[トーク]女子文化としての『オリーブ』の位置づけ――消費・創造・フェミニズムの観点から
[Talk] Positioning the Magazine "Olive" as/in Girls' Culture: From the Perspectives of Consumption, Creation and Feminism
村上 潔(
MURAKAMI Kiyoshi)[トークゲスト]
2018/11/11(Sun)15:00〜15:30
於:Cross Rhythm(クロスリズム)[Nishijin, Kyoto]
*
《『オリーブ』閲覧室――乙女カルチャーを振り返る》内の企画
as Part of "'Olive' Reading Room: Looking Back on the Girlie Culture"
last update: 20190921
■内容
【以下は、当日配布したハンドアウト(A4/2p.)に掲載した内容に、若干の加筆修正を加えたものです。実際のトーク時間は、15:20頃から、40分間でした。】

■1■ 性質・定義・位置づけ
●高度消費社会/物欲/競争/自立/啓蒙
× [段階差はあるが共存]
●ナチュラル/エコロジー/エシカル/教養主義
◆リベラル・フェミニズム
*表面的(キャッチフレーズなど)にはラディカル・フェミニズム的な装いが(ファッション的に)施されている
*(恋愛/労働)市場での競争に批判的でありつつ否定はしない――消費が前提ゆえ
*(エコロジーを扱っても)エコフェミニズム的な度合いは低い
×
◆第3波フェミニズム[文化政治|私的領域|個人主義|メディアを通じたクリエイティヴィティの発露とそれによる親密圏の構築|「女性」という一面的括りからの差異化]
*時代的に80年代『オリーブ』はその前段階にあたるが雑誌の全体的性質としては親和性が認められる
*第2波の運動のことは知り/認めつつそれは過去(親世代)のものという位置づけ[継承しながら同一化は拒否する]
*個人的な趣向/センスとそれにもとづく女子同士の親密性を基軸とした自律的活動(シスターフッドを謳うことはないが読者投稿欄等を通じて共感/同志感情を醸成)
*「差異」・「多様性」への意識:各人が「オリジナル」であることを重視・尊重
*オリーブ「少女」[girl]としてのアイデンティティと主体性(価値創造)・自律性
■2■ 背景と方向性
▼(ポスト)均等法世代として
◇キャリアか専業主婦か――でもどちらにも寄らない/寄れない存在
◇男子には負けない!――が――男並みは目指さない
◇「私らしく」自己実現
▼労働/生活
◇クリエイティブ/カタカナ専門職/起業
◇〔現在では〕保育所増設運動(not共同保育)を担う層
◇〔現在では〕「#MeToo」的な運動に共感し支持する層
▼消費/生活
◇賢い消費者/エシカルな消費 *消費者「運動」とは無縁
◇「ていねいなくらし」/「生活者」として:「生活」全体をコーディネート
◇〔現在では〕「まちづくり」/コミュニティ活動を担う層
■3■ その先/外へ?
『クウネル』読者で/MUJI家具に囲まれた/クリエイティブに働く/意識の高い「大人女子」――が着地点?――ではないとしたら/だけでないとしたら……
◎DIY主義の/消費によらない生活実践とそれによる価値創造
◎オルタナティヴな家事・育児実践――家族規範への対抗
◎「女子」アイデンティティの(クィア的)再構築→拡張へ
◎住民運動/環境運動――自らの生活/活動拠点における「(再)開発」への対抗
◎都市→郊外→ローカルの(行き着いた)先で世界の「女性」たちとつながっていく
本当の意味での「『オリーブ』からの卒業」とは、メディア産業(含:マガジンハウス)・消費社会、そして資本主義社会と家父長制的システムを相対化し、問題化し、行動する立ち位置を獲得した時点なのでは。
そして、そこから草の根のフェミニズムへと一歩あゆみ出す……。
そんな展開は、勝手な期待にすぎないのかもしれない。
でもそれはたぶん、きっとどこかですでに起こっているはず。近くの誰かが実現しているはず。それを伝えるメディアは、もう自分で作るしかない。
■引用
◆高橋律子 20130226 「雑誌『オリーブ』をめぐって――「雑誌の時代」と少女カルチャー」林央子・高橋瑞木・児島やよい・高橋律子・薮前知子『わたしを変える“アートとファッション”――クリエイティブの課外授業』PARCO出版,125-162
- 「オリーブ少女」というキーワードが登場するのも「〜Romantic Girls」になってからなんです。「少女」という言葉自体がほとんど使われなくなってきた時代に、あえて「オリーブ少女」という言葉を登場させたことが、『オリーブ』のユニークなところです。「かわいい」という編集方針はすごく時代に乗っているけど、その内実は少女性への回帰だった。この、時代に逆行するようなリニューアルが、大成功するんですね。|わたしは、『オリーブ』は新しい時代に向けて、「かわいい」を再定義したのではないかと考えています。[…]『オリーブ』で言っている「かわいい」の価値観は、「かわいくて、強い」。┃(p.143)
