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廉田俊二氏インタビュー・4

2018/08/10 聞き手:権藤 眞由美 於:兵庫県西宮市・メインストリーム協会

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◇文字起こし:ココペリ121 20180810 廉田俊二氏 232分 https://www.kokopelli121.com/

廉田 俊二  ◇メインストリーム協会  ◇障害者と/の国際協力・社会開発  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築

 ※以下、後半の一部を取り出しつないだものなので、話に不連続なところがあります。



廉田 そうそう。で、そんな活動、ずーっと、アジアも含めてそんな感じで。まあだから、アジアのメンバーにはね…、アジアだけじゃないかも分からへんけど、もう俺、すごい運とかも大事に、出会いと運。だからメインストリームと出会ったことをラッキーやなと思ってもらえたらな、と思いますかね、俺たちに震災が来たみたいに。だから自立センターも作れたし、今、これやってて、生きがい、やりがいがあるみたいに思ってくれたら嬉しいかな、と思いますけどね。だから俺たちが幸運、俺たちとの出会いが幸運みたいに、いずれ思ってくれたらええかな、ぐらいな感じではありますけどね。  まあそんなことをずっとしてるうちに、アジアでそんなことをやってるっていうのをJICAの人が知ってたりとかして。どっかで。まあどっかでいうか、ちゃんとあるんですけども。それを見てきて、その中の西村さんっていうね、元々ネパールに赴任してて。で、ネパールでイベントやった時とかにもちょうど赴任してて、ちょっと会ったことがあるんですけども。その人がその3年間か何かの赴任終わって、関西に帰ってきたんですよね。JICA大阪に帰ってきた時に、「メインストリームと、自立支援みたいなことのプロジェクトがやれたらいいなあ」と。
 たぶんJICAとかと一緒に交流センターがやってるのは、ヒューマンケア…、ヒューマンケアじゃないな。ヒューマンケアではないんやけど、DPIとかがたぶん、中西さんの奥さん、由紀子さんとかが色々やってるけども、やっぱり東京がやってることで、地方ではやってなかったりして。JICAは「メインストリームとやりたい」って言ってきて、その人がね。じゃまあやれることがある…、「まあやりましょうか」みたいになって、それが中米の…、プロジェクトやなくて、中米の4ヶ国から始まったんかな。コスタリカ、グァテマラ、ニカラグア、ホンジュラス。その4つの国から毎年2人ずつ、8人が一緒に、1ヶ月半ほどの研修なんですけども、その間にさっき言ったような一緒に遊んだり、研修したり、みたいに…、こと、後先、志的な。それは「メインストリームイズム」と呼ばれるものがあるんですけれども、実は(笑)。

権藤 うんうんうんうん。

廉田 その、そういうものを伝えて、「やるかあ」みたいな。この仕事の面白さを伝えるようなことをやってたのが3年。次の3年、まあ延長したんですけども、それは南米も。プラス5ヶ国、南米から入ってきて3年間やって。そういうので、JICAと一緒に中南米、みたいなことが始まったいったんです。
 で、その中で、JICAとか全く知らんかったけど、そんなんで草の根の、技術協力みたいなんでお金が出たりとかもあるのを知ったりとかして、「まあここまでやったんやったら、ひとつ中米で、ひとつアジアみたいに自立センターができるような、なればいいなあ」と。でももううち、これ以上海外ばっかりにお金出すほどのお金がもうなくなってきてるから。各センターも、アジアも、増えていくわけですよ、物価が上がったりとかして。
 「海外に潰されてまうぞ」みたいになってて。まあ、「じゃ、そのJICAの金とか使ってやれるんやったらやってみようか」って。で、メンツ的にも色々考えて実現可能なのが、まあコスタリカやったかな。まあその、志を持ってる感じがあったんですよ。リーダーいなかったんやけどね。アジアとは違う。アジアはもう、カリスマリーダーがみんないるんやけど、そこはいなかったんです。だからちょっと新しい試みでしたけどもね。でもそれを始めたのが2011年からかな…。12からかも分からんな。うん、12年から草の根でやり始めたんかな。
 まあそんなんで5年間終わって、さらにもう第2フェーズで、今、あと5年間、残り4年…、まあ3年半かな、になりましたけど。コスタリカではそういう感じでやってるんですね。で、そのあとの後ろの3年間で南米も入ってきて、5ヶ国ほど増えたんですよ、研修受けるのがね。でもそこはもうあんまり上手にできなかったな。ちょっとあまりうまくいかなかった。3年間で終わってもうたんですけども、その…、やっぱりそんなにようさん研修生、ここ受け入れられ…、うちのやり方としては、ここに寝泊まりしながら合宿みたいなんでやっていくんですよ。ちょっと、あの、JICAってもっとスマートな感じで普通はやるんやけど、うちはそんなんじゃないし。何か「裸の付き合い」みたいなところがあるんで、そういうやり方をするには、まあ8人、9人が限界なんですよ、いっぺんにここでやろうと思ったら。[02:20:20]
 じゃあそれまでね、4ヶ国の時は各国2人ずつ呼んでたわけです、8人。でね、2人は面接で選ぶんですけども、そういう時選ぶんはね、1人ちょっと賢そうな奴選んで、もう1人はアホそうな、ちょっと勢い重視とか、おもろ…、ムードメーカー的な奴を選んだり、遊び心で選ぶのが芽が出たりとかあるじゃない。エリートはちょっとすぐ辞めよるから、こっちの世界はね。そんなんで遊び心があって選んだからよかったんやけど、その9ヶ国になってからは、各国1人になったんですよ。これまでの4ヶ国は、まあこれまでに何人か輩出してるからいいけど、南米の5つの国が入った時は、それぞれ1人ずつ来るから。それ、ベネズエラ、コロンビア、ペルー、ボリビア、パラグアイ。この5ヶ国から1人ずつ。まあ1人ずつ言うても3年間やけどね、3人来ることになるんやけど、各。でもね、それ選ぶん、やっぱり賢い奴選んでまうんですよ。その、おもろい、アホな奴みたいな勢いだけでは、なかなかこう広がり持たすん難しいやん、帰ってから1人やし。で、それがやっぱあかんかったんやろね。もうひとつ、こう、上手くやれんかったとはいえ、それでもボリビアにはまあ、いいリーダーがいて。ぺリッサっていう、まあ、ちょっとあの、「同じ匂いのする奴かな」と思える人がいたので、今ぺリッサは応援してますね。それもうち独自でやってますけど。だからその、普通に考えたらね、どこが一番そういうのが実現しやすいかっていったら、コロンビアとかペルーの方が経済的にも豊かだから、可能性高いんやけどもね。でも何ぼ可能性高くてもね、人がもひとつやったらあかんし。でもそのぺリッサは、ネパールみたいな貧乏な…、ボリビアってやっぱり貧しいんですわ。でも一番根性もあって、「ええかな」と思って応援してますけどね。
 だからといって行き着く先とかも、何も、そんな今後の計画とかもないですよ。うん。とにかくどうにかして自立運営できるような所までは応援したいかな、うん。ちゃんとやってくれてるんやったらね、うん。

