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A氏へのインタビュー

2018/10/12 聞き手:戸田 真里 於:立命館大学

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last update: 20220113


◇2018/10/12 A氏へのインタビュー 119分  話し手(メイン):A氏 話し手(一部):A氏夫 聞き手:戸田 真里(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築 → ◇インタビュー等の記録

※インタビューデータの一部を生存学研究所ホームページ(以下、HP)に掲載することに関し、聞き手である戸田から語り手の方へ、掲載の趣旨について口頭と文章で説明をし、同意を得ています。
なお、インタビューデータは語り手にご確認いただき、データ内の個人情報が特定できる固有名詞は全て記号に置き換えています。また、語り手のご意向でインタビューデータを部分的に削除している箇所があります。
インタビュー対象者のアルファベット表記については、イニシャルではないことを申し添えます。


【開始】(A氏のこれまでの経歴が記された資料をもとにお話を伺う)

戸田 よろしくお願いします。

A氏 よろしくお願いします。

戸田 お願いします。

A氏 はあい。

戸田 今まで、すごいAさんの。

A氏 そうなの、そうなの。自分で…、色んなことがあるから、病歴があるから、ちょっと。1回1回聞かれるじゃない? 病院でも。

戸田 はいはい。

A氏 だからまとめて。

戸田 Aさん、じゃあちょっと、生い立ちというか、その辺りから聞かせてもらって。

A氏 生い立ちか。えっと、私は昭和〇年 〇月〇 日、〇〇市で生まれました。

戸田 〇月〇日。

A氏 そう、冬ですね、真冬です。雪が多かったので、たぶん、そうですね、真冬ですね。で、きょうだいが一人いて、私はきょうだいとは○つ違いなんで。で、父と母がいて、父も母も仕事をしてて、そういう中で生まれて。で、生まれた時には、これは私、親からは聞いてないんですけども、叔母さんがちょうどその時に…、昔ほら、きょうだいが同居してるっていうのがよくあってて、叔母がちょうどいたんですよ。

戸田 それはお母さんの…

A氏 妹ですね。

戸田 妹さん。

A氏 そう。今、〇〇にいる叔母なんですけど、

戸田 あ、〇〇にいらっしゃる、

A氏 そう。一番仲いい叔母なんですけど。

戸田 あー。はいはい。お母さんの妹さん。

A氏 その人が、そう、私の出産の時に立ち会った。で、よく知ってるんですよ。で、何か実はね、うちの母が、病院で産むつもりが、何か体調がいいんで、家に1回帰ってきたら、家で生まれちゃったっていう(笑)。そう、衝撃の事実を知ってて。何か、産み落としたらしいんですよ、どうも(笑)。

戸田 ポロッと(笑)。

A氏 そう(笑)。叔母が言うには、その時に確かぶつかったんじゃないかと、どこかが。それでちょっと赤らんでたようなとこがあったけども、今の病気に…、が、一目で分かるような状態ではなかったと。わりかし、そんなに目立つようなことはなかった。

戸田 こう皮膚が…、

A氏 うん、そうそう、めくれて生まれる子も多いんだけど、それもなくて。ただその、産み落としたので(笑)、その時に何かぶつかって、何か赤らんでいたような気もするけど、そんなんでもなかったと。

戸田 じゃあ赤らんでるっていうのは、その、急に生まれちゃったから(笑)、

A氏 うん、どっかぶつけてたのかなあっていう程度ですよね、たぶんね。うん。

戸田 まあちょっと赤いなあ、

A氏 そうそうそう。

戸田 うん。

A氏 「でも、きれいな子だったよ。」っていうのは叔母が言ってたので、だからそんな驚きもなくて、まあ、もちろん、だからそういう状態だったんで緊急入院とかっていうこともなく。まあそこでみつきぐらい…、うん、普通に過ごしてたらしいです。でも3ヶ月ぐらい経っ…、

戸田 え、ご自宅で出産されて、

A氏 そうそうそう。

戸田 もうずっとご自宅。

A氏 そうそうそう。

戸田 あ、病院には戻らず。

A氏 そうそうそう。だから緊急性のないような状況だったんでしょうね、きっとね。で、3ヶ月ぐらい経ってから、だんだんちょっと症状が…。何か違うと。水疱ができたりとかしてきたんじゃないでしょうかね。それでたぶん、病院にかかったんだけども。…たぶん、〇〇病院だと思います。で、診てもらったんだけど、分かんなかったと。分かんなくって、「まあ、様子見ましょう。」 で、また、ずっと自宅で過ごしてたっていうのがありますね。

戸田 じゃあもう、その3ヶ月ぐらいから水疱はでき始めてた、と。

A氏 そうですね。

戸田 うん。

A氏 うん。だからこの病型から言うと、たぶんそうでしょうね。でも、わりかし比較的、その時には問題のない感じだったんじゃないかな。私が聞いてる分ではね。うん、そう思いますね、たぶんね、うん。だからそのまんま過ごしてきて。たぶん、記憶の中では、たぶん母親がやっぱり看護師だったので、日常的な水疱ができても、潰したり、皮膚がびらんになっても、

戸田 ああ。ケア…、お母さん自身でケアができるっていう環境やったんですね。ああ。

A氏 そうそうそうそう、そうなんですよ。それを母親が、まあ職業意識もあって、たぶんやっちゃったんでしょうね。病院に行くっていうこと考えないで。

戸田 うん、お家で解決できてたっていう。

A氏 そうそう、普通にほら、子どもが擦りむいたらケアするような感覚でいたんじゃないかなって思うんですよ。母親の意識の中では「病院にかかる」っていうのがなかったんじゃないんかな? と思います、たぶん。で、家の中では常時、毎日ケアはしてたっていうのがあって、包帯はまあもちろん、ふんだんにあったし、ガーゼもあったし。まあその頃はガーゼを付けて、軟膏剤塗って、ガーゼを付けて、包帯グルグル巻きにしてるっていう状況。だから小さい時の写真を見ても、そういうような症状で写っているのがあるので。

戸田 写真も、もう、包帯巻いている状態。

A氏 包帯グルグル巻きでしたね。でもそんなにひどい…、今、見ててもそんなにひどい感じではなかった。ただ…、

戸田 うん。出て…、出てるのは、

A氏 出てるところがね、そうそうそう。

戸田 顔は、

A氏 顔はそんなに出てなかったんじゃない? 写真を見るかぎりは。

戸田 出てなかった。

A氏 手足ですね。やっぱりぶつかったり、

戸田 ぶつかったり、

A氏 …で、でしょうね。足も出てましたね。

戸田 ちょうどその、3ヶ月頃やったら、6ヶ月になったらハイハイしたりとか、つかまり立ちしたりとか、

A氏 だからたぶんハイハイっていうのもね、してないんじゃないかなって思いますね。たぶんハイハイやってたら、もっと、もっとズル剥けになってるはずだから。

戸田 そうですね、膝がね。

A氏 だから私が…、今から思うのは、たぶん、この病気って皮膚が弱いっていうことで、本能的に危険なことはしてないんですよ、だから。だからきょうだいがいるじゃないですか、○つ違いの。きょうだいと一緒に遊ぶ時にも、親はもちろんかばいますよね。「aちゃんは皮膚が弱いんだから、ぶつけたらだめ。」とか「叩いたらだめ。」とかって。本能的には「何か弱いんだな」ってたぶん思いますよね、感覚的に。そうなった時に、それでもきょうだいはほら、幼いから、叩くんですよ、これが。そうすると憎々しくなりますよね、きょうだいのことがね。だから何か、きょうだい仲は悪かったかもしれない。

戸田 ああそう。

A氏 うん。でもきっとそれは、

戸田 きょうだいに叩かれてズルっといっちゃったのもあった?

A氏 そこまでのはないですね。まあコツンっていう程度の、うん。ぶん殴るっちゅうことはなかったので、うん。で、とにかく母親がかばう。「aちゃんは弱いんだから。弱いんだから。」って。それはきょうだいだけにとどまらず、近所のいとこが来たりとかすると、aちゃん、弱いんだから。」って、周りがみんな何か、腫れ物に触るように。「aちゃんは皮膚が弱いんだから。」っていうのが、常に言われ続けてたので、たぶんそういうのが自分の中でもあったんでしょうね。

戸田 うーん、自分はもう…、

A氏 弱い。

戸田 弱い。

A氏 そうそうそう。皮膚が弱いのか体が弱いのか分かんないけど、自分はもう、他の子と一緒に激しいことはできないっちゅうのが分かってたんで、とにかくこう、あまり動かない子。で、親も「aちゃん、ここに座ってなさい。じっとしてるのよ。」ったら、ずっとじっとしてるっていうのが、いまだに言われますけど。動かない。

戸田 動かない(笑)。

A氏 うん、自分でも動かない。だからそれが、もしかしたら本能かもしれないですよね。動いたら怪我しちゃうみたいなのがあって、それでも何か、それが良かったのか悪かったのかっちゅうのは、ちょっと…、あの、怠惰になってしまったっていう(笑)。うん。何か、動かなくても、結局親が面倒見てる、何か食べたければ持ってきてくれる。

戸田 もう、手取り足取りっていう。

A氏 そうそうそう。何か、自分で自発的に何か、積極的にやるっていうことが、もしかしたら欠けたかもしれない、っていうのが、今になって思うと。

戸田 ああ、振り返ると。

A氏 うん。自分は大事にされたけども、それが本当に良かったのかどうかっていうのはちょっと、疑問点はありますよね、色んな意味でね。だけどまあ、そういう中で、母親は絶対的な権力があったの、あの時。父は何にも言えないですし、母親の言うことに対してね。だから、あの、母親が言う通りに過ごしてたっていうのは大きいでしょうね。

戸田 じゃあもう、お母さんが先手先手で、「aちゃんが弱いから、怪我しないように。」っていうところで先手先手で。

A氏 そうそうそう。

戸田 じゃあ、物心つかれた頃には、もうそういう、

A氏 そうそうそう。

戸田 環境っていうのが、もうインプットされる…、

A氏 そうそう、普通。もう普通ですよね、それね。

戸田 普通、それが普通。うん。

A氏 それでとりあえず、まあそういうふうにして、何か特別悪いっていうことはなかったので、だから普通に学校にも行ったんです、近所の。

戸田 保育園とか幼稚園とかは?

A氏 保育園ね、行ったんだけどもね、何か半年ぐらいでやめてましたね。あれは何でやめたんだろう。行きたかったんだけど、やめたんですよね。

戸田 保育園?

A氏 だから保育園じゃなくて、何か近所で、何か、何で…、学童保育なのかな、よく分かんないけど。

戸田 何となく記憶は…、

A氏 うん。きちんとしたその、幼稚園とか、そういうんじゃなかったような気がするんですよね。何か長続きしないでやめた記憶がありますね。

戸田 Aさんの中では、楽しかった?

A氏 楽しかった。

戸田 行きたかったけれども、

A氏 そうそうそう。何か事情で、

戸田 何か理由は分からないけれども、途中で、1年も行ってない…、

A氏 そうそうそう。1年も行ってないですね。だからその経験がないので、いきなり、だから小学校です。

戸田 ああ。いきなりそこで集団生活で、小学校で上がるっていう感じやったんですか。

A氏 そうそうそう、うん。でもたぶんね、私、〇月じゃないですか、早生まれ。それで、親が…、〇月生まれだったらほぼ1年違うじゃないですか、同級生と。

戸田 4月生まれの子と。

A氏 そうそうそう。それで、あの、1年遅らしたんですよ、入学を。何か、それができた時代なのか、今できるのかどうか分かんないんだけど、1年違うんですよ、同級生と。

戸田 ふーん。それを知らはったんは、いつ?

A氏 それはいつだろ? だから、同級…、高校かそれぐらいじゃないですかね。

戸田 あ、そこまでは知ら…、

A氏 うん。同級生と、何か年代が違う、と。

戸田 あ、ねえ、生年月日、昭和何年生まれが、

A氏 同級生だったら〇年なんですよ、

戸田 〇年か。

A氏 そう。そうそうそう〇年の4月から〇年の3月までが同級生なんだけど、私は〇年の〇月だ、って。

戸田 Aさんは〇年の〇月、うん。

A氏 そうそうそう。ちょうど〇月生まれの同級生がいて、「何で1年違うんだろう?」って、「えー?!」って思ったら、母親がたぶん言ったんじゃないかな、「1年遅らしたのよ。」って。

戸田 ああ、そう。それが高校生の時に初めて。

A氏 高校生ぐらいだったような気がするなあ。

戸田 友だちから、周りから指摘されることとかはなかった?

A氏 それはないですね。年代についてですよね? うん、それはなかったですね。

戸田 「aちゃん、何で、〇年なのに…。」とかっていうことはなかった?

A氏 それはなかったですね。

戸田 で、Aさんご自身も「何でやろ?」とはいう、気持ちはあったけども、はっきりお母さんから聞かれたのは、高校生ぐらいの時。

A氏 そうそうそう。でもその時に聞かれても、でも遅いですよね(笑)。

戸田 そうなんだ(笑)。

A氏 そうなんですよ。「あ、そうなんだ。1年違うんだ。」みたいな。

戸田 ふうん。その時どういうお気持ちやったですか。

A氏 でもそれは、あんまり感じなかったかもしれないですね。だってもう友だちとしてつきあってるわけだし、ま、あと戻りはできないし、「ああそうなんだ。」って思うしかないですよね。まあでも、今から思うと、親は親なりに「1年の違いが大きいから。体力もないし。」っていうの、常にあの人の気持ちの中ではあったと思うんです。

戸田 ああ、なるほど。

A氏 で、小学校はまあ、そんなに問題はないっていうか、まあ普通に過ごしてたと思います。ただ、やっぱりその、何て言うのかな、体は確かに弱かった。弱かったし…、

戸田 じゃ、お母さんとしては、体が弱いからっていうのと、早生まれだからっていうところの理由っていうのを、あれやったんですね。

A氏 そうそうそう。

戸田 んー、なるほど。

A氏 そうそうそう。それも考えてたんでしょうね、色んなことをね。で、その時、小学校もたぶん、病院には全然かかった記憶がなくて。

戸田 あ、そうですか。

A氏 そうなんです。

戸田 じゃあもう、お母さんがずっとご自宅でケアされてて…、

A氏 そうそうそう。ただ、私、粘膜がすごく弱くて、小さい時から。もう食道狭窄と、あとは粘膜が弱いっていうのがあって。結構物を食べると、詰まらせて、で、血を吐いてたんですよ。

戸田 うーん。粘膜から出血して、食べたら、出しちゃう。

A氏 そうそう、詰まるか出血するかどっちかなんですよ。だから、その繰り返しが結構あって、どうしようもないんですよ。親もどうしようもないんですよ。

戸田 その状態でも病院に行った記憶は?

A氏 行かない。行かない。で、結局、詰まれば、まあ落ちるまで待つしかないんですよね。今でもそうなんですけども。で、何も食べれない。親も、「いや、しょうがないよね。」っつって、普通に家族はみんな食べてるんですよね(笑)。その恨みが今でも、すごく尾を引いてて(笑)。何だ、あの家族は? 1週間ぐらい続くんですよ、落ちるまで。

戸田 ん? 1週間?

A氏 落ちるまで1週間ぐらい続くんです。

戸田 え、じゃあ、その1週間は…、

A氏 飲まず食わず。

戸田 え、飲むこともできない?

A氏 そう。

戸田 へえ…

A氏 それで、結局脱水症状になりますよね。

戸田 なる、なる、ねえ。うん。

A氏 なる、なる。今、3日でなりますからね、年取ったから。あの頃は1週間はもったんですよ(笑)。あの頃は1週間もったんです。ただもう寝てるしかなくて。で、たぶんその頃ね、学校休んでたと思います。そういう意味で、学校を休むことが結構あったんですよ。でも、それに関して親は何も言わない。で、親が…、私が自分で先生に言いなさい、って言ったら、「嫌だ、あなたが言ってよ。」っつって親に電話させるとかね。休むことに関しては誰も何も言わない。だからまあ、体調悪かったら休んでた。で、1週間経って脱水症状になって、それで近くの病院に点滴を受けに行ったってのが、結構ね、恒例。恒例な出来事でしたね。

戸田 うーん、日常的な。

A氏 日常に…、うん日常的って言うか、まあ何ヶ月に1回ですよね、きっとね。

戸田 そのスパンっていうのは1ヶ月に1回ぐらい?

A氏 1ヶ月かなあ、3ヶ月に1回かなあ…。何回かな。

戸田 何か詰めやすい物とかってあったんですか。これ食べたら詰めるな、みたいな。

A氏 いやー、分かんないですね、それは。

戸田 その時の…、ご飯であったりとか。

A氏 うん、そうそう。あと食べ方が、ちょっと気を抜いて食べちゃうとかね。もう、ちょっとしたことなんですよ。

戸田 ふーん。じゃ、特に固い物とかではなく、

A氏 固い物…、うーん、柔らかいものでも、何か飲み方でゴクンと間違って、よく噛まないで飲んじゃって詰まるとか。全然気にしないで食べてたのに詰まるとか、こればっかりは今でも分かんないですね、今でも分かんない。

A氏 うん。極力、昔から肉は食べてないので、うん。でも魚でも、何かちょっとこう、繊維質のものがあると…。サバ系とかたぶんだめだったんじゃないかな。ゴロンってなるんですよね、あれ。

戸田 ああ。パサパサっとした感じ。

A氏 だからそういうのも体験上、今だと分かるんだけど、あの頃は分かんないから。何が原因っていうのは分かんないですね。

戸田 うん。じゃあその時の体調であったりとか、食べ方であったり、姿勢とかもですか。

A氏 そうそうそう、あると思う。まあ、ちょっとしたことで詰まっちゃう。そう。だからそれが繰り返しあって、病院に行って点滴を受けると、あの頃の点滴がやたら長くて、今と違って。何か半日ぐらいかかってたんですよね。今でも理由が分かんないんだけども、そう。そしたら、その時に親が、何かやたら毎日…、毎日っていうかな、ずっと、アイスクリーム買ってくれるんですよ。あの頃でアイスクリームったら結構、高級品。

戸田 そうですよね。

A氏 うん。そう。

戸田 アイスクリームだったら食べれた。

A氏 だからその、だんだん、こう、落ちていくんですよ。

戸田 落ちてくるから、

A氏 落ちていくっていうか、食べれるようになる。だんだん水物がだんだん飲めるようになってきて、良くなっていくっちゅう…んですよ。

戸田 感覚としてあるんですか。

A氏 あります。そうそう、試し試しにやっぱり、口には含むんですよ。で、含む…、

戸田 でも飲み込めない?

