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古込和宏インタビュー

20180130 聞き手:立岩真也 於:金沢

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br>  ※古込 和宏:http://www.arsvi.com/w/fk03.htm

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立岩 ここの間、坂野(ばんの)さんお世話になりました。12月30日、随分長いこと話してもらって、だいたいのことは後で僕も坂野さんで古込さんが手を加えてくれたバージョンじゃなくて、最初のバージョンをとりあえず聞かせてもらって、だいたいのことはわかったんで。彼女もまた今日も来てるか、ただ最後の連絡では、彼女は岐阜の方から来るんですけど、雪で電車が止まってたとか言って。どうなったのかな。明日は来るって。
 だいたいの流れはわかりつつ僕は今日、坂野さんみたいに長い話には、しないようにと思っているんですけれど僕、何をお伺いしようかなというと、一つは、いよいよここに来てからという話もあるけど、それはまた何か、もうちょい落ち着いてからとか、坂野さんなりに話しする気になったら、していただいたらいいのかなと思うんですが。その病院にいて病院から出るということを思って、それを具体的に行動に移すまでのプロセスというでしょうか、この間に起こったことというあたりに絞って伺えたらなと思いました。
 昔の話もいろいろ聞きたいこともあるんですけど、それも今回はちょっとパスして、ごく最近のことも私は優先順位としては後で、やっぱりこの去年の10月に出てくるまでの数年と言えばいいですかね。

古込 はい。

立岩 それくらいの間の出来事というか、あったことというか、思ったことというか、その辺の話をと思いまして。その出れたら出たいな的なことっていうのは記憶の中では、いつ頃からそういう、それも漠然と思っているのと、具体的にでは随分違うと思いますけど。どういう段階でもいいんですが、いつ頃そういうことを思ったかな、みたいなことありますかね。

古込 20代にはあったといえる。

立岩 20代も頭の方と真ん中の方と後ろの方と。

古込 うーん。真ん中だな。

立岩 真ん中くらい。それは何かきっかけ的なものって。

古込 やっぱりだんだん管理が強くなってきたというのを感じて、自分のが寛解?治療(根本治療が?)ない中で、そこに死ぬまでいるってこと自体、漠然と難しいと思っとったし、何よりもその場の(療養の)環境に対して、だんだん嫌になってきてて。

立岩 今ね、最初に管理が厳しくなったとおっしゃったと思うんですけど、例えば10代の時とか、そういう時と比べて20代になって、あるいは度合いが高まったみたいな、そういう思いがあったんですか?

古込 例えば、病棟の行事で誕生会というものがあって、何月生まれの人も(の)誕生会をまとめて、やるんやけど。その時、手作りの間食というかおやつというか、焼きそば焼いたり、お好み焼いて(お好み焼き)作ったり、そういうのがあったけど、だんだん無くなってきて。無くなっていったというのは、やっぱり衛生の面で管理が強くなっていったと思うんやけど。

立岩 それはつまり古込さんが大人になった、とかということとは別で、病棟がより衛生だとかそういうことに気を使わなあかんという流れの中で?

古込 そう。自分の生活がだんだんそうなっていくごとに??を感じていったし、後、▽皆さんデュシェンヌ型の人は多いけど、皆さん20過ぎても生きられるようになって、それで皆さん患者さん、重度化すればケアの方も病院の方で病棟職員の負担が重くなっていくわけで、医療管理ばっかりで、だんだん患者の方に手が回らなくなっていく。△

立岩 ああそうか。前から比べたらデュシェンヌの人でも長生きできるようになる。長くなるということは、重くなるということでもある。そうするとそれに対する医療的な管理とか処置というか、そういうものがたくさんしなきゃいけなくて、同じ人員の中でいえば、手が回らない部分というのが出てきて、そういうことがその時代的にというか、古込さんが年をとるにつれとは違ってて、そのデュシェンヌの人なりが長くより生きられるようになる中で、同じ体制の下では手を抜くとこは抜きみたいな。そういうふうになっていったということですか?

古込 手を抜くより、手が回らないです。

立岩 その回らなさというのは、具体的にね、さっきおっしゃったのは、そういう誕生会なり何なりあって、その時にお好み焼き作ったりとあって。それもある程度、余裕がある中じゃないと、できないかもしれないしね。

古込 そういう現場の事情もあるけど、医療の管理が病院の医療管理というものが、ますますシステム化していって、それでいろんな部分が、管理の部分ができるたびに、その手間に現場職員も対応に追われるわけであって。例えば一番わかりやすい話では、電子カルテの導入の時もそうだったし。

立岩 医王だと電子カルテになり出したって、いつ頃か覚えてらっしゃいます?

古込 あれは2000年代のはずです(けど)。いい方は電子カルテで、例えば安全管理だって維持管理だって、だんだん(締めつけが)時代とともに違うく(強く)なっていくので。

立岩 その締めつけが厳しくなる感じというんですか、例えばどういう場面で表れてきたというか、そういうのどうですか?それはもう20代の時に経験した?

古込 あの時代に、まずまだ余裕があったけど、まだ緩い方だったからね。

立岩 徐々にという感じですか?

古込 徐々にという感じで、20代は一番嫌やなと思った時期は、30かそこらの時で、20代後半から30代前半の時で、たまたまその時期にいた職員がすごく嫌な職員で、嫌な人で苦手な人たちばっかりだっていうのもあって。

立岩 人たちっていうからには一人じゃないってことですよね。

古込 そうですね。

立岩 それは看護師ですか?

古込 ですね。癖のある人たちばかりで。

立岩 嫌の中でもいろいろあるじゃないですか、横柄だとかさ、どんな感じ?

古込 それはあるし、横柄、私の性格もあって楯突く態度とったりすると、仕返しみたいなのがあるわけで。あちらは冗談半分でやってるんやろうけど、嫌なこと言われたり、あたられたりするんで。

立岩 嫌なこと言われたり、されたり一つ二つ例は?

古込 例えば「お前気切にするぞ」とか。気管切開。その頃私20代30代、30歳の秋くらいまでは私車いすに乗って食堂に行って、食堂で食事していたんですけど「そろそろやめたらどうや」とかそういうプレッシャーが、かかってきて。確かにそれはその通りなんやけど。

立岩 古込さんが食堂に行って食事するっていうのは、看護師というか、職員にとってみれば負担ではあるわけですか?

古込 それはいえます。

立岩 それはどういう例えば病室で、ベッドでというのと、その負担というか仕事の手間というにはどっちが大きいんですか?

古込 今から考えれば、ベッドで食べる人の方が当時はまだ少なかったんで、一対一になるわけじゃないですか。になる場面もあるし、そっちの方が手間かかったと思う。それが私、望まないから嫌だなと思ったわけであって、今、考えるとそれは職員の方が負担が多いわけやから、今思えば嫌がらせやなかったんだなと思えない。

立岩 特別嫌がらせのために言われたんじゃなくて(の嫌がらせではなくて)、ちょっとこっちもしんどいかなって気が、という(的な)ことだったのかなということですか。車いすの移乗も職員の人が?

古込 乗せなきゃいけない。

立岩 乗せる。それは手間といえば手間ですね。その車いすを職員が押してるわけ?

古込 押していくので。

立岩 手動の車いすに移乗して、車いすを押して食堂まで行って、もちろん戻ってくるわけだけど、そういうような手間が手間だったんですね。

古込 それもあるかもしれないし、ただ仮にその人の言うとおりにして、食べてたとしても、一対一じゃ、その場だけで一人取られるのは、それは良くないことだから、効率が悪いから、何分かおきに食事だけ食べさせに行く、ということにもなってたかもしれないので。

立岩 しれないとは、実際にその食堂まで行って食べてたときというパターンと、そうじゃない、形というのはどういう、あるいはその後、その食堂まで行って食べてたというのは30代の初めくらいですか?

