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廉田俊二氏インタビュー・1

2018/08/10 聞き手:権藤 眞由美 於:兵庫県西宮市・メインストリーム協会

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◇文字起こし:ココペリ121 20180810 廉田俊二氏 232分 https://www.kokopelli121.com/

廉田 俊二  ◇メインストリーム協会  ◇障害者と/の国際協力・社会開発  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築


廉田 「自分らで作って何かしようや」っていう時点でもう、ちょっと前向きじゃないですか。何か自分らで作るとか、自分らでやるっていうのが。ま、基本そんな感じじゃないですかね、ここのスタイル自体が。あの、今でこそこんな事務所になってるけど、元は何かちっさい金ないところから始まってるから。手弁当 、手作り的なものになりますよね、何するにしても。だからじゃないかな、その名残がずっと今もあって。

権藤 ふーん…。

廉田 で、僕、煙草吸いながら話(はなし)してもいいですか?

権藤 ぜんぜんいいですよ。ぜんぜん構わないです。

廉田 いいですか、はい。

権藤 問題ないです。私の周りは結構みんな吸ってるんで、はい。なので、うちの大学は学内禁煙じゃないんですよね。煙草吸う所があちこちに学内にあって、

廉田 あ、結構あります?

権藤 3ヶ所…、あ、今2ヶ所になったのかな。

廉田 どんどん減ってるよね、それも。かなり。

権藤 はい、あの、立命はもう最後の方で…、今ゼロです。

廉田 え? ゼロ? 中なし?

権藤 中なしです。

廉田 わ、厳しいな。

権藤 最後の方はガラス張りの何か、箱みたいなのが作られて、そこでみんなこう吸ってるけど…、

廉田 外やのに?

権藤 外。「何かすっごい見られてる感じがする」とかって友だちが言ってて。最後はその箱も撤去されて。今、学内は全部。

廉田 ああ、なくなったんや。どうしてんのやろ、みんな。

権藤 どうしてるんでしょうねえ。困ると思いますよ。だから立岩先生に近くにどこか家を借りて、みんなで煙草吸えるって、10円とか入れてもらうとかって、言ってたんですけど(笑)。ほんと、困ってると思いますよ。



廉田 …これは何なんですかね、そもそも、今回、よう分からんでね。

権藤 あ、私がですね、博士論文を書きたくて、

廉田 あ、そうなんですか。

権藤 であの、もう私8回生なんですけれども、全然書けずままで。そもそもベトナムのILセンターの方に、あの、調査に行かせていただいてたんですね。

廉田 ベトナムって、ヒューマンがやってたやつですか。

権藤 ヒューマンがやってたやつです、はい。で、あれ結局もう終わっちゃったんですけれども、

廉田 あれどうなったんですか、よう知らんのよ。何かね、あの、中西さんに聞いたら「うまいこといってる」言うし、他の人に聞いたら「うまくいってない」言うし。何かあの、オブラートに包んで言うからよう分からへんねんけど、ほんまはどうなんですか。あのー、日本財団が手を引いたっていうのは知ってて、「そのあとどうやって運営するんかな」と思ってたんですけども。

権藤 そうです。で、「どうやって運営しますか」って言って、代表のハー(Ha?)さんにもお尋ねをしたんですけれども。まあとにかく、今までプールしたお金があるわけですよね。ちょっとずつね。あの…、

廉田 うん、まあ横流ししてうまいこと貯めとったお金やね、簡単に言うたら。

権藤 はい、それで今のところ介助派遣もやってるんだけれども、それも尽きるだろうと。

廉田 まあ、すぐ尽きますよね、そんなんだと。

権藤 はい、で、まずその、できるだけ長く持たせたいので、みんなのその言ってた時間数をまず減らしたと。で、そこでまあちょっと細々とやってると。でもそれも尽きるだろうから、何かこう、稼げるものを考えている、って言ってて。

廉田 まあそうやろね。

権藤 「電動車いすを売ろうか」って言ってましたね。「それで稼げないかって考えてる」って言ってて。で、今度借りた事務所はエレベーターついてないので、結局、2階、3階には、当事者の人が上がれないんですよ。で、何も使ってないような感じになってて。で、1階が事務所で、まああの、ヘルパーさんたちの何かちょっと休憩所みたいな感じで、2階とか3階は使ってるけど、ぐらいで。とりあえずは、何かこう、ヘルパー派遣を今のところはやりながら、どうやったら金が稼げるかっていうのを日々みんなで考えてる、って言ってました。

廉田 ふーん。何にも出ないんですか、国からとか、自治体とか。何にもない?