A氏 飲み込めない。全然それは飲み込めない。だからチョロチョロチョロチョロ、何か水物が入ってって、で、ジュースが入ってって、で、何か缶詰の汁を、ちょっとドロッってしてるんだけど、それも飲んでってっていう、そういうふうにして改善していくんですよ。

戸田 ふーん。隙間ができてくるみたいな、

A氏 そうそうそう。

戸田 その隙間に落ちる感覚で、「あ、ちょっと降りてきたな。」っていうのが…、

A氏 そうそうそう。だから、水物が最低限飲めるようになれば、「あ、ちょっといけるかな。」っていうんで、病院に行くことはないんだけども。それもまるっきりできなくなった時には、もう病院ですよね、点滴。

戸田 目安は1週間。

A氏 1週間ですね。1週間、死にますよね、普通ね。

戸田 つらい…ね。1週間飲まず食わずって…。

A氏 でもたぶんね、小学校の時って、元気だった。今から比べると、やっぱり体力的にまだ元気だったんでしょうね、きっとね。で…、

戸田 え、お母さんは、その、飲まず食わずを、

A氏 見てるだけ。

戸田 見て、見て、で…、

A氏 でも色々こう、ね、「何か食べる物」って出してはくれるんだけど、とにかくその、

戸田 食べれない、飲み込めない。

A氏 そうそうそう。だからゼリーが入る、プリンが入る頃になるとちょっとだいぶ良くなっているかなあってのは思いますよね、自分でもね。

戸田 でも、1週間経ってそれがないと、「そろそろ病院行こうか。」みたいな。

A氏 うん、そうそうそう。いや、急にですね、たぶん。急に。「ああ、もう行かなきゃ。」みたいな。

戸田 あ、それはお母さんの判断で?

A氏 うん。自分で行った記憶がないんで、たぶん、親だと思いますね。

戸田 ああ。お母さんの中では「ちょっともうそろそろ…。もうあかんな。」っていう判断で、

A氏 うーん、そうでしょうね、きっとね、

戸田 病院行こう、みたいな感じ…、

A氏 そうでしょうね。

戸田 …なんですね。で、半日かけて点滴。

A氏 そうそうそう。その時、アイスクリームくれるんで、まあそれが一番嬉しかったかなっていうぐらいで。それの…、その、でも、記憶ぐらいしかないですね、小学校ったら。でもそれ以外は普通に遠足も行ってたし、うん。

戸田 プールとかも、

A氏 プールは行ってないですね。

戸田 プールとか…、体育の授業は受けて…、

A氏 体育は見学が多いですね。やってやれないことはなかったんだと思うんですよ。バレーボールとか結構やってたんですよね。

戸田 ん?

A氏 バレーボール。

戸田 バレーボール?

A氏 うん。

戸田 激しいね。

A氏 バレーボールじゃない…、あ、バレーボールやってた。でね、不思議なことにね、何て言うの、ここで、あの、

戸田 レシーブ。

A氏 レシーブしますよね。ここの皮膚が、意外と私、丈夫で、こう、上げるだけだったら意外とできたんですよ。

戸田 じゃ、こう、レシーブはできた。

A氏 そう、レシーブはできて。自分でもちょっと得意になってた時がありましたね。だけどこう…、だけどこういうのとか、

戸田 アタックとか、バチッと手のひらが…、

A氏 そうそう、うん。あとほら、無理に取ろうとするとかっていうのは極力避け…、ただ来たボールを受けたっていう、たまたま受けたのが結構、うん。「あ、できるんだ。」みたいなのがあったけども、それぐらいかな。それ以外はほとんど、見学ですね。

戸田 体育は見学。

A氏 うん。でもね、たぶんできないことはなかったと思うんですよ。でも、やろうと思えばできたんだけども、やっぱり自分で無理をしたくないっていうのがたぶんあって、無理をすれば、

戸田 あとから症状が出るっていうのは、予測してるから、

A氏 そうそうそう。あと予期せぬことで…、何が原因で水疱ができたり、皮膚がむけるっていうのは、本当ちょっとしたタイミングなので。それを考えた時に、そのちょっとしたことが起きるのが怖くて、やっぱり無理しないっていうのが昔からの考え…、自分で本能的に考えてたっていうのがありますね。

戸田 もう、予防するっていう、もう、それが先に立っちゃうっていう。

A氏 そうそうそう、うん。

戸田 「やりたいな。」って、

A氏 そうですね、やりたいのはあったし、たぶんやれてたんだと思う、今考えると。だけど気持ちの方が先に、

戸田 うんうん。予防線張っちゃうっていう感じで…、

A氏 そうそうそう、うん。あと体育はもう見学っていうふうに、見学しても誰も何も言わない。無理して誘われることもないし、もちろん。「a、これならできるんじゃないか?」 昔はaじゃないですね(笑)。「これならできるんじゃないか?」っていうふうに、こう、指導してくれる先生も誰もいなかったし、うん。

戸田 そうか。その頃は、皮膚の症状は…、さっきの飲み込みの、粘膜弱い…、皮膚の、見た目で分かるっていう、

A氏 見た目で分かるのは爪の中ぐらいですかね。その頃はもちろん、手もまっすぐだったし、不自由はなかったですよね、そんなに。

戸田 で、水疱も…、

A氏 そんなに…、手には出てなかったような気がする。手先にはね。

戸田 手先には。うん。

A氏 うん、ここのへんですね。やっぱこう、膝…、

戸田 あ、腕と肘と、

A氏 うん、肘関係とか膝関係は、包帯がグルグル巻きだったような気がしますね。

戸田 当時は保護材もないので、軟膏で、ガーゼで、包帯で…、

A氏 そうそう、ガーゼで、包帯グルグルグル。

戸田 で、水疱潰すのも、待針とか、おうちの…、

A氏 うちはね、普通にハサミ使ってましたね。普通の家庭用のハサミ。

戸田 うんうん。ハサミで。水疱も潰さないと広がっちゃうから、ハサミ。ちょいと消毒して?

A氏 まち針は、うちの親は使ってなかったですね。何か、先の細いハサミがあって、たぶんそれを使ってたような気がします。

戸田 それを消毒して?

A氏 うん。消毒してたのかなあ…。そこらへん、分かんないですね。記憶にない。

戸田 じゃもう、ケアの全面的なあれは、もうお母さんがされてて。

A氏 そうそうそう。小学校ぐらいはほとんど親ですね、親に任せてましたね。で、またね、親がしたがるんですよね、これがまた。

戸田 ほー、お母さんが。

A氏 「見せなさい!」みたいな。痛いんですよ、これが。雑なんで。

戸田 お母さん?(笑)

A氏 意外と。でもね、看護婦さん、そうだって(笑)。

戸田 分かるかも(笑)。

A氏 うん、そうそう。今ね、色んなお母さんたちがね、意外と看護婦さんのお母さんの人たち…、

戸田 うん。うん。看護婦さん、雑やね(笑)。

A氏 そうそう、雑なの。痛い。「こういうのはね、ピリッて剥がしたほうがいいのよ!」っつってよく…、うん。あと、包帯巻くのも、「これでもか」っていうぐらいきつく巻くんですよね。

戸田 あ、もう外れない…、ずれないように、っていうような。

A氏 そうそうそう。ずれるとこっちがまた文句言うじゃないですか、「またずれてこんなになっちゃって!」 ギュッ、ギュッ、力任せにいったよ。で、今度こう曲げた時に、今度またその刺激から水疱ができて。だから何か、ここのね、その、何…、

戸田 圧がかかる…、

A氏 ここ。ここがね、

戸田 屈曲するところ。

A氏 うん、そう。ここがね、何度も水疱できてて、今、癒着してるんですね、ここが。絶対そのせいだなって、ちょっと苦々しく、今、思ってるんだけど。うん。やっぱその跡が残ってますよね。

戸田 ああ、その幼少期のケアの、っていうところが。

A氏 そうそうそう。だから包帯の圧はひどかったですね。うん。

戸田 もう剥がれないように、ずれないようにっていうので、もうギューっと。

A氏 そうそうそう。絶対、でもね、これ、ずれるんですよ。

戸田 ずれる。包帯は、ね。

A氏 包帯ずれて、ガーゼもずれて、傷が出てて、そこに下着がくっつくんですよ。で、下着は…、また剥がす。だから痛み…、その痛みがひどいので、だから、「絶対ずれないようにしてね。」って言うと、本当グルグル巻きですよね。ミイラ状態。うーん。だからそういうのがずっとありましたよね。

戸田 ひどかったのは、腕?

A氏 腕、だと思いますね。そんな、体にはなかったような記憶があるなあ…。

戸田 やっぱりこう、当たったりとか、

A氏 うん。そうそうそう。

戸田 服の接触…、

A氏 そうそうそう。

戸田 …とか、ちょっとこう、ぶつかったりとかっていうのでも、水疱ができ…、

A氏 そうそうそう。擦れたりとかね。で、よく昔ね、転んでたんですよ。なぜか知らない、よく転んでたんですよ。

戸田 転んでた?

A氏 うん。ずべっ、て転んだり。するともう、剥けて…、ずる剥け。ずる剥けか、血膨れ? 血の…、

戸田 水疱…、

A氏 水疱ができるんですよ。

戸田 水疱が、もう、中が…、

A氏 皮膚が硬いとこはね、血になるんですよ。よくそれやってましたね。記憶がありますね、それは。それはね、そういうことをするとね、親が怒るんですよ、本当。「何で転ぶの?」って。家の中でも、階段上がる時に、階段の所に足をぶつけて大泣きしてたんですよ。で、またそれも怒られて。「だから駆け上がるんじゃないって言ったでしょ!」とかって。要するに、怪我すると怒られるっていうのがあって、そういう時には、自分でこっそりやるんですよ(笑)。

戸田 怒られるから(笑)。

A氏 怒られない(笑)。で、親はほら、昼間は仕事してるでしょ。夜しか帰ってこないとか夜勤の時もあったから。そうする時には自分でやってましたね。だから小学校高学年ぐらいから何か自分でやるようになってたんじゃないかな。要は親に怒られるからっていうんで、怪我をしても親に言わないで自分でこっそりやってた、っていうのがあったような気がしますね。怒るんですよ、うちの親。怪我すると。何だろう? 分かんない。怖い。で、そういうのもあったから、だんだん親に見せなくなる。「あんたこれ、どうしたの?」とかって次の日、言われるじゃないですか、見せたら。だから、「もう自分でやりますからいいです。」っていうふうになってきた、っつうのがあるかもしれないですね。

戸田 高学年ぐらいから。

A氏 そうそうそう。何かそんな記憶がありますね。

戸田 転びやすかったっていうのは、何かこう、足の裏の、その…、

A氏 足は何でもないんですけどね。

戸田 足の裏は大丈夫? 水疱は?

A氏 うん、ないんですよ。

戸田 ない。

A氏 うん。

戸田 ふーん。何かみんな、他の方、靴の…、ね、工夫されたりとか。

A氏 そうそうそう。あの頃は別に普通の靴だったし、何の配慮もない。何の…、今に比べたら本当何の配慮もなく、普通に、普通のものでしたね。

戸田 普通の(笑)。

A氏 (笑) 普通の。そうそうそう。ほとんど普通、靴も普通。ただ何か靴の裏がえらく薄かったんで、靴は痛かったかもしれない。

戸田 じゃあ、足の裏に水疱ができたりっていうのは、

A氏 それはなかった。

戸田 なかった。ああ。

A氏 だから歩くのは支障がない。だからわりかし本当に、この病気にしては…、

戸田 上半身? 腕がやっぱり…、

A氏 うん、腕がそうでしたね。

戸田 腕が一番ひどかった?

A氏 ひどかった、うーん。

戸田 うーん。と、手のひらと?

A氏 手の…、うん、そうですね、そんなひどいっていうのはなかったよ…、波があったのかもしれないんだけど、思い起こすと、そんなにひどい症状ではなかったですね。

戸田 じゃあ、小学校の高学年ぐらいから、ちょっとAさんご自身でケアもするようになって、っていう。

A氏 そうそうそう。だからその、包帯の締め具合も自分でやったほうが分かるじゃないですか。それもあったし、やっぱり親が巻くのはきついんですよ。でも、ああだこうだ言うとまた怒るので、それが嫌で、自分でやったほうがいいっていうふうになったのは、確かにありますよね。

戸田 その頃、何…、この病(びょう)…、皮膚の状態は何なんだろう、っていう…、

A氏 いやあ私ね、不思議なことに何にも考えてなかったんですよね。「ま、そんなもんだ」っていう世界ですよ。

戸田 あ、もう最初…、もう、物心ついた時から、もう、

A氏 そうそうそう、うん。別に、親から「こういう病気だよ。」って言われた記憶もないし。まあ、とにかく体が弱い。皮膚が弱いっていうよりも、体が弱い…、

戸田 体が弱いっていう、

A氏 そうそう、体が弱いaちゃんっていうのが、何か、周りからもそういう…、うーん、言われ方をよくしてましたね。

戸田 皮膚じゃなくて、もう全体。「体が弱いaちゃん」っていう。

A氏 そうそう、うん、そうそう。まあ、よく貧血も起こしてたし。そう、小学校の朝礼で1回、私、倒れてたんですよ。だから貧血がひどかったと思いますよ、たぶんね。

戸田 それはやっぱり、食事がしっかりとれなかった…?

A氏 それもあるし、やっぱり鉄欠乏症っていう、やっぱ症状があって。そういうことも知らなかったんで、親も。ただ、「よくある子どもの貧血」ぐらいにしか思ってなかったんでしょうね。よく倒れてました。で、給食の時にも、食べれないんです、給食が。最近、同級生…、小学校のクラス会があって(笑)、そん時に言われたんですよね。「いや、お前、よく給食のたんびに血吐いてたよな。」って言われたんですよ。

戸田 学校でも?

A氏 そう。食べれないんですよ。食べれないんだけど、あの時代って厳しくて。

戸田 同級生が言わはるのが(笑)、「よう、血を吐いてた」って(笑)。

A氏 そうそうそう。「あ、そうなの?」って。私が記憶にないぐらいのこと、みんな覚えてて。「いや、周りから見てても、かわいそうだった。」って言われた。で、あの、みんなと同じ時間に食べきれないんですよ。食べるのも遅いし、食べきれないんですよ、結局は。

戸田 量も、そんなね、一気にガッと食べちゃうと詰まっちゃうっていうのがあるから。

A氏 だけどあの頃、厳しくって。全部食べ終わらなきゃ、終わらないんですよ。でも、食べきれなくって。で、みんな30分もかかんないで食べますよね。で、みんな、あとの30分で遊びに行きますよね。遊びに行った記憶がないの。その時間も食べてんですよ。で、それでも終わんなくって、また授業にみんな帰ってくるんです…、じゃないですか。それでしょうがなくて、先生が、「じゃ、持って帰れ。」っつって、持って帰らせ…、

戸田 持って帰る(笑)。給食持って帰る。

A氏 そうそう。本当…、でもね、大変でした。

戸田 じゃ、Aさんにとって給食の時間って、もう結構、苦痛な時間?

A氏 そうそうそう。うんうん。で、もう一人友だちがいて、その子も別に普通の子なんだけど、やたら食べるのが遅い子がいて。で、その子と、「いや、大変だったよね。」って話よくするんだけど、いや、食べる大変さの度合いが違うんですよ。その子はただ単純に食べるのが遅いだけの話で、私のほうは、食べにくい。

戸田 食べにくい。うん。

A氏 食べたいのに、食べ…、

戸田 食べたいのに食べにくいって。うーん。

A氏 そうそうそう。そのつらさが全然度合いが違うので、「へっ?」って思っちゃいますけどね、その人と話してると。「いや、そういう問題じゃないんだからね。」つって。

戸田 そこじゃない(笑)。

A氏 そうそうそう。だからそれは今でもありますよね。食べるのは時間かかるし、あとやっぱりその、今はほら、話しながら食べることが多いじゃないですか、どうしても。そうなった時に、やっぱり詰まりやすいんですよ。

戸田 ああ、なるほど。

A氏 だから食べる時は本当に…、

戸田 もう集中して、食べる。

A氏 そう、そう。一人でゆっくり。みんなのペースに合わせるのも、気を配っちゃうじゃないですか、大人になると。それも嫌なので。

戸田 話の流れを途絶えないように、って。

A氏 そうそうそう。だから外食は本当…、人との外食は厳しいですね。

戸田 なるほど。じゃあもう、話すなら話す、食べるなら集中して食べる、って。ああ、なるほど。

A氏 そうそう。そうです。そうです。だからそれ、できないことはないですよ、もちろん。できないことはないんだけど、いつ詰まるか分かんないっていう、やっぱりその恐怖、いまだにあるので。食べる時は食べる。で、話すときは話すっていうふうに、ちょっと、分けてますね。

戸田 なるほど。その…、学校で、Aさん、「体の弱いaちゃん」っていうの、お母さんも何か学校に…、

A氏 言ってたらしいですね。やっぱこう、何かその、入学する時にたぶん言ってるんだと思います。ただ、今で…、

戸田 うーん。1年ずらされたという経過もふまえて、

A氏 そうそう、ありますしね。でも、別に全校生徒の前で言うわけでもないし、今と違ってね。クラスの全員に言うわけでもないし。ただ、担任の先生と校長先生ぐらいには、「ちょっと体が弱いので。」っていうふうに言ったんじゃないないですかね。

戸田 うん。ね。「ちょっと注意して見てあげてね。」っていう感じで。

A氏 大人になってから聞いたのが…、何かね、天疱瘡かもしれない…、

戸田 天疱瘡。うん。

A氏 で、水疱症かもしれない、とも言われたって言ってましたね。

戸田 うんうん、じゃあ病院には、

A氏 1回は行ってんじゃないですかね。

戸田 1回は行ってる。ああ、じゃ。ああ。

A氏 ただ、中学校に入る時に、あの…、ちょっと話、前後するんですけども、親が、「やっぱり男子と一緒には大変だろう。」と。「乱暴な男の子がいて怪我したら大変だ。」っていうふうに、親は言ってました。そういう思いがあって、女子校…、私立の女子校に入学させたんですよ。させたっつったら、またね、おこがましいんですけどね。あの、「女子校がいいだろう。」っていうことで。で、親戚のいとこも女子校に行ってたので、その流れももしかしたらあったのかもしれないんだけど。

戸田 ああ、じゃあ中学生の時に…、

A氏 中学でもう、

戸田 もう私立、受験されて。

A氏 そうそそう。受験したんです。

戸田 頑張って勉強して、

A氏 頑張んなかったんですけどね(笑)。いや本当、周りの子に何人かいたんですよ、受験する子が。その同じ中学に。すごい、家庭教師つけて、すっごい勉強してたんですよ。私、何もしてなくて。「入れるわけはないだろ。」って思ってたら…、

戸田 すごい、Aさん。受かっちゃった?