- 『オリーブ』の「かわいい」は、自分を見つめて自分を磨くことによって、女の子はもっとかわいくなるし、もっと強くなるし、もっと素敵になる、そういう「かわいい」だった。「かわいく」あるということは、実は「強さ」であるという発想がここにあると思います。┃(p.143)
- 少女を失わないために頑張ることが、女の子の生き方として「強さ」になり、だからこそ「ピュア」でなければいけない、という新しい「かわいい」の価値観を、『オリーブ』は伝えてくれていた。[…]その価値観を守り続けている人たちのなかにあるのは、こうした肯定的な少女性――「弱さ」ではなく「強さ」であり、クリエイティブであること――だと思います。┃(p.153)
- 『オリーブ』が教えてくれた「少女」とは「終らないもの」で、「失ってはいけないもの」というメッセージなのかなと感じています。┃(p.154)
- 時代に逆行しているかもしれないし、気恥ずかしさもあるけれど、『オリーブ』が大切にしていた「ピュア」であることや少女性の部分は、いまも、メッセージとして伝えるべきなでは〔ママ〕ないでしょうか。┃(p.154)
- 『オリーブ』が持っていた、「ピュア」で「かわい」くて「強い」感覚は、「ひとりでも生きていける」「ひとりの時間を楽しむ」ということでもあったと思うんです。ロリータファッションはそこがちょっと欠落していて、どちらかというと「弱く」て「かわい」くて「はかなげな」というところが誇張されている気がします。だから常に仲間がいて、ひとりで歩いている子よりは、2人組とかで見ることが多い。そういう風に、ひとつのスタイルになってしまっている、自分らしさがすごく限定された範囲になってしまっているのは、残念だと感じます。┃(p.157)
◆近代ナリコ 20130620 『女子と作文』本の雑誌社,222p.
◇文化系女子の女学生時代――『オリーブ』「読者からの手紙」/『オリーブ・クラブ』(pp.65-73)
- 『オリーブ』の「読者からの手紙」は、雑誌のキャッチフレーズが“Magazine for City Girls”から“Magazine for Romantic Girls”となった二九号からスタート。開始当初は、『ポパイ』の妹版として創刊された頃の名残りを引きずってか、恋愛話や、オカシ屋ケン太(泉麻人)のコラム「おやつストーリー」への反応としてローカルなお菓子、そのキッチュでB級なパッケージの報告などが多い([…])▽△|そんななか、平凡出版からマガジンハウスへ社名が変更、いつしか読者層も女子大生から女子中高生へと若年化。「読者の手紙」には、学校生活のこと、好きなお店のこと、青春の悩みなど、女学生らしいお便りが増えてくる。[…]|なによりも目につくのは、私のお気に入りや手作りのアイデアをおしえちゃいます! という手紙とともに紹介される〈かわいいモノ〉たち。手紙とともに小さな雑貨を送ってくる読者がよほどおおかったとみえる。それはいつしか、「素敵なレター ピックアップ」というかわいいモノ紹介&プレゼントコーナーへと発展。┃(pp.66-67)
- 『オリーブ』という媒体は、「“私のかわいい”をみて!」という、この年頃の女子の欲望の受け皿であった。┃(pp.69)
- 「素敵なレター、ピックアップ」はその後、「From Olive Girl To Olive Girl」というプレゼントコーナーに変わる。[…]ところがこれ以降、あれほど誌面にあふれていた「かわいいモノ」はめっきり姿を消し、編集部でテーマを定めてエッセイを募った「ちいさなエッセイ」というコーナーが設けられたり、本についての手紙をあつめた特集が組まれるなど、お便り主体の誌面になっていく。この路線変更に一役買っていたのが、八六年から八七年に採用された手紙を集めた投稿集『オリーブ・クラブ わたしたちのないしょ話 聞かせてあげる』(マガジンハウス、一九八八)だろう。┃(p.69)
- この本がでたあと、投稿欄は「Olive Club」と名を変えた。手作りやかわいいモノ探し、旅行に留学、好きな本や映画について語ること、イラストや文章を書くこと等々、〈本編〉以上に、当時の、そしてその後の女子たちが夢中になった〈表現〉の詰まった投稿欄を眺めていると、さんざん言われてきていることとはいえ、『オリーブ』の文化度の高さに感心させられずにはいられない。┃(p.73)
◆山崎まどか 20141020 『オリーブ少女ライフ』河出書房新社,207p.