古込 30歳の秋まで。29とか28は、もう車いす乗って食べても、やっとやっとで食べる量も少なかったので、呼吸するのにメインのエネルギーを使っているので、食は細かったし、車いす乗って食べることには、健康面で言えばマイナスであって、エネルギーを消費するだけで、栄養を摂れてないわけだから。

立岩 そうか。動いたりする割には食べられないから、栄養不足?(マイナス)みたいになる。

古込 マイナス面の話で言えばそっちで、食堂に行くことに意味あるのかとその人は思ったかも。

立岩 食堂まで行って、どうなのよみたいな。

古込 一度は思ったかもしれないね。その人は。

立岩 そんなような中で気切しちゃうとか。

古込 それは悪い冗談で、その人は言っとると思うけど。こっちとしてはみんな何が怖いかというと、声出なくなって何も言えなくなって要求も十分に伝えれなくて、天井だけ見る生活が怖いわけで、それもあっちは分かっているはずなのに、それを言ってくるというのは、すごい嫌悪感しかなくて。

立岩 結構、そうだね。常にきつい状況だと、非常に恐れてることを分かっているはずなのに、冗談めかしてるのかわからない(知らない)けど、言ってくることにムカつくと言うか、非常にと言うか。そういう人は体験の中でいうと、いっぺんに、30代の初めだっけ?その複数いたという記憶ですか?

古込 そうですね。気切に関してはその人だけですけど。

立岩 何人かいた中の一人がそういうことを、時々みたいな感じ?

古込 私、何回か言われただけであって、でもすごく嫌な思い出が(やから)自分の印象の中で強く残って。

立岩 何回も言われ、(言われた)ということではないかもしれない。一回かもしれないけど、2、3回かもしれないけど、それが記憶に残っている。その段々状態が重くなっていく中で、わざわざ食堂行って食ってどうするんだみたいなこと?

古込 それもその人だったし、その人やったし、冗談でプロレスの技かけると言って、ベッドから冗談めかしてやけど、頭から着地するようなベッドの落ち方して、首がちょっと(本当に)痛くなって。

立岩 実際に落とした?

古込 落としたんじゃないけど、頭から着地させるような、下ろし方。

立岩 プロレスの技みたいな?

古込 技ではないけど、技だと言って頭の方から着地させたみたいな。あるいはちょっと乱暴に落としたと言ったほうが正確かな。

立岩 それは男性の看護師だった?

古込 そうですね。

立岩 ああいう病棟ってどうなんですか?男女比みたいなものって、どんな感じなんですか?

古込 その時代まだ女性が多いし、男性の方が少ないし、その人は中間管理職(に)なる一歩手前の人でもあって。

立岩 男性看護師、中間管理職一歩手前、そうすると歳の頃は古込さんより上?その20代終わり30くらいの?

古込 30代は、いってますね。

立岩 そういう人がいて、そういうこと言われたり、落とされるというか、乱暴に。

古込 落とされて乱暴に。

立岩 それはかなりだったんだ。その人は、割と長いこと、そこの病室、病棟に関わって中間管理職になって、やがていなくなったのか、どうだったか覚えてます?

古込 長く…4年は確実にいたし。

立岩 その4年間に付き合わされたという感じですか。

古込 付き合わせれてたというより当たり障りなく、目をつけられるようになってからは、当たり障りなく。

立岩 目をつけられたらあかんから、できるだけ触らないようにとか。

古込 だから喋らないようにしてた。

立岩 黙ってってことか。何か言われても黙っとくというか。その3、4年のさっき言ってた出来事というのが、その彼がいた3、4年の初め頃なんですか?終わり頃?

古込 ずっとそうやったかな。あったというか、私は、もうずっとこの人嫌だなと思ってた。思いながらおった。

立岩 それは20代終わりから30代はじめの3、4年?そういうことがあって端的に嫌だなということがあった。嫌だなって、かなりの人は嫌だなと思う?そうでもない?

古込 私だけじゃないかな。例えばそんなに病気が進んでない患者やったら、そんなに手間はかからんし。

立岩 進んでなく、手間もかからないから、そういうようなちょっと、そういう扱いはされにくい、言われにくいけど。

古込 私はそうじゃなかったから「こんなんせい」と言われたら、自分が嫌なことだったら嫌と言ってしまう性格やけど、そんなに病状進んでない人は、そんなことも言われないから、当たり障りのない話も笑いながらできるし、そういうとこ違うかな。

立岩 そうでしょうね。相手にさほどの負担がなければ、まぁまぁうまくはやっていける。だけどだんだんそうじゃなくなっていくと、相手に対して言えば、面倒臭い存在になり、こちらにしてもそれには、かんに触るとか腹が立つことがあり、言ってしまうと更に相手が爆発するみたいな。そんなことが古込さんにはあったということですか?

古込 その頃の立場は、その頃は、中堅の職員、中堅をやっはる(に当たる?)人なんで??副師長どうやって(いつ副師長はどうや、って、副師長やってみなって上の人から)言われてもおかしくない人だったんで、副師長って誰もやりたがらないんですよ。負担だけが重くて、別に給料そんなに上がらないんですよ。

立岩 そうか待遇が良くなるわけではないか。責任は重くなる。

古込 おまけにその時代も副師長になると転勤もあったので、それも同じ系列の病院に転勤で行ったわけだから。

立岩 それを管理職になると断りにくいし、そういうこともあったんですか?

古込 引き受けた途端に転勤の話きた??(来てもおかしくないので、)その方は結局、鈴鹿病院に行ったらしくて。

立岩 その人は副師長受けて、受けた結果として転勤で鈴鹿病院にその後、行ったと。

古込 重身病棟で副師長になって、その後、どこを回ったか知らないけど、最後に聞いたのは、奈良?七尾?(七尾病院)の方に行って、そこは重身病棟しかないからそこでも重身の副師長の人(不要)にはなっていると思うんですけど。

立岩 副師長になって転勤になるまで、同じ病棟にいたということでもあるんですか?副(国動?)というのは??(国療)の中で看護師(管理職)たちは転勤する(させられるんですか)?

古込 そう。栄養士だって転勤はあるし。管理栄養士も転勤はあるし。

立岩 そのコイツはかなり嫌だったという話と、その人が副師長になったという話はなんか関係あるんですか? 

古込 今から言うけど、ちょうどその時代って国立療養所の廃止に向けていた時代の話で。その辺の噂話、この先こういうことがあるとか、この先どういうことがあるか(どうなるか)わからんとか、職員の間でも不安があるらしくて、具体的に私、聞いて覚えているわけじゃないけど、そういう話は聞いてた(聞いとった)こともあったし。

立岩 そのちょうど20代、30代というその頃?

古込 そうそう。自分には関係ない話だけど君たちもどうなるか、わからんと(みたいになるし)急に言われたり(振られたり)して、時代の変化は感じていた。ていうのもあったし、確かにそう言われると、この先自分たちどうなるのかなぁという漠然とした感もあったし、職員もあの頃は不安じゃなかったのかなと。あくまでも私が感じ取った空気だけど(だけの話やけど)。

立岩 一方で長生きする。その分仕事も多くなる、その中で手をかけられない部分が出てきたり、そのことと(も)関係して、管理(的な部分も)?

