戦前の社会政策思想史に関する著作の中で、日本の社会政策学者大河内一男は社会政策の使命を、肉体的に「健全なる」社会層の「保全」と「培養」であると述べていた(大河内,1939,p.97)。筆者は、第二次世界大戦中に国家統制の下での「健全」な労働力の「保全」と「培養」を力説した大河内の社会政策構想そのものに賛成するつもりはない。しかし、大河内の考える社会政策の使命は、20世紀前半までの社会政策学の重要な特徴を的確に捉えているとは評価している。報告者がつけ加えるとすれば、20世紀前半の社会政策学は、公共職業安定所、職業訓練機関を通じて、「健全」な労働力の選別を行うとともに、「不健全」な労働力の「摘み取り」を目指そうとしていた点である。
「健全」な労働力の「保全」、「培養」、「選別」という特徴は、初期のイギリス社会政策学にも強く見られる。ナショナル・ミニマムの最初の理論家であるウェッブ夫妻は、産業の効率を維持するためには、国民の身体効率(physical efficiency)を維持することが不可欠であるとする観点から、「健全」な労働力の「保全」、「培養」、「選別」を積極的に推進しようとした。これらの社会政策の取り組みのうち、「保全」「選別」については、高森明が障害学の観点から主にウェッブ夫妻の政策構想からその特徴を明らかにしようとしている(高森,2018,p.144,p.159)。しかし、「培養」を実現するための政策構想については、先行研究が十分に扱っているとは言いがたい。
「健全な」労働力の「培養」について、ウェッブ夫妻はすでに主著『産業民主制論』(1897)の中でその重要性を指摘していたが、具体的にどのような取り組みを行うかについては十分な言及がなかった。しかし、1909年王立救貧法委員会における『少数派報告』第1部第3章「出生と幼少期」において、個人衛生(individual hygiene)の観点から「健全」な労働力を「培養」するための具体的な取り組みについて勧告を行っている。本報告では同報告第1部第3章を中心にして、ウェッブ夫妻がどのように「健全」な労働力を「培養」しようとしたのかを明らかにしようと試みた。
第1部第3章において主題となっているのは、乳児死亡率を減少させるための取り組み、骨軟化症を予防するための取り組みだが、本報告ではあえて主題とは言えない生殖の管理に関する取り組みに重点を置き、今大会のシンポジウム1に対する筆者なりの話題提供を行いたい。