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雪下法子さん

20180317 於:郡山

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【4上06】2018031702 雪下氏他 23分

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 19400214生

立岩氏 そうですか、高山〔久子〕さん、そうですね、高山さんが亡くなられたのが、えーと、去年? 去年ですか?

雪下氏 去年、はい。

立岩氏 ええ、あの、ご著書は拝読させていただいたんですけど。立岩と申します。高いところからすいません。

雪下氏 私は、無名の(?)名刺で。私も日本に一人しかいないと思ってます、名前これです。見えなくてごめんなさい(笑)。

立岩氏 いや、見えます、見えます。ゆきした(雪下)、ですか?

雪下氏 はい。じゃあ、いただきます、はい。

立岩氏 めずらしい、綺麗な、いいお名前ですね。

雪下氏 だからね、あのー、東京青い芝のかつての名簿とかも家にあるんですよ。

立岩氏 そうですか。

雪下氏 郡山に帰ってきてからも、賛助会員で。

立岩氏 東京青い芝の60年代のことは調べてる人は一人ぐらいいるんですけど、多分そんなに資料持ってないと思いますね。

雪下氏 (?)どこいったかな…。うん、資料、ちょっと片付けちゃったんですけど。

立岩氏 名簿を?

雪下氏 かなりあったんですよ。

立岩氏 ああ、そうですか。

雪下氏 はい。

立岩氏 雪下、のりこ(法子)さんとお呼びすればいいんですか?

雪下氏 のりこです、はい。

立岩氏 ありがとうございます。もしかして、メールもお使いになられます?

雪下氏 いや、名簿ね、だからどこにも…、私はもう黒子ですから、ないと思いますけど。

立岩氏 ありがとうございます。

雪下氏 私の青春なんで。

立岩氏 はい、あのー、知らせて…、東京青い芝に関心持っている人いるので、ちょっと知らせてみます。ありがとうございます。

雪下氏 ええ、何かね、交流できれば。

立岩氏 はい、あ、そうですか。あの、是非にと言う人いると思います。

雪下氏 あとね、フェイスブック、何にも入れてないんだけど、フェイスブックにもいただけば、この名前で。

立岩氏 あ、フェイスブックやっておられる。

雪下氏 はい。

立岩氏 すごいですね。僕はフェイスブック一応やってますけど、ほとんど…。

雪下氏 いや、やってないんですけども、他の人と交流できるかなと思って。

立岩氏 ああ、いいですね。この名前は珍しいから、多分これで検索すれば…、

雪下氏 ああ、これで。日本で一人です、私の名前も。

立岩氏 そうでしょう、そうでしょう。ですよね。雪下って珍しい、いや初めて知った名字です。

雪下氏 今日先生にお目にかかるのすっごい楽しみでした。

立岩氏 ああ、そうですか。ありがとうございます。

雪下氏 それで、青い…、あのー、あいえるの会の正会員なんですよ。

立岩氏 あ、そうなんですか。

雪下氏 はい。

立岩氏 じゃあ、あの、あいえるの会の方に、ちょっと。

雪下氏 いや、わかってます(笑)。

立岩氏 はい、ありがとうございます。

雪下氏 ごめんなさいね、お忙しいところ。

[00:02:31]
立岩氏 あのー、彼女以外に、何か名前として知っている、青い芝…、東京青い芝の会員っていうのは。

雪下氏 ああ、まあ一番親しかったのね、高山さんだし。あの高山さんの本も家には何冊もあるんですが。あとあの、(?)さんいったかなー。あの頃ね、青い芝の人同士で結婚すんのすごい流行ったんですよ、一時。

立岩氏 うんうんうん、はいはいはい。いや、そうですよね。

雪下氏 はい、流行ったって言うとおかしいんだけど。

立岩氏 いや、実際流行ったと思いますよ。

雪下氏 はい。

立岩氏 僕は、東京だと磯部さんっていう方、それから若林克彦さんっていう。

雪下氏 ああ、若林さんにもお目にかかったことあります。

立岩氏 ああ、そうですか。

雪下氏 向こうの記憶にはもうないし、もうだいぶ亡くなられてるし。

立岩氏 ええ、あの、くわつ(?)の方々、例えば…、

雪下氏 あの、寺田さんとかね。

立岩氏 寺田純一さんですね、そうですね。

雪下氏 ええ、寺田寅彦さんのお孫さん。

立岩氏 寺田寅彦さんのお孫さんです、そうですよね。ええ。

雪下氏 はい。…の頃は交流あったんですけど。

立岩氏 じゃあ、寺田さんとは交流があられ…、

雪下氏 ええ。だけど多分ね、もう忘れてると思います。

立岩氏 うん。ああ、雪下さんのことをってことですか?