古込 体制の変化がどうなるかっていう不安があった。

立岩 組織というのが、このまま続くかどうかもわからない。先行き感が古込さんたちもそういう部分があったかもしれないけど、職員たちもどこかにそういうのあった?

古込 先ほどの人の話で言うと、実はその人の兄貴を私は知ってて、なんで知ってるかといえば、??(シンプル?でまた)面白い話で、その人の兄さんが筋ジスだったんですよ。昔、入院していた??で(入院してて)、私その人のことを覚えてて、その人の兄さんのことを覚えてて(覚えとって)、帰って(入って)きたとき、まさかと思ったけど、やっぱりそうで。どっかの病棟から勤務交代で入ってきて、まさかと思ったけど、やっぱりそういうことだったんですけど、びっくりして。でもその人のその時の仕事に、ドア見るとなんで看護師になってわざわざ兄貴のおった病院に入院したんかなと。思ったりするのもあって、とにかく不思議やったで。

立岩 古込さんとしては不可解?お兄さんがおった病棟にこの人がおるのが、ようわからんし、この人の自分に対する扱いというか、よくないんですね、それもようわからんし、その兄貴がおったにも関わらず。そういった面もあったということですか?

古込 私の推測に過ぎないけど、実際職場に入って、現実に直面すれば、ああなったんかなぁって。仕事の現実。直面すれば兄さんのことなんて関係ないから。人って変わるもんやから。

立岩 こういう話ですか?もしかしたらその人が看護師になるとか、もしかしたら病棟に来るにあたって、お兄さんのことがあったかもしれへんけれども、来てしまったら、こうした勤務形態であるとか、いろんな制約の中でやらなあかんわけやから、当初どう思ったか別として、そういう古込さんにとっては(にとってみれば)よくない扱いというかをすることになったのかなという話ですか?(そうです)その人はそうやってどうなんです、そういう人っていうのが副師長になるって、そこには関係はあるんでしょうかね?

古込 どういうこと?

立岩 看護師さんにも、いろんな人いるじゃないですか。もちろん性格とかそういうの。その中で管理職の人になる人、ならん人といるじゃないですか。そういう人は、みんなが好き好んでというわけでもない管理職になったわけじゃないですか。そのことと、その古込さんのその時期、そういう古込さんにとっては(にとってみれば)気に食わんというか、腹がたつというか、そういったことが基本は関係ないということなのか、古込さんがそこに関係あると思っているのか、そんなに深い話じゃない。

古込 先生、よくわかってないです。もう一度。

立岩 そんな大したことじゃなくて、副師長さんになったというエピソードと、古込さんに辛く当たったという間、なんか関係があると古込さんが思っているかどうか?

古込 今は全く関係ないといえば、そうだけど、そういうことがあったなという話。

立岩 それと関係があるということが、言いたい(言った)わけじゃなくて、その人がそういう人だよということで。そのことは結構個人差ってあるものですか?看護師の対応の仕方って?

古込 中堅になるとある意味、いい意味でも悪い意味でも仕事の内容が1年目と2年目では違うし、仕事に慣れる一方で患者の扱い方。だんだんとわかっていくわけだから、違うね。

立岩 わかってはきますね。ある意味慣れては、きますよね。慣れてくることが、いろんな方向に作用する(しうる)じゃないですか。人間、慣れるから雑になることもあるし、慣れるから上手になることもある。

古込 悪い意味で慣れるってこともあるし、いい意味で慣れるというのもあるし、悪い意味では患者の扱い方にも慣れてくるわけやし、ここはこの程度やってもいいよ、みたいなこともわかってくる(いく)だろうし、親が面会にきてて、どういう振る舞いするかというのも身についてくる(いく)わけやし、悪い意味で慣れてくるってのはあるよね。

立岩 この人だんだん慣れてはきてるなってことが、古込さんの生活とかに良いか悪いか、影響を与えたてことはありますか?コイツ雑やみたいな。

古込 患者の扱い方慣れてくると、ていうか、お互い慣れてくると馴れ馴れしくなっちゃうというのもあるし、でもあっちはそんなつもりなくても、ある程度嫌なこと言ってた(言ってたりする)こともあるし、私今も自分が30代になって、自分にそういうことあっただろうなと今から振り返るけど、お互いにとって良い影響と悪い影響とあるから、自分はその時、その人の悪い影響しか目に入ってない(が行ってない)から。

立岩 少なくても30くらいの時には、そうやって向こうも慣れてきたら(くれば)、ある意味馴れ馴れしくなる。そのことによる少なくともその時代、年齢の時期の古込さんで(にとって)見れば、腹たつというか、ネガティブなことは多かったということ?

古込 私、そのままやったら、本当に中堅の職員とか、私、みんな苦手やったけど、そんなに自分から進んで話しするわけではなかったし、職員とは距離もとっとったし。30歳になってからも、看護師に(逆に)自分が、若い職員から見れば、この人馴れ馴れしいなとか、思われたかもしれんけど、20代の方はそうでもなかったので、おとなしい患者だったんじゃないかなと自分でも思うんだけど。

立岩 自分の方から何やかんや言うことは無くて、ということ。

古込 よっぽど仲の良い人は別やけど。転勤の人とは距離とった。

立岩 そうするとね、それはそれなりに当たらず障らずというかして、生きていくということもあり得るじゃないですか。文句は無くはないと、あるけれども、そういう意味で言えば、毎日の不愉快なことは、かなり多くの人もすると思うんですよ。でもそこの中から漠然と、あるいは(そのうち)具体的にいつか出るぞ的な思いとか考えというのが、どういう経路で強くなったり、止まったりというそのプロセスというのは?

古込 出るぞというより、その頃になると(なんでもう)自分、死ぬことしか選択肢ないと思い込んでるわけであって、出るぞとは思えないわけで、出るぞじゃないけど、なんでここにおるんやろう、出たい出たいというのはあった。あったけど方法がわからなかったから、出たいイコール出たいという願望はあるんやから方法がわかってれば出たんですよ。



立岩 古込さんて何年生まれでしたっけ?

古込 私は72年です。

立岩 僕とひとまわり違うんだね。

(介助指示)

立岩 例えば僕もこの間、原稿に書いたりしたけれども、80年代とかでも千葉の病院から出た人、あるいはその、山田兄弟みたいな仙台からって人もおったは、おったじゃないですか。そういう人がおるみたいな話は知り得なかった、その当時は知らなかった?

古込 知らなかった。▽私、パソコン使い始めたのは31なんです。なので、そういう話はネットがない限り、入ってこないし噂でも入ってこないし。例えば私が小学生の頃って、大阪の他の病院の筋ジス病棟と、自治会同士が年賀状で交流があったり、自治会で作った新聞を送ったりしてたけど、そういう活動もだんだん下火になっていく。△

立岩 80年代というのは、例えば70年代ならあったかもしれない、実際あったんですね、自治会の交流というのはね。かえってその時期に、むしろ医王とかでは途絶えてたに近いんですかね?

