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井上武史さん達インタビュー

20180518 於:キャンパスプラザ京都
20180613掲載(立岩 真也

2018/06/11 【5中B】20180518 井上氏 117分


古込和宏20180131-5    JCIL20180418-1 

 ◇左:2018/01/30 古込氏に聞く,於:金沢市 ※一番左が井上さん
 ◇右:2018/04/18 コスタリカの人たちがJCIL来訪,於:JCIL ※一番右が井上さん

井上 武史

1963年1月20日兵庫県西宮生まれ
1986年同志社大学哲学及倫理学卒業
卒業後1992年頃までラテンアメリカをバックパック担いでぶらぶらしていました。
1998年メインストリーム協会で介助のアルバイト始める
2001年日韓トライ参加するCIL東大和の海老原さんらといっしょに釜山からソウルまで一ヶ月かけて歩きました。
2004年メインストリーム協会に介助の職員として就職
2008年メインストリーム協会ごJICA地域別研修「障害者自立生活」の研修を受託ラテンアメリカの障害者の研修が始まり中心的に関わるようになる。
2012年JICA草の根技術協力事業「コスタリカ自立生活推進プロジェクト」開始プロジェクトマネージャーとしてコスタリカの自立生活センターで働くようになる。
2017年JICA草の根技術協力事業第2フェーズ開始現在に至る。」

メインストリーム協会

◆コスタリカ「障害者の自立の促進のための法律」
 https://medium.com/morpho-libre/%E7%AC%AC1%E7%AB%A0-b1f8896c9919


 [数十秒録音遅れて始まる]
○鍛治 あのイベントと記事きっかけで、メインストリームの方で、活動しやすくなった。

○立岩 確かにあの毎日新聞の記事〔のサイズ〕、妙に大きかったですよね。
 * 2017/02/18 「ともに地域で生きること、学校で学ぶこと――相模原事件と命の重み」
 第15回インクルーシブ教育を考えるシンポジウム,於:豊中市立大池小学校
 2017/03/12 豊中市での講演の記録,『毎日新聞』2017/03/12
 その集会案内より。
 「鍛治克哉(かじ・かつや)さん 自立生活センター メインストリーム協会(兵庫県西宮市)スタッフ 1984年生まれ。700グラムの未熟児で生まれ、生後7カ月で脳性まひと診断される。肢体不自由施設「豊中市立しいのみ学園」入園、豊中市立東豊中小(2年生より手動車いすに)、同市立第十五中学校、大阪府桜塚高等学校定時制へと進学し(高校進学と同時に電動車いす)、2003年11月よりCIL豊中で活動した後、10年4月末に退社し同年6月より西宮で自立生活を始める。障害者相談支援や海外支援(モンゴル、ネパール、ボリビアなど)に携わる。」

○鍛治 あれはね、あの時やっぱ〔インクルーシブ教育を考えるシンポジウムの〕15周年っていうのもあったし、立岩先生っていうのもあったので、あの、

○立岩 (笑)

○鍛治 いやほんと、ほんと、ほんと。

○立岩 毎日新聞の記者の方が熱心ですよね。

○鍛治 そう、ですねえ。

○立岩 はい、あの、何かに使うときは了解を得て、使いますので、それは心配なさらないで。

○井上 いえ全然心配してません。これ、データとかいただけます?

○立岩 あ、〔音声データは〕でかくはなるので、宅ふぁいる便とかそういうので。えっと、井上さん何年生まれ?

○井上 63年です。

○立岩 ですよね。僕は60年なんで、

○井上 廉田〔俊二〕さんと一緒ですね。うち〔メインストリーム協会〕の代表と。

○立岩 廉田さん60年ですか?

○井上 はい。

○立岩 ああ尾上〔浩二〕さんが60年とか、あの辺が一緒なんですよね。

○井上 え、そうなんだ。

○立岩 尾上さん、60年生まれなんですよ。

○鍛治 同い年ですね、尾上さんと廉田さん。

○井上 そうなんだ。もうちょっと上かと思ってた。

○立岩 いつも背広着てるし。関係ないか。

○鍛治&井上 (笑)

○井上 いや微妙に関係あると思う。それは。

○鍛治 尾上さんが、もうすぐ関西にね、戻ってきはる。

○立岩 あ、戻ってきはるっていう。こないだ、ビギンっていう…、情報提供サービスみたいなのあったですよ、80年代に。それの資料が、DPIにあって置き場がないっていうので、うちで引き取ってくんないか、っていう話来て、つい3日、4日前にダンボール26個。あの、書籍じゃなくて、政府系の文書とかそういう、みんな封筒に入っているものがザーッときました。それをこれから整理しますけど。で、えっと、63年。

○井上 はい。

○立岩 ちょっとあの、録音のこともあるんで、お名前と、

○鍛治 僕、鍛治克哉と言います。34歳です。(笑)

○立岩 34歳。何年生まれですか?

○鍛治 昭和59年です。

○立岩 はい。ついでに、ついでにって言っちゃ、あれですけど。

○前本 介助者の前本です。

○井上 もう結構、でも、6、7年なるよね。

○前本 6年目ぐらいです。

○井上 6年目ぐらいか。

○鍛治 若いよね。

○前本 一応、25です。

○立岩 え? あ、めっちゃ若いな。

○井上 リハビリ学校崩れなんです。

○前本 そうです。

○鍛治 崩れって(笑)。

○立岩 出たことは出たんですか?

○前本 いや、出てないです。

○立岩 出てない。リハビリ学校中退っていう。

○前本 中退です。

[00:02:48]
○立岩 そういう。(笑)あ、井上さんは一応あれだよね、卒業したんだよね。

○井上 してます。はい。

○立岩 不思議なとこですよね。▼同志社の…、哲学?

○井上 哲学及び倫理学専攻。今たぶん哲学科になってると思う。

○立岩 哲学を、何かやりたかったんですか?

○井上 予備校…、カリスマ教師がいて。駿台予備校というとこに行ってたんですけれども。

○立岩 どこの駿台?

○井上 大阪、江坂。緑地公園か。

○鍛治 あ、そこ、俺の(?)の近くや。

○立岩 予備校に行ってた時期があって、

○井上 表三郎先生っていう学生運動系の先生がいて、

○立岩 はいはい。あ、表さん。表さんは駿台か。

○井上 はい。

○立岩 山本義隆とか、

○井上 はいはいはい。

○立岩 あの流れ、ああいう人たちですよね。

○井上 そうです。

○立岩 あの辺の世代って、駿台に流れた人たちと、河合に行った人たちと、

○井上 あ、そうですね。

○立岩 両方いて、僕は河合で働いたんですけど(笑)。

○井上 (笑)

○立岩 へぇ、じゃ何、高校出てから?

○井上 そうですね。

○立岩 出て、1年とか、

○井上 一浪して。

○立岩 一浪して。わぉ。表さんの何がよかったんですか?

○井上 それまでは普通に文学部に行きたいなと思ってたんですけれども。行ったら、マルクスの話、フッサールの話、を50…、60分のうち50分やって、あと10分英語の授業っていうのを延々1年(笑)、受けて。まあまあ感化されたんですかね。まあ倍率が微妙に低かったので、入りやすいかなと。

○立岩 同志社って、最初に入るときから学科が決まってるんですか?

○井上 そうですね。そん時は。

○立岩 じゃあもうそれで行って。そうかそうか。予備校もそういうことがよかったんだろうね。

○井上 たぶん(笑)。僕の場合はよかったと思いますけど。

○立岩 名古屋の牧野〔剛〕さんって…、河合塾の名古屋にいた牧野さんっていう、やっぱりこういう感じの、頭が…、
 *1945年9月24日 - 2016年5月20日 https://ja.wikipedia.org/wiki/牧野剛

○井上 牧野さんってもう、お亡くなりになられましたね。

○立岩 亡くなられたかな。

○井上 はい、確か。

○立岩 オリンピック反対運動とかさ、やったり。ビールを学生につがせながら授業をやってたらしいよ(笑)。えっと、という人たちがいた時期ではあるよね。

○井上 そうですね。▲

[00:04:59]
○立岩 はいはい。で、何。その、▼学生は、普通に学生してたんですか?

○井上 えっとね、椹木野衣ってわかりますかね。美術評論の、多摩美の教授なんですけど。
 *https://ja.wikipedia.org/wiki/椹木野衣

○立岩 はい。あの名前ぐらいしか知りませんけど、名前はわかります。

○井上 と、あと、そういう文学少年(笑)と言ったらいいのん、が同級生だって、5、6人のグループで、常につるんでたんですよ。奇人変人グループと呼ばれつつ。

○立岩 でも何か楽しそうな学生生活? でもない? 楽しそうな感じがするけど、それ聞くと。

○井上 楽しくはなかったけども…、あの、楽しいって感じじゃなかったけども(笑)。あの、楽しかったんですかね、やっぱりそういう人たちといるのは。若者特有の辛さみたいなのは、ありましたけども。▲

○立岩 大阪の…、で、大阪出身なんですか?

○井上 えぇ、兵庫県西宮市です。今も実家からほど近いとこに住んでるんです。

○立岩 じゃもう、そうか、〔メインストリーム協会の〕本拠地というか、

○井上 そうですね。

○立岩 でもその頃は全然知らなかったでしょう。西宮に、そういう…、そういうもの〔メインストリーム協会〕があるとか。

○井上 知らなかったですね。

○立岩 ですよね。

○井上 ▼障害者と出会うのはかなり遅い。

○立岩 僕は79年に入ったら、養護学校義務化の年で。で、自治会がそれで荒れてて、みたいなので。のっけからそういう出来事があったんで、割とその、接触は早かった。同志社の、その頃っていうのは特にそういうのはなかった?

○井上 なかったですね。あの、かなり、かなり何もなかったんじゃないですか。そういう運動的なものは。

○立岩 あ、そうですか。

○井上 うん。同級生でも、あの、関わってる人は少なかったですね。その、あの、たぶんその代わりをやってたんだと思います。そのニューウェーブって言うんですけれども。あの、音楽のロンドンからパンクが入ってきいの、

○立岩 ああちょうどパンク…、そうだね。

○井上 パンク、ニューウェーブが入ってて、たぶんそういうことに関わりながら、何かオルタナティブなもの。

○立岩 政治的なやつは、特に身の周りにはないけれども、でも、でも、オルタナみたいな。

○井上 そうですね。ない…、し、逆にたぶん、ちょっとダサいかなって思われてた時期だと思います。世代的に。「新人類」って言われてる世代なので。

[00:07:40]
○立岩 そうですよね。僕らの時が、ちょうどもうその、そういうふうになりつつある、ギリギリ最後の…、でも、もう終わったかな、ぐらいな感じで。ただ僕らのところは、そういう、大学の中での自治会がまだ一応存在はしてたし。それとその全障研。共産党系と、まあ元々は全共闘系っていう、それこそ表さんとか、そういうのが加わった人たちがまだ喧嘩してて。それがまだ、あったので。特に文学部はそれが残ってたんですよ。ちょうどその辺、東大100年ってあたりで、何かしょうもないな、と思いながら、「反東大100年」とか言ってて。そういうのがあったりとかしてたんで、何か僕は4年間そういうものに、まみれてたっていうか。そうか、同志社の3年後だともう、そんな感じはなくて。でもカルチュラルに、感じる、

○井上 たぶん。
○立岩 そういう、何、でも、井上さんは何か、具体的に何か、音楽やったりとかさ、そういうのはあったんですか?

○井上 (笑)も、なかったですね、一応ね。でもそのグループ全体じゃなくて、ま、その椹木野衣というのは、自分であの、ベース習いに行ったりとかしてましたよ。(自分は)実践もしないって。かなりオタクな(笑)。

○立岩 聞き…、リスナーな感じなんですか?

○井上 リスナーでしたね。。

○立岩 あの頃同志社の学生って、京都…、何聞くん…、何、どっかでその、ライブとかに出入りするんですか?

○井上 あの、今でもある…、うーん、もちろん〔京都大学の〕西部講堂も行くし。西部講堂行って、あの、実験映画を一晩観るとか、そういうのは普通にやってました。

○立岩 メトロ、ってありました?

○井上 メトロもありましたね。

○立岩 それ学生の時から行ったりしました?

○井上 メトロ…

○立岩 もっと後?

○井上 うん。メトロは行ってないね。たぶん、割と、もっとあとになってからだと思う(?)。
 ※京都メトロは1990年誕生 https://www.metro.ne.jp/about-metro

○立岩 そうかもしれないですね。学生は4年で終わったんですか?

○井上 終わりました。▲

○立岩 ▼ほんで? 放浪の旅に出たんですか?

○井上 えっとね、あんまり何も考えずに卒業しちゃったんですよね。んで、「どうするの。」って親にとか言われて。

○立岩 82年に入って、86年とかに出た。

○井上 そう。

○立岩 そんな感じ。

○井上 ほんで、ほんで(笑)、あのー…、まあ大学院でも行こうかなと思ったんです。でも、ちゃんとはそんなにちゃんと勉強したわけではなくて(笑)。あの、落っこちて。どうしようかなって、

○立岩 受けたんは受けたんやね。

○井上 受けましたね、はい。受けるだけは。

○立岩 受けるだけは。

○井上 んで、もういっぺん、どうしようかなと思って。ほんで、「旅行でも行くか。」と思ったのが(笑)、

[00:10:45]
○立岩 就活はしたんですか? ちなみに。

○井上 し…なかったですね。ちゃんとはしなかったですね。

○立岩 ちゃんとはしなかった。

○井上 はい。あ、映画監督になりたかったんです、僕。

○立岩 ああ、ありが…(笑)、

○井上 うん、そうそうそうそう。ほんで、何かコネとか、あの…、で、こう、母親の、兄貴に西村昭五郎とかが、いるみたいな話で、「会いますか?」みたいな話になったけど、何か、「ま、それもいいや。」みたいになって。

○立岩 こないだ会った、今NHKの人〔川村雄次さん〕ってさ、京大かな。やっぱ映研か何かで、映画やってて、やっぱ映画撮りたいって、彼の場合は結局、放送局に入ったんだね。NHKに入ったんだよね。それは僕より上の人やったね。そんな人いた。映画監督ってバクッとしてるじゃないですか。飯食えそうにないし。でも、何かなりたい時期はあった?

