白石清春・橋本広芳
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白石清春さん・橋本広芳さん

2018/03/16聞き手:立岩真也 於:郡山、オフィスあいえる

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◆白石 清春・橋本 広芳 i2018 インタビュー(本頁) 2018/03/16 聞き手:立岩真也 於:福島県郡山市・オフィスあいえる
白石 清春(195004〜)
橋本 広芳(19500715〜)
病者障害者運動史研究

◆文字起こし:ココペリ121 【4上01】2018031601 白石氏橋本氏 107分・【4上02】2018031602 白石氏橋本氏 58分

 以下の本にいかされました。ありがとうこざいました。

◆青木 千帆子・瀬山 紀子・立岩 真也・田中 恵美子・土屋 葉 2019/09/10 『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』,生活書院,424p. ISBN-10: 4865001042 ISBN-13: 978-4865001044 [amazon][kinokuniya] ※
青木千帆子・瀬山紀子・立岩真也・田中恵美子・土屋葉『往き還り繋ぐ――障害者運動於&発福島の50年』表紙


立岩 ありがとうございます。わざわざ呼んでいただいて。

白石 いえいえ(?)。はい(笑)。

立岩 えっとですね、実は、あの、僕らの研究一緒にやってる、土屋葉さん、

白石 ああ、はい。

橋本 おお、土屋さん。はい。

立岩 はい、…が、調べ、2000年、だから今から18年前なんですけど(笑)、

橋本 わおー。

白石 はい。

立岩 2000年と2001年に、二人、初めにお話を伺ってるんですよ。僕もそれを読み返してきたんですけども、すごく面白くて。で、その、以前のお話は、かなり詳しくお二人にしていただいているので、それは読ましていただいて。
 で、今その、土屋さんたちと話してるのは、福島の動き、運動の歴史みたいなものを…、前から言ってたんです、2000年、2001年に、あの、二人にインタビューしたのを知っていて。「で、それどうするの?」と。だから、まとめようよ、っていう話は知ってて。土屋さん、一つ論文は書いてるんですけど、そのままになっていて。もうちょっと、何か大きい、本とかそういう形にしなきゃという話はしてるんですよ。

白石 ああ、本とか。ええ。

立岩 で、2000年、2001年のインタビューは、相変わらずというか漫才みたいな、

白石氏&橋本 (笑)

立岩 掛け合いがすごい面白くてですね、

橋本 どうもどうも。

立岩 で、だいぶそれで詳しく、知らない話をいっぱい知ることができたので、今日は、それを全部また繰り返すっていうのは、無駄っちゅうか、必要ないと思うので。補足という感じでね、と思います。で、それが2000年の話なんで、それより前の話で、ちょっと確認したいことが三つぐらい。それからやっぱり2011年、震災起こって、それからまあ…、ですけれども、その後の話をもう一個と、いう感じで、と思います。で、僕は…、どっちから聞いたらいいかな…、前、昔の話は三つで、一つは1985年の障害基礎年金、のことを忘れたって言われたらそれで終わりですけど、

白石 (笑)

立岩 あの、その辺り、まあ、所保連とか(?)話。それから81年にくえびこを作られたんですか。その辺りの、86年…、じゃない、2016年に相模原でっていう、何か、相模原…。この間、その、相模原の、あの、事件が起こって、その後、施設の、施設のままで戦いをするっていうときに、それは良くないということで声明というか、が出たんですけど、それを調べてみるとやっぱり、くえびこがやっぱり名前を連ねているんですね。で、くりきしげこさん、

白石 ええ、ええ。

立岩 栗城ていう名前が出てきてて、絶対知ってるなと思って。

白石 はい。はい。

立岩 その辺の話。それから、もっと前なんですけど…、そっから行きましょうか。

白石 はい。

立岩 僕が今、雑誌に昔の話の連載をしていて、国立療養所、まあ仙台だと、西多賀とか、

橋本 ああ、西多賀。はいはい。

立岩 そういうところになりますけども、そこから出てきた筋ジストロフィーの人たちの話とかちょっと書いてるんですよ。それで、2000年、2001年のお二人のインタビューを読んでいるとですね、▼「地福研(ちふくけん)」と略称するんですか?

白石 はい。

立岩 地域福祉研究会ですかね。それに入っておられて、そこのメンバーが、『さようならCP』のことをどっかで聞いてきて、で、上映会をやろうって話になって、福島でも上映をしたっていう、そういう話らしいんです。で、そういう話って結構、ほかでも私、この頃聞く事があって。先月、富山とそれから金沢でインタビューをしたんだけれども、やっぱりその、富山であったり、の、その、地域の福祉研究会みたいな? でまあ、大概その、健常者が入(はい)…、ま、むしろ多いかも、多かったかもしれない、そういうところで、『さようならCP』を、どっかで聞き及んだっていうメンバーがいて、
[00:05:04]
 それで何か、上映会をやるっていう流れというのは結構あるなと思って。で、白石さんは福島に関して、地域福祉研究会ってことを言われていて。そこの中に、山田富也、ありのまま舎ですけれども、その話が出てるんだ…、ちょっとだけ出てるんですよ。で、僕は、昔のことは本当に、覚えていられない人なので、何にも覚えてないんですけれども、ちょっとびっくりしたんです。あの人は仙台、宮城じゃないですか。で、70年代の初めぐらいだと思うんですけれども、地域福祉研究会っていうもの、それから宮城、仙台、山田、ありのまま舎、その辺のつながりっていうか、その辺、何かご記憶にあること、ございますでしょうか。

白石 あのね、あの、私が、養護学校を卒業して、で、あの、りえんかい(?)にじぜんと(?)、在宅で過ごしてたんですね。
 その時にあの、ほら、私の高等部の同級生がね、あの、福島市で、あの、サークル、何だっけ、

橋本 ひまわ…、

白石 ひまわりの会(?)というサークルを作って、サークルに入ってたんです。そのサークルの(?)があって、郡山にもサークル、「仲間」っちゅう、サークルがあって。で、そこのサークル仲間の代表者の方と、私の同級生の人が、私のとこに来て、で、サークルに入らないかって言われたんですよ。うん。で、そこで初めてサークルを知って、サークルに入ったんですね。そう。そういう関係で、もうあの、(?)。
 で、ですね、あの、誰かな、あの、(?)、きくちさんの、

橋本 きくちさんの、

白石 の、仲間の、何かもう一人いる。

橋本 もう一人、いらっしゃったね。

白石 何か、名前、

橋本 何だっけな、名前。

白石 (笑)

橋本 もう一人、いらっしゃったんだよね。

立岩 ああ。同級生ですか?

白石 同級生、じゃないですね。

立岩 同級生じゃない。

白石 はい。あの、サークル仲間の代表の方が、あの、日大(日本大学)の法学部のね、学年、2年生(?)ですね。で、その人が中心になって、サークル仲間が呼ばれている。で、そこに関わるようになった。
 はい。で、あの、誰かな、あの現在は、老人ホームのほうでちょっと、あの、何て言うか、あれ、

橋本 えー、学生さんたち(?)か。

白石 覚えてない(?)。その人、ちょっと名前忘れた(笑)。(?)

立岩 うん、いやいや、いいです。

橋本 名前はね、色々いらっしゃった。

白石 その人が、あの、仙台の▼山田富也さんを知ってたんですよ。

立岩 ああ。その人は福島の人なんですか。

白石 はい。

[00:10:00]
橋本 福島の方でね。

立岩 福島の人で、日大に行って、で、日大出て福島に戻られたんですか? そういうことではない?

橋本 うーん、どうなのかな。

白石 いや、

橋本 (?)、違うかもしれない(?)。

白石 もう一人の人、あれ、名前、何…、

橋本 名前、名前、俺も出てこないな。

立岩 二人、おったんですね。

白石 ええ、二人、

立岩 一人が日大の法学部出て、

白石 ええ、出てて、

立岩 それで、もう一人。

白石 もう一人は、と(?)と、仙台のほうと関係があって。その、地福研を作ろうやっつって。その地福研の仲間に入ったんですね。で、その、ひまわりの会とサークル仲間が、その地福研の仲間に入って。

立岩 サークルの仲間が地福研の…、

白石 はい。はい。サークルの仲間は、あの、郡山にあった。

立岩 郡山にあった。サークル。

白石 はい。で、ひまわりの会っていうのが、福島にあった。

立岩 どこにあった?

橋本 福島。福島にあったね。

白石 で、そこで、こうちょっと交流があって、

立岩 福島と郡山の間の交流があった。

白石 はい。

橋本 だいぶ前の話で(笑)。

立岩 これ、いやもう、すごい前ですよ。だって、何年前? 50年ぐらい、

橋本 50年ぐらい前(笑)。54年ぐらい前になる。

立岩 ねえ。えらいことです。

橋本 すごいですね。いやー、50年か。50年前。

白石 それで、あの、山田富也さんが作った詩集、▼『車椅子の青春』を読んでいて。

橋本 私も読ませてもらいました。

立岩 橋本さんも読んだ。

橋本 はい。読ませてもらいました。

立岩 へえー。あれを読んで、で、読んで…、

白石 山田富也さんは直接関係無かったんだけど、

立岩 直接山田さんとどうこうあったわけではない。

白石 はいはい。

立岩 でも、山田さん知ってる人がおって、

白石氏・橋本 はい。

立岩 で、山田さんの、あの、『車椅子の青春』というのを読んだ、という記憶というか、そういうことはあった。

白石氏&橋本 はい。

立岩 そうですか。

白石 それで、それと同じ時期に、▼『さようならCP』の情報が入ってきて。

立岩 似たような時期ですか? 大体。

白石 大体…、

橋本 うん、大…、

白石 ああ、ちょっと、ちょっとそれは、『さようならCP』の方がちょっと遅いぐらい。

橋本 ちょこっと、ちょこっと時期的なずれがあったけど、ちょこっと。ちょこっとだけと思う。

立岩 その後も、その前後も、その、多分、山田さんて、68年とかそのぐらいから、何やかんや、やってるはずなんです。

白石 はい。はい。

橋本 そうですね。

立岩 で、その、宮城の▼ありのまま舎とか、そういう所との関係みたいなのは、その後あったりした時期があるんですか?

白石 関係…、

橋本 あの、関係っつうか、私は、その後は何回か、あの、会いに行った記憶が残ってる。

立岩 ああ、宮城、仙台に会いに行った。

橋本 白石さんと行ったことも、

立岩 ああ、二人、

橋本 私の記憶があれだけど。

白石 1回行ったかな。1回、はい。

橋本 会いに行ったですね。

立岩 ああ、そうですか。

白石 あの、交流会か何か、あったんだろうな。

橋本 うん。はいはい。

白石 ね、▼地福研の交流会か何かがあったんだろうね。

橋本 昔の記憶は覚えてない(?)から、(笑)。いやいやいや。

立岩 会いに行って、まあ、何をしてるか、みたいなことを教えてもらった、みたいな、

橋本 そうそう。私、聞いてきて。まちづくりの話になって、「あんたはもう、郡山はどうなってんの?」とか、「いやいや、(?)だよ。」とか言って。うん。だったと思いますね。

白石 何でも、次の(?)、

橋本 (笑)

白石 (?)、終わったんだ。

立岩 わかりました。あとでまた何か思い出したりとか、僕もきてもらったりみます(?)けど、それで、さっきもちょっと言いましたけど、2016年に相模原で事件が起こった時に、僕、1986年か7年か、ちょっと調べてもわかんなかったんですけど、安積遊歩に連れられて、相模原のくえびこに、白石さんたちの所に僕が行ったのが最初なんですよ。

白石氏&橋本 ああ。

立岩 だから、それも30年前ですよね。

橋本 すごいな(笑)。

立岩 で、その時のインタビューの記録がどうもないんですね。行ったのは覚えてるんです。覚えてるんだけれども、で、くえびこやってて、シャローム、ですか?

[00:15:05.032]
白石 はい。

立岩 やって(?)る、という話を聞いたんですよ。で、それは覚えてるんだけど、その時の記録、残っていなくて。でもまあ、それが最初だったんですよね。で、相模原なんですけど、ま、福島でやってこられて、全国の活動に関わるようになって、まあ関東の方に住まわれてっていうのはわかるんですけど。その時に、その、関東言うてもまあ広いじゃないですか。そこの中で、神奈川県の相模原。例えば、東京には、相模原って別に近いわけじゃないじゃないですか。

白石 ああ、はい。ええ。

立岩 ね。って時に、「何でその、福島の人が相模原で作業所であるとかそれからグループホームであるとか、そんなん始めることになったの?」というのがこう、素朴に疑問なんです。

白石氏&橋本 (笑)はい。

立岩 それは何か、覚えて…、

白石 覚えてます。

立岩 すいません(?)。

白石 あのね、あの、横塚晃一さんが亡くなって。ね、その、(?)いうのを、意見を(?)、(?)、だんだんだんだん、すごい、早めに(?)なってきて。
 で、川崎に、全国事務所があったんですよ。その川崎の事務所を、あの、維持することが大変になって。で、もっといい、家賃の建物(?)を見つけようっていうことで。で、あの、横浜線沿いを、探した。

立岩 その、安い家賃の、

白石 はい。

橋本 (笑)

立岩 それは神奈川青い芝の事務…、全国青い芝の、

白石 全国、全国青い芝の。

立岩 全国青い芝の事務所を、

白石 はい。はい。

立岩 で、川崎が維持できなくなったので。確か、横塚さんが亡くなられたのが78年だったんですよね。だ、その時期に、事務所探しをした。

白石 はい。はい。

立岩 横浜線沿いを。

白石 はい。

立岩 そいで、

白石 で、相模原に、あったんです。

立岩 相模原市に、その、安いというか、家賃が、

白石 はい。

立岩 ああ。そう、(?)。

白石 そこから。で、その時に、あの、私は、秋田にいたんです。

橋本 (笑)

立岩 それ、ああ、何、横浜線に、で、事務所を探してる同時期に、白石さんが秋田にオルグに行った時期と重なるわけですか。

白石 いや、オルグ行ったのは、もっと前です。秋田に。

立岩 もっと前ですか。

白石 (?)

立岩 そうですよね。

白石 はい。

立岩 秋田に行ってて、

白石 行ってて。で、こっちで、探して、事務所探して、(?)、そしてその、相模原の事務所を、あの、維持していくのに、誰かその、こう、中心メンバーがいないとだめだなっていうことになって、で、東京青い芝の磯部さんと、寺田(純一)さんが、秋田に来て、僕のとこに来て。で、(?)って。

立岩 全国青い芝の事務所を、川崎から相模原に写した時に、磯部さん、

白石 に、そこを守ってくのに、出てこいって、(?)。

立岩 それは、磯部さんと寺田さんが、

白石 はい。来て、

立岩 来て、白石さんとこに来て、

白石 うん。

立岩 お前、その事務所っていうか、を、やれ、やれっていうことを、磯部、寺田が言うたわけですか。

白石 はい。

立岩 ああ。ていうことは、全国青い芝の事務所は相模原にあった時期がある。

[00:20:01]
白石 はい。そう。あります。2年くらいかな。
立岩 2年くらい、横塚さんの亡くなられた後に、相模原に全国青い芝の事務所が、あった。

白石 はい。あった。

立岩 で、そこに白石さんは、そこら辺に、まあ言うたら、住んでたんですか?

白石 はい。それで、その近くに。

立岩 近くに。事務所の近くに白石さん、住んでおられた。で、それは、そういうことを、まあ、白石やれというように言うたのは、磯部さんだったり寺田さんであったりした、そういう話ですか。

白石 はい。はい。全国青い芝の火が消えちゃうから。

立岩 全国青い芝の?

橋本 火が消えてしまう。

立岩 火が消えてしまう、から…、

白石 (?)来て(?)、途中で、やってほしいって。

立岩 やってほしいっていうふうに、あの、周りの人たちが言う。

白石 はい。はい。

立岩 それ、知らんかったわ。78年横塚亡くなる、それの後ですよね。で、今日見ながら来たんですけど、くえびこが81年だと書いてあったんです。全国青い芝の事務所とくえびこの開設というのは、どういう関係…、

白石 それはあの、80年…かな、81年の全国青い芝の大会があった時に、
(?)その前の、私が、青い芝の再建委員会の代表になって。で、そこ、色んなことがあって、私、辞めたんですね。

立岩 何があって?

白石 色んな、

立岩 色んなことがあって。それはまあ、色んなことがあった(?)。

白石氏&橋本 (笑)

白石 (?)が辞めて、

立岩 何、辞めて?

白石 青い芝を辞めて。

立岩 白石さん、青い芝の再建委員長になったけど、色々あって、

白石 (?)。

立岩 色々あって、81年、白石さん、青い芝を脱会されてるんですよね。

白石 はい。はい。

立岩 それはそういうことでいいんですか。

白石 はい。はい。

立岩 それは81年、脱会された年と、くえびこやった年は同じ年なんですか?

白石 (?)、何つうの、脳性マヒ者が地域で生きる会という会を作ったと同時にね、

立岩 辞めた時と同時に、地域で生きる会を作られた。

白石 はい。はい。

立岩 多分、学校行って探せば、地域で生きる会の機関誌があると思うんですよね。

白石 ああ、持って(?)(笑)。

立岩 確か、あの時にいただいたと思うんですよ。ああ、それは青い芝は辞めたけど、相模原に住んでおられて、

白石 はい。

立岩 で、相模原で何かやろうっていった時に、地域で生きる会を作った。

白石 はい。そうです。

立岩 そういうことで。

白石 はい。で、その次に、あの、私のとこに、養護学校の同窓生の、あの、(笑)、話出た、あの、く、くりきさん。

立岩 あ、くりきさんというのは、相模原の人じゃなくて、郡山の人なんですか。

白石 会津。会津。

立岩 会津の人、会津の人ですか。

橋本 会津の、からむし織の里っていう所の、

立岩 何の里?

白石 昭和。

橋本 からむし織で有名な。

立岩 ああ。

白石 昭和、昭和っつうとこ。

橋本 あの、すごく、あの、

立岩 織物?

橋本 まあ、悪く言えば、山奥ですね。

立岩 山奥(笑)。

橋本 雪深い。

立岩 ああ。

橋本 すごく、リゾートと言えばリゾートです。

立岩 リゾートっちゃあリゾート。

橋本 (笑)いいとこです、いいとこです。

立岩 ああ、じゃあ、くりきさんは、福島から相模原に来られた。

白石 はい。くりきさんともう一人、とのむらさんって、

立岩 との?

橋本 とのむらさん。

白石 とのむらひさこさんて。

立岩 とのむらひさこ、あ、記憶、何で知ってるんだろう? とのむらひさこですよね。

白石 今、あの、国分寺のとこの、あの、ね、自立生活センターにいますね。

立岩 あ、国分寺の自立生活センター、あぁ、だから知ってるのかな。名前を知ってますよ、私。で、そういう、こう、どっちか言ったら、その、相模原地元っていうよりは、その、福島つながりの人たちが、

橋本 郡山養護学校の、

[00:24:58]
立岩 郡山養護学校同窓生たちが、なおかつ、相模原で、そういう、地域で生きる会を作ったという、そういう話ですか。

白石 はい。はい。そうです。

立岩 はああ。じゃ、くりきさんも、わざわざっていうか、福島から、相模原に移り住まれた、ですか。

白石 はい。何で(?)、くりきさん、橋本さんと同じ施設だったの。

橋本 はい。あの、福島の施設にもいたことあるんです。

立岩 福島の、太陽の何とかですか。

橋本 いや、違う。けやきの村って。

白石 けやきの村という。

立岩 けやきの?