古込 その問題では▽自治会はあったけど、他の病院との自治会、他の病院との筋ジス病棟との自治会はなかった。△

立岩 それがない、パソコンない、情報が入ってきようがない。そうか、それが80年代、72年から古込さんが10代から20代。93年、パソコン使い出したのが31。03年くらいですね。2003だと、ネットはそろそろ普及してきてますね。僕は例えば、パソコンを使い出した、パソコンというよりワープロですけど。86年とか87年最初のPCがエプソンとNECとか使ったのが、その87年くらいなんですね。その頃はパソコン通信ってやつしかなくて、ネットというのがなくてネットいうものが家庭で見られるようになったのが90年代の半ばから後半かもしれない。その▽2003年にPC△ていうのは、何か事情があったんですか?世間的にはもうちょっと早い(わけ)ですよね。そんな性能のいいもんではなかったにしてもね。

古込 その頃私の場合は、皆さんパソコン持ってて、ネットも繋いどったし、その頃は通信の規格がISDNで、遅いんやけどみんな周りの人は持ってるから。

立岩 周りというのは病棟のベッド回りというか?使ってる人もいた?その古込さんの記憶の中では、先進的というか一番初めに使い出した人って、いつ頃から使ってたか覚えてます?

古込 ▽2、3年前からみんな使い出した。△

立岩 古込さんが使い出す、2、3年前から?それはその機械というのは誰が、賈う?

古込 自分持ちで。

立岩 自分のお金で賈うの?それは賈うと言ったら、別に止められはしない?

古込 止められない。

立岩 自分で自分のお金を貯めるなりして賈(かなんかして買う)?

古込 自分の年金から貯めるというより、皆さん病院にいたらお金かからないので。

立岩 使わないから、何ヶ月か貯めれば買えると。その時の通信の環境というか、どうやってなんでもいいですがISDNでも。

古込 確か患者会からの病院への働きかけで。

立岩 自治会が病院に働きかけて?

古込 当時、許可がいるから、働きかけて、個人個人で契約して、ネット繋ぐって決まった人はNTTが工事に入ってて。

立岩 病棟の中で個人がNTTと契約するみたいな。個人が毎月のお金を払うの?

古込 そうです。だんだん普及していって。

立岩 古込さんは2003年に買った?

古込 私も実はというと1996年とか7年とかそれくらいには毎週、囲碁は新聞というのが発行されてて、私その当時、自分で碁石も持てないし、実際何もできないんだけど一旦、囲碁やめたって(思って)、やめたけど。

立岩 戻すと手が動く時期は、自分の手で?

古込 いや、学校の先生の助けを借りて打ってたし、自分より動ける患者と対局するときは、その患者が私の代わりに石を置いてくれたし、それでできるのは車いすに乗って入られた(いられた)時の話で、ベッドになると寝ながら盤を見るという方法がなかったので。私、さっき新聞って言ったけど一回、囲碁やめてやると思って。

立岩 囲碁を置けなくなって、自分で、できないからやめようと思った。

古込 周りがやっとるのを見るのもストレスやったし、囲碁から逃げようと思って。もうやめてやると思って、持ってた雑誌とかも捨てたけど、さっき新聞って言ったけど、雑誌もまた買い始めて。

立岩 いっぺんやめるつもりやった、捨てたりもしたんやけど、でもやめ切れなかった?

古込 そうそう。雑誌買い始めて、囲碁の動画を見とったらインターネット対局の(普及)し始めたからね。

立岩 それが96、7年?

古込 ▽やりたいけど親に買いたいと言ってもなかなか買わせてもらえん状況やったし、私は周りから遅れて買ったという経緯があって。

立岩 年金で金額的には買えるはずやのに親が財布を持ってるから、通帳持ってるから親がいいと言わないと買えない。△

古込 親というより父親です。母親はいいとも悪いとも言えない立場で。

立岩 お父さんの決めたことが通る。結構97年から2003年って6年くらいありますよね。6年間なんとかならんかなという意識は続いた。 

古込 退院するのと同じくらい遠い願いやなと思っとったんで。

立岩 それはかなり強いものであったら、実現するのにすごくかかった。最後に2003年には父親が折れたというか。

古込 そうじゃないんです。▽結局補助とか、情報機器の補助。行政から出るとわかって、それを知ったのは指導室の指導員が親に説明して。△

立岩 自分で金を出さんでも福祉器具として支給される、という情報を伝えたら、それならいいやんという話ですか?そうですよね。支給されるようになってきますよね。それでその制度でPC、最初に買ったの何だったか覚えてますか?

古込 OSは98やったけど。

立岩 機械買って、そうするとその時期は、僕は自分でPC使い出してから何年かな? 96年に僕、ホームページ始めたんですけど、その時期というのは自分の家じゃネットは見れませんでしたね。電話回線しかあかんかったから。いわゆるパソコン通信が関の山で、だいぶ後になってからですね。でも2000年越えれば、OSが98になって、ネット見れますよね。そのちなみにPC始めてから囲碁をネットで、PCでやったんですか?

古込 そうですね。

立岩 それ以外にPCというのは何に使う?

古込 ネット見るとか、ネットサーフィンか後、親に用事でメール書いたりとか。

立岩 親に用事でメールもした。メールは割と2003年に導入してから早く使い始めた?

古込 そうですね。

立岩 僕もそうですね。僕は最初がニフティやったから、それから30年以上ニフティだ。同じアドレスですな。だからどうってことはないけど。それで親に用事があったらメールでというのはありますよね。それ以外にだんだんメールの友達は増えていったんですか?

古込 そうですね。でもその頃まだ、2003年だと病院の外に知り合いっていなかったね。

立岩 囲碁仲間とか?

古込 例えばネットで知り合った人とかは、やりとりをちょくちょく、メールでというよりネット(上)で、対局もあるし。

立岩 ネットでたまたま(というかサーフィンしてて)知り合って、囲碁仲間とちょっとしたやりとりをする、ということありますよね。そういう付き合いプラス、当初は病院の外に知り合いはいなかったと言ったけど、それが広がっていく経路みたいな、過程というのはどんなふうに覚えてらっしゃいますか?

古込 最初は、全く最近まで、数年前までだいたい趣味の知り合いだけで。2000年代、確か自分は筋ジス協会のメーリングリスト「夢の扉」というのがあるんやけど、メーリングリストがあって。

立岩 協会員オンリーのメーリングリストですか?

古込 交流の場みたいな感じで、扱われてたと思うんですけど、自分はたまたま筋ジス協会の会員に長年なってて、じゃ登録しようとなって。▽今は協会を全くあてにもしてないし、私に言わせると(言わせれば)保護者会やから、全く、あれはもう患者が中心というより、親が頑張っとる。協会のできた経緯だってそうじゃないですか。今(尚そうで)、(例えば)協会に要望出したって何か変化が起こるわけじゃないし。△

立岩 そもそも返事がこない感じなんですか?

古込 例えば提案とか出すけど、何も動かないみたいな。

立岩 でも協会の会員、期待してないから(というか)、できなかったというのは、わかるんですよ。とはいえ会員であったというのは、いつ頃から何かのきっかけで会員ではあったんですか?

古込 ▽たぶん親が協会?に入って、他の親から勧誘が(も)あって、他の親から私の親に声がかかって、それで入ったという(入って、ずっとって)感じで。

立岩 それは形の上では親も自分も会員になった。

古込 親と子供とセットで、会員になりました。

立岩 一人がお金を払ったら、親も自分も会員でずっと会員やったと。そうすると、筋ジス協会の会報って、あるかどうかもわかってないんですけど。

古込 やってますよ。『一日も早く』て。

立岩 それは古込さんとこに?両方に来るんですかね?

古込 病院にくる。病棟の中にポストカードみたいなやつがあって、患者それぞれにポストカード、窓際に入れ物みたいなものが一人ずつ用意されていて、用務員の人が会報が来たら、そこに入れとく。(郵便ポストね)△

立岩 月一くらい?

古込 二ヶ月に一回。

立岩 機関紙は一応そういうわけで、例えば10代からそれがきてた?

