「「健全」な労働力を「培養」する――『少数派報告』第1部(1909)を手がかりとして」
高森 明 2018/11/18
障害学会第15回大会報告一覧,於:クリエイト浜松
last update: 20181110
2018年障害学会発表 自由研究発表(壇上報告・手話通訳用)
スライド1はタイトル
【問題設定】⇒スライド2
イギリスにおいて、いつ、いかなる事情によって、障害者は「非生産性」と結びつけられて認識されるようになったのでしょうか?報告者が注目しているのは、19‐20世紀転換期の言説と実践です。直接的な手がかりとしては、同時期の社会政策において障害者が「非効率」という尺度で論じられ、公的失業対策の対象から除外されようとしていたことが挙げられます。間接的な手がかりとしては、同時期に将来の「健全」な労働力を確保するために、障害児発生予防のための取り組みが積極的に議論されていたことが挙げられます。本報告では、後者に手がかりに注目しながら政策思想史的な考察を行います。
【対象と方法】⇒スライド3
社会政策学者でナショナル・ミニマムの提唱者でもあったウェッブ夫妻は20世紀初頭から、障害児発生予防のための衛生的取り組みについて活発な発言を行っていました。そして、自らが起草の中心になった1909年王立救貧法委員会における『少数派報告』第1部第3章「出生と幼少期」においては、5歳以下の乳幼児を対象とした障害児発生予防に関する議論の集大成となるような政策勧告を行いました。
本稿では、同報告第第3章におけるウェッブ夫妻の言説を手がかりの中心としながら、その政策勧告が何を問題にし、どのように障害児発生予防の取り組みを行おうとしていたのかを思想史的に明らかにすることを目指します。ただし、第3章の内容を補うため、必要に応じて、第1部第1章「一般混合型ワークハウス」、第2章「今日の院外救済」、第6章「精神欠陥者」にも言及することになります。
【先行研究】⇒スライド4
第3章の議論は大きく三つの流れが合流しています。一つ目の流れは1897年のウェッブ夫妻の主著『産業民主制論』以来の議論で、産業効率を維持するために将来の労働力である児童の量的確保が主張されました。二つ目は、1901‐1904年にウェッブ夫妻も参加した国民効率運動における国民の「身体効率」維持のための議論であり、「身体欠陥」の予防が主張されました。そして、三つ目の流れは、1904‐1908年に開催された「精神薄弱者の保護と監督に関する王立委員会」の調査結果に関する議論でした。この調査では、都市のワークハウスの18%、農村のワークハウスの12%、院外救済の受給者4万人〜5万2000人が「精神薄弱者」か「てんかん者」であると報告され、『少数派報告』第1部第6章の議論にも反映されています。ウェッブ夫妻の関心が将来の労働力の量的確保から、障害児発生予防に向かっていったことが窺われます。
先行研究においては、社会政策史、経済思想史が1970年代から「身体効率」の議論に注目したのに対して、優生学史、優生思想史は1980年代から社会主義者であるウェッブ夫妻の優生政策に注目しました。
しかし、いずれの研究もそれぞれが注目する分野の取り組みの研究に終始しており、ウェッブ夫妻の乳幼児衛生構想の全体像、そして三つの議論がどのように結びついているのかを俯瞰した議論はありません。
本報告は社会政策の使命の一つを「健全」な労働力の「培養」とした大河内一男の分析視点を採用します。報告者自身は、大河内の「培養」政策自体には賛成しませんが、その理論は20世紀前半の社会政策の特徴をある側面から的確に捉えていると評価しております。ウェッブ夫妻の乳幼児衛生構想は大河内の言う「培養」政策と捉えることができます。ただし、大河内の著作は、「培養」の具体的な取り組みが何であるのかを明らかにしていないため、『少数派報告』の記述を手がかり「培養」政策の具体像を示すことが求められます。
【第1部第3章の概略】⇒スライド5
本題である第3章の概略を示しましょう。第3章の主題は、他の世代に比べて減少することのない5歳以下の乳幼児の高い死亡率を、いかに減少させるかにありました。
ウェッブ夫妻は自らの乳幼児衛生の究極の目標として「適者生存」と「人種の改良」を掲げました。通常、「適者生存」とは人々の生死を淘汰に任せることを意味しますが、ウェッブ夫妻にとっては、人為的介入により、乳幼児の死亡率を下げ、「健全」な労働力を量的に増大させることを意味していました。目標を達成するための具体的な取り組みとしてウェッブ夫妻が挙げたのは、「精神薄弱者の出産防止」、「未成年の母親の性的不道徳からの救出」、「乳幼児死亡率の減少」でした。ただし、第3章を通読する限り、議論の中心となっているのは、「乳幼児死亡率の減少」です。
当時、困窮した母親が養育する乳幼児衛生を担っていた公的機関は、母親の扶助と医学的処遇を行っていた困窮当局と、医学的助言と食料提供を行っていた地方保健当局でした。このうち、ウェッブ夫妻が乳幼児死亡率を高めている主犯格と見なしたのは、救貧法の下でワークハウスと院外救済の運営を行っていた困窮当局でした。困窮当局を廃止し、乳幼児衛生を地方保健当局に一元化するというのが、最終的な勧告となっています。
【乳幼児死亡率について】⇒スライド6
主題である「乳幼児死亡率の減少」から見ていきましょう。ウェッブ夫妻はワークハウス救済と院外救済の何が乳幼児死亡率を高める原因になっていると考えたのでしょうか。