権藤 何にもないですね、国もね、「出せない」って言ってました。社会保護局の人と会ってちょっとお話を聞いたんですけど、まだベトナムは経済発展の方を優先させたいからお金出せないよ、って言ってて。

廉田 ふーん。まあ、その一言で終わるよね。

権藤 何かこう、中西さんとかが結構ベトナムに行ってた頃は「前向きに」って言って、まああの、政府の人たちも日本に見学に来てたりとかしてたみたいなんですけど。実際もう日本財団からのお金が切れると、まあ政府の人も何かさーっと引いてった感じがしますよね、見たところ。うん。

廉田 うーん、なるほど。まあ細々と続けるしかないですね。タイミングを待たないと。それだったら。

権藤 まあ経済は発展してるからですね…。本当に予算が採れないのかな、と思わんでもないんだけど。まあ、うん。社会主義って言っても何か結構…、何だろな(笑)。

廉田 まあまあ資本が自由化されてるからね。かなりね。

権藤 そうなんですよ。

廉田 昔のそういう感じとはちょっと違う…、違いますからね。

権藤 ちょっと違う感じがしますね、うん。

廉田 ふーん。

権藤 まあ、だからなかなか、中西さんは、まあたぶん本当のことは言いづらいだろうな、とは思いますけどね。でもたぶん、かなりのお金が、あそこには出ていってたはずだから。

廉田 そうですね。

権藤 はい…。

廉田 それはハノイだけなんですか、それともホーチミン…、まあホーチミンのほうにもできたっていうふうに聞きましたけど。何ヶ所か、2ヶ所あるんですか?

権藤 あります、3ヶ所。ちっちゃいのがホーチミンと、あと中部に2ヶ所ぐらいあるんで。ハノイ入れて…、(パク氏に)こんにちは、お邪魔してます。

廉田 あ、チャノ、ちょっとここ使っていい? パク氏 あ、いいですよ。

権藤 大丈夫ですか。お邪魔してまーす。

廉田 あのソウの知り合い、ソウルの技術センター、さっき言ってた、パク・チャノさん。[00:06:02]

権藤 立命館大学院生の権藤と申します、よろしくお願いします。

パク氏 立命館は、立岩先生の?

権藤 そうです、立岩の学生です、よろしくお願いします。

パク氏 韓国の留学生も何人もいて…、

権藤 はい、何人も来ていらっしゃいます。

廉田 ああそうなんや。あれ、何かここで飯食う予定してた? 大丈夫?

パク氏 大丈夫ですよ。

権藤 …うーん。で、それで、こう、一通りベトナムのハノイにその、ですね、動きを見てきた時に、ちょっと成功した感じには見えなかったというか。私から見たらですよ。

廉田 うん。まあまあ、継続が難しくなってきたんやもんな。

権藤 はい、はい。まあ入っただけでもすごいことなんだろうな、とは思うんですけれども、なかなかやっぱ、継続が難しいっていうのが見える。なら、こう、他のところはどういうふうに継続してやってってるんだろうかとか、他との違いっていうのをちょっと見てみるといいよね、っていうのを立岩先生に言われて。でまあ、私あの、賢くないので、語学できないんですよ。はい(笑)。で、もう日本人の人たちから話を聞こうや、って話になって。

廉田 なるほど。



権藤 はい。で、日本の中でも、みなさんそれぞれ海外の自立生活センターに支援をされてるところがあるので、みなさんからお話をお聞きするということで、廉田さんのところに来ました。