古込 小学校の時からきてた。

立岩 結構入院したてにもきてた?だけど筋ジス協会の雑誌の名前、なんとおっしゃった?

古込 『一日も早く』会報があって。

立岩 それは目は通していたんですか?

古込 全然。全く興味なかったし。タイトル自体が気にくわんかった。

立岩 たぶん中身を読んだとしても、どうやって具体的に手立てがあるとか、そういうことは、具体的には書いてないだろうな。

古込 各県支部のお便りとか、そういうルートでは全然。

立岩 期待もしてない、そういう時期が長く続いて、2003年福祉機器としてPCが入ってきて、ウインドウズ98で囲碁をやる。それでさっきの話に戻ると、ここ数年前までは趣味的なつながりの人はいたけれども、それ以外の付き合いはなかったというのはさっきの話ですよね。

古込 ▽「夢の扉」で例えば、筋ジスで在宅の人って、いたんですよ。あの当時、在宅でもいいなとか思ったりはしとったけど、でもその人は運が良かったんやろうなと。

立岩 在宅の人はいるけど、自分がどう在宅というか。

古込 自分のこと考えると。

立岩 リアルじゃないというか。

古込 そうそう(だって)家族介護なんて、そういう、うちで生まれた(恵まれた)人がおるんやなくらいに思ってて。

立岩 そのメーリングリストというのは、それは割と早くに入ったんですか?「夢の扉」でしたっけ?△

古込 「夢の扉」。私は2000年代。

(介助)

(01:12:42)
立岩 メーリングリストなり、なんなりで在宅の人が多いということは分かっていたが、その人たちは家族介護で何とかなっているわけだけど、それを私は期待できない。とすれば、実現可能性がないから考えても仕方がないと、そんな?

古込 考えたとしても妄想になる。

立岩 そうですね。メーリングリストもそういう意味で言えば役に立つものではなかった。それが先ほどおっしゃった、ここ数年、趣味以外のところでやり取りがとおっしゃったんですよね。その辺のことを聞きたいんですけどね。

古込 ▽フェイスブック始めて、フェイスブックって匿名じゃなくて、個人同士でつながれるスペースなんで。

立岩 フェイスブック始めたの何年だったか覚えてます?

古込 11年やったかな。

立岩 2011年。△

古込 登録したのはそうだったし、自分が急変したのは12年の4月だけど、私が今でも覚えているのは、その年の3月ぐらいにどんな内容だったか、投稿した内容ですけど、自分は輪島に帰れん、別にこのままでもいいみたいな投稿をしていて。

立岩 投稿というのはフェイスブックに?

古込 そうそう。

立岩 フェイスブックは急変の前の年に始めて、その急変のあった直前にそういうことを書いた?

古込 なんでそれを書いたかと言うと、そういうもんしかなかったし、そのようにして自分を諦めさせとったんやろな、と(というのが)おおいにあるから。その時はそういう頭の中やったということで。いざ一回死んだらまったく変わっちゃって。友だちにも嫌やなって。

立岩 その直後に死にかけたみたいなことがあって。戻って来た時に、というか生きとったわけですよね。その時に、「あ」と思った。それは結構な変化だったわけですね。

古込 そうですね、声が出なくなって。文字盤が使えなくなって意思疎通の手段が口パクしかないじゃないですか。でも私は口が大きく開くわけでもないし、なかなか読み取れない。で、読み取ろうとするけど、現場にはその余裕がない。「後で来るから待ってて」とどうしてもなるじゃないですか。それってかなり私の中でストレスで。でもそれって周りの人が(分からないし、)分かってあげようとする余裕もないし。その状況の中での生活って我慢するしかないし、私の性格上、どうしようもないけど、かなりストレスでそれも嫌やったし。扱いひどいなと思ってたし。思うようにできていたことが出来ないところが(も)あったんで、どうやって生活を立て直そうって思うようになって。まずは取っ掛かりが気管切開、そこに入れてたカニューレの種類を変えたいと言った。変えたいと言うか、私は今の状況がちょっと嫌やから、何とかもとに戻してほしい、声が出るようにしてほしいという話を主治医に訴えて。病院は病院で手を尽くしてくれて、同じ系列の病院で八雲病院というのがあるんですけど。ご存知ですよね?筋ジス病棟のある中では精神的なところで。▽石川悠加先生という先生が連絡を取ってくれて「こういうカニューレあるよ」という話になって。△病院に連絡して「じゃぁやってみようか」という話にはなったけど。なかなか進まなくて。なかなかと言ったって1年も2年だったわけじゃないけど、進む気配がみえなかったというのが私側の視点の実感で。

立岩 石川悠加さんが、そういうのがあるよと言うてから、来るまでというか。それがどのくらい間があったか覚えていますか?

古込 そんなにはないです、一ヶ月半ぐらい。でも具体的に話が進まないので。それで最終的には、これこれこういうふうに使うという説明を受けて、一回家族交えて話ししようとなって。家族との話し合いというのは、家族への説明というより、私は変えたい意志がある、でも最後は親に聞いて決めようってなっちゃったんですよね。それはちょっと待ってと思って。俺の人生なのに親が最後に決めるんやと思ったけど。しょうがないから一か八かやるしかないなと私は、じゃぁやりましょうと言って。自分がどうしても戻りたいというのを文章に書いた後ワーカーに代読してもらって、いざ親に最後の決断、判断を求める時に母親は反対やった。父親はまぁまぁ、私が(から)毎日、毎日メール来る生活が(も)正直イヤになっていて、そういうのもあったかもしれんけど。息子の人生やから息子の思うようにしてやりたいと言ってくれて。父親がいいって、自分がいいと言った時点で母親は何も言えないから。

立岩 取り換えることのリスクというかマイナスの可能性とは何だったんでしょう?

古込 ありましたよ。それは今でもあるリスクで。このカニューレは気管(の中に)に浅く入るタイプで、前の人が使ってたやつはカフという風船みたいなものが付いていて、それを膨らますと唾液の落ち込みもその風船で防げるし、カフというものを抜いちゃうと喉が空気を入れても上に空気が抜けて行っちゃうから換気はできなくて。分かります?抜けやすいというところで、例えば手がカニューレに強く当たったりするとカニューレ自体が抜けちゃう。抜けちゃうと私は酸素マスクからどんなに空気を送られても、穴から漏れちゃうんでそういう意味で危険。

立岩 リスクも確かにあったわけですね。

古込 あったし、そのリスクは現場にとって、危機管理は負担多かったと思う。

立岩 お母さんはそういうことも心配されたということですか?

古込 母親はあまり理解して反対とは言ってなかったと思う。とにかく医者から言われとるんやから。

立岩 でも結局は、本人がいい、父親もいいわと。母親はそれは反対できないという中で帰った(変えた)わけですよね。これは急変の後のそういうことがあって、1カ月半待たされてという後の出来事ですか?

古込 そうです。1ヶ月半待たされて、私が。12月に石川先生から「こういうのあるけど、やってみようか」と言われて、でも私が動く気配がないから、どうなんやということで看護師長とか受け持ちに、毎日といっていいほど進まないことを言っていて。現場は、もしやるとしたら自分たちに責任があるから、副師長たちにも(としても)「じゃこういう機会、もうけるから」という話しになって。それは親の同意というところ。

立岩 そういう話があった上で親の同意や、なんやかんやという話になって。

古込 私は納得いかなかったけど、しょうがない。私にしては、その場は決戦の場みたいな感じで。

立岩 そういうことが後半の方にあって、で帰った、ついた。それが2012年?
その時はその前の年にフェイスブックを始めてはった。その辺の11年、12年のそういうことがあって、例えばフェイスブックって、僕はフェイスブックをやってはいるんですけど、実際にはツイッターの方がメインで。ツイッターで流したのをそのままフェイスブックに載せてるだけなので、めったに見にいかないんですよ。ですから私はちゃんとした使い方をしていないんですけど、友だちのリクエストがあったら、怪しげなやつ以外は招待するという(承認みたいな)、私はわりと消極的な使い方なんですよ。古込さんの場合は例えば12年の出来事なんかをフェイスブックで書いたりした?