○井上 ありましたね。

○立岩 何観てたんですか? 実験映画、西部講堂で観てたって言ったけど。寺山修二とか、そういう?

○井上 いや、普通にゴダールとかですね。あの時の80年代に入った。

○立岩 ありがちな、ゴダール。

○井上 はい。

○立岩 関西でゴダール観るって、どこで観るんですか?

○井上 関西でゴダール。いや、普通に観れてましたよ。

○立岩 観れた? 観れた? ふーん。普通の一般館?

○井上 …のやつもあったし。あの、その頃は、

○立岩 第七とか…

○井上 ゴダールも政治的なところを脱してて、『パッション』とか、その頃になるので。

○立岩 はい。私『パッション』〔1982公開〕の封切りっていうか、シネヴィヴァン六本木で観ましたね。はいはい。『パッション』か。

○井上 そんな、あの、でかい劇場じゃなくてもちょっと、アート系のやつで普通にやってたと思います。ちょうどファスビンダーとか、ああいう、ドイツのニュー・ジャーマン・シネマとか、

○立岩 ああ、ファスビンダーありましたね。

○井上 あと、ダニエル・シュミットですね。学生でいえば。

○立岩 あ、ダニエル・シュミット。2本〔『ヘカテ』と『ラ・パロマ』〕しか観てないけど、2本観たな。あれ、ハマりますよね。

○井上 (笑)ハマりますよね。ちなみにドゥルーズとか…、あ、学生…、2回生の時にドゥルーズの授業を受けてた人が帰ってきてたので、その、

○立岩 パリでドゥルーズのとこ、出てたってことですね。

○井上 そそ。その、ドゥルーズ(Deleuze, Gilles)のニーチェの本※の講読とかを、読みながらやってたんですね。ほんで、
 ※『ニーチェ』
 https://www.psychaanalyse.com/pdf/NIETZSCHE%20PAR%20GILLES%20DELEUZE%20-%20PUF%201965%20(54%20Pages%20-%205,7%20Mo).pdf
 http://leonocusto.blog66.fc2.com/blog-entry-2235.html?sp

○立岩 ああ。ドゥルーズのニーチェのやつ(『ニーチェと哲学』、1974=1982)、あれだけちょっと読んだかも。

○井上 はい。そのダニエル・シュミットは、あの、ドゥルーズがそういうちょっとした文章書いてたんで。

○立岩 ドゥルーズがダニエル・シュミットについて書いたのがあるんですか。『シネマ』(1983,1985)とかじゃなくて、何か短いやつ?

○井上 ああそうですね。紹介文みたいなん書いてる。

○立岩 へー。ダニエル・シュミット、はー…、

○井上 そういうのんと、こう、あの、込み込みで映画も観てましたね。

[00:13:39]
○立岩 その辺はかぶってますね。私は、あの、駒場に一時いたでしょう。蓮實重彦が全盛期みたいな感じで。まあそうですね。シネ・ヴィヴァン・六本木、あそこの会員でしたね。『パッション』も観たし、ダニエル・シュミットとかも。まあそういう話をすると〔2時間が〕終わるんで、

○井上 (笑)

○立岩 やめますが。ほんで何、大学院は一応受けたけど、一応落ちたと。

○井上 そうです。

○立岩 監督になろうかなと思ったけど、一応やめたと。▲

○井上 そうです。▼まだなろうと思ってます、実は(笑)。

○鍛治 え?!

○立岩 これからなるんですか?

○井上 はい。

○立岩 いいかもしれないですね。これからでもなれるんじゃないですか。何かその、試しに撮ってみたとか、そういうことないんですか?

○鍛治 俺、撮ってよ。

○立岩 8ミリ回したとかさ。

○井上 あの…、や、やってましたよ。その、椹木野衣とかと、ちらっと8ミリ回したりとか。前ちょっと話(はなし)したんですけども、今もいるスタッフの弟が2006年に死んだんですよ。

○立岩 今いるスタッフの弟…、スタッフって、

○井上 筋ジスの次男坊がね。ほんで、

○立岩 筋ジスの人の、え?

○井上 筋ジスの人がですね、僕ずーっと介助に入ってて、

○立岩 それいつの?

○井上 (?)、えっとね、

○立岩 それはその大学出たあとの話で、ずーっとあと、

○井上 それは、もう職業になって、

○立岩 職業になったあと。

○井上 そん時にあの、ちょっと頭おかしくなって、あの、不審死じゃないけども、何で死なないといけないと…、いけなかったのか、ちょっとわからなかったので。あの、はい…、その、死ぬまでの2週間ぐらいの介助者のインタビュー全部撮ったっていうね…、あの、やったことがあります。

○立岩 死んだら…、え、ちょっと待って。

○井上 (笑)かなり突発、そこから…

○立岩 筋ジスの人は、

○井上 2006年に死んだんです。

○立岩 その人が2006年に死んだ。その

○井上 死んだ後に、あの、入ってた介助者の、死ぬまでの、あの、証言を全部撮ったんです。

○立岩 おぉ。彼に入ってた、介助者の、

○井上 前田拓也とかも入ってるんですけどね。ちなみに。

○立岩 前田もいた。インタビューした。

○井上 あ、ちゃう。前田くんが入ったときに死んだ(笑)。

○鍛治 そうそうそう。

○井上 そうそうそう。あの人入ると死ぬんですよ(笑)。

○立岩 前田は死神みたいな。

○井上 そうそうそうそう(笑)。

○立岩 そうなんですか。へぇー。で、それが、何、映画と…、あそうか、そういうことをし…、

○井上 それは一つにまとめましたね。

○立岩 あ、それは、絵を撮ったわけじゃなくて、音を撮った。

○井上 いや、あの、ビデオを回して、

■アメリカ大陸 1987〜

○立岩 ビデオを回して。へぇ、そんなことやったことあるんや。ま、そういう映像には興味あったけど。で何、▼卒業して割とすぐその、海外放浪に出るんですか?

[00:16:19]
○井上 その、87年ですね、だから、7年の10月28日かな。

○立岩 に、最初どこ行ったんですか?

○井上 サンフランシスコ。

○立岩 あ、飛行機でサンフランシスコか。しばらくいたんですか?

○井上 いや、1週間ぐらいで、リノっていう町に移動して。

○立岩 ああ、リノって何かだよねぇ、何だろう。

○井上 カジノのある街です。

○立岩 ですよね。

○井上 であと、もうグレイハウンドに乗って、転々と。

○立岩 最終地は北米?

○井上 そうです。いや、結構中西部まで行ったのかな。セントルイスとかも。

○立岩 セントルイス。ま、アメリカ合衆国をグルグルっていうか、転々と。

○井上 もともとの計画は3ヶ月ぐらいで、西海岸入って、ちょっとメキシコ行って、あの、ニューヨークからアウトで、帰ろかな、っていうぐらいの。

○立岩 そんな感じやった。どうなったんですか?

○井上 だけど、あの、まあまあ、降りて、まあ街見て、夜移動して朝、街見て、その夜またグレイハウンドで移動みたいな。まあそんなにアトラクティブでもないし、街はだいたいあの、オートマティックに全ては済むんで、ちょっと面白くなくなってた時に、国境を超えたんです。その、エルパソっていう街で、えぇ、ユースホステルに泊まったら、ジムっていう若いイギリス人の男の子が同室で、「ちょっと俺、メキシコまで行ってくるけど、行く?」とか言われたんで。

○立岩 それ、イギリスのバックパッカーみたいな人?

○井上 「じゃ行こっかな。」と。「まあ、一人より心強いし。」みたいな感じで。▼で、行ったら、ボロボロで、全てが。

○立岩 メキシコの…、

○井上 87年で、えっと、今でこそ、まあ今でもまあ、あの、国境辺りはそんなに裕福な辺ではないけども。当時ペソが暴落してて、全てがタダみたいな値段やし(笑)。あの、「じゃ俺メキシコシティまで行くけど、お前も一緒に行く?」とか言われたから、「じゃ行くか。」って(笑)。

○立岩 ま、国境越えて、まんまで、メキシコシティまで行っちゃった。

○井上 たぶん、たぶんその、その時は一晩だけ、あの、遊びに行った感じで。翌日か、2、3日後か忘れましたけど、「もうちょっと、メキシコシティまで行くけど、行く?」とか言われて、「じゃ行くかな」。で、一緒にメキシコシティ。

○立岩 メキシコはかなり長いこといたんですか?

○井上 メキシコはひと月ぐらいはいたと思います。

○立岩 その、合衆国にいたのがどのぐらい?

○井上 えっとね、たぶんひと月半ぐらいだったんじゃないかな。

○立岩 ひと月半合衆国にいて、メキシコにひと月。で、帰って…、そん時は帰ったんですか?

[00:19:17]
○井上 いや、そのまま▼グアテマラに。

○立岩 グアテマラ行っちゃった。

○井上 で、それから▼コロンビア行って、

○立岩 コロンビア行って。

○井上 もう、ずーっと、▼チリも、

○立岩 ずっと。グアテマラ、コロンビア、チリまで行ったの?

○井上 えぇ、えっと、▼エクアドル、

○立岩 エクアドル。

○井上 ▼ペルー、▼チリで締め、その時は。

○立岩 ずっとこう、下がってって、どのぐらい、全部で。結局アメリカに入ってから、チリを出るんですか?

○井上 チリからペルーに戻って。もともとアウトのチケットがニューヨークだったの。

○立岩 あ、そうか。

○井上 ほんで、メキシコまで帰って、もう逆…、

○立岩 逆ルートで、

○井上 逆ルート行ってまたグレイハウンドに乗って、あのニューヨーク、

○立岩 ニューヨーク行って。合計、その時の北米、南米…、北米、中米、南米っていうのは、全部でどのくらい行ったんですか?

○井上 ▼8ヶ月半ぐらいかな。最終的には。

○立岩 そん時、▼スペイン語は?

○井上 えっとね。最初全然知らなくて、メキシコシティのホテルにいる時に、あの、ブラブラしている日本人がいて、NHKが出してるテキストを持ってたのでコピーさせてもらって、それを持って勉強しながら。で、まあ南米をブラブラしてる辺りでは、まあ、旅行するぐらいには困らないぐらいになってました。

○立岩 じゃ行ってから、そんな感じで。で、8ヶ月いて、そん時はすぐ戻って。

○井上 そうですね、一旦。

○立岩 以後、何、そういうこと、繰り返すようになるんですか?

○井上 そうですね。麻薬的な。楽しさを求めて(笑)。

○立岩 普通に楽しい? 楽しいような気もするんだけど。

○井上 えっとね、今でこそそういう感覚忘れましたけど、たぶん生きてる実感が、あったんですね。うん。

○立岩 へぇ。それは1個1個…、

女性(職員) (歩いて来て)このいすは余ってるんですか?

○井上 いや、一人車いすなので。

女性  いや、じゃなくて、これ。

○井上 ああ余ってます。

女性 じゃこちら来ていただいて、

前本氏 僕、仕事中なんで、

女性 あ、仕事中なん…

○立岩 彼の介助者なんで。

女性 ああ、あ、そうか。これこちらから持ってこられたんですかね?

前本氏 いや、ここにあったやつをこっちに移動してるだけで。

女性 あ、そうですか。

○井上 この人、車いすなので。

女性 わかりました。はい。

前本氏 すいません。

○立岩 で、その旅行記を全部聞いてると、たぶん〔2時間〕終わると思うんで、(笑)

○井上 (笑)

[00:21:46]
○立岩 で、結局、何、何年間そういうこう、そういう放浪生活を。

○井上 ▼90年にもう一度行って、そこでメキシコの大学でちょっとスペイン語勉強したのが、今のベースです。とりあえずは。

○立岩 それは2回目?▲

○井上 はい。

○立岩 それは、メキシコの何、大学の、その語学のコースみたいなのがあるってことですか?

○井上 そうですね。はい。

○立岩 そういう何か、短期間の。

○井上 まあ外国人用に。
 ※Universidad nacional autonoma de Mexico メキシコ自治大学 http://www.cepe.unam.mx/

○立岩 外国人向けのスペイン語のコースがあって、それを履修して。で、それはそれのために行ったの? メキシコへ。

○井上 いや、一応旅行みたいにして行って、その間ちょっとこう、大学にも行くっていう感じでしたね。

○立岩 で、スペイン語で、まあ本格的にできるようになって。で、87年と、90年、

○井上 もういっぺん、▼92年に行ったのかな。それはチリに、スペイン語勉強、もういっぺんしに行きました。

○立岩 じゃ、長い旅行っていうのは、▼3回。

○井上 3回ですね。

○立岩 でその、それが、南米、中米だったっていうのは、今から振り返って、何かあります?

○井上 基本…、あの、いや、そこは偶然でしかないんですけども…、人生振り返るとその国境超えた道をまだ歩いているような気にしてるんですけど、そういった気分で生きてるっていうのかな。
 ※ドゥルーズを通じてビートニクの作家ケルアックやウィリアム・バロウズに感化されていたことが大きい。ケルアックの『路上』にはケルアックが当時メキシコシティに住んでいたバロウズを訪ねるエピソードが出てくるが、90年にメキシコシティに滞在していたときにバロウズの伝記に出てくる住所を調べてそのアパートを見に行ったこともあった。

○立岩 何か、それ、ベタな話聞きますけれども、まだ中米とか南米の人って、割と肌に合うっていうか、

○井上 それはそうだと思います。

○立岩 好きな、好きな感じがあります?