廉田 分かりました。そない、たいそうなことはやってないですよ、でも。それでいくと。何か。面白がってやってるだけで。

権藤 いや、そこが重要なんだと思うんですけど(笑)、私は。

廉田 ほんとに。どっから話すればええかな。えーっと、話はもうバラバラに飛んでもいいですか? 何の話になってるか分からなくなるかもしれません。

権藤 はい、いや、全然大丈夫です、もう思ったままに。

廉田 ちょっと準備してないので。いいですかね、そんなんで。思いつきながらで。
 まあもともとね、ここのメンバーは「外国が好き」っていうのがあったと思います。不思議ですけども。何でか言われたら分からない。例えば俺なんか…、自分のことをちょっと話しますと、個人的な部分で言えば、自分は14歳の時にあの、体育館の屋根から落ちて、脊髄損傷になって、で、車いすなんですけれども。まあちょっと話はしょりますけれども。

権藤 あ、本★でその辺読みました。[00:08:41]
★廉田 俊二 198702 『どこでも行くぞ、車イス!<寝袋ひとつでヨーロッパの旅>』,ポプラ社,186p.



廉田 はいはい、ああ、そうなんですか。そんなんありました、今?
 それで、えーっと、それでいくと、高校から大学に入る時に、ハワイでソーメン屋やろうと思ったんですよ。あ、高校から大学に入る時に滑ってるんですよ、大学受験を。あ、高校は普通の高校に行きました。中学校は養護学校になるんですけどね、その、怪我した後、2年ほど施設にいて。そのあとまた高校に戻ってきて…、1年遅れで戻ってきて、3年間過ごして。大学行こう…、みんなが行くいうから、「まあ行こうかな」思たけど(笑)、よう考えたら勉強してないし、滑りまして、浪人っていうのになって。でも浪人中、みんな勉強…、いや、浪人いうて大学に向かって…、浪人ってよう予備校とか行くけども、そもそも、その俺の時代はまだまだ大学とか高校の受け入れも…、ま、さらっと言ったけど難しいんですよ。

権藤 難しいですよね。

廉田 難しい、難しい。高校の時も、すっごいことが色々ありながらの入学やったし。大学も、そうですね、色んなとこ「ダメダメダメダメ」みたいなこともあっての。選べるほどではないんですよ、もう。まあそんな状態やし、よう考えたら、そんなしたい勉強もなかったしね。よく考えれば。「みんなが行くから行く」ぐらいやったから、「こりゃ大学行ってもしゃあないな」って思ってたんですよ。  ま、そんな頃に、えー、家族でそんな頃に…、浪人の夏ですけども、家族で昼ごはん食べてる時に、うちの親父の友だちも一緒に来てて。俺は姫路っていうところの出身でして、この近くの。姫路は昼ごはんが…、夏の昼ごはんはソーメンなんですよ、ほとんどが、週4日ぐらいは。揖保乃糸っていう有名なソーメンがありまして、

権藤 あ、大好きです!

廉田 あれしか食べないですけれども。みんなそれ食ってて。その時食べながら、そのおっさん…、おっさん(笑)っていうか親父の友だちが言うには、「おっちゃんこないだハワイ行ってきたんや」って自慢話が始まって。「ゴルフでなあ」とか言ってたんやけど、「ハワイは暑いぞー」言うて。「そいでソーメン食いたかったけど、このソーメンがなかってなあ」みたいな話をしとったわけですよ。「そうかあ」とかその時はすーっと聞いてたんやけど、まあそんな話と自分の置かれてる状況が…、「俺は大学も行きたいわけじゃないし、やりたいこともないしなあ」とか色々考えてて、「俺、ちょっとハワイでソーメン屋でもやろうかな」みたいなことになっていくんですよ。

権藤 はい。

廉田 ほいで、ハワイに行ったんです。

権藤 一人で?[00:11:31]

廉田 一人で(笑)。そこがまあ変わってるかも分からんけど。

権藤 (笑) 変わってる。

廉田 すでに変わってると思いますけども。ま、それまでを思い返せばね、高校の、あの、行き帰りもずっとお母さんの…、母(はは)…、お母ちゃんが車で運転して、横に乗って送り迎え…、そんなんしないとまあ、高校なんて通われへんのですよ。高校の中の3階建ての教室も、お母さん…、母親がおんぶして教室移動っていうのじゃないと、学校は受け入れ認めないとかね。ま、そういう時代だったんですけども。まあ、それぐらいべったりみたいな状況やのに…、まあそんだけずっと一緒におったけど、さすがに、その母親も、あの…、もちろん母親も変わってるわね。もともと相談したんですよね。「俺、ちょっとハワイ行こう思とんねん」みたいな。それで、「いや、ソーメン屋やろう思って」みたいな話になるんやけれども、「うん、わかった。ほな行ってきいな」ってことになったのが、ちょっと変わってますよね。