雪下氏 ええ、ええ。

立岩氏 うん、まあそうかもしんないですけど。いや、でもどうかなあ。意外とそうでなかったりするかもしれない。

[00:03:58]
雪下氏 すごい懐かしいんですよ。

立岩氏 ふーん、東京…、そのどこらへんの場所っていうか、地域ていうか。まあ、光明(養護学校)は世田谷ですよね?

雪下氏 ええ、私は渋谷区なんかに住んでたんですけども、あの、文化服装学院に行ってたんで。

立岩氏 文化服装学院、あ、あー、はいはいはい。

雪下氏 ええ、あそこの寮にいましたから。

立岩氏 あれは原宿あたりですか?

雪下氏 原宿でなくて、代々木。

立岩氏 代々木か。代々木にあって、

雪下氏 新宿の南口から甲州街道に行きまして。あそこの寮にいる頃、はい。

立岩氏 あ、そうですね、甲州街道ですね、そうですね。ああ、今でもあそこにありますね。

雪下氏 あります、あります。

立岩氏 あぁ、そうですか。

雪下氏 はい。

立岩氏 じゃあ、あー、あっちで、何か、60年安保のデモなんかにも行った?

雪下氏 だからー、まあ、色々(笑)。

立岩氏 色々。

雪下氏 はい。

立岩氏 ああ、そうですか。へぇー…。

雪下氏 まあ、だからあの、くるめ…、くるめ園にね、一緒に行ったり。

立岩氏 はいはいはい、くるめ園の人、多かったですよね。

雪下氏 はい、一二三学園とか。一二三学園とか、あのー、おやもと(?)さんが立ち上げた一二三学園行ったり。

立岩氏 一二三学園、ですか。

雪下氏 ええ、一二三って書く。

立岩氏 一二三って書いて、ひふみですか。

雪下氏 はい。

立岩氏 僕それは存じ上げないなあ。

雪下氏 それでー…、くるめ園にも一緒に行きました。

立岩氏 あ、そうですか。

雪下氏 保谷(ほうや)の方ね。

立岩氏 くるめ園の話は、何人かから聞いたことはちょっとあるんですけどね。でも、具体的には知らなくて。

雪下氏 ええ、だから保谷の方にあったんですけど。

立岩氏 どこ?

雪下氏 保谷。

立岩氏 保谷。

雪下氏 ええ。

立岩氏 ああ、はい。

[00:05:38]
雪下氏 まあ、ごめんなさいね、お忙しいところ。

立岩氏 いえいえ、いえいえ、どうも。今…、で、それから東京で過ごされた後、ずっと郡山ですか?

雪下氏 ええ、郡山です。

立岩氏 あ、そうですか。

雪下氏 ええ。それであいえるの人達が、うつみねを立ち上げたんですよ、うつみね作業所。

立岩氏 はい。

雪下氏 それの、私、施設長やったりもしてました。

立岩氏 あ、うつみねの施設長もなさった。

雪下氏 ええ。

立岩氏 あー、じゃあ、だいぶ古くからの深い関わりですね。

雪下氏 ああ、もうここまで。だから、あんた達より私の方が古いのよ、つって。(笑)

立岩氏 いや、そりゃそうでしょうよ。そりゃあ本当に古いですね。真面目に古いですね。

雪下氏 はい。ちゅうことで。

立岩氏 すごい、40年か。40年生まれか。

雪下氏 ええ、いやあ、先生ごめんなさい、お食事が遅くなって。

立岩氏 いえいえ、いえいえ。ありがとうございます。

雪下氏 すごい懐かしい、はい。

立岩氏 いや、東京の人たちの話も、まあ、まあ僕はちょっとそっちはよく知らないのもあって、あの、今日はまあ、知ってることもお話しませんでしたけど、はい。東京の人たちもやったことあって。