A氏 その、塾に行ってた子が落ちたんですよ(笑)。申し訳ない。申し訳ない。勉強好きじゃないんで、嫌だったんだけども、それも母親の鶴の一声です。「行きなさい。」って。「受けなさい。」って。

戸田 6年生の時に。

A氏 そう、6年生の時に。で、受かって、入学したんですよ。で、その時にたぶん、あの、健康診断書が必要だって言われて、それでたぶん〇〇病院に行ったんですよ。私も一緒に。その時に、大学によくあるかたちでほら、若い先生たちがズラーっと並んで、

戸田 研修医の先生がズラッと並ぶ、あの光景ですね。

A氏 そうそうそう。それでどうだこうだ、どうだこうだって言って、服を脱いでどうだこうだってなって、私、その時に…、年頃ですからねえ。

戸田 13歳でね。そんな研修医の…、

A氏 「もう嫌だ!」って言って、それから行ってないんですよ。

戸田 その、研修医の先生ズラッと並んで、全部…、

A氏 うん、脱いだ…。脱いだ記憶がちょっと、定かじゃないんだけど、とにかく「嫌だ。嫌だ。」

戸田 うん。もう、みんなに、こう見られるっていう。

A氏 うん、見られて、聞かれて、そう。それで「もう2度と行きたくない。」って言ったらしくって、で、母親が「まあそうだよね。」ってなって、それ以来、行ってないんですよね。

戸田 なるよね、女の子でね、13歳で。

A氏 ただその時に、診断がついたみたいで。その時に水疱症っていう…、表皮水疱症じゃなくて、

戸田 表皮水疱症ではなくて、

A氏 うん、水疱症っていうふうな、

戸田 水疱症っていう診断が、

A氏 そう、ついた、って親は言ってましたね。うん。でも、何か詳しい検査も別に何もしなくて、1回それで、ただ問診受けたような程度じゃないですかね。

戸田 じゃあちょっとその、皮膚の状態と、問診で聞かれた内容見て、水疱症…、

A氏 そうそうそう。うん。それは大人なってから言われましたね。で、その時にも、別に病院から「またいらっしゃい。」ってこともなく、「検査しましょう。」っていうこともなく、終わったんじゃないんですかね。それで、うんとー…、でも学校には言わなきゃいけない、健康診断書出さなきゃいけないので、その説明に親は行ってるんですよね。きっとね。

戸田 うーん。Aさんの中で、その、小学校で…、公立のね、小学校から公立の中学校って、みんなまあ、上がる。

A氏 うん。そうそうそう。

戸田 その時に、「みんなと一緒の学校行きたい。」とかっていう思いとかは?

A氏 それがね、ないんですね、これがまた。要は、あのね、それまで親の言うとおりに生きてきたわけじゃないですか。その時も親の言うとおりなんですよ。自分の意思が、わりかし、なかったんですよ。

戸田 ああ。もう、お母さんが言うことが、

A氏 そうそうそう。

戸田 …正しい?

A氏 正しいっていうよりも、

戸田 …いうか…、

A氏 もうそういう、うん、

戸田 もう、

A氏 それ…、うん、

戸田 もう、お母さんの言うことが、

A氏 そのまんま、

戸田 …すべて、って。

A氏 そうそうそう。

戸田 うん。そこを疑う余地は…、

A氏 そうそうそう。あともう一つ、今から思う理由はとしては、たぶんその頃、例えば同じ友だちとね、同じ学校に行きたいって思うのは、仲いい友だちがいるからじゃないですか。仲いい友だちがいなかったっちゅうのがあるんだと思います、たぶん。それも大きな原因かなと思う。あえて、あえて別にその…、

戸田 こだわる…?

A氏 そう、理由はなかった、近くに行く。きょうだいが、ね、もちろん、同じ…、近くの普通の中学校、行ってたから、

戸田 公立の中学校行ってて、うん。

A氏 きょうだいを追って行くとかね、それも…。きょうだいとは仲良くなかったので(笑)、それもなかったし。だから色んな要素がたぶんあって、自分で「こうしたい」っていうのはなかったですね、あの頃は。

戸田 仲のいい友だちができなかったっていうのは、学校よく休んじゃったりとか、そういったことも影響してたんですか?

A氏 うーん、たぶんね。私ね、本当うっすらとしか記憶がないんだけど、あの、積極的に人と関わることがなかった。で、やっぱり体が弱いのはみんな知ってるから、何かちょっとこう、みんな…、聞く人もいなかった。「お前、何なんだよ?」っていうふうに言ってくる人もいなく。みんな遠巻き…、

戸田 給食で血を出してても(笑)。「あ、aちゃん、血出してる。」

A氏 そうそうそう。「大変だな、あいつ。」みたいな感じの。あとからクラス会で聞いた話からも思い浮かべると、やっぱみんな遠巻きにちょっと、何か、「大変だなあ。」ってみたい…、

戸田 距離感があった?

A氏 距離感があった。お互いにあったんじゃないんですかね。別にどんな病気かも分かんないし、先生たちが何か、「こいつはこういう病気だ。」って言うこともなく、私もどんな病気かっていうの、自覚なかったし。だから色んな意味で今から思うと、何かこう、分かんないものは分かんないままっていうのが、いい意味で。いじめもなく、それは平和だったんだけども。でもやっぱり遠巻きに見てたっちゅうのがあるんじゃないんですかね。

戸田 じゃこう、何かこう、「何でこんな皮膚なんだ。」とか、そういったこう、分かりやすいいじめとか発言とかはなかったけれども、

A氏 うんうん。ないですね。鼻血が…、うん、そうそう、距離感はありましたね。

戸田 距離感があって。

A氏 そういう意味では、まったく無視っていうこともないんだけども。だから典型的なのが、修学旅行とかってあるじゃないですか。研修旅行っていうのかな、2泊3日とか。

戸田 うん。

A氏 うん。ああいう時も…、それ、ずっと中学高校まで続くんですけども、同じ感じなんですよ。仲いい友だちがやっぱりできない。そうする時に、旅行に行く時って、

戸田 何かね、

A氏 グループ分け、

戸田 グループに、

A氏 そうそうそう。

戸田 女の子ってグループになりますよね。

A氏 ワーッとみんな集まるんですよ…、別れるんですよ、仲いい人たちが。いつも余るんですよ。

戸田 余っちゃう。

A氏 余る人って、私一人じゃなくて、何人かやっぱりポツンポツンと残るのがいるわけじゃないですか。そうするとその残ったのが集められるんですよ。いつもそのパターン。これ高校まで続きましたね。正直。

戸田 ああ。その、何か「グループ作って下さーい。」とか言ったら、ワーッと仲のいい人たちがグループ、ワーッとできて。で、ポッポッポッポッってこう、余る…、

A氏 そうそうそう。寄せ集め軍団。

戸田 うん。で、そこの、お一人で、ちょっとじゃあ余ったし、しようかみたいな感じ。

A氏 そうそうそう。でもその余ったどうしが別に仲いいわけじゃないから、もちろん。だからしょうがないから、ただ集まるだけで。

戸田 集まって、こう、言われた行動を取るっていう。

A氏 うんうん。じゃあ、どっかその余ったどうしで仲良くなるかったらそういうこともなく、またパラパラパラパラですよね。その繰り返しが意外と多かったな。だからあんまり本当、仲いい友だちって、私、本当ね、いないです。いないですって言ったらみんな、語弊があるんだけど。一人か二人はいたのかもしれないんだけど。

戸田 記憶として残る…、

A氏 記憶としては…、そうそうそう、うん。

戸田 それが苦痛やったとか。

A氏 何か「そういうもんだ。」と思っちゃってるから。だから、

戸田 いいとか悪いとか、しんどいとかじゃなく。

A氏 そうそうそう。

戸田 「そういうもんだ。」っていう。

A氏 そういう。だから本当、元々のそういう性格があるのかもしれないんだけど、もしかしたらやっぱり一匹狼で生きてるっていうのが、いまだに。そういうのあったんじゃないですかね。「一人でもしょうがない。」みたいなところ。小さい時はしょうがないんだけども。今から思えば、「孤独に打ち勝って強くなったのかな。」って、いい意味でも思いますけどね。うん。

戸田 もうそういう環境だったっていう。もう、そこに良しも悪しも…、

A氏 そうそうそう。だからと言って、ほら今みたいに何か、孤独でさみしくて鬱になるとかって、そういうこともなかったから。ま、そこそこ、楽しんではいたのかもしれないかな(笑)。逆に思いますけどね。分かんないですね。私あんまりね…、だからそういうふうに、そういう環境にいて、そういう生き方をしてたので、何かね、記憶がないんですよ、学生時代って。小中高にかけて。まあポツポツとありますよ、思い出はそれなりに。言われてみれば「ああそうだよなあ、修学旅行行ったよなあ。」って。でも何か、他のみんなが思うほど、「高校時代に戻りたいわあ。」とかっていうような、「輝いてたよね。」とか、ないですよね。

戸田 輝いてた記憶がない(笑)。

A氏 ない! ポツポツありますよ、もちろんね。まったくないっていうわけじゃないし、登校拒否をするような、そんな衝撃的なこともないし。何事もなく淡々と過ごしてたっていうのが大きいかもしれないですね、一言で言っちゃうとね。

戸田 淡々と時間が。

A氏 淡々ですね。可もなく不可もなく。うん。

戸田 それの、こう、何かその、友だちとの、こう、できないっていうところでの、埋める何かってあったんですか? 「じゃあ、勉強頑張ろう。」とか。

A氏 勉強が嫌いでしたね。だからやっぱりね、常時、かゆい。かゆいんですよ、全身が。で、痛がゆい。

戸田 ちょうど皮膚が再生してくる頃がかゆいのと、

A氏 そうそうそう。かゆいの。そうそう。

戸田 ガーゼも、ね、閉塞感もありますよね。

A氏 そうそうそう。色々こう、体の、何か調子が、スッキリじゃない状況にあるわけですよ。

戸田 こう、「爽快!」っていう(笑)、

A氏 そうそうそう。

戸田 Tシャツ1枚でかゆい。

A氏 うん、そうそう、夏でもそうやってね、うん、何かこう、ノースリーブ着て、「ああ!」っていう、こういう感覚の生活感はないので、ほとんど。

戸田 常に、夏でも冬でももう、ガーゼ、包帯、ガーゼ、包帯って。

A氏 そうそうそう。

戸田 で、動くことでちょっと軋んだりとかっていう、体の閉塞感。

A氏 そうそうそう。だから何かね、集中力が湧かない。今でもそうなんだけど、集中力が湧かないので、勉強はね、本当一瞬でしたね、勉強するのが。ちょっと徹夜…、あの、何、一夜漬け? 一夜漬けでほとんど試験を乗り切ってたっていうのがありますね。

戸田 でも授業中もやっぱりかゆいし、

A氏 だから授業中も本当、上の空ですよね、ほとんど。うん。だからよく卒業できたなって思いますよね。ギリギリです、いつも。

戸田 でも私学も受かられて。すごいね。

A氏 いや、本当ギリギリです。で、やっぱりね…、そうそう、制服があったんですよ。女子校なので。

戸田 ああ、中学校から。

A氏 そう。女子校で、制服があって。

戸田 でも制服って重いし…、

A氏 重いっていうかね、あの時ね、うちの女子校ってね、夏はソックスで半袖、って決まってたんですけど。もちろんでも長袖もあったことはあったんだけども、着る人はいないですよね。でも私だけ長袖。

戸田 うんうん。それはガーゼをしている…、あの、包帯を巻いて、

A氏 そうそう。あとやっぱり傷に…、

戸田 あ、保護するためで、

A氏 そうそうそう、うん。やっぱり傷跡もあるので、見せられない。

戸田 あ、そうか、ガーゼしてなくても跡が残りやすく、

A氏 そうそうそう。

戸田 見られるのがちょっと嫌だな、って…。

A氏 跡が、そうそう。ちょっとこう、赤らんでるとかね。普通の皮膚じゃないので、見せられない。あとは足も、ソックスがはけないので、

戸田 はけないっていうのは、

A氏 足、出せない…、素足を出せないんですよ。

戸田 ソックスの、この、膝のあいだが出せない。

A氏 そうそうそう。出せない…、出したくない。

戸田 出したくない。

A氏 うん、見せたくない。

戸田 見せたくない。

A氏 …って、うん。ほいで、夏は黒いストッキング。黒しかないんですよ。今だったらほら、ベージュのストッキングやら履けばいいのに、あの頃は黒しかなかったんで、黒の…、

戸田 タイツみたいな?

A氏 タイツよりちょっと薄い感じかな。うん。それ履いてましたね。異様な姿ですよね、どう見ても。

戸田 真夏に、長袖のシャツに黒のストッキングで。皮膚を保護するのと、見せたくないっていうので。

A氏 見せたくない。そうそうそう。だから、そういういでたちでいると、やっぱり違うって思いますよね。いや、周りの人がどう思ってるか分かんないんですけども。別にそれで何か言われるってことはもちろんないんだけども。自分の中では、人と違う、っていうのがもしかしたら根付いてたのかもしれない。「何か自分は違う。」 で、みんなのようにキラキラできない。ね、高校生ぐらいになるっていえばさあ、みんなキラキラじゃないですか、肌見せて。あれはできない。だからやっぱりちょっとこう、一歩引きますよね。みんなとの行動はね。それはやっぱり身に付いてるかもしれない、今でも。ちょっと一歩引くっていうのがね。

戸田 小学校の時も、夏は長袖?

A氏 うん、長袖。半袖着たことないですね。

戸田 半袖着たことがない。

A氏 うん。

戸田 もう、夏…、えーと長ズボン。

A氏 あの頃はね…、あの頃、でもスカートはいてたかもしれない。写真見てるとね。

戸田 じゃあ中学からは、もうストッキングで。もう肌は極力見せない。

A氏 見せないですね。

戸田 見せたくないっていう思いも。ふーん。

A氏 だからそれはもう、好き嫌いに関係なく、もうそういうもんだっていうふうに、今でも。今でも、暑いから半袖着ても別に問題はないんだけども。うん、でもやっぱり、見せたくないですね。うーん。やっぱり色んなとこが癒着してるし、瘢痕残ってるし。うん。で、傷が、あるし。やっぱりそういうのを、こう、見せたくない。自分の中で、見せたくないですね。うん。

戸田 何かこう、見えてるところで、学校で、「aちゃん何でこんなことになってるの?」とか、というのもあんまり、言われてない?

A氏 ないですね。今でもないんじゃないですかね。あえて聞かないですよね、誰もね。「えー、何で? 手どうしたの?」って聞く人は、いや、年取った…、おばさんぐらいですよ(笑)。あ、けど、たまーにいましたね。「どうしたの、その手。やけどしたの? やけどはね、親の責任なのよ。」って言われたことがあり、ちょっといまだに残ってますね、記憶。

戸田 ああ、そう。それは幼い頃?

A氏 幼い頃…、いや、結構大人になってからですね、うん。「すごいこと言うなあ。」って思って。うん。だから…、でもそれは、今になってみれば結構普通の感想で。私だって、ちょっと見た目で、何か支障がある人がいたら、「どうしたのかしら。」 ね、顔に傷が残ってれば、

戸田 あざであったりとか。

A氏 うん、「どうしたのかしら。」って、やっぱり見ちゃいますよね。でも、聞くまでは、いきませんよね。もしかして日本人のいいとこでもあり、

戸田 うん。聞いちゃうことで傷つけちゃうんじゃないかなあ、とか。

A氏 そうそうそう。意外とそういうのは…、うん、私の周りではありましたね。

戸田 じゃ、露骨に何かこう…、

A氏 ないですね。

戸田 ワッて言われたことはないけども…、

A氏 だから、不思議なことに同級生でも聞かれたことないですもん。小学校はもちろんだけど、中学、高校もないですね。あの女子校は素晴らしいと…、素晴らしいことなのか分かんないけど(笑)。いや、本当ね、思い起こすと、ないですね。

戸田 学校の先生からも、何も。

A氏 ないないない。ないですね。何もない。

戸田 で、夏に長袖のシャツを着て、ストッキングをはいて行くっていうことに対しても、別にもう「Aさんは…、aちゃんは、皮膚が弱い。ちょっと体が弱いから。」っていう、みんなの暗黙の了解みたいな。

A氏 ね、そうなんですよね、きっとね。いないですね。「え、暑いから半袖で来ればいいのに。」って、私だったら言いそうな気もするんだけど(笑)。いやー、言われたことないですね。うん。不思議。いまだに不思議ですけどね。だからそれなりに、平穏に過ごせてた理由はそれかもしれないし、逆にそこのへんで突っ込まれてれば、もうちょっと自分で、「自分ってどういう…」

戸田 ああ。あ、そうか。

A氏 うん。「私って何だろう?」って。もしかしたら自分で気がついたかもしれないですよね。だから、それが逆になかったから、そのまんま自分でも、「自分の体はどうなってるんだろう?」っていうふうに、

戸田 …に、そっちにコミットしていかなかったっていう。

A氏 そう。半々ですよね、だから。いい面と…、悪い面とは言わないんだけど、それが良かったのか悪かったのか。

戸田 何かこう、誰も深追いせず、「そういうもんなんだ。」で、ずっと高校生…、

A氏 そう。

戸田 高校生もそんな感…、

A氏 高校生もそう。あ、大学もそう。

戸田 ふーん。高校の時もその、友だち関係で、めっちゃ仲良しとかっていう人も…、

A氏 ちょっといたんだけどね。あの、私が言うその「仲いい」っていうのが、やっぱり求めてるものがね、たぶん大きすぎたんだと思う。今ちょっと、話しながら、ちょっと思ったんだけど。自分の中に自分のこう、弱い面が…、ま、身体的なものがほとんどなんだけど、あって生きてるわけじゃないですか。で、「違う」って何気なく自分の中で思ってて。で、この…、何て言うのかな、現実感を「誰にも分かってもらえない。」ってたぶん心の中で思ってて。

戸田 うんうん。言っても分かってもらえない。

A氏 そうそうそう。だって言えないですよね、自分が何か分かんないんだから。

戸田 ああ、そうか。

A氏 このもやもやした感じを、みんなも、聞く人もいなければ、関心持ってくれる人もいない中で、「分かるわけがないだろ。」って、もしかしたら思ってたのかもしれない。「違う。違うのよ、あなたたちとは。」っていうのもあったかもしれない。そこらへんがちょっと自分のね、図々しいとこかもしれないんだけど。だからその…、そういう意味での、心をこう、分かち合えるつながりができなかったっていうのもあるのかもしれない。だからそういう意味で言うと、「友だちがいなかった。」ってなっちゃうんですよ。私の中で。表面的な、「おはよう。」ぐらいのレベルの友だちはそりゃ何人かいたけども、でも「それが本当に友だちなのかな。」っていうのは今でもありますね。

戸田 なるほど。じゃあ、放課後とかで、「ちょっとこんなしんどさがあるんだ。」とかっていうふうに、こう、気持ちを出したりとかっていうことも…、

A氏 なかった。だからそれを、自分でも積極的に言うことはなかったし、自分から積極的に関わろうとも思わなかったし、

戸田 「この気持ちを誰かに話したい。」とかっていうこととかはなかった?

