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横山晃久氏インタビュー
横山 晃久
2018/07/08 聞き手:
小井戸 恵子
自立生活センターHANDS世田谷
事務所(東京)から横山氏の電話
病者障害者運動史研究
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last update: 20200308
■2018/07/08 HANDS世田谷事務所から横山氏の電話
小井戸:このあいだはありがとうございます、いろいろと。今日は?
横山:新田はアニキなんだよね俺にとって。周りがみんなアニキアニキって言っていたわけよ。だから俺も必然的にアニキって呼ぶようになってね。新田勲個人、個人では僕を許してくれるんですよ。だけど要求者組合の団体なっちゃうと目の上のたんこぶなわけよ僕の存在は。アニキ個人的には僕をすごい見守ってくれるわけよ。ところが団体なっちゃうと。いっぽ間違えれば府中に入ってたのよね。
小井戸:いっぽまちがえればって?
横山:僕はね、そのとき中学一年生だったわけ。僕の親がね中学は卒業させたいということで府中に入んなかったわけ。
小井戸:通学。
横山:はいはい。でもいま思うとね、やっぱり府中に入りたかったなって思うよ。
小井戸:なんで?
横山:もっと箔がつくから俺に。運動的にね。
小井戸:箔ね〜...。
横山:たぶんね府中療育闘争の最後のが三井絹子なんだよね。
小井戸:この間の講演会のとき、会場の人からは、もっと府中療育闘争の事が聞きたいって質問出てたよね。
横山:僕が府中に行ってれば新田の後継者になったでしょうね。なんで僕が後継者ならなかったかっていう理由をね。
小井戸:考えたの?
横山:いまからね10...いやいや21年前まえかな。に騙されて...。
小井戸:あー、はい。
横山:東京都がその頃ね、重度訪問介護さ、ようするに府中療育センター闘争の中で東京都は僕らに謝罪したわけよ。施設の収容方式は間違ってたと。
小井戸:そのときは横山さんいないんですよね。
横山:うん(笑)。僕はぜんぶ、新田から話を聞いてたのね。1か月の8時間分を、8日に勝ち取ったわけよ。府中療育センター闘争の中でね。だから余計に僕はその中に入りたかったわけよ。
小井戸:府中の事で横山さんが話してくれることは新田さんが話したこと?
横山:そうだよ。
小井戸:介護人派遣制度とかは?年に2回ずつ増やしたっていうのは、新田さんとかといっしょですか?
横山:そうだよ。そんときから僕がデビューしたわけ(笑)。でね、新田とはねいろんな話をしてきたわけね。
小井戸:たとえばどんな?
横山:たとえばさ、介助保障には2つの保障があると。人的保障か金銭的保障か。組合は金銭保障を選んだわけよ。なぜかっていうとさ、自分で介助者探せたわけだよそのころのメンバーはね。だからそれで新田もね、自分で介助者集められるから金銭保障を選んだわけよ。人的保障って云うのは公務員ヘルパーのことね。で、なかなか人的保障は勝ち取るのは難しいだろうと。
小井戸:要求者組合で?
横山:はい。で、アニキといろいろ話をして、やっぱり僕らは自分で介助者集められるから金銭保障を先にやろうと。で、金銭保障が365日24時間になったあかつきには人的保障も要求して行こうと。いうことが僕と新田との約束だったわけよ。
小井戸:人的保障はどうなったんだろう?
横山:昔ね、公務員ヘルパーがいたわけだよね。公務員ヘルパーが週2回、1回に2時間ということで世田谷も公務員ヘルパーが16人いたわけよ。でもその...僕たち組合が人的保障じゃなくて金銭的保障にしたから、厚労省側もね人的保障よりか金銭保障になったわけだね。これはね裏があってね、やっぱりね、一人ね、公務員ヘルパー雇うとね、バカデカイ数字になるわけだよね、時給は安いんだけど。その当時の身分保障とかさ。
小井戸:入れると?
横山:うん。だから厚労省もそこの辺のところを組合と話をして、どっちが安く済むのかと。いうことで金銭保障になったわけよ厚労省もね。だからぜんぶアニキの策略だったわけね。アニキはぜんぶ策略があって、ほとんど80%勝ち取ったんだよねアニキはね。だからものすごい当時は画期的だったんだよ。アニキの事をね、悪く言うやつもいたことはいたんだよね。やっぱり金銭保障だけじゃなくて公務員ヘルパーも要求すべきだったんじゃないのかと。でもアニキはアニキの立場で、2つの要求は出来ないと。そこで僕はアニキと結託したわけよ。アニキの言うことをその通りだなと思ったから。
小井戸:なるほど。
横山:全障連の中でも介助闘争にはなんなかったわけよ。
小井戸:あ、あ、「当時は軽度」っていう言葉を横山さんが使ってた。
横山:昔は、俺は重度障害者だったけど、いまは軽度障害者だと思う。全障連っていうのは??(聞き取れない)会っていうのがあったわけ。
小井戸:え?なに会?