権藤 まあそれがここのスタッフの人たちにも理解してもらえてるってことは、廉田さんがいなくなったとしても続いていける…、

廉田 続くとは思いますけどね。

権藤 結構ほら、リーダーが変わると、そこで途切れちゃうというか。[02:23:28]

廉田 うん。それはないと思いますわ。うちの中で…、聞いたことあるかな、「修行研修」いうのがあって、ターポイ(ターニングポイント)とはまたちゃうねんやけどね。俺、ほら、「旅で修行」とか言ってるじゃないですか(笑)、「旅が修行」とか。だから、「修行は必要やな」と思ってて。俺らの頃は旅やったんですよね、自分が旅して色んなことするので。旅に…、「旅は修行や」って言ってるから、例えばうちの職員で、ちょっと、「2ヶ月ほど旅行きたいんです」ってもし言ったとしても、それ認めるんですよ、ちゃんと給料も払って。一人旅やったらね。その、やっぱり人間成長したりとか、身についたり、視野が広がったり、俺、力つくと思ってるから、それは認める。それ以外、でもね、その頃は自分探しの旅やったりもしてて、やから今のうちのスタッフにとってはね、自分探しでもないんですよ。「この仕事やっていく」って決めてる人にとってはね、「あんまり旅したところで」って考えた時に、じゃこんだけアジアとか、中南米とかにセンターあるんやったら、「そこでも手伝いに行くか」みたいな方が、そういう何にもない中で頑張ってるとことか、の方がよっぽど、何か自分らも伝えることがあったり、学ぶものがあったりするから。「じゃあお前2ヶ月ほど行ってこいや」みたいな、修行研修っていうのがあるんですよ。言葉もちゃんと喋られへんのに。 で、それは健常者もあるし、障害者もあるんですけども。障害者バージョンなんかちょっと面白いですよ。だってそんな…、

権藤 障害者バージョン。

廉田 うん。もともと健常者、よく行かしとったんですよ。こっちが介助余ったりとかする、たくさん介助が…、バイトの人がたくさん来たら、仕事与えないと辞めていくから、「スタッフ遊んどってええぞ」って。もう全部ふって、遊んでる時に「じゃお前モンゴル行ってこい」とか、「カンボジア2ヶ月行ってこい」とかってこう。自信になるでしょう、そういうのんて。まあそういうことやってたのを、まあ、今度介助者不足になってきたりしてね。介助者余ってるわけじゃなくて。ほんなら今度障害者送り込むようになって。「向こうで介助受けてこい」って言うて。

権藤 (笑)

廉田 それね助かるんですよ。人手不足な時に、その、ごっつい重度な奴が向こう行ってくれたら。そんなことをしてますかね。  だからそういうので、あの、「こいつはモンゴル」「こいつはカンボジア」。日本も修行行ってるからそんだけ向こうのメンツともすごい、俺なんかよりも仲良くなってるわけやから。そういう人たちがおるから、続いていくとは思いますけどね、当然。うん。結構、でもそれも自信になると思いますよ、障害者も。そういう、そんな頚椎損傷とかで、大人になって20歳ぐらいで急に事故で頚椎損傷になって、そんで病院おって、自立して。そいつが何語れるかって言ったら、語れるもんないでしょう? そんな。だって怪我して病院行っとっただけやから(笑)。

権藤 だからねぇ、何もそのねえ、ないですよね。

廉田 そう、そう。まだおかしいけど、俺とかやったら、その、何やろう、あるじゃないですか、合コンの旅行ったりとか、大阪―東京歩いたりとか、ヒッチハイクで横断したりとか、

権藤 生きてる内容の濃さが違う。

廉田 大阪―東京を歩いたりとか、色んなことをやってきてるけど、そんなん何もないから。やっぱり自信持って、ちょっと語れるものを、って思ったら、そんなちょっと破天荒なことしないとおもろいことにならへんから、行ってもらってますね、そういうのに。だからさっきの祭りとかっていうのも、祭りをカンボジアやっぱそういうイベント大きなんしたことないし、「お前行って下準備やってこいや」みたいなんで。さっきのその、ボランティア100人ぐらい集まったんですけど、その、日本語学校とかに行って。それ集めたんそいつですよ。養護学校回って、うん。

権藤 おー。そりゃすごいな。100人。[02:27:28]

廉田 そうそうそうそう、そういう、うん。いや、「200人ぐらいおったけど、100人ぐらいに制限した」って言ってましたよ、多すぎるので。ぐらい、人集め上手にできた言うてました。いい経験みんなしてると思うわ、そんな中でね。