A氏 ないですね。だからそこらへんが自分も、頑なだったかもしれないですね、逆に言うと。私はそういうふうに思っちゃうけど、自分の立場からは。でも周りから見れば、もしかしたら頑なな人だったかもしれない。こう、「絶対自分を出さない。」みたいな。弱いのに、何か、「そこにちゃんと居る。」みたいな(笑)。だから取っ付きにくいでしょうね、たぶんね。私が見ててもたぶんそう思いますもんね。うん。

戸田 でも、誰かにこう「気持ち分かってもらいたい。」とか、

A氏 それもなかった気がする。

戸田 もう、「そういうもんなんだ。これは自分の弱さ…」、その、体が弱いという、ずーっとその、物心ついた時からの、

A氏 そう。「そういうもんだ。」っていうふうに、疑問も何もない。ただこう、鬱積したものはもしかして、確かにあったかもしれない。だけどそれが何なのか自分でも…。

(A氏夫外へ出る)

戸田 たばこかな。あ、外ね、出たらね、

A氏 ああ、分かる、分かる。

戸田 あの、入れないんですよ、カードがないと。ちょっと待って、カード。

A氏 あ、外に出るの?

戸田 外、出はるかな。

A氏 分かんない。

戸田 ちょっと待ってて…。

A氏 外にしかないの?

戸田 うん。

A氏 自分の体験を話すのは難しいです。でも楽しい。

戸田 たばこみたいです。

A氏 でしょ。

戸田 カード渡してきました。じゃ、ちょっとそうやってこう、気持ちを出すっていうことも、Aさんの中ではそういった認識はなかった?

A氏 それがね、あの…、変わったのがやっぱり大学に入ってからなんですよ。で大学に入って…、

戸田 うん、大学はどんな大学?

A氏 大学はね、同じ大学…、あの、女子校なんですよ。

戸田 じゃもう中学、高校…?

A氏 そう、そうそうそう。大学も同じ…、短大だったんですけども。その、ここに入ってくると、結局それまでは、本当にこう、同じ顔揃いの人たちが6年間一緒だったんですよ。持ち上がりなんで。

戸田 あ、そうか、3、3で。

A氏 そうそうそう。で、大学に入ってると、今度は全国から色んな人が来るわけですよ。

戸田 あ、そうかそうか。見慣れない顔が。

A氏 そう、見慣れない顔と、あとはほら、共学で過ごした、こう…、

戸田 あ、そうか。今までずーっと…、

A氏 女子校のタイプとは違うような人たちが入ってきたんですよ。これがまた新鮮で、みんなの話が面白い。その時に、それまでとはまったく違う友だちができたんですよ。

戸田 ほう。こう、違う畑から(笑)。

A氏 そう。

戸田 女子校畑と共学畑の。うん。

A氏 そうそうそう。それで、私、何がきっかけか分かんないんだけど、仲良しの4人組ができたんですよ。で、これが何で仲良し4人組になったかって言うと…、ほら私、1年くってるじゃないですか。で、みんな1浪してる人たちだったんですよ。

戸田 ああ。その、短大に入るのに?

A氏 そう。で、よくよく聞いたら、おんなじ年代だったんですよ。1年…、たかだか1年なんだけど、みんなが…、「浪人してやっと入ってきた」っていう人が4人いて。何かそこのへんでちょっと話が…、うまが合ったり、「いやちょっと私も同じ年なのよ、実は。」って。そん時に初めて私、色んなことを言い始めたんですよ、自分のことを。

戸田 うーん、その、年のことがきっかけで。

A氏 うん、…がきっかけで。

戸田 で、そこがこう、パーっと、こう、

A氏 そうそうそう。すごい仲良くなったんですよ。

戸田 蓋が開いちゃったような感じ?

A氏 そう。何か色んなことしゃべるようになって、それまで自分のことを積極的に話すってことなかったのに、その4人とは、何か非常にうまが合って。またそこの…、ま、女子校は、とにかくほら、グループができるじゃないですか。

戸田 女の子どうしで、

A氏 そう。

戸田 固まりがね。

A氏 ワーっとグループが。でね、何グループかいたんですよ、関わるグループが。で、私3つのグループに、うん、それぞれ属…、属してて(笑)。

戸田 渡り(?)みたい(笑)。

A氏 そうそう。みんなワイワイワイワイやるグループ。で、意外とこう、庶民的なグループ、いわば。で、非常にお嬢さんグループ。もう素晴らしくお嬢様。あの、学食、食べるじゃないですか。と、みんなラーメンとか、何か…、

戸田 どんぶり、みたいな。

A氏 どんぶりとかって食べるグループは大勢のグループなんですよ、メインの。で、お嬢様グループっちゅうのが、ちょっと一人だけ仲のいい人がいて。で、その人が関わっている4人グループがいたんですよ。だからお嬢様グループにもちょっと顔出して。で、学食に行った時に、学食してる…、食べてる物がヨーグルト一つだけなんですよ。

戸田 え? お嬢様グループ?

A氏 そう。みんなで、「おおっ、すげえ。」

戸田 お嬢様、ヨーグルトしか食べない(笑)。

A氏 そう。「お嬢様、ヨーグルトしか食べない。」みたいな。楚々としたグループ。それに深く関わることはなかったんだけど、その仲良しの4人組の一人がそこに関わってたんで、私も何か三つのグループに顔出してて。それがちょっと結構、うん何かこう、何て言うの…、面白くて。それぞれに話す話題がやっぱ違うので。うん。結構それで渡り歩いてて、面白かったんですよ。でもメインはその4人グループなんですよ。でその、その中の一人の人は…、あの、私ね、あんまり記憶ないんだけど…、本当に記憶ないんですよ。あのね、たぶん自分のその事を話したんだと思うんですよ。

戸田 4人グループのお一人に、

A氏 一人に、うん。私は、やっぱり自信がないっていうことと、

戸田 皮膚、まあ幼い頃からの…、

A氏 皮膚の…、うん、病気まではもしかして話してないかもしれないんだけど、自分はやっぱり積極的にこう、人に…、

戸田 行けないって。うんうん。

A氏 行けない。で、友だちもいないと。で、それが、やっぱり自分が頑ななのか、理解し合えないのか、自分で方法が分かんないのか。何かそういう、自分のこう、欝々としてたことを話したんですよ。

戸田 へえ。それが初めて。

A氏 そう、初めて初めて。そしたらその人が、「あなたは、今のあなたのままでいいのよ。」って。「それが、いいのよ。」って。認めてくれたっていうのかな、今から思うと。

戸田 うん。受け止めてくれたか…っていう。

A氏 そうそうそう。それがすごく衝撃的で。「あ、何か、言うと、こうやって分かり合えるのかもしれない。」って思った瞬間ですよね、その時が。その友だち、今でも何か、私は本当に…、なかなか会うことはないんだけども。うん、何か、すごい転機でしたね。人生変わる。

戸田 うーん。それまでまったくこう、言わないのがもう当たり前って、我慢してたわけじゃないけども、当たり前だったけども、

A氏 そうそうそう。だって言うようなこともないし。でもやっぱり欝々はしてた。だからたぶん、その欝々感を言ったんだと思うんですよ。何を言ったってわけじゃなくって。友だちもできないし…、

戸田 何か自信ができないな…、

A氏 自信がないっていうことを言ったんだと思うんですよ。何をするにも自信がないし、取柄ないし、勉強できないし、っていうような話のレベルだったんですよ、たぶん。うん。それをやっぱり、そのまんまの私が、何か…、「明るい」って言ってくれたのかな。うん、何かね、不思議にね。私ね、今でもそうなんだけど、「いや、Aさんと話してたら楽しい。」とかって言われるとね、すごく嬉しいんですよ。自分でそうだと思ってないんですよね。だからその時にも、「え、そういうふうに見ててくれてるんだ。」って思ったのがすごく嬉しくて。

戸田 ああ。ま、その時に、「あ、他の人がそういうふうに自分のことを見てくれてるんだ。」っていうのに、驚き(笑)。

A氏 そうそうそう、そう、そう、まさにそう。「あ、私のことをちゃんと見て、聞いてくれて、受け止めてくれる。」っていうことなんですよ。その、深いレベルじゃなくても。それが一番の、私が友だちって言える初めかもしれない。

戸田 ふーん。じゃもう根本から、「こういうこと言っても、受け止めてもらえないだろう。」っていう、自分の中でもあった…、

A氏 そうそう、自分の中でも、うん、あったんですよね、きっとね。だからそれは周りのせいじゃなくて、たぶん私自身の。やっぱりこう、あの、人としての、何かその、社会性っていうのかな、何かそれを…、に恐怖心があったのか、自信がなかったのか、分かんないんだけど。

戸田 あ、恐怖心があった。

A氏 うーん。要するにこう…、何度かあるんですよ、何か話したいと思って話すんだけど、その友だちが次の日には何か他の仲いいグループと、「あ、私、今日はこっちのグループと帰るから。」って言って避けられたことが。そんな…、そういう衝撃が結構大きくて。

戸田 大きいね、そういうのね。

A氏 そう。さりげないこと…、ね、何気ないことなんだろうけども。

戸田 ズキッて来ちゃう。

A氏 そう。「今日はあの子と一緒に帰ろう。」と思って、仲いいと思ってたから帰ろうと思ってたら、急にその人が、「あ、私、あの人たちと一緒に、今日ちょっと寄るとこがあるから、じゃあね。」って言って。だから、誘うと断られるっていうのが怖くて。たぶんそれもあったのかもしれない。「何で仲良くしてくれないのかな。」みたいな。自分でそう、ね、何にもそうやって言わないのに、勝手に、自分の中で被害意識が…、被害者意識があったっていうのもあるのかもしれない。だからそういうのが色々あって、友だちができない理由はもちろん周りのせいじゃなくって、自分のせいなんだろうけども。で、どっかこう…、何かこう、仲いい人どうしのとこへ。いや、自分も「一緒に帰ろう!」って言えばいいものを、それが言えないから、いつも何か…、何かこう、すかされてる感じが悔しい…、

戸田 うん。かわされてる感じがして。ああ。

A氏 うん、悲しいっていうのがあって、そういう思いをしたくないから、逆に。

戸田 うん。もう、傷つくのが怖いね、うん。

A氏 そうそうそう。それもあったかもしれないですよね。うん。そういう人が何人かいたんで、うん。今でも会うんだけど(笑)。「何かこいつ、何でそういうことするかな。」っていうのがちょっとありますね。

戸田 うーん、なるほど。じゃあその、大学で色んなタイプの人たちが集まって、で、その、お一人の友だちに、やっぱりちょっと今までの、ずっとその、幼少の頃からの経験もあって、ちょっとやっぱり前向き、ちょっと一歩踏み出せないっていうところを…、

A氏 もしかしたらやっぱりね、世界観が変わったかもしれないですよね。それぐらい大きかった。短大に行って何が良かったって、友だちができたのが嬉しかったですよね。

戸田 大きかった。うーん。

A氏 今で言うね、今で言うその、友だち、普通の感覚の友だち。普通以上かもしれないんだけど。で、まあその他にも遊び仲間もできて。で、その人たちとはまあ色々…、ちょっと色々ね、あの、合い間はあいたんだけども、今も続いてる仲良しさんなのね。だから、短大っていうと、何かその、学歴的には大したことないし、何か行った意味があるのかなって。まあ色んな、ね、色んなことを経験する中で、やっぱり思うじゃないですか。だけど私にとってやっぱりあの2年間は…、人生変わりましたね。

戸田 結構、でもガラッと。その、小中高で、ちょっとこう、もう「誰にも言えない」みたいに…、言えないっていうか一人で(笑)、「一人で生きてきた」みたいなところから、

A氏 そうそうそう、うん。

戸田 ふーん。

A氏 だから、色んな意味でやっぱり転機ですよね、ここに入ったのはね。だから、うーん。やっぱりこう、出会いっていうか、大きいですよねえ。

戸田 大きいですよね。

A氏 大きいですね。それは本当、このことが、やっぱり何か話すたびに、うん、その時のことはよく思い出しますね。うん。本当、しゃべりましたわ。だって、やっぱり女子だから、しゃべるじゃないですか。

戸田 しゃべって何ぼだもんね(笑)。

A氏 そうそうそう。あんだけしゃべったのは、やっぱりその時で初めてかもしれない。

戸田 その時には、色んなご病気のこととかも…、

A氏 だから結局、病気に関してはしゃべってないんですよね。要はほら、あの、また先の話になっちゃうんだけど、病気になったのは本当、40過ぎてだから。分かったのは。

戸田 あ、病名がはっきり。

A氏 そうそうそう。

戸田 ああ、そうかそうか。

A氏 それまでは…、

戸田 じゃそれが、Aさんの中で病気という認識じゃ…、

A氏 うん、ないない。

戸田 ないんだ。

A氏 ないの。

戸田 ああー。なるほど。

A氏 だから、そういう中でも、そういうふうに…、その時もだから病気の話は何もないです。だから、病気の話のない時代っちゅうのが、その、40過ぎるまでは、友だち関係の中ではあったので。うん。これも何か私の人生の面白いところで。まったく病気に触れない半生があって。

戸田 うん。でも、その頃も、

A氏 もちろん症状は、もう変わらずです。

戸田 症状は、変わらずあって。

A氏 うん。治療はしてたし。

戸田 詰め…、

A氏 そうそうそう、詰まってたし。

戸田 詰めてっていうの…、ああ。

A氏 そうそうそう。

戸田 でも受診は行かれ…、もう点滴?

A氏 行ってないですね。

戸田 点滴だけ?

A氏 点滴だけですね。その頃も点滴だけですね。でも、だいぶその頃は、物も食べれるようになってたんじゃないかな。結構…、ハンバーグも食べてたし、寿司も食べてたし。一時(いっとき)、そういう時期があったんですよね。

戸田 食べても大丈夫な。

A氏 そうそうそう。うん、何か、「食べれたなあ。」っていうのは、今から思ってても、あるので。だから、やっぱり波があるんじゃないんですかね。

戸田 うーん。症状にも。

A氏 症状に。そうそうそう。そのあとまた、だんだん狭窄になっちゃうんだけども。あの頃は食べれてましたね。

戸田 じゃ、短大時代は結構お食事もできてたし、

A氏 そうそうそう。

戸田 病気だっていう認識も…、

A氏 うんうん。食べにくいっていうのはもちろんね、あったんだけども。うんうん。そうそうそう。で、卒業して、

戸田 すごい。〇〇。

A氏 そうそうそう。で、卒業する時に、先生から、ここ、やっぱり女子校で、結構地元では有名なとこなんで、先生が卒業の時に推薦してくれるんですよ。就職。だから推薦してくれて、私。そんな成績良くなかったのに。単位、ぎりぎりだったんですよね。「やばい、やばい。」と思ってて。と、推薦してくれて。たら、そこがね、○○工業だったんですよ、推薦先が。「げげげげげ!」と思って。「そんな堅い仕事で、何ができるの?」って思いますよね(笑)。何が面白いの、○○なんて(笑)。そこで何やるの…、要は事務職員じゃないですか。「あ、事務職員、勘弁してほしい。」って。何かその頃は、私、○○志望だったんですよ。前から。

戸田 〇〇。

A氏 うん。

戸田 うんうん。えーと、○○とかってことですか?

A氏 えーと、○○が本当は良かったんだけど、その頃…、この時期すっごい就職難だったんですよ。みんな、泣きたいほど困ってた時期。

戸田 バブルの前か。

A氏 そう、全然、前、前、前。で、あの、スチュワーデスの試験も、みんななくなってた時なの。みんなほら、女子大だから、みんな狙ってるんですよ、そういうとこ。

戸田 スチュワーデス。うん。

A氏 うん。全部就職、止まったんですよ、そん時。で、すっごい就職難で。そん時に「〇〇工業だぞ、お前! 何で断るんだ?」って、すっごい怒られて。

戸田 推薦して下さったけど、断った(笑)。

A氏 そうそう、そういうこと。いやそんなことな…、え、嫌だって断ったんじゃなくて、私、普通に就職するつもり、さらさらなかったんで。何にも準備してなかったの。あの、何…、

戸田 就職しようと思わなかった何か、理由はあったんですか?