○井上 あ、まあその…、ベタベタしますよね。その、生きてる実感みたいなのに(笑)、おそらく、あの、繋がったんだと思いますね。

○立岩 濃い感じなんですか?

○井上 今度の〔コスタリカの〕研修生とか、こないだも〔JCILに〕来てたけど、あの、距離近いですよね。

○立岩 ああ、距離は近い、うん。

○井上 あの、それは日本の人は違和感に感じるけども、逆にそういうのが心地よかったっていうのあります。

○立岩 井上さん的には、距離感近い方が心地よかった的な感じなんですか。

○井上 そうですね、はい。

○立岩 そん時は、特にその、南米の社会情勢…、何、構造が何ちゃらとか、そういうことでもない? 何かやっぱ、その、貧乏なとこは貧乏だったり、色々、景気が悪かったりって、さっき、メキシコその時そうだったとおっしゃったけど。

○井上 今、今、たぶん世界全体が、まあ特にあの、90…、ベルリンの壁以降、色々構造変わったんですけれども。まあまあ第3世界って言われていた時期で、そういうシンパシーもあったと思う、それは。軍事政権があって、それ民主化されてみたいなものを、こう、横目で見ながら。とか、まあもうチリとか、もうギリギリ終わったような感じですけども。

[00:24:42]
○立岩 ▼チリの、チリの軍事独裁が終わった頃?

○井上 えぇ、まだピノチェトいましたね。

○立岩 そっか、そっかそっか。

○井上 で、90年に変わったと思います…。

○立岩 87、90…、待てよ。87でしょう。90で、もう1回が92?

○井上 92年です。

○立岩 92年。で、都合3回、中米、南米行って、戻って来て。でその間って、▼日本にいる時は何してたの?

○井上 何してたんでしょうね(笑)。

○立岩 その、金はどうしてたの? 生活費。

○井上 実家にいて、パラサイトしてたので、

○立岩 そうか、金はあんま、かかんない。

○井上 で、あの、基本アルバイトですよね。

○立岩 アルバイトはしてた?

○井上 してましたね。その、旅行するために、

○立岩 各種? 各種アルバイト?

○井上 ▼引越し屋さんが多かったと思います。

○立岩 引越し屋さんか。

○井上 はい。学生の時から。

○立岩 学生の時も引っ越し屋さんやってた。

○井上 そうですね。で、卒業してからもそれ、フリーター。今でいう。フリーターという言葉、おそらくなかったと思うんですけど。

○立岩 そうですね、なかったですね。引越し屋のバイトしながら、目下実家に寄生して、あんま金もかからへんし、みたいなので。で、そうか、旅費を稼ぎ出すわけか。

○井上 そうです。

○立岩 旅費が貯まったら行く、みたいな。

○井上 そうですね。

○立岩 で、3回目戻ってきて。結局…、▼今の職場は、どういう、こう、きっかけで、何でそういうことになったんですか?

○井上 えっとね。93年でしょう。年を越えてて。それ完璧に、あの、リタイヤして帰ってきたんで、もう…、

○立岩 リタイヤ?

○井上 ▼精神状態おかしくなって。

○立岩 どっち、どっち側におかしくなったんですか?

○井上 どっち側?

○立岩 その、暗くなる人とかさ、色々いるじゃないですか。

○井上 ああ。やる気なくなったんですよね、とりあえず。

○立岩 やる気がない方向でおかしくなった。

○井上 はい。ほんで、無理して居るのが途中でわかって。

○立岩 無理して、

○井上 向こうに、

○立岩 向こうに居るって気がしてた。

○井上 そこそこあの、ちゃんとスペイン語はできるようになって帰ろうと思ってたんですけども、少なくとも自分が思ってたような状況じゃなくて、途中で辞めて帰るような感じで帰って。

○立岩 思ってた状況っていうのは、ちゃんとスペイン語ができるようになるっていうのが、

○井上 そうそう、そう(笑)。

○立岩 思ってた状況?

○井上 (笑)どの程度とか全然、今でもイメージもないんですけども。

○立岩 うん。でも、何? その、居られない感じ? っていうのが、もう、

○井上 チリにいたんですけども、

○立岩 チリ。

[00:27:29]
○井上 何かねぇ、あの、「ちょっともう無理。」と思って、とりあえずメキシコに行こうと思って、行ったけども、さらにあの、居れなかったので、ちょっともう、実家に電話して「帰るわ。」って言って。

○立岩 帰るわって、その居られない(?)さと、いたたまれない感じとか、色々あるじゃないですか。

○井上 何かねぇ、何ていうのかな、「とりあえずもう無理。」みたいな感じでしたね。うーん。

○立岩 何が無理やったんやろう。

○井上 何が無理だったんでしょうね。

○鍛治 ホームシックとかですか?

○井上 ホームシックじゃなかったなあ。うん。日本に帰りたいわけでもなかったから。とりあえずもう、無理、と思ったの。

○立岩 「ここに居るのは無理。」って感じとさあ、例えば「スペイン語ちゃんとっていうのは無理。」っていうのと、まあ、無理も色々あるじゃないですか。

○井上 それもあったと、思います。

○立岩 両方? 両方というか、「言葉が」っていうのもあった。

○井上 うん。

○立岩 その、何、その向こうの時は、安宿っていうか、何ていうの、そういうところに、

○井上 そうですね。メキシコは、あの…。チリは下宿してました、

○立岩 下宿。

○井上 大学(から紹介された下宿)に。
 ※サンティアゴのビクーニャ・マッケンナという大通り沿いにあるアパートの3階でカルメンという女性が一部屋貸してくれた。その後2003年に一度再訪し、2012年にボリビアで仕事をした後一人別れてサンティアゴまで会いに行った。カルメンは下宿していたアパートにはもう住んでいなく、サンティアゴ中を大捜索してようやく会うことができた。カルメンは癌の摘出をした後で姉と同じマンションに移っていた。カルメンは翌年亡くなりこの時が会うのは最後となった

○立岩 チリもそういう語学コースみたいな。

○井上 はい。
 ※それとチリ大学「ラテンアメリカの前衛詩人」みたいな講座も取っていた。

○立岩 やっぱりチリの、そういうところで。

○井上 そうですね、はい。

○立岩 そっか。それで、何か「ここもうおられんわ。」と思って、帰った…、帰ってきた。



○井上 はい。ほんで帰って。あの、別におかしげなこと言うわけでもないけども、あの、全然気分が晴れないので、精神科通うようになって。で、そのうち精神分析してるクリニックに通うようになったり、まあ、いくつかそれ、行ってる所の割と気が合うかな、という先生が異動になったりとか、まあ色々あって、こう。

○立岩 医者が言うところの診断名的には、どういう話なんですか?

○井上 躁うつって言われてたと思います。はい。うん。躁の薬も出てました。

○立岩 割と躁な時もあった?

○井上 ありましたね。でも、この世界入って色んな人見たら全然、あの、軽かったと思いますけど、今でも。

○立岩 ああまあそう、そうです…(笑)、まあそうですね。

○井上 (笑)

○立岩 振れの大きい人、多いですよね。じゃあまあそんなんで、その、通ったり、医者代わったり、色々あって。それはどれぐらい?

[00:30:12]
○井上 90…、で最終的にその、カウンセリングっていうか、あの自由連想的なものも含めて、あと箱庭療法とかね。カウンセリングも、自由連想もやったし。そういうところが一番長くて、▼その間に95年の震災があったり。

○立岩 あ、そうか。もう震災起こっちゃったんだ。

○井上 はい。▼ドゥルーズが自殺するっていうのが96年にあったりとか。

○立岩 ドゥルーズって96年に死んだんですか?
 ※ドゥルーズの自殺は1995年11月

○井上 はい。

○立岩 自殺したよね。

○井上 あ、ちなみに僕も自殺未遂っていうのがあって。はい。オーバードーズで。

○立岩 オーバードーズで死のうと。

○井上 それはねぇ、あの、大学時代の、大好きな女の子がいて。その人は、卒業してからすぐに結婚してるんですけど。93年帰ってきて、ほぼその関係がある人はその人しかなくて、常にあの、電話して、

○立岩 ああ、はい。

○井上 話をしてて。別に付き合ってるわけでもないのに、あの、別れたり、離れたりみたいなのを繰り返してる時に、一方では精神科に通ってっていうのは、もう、薬が山ほど溜まってるのを一挙に飲んで、あの、医者に運ばれるっていうのがありました。96年だったと思う。

○立岩 何、導眠剤的なものを大量に飲んだとか、そういう話ですか?

○井上 抗うつ剤ですね。

○立岩 抗うつ剤を大量に飲んだ。抗うつ剤っていっぱい飲むと死ぬもんですか?

○井上 「普通、死ぬけどね。」って言われましたけどね。

○立岩 これだけぎょうさん飲んだら?

○井上 うん(笑)。それでも何かね、歩いて行ったらしいんですけど、全然覚えてない(笑)。

○立岩 ああ、ふらふらになってると。それ吐かされたりか、何かしたんですか?

○井上 たぶん。全然覚えてなかったですね。気がついたらベッドに寝てて。

○立岩 でもそん時はまあ助かったっていうか、死なんかったというかね。それは何、その、阪神淡路が起こって、ドゥルーズが死んで、その、どっち側?

○井上 それ両方終わってからだと思います。

■メインストリーム協会

○立岩 その自殺未遂したのも、そのあとってことか。そんなこともあった。▼▼でメインストリーム、は?

○井上 そのあとですね。

[00:32:49]
○立岩 そのあと? 学生の頃は、西宮っつってもそんなの知らんかったじゃないですか、そういうものの存在を。それは何、その、とっかかりは?

○井上 は、えっと、ラテンアメリカで、音楽が好きになってたんですよ。

○立岩 ラテンアメリカの音楽ですか…

○井上 そんでね、ライターの、あの、まねごとみたいなんを、その時期に始めて。94年だったと思いますけど。

○立岩 音楽のこと書いたりするんですよね。

○井上 そうです。

○立岩 ラテンアメリカ、音楽色々あり…、

○井上 サルサですね。

○立岩 サルサか。そうですね、90年代サルサ流行りました。

○井上 あの、ちょっと前ぐらいですね。

○立岩 あ、大流行りするちょっと前ぐらいの感じ?

○井上 はい。んで、えぇっと…、

○立岩 書いてた、そのレコード評というか、そういうの、

○井上 そうです、紹介してました。

○立岩 へぇ。昔って、でも、何かそういう、今でいうワールドミュージックっていうのが、その、ラテン音楽の時間とかってFMでやってた時期って、私結構、中学校の時とか、フォルクローレとかさ、そういうの聞いてましたね。ウニャ・ラモスとか。そうか、サルサか。で、サルサの、まあ、ライターっていうか。

○井上 そうですね。

○立岩 どういう媒体に?

○井上 『ラティーナ』っていう専門誌が、

○立岩 ああ、ありますね。

○井上 今でもありますけど。

○立岩 『ラティーナ』に書いてた。ほんで、

○井上 ほんで、えーっと…、その、当時、今、インターネットの始まる直前で、▼パソコン通信ってあったじゃないですか。

○立岩 はい。

○井上 ニフティとかあって。色んなフォーラムがあって。で、主にはそのラテンアメリカのとこに入って、色々情報交換してたんですけども。

○立岩 はいはいはい。あ、ニフティに…

[00:34:51]
○井上 あ、そうそうそう、思い出した。椹木野衣と、あの▼玉置っつうのがもう一人いるんです。『関西ウォーカー』の編集長やって、今は東京のあの、メディア部門のトップにいるんですけども。そいつの子どもが、あの、心臓悪く生まれてその時の医療ミスで脳性マヒになったんですよ。

○立岩 あ。それ、玉置さん?

○井上 玉に置くですね。

○立岩 玉に、置くね。

○井上 玉置浩二の玉置ね。

○立岩 玉置浩二の玉置ね。玉置さんのお子さんが、そうやったと。

○井上 うん。当時大阪にいて。で、

○立岩 同級生ぐらいの子ども?

○井上 そうですね。

○立岩 同志社の?

○井上 同志社の、椹木野衣とかとつるんでた、4、5人のグループの一人。んで、その時初めて、身近に障害児っていうのが…、あっ、あの、自分の目の前に登場してきて、脳性マヒって何だろうと思って。その障害関係のフォーラムとか見るようになったんですよ。

○立岩 あ、ニフティのね。

○井上 そうそうそうそう。そしたら、今もあの、スタッフやってる太田さんっていう人が、

○立岩 おおたさん?

○井上 はい。介助者募集の、当時▼「有料ボランティア」っていう。

○立岩 ああ。おおたさんってどういう字書く人?

○井上 太い田んぼやね。

○立岩 太い、田んぼ?

○井上 はい。明日の朝その人の介助行くんですけど。

○立岩 ▼その太田さんがニフティのフォーラムに、それ、有料…、有料って言ってました? 有償って言ってました?

○井上 有料、有料ボランティアですね。

○立岩 有料ボランティアってスタッフ募集みたいなものを出して、

○井上 900円ぐらいやったと思いますけど。

○立岩 900? 時給?

○井上 はい。

○立岩 おぉ。はい。

○井上 で、すぐにかどうだったか、わからへんけども、まあまあメインストリーム協会っていうのがあって。

○立岩 それはメインストリームが募集してたんですかね。

○井上 募集してたのを、太田さんが、

○立岩 出したと。

○井上 たぶん、常に募集してたと思いますよ、当時は。

○立岩 なるほど。じゃまあ、その、玉置さんて人のお子さんに会ったよりはあとだったと。

○井上 もちろん、そうです。はい、はい。

○立岩 だね。そういうことがあったんで、っていう感じで。はあはあはあ。そいで?

○井上 ほんで、えっとね。えーと…、何かね、ちょっとね、前後関係が全然、あの、わからなくなってるんですけども、「ちょっと毛色が変わってるから面白そうやから、ちょっと行ってみようかな。」と思ったんです、そこに。はい。あ、でもそれ、精神科通ってましたね。

○立岩 まだ通ってた?

