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廉田俊二氏インタビュー・3

2018/08/10 聞き手:権藤 眞由美 於:兵庫県西宮市・メインストリーム協会

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◇文字起こし:ココペリ121 20180810 廉田俊二氏 232分 https://www.kokopelli121.com/

廉田 俊二  ◇メインストリーム協会  ◇障害者と/の国際協力・社会開発  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築



 で、ある時、「これ、海外でもそうやったらええかな」みたいな思うようになった時があるんです。それは、ダスキンの研修生を受け入れてる時なんですけども、2000年、2期生の韓国のソウ・ミンス君って子が、うちで研修…、まあ色んな子が毎年来てたんで。で、その時には、メインストリームの話とか、歴史を話する中で、今みたいに大阪ー東京歩いた話とかするじゃないですか。その子は若い子やし、「俺もやりたいわ」ってなるんですよ、「韓国で」って。で、その2000年頃なんですけども、まあとにかく盛り上がったんでしょうね、その、ミンス君は。そんなんを組織して、まあ学生やったけどね、まだ。俺も大学生やったし、その大阪ー東京の時は。「そういうのをやりたい」って言うので、で、一緒に考え出すんですよ。「じゃあ釜山―ソウルやるか」って。釜山からソウル、大阪―東京みたいな感じで。で仲間集めて。で、彼はこっちで勉強…、そういうことを知ったから、「日本と一緒にやりたい」とか言うんですよね、韓国だけじゃなくて、「合同ででけへんか」みたいな。「いや、合同いうてもな」って、「わざわざ日本人が韓国行って、『駅にエレベーターつけろ。』言うんもおかしいぞ」って。そもそもそんなん内政干渉やし、その、運動的なことで言えばね。でも、「まあまあ、何か方法ないかな」って色々考えて、2002年に…、2002年にワールドカップがあったんですけども、日韓ワールドカップ、日韓共催の。だから、その1年前なんですけども、2000年から2001年に、2001年に、「やるか。その、釜山―ソウル」。

権藤 ああ、釜山、おおー。[01:01:38]

廉田 前の年に。で、その、日韓共…、もうこじつけですよ。日韓共催のワールドカップで、障害があろうとも別に、ワールドカップを見に行けるように、見に行けた方がいいに決まってるんやけど、日本はそこそこ電車とかエレベーターつき始め…、ついてて、そこそこね。完璧とは言わないけど、まあまあ、主要駅とかにはついてるから、「『日本でサッカー見に行こうと思ったら行けるかもしれへんけど、同じ共催でやってる韓国の大会、見に行かれへんぞ。』って、『電車乗られへんから。』っていうのは、俺ら文句言うてもええんちゃうんか?」って、いうようなことで、日韓共催のものに対して、日韓でTRYっていうのをやろう、っていうことで、2001年乗り込んで、釜山から歩くことになるんですよ、釜山―ソウル。そういうのを企画するんですよ、まあ。こじつけですけどね。まあでもやりやすいじゃないですか。

権藤 ああ、やりやすいですね。

廉田 で一緒にやって。でその頃を…、ま、そんなことがあったっていうだけの話で。それはまあメインストリームが主催で、海外で何かやったやつそれが初めてやと思いますよ。それまで人のに乗っかってて、やけど自分らが金出して、行こうぜってやってるやつやから。Tシャツ売ったりとかしてね。もともとTRYってTシャツ売って金にして、やってたんですけども。
 で、そんな時に考えてたのは、このTRYが韓国でも必要になってきて、俺は10年やったけど、毎年これがずっと世代が変わる若い奴に受け継がれながら、続いていく中で、そんなんの一緒にやってる仲間が、今度「自立センターやろうや」みたいな、あるいは「全国集会開こうや」みたいなことになっていったらええのになあ、っていうのはその頃からちょっと微妙に考えたりとか、してたかなあ。「海外で自立センターができればいいなあ」とかっていうのは。でもこれうまくいかんかったんですよね。1年でぷつっと終わったんですよね。その、ミンス君がもう続けなかったから。

権藤 ミンス君が続けなかった。

廉田 ぜんぜん続けへんし。もう1回やって満足したみたいで。うん。だから1回きりで終わってしまったイベントだったんですけれども。まあ、でもその辺ぐらいからですよ、メインストリーム全体として、海外に興味持ち出したのは。

権藤 2001年、



廉田 1年ですね。でそうこうしてるうちに、またダスキンの研修生が順番に来るんですけれども、その中で、えーと、ちょっと力が入ったのはパキスタン。

権藤 パキスタン。うーん、それは何でパキスタンだったんですか。

廉田 パキスタンの奴がちょうど来とっただけの話なんですけどね、研修生として。

権藤 何かその子独自に何かあったとかではなくて?[01:04:30]

廉田 うーん…。まあこっちもよう分からんかったんですよ。まだお金なかったんですよね、その頃。シャフィクが来てる時は2001年から2年の研修生なんですよ。3期生っていうのは。今のチャノさんと一緒で。メインストリームは、金ちょっと豊かになるかな、っていうのは、2003年からじゃないですか、この業界は。2003年の支援費制度で、支援費制度始まってもすぐ分からんで、蓋開けてみんと分からへんから、4月の時点では分からへんのですよ、まだ。2003年が終わり切ったぐらいで、「あれ? これ、金ごっつい入っとんぞ」みたいなことになっていくんやけども。