橋本氏・白石 村。

橋本 はい。

立岩 村。それは橋本さんと同じだった? けやきの村に、誰と、その、くりきさん、

白石 くりきさんもいた。

橋本 あと、私もいた。2年間ぐらい。

立岩 橋本さんも、くりきさんも、けやきの村?

橋本 …村にいたの。

立岩 2年間。

白石 とのむらさんも、か(?)。

橋本 え、(?)よ。

白石 ほんと、ほんと。

橋本 とのむらさんもいたかな。

立岩 とのむらさんも?

橋本 いたと思いますね。私の記憶では。

立岩 ああー。そういう、養護学校の同窓生でもあり、同じ施設にもいた、その人たちが、ま言うたら、その施設を出た?

白石 はい。

立岩 出て、

白石 はい。

立岩 福島ではなくて、相模原に移り住まわれたって、そういうことですか。

白石 はい。

橋本 私は、私と白石さんと、あの、福島でやっぱ2年間いたこともあったけども。その前に、はい。

立岩 うーん。それは、くりきさんであるとか、って、とのむらさんであるっていうのは、わかるにはわかるんです。白石さんたちが相模原で活動されてたっていうのはわかるんですけど、だけど、だからっつってわざわざ相模原に行くとは限んないじゃないですか。

白石 (笑)

立岩 ねえ。

橋本 いや、ちょっとあの、こうあの、同級生だったから。
立岩 いや、同級生だったからって、相模原まで、わざわざ行きます?

白石氏&橋本 (笑)

白石 (笑) 何だろう。 橋本 いや、何だろう、それはあの、頼って行ったんじゃないですかね。

立岩 頼って行った。 橋本 白石さんを頼って行ったんじゃないですか。

立岩 ああ、ああ。くりきさんが、(?)、

白石 いや、くりきさんだけじゃなくて、とのむらさんが、

立岩 とのむらさんが、

白石 とのむらさんが、とにかく、引き取りたいって。

立岩 引き取りたい。いや、誰が誰を引き取りたい?

白石 引き取りたい。

橋本 施設で終わりたくなかったって。

立岩 施設で、そのけやきの村でずっといた、終わり、一生を終わりたくないから、

白石 から、

立岩 から、

白石 とにかく、どこに(?)、

立岩 どこに行こうか言った時に、まあ、相模原やったら何とかなるやろみたいな。

橋本 自由の時間、欲しかったんじゃないですか(笑)。

白石 はい。

立岩 それで、福島ではなくて、その、白石さんをまあ言ったら頼って、

橋本 そうそう、

立岩 相模原に行かれたという。

白石氏&橋本 はい。うん。

立岩 ああ。そうなんだ。いや、じゃ結構、相模原って言っても、福島色っていうか、福島っぽい、そういう所として始まった。

白石 はい。

立岩 で、あれは、あの、そうでありながら、その、81年から割と長く続く、というか、白石さん、

白石 89年までね。

立岩 89年。8年はおられたんでしょ。ね、その時に、相模原の地元の人たちっていうのはだんだん、だんだんというか、こう、と、入ってこられたんですか。

白石 はい。その地域、地域で、くえびこを作って、そしてその、くえびこにどんどん呼んできて、

立岩 あ、くえびこに来る?

白石 在宅訪問してきて。在宅訪問で、それで。

立岩 あ、地域で生きる会を作って、在宅訪問した。

白石 はい。そして、はい。

立岩 相模原で在宅訪問して、

白石 で、断られた(?)、来ませんかっつって、

立岩 来ませんか、

白石 呼んで、

立岩 っていうふうに呼んで、して、相模原の地元の人がくえびこに来るように。

白石 はい。はい。

立岩 くえびこっていうのは、まあ、作業所っていうことにはなってる、なってたと思うんですけど、実際には、

白石 実際、運動の拠点。

橋本氏・白石 (笑)

立岩 そうですよね。作業所らしいことはあまりしてなくって、僕、伺ったんで、あの、そんな記憶があります。そうですよね?

白石 はい。

立岩 作業所らしい作業所という感じではないですよね。

白石 (笑) はい。

橋本 ああ。

立岩 何か、みんな、たまってきたっていうか、そこは、日頃、日頃っていうか日常というか昼間というか、は、何をして、

白石氏&橋本 (笑)

白石 陶芸(?)、

立岩 え?

白石 陶芸の真似事やってるけど、

立岩 え、何?何?

白石 陶芸。

立岩 陶芸。あ、陶芸ね。

橋本 (笑)

[00:29:58]
立岩 陶芸は、やってた。

白石 だけど、うん。

立岩 ああ。

白石 だけど、何かあった時にその、あの、(?)たり、集会やったり、色々。

立岩 集会やったり、色々。ああ。そうなんだ。僕ね、その頃、神奈川だと、相模原とそれから横浜で、室津滋樹(むろつしげき)さん、

白石 はい。

立岩 が、やっぱり、

白石 グループホーム。

立岩 グループホームを作られていて、そこもあの、インタビューという感じで伺ったんですね。やっぱ87年かそこらなんですけど。その、まあ、くえびこっていう作業所っていう名前のその、場所を維持しつつ、シャロームですよね。
白石 はい。シャローム。

立岩 シャロームっていうグループホーム、作られますよね。

白石 はい。

立岩 そのグループホーム作ろうと思ったというか、その流れっていうのはどういう流れなんでしょうか。

白石 (笑)その前に、くえびこ作るようになったのは、矢田さん…、青い芝の矢田龍司さんが横浜で作業所作ってて、で、俺も訪問して行って。
「こよさん(清春さん?)、作業所作ったらどうだ。」って言われて。

立岩 作業所作ったらどうだっていうふうに、矢田さんに言われたんですか。

白石 はい(笑)。

橋本 (笑)

立岩 ああ、それも、全然知らなかった。矢田さんが言われて。

白石 うんうん。(?)、陶芸やってたから。

立岩 陶芸やってたから、うん。

白石 (?)、陶芸、(?)。

立岩 陶芸でも?

白石 (笑)、やって(?)、

立岩 え、矢田さんが、陶芸、

白石 やって、だから、

立岩 矢田さん、陶芸やられてたんですか。

白石 はい。ええ。

立岩 横浜で。

白石 はい。はい。

立岩 ああ。

白石 ふれあい、

立岩 ふれあい、ああ、ありましたね。

白石 はい。

橋本 ふれあいの、家だっけか。

立岩 ふれあいの家、か、そういう

橋本 そうだね? そうだね?

白石 はいはい。

立岩 矢田さんがやっておられた、

橋本 何回か泊まりに行かせてもらいました。

白石 (笑)

立岩 ああ、泊まりに行って。

橋本 はい、私、泊まりに行かせてもらいました。

立岩 ああ、ああ。で、二人、まあ、行って。で、まあ様子を見てきたりして、それで、そうか、作業、くえびこっていう、まあ作業所やって陶芸なんかもやりながら、ていう。そういうことだったんですね。

白石 はい。はいはい。それで、あの、ケアつき住宅ね。…を作るようになったのは、1981年だっけな、あれ。八王子に。自立ホームという、

立岩 はいはいはいはい。

白石 ケアつき住宅。

立岩 三沢さんたちが作ったやつですよね。

白石 はいはい。

立岩 八王子自立ホームですね。

白石 はいはい。あれは、何度も(?)見に行って、その、開所式に行って。

橋本 開所式に行って参加されたそうですよ。

立岩 開所式。はいはい。自立ホームの開所式に行かれた。

白石 はい。で、でも立派な…、立派に…、「こんな立派なのをよく作ったね。」って言って、磯部さんに言ったら、

立岩 磯部さんに、こんな立派なの作ったって、白石さんが磯部さんに言うたわけですよね。

白石 はいはい。

立岩 開所式の日に。

白石 「これ作るのに10年かかったんだ。」って。

立岩 そうですよね。あれなんか、検討委員会って、何か長々やってるんですよね。東京都の。
白石 はい。はい。「自分らが(?)作ったら、この半分の5年でできるから」。

立岩 半分の5年でできる?

白石 できる。俺、作ったのだって(?)。

立岩 ああ。東京は10年かかったけど、まあ、もうそれはできたわけだから、もう二つ目というか、白石さんたちがやれば10年はかからない、5年でできると。そういうふうに、磯部さんが言ったの? 橋本 (?)(笑)。

立岩 ああ。

白石 で、俺も、その気になって。

立岩 何だって?

橋本 その気になっちゃったんだって。

立岩 その気になっちゃった。

橋本氏&白石 (笑)

[00:35:00]
白石 そのあとは、神奈川県に行ったときに、必ず、ケア付き住宅を作るから、よろしくって、(?)。

橋本 (笑)

白石 (?)、作って(?)、

立岩 うーん。

橋本 すごい。

立岩 ああ。あれも検討委員会みたいの、できますよね。神奈川ね。

白石 はい。あの、だから、相模(原?)養護老人(?)検討委員会が。

立岩 検討委員会が。そうですよね。

白石 はい。

立岩 で僕ね、さっき言ったやつの雑誌の連載で、80年代の筋ジストロフィーで国立療養所から出てきた人たちの話をちょっと去年とか書いたんですけど。で、福嶋あき江さんていう女性が、千葉の療養所出て、埼玉に住むんですけど。やっぱ、その頃、80年代前半ですよね。「ケア付き住宅作ろう。」っていうようなこと思って、見学に、シャロームに行かれたという記録残ってますね。

白石 あ、そうですか。

橋本 ふーん。

立岩 だから、一時期、どうなんですかね、その、ケア付き住宅ってのが、その、さっき、室津さんの名前出しましたけど、結構、盛り上がったというか。

白石 室津ね。で、その、あの、相模原作って、あと、ちょっと、

立岩 何作って?

白石 神奈川県の中に何ヶ所かできたんですね。ケア付き住宅は。

立岩 うん。最初、そうですよね、シャロームは最初のものですよね。

白石 はい。はい。そうです。で、その、横浜にも作るっていうことになって、で、横浜にはケア付き住宅、じゃなくて、グループホームって名前で(?)。

立岩 ああああ。

白石 できたんです。

立岩 横浜…、待てよ、横浜で…、僕、室津さん所は、グループホームって言ってましたよね。多分。

白石 はいはい。

立岩 確か、ね?

白石 はいはい。だ、ケア付き住宅じゃなくて、横浜はグループホームを作りましょうっていう。

立岩 うんうん。

白石 で、グループホームっていう名前になったんですね。

立岩 うんうん。じゃ、シャロームはケア付き住宅でいいですか?

白石 はい。はい。

立岩 それは、その、区別というか、その、

白石 神奈川県では、ケア付き住宅。

立岩 神奈川、あ、政令指定都市だから、横浜市と神奈川県、だ、そういう政策が違うっていう、そういう話ですか。

白石 はい。はい。それ違って(?)。

立岩 ああ。じゃ、神奈川県はケア付き住宅っていう制度で、

白石 はい。で、作って、

立岩 やって、で、それの第1号っていうのが、シャローム。

白石 はい。

立岩 横浜市はその、別の、

白石 はい。

立岩 その、政策というか、そういうのでグループホームっていうふうに言ってた。あ、そういう話か。

白石 はい。

立岩 いや、あの、室津さんって、今、グループホーム学会か。

白石 はい。

立岩 の、会長さんか何か、

白石 はい。

立岩 やってんですよね。で、室津さん、僕、あの、に、伺って、話を聞いた、その記憶も多分残ってなくて。

白石 ああそうですか。

立岩 いや、何か勿体ないことしたなって、今思ってるんですけど、

白石 (笑)

立岩 ただあの、室津さんとそのあと…、『母よ!殺すな』の横塚さんの本の後ろの方に、『さようならCP』の上映会の記録が掲載されてるんだけど、そこでその名前が、室津さん、出てるんですよね。だからやっぱり、その頃に横塚さんとかについてって、上映会をやったりしたんでしょうね。

白石 あの、室津さんね、あの、全国青い芝の事務局の、

立岩 全国青い芝の事務局、

白石 はい。の、事務局委員会が、

立岩 事務局委員会、やってくれて。ああ。じゃあ、そういうので、70年代の末から80年代にかけてっていうのは、その、横浜…、横田さんたちと磯部さんたちみたいのがあって、こう、

白石 結構ね、

橋本 (笑)

立岩 激突感というか、

白石 ああ、あったね(笑)。

立岩 ありましたよね。でも、今聞くところでは、矢田さんの所に行って、その、それをもとに作業所作ったり。かたや、ケア付き住宅などは東京青い芝の磯部さんとこ行って。結構、両方に(笑)、けんかしてる両方と、まあまあ仲良くというか。

[00:39:57]
橋本 あの、余計な話ですけどね、白石さんにはお話ししました(?)、大物だと思ってた、

白石 いやいや(笑)。

立岩 え?

橋本 白石さん、意外と大物だと思ってた。

立岩 大物(笑)。うんうん。

橋本 白石さんは、私は、あの、神奈川じゃなくって、東京にいてほしかったんです。

立岩 え? 何? 橋本さんが、白石さんは東京に、

橋本 あの、イベントで、日本全国こう、あのこう、日本全国まとめてほしかったんだ。

立岩 ああ。そういう話か。

橋本 そうそう。だけど、聞いてもらえなかったけど。

立岩 ふーん。

橋本 そうすればほら、厚生省も近いでしょ、東京はね。

立岩 ああ。

橋本 だから、(?)、いいかどうかね。

白石 (笑)

立岩 橋本さん、そういうこと言われてるの、どっかで読んだような気がしますけどね。

橋本氏&白石 (笑)

立岩 ちょっと、まあちょっとついでだから…、ついでだからっていうか。その、でも89年に福島に戻られるわけじゃないですか。

白石 はい。

立岩 その、ま、その前の話もちょっと聞きたいんだけれども、その、さっきのね、ま、もし話してよければですけど、まそうやって、ごちゃごちゃなってるわけですよね。青い芝が、80年頃ね。でそこで色々あって、81年に辞めたって一言で仰った、

橋本氏&白石 (笑)

立岩 その、色々っていうのは、こう、どういう色々っていうか。

白石 あ、あ、

立岩 それは、あの、言いたくなければいい、

白石 いやいや、いいですよ、あの、

橋本 (笑)

白石 年金のね、所得保障の問題。

立岩 はい。

白石 で、年金がつく、ね、年金に、所得保障の(?)を、あの、ね、東京(?)で(?)やっていこうという、提案があってね。

立岩 東京青い芝の方から、全国青い芝でも所得保障のことをやっていこうという提起、提案があった、

白石 あったんだけど、ま、大部分は、あの、年金なんかどうでもいい、ね、

立岩 うんうんうん。

橋本 (笑)

白石 生活保護とか、(?)、

立岩 え? 年金なんかどうでもいい、

白石 生活保護で、食っとるから(?)、いい(?)。(笑)

橋本 (笑)

立岩 生活保護でいいっていうふうに、どういう人たちが言ってはったんですか。

白石 だからあの、神奈川とか、関西のほう、

橋本氏&白石 (笑)

立岩 神奈川であるとか関西の青い芝の連中は、年金なんかいい、と。生活保護でいいんや、っていうふうに言ってた。

白石 はい。

立岩 はい。それで、

白石 それでちょっと、俺、あの、再建委員会の委員長だったので、

立岩 再建委員会の委員長だったので、

橋本 (笑)

白石 まとめるのが大変だった。

立岩 まとめるのが大変だった。そりゃ大変でしょうね。東京の連中が年金を青い芝でもやれって言うた。神奈川であるとか関西の連中は、「んなのいい。」と、「生活保護でいける(?)。」と言ってて。で、白石さんはまとめ役だったから、大変だった。で、大変でどうしたんですか?

白石 で、もう1個のほう、もう一つは、あの、電動車いすの…。広島で。

立岩 広島で、電動車いすで、あの、

白石 私(?)、

立岩 轢かれて死んだ人、いますよね。

白石 はい。はい。で、その、あの、松本さんという、

立岩 松本さん。はい。

白石 が、電動車いすを、頼みに(?)、

立岩 (?)た人ですよね。

白石 で、あの、高度工業(?)の、ね。

立岩 はいはいはい。

白石 現代文明を否定する。その、(?)は、現代文明の。

立岩 現代文明、否定するみたいな。新しい、(?)。

白石 で、(?)は、現代文明の、(?)だから、

立岩 はい。

白石 つかだゆうじろう(?)という、

立岩 つかはだ(?)ゆうじ(?)、はい。

白石 今、色々な(?)、(?)ですね。

立岩 うん。

白石 でも、(?)、橋本さんも、私も電動車いす、(?)。

立岩 白石さんも、電動車いすをもう、その時点で使っていた。

橋本 使っていました。

立岩 ああ、ああ。

白石 で、電動車いす使わないっていうのは、ちょっとね、現代に、そぐわないよって、色々(?)。

[00:45:04]
立岩 使わないっていうのは?

白石 現状(?)にはそぐわないんじゃないか、って。

立岩 現実にはそぐわないんじゃないかっていうふうに思われた、と。

白石 で、そういう話も、あったの、現に。

立岩 ん?

白石 そういう話も、ね、現実に、あの、常任委員会で。

立岩 常任委員会。

白石 そういう話。

橋本 うん。毎月。毎月1回あります、だから。

立岩 全国青い芝の常任委員会っていうのは月1であった。

橋本 毎月1回、あった(?)。

立岩 その時にその年金の話でこう、話が、

橋本 色んな話が出てましたね。

立岩 (?)たり、それから電動車いす、使う使わないも、ある。

橋本 出ましたね、はい。

立岩 で、そういう意味でまあ、話が割れる…、割れるというかな、まとまらない。でも白石さんは再建委員会の委員長で、まとめ役、だ。

白石 (?)、

立岩 ん?

白石 もう、俺、どうにもできないから。で、まとまらなかった(笑)。

立岩 え? どうにもできないから、

白石 まとまらなかった。(?)、

立岩 ん?

白石 (?)、

立岩 ぱっと辞めて(?)、

白石 はい。

立岩 辞めてやろうと思った、っていう話ですか。

白石 で、で、地域、地域連の(?)が、その、ね、生き抜く運動を、やっていこうということに。

立岩 あ、辞めて、そっちでもう、埒(らち)明かないというか、収集がつかないから、

白石 はい。

立岩 すぱっとやめて、地域で生きる会でやっていこうというふうに、白石さんは思われたと。

白石 はい。ですね。

立岩 ああ。そうか、そのあと、横田さんが継ぐんですかね。

白石 それで、横田さんが、だい…、代表代行に。

立岩 会長代行で、

白石 はい。はい。会長代行で。

立岩 で、東京と全然違う方向で、全国のほうは行く。そういう流れですよね。

白石 はい。はい。

立岩 で、ちょうどさっき、お伺いしたかったことなんですけれども、その、まさに年金の話でね、実は、たかさかっていう、うちの大学院生が、

白石 (?)。

立岩 あ、来たですか?