A氏 だから、事務職、嫌だったの。単純に。事務職ぐらい私に合うものはない…、似合わないものはない。やる気も全然ないし。だから全然、思ってなくて。そしたら急に、推薦の電話が来たんで。先生から自宅に。

戸田 〇〇へ行ってこいって。

A氏 〇〇! で、あの頃みんなね、保険? 代理店? 〇〇のとか何とか、一流の就職どころ、みんな決まってて。競争だったんですよ。「何でそんなんなりたいんだろな。」って思ったぐらい、私はすっごい冷めてて。で、みんな必死になって推薦もらおうと思って、推薦とかにこだわって。何か、えらい怒られて、先生から。したら、「いやー、私、先生あの、嫌だとかって言う前に、書類何も用意してないんですけど。」って言ったら、それでまたすごい怒られて。「何考えてんだ、お前、この時期に! こんないい話、ないぞ!」って言って、誰かに回ったんですよね、それたぶん。

戸田 あ、○○は別の人に回っていった(笑)。

A氏 回ったの。それぐらい熱心な学校ではあったんだけど、はなからそういう就職する気なくって。で、とりあえず、とりあえず、何かちょっと、色んな人のご縁があったのかな。あ、バイトしてたんだ、私。〇〇に行きたくて。でも、○○って地元に何も大した会社ないんで。ほんで…、

戸田 地元になくて、

A氏 そう。で、あの、就職試験受けるっていうほどのものもなくて。ほんで、とりあえずね、バイトしてたんですよ。バイトしてたらまた先生から電話がきて。あの、〇大の教授秘書の口が…、これ何かね、口コミで代々代々、卒業生が行ってるみたいだったんですよ。そのつながりで、「空きが出たから行かないか。」って言われて、「あ、それはいいかもしれないな。」って。

戸田 うんうん。事務よりかは面白そうだなって。

A氏 そうそうそう。「〇大だし。」みたいな。「行ってみたいな。」みたいな。それで、結構そこね、何年…、4年ぐらい勤めたのかな。臨時だったけども、給料は職員と同じだし、ボーナスも出たんで、待遇よかったんですよ。で、すーごい先生に可愛がられて。やっぱり書くのが得意だったんで、色んなご案内とかあって、書かされるんですよ。あの頃は、パソコンなんかまだ私できなかったから、手書きで全部書いてて。「君の字は見やすくて、いいね。」とかってすごい褒められて。

戸田 あ、評価してくださって。

A氏 それでまた、その気になって。「私には教授の秘書が向いてる。」とかって思って(笑)。結構みんなからね、先生たちから好かれてて。うん。で、臨時もちょっと延長してくれたぐらいだったんだけど、やっぱり決まりがあって。もうこれ以上…、

戸田 あ、4年がいっぱいいっぱいって。

A氏 うん、そうそうそう。で、中途だったんで、で、中途で辞めて。そしたら今度、またこれも引継ぎのような感じで、臨時職員の口が、○○であったんで。で、そこにまた行って。いやー楽しかったな。この臨時職員の時が一番楽しかったかもしれない(笑)。

戸田 教授秘書から臨時職員に。

A氏 そうそうそう。楽しかったんだけど、ここも短期だったからすぐ辞めて。うん。で、それから、うんと…、

戸田 〇〇社、○○部社員。

A氏 そうそうそう、うん。これ何で入ったのかって言うとね、ここもね、別に正式な入社じゃないんですよ。最初は、面接に行ったんだけど、「経験がないからだめだ。」って言われて。「経験積みたいから来てるんじゃないですか。」っていう話になったんだけど、やっぱだめなんで。私ね、その時たまたま趣味で、○○サークルに入ってたんですよ、趣味の。

戸田 えーと、短大…、もう卒業されてから?

A氏 うんと…、いつからかなあ。短大卒業してからかもしれない、うん。で、私、「あ、○○できます!」って(笑)。

戸田 「できます、私!」(笑)

A氏 大してできないのにさ(笑)。「できます、○○できます!」ったら、「じゃあ、とりあえずアルバイトで入ってみるか?」って言われて入ったんですよ。でも「こりゃだめだ。」と思って、「もう限界かもしれない。」っていった時に、「書くの得意です。」って今度言ったら、○○部に回された(笑)。○○の仕事もしたこともないのに、書くのは得意だったんで、「勉強さして下さい、頑張ります!」とかってまた言ってたら、そこの○○部の担当の人が、何か気にかけてくれて、「じゃあ教えてあげればいいよ。」って言って、ちょっと、ごちゃごちゃいたんですけどもね。うん。で、そこに入ったんですよ。そこで何年いたのかなあ。そんなに長くないんですよね。

戸田 ○○部。これは一緒の?

A氏 いや、違うの。違うんです。○○部社員として入って、1年もいたの…、1年もいないんですね、そしたらね、これね。うん。短かったんだ。

戸田 また別の、○○社、

A氏 そうそう。ここは何で辞めたんだろう。〇〇歳でしょう。何で辞めた…、○○の時に、実は、社内恋愛して、結婚したんですよ(笑)。

戸田 あちらの方(笑)。

A氏 そうそう(笑)、今の(笑)。

戸田 ご登場(笑)

A氏夫 やっと出てきたね。

戸田 やっと出てきた(笑)。やっとご登場。

A氏 そうそう(笑)。彼は〇〇だったんだけども。

戸田 うーん、あ、この○○部。

A氏 そうそう、これ。これですよ。

戸田 あ、ありがとうございます。

A氏 うん。そうそうそう。それで、結婚で…、別に結婚退社するつもりなかったんだけど、何で辞めたんだろう。

戸田 あれ、…、〇〇歳でご結婚。

A氏 そうです。結婚は〇〇。うん。

戸田 で、〇〇歳の時に出会われて、えーと…、

A氏夫 いや、もっと、あとじゃない? 〇〇の時に会ったよ。

A氏 えー、嘘。だって〇〇ってなってるよ。

A氏夫 〇〇じゃないわ。

A氏 本当?

A氏夫 うん。

戸田 じゃ、このあたりで、ご主人と、

A氏 そうそう、出会って結婚して。

戸田 ○○部社員の時に。

A氏 そう。

戸田 で、〇〇歳の時にちょっと病状が、急に悪化。

A氏 そうなんですよ。急に。これね、うちの親が…、

戸田 〇〇歳の時ですね。

A氏 何かね、結婚が決まってから、うちの親が体調を心配して、漢方薬を作って、私に「飲みなさい。」って言われて、飲まされたんですよ。私、結構そういうの、あの、あんまり…、「親が言うから。」と思ったのもあったし、まあ「漢方で治るんだったら。」と思って、真面目に飲んだんですよね、1ヶ月間。

戸田 ああ、漢方薬を。

A氏 そしたら…、

戸田 もう、就職されてからもずっと、親元にいらっしゃった?

A氏 そうそうそう。うん。私、一人住まいの経験ないので。いいのか悪いのか、そうなんです。

戸田 で、漢方薬、

A氏 漢方薬、飲んだんですよ。結婚決まる直前かなあ。したら、漢方知ってる人に言わせると、あれは、ちゃんと本人がお店に行って、ちゃんと状態を見て処方するのが普通なんだけども、親が勝手に作ってもらったらしいんですよ(笑)。私は行ってないの。

戸田 お母さんチョイスの漢方薬(笑)。

A氏 そう(笑)。「それがたぶん悪かったんだろう。」って周りの人はみんな言うんだけど。その頃知らないから、親が「いい」って言うから、飲みました! 真面目に。

戸田 漢方、大変でしょう、飲むの。

A氏 1回…、いや、そんなでもなかったんだけど。いや、だからもう、「いいもの」と思ってほら、私、素直だからさ、飲んじゃったじゃないですか。

戸田 うん。「素直だからさ」(笑)。

A氏 そう、そうそう。そしたら、1ヶ月ぐらい経ってからかなあ、全身、びらん。

戸田 もう何かこう…、何だ?

A氏 何かね、一瞬ね、記憶途切れるぐらい、かゆみと、全身びらんで。私、本当その時の記憶あんまりないんだけど。緊急搬送されたんですよ結局。近くの病院に最初行ったんだけども、「これは…」っつって。救急車までは呼ばれなかったんだけど。

戸田 どんな状態やったんですか?

A氏 だから全身ですよ。

戸田 もうズルンと。

A氏 うん。ズル剥け。

戸田 水疱ができ…、

A氏 水疱どころじゃなかったですね。かきむしってたから、自分で。

戸田 あ、もう、かゆくて。ああ。

A氏 うん。かゆいと…、普通ならたぶん、かゆみだけでおさまったのかもしれないんだけど、

戸田 かゆくて、ちょっと赤くなって、

A氏 そうそう。

戸田 終わるけども、

A氏 そうそう。かいてるうちに、

戸田 かいたらもうズルズルズルズル剥けて、

A氏 ズル剥けになってきて、全身、ズル剥けになって。

戸田 もう全身。

A氏 そう。

戸田 そのかゆみの原因は、漢方?

A氏 漢方しか考えられない。だって突然なったんですもん。ほいで…、

戸田 飲んでどれぐらいやったんですか。

A氏 だから1ヶ月は飲んでましたよ。

戸田 はあ、じゃ1ヶ月飲み続けて。

A氏 うん、そう。

戸田 で、もう、どんどんじゃなくて、一気に。

A氏 一気に。それで…、

戸田 ちょっと、徐々にかゆいな、とかではなくて、

A氏 ないない。だから、思い起こせば何か「ポリポリやってたな。」っていうのはあるんだけど、ほらいつもポリポリやってるから、

戸田 うん、そんなに意識はなくて、

A氏 そうそうそう。あっという間に全身まわって、ほんで緊急搬送されて。結局近くの病院に行ったんだけど、「これは大変だ。」って言うので、すぐに△病院に転送されたんですよ。〇〇地域の△病院って言ったら、〇〇病院の次に大きな病院。で行って、そこで…、そこでも、今から思えば、この病気のことは調べないんですよ。

戸田 ふーん。もう水疱症で来てるんですよね。

A氏 水疱症も何もない…、たぶんなかったですね。だから普通の緊急の患者さんっていう感じで、治療にあたったんじゃないですか。で、とにかくステロイドと、たぶん全身に軟膏薬を塗るのと、っていう対症療法だったような気がするな。でグルグル巻きにされたんですよ。その時に、右がグーになったんですよ。

戸田 ああ。これ〇〇歳の時。

A氏 うん、そう。

戸田 その、手も、あれ、かゆくてズルズルやったんですか。

A氏 うん、そうそう。本当全身だったから。

戸田 で、手も、こう、もう指ひっつけた状態で、包帯…、

A氏 指…、だからまっすぐだったから、だからそれを、あの、軟膏全部べったべたに塗って、

戸田 べったべたに塗って、指の間にこう、ま…、

A氏 …は、ないないない。

戸田 なくて、もう、この、手を、こう、指をひっつけた状態でグルグル…、

A氏 そうそうそう。

戸田 …しちゃったから、どんどん癒着してしまって、

A氏 もう。うん。一気にですよ。

戸田 一気に。

A氏 一気に。次、開いた時にはグーになってましたもん。

戸田 あ、ガーゼ交換…、あの、ガーゼ交換がそんなに…、1日1回とか…、

A氏 いやー、記憶ないんだけどねえ。ちょっと意識薄れてたからね。

戸田 うーん。じゃあもう、パッと、ガーゼをパラッと外したら、もうひっついてしまってて。もう指が全部ひっついちゃってる状態?

A氏 そうそう。だから1週間くらいは入院してたんだろうね、どう考えてもね。

戸田 うーん。そん時ってびっくりしますよね、指ひっついてるって。

A氏 びっくり。そうそう。「グーじゃん。」みたいな。それで…、

戸田 もう、指、ちょっともう、変形もしてたんですか、その段階で。

A氏 いや、わりかし、まっすぐでしたね。

戸田 まっすぐで、もう指が全部、ひっつい…、

A氏 うん、パラ…、うん、ちゃんと1本1本ね、ちゃんとあったから。

戸田 で、指と指の間がもう、皮膚がもう癒着しちゃってる状態。

A氏 そうそうそう。グーですよね、要は。グーです。

戸田 この、グーの状態?

A氏 グー。もっとグーだったの。これ、開いてるから1回。だから…、でもその時にグーになっちゃったと思ったけど、今から思い返すとあんまり…、その、やっぱり意識の方が…、 

戸田 もう飛ん…、

A氏 うん。

戸田 全身やから、もうその…、

A氏 飛んでるから。

戸田 手のことだけじゃないから。

A氏 そうそうそう。本当ね、そういう時があって。それでも、結婚はしたんだわ。まもなく。その…、

戸田 記録でね…、

A氏 だから、入院先からそうなんだわ。入院し…、結婚する…、そうなんだわ、これ1ヶ月前か2ヶ月前の話なんだから。

A氏夫 そうそう。

戸田 結婚される、うーん。

A氏夫 結婚式、延ばそうかなという。そんな感じだったから、どうかなという。

A氏 そうそうそう。

A氏夫 間に合わないかな、と思って。

A氏 そうそうそう。

戸田 うん…。

A氏 そうそうそう。うん、まっすぐでしょ。

戸田 そうそう、指。

A氏 うん、そうそう。

戸田 じゃ結婚は、もう決まって…、

A氏 決まってたんだね。

戸田 で、ちょうど、結婚のところでお母さんがちょっと心配されて、「漢方飲んだ方がいいよ。」ってなって、かゆみが出て、入院したらもう…、

A氏 そうそうそう。

戸田 びっくりですね。ガーゼ、開けて。「グーじゃん。」

A氏 そうそう。うん。でもやっぱりほら、あの、その、その…、何か精神的なほうが多いから、私、本当記憶ないんですよね。だからその、グーになったってショックも…、今からではショックだけども、今思うと。その時にはそんなに思ってなくて、「あ、グーだ。」みたいな感じで。それよりも、「どうしよう、どうしよう。」っていうことが大きくて。でもそれでも、あの、入院してて、色んな治療している中では、だんだん落ち着いてきてたし。だんだんしっかりしていくうちに、あの…、

戸田 色々現実が見えてきてって。

A氏 そう、「やることはやらなきゃ。キャンセル料も大変だな。」と。色んなこと思ってて。

戸田 あ、結婚式場の(笑)。

A氏 そうそうそう。「行けるだけは行けるだろ。」みたいな。親も全部…、だからその、ウェディングドレスも何もかも、全部、親が選んでんの。私、自分で選んでないの。

戸田 へえー。

A氏 親の好み。「えー?」って、ちょっと不満垂れたんだけど(笑)、そんなこと言ってる場合じゃなくて。だから、全部、親がやってくれて。で、結局、前の日に…、前の日か? 前の日に退院したのかな、

A氏夫 うーん、前の日なのか分かんない。まあ、直前だよね。うん。

A氏 直前。直前に退院して。

戸田 直前に? あ、結婚式の、もう直前に退院。ふーん。

A氏 うん、そう。だから結婚式も、あんまり…、

戸田 記憶がない?

A氏 記憶がないっていうよりも(笑)、何かその、高揚感ていうか、もう、何せこの…、

戸田 「やった、結婚式。」みたいな(笑)。

A氏 よくなって、ここに立ってるっていう、何か、精一杯の感じで。

戸田 立ってるので、ドレス着て立ってるのが精一杯。

A氏 そうそうそう。「あ、ここにいる。」っていう感じで、結婚に対するあれ…、あんまり高揚感がなかったような記憶(笑)。こっちはこっちで二日酔いでさ(笑)。ひどい、ひどい、ひどい結婚式(笑)。

戸田 ひどい新郎新婦(笑)。心ここにあらず(笑)。

A氏 そうそうそう(笑)。

A氏夫 前の日にあの、友だちが来てくれて、一緒に飲んだんですよ。3時ぐらいまで飲んで。

戸田 二日酔いで(笑)。

A氏 ベロンベロン(笑)。夜中に電話くるしさ、友だちから。もう、何なんだよ。そう。そんなね、何かその、本当ね、こう、幸せルンルンていうような…、

戸田 ああ。ではなかった。

A氏 うん。ではなかったですね。

戸田 前ね、お母さんがね、その、〇〇歳で職場の同僚と結婚、「こんな娘でいいんですか?」ってお母さん、言われて。うん。

A氏 そうそうそう。ねえ。そんなこと…、

戸田 普通に愛し愛されることを受け入れられない親への思いっていう。うーん。

A氏 そうそうそう。ありますね。だからその、半分笑い話のように言うんだけど、結婚を決めた理由っていうのも、あの、「まあいいか。」と思ったのももちろんあるんだけど(笑)、

戸田 (笑)

A氏夫 その程度?

戸田 「その程度」(笑)

A氏夫 (笑)

A氏 一応、ね、一応、積極的にプロポーズされたんで、うん、嫌々ですね。結婚なんかしたくなかったんですよ、私。したくなかったっていうよりも、

戸田 だそうです(笑)。

A氏 あの、結婚できるなんて思ってなかったんで、はなから。うん。だからほら、やっぱ体のこともあるし、一生涯こう、自分で自覚して、自立して生きていこうと思って仕事に…、で頑張ってたとこだから。

戸田 ああ。自立して一人で生きていこうって。

A氏 そう。そういう意識はなかったんですよ。うん。それとその時ね、「ちょっといいな。」って思う人が一人いたんですよ(笑)。

戸田 別の方がいらっしゃったんですね。

A氏夫 別…(笑)。

A氏 そうそう。その人もいたし、別にそんな結婚っていうことはなかったんだけど、唯一、話を「いいかな。」って思ったのは、あの、家を出たかった(笑)。

A氏夫 そのためのダシに使われた、って(笑)。

A氏 いや、何回か、あの、一人で暮らすっていう方策を考えてたんですよ。で、1回は大学の時に、

戸田 あ、大学に行く時に。

A氏 大学に行く時に、第1志望は〇〇だったんですよ。

戸田 東京の。

A氏 東京。

戸田 ○○大学。

A氏 そうそうそう。第1志望が○○で。

A氏夫 へえ。

戸田 「へえ」って(笑)。

A氏 第3志望ぐらいが地元だったんですよ。うん。ほんでそこが、偏差値って言うんですか、今で言えば? 「難しいぞ。」って言われて(笑)。ほいでそん時はもうあきらめたの。で、就職の時にも、1回考えたんだけど、やっぱり実力ないし、経験ないし、っていうんで、少しでも経験積んでから東京に行かないと、「これ負けるな。」と思って。で、言ってるうちに出てきたんですよ。「じゃあ、これ…、出れるかな?」みたいな(笑)。

戸田 出たいなっていう理由は、やっぱり、お母さんとの関係ですか?