権藤 おおー。

廉田 それまでずっと一緒やったけども、さすがにアホらしい思たんやろね。「あんた行ってきいな」っていうことになって、行くことになるんですよ。

権藤 (笑)

廉田 ま、簡単に言えば。で、まあそれは、10日ぐらいやったと思います。調査しに行ったんですわ。ほんまにハワイにソーメンがあるのかないのか、を調査しに。ほんまないんですよ。どこにも。

権藤 ほんとにない。

廉田 ない。どこにも。日本食屋は全部あったけど、どんな…、その頃からもう、えー…、うどん屋、お好み焼き屋、すき焼き、てんぷら、寿司、何でもあったけど、ソーメン置いてる店はどこにもなくって、「お、これはいけるなあ」思って。で、まあ、その、自分のやりたいのはワイキキ・ビーチでソーメン流しをしたいんですよね。流したいんですよ。そんなんやれば、別に外国人に受けなくても、当時、日本人がめちゃめちゃ行ってたから、その、何て言うの、そのツアー客と…、あるじゃないですか、「昼ごはんここで食べて」みたいなんなった時に、そこにうまいこと入れば。そりゃ年寄りがようさん行ってんのに、あんな暑いとこでハンバーガー食うよりはソーメンの方がええやろ、みたいなんで、「これは億万長者になるな」と思って帰ってきたんです、まずは。

権藤 (笑)

廉田 そこまでは間違いないです。
 帰って来たんやけど、「いや、待てよ」と。「英語も喋れなあかんし、お金もかかるし、商売のことももうちょっと勉強せなあかんな」って思ったら、「今の自分にはまだ無理やな」って思ったんやね。で、それはちょっと心の奥にしまっときながら、ちょっと大学でも行って、経営とか、そういう商売のこと勉強して…、ちょっと目的ができたんですけどね。それで勉強して、でその時間…、その間に色々考えて、英語も勉強して…、色々あるじゃないですか、「じゃ時間いるなあ」と思って。で、大学行こうと思って。
 まあその前にね、ハワイに行くのにも、あの、母親にはね、「俺もう大学やめるわ」言ったんですよ。「向いてないし。その代わりソーメン屋やろう思って調査に行くから、その金出してくれ」って。「大学に行かそう思っとった金、用意しとるやろう」みたいなことを言って、それで行ってんのに、また帰ってきて「俺大学行くわ」いう話になるんやけども。まあそんなんでねぇ、まあちょっと頑張ったんよね、その時は、ちょっと受験勉強みたいなことを。ちょちょっと頑張ってやってみて。で、関西学院大学っていう大学の商学部に入ったんですけれども。だから俺はもう、こんな業界じゃなくて、ソーメン屋やったんですよ、そもそもは。大学行った目的も。

権藤 ほー…。

廉田 まあ、その辺りぐらいからかな。えーっと、あの、まあ一人で外国行くみたいな、一人でどっか行く面白さを知ったのは初めてですよ、それが。それまでは母親と一緒やったし。で、「結構おもろいから、これ、せっかく大学生になったんやから、大学行ってる間は俺、旅人になろう」と思って。「ちょっと色んなところ旅したろ」っていうふうに、まあ思ったことがありました。で、そんなんが根っこにあるんで、最初は日本をね、車で行けるあちこち行ってたんですよ、車運転しますし。えー、ただまあ旅はね、ちょっとひねりがないとおもろくないんですよ。あの、九州一周したりとかもしましたよ。貧乏旅行ですよ、お金ないから。九州一周したし、北海道も一周してるけど。お金があらへんから、とにかく。北海道の時にはね、あの、わらびもちっていうもちがあるんですよ、あの、きなこをかけて食べる。で、「わらびもち屋になって行こうかな」と思って。