白石 いや、会ったことないんだけど、

立岩 ああ、そうですか。

白石 こないだあの、(?)、(?)って言われて。

立岩 ああ、そうですか。

白石 ええ。

立岩 あの、うちの院生なんですけど、今度の3月に博士論文出しますけど、で、今その、障害基礎年金の成立過程のことで書いてて。まあ、色んなこと調べてくれて、いいんです。あの、良い論文にはなってると思うんですけど、でもまあ、いくら調べても、まあ、ようわからんのですね。あれが何でこう、できたのか。

白石 俺も(笑)。

立岩 あの(笑)、85年なので、ぼくももう大学院生やってる時期なんだけど、まあ、調べる直前ぐらい、僕が調査始める直前ぐらいだったので、だから知らなかったっていうのあるんですけども。何か、こう、何となくいつのまにかできちゃったっていう、

白石氏&橋本 (笑)

立岩 で、何か、ちょっと、だって、年金て、やっぱ大きい制度じゃないですか。

白石 大きいね。うん。何で、(?)、うんうんうん。

立岩 制度としては。あんな大きいものが、まあ何か、

白石 ようできたなって思うよね。

立岩 ほんと、ようできたなっていうのは、まあ僕も素朴に思うんです。で、その時のね、85年から、あれ始まったんだと思うんですけれども、その、所保連であるとか、そういったところで活動なさいますよね。

白石 はい。

立岩 ね、その、まあ、一応その時の機関紙みたいなものは、僕のところに多少はあるので、何となくその、主張というのかな、そういうものはまあ、読めばわかるんです。だけど、まあ、さっきの、とは言っても、主張すれば通るっていうもんじゃないじゃないですか。制度というものは(?)。

白石氏&橋本 (笑)

立岩 だから何であれが、何か、するするっと、というかね、行ったのかなということも含めて、その80…、その基礎年金の成立の前後、前後というよりは前ですね。何かこう、白石さん、何か(?)、橋本さんが、(?)、記憶してることっていうのは何かございますでしょうか。

橋本 いや、あの、私あの、この顔(?)で、あの、年金の運動は、あの、厚生省に、何回か行かせてもらったんですけど、

立岩 厚生省に何度か行った、

橋本 白石さんたちが、あの、代表で、厚生大臣に会ったんです。それで、年金、少し良くなんのかな?と思ってね。

立岩 年金?

橋本 制度が良くなんのかな、と思ってた。

立岩 ああああ。年金制度、良くなるのかなと。

橋本 うん。良くなってほしかったし、何回か行きました。厚生省に。

立岩 はいはい。

橋本 で、私、あの、大事なこと、やれなかったんだけども、当時、あの、厚生省の前とか宣伝カーで乗って、あの、マイク取ってしゃべくりました。「年金上げろ!」とか言って(笑)。

[00:50:00.332]
立岩 うん。年金上げろ、ああ。

橋本 せっかく厚生省に出てき(?)。

立岩 僕らの本に載ってる橋本さんの写真って、トラメガって、あの、メガホン持ってる写真なんです。

白石氏&橋本 (笑)

白石 うまいな。アジテーションが。

立岩 結構、かっこいいですよね。

橋本 はいはい。おかげさまで。あの、お話いただいてません(?)。載ってしまった。うん。悪のり、悪のり。

立岩 アジテーション、アジテーターとしては優秀な、(?)。

橋本 悪のりです。

立岩 悪のりですか。

橋本 あの、おかげさまで、あの、宣伝カーにも乗せてもらって。あのあの、あそこは何ですか、あの、あそこの厚生省の前の、道路とか、あの大きい図書館の(?)、盛んに、あの、「障害者だって年金は必要ですから、上げてください!」とか言って、

立岩 それで、その、上げてくださいって言って、トラメガでね、言ったからったってさ、

橋本 いやいやいや、だめですよね。

白石 (笑)

立岩 年金ていうのは、繰り返しですけど、大きい制度だから、ね、あれが何でこう、するっと、って言うかな、するっとでもないの…、色々苦労はなさったんだと思いますけれども、

橋本 いえ、だけどまあ、あの時のあの、がなったのはあの、気持ち良かったですね。

橋本氏&白石 (笑)

立岩 あ、まあ、(?)、気持ちは良かった。

橋本氏&白石 (笑)

立岩 それは、通ったのが気持ちが良かったってことですか。

橋本 いや。

立岩 あの、道路で、がなっていたのが気持ち良かった、

橋本 がなってたのも気持ち良かった。

白石 (笑)

立岩 うん。

橋本 ストレスが(笑)。

立岩 ね。それはその時の、まあ、色々じゃないですか。その前、例えば養護学校義務化であったり、そういうことだったりしたら、あの、厚生省も門閉めて、はいれないぐらいの対立だった…、

橋本 ね、そうですね。

立岩 勿論、そういうところがあっての上での、板山さん? 板山賢治やそういう人たちが、まあ、対話路線というか、まあ、そっちに、こう。ていう話があの、えっと養護学校義務化がらみの実態調査がつぶれた、それでは国際障害者年できない、まあそういう流れで、板山さんが、まあ、話できる人たちと話をしたっていう、そういう流れがね、あの、その前にあったっていうことはまあ、聞いて知っておりますけれども、うん。

橋本 みんな、長生きしてほしかったのに、何で死んじまったんだか、よう、(?)、

立岩 板山さん?

橋本 ええ、ええ。

立岩 そうだね。まあ、対立もあったけれども、厚生省の官僚、それからあと、議員ですよね。大臣も含め、その辺の、との、関係というか、そういうことで、会議とかそういう交渉とかで、記憶に残っていらっしゃることって、ありますか。

白石 あの、私ね、元あの、養護学校の後輩いるんですよ(?)。

立岩 後輩が、

白石 東京青い芝にも2名、いてる。

立岩 東京青い芝に二人?

白石 2名、いた。一人は、おおもり君て。

立岩 ああ。おおもりさんて、はい。名前、読んだ記憶あります。はい。

白石 あともう一人、あれ、あの、(?)、

橋本 あの、何だっけ、えと、あの人、何だっけな、

立岩 八王子の、自立ホームに住んでおられた?

白石 住んでるような人はいます。

橋本 何だっけ、名前何だっけな。

立岩 誰やろ。

白石 誰かな。

橋本 名前がちょっと、うん。名前が出てこなくてね、この頃ね。

立岩 調べたら出てくるかもしれない、ま、わかりました。とにかく、えっと、福島の出身、まあ、養護学校の、

白石 学校を卒業して、

立岩 郡山養護学校出身の人が東京青い芝に二人おった。

白石 はい。で、おおもり君ていうのがその、

立岩 一人はおおもりさん。

白石 はい。その、(?)の関係があって、関係があってね、

立岩 関係があって、はい。

白石 で、よく八王子から、あの、相模原まで来てたんですよ。

立岩 どこですか?

橋本 相模原。

立岩 相模原に来て、うん。

白石 色んな(笑)。

橋本 (笑)

立岩 ああ。東京青い芝に福島の出身、ていうか、養護学校の後輩が二人いたこともあって、その人たちが八王子から相模原に来て、先ほど(?)、

白石 (笑)、そこのその、思い込み(?)というのはやっぱり(?)、東京青い芝の、事務局でがんばってるんですよ。

[00:55:00.318]
立岩 事務局でがんばってる。ああ。おおもりさんが東京青い芝の事務局でがんばってる、と。

白石 はい。はい。

橋本 やっぱ、俺も(?)、養護学校のよしみだよな。

立岩 養護学校のよしみ。

白石 うん(笑)。あの、所得保障の問題もやっぱりやらないといけないのかな(?)って。

立岩 所得保障の問題もやらなきゃなっていうふうに、白石さんが思った。あれは、所保連って、代表ですか、白石さんが。

白石さん 2代目なんですよ。

立岩 2代目ですか。

白石さん 1代目は宮尾さん。

立岩 宮尾修さんが1代目の代表で、2代目が白石さん。

白石 はい。

立岩 なるほど。それで、その時のね、例えば、厚生省との関係というか、あるいは雰囲気みたいなのも含めて、どうだったんですか。

白石 あのね、(?)さんがね、あの、

立岩 はいはい。

白石 全国団体(?)と60回、交渉、ね、あの、話し合い持って、

立岩 60回、話し合いを持って、

白石 全国青い芝の会とも、何回、10回ぐらいかな。

立岩 全国青い芝と10回、

白石 とも10回ぐらいある。

立岩 10回ぐらい、あった。うん、それは何? えっと、白石さんが再建委員長やってる頃の全国ですか。

白石 はい。はい。

立岩 全国青い芝とも10回ぐらい、

白石 はい。

立岩 会って、話を、した。

白石 はい。それでその、あの、実態調査の件で、全国青い芝の方たちは反対するけど、あの、実力行使しないと言う。

立岩 実力行使はしない。

白石 ええ。でも、

立岩 全障連なんかは、まあ、

白石 はい。

立岩 ずっと、まあ、反対。で、なおかつ、

白石 はい。

立岩 ああ、全国青い芝はそこまではやらないっていう、

白石 いう、なって、

立岩 話になって、

白石 多分、磯部さんとか、あの、寺田さんが、何やってんのかな(?)っていう、(?)もあって。

立岩 何待って(?)?

白石 あの、板山さんと会って、色々話してる中で(?)、

立岩 色々話して、

白石 はい。話してきて、それでその、CP研を作ろうって。

立岩 作ろうって、ちょっと待てよ、てらやま(板山?)さんが声掛けて、全国青い芝にもその時に会って、磯部、寺田あたりが、

白石 話、多分ね。

立岩 話、した。「CP研を作ろう。」って言ったのは、板山さんなんですか。寺田さん? その、磯部さんたちが?

白石 板山さんが。

立岩 板山さんですか。

白石 はい。はい。

立岩 板山さんが作ろうっていうふうに、その、磯部さんたちに声を掛けた、

白石 して(?)、

立岩 声かけた、で、作られますよね。

白石 で、あの、なかむらゆういちさんが、座長に、

立岩 座長ですよね。なかむらゆういちさんが座長になられて、研究会ができますよね。

白石 はい。で、そこで、の、研究、ちょっとあの、脳性マヒ(?)障害というのは、あの、軽く見られるから。

立岩 障害が軽く見られるっていうことですかね。
白石 うん。脳性マヒはどうしても、軽く見られるので。そういうことで、あの、障害判定基準を見直してくれということと、はい。と、後、もう一つあの、所得保障の件で、やってくれって。それであの、その2点を、重点化して、

立岩 うん。研究会からの提案…、その、所得保障、まあ、障害判定の話と、

白石 はい。はい。

立岩 所得保障をやれっていうふうに、それはどっちかっていうと、その、磯部さんたちのイニシアチブというか、磯部さんたちが、その、板山さんが、っていうよりは磯部さんたちが、

白石 はい。はい。

立岩 これやれっていうふうに、割と強く、

白石 多分ね。はい。

立岩 っていう、記憶ですか。

白石 はい。

立岩 ああ。じゃ、それに、を、例えば、板山さんは、どういう、板山さんなり、その、なかむらさんなりは、どういうふうに受けたんですか。

[01:00:00]
白石 そういうように、じゃ、それでやりましょうっていう、

立岩 それでやりましょうっていうふうに、なかむら…、その、むしろそういう提案が、えっと、青い、え、磯部さんたちからあったのを、なかむらさんなりが、「そうか、わかったよ。」っていうふうに応じたっていう、そういう感じですか。

白石 はい。はい。

立岩 なかむらさんは、そんな感じ。

白石 はい。はい。

立岩 板山さんの方は?

白石 いや、板山さん、そうじゃなかったかな。

立岩 板山さんもそうだったんじゃないかな、って仰った?

白石 はい。はい。ちょっと俺は、なかむらさん(?)の件は、よくわかんない。

立岩 よくわかんない。多分、その、東京を中心とする、当時の、青い芝の人たちの提起というのが先にあって、

白石 はい。はい。で、あって、

立岩 それが、その、学者(?)である、座長のなかむらさんであったり、板山さんであったりっていうのが、「うん、わかった」。「うん、わかった」と言って、まあ、で、それが厚生省の上のほうに上がってくる。

白石 はい。(?)。で、それと同時に、その時(?)にその、所保連を作って。で、そこであの、国会議員、全部、回る。

立岩 ああ、国会議員回り。

白石 年金強い、年金強い。年金強い国会議員。

立岩 年金に強い、

白石 国会議員を作れたら(?)ということで。回ったんですよ。

立岩 国会議員…、ああ、はいはい。議員下(した)(?)っていうか、そこをまわ…、巡って、

白石 はい。はい。いや、地方にも行って。

立岩 地方はどういうところ、誰に?

白石 あの、やました(?)さんて。山形の。亡くなった。自民党の。

橋本 代議員。

白石 議員。

立岩 ああ。

橋本 何だっけな。

立岩 山形選出の自民党の議員に、山形に会いに行ったりもした。

白石 会いに行った。

橋本 うん、行ったね。

白石 あと、ここにある、ね、あの、社会党の議員にも会いに行きました。
立岩 社会党の議員にも会った。して、議員に会って、して、「これやってくれ。」って言うときの、その、まあ、議員たちっていうのの、反応というか、ていうのは。何か、まあ、勿論人によって色々でしょうけれども。どんな感じだったという、記憶されてますか。

白石 うーん、もうそれは、(笑)。

立岩 まあ、色々? 橋本 皆さん、それなりに聞いてくれたんじゃない? うん。

立岩 割と、 橋本 中には一所懸命聞いてくれた人もいらっしゃったみたい。

立岩 あぁ。その当時って、まあ、八代英太とかは、

橋本 ああ、八代英太、今言ってたんじゃない?

立岩 今度ね、あの、僕は多分行けないと思うんですけど、八代さんに、何か話聞きに行く、

白石 あ、そうですか。

立岩 って、言ってました。

橋本 ああ。

立岩 特に、その時に、こう、割と、音頭取るわけじゃないでしょうけど、こう、割と、熱心にというか、その、障害基礎年金に至るところに、こう、力を使ったというか、そういう政治家っていうのは、誰か、覚えてますか?

橋本 福島県の国会議員も何人も聞いてくれましたよ。あの、名前、何て言ったかな。当時の大物だもん。会津出身の方とか。

立岩 割と、大物(?)、

橋本 福島の出身の方とか、何人か、よく聞いてくれましたよ。

白石 それで、年金作る時に、年金作る時にね、あの、その、皆年金て。

立岩 え? 何?

白石 皆年金。国民の、

立岩 皆年金ね、はいはい。

白石 (?)から、(?)終わって、それで、いわゆる年金も必要だということだったみたい。
立岩 うん、国民皆年金ということで、障害者、

白石 の分も、ね、国民が負担する、(?)で、

立岩 うん。

白石 労働組合のほうを、説得しなきゃならないから(?)っていう、

立岩 労働組合を説得しないといけ…、その、要するに年金を払う人、

白石 はいはいはい。

立岩 保険料、払う人たちのことを説得せなあかんということになって、

白石 なって、それとか色々、

立岩 あの、総評とかにも、行かれたんですか。

白石 行きました。

立岩 で、総評の人たちに、

白石 はい。会って。

立岩 会って。で、その時の、例えば、総評の、人たちっていうのは、その、まあ言うたら、払う側なわけじゃないですか。で、障害者って基本、その、払わないで年金もらうみたいな、

白石 (笑)

 [01:05:03]
立岩 ね、それを払ってるのは労働者だったり。そういう構図ってありますよね。あったわけですよね。

白石 はい。

立岩 その時の労働者たちというか、組合とか、総評とか。その辺の、こう、反応とかっていうのは、何か記憶に、

橋本 何かあの頃は、あのほら、弱者、弱者の、(?)の、見直そうとか言って、した時でもあったように思うんですが。

立岩 何、何だった?

橋本 弱者、社会的弱者。

立岩 社会的弱者を? 救おう?

橋本 うーん。(?)、何か、私、白石さんたちと、あの、メーデーに行ったような記憶があんですよ。

立岩 え、誰と、どこに?

橋本 日比谷。日比谷のメーデーのとこ。

立岩 日比谷のメーデー。

橋本 うん、いっぱい来てたんだ、何万人も。

立岩 何万人も。

橋本 うん。あの、所得保障、上げようっていうことで。

立岩 所得保障を上げようっていうことで、日比谷の、日比谷公園のメーデーのところに行った。

橋本 うん、行った記憶があるんですよね。

立岩 記憶にある。それは、

橋本 それはあの、

白石 (?)、それは、

立岩 それは、誰と、さっき、行った、誰、って、

橋本 いやいや、こちらの白石さんたちと。

立岩 ああ、白石さんたちと。

白石 総連のメンバー、

橋本 うん、総連のメンバーと。

立岩 それは、その時の、その、メーデーの集会でも、あるいは総評の、まあ、幹部になるんですかね? そういう人たちの受け止め方っていう、

橋本 うん、受け止め方(?)、生活(?)。

白石 俺も、(?)、それはちょっとよくわからないな。

橋本 だから、付け加えたような感じになった(?)。ちょこちょこっと、こう。

立岩 ああ。まあ、恐らく、そうなんでしょうね。

白石 はい。はい。

橋本 うーん。

立岩 年金の、まあ、統一というか、大改革に、まあ、すると、こう、付け加…、まあタイミングが良かった、っていうね、それはあるんでしょうね。

橋本 うーん。そうですよね。

白石 あの、厚生省の、あの、宮城県の知事やった、浅野さん。浅野さん、前、厚生年金課にいたんですね。

立岩 ああ。浅野さんが、その時、年金課にいて、

白石 はい。はい。いて、その、(裏?)のほうもちょっとやんなきゃだめなんじゃない?っていう。

立岩 え? 何をやんなきゃいけない?

白石 労組の方にも行って、で、最初、だめなんじゃないかという、あの場所(?)、

立岩 ああ、浅野さん、当時厚生省の年金課におられた浅野さんが白石さんたちに、

白石 多分ね。

立岩 そういう話は、その、労働者というか、その、組合のほうにも、話、通さんとあかんていうふうにアドバイスをしてくれた。それを聞いて、まあ実際に所保連の人たちは、

白石 (?)。

立岩 は、その、総評であるとか、そういうところに、話、通しにというか、話、聞いてもらいに行ったと、そういう話ですか。

白石 はい。

立岩 ああ。じゃ、浅野さんは、まあ、「それはわかった。」と、「それはいいと思う。」と、それに、「それが通るにつきましては、と、そういうことしたほうがいいよ。」というふうに言ったということですかね。

白石 はい。はい。

立岩 ああ。んー。でまあ、そうか。それで通ったわけですよね。

白石 はい。はい。それで、年金局長が大英断して。で、障害基礎年金ができた。

立岩 障害基礎年金ができた、と。おお。81年…、青い芝、ごたごたしつつ、そこで、で、辞めて、地域、やって、で、そのと…、まあ、ほぼ同時期ですよね。

白石 はい。

立岩 で、東京の連中と、まあ、福島の後輩なんかも行った、ので、東京の連中に話を持ちかけられて、(?)、やるってことで、所保連で数年やって86か、(?)。

[01:09:31]
白石 はい。

立岩 ま、結構、短いですよね。3、4年ぐらい。

白石 はい。はい。

立岩 で、それで、85年から、その、福島に戻られるっていうところまで、また、3、4年…、4年ぐらいじゃないですか。

白石 はい。

橋本 (笑)

立岩 で僕はその間に、87年かそこらに恐らく白石さんところに1回、見学というのか、僕は会ってるんです。

白石 ああ。

立岩 多分その2年後ぐらいに、その、福島に戻られると思うんですけど、その、さっき橋本さんは、白石氏はもう全国で、あの、頑張るべきだったと、べきだというふうに思っておられたというふうにおっしゃったけれども、

橋本 その当時は。

立岩 白石さん自身ね、気持ちとしては、福島に戻ろうって思ったのは、どういう、ことだったんですか。

白石 その、総連(評連?)が、このね、総連がこの、自立連という、全国自立生活に、(?)されました。

立岩 はいはい。

白石 自立連(?)、という。

立岩 自立連、ありました。

白石 で、東京青い芝とか、我々とか、で、小規模作業所の団体が集まって、自立連を作った。
 で、その自立連で、あの、あれ、あの、施設のようなのがあって。

立岩 はい、ありましたね、はい。

白石 うん。そこでその、東京青い芝の会としては、うん、年金…、その、施設の入所者とかも、年金持ってるんだから、

立岩 施設の入所者も年金をもらってる、取ってるんだから、費用を出しても、

白石 取っても、

立岩 取ってもいいんじゃないかって、

白石 ていうことで、で、みんなして、こう、支え合ってですね、

立岩 みんな?