- 「ポパイ」のガールフレンドマガジンから、ロマンティック路線に大きく舵を切った198▽△3年の蝦名芳弘編集長の立ち上げ期から、その路線を完成させた淀川美代子編集長時代までが、八〇年代「オリーブ」の最盛期だ。|私が熱心に読んでいた1985年、「オリーブ」は公称六十万部の人気雑誌だった。1987年に新編集長に受け継がれ、最初は五十五万部の部数を維持していたが、1990年度にはがくんと十万部、部数を落としている。同世代の女性読者を対象としていた「non-no」が百三十万部から百五十万部に大幅に部数がアップしたのと対照的だ。|1991年、後に「クウネル」を立ち上げる遠山こずえ編集長時代になると、都内私立の勝ち組女子の要素は「オリーブ」から消えていた。|この頃の「オリーブ」の想定読者は、八〇年代と比べてよりはっきりとしていたように思う。渋谷系の音楽やお洒落な六〇年代映画を好み、カフェや雑貨店が大好きな女の子。彼女たちは学校ではオルタナティブな存在だ。部数が落ち、時代が変わってファッション誌を読む少女たちが細かくカテゴライズされたところで、「オリーブ」のイメージは固まった。現在、「オリーブ少女」と聞いて人々が思い浮かべるのは、この世代の読者のことではないだろうか。細分化され、先鋭化した分、読者の側にも自分は「オリーブ少女」なのだというアイデンティティが強くあったのかもしれない。|私が「オリーブ」を読んでいた時期は、違った。私のように学校では変わり者の女の子も、人気者のグループも、洋服や素敵なことに関心がある子はみんな「オリーブ少女」だった。┃(p.138)
◆酒井順子 20141120 『オリーブの罠』講談社(講談社現代新書),261p.
- 初期『オリーブ』は、遊ぶのは大好きだけれど根は保守的な女子大生向けだったことがわかります。┃(p.15)
- 大ブームになってからの『オリーブ』しか読んでいない方は、ロマンチックでパリでリセエンヌな『オリーブ』しか知らないかと思いますが、実は『オリーブ』には、このようにアメリカかぶれだった過去があるのでした。創刊から一九八三年途中までの『オリーブ』は、カリフォルニアの青▽△い空と日焼けと短パンが似合う女子大生を相手にしていたのです。┃(pp.19-20)
- 赤文字系雑誌を読む女子大生は、[…]全ての行動をとる時に判断基準としたのが「男ウケするか否か」。対して『オリーブ』が求めたのは、「男にウケるか」でなく、「自分が興味を持てるか」「個性的か」といった判断基準で行動する女子大生。|初期『オリーブ』はすなわち、赤文字系雑誌へのアンチテーゼとして存在していたところがあります。かといってそれは、女の自立を叫ぶ雑誌でもありません。┃(p.32)
- 素足に短パンで健康的に日焼けした女の子が、オリーブ女子大生だったのです。┃(p.33)
- 八〇年代前半の女子高生は、「いまここ」にいたくない、と思っていました。[…]オリーブ読者達は、ダサい日本が嫌で、リセエンヌに憧れた。両者の方向性は違えど、女子高生達は「ここではないどこかに行きたい」と思っていたのです。┃(p.68)
- 「日本の女子高生」は、様々な恥ずかしい時代を通り抜けながらも、今ここに、一種の安定期を迎えたと言っていいでしょう。そして、その安定期の遠因となったのは『オリーブ』という雑誌の存在です。少女性と処女性の稀少価値を日本の少女達に気付かせたのは、他ならぬ『オリーブ』。少女であることを自覚して楽しむようになったオリーブ少女が、やがて「いつまでも少女でいたい」という願望を抱いてしまうことに、この頃の私達はまだ気付いていません。┃(p.69)
- オリーブファッションとはどのようなものであったのかと考えた時、すぐ頭に浮かぶのは、「ガーリー」「かわいい」といったイメージでしょう。しかし意外なことにこの二つの言葉は、『オリーブ』にはほとんど登場しません。オリーブ少女達は、実は「ガーリー」で「かわいい」女の子を目指していたわけではないのです。┃(p.125)
- 『オリーブ』=「ガーリー」というイメージが強くなってきたのは、九〇年代後半以降でしょう。初期に『オリーブ』を愛読していたオリーブ少女は、成長とともにガールでは▽△なくなり、しかしそれでも『オリーブ』的世界が大好きであるために、ガーリーさを維持し続けようとしました。┃(pp.125-126)
- 『オリーブ』の方向性を示唆するような文章には、まるで禁止されているかのように「かわいい」という言葉は使用されていないのです。|しかしこれも、「オリーブ少女がかわいいのは自明」という共通認識があったからなのかもしれません。「かわいい」を目指すのでなく、かわいくて当たり前の少女を、ファッションの力で別次元にワープさせるのが『オリーブ』の基本姿勢だったのではないか。┃(p.126)
- 「異性の視線ばかり意識した、モテのためのファッションなんてつまらない。自分のために、自分の着たい服を着ようよ!」|と、『オリーブ』は日本の少女達に呼びかけたのです。|[…]それは、日本の少女が服装を通して「自分」というものを考えた最初の時だったのではないか。|その時、少女達にとって「かわいい」という言葉は、特に必要ではなかったのでしょう。大人や異性といった他者から「かわいい」と評価される必要は無い。自分が「好き」な服が着たい、と。┃(p.128)