雪下氏 ええ、東京青い芝は自分達の理念とちょっと違ったからね。全国青い芝脱けちゃったんですよ。

立岩氏 そうですね、そうです。

雪下氏 戦う青い芝を目指したんでないから。はい。

立岩氏 うん。で、白石さんもそこと微妙な距離感だったっていうか、一緒にやったとこもあるし、離れたとこもあるって話を昨日聞いて。あ、面白かったです。

雪下氏 私は、東京青い芝が好きだったんです。

立岩氏 あ、そうですか。

雪下氏 はい(笑)。「戦うんでなく一緒にやっていこうよ。」って、何で思わないのかなぁ、なんて。あのー、「健常者は敵だ。」なんつったから。ごめんなさいね。

女性 いえいえ、雪下さん(?)。

立岩氏 はい、あの、食べます。ありがとうございます。あ、こんにちは。

雪下氏 そんなことで、先生ごめんなさいね。

立岩氏 いえいえいえ。あ、ありがとうございます。また、あのよろしくお願いします。東京青い芝のこと聞ける人って少ないので、ちょっと僕の知り合いにも紹介しておきます。

雪下氏 そうですね。何かでお目にかかれる機会があれば。

立岩氏 はい、ありがとうございます。

雪下氏 はい、すいません。

立岩氏 いえいえ、いえいえ、どういたしまして。



[00:07:47]
猿渡氏 (?)何回か、高校生の頃(?)、今、生きてる(?)書いてる(?)、白石さんじゃなくて。会社辞めて。まああの、元パートナーが池田まりこなんで。相模原のセンターに行って、それで、そこからくえびこにいて。白石さん1とはずれてるんですけど。で、くえびこで(?)教わって。で、文京に行って、(?)先生とかとずーっと(?)2月の亡くなる前日くらいまでずーっと色々教えてもらって、で、その時(?)さんに結構昔の話とか、まああの、入院時コミュニケーション支援(?)相模原の時作ったので(笑)。まあ、12年相模原にいたんですけど。で、また元に戻るっていうか相模原に戻ってこようかと、今、家探してる最中で(笑)。

立岩氏 なに、相模原に…、くえびこにいて、文京に行って、今、相模原に戻ろうみたいな。あー。

猿渡氏 いっかい相模原に戻ろうかと。

立岩氏 はい。

[00:08:50]
猿渡氏 (?)もあったんですけど、やっぱり、まあ、(?)教育の(?)っていうか自立、いわば、子どもを自立させたいって言って、どんどん外に出してっていうふうで、本当に親はそういう就学関係のでやってて。そのおかげではあるんですけど、僕は両方、インクルーシブ教育と特別支援と両方行ってて。
 で、まあ、ずーっと、で、まぁHANDSに最初、ピアカンとかそういうぱるみぬむ(?)、ハンズに関わって、横山さんと知り合って。で、町田ヒューマン行って、そっから相模原行って、で、くえびこでどっぷり浸かって、「やっぱり運動やらなきゃダメだなあ。」っていう。先輩方が作ってきたことっていうのを学んできて。でも(?)運動を見に行ってみたいって思って、文京行ったら、まあ三澤さんたちいた頃はすごく良かったんですけど、やっぱり。まあ、まあ、その、ちゅうしんたい(?)とかの話もあって、そのあと、どんどんやっぱり政策委員会に取り込まれてからだけど、みんながすごい停滞して。で今横山さんとかが10.27とかやってるんだけど、もう若い当事者の(?)が育たないというか(笑)。「自立したい。」っていう人もすごく少なくて、とかそういう中で。

[00:10:07]
立岩氏 猿渡さんてさ、何年のお生まれなんですか?

猿渡氏 73年。

立岩氏 73か。私と一回り下だよね

猿渡氏 だから(?)は、そう、あの、(?)バラして、『さよならCP』とかも、(?)まあよくわかんないけれども、(?)て、で、結構周りの人から話も聞けて、で、やっぱり…、

女性 午後もいらっしゃるので、午後でいいですか?

立岩氏 いや、私はいいよ、別に。弁当…。

女性 だって、尾上さん呼んでるもん、尾上さん呼んでる。

立岩氏 尾上さんが呼んでる? あー、わかりました。

女性 うん。もうそろそろ、っていう風に、はい。

立岩氏 あのー、今日ずっといますので、はい。

猿渡氏 先生名刺もらって下さい。

立岩氏 はいはい名刺、はい。

猿渡氏 いつも先生のページ見させてもらってます。

立岩氏 あ、ありがとうございます。

猿渡氏 ナガセさんとはよく会ったりもするんです。

立岩氏 ナガセさん知ってるんですか?

猿渡氏 はいはい、分かりやすい権利条約をナガセさん達と作ってたんです。

立岩氏 へぇ。で、何? 相模原に移る?

猿渡氏 そうです、もう一回戻って相模原でJIL(?)とかも含めて活動しようかなって。

立岩氏 わかりました。またあの、俺、本当覚え悪いんですけど、あの、またあの呼んでください。ありがとうございます。

[00:11:17]
遠藤氏 こんにちは。

立岩氏 こんにちは。遠藤美帰子さんですね?

