〉である。本人たちの生活に必要な福祉サービス等の情報を含め、あらゆる場面で本人たちが求めている情報を分かりやすく提供することで本人たちがその権利を行使し、必要な運動を行うことが可能となる。

 「すごい情報提供は大事だなって思ってはいます。」(B氏)

 「当事者側の権利とか、他の人が権利侵害にあっているというのは意識して情報提供はしなきゃならないけど。」(A氏)
 「入ってくる情報はきめ細かく皆に提供するけれども、ただ、こういう研修会面白いぞとかね、そういうのも我々の立場として提供すべきところもあるし。まぁ、関わっている人が多いから、あの、そういう情報提供をすることで、参加することで、また日曜日がなくなったっていう人もいるけど、それは、選択の問題だからね。ただ、選べる情報はなるべく細かく流していった方がいいと思う。」(A氏)

 「そう…僕らも黙ってないんですよ。基本は本人たちが頑張ってやってる、進まないんですよ、やっぱり。進まないから、こうしたらいい、ああしたらいいって、言い出すと、すっげー反論してきてさ、激論になってさ、やられる。本人の本音が出せることがきちんと出せることが大事なの。何のアドバイスしないで見ててもさ、やっぱり、本音が出てこないでしょ」(C氏)

 各会の支援者は、当事者運動に参加する知的障害者がそれまでに彼らが受けてきた差別的経験に気づき、自分の権利を知るために意図的に彼らに考えるきっかけを投げかけている。また、C氏においては、本人の会の会議においては、あえて発言し、それに反発する本人たちと激論を交わすことで本音を引き出せると考えている。
 【支援者の葛藤】には、時に誘導的になってしまうのではないかという〈当事者とのかかわりの中で生じる葛藤〉があり、また、支援者が本人の会に参加している知的障害者本人の生活面を支える支援を行うという〈職務上の関係性〉においても【支援者の葛藤】がある。生活面において支援が必要としている知的障害者に対して、当事者運動の支援においても介入し過ぎる可能性を感じている。

 「だから、入所施設の本人の会とか、親の会の本人の会は支援者誘導がすごく強くて、例えば本人が発言するとき、支援者の目を見るとかね。何かをアドバイスを欲しいみたいな視線はよくあるんですよ。」(A氏)
 「(生活支援の職員と支援者が同じ人物だと)きっと言いづらいところがあったりとか、本人たちにとったら。なんていうか変な言い方したら、秘密を握られているみたいなね」(B氏)

 「あんまり自分ばっかり、リードしていくと、一時ね、Cがやってる会だと言われたことがある。」(C氏)

 日常生活における支援をする、されるという関係は支援者の側が過剰に支援するというだけでなく、本人も支援を期待する状況を生じさせる。また、C氏は前述したように、知的障害者本人たちと議論を交わすことで本音を引き出せると考えているが、その支援が支援者主導と捉えられ「本人の会」ではなく「Cの会」であると、互いに葛藤を抱えることもあった。