権藤 なかなかできる経験じゃないですよね。

廉田 ないと思いますよ、うん。

権藤 そして、集めれたっていうの、その人の力ですもんね。

廉田 で、向こうは向こうでね、やっぱりその、自立もちょこちょこしてるレベルやけど、やっぱそういうのが行ったら介助、ぐっと厚く要るから。介助者も養成せなあかんし。カンボジアのレベルじゃない…、うちに平田っていう奴が頚椎の1番やから、もう顔しか動かへん。奴がパキスタンとか行ってるわけやから。
 それで、全部介助、言葉もでけへんのに。色々作らなあかんのよ。ビデオとか作って、「こうやって摘便やってくれ」とか全部やらしてるんやから。向こうにとってもいい経験みたい、「そんな障害者、関わったことない」とかっていうのも含めてね。まあだから、まあ継続できるやろうとは思うんやけどもね。そりゃうまくお金が回ってる時の話やろうけどね。まあまあ、何とかなるんじゃないですかね。

権藤 うーん…。何か先が、ちゃんと…、何だろう、考えてやってるわけではないっていうふうにおっしゃってますけど、何かうまい具合に人が育ってるというか、育てられてるというか。

廉田 やっぱりね、面白いことせんとね、飽きるんです、俺たちも。

権藤 まあ、人はですね。



廉田 とりあえずそういうので始まったのがアジアのネットワークで、国だけ言っときますと、パキスタン、韓国。次、ネパール、台湾。カンボジア、モンゴル、というふうに自立センターができていったんです。

権藤 1,2,3、4,5,6。おおー。

廉田 6。でもそん中でも韓国はやっぱりね、そもそもが、今日の…、途上国でもないっていうのもあって、彼がやっぱりすごく仕事ができるのも含めて、ちゃんと助成金を取ったりしてね、お金の援助は一切したことないですよ。その、研修みたいので行ったりとか、呼んで来てもらったりとか、そんなことはあるけれども、ほとんど自分たちで全部やってて、今や自立運営当然できてて。このネットワークの中では、支援する側に回ってます、今は。すごいことですけどね、考えたら。韓国はそうですね。台湾もそうなってほしいんやけどな、ちょっとまだ難しいかな、今は。

権藤 その難しさっていうのは何でですか?[01:50:14]

廉田 いや、そもそも自立運営できてないですからね。まず運営(?)。何かね、やっぱりその、一つのセンターができて、アジアに…、俺らもエゴがあってね、「その国の最初のセンターは作る手伝いはするけど、2つ目以降は知らん」と言っとるんです。それはもう自分らの中の問題やから、中でこう色々広げていくなり、何なりはいいけども。一つのセンターを最低限モデルになるぐらい、「これがセンターなん、自立センターっていうもんや」っていうのを世の中に見せれるぐらいのものにするのは、お金も含めて応援するけども。そっから先のものに関してはちょっと、キリがないからね。

権藤 うん、そうですね。

廉田 うん。で、「できへん」って言ってて。で、さっきのベトナムの話とか、あの、ちょっといやらしいんやけども、ヒューマンケアとうちとは、ちょっとカラーが違いすぎてて。あの、「ヒューマンが手掛けたとこはやらんとこか」みたいな話がある。まあそれ、ヒューマンが手掛けたとか、どこが手掛けたとか関係なくてね。実はね、やっぱこの国…、だってこの国に自立センターなかったら、自立の考え方、理念とか、何も知らんわけやから、やから伝えに行って、ってなるけども、既にあるんやったらね、もうあとは中で、どんだけ自分たちが頑張るか、やから。既にタイとかベトナムとかもあるじゃないですか。あるのに俺らが行ってね、かき回す方が、ちょっとややこしいかなって。前いっぺんそんなことがあったんですよ、タイとかでセミナー…、タイって通り道やから、パキスタン行くにしてもネパール行くにしても。で、そこでタイのリーダーたちに、「せっかく来るんやったらセミナーやってえや」みたいな話で、するじゃないですか。色んな質問とか、自立の話とか、目指すものは一緒やとは思うけど。「自立センターの中のジェネラルマネージャーの仕事は何ですか?」みたいに聞かれて、「何やそれ、ジェネラルって代表のことか」って。「代表とか事務局長の役割は何なんですか?」って言うから、「いや、俺らその、肩書でこれって決めたことはないから、特にないけど」って。「いや、中西さんはそうは言いませんでした」みたいなことになっていって。組織の形が違うから、「あ、これ混乱さすなあ」と思って。「ちょっとこれ、考えなあかんなみたいな」ことになったりしたことがあったので。とか、こっちのモチベーションも関係ありますよね。さっき言うた「1つ目やから頑張って伝えに行くけども、2つ目になった時には知ってるんやから」っていうのがあって。そういうエゴもありながら、この6ヶ国なんですよ、他に広がってないのは。うん。今のところはね。
 でもまだない国、たくさんありますよ、バングラデシュにしても、インドにしても、ないですけども。まあそれは、出会いがないからやから仕方がないですよ。さっき言うた、人で選んでるから。インド人との出会いはあったけども、合わんかったんでしょうね。インドネシア人とも出会いはあったけども、残念ながらそこまでにこっちが至ってないんですけどね。今はアジアはそんな感じで。[01:53:20]
 あとは…、あ、そんな時に、えー、台湾とかも、最初こう、どんどん他に広がっていくっていうのはね、台湾の台北の自立センターが日本の支援なくなってね、それでも自立運営できると。それは政府とか色んなところから公費のお金…、俺らからじゃなくて違うところからお金を集めて、それなりの安定したのでベースが保てて、あとは活動色々やっていくっていう一つのそういうモデルができたらね、「このやり方を真似したらあんたらもできるんや」っていうふうに広がっていくと思うけど。今の時点ではね、やっぱりね、準備会みたいなものあちこちできてるんやけど、やっぱモデルになりきれへんのは、「最初あんたら日本から支援もらってるやないか」って。その台北のセンターはね。「そやからできてるんであって、それなくなったら一緒でしょ」ってなってしまうので、やっぱどのセンターも最終的に自分とこは最低限自立…、「こうやったら自立で運営…、自立運営できるんや」っていうものは作り上げないと、広がりは持てないかな、と思いますね。まあ、そこは台湾とかまだまだちょっと難しいところ、できていないとこはそこなんですよね。介助制度はあるけれども、不十分やったり、パイロット・プロジェクトやったり、かなあ…。まあそんなので、そういう活動をずーっと。
 これ、順番に言いますとね、えー…、えーっと、2003年にパキスタンとネパールができて、あ、パキスタンと韓国はセンターができてて、その次は2005年にネパールです。2006年に台湾ですね。2009年になるかな、カンボジアで。2011年…、10年かな、10年だったかな、に、えー…、2009年、2010年だ、2010年にモンゴルです。ができたりとかしてまして。まあそれなりにこう、上手いこと、ちょっとずつずれたりとかしながら、なんですよ。