遠藤氏 はい。

立岩氏 福島、田村。

遠藤氏 99年に、ふねひき(船引)に来たことありますか?

立岩氏 はいはい。99年ですかね。

遠藤氏 ええ。

立岩氏 いや、僕昨日…、あの、来たんです。何年に行ったのかな、って昨日思い出そうとしてたんですけど、はい。

遠藤氏 99年(?)、今、うちの理事長達はその時は(?)、99年には自立生活を始めたばかりで。

立岩氏 遠藤さんが自立生活を始めたのが99年だった?

遠藤氏 はい。今、だから(?)、アベ(?)、阿部美帰子でした。それからずっと田村にいます。

立岩氏 あ、そん時もそこにいて、いま、市町村合併で田村市になったんですね。

遠藤氏 ええ。で、今日、「あ、あの時の立岩先生かな。」と思って、楽しみにしてきましたんで。うちの、鈴木絹江さんたちは今、京都にいます。

立岩氏 ええ、そう聞いています。僕も京都なんで、

遠藤氏 ああ。

立岩氏 多分、でもまだお会いしたことはないんですが、

遠藤氏 あぁ、そうですか。

立岩氏 ええ、京都にいらっしゃるっていうのは聞いています。

遠藤氏 ありがとうございます。

立岩氏 その絹江さんのところは、一家そろってというか、京都に移られてるんですか?

遠藤氏 二人で。

立岩氏 二人で。

遠藤氏 ええ。

立岩氏 僕、あの時にお話を、まあ、させていただいた後に、みんなで飲み屋行って、ビール飲んで、絹江さんと、亭主…、亭主というか連れ合いというか、彼に話を聞いて面白かった記憶がすごい残ってます。自分は何をしゃべったか全く覚えてないんですけど。あの二人の話は面白かったです。

遠藤氏 ああ、そうですか。

立岩氏 ええ、それは覚えてます。

遠藤氏 私もまだ自立したばっかりだったので、

立岩氏 じゃあ、あの打ち上げにはいらっしゃらなかったのかなあ。まあ、あそこ、ほんとに…。

遠藤氏 いました。

立岩氏 いました?

遠藤氏 はい。

立岩氏 ああ、そうですか。あのとき何人ぐらいいたのかな…、結構いたような気もするし、なんか飲み屋…、食堂みたいなとこですよね。

遠藤氏 はい。街の飲み屋です。

立岩氏 街の飲み屋ですよね、あ、じゃあその時いらしてたんだ。

遠藤氏 ええ。あの時はまだ阿部、阿部美帰子でした。

立岩氏 あの時はまだ?

遠藤氏 今は遠藤ですけど、阿部でした。

立岩氏 阿部、ああ、その時の姓が。

遠藤氏 ええ。

立岩氏 あ、今、結婚なさって、ということですか。

遠藤氏 結婚してたけど、ちょっと、主人は亡くなりました。

立岩氏 ああ。亡くなられた。

遠藤氏 はい。

立岩氏 え、遠藤さんていう方が亡くなられた?

遠藤氏 ええ。

立岩氏 ああ、そうなんですか。

遠藤氏 うちの主人は、先ほどお話に出てきた、ポリオでした。

立岩氏 ポリオ?

遠藤氏 ええ。

立岩氏 で、亡くなられて…、そうですか。いや、僕は本当に99年の、あの…、は、本当にあの、それこそ、街の居酒屋のことは覚えてる(笑)。

遠藤氏 あはー、そうですか(笑)。

立岩氏 それしか覚えてないんですけど、行きの電車がなんか、[
おおー、何かだんだん山の方に行くなー。」っていう、その記憶と、何しゃべったか忘れたんだけど。

遠藤氏 まだあの時は、鈴木たちがやってくれたんだと思いますよ。

立岩氏 はいはい。

遠藤氏 ありがとうございます。

立岩氏 いや、本当にあの時によくしていただいた、その記憶だけは残っています。ええ、あの。

遠藤氏 (?)

立岩氏 あ、やっぱり。

遠藤氏 ぜひ。

立岩氏 これですか?

遠藤氏 (?)ったの。 ひだり(?)。

男性 立岩先生、名刺入れ、置いときます。

[00:16:24]
わたなべ氏 (?)。

立岩氏 このSは貞美なんですか?