権藤 うんうんうんうん。

廉田 だから金持ちではなかったんですよね。だから、支援するというほどのこともできへんのやけども。だから、でもそんな中で、えーと、でもメインストリームを…、ま簡単に言っときますけどね、メインストリームを見てて、その、パキスタンのシャフィクが「こう作りたい」みたいな、「こんなものを作りたい」っていう話をするじゃないですか。「せやなあ」言いながら、「まあまあでもなあ、難しいかなあ」とかいうぐらいの感覚やったんですけども。でも、まあ何回もね、あの、その時は、これよう冗談で話すやつですけども、「まあ、いっぺん来てくれ」っていうことをよく言いますね。みんな言いますね、ダスキンの研修生は。何かやりたい時には、「廉田さん、いっぺんパキスタンに来てくれへんか」とか言います。「止めとくわ」言うてて(笑)。その、パキスタンが嫌とかじゃないけど、昔ずっと旅をしてる時に…、旅は好きやし、行ったことない国やったから、やけど。あのねえ…、その、色んな国に旅仲間みたいなのがおるじゃないですか、そこら辺の中でよく出てくる話でね。「今まで行った色んな国、みんな行ってるやろうけど、どこの国が一番嫌やった?」みたいな話をして、たいがい1位に上がってくるのがパキスタンなんですよ。
 不思議やけどね。それ俺の周りの面子だけですけども。あんまりパキスタン、俺の中で魅力ある国ではなかったんでしょうね。だからあんまり、そんな行きたいとも思わへんかったんやけども。まあでも、とにかく行くことになったんですよ。まあちょっと面白い話を折り混ぜたら、あの、シャフィクが言うには、最初パキスタンに来さすために、「パキスタンの凧知ってますか?」みたいな話になって。

権藤 タコ?

廉田 カイトの凧ですね。凧揚げの。「え、知らんぞ」って、「凧あんの?」って言うたら、「有名やで」っていう話になって、「世界一やから」とか言うんですよ。「いや、世界一って、何やねん?」ってなっていって。「いや、パキスタンには凧揚げ大会っていうのがあるんや。世界中から集まるんや」みたいなこと言うんですよ。「それごっつい揚がんのか?」って言うと、「めちゃめちゃ揚がる」と。「どれぐらい揚がんのや?」って言うと「4,000メートル」って言うんですよ(笑)。

権藤 (笑)

廉田 また桁外れなこと言うから、「ええ?」って、「4,000メートルって富士山より高いぞ?」って。「揚がるか?」って、「揚がる」って言うんですよ。「どうですか? 見に来ませんか?」みたいな、ちょっと気になることを、ちょっと言うんよね。ほんで…、

権藤 賢いなあ。

廉田 そうやねん。「ちょっとおもろいなあ」と思って、「それって気にはなるなあ、ホンマやったら」。でも話半分に聞かなあかんやん、パキスタン人の言うことなんか。「それ、お前4,000メートル揚がって、落ちたら、俺隣の芦屋市まで取りにいかなあかんぞ?」みたいな、ぐらいなレベルやん。ほいで、そうしとったら今度また別の日にね、あの、「ああ、この前僕のおばあちゃん120歳になったんです」みたいなことを言うんですよ。「あ、そう。長生きやなあ」って。「あっ、そうそう知ってますか? 人間120歳になると、全ての細胞が入れ替わります。おばあちゃん、120歳になった時に、新しく歯が生えてきました」とかって言うんですよ。「それホンマかあ?」って、「それ常識ですよ」って。「ほんまあ」って、「そんなおばあちゃんに会いたくないですか?」って言われると、気になるやん、それまた。

権藤 (笑) 気になりますねぇ。[01:08:57]

廉田 そう、ちょっと会いたくなったりして。「分かった、もう行くわ」っていう話になったん、最終的に。ほんで色々、準備をして、「いつ頃にしようか」とかになって。「どうせ来てくれるんやったら、その、セミナーみたいなんやりたい」って言って、その、「自立の話とか、自立センターの話とか、人権の話とか、そういうセミナーをしたいので、それもやってほしい」とかってなっていったんですよね。で、「まあまあ、もうどうせ行くなら、かまへんか」ってなって、行ったんですけれども。やっぱそれは俺、初めての海外デビューでしたかね。その、セミ…、いやTRYみたいなんはあるけど、その日韓TRYとは違って、セミナーみたいなん。それはね、その、車いす集会の時に全国集会あちこちにこうやっていくのはやってるから、そういうのはよくわかるけども、海外でそういうのんするの、ちょっと自分にとっては初めてやったし。「何言ってええんか」とか、その。あとイスラム文化って何かちょっと分からんじゃないですか、特徴ありすぎて。俺らとは違い過ぎてね。
 でまあ行ってみたら、やっぱおもろいんですよね、その。まずコラーンみたいなんが、ウェーンみたいな誰かが言って始まって、厳かな感じで始まってえの。まあ300人ぐらい人はおるんですけども、何だかんだで家族とかも含めて、学生とかかな、あと障害児。で、講堂みたいな…、大学の講堂みたいなとこで話すんですけれども、真ん中を境にして、こっち全員男、こっち全員女なわけですよ、お隣同士になられへんから。そんな集会見たことないやん、俺ら日本では。もうそっからしておかしいから、もう、「お前ら何恥ずかしがっとんか」みたいな、何かそういうノリで俺は喋りますけども。「こんな国で下ネタやったら受けるんかな」とか、まあ色んなこと試してみるんですけれども。

権藤 チャレンジャーですね(笑)。[01:10:58]

廉田 そうそうそうそう。ほんでまあ、そういう集会をやったんですよね。で、それがねえ、やっぱり面白かったから。その、彼らが言うには、ホンマかどうか分からへんけど、こういうね、障害者が集まるっていうので…、もっかい言うけどパキスタンは話半分に聞かないとマズイの、全部話盛ってきよるからね。あの、「歴史上初めてのことや」と。そりゃ障害者が集まるスポーツの大会とか、レクリエーションでは集まるけれども、人権そのものを考えたことがないから、人権とか、自立とか、ましてやね、家族社会やのに、家族の自立とか、ワークショップとか、そういったので障害者が話し合ったり勉強したりして集まるのは、歴史上始まってのことであって、「それをやるために新しい教えを伝えに来たザビエル」みたいな感じなってもうて、俺、何か。おもろいことになったんよ、何か。「わ、これおもろいかも」って思ったのが、俺がちょっとこの海外支援の続けるきっかけになった、個人的な部分はそれかな。結構、面白かったんよね、その時の衝撃とか、やりがいとか、世の中の広さとか、色んなことを感じたのが。でも共通の部分もたくさんあって、やっぱ障害者ならではのね、うん。
 それがパキスタンですかね。で、「自立センター作りたい」ってなって。これがまあ順番に広がっていくだけの話なんですよ。