 で、これはね、メインストリームだけじゃなくて、夢宙センター★っていう自立センターと、ぱあとなあ★っていう自立センターも巻きこんで。まあそもそも仲いいんですよ、夢宙とぱあとなあとは。センターとして仲いい部分もあるかもしれへんけど、それよりも、まあ俺とか平下くん★とか。平下さんっていうのが夢宙センターの代表なんですけども、今JILの代表してますわ。あと、ぱあとなあは地村さん★っていう人がいるんですけども、もともと遊び友だち。もともとあの、遊びから始まってるんですよ。あの、平下くんと仲良くなったのはその夢宙センター立ち上げる前ですから。
 立ち上げる前にまだ、ピア大阪っていうね、何か大阪市がやってるみたいな、胡散臭いセンターがあったんです。俺はそれを馬鹿にしてたんですよ、半官半民の自立センターで。半官半民で、市が運営してて、だからトップには市の出向が来るんですよ。

権藤 げっ。

廉田 「お前それ、偽物の自立センターやないか」言って、「早よ辞めろ」みたいなことを言ってたんで。で、そっから辞めて立ち上げたんです。その頃から一緒に、あの、ラスベガス行って。俺、博打好きなんですよ。ギャンブルがすごい好きで。だからラスベガスとかしょっちゅう行ってたんですけども。ま、それは余談の話なんですけど(笑)。その、ま、そんなとこから仲いいのから始まって、自立センター立ち上げて、彼らが…、は、メインストリームみたいなのを作りたい、みたいな思いで、目標メインストリームみたいなんでこう、やってくれてるんやけども。でも彼らの方が右肩上がりで、進み方すごいんですけども、そん中にうまいこと海外支援も巻き込んで、わけ分からへんのに、「おい、ちょっとパキスタン行くぞ」とか言って誘って、連れて行ったりとかしてるうちに、「一緒にやらへんか」って。向こうも経済的にも良くなってきたから、「ちょっとお前らも金出してくれや」って言って。ほんでまあ、その規模に応じて、海外に送るお金なんかも、今は6対3対1っていう割合で、

権藤 6対3対1、ふーん。

廉田 …の割合でお金を出してるんですよ。100万円やったら、60万、30万、10万みたいなことで…、を、アジアは一緒にやってくっていう感じなんです。だからうちだけがやってるわけではないんやけどね。

権藤 うんうんうん、ここも一緒に、ってことですね。

廉田 一緒にはやってますね。

権藤 ふーん。…なら、平下さんと地村さんも、廉田さんと同じような考え方?

廉田 それはちょっと分からへんね。その、いや俺の…、

権藤 うーん、賛同はしてくれてると。

廉田 そうそうそうそう。

権藤 まあだから一緒にね、やれるってことですよね?[01:58:45]

廉田 一緒にやれるし。ただねえ、ちょっと…。うちやったら、組織はうまいこと行ってるわ。他もうまいこと行ってるやろうけれども、海外支援に関して言えば、全員で応援してる。何かね、何か「国際協力部門」みたいなのがありそうじゃないですか。そんなやり方したら、そいつらだけで終わってまう。全体でやる。基本うちなんか全体でよくやるから。その、介助サービスとかは部門分かれててもいいこともあるけど、「これは全体でやらなな」と思って。何か、俺も丸め込むんがうまいんですよ、たぶん。何やかんや言いながら。何かね…。もともとメインストリームから海外に支援するお金もあるけども、それとは別に給料から毎月1パーセントずつ金取ってるんですけども、海外支援のためのお金みたいに。やっぱり、何でも経費みたいな感じで、その、組織が出していくのに、人間慣れてもうたらろくな奴にならんぞって言ってて。やっぱ自腹切るていうのがすごい大事で。自腹切るのを、あの、「えーっ」って思う奴と、もうそれが当たり前…、もう習慣じゃないですか、そういうもんって。ふだんからの。飯食うにしても、経費で落とすのと、自腹切る。その「迂闊なその、経費癖ついたら、ろくな人間にならへんぞ」っていうのがあって、俺の中ではね。やから、みんな自腹切らしてるんですよ。

権藤 ああー。そしたら自分も何か参加してるというか。 [02:00:17]