わたなべ氏 はい。

立岩氏 あのー、さっきの方にも…、遠藤さんか、にも言ったけど、僕どうやら船引町に行ったの99年だったらしくて。

わたなべ氏 ああ。

立岩氏 ええ。ああ、そうだったんだなあとなったんですけど。ああ、これですね。

わたなべ氏 (?)あのー、(?)なんかやって…、

立岩氏 はいはいはい、53年、ああ、白石、橋本より三つぐらい下か、下ですね。

わたなべ氏 下です。でも一緒にやってました。

立岩氏 ああ、そうなんですか。

わたなべ氏 安積遊歩とも(笑)。

立岩氏 安積遊歩。安積遊歩は56年(?)。ええ、ちょうど安積さんと白石、橋本の間、真ん中ぐらいですね。

わたなべ氏 確かにおぼろ(?)としかなくて。

立岩氏 書いてある、そう書いてある。ええ。
 今も、その田村のセンターには関わっておられるんですか。

わたなべ氏 関わってる。

立岩氏 あ、そうですか。ありがとうございます。貴重なっていうか、こういうのって、多分こういうとこ来ないと、何か、知ることはできなかったと思うんで。ありがとうございます。

わたなべ氏 (?)。よかったら会報など送ります。

立岩氏 あ、ありがとうございます。あのー、はい。何でもっていうか、頂いたものは…、あのー、今ね、僕が書庫って言って、あの、機関誌とか色々資料を集めて並べる、みたいなことをやってるんですよ。で、私自身の家には本とかほとんどなくて、立命館の学校の、割と広い部屋を一つもらって、そこに、こういう、まあ、「他にどこにもないよ」っていう、「どこにでもあるわけじゃないよ」っていうのを集めて並べているんで、そこに置かしてもらって。で、あのー、ホームページで登録させてもらって、検索なんかしたら出るようにさせていただきます、はい。もし、はい、だから、そういうメールとか、そういうパソコンのデータみたいなので貰えれば、もう、それはもうそのまま、ホームページに載せたりすることもできます。

わたなべ氏 (?)なんて私は、パソコンができない。

立岩氏 あ、あのできなくてもいいですけど、もし。これはどうやって打ったんですか、字を?

わたなべ氏 打ってもらったんですよ。

立岩氏 口述筆記ですか?

わたなべ氏 はい。

立岩氏 なるほど。これは違う?

わたなべ氏 最後の(?)、自分で書いてそれを清書してもらって、それが(?)。

立岩氏 手で、字を書くことも多少はできる?

わたなべ氏 (?)。 

立岩氏 こういう、詩とかだったら字の数が少ないから。

わたなべ氏 そうですね。

立岩氏 船引町って、さっきも遠藤さんと話したんだけど、まあ99年に話してて…、99年だから、そっかもう18年前で、びっくりですけど。本当に覚えてなくて、っていうか。僕は話したのは自立支援法とか、何かそういうことしゃべったんらしいんですけど、覚えてなくて。ただ、あの終わった後に、鈴木さんとかに接待していただいて、あの、近所の飲み屋で。

わたなべ氏 (?)だったんじゃないのかな。

立岩氏 そうだったんですかね。で、その今ここにいらした遠藤さんは一緒だったの。その当時、自立生活をちょうど始めた頃でいらっしゃった。

わたなべ氏 そうですね。私は家で(?)。

立岩氏 99年に、ですか?

わたなべ氏 99年だね。

立岩氏 あぁ。支援センターの仲間に支えられ(?)。支えられるってことは、99年からセンターに関わりだした、関わってきた。じゃあ、ちょうどその年だからいらしたのかな。

わたなべ氏 そうですね。

立岩氏 僕はその時に、鈴木さんとその、その亭主というか…、

わたなべ氏 そうそう、私子どももいて、そんとき(?)てんやわんや。

立岩氏 あ、そうだったんですか。ちょうど前に、その鈴木夫妻がこう座ってて、確かビール飲んだんですけど、特に色々話聞いてて、それがすごい面白かったのは覚えてます。自分がしゃべった話は覚えてなくて、多分でもその、夕方飲んでその日に郡山に戻って、で、郡山で泊まって、その次は北海道で仕事が、次の日、確かあったんですよ。だったんで、で、しゃべってビール飲んで戻って、また、だったと思うんですけど。とにかく、その時に、色々鈴木さんたちに話…、聞いた話が面白かった。それは覚えてます。他は忘れました。
 あ、でもありがとうございました。これはこれでありがとうございます。葦船ですか? これ、横田さんの葦船の(?)。そうですね、ありがとうございます。(?)よろしくお願いします。はいはい。


音声終了


UP:20180519 REV:
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