権藤 あの、バケツで作ってた写真ありましたよね、あの、本のところに。

廉田 ああ、あるかも分からんね。

権藤 もう衝撃的でした、私には。バケツで作ってる(笑)。[00:16:30]

廉田 そうそう、あれはあれでプロ並みなんですけどもね(笑)。あんなことを、あれでお金を稼ぎながら行くっていうね、それってひとひねりあるじゃないですか、ふつうの旅じゃなくって、商売をしながら。そういうふうに旅はちょっとこう、何かこう、ひねることで、かなり面白くなっていって。
 でまあ、そのうちそれがまあどんどん…、えー、ヨーロッパ一人旅で、野宿しながらずっと旅するとか、アメリカをヒッチハイクだけで横断するとかっていうのを、まあ。こう、冒険みたいなことになっていくんですよ、自分の中で。まあそれぐらい、あの…、まあそれ、旅の話をし出したらキリがないから置いときますけども。結局ね、自分の人生色々変えていったきっかけは旅やったんですよ。まあ俺、旅のこと「修行」って言ってましてね。あの、何か旅で解決するんですよ。例えば…、せやなあ、「彼女欲しいな」みたいな、「何で俺彼女できへんのかな」みたいな。何て言うのかな、大学時代よう合コンしとったんですけどね。なかなかうまくいかへんかって。めっちゃ面白い人で、俺、盛り上げるんめちゃめちゃ上手やったんですよ。もう、あの、あちこちから、「来てくれや」って言われる。そう(笑)。合コンあるたびに、「廉田頼む。ちょっと来てくれや」って言われるぐらいやったんですよ、そう。こんな、わざわざ障害者呼ぶってめずらしないですか?

権藤 (笑)そうですね。[00:17:59]

廉田 びっくりするやん、相手の子も、車いすの子が来たら。そんな、世の中にそんなに障害者見ない時期やのに。そんな、大学入った時も新聞に載るレベルですよ、俺らの時代は。「車いすで入学」とか。
 で、そんなん引く手あまたやったんですよ。俺ともう一人、高校時代の同級生のひろしっていう奴と「二人揃ったら最強」って言われてて、よう呼ばれたんです、あちこちの合コンに。でも、まあそのうち気づくじゃないですか。うまいこといってるのは他のやつらで、俺ら二人は盛り上げだけ、みたいな。「ええ人」みたいな。「何かおかしいぞ」いう話になっていって。
 で、二人で考えるんですよ、「何があかん?」っていう話になって。ほんなら、あの、「俺らが悪いんじゃない」と。「そもそも女がしょうもない」っていう話になっていく。勝手にね、結論的には。「俺らが望んでるような女は、合コンに来るような軽いやつらちゃうねんから」っていう話になって。「俺らはもうちょっと奥ゆかしい、大和撫子タイプが好きなんや」みたいなことになっていったんです。で最終的に、「もう今の日本にはおらん」っていう話になった。

権藤 (笑)

廉田 大袈裟な話になって。で、「どこにおんねん?」ってなった時に、「韓国ちゃう?」っていうことになって。根拠ないですよ(笑)。

権藤 ぜんぜん、根拠ないんですか?[00:19:27]

廉田 根拠ない、根拠はないけど、「韓国ぐらいちゃうかな」ってなって。で、「韓国行くか」みたいな。その時はもう韓国1ヶ月また行くんですけども、それでひろしと二人で(笑)。で、「韓国合コンの旅」と呼んでるんですけれども。えー、何だろう…、1ヶ月行ってね。とにかくその「彼女ができない」とかっていうのも、「欲しい」とかっていうのもなかなか…、その、克服するために旅をうまく使ってるんですよ。韓国行って合コンしに行って、とかね。
 そういうふうに自分の苦手な部分とか、コンプレックスのこととかを…、ヨーロッパをずっと一人旅したのも、「自分の行動範囲が狭いな」と思って、障害のない人と比べたら。結局その、日本をウロウロしたりとか、韓国とかも行ってるけど、言うたところで車で行ってるんですよ。自分運転できるし。「これ、車なかったらどうするんやろう?」と、「もうどこも行かれへんのかな」とか思ったら、何かもう、「行動範囲せまー!」みたいに思って。ま、そんなあたりからですかね、あの、「ちょっとどっか行きたいな」みたいな。
 そういうふうにたぶん自分をこう、大きくするというか、視野を広げるとかっていうのに俺はいつも旅を、通してやってきたので、っていうのがもともとあるんですよ。で、外国好きっていうのが合ってるのかどうか分からないですけれども。で、ま、そうこうしているうちに、そんな、何でこんな業界に来たかですけども、そもそも。「ソーメンどうなったねん?」てのがあるんですけども。