廉田 そんな気持ちになると思いますよ。何か、自分は全部関わってるっていうの、やから、とか。もともとこの事務所建てる時もそうやったんですよ。えーっとね、その頃ね、事務所がちょうど狭くなってて、前の事務所があって、前の事務所は前の事務所でおもしろ…、あの、震災成金で建てた事務所だったんです。阪神大震災があって、俺らも成金なったんですよ。金の集め方が上手でね。熊本はどうか知らないけど、俺ら無茶苦茶うまかったんですよ。そっからがもう右肩上がりになっていくんですけども。でまあ、それで建てた事務所が狭くなってきて、「もうちょっと広いんがいるなあ」。元の建てた事務所では足らなくって、別にまた事務所借りたりとかして。2ヶ所になったらね、今度ね、こっちの本体の事務所におる人が1軍でね、こっち2軍みたいな感じになって、変なことになったりもしたんで、「一つにしたいなあ」とかってあったりして。
 で、ここを建てたの8年前なんですけども、その時も、まあまあお金はあったんですけども、土地が7千万ぐらいなんですよ、ここね。まあでも7千万ぐらいあったんですよ。でもそれで、ちょうどなくなって…、持ってるお金がなくなったので、「あとどうしようか?」みたいになったんですけども、建物でも1億3千万したんですよ。だから「それをどうしようか」ってなって。まず、土地がまあいい場所にあったからね、「とにかく買うだけ買うとこうや」って。空き地でもいいからって。で、「お金できたら建てよう」とか言っとんたんやけど、不思議なもんで土地買うたら建てたくなってくるんですよ、誰しもが。
 で、「どないしたら建てれるかな」と思って、色々考えて、最初は8千万ぐらいで計画したんかな、2階建を。で、8千万ぐらいで、10年ぐらいでローン返していって、1億ぐらいになったとして。「1億どないしよかな」って思った時に、スタッフがその時給料…、生活保護のスタッフもいて、30何人が給料もらってるんですよ。35人ぐらいが給料もらってて、残り生活保護で手伝ってくれてる人もおるので、生活保護はおいといて。30何人おったら、今の10年で1億ぐらいやったら…、1億ちょっとやったら、1ヶ月に10万円、ん? 1ヶ月に10万円、1年で120万、10年で1,200万。1千万近くになるので、簡単に言うたら全員の給料3万ずつカットしたら建つじゃないですか(笑)。

権藤 (笑) うんうんうん、建つ。うんうんうん、はいはい。[02:03:07]

廉田 いやね、その10万ずつの返していくんであれば。それでみんなに提案して、「今もうどうせやったら建てたいから、全員の給料3万ずつカットしよう思うんやけど、どう思う?」みたいな、話を。「いや、でもなあ」って、「普通はそんなことせえへんけど、自分らの城建てるっていうのは、自分らが金出してこそ建てた感じあるぞ」みたいな、丸め込んだんですよ。ほんまにうまいこと、うん。で、「まあ3万とは言わん、まあ金額がそれぞれ違うから。ざっと3万で、例えば俺らとか障害者年金とかもらってて、俺ら8万。これも余分な金や。障害者全員8万出せ、毎月。もうなかったもんやと思え、あんなもんは」って。「残りの部分を、じゃお前ら1万、2万円ずつみたいな感じで給料から引いたりとかしたら建つから、どうや」言うたらもう、「そっちの方がええわ」いう話になって。金貯まるまで待って10年後に建てるんと、お金借りてでもいいから、先建てて楽しむんやったら、借りた方がいいじゃないですか。とにかく「それでローンは返していこう」って話でまとまって、これ建つことにみんなで決まったんやけど。
 そこまではそれでよかったんですけども、そんな時にね、もっといいことがあって、特定事業所加算っていうね、その、制度の中で、介助制度で、こんなことできてる、こんなことできてるっていうのが、ちゃんと…、うーん例えば、「サービス提供責任者が全員介護福祉士持ってる」とかっていう、いくつか条件があるんです。そういうものをちゃんといい事業所として認められたら、20パーセントようさん金くれるんですよ、っていうのが。20パー大きいんですよ、20パー決まったんですよ、そうゆうのが出るっていうのが。「あ、これちょっと流れ来てるぞ」と思って。ギャンブルでいうところの流れなんです。

権藤 流れ来てる、流れ来てる。

廉田 「流れ来てるなあ」って思って、それで、ま、「それ、やろか」と。で、その時、ほいで、その辺ぐらいからかなあ、スタッフとかに、それまでは、「介助者っていうような別に資格とかそんなん必要ないんよ」と。「そんなん政府がやりたがってるだけの話で、その障害者にとってはちゃんとできることや、資格いらんぞ」って言うとったんやけど、俺もグッと掌返して、「全員介護福祉士取るぞー!」言うて。

権藤 (笑) ヤクザだ、ヤクザ。[02:05:30]

廉田 そうそう。「受からへんかった奴はいらんぞ、うちのスタッ…、うちには」みたいになって、「えー!」ってなるんやけど、みんなそれで頑張るんよ、みんな。それで城が建つんや。それ取って、20パーっていうのはね。その頃ね、5億ぐらいあったんですよ、うちが、だいたい年間の収入が。5億で、20%アップぐらいで1億増えるわけ。もう、「ほんならみんなから3万円とかなくても、建つぞ」っていうことなって、「これでいくぞ」みたいになって、建ちましたかね、ここが。
 そうそう。何かね、色んな感じ、いいようになってるんですよ。うまいこと。  建てる時も、何か、「ほんだら、何かそれでいけるな」ってなったら、今度どんどんみんなが、「こんなんもいるな、こんなんもいるな」って言ったら、それ2階建の8千万の予定が3階建になって(笑)。

権藤 (笑)

廉田 どんどんどんどん大きくなっていって、最終1億3千万になってもうて、なったけど。でもそれ、こういうののお金ってね、1回で払うんじゃないんですよ。工事前に、ま、1億3千万やったら、最初にまあ5千万。真ん中で4千万、建ち終わってから4千万みたいな感じなんですよ。その、1億3千万払うっていうのはね。で、最初のお金がいるから、またここで「金貸してくれ」と。銀行とかめんどくさいし、めんどくさいから、銀行にみんな預けても、今よりはもっと利息…、今よりはよかったけども、何か、定期とかしても1%ぐらいやったと思います。ほいで、俺らが銀行から借りたら3%ぐらいの利息なんで、「間の2%でどうや?」言うて、何か「今から5年ぐらい、この100万は使わんなっていう100万があるんやったら貸してくれ」って言って、それを全員に呼びかけて、友だちとか。9千500万か何か集まったわけです、それで。「ええで」言うて、みんな…、

権藤 それ、ご自分の友だちですか?