古込 はい、してました。

立岩 それは何か反応?その当時の友だちというのは、完全な公開設定じゃないでしょ?

古込 はい、友だちだけ。じゃないと怖くて書けません。

立岩 そうですよね。▽当初の友だちたちというのは、どういう人たちだったんですか。

古込 わずかに筋疾患のつながりはあったけど。私が筋疾患のつながりが増えていったのはそういうことがあって、ちょっと病院の生活が先が見えとるなと思って、出る方法がないかところで筋疾患の人とかと、つながっていって。藁をもつかむ思いで情報を集めていて、情報を集めていたけど「夢の扉」と変わらなくて。筋疾患の人にとって在宅は多いけど、その人たちは家族介護で生活してる人ばかりで。

立岩 筋疾患とは具体的には、筋ジストロフィーも、他には何か?

古込 ミオパチー、SMAとかその辺りやけど。

立岩 例えば2012年のその出来事があった前後って、フェイスブックの友だちって何十人みたいな感じですか?

古込 そうですね。たまたま私の地元の知り合いが、川口さんとつながっていて。

立岩 地元って金沢?

古込 金沢というか野々市。金沢の南に野々市(市)というのがあって。それは何の知り合いかと言うと、パソコン関係で病院に出入りしてた人。患者ご用達みたいになって。

立岩 ICT救助隊とかそれではない?

古込 それではない、でもそれとのつながり。(ボランティア的にではなく)完全に仕事で出入りしてて。私もパソコンが壊れた時に買い替えの時にその人に頼んだし。

立岩 パソコン屋さんではない?

古込 厳密にいえば、パソコン教室の人やけど、病院の患者の御用聞きもしとった。

立岩 なるほどね、そういう技術を持った人で。古込さんは古込さんで、その人と知り合いになった。ちなみに名前をもし、憶えていたら。

古込 ▽田村一義(イオウ・クリエーション・パートナーズ)。

立岩 田村さんと古込さんは、古込さんで知り合いになった。川口さんは、その人と何の知り合いやったんやろ?仕事の関係で、フェイスブックでつながってたみたい。

古込 その人と川口さんがつながった時に(それが2012年)私にも紹介が来て、何の気なしに承認した。

立岩 川口さんの方が友だち承認を求めてきて?

古込 じゃなくて田村さんから川口さんを紹介される形で。

立岩 田村さんから川口さんを友だちにって紹介したのに対して、古込さんがオッケーだした流れ?

古込 ▽で、出たい、出たいで。出る方法はないかなと。具体的にまず最初に地域移行で動いたのが伊藤佳世子さん。たまたまネットで、フェイスブックでつながっとって。

立岩 紹介されて川口さんが友だちになったより、伊藤さんがなった方が後?

古込 そうそう。川口さんより後やけど。その知り合ったきっかけというのが、私は最初、病院から出たいと思いつつも、フェイスブックで筋疾患の患者の様子を見ていて、家族介護だということで、もうちょっと無理やと思って。病院にいながら何とか自分の生活ができないかというところで、模索していた。自分は筋ジス協会の会員やったから、協会使おうかなということで。私に限らず他の病院の患者も同じことを思っている人が沢山いたわけであって。(吸引)

立岩 同じ思いを持った人は他にもいたと。

古込 「夢の扉」の時から、ある人のことを知っとって。この話は坂野さんにも話したけど、森たかこという人知らない?と聞いたら「知らない」と言われて。その人は長い間筋ジス病棟に出入りしてボランティア活動してて、筋ジスの患者の日常の手助けをその人はしとったんやけど。その人は地域移行の手伝いとかもしたりして。ただネット上ではその人はあまりいい噂がなくて、メーリングリストでもみんなから嫌われとって。でもその人が「夢の扉」でなんで親とかに嫌われたかっていう筋ジスの現実を、あの人はそのまま包み隠さず話しちゃうわけであって。患者が?(介護?を)やって、現実直視したくないじゃないですか。なのにそんな話聞く人、親は嫌で。文章はあまり、うまくないから。その人はネット上でトラブルになっとったんやけど。そういう人やけどやっとることは実際すごくて。患者の地域移行にまで手助けして、病院の現実をボランティアで間近に見とったからこそ、なんとか自分がしたいと思いがあって頑張っとって。で、私はフェイスブックでその人とつながっとって。

立岩 それも2012年。その生き返り事件があったあとですか?

古込 後やったか忘れた。最初からつながっとる。

立岩 その人でしょ、それから川口さんでしょ、伊藤さんでしょ、その辺が前後してフェイスブック上の友だちになっていったという感じですか。

古込 森さんはあの人は?病院の人だから、私に自立の話してきて。自立の話はしてきたけど現実味がないから。

立岩 というような話はしてきたけど、森さんはそっちではなかった?

古込 なかったけど、でも病院の状況をどうにかしたいよね、という話を私以外にも他の人にもしとったと思うんやけど。

立岩 その森さんがですか。

古込 うんうん。で、▽筋ジス協会に要望出そうという話になって、私も実際動いとったけど、出してみて。形はなんとか協会の中で出来はしたけど、私が要望に盛り込んだのは病院の改善もそうやけど、自立したい人の支援も協会の方で手伝ってほしいという要望を出したけど、それは取り上げられなくて。じゃ、何を協会は重視したかというと、他の病院でも八雲のようなケアを行えるように協会として働きかける。その手始めが各基幹?病院の患者へのアンケート、あと病院関係者へのアンケート、上へのアンケートをつくるようになって、どんなケアがされているか…。(電話対応)

(01:41:54)
立岩 もしよろしければ、後20分から30分の間で、その話が結果的に去年の10月までにいったという辺りで、そこまでいかんかったら、また坂野さんなり、なんなりいますけど。基本そこまで行けたらと思います。例えばその筋ジス協会の方で、それは基本的に古込さんからの要望に応えてという形ではあったんですか?

古込 そうそう。

立岩 それは応えてこうしますという文言はあったんですか?

古込 あれは、▽私には正式な文書は来てはないけど、実際の筋ジス協会の中で病型ごとの分科会というものをつくることになって。例えばデュシェンヌ型ならデュシェンヌ型のとなって。それでデュシェンヌの分科会ができた。デュシェンヌ型で何を取り組むかとなった時に、各病院のアンケートをやるとなって。私は自立のことを言うんだけど、なんでかと言ったら、(対応)…自分がもしかしたら将来自立というとが、あり得るかもしれないから。自立のサポートもしてほしいと言ったけど、病院の中だけの話になって。みんな八雲のようにしてほしいという取り組みや、でもそれは現実的に無理やと分かってたんで。何が無理かと言ったら、八雲のようにやっちゃうと現場の負担が多くて病院では受け止めきれないだろうなと思っていて。病院の中の改善も(確かに)大切だけど、でも八雲はできても他の病院では出来ないのは分かっとったんで。一緒にやっとってもしゃあないなと思ったんで。でもまぁ要望を出すって、その時は森たかこさんもいたし、伊藤さんもいたんですよ。

立岩 で、伊藤さんの話に戻ったのね。伊藤佳世子さんは、その時はフェイスブックのつながりはあった?