- 「おしゃれ」は『オリーブ』にとって最も大切な言葉でありモットーなのであり、「おしゃれ」シャワーを浴びることによって、オリーブ少女達は「おしゃれにならなくては」と焦燥感を覚えたわけですが、それは決して嫌な感じではなかった。▽|△なぜこれほど、「おしゃれ」という語が頻出するのかといえば、『オリーブ』が目指した理想の少女像が、「全方位的におしゃれな女の子」だったからです。服や髪型だけがおしゃれなのではなく、持ち物も居住空間も食べるものも行動も、全てにおいておしゃれを目指せと、『オリーブ』は唱えました。┃(p.133)
- とどまるところを知らない、オリーブファッションの勢い。それは他でもありません、「モテるためのおしゃれ」ではないからこその、自由さなのです。[…]少女であるからこそ多少の奇矯さは許され、かつモテるためにがっつく必要もない。『オリーブ』が読者を「少女」に設定したのは、誠に理にかなった行為であったと言っていいでしょう。┃(p.152)
- モテ系、愛され系ファッションを目指さなかった、『オリーブ』。それは何故なのかと考えてみますと、まず挙げられるのが「社風」なのだと思います。平凡出版/マガジンハウスが現在までに刊行してきた女性誌群を見ても、どれ一つとして「モテ」を志向したものはありません。『オリーブ』もまた、その流れに乗ることが宿命であった雑誌なのです。┃(p.154)
- ファッションのアイコンとしてのみリセエンヌを使用しているように見えた『アンアン』でしたが、やっぱりリセの背景には「男女平等」があった。┃(p.169)
- 『アンアン』において消化しきれないままに消えていった「リセエンヌ」が、雌伏の時を経て『オリーブ』誌上に復活したのです。|とはいえ『オリーブ』におけるリセエンヌは、『アンアン』におけるリセエンヌがうっすらと漂わせていた、「自由」「男女平等」といった思想的・政治的な匂いからは、全く自由になっていました。┃(p.170)
- 『オリーブ』におけるリセエンヌは、オリーブ少女のファッション面での目標としてのみ、機能したのです。|とはいえ平凡出版/マガジンハウスの女性誌編集者達は、リセエンヌ概念に対して、「男に媚びない」という感覚だけは、持ち続けていたのだと思います。┃(p.171)
- この時代に、『オリーブ』がかなり強烈なナチュラル志向を打ち出してきたのは、やはり「バブルだったから」なのだと私は思います。お金さえあれば何でも買える時代に、『オリーブ』は「そうではないでしょう」と警鐘を鳴らしたかった。┃(p.177)
- 世の中全体がイケイケムードだった八〇年代そしてバブルの時代に対して違和感を覚えていた『オリーブ』の編集者達は、自らの夢を、オリーブ少女に託したのだと私は思います。時代がどんどん俗化していく中で、『オリーブ』の中でだけは、少女を「聖少女」にしておきたかった。┃(p.179)
- 『オリーブ』は、女同士の距離を縮める役割を果たした雑誌でしたが、女に好かれる女が男に好かれるわけではないということを、この頃の私達はまだ知りませんでした。┃(p.182)
- 世の中では、ニュートラ派の女達が男性に好かれるテクニックをどんどん身につけているというのに、オリーブ少女はデートの時すら、「男の子が好む格好」でなく、「自分が好きな格好」をしようとしているのですから。┃(p.182)
- 『オリーブ』を読みながらも、ファッション面ではあまり参考にせず、むしろ赤文字系に寄っていった付属校系オリーブ少女は、少なくなかったのでした。┃(p.187)
- 『オリーブ』では、ファッションの情報を少女達に過剰にそして事細かに与えすぎて、かえって「私は本当は何を着たいのか」という思考を奪っていたのではないかという気が、今となってはしてきます。┃(p.190)
- 付属校カルチャ−色が薄れてきたのは八〇年代の末かと思われますが、その頃から『オリーブ』は、文化系色を濃くしていきます。おしゃれの他に『オリーブ』でよく取り上げられた話題は、アート、映画、文学。ロマンチック路線に転向する前のごく初期の『オリーブ』が、サーフィンだのカリフォルニアだのと言っていたとは夢にも思えない、文化系になってきたのです。┃(p.206)
- 『オリーブ』は、オリーブ少女達に対して、ただ「おしゃれであれ」と言っているだけではありませんでした。『オリーブ』は確実に、読者である少女達を、ある方向へと誘導しようとしています。すなわち「流されるな、自分で物を考えろ」と。その先には、「男にモテさえすればいいと思うことなかれ」「男に唯々諾々と従うことなかれ」という思想も含まれているということが、今の私にはわかる。┃(p.214)
- 『オリーブ』が推奨する仕事は、男女雇用機会均等法だの総合職だの一般職だのといった枠の外にあるものなのでした。会社員の世界と違って、実力があれば男女差はさほど感じずに働くことができ、また目標とすべき女性の先輩も比較的早くからいる、という世界。┃(p.223)
- 『オリーブ』▽△は、多くの少女達に「自分も何か才能があるのではないか」と思わせ、彼女達の勤労意欲を刺激したのです。┃(pp.223-224)
- 結婚が第一目標の赤文字系雑誌に対して、『オリーブ』には「卒業」が用意されていませんでした。『オリーブ』が提示する目標は、「おしゃれになる」「ナチュラルに生きる」「夢を持つ」といったことなので、どこまで追求しても「ここでおしまい」ということにはならないのです。|中高生がターゲットの『オリーブ』でしたが、高校を卒業しても、はたまた社会人になってもずっと読み続けている人が多かったのは、そのせいなのだと思います。┃(p.225)
