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ノート:『月夜釜合戦』における「メイ」の存在について

村上 潔MURAKAMI Kiyoshi) 2018/02/04

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last update: 20180211


 映画『月夜釜合戦』の主要登場人物「メイ」(太田直里)は、観る者に強い印象を残す、非常に魅力的な女性像である。ではその彼女は、いかなる特性のもとに位置づけられる(べきな)のだろうか。
 彼女を規定できそうな系譜の先達として、多くの鑑賞者がすぐに想起するであろう女性が2人、存在する。
 『太陽の墓場』(1960年)の主人公「花子」(炎加世子)と、『(秘)色情めす市場』(1974年)の主人公「トメ」(芹明香)である。
 しかし、この先行する2人とメイの間には、決定的な違いがあるように思う。
 花子とトメはいずれも強烈な「刹那性」を携えている。汚れた街の限られた一瞬の隙間に肢体と視線と声を眩しく刻印するその存在感は、過去・未来のありえた・ありえる「物語」とは断絶されている――が、ゆえに比類なきインパクトを保持する。
 メイは違う。花子のような屈強さ、トメのような倦怠感も一定程度持ちあわせてはいるが、確固たるレベルではない。彼女は、一瞬の閃光を刻み付ける存在ではない。
 ゆらゆらと燃え続ける湿気たマッチの火のように、彼女の存在は、終わりと始まりの点がはっきりしない、茫漠とした持続性のただなかにある。
 さらにいえばそれは、太古からの時間と記憶の流れを引きずり、身に纏った存在となる。その象徴が、彼女が見せる墓地での――震えるほど見事な――舞いだ。そして、葦の水辺で自らの生を確認するかのように一見無為な時間を過ごす、その(虚ろな)姿だ。
 だから、彼女の生と「抵抗」は、この一時に収斂されるものではない。それは、何十年何百年何千年かかって、かつてあった海の時間を、海と陸との境目の記憶を、取り戻し、渇いた街に浸潤させていく過程となるはずだ[村上 2018]。
 上映が始まって115分ののち、私は、この過程のプロローグをそこに見出した。


◇村上潔 2018/01/12 「[詩]女と水と導火線――『月夜釜合戦』に寄せて」(反ジェントリフィケーション情報センター)https://antigentrification.info/2018/01/12/20180112mk/

16mm劇映画『月夜釜合戦』(監督:佐藤零郎/2017年/115分)


■言及

◇16mm劇映画「月夜釜合戦」(@tukikamadoro)
【ご紹介】
シネ・ヌーヴォから元町映画館にかけての上映を経て、月夜釜合戦には多くの作品が寄せられています。ドタバタ喜劇からこのような詩ができるとは!... https://antigentrification.info/2018/01/12/20180112mk/
[2018年1月17日8:47 https://twitter.com/tukikamadoro/status/953413355175317504
◇16mm劇映画「月夜釜合戦」(@tukikamadoro)
痺れます。是非読んで下さい。https://twitter.com/travelinswallow/status/960336744477474816
[2018年2月7日20:50 https://twitter.com/tukikamadoro/status/961205597080203265


*作成:村上 潔MURAKAMI Kiyoshi
UP: 20180204 REV: 20180211
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