A氏 そうですね、そうそうそう。あの、えっと…、結婚が決まった時に、やっぱりその、あの人はあの人で色んな心配をしたんだと思うんです。で、あの人も昔から私のことに対して、「あなたは結婚なんかできないんだから。一生、私が食べさしてあげるから、家にずっといなさい。」っていうことを、中学生ぐらいの時からずっと言われてたんですよ、私。だから意外と、甘えて、まあぬくぬくと。

戸田 「お母さんがいてくれるし、いいか。」っていう思いは、幼少の頃はあったけども…、

A氏 そうそう、思いもあったかもしれない。そうそうそう。

戸田 それが、やっぱり出たいって思った、何か…、

A氏 うん、やっぱりその…、あの、雑。

戸田 雑(笑)。

A氏 私に対する雑なケア。あれがとにかく嫌だったし、あとはその、干渉してくる。人のやることに。

戸田 ああ、Aさんの行動に。

A氏 だからすっごい私に対しては雑。考え方が。ケアも雑だけど。だから、たぶん…、
戸田 でも雑だけども、「結婚ができないから、ずっとお母さんが食べさせてあげるよ。」とは言っておられた。

A氏 そうそうそう。だからそこらへんも、今から思うと、大変失礼な話で、そうやってこう決め込むっていうか。たぶん私という人間の…、人間を、あの人は見てなかったんだなっていうのが、ちょっと、思うんです。だから本当「かわいそうなaちゃん。」っていうので、そうそうそう。で、まああの、感謝はもちろんありますよ。育ててくれたし、お金の不自由はないし、あの、ね、食べることに困るわけでもないし。色んな意味でね、まあ裕福な部類の中で育ったと思うんです。だけど、やっぱり人として…、親は、認めてないっていうのはいかがなものかって、やっぱりその、だんだんだんだん思いますよね。

戸田 成長していくにつれ、最初は「お母さんが全部やってあげるよ」で。

A氏 そうそうそう。守られているうちはね、いいけども。やっぱりこっちもだんだんだんだん友だちもできて、

戸田 色んな外の世界出て、社会の…、出てきて、「私、自立したいなあ。」

A氏 そうそうそう。「何とか自分で。」って思ったんだけど、やっぱりほら、その時には治療費はほら、自腹だったから。

戸田 ねえ、毎月段ボール箱でガーゼや包帯購入しなければならない。

A氏 うん、そう。そこのね、そこの問題も、ちょっと私も自分でクリアできなくって。お金がかかる、と。

戸田 その、ケアの部分でお金がかかるので、自立したい気持ち、お母さんからちょっと離れたい…、まあ、距離を置きたいっていう気持ちはあるけれども、ケア材料のお金がやっぱり、自立…、

A氏 そうそうそう。だからそれまでほら、全部お母さんに任せてたから、色んなことを。だから、そういうことを本当はもっと地道に考えて、着々とやってれば良かったんだろうけども、のんべんだらりと私も生きてきたから。そのへんがこう、自分なりの、うん、積み重ねもしてなかったし。「いやー、どうしようかな、どうしようかな。無理かな、無理かな。」って思ってた時期だったんですよ、ずっと。卒業してからはね。うん。だからその、結婚っていうのが、「あ、いいかも。」って思って。その時もう、別に病気のこと全然考えなくって。で、彼も不思議なことに病気のこと全然、聞かないっていうのも、また不思議な話なんだけど。「何で?」みたいにいまだに思うんだけど。何かその、そこのへんのクリアはなかったんですよね。で、決まったんですよ。で、結局、親に言ったんですよ。

戸田 うん。あ、「お母さん、結婚したい人ができたんだ。」って。

A氏 うん、そうそうそう。「紹介したいんだけど。」って言った時に、

戸田 一緒に、ご挨拶に。

A氏 いや、その前に、会わせようとしたんだけど、何か、やたら反対するんですよ。

戸田 お母さんが?

A氏 うん。

戸田 お会いされる…、

A氏 うん、そうそうそう。何で反対したのか、私いまだに分かんないんだけど。何かね、快くって感じではなかったんですよ。

戸田 「おめでとう。」って、「いい人見つかったね。」ではなくて。

A氏 ないないない。うんうん。「会わせて。」とかって、そんな全然、感じじゃなくて。

戸田 「会いたい、会いたい。」じゃなくて。

A氏 とにかく避けたい、っていう。だからなかなか…、

戸田 あ、「結婚したいんだ。」って、「会ってほしいんだ。」って言ったら、いや…、

A氏 あまり、何か、色良い返事がなくて、避けてたような感じが。

戸田 避けてたような感じ。ふーん。何か避けたい理由が、何かあったん…。

A氏 そうそうそう。ね。で、やたら反対してて、で…、

戸田 お父さんは何も。

A氏 お父さんは何にも言わない。うん。

戸田 でも、お二人はもう結婚しようっていう…、固まってるのに、周りがちょっと…、

A氏 そうそうそう。周りって親だけですけどね(笑)。

戸田 親だけ(笑)。

A氏 そうそう。それで、結局そのあとで、「じゃあ、正式に会って下さい。」と。で、彼の親も呼んで、ご挨拶ってことになって。その時もう、日付も全部決まってたから。まあ私たちが決めてたからね。で…、

戸田 そこにはお母さん、来てくださった?

A氏 そうそうそう。で、その場で言ったんですよ、その発言を。

戸田 ええ?

A氏 「こんな娘でいいんですか?」って。

戸田 向こうは、えっと…、

A氏 お義父さんもお義母さんも…、

戸田 ご主人のご両親のいらっしゃる前で、

A氏 そうそうそう。

A氏夫 あ、記憶にないです(笑)。

戸田 記憶にない(笑)。

A氏 だからいや…、普通にね、言う言葉かもしれない、ある意味ね。だけど、この場に及んで…、それまで色んなね、彼女…、母親が私に対する人格のない取り扱い、見方をしてた中で、この場に及んで「そんなこと言う?」っていうのは、あってはならないことですよね。だからそれの時に、私は「もうだめだ。」と思いましたね。うん。だから、離れたかったし…。だから、結婚はもちろん決まってはいたんだけど、やっぱり、「もうこれでいいわ。」って覚悟決めたのはその時かもしれないですね。うん。

戸田 じゃあ、ウェディングドレスもお母さんが選んだっていうのも、もう、そこまで…、結婚式までは、っていう気持ちもあったんですかね。

A氏 いや、あと、私、動けなかったから(笑)。

戸田 ああそうか。もう、選んでもらうしかなかった。

A氏 いや、そう…うん、私が選びたいと思えば選べたのかもしれないんだけど、まあ、ね、何か二人でやってるからさ。私もあえて言わなかったんだけど。うん。だから、愛情はあると思うんです、もちろん。だけど、やっぱり何か違うと思う。うん。子どもを見る目…、私を見る目。私に対する見方が、やっぱりこの母親は違うと思う。それはやっぱり、いまだにあるし。でもこういう話って、デリケートだから、親子の話だから、あまり人に言うと、「Aさん、そんなことはないわよ。」って。「どんな親だってかわいくない子どもはいない。」って、絶対…、

戸田 一言で終わっちゃう。

A氏 うん、そう、絶対言われるので、ほとんどこの話は、あまり言ってないんですよ。ほとんど言ってない。「言っちゃいけない。」と思ってるから、自分の中でも。うん。でもやっぱり、私のやっぱり、うーん、考え方は、その一言で、もしかしたら大きくまた変わったかもしれない。うんうん。親に対してね。

戸田 これは、漢方の副作用で入院した、前の話?

A氏 前ですね。だからもう諦めですね。諦めに近いかもしれないけど、その時にやっぱりもう、「私はもう結婚して出るしかない、」と、「この家を。」って思いましたよね。改めてね。うん。改めて思ったのと、やっぱり「この親にはもう頼れない。」と思いましたね。だから色んな意味で、距離は置いてますね。

戸田 ああ、お母さん。

A氏 そうそうそう。だから私…、結構、他の親御さんも、ちょっとその、同じような体験したことがあるので、たぶん私だけじゃないと思うんだけど、結婚が決まって離れると思った親は、この、病気を持ってる、ね、親御さん、ちょっと安心するんですって。要は、「もう自分は、大変なことに付き合わなくていい。」っていう安心感が、ちょっとあるみたい。で、それはちょっと、他の親御さんからも、「実は娘が結婚する時に、『もうこれで自分の自由に生活ができる。』って思ったんだわ。」ってチラッと聞いたことがあるので、もしかしたら通じるものがあるのかもしれないですね。

戸田 ああ、Aさんのお母さんにも?

A氏 うん、そうそうそう。それしかないです。ただ〇さん(A氏夫)はね、お母さんに優しいので(笑)。不思議なことに。向こうは頼りにしてますけどね。うーん。まあそれもあの、私がこういうふうに意地を張っていられる一つには、周りがそうやってね、優しくしてくれてるから助かってるっていう部分、もちろんありますよね。うん。そんなに嫌な思いは、全体的には、なってないので。

戸田 なるほど。じゃ、ちょっとその結婚の機が、お母さんとの関係もターニングポイントやったのかなあ、っていう。

A氏 そうそうそう。うん、大きいですよね。

戸田 でもそのあと、グーの…、指が癒着した状態になっての結婚生活。

A氏 だからその頃は…、何だろう、家事もやってたんですよね、確かに。一時。

戸田 ん?

A氏 結婚してから、家事もやってたし…、ある程度は、やってたんですよね。

戸田 うんうん。でも、癒着した状態は…、

A氏 …だからあの時、グーじゃなくて…、何だったんだろう。包丁とか使ってたもんね、そう言えばね、家事とか。

A氏 だからそんなに思うほど、ガッチリでは、ガッチガチではなかったのかもしれない。

戸田 ガッチガチではなくて、つかんで…、こう、細かなものを…、

A氏 そう。包丁は、前、持ててたから、うん、確かにそうかもしれない。

A氏夫 作ったっていう記憶はないけど、一つだけ覚えてるのがあって。弁当作って。

A氏 いや、その話は勘弁してください。

A氏夫 (笑)

戸田 何?

A氏夫 いい? お弁当の中に、刺身が入ってたの。

戸田 うん。お刺身。

A氏 「ありえない。」って言われて。

A氏夫 でもさあ、それ、ありえないよね。あったかいご飯入れて、

戸田 生ものというか。うん。

A氏夫 ポンて、生もの入れて、蓋して持ってって、お昼に食べるんだから。時間、

A氏 だから家事なんて、したことないもーん。

A氏夫 傷んじゃうよね。だからそれ入ってたの、びっくりして。

戸田 お刺身弁当。

A氏 あなたは要するにお嬢様と結婚したんだからさ。しょうがないんだもん。

A氏夫 家事したことないから。

A氏 作ること自体がさ、ないんだもん、だって。

戸田 ああ、そうか。お母さんがもう全部…、

A氏 家で家事してなかったですもん、だって。全部親がやってたから。

戸田 だって、先手先手のお母さんやったから。

A氏 そうそうそう。私はほら、浸出液とか出血とかすごいじゃないですか。で、シーツとか何とかにもう、血みどろになるんです。それが耐えられなくって、毎日漂白してる人なの。

戸田 漂白? 洗濯だけじゃなくて。

A氏 そう。私の着る物、結構全部、漂白してたっつってた。それぐらい、すごい、お掃除、洗濯大好きな人なんです。

戸田 Aさん大丈夫? 休憩しなくても。

A氏 大丈夫、大丈夫。だから、何も私はしてなかった。

戸田 ふーん。じゃ結婚をされて、初めてお家のこともやっていくって。

A氏 そうそうそう。だから全て初めて。掃除も洗濯も、全部初めて。料理なんかしたことないのに、作ったこと自体が奇跡ですよね。やったっちゅうことがすごいと思いません? それなのにそこのへんだけはつつくんですよ、いつも。この年になって。信じられなあい。

A氏夫 (笑) 笑い話の一つとしてさあ。

A氏 笑い話って、それしかないじゃん。

戸田 お刺身弁当(笑)。

A氏 誰も笑わないと思う(笑)、普通。だからそういう中で、一所懸命やってたっていうことがすごいじゃないですか、それでも。お弁当作ってたんですから、毎朝。

A氏夫 本当だね。

A氏 そうだよー。1年は…、1年は続いてたような気がするなあ。

戸田 でも、この状態ではないですよね、ちょっと癒着してる…、

A氏 うん、今ほどはひどくはないけど、左手はもちろんまっすぐだったし。うん。でも、確かにね、確かに持ってた。包丁。

A氏夫 挟んで持ってるのは記憶にあるんだよね。包丁、柄じゃなくて、刃の上の部分を挟んで。

戸田 あ。ああ…、

A氏夫 うんうん、それで切ってく。

戸田 包丁の柄を持つのではなくて。

A氏 うんうん。だから少しは、このね、ここだけは、

戸田 この、親指と…、

A氏 うん、あいてたんだと思う。

戸田 …人差し指の、この又の所はあいていて、柄をここでこう、つかんで、包丁で、

A氏 そうそうそう。

戸田 うん。

A氏 だから、そこの間が、だんだんだんだんまた癒着してきて。

戸田 うん、そこの溝がちょっと浅くなってきて…、

A氏 そう、浅くなったんで、手術繰り返してるんですよ。

戸田 ここのこう、可動域を広げるための手術をっていう。

A氏 うん、そうそうそう。

戸田 んー。じゃ、お家の家事もしながら、お勤めもされてるんですよね。

A氏 それでさ、勤めに出るのが、私はさ、普通にさ、主婦をやるつもりでいたんだけど。そういうことを言うようなこの人でした。お弁当のね、「お弁当が信じられない。刺身が入ってるなんて、信じ…、食べられるか!」ってすっごい怒るんですよ。

戸田 怒っちゃった。

A氏夫 いや、怒ってはいない。

A氏 怒ったじゃないですか。それで、何だったかな…。何かかんか、私もこういう性格だから、何か言ったんですよね、きっとね。そしたら、何だったっけ、「俺が食わしてやってるんだ!」って。

戸田 おっと(笑)。

A氏 「出ました。」って。その言葉を、

A氏夫 いや、喧嘩売りに言ったんだよ。

戸田 まあね、売り言葉、買い言葉で。

A氏夫 そう。

A氏 もともとほら、自立志望だったからさ、本音はね。言えば。「主婦なんてやってられるか!」って。「そんなこと言うんだったら、じゃ自分で稼ぐわい!」ってなって、働きだしたんですよ。また復活。

A氏夫 稼ぐ稼ぐ(笑)。

戸田 稼ぐ稼ぐ(笑)。稼いでくる(笑)。

A氏 この時、この時期が、あの、あれですよ、バブリーですよ。うちの。

戸田 あ、そうか、この頃からバブルが始まる。

A氏 そうそうそう。

戸田 じゃ、ご結婚されて、1年間ぐらいは専業主婦?

A氏 そうですね、1年ぐらいですね。

戸田 専業主婦をされてて。で、ちょっと、お刺身弁当事件もあり。で、ちょっと外で働いていくっていうことで、○○のアルバイトとかされながら、で。

A氏 そうそうそう。うん。この頃、本当働きましたね。ここで稼いで稼いで、稼がせてもらって。

戸田 ふーん。お仕事…、就職、面接の時にね、その、皮膚の状態とか…、

A氏 あ、何も聞かない。私、仕事でね、病気が原因っていうのは何もないです。いや、私ね、面接は結構、意外と受けてたんですよ、色んなとこで。これ○○志望と言いながら、「もっと稼げるとこがないか。」と思って、色んな…、実は面接って、すごい受けてるんですよ、色んなとこに。私、自分でも面白いなって思うけど。あのね、ファッションメーカーに面接に行って(笑)、何か「服がやりたいな。」と思って行ったんですよ。たらね、面接もすごくスムーズにいって、最後の面接で、何かこう、上の人が来たんですよ。その時に初めて手を見て、はっ、と思ったんですね、向こうが。

戸田 うん。最終面接で。

A氏 うん、あの、最初の仕事が、お店の店頭に出て、お客様商売なんだと。

戸田 接客業なんだよって。

A氏 そうそうそう。「無理ですよね。」って言われて。あからさまには言われなかったんだけど。

戸田 ああ。手の癒着している状態で、ちょっと接客業は難しいですね、って。

A氏 うん。その場では断られはしなかったんだけど、まあ「だめだな」と思ってたら、やっぱりだめでしたね。そういうの何回かありますね。でもそんなに、ないですね。でも面接が通らなかったのは何か他の理由かもしれないですね、だからね、逆に言うと。病気っていうよりは…、

戸田 手の状態とか皮膚の状態を、あまり聞かれることは…、

A氏 ないですね。ないですね。

戸田 なかった。

A氏 うんうん。だからたぶんあの、履歴書時点で落とされてることも多いから。

戸田 うん。

A氏 うん、そう。だから経歴とか、やっぱりやってる事がアルバイトが多かったから、「やっぱそういうことかな。」とか思うし。病気は…、もちろん履歴書に病気のこと書いてないから。面接は…、面接までいかなかったのが多かったのかなあ。

戸田 ああ。経験も…、

A氏 そうそうそう。それ結構ね、若い時からやってたんですよ。面接…、面接好き? (笑)

戸田 面接好き(笑)。

A氏 ほんっとにやってたんですよ、面接。何かね、うん。何かその時に…、ショックはショックなんだけど、今から思うと、何て言うのかな、何でもやりたがり? で、やっぱり自分が合うとか合わないとかっていうのが分かんないから。好きだから、「ああ、この会社いいかな。」と思って行くんだけど、落とされるっていうのは、意外と今から思うと、面白い体験ですよね。自分の方向性が分かるっていうか。で、結局最後のほうで、その○○さんで…、これは別にね、試験も何もないんですよね、口コミだったような気がするなあ…。何か色んなこと私、バイトでやってたから、どっかで誘われたんじゃないかなあ。紹介か何かなあ…。試験じゃないんですよね。だから意外と、そういう感覚で仕事は、上手くいってたかもしれないですね。で、その流れで…、

戸田 ペンを持つのも、問題なかった。

A氏 そうそうそう、全然全然。だってこの頃、だって、手書きですからね、原稿書いてたの。まだパソコンやってないですもん。あの、あれか。ワープロか。ワープロやってたんだ。

戸田 うん。ワープロ。うんうん。

A氏 ○○店に入って、やっとパソコンをやったのかな? うん、この激動の時代ですよね。そこの時にもう確か30前で…。

戸田 じゃ、お家のこともしながら?

A氏 お家のことはしてないです、ほとんど。

戸田 ご主人?

A氏 お家のことは主人です。あの一件以来。

A氏夫 そうだったね。うん。

A氏 わりかし、家事嫌がらないよね。

戸田 (笑) ふーん。でも、その頃も皮膚の状態は…、

A氏 うん。同じ、同じ。

戸田 同じ感じで。で、ケアはもう、Aさん、ご自…、あ、ご主人もちょっと手が届かないとこ…、

A氏 いや、この頃はまだね、自分でやってましたね。うんうん。最初の頃はね、全然この人は、私の皮膚のことは全然、あの、タッチしてないですね。うん。

戸田 でもこの頃も、まだずっとガーゼですよね。

A氏 もちろん、もちろん。ガーゼ、ガーゼ、ガーゼ。

戸田 でもあれ、水疱ができて、よくね、その、ガーゼが固まって剥がす時にもまた皮膚がベロっとめくれて痛みもあるし。

A氏 そうそう。そうよ。大変だったよね。今から思うとね。

戸田 でも、痛みのケアも…、痛みもあり、仕事もし。

A氏 そうそうそう。だからボリボリボリボリ、もう掻きながらやってましたね。で、結構、私は重かったから。結構ね、ハードな生活でしたね。でも、この頃にちょうど食道狭窄が悪化してるから…、

戸田 あ、ですよね。で、〇〇歳で食道狭窄が悪化して。

A氏 そうなの、そうなの。これね、本当…、私、何となく記憶にあるんだけど、何かね、お寿司を食べてて急に詰まったんですよ。大好きなのに。何かのきっかけでね。「あ、やばい。」って思ったんだけど。で、何日かしてからね、こう、たぶん剥けたんですよね、粘膜が。それがきっかけで、何か狭くなったような気がするんですよね。

戸田 感覚は?