○井上 通ってましたね。はい。

○立岩 でも自殺未遂後ではある。

○井上 以降だと思いますね。以降ですね。▼97年か8年か。

○立岩 はいはいはい。

○井上 一応プロフィールに8年て書いてると思うんですけど。

○立岩 はいはいはい。その頃ですね。

[00:38:05]
○井上 で行って、昔のあの、中須佐町の事務所で、▼佐藤聡さんに面接してもらって。
 *DPI日本会議事務局長、前メインストリーム協会事務局長 「1967年新潟県生まれ。小学3年時に受傷し入所施設で4年間暮らす。/1987年関西学院大学入学後、自立生活をしている頸椎損傷者や青い芝の会と出会い、自立生活運動に関わる。/1991年メインストリーム協会に入り、介助制度交渉やバリアフリー運動等をおこなう。/2004年から「障害者の地域生活確立の実現を求める全国大行動」の事務局を担当する。/現在、メインストリーム協会事務局長、全国自立生活センター協議会常任委員、DPI日本会議常任委員。」https://cilaruru.exblog.jp/17861804/

○立岩 佐藤さんが面接官だった。

○井上 はい。コーディネーターだったですね、当時。

○立岩 うん?

○井上 コーディネーターをしてて。

○立岩 ああ、そうかそうか。

○井上 信じられないってか。ほんで▼ひと月ぐらい何の音沙汰もなくて、急に電話かかってきて。「『はんしん自立の家』の大崎さんっていう人が外出するから、行って下さい。」って言われて。それまで、触ったこともないんですけども、障害者(笑)、

○立岩 はいはい(笑)。

○井上 (笑)で、「ちょっと大丈夫ですかねぇ」って言ったら、「いや、大丈夫でしょう。とりあえず行ってきて。」って言われて。(笑)

○立岩 (笑)おさきさん?

○井上 大崎さんっていうのは…、あっそうそう、大崎さんっていうのは、あの、どっかのお坊ちゃんで、あの、すごいグルメなものとか食べに行くのですよ。

○立岩 大崎さんは、坊ちゃんで、

○井上 で、歌舞伎とか行くんです。ほんで、

○鍛治 ええとこの子やな。

○井上 ほんで、その人は服毒で、障害者になってるん(笑)。

○立岩 自殺未遂…、自殺未遂で障害者になった…、なっちゃった。

○井上 そうそうそう(笑)。ほんで、

○鍛治 そうなん?

○立岩 どこが動かんようになった?

○井上 いや、全身、

○立岩 全身にきた?

○井上 …ですね。でこう、麻痺されて。ちょっと発、発…、発語も。

○立岩 発語も。そっか…。

○井上 うん。初めて介助行った時に「あ、俺、一歩間違ったらこうやったんやな」(笑)っていうのを、あの…、思った、っていう記憶がありますね。

○立岩 その坊ちゃんは若い男性?

○井上 いや、当時何歳やろう? もう30代ぐらいやなかったかね。

○立岩 30代ぐらい。▼その介助者が最初?

○井上 外出の介助でしたね。はい。

○立岩 それは、そこそこ続いたんですか?

○井上 いや、それは、もともと単発で頼んできはる人で、あの、何回もっていうんじゃなくて、たぶんそのあと2、3回やったと思うんですけども。

○立岩 ああ。じゃあ何、まあ1ヶ月経って、突然そういうことになって、その人のところに行って。その人はまあその2、3回で。あとは何、色んな人の…、基本、介助をしてたんですか? メインストリーム、最初に。

○井上 えっとね、▼そんなに本気でやってたわけじゃなくて、頼まれたら行くっていう感じでやってて。初めてその、定期的に行ったのが、僕たぶん、メインストリームの中でも変わってて、あの、大抵メインストリームの誰かになるんですけども、▼福永〔年久〕さんとこに、行ったんですよ。青い芝の。

○立岩 福永さんの介助者になった?

[00:41:11]
○井上 介助者っていうか、あの、あの、今でこそ「遊び雲」っていう事業所でやってますけど…、「阪神障害者解放センター」かな。

○立岩 はいはいはい。

○井上 まだね、えとね、えー、整ってなかったんですよ、そういう事業所自体が。自前で派遣するみたいな。

○立岩 福永さんところはってこと?

○井上 で、メインストリームから介助者を募ってて。でその、木曜の朝じゃない、朝行って夕方帰るみたいな枠を、1年ぐらい。

○立岩 ああ週1で、1日中っていうか、昼間ずっとみたいな? 福永さんか。最初から聞こえました? 結構言語障害ごつない? そうでもない?

○井上 えっとね、あの人、CPプラス脳梗塞やってて、僕、脳梗塞後に行ってほぼ家にいる…、たまに通院とかするんかな。めちゃくちゃ困った覚えはなかった。まあまあやれてたんじゃないですかね。

○立岩 うんうんうんうんうん。ふーん。僕は福永さんが、あの、映画〔『こんちくしょう』〕ができたじゃないですか。

○井上 はいはいはい。

○立岩 あれの映画をやって、その時の話を聞くみたいな企画を大学でいっぺんやった時に、来てもろたな。はー、福永…、で、その、福永さん、週1? 1年?
 *2018/07/16 「障害者運動・自立生活・メディア――映画『こんちくしょう』のスタッフと共に考える」

○井上 1年やったと思いますね。

○立岩 それは何か、何かしらの、こう、効果というか、影響というか。

○井上 何かね…、音読、本を読まされて、歴史の。

○立岩 本?

○井上 障害者運動の。それであの、勉強しましたよ(笑)、障害者運動を。

○立岩 福永さんが聞いてる。読ませて、福永さんが聞いてる。

○井上 何度か。そうそうそうそうそう。自分で読めないからね。介助者に読ませて自分が読むみたいなことして、

○立岩 そんなことしてた。

○井上 はい。ほんで障害者のことも知らなかったし、色んなことよく知らなかったので。えーとね、メインストリーム の人は関学閥でしょう、みんな関学出身者が多くて、廉田さん、佐藤さん。

○立岩 ああそうかそうか。

○井上 「あいつらみんな大学出やからな。」って、言ってたのがすごく(笑)。そういう、

○立岩 福永さんがね。

○井上 そうそうそう。そういうあの、障害者の世界もそういうやつ(笑)、

○立岩 はいはいはい。

○井上 …があるんやな、っていうのを、

○立岩 ああああ。感じはしたと。

○井上 はい。

[00:44:02]
○立岩 結構色々読まされたんですか?

○井上 いや、何かね、1冊本があって、それ読みたかったのを、ずーっと延々読んでたと思う。ちょっと中身がね、えとね、何やったかな。万博みたいなのが昔あって、そこに障害者が檻に入れられて、あの(笑)、飾られてたみたいなのが、エピソードで出てくる本やった。(笑)

○立岩 ああそう、万博いうてもそうか、結構昔のやつね。

○井上 そうですそうです。

○立岩 20世紀の初めぐらいのやつかな。

○井上 そうです。

○立岩 そんなことが書いてある、でもまあ日本語で書いてある本を、

○井上 そうですそうです。読まされてましたね。

○立岩 ああどっか、そういうちょっと古い、歴史の話かな。で、まあそれで? ほんでまあ1年やって。そん時、何、福永さん週1で行った時は、メインストリームの仕事っていうのは福永さんの週1仕事だけ?

○井上 だけぐらいやと思います。はい。

○立岩 じゃ他にバイトしながら、みたいな感じですか? 引越し屋さんやりながらとか、そういうんじゃなくて?

○井上 いや、ほぼ引きこもりながらじゃなかったですかね、その頃は。

○立岩 週6うちにいて、

○井上 それでお給料もらってCD買いに行って、またちょっと書いてみたりみたいな。

○立岩 CD買って、サルサ聞いて、で、レコード評というかCD評書いて。

○井上 みたいな感じだったと思います。

○立岩 ふぅん。そういう、

○井上 そんな色々やるエネルギーなかったですね、当時は。

○立岩 そのぐらいの、何ていうの、スローペースっていうか、そういうのがどのぐらい続くの?

○井上 えっとね、あっそうそうそうそうそう、えっとね、それ▼2001年ぐらいだと思います、たぶん。

○立岩 2001年、ふぅん。もう2000…、世紀はまたいでるわけね。

○井上 はい。

○立岩 はいはいはい。2001年…、2001年だと、いくつだ? 結構年やね。

○井上 (笑)

○井上 はい。

○立岩 ほんで? ほんでほんで、で、でまあ、そういう割と浅いっていうか、そんなにズブズブでもない、週1ぐらいの仕事をやって、世紀は変わり。

○井上 あ、でも、今から考えると、仕事増えてましたね。

○立岩 あ、だんだん。

■2001 日韓トライ

○井上 うん。で▼▼2001年の時に、その、日韓トライっていうのがあったんですよ。釜山からソウルまで、まあ、トライってありましたよね、ずっと廉田さんがやってた、大阪東京を歩くみたいな。それを初めて海外でやったのが2001年で、釜山からソウルまで歩くっていうのをやったんですね。

○立岩 何か機関紙、『メインストリーム通信』とかなんか見たような気がする。それは、釜山からソウルまで、誰? 誰が歩くというか、

○井上 メインストリームの人とその時募った人と、あと韓国の障害者の人たちと一緒に。

○立岩 韓国の人と一緒に、で、それに、

○井上 それね、今から考えると、えっとね、ここの弟とかね、あのね、何人か入って、

○立岩 ここって、ここの。*メインストリーム協会藤原勝也

○井上 あの介助に入っている人がみんな行くんですよ。「夏、仕事なくなるなあ。」と思って、「ついでやから行っちゃおうか!」っていう。

[00:47:12]
○立岩 ああ。メンバーが、メインストリームのメンバーが行くから、介助の仕事もそのままやったらなくなるし、俺も行こうかみたいな?

○井上 で、あの、その、弟と一緒に募金とか毎回行ってたので、そういう、

○立岩 それをやるための?

○井上 いくつかの、そうそう、いくつかクリアしたら、あの、旅費出してくれて、あの、行かしてくれるっていうのがあった。「俺、募金とか行ってるし、クリアしてるな。」って思って(笑)、じゃあ。

○立岩 ああその、その企画に貢献したら、タダで行かしてやるよみたいな。

○井上 そうそう。行っちゃおうかって言って、行った。

○立岩 弟さんって。えっと、誰の誰がどしたって?

○井上 これ〔藤原さん〕の弟がトライ行った人で、しかもあの、死んで、ビデオ撮ったのと同一人物です。

○立岩 ああ。ちなみにこちらさまは、お名前は?

藤原氏 藤原と言います。

○立岩 藤原? 藤原さん。

藤原氏 いや、かさい(?)。かさい(?)。

○立岩 藤原さんは二人いて、弟さんが、その時にはまだご存命で、その方が韓国行くのについてった。

○井上 まあその人だけじゃなく、何人かおって、あの、介助入ってる人が2、3人おって、その人らがもうみんな行っちゃうので、「夏の間仕事ないやん。」と思ったので。

○立岩 それが?

○井上 ▼2001年。2001年の7月。

○立岩 それに行って、どれぐらいいたの、韓国?

○井上 ひと月いました。15日から15日ぐらいのイメージですね。はい。

○立岩 ほんで?

○井上 ほんで、まあまああの、ちかしくなったんですよ。

○立岩 ああ、メンバーと?

○井上 その、あの、メインストリーム自体とね。

○立岩 そやね。まあひと月もおればね。

○井上 で▼帰ってから、色々仕事依頼されるようになって、

○立岩 ああそうかそうか。

○井上 で割とあの、普通に仕事してるみたいな感じで、ちょっとこう、介助の仕事をするようになったんですよ。

○立岩 ああ。割とこう、距離感あったんが、ひと月韓国にいる間に、まあ近うなって。で、仕事が増えて。仕事は主には、介助の仕事?

○井上 そうです。

○立岩 それは前から比べたら、回数というか時間というか、そういうのが多くなっていって。

○井上 はい。ほんで、2003年? 制度始まる前の年に、あの、「事業所の中でサービス提供責任者っていうのを何人置かないといけないから、あの、なってくれませんか。」って、いうのを佐藤さんから言われて、特に断る理由もなかったので「はい。」って言って、さらにまああの、一歩、あの、関わりが深くなる感じです。何か、内側の人になった感じ。

○立岩 自立支援法の始まりの時で、そう、サービス提供責任者、サ責っていうやつですか?

○井上 そうです。

[00:50:16]
○立岩 なったわけですか。で、そういう仕事もするようになった。

○井上 はい。まあまあ月1で会議出るだけですけど。別にそういう仕事が、特にあったわけではない。

○立岩 ああ、法律でそういう人置かなあかんっていう話で、っていう。まあ仕事の中身自体は介助仕事?

○井上 そうですね。まあ月1で集まって、会議で意見を聞かれたり言ったりみたいなことが1年続いて。

○立岩 うん。2003年ですよね。

○井上 はい。

○立岩 今から15年前。その、韓国行ったの

○井上 2001年です。

○立岩 2001年? 2001年か。

○井上 はい。

○立岩 1年だけど、その、2003年そういう話があって。で、その、メインストリームの中での仕事は、その、海外派遣的な話はあとで聞きますけど、これから聞きますけど。今まで井上さんなさってきた仕事は、介助、それからそのサ責というかそういう仕事。他は何かあったんですか?