横山:分科会。生活分科会とかね、労働分科会とかさ、交通分科会とかあったわけよ。生活分科会って云うのは生活保護の事とか介助の事とか。その生活分科会って云うのは一番人気あったわけよ。人数がいちばん多かったわけね。でも生活分科会にはさ、新田も来なかったし三井も来なかったし、福島の白石さんも来ないわけよ。
小井戸:ん?どういう意味?
横山:だから要するにはっきり言って、もともとは青い芝だったわけよみんな。
小井戸:横山さんも。
横山:その頃はね。青い芝に嫌気がさしたわけ、みんな一斉に。嫌気がさして新田は要求者組合つくって、白石さんは白石さんで地元返って自分たちの会を作ったわけね。
小井戸:嫌気がさした?
横山:要はあまりにもさ、軽度障害者を優先に考えてたからさ。だって横塚さん歩けてたでしょ。介助の問題は??(聞き取れない)ないわけよ。自分が介助が必要じゃないからね。だからたぶんそういうところで嫌気がさしたと思うよ。みんな。
小井戸:軽度障害者が中心。横山さんがそうに考える原因、要因てなんだろう?
横山:あれよ〜、ほんとはね高橋修も福島の白石さんも新田も介助問題をやりたかったわけよ。生活をするうえでは介助が無いとだめだと。みんなそこではまとまってたわけよ。で、青い芝ん中でそれをやって行こうかと思ったら、まだ重度障害者がそのころ主流じゃなかったんだよね。東京青い芝だけのこと言うと、東京青い芝の主流はですね、久留米療護園とかね日野療護園とかさ、施設を中心だったわけ。そう、生活保護とか。あとは、選挙で票を握っていたわけよ団体票を。
小井戸:選挙?
横山:僕なんかはさ新田と、新田のグループと世田谷のグループと国立のグループが東京青い芝を乗っ取っちゃおうかということでさ選挙やったわけよ。ところが現執行部がね「この選挙は無効だ」と。
小井戸:執行部?
横山:寺田さんとかさ秋山さんとかさケア付き住宅をやってた。寺田さんも歩けたよね、秋山さんも歩けてたしさ、いわば青い芝の横塚さんみたいなかんじだよね。だから車椅子の人なんかほぼ居なかったんだね当時はね。
小井戸:新田さんとは考え方とか合ってたんですね。
横山:そうだよ。要するに僕の中ではボス交のアニキなんだよ。交渉って云うけれどもその裏側でボス交をやってるわけよ。で、ボス交で決まっちゃうわけよ。そういうやり方が賛否両論あったわけだよね、もちろん。
小井戸:どんなふうに?
横山:ようするにガチガチの勝負をするのか。それが真の運動体だと思っている人もいるわけだよ。アニキと僕は、そこはよく話をしてさ。「でも全面的にガチガチでやれば勝ち取れるところも勝ち取れなくなるでしょ」と。
小井戸:それは新田さんの考え?
横山:そうだよ。だから長引かせる交渉じゃなくて勝ち取る所は勝ち取ろうよ、というのが新田方式ね。それに僕は共鳴したわけね。だからその軽度障害者とかさ、いわば学生運動くずれとかいうのは自分で要求は出すけれども自分で成果は見られないんだよね。自分たちの問題じゃないから。僕らは自分たちの問題でしようよ、ということで。交渉は長引かせたって、けっきょく消耗するだけだから勝ち取る所は勝ち取ろうよ、早くと。
小井戸:人的保障については誰かと動いたんですか?
横山:僕の中で言えばね、青い芝は軽度だったんだね。組合も今から思えば軽度なわけよ。自分で介助者探せられるからね(笑)。それで重度の人は自分で探せらんないでしょ介助者を。だから重度の人の立場を考えれば、2つ要求すべきだったんだよね。金銭と人的と。そういう流れがあるわけよね。時代背景もあるし。だからさ、青い芝はさ他人介助っていうことがあんまり無かったんだよね俺から言わせればね。介助者でも家族介助なんだよね。で、他人介助って言い出したのが新田なんだよね。新田であり、福島の白石さんでありさ。
小井戸:介助保障協議会のことは?