A氏 だんだん食べれなくなったんですよ。で、お粥と、素麺と、モロゾフのチーズケーキだけが主食だったんですよ。あとはおやつ程度。それ以外全然食べなかった。

戸田 お粥と、素麺と、モロゾフのチーズケーキ。もう、それじゃないと通らない?

A氏 そう。

戸田 それは何日ぐらい続いたんですか?

A氏 何年です。

戸田 何年!

A氏 何年。だから、食道を広げる手術があるっていうことを分かるまで。だから、10年以上? 続いてんの、その生活が。で、今から、ちょっと仲間の人とも話したんだけど、モロゾフのクリームチーズケーキが、すごく、もしかしてカロリーが良かったのかもしれない。

戸田 あ、そうですよね。

A氏 本当ねえ、

戸田 そうですよねえ。脂肪分もあるし、タンパク質も入ってるし。

A氏 そう。「もしかして、あれっていいのかもね。」っていう話を最近入院してる友だちと話したら、

戸田 エンシュアよりもいいかも(笑)。

A氏夫 (笑)

A氏 そう。その人も「食べるようにするわ。」って言ってた。だってそれ以外考えられないもん。

戸田 じゃ、その時の生活は、ご主人は…、ご主人が作って、

A氏 そうそう。別メニューだよね。

戸田 普通の…、普通のというか、お野菜とかお肉とかのご飯。でもAさんは、お素麺、お粥、モロゾフのチーズケーキ。

A氏 そう。うん。だから楽してますよ。すごく。

A氏夫 いや、楽はしてないけど。その、チーズケーキっていうのは近くに売ってなくて、逐一デパートまで買いに行かなきゃいけない。

A氏 (笑)

戸田 ああ。そうですよね。近所でモロゾフないですもんね(笑)。

A氏 ないない。街のデパートまで行くんです。週に2回は行ってたね。

A氏夫 週2回ぐらい。

A氏 で、そこのお姉ちゃんと仲良くなって。「いや、声かけられちゃったよ。」とか喜んでたじゃないですか(笑)。あなたもそれぞれに楽しみを見つけて。

戸田 (笑)

A氏夫 (笑) で、駐車違反で車が捕まる。何回も捕まるんです(笑)。

戸田 (笑) 

A氏 デパートも何か所かあるじゃないですか、○○と○○とね。で、色んなとこに…、ね、あの、一番大きなホールケーキを買うんですよ、絶対。それが3日ぐらいもつんですよ。

A氏夫 違う。もっと、5日間ぐらいもつよ。

戸田 小分けにして。それを3食?

A氏 いや。

戸田 お粥とお素麺とモロゾフを2回?

A氏 いや、日替わり。でも、チーズケーキはたぶん毎日食べてましたね。

A氏夫 ね、うん。

戸田 毎日で。で、1日、食べれる量だけをもう、小刻みで、みたいな感じ?

A氏 そうそう…、え? うんとね、1回で、4分の1は食べてましたね、ホールケーキ。一番大きなのがあるんですよ、ホールケーキ。それが3日ぐらい…、3日4日もつっていう感じ。いや、本当、飽きないで食べてましたね。

戸田 もう、それも何年も…、5年…、

A氏 うん、5年じゃない、10年ぐらい。

戸田 10年ぐらい。〇〇歳から〇〇歳まで。

A氏 うんうんうん。そう。

戸田 でも、その間、脱水…、詰まって。

A氏 1回、行ってますね。

A氏夫 うん。

戸田 点滴、11日間。

A氏 うん。だからその、○○病院にたどり着くまでの何年間は、うん、喉詰まりして点滴受けてますね。何回かね。

戸田 うーん。で、喉詰まりで、脱水で点滴受けてるけれども、このご病気は何だろうかっていうところには…、

A氏 なんない、なんない。近くの病院だからね。

戸田 …いかずに、もう対症療法だけで、また帰って来るって…。

A氏 そうそうそう。「とにかく点滴打って下さい。」っていうだけで行くんですよ。

戸田 ふーん。そうかあ。

A氏 そう。これは繰り返してましたね、うん。

戸田 じゃその、モロゾフ生活が約10年間。

A氏 そうそうそう。

A氏夫 うん。その、素麺となあ。

A氏 不思議だよ。今から思うとすごいよね。それでも生きてたっていうのがすごい事だと思うよね、逆にね。

戸田 よく生きてたなって。

A氏 ねえ。

戸田 うーん。

A氏 仕事もまだしてたし…、してたよね。うん、してましたね。うんうん。

戸田 で、貧血悪化。貧血になる。なるよね(笑)。

A氏 なるよ。ならないほうがおかしいよね(笑)。

戸田 ならないほうがおかしいね。で、鉄剤投与が7日間。

A氏 だから体調は、やっぱりだんだんだんだん、悪くはなってたんだと思いますよ。

戸田 うーん、皮膚症状以外の、他の症状がどんどん尻すぼみになってきた、っていうところやったのに…、

A氏 そうそうそう。うん。そう。

戸田 ふーん。それでも、何かこう、体の疲れやすさであったりとか、そういったことも…、

A氏 いや、それはあると思う。それまで別に旅行もしてないし、遠出することっていうのもそんなにないし。まあせいぜい近所のドライブぐらいかな。

戸田 ああ、そう。

A氏 あとは…、高校の時に修学旅行で京都に行った時ぐらいかな。だから、やっぱり、それなりに静かな生活でしたよね。

戸田 で、前半〇〇歳までは、表皮水疱症っていう認識…、

A氏 ないない。

戸田 ないんですね。

A氏 何もないですよ。病院には行ってる…、

戸田 病名が何かっていう…、

A氏 うん、分かんない分かんない。

戸田 もう、こういう症状。

A氏 うん。だって普通、点滴受けに行ってて、脱水になって点滴受けに行ってるのに、この症状見て、誰も不審に思わないっていうのは変な話ですよね、今から思うと。誰か調べてよって(笑)。ねえ。たぶんこの脱水っていうのも、食道が詰まって、最初言ったように食べれなくなって1週間ぐらい経ってるんですよ。それで緊急で行くんですよね。で、その間隔がだんだん狭まってきて、何か3日ぐらいでもう、脱水起きて、この頃は。ほいで3日目が来て、「まあ、これ限界だな。」って思って行くっていうのが結構、ありましたね。だからそれの繰り返しが、ちょっと、やっぱり、うーん、何かのあれなんかな、呼び水じゃないんだけど。うーん、今から思うとね。こん時は分からないんだけど。

戸田 じゃ、本当に○○先生に会われるまでは、もう、「こういう症状。」

A氏 そうそうそう。だから普通に思えば、まあ「体が弱いね。」ですよね。

戸田 弱い。で、その、モロゾフ生活が10年間続くともう、「こういうもんなんだ。」

A氏夫 実はね、この人の…、診断される前の、何年か前に、あの、新聞を見てて、○○病院で、兄弟で表皮水疱症にかかってその手術をしたっていうのが新聞に出たことがあるんですよ。それ見てたら、「あ、同じ人じゃん。」と思って。「あ、たぶんこの人は表皮水疱症っていう病気だな。」とは思ったけども。

戸田 ああ。新聞をたまたま見られて。

A氏夫 そうそう。でも、その…、もうそれはストップしちゃったっていうか。それ以上別に、本人に言わなかったですね(笑)。それを、ね、うん、調べようともしなかった。

A氏 おかしな人でしょ。「僕、知ってた。」って(笑)。自慢気にね、言うの。おかしくない? それって。言えよ(笑)。

戸田 言ってよ(笑)。

A氏 ね、不思議。たぶんだから、そういう病名はもう、だからその時には…、

A氏夫 うん。

A氏 いや、もちろんほら、この病気自体が昭和62年に特定疾患になってんですよ。だから、世間ではもちろん知られてたことではあるんでしょうね、きっとね、うん。ただ私の周りには、それを知ってる人は誰もいなかったっていうだけの話で。だからそういうことは意外とあるのかな、ってのは思いましたね。

戸田 そうそう。それで、年表作ってて。

A氏 すごい、また、小っちゃい(笑)。

戸田 小っちゃい。ごめんなさい(笑)。もう字が、私も最近老眼で。

A氏 ハズキルーペ(笑)。

戸田 ハズキルーペ(笑)。

A氏 見たかった(笑)。

戸田 1987年に、昔の特定疾患治療研究事業で表皮水疱症の接合部型と栄養障害型が入ってるんですよね。だから難病の認識としては、早い段階ではおりてるんですよね。他のね、その…、比べて。

A氏 そうなの、早いの。そうなの。だからそれを思った時に、「何でこんなに、どこの病院に行っても言われなかったかな。」っていうのが不思議ですよね。まあそんなもんかなって思いますけどね。

戸田 誰も…、誰もというか、点滴に行っても、全身の…、その、漢方の時も、何も言われなかったと…。

A氏 そう、だから…、

A氏夫 1982年?

戸田 1987年。

A氏夫 87年!

戸田 難病の制度自体が、1972年に、昔の、スモンっていう薬害から始まってるんですよね。そのあと少しずつ増えて、1987年に表皮水疱症が追加されてるんですよね。

A氏 ふーん。ちょっと書かしてもらっていい? 87年?

A氏夫 〇〇になるんじゃない、そしたら。

戸田 1987年に、昔の特定疾患…、

A氏 だから昭和62年なんだ、これが。私、昭和でしか覚えてないから。

戸田 もう、ここで入ってはいるけれども…、

A氏 そうそうそう。誰も…、

戸田 皮膚科にはかかってこられてますよね。

A氏 皮膚科にはかかってないのさ、これが。

戸田 かかってないのか。

A氏 だからこれ、脱水で点滴…、

戸田 あの、あれ、その、漢方の時、

A氏 漢方はだって、母親しか…。

戸田 あの、指が癒着した時。

A氏 あ、そう、全然全然。あそこは皮膚科なのかなあ。皮膚科だよね。

戸田 皮膚科ですよね。全身びらんで。

A氏 そう。だからそこも第一の間違いのもとだよね。

戸田 1982年。でも82年に全身びらんやし…、

A氏 あー、前だ。

戸田 前だ。87年に…、

A氏 分かんなかったんだ。

戸田 分かんなかったのか。

A氏 うーん、あのあとか。

戸田 87年以降は食道狭窄で、点滴でしか…、

A氏 そうそうそう。ここの行ってる病院が今でも…、もちろん今でもあるんだけど、ここの病院に皮膚科がないんですよ。いまだにないんですよ。

戸田 うーん。なるほど。

A氏 どこの科で、じゃ、点滴受けたんだろ。内科か。内科かもしれない。

戸田 そうか。

A氏 うん。

戸田 昭和62年の段階では表皮水疱症が指定難病で、まあ、医療費…、その、治療にかかる部分は公費助成だよ、にはなってはいたけれども。

A氏 ああ、治療に関してはね。そうそうそう。でも、その頃の治療って、ただの軟膏剤塗るだけだからね。

戸田 そうですね。で、そのあとに、○○先生のところにつながるきっかけっていうのは、〇〇年。

A氏 そうそうそう。〇〇年になって、んとね、夏ぐらいから、足に何か固い角質化したものが出てきて。それが日に日に痛くなって、私は、何かウオノメのような感じだと思ってたんですよ。もちろんこの病気だってわかんないからね。で、痛いから…、本当歩けないぐらい痛いんですよ。

戸田 足の、裏?

A氏 足のねえ、かかと。

A氏夫 うん。 

A氏 かかと近く。

戸田 かかと近く。

A氏 うん、そう。ほいで、とにかく痛くて歩けないので、取ってもらえばいいって…、

戸田 あ、これ書いてもいい?

A氏 ああ、いい…、どうぞ、差し上げます。

戸田 ありがとうございます。

A氏 歩けないから、痛いしっていうので、このウオノメのようなものを、固いものを取ってもらえばいいって、単純な私の発想で。それで、

戸田 もうウオノメっていう認識があるから。

A氏 そうそうそう、そう。邪魔くさいから取ってもらおうと、痛いのと。っていうんで、近くのいつも行ってる、その、点滴してくれてる病院に行ったんですよ。そこで診てもらったら、「うちではできない。」と。で、「皮膚科もないんだよね。」って話になって、「じゃあどうしたらいいんですか?」って言ったら、□病院ってあるので、そこを紹介してくれたんですよ。で、「すぐ行きます。」ってすぐ行ったんですよ。そこには○○病院系の先生がたまに来ている病院なんですよ。連携がある病院。そこで診てくれた先生が、たぶん分かったんですよ、この病気だって。言わなかったけど、私には。

戸田 表皮水疱…、

A氏 そこまでは分かんないけども、たぶんそうかなって思ったんじゃないかな。

戸田 ああ、「表皮水疱症かな?」って。

A氏 うん。それで私には、ちょっとこの、「Aさんの皮膚の症状から診ると、そんな簡単にできることにはならないので…、」

戸田 ああ、□病院ではちょっと難しいかな…、

A氏 そうそうそう、「うちでは難しいかもしれない。」 で、「Aさん。」と。「実はAさんの病気の専門の先生が、○○病院に今来たばかりなんです。」って。それで、「紹介しますから、すぐ行って下さい。」って言われたんですよ。ほいで、その場ですぐ電話をかけてくれたんですよ。「すぐ行きます。」と私が言ったんで。そしたら、先生がご不在で、学会か何かに…、会合かどっか行ってんのかな。「ちょっと2、3日かかるみたいです。」っていう話になって、「いや、いいです。」っつって。「とにかく痛いので何とかしてほしいだけなんです。」って、こっちはただ訴えるだけで。それで紹介状もらって、○○に行ったんですよ。

戸田 うん。これが○月。

A氏 うん。何故かあの時、母も旦那も一緒に来たんだ(笑)。勢揃いで行ったっていうの、何でだったんだろう?

A氏夫 ふーん、お母さん行った?

A氏 行った、行った。

A氏夫 ふーん。

戸田 お母さんと、もう私、まったく…、

A氏 あの時、何で行ったんだろう? 分かんないね。

A氏夫 病院じゃないの? 病院いたんじゃないの?  あの時、まだ勤めてたじゃない。、勤めてたんですよ。

戸田 あ、お母さん?

A氏 いないよ。もう定年になってたよ。

A氏夫 なってないよ…、あ、なってるか(笑)。

A氏 無視してください。

戸田 (笑)

A氏 そうそう。それで、何で行ったか記憶にないんだけど、行って。

戸田 ご主人と、お母さんと、

A氏 そうそうそう。それで行ったら、○○先生がいらして、すぐ診てもらったら、「Aさん、よかったですね。僕はこの病気を、世界で一番多く患者を診てるんですよ。安心して下さい。すぐ手術しましょう。皮膚癌です、これ。すぐ入院しましょう。」ってすぐその場で電話して。たら、ベッドが空いてない、ってなって。「何やってんだ!」ってすごい怒鳴ってて。

戸田 あ、○○先生が。病棟の…、

A氏 そうそう。「何で!」って怒ってて。ほんで結局、やっぱりその日はだめなの。「すぐ、すぐ入院。」って先生は仰ったんだけども、

戸田 ああ、ベッドが空いてなくて。

A氏 うん、ベッド空いてなくって。で、何日経ったかなあ、2、3日経ったっけなあ。で、じゃあベッド取ってもらって。ほいで話したら、いや表皮水疱症だ、って話になって。だからみんな、キョトンだよね。

戸田 じゃあ、表皮水疱症って聞く前に、皮膚癌?

A氏 うん。

戸田 「皮膚癌ですよ、これは。」

A氏 うん、皮膚癌だって最初に言われた。

戸田 その時、びっくり?

A氏 うん、皮膚癌なんだ。

戸田 ウオノメじゃないんだ。

A氏 そうそう。で、表皮水疱症の話になって、で、「すぐ検査しましょう。」って話になって。で、「遺伝の病気だから、家族も検査しましょう。お母さんも一緒に検査しましょう。」ってなって。

戸田 あ、もう「遺伝の病気だから」って、そこでももう、スパッと。

A氏 そうそうそう。で、キョトンさ。

戸田 お母さんも?

A氏 お母さんもキョトン。「あらあら」っちゅう感じだよね。

戸田 みんなびっくり。

A氏 みんなびっくり。

戸田 でも、ご主人は「新聞で読んだことあるよ。」みたいな(笑)。

A氏 やっぱりって(笑)。

戸田 「俺は知ってた。」っていう(笑)。

A氏 (笑) そうそうそう。それでパタパタパタッとそうなって、で、すぐ入院して。

戸田 で、遺伝子検査も?

A氏 したした。

戸田 お母さんも?

A氏 お母さんもした。

戸田 お父さんも?

A氏 お父さんはしてない。お父さんはその時亡くなってたんで。

戸田 あ、お父さん、他界されてる、ああ。

A氏 お父さん、そうなんですー。早くにちょっと亡くなっちゃったんですよね、うん。

戸田 きょうだいさんも?

A氏 きょうだいはしてない。

戸田 してない。お母さんとAさん。

A氏 お母さんと、そうそうそう。そしたら、うちの母も表皮水疱症だった(笑)。

戸田 お母さんも表皮水疱症だった。

A氏 だけど発症はしてないタイプだった。

戸田 ああ。じゃあ遺伝子。

A氏 そう。だから、たぶん私は劣性だから、父も、持ってはいるんですよ。

戸田 お父さんもお母さんもそれぞれ持ってて、2つ合わさって初めて劣性遺伝になるから。

A氏 そうそうそう。

戸田 ああ。

A氏 で、どちらも発症はしてないタイプ。

戸田 ああ、なるほど。因子を持っているっていう。

A氏 そうそうそう。キャリアっていうことですよね。

戸田 それも、ここで急にパタパタッと分かった、遺伝子検査で。

A氏 そうそうそう。遺伝子検査あったから分かったんだけど、うん。

戸田 お母さんもびっくり?

A氏 お母さん知らないと思う。言ってないもん。

戸田 言ってないんですか。

A氏 言ってない。私が聞いただけ。

戸田 ああ、そうですか。

A氏 うん、そう。だから、パタパタパタパタ決まって。

A氏 うーん。で、やっぱりあの先生の性格もあって、やっぱりこう、何て言うのかな…、

戸田 明るい先生なんですか?

