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中村佑子「私たちはここにいる――現代の母なる場所[第5回]」を読んで

村上 潔MURAKAMI Kiyoshi) 2018/10/01

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last update: 20181003


◆中村佑子 2018/09/06 「私たちはここにいる――現代の母なる場所[第5回]」『すばる』40-10(2018-10): 264-281

今回の連載を読んで最も意識を惹きつけられたのは、身体と言葉の連関(=身体状況と言語「能力」の連動)、という問題だった。
ちょうど、9月12日に出演したトークイベントを通して、空間と身体と詩のつながりについて考えていた、という背景も大きかったかもしれない。
cf. ◇村上潔 20180927 「トークセッション「オリンピックとジェントリフィケーション」を終えて」,反ジェントリフィケーション情報センター
その連関には、必然的に「自然」が介在する。
中村さんが宮原(優)さんと会った際、「新緑の青梅から木々の生命の匂いをふんだんにまとって来ているような気もした」(p.269)のは、それを裏付けているようにも思う。
そうなると、今回のキーフレーズになっている「身体(図式)の解体」という概念/現象のことも、少し考え直してみてもいいかもしれない。
つまり、「解体」とは、再生産の裏面にあたるマイナス=被剥奪状況ではなく、むしろ本質的な再生産能力を強化するプロセスではないか、ということだ。
そこで再構築される言葉の体系は、表面的/社会的には「劣化」したものとして見られ/位置づけられる。しかし実のところそれは、自然の体系により近づいたという証しなのだ、といえるだろう。
するとその言葉は、「文学」や評論・論述といったものからは引き離された、限りなく「音」に近い「詩」としか呼べないようなものになっていくのかもしれない。
であれば、やはり、詩は身体(性)の言葉なのである。
そこで次に、詩における母なる身体の存在/役割とは、母なる身体における詩の存在/役割とは、という問いに展開していくことになる。
これに関する評論や分析は数多あるが、その回答を「身体をもって/詩をもって」指し示すことこそが、いまだに・とりわけ必要なのだと思う。
きっと中村さんと宮原さんの間には、その詩=身体の応答関係が、外からは見えないかたちで/一時的に構築され・すぐに消えていく空間のなかで、取り結ばれているのだろう。


◆中村さんからの反応[2018/10/01]:(1)(2)(3)