- 気がつくと世の中には、『クウネル』以外にも、『オリーブ』のにおいがするものが溢れているのでした。マガジンハウスというと、かつては斬新な雑誌を創刊しては他者〔ママ〕が後追い誌を出すというパターンが多かったものですが、『クウネル』はそのパターンが踏襲された最後の雑誌かもしれません。『クウネル』が登場して以降、ナチュラル系の女性誌はとてもたくさん創刊されたのです。|その手のナチュラル系雑誌の作り手も読み手も、かつてのオリーブチルドレンなのだと私は思うのです。┃(p.229)
- 「卒業」が用意されない『オリーブ』は、自ら死すことによって、読者を卒業させるしかなかった。そして死して地に落ちた“一粒のオリーブ”は、オリーブ少女というたくさんの実を、その後の世の中に送り出した……。┃(p.230)
- ロマンチック路線に転向して以降の『オリーブ』に通底していたのは、「異性のために装わない」という姿勢だったのではないでしょうか。┃(p.250)
- オリーブファッションとはすなわち、自己の満足のため、そして同性の友人に見せつけるためのもの。美醜でも偏差値でも運動神経でもない、「センスの多寡」という新しい評価基準を、『オリーブ』は少女の世界にもたらしました。┃(p.251)
- センスという武器さえあれば、自分の居場所を確保できる。『オリーブ』はそんな時代の幕を開けてくれたのであり、オリーブ少女▽△達は安心して女同士で群れては、お気に入りのコーディネートを見せ合っていたのです。┃(p.252)
- 「異性に媚びない」ということは、フェミニズム的な観点で言えば、正しい方針なのだと思います。[…]オリーブファッションの源に男女平等思想があるといっても間違いではないでしょう。|しかし現実を見ると、『オリーブ』は結果的に、少女達を「今そこにある闘い」から逃避させたと言うこともできます。何の闘いからかといえば、言うまでもありません。それは「異性獲得のための闘い」。┃(p.252)
- 『オリーブ』の庇護下から出ると、実は世の中はあらゆる場所が戦場であることに、彼女達は気付きます。┃(p.254)
- 元オリーブ少女達のアジール、すなわち避難場所であり聖域として用意されていたのが、「ガーリー」という感覚かのだと私は思います。┃(p.255)
- ちょうど今、元オリーブ少女達は、社会人としては働き盛りのお年頃。自分のしたい仕事ができる立場にも就いています。そんな中年力を生かして、オリーブ中年達は『オリーブ』の再評価を目指しているものと思われます。┃(p.259)
- 雑誌業界が衰退する中でも、「私は私」的な女性誌が今も頑張る姿を見ると、そこにはきっと『オリーブ』の蒔いた種子があるのではないかと思います。|主婦になった人でも、生活の中にオリーブ的なセンスはおおいに生かされているようです。[…]オリーブ的な素敵な“生活雑貨”が使用されている家庭がそこここに。┃(p.260)
◆米澤泉 20151205 『女子のチカラ』勁草書房,228p.
◇雑誌のチカラ――『Olive』というファッション遺産(pp.33-68)
- 八〇年代前▽△半、『Seven teen』(集英社)や『MC Sister』(婦人画報社[…])など一〇代の少女向けファッション誌がすでにいくつか登場していた。しかし、それらは実用的であったり、トラッドやカジュアルという既成のスタイルを踏襲していたため、その雑誌を決定付けるような独自色を持っておらず、まして独自の世界観に基づいて構成された誌面などではなかった。『Olive』はこれらのファッション誌と袂を分かち、毎号特集を組んでリセエンヌという世界を余すところなく展開したのである。これは、街の女の子のファッションを変えるだけの力を持つことになる。┃(pp.35-36)
- 近年のオリーブ現象においては、サブカルチャー的な側面やライフスタイル誌という点が強調されているが、何よりもまず『Olive』はファッション誌▽△であったということを重視すべきである。┃(pp.36-37)
- そういう意味では、『Olive』はまさに八〇年代の高度消費社会が生み出した少女雑誌であり、「ファッションブランドとメディアが手を組んで消費を煽る経済システム」(ばるぼら 2012: 87)の申し子なのであった。┃(p37)
- 物心ついた時からサンリオのキャラクターグッズによって消費の洗礼を受けている一九六〇年代後半以降生まれの少女たちにとっては、この『Olive』の戦略は極めて効果的であった。┃(p.38)
- しかし、DCブランドブームとともに八〇年代半ばにピークを迎えた後、しだいにリセエンヌは影を潜めていく。代わって、[…]ファッションやライフスタイルにおいて、ナチュラルテイストが前面に押し出されるようになっていった。|リセエンヌ路線を象徴していたエッジィでかわいい(ガーリーな)センスは、むしろ一九八九年に創刊された『CUTiE』(宝島社)に引き継がれ、『Olive』は、ますます他誌との差別化をはかるように、▽△自然派やサブカルチャー路線を志向するようになっていく。┃(pp.38-39)
- 「Magazine for Romantic Girls」というキャッチフレーズも一九九一年を最後に表紙から姿を消している。『Olive』の提示した先鋭的な美意識が拡散し一般化するにつれて、それまで唯一無二のものであった『Olive』の立ち位置が曖昧になってしまったともいえる。発行部数も激減した一九九〇年代の『Olive』は[…]一九九〇年代半ばのロハス志向や二〇〇〇年代以降のスローライフに通じるようなコンセプトが強まっていった。|そういった意味で、一九八〇年代の『Olive』と一九九〇年代から休刊を迎えるまでの『Olive』は同じ雑誌とはいえ、似て非なるものといえなくもない。┃(p.39)