横山:ようするにアニキたちは自分たちの要求なんだよね。それを全国に普及するっていう考えは無かったわけ。だから組合の会員てあんまりいないんだよ全国にはね。それを僕は、せっかく良いやり方なんだから全国に普及すべきだと。っていうことでアニキと話をしたわけ。そしたら、アニキは広げたくないと(笑)。自分の成果だから。自分の成果が奪われちゃうんじゃないかと。
小井戸:でも成果が広がると思うけどね。
横山:僕にはそうに思えたんだけどさ。だからアニキはね、要は自分たちが作ってきたんだから金は自分たちで動かすべきだと。全国に広げちゃうと自分たちの取り分が少なくなっちゃう。
小井戸:予算は決まってる。
横山:うん。いうケチな考えだったんだね。ガハハハ(爆笑)。
小井戸:それで高橋修さんと介助保障協議会つくるの?
横山:そうだよ。
小井戸:なんで重度の...自分から介助者を探せられない人のためにって考えたの?
横山:だからさ、せっかく良い事やってるんだから、もっと広めたほうが良いだろうということで僕と修がくっついたわけよ。
小井戸:そのとき修さんは何て言ってたんですか?
横山:修ちゃんは、「このまま組合に入ってても運動は広がんない」ということで。修ちゃんは学校も出てないわけよ。
小井戸:就学猶予。
横山:そう。で修ちゃんは猛烈に勉強してさ、最初は事業家を目指してたわけよ。たとえばベッド、福祉ベッドの販売とかさ福祉用具の販売とかさ、俺も買わされたもん(爆笑)。事業をやってたから中西と合ったんだよ。それであるときさ、JILの代表になった時かな。
小井戸:中西さんが?
横山:いや修が。僕に修がポロッと言ったわけ。「このままだったたら日本の障害者運動終わっちゃうよな〜」って。僕は「そうだよぉ」って言ったわけ。それで三澤さんと。当時の高橋修が言うには、「三澤さんは運動の原則だ」と。「あの人は原則論を大事にしてるから、だから僕はこれから三澤さんと組んでやろうと思ってる」と。
小井戸:高橋修さんから聞いた運動の原則論てなんですか?
横山:要するに高橋修ちゃんは、「運動はやっぱり自分たちの要求があって、運動は1人から始めろ」と。それを、どう仲間を増やしてって、どうみんなの納得できる運動にするかだと。
小井戸:みんなが納得できるっていう、みんなって?障害者が?じゃなくて社会?
横山:社会、社会が。だからそれには、まずは重度障害者が地域でのびのびと生きられる、そういう制度づくりをして行こうということで。そこで、要求者組合がやってたことはものすごい素晴らしい事だから要求者組合を敵に回すんじゃなくて要求者組合の考えを全国に広めて行こうと。いうことで介助保障協議会をつくったんだよ。
小井戸:いろいろなのをつくったり、離れたりありますね。いまは一歩の会やってるし。
横山:▼僕はさ、CPだけで若い頃はかたまっちゃダメだと思ってたわけ。もっとグローバルな視点で全部の障害者の問題をやりきったほうが良いかなーと思ったわけ若い頃はね。
小井戸:だから全障連の考え方が横山さんに合ってたって。
横山:そう、合ってたんだよ。だけど自分が歳とってきてから、やっぱり自分がCPだからCPにこだわった、固執しようということで「一歩の会」をつくったんだよね。
小井戸:横田さんでしたか、CPの人が運動して来たけれども途中で「障害者」っていう言葉になって脳性麻痺っていうことの自覚がどこかに行っちゃったって言ってる所がある。そういう事って横山さんも思う?
横山:近いよ。
小井戸:それで一歩の会を作った。
横山:そうだよ。
小井戸:でもさ、青い芝が無いわけじゃない、じゃない(笑)。
横山:えへへへ(笑)。はいはい。
小井戸:全都在障会も、要求者組合もあるでしょ。いろんなものがあるのに、なんで一歩の会を作るんだろうって。
横山:アハハハ(大爆笑)。僕はねこよなくCPが好きだからね。精神も付いてくるしねー、知的も付いてくるしねー、なぜかあの人たちは僕に付いてくるんですよ。▲
小井戸:一歩の会の話もまた。
横山:はいはい。
*作成:
小井戸 恵子
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小川 浩史
UP: 20200307 REV: 20200308
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横山 晃久
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脳性麻痺/脳性マヒ/脳性まひ(Cerebral Palsy)
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自立生活センターHANDS世田谷
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小井戸 恵子
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病者障害者運動史研究
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