権藤 ふんふん。[01:12:45]



廉田 で、ただうちは研修の段階で、あの、まあ2ヶ月とか3ヶ月の長めの研修をするんですよ。普通は何か色んなセンター1週間とか10日で色々、自立センターのことを話したりとか、活動の話するけど、俺ら、そんなことはもう他でどうせやってるやろうから、まあ1ヶ月は遊びまくって仲良くなる。

権藤 うん。(笑)

廉田 (笑) これもしんどいんですけどもね、大概。徹底的に仲良くなるっていうのを1ヶ月でやって、次の1ヶ月で「じゃあそろそろ勉強するか」みたいな。でもまあ、仲良くなって、友だちみたいになって、変な上下関係もなくてね、うちは、うちの特徴は家族みたいな、何か大きい家族みたいなとこがあるので、メインストリームはそういうとこなんですよ。だからまあ、その、俺一人じゃなくて、全員でかかるんですよ、その、研修生に。それぞれ個別でも遊びに行ったり話(はなし)したりとか。まあここに住むわけですから。夜中も、だから昼間寝とっても別に怒らへんわけですよ、最初のうちは全然。遊んでんねんから、一緒に。で、まあそういうふうにして信頼関係ができた時点で、まあ「そんな人の話やったら聞いてみよか」ってなるじゃないですか。あえて俺がしゃべるのに、俺が喋ろうが誰が喋ろうがおんなじなことやったら、喋ってもしゃあないから、俺がやっ…、俺が話すことで意味がないと、こうしてる意味がないから。まあそれには関係つくるしかないですよね。「この人の話やったらちゃんと聞こう」とか、「信じよう」とか。ま、まあまあ、うちはそういうやり方ですかね。[01:14:22]
 俺、ずっと家庭教師やっててね、あの、大学の時から。食えんかったから。自立センターって金ないじゃないですか、最初の10年とか、給料も何もないから。あの、こんなんボランティア活動やったけど。だから大学生から家庭教師やっとったんやけど、それとおんなじですよ、やり方は。生徒が、アホなやつばっかりやけど、仲良くなって、「面白い先生やな、この先生のこと好きやな」と思って。とにかく来るように、ちゃんと。来んようになったら終わるから。「来たい」と思うようになってからが初めて、「2時間のうちの1時間勉強したらええわ」ぐらいでっていう。ま、それと似たような感じで、「この先生のことやったら聞こかな」という気持ちにならさんと。うん。やっぱ教えるって…、伝える人は好きになってもらわなあかんのんちゃうかな、と思ってるんやけど。何て言うかな、「好きになってもらう」いう言い方おかしいけど、「聞こかな」っていう気に。
 ま、そんなやり方をアジアでもおんなじようにやってて、仲良くなって。だから、親友みたいになってますよ。で、最終的にそんな、めっちゃ仲ええ友だちが向こうの国で「こんなことやろう思ってるんを応援してほしい」って言ってるけど、みんなどうする?って言ったら、「やろか!」ってなるので、「お金も出そうぜ」っていう、…のんが、海外の支援の形ですかね。だから全員にやってるわけじゃないんですよ、研修来た人たち全員に。見込んだ人なんですよ、ほんとに。

権藤 見込んだ人。…この2ヶ月の間で信頼関係ができて、

廉田 できて、まあ「本気やな」と。ただその時には、帰ってからもね、「じゃあまず…、いつになるか分からへんけど、じゃあ自立センター作りたいんやったら、仲間集めろや」って、言います。一緒にやれる、本気の仲間ですよね、こういう、こんな活動を。
 で、まあ何か、これも勝手な持論なんで。よう「金か、人か」みたいな話になるけど、俺らも運営していく時に、まあお金もなかったし。もともとね、89年立ち上げた時、お金なんか全然ないじゃないですか。「やっぱ人やな」って思いますわ。金もうホンマ、どないか、「どないかなる」言うんもおかしいけども、「人の方が大事やな」っていうのはもう明らかで、自分の経験からいくと。まあ裏を返せば、「人を集められへんような奴は自立センターやっても無理やな」って思ってて。金集めるんは上手い下手があるけども、人を集める力がなかったらどないもできないんで。
 まあ、「とにかくお前ら仲間集めろ」って、「人を集めてくれ」って言って。それがええ加減集まったら、「じゃあ、行くわ」って行って、面接します。話をして。で、本気度を確かめて。また俺らもきついこと言うんですよね、「お前らも人生賭けれるんか?」みたいな話ですよ、そんな若い子に。うん。「そんな、俺らに偉そうなこと言うて。社会変えるみたいなこと言っとんやぞ」って。[01:17:31]
 あの、何か、スタッフの時も言うんですけど、うちの、スタッフになる時も。もう、何やろ、ブラック企業みたいな組織なので。えー、どうや…、どう言うてるかな。ま簡単に言うと、「ここ就職しに来たと思たら、そもそも間違いですよ」っていう話から始まって、「俺ら社会変えようとするんが仕事で、おい、坂本龍馬知ってるか?」みたいな話になっていって(笑)。それで、えー、「坂本龍馬たぶん、あの、何か幕末に色々動き回って、何か社会変えたいと思ってたと思うけど、その時に、『あ、5時やからそろそろ帰ります』とか、『このあと残業手当出るんですか?』とか、たぶんそんなんなかったと思うで」って。「たぶん好きでやってて、どうしても変えたいとか、そういう思いでやってたんやけど、その、規模は違うけど、俺らもそれぐらいな小さな革命というかね、そんな気持ちでやってるんが仕事やから、そんなとこやねん」と(笑)、とにかく。「そんなことするんやけど。ただ、そんなことは昔はなかったけど、今はラッキーなことに給料までもらえるようになってんねんや。だからちゃんと給料も出るけど、それはラッキーやと思ってくれ。一生これずっと続くかどうかもホンマは分からへんのやけども、そんなところやけど、やりたい?」っていうふうに、そんなところから面接が始まるんですよ。あの、スタッフの場合はね。
 で、あと、「社会変えるって、3年では変わらへんで、5年でも変わらへんし。こと障害者観みたいな精神的な差別にいたっては、人生賭けなあかんぐらい変わらへんことを変えようとしてんのやから、そんなつもりでおるか?」みたいなことも全部聞くんですけれども、同じことですよ、海外の、も。「俺らそんなつもりでやってんねんけど、そういうつもりでやってんのか?」みたいなことをこう、ずっと話して。とりあえず、まあ無理から言わしてるんかもしれへんけど、「やる」って言よりますけどね、「そのつもりや」って。  まあそういうふうにお互いに、そういうふうにまあ、誓い合った仲間みたいな、ぐらいな感じがアジアのメンバーですかね。そういうので、あの、疑いなく応援してますけど。うん。