- 少女というものが、明治期の学校制度により誕生し、少女雑誌などのメディアによって具体的なイメージを付与されたのだとするならば、『Olive』もまたその系譜に位置づけられるものであろう。[…]『Olive』は明治・大正期の『少女の友』や『少女画報』あるいは戦後の『ひまわり』や『ジュニアそれいゆ』のように、具体的なイメージを女子学生たちに与えると同時に、彼女たちを少女たらしめるメディアであったのだ。┃(p.45)
- 「オリーブ少女」と読者に繰り返して呼びかけることによって、読者を雑誌空間に誘い込み、啓蒙するというのは、雑誌の常套手段である。[…]|しかし、こういった『Olive』の積極的な啓蒙は、あくまでもそれを真摯に受け止める少女たちが存在して初めて成り立つものであって、肝心の少女たちが消滅し始める九〇年代になると、さすがの『Olive』の効力も薄れてくるわけである。┃(p.46)
- つまり、八〇年代のオリーブ少女とは、最も洗練された少女文化の最終形態であり、高度消費社会を背景にした最後の少女文化であったのだ。┃(p.47)
- 『Olive』テイストはやがてモード性を欠き、ロリータファッションや、ゴスロリというジャンルに継承され、独自の進化を遂げていく。八〇年代の『Olive』が提案したリセエンヌ・ファッションが形を変え、九〇年代以降はコスプレとして生き続けているのである。[…]|九〇年代に入り、[…]『Olive』はDCブランドの個性的なファッションではなく、[…]ナチュラルなカジュアルファッションを提案するようになった。その時代のオリーブ・ファッションは「森ガール」と呼ばれる女の子のスタイルに今も生き残っている。|このように、八〇年代のオリーブ・ファッションは、八〇年代という時代背景を抜きに論じることはできない。高度消費社会における「消費による自己実現」が、『Olive』という少女イメージを具現化するメディアを通して、「少女ブランド」という市場を生み出したのだ。┃(p.50)
- 高度消費社会における私探し。それは、少なくとも八〇年代においては、ファッションで自己表現することに結び付いていた。その意味では、八〇年代『Olive』とは、高度消費社会における新しい少女小説であり、『赤毛のアン』であった。少女たちはそこで、ファッションという言葉を覚え、自己表現することを学んだのである。┃(p.51)
- 付属校カルチャーを伝える唯一の読者モデル雑誌として、『Olive』▽△を楽しみにしていた酒井〔順子〕と、リセエンヌに代表される物語の主人公「オリーブ少女」になりたいと願っていた山崎〔まどか〕。[…]それだけ、八〇年代の『Olive』は幅広いタイプの少女たちを虜にしていた雑誌であったことを示しているのであり、個性的な前衛文化を志向する一方で、コンサバティブな付属校カルチャーも内包していたということだ。┃(pp.54-55)
- 栗尾〔美恵子〕さんに代表されるのが、『Olive』を卒業後、すんなりと赤文字雑誌へ移行したオリーブ少女である。八〇年代『Olive』の前衛的なファッションや思想にもそれほど共感せず、付属校カルチャーやアイドルの記事も「ノイズ」と思わずに楽しめてしまうようなタイプである。彼女たちは、ファッションにも生き方にもそれほどの強い自己主張や思い入れを持っておらず、アヴァンギ▽△ャルドなDCブランドファッションを横目で見ながら、むしろ赤文字雑誌的な保守的な生き方を自明なものとしていた。その多くは良妻賢母型のライフコースを進み、現在では『VERY』や『STORY』(光文社)の読者となっている層である。[…]しかし、八〇年代『Olive』がブームになり、オリーブ少女が一種の社会現象として扱われていたことを考えると、このボリュームゾーンの支持は無視できない。[…]栗尾さんこそ、この時代の普通のオリーブ少女を代表していたのかもしれない。┃(pp.57-58)
- 二〇一〇年に創刊された『GLOW』は、四〇代女子に向けて、自由と夢をあきらめるな、ドキドキし続けよと説く。かつての『Olive』ほど明確な世界観に基づいて作られた雑誌ではない。オリーブ少女のように、物語の主人公になれるわけでもない。しかし、『GLOW』は四〇代女子に、いくつになっても私の人生の主人公であれ、と呼びかける。[…]|『InRED』や『GLOW』が示した良妻賢母規範からのゆるやかな脱却。それは、[…]▽△「今の大人のオンナ」モデルの一つの答えであろう。┃(pp.61-62)
- 赤文字雑誌のファッションやライフコースに馴染めなかった八〇年代元オリーブ少女たち。彼女たち「大人になりたくない女の子たちのあがき」が三〇代女子、四〇代女子を生み出し、大人女子の時代を到来させたのではないだろうか。┃(p.62)
- 八〇年代元オリーブ少女の中でも、赤文字雑誌にスムーズに移行できなかった層が、三〇代、四〇代となり、大人女子になっているのだ。現在のオリーブ再ブームを支えているのは、当然こちらの層である。八〇年代に大人になりたくなかった少女たちは、大人になっても少女の心をあきらめずに、大人女子になった。結果的に『Olive』を封印せずに、オリーブ少女のまま四十路を迎えているのである。┃(p.62)