古込 つながりはあったし、そういう要望の疑問もフェイスブックの非公開のグループでやってて、伊藤さんもおったし。そういう結果になったということで、私は本格的に、どうにかせなあかんということで。

立岩 協会の方に申し出はした。まったく無反応ではなかったけど、病院のアンケートを取るぐらいの形で、実際問題、病院は改善されるとは思わないという認識というわけですよね。

古込 そうそう、それで地域移行を伊藤さんにもその後相談してて、▽伊藤さんから地元の相談支援事業所を紹介されて。金沢の隣の津幡町というところで。近郊で。相談支援員を紹介してくれて。伊藤さんは入ってないけど、私とその相談支援員で地域移行に向けて動いてはおったけど。坂野さんのインタビューにも言った通り、めぼしい情報はもらえなくて(持ってくれなくて)。相談員と私で直接メールで連絡とるけど、間に病院のケースワーカーをはさむという形で。

立岩 直のメールのやり取りもあったけど、基本はケースワーカーが入るという…

古込 …感じでやっていて。私は地域移行自体、進め方もよく分かっていなかったし、親の問題もあったから、それも私はどう解決していいか分からないから、その支援員に丸投げって感じでやってたんだけど。

立岩 自分では分かってないから支援員にいったけど、結果的にというか、特に役に立つものは提供されたわけではなかった?

古込 なかったというか(というよりは)、自分ところは情報自体、地元が持ってくるから、地元から取ってくる情報なんて、まぁそういうことであって。地元の素材なんてたかが知れていて。金沢ではこれまで十何時間、重度訪問介護の実績があったけど、それ以外はボランティアにつなぐしかないと言われた時に。週でも月でも、一日だから十何時間じゃ無理なわけであって。

立岩 その例があるという?

古込 あると言って。それ以外はボランティアでつなぐしかないという話。

立岩 その相談員がした?

古込 持って来た情報はそれだけだったんで。十何時間までは、今まであったし、金沢が出せる時間ってせいぜいそれぐらいだから、それ以外のところはボランティアでつなぐしかないというのが相談員の言ったこと。それを聞いたらさすがに、『夜バナ』を読んでるんで、あれを想像したら無理やと思って。

立岩 そうか、『夜バナ』のボランティアの生活。まぁそうでしょうね。

古込 そうそう、それで無理やと思って。連絡取っとけばよかったけど、どんどん連絡のスピードが遅くなっていったんですよね。

立岩 その相談員の?

古込 なんでかなと不思議に思ってもおったし、こんな状況やったら進まないなと思って。実はその人ってその事業所とは、まだ正式な契約を結ぶ前で、その人は言ってみればただ働きで、同胞だからで?来とったんやけど。その頃は私はまったく契約の概念とかなくて。それが契約を結ぶという書類はもらっとったけど、ちょっとこの人だけでは無理やと思って、この人との契約は意味ないなと私は思って。契約を白紙にすると連絡を入れた時に、その人は実は医王病院には連絡を入れているけど、なかなか連絡もらえてなくて、ずっとそんな状況でしたとその人から言われて。言われてというか、その人もフェイスブックやっとったから、メッセージでそんなんに入って来て。私がそれを知って、どういうことなんやと思ったけど。▽その頃は川口さんは伊藤さんとつながって、地域移行するってフェイスブックで宣言しとって、それを見とった川口さんからも私に声がかかっとったんやけど、その頃はすでに相談事業所に、相談支援員のところに行っとったから、今、そっちの助けをもらっとる中で、川口さんの力は借りることは出来ないなという思い込みがあって。

立岩 今はそこの支援員とつながってやろうとしているから。

古込 思い込みがあって。今はちょっと川口さんばっかりにかかっても、タイミング悪かったなとも言ってて。相談支援員とこ行っとったけど、でも実際、なかなか連絡が取れなくて、持ってくる情報はめぼしいものがなくて。これは川口さんを頼るしかないなと思って。

立岩 さっきの相談支援員とつながっても、らちが明かないなと。ちょっとためらっていたというか、両方一緒にとはないなと思っていたから、川口さんの方に話を持って行ったという流れ。

古込 相談支援員を切る必要はなかったんやけど。二つ助けを借りれないなと思って、一人切るしかないなと思って。今、考えれば切る必要なんて全然なくて、どっちの助けも借りることができたんで、今思えば悪いことをしたなと本当に。

立岩 でもその時の気持ちというか、認識としては、こっちを取るならこっちを切らなあかんということで、こっちの相談支援員の方とは縁と言うか…。

古込 ごめんなさいって。地域移行が具体的に動き出して、弁護団のさっき来てた人、その人が相談支援員なんやけど。そっちが来ることになって。自分と最初組んでいた人はどうなったかというと、そこの事業所を辞めてたんですよね。

立岩 最初にしばらくつきあっていた相談員が辞めていた。

古込 辞めてて、福祉系の学校に行ってて自分は、なおさら悪いことしたなとその時思って。どういうつもりやったんかなとずっと悶々としてて、でも結局、聞いてやろうと思ったけど、そんなことしたら関係を持ってくれなくなっちゃうんで。実はこういうことやったんやけど、「どういうことなんや」と聞いてやろうと思ったけど、さすがに何の得もないなと思って思いとどまったけど、そういう悶々としたままずっとあったね。なんで連絡なかなか取れんかった。生きとったんに私とつながらないんやというのはずっとあったから。

立岩 どうなんですかね、相手も、もう言いようがないというか、プランと言うか提示のしようがない中で、連絡を取るネタがないというか、提供するものがないという中で連絡そのものが滞るというか。

古込 分からないですけど。私はもう契約は戻したいと言った時は、実はということで連絡は取ったけど、なかなか??取れなかったと言われて。病院に対する不満はにじみ出てたし。

立岩 相談員の人の病院に対するということですか。

古込 そうそう、あったと思うよ。なかなか連携取れないという苛立ちはあったと思う。

立岩 病院の方なり、病院なりの対応がその相談員の満足のいかないというか、やり取りができない。

古込 ということは、言っとったし。

立岩 その人なりにやろう(、動こう)とはしたけれども。実際には地域に支援がないわけですよね。それと病院と何かできるかと言えば、それもできないという中でということですね。

古込 ましてや親のことだって、支援員にしてみれば自分にふられても、どうしようもない話しで。それは病院が調整すべきやってということを言っていて。

立岩 相談員は親との関係というのは自分は立ち入れない、親との関係をどうにかするんだったら病院だという認識だったということ。すると親の方は手がつかないという。そういった中で、そのルートを断った時に、12年ですね、川口さんとこういう手があるよという、実際には広域協会とかにつながって行くルートですけれども、そういった話が提示されていくわけですか。それがその相談員とは、どうもならんわという葛藤ですか。

古込 ▽これ以上連絡もつかんし、私としては連絡つかんし、持ってくる情報もちょっと無理やと思ったんで。前から川口さんに声をかけられたこともあったし、それじゃぁ川口さんに相談してみようと。川口さんに相談したら川口さんが広域の方に私を紹介してくれた。

立岩 こういう人がおるよ、というのを広域の方に紹介した。

古込 それで地域移行したい意志はもう、確認できたということで。また広域協会から聞かれたのは弁護団を結成しますかという話で。

立岩 その弁護団は具体的にいうと重度訪問を取るための?