権藤 うんうん。

廉田 やり方はそんな感じかな、ちょっと古臭いし、ある意味。いやでも、俺の中では「未来型」って呼んでるんやけどね、これ、うん。新しい感じなんですけども。
 まあ、ま、そういうちょっと普通のアジアのネットワークみたいなのが今あるんですけれども、そのこっから生まれたセンターみたいな、ネットワークの繋がりは。そりゃDPIとか、何かオフィシャルな横の繋がりとは全然違いますよ。特殊な…、特殊な繋がりかなあ、やっぱ。[01:20:26]

権藤 何かほんとに、人と人との関係って感じかな。団体と団体の関係じゃなくって。

廉田 あ、その、今の。そうですよ。あの、友だちの輪ですもん、単なる。だから、法人も何もないし。うん。
 まあそんな感じでこう、メインストリームから始まっていって、色々支援するように。新しい制度ができるたんびにそんなことをやっていったり、セミナー開いたり、向こうから呼んだり、こっちから行ったり。でも個別にも誰かの…、「向こうのスタッフの結婚式や」って行ったりしてますよ、うちのスタッフとかは。

権藤 おおー。

廉田 ま、ホンマにそんな関係なんですよ。だからホンマにちょっと普通のセンター…、ふつうの…、「海外支援」って呼ぶのんもいいのかどうかも分からへんぐらい、「国際協力」みたいな。学ぶことも多くなってきたし、こっちがね。今はそんな感じでやってる、んですかねえ。



 ぎょうさんさんありますよ、教えてもらうこととか。やっぱりあの…、やっぱ向こうの方が大変やもん。こんな日本で「運動」言うたところで、ちゃんと役所と交渉するいうたら、部屋通してくれて、話聞いてくれて。向こうは門前払いもあれば、賄賂渡さなあかんとか、色々あるじゃないですか。何も教えれることなんかあらへんねんもん、俺らにとっては。日本のやり方で何ぼ学んだところで、相手が違うから。その、ノウハウは教えれるよ、介助サービスのこととか。でも最終的な交渉とかになってきたとこでは何もできないし。[01:22:07]
 カンボジアとかも50人障害者集まったら逮捕されたりとか。

権藤 50人。

廉田 50人、100人、うん。50人やったら、ひょっとしたら、止められて逮捕されたりとかする。集団結社の自由がない中でのそんなとこで活動してるのと、日本人の甘ーい俺らがやってるのんと比べたら、あっちの方がよっぽど尊敬できるし、上やし、「自分やったらできるんかな?」って思ったりもするし。貧しい国の中でさらに貧しいし。
 やから、その、やっぱりね、「こいつやったら」って思った人じゃないと、簡単に「自立生活センターやれや」っていうのも、こっちもちょっと言いにくいですよ。その、向こうのリーダー達っていうのはやっぱ優秀…、アジアの子ってすごい優秀やし、別にこんな業界来うへんかったら、もっと大学の先生とか、やってそうな人たちやないですか。なれそうやと思う、大学院行って、別に学者で収まろうと思ったらやれるんやけど。そっちじゃないことを勧めてるわけですよね、現場で、っていうのを、なった時に。
 いやあ、それはちょっとねえ。あの、人生大きく変えますよね、その人の。エリートで進んで行けるかも分からへんのを、あえて何か、貧しい…、でもやりがいもある面白さも知ってるけども。っていうのに、「一緒にやろうや」って言うのは、相当、それを後悔しないぐらいにやりたいと思ってる人にしか勧めれないですよ。何か…、うん、俺はそうですね。だから、あの、あ、「ここやったら。ここやったら」とかって思う人もおるかもしれへんけども、俺はもう人で決めるから、そこは。その、「この国をやりたい」とかって考えたことはなくて、「この人やから応援しよう」みたいなんで。それが偶然、今こんな国になってる状況で。その、国のバックグラウンドはあまり考えてないです。それが共産主義であるとか、もう、そんなこと考え出したらキリがないから、信頼だけですかね。で、そいつ人生変わるのもビクともしないぐらいな、あの、やる気があって、「人生楽しめるような人やな」と思た時にしか、応援もしにくいかな、やっぱり。あとで後悔するかもしれないような仕事やからね、たぶん。そこちょっと考えますね。うん。[01:24:45]
 でもそうやからこそ、うちのスタッフも含めて、あの、ま、「カンボジアのセンターが潰れる時はうちが潰れる時と一緒やぞ」っていう気持ちではやってますけどね。あの、「金がないからバイバイ」はもうできないんで。一応全部…、別にお父さんになってるつもりはないけども、まあこっちの方が裕福なんやから、ただそれだけのことやから。おんなじことやっててね。だから「使えるもんはそこに使おうや」っていうのは、うちのスタッフはみんな承諾してくれてると思ってるけどね。そんなつもりでやってる感じなんです。  自立センターそのもの、自立さす時もね、もちろん自己決定とか色んなこと言いますよ。自己責任、自立するのは、って言うたって、言うてもね。介助は絶対派遣せんことにはこの人生きていかれへんわけやから、やっぱり背負うじゃないですか、その人の人生そのものを。場合によっては自立したがために、孤立して、「施設おった方がマシやった」いう人もひょっとしたらおるかも分からんぐらいな歩み方する人いますよね。それもひっくるめて、受けるとこじゃないですか。「丸ごと引き受けよう」っていう感じでやってきてるのの、自立センター版みたいなもんかな、アジアのセンター応援するのは。気持ちはそんな感じですかね。で、それは俺一人の思いじゃなくって、これはたぶん誰に聞いても同じこと言うと思います。あの、ずっと…、よーく海外の話は出ますし、うん。しょっちゅう出るし。
 まあそんなとこ、ちょっと、あの、ある意味かっこいいとこもあるんですけど、そういった…、かなあ。