廉田 ここのスタッフも、

権藤 ここのスタッフも、みーんな、

廉田 スタッフも含めて、スタッフも含めて。

権藤 みーんな(笑)。

廉田 でも細かい20万とか、めんどくさいからもう100万単位で。

権藤 100万単位で(笑)。[02:07:40]

廉田 そうそうそうそう。いや、障害者の中には、障害者成金もおるじゃないですか。中途障害…交通事故とか。「じゃあお前2千万ぐらいいけるんちゃうんか」とか、そんなんも含めてね。言ったら9千500万ぐらい集まって。とりあえずそれで払って、一気にそれで払って、中もそれで払って。で、この1年間その20パーついてきたじゃないですか、その、特定事業所の。それで出た分で最後割って払って、っていうふうに、支払いはできて。あとは返済ですよね。返済を5年かけて返していったんですよ、ちゃんと。みたいな感じで。ちょっと、運が大きいんですよね。うち、その、タイミングが。頑張ったところあんまりないんやけど、続けてたことが…、ぐらいかな、頑張ったと言えば。あの、ほんまにお金ない時とかあったけど、まあ、「おもろいから続けようや」みたいなんでやってきた。続けとったらチャンス来るじゃないですか。



 [の続き]それが1回目は阪神大震災やったり(笑)。普通はみんなあれ、不幸な話で終わるけども。あの、当時を思い出してみたらね、あの、まあ、あの頃の会話はね、「自分とこ、どうやった?」みたいな。「うち、半壊」とか、「ああそうなん」って、「うち全壊」って。全壊の方が勝つんですよ。何か、「俺の方が格上」みたいな。分かるかな、そういうの。「俺うち全壊やわあ」言うたら、「参りました」みたいな。そん中でもさらに、「俺、埋まっとった」って言ったらもう、完全に格上なんですよね。その玉木★は埋まっとった人なんですわ、それで言うたら。
 で、まあ、そっから助けられて、やけど、その時のことであちこちに講演に呼ばれるようになって、その震災に絡んだことで。ほいで、その、その、あいつも賢いし、その時の全体のこととかをちゃんと話すようになって、そっから色んな講演をやるようになって、喋るのも上手やから、そういう道が拓けていって、ってなっていくんですよ、まずきっかけはね。[02:10:20]
 で、その時に玉木は埋まっとったんで、で、その当時ね、もう一人下地さん★っていう人も、まあ何せ、「家が潰れた人、どうしよっか」ってなって。その、俺らも冷たーいところあってね、何かその(笑)、何かその、頑張って…、熊本なんかどうなんやろう、自立センター頑張って炊き出しやったりとかしてるんじゃ…、とかそういうのやったりするところもあるじゃないですか。

権藤 はいはい。

廉田 俺ら全然そんなことせえへんかって、「そんなんな、障害者こんなとこおったらあかん」って俺が言って。「もう水も配れへんし、不便やし、障害者はここにおらんほうがええと思うぞ」って。「便利なとこに移動」って言って。っていう方向を選んだんですよ。ほいで名古屋のAJUっていうところに、「ちょっと2人ほど受け入れてくれへんか?」って。「家もなくなってるし、ちょっと送り込むから」って言ったら、もうすごい向こうがようしてくれて、障害者用の市営住宅みたいなとこをちゃんと用意してくれて、向こうの制度を…、介助を使って、やれるように。で、「名古屋にちょっと避難してくれへんか?」って言ったら、「おお、ええぞ」って簡単に引き受け…、2人ね、玉木と下地っていうのを引き受けてくれて。
 「行って何しとったらええん?」って言うから、「せやな」「いつ帰ってきたらええんか?」って言うから、「せやな、やることもないやろうし、俺ら、もうこの先事務所も潰れたから、たぶん、金集める…、もっかい…、あ、もっかいやり直そう!」って話になったんですよ、全員で「どうする?」って。「今までやってきたのが、全部潰れてもうて、また1からやぞ」って。立ち上げてから5年経ってからのことなんやけど、「もっかいやるか!」ってなって、ちょっと盛り上がった時あるんですね。それで、もっかいやり直すんやったら金がいるから、とにかく、「じゃあ名古屋行って募金でもやってえや」って。で、「500万集めたら帰ってきてええわ」ってまあ言ったんですよ。
 ほんならね、1週間後に電話かかってきて、「集まった」って。その、彼ら2人と名古屋のメンバーと100人ぐらいの体制で、その「西宮の自立運動の火を消すな」とか、そんな、再建の…「自立生活センターの再建のために」っていうのを、みんなで募金やってくれて、ほんまに1週間で集まったんやけど、帰ってくる言うてもこっち家準備できてへんから、彼ら家潰れてる。「もうちょっとおってくれるか?」みたいなやりとりで。
 まあそんなことがあって、メインストリームが再建するまでの…、を、関西テレビっていうところがドキュメントにしたんですよ。1時間もんのね。で、その時に、関テレも仲良い人がおったから、「最後に『義援金の振込先』いうテロップ絶対入れてくれよ」言うて、「それ入れへんかったら流さんとってくれ」みたいな話をして。それが出たら、どんどんどんどんお金が入ってきて。当時たぶん赤十字とか募金してたと思うけども。何やろ、ああいうのかて、赤十字とかよく募金するけど、「このお金何に使われるんやろう?」とかって思ったりするけど、俺らのドキュメント見た人はわかりやすいんですよ。
 ああいうことをやっとった人たちが、活動再開するための、って。それでどんどん集まって。あと、まあ朝日や何やかんやできるのを全部助成金とか取って、7千万ぐらい集まりましたかね。で、事務所建ててみたいなことになったんですけども。ま、そんな感じでね、うちはそっから成金になっていって、その事務所が、前はちっさい事務所やったのが、それなりの3階建の事務所になって、ILルーム、これじゃないけども、自立ルームがあって。そっからですかね、自立ルームができてからが、その、リスク背負わんで練習ができるようになったから。で順番に、それまで5年かけて4人しか自立できてなかったのに、毎年4人ずつ自立するようになっていった。制度もそれなりに、役所と交渉して整ってきて。障害者から別にお金は取らへんけど、自立したら介助者を派遣する。派遣したらお金が入る、っていう仕組みで、どんどんどんどんこう、安定していって、で、2003年を迎えていく、みたいなことになってね。だからうちは、その震災の時が1回あって、その、まあ何回かそう…、運ですね、ほんまに(笑)。