○井上 ほぼなかったです。でもメインストリーム自体は、あ、もともと▼2001年の韓国行ったのは、ダスキンの研修生で韓国から来てる人が一方のリーダーで。で、もう一方あの松島くんっていう健常者が、あの、一緒に準備してやったやつなんです。だから、▼メインストリーム自体は、すでにその海外、国際協力的な仕事をやってましたね。そういうのを横目で見てる感じでしたね。

○立岩 やってたのを知ってはいたけれども、その、韓国に行くまでは自分が関わるということはなかった。

○井上 たぶん。何となく、でもそれはもうちょっと年月(としつき)が経ってからだと思いますけれども、▼「こういうのでラテンアメリカのやつがあると、楽しいなあ。」っていうのは、ちょっと夢物語的なんで、思ってはいましたね。

○立岩 ああ。とは思ったけど、まあ実現というか、そういう現実性のある話というわけじゃなくて、何か「ああ、こんなんあるといいかなあ。」ぐらいの感じで思ってた。

○井上 そうですね。はい。

○立岩 何か、韓国行ったのはメインストリームのメンバーと、こう、距離感近くなったという以外に、何かその、もとはといえば旅の人なわけじゃないですか。その、何か、何かありました? 韓国行って。

○井上 それはありましたね。

○立岩 ありました?

[00:52:54]
○井上 いや、だからどうってわけじゃないけども、あの、自分の中のモチーフがいくつかあると思う…、あるうちの、▼旅っていうのと、あの…、が、入ってきた。メインストリーム自体がまあそういうのを…、あの、何ていうのかな、旅するっていうことが組み込まれた団体なので、あの、自分がそこに関わったっていうのはあったと思います。

○立岩 まあ介助のほうメインにやりながら、で、自分がその海外物? 旅物っていうか、そういうメインの、その、えっと、そっちのほうに実際に関わ…、その、韓国行ったのは別としてっていうのは、どういう流れで出てきたんですか?

○井上 ▼それ以外は特になかったですよ。事務所にいる研修生のパーティがあれば、まあダスキンの研修生は毎年受け入れてたので。

○立岩 ダスキンの人たちは毎年来てて、

○井上 パーティに、参加するとか。そんなに熱心に関わったりもしなかったですし。メインストリームの人も海外にその、支援してるパキスタンの人とかのとこ行ってたけども、別にそういうのも関わらなかったし。2003年に職員旅行でベトナム行ったかな、そういえば。

○立岩 ベトナム。

○井上 はい。それが初めてメインストリームの人と海外行ったのの最初かな。それは別に普通のあの、職員旅行ですけど。

○立岩 職員旅行でベトナム行くんや。

○井上 行ってましたね。

○立岩 ええなあ。ふーん。職員旅行で行ったわけ。

○井上 はい。介助で。はい。

○立岩 で、その、▼そういう距離感ていうか、関わりだった井上さんが、その、実際、もっと深くというか、中心的にというか、関わり出すのは、何、いつ頃、どういう流れでですか?

○井上 翌年、まず▼職員になったんですよ。それはあの、支援費制度が始まったので。

○立岩 2003?

○井上 4年ですね。

○立岩 2004。

○井上 はい。

○立岩 職員っていうのは要するに月給が、固定された月給が出るっていうそういうことですよね?

○井上 はい。でも仕事は介助の仕事。ほんで、えっとまああの、上限問題がありーの、支援費が始まったあと、自立支援法のあの削減問題云々の、まあ、運動の時代がまあ、続くんです。

○立岩 そうですね、はい。

[00:55:47]
○井上 5年終わりまで。ほんで…、あ、▼2006年のビデオをなぜ撮ったかっていうと、

○立岩 あ、そうか、

○井上 これはあの、これはのちのたくちゃん ※なんかとの出会いとも繋がるんですけども。これ、青い芝の時代、あの、『さよならCP』の時代の再現してるかな?っていうような時代の意識があったので、「ここは何か、映像を撮る時でしょう。」と思った。
 ※日本自立生活センター職員で『介助者は、どういきてきたのか』の著書もある渡邉琢。たくちゃんと知り合ったのは、2008年に日本自立生活センターが行ったシンポジウム「障害者の生存権と介助システムを検証する」(http://dpi.cocolog-nifty.com/vooo/2008/03/38_7498.html)がきっかけでこれには立岩さんもシンポジストで参加されていた。たくちゃんは当時「かりん燈」という介助者のグループを組織して活動していてこれは、時代が青い芝ならグループゴリラに相当すると感じていた。ぼくは2009年にかりん燈が主催した介助者の集会にスピーカーで呼ばれている。

○立岩 ああ。2003…、2004年、上限問題…、出ますよね。で、ああ、バタバタしますよね。

○井上 でもあの、ひと月ごとにデモとか行ってたからね、当時は。

○立岩 やっぱ行ってた? 東京とか、厚労省の前とか、そういうとこに。

○井上 そうですね。行ってましたね。台風の時にも行ったし、ずぶ濡れになりながら(笑)。

○立岩 まあ介助者として、

○井上 そうですね。

○立岩 行くわけですね。メインストリームのメンバーが上京というか、東京で。それは何か、こう、騒乱だったん? たぶんね。

○井上 はい。疲れてきちゃったですね(笑)。最後の方は。

○立岩 ああ。これは撮ったかなあかんと思って、って話か。さっきの話に繋がるのか。

○井上 その、騒乱を撮るつもりはなかったけども、「今、何か映像を撮る時なんでしょう。」みたいな意識はあったんですよね。

○立岩 なるほどね。

○井上 はい。で、▼原一男、の教え子みたいな人が、伊丹で写真展を企画したことがあったんですね、その頃。で、それ写真展、あの、何でしたっけ、こうみょう(光明)養護学校でしたっけ?

○立岩 こうめい(光明)養護学校ですね。

○井上 光明養護学校の介助人時代に撮った写真を、そのお弟子さんが伊丹か何かに来て、

○立岩 ああ原さんが、それの時の写真を展示した?

○井上 展示したんですね。そんで、えっと、その、弟は、筋ジスの、シナリオライター志望だったんですよ。で、まあそういう話もしてたので、一緒に、て…、あ、原さんを招いて、講演があって、その伊丹で、写真館…、写真展に合わせて。
 ※https://www.evernote.com/l/AAUHRP8hot5BkLFe6Mm11x8iMIc0bfQyBPo

○立岩 へえ。

○井上 ほんで、筋ジスの弟と一緒に、あの、行って、あの、原さんと会ったりしてましたね、そういえば。2階でやってたんですけども(笑)。あの、車いすごと上げて、原さんに会わせて、俺らもついでに喋るというのをやってましたね。そういえば。

○立岩 僕らは、2年前かな、原さん呼んで、『さよならCP』の上映会やったんですけど。ああ、こういう人かあ、と。何か印象に残ってます?

○井上 その時ですか?

○立岩 うん、原さんのこととか。ああ、どんな人やと思った、とか。それは何か、記録を、映像を残すっていうのとリンクしたんですかね?

[00:58:53]
○井上 いや、特にしなかったですね、その時は、はい。「あの原一男か。」って思ったぐらいで。

○立岩 そんな感じ。

○井上 その、親睦会でもそんなに喋れなかったんです、実際は。

○立岩 よう喋る人ですよね。

○井上 そうですね(笑)。

○立岩 割とよう喋る。

○井上 みたいな時代でしたね。その、あの、もろもろ振り返ると。

○立岩 じゃあ結構、まあそういう上限問題とか、あの辺とっかかりで数年バタバタしたところに、まあ言ったら、職員にもうなってるわけですよね。で、しょっちゅう上京なんかして、巻き込まれてというか、関りが大きくなってきた。

○井上 ▼その時に、あの、ドゥルーズとかやってることの…、と、リンクしたんですよ。その…、まあまあ、ああいうことを読んできてたことが、あの、目の前で行われてる。自分は、結局その、色んなことをしてきたけども、おんなじ関心の下で、あ、今まで来たんだなっていうのを、改めて思ったん…。

○立岩 ああ、はいはい。

○井上 うん、そこで色んなことが(笑)、あの、メインストリームの障害者の仕事っていうことで、全部あの、(自分の経歴を)一本化する作業がこの辺から始まりつつある。まあ映画を撮るのもそうですけれども。

○立岩 実はつながってんの、みたいな。

○井上 ちなみに、職員になったでしょ、4年に。で、介助の仕事って朝、行くじゃないですか。で、昼間ブラブラして(笑)夜また出かけて行くのが多いんですよ、大体ね。んで、前は、あの、アルバイトだったので、「ここの分しかお給料が出ないから、ここはまあ俺の勝手だろ。」みたいな意識があったんですけども、職員になって、「お給料もらってるのにブラブラしてていいのかなあ。」っていう変な手持無沙汰になった時に、実は立岩さんの『生の技法』とかあの辺を、あの、読むようになったのが、その、障害学関係の、あの、始まりだったんです。

○立岩 ああ、仕事の合間というか(笑)。

○井上 そうそうそう(笑)。ちょっとあの、勉強しとこうかなと(笑)思って。『生の技法』とか、『弱くある自由へ』とかが出てた頃だと思うんですけども。

[01:01:35]
○立岩 2000年だから、もう出てますね。

○井上 はい。

○立岩 で何かまあ、こう色々、こう止まったりとか中断したりとか、そういうものが、また織り合わさるというか。合わさるというか。

○井上 そうそうそう、自分の中の資源を色々使おうかなという。



○立岩 ああなるほど。ほんでその、すでにメインストリームはだいぶ前から人を受け入れたり…、が来たりってことはまあやってて、知ってはいたが、しかしまあそういうものを経て、井上さんがそっちの方にかなり関わるようになったのは、いつ頃からどこの、どういう企画で。

○井上 ほんで、運動ひと段落して、結構、障害者の自立生活の現場は、だらーっとした空気になって。あの、制度はあるし、みんな何していいか分からへんからぼーっとしてるような感じで。で、トライもういっぺんやりたい、日韓のトライをもういっぺんやりたいっていうのがあったんです。2007年。最終的にやられるんですけども。僕、最初のその日韓の一緒にやった子らと準備し始めたけども、微妙なコミュニケーションができてなくて、あの、邪魔するやつとか出てきたん。ほんであの、途中から俺もう嫌んなって、全然関わらなくなって。ほんで、あの、▼気分をリセットするために、最初の旅行をした同じルートで旅行してみようと思ったんですよ。20年後なので、1987年の10月に旅行へ行ったので、エルパソから下りて、メキシコシティまで行くようなことをやってみたんだけど。

○立岩 ああ。それは、その、20年前の自分のやつを自分がまた一人でっていう、そういう感じ?

○井上 そうそう、一人メモリアルみたいな(笑)。2週間ぐらいだった思うんですけど。

○立岩 まあ同じルートを短い、より短い期間ではあるけれども同じルートを。

○井上 はい、で、メキシコシティまで行って、みたいなことちょっとやってみたんですよね。

○立岩 へえ。どんなもんなんですか、それって。

[01:04:07]
○井上 えっとねぇ、最初の旅行の時は夢見てたんだなあ、って思いました。色んな、こう…、何て言うんですかね、こう…、色んな想像力が入り混じって現実って見てるんだなと思ったの(笑)。割とね、普通の街なんですよ、行くと。その、2回目は。

○立岩 ああ、2回目行くと、2回目の方が普通な感じに。

○井上 そうそう(笑)、普通にあの、現地の人が日常生活しててね。うん。別に夢が覚めたわけじゃないけども、あの、

○立岩 そういうのってあるかもしれないですね。最初バーッと行って、何かある種の興奮状態でね。でこう、見える物が何か色が違って見える的なことってあるよね、確かにね。

○井上 そう、キラキラしてたり。あの、ファンタスティックであったりしてたんですけども、そういうのがなくてね、「あれ?」って。がっかりしたわけじゃないけども、まあそんな感じで帰ってきて。▼しばらくしたら廉田さんが、「来年ラテンアメリカの研修生受け入れるかもしれんから、ちょっとあの、夏ぐらい時間空けとってな。」って言われたんです。それがあの、現実的に翌年から始まるJICAの研修だった。

○立岩 でそれは、受け入れた?

○井上 はい。

○立岩 どこの人と、何年にどこの人やったん?

○井上 ▼▼2008年11月に、グアテマラ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス4ヶ国でした。中米カリブっていう枠組みだったんですけども、実際カリブの人は全然来なくて、まあ中米の4ヶ国だった。

○立岩 それはJICAが募集するわけですか?

○井上 JICAが研修を作って、企画して、その受託先になるっていう。

○立岩 だよね。だけど、来る人ってのはどういう…、何ていうの、選ばれ方っていうか、どういうふうに、

○井上 えっと、それ、11月の8日とかそれぐらいだったと思うんですけども、6月にまず企画した職員の人、廉田さん、ぼくで下見に行きました。6月。ちょうど今ぐらいかな。グアテマラとコスタリカと。もともとあの、コスタリカに技術プロジェクトが入ってて、そこが2年目やったんかな? 2007年から始まってたので。で、えー、障害者のエンパワーメントっていうのが入ってるので、その、向こうの障害者を研修してエンパワーメントしてほしいってのがもともとの企画で。で、西村愛志(めぐし)さんという人が企画されたんですけども、その人はもともとあの、あの、あれ、ん? 松波めぐみさんがやってるあの(障害を持った)教師のあれに出てくる。今、先生やられてて、微妙にあの、バルタン星人みたいなんです、手が。障害ある教師で今やられてて。当時あの、障害あるJICA職員で。で、東京にいたので、ヒューマケアセンターの中西さんとかと懇意になって、まあその辺で色々企画持ってやってたのが、大阪に転勤になって大阪に来て。ほんで、僕らはもうその頃の当時、あの、あ、その前にネパールにいはったのね、西村さんは。

[01:07:35]
○立岩 西村さんて方が。

○井上 JICAのネパールにいて。その頃僕らはネパールの支援をもうやってたので。そこでアクティブにやってるっていうのを見てて、JICA大阪に転勤したときに、どうせまあ関西にいるんやったら、メインストリームと何かやったら面白いかな、というので企画して、あの、話持ってきてくれたんです。

○立岩 で、まあ何とか、下見じゃないけど、半年前に現地に行って、

○井上 ほんで、その時は選ばなかったと思います。もう現地任せで、向こうからセレクトされた人を待ってるだけやったと思う。翌年からはスカイプ…、じゃないや、JICAのテレビシステムがあるので、それであの、見ながら、選考するようになりましたね。

○立岩 それが、まあ言ったら始まり。

○井上 そうです。

○立岩 で、▼お金はJICAが出す。

○井上 はい。しかもメインストリームの収入にもなってます。受託料とかは。

○立岩 ああ、そうか。メインストリームは受託料をもらうと。それで、その、外国の人が日本に来て研修するって、分かるような気もする反面、「何がそこで起こるんやろうって、起こってんのやろう?」とか、素朴な疑問、「ためになってるって言うてくれてるけど、ほんまかいな?」みたいな、そういうのも含めて(笑)、あの、何が起こってんかなって思う、その、素朴な疑問があるんだけど。それ、まあ最初の頃でも今とおんなじなのか、違うのかも含めて、その、彼らはというか、彼、彼女らは何を得て、帰っていくんですかね?