白石 ね、その、自立連としては。

立岩 自立連としては、費用徴収に、そういう意味あいで、

白石 意味合いで、

立岩 賛成というか。

白石 全国各地回って、話し合ったんですよ。

立岩 話し合った。はい。

白石 あの、青い芝の…、九州まで行って。ふく…、福岡まで行って。

立岩 白石さん、福岡まで行って。

白石 はい。

立岩 話、して、

白石 はい。

立岩 で、どう、どうなった?

白石 で、そういうことで色々やって、で、まあその、費用徴収は、その、あの、親兄弟(?)、

立岩 親兄弟が?

白石 から、取らない。そのあの、収入があっても、そっから、その、取らないっていう、

立岩 親兄弟の収入があっても、親兄…、

白石 親兄弟が入院して、自分たち、自分たちの、年金から、その、取るよっていうこと。

立岩 自分たちの年金から取るべきだということに、なった?

白石 はい。

立岩 そういうところに、まあ、言うたら、落ち着…、結論というか、落ち着いたということですか?

白石 はい。はい。だから、俺、内心、内心では、

立岩 内心では、

白石 (笑)、(?)、

立岩 ん?

白石 親類縁者に頼る(?)と、年金が、(?)のは、

立岩 年金というのは、

白石 年金が(?)というのは、

立岩 ん?

白石 年金から取るのは、

立岩 年金から取るのは、

白石 ちょっと、(?)じゃないかなって思ってるんだよね(笑)。

立岩 良くないんじゃないかと、白石さん自身は、思ってた。

白石 はい。で、そんなことが、こう、続けられていって(?)、そんなことが、方向性が、ちょっと、ずれが出てきて(?)。

立岩 ああ。方向性が?

白石 自立連の方向性が見えなくなってきて。

立岩 ああ。自立連はそういうふうに行ったけれども、白石さんは、本当は納得していなかった。

白石 (?)、はい。(?)。

立岩 ああ、ああ、なるほど。ああ、そういうこと…、

白石 そういうこともあって、あなた(?)、もう1個ね、

立岩 もう1個。

白石 あの、(?)、磯部さんが、あの、自立ホームで、ケア付きの自立ホーム。ね、あの、その、ケア付き住宅、作ったでしょ。その、その、建設(?)のためには、小規模すぎるって、

[01:15:03]
白石 うん。もっと大きいのを作るのには問題ない(?)って。

立岩 それが、も、磯部さんが?

白石 うん、が、言い始めたの。

立岩 言い始めた。

白石 うんうん。

立岩 ああ、ああ。東京、まあ八王子の自立ホームじゃ小ちゃいから、もっと大きく、もっと大きくし…、
白石 あの、みんなで5、60人、(?)、

立岩 5、60人、ああ、ああ、なるほど。 橋本 (笑)

白石 で、その、東京で作ろうっていうことになって。 橋本 東京で。

立岩 東京に作ろう。5、60人規模のやつを、東京で作ろうっていうふうに磯部さんが、

白石 うん。言い始めて。で、八丈島(笑)、 橋本 (笑)

白石 八丈島がいいんじゃないかって、言ったんですね。

立岩 ああ。東京っていっても、八丈島。

白石氏&橋本 (笑)

立岩 っていう、それ、磯部さんがそういうこと言ったの? はぁー。八丈島、すごいっすね。

白石 島流し。

白石氏&橋本 (笑)

立岩 ああ、ああ。磯部さんは、「東京っつっても八丈島でいいわ。」と、言ってたけど、白石氏は、それ「島流し」。それは、島流しだと思ったのは白石さん、でいいですか。

白石 うん。

白石氏&橋本 (笑)

立岩 ああ、そうですか。

白石 (?)、がこう、うまく、合わなくなっていって。

立岩 うーん。それは(?)、磯部ラインっていうか、磯部さんたちと合わなく…、

白石 はい。

立岩 ちなみに(?)、僕が佐渡出身なんで、あの、佐渡の島流しに、(?)。

白石氏&橋本 (笑)

立岩 全然、関係ないです(笑)。まあいいや。まあ、八丈島。そうですね。

白石 で、それで、あの、例の、おおもり君も、

橋本 (笑)

白石 おおもり君も、東京青い芝は嫌だと言って。

立岩 ああ、ああ。おおもりさんも、東京青い芝が嫌になってきた。

白石 うんうん。(?)辞めよう、自立連、やめよう。

白石氏&橋本 (笑)

立岩 ああ、ああ。はいはい。

橋本 そこ言っといてよ(?)、おおもりさん、(?)だったって。

立岩 え? 何? それで、二人、というか、辞めちゃ…、

白石 ええ(笑)、辞めた。自立連辞めて、こっちに。俺と同じ時期に。

立岩 ああ。ああ、それはわかりました。東京青い芝、やってきたけれども、一つは、費用徴収のことで、と、それからもう一つは、その、ケア付き住宅を大きくしたらば、ただ、まあ普通の施設ですよね。

白石氏&橋本 (笑)

立岩 で、まあ、そういう、二つで、どうも違うぞ、というふうに、おおもりさんも白石さんも思うようになって。

橋本 その、八丈島からの話は、俺、よく、わかりました。

立岩 それはわかったんですけど、その、自立連辞めた経緯は、よく、今の説明でわかったんですが。それと、でも、福島に行くっていうのは、ちょっと、

白石 (?)。

立岩 また別のことじゃないですか。

白石 (?)。

立岩 福島へっていうのは、何だったんですか。

白石 (?)、自分のところの中でも曖昧だ。

立岩 うーん。そんなにこう、色々、深く考えて福島、ということではなかったという感じですか。

白石 はいはい。で、要は、あのね、その、全国的な運動ばっかりやってね、 どうも、東北と、福島はね、あの、その、全国の状況から、一歩、二歩、遅れてる。それで(?)、ふるさとに帰って、やらなきゃならな(?)、

立岩 やらなきゃならない。ああ、なるほど。

白石 (笑)

立岩 全国で色々、運動、活動してきたけれども、自分のふるさとである福島は、その、流れから遅れてると。じゃ、まあ、帰って、福島でっていう。

白石 はい。

立岩 そういう…、

橋本 あの、私も作業所のこととかちょこちょこやってたんだけど、心配して見てられなかったんですよ。

立岩 心配して、

橋本 (笑)、見てられなかった(笑)、(?)、

立岩 何、心配して見てられなかった(?)、

橋本 いやいや、俺が、頼りなくて、こう、

立岩 ん?

橋本 何にも進んでないから、ほら。

立岩 何にも進んで、

橋本 バリアフリーとか、ほら。郡山の町がほら。


[01:20:06]
立岩 福島、郡山の町が、

橋本 町が、もう、バリアフリーとかやってないから。

立岩 バリアフリーとかが進んでなかった、

橋本 なかったから、見てはおれんかったんでしょう。いやー(笑)。多分、白石さんが。はい。

立岩 うん。ああ、見ちゃおれんかったっていうのは、誰?

橋本 白石さんが。

立岩 白石さんが?

白石 いや、そんなことないよ(笑)、

橋本 (笑)

立岩 ああ、橋本さんのほうには、白石さんはそう思ったんじゃないかっていう、

橋本 …ないかな、と思ってた。

立岩 そういう話ね。ああ、ああ。

橋本 いや、俺が帰ってきて、(?)(笑)。

立岩 うーん。

白石 びっくりして下りてきて(笑)。

立岩 ああ、何? 橋本さんが、白石さんが帰ってきた時、びっくりした、そういうことですか?

橋本 ええ、びっくりしました。俺、ずーっと白石さん、日本のど真ん中にいて欲しかった。

白石氏&橋本 (笑)

立岩 え、何? 突然、

橋本 うん。前は(?)。

立岩 それは何? 橋本さんに、相談もなくというか(笑)、

白石氏&橋本 (笑)

立岩 あの、突然、帰ってきたみたいな、そんな感じだったんですか。

白石 はい。

橋本 びっくりした。うん。

立岩 びっくりした。へえー。ああ、…、

橋本 はいはい。最初は、やっぱり、

立岩 白石、

橋本 (?)、東京に行って、

立岩 うん。

橋本 東京、こう、うん、日本をまとめて欲しかったんですよ。その時も依然として(?)、あって。

立岩 じゃ、ある日突然、帰ってきて、みたいな感じなんですか。

橋本 うん。びっくりしたね(笑)。(?)。

立岩 わかりました。わかりましたっていうか。ああ。それでね、それがまあ、80…、

白石 …9。

立岩 89年でしたよね。で、その、から? しばらくのことっていうのは、まあさっきの、2000年、2001年か、の、インタビューでお伺いしているので、というか、まあ、一気に20年ぐらい飛びますけれども。まあ、20年の時はね、また後で戻れるなら戻りますけど。で、僕はそれで、さっきも申し上げましたけど、2000、2001年ぐらいに、田中さんもですよね、

白石 はい。

立岩 田中さんと、土屋さんとか、

白石 はい。はい。

立岩 話に行って、その時のインタビューはしていて。で、それまとめたら?ってなことを、その時から彼女らには言ってはいたんですが。瀬山さんとか。瀬山紀子さんですね。

白石 はい。はい。

立岩 で、でもほら、その間、まあ土屋さんが一つ論文書いたぐらいで。まあ、時が経ったら、震災起こっちゃったじゃないですか。

白石 はい。はい。

橋本 えー、もう少し言うと、やっぱり将来は、白石さんも、国会議員になってもらいたかったんです。

立岩 国会議員(笑)。

橋本 いやいや、(?)さんとか。

立岩 ああ、(?)さん。

橋本 あの、磯部さんとか。白石さんも。

白石 (笑)

橋本 国会議員になってもらって、こう何とかその、そういうことやって欲しかったな、(?)。

立岩 ゴリゴリの身体障害で国会議員て…。視覚障害だと堀さんとか、

白石 いないね。

立岩 いらっしゃるけれど、

白石 いないな。

立岩 いないか。

白石 うん。いない。

立岩 いないか。

白石 うん。

橋本 もう、そういう思い込みが、もう、私があって。だけど、まあそれはそうと(笑)。

立岩 そうですね。地方だといるけど、

白石 ですね。国会はいないね。

立岩 国会議員だと脳性マヒの人とかいないですね。車いすは、八代さんぐらいか。

白石 そうだね。うん。

立岩 それ、その、そうやって、まあ、色んなこう、国、まあ全国レベルの自立連なり何なりね、ちょっと方向性が違うなっていうことで、まあ、地元でっていう。まあそれでまあ、長いことやってて。

白石 はい。

立岩 で、一気に飛びますけど、震災ですよね。で、そのあと、起こったあとで、障害学会の大会で、まああの、愛知大学でやった時に、白石さんには来ていただいて、そこでまあ、とりあえずのというか、報告をいただいたのを記憶してるんですけども。まあ、その時の話をいくつ…、まあ色んなことがあったんで、まあ一言では言えない。当然、だと思うんですけれども。その時は、一旦、原発のこともありましたからね、

白石 ああ。ね。

立岩 福島にいられないと。だからみんな、かつていた、相模原にいっぺん、行きたい人は行けるようにしよう、というような話もあったと記憶していますし。まあ、色んなことを、

白石 はい。色々あったね。ええ、ええ。

[01:24:44]
立岩 やられて、それからまあ7年、経つわけですけれども。この間、どういうことがあったっていうのは、ちゃんとこれから若い研究者とかが調べてくれるだろうし。まあ、今回、福島じゃないけれども、震災後のことを聞き取った本が生活書院からつい最近出たそうで。まだ僕は手に取ってないんですけれども。そういうきちんとしたのは、きちんとした人たちと思うんだけれども。白石さんがね、そういうかたちで、7年、8年、陣頭指揮というかな、取ってこられた中で、今、そうですね、どういうことがあったというよりは、どういうふうに思われてるかっていうか、気持ちというか、その辺りのことを聞かせていただければなと思うんですが。

白石 はい。はい。

立岩 どうなんでしょう。

白石 いやあの、結局、昨年から…、昨年の4月に、被災地障害者支援センターを閉じて。閉じてから、俺、あんまり何もやってない。全然(?)。で、あの、その、残ったのが、あの、しんせい(?)。

立岩 しんせい(?)。

白石 はい。そこは主に、その、あの、事業所関係の支援、で、なってて、あと、もう1個、そのね、あの、郡山近辺に住んでる、被災障害者の支援。そこに通ってきて、通って、その、B型、B型で働いている…、されてるっていうふうな。そういうこと1回やってた(?)ので、

立岩 うん。

白石 私は本来なら、(?)なら、けどね。まだ、ね、避難してる障害者がいっぱいいて、仮設住宅から、復興支援住宅に住んだりとか。あと、あの、みなし住宅に住んでる、そこで(?)、まあ言うなら(?)、その人たちの、その、実態を(?)、ちょっと、

立岩 実態。

白石 実態を見にいきたいなと思ってるんだけど。だけど、そこまでちょっとまだ手が回らない(?)。

立岩 だけど、そこまで…、うん。あの、現状というか去年から今年にかけての感じはそうだとしてね? その前、まあ随分、5年、6年、7…、やってきた、その6年分というか、7年分というか。それは、どういうふうに…、感想でも総括でも何でもいいんですけれども。

白石 まあ、一所懸命やってきたけど、俺はまだ中途半端だなあと。

立岩 中途半端。

白石 うん。(?)。

立岩 何が。

白石 (?)。(?)の支援をやり切れてないっつう。っていうのはちょっと、ね。うん。中途半端じゃないかなあって。

立岩 中途半端なあ。

白石 自分としては。

立岩 だから、こういうことが、こういう条件…とかね、そういうものがあったら、もうちょっとやれた、というか、

白石 ですね。うん。

立岩 うん、じゃないか、みたいな。そういうことって何か、思う、思ってることって何かありますか。

白石 はい。あのね、何年か、3年か4年前は、まだね、支援センターの事務局があって。

立岩 被災地支援センターの事務局があって。

白石 そこにあのね、あの、そこに、共に、こう、活動していた、そういう人が何人かいたんですけど。その人たちが段々とこう、離れていって、(?)一人になっちゃった。

立岩 一人になっちゃった(笑)。

白石 (笑) (?)。

立岩 あの、当初というか、あの、震災というか地震が起こって直後に、その、それこそさ、僕が、あの、鎌谷正代とかさ、

白石 ああ、正代さん(笑) 出てきた(?)。

立岩 ああいう関西の、そのね、大昔というか、の、仲間というか、ね、そういう人たちが、支援に、

白石 うん、来て、

立岩 行ったっていうのは、僕は、まあ、びっくりもしたし、まあ、立派だとも思いましたけど。まあ、あの、そういう人たちも含めて、関西のね、あの、リボン社であるとかさ、

白石 はい。

立岩 そういうところが、まあ、随分、当初、力を貸してくれたと思うんですけど。そういうその、東北外というか、そういうところからの支援といいますか、っていうものに対しては、あるいはそれの変化、うん、その、当初、2011年の時とね、それから、その後というかね、そういうことに関しては、どういうふうに、思っておられますか。

白石 まあ、みんな来てくれると、大変、助かりましたね。どこにも(?)、お金のほうにもね(?)。

立岩 お金も。

白石 人員もね。

白石 きょうさら(?)から、どんどん来てくれて。

立岩 きょうさら(?)。はい。きょうさら(?)。

白石 で、(?)活動、手伝ってくれたから。(?)ね。それあの。

橋本 あの、関西とか、淡路島では、

立岩 淡路島?

橋本 違う、あの、あっちの、地震あったですね、関西であの、

立岩 地震。はい。

橋本 地震あったですね。あの時も私たち、少しだけ応援行ってやったんですよ。ちょこっとだけども。

立岩 ああ。

橋本 あの、私も行ってきたんですよ、あの。

立岩 95年の阪神淡路、

橋本 はいはい。

立岩 のことですか。ああ、ああ。

橋本 あの、障害者と連れ(?)、一緒に私、あの、見てきました。

立岩 ああ。

橋本 (?)はもう、すごいなと思って。あの、東北にああいう地震起きたら大変だなと思って帰ってきたんです。そん時、バスで行ったんです。バスで。長距離バスで。

立岩 うん。

橋本 まだ、からだも少し動けたから。びっくりしました。びっくりしました。で、あの、そん時も、あの、向こうの淡路島の人が、こっちへちょこちょこ来てた時だったので。何か、どういう訳か、いっぱい来ましたね。はい。はい。

立岩 えー、いっぱい来たっていうのは?

橋本 あの、何人か来てたから、あの、

白石 うん。

橋本 あっちの仲間が。

立岩 それは、福島の、と、福永年久…、

橋本 (?)、あの、お付き合いがあったのよ。

立岩 ん?

白石 その、ね、(?)さんの奥さんのね、(?)。

立岩 奥さん。

橋本 あの、あっちの障害者の奥さん、あの、障害者の奥さんとか、(?)、何人か、その直前まで来てたん…、来てたんですよ、こっちの人たち、応援に。

立岩 ちょっと待って。えっと、

白石 応援ていうか(?)、

橋本 応援て、お付き合い(笑)。

立岩 こ、ちょっと、こっちの、東北の震災の時に?