■志ネットワーク

権藤 志ネットワーク、そこから来てますか? 志。

廉田 志はね、志は俺がよう言っとったんでしょうね、あの、「人生賭けてやる仕事やから、あの、自立センターやるとか、この活動するっていうのは軽い気持ちででけへんぞ」って。「日本語やから難しいかも分からへんけどなあ」って、「日本には志っていう言葉があんねん」みたいなことを言って、いちいち俺、ホワイトボードに書いてましたね。何か、武士の心みたいな。これはもう、あの、人生賭けてやる、強ーい思いの。英語が何か分からへんのよね。その、英語のいいのがもう、浮かばへんし。何か。ないでしょ? ないでしょ言うたらおかしいけど。
 もうひとつなんですよ。”Will”とか言っても「意志」やし、”Strong will”じゃなあ。”Strong spirits”かな。分からん。微妙なところがあって。もう、ある意味「サムライ・スピリッツ」と言っておきましょう、みたいな、ぐらいで。で、そういう、「それぐらいの思いじゃないとこれはでけへんぞ」っていうことを、よく色んなセミナーで言ってた。で、みんなが志っていう言葉を知ってるんですよ、そのアジアのメンバーが。その辺から、シャフィクとかが、あの、「ネットワーク作りませんか」みたいな。ネットワークっていうても友だちの輪なんやけど。ある時、2007年に、えー、DPIの世界会議ってのが韓国であったんですよ。もう10年ちょっと前ですけども。その時に、ま、日本からもアジアからもようさん行くんですね。で、うちから生まれたセンターの子たちも行くことになったりとかしてて。まあそれはそれでいいんですけども。その時に、今のチャノさんを中心に「韓国でイベントするか」ってなったんです。  その…、世界会議はいいけどもね、DPIの世界会議はね、何千人も集まるんやけど。いやあ、おもんないんよなあ、ああいう集会って、何か胡散臭くて。何て言うんか、誰が喜んでるんか分からへんねやけど。何かアフリカのリーダーとか、途上国の胡散臭いリーダーが出てきて。あんなん絶対ええとこの子で、ポリオ、みたいな、で、「弁護士です」みたいな。「そんな奴の話やないねん」と俺は思ってるけども。何かその政治家と同じような。まあそういう繋がりでしょ、あれ。DPIの人たち。

権藤 有能な人ばっかりですよね。

廉田 そうそう。やし、政治的な、金も絡んでるような、胡散臭いじゃないですか。で、まそれは別に、参加して色んな人に出会うことはいいけども、若い子が行ってもね、別にあれ面白いわけじゃないでしょ。こんな、通訳の、聞いても、何の話してるんかもよう分からへんし。あの、まあ腹割った話なんか、せえへんでしょ、そもそも。で、まあ志のそのネットワークはもう、連れやから、腹割って話するような、「うちのここはあかんねん」とか。まあ全部その、ホンマに友だちの輪やからね。だからその若い子たちができるのは、その、世界会議では何も活躍でけへんけど、まあ「世界会議の前のプレイベントでもするか」ってなって。
 それで、あの、あれを壊そうという話じゃなくてね、もうちょっとそこに盛り上がるように、DPIがやってるんやから、その前1週間ぐらいを、昔俺が大阪―東京を歩いてたみたいな感じで、ソウルに全員が…、ソウルの街の中心、駅に…、駅前に集合して、で、そっから…、ソウルの駅からね、線路が8つぐらい出てるんですよ、6つとか、こう、いくつか。で、ここで、全部別れるんですね。で、そっから全員が歩きながら、1週間ぐらいかけて、歩いて障害者の自立とか人権とかアピール…、俺らの頃は鉄道やったけども。その頃まだ韓国、10年前やったら韓国はね、「バリアフリー」は誰でも言ってたけども、「自立生活」っていうのはもう一つ認識なかったんです。やっぱ家族社会で。「親から離れて一人暮らし」って言ったら、「はあ?」みたいな。「そりゃ結婚したり、子どもできてからの話やろ」とか。健常者であってもね。だからそういう、やっぱ「自立」っていうのを、もうちょっと認知してもらおう、っていうのをアピールするためのイベントとして…、プレイベントとして、DPIの前に1週間ぐらい、アジア10ヶ国ぐらいのメンバーが集まって、チームに分かれて200人ぐらいで。で、もう全員でこう、練り歩く。TRYみたいに歩いて、最後はその8つが集まってゴール、みたいな感じになるんです。そういうイベントをやりました。これを、これがまあアジアの全員が一緒になってやった感じですかね。
 それが2007年で、その時に「これ、アジア志ネットワークやなあ」言うて。「こんなことを毎年やるか。いや、毎年ちょっときついなあ」ってなって。で、2年にいっぺんぐらいを、じゃあ次は台湾、次はモンゴルっていうふうに2年に1回、その、TRYやね、昔、俺が大阪―東京やっとったやつのちょっと変則版みたいなものをやっていって。で、間の年には、セミナーとかでどっかの国に集まるとか、「とにかく1年にいっぺんぐらい集まろうや」っていうことをやり出して、今、10年が過ぎたぐらいですかね。
[01:32:07]  だからそれ、2007年韓国ですよね。で、9年が台湾で、おんなじことやってるんですよ。台湾もうちょっと高雄から歩くとか、結構大規模なのも入れたり。2011年はモンゴルで、モンゴルTRY。これ全部その、志でやってるやつですけど、ネットワークでやってる。13年はパキスタンの予定やったんやけど、テロがごっつくありすぎて、止めて。14年度…、14年度かな? 14年度やけど、実質は15年になるんかな。で、ん? うーん…、16年の3月やったかな? に、ネパールで。ちょっと忘れました。あとでちゃんと見たら。…で、TRYやって。で、こないだの2018年の3月に、カンボジアでやりたかったけど、「歩けない」って。「歩いたらダメ」ってなったんです。それこそさっきの集団結社の…、