まず、ワークハウス救済、院外救済のいずれを受けている母親も子育てや衛生の教育がなされていないことが指摘されました。当時はワークハウスを出産時の「産科医院」として利用する困窮女性が多くいたのですが、これらの女性は出産した後すぐにワークハウスを退所してしまうため、教育を行う機会がなかったことが指摘されました。
また、母親と乳幼児がワークハウスに長期滞在したケースでは、ワークハウス自体が不潔で、乳幼児たちに対して十分な栄養のある食事が提供できていなかったことが指摘されました。さらに、ワークハウスに預けられた孤児、捨て子たちの養育が「精神薄弱者」を含む「精神欠陥者」、「虚弱者」などに委ねられ、適切な養育ができていないことも問題とされました。「精神欠陥者」の養育能力が問題とされていたという点は、本稿において重要なポイントです。
院外救済においては、不潔で通気が悪く、悪臭のする住居で暮らしている受給者が多く、日中に母親がいない状態で自宅に不衛生な状態で放置されていた乳幼児が多いことが指摘されました。
【乳幼児の身体の「退化」】⇒スライド7
さらにウェッブ夫妻は低栄養、人口密集地域の不衛生な住居環境が乳幼児死亡率を上昇させているだけでなく、「人種の退化」をも引き起こしていると警告を発しました。「人種の退化」の象徴としてウェッブ夫妻が取り上げたのは、乳幼児の「くる病」でした。ウェッブ夫妻の医学知識では「くる病」は神経の異常によりてんかん、ひきつけ、結核、「不具」の原因になると考えられていました。第2章では、不衛生な居住地域で院外救済を受けている受給者たちの中に「正気のてんかん者」、「不具者」が多く見られることを指摘している箇所も見られます。
「くる病」の発生防止に関する政策勧告は、低栄養、不衛生な住宅環境といった後天的な障害児発生の予防を重視した1904年以前のウェッブ夫妻の議論を反映していると言えるでしょう。乳幼児死亡と身体の「退化」は同じ原因で起こるというのが、ウェッブ夫妻の認識でした。
【生殖する女性の選別と管理@】⇒スライド8
ウェッブ夫妻の乳幼児衛生に関する議論においては、生殖する女性の選別と管理が極めて重視されました。「精神薄弱者の出産の防止」、「未成年女性の性的不道徳からの救出」はなぜ「適者生存」と「人種の改良」の妨げになると考えられたのでしょうか。例によって、ワークハウス救済と院外救済の何が問題とされたのかを見ていきましょう。
まず、ワークハウス救済ですが、第1章においてワークハウスが男女を同じ施設に収容しているため、「精神薄弱」女性が男性との間で性交し「非嫡出子」が生まれる可能性が高くなっていることが指摘されました。また、前述したワークハウスを産科医院として利用する場合に、女性の審査が十分行われておらず、未婚の「精神薄弱」女性や「道徳欠陥」女性が公費を使って出産していることが指摘されました。ワークハウスに収容された未成年の母親に対しては、先に収容されていた年上の不道徳な女性が悪影響を与え、性的不道徳を強化してしまうことが指摘されました。
院外救済については、ワークハウス救済と同様、救済の対象となる女性の審査が十分に行われていらず、「精神薄弱」女性、道徳的に欠陥のある女性の公費による出産を認めてしまうことが問題とされました。また第2章では、救貧法本来の理念では嫡出子を持つ寡婦のみに救済が認められていたにも関わらず、各地の条例が不統一なため、非嫡出子のいる寡婦、未婚の母親、夫から捨てられた母親も救済の対象とされていることが問題とされました。
【生殖する女性の選別と管理A】⇒スライド9
以上のような認識の下、『少数派報告』第3章は、地方保健当局により乳幼児を養育している困窮した母親に@助産婦訪問サービス、A医学的、衛生的助言、Bミルクを提供することが勧告しました。同時に地方保健当局は、未成年の母親の道徳低下を防止するため、非嫡出子を産んだ未成年の母親に対しては個人の責任を強化するために施設において更生教育を行うべきであること、悪質な母親は継続的な監視下に置き、子どもを死なせてしまった場合は起訴すべきであることが勧告されました。
そして、「精神薄弱」、あるいは「精神欠陥」の特徴を持つ未婚の母は競争的な世界では子どもに対して適切な保護ができないと断定され、精神欠陥者のための地方当局において拘禁的な処遇を行うことが勧告されました。この最後の勧告こそが、『少数派報告』における厳密な意味での優生政策構想ということになります。
【まとめ】⇒スライド10
以上、「健全」な労働力を「培養」するために、ウェッブ夫妻が『少数派報告』で勧告した衛生政策の全体像を提示してきました。本報告を通じて、低栄養、不衛生な住居環境の改善により乳幼児の死亡、「退化」を防止しつつ、「道徳欠陥」女性、「精神薄弱」女性を生殖、養育の領域から排除することにより、「健全」な労働力の再生産を進めようとするウェッブ夫妻の乳幼児衛生政策の一旦が明らかになりました。優生政策はウェッブ夫妻の乳幼児衛生政策の取り組みの一つでしかありませんが、「健全」な労働力を「培養」しようとする政策構想が、障害児発生予防の取り組みと結びつき、障害児を生まれることの歓迎されない存在に仕立て上げてしまったことは決して軽視されるべきではありません。
今回の報告はあくまで衛生政策における言説の歴史を扱ったに過ぎませんが、当然のことながら実践面で何が行われたのかも研究されなければならないでしょう。また、第3章が参照した障害者に関する調査報告書は入手可能なものが多いので、遡って考察してみる必要があるでしょう。
*作成:安田 智博