橋本 いや、その前。その前。あの、淡路島の、

立岩 阪神淡路の時、

橋本 その前から。その前から付き合いがあったんですよ。

立岩 阪神淡路の前から、福永さんとか、

橋本 何人か来てたんですよ。

立岩 関西の、関西青い芝とか、

橋本 うん。もっと、運動、いっぱい、あの、「遠くても頑張ろうな。」って。「お互い頑張ろうな。」って。

立岩 ああ。そういう、

橋本 何人か来てたんですよ。

白石 あの、毎年来てたんだよね。

立岩 福島、

橋本 毎年来てたんです。

立岩 (?)とかですか。

白石 福永さん(?)、その、あの、奥さん、(?)、

立岩 福永さんの奥さん。

白石 (?)。

橋本 うん、福永さん自身も来られましたね。あと、まさよ(?)さんも来てました。あと、もっと前の、他のメンバーも。みた(?)、みやけさんとか。

白石 あの、まつださんとは、その、その前の、ね、その前に、あの、二次障害。二次障害の調査研究、

立岩 調査研究。

白石 はい。来たんですよ。ね。

立岩 かまたりさんの亭主は、そういうのやってますよね。

白石 はいはい。

立岩 えっと、(?)さんか。

白石 で、それやって(?)、して、アンケート調査して(?)、

立岩 アンケート、ああ、ふるやさん、ここで、福島でアンケート調査、なさったんですか。

白石 はい。はい。

立岩 ああ。でも何か、当然でもあり、不思議なようなね。その、青い芝も色々あってね、まあ、白石さんは、少なくとも80年代ぐらいの時は、その、磯部さんたち、東京の部分と同調してやってたわけじゃないですか。て、まあ、そういう意味で言うたら、その、兵庫とか、あの、連中とは、まあ、なか、こう、別れるわけじゃないですか。ね。そういうでも、かまたりさんであるとか、まあ、福永さんであるとかというのは、

橋本 いや、一方では、言ってた(?)んですよ。

立岩 まあ、結局、まあ、ね、長い付き合いというか、震災の時にも、ね、来てくれたりっていう、その、この、何ていうか、その感じっていうのはね、
[01:35:02] 白石 (笑) 橋本 (?)、両方、両方付き合ったんですよ。

立岩 それはね、その、二人としては、まあ色々あったけど、

白石 (?)、

立岩 付き合いでは両方、その、関西の連中であるとか神奈川の連中の付き合いも、別に絶えたわけではなかったっていう。

白石 あんまり、あんまりそういうこと、あんまり関係ない。誰でもいいから付き合おうって(笑)。

橋本 んー。誰とでも付き合うっていうか(?)。

立岩 誰とでも付き合う。何、その、まあ、色々、割れてる時でも、別にその、

橋本 そ、そ、そ、そ。

立岩 割れてる相手というか一方の方ほうは、(?)、

橋本 (?)、んー、絶対付き合わないっていうことじゃなくて、みんなと、誰とでも、お付き合いしていきましょうっていうの、あったですね、ずっとね。はい。

立岩 でもさ、その、例えば、話、一気に戻るけど、80年ぐらいの、その、再建委員会の時っていうのは、その、まあ、電動車いすのこともあり、年金vs.生活保護っていうこともあり、結構でもこう、ぶつかる時は、こう、険悪になってた、じゃない、そんなことはないのね。

白石 険悪の、

橋本 に、なった時もあったような(笑)。

白石 あったけど、でも、あの、(?)(笑)、

立岩 会議が終わったら、飲んで?

白石氏・橋本 (笑)

立岩 ああ。それ、ああ。じゃあ、その、喧嘩は、深刻に、喧嘩はしつつも、

白石 そうですね、はいはい。

立岩 全面戦争って、(?)、終わってる。

白石 はい(笑)。

立岩 で、まあ、飲む時は飲むみたいな。

橋本 そうそうそう。

立岩 そんな感じやったということですか。

橋本 そうそうそう。(?)、持ってた。

立岩 ね、いや、白石さんは、ていうか橋本さんて、キャラ的にそういうとこもあるのかなと思うんですよ。

白石氏&橋本 (笑)

立岩 でも、例えばね、磯部さん。僕、磯部さんにもお話伺ったことあったと思うんですけど、磯部さんとかだと、「俺あいつとは口利かん。」みたいな、的なところってあるんじゃないかなって。

白石 何か、(?)。あります、あります。

立岩 ありますよね。

白石 ええ。

立岩 それはやっぱり、人によるのかな。

白石 そうね。はい。

立岩 例えば東京青い芝のね、人たちってのは、ある時期から、完全にその、別の青い芝というか、とは、もう、話もしない的な感じになったんじゃないかと思うんですよね。

白石 はいはい。

橋本 だけど、いっぱい、来てくれたよ、郡山にも。

立岩 いっぱい?

橋本 来てくれたの。

立岩 いや、それは、福島に、福島に(笑)、

橋本 (笑)

立岩 兵庫の人が来てくれたんじゃないですか。

白石 (笑)

立岩 だから、やっぱちょっと違うと思うんですよね。

橋本 まあ、そうやって言われるとね。

立岩 東京はかなり、あのあと、孤立というか、

白石 そうね。

立岩 で、あと、その、自立生…、JIL系の運動と違うラインですよね。

白石 はいはい。

橋本 何か外国の障害者が出てきた(?)、郡山に。

立岩 いつ、いつの話? それ。

橋本 何か、80年前後に。

立岩 え、それは何? 福島に? どこに?

橋本 郡山に。

立岩 郡山に?

橋本 あの、アメリカからも来たし。

立岩 ちょ、ちょ、

白石 ニューヨーク、ニューヨーク

橋本 (?)て言うてきてた。

立岩 ちょっと待って。ちょっと待って。

橋本 JILとかできる前も来てた(?)。

立岩 ちょっと待って。

橋本 わかんないけども。

立岩 ちょっと、ちょっと。81年ていうのは、国際障害者年でしょ。

白石 はい。

立岩 で、白石さんは、東京でしょ。東京っていうか相模原、そっちのほうでしょ。

白石 はいはい。

橋本 うーん。

立岩 ね。その、同じ、その時期に、外国からの障害者が郡山に来たっていう、そういう話ですか?

橋本 あー、そうやって、やっぱJILの関係で来たんだな、やっぱ。

白石 ああ。(?)。

立岩 ちょっと待ってよ。10年ぐらいずれてる。

白石氏&橋本 (笑)

橋本 ああそうかね、やっぱりね。

立岩 JIL、JILは91年じゃないですか?

橋本 ああ、そうかそうか。

白石 はいはい。

橋本 だけど、あの、あれ、何か、

立岩 だから、あれ、その、それは、白石さんが福島に帰ってから、

白石 はい。そうですね(?)。はい。

橋本 うーん。でも、何か、白石さんが相模原で作った前後も、何か、外人が来たような記憶があるんだな。あれとか、あの、

立岩 だったら、80年代、

橋本 あの、桑名敦子さんの関係とか。

白石 桑名敦子さん。

立岩 桑名さんとこちらが、関係あるんですか。

白石 だって、養護学校。

立岩 ああ、くわなさんて養護学校、郡山なんですか。

白石 はい。みんな養護学校だね(笑)。

立岩 みんな、郡山養護学校、何か有名人、いっぱいいますね。やれやれ。

白石氏&橋本 (笑)

白石 (?)。

[01:39:43]
立岩 ああ、それで、それで桑名さんがそういうことも、あ…、同窓生、

橋本 あの、青い芝の方も、何か東京青い芝の方、何年か前に、亡くなった方も、何かデンマークで、何かまちづくりの、やってた方がいて、その方が、本を出すからと言って、

白石 あきやまさんか。

橋本 (?)の方。

立岩 ああ。

橋本 そんな方も、郡山で、お話ししてくれた(?)。

立岩 ああ、あきやまさんていらっしゃいますよね。

白石 はいはい。

橋本 うーん。何人か外人連れて。

立岩 その人が外人連れてきて、

橋本 うん、記憶ある。

立岩 郡山で話ししたという記憶がある。

橋本 ありますよ。5、60人、集まって。(?)。

立岩 ふーん。

橋本 何か、ちょくちょく、

白石 俺がいない時ね。

橋本 いない時かな。いた時だっけかな。いないかな。

白石 俺、覚えて(?)。

橋本 (?)、はい。おかげさまで、何人かは、ちょこまかと、来ていただけました。幸せですね、こりゃ。本当に、はい(笑)。

立岩 僕は、じゅう…、鈴木絹江さん?

白石 はい。

立岩 に、あの…、たちに、呼んでいただいて、10年ぐらい、何年前やろ、船引町って何か、あれ、市町村合併で変わったのかな。

白石 うん。変わってる。

橋本 絹江さんも養護学校なんですよ。

白石 ね、(?)。

立岩 え、それで、あの、前は船引町って言ってたところで、まあ、お話させていただいた以来ですかね。福島は。

白石 ああ、そうですか。

立岩 そん時は、まあ、自分が何しゃっべったかは何も覚えてないですけど、

橋本氏&白石 (笑)

立岩 終わったのがね、4時ぐらいで、

橋本 すごいね。

立岩 4時ぐらいからビール飲み始めてさ、

橋本 すごいな。

立岩 それがすっごい楽しかったの。

橋本氏&白石 (笑)

立岩 あの、きべさん(?)の、あの、連れ合いって、何かすごい、細くてでかい、長い人じゃないですか。

白石 はいはい。

橋本 ああ。あれやってたね、ヒッピーやねヒッピー。

立岩 ヒッピーね。うん、そんな。

橋本 ヒッピー。ヒッピー。

白石 (笑)(?)。

立岩 あの二人が、やっぱり昔の話をするわけですよ。

橋本 そうだね。

立岩 あれ、すっごい面白くて。

橋本 すごい面白いね。

立岩 うん。で、彼もやっぱり、『さようならCP』の上映会でぶらぶらしてたら何か、引き込まれてっていうか、連れ込まれて、それ以来だ、みたいな話、聞いて。それ面白かったですね。ええ。

橋本 (?)。

立岩 ええ。福島は、まあ、まあ最初の最初は、安積さんの(?)で。

白石 はいはい。

立岩 で、あの人がミスタードーナツで、行って、その時に、一緒だった、大学院の先輩で、今、あの、偉くなってますけど(笑)、石川准で、

白石 ああ、石川准さんと。

立岩 そういう繋がり、

橋本 ああ、すごいね。

立岩 ええ。それで、まあ、浅野さんに色々連れ回されて。それでまあ、あの、白石さんところに行ったりとか。

橋本 うーん。すごいな。

立岩 あとは、福島は、ほんと、それは、ちょっと記憶が定かじゃ無いんだけれど、『生の技法』って本、90年に出る、90年か89年に、えっと、太陽の国?

橋本 ああ、はいはい。

立岩 を、訪問さしていただいて、

橋本 おお、太陽の国ね。はいはい。

立岩 その日に、福島に泊まって、で、本の仕上げについての打ち合わせをした、

橋本 うーん。

立岩 でも何で、福島、やって…。まあ、安積が、福島でやろうって言ったんだろうけど、ちゃんとした記憶が無いんですよ。そん時に、あの、高橋修っていう、ね、あの、

橋本 修さんね、高橋さんね。

立岩 ええ、修さんも。修さんがなぜか、というか、付き合ってくれて。その、福島で、その、合宿というか、時に。で…、っていう記憶はあるんですけど、それぐらいの記憶しか無いですね。

白石 ええ。ああ。

橋本 修さんも、何回か来てくれましたね。福島にね。

立岩 ああ、そうですか。

橋本 はいはい。

白石 (?)。

橋本 そうですね、そうですね。はい。

立岩 僕は今、だから…、だからというか、福島で、僕はそれは一人じゃ僕はできませんけれども、福島のことと、まあ、高橋修さんのことで、一つづつくらいね、今年から来年にかけて、本(?)ができればいいなっていうふうに思っているんですけど。うん。

白石 はい。はい。

橋本 いいな。(?)。

白石 はい(笑)。

立岩 まあ、かなり、その若い…、若いっていうか、ま、土屋さんたちが来た時のが、ま、とにかくもったいないな、っていうところ、

白石 2000年、

立岩 2000年、2001年。信じられないですよね。それから17年も、

橋本 (笑)

白石 早いな。

立岩 やれやれですよね。

橋本 早いね、本当にね、すごいね。

立岩 早い。早いというかね、

橋本 すごいね。

立岩 その間、震災、起こったわけですから。

白石 うん、そうだね、はい。

[01:44:49]
立岩 ていうことで、

白石 はい。

立岩 あの、僕はとり…、そうね、そんな感じかな。で、さっきからちょっと、あの、電池が気になってて(笑)、

白石 ああ。

橋本 はいはいはい。

立岩 取り替えさしていただきます。

白石 はい。(?)。

立岩 ちなみにその、お二人は、あの、えっと、白石さんは何年何月何日生まれですか。

白石 1950年4月24日。(?)。

立岩 そっか。68。

白石 そして僕と同じ(?)、

立岩 橋本さんは?

橋本 1950年の7月15日。

立岩 7月15日。50年か。

白石 (?)。

橋本 うーん。

立岩 ああ。50年。高橋さんが48年。

白石 ね、高橋さんも若かったな。

橋本 もったいないな、あの方もな。

白石 ね。

立岩 僕は、あの方、だから、早く亡くなられたから、若い、若い時というかな…、あ、でもそうか、

白石 ね、あの、佐渡(?)、

立岩 僕、あの時、白石さんの方が、こう、先輩というか、そんな感じがしてたんですけど。

白石 ああ。

橋本 まあ、(笑)。

立岩 うん、スタートが遅いかな?

白石 ですね。

立岩 高橋さんの方がね。こう、

白石 はい。ね、新潟、

立岩 うん。新潟にいたからね。全国組織で、案外、(?)さん、結構遅いから、そういう、

白石 ですね、ですね。

立岩 白石さん、長いですもんね。

白石 はい。

立岩 20代からでしょ。

白石 はい。

立岩 一旦、取り替えさしてもらいます。


音声終了


■【4上02】2018031602 白石氏橋本氏 58分


須賀 もう、今の話、全部聞かせ…、

白石 もう、(?)。

橋本 すごいなあ。

(立岩 どこの大学院ですか。

須賀 松山大学の、

立岩 松山大学の。

須賀 はい。で、

立岩 大学院生。

須賀 何か、その、障害当事者の視点から、見る、何かその、何て言いよったかな、何かその、当事者の視点から何か、その、障害の、何か歴史やら何やら、色々やりよるみたいで。

白石 ありがとう。

須賀 一日中、パソコンと向き合ってます。

白石 おお。

橋本 すごいな。すごいな。

須賀 ちょっと、その、あまのさんに、写真送りたいんで、僕もいいですか、撮って。

白石 いいよ、いいよ。

橋本 すごいな。

立岩 松山大学ですと、山田富也、とか。

須賀 あ、いや、いや、山田富秋先生、やったかな。

立岩 山田と…、あ、富也じゃない、山田、そうだ、山田富也は筋ジスですから。

須賀 でも、今、あの、今、えっと、あれですね、あの…、あ、すみません。あ、どうぞ。えっとー、沖縄かどっかに行っとるか何かで。だから今、休学中で、あの、論文書いてます。

立岩 その、大学院生が、

須賀 はい。

立岩 名前、何て仰る?

須賀 あまのひろゆき。

立岩 あ、それがあまのさんですか。

須賀 でね、CPであれやからもう、口でずっと、(?)、

白石 (?)。

橋本 ああ。

須賀 文章書くのも、そう…、もう、

白石 (?)。

須賀 ほんで、これ、ここ、首もやけど、お尻もほれ、あの、褥瘡になりかけてるの。

白石 ああ。

橋本 うわー。ああ。

立岩 ああ、あまのさん自身もCPで、松山大学の大学院生で。

須賀 もう、白石さんと橋本さんよりも言語障害のきつい、

橋本 ああ。大変だな。

立岩 ああ。

須賀 障害は、まだ、まだあれかな。わからんけど。重いですよ。

白石 そうなん(?)。重いよね。

須賀 白石さん。もうちょっと。そ、そ、写真撮るの忘れてた。

白石 (笑)

須賀 じゃ、撮ります。

白石 はい。

立岩 僕も撮ろう。僕もカメラ持ってきたんですよ。

須賀 あ、これ、全部、でも、写らんな、これ。

同席者 そこ、開けられます? もしかしたら。

須賀 え?

同席者 ここ、開けら…、開きますよ。

須賀 え、ここ、開くんですか?

白石 はい。

同席者 もしあれだったら。

須賀 おお!

同席者 あの、

橋本 もっと開くんじゃない?

立岩 もっと、

須賀 すごいっすね。

橋本 ああ、もっと開くんじゃない?

須賀 あ、ほんとや。あ、やったやった。

白石氏&橋本 (笑)

橋本 すごい、すごい。

須賀 そ、カメラ。

橋本 すごい。望遠だ。

白石 (笑)

立岩 50年の4月と7月じゃ、完全に同学年ですね。

白石 はい。そうですね。

立岩 最初から同学年ですか。

白石 いや、同学年じゃないの。俺は(?)。

立岩 え?

白石 俺、1年遅れて、養護学校入った。

立岩 あ、そうなんだ。年は同じだけど、

白石 はい。はい。

立岩 1年遅れで入ったから、学年は違ったんですか。

白石 違ってますね。うん。

橋本 何でこうなったのかわかんないんだけども、何かあったみたいだ。

立岩 時間経って(?)ました?

白石 うん。俺は、あの、

立岩 え、どっちが上? えっと、橋本さんの方が学年が上ってこと、

白石 うんうんうん。

橋本 うん、おかげさまで、はい。

立岩 うーん。郡山養護学校って、その当時、どのぐらい学生っていうか、生徒っていうか、いたんだっけ。

白石 何人、ね、100人、(?)、

橋本 100人前後。100人前後。

立岩 100人?

白石 今以上の(?)。

橋本 あの、

立岩 全部、その、

橋本 小学部から高等部まで。

立岩 1学年、

白石 10人ぐらい。

立岩 10人ぐらい。

橋本 うーん。

立岩 え、小、中、高ですか。

白石 はい。

橋本 はい。小、中、高ってあったですね。

立岩 小、中、高とあって、で、まあ、そうすると、

白石 あの、AとBが、

橋本 AとBがあったからね。

立岩 AとB。AとBって何ですか?

白石 Aは、普通学級。

橋本 普通学級って言って。

立岩 普通学級。

白石 Bは、ちょっとあの、知的の、

立岩 ああ、知的な、

白石 うん。

立岩 ああ。それ、養護学校の中で、その、

白石 はい。そう。(?)。

橋本 そういうこと、(?)。

立岩 将来がある人のクラスとない人のクラスが別れている。

白石 はい。

立岩 で、全部、その、小、中、高、全部合わせて100、

白石 100人ぐらい、(?)。

橋本 100人ぐらいかなと思いましたけども。

立岩 それはその、小、中、高、同じキャンパスていうか、ある敷地に、あったん…、

白石 はいはい。

橋本 あったん…。あと、隣には療育センターってのがあって。

立岩 ああ、ああ。

橋本 あの、治療…、

立岩 はいはいはい。多いですよね。そういう、病院というか、そういうとこと併設に、

橋本 はいはいはい。

白石 で、あの、寄宿舎があって。

橋本 んー。

白石 そこにみんな泊まって。

立岩 ああ、そこに…、

橋本 あの、安積純子さんも、その、(?)に。養護学校にいた時、いてたって。

立岩 基本、全部、寄宿舎ですか。

白石 (?)けどね。

立岩 自宅から通ってた人もいました?

白石 俺の子どもだった頃、スクールバスができて。

橋本 (笑)

立岩 え?

白石 スクールバス。

立岩 スクールバス?

白石 ができて。俺も通ってね。

立岩 え、何? 白石さんは、あの、ずっと自宅からですか。

白石 いやいや、違う違う。寄宿舎にもいた。

[00:05:01]
立岩 ん?