○井上 まあ、今もう、10年経って、コスタリカにも法律があるし実態もあるから、たぶんコスタリカに関しては、あの、この時ほどインパクトはないと思いますけど。まあまあ、ああいう人ら(藤原勝也氏は呼吸器ユーザーである)が、普通にあの、地域で暮らしてるっていうのを見たりっていうのはインパクトあったみたい。それと、

○立岩 まずはびっくり、みたいな。

○井上 はい。あのー、▼▼関わり倒すんですよ、俺ら。その、まあ1ヶ月半なんですけども。

○立岩 1ヶ月半?

[01:10:17]
○井上 はい。もう24時間ついて、まあ洗脳するんです。ほんで、あの、返せないぐらいお土産持たせて(笑)、まあまあ帰して、まあ「どれぐらい返してくれるかな?」って待ってるような。まあ、そのうち律義な人はあの、向こうで色々始めて結果を出してくれる。で、その結果をまたフォローして、やるっていう。

○立岩 「こういう現実があんねんで。」とか「こういうやり方があるよ。」みたいな、「いいよ。」みたいな、割とこう、もう、さっき洗脳とおっしゃったけど、強力に働きかけるというか。

○井上 まあその、押し付けじゃないけども、まずあの、関係作って、まその、関係がリアルなものだと思ってもらったら、そんなに、そんなに帰ってすぐにバイバイっていうふうにはならないんですよね。まその辺はヒューマンケアセンターとはまったく違うやり方ですけども。

○立岩 で、まあ言うたらその時始まったものが、今まで続いてるっていう。

○井上 はい。そうですね。▲▲

○立岩 その▼海外に長期間滞在して、その現地組織とか、そういうものに、っていうのはこれは今日、本番というか、そっちの方で話してもらいますけど、それはどのぐらい?

○井上 2012年からですね。

○立岩 2012年から。それは、コスタリカにいたんですか?

○井上 そうです。

○立岩 それはどのぐらい? 12年から?

○井上 えーっと今、もう6月5日に帰りますけども、基本、一年に5ヶ月、6ヶ月は向こうにいる感じで。

○立岩 5ヶ月、6ヶ月いて、ちょっと戻ってきて、また行くみたいな。そのことが12年からもう6年とか続いてるってこと?

○井上 あと4年続く予定です。

○立岩 まだ4…、あ、これからもまだ続くんですか?

○井上 はい。今年含めて4年続きます。

○立岩 その金はJICAですか?

○井上 そうです。それはまあ、あの、うちがあの、企画して、申請書出して、JICAがお金くれる。まあJICAとNGOがいっしょにやるようなイメージのプロジェクトです。  ※JICA草の根技術協力事業(https://www.jica.go.jp/partner/kusanone/index.html

○立岩 ああ、そっちはそんな感じなんだ。

○井上 はい。今、1億を5年っていう、で、この草の根の枠組みのマックスなんですけども、それでやってる。

[01:12:51]
○立岩 ふーん。まあ、それ以降の話はまたあとで、上の方で聞きますけど。そういう中身の話は上で、あとでですけど、そういうふうに関わっている自分であったり、何やろ、やっぱりある時代以降かもしんないけど、海外援助とかさ、海外協力って、ちょっとどうなの的な気分っていうか、それも一方にあると思うんですよ。特にまあ僕らの世代以降かもしれないけれども、「何してんやろう?」みたいなね。「どうなの?」みたいな。で、「現地には現地で色々あるんやろし。」みたいな。そういうのもあるじゃないですか。それも、

○井上 それ、ちょっとよくわかんないですけど(笑)。

○立岩 その、やってることは、その、そこの人たちにとって…、がすでに生きている世界にとって、どうなのかな。どうなのかっていうのは、「ほんまにいいことなのか?」とか、そういう自問みたいなのをする人もいるじゃないですか。するシチュエーションもあるじゃないですか。それっていうのは、その12年から、もっと前からも含めてやってくる中で、感じたりとかっていうのはどうですか?

○井上 えっとね、▼▼最初はたぶん、途上国支援的な感じで始まったと思うんですね。でも、むしろ、まあコスタリカをベースに考えると、法律的には…、法律に対する意識と言った方がいいかな…、は、向こうの方が進んでいるようなところもあって。最初俺ら…、その、まあまあ、あとでまた聞いてもらえると思うんですけども、2009年に来たコスタリカの人らがその、「自立法っていうのある。」っていうのをずっと言ってたん。で、俺らは結構バカにしてたん。そんなコスタリカ…、

○立岩 2009年に来た人が、「もうすでにコスタリカに法律がある。」って言うとったんですね。

[01:15:03]
○井上 …の準備をしてるって言ってたけども、「コスタリカみたいな国で、そんなん。」っていう、変に先進国意識を持っていたから、あの、まあまあバカにしてたんです、ぼく含めて廉田さんなんかも。でも、むしろ、その頃はもうコスタリカとかは批准してましたから。権利条約をね。僕らがむしろそういうのに対して、その、介助制度はできてたけども、そういう国際的な基準の中でそれ考えれてたかというとぼく、考えてなかったと思うんですよ。でも、彼らは、彼らってまあコスタリカに関して言えば、国際的な基準の中で、ある意味、それを国内に落としてるっていうとこから見たら、グローバルスタンダードな世界を生きてたんですね。

○立岩 そっちの方がね。うん。

○井上 うん、うん。それを、その、運動のレベルでバックアップして、それと現実をあの、マッチングしたっていうのがたぶん…。まあそれはコスタリカはちょっと特殊だと思うので、それをすべての国イコール、ラテンアメリカの国みたいにできるかどうかはちょっと、わかんないんですけども。まあまあ、でも法のレベルではまあ、それは全部その、批准してるっていうそのレベルでは全部(の国)一緒やから。あの、原理的に言えばおんなじようにバックアップして、うまいこと後押しすればおんなじようにできるはずやし、しないといけないと思ってます。そういうことを、あ、なぜまあそういうことを、▼▼結構確信持ってやれると思ってるんです、少なくとも自立生活運動に関して言えば。それは障害者は全部オッケーって言いますもん、それは。誰でも。あの、そこに反対する人はまあいないですね。▲▲

○立岩 その点に関して言えば、どういうカルチャーであろうと、どういう経済であろうと、そのことに関してはみんな一致するはずやから、いっしょにやってける的な? なるほどね。

○井上 パキスタンのリーダー ※がそういう、「障害者っていうのは、障害者っていう一つの国や。」みたいな言い方をするんですけども。まあ、「だから一致してみんなでやっていける。」っていうことをよく言うんですけどね。
 ※Sahfiq Ur-Rehman、自立生活センターマイルストーンの代表

○立岩 それは…、うん、▼僕は奥平さんって人…、まあ、聞きますよね。「国の違いよりもそっちの共通性の方が大きい。」っていう話は聞いて▲。たぶんほんまにそうなんやろなって、思う部分もありますね。で、そこでその利害というか、その目標というか、ま、それは同じだと。だからいっしょにやれるんや、と。それはほんまにそうなんやろうと、思う時に、じゃあその、日本のサイドが何かこう、やるっていうことは何なのか、という時に。さっきね、来てもろた時に、「こんな人でも町出てるね。」って、びっくり、みたいな。それで、「ああ、やれるんや。」っていうのはそれは、何か分かる気がするんですよ。あ、なるほどなと。あの、そうでもないところはそりゃあるだろうし。まあそれは一つ、具体的にわかったんですけど。でもそういうこと以外にというか、まあ例えば井上さんが向こうへ行って、関わるわけですよね。その、何を提供というか、できてる感じがしてるのかとか、は、どうですか。

[01:18:48]
○井上 うんとね。…コスタリカに、えっと、特化して、まあ具体的にここまでちゃんと関わっているのはコスタリカだけなので。えっとね。運動体を作れたと思ってるんです、コスタリカについて言えば。うん。割とね、バラバラなんですよ、どこの国でも。

○立岩 どこの国でも?

○井上 うん。あの、ちゃんとまとまって運動体になって、やれてるところは少ない。それはその、国民性…、ラテンアメリカのそういう国民性もあると思うんですよ。ほんで、特にまあ法律を作っていく過程で、まあ、モルフォっていう自立生活センターなんですけども、モルフォの人たちがぼくらがイメージするような運動体になれたことが圧倒的にアドバンテージと。その、他の社会の中の他のセクターに比べて、優位になっているところを取れたから、まあ法律はできたと思う。

○立岩 ▼でも、そこは何か面白そうだなと思うんですけど。普通っていうか、場合によったらというか、まあ他所もんですよね、がやって来て、その一人一人っていうか、バラバラというか、1個1個あったものが何かこう、結びつくっていう、その、メカニズムっていうのは不思議。そういうことってどうしてあり得るの? っていうか、あるの? っていうところ?

○井上 それはまあ、メインストリームの素晴らしいところ。

○立岩 どういうふうにしてこう、ある…

[01:20:55]
○井上 ▼メインストリームが、まああの、一丸といいますけども、そういうのを植えつけようとして植えつけたみたいな(笑)。まあそらそうだと思うんですね。でも、その、そんなに、そうは言ってもうまいこといかないけども、こうやって常駐する人がいて、常にそこに向けて、まあある意味舵取りしながら、まあここっていう時にはいくら金使ってもいいって言って(笑)。ガンガン国会にデモをして、みたいなことを、

○立岩 じゃあ何か、こう、こういう運動体っていうスタイルっていうか、運動? 組織…、組織的に人が寄り集まって、ある種目的持ってやるっていうことを示して、それが何か効果があるんやで、みたいなことを、その実際で示すと、連中は「あ、そうか。こういう手があるか。」みたいな。

○井上 どこまで意識的かどうかはわかんないですけども、僕がまあ、結果的に法律とか通ったあとに、分析…、まあ感想的に思ったことが、まあそうかな、と思う。

○立岩 じゃあその、▼コスタリカで、その運動体的なものをこう、形成、作っていった人たちっていうのは、まあ一度はというか、その、メインストリームでそういうものを見て育ったというか、そういう感じだって。それが、「じゃあ、できるわ。」っつってコスタリカ行って、もちろんそれだけじゃあ法律できるわけじゃないでしょう。まあそりゃあこないだ、ちらっと言ってたその、政党の配置というかそういうものが変わったり、色んなことが重ならないとそれは何ぼ何でもできないと思いますけど。でもまあできた、そんな感じなんだね。

○井上 ちなみにあの、金沢の帰りにちらっと見せた、あの、ボリビアのデモの1番トップになってる人も※、あの過酷なキャラバンの前に…、あれ政府にあの、要望することをそれ20個ぐらい、挙げ…、色んな人束ねなあかんから20個ぐらいあったらしいんです。で、その彼女も日本で研修受けてるから、佐藤さんの話で、「要望はシンプルに1個か2個にしないといけない。」というので、「それを思い出して3つにした。」って言ってたから、あの、そういうノウハウっていうのはボリビアでも、ある程度は。うん。
 ※https://www.theguardian.com/world/ng-interactive/2017/may/05/fighting-for-a-pension-disability-rights-protesters-in-bolivia-face-barricades ボリビアの自立生活運動のリーダー、フェリーサ・アリ・ラモスのこと。2011年にメインストリーム協会でJICAの研修を受けた。フェリーサはそれまでもボリビアでJICAとのつながりがあり協力してボリビアで始めて障害者手帳を導入するのに貢献した。しかし最終的に障害の程度を決定するのに医師が介入するのに疑問を感じ自分がやった成果を素直に喜べなかったという。日本で自立生活運動の研修を受け、これまで探し続けていた「ミッシングリング」が見つかったと語っている。

○立岩 ああ。争いごとの時のスタイルというか、「こういうふうにやったら勝つかもしれん。」みたいな、「勝つつもりやったらこうした方がええ。」みたいな、そういうの…。そうか、それはある…、あるでしょう。うん。そういうところで、まあ井上さん自身も、現地でというか、貢献して。で、でも、例えば何ヶ…、半年とか、毎日そっちに顔出してるわけでしょう? ▼毎日の仕事って何してはるんですか?

[01:24:13]
○井上 メールに返信したり(笑)。まず朝行って。あの、おもろいのは、コスタリカを拠点に、今ボリビアとかコロンビアとかあちこちに行くので、それもあるし。それと仲のいいJICAの職員のこっち側の人(障害当事者側の人)とか、まあ、色んな人と色んなことを企んでるので、それを。

○立岩 ああそうか。じゃあそのコスタリカのセンターのその、仕事だけというよりは、むしろ色んな国でこれからのこう、画策というか、企画というか、そういうものに、

○井上 をやったり、

○立岩 それの仕事が結構ある。

○井上 まあ、あの、もちろんあの、今度、玉木(幸則)さんも7月に来てもらうので、そういう研修のスケジュールづくりとか、ま、それのアテンドの準備とか、あと普通に領収書の整理をしてJICAに上げる準備とか、報告書を書いたり。こう、何してるんかな、と思いながらも割と忙しく、8時から4時までなんですけども。

○立岩 8時から4時。ああそっか。ああ、そういう仕事か。色んな仕事やね。他にはいないから、その領収書も含めて全部やらないかんわけやね。何かそれとはだいぶ話が違いますけど、例えば、ま、▼常に外国の人との関係だと言葉の問題ってあるじゃないですか。例えば、まあ井上さんがおって、でメインストリームにそのスペイン語圏の人が来て、っていうんやったらそれはそれで行くと思うんですけど。いつもそういうこう、言葉的なことっていうのは、メインストリームとかだとどうし…、誰かは分かる人がおる、みたいな状態にするわけですか?