権藤 ああ、集団の。

廉田 うん。歩くとかでも。歩くのが、困るって言うて。「困ったなあ」って思って、「どうするか」って。まあとにかくTRYっていうのは外に出て、「障害者もこんだけおるぞ」っていうこととか、「俺らもあの、社会の一員やぞ」とか、「楽しみたいんや」とか、いうのを知っ…、まずは知ってもらったり、その場に政府の人に来てもらったりせなあかんから、っていうので、「じゃあ祭りするか」ってなって、この3月は祭りに変わりました。

権藤 なるほど。

廉田 アジア全員のメンバーが集まって、ま、会場…、どっかひろーいお寺みたいなところを借りて、ネパールやったらカレーとかね…、カレーの店出すとか、ホンマのお祭りですよ、出店。日本からもラーメン屋とか色々たくさん。この、韓国はトックとか何か色んなもの出して。お店と舞台とで、そこに政府の人にも来てもらって。あの、障害者たくさんそこに呼んで、っていうようなイベントでしたかね。まあ「アピールできたらええねん」っていうので、とにかく。[01:34:14]

権藤 ああ。形はこう、変えて。ふうん。

廉田 そうそう。だから。でもTRYっていう名前でずっとやって来たから、えー、TRY、どっか入ってたよ。TRY…、えー、「2018アジアTRY祭り」、え? 何やったかな。「志祭り(こころざしまつり)」とかってなってたかな? 何かそんな、「イン・カンボジア」とかってなってたのをこの3月にやりました。
 面白かったけどね、それはそれで。その、日本人…、今まで歩いたりとか、一緒に日本人…、日本からも参加して一緒に、チームに分かれて歩いたり、ネパールとかでもね、分かれて歩くんやけど。で、野宿しながらとか、野宿っていうか、どこかの公民館みたいなとこで寝たりとかが多いですけども。そんな形で行くんやけど、今回はそんなんがないじゃないですか。お金かかるんよ、その、野宿とかせえへん…、何もせえへんから、ホテル泊まらなあかんから。

権藤 ああー、そうかそうかそうかそうか。

廉田 そうそう。で、準備するんがね。まあ、準備が面白いんやけど。まあ言うたらこれ、ラーメン屋するんやったら、ラーメンを向こう…、あの、現地の物を使わな面白くない、基本的に。どうしてもない物以外は現地行って、自分たちと現地の大学生のボランティアみたいなんをたくさん集めてもらって、その、向こうの自立センターにね。それも日本語できる奴とかね。英語できる奴は他の国の、韓国語できる奴とか、そういうの集めて。そのボランティアさんと一緒に市場とか行って、たこ焼きするんやったらメリケン粉買ったり。そんなんこう、一緒に準備してやっていくっていう。まあそんな中で、一緒に面白い大きなイベントをやる中で、合宿みたいになってるから、そのホテルが。そこで夜は色々話し込んだりしていく中で、えー、自立センターのことにそのボランティアの人も興味持ってもらって、その後、そのプノンペンのCILに関わってくれたらいいかな、とかに繋がればいいなと。まあそんなことでやってるイベントなんですけれどもね。
 まあそれです、要は。まあそれが祭りですね、だから。面白いと思いますよ。だって向こうの物を使って、その準備とかもやったことがない学生とかにとっては…、とかにとっても面白いし。仲良くなるやろうし。面白いイベントやと思うんですけどね。

権藤 向こうの物使って、向こうの人も食べて美味しいと思うものを作るってことでしょ、ラーメンでも。ラーメン、何味ですか?

廉田 ラーメンはでもね、あの、とんこつみたいなやってた思うよ、確か(笑)。

権藤 (笑) とんこつ…。

廉田 何やよう分からへんけど。でもその、味にこだわりすぎてもしゃあないからね。

権藤 (笑) まあ、まあね。

廉田 まあまあそんなことで、お好み焼きもあったし、色々やりましたよ。うん。何作るっていうのから始まって、まあそんなイベントでしたけどね。まあ、初めてやったけどこれは。まあ次回はひょっとしたら祭りに変わるかもしれない。歩くのはひと通りやったので。
 まあ簡単に言うたらそんな繋がりですかね。アジアはそんな感じなんですよ。[01:37:23]
権藤 うん。さっきおっしゃったように、人なんですね、

廉田 俺はそうかなあ、もう、ちょっと。

権藤 基本的にはね。人と、繋がりと。

廉田 それに尽きるぐらいな感じでやってましたね。シンプルですよ、たぶん。あんまり複雑には考えられないし。

権藤 そうなると、海外の人っていうよりかは、ほんとに人との繋がりですよね。たまたま来てるのが海外の人だったっていう。日本人でも結局一緒ってことですよね。

廉田 まあ日本でもそうでしょうけどね。あの、これは俺の個人的な部分ですけどね。あの、まあ…、おいくつでしたっけ? もうすぐ50とか言われてませんでした?