権藤 (笑) 運ですね、って。

廉田 ほんまに運がいいんよね。そうそう。だから、うまくいかへんかった時は、「ついてないけど大丈夫かなあ」とかね、「流れ悪いなあ」とかよく考えますけど。

権藤 うーん…。まあ運も掴まないとですね。[02:14:46]

廉田 そうそう。で、そんな活動、ずーっと、アジアも含めてそんな感じで。[続く]



廉田 ま、障害者はもちろん大事なんやけども、実は健常者もすごい大事で。やっぱええ健常者がおらんと、こんなん上手くいかへんわ。ほんとに。うちはもうほんとにその、そこが恵まれたかな、と思ってて。その障害者甲子園みたいなのやっとたりしたのもあってね。うん。うまく…、今の所はうまくいってるなあ、何とか。

権藤 その、やっぱ人材を見つけるっていうのが難しいんだろうなと、思いますねー…。うーん。[03:34:25]

廉田 でもこの先、もっと大変になってきますよ、たぶん。新しい人なんかは。障害者は何ぼでもおるかもしれへんけど、健常者でこんなとこで働きたいっていう人は、少子化も含めて、介助そのものがもう立ち行かなくなると思うけどね。俺もう、すぐにでも外国人入れたいんですけどもね。
 法的にはちょっと難しい問題はたくさん残ってはいるんやけども。その、もともとアジア支援してるじゃないですか。そこもね、やっぱお金が安かったり、お給料ないわけじゃないけど、定着しないところがある。定着してる国もあるけど、してないところがあって。
 やっぱり健常者もすごい大事な存在でね。一緒にやっていく仲間として思ってるから、いい人を確保したいんやけど難しい。それはお金の問題あるんやったら、ちょっとかわいそうかもしれへんけど、例えばそのうち日本語も勉強してもらって、こっちで2年間働いて、で、ここでお金たまるじゃないですか、それなりに、仕送りもできるぐらい。で、帰ったら、安い給料でもちゃんと続けれて。でも、行ったり来たりせなあかんこともあるかもしれないけど。ま、当面、出稼ぎはしゃあなかったりするような国なんで、「ずっと来い」やなくて、そういう形で向こうを盛り上げる。ま、そんなん交代で来れたりとかしながら、こっちも助かるし。で、障害者だけじゃなくて、健常者のスタッフも、うちのスタッフと色々話し込んだりとかができて、こう、全体が高まったらいいかな、と思って。アジア支援をずっとしていく中で今、次の段階としては、その、そこを安定さすために、ちょっとここを入れ替えたりとか、そんなことを今しようと思ってるんですけども。まあそれはそれで面白いし、ちょっと新しい感じになるじゃないですか。でもそうせんと、実際、日本そうやないと立ち行かんようなるって。だって、そうでしょ、普通に考えて。
 誰がどう考えてもね、そうなんですよ。やのにあんな、難しい…、介助職に関してはビザは難しいから、簡単にはできないから、どうしようかな、と思って。それがちゃんと法制化されるのを待ってれんな、と思ってて。「どうしたろかな?」って今考えてるところかな。うん。日本語も教えなあかんしな、でも。学校作らなあかんのかな。どうしよっかな。やっぱある程度喋れんと、さすがにね、うちの利用者に、色々…。こないだ利用者にそんな話(はなし)したんですよ。「今後ちょっと外国人入れよう思とんやけど、どうや?」っていう。だって使ってくれへんかったら、話にならんわけやから。

権藤 うん、ですね。嫌って言われたらね。どうでした? 反応的には。

廉田 「うん。いい。いいよ」って言ってるけれども、「どれぐらいの人数」とか、ていうのが気になったり、「語学どれぐらいできるんか」とか、やっぱそこらへんは、完璧を求めたらもうキリがないから、やけど、それが支援に繋がると思ったり、と思うしかないじゃないですか。その、自分らも助かるし、おらへんよりは助かるわけやしね。そういうのんがこう、ちゃんと安定していって、自分たちの生活も安定していったり、そこの国も繁栄するとかって思うしかないよね。そういうふうに思ってほしい、みたいな話をしたら、みんな反対する人はいないけども。うん。
 まあちょっと、早くそれをやりたいかなあ。

権藤 現地に学校を作って、その、現地での学費はただにして、その代わり2年間こっちで働く…、あの、まあ研修するというか。よく看護婦さんがあるじゃない…、看護師さんがあるじゃないですか。あれとおんなじやつでのせれないんですか。だめなのか。

廉田 まあまあ、あれ、でも、社会福祉法人がね、受け入れたりとかしてて、その、研修みたいな感じで最初来て、仕事就いて。介護職のビザはもう、限られてますから。ちょっと難しい…、その、「どうやろうかな?」っていうのがね。