白石 寄宿舎にもいました。で、途中で、スクールバスができて。

立岩 途中からスクールバス。それは、高等部の、

白石 えっと、うん。

立岩 時?

白石 はい。

立岩 橋本さんは?

橋本 私は、あの、小っちゃい時は、いわきにいたんです。そして、あの、郡山の方、

白石 (?)。

橋本 郡山の養護学校ができて。

白石 はい。

立岩 ああ、ああ。

橋本 親の会が一所懸命、やって。郡山の山を、こう、開墾して(笑)。

立岩 ちょっと、ちょっと待ってくださいね。えっと、いわき、生まれたのがいわきですか。

橋本 いやいや、生まれたのは福島市だったんです。福島だったの。で、あの、小学校は学校に来なくていいよって言われたの。

立岩 就学(?)。

橋本 学校に入れてくれって頼んだのに。

立岩 入れてくれって頼んだのに、入れてくんなくて。それは福島市ね。

橋本 そう。前は。

立岩 ほんで。ほんで。

橋本 で、学校教育するとこは、いわきしか無かったんです。その時は。

立岩 学校?

橋本 あの、私が七つの時は、どこも障害者が、入れてくれる教育制度は、整ったとこはなくて。

立岩 それはその、いわきは養護学校があったってことですか。

橋本 あったの、あったの。

立岩 ああ。

橋本 だからそこに、あの、泣く泣く親が入れてくれて。

立岩 それは、親と別れてですか。

橋本 そうそうそうそう。

立岩 それはやっぱり、寄宿舎?

橋本 そうそうそうそうそう。

立岩 福島に親は、親と住んでたんだけれども、

橋本 そうそう、親と仲良く住んでた(笑)。

立岩 いわきの養護学校に、

白石 (笑)

立岩 それは何? 小学校1年生から?

橋本 そう。

立岩 で、いわきに、いつまでいわきにおったんですか。

橋本 14まで。

立岩 14。中学部の、

橋本 2年まで。そして、そして、その後、白石さんと会ったの。郡山の養護学校で。

白石 (?)。

立岩 何で、その、いわきから郡山に移られたん…、

橋本 だから養護学校へ。できたから、郡山に(笑)。いわきよりも近いじゃない。

立岩 あ、そうか。

白石 (笑)

橋本 福島から見ると。

立岩 ああ、福島、

橋本 だから、自分の子ども(笑)、

立岩 福島から言うたら、いわきよりも、

橋本 郡山が近いから。

立岩 郡山が近いから、

橋本 親は、親として見れば、自分の子は近くに置きたかった。

立岩 ああ。じゃ、で、転校した。

橋本 そうそうそうそう。

立岩 それは中学部の2年?

橋本 そう。

立岩 中学部の2年の時に、

橋本 に、白石さんと俺が出会ったの。

立岩 出会った。その時は、でも、白石さん、1年生でしょ。違うの?

橋本 ええ?

立岩 2年生?

橋本 何? 何?

立岩 学年。

橋本 んー、学年は1年上だ。あ、下だった。

立岩 下だった。

橋本 うん。

立岩 何で知り合ったんで…。その、まあ、そんなに人数が多くはないにしても、学年も違うわけじゃないですか。

橋本 だけど気が合ったの。だから、白石さん、引っ張り込んだ、俺の、(?)、

白石 な、な、

橋本 (笑)

立岩 何に、何に引っ張り込んだんですか。

白石 科学の話。二人(?)、(笑)。

橋本 俺、好きだった(?)。

立岩 え?

橋本 (笑)

立岩 何? 何?

白石 あの、天文学とか。

立岩 天文学?

白石 うん。

立岩 橋本さん、天文…、天文…、何? 星見るのとか好きだった?

橋本 好きで、好きで、これ(?)。

立岩 望遠鏡とか。

橋本 好きで。

立岩 へー。

橋本 うちにあんだけど。

立岩 今もある?

橋本 うん、あるけど、もう、出してないんだ。ごっつう汗づくで出せばね。

立岩 ああ。

橋本 (笑)

立岩 で?

白石 で、で、

立岩 それで、

白石 で、毎日、放課後、終わったら、学校終わったら、毎日(?)、(?)。

立岩 毎日?

白石 (?)、毎日、(?)、話。話ししたの。

橋本 そんな話ばっかしてた時代だった。

立岩 二人で星の話しか、してないんですか(?)。

橋本 んー、(?)。

立岩 へえー。

橋本 だけど、もう、白石さんには、喧嘩は強くて勝てなかった。

一同 (笑)

立岩 喧嘩。

橋本 頭も悪くて、かなわない。

白石 相手(?)、

立岩 頭が?

橋本 白石さんの方が、激しく、良かった。

立岩 あ、何? 白石さんの方が勉強できたっていうこと?

橋本 ああ、勉強、できた。

白石 いや、いや、

橋本 喧嘩も強かった。

白石 (笑)

立岩 喧嘩も強かった。

橋本 女にも、もてた。

立岩 (笑)

白石 (?)(笑)。

橋本 あの、あの、養護学校の先生からも、信頼があった。

立岩 ああ。そう。

橋本 俺、あんま、信頼なかった。

立岩 へえ。

橋本 ばかなことばっかやってたからね。

白石 (?)。

橋本 (笑)

立岩 学年、そのさ、学年的に言うと、その、橋本さんでしょ? 1年下、白石さんでしょ。で、その、鈴木絹江とか、安積とか、桑名さんとおおもりさんとか、その辺て、学年的にどういう、こう、位置関係、

白石 ね、あの、

橋本 (笑)

白石 絹江さん、同級生。

立岩 絹江さんが、

白石 同級生。

立岩 えー、橋本さんの同級生。

白石 うん。うん。

橋本 だけど、俺、あの、差別されたんだ、絹江さんには。

白石 いじめられた。

立岩 だから、いや、インタビューでもしゃべってる、いじめられたとか書いてる(?)。

橋本氏&白石 (笑)

[00:10:03]
立岩 いじめられた?

橋本 こきたない格好して、

白石 (笑)

立岩 な、何?

橋本 こ、こきたない格好して(笑)、

立岩 「こきたない格好してる。」って言われるの?

橋本 そうそう。

白石 (笑)

橋本 あっちゃ行けとか。

白石 だめだめだめ(?)。

橋本 あっちゃ行け、つって。近くに来るなって。

立岩 近くに来るな? あっち行け?

橋本 うん。

立岩 あっち行けって絹江さんに言われた?

橋本 よく言われてた。

立岩 よく言われた。それも、よく言われた。

白石 ああ。(?)。

立岩 始め、そんな汚かったですか。

橋本 うん。こきたない格好して。

白石氏&立岩 (笑)

立岩 こきたない(笑)。で、絹江さんが橋本さんの同学年で、

白石 で、俺がいて、

立岩 白石さんが一つ下で、で、他、

白石 で、(?)、ごめん、何だろう(?)。

橋本 何が? 何が?

白石 で、あの、

橋本 おおもりさん、9歳ぐらい離れてる。

白石 うん。あの、あれ、あの、くりきさんが、

立岩 あ、くりきさんね、栗城茂子、

白石 (?)は、それ以来(?)の、同級生なの。

立岩 くりきさんが、白石さんの、同級生?

白石 うん。同級生。

立岩 ああ。くりきさんは今でも、相模原で、

白石 はい。そうです。はい。

立岩 活動されているんですよね。

白石 はい。

橋本 今、やはり一所懸命、あの、(?)をやられてますよね。

立岩 うん。うん。うん。

白石 で、後は、安積純子。

立岩 これで4人でしょ。

橋本 純子は六つ、違うな。(?)、六つ。

立岩 六つも違うんですか。

橋本 六つ、六つしか違ってない。

立岩 ああ、そうか。彼女、そうですね、54(?)…、

白石 おおもり君もそう?

立岩 56年生まれですね。

橋本 おおもりさん、俺と九つ違う。

白石 あ、おおもり君、九つ違うの。

橋本 うん。

立岩 安積さんが六つ下。

橋本 うん。おおもりさん、

立岩 おおもりさんは九つ下。

橋本 九つ下なの。

立岩 ああ。

橋本 うん。

白石 あの、

橋本 とのむらさん。

白石 いや、とのむらさんは、

橋本 とのむらさんは、俺、わかんねえんだよな。何ぼだかな(笑)。

白石 じゃ、桑名さんは。桑名さん。

橋本 桑名さんも、俺はわかんねんだな、(?)。

立岩 桑名さんは、そうか、あの、

橋本 だいぶ若いけどもね。

立岩 まあ、あの、養護学校つながりとかね、あるいはその、視覚障害の人だと盲学校つながりとか、それは結構、あるのは聞くんですよ。だけど、まあ、日本にそこそこたくさん養護学校あるわけじゃないですか。

白石 はいはい。

橋本 うーん。

立岩 でも、何かこう、福島? 郡山養護学校ほど、というか、

一同 (笑)

立岩 有名人を輩出した養護学校、みんな(?)、ないなっていう気がして。

白石 (?)。

立岩 何か、不思議な気がするんですよね。

白石 何で、何でかな。

橋本 何でだかわかんねえけどな。

立岩 何なんだろう。

橋本 何だかわかんねえな。

立岩 何か思い当たることってないですか。

橋本 うーん。いや、多分…、わかんねえな。ちょっと。こんなこと言っていいのかな。

白石 (笑)

橋本 あの、出来の悪かった私と、出来の良かったほら、白石さんとか純子さんとかと付き合ったから、俺らも行くべ、と、(?)。

立岩 ああ。

橋本 でも、わかんねえ、あとは。

立岩 あの、東京だと光明がありますよね。

白石 うーん。

立岩 あそこは、まあ、日本で最初にできた養護学校、

橋本 あ、横山さん、横山さん。

立岩 あ、そうか、横山さん、

橋本 よこやまさん、光明、

立岩 横山さん、光明ですか。

橋本 横山さん、光明養護学校(笑)。

立岩 それはそれでわかるんですよ。で、まあ、まあ言うたら、あれしかなかった時期に、まあ、親が、一所懸命、

橋本 大阪にいたんだね、横山さん。

立岩 ねえ。だから、

橋本 引っ越して来たんだもんね。

立岩 ね、そう、わざわざ。で、僕の知り合いでも、その、光明の近くに、沿線に引っ越して、という人、いますから。それはそれで、何か、こう、わかる。人がね、何か、

橋本 いや、俺のうちの親は、東京まで引っ越す金、なかったんだ。

白石 (笑)

立岩 ねえ、まあ、花田春兆さん時にさ、そういう人がね、輩出されたという、それはわかる気がするんですけど。郡山、よくわかんないですよ。

須賀氏&白石 (笑)

立岩 何で郡山なんだろう。

白石 何だろうな。

橋本 何だべな。わかんねえな。

立岩 他であんまり聞かないんですよね。養護学校つながりとか、

白石 うん。ね、いっぱい、いっぱい。

立岩 何なんだろうな。

橋本 今もつながってるからね。何人かとは、ちょっとは。腐れ縁が(笑)。うん。

立岩 おお、何か、うん、そうか。

白石 一つは、あのね、俺の中学校の担任、あの、数学の先生でね、びしびしやってたの。普通の、普通の生徒にやるように(?)。
[00:15:05.376] だから、その、健常者の生徒のような感じで、扱ってたの(?)。うん。普通に。だから、あの、勉強だったら勉強を、「だめだ、こんなの!」って怒られたりね。あの、よそ見してると、チョークぶつけられる。

一同 (笑)

立岩 普通に、まあその、しょ…、その、養護学校だから云々ていうんじゃなくて、ってこと?

白石 うん。うん。そうそう。

立岩 普通に、その、子どもっていうか、学生、生徒として、扱ったっていう、先生がおった、っていう。何か勉強できんとチョーク投げたりとか、そういう人がおったと。

白石 うん。うん。(笑)それが(?)、必死だった(?)のかな。

立岩 うん。

白石 わかんないけどね。

立岩 そういう先生がおったのは覚えてるということだ。

白石 はい。はい。

立岩 んー。そう、どうだろう(?)、割り方、何かこう、自由。そんなことはない?

白石 自由ね(?)。自由だね(?)。

立岩 自由じゃない?

白石 案外自由だったよ(?)。

橋本 割りかし自由だった。

立岩 自由だった。

白石 うん。

橋本 俺、よく怒られてたけど。

立岩 うーん。

橋本 怒られてばっかり。

白石 で、まだ養護学校ができて、間もなかったから。

立岩 あ、そうか。できたばっかりだったっていうのもあるのか。

白石 はい。はい。

橋本 白石さんとよく散歩に連れてってもらったり、したよ。散歩したり。

立岩 散歩、連れてってもらった。

白石 (笑)

橋本 どや(?)、自主的に散歩(?)。

橋本氏&白石 (笑)

立岩 自主的に?

橋本 散歩に行って。

立岩 学校さぼってとか、そういうことではなくてです?

橋本 いやいやいや。

白石 あ、

橋本 休みの時とか。あと、学校終わってからとか。

立岩 学校終わってから。

橋本 うん。

立岩 散歩って、その頃は、歩いた?

橋本 いやいや。あの、手動車いすでね。

立岩 手動の?

白石 はい。車いすで。

橋本 電動、なかったから。その時は。

立岩 てことは、誰か押すわけじゃないですか。

白石 俺、俺が押したんです。

橋本 白石さん、押して、(?)。

立岩 え? ちょっと待って。

橋本 白石さん、歩いてたから。

立岩 橋本さんの車いすを白石さんが押してた。

橋本 んー、そうそうそう。

白石 はい。

立岩 ああ。

須賀 んー。

橋本 すごいんだー。「いいから押してやっから」とか言って。

白石 (笑)

立岩 ああ。白石さん、車いす乗り出したの、いつ?

白石 俺は、30代、半ばかな。

立岩 30代、半ば。

白石 はい。

橋本 白石さん、大きな車いす、乗ってたんだと思うけどな(?)。

立岩 大きい?

白石 その、前は、こう、(?)。

立岩 ん?

白石 (?)。

橋本 (?)。

白石 三輪車。でっかい三輪車みたいな。

立岩 三輪車。

白石 うん。

橋本 でっかいの。

立岩 でっかい三輪車みたいのに乗ってた。

白石 乗って。はい。

橋本 すごいんだ、あの、何だ、何て言えばいいんだべな、あれはな。ちょっと、でっかくてびっくりするよ、本当に。

立岩 でっかくてびっくり、それは三輪車、それは自走して、自分で、

白石 はい。自分で、こう、回して。手回し。

立岩 手?

白石 うん、手回し。

橋本 (笑)

立岩 手回しの、手動式の(笑)。

白石 はい。

立岩 三輪車みたいなのに乗ってた。

白石 はい。はい。

立岩 それは30代で、車いすに乗る前?

白石 乗る前。

立岩 ああ。

白石 20代、20代からね。

立岩 20代。

橋本 すごいんだ、迫力あって。すごい迫力だった。

白石 (笑)

立岩 で、20代で、その、三輪車乗ってた頃っていうのは、50年生まれだから、

白石 はい。

立岩 70年代か。

白石 (?)、養護学校卒業してから。

立岩 卒業…、その、三輪車乗り出したのはいつ頃だか覚えてらっしゃいます?

白石 養護学校卒業して、1、2年ぐらいかな。

立岩 養護学校卒業前ってことですか。

白石 いや、卒業してから。

立岩 卒業してから。

白石 半年(?)ぐらい。

立岩 卒業してから三輪車に乗り出したんですか。

白石 はい。はい。

立岩 ああ。

橋本 あの三輪車って、今でもあんのかね。

白石 あんまり、ないな。

橋本 あんま、ないよね(笑)。

立岩 それは、だ…、そっか、養護学校、20歳(はたち)とかですか。

白石 はい。

立岩 20歳頃ですか。

白石 20歳頃ね。

立岩 それから30代半ば頃まで、それに乗ってて、その後、

白石 乗ってて、あと、電動車椅子。

立岩 その後、車椅子。

白石 はい。電動車椅子。

立岩 最初から電動ですか。

白石 はい。

立岩 80年代の半ばの電動。

白石 はい。

立岩 バッテリーがすぐ切れた頃の電動。

白石 うん、はいはい。

橋本氏&白石 (笑)

立岩 そうか。で、その頃、まあ、車いすは、って言うんで、車いす、海に捨てた人もおったけど、

白石 はい。はい。おったけど、

立岩 それはちょっと、

白石 はい。はい。ちょっと待って。

立岩 ちょっと待て、っていうか、

白石氏&橋本 (笑)

立岩 それはちょっとな、という感じだった。

白石 はい。はい。

立岩 あれ、広島ですよね。

白石 うん、ですね、はい。

立岩 ははあ。長いですね。

白石 はい。

橋本 (笑)

立岩 え、ちょっと待って、中2でしょ、14歳。14歳の時に知り合って、今、60…?

橋本 …8。

立岩 …8?

橋本 もうすぐ8。

立岩 あ、そうか。わかりやすいですよね。50年生まれってね。

橋本氏&白石 (笑)

[00:19:59]
立岩 いや、僕も60年生まれなんで、わかりやすいですけど、

白石 あ、そうですか。じゃあ、十(とお)、

立岩 十、違うんです。十、違うんです。

橋本 すごいなあ。若い。

白石 (笑) はい。

立岩 14で、68だから、54年、か。

白石 はい。そうですね。

立岩 54年間の、関係ってことですよね。二人。

白石 すごいなあ。はい。

橋本 (笑) まあ、銀婚式。

一同 (笑)

立岩 銀婚式。

橋本 何てばかやろうで(?)。

立岩 でね、白石さんは、で、白石さんが、まあ、山形、行ったりとか、相模原っていうのは、まあ、大体、頭に入ったんですけど、橋本さんは、それで、養護学校出てからの、住まい…、住所、

白石 住まい。

橋本 千葉にいたんです。

立岩 千葉。ベデスタ(ママ。ベテスダ?)、ベデスタ、ベデスタホームですよね。

白石 はい。

橋本 はい。

立岩 それは養護学校出てから、すぐ?

橋本 あと、今度(?)、親が死んじゃったの、すぐに。

立岩 ああ、親、親が死んだ。

橋本 死んじゃったの…。

立岩 はいはい。亡くなって。

橋本 はい。だから、今度、親が死んだらば、あの、障害者が一人でいて、こう、危ねえんじゃないかって、こう、

立岩 ああ、ああ、ああ。

橋本 周りが、こう、あの、何だ、その、あの、(?)、ばっかだったから。

立岩 えっと、それは、お父さ…、どっち? ご両親?

橋本 うん、そうそう、あの、まず、うちの、おっかちゃんが死んじゃったんだよ。

立岩 お母さんが亡くなる…、

橋本 おふくろさんが死んじゃった。

立岩 お母さんが亡くなる…、

橋本 そうそう、60で。俺が20歳(はたち)の時に。

立岩 早く亡くなったんですね。

橋本 うん、癌で死んじゃったの。

立岩 ああ。で、その、20歳までは、その、福島の自宅におられたんですか。

橋本 1年間。

立岩 1年ぐらい。養護学校高等部出て、

橋本 はい。1年ぐらいは、うん。

立岩 1年ぐらいは福島市の実家の方にいたけれども、

橋本 うん。実家にいた…、んー、

立岩 お母さんが60で、

橋本 うん。死んじまって。

立岩 癌で早死になさった。

橋本 その時、白石さん、来たんだよ、(?)。

立岩 ん?