権藤 えーと、今年47になります。はい。

廉田 47。じゃあ全然。10下ですね、ほんなら。その…、71年生まれですか?

権藤 はい、そうです。

廉田 その世代と俺ともたぶん違うと思うんやけど、俺より上なんか、もっと違うんですよ。何か昔学生運動やっとった人らとかっていったら、もう全然分からへんし。俺なんかも全然そんなこと知らない世代で。俺なんか自分、新しい人やなと思ってたぐらいやったんやけど、その同世代の中ではですよ。でも何か暑苦しいこと言うじゃないですか、今の志みたいなことも含めて。何か、いうところもあるじゃないですか、あるんですよたぶんね。今の若い子と比べたら、全然。

権藤 あ、今の若い子と比べたらね、たぶん私たちの年代はそこにまだ入るかな、きっと。

廉田 うん、だから全然そんな感じなんで。あれ? 何の話しようと思ったんかな。



権藤 でもここ若い子たち…、

廉田 その時にね、やっぱその、俺と、そのシャフィクにしてもクリシュナにしても…、その、リーダーがいるんですけど、各国の、まあ20ぐらい下なわけですよ、大方。15から20…、いや、うん、20やな、20近くやな、20まではいかないぐらい。「お父さん」いう感じではないんですよ、何ぼ何でも。20も違うな、17ぐらいか、15から17ぐらいで。兄貴分的なぐらいな感じなんですけども。そんだけ世代違ったら、日本ではだいぶ違うんやけど、ちょっと似た感覚なんですよ、やっぱ途上国やからと思う。その、熱さと…、何かものに賭ける熱い思いとか、本気とか、なんか言う言葉が響くんですよ、その年代には。「わかるー!」みたいになって。ホンマかどうか分からんけどね。これ、同じ世代の日本人に言っても、「わかる」言うてくれるやつは殆どおらへんのやけど。
 まあそんなんで意気投合しやすかったとかもあるのかもしれないですね。何か同年代に喋ってるみたいな感じ。だって生活スタイルいうたら、俺の子どもの頃よりも、もっと年配の人の経験をしてるわけじゃないですか。俺の親父まではいかへんけど、…に近い頃の生活スタイルとおんなじようなものを経験してるから、むしろ年上やったり、…に感じることもありますよ、カンボジアにしても。そんな世代の感じかなあ。うん。だから仲良くもなりやすかった感じがしますね。年は離れてたけど。[01:40:36]

権藤 そっか、そこは日本とやっぱ違うな。日本の同じ世代の人との関わりとは違ってくるでしょうね。違いますよねぇ。

廉田 ちょっと違う。ちょっと違うかもしれないですよね。

権藤 まあ、私もよく学生と話してますけど、うん。「うるさいな」って思ってるんだろうな、って思うことはありますよ(笑)、やっぱり。うーん。そう思われてるだろうな、と思いながら。まあ、「自分でできることは自分でやった方がいいよね」って言って。まあ全部ね、お母さんにやってもらう子ってなかなか人にやってもらいたがらないという…、あ、自分でやりたがらないというか。もうとにかく、うちに来る子たちは基本的にすーごい大事にされてくる子たちばっかりなんですよ、恐ろしく。

廉田 何それ? 障害者の話?

権藤 うん。あ、でも、私の友だちも、もうほら、子育てが一段落つく子とかもいますけど。まあ障害持っていようが、持ってなかろうが、まあすごく大事には大きくされてる。で、育てた本人たちも、ものすごく大事にして大きくしたって言う、うん。

廉田 うーん。(?)今の20ぐらいの子たちですね?

権藤 そうです、そうです。もう19、20ぐらいの子ですね。なのでその、障害のある子たちが、大学生になりますけど、一人でお出かけしたことがない。一人で横断歩道を渡ったことはない。で、その大学に入ったことを契機にちょっと一人で出かけてみようかな、と。でも、まだ4月5月ぐらいは勇気が出ない。

廉田 九州やからですか?

権藤 わかんない。

廉田 地域性なんか(笑)。俺もよう分からへんのやけど。

権藤 私は関東とか関西の、障害のある人たちに会うでしょう? みんなジャンジャン行く人多いじゃないですか。結構、私の知ってる人たちっていうのは。だから「何でこんなみんな保守的なん?」って言って。

廉田 ああ、でもちょっと「怖い」って言いますね、あの、行くけども。うちもターニングポイントっていう企画の時でも、そのナツオがさ、国の名前聞いただけでもパキスタンとかカンボジアとかになったら「えー」みたいな、「どこ?」みたいな、にはなってましたね。[01:42:58]

権藤 だからナツオくんはターニングポイントに行って帰ってきてからではゴロっと変わったんです、ほんとに。ゴロっと変わりました。もうそれは私だけが感じたんじゃなくて、あの吉村さん、吉村さんも同じこと言ってたし、「あ、やっぱみんなそう思うのか」と思いながら。

廉田 まあ何かこうおちょくるし、バカにするしね、あの、平気で。「もうしょうもないやっちゃな」みたいな。何か、甘えたこと言っとったら。

権藤 そういうのが…、そうそう、誰も言ってくれないんですよね。でもほら、結構こう、こっちの人って、ばんばん言うじゃないですか。

廉田 言いますね。

権藤 「そんな、甘えとったら一人で生きてかれへんで!」って。そこまであんま言わないんですよね。何でかわかんないけど。

廉田 優しいんやろね、たぶん。

権藤 優しいとは思わないですけど。

廉田 こっちがおかしいのかも知れへんよ、ある意味、麻痺してるところあるけど。そんなことばっかり。

権藤 うん…、でも、「なら親が死んだ後どうするの?」って。って言ったら、「親が死んでも、あの、兄弟もいるし」とかって言う人もいるわけですよ。だからこう、一人でどう生きていくかっていくことを考えずに、誰か必ず…、誰かがいるんですよね。そういう意味で、ナツオくんにはすごくいい機会でした。