○井上 そうです。いやまあ、それは通訳を雇うのも含めて。はい。ほんまに必要な時には雇うし、まあ英語とかやったら誰かいますからね、その時だけまあ、その人を…、介助者の人で得意な人を呼ぶとか。

○立岩 うん。それで何とか、何とかして。今メイン…、

○井上 ダスキンの場合は日本語勉強してくるんで、まあだいたいそれでコミュニケーション取れるので。

○立岩 ああそうですね。「まあ、ようこんな短期間で何か分かるようになるわ。」って、何かえらい感心しますけどね。俺、ぜんぜんあかん。ふーん…。今、メインから外に出てやるタイプの支援というか…、ていう、その、来てもらってっていう以外、まあコスタリカそうだと思いますけど、他何かやってはるんですか? アジアであるとか。

[01:27:19]
○井上 ▼アジア6ヶ国やってて、えーと、韓国はもうほぼ、ほぼじゃなくて完璧に自立してるんですけど、台湾とかまだ支援に行ってるし。何だかんだでネパール、モンゴル、カンボジア、パキスタンかな。

○立岩 それはやっぱりその、誰かが常駐というか、何ヶ月かいたりみたいな?

○井上 いや、それはないですね。向こうはその国のリーダーに任してて、まあセミナーやってほしいっ言ったりっていう時に行ったりとか、まあ職員旅行でからめて行ったりとか。まあここはモンゴルの専門家ですけども。

○立岩 誰?

○鍛治 いやそんな、専門家じゃないですけど。

○井上 ちなみにあの、コスタリカタイプのプロジェクトをあの、▼モンゴルで今やろうと思ってて、今準備中です。

○立岩 今までその、常駐というか、は、コスタリカだけ?

○井上 そうですね。

○立岩 ああ。なるほど。ああそうなんや。で、何、ほんまにモンゴル、やるんですか?

○井上 えっと、今年度中には申請して、来年度からやりたいと思って。

○立岩 JICAが金出したら、みたいな?

○井上 まあ通ればですね、はい。

○立岩 通れば。へぇー。

○井上 モンゴルにも制度を作るっていう目標でやる。まあまあできると思うんですけど。

○立岩 去年、あの、増田さんとかとボストンに行った時に、向こう…、まそれはALS/MLD何ちゃらっていう国際会議だったんだけど、モンゴルから一人来てたな。

○井上 オッコさんですね。

○立岩 オッコさん。知ってる?

○井上 いや、川口有美子さんから頼まれて、ちょっとあの、やり取りしましたけど。でも何か、ぼくはモンゴルのセンターに繋ごうとしたんですけども、日本人にしか興味ないみたいで。

○立岩 何かね。ちょっと大丈夫かな感はあるよね。毎回、毎年会議には来るみたいなんやけど、国に戻ってじゃ何か、するかなあ…、どうかな、みたいな感じだよね。うん。それはおっしゃる通りかもしれない。

○井上 それ以外ないしね。その、直接どうこうはできないし。そのプロジェクトの中で(ALSの人も)障害者の一つのパターンとして関わってもらうしかないんです。

○立岩 2007年だっけなあ。ここの大学で文科省からちょっと金もらってやった時に、呼んだのがモンゴルの人ではあったんですよ。その時の記録は残っているはずなので、ちょっと思い出してみてもいいでしょうか。モンゴルは行ったことあるんですか?

鍛治氏? ▼僕はねぇ、あの、8回行ってますね。

○立岩 8回?

鍛治氏? はい。

○立岩 あらま。

[01:29:56]
鍛治氏? 僕、2010年にメインストリームにやって来たんですけど、で、初めてメインストリームが海外支援してる国が、国で僕が行かせてもらったのがモンゴルで、その時がセンターの立ち上げ式やったんですよ。でそれが縁で、僕はそんな器用な人間じゃないから、モンゴルを応援しようと勝手に自分で決めて。で、好きでずっと行ってるって言う感じですかね。

○立岩 その、最初に、何かこう、誰がそういうものに食いつくっていうか、まあそういう企画があるよみたいなね、企画をやるよって、まあJICAであったり、JICAに応募したメインストリームであったりするんだけど、そういうものに乗りたいってね。そのさっきのオッコさんはあんまり乗らんかもな、という話やけど。乗ろうかなみたいな、こう…、感じ? その、現地現地の、例えばモンゴルの人はモンゴルの人で、どういうふうにして乗ってくるって感じ、します?

○井上 ▼▼それはもう関わり倒すんですよ。おんなじ、おんなじですね。▲▲で、モンゴルの…、

○立岩 でも最初の一歩ってのがあるじゃないですか。こう、最初にやってくるみたいな。それは何か、インフォメーション…、何なんですか?

○井上 それはね、あの、バイヤールはダスキンで来たんですけども、それはねぇ、あの、彼自身がよく言ってるけども、ほんまにあの、金出してもらって研修して、ちょっとパソコンの何か覚えたらドロンしようかって思って来たんですよね。

○鍛治 そうですね、最初は日本で技術を得て大金持ちになろうと思ったって(笑)。

○井上 (笑)でもまあこっちのこともちゃんと…、

○立岩 まあ何か、そうだね、お金が出て外国行けて、

○井上 日本語も勉強させてもらえるしね。

○立岩 したら、いいよねみたいな。

○鍛治 金かからんし、金も日当出るしみたいな。

○立岩 ああ。でもそれは…、あ、そういう感じね。でもそれはあるよね。

○井上 うん、でもまあ、多くはそうなんですけども、まあでも、中にはちょっと俺、それは人としてどうなんかなと思う人がいるんですよ(笑)。何パーセントは必ず。ま、減ってくるんですけどね。あの、人材っていうのは資源と一緒で(笑)、掘れば掘るほど出てくるもんじゃなくて、やっぱり枯渇していくもんで。どの国でもやっぱり枯渇はしてくるんですけど。優秀な人は何人かは必ずいる。

[01:32:16]
○立岩 ああ、なるほどね。あの、さっき名前出したけど、リハ協で国際部だっけ、何かそういうのがあって、▼奥平さんって、真砂子さんっていうのに…、まあ、それは雑談だったんだけど、やっぱり彼女なんかは、あれだ。京都の大学出て、で何も別に考えるわけじゃなくて、デパート、2年ぐらい、高島屋かな? 勤めてて、ある日、そのダスキンの募集があって、何も考えんと、何も考えんとっていうか、何かお金出してくれてアメリカ行けるんやったらいいかなぐらいの感じで、そしたら当たっちゃって、行って。行ったから変わったっていうのは。ま、それが、例えば日本に来る人にとっても、別にそんな深い、何かってわけじゃなくて、まあ海外旅行と何かに、ある種つられてっていうか、来たんやけど、その歩留まりはあるけど、そこの中のある部分ていうのが、「じゃ、やろかい。」みたいな気持ちになって国に帰るみたいな感じか。

○井上 あの、ダスキンは特に障害軽い人が来るので、

○立岩 そうだよね。

○井上 あの、まあまあ何だ…、▼優秀だし英語もペラペラだし、何だかんだってたぶん、それ以外の世界で食べれるはずなんだけども、まああの、まあまあ洗脳するんですよ(笑)。でもあの、中南米のあの、一つの特徴は、けっこう重度が来て、介助者つきで来るので、帰ってもそんなにおんなじように優秀でも、バリバリ社会出ていくような人たちではないんですよ。

○立岩 ちゃっちゃっと素早く動けるという感じではない。それは中南米の人…、まあこないだもね、あの、JCILでちょっと、まあ、まあまあっつうか、まあ、その、脳性マヒのおじ…、の人もおったじゃないですか。まあ、そうですよね、そんな軽いわけじゃないですよね。それってその僕もそのJICAの研修で、東京とかで、何かこう、一コマしゃべってください的な、この何年分かやったんです。で、おっしゃるように確かに、まあ身体の人にしてはまあ、割と軽めかなあ、で、しゃべれるしね。だけど、その、中南米の人は割と重めっていうのは何か、何か理由があるんですか?

○井上 えとね、自立生活センターを作るっていうのを目標にした、からだと思います。JICAっていうと割とあの、今ちょっと予算厳しいみたいですけども、お金があるとこなので、最初の年だけ介助者なしの人たちばっかりだったですけど、2009年以降はむしろ介助者いる方がウェルカムみたいな規定をつくって、JICAとしてはビックリしたと思いますよ。いきなり予算倍になるんやから(笑)。呼ぶだけで。

[01:35:01]
○立岩 JICAはそれに乗ったっていうか、どうだったの?

○井上 「それが当たり前でしょう。」みたいなふうに持ってったん(笑)。

○立岩 それは、そちらさんがそういうふうに言ってて、まあ言うたら説得したみたいな。で、向こうが、まあ分かった、みたいな話にしたわけですか?

○井上 西村さんてのは変わっとって。

○立岩 それはさっきの、ネパール行ってたって人?

○井上 そうです、はい、あの、今JICA関西っていって神戸に事務所ありますけど、当時、JICA大阪で、その時の所長なんかに、あの、建物のバリアフリーを全部調べて交渉しろとかゆうて、言うような人だった(笑)。

○立岩 ああなるほど。

○井上 最上階にバリアフリールームがあるのは、避難するのがあれやから、もっと下に置くべきとか色々こう、挙げて、所長室行って、あの、要望書出して、

○立岩 そういう入れ知恵というか、

○井上 そうなんです(笑)。

○立岩 そういうのをJICAの中にいながらっていう、そういう人やったというわけね。

○井上 そうそうそう。

○立岩 ああ、そっか、そっか。その、▼例えばダスキンなんか今でも、例えば日本から派遣する場合でも、自分で身の回りのことできること、みたいなことを割と言うじゃないですか。で、その、そういうところで、例えばそのスポンサーであるところのJICAと、その、メインストリームは、その、時々はケンカするぐらいの感じなのか、何か、あるいはどういうところですれ違いであったり、摩擦であったりって、生ずるもんなんですか、それとも、それは結構、ないものですか。

○井上 いや、ありますよ。ない、ないって…、ないとも言えるけれども、その、ケンカするほどそんなに深くつながってやってるわけでもないし。でも、その、まあまあ、コスタリカの所長がデモとか、あの…、は、好ましくないので、日本人は目立たないようにしてくださいって言われたりとか、ていうことがあったりとか。

○立岩 うーん。あのー…、

○井上 とかね、▼JICAの中って結構、その時研修しても、全然、あの、根付かないこととかいっぱいありますね。それは。その、「いっぺんこの話はもう決着ついてるやん。」というのを、改めてまた言わないといけないとか。

[01:38:23]
○立岩 人が代わったりなんかすると、その度に、こう、真っ白に。前提が、…のところからまたやらんとあかん、みたいな。それはまあ、あるでしょうね。あの、私はこないだ、どっかイギリスの雑誌の査読というその、論文の審査みたいなことをしていて、だから、それは匿名の査読なので、ほんまは言ったらあかんのですけれども(笑)。

○井上 (笑)

○立岩 あの、こういう話なんですよ。カンボジアの話で、カンボジアでの障害者団体に、オーストラリアの政府系のNGOかな、まあ、あるいは政府かな、…からお金出てると。それでかなりそういうものに依存してと言うか、まあ、逆に影響力があると。あるんやけれ…、あるという話が前提になってて、そやけど、その、えーと、カンボジアの障害者のニーズみたいなもんと、オーストラリア政府、あるいはNGOの目論見みたいなものが、結構ずれてて、現地的にはしんどいよ、みたいな。それは、その、まやっぱりカンボジアっていうたら、やっぱ金がない。生活のためのお金がなくて、「それがまず先決やろ。」っていう、そういうリアリティなんだけれども。そのオーストラリアなり何なり、だとその、やっぱ政治参加とか、何かそういう話が先に立って、選挙権がどうだとかっていうところで、こう、あの、そこでずれが生じて云々みたいなことが書いてある原稿で、私はその、英語はしゃべりも読みも…、まあ読むことだけ唯一できるんですけど、まあ読んだらそういうこと書いてある。そういうことってまあ、海外援助的なことの中じゃ時々ありますよね。それは、その、井上さんがここ10何…、関わってる中であんまりない、なかっ...てきたんですか? [01:40:21]

○井上 ▼さっきとたぶん答えはおんなじになると思うんで。その、たとえ政府の人とずれがあっても、障害者当事者は、まあそこではずれはないと思う。だから僕ら自信持ってやっていけるっていうのが一つと。▲
 と、コスタリカに、今の話にちょっとこう、かぶせて、うーんと…、今プロジェクト第2フェーズに入ってるんですけども、後半、10年の後半の5年やってて、で、法律できて今後…、あの、ま、第3フェーズは絶対ないっていうの、第1フェーズの終わりかけからずっと言ってて、で、第2フェーズの設計を、センター…、まあ自立生活支援協議会みたいなのを作る。で、自立生活センターを込み込みで、政府がネットワークになって、障害者の支援をするっていうプロジェクトにしてるんですよ。で、なぜこういうのにしたかって言うと、あの、自立生活センターっていうのも完全に国の中の一つのセクターとして、必要なものとして、「あとはこのネットワークで経営も助けながらやってくださいよ。」っていうふうな意味合いも込めて、そういうふうにしてるんですね。で、今実際、あの、結構そういう動きになってる。色んなとこからお金が入り出し、相談支援みたいな、制度にはならないけどもプロジェクトで、(?)で女性の貧困とかをやってる政府機関がそういう対策として「お金出してもいいよ。」っていう話になってるので。あの、そういう意味でもコスタリカに関してはないっすね。うん。

○立岩 それは何、第2フェーズっていうのを…、えっと、どういう?