◆20181001− 「中村佑子「私たちはここにいる――現代の母なる場所」を読んで【集約】」

■引用

「娘と私は、これまで本当に自己溶解の母子カプセルの中にいた。[…]身体的にも自分をせき止めている輪郭を越え出て、溶け合っていたのだ。しかし、彼女にも意思と言葉が出てきて、二人が別々の身体をもつ個体であることがはっきりとしてきた。」(p.265)
「と同時に、不思議なコミュニケーションが私と娘のあいだに起こるようになった。それは「テレパシー」という旧式の言葉で表現したくなるような伝達方法で、二人別々の身体と心であることがはっきりしたいま、これまでは直接接触して暗黙に伝達しあっていた無意識の領域が、目に見えるコミュニケーションとして現実に躍り出てきているような気がしている。」(p.265)
「これまで私には、自己溶解した母子カプセルのなかで、赤ちゃんへの詩的感応のようなものが起こっていたのだと思う。妊娠出産を経て、赤ちゃんの感覚や息づかいに全身で呼応することによって、自分一人の壁が溶解したことで、同時に私を支配していた「言語」の壁も剥落した。しかし、その言語化できない混沌と逆説のなかから、書きたいことが無尽に出てきた。」(p.266)
「自我をあいまいにし、アイデンティティを一度崩壊させるような赤ちゃんとの生活は、私にとって甘美な夢だったのかもしれない。ずっと閉じこめられていた自我意識が溶け出し、近代社会が要請してきた論理も慣習も、はたまたフルタイムで働ける健康な身体や状況なども捨てて、子どもの世界にすっぽり入り込む。それは古代から人間がずっとやってきた、動物も自然にやっている、至極プリミティブな行為である。いま私は夢から覚めて、また慣れ親しんだ一人の近代的自我の殻に戻ってきた。溶け合っていた水滴同志が、次第に離れ、ぷるんと一つ一つの水滴に戻る。そのとき水滴がこうむる震えに、いまだに慣れないでいる私は、ただバランスをもう一度取り戻す過渡期にいるのだろう。この、ジェットコースターに乗っているようなアイデンティティの上がり下がりもまた、妊娠出産期の女性が直面する知られざる一様態、という気がしている。」(p.267)
「こうした妊娠出産をとおして感じる自分という一人の輪郭の変化。このことについて、私はある人ととても親密な会話▽△をすることができた。きっかけは、この連載をいつも丁寧に読んでくださる、社会学者で女性学を専門とする村上潔さんから、立命館大学で、あるシンポジウムが開催されていたことを教えてもらったことだった。その講演を報告するHPに、妊娠する身体のことを話す宮原優さんの横顔の写真があった。「妊娠する身体」という言葉と、彼女の苦しそうに見える表情が妙に気になって、しばらく頭から離れなかった。」(pp.267-268)
「だんだん大きくなっていくお腹や、悪阻[つわり]など日々刻々と繰り広げられる身体の変容を、短い期間に一気に経験する妊婦は、慣れ親しんだ身体の「解体」に晒されている。彼女はこの感覚を「長期の進行性の病や怪我を負った人たちについても言えることだろう」とし、身体の変容により過敏になった感受性を、病の人々の感覚と同列で語っていた。私はそこに強く惹かれた。私がこの論考をはじめるきっかけもまた、妊娠出産を機に気づいた、「健康でいなければならない」「正常でいなければならない」という、痛みを排除した今の世界への違和だったからだ。」(p.268)
「宮原さんは論文にこう綴っている。妊婦が赤ちゃんの産着を縫ったり、小さな靴を作ったり編んだりすることは、これまで「胎児への愛ゆえにそうした手仕事をするのであり(略)一種の愛情表現なのだと思っていた」。しかし必ずしもそうではなく、ものを作り赤ちゃんを思う時間を作ることで、母親は胎児を感じたがっているのかもしれない、と。」(p.270)
「胎児をありありと感じるから、胎児と共存をしていくのではない。「身体(図式)が解体」され、自分から努めて世界(胎児が存在する世界)との関係を結びなおそうとする、その不安定性が胎児との共存を生むのだと宮原さんは発見していた。安定ではなく不安定が先にあり、そこから自らの個的な行為によって、胎児と一緒に生きていくという実感を得たのだ。」(p.270)
「昨日と今日の変化、さっき肌を触った感じといまの感触の違い、泣き声の微妙な違い……すべてが不確かななか、感覚をとぎすませる。それもその判断次第で、命を左右する。重い命を預かっている。子どもがこれ食べたいかなと思って作ったり、子どもはこれが楽しいかなと思ってやっていると、自分が何を欲しているのか、何を求めているかよくわからなくなっていくということがある。気づいたとき、あれ、私空っぽだなと。|自分を置き去りにする感覚には、私も思い当たる節があった。それを宮原さんは「引きずり込まれていく」ようだと感じていた。」(p.273)
「私は本稿のはじめに、自分の輪郭が溶け出していく母子溶解の経験が甘美だったと書いた。それは、まさに〔メルロ=ポンティのいう〕「英雄の自由」に身を投じることによる自己からの解放だったのかもしれない。そして、この「自由」はケア労働をしている人が日々接している自由であるとも感じる。」(p.274)
「しかし宮原さんは、逆のことを言った。|「子育てはケアではない、と思うんです。親にとって子どもは、“駆り立てられるもの”“気にかけずにいられないもの”。[…]母親は子どもとのあいだに別の関係を作ることはできない。[…]」」(p.274)
「「逃走の自由」が担保されて初めて「英雄の自由」が発揮できる。しかし、子どもの存在は否応なく母親に「英雄の自由」を要請する。さらに子育てがケアと違うのは、母親にとってはそれが幸福だからこそ、火の中にも飛び込み、「英雄の自由」に身を投じてしまうことだ。意思や義務感などではなく、天の声のような否応ないものへのある種の自動化された選択。要請への絶対的な応答という意味で、選択肢を奪われた選択という意味なのだろう。」(p.274)
「思い返すと宮原さんとの話には、自分が子どもの世界に「駆り立てられる」「引っぱられる」「引きずられる」「持っていかれる」という言葉が頻出した。最初から最後まで、個を奪われる話だったと言っても過言ではない。まるで冥界や黄泉[よみ]の国の話をしているようだ。」(p.275)
「その自己溶解の感覚は、薄靄のなかで川を挟んで、どこが岸でどこが川なのかわからないような感覚に近い。そして実際子どもは、成熟した人間の感性に侵されきっていない。ほとんど神の領域にいる。その子と身体を分け合うようにして一緒にいる母親が、現世を離れて自分から自分が抜け出していくような自己溶解の世界に彷徨うことは、とても自然なことと考えられる。」(p.275)
「幸福だけど逃げ出したくなる、この感覚は、まさに黄泉の国に迷い込んだ人の旅日記のようだと思った。」(p.275)
「いつか結婚するとか、社会に出て何かに属するとか、そういうことではなく、女性が自分の心身を手なずけるまでには、なんだかすごく長い時間がかかる。少女までは、たぶん迷いなく行ける。だけどそこから先は、生理がはじまり、女性の身体になっていくにしたがって、内的なゆらぎもあるし、安定した自己像を得られるまでに果てしない時間がかかる気がするのだ。私自身は少し楽になったのは、三十五歳くらいだったか。少なくとも「いつになったら女の人は楽になるのか」という何を指すのかわからないこんな会話が、女性同士で自然に成り立つこと自体が、問題がそこに厳然とある証拠だろう。」(p.278)
「お母さんとつかみ合いのけんかをしていた宮原さんが、私、お母さんのことすごく好きだったなと思い出す。いま宮原さんが娘さんのことを想っているみたいに、お母さんもまた宮原さんをかつて想っていたのだろう。連載第一回に書いたあやさんの赤い長靴に共鳴した宮原さんが思い出した、娘さんのピンクのワンピース、そしてまた自分が子ども時代に着ていたことを思い出したピンクの服。ピンクのワンピースが連関していくことに、私は胸がいっぱいになった。」(p.280)
「彼女のなかでもしかしたら無自覚的に、母から自分、自分から娘、そしてほかのお母さんから娘たちへ……母親とその子どもという、視線の連関が起こっているのかもしれない。」(p.280)
「私は、あやさんでもあり、亡くなったお母さんでもあり、自分のお母さんでもあり、娘でもあり、娘たちは母親であり、娘たちは亡くなった母でもあり、娘たちは娘をとおしてまた娘になる。私は彼女たちを見ているのか、見られているのか、私は誰なのか。私は誰でもなく、そして誰でもあり、私もどこかでピンクを着て、そこで笑っていたような気がする。」(p.281)


*作成:村上 潔MURAKAMI Kiyoshi
UP: 20181001 REV: 20181003
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