橋本 そん時、この人、来たの。俺と。

白石 (?)。

立岩 ああ。お母…、

橋本 この人、来たの。白石さんの同級生も来たの。何人も。

立岩 それは、

橋本 物好きに、まあ(笑)。

立岩 それは、福島の実家に訪ねて来られたってことですか。

白石 はい。はい。

橋本 俺、来っと思わねかった。

立岩 ああ。

橋本 よく来たよ、あの坂、登って。

白石 (笑)

立岩 おお。それは記憶にある?

橋本 すごい坂だった。

立岩 うーん。

橋本 坂、坂、1キロ(石ころ?)ばかり。そだから(?)たんだ。

白石 (?)。

立岩 でね、ほたら、お母さんが亡くなられて千葉に移ったんですか。

橋本 いやいや。

立岩 そうじゃなくて。

橋本 何ですか。

立岩 いや、お母様が亡くなられて、橋本さん、千葉に移られたんですか。

橋本 そう、親の会の紹介で。

立岩 親の会の紹介。

橋本 うん、福島の親の会の紹介で。

立岩 ああ。ベテスタって、他にいますよね。えっと、誰だっけ。

橋本 かくのさんとか。

立岩 かくのさん。は、知らないな。

白石 (?)。

橋本 かくのさん、俺と友達になってくれて。

立岩 その、ベテスタには、何年おられたんですか。

橋本 2年半。

立岩 2年半。それの後、

橋本 今度、ベテスダにいる時、今度、親父が死んじゃったんだよ、今度。父ちゃんが。

立岩 ああ、ベテスダにいる間に、お父様が亡くなった。

橋本 うん、だから、姉が「戻ってこいよ。」って言われて(笑)。

立岩 ああ。「戻ってこい」って言われて、福島市に戻られたんですか。

橋本 そうそうそうそう。

立岩 はいはいはい。

橋本 けやきの村に。

立岩 で、けやきの村。

橋本 んー、そして白石さんが、あの、何回も通ってきて、「おめえ、出っべよ。」つったり。

立岩 ああ。

橋本 なかなか、俺があの、

白石 (笑)

橋本 あの、心配で。

立岩 ん?

橋本 私が、あの、怖がりだから、

立岩 はいはいはい。

橋本 あの、何年もかかったんですよ。

立岩 その、けやきの村、

橋本 (?)出んのが。

立岩 けやきの村ってね、何…、どのぐらいおられた?

橋本 やっぱ2年半。

立岩 2年半。

橋本 合計、3年か4年はかかってるね。決心するまで。

立岩 なるほど。

橋本 4年はかかったな。

立岩 それは、けやきの村っていうのは、福島県の、ど、どこっつったらいいの?

橋本 あの、社会福祉法人の、(?)、

立岩 社会福祉法人。

白石 飯坂。飯坂

橋本 うん。飯坂。飯坂。

立岩 飯坂?

橋本 飯坂温泉の近くにある。

立岩 飯坂温泉の近く。

橋本 今、大きくなったよ。

立岩 んー。

橋本 障害者、いっぱい雇い入れて。

立岩 それは、

橋本 受け入れて、大きくなったんだ。

立岩 それは、その当時の施設のタイプとしては、療護施設?

白石 重度障害者授産施設。

立岩 授産施設ですか。授産施設に住んでたところに、えっとー、白石さんが来られて「お前、出ろうよ。」と言われた。

橋本 あ、そうそうそうそう。

白石 (?)。

橋本 (笑)

立岩 で、何だかんだで、出て、

橋本 はい。

立岩 で、郡山に、

白石 いや、ふ…、

橋本 福島で、(?)。

立岩 福島か。福島市、

白石 で、それで、その、

立岩 その時は、両方、福島市ですか。

白石 いや、俺は郡山。

立岩 白石さんは郡山で、

白石 そ、そ、

立岩 橋本さんは福島。

橋本 (?)。

白石 その前に、俺の同級生(?)、

立岩 おお。

白石 同級生が(?)、同級生が関わってる。

立岩 同級生が?

白石 ね、そ、そ、グループで関わって。

立岩 関わって。

白石 で、同級生が、その、アパート借りて。

立岩 アパート借りて。

白石 そこに二人で、(?)。

立岩 待って。二人でって言うのは、この二人で、ですか。

橋本 そうそう。おかげさんで、はい。

立岩 で、そのアパートは郡山ですか。

白石 いや、福島。

立岩 福島。福島です…。

橋本 はい。最初、福島に。

立岩 じゃあ、何? えーっと、その時は白石さんは郡山から福島に移った時か。

白石 はい。はい。

立岩 移った。

橋本 うん。そうね。

白石 で、そこで、あの、こんどうさんとこに、1週間ぐらい、(?)。

橋本 1週間ぐらいいたね、こんどうさんの、

白石 1週間ぐらい、いる間に。

立岩 1週間?

白石 に、いる間に、部屋、見つけて。

立岩 ああ。こんどうさんというのは、

白石 こんどうさんつって、俺の同級生なの。

橋本 こんどうさんて、白石さんの同級生。

立岩 ああ、白石さんの同級生が、

白石 はい。

橋本 応援してくれた。

立岩 福島市におられたんですか。

白石 はい。で、その、福島市で(?)、

立岩 福島市におられて、その家にしばらく、

白石 はい。

橋本 うん、いた時もあった。

立岩 お世話になった間に、

白石 間に、りょ…、

立岩 アパート、探して?

白石 探して。

橋本 はいはいはい。

立岩 アパート探してアパート見つけて、

白石氏・橋本 はい。はい。

立岩 そこに、二人で住んだんですか。

白石 はい。二人で住んだ。

立岩 どのぐらいのアパートでした?

白石 (?)と、4畳半とね。

橋本 6畳と4畳半。

立岩 6畳、4畳半?

白石 4畳半です。長屋の。

橋本 長屋の。

立岩 長屋。

白石 うん。

立岩 6畳、4畳半の長屋で、二人。

白石 はい。

立岩 その、二人住むっていうのは、親には、親というか、言うたんですか。

白石 い、

橋本 親は、反対だった。

白石 反対、反対。だめだって。

立岩 え?

橋本 だめだって。

立岩 だめだって言った。

白石 強引に。

立岩 強引に、ですか。

白石 強引に。強引に居座って。

立岩 居座…、ちょっと待って、契約したのはどっちですか。

橋本 いや、最初は学生さんの名前で借りたの。

立岩 ああ。ああ、そうか。

白石 (笑) はい。

立岩 ちなみに、大学の、学生さん?

橋本 そうそうそう。うん。

立岩 えー、何?

橋本 応援してたグループがあったから。

立岩 ああ、ああ。それ、何大学?

橋本 グループって、グループのほどでもねえけども。

白石 福大。

立岩 福大。福島大学の学生さんが、

橋本 そうそうそうそう。

立岩 応援してて、

白石 はい。

立岩 その人が、の、名義で、

白石 はい。名義借りて。

立岩 借り、その人が住むっていう形で、借りて、

白石 はいはい。

立岩 実質は、二人、二人で住…、

白石 はい。

橋本 まあ、その学生さんもよく来てくれたけどね。

白石 (?)ちゅうような感じでね。

立岩 ふーん。

白石 (?)。

立岩 その当時、その、結構、まあ、色々、地域で、大学生が、何かサークル的なものを作ったりしてっていう、福島もそういうのあったんですかね。

白石 まあ、そこまでは(?)、グループはね、仲間とか。

橋本 仲間とか。

白石 ひまわりの会。

橋本 (?)とか。

白石 (?)。

橋本 後は、ひまわりの会とか、な。

白石 そのメンバーが手伝ってくれた。

橋本 はい。おかげさまでね、はい。

白石 後、その、学生運動の…、学生運動のほうで、ね、第四インターって、

立岩 第四インター。はいはい。

白石 の、仲間達が来て。色々、手伝ってくれたんだけど。

立岩 んー。

橋本 第四インターね。

立岩 あとこう…、まあ、このあいだ、富山じゃない、金沢でも聞きましたけど、やっぱり70年代の始めから半ばまでだと、えーと、党派?

白石 はい。

立岩 は、結構、関係してたんですね。

白石 はい。中核派とか、色々、来たよ。

立岩 中核も来た?

白石 社青同解放派だとか。

立岩 社青同解放派、来た。

白石 うん、色々。

橋本 うん。だね。うん。左の方(かた)も、ちょこっとは来てたね。左の。

立岩 中核、中核解放(社青同解放?)、第四インター、となる感じですか。

白石 うんうんうん。

橋本 あの、労働者の、

白石 あ、労働者、

橋本 うん、労働者の仲間も、ちょこっと。

立岩 労働者の人達もいた。

白石 うん。

橋本 社会党の関係の方(かた)かな。

立岩 ああ、社会党。

橋本 うん。

白石 色々、

橋本 当時の同士の(?)。んー、まあ、今は違う…。

白石 色々、いたな(笑)。

橋本 そうだね。うん。

立岩 ああ。なるほどね。それが、その、アパートが、何年だったか覚えてますか。

橋本 え?

立岩 アパートに、その、住みだした、

白石 あの、年表だと、

立岩 ああ、年表見ればわかるか。

白石 年表だと、1974年て書いてあるんだけど。

立岩 74年て書いてある。

橋本 アパートに住むのは、今でも厳しいですよ、(?)、アパート借りるのは、何か、あの、「死んだらどうすんだ。」とか言われて。

立岩 はいはいはいはいはい。

橋本 だけど、あんまりすぐには死ぬことねえのに。

立岩 火が出たらどうするとかね。

橋本 うん、火が出たらとか。

白石 色々、言われるな。

橋本 あと、「金、返せるのか。」とか。色んな、やくざが一緒に住むんじゃねえかとか。

[00:30:01]
白石 で、途中から大家が、大家さんがね、あの、家賃、(?)。

立岩 家賃を?

白石 家賃を(?)って。

立岩 何て?

橋本 受け取ってくんなかったのよ。家賃を。

立岩 家賃を受け取ってくんなかった。

白石 早う、出てけって。

立岩 出てけ。

橋本 (笑)

立岩 それは、結局、そのアパートにはどのぐらいおったんですか。

白石 いや、(?)。

橋本 い…、

白石 1年ぐらいじゃない? 1年。

立岩 1年ぐらい? 1年。

白石 1年半ぐらいか。

橋本 うん、1年半ぐらいかな。うん。

立岩 それはアパートの大家が、出てけ、的な?

白石 言われて、

立岩 言われて。

白石 で、弁護士さんに相談して。

立岩 弁護士?

白石 うん。ね。

立岩 相談して?

白石 そして、供託金ということで。

立岩 はいはいはい。

白石 はい。制度、使ってね。

橋本 うん、供託金て。んー。

白石 はい。ね、供託金。

立岩 供託金。ああ。はいはい。を、何?

白石 はい。ていうのを(?)、使って。

立岩 要するに、大家は、お金を受け取らないと言ってる。

白石 そういうことです。はい。

立岩 で、弁護士に相談して、

白石 して、供託金。

立岩 払…、

白石 払って、

立岩 その分を、供…、その、弁護士のほうに預けるというのか、

白石 預けて。はい。

橋本 そうそうそう。

立岩 それで、どうなったんですか。

白石 で、大家に渡して。

立岩 お渡しして。

白石 はい。

立岩 で、でも1年半で出たわけじゃないですか。

白石 はい。はい。

立岩 それは結局、どういう顛末というか(笑)。

白石 あの、いっぱい、転がり込んで来たの、障害者が。

橋本 (笑)

立岩 え? いっぱい、障害者が、

白石 いっぱい転がり込んできたの。

橋本 最悪(?)的に、最終的に、

白石 同級生、同級生とか、(?)。

橋本 最終的に、養護学校の同級生とかが、いっぱい来るようになったんですよ。

立岩 来るっていうのはさ、その、泊まり、泊まってたの?

白石 泊まってた、泊まってた。

橋本 生活してた(笑)。

立岩 生活、生活してた。

橋本 はい。

白石 はい。

立岩 その、まあ、色々、一時的な出入りもあるでしょうけど、一番、その、寝泊まりしてた人数で言うたら、マックス、

白石 7人ぐらい。

橋本 7人か、8人ぐらい。

白石 うん。うん。

立岩 6畳、4畳半に、

橋本 団子部屋。団子部屋。

立岩 7、8人が、布団、敷いて暮らしてた。

白石 はい。

橋本 団子部屋。団子部屋。

立岩 暮らしてた。ふーん。

橋本 俺の(?)の顔とかに、よその障害者の足が乗ってたんだから。

白石 (笑)

橋本 足、臭え奴がいて。

白石 (笑)

立岩 それは、男ばっかり?

橋本 違う、女も。

白石 女もいたよ(?)。

立岩 女もいた。

白石 両方とも(?)。

橋本 女の人もいたんだ。

白石 あれ、あの、しまざきゆみこって。

立岩 しまざきゆみこ、知ってます。はい。

白石 あの人、来てたよ。

須賀 へえー。

立岩 ああ。しまざきさんも、そこに住んでた。

白石 うん。そうです。

橋本 最初、いたの。うん。

立岩 へえー。

橋本 うん。

白石 (?)。

橋本 (?)、元気良かったよ。

立岩 その、めしとか、っていうか、その、食事っていうか、家事っていうか、

白石 俺と、あの、橋本さんの生活保護で、

橋本 俺と白石さんの生活保護で。で、みんなの、

須賀 (笑)

立岩 生活保護は生活保護ですよね。

白石 (?)、ないから(?)。

立岩 白石さん、生活保護、

白石 はいはい。はい。二人で、(?)、

立岩 橋本さんも生活保護、

橋本 私も生活保護。

白石 二人で。

立岩 二人で、生活保護のお金は出ますよね。

白石 はいはい。

橋本 みんな、だから8人分で(?)。

立岩 え? ちょっと待って。二人の生活保護のお金で、8人から来る人達、

白石 いや、もう、

橋本 (?)、何だっけか(?)。

白石 (?)、多分そうだな。

橋本 うん、そういう時もあったんだ。

白石 で、金、足りないから。

橋本 (笑)

立岩 え?

白石 金、足りない(笑)。足りないから。俺があの、詩を作って。

橋本 ポエム。

白石 詩を作って、あの、街頭で販売して。

立岩 ああ。白石さんの詩を、売ってた。

白石 はい(笑)。はい。

立岩 いくらで?

白石 1部、100円くらいかな。

立岩 100円?

白石 でね、で、(?)で、3,000円(?)。1回、3,000円ぐらい。

立岩 1回?

白石 3,000円ぐらいなった。

立岩 1回、何?

白石 3,000円ぐらい。

立岩 3,000円?

白石 うん。

立岩 1回、何? 3000円、稼いだってことですか。

白石 うん。

立岩 3,000円。100円で、

白石 はい。30部。

立岩 30個、売ったってことですか。

白石 はい。

立岩 誰が買うんですか?

一同 (笑)

白石 通行人。

立岩 通行人。

白石 うん(笑)。

立岩 買う人もおるんですか。

白石 はいはい(笑)。

立岩 ああ、詩を売ってたって、すごいですね、何か。

白石 (笑)

橋本 詩人なの。昔から、

立岩 それは知ってますけど、知ってますけど、

橋本 芸術家よ。

立岩 それも知ってますけど。すごい(?)。

橋本 (笑)

白石 それでみんな、(?)(笑)。

[00:35:01]
須賀 んー。

立岩 で、そのお金も含めて、その、煮炊きというか、食費とか出して?

白石 はいはい。

立岩 食事を作ってたのは、誰ですか。

白石 あの、ボランティア

橋本 ボランティアの学生さん。

立岩 福大の学生であるとか。

白石 はい。はい。

立岩 その人達が、めしを、

白石 はい。はい。

立岩 そのお金で、

白石 はい。

立岩 作ってた。

橋本 はい。んー。

白石 で、二人で作った時もあるよ。

橋本 うん。

白石 二人で作った時も。二人で作った時もあるよ。

立岩 二人?

白石 めし。俺と橋本さんで。

橋本 ええ、まあおかげさんで(笑)。

立岩 え?

白石 誰もいない時は、俺、

立岩 え? え?

白石 誰もいない時は、ね、(?)の時は、二人でめし作ったよ。

立岩 二人でめし、(?)。

橋本 一応、一所懸命、やれる範囲で。

立岩 その、白石さんはその時期は、自分でこう、

白石 あれ、あれ、立つ(?)、

立岩 煮炊きができた?

白石 全然(?)、立てたから(?)。立てたから(?)。

立岩 立てた。

白石 はい。

橋本 もう、簡単に、包丁は使えたから。昔は。

立岩 橋本さんも、手は、つ…、手、使え…、

橋本 簡単にならば。

立岩 簡単にだったら。

橋本 はい。

立岩 だから、その、煮炊きもした。

橋本 うん、やった、結構、やったけども。

立岩 二人とも、した。

白石 はい。

橋本 ありました。はい。

立岩 ああ。

白石 で、その、1回、その場面を、大家が見てて。大家が見たの。大家が。来て。

橋本 大家さんが来て。うん。うわーって(笑)。

白石 「危ない! やめなさい!」って。

立岩 ああ。

須賀 ああ。

立岩 まあ、大家から言うたら、ねえ。

橋本 あの、見てらんねかったんだ。

立岩 うん、まあ、契約違反だよね。

橋本氏&白石 (笑)

立岩 契約違反だよね。だって、学生名義なんでしょ。

白石 はい。

立岩 最初から最後まで学生名義で、

橋本 うん。まあ、そうだけども、

立岩 でも、7、8人、住んでて。

橋本 だから、あの、病気になっからね、8人もいっとね。だから、そういう生活はやめようっていうことになったの。

立岩 大家は、別の所に住んでた。

白石 はい。

立岩 同じ、

白石 別のとこ。

立岩 別のとこか、そうか。

橋本 別のとこで、はい。

白石 隣の部屋にも、住んでたんだよね。

橋本 うん。隣の部屋にも、誰か住んで…。

立岩 ああ。隣の部屋っていうのは、それは、アパートの隣じゃなくて(?)。

白石 はい。はい。長屋。長屋。

橋本 長屋。長屋。はいはい。

立岩 長屋の隣の。誰かって、誰?

白石 男と女(?)。夫婦だっけ?

橋本 やっぱ学生さんの夫婦みたいな方で。

白石 夫婦みたいなね、いたね。

立岩 学生さん…、

橋本 …さんの夫婦みたいな方が隣に住んでた。

白石 それで、毎回、毎回、「うるさい!」って言って、怒鳴り込んで、きてたね。

立岩 ああ、うるさいって言われたってことですか。

白石 怒鳴り込んできたけど、ね、最後には仲良くなって。

須賀 (笑)

橋本 仲良く。最後には仲良くなって。

立岩 ああ。隣の、学生の夫婦らしい人と、仲良くなった。

白石 仲良くなって、で、酒飲ませて。

橋本 酒買ってきて、一緒に飲んだ時もある、みたいな(?)。近くに酒屋さんとかあったから。

白石 (笑)

立岩 ああ。

橋本 (笑)

立岩 家賃、何ぼだったか覚えてます?