廉田 あれホンマによかったんかなあ。ちょっと俺も厳しいこと言ってるからな、ナツオには。ナツオ、ここで働きたいって言ってんの? それも分からへんねんけど。俺はそのイメージがあんまりないんやけど。

権藤 いや、でもここの話よくしてますよ、大学でも。

廉田 ああそう。

権藤 なので、やっぱり私が思ったのは、私たちがどんなに自立生活の話をしたりとかしても、なかなか響かないんですよね。で、それは、何かこう、やっぱりこう、「当事者じゃない、って思われてんのかな」っていうのもあるし。でも、もう一人、前いた職員の方は、車いすの女性の方で、その方は当事者だったんですけど、その方も話をしてもなかなか響かない。「どうやったら響くんだろうね」って言ってる中で、その当事者の方が辞められてって。で、あの、ナツオくんがターニングポイントに行って帰ってきたでしょ。その時にやっぱ中の人が変わらないと、そこのこう、一緒にいる集団の人も変わらないんだな、って思ったんですよ。ナツオくんが変わったことで、他の子たちがナツオくんが活き活きしてる姿を見ると、「え、何か、自立生活ってそんな楽しいの?」みたいな、「どんな話聞いてきたの?」とか、「海外行ってどんな経験してきたの?」っていうのを聞くようになった。「自分たちから聞き出した」と思って。「やっぱ中にいる人が変わらんと難しいな」って思った。まあ、ナツオくんはその経験ができたので、誰よりも早くちょっと…、[01:45:32]

廉田 何か今回、8月末にもう1回来るんですよね。

権藤 はい。「行く」って言ってました。

廉田 そうそう。それ、でもね、ナツオ、ちょっと弱い感じで終わってるんですよ、うちの中では。

権藤 あんま強い子じゃないからですね。

廉田 そうそう、何かね。まあ、「どうなん? ここ」って最後聞くんですよね。「こんなとこで働きたいと思うんか」みたいなことを聞いた時に、「思わん」って言ったんです、簡単に言えば(笑)。

権藤 (笑)

廉田 「ちょっと」みたいな感じやって。だけどここの雰囲気とかはみんな好きやし、やけども、やっぱナツオの弱いところは…、だって役場と交渉とかしたりせなあかんじゃないですか。ケンカとかせなあかんけど、場合によっては。「ケンカせなあかん」かどうかは知らんけど、これからの時代はね。でもまあまあ、引き下がれへんことってあるじゃないですか、人の権利…、自分だけの問題じゃないのを後ろに背負ってるんやから。その時に、「お前そういうのが嫌いなんちゃうんか?」って言ったら、「そうなんです」って言ってたから。その時に彼は、まあ聞いてるかも知れへんけど、例えばうちの父親と、とか、テーマパークみたいなとこ遊びに行った時に、例えば車いすの駐車場に全然車いす関係ない奴が停めてると。だから停められへんねやけど、そこにうちの父親はわざわざ、「ここはちょっと障害者が停めるところなんやから、ちょっと場所変えてくれへんか?」みたいなことをわざわざ言いに行く、あれさえ「嫌や」って言ってたんです。親父が正しいことやってるのん分かるけども、そんなことして揉めるみたいな、何か難癖つけてるみたいな。難癖じゃないんやろうけど、そんなこと言いがかりつけてるように見えて、そういうことするのがすごく嫌で嫌で、っていうの、分からんこともないじゃないですか、揉め事嫌な人にとっては。だから、「そんな感じなんです、僕は」って言うから。「あ、それやったら無理やぞ、ここは」みたいな話で終わってるんですよ。その時、去年は。

権藤 その時やっぱちょっとへこんでましたよね。

廉田 ああ、そうなんかなあ。ほんで…、そうか。それ、そんな話で終わってもうてんねんやけど。ただ、この前、全然別件で、だんないっていう自立センターがありますけども、そこに行った時に…、何先生って言うのかな、ナツオはゼミの生徒やって。

権藤 堀先生。

廉田 あ、そうそうそうそう。

権藤 堀先生とお会いになられましたか?[01:47:44]

廉田 そうです。そうです。で、その先生が、「ナツオ君メインストリームのことすごい気に入ってて、『あそこで働きたい。』言うてましたよ」言うたら、「それはないやろう」って俺は答えたんやけど。そこで終わってるからね、俺の、ナツオとの会話は。「ええっ?」って、「盛り上げてるだけちゃうか?」って言ったんやけども。まあでも「来る」言うてたから、みんなも、それも含めて「ちょっと突っ込んで聞くか」みたいになってましたよ。

権藤 聞いてあげてください、ぜひ。自分の思ったこととか意見は、譲れないところは譲れないというふうに通せるものがないと、まあどこで働くにしても難しいと思いますけどね。でもほら、それを今までなかなかやってきてない。それをほら、親が言うから、後ろから。うちの学生って…、の親って。

廉田 「大丈夫だよ」いうて?

権藤 はい、「代わりに」って親が乗り込んでくるみたいな。これ録音されてるけど(笑)。そうそうそうそう。乗り込んでくるっていうパターンが多くって。で、本人置いてきぼりになっちゃうんですよね。

廉田 うーん。で、ちょっとまた話変わる…、戻りましょうか。いいんですか、こんな話で。何かまとまってないでしょ?

権藤 大丈夫です、全然大丈夫です。[続く]

→◇廉田 俊二 i2018 インタビュー・4 2018/08/10 聞き手:権藤 真由美 於:兵庫・西宮・メインストリーム協会


UP:20180911 REV:20210124, 1031
廉田 俊二  ◇障害者と/の国際協力・社会開発  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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