○井上 おんなじ…

○立岩 えっと今そうやって、各地っていうか、ぽちぽちと、そういうセンター、こないだ来てたみたいな人たちが、そういうものを作り、作ってできてるとこもあれば、作りかけのとこもあるっていう、そういうとこまで来てるって、ね。第2フェーズっていうのが?

○井上 えっと、それも含めて、今その、ペレスセレドンという、その中でも、第1フェーズからやってたとこを、あの、拠点にしてやってるんですけども、そこでその、そういう福祉のセーフティネットの制度を作る、っていうのが一つ。

○立岩 制度?

○井上 制度ですね。あ、仕組みか。で、その仕組みを、その、あの、こないだ来てたような子たちのとこでも展開してって、自立生活センター自体が自活していくような、…になればいいなと思ってて。何となくそういうふうにはなってきています。

[01:43:20]
○立岩 ふーん。それは何、その、例えば自立生活センターがそれ、そうやってその仕組み、ある種の自治体というか、あるエリアの中でのそういう自主的な役割を果たせるようにしましょうっていう話で。それはその、例えば経営なら、運営なら運営のお金を、何、政府に出させて、みたいな話ですか?

○井上 その、日本国じゃなくて、まあ、あとはコスタリカ政府でっていうことで。

○立岩 「コスタリカでやってちょうだい。」みたいな。そこまで、そこの軌道にまで乗せられたら、まあ、まあ、いいかと。

○井上 期待(?)できるという。

○立岩 それが第2フェーズで。

○井上 そうですね。

○立岩 「あとはよろしく。」みたいな、「あとはどうぞ。」っていう、そんな感じ。

○井上 なかなかそこまで行けるプロジェクトは実際には少ないと思うんですけども、たぶんできると。

○立岩 それを何、あとどのぐらいでやろう思てるの?

○井上 あと4年ですね。

○立岩 あと4年? 2018年も含めて、これから4年か。

○井上 今年度4年ですね、4月から始まったのが。

○立岩 この4月から始まった4年間でそこまで持ってけたらええな、っていう。ああ。なるほど。

○井上 今の感じで言うと予想より早く進んでる感じですね。

○立岩 できるかな。その、モンゴルでの目論見は何なんですか?

○井上 ここの第1フェーズと一緒で、まず制度を作る。介助制度。

○立岩 介助制度を作る。

○井上 はい。

○立岩 何か、できる芽が(?)、…はあると思ってます?

○鍛治 まあ僕ね、その、初めて行った時が8年前で、まあ最初ね、ほんと、道もボコボコやって、そこら中でほんと、マンホールにも穴空いてたし。みんなこれ最初言ったら嘘やろって言うんですけど、そこら中で事故が起こってたりとかするんですけど。町の整備自体は僕らみんな(?)、介助っていう概念がまずないし、日本との大きな違いで言えば、施設っていう概念も全くないんですよ。障害者が生まれたら親がみて、そのまま家で死んでいくみたいな流れが主なんで。だからそういう、ユニバーサル・プログレスっていう、メインが支援して、自立支援センターが今、できてきてるんですけど、その中でまずロールモデルになって、スタッフが…、障害者スタッフが自立生活を始めたところでっていうところで。何とかその、JICAのプロジェクトの中で介助制度を作っていってほしいな、っていうところですかね。まあできそうなイメージは、その、メインストリームが支援してる6ヶ国の中ではまあ、わりかしイメージしやすいかなっていうのが。

○立岩 介助…、制度、制度っていうと、何、その、政府に作らせるっていう話ですか?

○鍛治 まあ、そうですねぇ。あの、まあ、結構ね、その、街中に障害者が出ていっ…、その、出てきてはいるんですけど、まあ家族介助が本当、基本なんで。まあ、だいたい日本のまあ、僕が生まれる前ぐらい、30、40年前ぐらいって言われてますかね。

[01:46:34]
○立岩 じゃあそのセンターみたいなものをとにかく、例えばメインストリームに感化された人が「じゃあ作ったるわい。」って言って、ウランバートル…、まあそういうところに戻って作るって、それはまあ、分かる気がするんです。で、まあ結構大変やけど、まあとりあえず1個作ってみました的な話はまあ、何かちょっと想像できる気がするんですけど。その、制度を作らせるってまたさ、ちょっと違う話じゃないですか。センターを作るってのと、制度を作るというのは。その、センター作るいうのは、まあ大変やろうなと思うけど、でもちっちゃいものやったらまあ、頑張ればできるかなって。で、制度って、ねぇ。まあコスタリカの話をこないだちょっと説明を聞いたんで、何となくちょっとリアルな感じはしたし、まあその話の中身をあとでしてもらうけど、例えばほんまそういうもののイメージ自体があまりないところで、制度って、どういうこう、攻め方で、攻めてくんですかね?

○鍛治? あの、僕が8年その、関わった中で言ったら、この8年の中でもう、1回ロールモデルっていうのが2013年頃にあったんですけど、あの、制度ができかけたりとかあったんですけど、やっぱりそのまあ、政権が変わったんです、すごいその、あの、方針が変わるというか。

○立岩 はい。

○鍛治 で、そのユニバーサル・プログレスの中でも、その、試験的に介助っていうのをやってみた時期っていうのがあるんですけど。ま、日本人からしたらちょっと信じられない話やけど、そこのスタッフの人がロールモデル的に介助に行ってたけど、そこの介助先でお金を取ってしまうとか。そういうふうなこととかもあったりとかして、まあ、なかなかできてこなかったんですけど、まあ実際にJICAが絡んでくれそうになって。こないだ井上さん初めて行ったんですよね。

○立岩 あれ、もう行ったんですか?

○鍛治 1月でしたっけ? そん時に…、

○井上 金沢行く直前まで、うん。

○立岩 ああ、あの前ってモンゴルにおったんですか。

○井上 うん。

○鍛冶 実際に行ってみて何かイメージっていうのはできあがった、思ったより…

○井上 法律があるんですよ、権利法というのが。

○立岩 法律はあるんや。

[01:48:44]
○井上 はい。で、そこにも自立生活書かれてるんで。まあ、コスタリカと同じパターンで、権利条約があって、国内法に落ちてるっていうのをまず武器にするっていうのと。プロジェクト的には今あの、同じように…、あ、千葉さんご存知ですよね? 千葉寿夫さんかな、が、今技術プロジェクト ※で入ってる、それと連動させてやれるっていうのと。えっと、まあ向こうのその、バイヤールっていうリーダーが「今ならできそう。」って、まその今言ったようないくつかのプロジェクトがあってできかけてっていう。まああの、やれそうでやれない状況があるので、まああえて、あの、プロジェクトを入(い)れればもうちょっと確実に入(い)れれる…、できるっていう。それとね、コスタリカで一番学んだことは、やっぱり、口で言うのと実態があるのは全く違う。それは日本でも一緒じゃないですか。  ※https://www.jica.go.jp/project/mongolia/015/index.html

鍛治氏? うんうんうん。それはそうやね。

○井上 あの、(日本ではかつて)まずあの、CPの人が出てきて、街に住み始めて何か初めて動くことになって、それを、やっぱできないんですよ、途上国の人は。まずその第一歩、金がないんだ(?)って。それをプロジェクトやって、あの、見て、こういうふうに介助ついてたら、それが無駄金じゃないっていうのはもう明らかだし、そういうことで交渉しだすと、かなり状況は変わりますね。

○立岩 うーん。▼やっぱり一人、そうか、現物がおって、で、制度はないけど現物がおって、こういう生活というか人がおるのがあり、みたいな。そのためには制度いるっていう話があとに来て、それがうまいことやると、実現する場合もあるみたいな、そういう感じか。そういう流れとさ、その、中米はどうか知らんけど、その、まあモンゴルもよう知らんけど、何かほら、古いその、全国組織みたいのは、障害者団体ってのがあったりする場合もあるじゃないですか。

○鍛治 ありますね、モンゴルとかやったら何か視覚障害者業界…、あの、協会が牛耳ってたりとか。

○立岩 あるじゃないですか、そういう、それは、その、アジア的かどうかわかんないけど、そういう。日本で言えば昔、日身連、ま今もありますけど(笑)、とかあるじゃないですか。そういうとこって、どうなんですかね。あんま関係ないわ、という感じなのか、

○鍛治 関係ないわというか、その人たちからしたらですか?

○立岩 いやどっちも、両方かな。 [01:51:13]

鍛治氏? いや、でも僕ね、その、その、メインストリームの中の修行研修というのがあって。一昨年一人で1ヶ月、モンゴルに住んでたことがあって。

○井上 (笑)

○鍛治 で、その時にその、視覚障害者協会の人とかと会ったけど。ま、基本的にそこにいる人たちっていうのは年齢層が高い人たちだから、考え方が凝り固まってたりとか、あと、絶対言うのは「それは日本だからできるんでしょ?」とか、「僕らでも予測できそうなことやな」みたいな感じで、なかなか…。ま、リーダーはバイヤールっていうんですけど、バイヤールも、その、モンゴルのその、重鎮の障害者協会の人たちからしたら、「何を新参者が。」っていう感じで、なかなかうまいこといってる感じじゃないですけど、まあそこをバイヤールは何とか織り交ぜてやっていきたいなと思って、日々奮闘している最中じゃないですかね。▲

○立岩 そうだよね、そういうところを、メインのところを使っても、意外とというか、そうはできなくて。新しいとこが何か出てきて、色々何か言われながらも、頭角を現していくと、そのうち何かどこかで折り合い、というか、…がみたいな。まあ日本もまあ、そういうとこあったじゃないですか。だから▼古いもん、大きいもんを変えるっていう労力よりも、かえって新しい、別のものを作ってっていう方が、コストパフォーマンス的にはいいのかもしれないですね。

○井上 たたかれるのは絶対たたかれるけどね。ある程度あの、行けば、たたかれなくなるってのは、世の中の常識的にそうなってる(笑)。▲

○鍛治 そうそう。この日本でも僕たち西宮で活動してて、「メインは障害軽い人だけでしょ。」みたいなこと、今でもね、あるぐらいやから、ま、そりゃ、何かリアクション起こせば反応があるのは当然で、って感じで。

○井上 あ、大藪君だ。  ※大藪君登場 日本自立生活センターの新しい当事者スタッフ(SMA)、ダスキンの奨学金でシカゴのAccsess Livingで4ヶ月勉強して帰国してスタッフになった)

○立岩 こんにちは。

○井上 大藪君、知ってる?

○坂本 さっき会いました。

○井上 さっき会った? 大藪君? はい。

○立岩 あ、6時半から、上、あるんで。

○井上 ちょっとあのここ二人、10月にちょっと何か話してるじゃないですか、小泉さんから聞いてるんですけども。筋ジス関係のことを何かやりたいって。

○立岩 あぁ、はいはい。

○井上 で、メインストリームの呼吸器のグループが5、6人おって、その中の当事者なんです。で、筋ジスのあの、支援を主にしてるので、ちょっとあの、顔を合わせてつないでおきたいんです。坂本くんと藤原くん。

[01:53:45]
○立岩 あ、何か今日はみんな知ってる人しかおらんのかなと思って名刺とか持ってこなかったですけど。あの、ちょっと今、京都だと宇多野病院ってのがありますし。で、そこで今JCILの、今たぶんもう〔建物の〕上にいると思いますけど…、人とかと、まあそこから出たい人もいるので、で、そういうのをちょっとやろうっていう話になっていて。それからこの間井上さんに来てもらったけれども、金沢で一人、去年の秋出た人がいて、で、もう今年中にもう一人ぐらい出るかもしれなくて。ようやく、っていう感じが僕はするんですけど、まあここ去年から今年にかけて、北陸であるとか関西で動き出てきてるんで、それに関係させて小泉〔浩子〕さんが、こないだうちと一緒に何かやろうみたいな話をしている時に、「何かねたありますか?」みたいな話で、思いついたのはその話で。ちょうど今、そういうとこ、若干、ちょっと盛り上がってる感じがするので、そういう企画でシンポジウムだか何だかわかりませんけど、やろうと思ってる。その時に、まあ兵庫、大阪は大阪でありますし、で、京都、それからまあ北陸、ていうので、またその、JCILの方からになるかもしれませんけど、お声を掛けさせていただくなりして。

○井上 小泉さんがコーディネイトしてくれるみたい。

○立岩 兵庫の人たちって、兵庫にも旧国療ありますよね?

○藤原 あります。っていうのは僕らは西の方にあるけども、今、主に行ってるのは大阪の刀根山に行ってます。

○鍛冶 僕の地元です。豊中なんで。

○立岩 そうなんですか、あ、豊中なんだ、刀根山って。

○鍛冶 そうそう。

○藤原 刀根山から自立、何年ぐらいやってる、5年ぐらい、5年じゃない、3、4年か。(?)な人がいて、その人の思いとしては、自分は出て行ったけども、その病院にいる人は沢山いるから。(?)にいる人たち一人でも多く、地域に出て生活できたらっていう思いを持ってやりはって。それで刀根山によう行ったりしてて、『風は生きよという』という映画、あれの上映会を去年やっとやったとこ、病院内で。

○立岩 病院の中でやったんですか?

○藤原 はい。そこの相談員の人が、地域移行とか興味持ってる人で、今ちょうどええ時期やから、病院行ってる感じですね。

○立岩 わかりました、またその、それに向けてというか、秋に向けて、何ぼかできる、やったら面白いこと…、はい。あの、はい。主催者に呼ばれているので行きましょう。どうもありがとうございました。

○井上 ありがとうございました。

[音声終了]



UP:20180613 REV:20180614
病者障害者運動史研究 
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