橋本 いくらだったかな。

白石 2万ぐらいか、

橋本 2万8(?)千円か5千円か。

立岩 2万3千円か5千円?

橋本 2万5千円ぐらい、

立岩 うーん。それが、74か。

白石 はい。はい。なるね(?)。はい。

立岩 24歳。

白石 はい。

立岩 養護学校出て、5、6年。

白石 はい。

橋本 相当、目立ったべなあ。周りから見てたら(笑)。

白石 (笑)

立岩 ああ。それはでも、なかなかですね。

白石 はい。

立岩 で、そのアパートを1年半で、まあ、追い出されたようなもんですか。

白石 いや、自分達で、別れて。

立岩 自分達で?

橋本 はい。あの、いっぺえ集まりすぎたな、という(?)。

白石 あの、かくのさんていうね。かくのさんという、

橋本 うん、かくのさん。重度の人が。

白石 …の、ベテスダの、人が、

橋本 仲間になってたから。

白石 やって来て。で、そこで、泊まってたのね。

橋本 ほら、千葉から出てきて、近くのその、千葉のベテスダから出てきた、(?)、

立岩 ああ、かくのさんが、ベテスダから出てきて。

白石 そこに泊まって、なので(?)、

立岩 そこに、そのアパートに泊まったんですか。

橋本 泊まった。何日かだった。

白石 ね。で、

立岩 それで?

白石 で、手狭だったから、

立岩 うん。手狭、そうですよね。

白石 みんな、別に、別れて、

立岩 別れ…、

白石 住もうっていうことになって。

立岩 ああ。

橋本 うん。うん。

立岩 で、別れて住んだんですか。

白石 はい。はい。

橋本 かくのさん、俺も、福島で生活始めたから。あの野郎ができんのならば、自分もできんじゃねえかって、来たんだよ、わざわざ。

立岩 ああ。ベテスダに住まわれてたんだけれども、

橋本 うん。本当は、大阪とか東京で生活したかったんだけれども、

立岩 かくのさんも、郡山、

橋本 いやいや、茨城の方(かた)なの。

立岩 ああ、そ…、

白石 (?)。

立岩 茨城の出身の人で、千葉の施設に住んでた人が、二人がそうやって暮らせるということらしいということで、

[00:40:03]
白石 で、福島に来て。はい。

立岩 福島に来て。で、その、かくのさんも住まわないかんということで、こんなに同じ所に、一緒の(?)場所にいても、っていうことで、別れて住む?

白石 はい。で、別れた。

立岩 別れ…、福島市内の、何? アパートみたいな、

白石 アパート。

橋本 アパート、みたいなのね(?)、だったの(?)。

立岩 そこに、何人ぐらいの人が、こう、別れてっていうか、住んで、

橋本 え、

白石 俺と、橋本さんと、かくのさんと、

橋本 俺と、かくのさんと、

白石 あんざい。あんざいと。

橋本 あんざいあきらさん。

立岩 あんざいさん?

橋本 4人か5人。

白石 あの、あの、

橋本 あんざいだけか。

白石 つよしさん(?)。

橋本 あ、つよしさん(?)か、だったら(?)、5人。

白石 わ、わ、

橋本 あ、次(?)、

白石 ほんださん。

橋本 あ、

白石 ほんだ、ほんだじゃない(?)、

橋本 あ、まつもとさん?

白石 じゅんこ(?)。

橋本 あ、じゅん…、あきたじゅんこさんだっけか。

白石 あきたじゅんこ。

橋本 あきたじゅんこさんとか。

白石 はい。6人、ぐらい(?)、

立岩 そうすると、6人ぐらい。

橋本 6人ぐらいの、家族やね(?)。

立岩 6人ぐらいの人が、まあ、今で言うところの自立というか、

白石 はい。はい。

橋本 うん。始めたんだね。

立岩 そういうことを福島で、75年とか?

白石 はいはい。

立岩 そのぐらいに始め…。介助はみんなボランティア。

白石 はい。

橋本 うん。そうですね。

立岩 大学生。

橋本 んー。

立岩 福島大学の大学生。

橋本 うん、あと、ちょっと(?)、自分でもやれたけども。

立岩 あ、やれる人は自分で、ってまあ、(?)、

橋本 はい、やれるとこ、やって、あとはボランティア。

立岩 ああ。

橋本 みたいな形で始めたんです。大変でしたね。

立岩 大変だった。

橋本 大変でした。はい。

立岩 福島…、福島市って、福島大学ですか。

白石 はい。

立岩 大学生つったら、

白石 そうだね。福島大。そうだな。

橋本 (?)。

立岩 尾上さんは、まだ、来てない…、

白石 あの、ここを(?)、

同席者 じゃ、ここで、ここで僕、出ますわ。

白石 すみません。はい。

同席者 あの、ここでみやしたさんの方に行ってくる。

白石 はい。

須賀 トイレ、大丈夫?

白石 あ、じゃ俺もトイレ、ちょっと行ってこ。

橋本 あ、じゃ、これ、電気をちょっと、(?)。

白石 (?)。

立岩 あ、もう本当に、いつでも切ってください。

橋本 電気をちょっと。これどけるわな。電気を入れてくれます? (?)白石さんが出るから、俺も1回、出っかね。

立岩 どうぞ、どうぞ。

須賀 え、もうこんな時間。

白石 何時?

須賀 6(?)時23分。

白石 おお。

橋本 わあ、すごいなぁ。

白石 (笑)

須賀 えー。

立岩 (?)、言ってなかったっけ。

須賀 えー。

白石 (?)、降ったな(?)。

須賀 取材は何時ぐらいまで続く予定なんですか。

立岩 いや、もう、僕は5時ぐらいのつもりだったので、もう時間的には。

須賀 相当、面白い(笑)。

立岩 面白いですね。

須賀 面白いです(笑)。すごいなあ。鎌谷さんとか、あの、違う、もう今、古井さんか。古井さんとかの、あの、紹介してもらったりもして、あの人も面白かったー。

立岩 元気でしょう。

須賀 はい。

立岩 元気やねー。ふるいさんね。

須賀 僕は、障害者の、僕、知らん間(ま)に僕自身も、あの、腎臓が悪くて、あの、今、手帳持っとんですけど、

立岩 へー。

須賀 あの、何かその、障害者運動の、こういうの関わっとったら、あの、原点を、本当に知りたくなって。で、たまたまこっち来た…、来て、帰るのが3月12日の予定だったんですよ。

立岩 うん。

須賀 だから、3月11日に、あの、地震が起きた、(?)。

立岩 え? 11日、起こるでしょ。

須賀 はい。

立岩 それが? え? 何、えっと、いつ頃まで、3月14日までいるつもりだったって、

須賀 12日に帰る予定だったんですよ。

立岩 あ、12…、そうか、11(?)、帰る予定だったのが11日に地震が起きた。

須賀 で、橋本さんちに、あの、居候していて。あの、

立岩 橋本さんちに、いた。

須賀 そうなんですよ。で、あの、今日と明日、あの、橋本さんちに泊まるんですけど、

立岩 ああ。

須賀 もう、懐かしくて。久しぶりで。

立岩 ああ。橋本さんちは大丈夫だったんですか。

須賀 橋本さん、あの、あれ、ああやって、あの、(?)の、

立岩 はいはい。つっかえ棒みたいなやつ。

須賀 つっかえ…、橋本さんの場合、何か、あの、壁に、こう全部、この何か、全部こうやって、つけとったんですよね。

立岩 はいはい。

須賀 あの、タオルとか、色んな、服とか。全部こう、ちゃんと、あの、こうあの、L字のやつとかで。留めてたりして。だからあの、ベット、その、棚とか一切落ちること無く。テレビはひっくり返ってましたけどね。

立岩 ああ。

須賀 地震が起きた時は、あの、白石さんとか橋本さんとかみんな一緒に、福祉センターにいたので。

立岩 地震が起きた時は、

須賀 時は、はい、

立岩 福祉センターで何してたんですか。

須賀 何かあの、マッサージ言うか、何か、リハビリ言うか。

立岩 ああ。午後でしたよね。昼ですよね。

[00:45:03]
須賀 そうです、そうです。で、その前に実は何か、余震、震度4か5か忘れましたけど、大きい地震があったんですよ。3.11の前に。その時は、あの、橋本さんが、綱引きに連れてってくれて。あの、旦那さんにあってたんですよ。あそこの、さっき、あの、

立岩 さっきの。

須賀 そうです、そうです。あの、面白い。

立岩 ヒッピー。ヒッピー。

須賀 はい(笑)。

立岩 ラモスに、(?)。

須賀 (笑)

立岩 (笑) ラモスに似てると僕は思ったんだけど。

須賀 似てる。似てますね。

立岩 え、で、今は、ん? 松山で? えっと?

須賀 僕はあの、生まれも育ちも、ずっと松山なんで、

立岩 松山生まれ、松山育ちで、

須賀 そうです、そうです。

立岩 で? えっと、働…、自立生活センター松山でいいんでしたっけ。

須賀 松山ですけど、ILも、あの、そうやと思うんですけど、後継者、言うんか、その、

立岩 はい。

須賀 白石さんとか橋本さんとか、やっぱり、そういう人達、先人ですよね。松山やったら、みずぐちえいいちさんという人とか、

立岩 みずぐちえいいちさん。

須賀 あと、あの、宇都宮さんてご存知ですか。

立岩 宇都宮、何さん?

須賀 『風の旅人』っていう、あの、牧口一二さんが漫画にした人。

立岩 知ってます。いや、知ってるというか、現物、現物ていうか(笑)、実際、知ってるわけじゃないですけど。はい。

須賀 宇都宮さんていう人とか、あの、松山も歴史古いので、その、そういう人達が、その、知ってるんですよね、その、先人のすごい人達の、まだ制度ができてない頃、そうやって、やってる人達の話、聞くんだけど、今は、全然、制度ができた後の、それが当たり前になってたりとかして。で、僕自身、その、障害者運動とは何なのかとか、何かその、まあ、色々、その、何かこう、行き詰まるところがあって。それであの、横山さん、ところに、あの、突然行って。「あそこ、あの人の所、行ったらいい」って言って。松山の人が。[00:47:09]

立岩 それは、自立生活センターで働き始めてから。

須賀 もう、はた…、もう、関わって、もう、14年ぐらいなるんですよ。じゅう…、松山は。その、途中辞めた25歳ぐらいの時に、うんと、横山さんの所に、せ…、(?)、行ったんですよ。ほんなら、多分(笑)、これ、変な子が来たと思ったの、どんなかわからんですけど、「面白い人がおるんだ。」言うて。で、橋本さんを紹介してくれて。

立岩 横山さんが橋本さんを紹介して、

須賀 そうそうそう。

立岩 で、それが、24?、5?

須賀 25歳ぐらいの時ですね。

立岩 その時は、何? 仕事辞めたと言いました?

須賀 仕事辞めたんです。はい。

立岩 いったん、就職した、どっかに就職、

須賀 就職してないです。辞めてる状態。

立岩 辞めたというのは、その前に、しゅ…、

須賀 働いてたのは、自立生活センター。

立岩 働いてた。自立生活センターで、何年か働いた後、そこを辞めて、

須賀 辞めて。

立岩 で、辞めてから、横山さんとこに。

須賀 そうですね。

立岩 したら、橋本さんを紹介して、

須賀 そうそうそう。

橋本 あの時代というのは(?)、また、俺も、(?)でね。いや、

須賀 で、橋本さんが、あの、どこの馬の骨かわからん、のに(?)、

橋本 馬の骨(笑)、

須賀 何かあの、「どうぞどうぞ。」とか言うて、あの、ウェルカムな感じで。

橋本 あ、いや、そんなことはない。みんなで来ていただいていいのよ。

須賀 やっぱり何かその、さっき白石さんとか橋本さんやけん、みたいな、何か、

橋本 あの、地雷感じたら、俺もおしっこしますから。ごめんなさいね。

立岩 はい。あ、はい。どうも。

橋本 はい。どうもね。どうも。はいはいはい。

立岩 はいはいはい。

須賀 さっき、何か、言いよったやないですか、白石さんの、橋本さんやけん、何か、誰でも、とかみたいな。その、この、人柄、みたいな。もうまさにそんな感じ。もう僕も、もろに、それをもう、リアルに、何か、受け入れてもらったので。何か、すごくしっくりきました。

立岩 んー。

須賀 うん。

立岩 いったん辞めて。辞めて、で、世田谷行って、でね、その後、どうなさったんですか。

須賀 ん? その後。

立岩 うん。

須賀 ここに。

立岩 いやいや、今、(?)、

須賀 あ、今ですか。

立岩 うん。

須賀 僕、あの、松山に戻って、自立生活センターに。で、

立岩 センターに戻ったんですか。

須賀 戻ったんですよ。

立岩 同じ場所にもう1回、

須賀 戻りました。

立岩 勤め始めたんですか。

須賀 そうです、そうです。

立岩 再開したというか。

須賀 そうですね。

立岩 そんな感じですか。

須賀 で、その、障害者運動とは何なのかとか、その、自立生活センターも、何か、ただの介助派遣事業所になってたし、何か名前だけの。

立岩 うん。

須賀 その、後継者も育ってないっていうのは、どこ…、全国的にもそうだと思うんですけど、

立岩 うーん。

須賀 自立生活センターもこう、頸損の人ぎりに、なっとったりとか。何かこう、僕の中で偏っとるというか。まあ、色々、思うところがあって。まあでも、一からここでと思って。そんなもん全部、もう橋本さんとか白石さんとかから学ばしてもらって。で、震災起こった後も、ずっとつながりが、作ってて。ね、こっちにも遊びに来てくれたりも、はい。だから今回、このイベントがあるっていうのも自立生活センターと言った時にその、運動をこう振り返ってっていう。あ、これはもう、必要だと思って。それで、あの、あと二人来るんですけど。このあと。[00:50:26]

立岩 松山から? うん。

須賀 二人の、あの、一人がCPの、女の、女性の当事者と、ヘルパーで女性の介助者。

立岩 うん。が、来る。

須賀 はい。でも、その、かとうようこさんという当事者の人は、あの、うちで職員している人で。んで、あの、もう一人、介助で来る、きのさんという人は、うちの、本当もう、中心的な運営を、もう事務的なこと全部、統括してやってくれてる人ですね。

立岩 うーん。そうですか。

須賀 ああ、でも本当に、あまのさんに会って欲しかったです。

立岩 あまのさんて、知ってるかなあ。知ってるのかな、実は。

須賀 いや、学会に行ったこと…、何か、もうずっと引きこもりみたいな人やのに、学会には行ったりとかはしてる人なので。

立岩 ああ、そうですか。

須賀 はい。

立岩 何人か、脳性マヒで大学院、ていうのはいますけれども。僕のところの大学院だと、まあ、そんなに多くないけど、京都で自立生活センターの代表、

須賀 はい。

立岩 やりながら、白杉って言うんですけど、それが一人。

須賀 あ、ほうなんですか。

立岩 うん。いるにはいますね。あと、今度、来年ていうか、4月ですね。後期課程とか博士過程に入ってくるのが脳性マヒ、ですね。

須賀 あ、ほうなんすか。

立岩 ぼつぼつ、います。うん。今までも、数だけで言うたら視覚障害の人は多いかな。8人ぐらい。受け入れて。

須賀 あの、僕、一つお聞きしたいのが、立岩さんが、そこまで、って、ここまでこう、あの、その、(?)して。本とかもいっぱい書かれてるじゃないですか。ここまでこう惹かれるのって、何でなんかなあと。

立岩 うーん。まあ、でも、その、聞き取り自体は、その、20代の後半に3年ぐらい、やってから、まあ忙しくなったり色々して。ほんとにインタビューは、してなかったんですけど。んー、ここ、去年ぐらいから、ちょっと、

須賀 あ、そうなんですか。

立岩 うん。再開というか。

須賀 ああ。

立岩 してるところなんだよね。長いこと、本当に、実際にインタビューとか、あ、まあ、全然してなかったわけでもないんですけれども、うん。雑誌に、依頼されたりとか。そういうので、うん、対談したりとかインタビューしたりっていうのはありましたけど。

須賀 はい。

立岩 ここんとこ、しばらく、そういうのを除けばやってこなくて。まあ、去年、研究費がちょっと取れたこともあって、うん、再開して。まあ、色々、理由つっても、まあ、さっきの話とかでも、まあ、面白い(?)じゃないですか。

須賀 はい。

立岩 で、それが一つ。まあ、それ、面白いから(笑)だけでやってるわけでもないけれども、

須賀 ええ。

立岩 まあ、面白いってのはいいことですよね。普通に。

須賀 そうですね。ゆめ風のやつも、あれもあの、立岩さんの書いとったりしたのも、読みました。うん。そう、来週、それこそ来週、これあの、ゆめ風の総会が、

立岩 ああ。

須賀 あって。

立岩 あ、そうですね。

須賀 うん。福島のほうもあの、やはたさんとか、あの、被災地センターの活動とか、ゆめ風が相当大きく、あの、関わってたんだなというのは、本当に。うーん。ちょっと今、どんな状況か。あの、福島のほうも、震災のその後の話も、ちょっと、聞く間があるかどうかわかんないんですけどね。聞きたいとは思ってるんですが。
 日曜日とかも、あの、あれ、行くんですか。あの、(?)美術館とか。

[00:55:10]
立岩 んーと、今んとこ、まあ、明日、やって、まあ泊まらしてもらって、次の日帰ろうかと。

須賀 あ、そうなんですか。

立岩 特に、うん。うん、ちょっと仕事もたまってはいて。

須賀 これのやつって、あの、いつ、その、本になったりとかします?

立岩 うーん。福島の?

須賀 はい。

立岩 うーん。その、10年前に調査した人達が、どのぐらいやってくれるかによるなあ。ああ、あるいはどういう形の本にするか。インタビューを、割とそのままに近く使うのか、再構成したり、一人一人が書く中でインタビューを使うっていうふうにするのか、まだ、そういうアイデアも決まってないので。あの、それによって違ってきますよね。

須賀 あ、そうですか。

立岩 ただ、あまり、何か、準備とか、考えてもしょうがなくて。そうやって考えてしまうと結局できない(笑)って結構あるので。あまり何か面倒くさいこと考えるより、作ってしまいたいなっていう気持ちはありますよね。

須賀 まだほんなら、めどは、

立岩 そうですね。うん。ただ、まあ、来年とか? 本になるといいなと思いますけどね。

須賀 ちなみに、あの、色んなとこ行かれとるけん、あれやと思うんですけど、その、若い障害者の人で、これは面白いな、っていう人、おりますか?

立岩 若い障害者。

須賀 やっぱり、白石さんとか、あの、って、やっぱり、時代が作ってきたっていう部分もある、

立岩 まあ、それはそうだ…、うん、いや、うん。

須賀 まあ、かと思えば相模原みたいなあんな事件が起きちゃったりもしたわけで。

立岩 うん。…若い、ねえ。まあでも、そんなに付き合い多いわけじゃないけど、色々なとこに、いる、とは思いますけどね。

須賀 そうですか。…あ、来たって。

立岩 尾上さん?

音声終了


UP:20180422 REV:
病者障害者運動史研究 
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