権藤 ある(笑)。「あれ?」って思いながら。

廉田 そうなんです。旅、色々してる内にね、やっぱりその、「金じゃないな」ってなってくるんよね。
 俺、お金持ちになりたかったんですよ。これも話また飛びますけれども、俺が怪我してすぐに、うちのおばあちゃんっていうのが、あの、まあ母親がずっと世話するんですけども、おばあちゃんも気になって来るわけですよ、毎日毎日お見舞いみたいな、「何か世話せなあかん!」と思って。来るんやけど、まあ来るたびにおんなじことばっか言うん、年寄りはね。「何であんなとこ上がったんや?」「何であんな子と上がったんや?」って1ヶ月くらいそれずっと言うて、「うっとうしいな」思とったけども、まあまあ来てくれてるんやし。で、1ヶ月ぐらい経ったら今度、あの、「あんた、こんな体になってもうたら、もう結婚できへんで」って言い始めたんですよ。まだ中学生やのにね。
 で、毎日言うんですよ、おんなじこと。「ああ、もうこんな体になってもうたら結婚もできへんー」いうて、何か悲しそうに言ってるんですよ。まあ、おばあの言うことやし、相手にしてなかったんですけども、1ヶ月ぐらいずっと言われ続けて。あれ、言われ続けたら何となく洗脳されるのかな? 分かれへんけど。

権藤 そう思えて来たということですか。[00:22:21]

廉田 そう、いや、分からないけど、その時は。それで、そのあと、1ヶ月経って、また新しいこと言い始めたんです。えー、「結婚する方法見つけた」って言い出したんです、おばあちゃんが。気になるでしょ? 毎日「できへん。こんな体になったらもう彼女もできへんし、結婚もできへんでー」ってずっと言い続けとったおばあちゃんが。「え、何?」って、「方法って何?」って聞いたら、「金や」って言ったんですよ(笑)。
 「金さえあったら何とかなる」。で、そっからは1ヶ月ぐらいまた「金や、金や」って言い続けてたんやと思うんやけど、ま、そんなんがどっかに残ってるんちゃうかな、俺。よう分からへんけど。だって「何でそんなソーメン屋になりたいんか?」言われたら…、あの頃、お金持ちになりたかったんですよ、ほんまに。「お金がいるなあ」みたいなことにもなってたし。よう分からんけどね。だからハワイはそれが成功する一つやったんでしょうね。  ただまあ旅してるうちに、「そうでもないぞ」ってなっていったから。「金じゃないなあ」と。うん。まあそこには長い期間がありますけれども、まあ「金ではないな」というふうに変わっていきましたかね。もっと大事なものがあったりとか、まあ「生きてくためのお金は必要やけど、金持ちにならんでもええかな」とか。それは、貧しい国行ったりとかして、貧しい国の中にも楽しみはあるじゃないですか。楽しそうにしてる人たちはいるわけですから。「これはちょっと違うなあ」とか。で、「そもそも俺は何がやりたいんやろ?」ってこう、ジレンマになっていきますけれども。
 でまあ、その旅をちょっとひとひねりせなあかんていうところの中で、旅の仲間みたいなのができたりしていって。ある時、何を思ったか…、何を思ったかでもないんですよね。えー、ちょっと話長くなって参りますけど…、海外協力の前に長くなりますけど、いいですか?

権藤 ぜんぜん、いいです。[00:24:21]

→◇廉田 俊二 i2018 インタビュー・2 2018/08/10 聞き手:権藤 真由美 於:兵庫・西宮・メインストリーム協会


UP:20180911 REV:20210124, 1031
廉田 俊二  ◇障害者と/の国際協力・社会開発  ◇生を辿り途を探す――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究 
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