- 『Olive』が蒔いた種は、着実にオリーブ少女たちの中に芽生え、育ち、二〇年後に大人女子という花を咲かせた。それが休刊から一〇年以上の時を経ても、『Olive』がファッション遺産として燦然と輝いている理由であり、時代を越えて影響力を持つファッション誌のチカラなのである。┃(p.65)
◇美魔女のチカラ――ポスト「コスメの時代」の美をめぐる冒険(pp.69-104)
- 元オリーブ少女は、青文字系の大人女子であって、赤文字系の美魔女ではないというのが通説だ。だが、本当に赤と青はそんなにもはっきりと色分けされるのだろうか。[…]赤から青への移行はそれほど難しいものではない。[…]そもそも大人女子になっている元オリーブ少女の中にはおとなのコスメフリークも存在するのだから。[…]|赤と青、大人女子と美魔女は地続きなのだ。┃(p.89)
■参考文献
日本語文献(著者五十音順)
◇上谷香陽 2012 「フェミニズムとガール・カルチャー(Girl Culture)――雑誌Sassyの語り方」『応用社会学研究』54: 185-199
◇上谷香陽 2013 「ガール・ジンからみる第三波フェミニズム――アリソン・ピープマイヤー著『ガール・ジン』を読む」『文教大学国際学部紀要』24-1: 1-16
◇大野左紀子 20100316 「オリーブ少女と森ガール、または「思想」(トンガリ)から「生活」(まったり)へ」Ohnoblog 2(http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20100316/1314416211)
◇金沢21世紀美術館(高橋律子編) 2012 『「Olive 1982-2003――雑誌『オリーブ』のクリエイティビティ」展記録集』金沢21世紀美術館 cf. 企画展ページ
◇菊田琢也 2013 「雑誌『オリーブ』にみる少女像の形成と共有――読者投稿ページの分析を中心に」『文化学園大学紀要:服装学・造形学研究』44: 75-84
◇菊田琢也 2014 「消費社会と雑貨――1980年代、雑誌『オリーブ』の分析を通じて」『文化学園大学紀要:服装学・造形学研究』45: 37-45
◇近代ナリコ 2013 『女子と作文』本の雑誌社
◇酒井順子 2014 『オリーブの罠』講談社(講談社現代新書)
◇酒井順子 20141210 「「非モテ」や「自分らしさ」を受け入れてくれた雑誌『オリーブ』をいま振り返る――『オリーブの罠』著者・酒井順子さんインタビュー」現代ビジネス(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/41382)
◇城リユア 20131123 「オリーブ世代と90年代生まれが受容する、「Olive」の女子カルチャーの“あり方”」サイゾーウーマン(https://www.cyzowoman.com/2013/11/post_10435_1.html)
◇高橋律子 2013 「雑誌『オリーブ』をめぐって――「雑誌の時代」と少女カルチャー」林央子・高橋瑞木・児島やよい・高橋律子・薮前知子『わたしを変える“アートとファッション”――クリエイティブの課外授業』PARCO出版,125-162
◇田中東子 2012 『メディア文化とジェンダーの政治学――第三波フェミニズムの視点から』世界思想社
◇常見陽平 20150114 「女にも男にも売れる『オリーブの罠』の真実――女子の生き方今昔物語 酒井順子×西森路代」東洋経済オンライン(https://toyokeizai.net/articles/-/57749)
◇電通報 20141226 「「オリーブ少女」がひもとくカワイイ文化」ウェブ電通報(https://dentsu-ho.com/articles/2053)
◇BOOKSTAND 20141104 「元オリーブ少女が語る「10代の自分」」AERA dot.(https://dot.asahi.com/webdoku/2014110400002.html)
◇BOOKSTAND 20150519 「主体性のある女の子の生き様に強く惹かれる――アノヒトの読書遍歴:山内マリコさん(後編)」AERA dot.(https://dot.asahi.com/webdoku/2015051900042.html)
◇本橋康治 20120628 「Olive 1982-2003 雑誌『オリーブ』のクリエイティビティ」ACROSS(http://www.web-across.com/todays/cnsa9a000008yduc.html)
◇山崎まどか 2014 『オリーブ少女ライフ』河出書房新社
◇米澤泉 2015 『女子のチカラ』勁草書房
◇米澤泉 20180428 「いま、女子は「ていねいなくらし」を求めていることに気づいてますか――服はもうファッションではない?」現代ビジネス(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55394)
英語文献(著者アルファベット順)
◇Bae, Michelle S., 2011, "Interrogating Girl Power: Girlhood, Popular Media, and Postfeminism", Visual Arts Research 37-2 (Winter 2011): 28-40.