A氏 うん、明るい…、うーん、私はそのスパスパした…、スパスパ言う切り口が好きなの、わりかし。

戸田 うん。相性が良かった。

A氏 そう。あんまり、ぐだぐだぐだぐだ、ほら前置きされる先生がいるじゃないですか。

戸田 うん、結論どこなのって。

A氏 「結局何なんですか、私?」っていう。いきなり、「皮膚癌です、Aさん」「Aさん、即入院、即手術」って。でその時に、やっぱりあの、その症状が出てから、まあ何ヶ月か経ってたわけですよね、私の。そしたら、やっぱり皮膚癌っていうのは転移が早いから、リンパに転移してるとかね、肺に転移してるとか、「もしもそうなったら、Aさん、足切断だからね。」って言われたんですよ。ゲロゲロゲですよね。最初にそんなことを言う。

戸田 もう、たたみかけるように、「皮膚癌です、表皮水疱症です、遺伝です、足切断です」っていうのがもう、ダーッと流れるような感じ。

A氏 で、「へえー。」っていう感じですよ。「Aさん、命と足と、どっちが大事? 命だよね。」とかって、そういう感じなんですよ。だから、そういうのにね、やっぱり抵抗ある人もいるよね、もちろんね。

戸田 Aさんはその時、どんなお気持ちだったんですか。

A氏 私はね淡々。とにかく私はその時に、皮膚癌でも何でもこの痛みがなくなるんであればいいと思ってたの。それぐらい、やっぱり痛かったんですよ。

戸田 痛みが強かった。ああ。今の症状緩和することが、もう今…。ふうん。

A氏 そうそうそう。皮膚癌であっても何であっても、結局その、何て言うのかな、「もうしょうがない」っていうレベルですよね、だってこの時。とにかく痛いんだもん。「先生とにかく…」、皮膚癌って喫緊だから、「先生とにかく痛いんです!」って、「この痛みは消えますよね?」っていう話を、私、何か聞いたような気がするんだけど。うん。で、パタパタパタパタ、だけど入院。

戸田 ふーん。じゃもう、すぐ入院、手術。

A氏 そうそうそう。たぶん〇〇月のね、途中でも1ヶ月かかってるんですよね、診断してから。

A氏夫 病院で年越し。

戸田 病院で年越し。

A氏 で、12月の年末に、手術してるんですよ。で、一人さびしく、

A氏夫 何言っちゃってるの、ちゃんと顔出したでしょ?

A氏 年越しして、

A氏夫 (笑) 31日にちゃんと顔出してる。

A氏 これ、〇〇年からさ切り替えの時に入院してたんですよ。

戸田 年越し(笑)。

A氏 そうそうそう。一人さみしくさ、何? この、おめでたい、この記念的な日に、一人でこの入院かよ、っていうのがよく覚えてて。

戸田 ○○病院の皮膚科で、一人、入院(笑)。

A氏 そう。本当はテレビもね、9時には終わるじゃないですか、テレビも。「Aさん、特別だからね。」っつって、ちゃんとテレビ、目の前に用意してくれて。特別待遇してくれました。で、こん時に皮膚癌が左の足だったんですよ。

A氏夫 左だっけ?

A氏 だけどよくよく調べたら、右足にも怪しいのがあるって言って。で、両足だったんですよ。両足手術したんです。怪しいのは取ろうっていう話だった。それも検査したんだけど、結局あの、皮膚癌て、今でもそうなんだけど、どんなに検査しても分かんないんだって。手術して生検をするじゃないですか。それでもね、グレーなの。結局、私、この時の診断、しつこく聞いたんだけど、結局グレーなの。限りなく皮膚癌なんだけど、グレーなんだって。だからそれぐらい難しいんですって、判断が。

戸田 でもやっぱり、怪しきものは、もう取っておこうっていう。

A氏 そうそうそう。で、ほらやっぱりその、手術自体が、何ちゅうの、大変なんですよ。点滴するとか、要するにこの何て言うの、これ、気管挿管ができないんですよ。

戸田 全身麻酔ができない。

A氏 そうそうそう。それでこの時にも…、

戸田 ああそうか、気道確保が取れないってことか。

A氏 そうそうそう。なるべく極力避けるようにっていうのが基本なんですよ。それで、じゃあどういうふうに麻酔をかけたらいいかって、固定方法とかね、あと局所麻酔と。たぶん腰椎通したんですよね。

戸田 うーん。でも、そのテープするのもあれですよね、皮膚がビロッといっちゃうし。

A氏 そうそうそう。だからそこのへんもだいぶ時間かかったと思いますよ。今でもそうなんだけど、そういうことにすごく時間取られるんですよ。

戸田 だから、普段、普通…、普通って言うかね、皮膚に問題がなければ挿管してテープで固定して、っていうところを、そこから一つずつAさんの皮膚の状態を考えて、どういうふうに…、手術に持ってくるまでの前段階もすごく大変。

A氏 そう、大変。麻酔科の先生と、皮膚科の先生と、この時に形成外科も入ったんですよ。

戸田 あ、ですよね。右手指の癒着の。

A氏 うん、そう。で、手術するのが大変だから、そうそう何度もできないと。それでその時に、「Aさん、右手の手術もついでにしたら?」って。要するについでなんですよ。「1回でやったほうがいいよね。」っていう話になって、

戸田 負担が大きいからって。

A氏 そう。で、やっぱりもうその時にたぶん、鉛筆も持てないぐらい癒着が進んでたんですよ。

戸田 うん。もう、親指とこの人差し指のこの溝のところも、だいぶ…。

A氏 そうそうそう。それでその時に形成の先生が入ってきて。で、これがすごいスペシャリストの先生だったんですよ。もう今はいないんですけども、表皮水疱症の手の手術件数がすごいある先生で。

戸田 ああ、そうですか。それもいいタイミングやったのね。

A氏 うん、そうそうそう。その先生も入ってきて、で右手の手術、「Aさん、右手をね、どうしたいんだい?」って。どうしたい…、

戸田 「どうしたいんだい」(笑)

A氏 「えー?」 要するにその、「どこまでやるか」っていうのは、本人の気持ちで手術をするんだって。「自分たちが『こうしたい』じゃないんだ。」って、先生たちは。

戸田 ああ、日常生活で…、

A氏 そうそうそう。例えばスポーツをしたいとかね、うん、何か右手を使って何かやりたいとか。うん。その目的によって手術が違ってくるから、「Aさんは何がしたいんだい?」って言われて。「あ、私はですね、鉛筆が持てればいいです。」って言ったの。そしたら「じゃあ、鉛筆だったらここがあいてればいいから、ここだけ…」 要するに全部を伸ばすんじゃなくて。

戸田 ああ。

A氏 うん。で…、

戸田 親指と、この人差し指の溝のところをしっかり、深さをつけようっていう。うーん。

A氏 そうそうそう。うん。あとこの…、これがもっとグーだったの。こう、折れてたの。

戸田 もう、指がこうグーってなってる状…、うん。

A氏 それで、ここのへんに平らな面があったほうがいいから、っていうんで、ここだけ、ひとおりって言うのかな(笑)。

戸田 「ひとおり」(笑)。

A氏 ここだけを伸ばしたのさ。で、この全部を伸ばすには、やっぱりその、癒着する時間が長すぎたんだって。だから全部は難しいって言われた。だから今、私が子どもたちに勧めてるのは、「早めにやったほうがいい。」っていうのはそこなのさ。骨が硬くなっちゃうんだって。だからこれが限度だよって。だけどここが平らになっただけで随分違う。

戸田 ああ、そう。この、ここの親指の。

A氏 そうそうそう。意外とこう、ね、ホールドができるっていうか、力が入りやすい。

戸田 ああ。こうグッと。

A氏 うん。これよりは入りやすい。これよりは。

戸田 ああ、なるほど。指先、指先というか、ここの、手前、手の甲の、親指の付け根の部分ですね。

A氏 うん、そうそう。力がグッと入るからね。

戸田 ここをやっぱり平らにするっていうことが。

A氏 そうそうそう。全然違う。だから本当は、やっぱり専門の先生に診てもらうと…、やっぱり経験のある人に診てもらうと、その…、

戸田 ああ。そこの手術することで生活の、ねえ、動作が全然変わってくる。

A氏 そうそうそう、生活の質が変わる、変わる。全然違う。うん。で、それ、要は3ヶ所の手術だったのよ。両足と右手と。

戸田 両足の癌の切除と、右手の。

A氏 うん、右手と。これを同時よ。同時にして、なおかつ皮膚移植も全部、3ヶ所、皮膚移植なの。だからすごい時間かかったんだわ。

戸田 ふーん。皮膚移植は、どこからとらはったのですか?

A氏 太もも。

戸田 太ももから。

A氏 太もも両面。

戸田 太もも両面をとって、どこに貼り付けはったんですか。

A氏 ん?

戸田 太ももの皮膚をとって…、

A氏 うんと、あの、両足。

戸田 両足。

A氏 切除したとこ。

戸田 あ、あの、皮膚癌のところ。

A氏 うんうん。皮膚癌のとこ2ヶ所と、あと右手と。

戸田 右手と。ふんふん。で、3ヶ所手術したところの皮膚を、太ももからとって貼った、っていう。

A氏 そうそうそう。

戸田 うんうん。これは、入院は長かっ…、

A氏 長かった。これ4ヶ月か、それぐらいかかりましたね。だって、両足よ。両足こうやってあげて、ずっと過ごさなきゃいけないわけじゃないですか。もう寝たきり状態。

戸田 でも、ずーっと寝てると今度、他のところも皮膚…、

A氏 うん、そうそうそう。だからそれはもう、体位交換、毎晩、毎日、何回かしてもらって。

戸田 でも、それでもやっぱり水疱できますよね。

A氏 できる。だから褥瘡になった。2日目…、次の日に、もうなった。

戸田 ああ、もう水疱ができて褥瘡になった。で、そこも、保護しながら、っていうところで。

A氏 そうそうそう。だからこの時に初めて他人の手を借りて、皮膚のケアを全部したんですよ。

戸田 お母さん以外の。

A氏 そう。専門家、それも。看護師さん。

戸田 どんな感じやったですか。

A氏 やっぱりねえ、丁寧だった。

戸田 (笑) 雑じゃなかった。

A氏 (笑) 絶対、だって痛がるようなこと、まずしないじゃないですか。

戸田 ああ。表情見ながらとか、「どうですか?」って。

A氏 そうそうそう、うん。そして看護師さんたちも、もちろん初めてだから。

戸田 あ、表皮水疱症の患者さんっていうのが。

A氏 だから私の、私の意見もちゃんと聞きながら、「Aさん、どうしたらいいですか?」って。うん。「言って下さい。」って。で、言った通りにきちんとしてくれて。またそれ以上の、自分たちの工夫とか考えてくれて。まあその時の…、あ、この時のこれが、その時の初めてのあれなんだわ。偶然写ってる。

戸田 写真が。

A氏 うん、99年でしょ。この時の看護師さんがね、素晴らしく良かったの。うん。で、やっぱり動けないし、本当に寝たきり状態になったから、ベッドの上で全部日常生活ですよ。下のお世話もしてもらって。

戸田 お食事も、排泄も、

A氏 そう。その中で結局その、何かね、指の手術…、指のほうだったかな、足のほうだったかな、何か先生が受診に来るたびに、こうやって首を捻るんですよ、先生が。

戸田 ○○先生が?

A氏 いや、○○先生とは違う病棟の先生。こうやってね、首を振るの。でね、初めての手術じゃないですか。で、やっぱりそれなりにナーバスになってるんですよね。こう、ってさ、傷を見ながらこう、ってやられるたびに…、

戸田 うん。首をかしげるたびに、

A氏 そう。鬱状態になったの。鬱状態っていうのかなあ、気になって気になってしょうがない。

戸田 つぶさに見ますもんね、先生の…。

A氏 うん、そう。だってもう、視線はもう、来る人の顔見ることしかないから、一挙手…、ん?

戸田 一挙手、一手動…?

A氏 一挙手、一投…、

戸田 出ない(笑)。

A氏 気になって。その、首を振られるのが、すーごく気になって。私、何かおかしくなって、精神的に。イラついて。で、そこの担当の看護師さんに、夜な夜な訴えたの。「不安でしょうがない。」って、「あの先生の首のかしげるのが。」 で、手だってどうなってるか…、その、開けた時に、何か膨れあがってすごい状態だったの。

戸田 あ、術後で腫れてたんですかね。

A氏 そうそうそう。で、とってもこれがもとに戻るとは思えない。その不気味さにも驚いてたし、それに輪かけて先生がこう、ってやるから、これもう1回ね、再手術するのか、何か問題があんのか、ってすっごく気になって。で、足のほうだって気になるわけじゃない?

戸田 うん。「どうなってるんだろう」って。

A氏 そうそう。そして皮膚移植した皮膚が固着しないと、「これAさん、また再手術だからね。」って言われてて。

戸田 太ももからとった皮膚がきちんとその皮膚癌のあとに定着…、密着してないと、もう1回…、

A氏 うんうん。少しでも剥がれたら、また再手術だって言われたの。脅されてたんだわ。だから、「足、絶対動かすな。」って言われたの。で、私ほら、真面目だから、「動かさないように!」って。でも足の指がさ、無意識にピクピクって動く時ってあるじゃん。「あ、動いた!」と思って、もうその不安で頭がおかしくなりそうだったの。で、見ても私、

戸田 うーん。「皮膚が取れちゃったら」って。

A氏 そうそう。して、先生がこう、ってやるわけよ。

戸田 うーん。首をグッと。うん。

A氏 そしたら、おかしくなっちゃって、精神的に。「耐えられない。」って言って、看護師さんに夜な夜な、もう訴えたの。「とっても、あの先生のあの首をかしげるのが、もう不安でたまんない。あれは止めてほしい。」って。「どれだけ私の心をこう…」 何?

戸田 すさんでいく? うん。

A氏 「すさんでいくからもう夜も眠れないし。」って。「私、おかしくなる。」って。…と、先生が交代したんだ。

戸田 ああそう。

A氏 そう。それぐらいこの看護師さんは…、この看護婦さんか、すっごい私のことを聞いてくれて。要するにその、今でもそうなんだけど、色んな不安を抱えるわけじゃないですか、入院患者って。そん時にやっぱり精神的なカウンセリングがないじゃないですか、病棟って。

戸田 確かにね。

A氏 で、周りには子どもも入院しててうるさいし。「何してんの?」ってこうやって開けたら、トイレさ(笑)。勘弁して(笑)。

戸田 トイレ中です、みたいな(笑)。

A氏 そう。「開けないでよー。」って言うんだけど、もうさ、身動き取れない。で、そのイライラもやっぱ夜になると、もう、ね。その時にはカラッとするんだけども、

戸田 うん、夜になるとね、

A氏 …なるとね、

戸田 気持ちシュンとなっちゃうね。

A氏 そうそうそう。それで、訴えて、色んなこと訴えて、すっごい聞いてくれて。で、次の日には「ちゃんと、先生にもちゃんと伝えましたから。」って。…たら、なくなった、これは。

戸田 本当。

A氏 うん。だから…、

戸田 次の先生はそんな首をかしげることは(笑)、

A氏 そんな先生、いないよ普通(笑)。

A氏夫 癖じゃない(笑)。

A氏 癖。

戸田 癖か(笑)。肩、凝ってた(笑)。

A氏 他の患者さんも言ってたもん、他の患者さんも言ってた。「そうよ、あの先生、何か不安だよな。あの先生に診てもらったら。」って言ってたから。みんなそう。癖なんだ。で、「みんなも言ってます。」って。「私も、本当あれ、嫌です。」って。「不安になるからやめて下さい。」って。だから本当、この時に、本当に言いたいことも言わせてもらったし。やっぱり自分で言わないと、私、やっぱり早く退院しなきゃって思ってたから。症状が悪化するからね。「あ、ここで入院してたらだんだん傷が悪化するから、早く退院しなきゃ。」って思ってた気持ちもあったから、やっぱ一所懸命だったよね。

戸田 Aさんの中でね、表皮水疱症だって診断を聞いた時に、「自分は、ちゃんとした難病だったんだ」って言っておられてたんですけども、その頃のお気持ちってどんな…、

A氏 今からはね…、うん。今、思うと、そう思う。やっぱり、だからその、○○先生の皮膚癌っていうのは…、うん、ということにもそんなに衝撃受けなかったのは、たぶん「表皮水疱症っていう病名があるんだ。」って分かって、もしかしたら何か…、何ちゅうのかな、腑に落ちたんだろうね、きっと。何か、「そんなすごい難病だったんだ。」っていうのが分かって、色んなことが…、「あ、それだったら、もちろん専門の先生も今いるわけだから…」、この偶然が怖いじゃない? うん。したらやっぱり治してもら…、で、先生もそうやって言ってくれたんですよ。何かその、「定期的にちゃんと病院に来て、しっかり治しましょう。」って。で、入院ね、「1年に1回でもいいから入院して、きちんと皮膚のケアもね、やりましょう。」っていうようなことまで言ってくれたんですよね。だから要するにその、私の体のことをきちんと分かってくれる人が専門医としているっていう、この安心感は画期的ですよね。私の人生においては、初めてですもん、だって。

戸田 画期的、うーん。〇〇歳で初めて。

A氏 そうそうそう。だからもしかしたらその喜びのほうが…、

戸田 ああ、

A氏 そうそう、うん。だからそんな全然、落ち込むとか、変なショックっていうのはないですね。

戸田 「難病なんだ。」っていう落ち込みではなくて、そういうまあ、病気?

A氏 そうそうそう、うん。何かこう「ひらけた」っていう感じだよね。すべての謎が解けたっていうか。

戸田 あ、謎。〇〇年間の。

A氏 うん、そうそうそう。

戸田 謎が…、謎の扉が開いたみたいな。

A氏 そうそうそう。うん。だから、その衝撃は、やっぱり…、〇〇年ですからね、だってね、知らないで生きてきたの。

戸田 そうですよね。で、〇〇年から初めて私は、表皮水疱症という難病患者として生きることになりました。

A氏 そうそうそう。まさしくその通り。

戸田 それまでは、症状としてはあったのに、何かグレーな、ぼやんとした感じが、

A氏 うんうん。そう。ただ何か「弱い子」みたいな。

戸田 弱い子、って。

A氏 うん、そうそうそう。「体が弱い子」みたいな。

戸田 で、そのあとに、皮膚癌…も、で、指を広げる手術で。あと、飲み込みが困難になった食道を広げる手術も2回受けて。すごいその、難病生活の質が、○○先生との出会いで目覚ましく向上したのですって。うん。

A氏 そうなんです。

A氏 ちょっと、いったん休憩しよう。

戸田 いったん休憩しますか。


【終了】



UP:20200408 REV:20210818, 20220113
表皮水疱症  ◇こくりょう(旧国立療養所)を&から動かす  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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