5.考察
 4.調査結果と分析を踏まえ、本人の会の支援者が支援を通じて受ける影響や知的障害者の当事者運動に与える影響について図1(本資料最終ページ)に示す。
まず、【本人の会の支援を行うきっかけ】(a-以下カッコ内アルファベットは図と対応)があり、本人の会の支援が始まっている。【支援者としての価値観に影響を与えたもの(b)については、本人の会以外の活動の中で触れた<当事者の言葉>(c)や<ピープルファースト運動の理念>(d)などがある。これは、【本人の会の支援を行うきっかけ】となった出来事以前に経験したものもあり、【支援者としての価値観に影響を与えたもの】があったからこそ、【本人の会の支援を行うきっかけ】を得たともいえる。また、【本人の会の支援を行うきっかけ】から本人の会以外の活動にも参加し始めたという支援者もおり、相互に影響を与えていると考えられる。また、【支援者としての価値観に影響を与えたもの】は本人の会の支援の在り方に影響を与え、それは支援者が当事者に与える影響に関連する。支援を行うことで【支援者が受けた影響】(e)もあり、それは本人の会の活動においては、〈他の本人の会との交流〉(f)による影響や、本人の会に参加する当事者の変化や互いの関係性による影響が考えられる。また、〈F集会〉(g)がもたらした影響も大きい。〈F集会〉は、本人の会の会員である当事者が参加するため、本人の会の支援者もともに参加することになる。しかし、県内各地の本人の会の会員や本人の会に所属しない障害者も参加する集会であり、その実行委員会も厳密には本人の会の活動ではなく支援者も自分の支援する本人の会の会員のためだけに支援をするわけではない。そのため、〈F集会〉は本人の会以外の活動と位置付けた。この〈F集会〉は、当事者、支援者ともに他の会との交流の場ともなっており、ここでの経験が自身となり、当事者の本人の会における発言が出来るようになったり、支援者においては普段関わらない当事者が発言し会を運営する姿に触れることになる。A氏のインタビューにあったように、それまで支援者が訴えても通らなかった当事者の要望が、当事者自身の発言によって叶えられていく様子を目の当たりにし、当事者が発言する重要性を感じるのである。そのため、〈F集会〉への参加を本人の会において支援することが【支援者が当事者に与える影響】(h)となっている。このように、本人の会内外の支援をすることで【支援者が受けた影響】は、本人の会の支援に反映され、【支援者が当事者に与える影響】も変化していくと考えられる。また、支援を続けることで【支援者が受けた影響】も何らかの価値観の変容をもたらすと思われる。
 また、支援者は本人の会の支援を行うことで【支援者の役割】(i)を見出していくが、その時には支援の中で【支援者が受けた影響】や【支援者の価値観に影響を与えたもの】も反映されると考えられる。また、本人の会の支援を行うことで〈職務上の関係〉(j)や〈当事者とのかかわりの中で生じる葛藤〉(k)などの【支援者の葛藤】(l)が生じている。それは、〈情報提供〉(m)の場面でも生じえる。A氏は「あの…それ(情報提供)は意図的にやれば、ある意味では価値観の誘導になってしまうからね、そこが難しいとこで」と語っている。支援者は、知的障害者が被害にあった事件や当事者向けの研修等、様々な情報を得るが、その情報のうち、どの情報をどのように提供するのかを、取捨選択することが可能である。情報を得る手段を持たない知的障害者本人の場合、世の中にどのような情報があるのかが分からないため、自分にとって有用な情報が何かも分からない。その時点で提供される情報は、支援者の価値観により必要と判断された情報であり、知的障害者本人の価値観の形成に大きく影響を与える可能性がある。
 また、支援者との信頼関係や一体感が知的障害者本人が情報を精査する際の基準となる可能性がある。著者が参与している本人の会において、知的障害者である会員が、自分の意見を述べる際に「支援者の○○さんも言ってたんだけど…」と他の支援者や仲間を説得する言葉として信頼する支援者の名前を挙げることがある。そこには、支援者と知的障害者本人が、本人の会をつくり上げてきた過程の中で生じた共感があるのではないだろうか。支援者が本人に共感し、本人が支援者に共感する関係の中で、支援者の意思を自分の意思と混同する当事者、もしくは、信頼する支援者と同じ意見であるという安心感を得る当事者もいるのではないだろうか。信頼関係があればあるほど、盲目的に「良い情報」だと信じてしまう危険性があるのである。
 津田は、本人の会の支援における本人の支援者の関係性の変容についての支援者の回答に「支援者の意見が会の決定に与える影響が大きくなっている」と答えた人が有意に多かったとし、この回答について支援者自身がその影響の大きさを反省的に捉えることが出来るという解釈と実際に支援者の発言の影響が大きくなっているという解釈の両方が考えられるとしている(津田2002:76)。いずれの解釈においても、支援者の発言が会に大きな影響を与えることを示しており、支援者が意図的に行う 情報提供によって、支援者の価値観に沿う当事者を創り上げられる危険性を孕んでいる。
本人活動支援小委員会は、支援者についての原則に「支援者は本人によって選ばれる」こと、「日常的に生活の支援を行っている人は、支援者とし好ましくない」ことを挙げている(本人活動支援小委員会1999:12、13)。しかし、実際には支援者の確保が困難であり、本人たちが利用しているグループホームの職員や障害福祉サービス事業所の職員が支援者をしている会も多く、本人たちが支援者を選ぶことはできない現状がある。B氏が支援する本人の会も支援者は障害福祉サービス事業所の職員が担っているが、インタビューの中で、「ボランティアさん来てもらえたらいいよねと、募って来てもらったこともあったんだけど、…(中略)…夜しか集まれないということもあって、そのボランティアさんも夜の時間帯は来れないとか色んな事情が重なって、結局長続きしなかったってだけのことで、今ももちろん手伝ってくれる人がいれば、やってもらいたいし、ですね」と本人の会の活動時間を支援者の都合が合わず、職員以外の支援者の確保が難しいことを語っている。しかし、一方では「でも、誰でも出来ることではないのかなと思うんですよね」、「それはしなくていいから、ということをやっちゃったりとかね」と支援者の特性について重視する結果、障害者との関わりに慣れている職員の方が支援しやすいと感じている様子も垣間見える。また、C氏は支援者の確保について「出張で行かせてます。うん、そういう環境にしないと準備出来ないですよね。…(中略)…施設から出して、勤務でちゃんと出しているから。記録を取ってね、きちんと話された内容を引き継いでいくっていうことが職員の中でされていなかったら、本人たちではやっていけないんだよね。…(中略)…やっぱり業務としてきちんと保障してあげないと出来ない」と語っている。本人活動の継続的な支援を考えた際、支援者の確保は大きな課題であり、日常的な支援を行っている職員を支援者とすることで継続的な支援を確保できている。このように、支援者のなり手がいない現状において、本人が支援者を選択することが出来ないという問題があるのである。