◇Currie, Dawn H.; Kelly, Deirdre M.; Pomerantz, Shauna, 2009, Girl Power: Girls Reinventing Girlhood, New York: Peter Lang Publishing Inc.
◇Harris, Anita, 2004, Future Girl: Young Women in the Twenty-First Century, New York: Routledge.
◇Hirsch, Afua, 2018, "As a 1990s Teenager, the World Gave Us Girl Power and Pornification", The Guardian, January 31, 2018, (https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2018/jan/31/as-a-1990s-teenager-the-world-gave-us-girl-power-and-pornification).
◇Kearney, Mary Celeste, 1998, "Producing Girls: Rethinking the Study of Female Youth Culture", Sherrie A. Inness ed., Delinquents and Debutantes: Twentieth-Century American Girls' Cultures, New York: New York University Press, 285-310.
◇McRobbie, Angela, 2000, Feminism and Youth Culture [2nd Edition], Basingstoke: Palgrave Macmillan.
◇Mitchell, Claudia A.; Reid-Walsh, Jacqueline eds., 2008, Girl Culture: An Encyclopedia [Volume 1], London: Greenwood Press.
◇Williams, Zoe, 2015, "What the 90s Meant: In with Hedonism, Out with Believing in Something", The Guardian, September 8, 2015, (https://www.theguardian.com/news/2015/sep/08/nineties-90s-in-hedonism-out-with-believing-something).
+(追加)
◇Portwood-Stacer, Laura, 2007, "Do-It-Yourself Feminism: Feminine Individualism and the Girlie Backlash in the DIY/Craftivism Movement", on the annual meeting of the International Communication Association Convention (San Francisco, CA).
■実施報告
村上潔による実施報告
◆kiyoshi murakami(@travelinswallow)
昨日は温かな雰囲気の満員の会場でトークをさせていただきました。主催の@chaicurry さん、@cr_kyt さん、そして参加者のみなさんに感謝申し上げます。長時間の駆け足の展開でしたが、終了後、熱心なご質問や、楽しんでいただけた旨のお声がけを頂戴し、たいへん光栄でした。【記号:回転するハート】https://twitter.com/chaicurry/status/1061627029601173504
[2018年11月12日22:23 https://twitter.com/travelinswallow/status/1061972660047892480]
主催者による開催報告
◇siratuti(@chaicurry)
そして、今日は女性史研究者の村上潔さん(@travelinswallow )のミニトークの日でした。オリーブが読者にどういった影響を与えてきたのかをわかりやすくまとめていただいて、とても面白かったです。ありがとうございました【絵文字:笑顔】【画像×2】
[2018年11月11日23:29 https://twitter.com/chaicurry/status/1061627029601173504]
◇CROSS RHYTHM(@cr_kyt)
『オリーブ』閲覧室、3日間全6回終了しました。お越しくださった皆様、ご協力いただいた皆様、心からありがとうございました。
なお2日めの村上潔さん( @travelinswallow )によるトークは後日、文字起こしのうえ公開の予定です。どうぞ楽しみにお待ちくださいー【画像】
[2018年11月13日9:16 https://twitter.com/cr_kyt/status/1062136977015730176]
◆クロスリズム - Cross Rhythm
(2018年11月15日/Facebook)
https://www.facebook.com/crossrhythmkyt/posts/2067970396581923/
“2日めの村上潔さん( http://www.arsvi.com/w/mk02.htm)のトークは、聴きごたえたっぷりの内容でした。”
◆CROSS RHYTHM 20181115 「『オリーブ』閲覧室の様子」(CROSS RHYTHM blog)
http://blog.crossrhythm.net/?eid=26
“2日めの午後からは村上潔さん(現代女性思想・運動史研究)によるトーク「女子文化としての『オリーブ』の位置づけ――消費・創造・フェミニズムの観点から」を行いました。80〜90年代という時代の状況、その中での雑誌『オリーブ』の位置付け、フェミニズムとの関連、それらを読み解いたうえで「今、なにが言えるか」。『オリーブ』の外側からの視点で、わかりやすく、突っ込んだ内容のお話は聴きごたえたっぷりでした。”
*作成:村上 潔(MURAKAMI Kiyoshi)
UP: 20181017 REV: 20181111, 12, 14, 18, 19, 20190921
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全文掲載