権藤 留学生で入ってきても、時間数が引っかかりますよね。

廉田 そうなんですよ。引っかかるから、そんな働けないし。あるいは、じゃあ職員として雇ったとしましょう、もう、うちの。「うちは海外支援やってるから、そこの部門で必要や」ってことで雇って、何人か各国雇って、最初はそういうこともするかもわ…、色んなこと教えたり、日本語勉強したり。してきてほしいけども、ある程度はして。で、そのうち、もともと自立センターの職員やった人がこっちで働くことになって、「いずれは帰ってそっちをしたい」っていう本人の希望によって「介助もやりたい」言いだして、資格は取らせれるじゃないですか、うちで仕事、重度訪問やってるから。
 で、重度訪問の資格持ってる人が働くことは問題はないと思うんですけれども、問題は入管ですよ。ビザが、通訳とか事務とかで採ってる人が、判子押しとん見たら、「ずっと介助ばっかり行ってるやないか」ってなった時に、それで、えっと、こっちの業界での監査は問題ないと思うんですよ、資格持ってる人が働いてる。問題は入管との話やろね。「内容が違うやないか」っていった時にどうなるんかな、っていうのが、気になるぐらいかな。[03:39:54]

権藤 うーん、そこで引っかかったら、即、何か…、

廉田 帰らされてもかわいそう…、かわいそうやし。うーん。その辺やなあ…。判子押すわけですからね、ちゃんと。何時間、何時間働いて、分かるわけやから。隠しようがないからね、制度に乗っかってる分に関しては。
 でも、ずっと待っとってもなあ…。だからもともと、これはもう何年か前からずっと考えてて、その介助者不足やからじゃなくて、本来そっちを安定さすために始まったことやけど、今はちょっと介助者不足になってきてるんですよ、うちでさえも。女が特にね。「まあそうなってきたら、ちょっと変えよかな。そういうことを動こかな」と思ってるんですけどもね。何かしないと。何か「介助者不足やから呼んでる」みたいで嫌なんやけど、ほんとは違うんですよね、お互いによくなるようにっていうので。で、こないだもネパールとカンボジア行って来て、確認したんですよ。「俺、こんなこと考えてんねやけど、2年来る気あるか?」みたいな。「行きたい!」って言ってたから、うん。まあまあ途上国は来たいよね、ある意味ね。

権藤 来たいと思います。

廉田 来て帰らんようになったら困るぐらいやね。

権藤 (笑) いや、そうです、私のベトナム人の友だちも「もう帰りたくない」って言ってる子いるもん、何人も。

廉田 まあそれはそれで、ちょっと「寮とか作ったろうかな」とかね、ちょっと面白いことになって広がっていって、楽しそうでしょ、何か外国人がそういうので。で、ちゃんと目的が、「向こうの自立センターを守っていくんや」っていうのに繋がってたら、面白くなるような気がするんやけどね。うん。

権藤 やってく中でやっぱこう、自分の身に入ってくるものっていうか、覚えていくものってあるから。

廉田 あるよね、みんな、動き見てるだけでもだいぶ違うやろうからね。

権藤 うんうん。全然違うと思う。

廉田 うん。楽しみなんやけどなあ、次の段階としては。

権藤 うーん。どうやったらそれが可能となるか、っていうところですね。

廉田 そこなんですよね。

権藤 ビザねえ…。

廉田 半分半分ぐらいやったら、認められたりするんですよ。

権藤 半分半分って言うと?[03:42:41]

廉田 うん、例えばその、ビザの内容の仕事とちゃうことやってても、それぐらいなら、まあ何か、あの、「本人がすごい希望してて」みたいなん言えばね、「帰ってからそれを活かしたい」って。それはできるんですけれど、それぐらいやったらね。それ、レベルの問題ですよね、その。でもね、その子にお給料あげようと思ったら、そこで働いてくれんとあげようがないから。何ぼ何でも、うん。どうするかなあ…。まあちょっと、ちゃんと考えなあかん。ま、今はそんなとこ、海外支援に関してはそこらぐらいかなあ。

権藤 まあ、普通に施設で介助を覚えた子が、「ここでなら介助できるか?」っていったら、全然質が違うからですねえ。

廉田 うん。

権藤 ね。「その子なら派遣しますよ」とか「雇いますよ」とかって言われたところで、全然…、下手すると使えないですもんね。まあそれは、日本人でも同じなのかもしれないけど。

廉田 まあ進んでるとこはちょっと、その、その、介護保険の方ではやってますよね。外国人入れてやったりとかしてるけど。うーん。

権藤 結構でも、高齢者難しいって言ってた。

廉田 ああ、そうなんや。

権藤 うん。やっぱおじいちゃん、おばあちゃんとかって何かその、海外の人に対してやっぱりこう、ちょっとこう、

廉田 偏見あるわね。

権藤 偏見があって。うーん。「『全然、悪い人ではないっていうのは分かる。』っては言ってくれるんだけど、やっぱちょっと何かがあると嫌がるかなあ」って言って。でもね、今後難しいですね、ほんと。どう考えたって。

廉田 うん。そうなんですよね。ちゃんと考えとかんと。

権藤 みんながいつまでも元気じゃないし。

廉田 いやあ、こんだけ色々、事業所色んなことできたかも分からへんけど、人がいないようになっていくよね、働く人が。人気がある職種やったら別やけど、これが急に人気出るようにはならんでしょ、相当単価が上がらんと。それは考えられないから、そんなことにはならないから。と、普通に考えたら難しくて。少子化みたいなんが一番大きいですからね、何だかんだ言うても。


UP:20180911 REV:20210124, 1031
廉田 俊二  ◇障害者と/の国際協力・社会開発  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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