おわりに
 本人の会及び当事者運動組織の支援をしていく中で、支援者自身も「知的障害者の権利とは何か」を学び、その支援を変化させている過程がある。当初、「知的障害者の権利」について特別な意識や価値観を持っていなかった支援者も、当事者の発言によって支援者自身が知的障害者の力を見過ごしてきたことに気づかされている。そして、知的障害者とともに社会の中で知的障害者の置かれている現状と向き合い、彼らの権利について、考えていく中で支援者自身の価値観も変容し、支援の仕方も変化していく。
 今回の調査協力者は、現在50代60代の入所施設の支援経験者であり、本人活動が始まった頃に、知的障害者本人とともに本人活動とは何かを学び、その中で大きな矛盾を感じながら、本人の会の運営において試行錯誤しながら支援の形を変化させてきた世代である。その矛盾や葛藤が大きいほど、支援はより本人中心でなくてはならないという意識も持ちやすい。しかし、調査協力者よりも若い世代の支援者は、ある意味では利用者本位、意思決定支援の重要性なども学んできた世代であり、生活支援の考え方や方法を本人活動支援に適用させていくことに対して、矛盾を感じにくいといえるのではないか。B氏は若い支援者について「(行事の司会で詰まってしまった会員がいた際に)若い見ていられなくなった支援者が傍に行って、あぁだよ、こうだよって教えてあげたりね、それって余計なお世話だなって見ていたんだけど。…(中略)…そういう出来ることまで奪わないっていうかね、そういうところは共通認識が出来ていないっていうか」と語り、「ちゃんと私たちの考えも引き継がれてこなかったので、そこはこう足抜け出来ないなと思ってます」と次世代の支援者を育成する必要性を感じていた。
 転ばぬ先の杖を差し出すこと自体が本人活動支援においては過剰なのだと気が付かない限りは、本人が真の意味で主体的に活動することはできない。また、その支援が誘導的になる危険性を孕んでいることを自覚しなくてはならない。どのように知的障害者の権利を護る運動を行っていくのかを支援するために、権利とは何かを共に考えていく中で、ともすれば彼らの意思決定や当事者運動を方向づける支援になりかねないのである。

文献
穂積功一,2007,「知的障害者の本人活動の歴史的発展と機能について」,『吉備国際大学社会福祉学部研究紀要』第12号,吉備国際大学
古井克憲,2012,「日本における知的障害者の当事者活動・当事者組織:先行研究の分析と整理を通して」,『社会問題研究』第61巻,大阪府立大学人間社会学部社会福祉学科
西村愛,2005,「知的障害児・者の自己決定の援助に関する一考察一援助者との権力関係の観点から一」,『保健福祉学研究』4,東北文化学園大学
佐藤郁哉,2008,「質的データ分析法―原理・方法・実践」,新曜社
立岩真也・寺本晃久,1997,「知的障害者の当事者活動の成立と展開」,『信州大学医療短期大学部紀要』第23巻,信州大学
本人活動支援小委員会編,1999,「本人活動支援’99」社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会
本人活動支援委員会編,2004,「本人活動支援2004」社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会
光増昌久・花崎三千子・中山いくみ・後藤大輔・三浦正春,2002,「北海道における知的障害者の当事者組織の活動の歴史と現状」,『北海道ノーマライゼーション研究』No.14
津田英二,2002,「セルフ・アドボカシーにおける本人と支援者との関係性の変容」,『神戸大学発達科学部研究紀要』10巻1号




*作成:安田 智博
UP: 20181110 REV:
障害学会第15回大会・2018 障害学会  ◇障害学  ◇『障害学研究』  ◇全文掲載
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