古込 そうそう、行政との交渉のための。

立岩 それもまた12年でいいんですか?

古込 それは12年の10月かな。支援員の件は確か9月で、ひょっとしたら9月の末に広域〔協会〕を紹介してもらってたかな。だいたい。

立岩 それで弁護団なんちゃらと言われたときに、どう答えたんですか。

古込 お願いしますって。

立岩 やります、というか。そういうふうにいったわけですか。

古込 その弁護団自体が、何をしてくれるかというのを具体的によく分かってはなくて。

立岩 5年半前はそれが何をするものかは具体的には分かっていなかった。

古込 とにかく自分に必要なもんなんやろなと思って。行政との交渉なんて簡単じゃないだろうかなというのは想像できてたんで、弁護士は必要だろうなと思ってた程度で。お願いしますという形で。

立岩 12年の年が暮れて…。

古込 12年の12月ですけれど、その時にILPが始まっていて。全国から講師の人が順番に来る形で。来てた。

立岩 医王に来た。

古込 そうです。

立岩 何人も来ました?

古込 何人も来ました。3月にシンポジウムあるけど、今までの経緯というのを書いていて。

立岩 さて、古込さん。今2時間を越えたんです。多分これから5年分あるじゃないですか。2012年の10月から2017年の10月、とりあえず5年分、あと10分、20分延ばしても、語りつくされるものとは思えないので、どうしましょうかね。一旦今日はここまでにしといて、残り5年分というか。例えばフェイスブックの昔のやつとかを古込さんは見たら見れるもんなんですか?

古込 私が見たら見れるけど。友だちのも見れるけど。すぐ読み返せるかというと、読み返すけど。今一。

立岩 でもそれはしんどいでしょう。

古込 めっちゃ時間がかかるし。

立岩 フェイスブックってそういう役には立たないよね、あまりね。

古込 5年分の記録に取ってあるんですよ。広域協会とのやり取りって、メールでやって、消さずに殆ど残していて。今度のシンポジウムの原稿を書くのもそれを見ながら。

立岩 それではそういうメモというか年表をつくって、3月の時に支度をするじゃないですか。その後に、こちらもそれを拝見しながら、少し細かい所を追加質問するみたいな、そんな感じにできますでしょうか?

古込 ただその原文って、私は病院とか一切書いてなくて当たり障りない内容しか書いてなくて。病院はここまでやってくれたんだと私は書いているんで。

立岩 今回はそういう物語で、ストーリーでいくわけだもんね。

古込 川口さんとこないだ、原稿を書く前に自分の損得を考えながら(書いてね)と言われたら、まだ病院との連携…

立岩 まだつきあいがあるから、現時点でまぁまぁ仲いいように。

古込 使い分けて。

立岩 実際の追加インタビューする時は当然、許可がない限りは公開は絶対しませんから、そういう前提で条件でいただいてもいいわけですし。

古込 あんなんでいいんですかね?

立岩 いいです。私はざっと大きい流れの随分長いインタビューがあった上で、今日はどちらかというと後半の数年の分に触れたじゃないですか。今日は私事ながら非常に面白かったです。それで2時間でいけるかなと思ったけど、やっぱり無理で。いよいよ本格的になっていく5年分を何らかの形で残したいと思いますし。公の、プレゼンテーションの場ではないので、いつその蓋を開けるのかは古込さんが考えてくれたら(いい)わけだから。

古込 それは私は死んだ時にしてくれれば。

立岩 それも含めてね。それはありだと思いますので。明日打ち合わせですよね。打ち合わせは何時からですか?

古込 予定では13時半から。明日、誰が来るか知ってますか?

立岩 宮本さん〔弁護士〕が来るでしょ、井上さん〔法学者〕が来るという話ですよね。僕は来ます。それから坂野さんというインタビュアーさせていただいたうちの院生も来ます。後は姜さんがお買い物とかも含めて。仕事として来る。あとは僕、よくわかっていないんですよ。

古込 あと障害者団体の人。

立岩 あぁそうか、今日来てるはずの人か。

古込 福井の人は仕事で来れなくて。

立岩 今日はこれから京都のJCILとそれから神戸のメインストリームの人とちょっと会ってきますけど。

古込 その人たちが明日来るということですか?

立岩 基本明日はバタバタでしょうから、多分5年分の話を聞くだけで、2時間は見ておいた方がいいと思うので。おそらくまた別途、坂野さん、僕も来れたら来れた方がいいんだけどな。なにか考えますわ。明日、ちょっとしたことは伺うかもしれませんけど、まとまった時間は無理だと思いますし。僕は午前中に別の聞き取りをしてくるので、12時ぐらいまで金沢駅の辺りでやってから来ますけど。打ち合わせが13時半だったら楽に来れそうだな。

古込 打ち合わせ場所は15時半で。13時半から始まるまで、立岩先生と?なるとちょっと違う形で。

立岩 そういうふうに私も聞いていますので、私は横の方にいるか。基本、明日はこういうまとまった話ということはないつもりです。また機会は改めてよろしくお願いします。ここってタクシーを呼んだら来ます?(タクシーの段取り)
広域で具体的に顔を合わせた人って何人もいるんですか?

古込 ▽大野〔直之〕さんという代表が、立岩先生もご存知でしょう。

立岩 彼は高知大学の出身なんですけど、大学を卒業して東京に就職した時から知っています。30年前から知っている。今日も姜さんと、学生の頃から変化がないねと話してました。全然しょっちゅうは会わないですけど。

古込 大野さんはちょっと福井に用事があった時に、帰りにちょっと顔だせばと、大野さんが来て、みたいな感じで。ものの10分ほどいなかった。

立岩 ぶっきらぼうな感じの人でしょ? 慣れると、なかなかいい人やと分かってくるんですけど。(笑) 東京に来てからすぐにこういう仕事を始めたから、すぐ詳しくなりましたね。もうすでに数年ぐらい経った時には制度のことに関しては、あらゆる役人より詳しかったですし。学者よりよっぽど物を知ってましたし。基本はクールそうで本当は熱い人なので、いいと思いますよ。

古込 姜さんの話を聞いとったらそういうのも分かって来て。

立岩 まぁ、ぶっきらぼうで、最初はびびるよね。実際、怒ってる時もあるんだろうけど。

古込 大野さんという人物は去年、宿泊体験した時に、CILの小平?からその時に支援に入っていて、皆さんよく付き合いの長くて、大野さんを知っていて、大野さんそういう人なんやとか。メールでしか知らなかった意外な大野さんを知ることになって。

立岩 彼とは韓国に行ったことがある。こんな話やったらスカイプでやればいいやん、みたいなことを言ってて。実際に行かなくたってここでいいと。

古込 まさにそういう人。良く言えば無駄がない人ですね。△

立岩 体調は悪くないみたいですけど、どうです?

古込 悪くはないです。

立岩 普通に退院後の体調のことは心配というか、気にはなってたんですか。

古込 思ったほどでは。ただ入院から続いている慢性的寝不足がずっと。

立岩 眠れないんですか?

古込 寝れても起きてしまうのは、顔が痛くなればどうしようもないけど。寝つきが悪いんですよね。病院にいる時もそうだったけど、まだ治らないみたいな。

立岩 そうしたら、『夜バナ』とか読んでると、結構、鹿野さんって眠剤飲んできたとか書いてあるよね。それはやらない?

古込 私は睡眠薬もそんなに使わん。それ呼吸制御できないから。もし使いたいんなら一回病院に入院して、試すしかないと言われて。いや、それはないなと思って。

立岩 眠剤使うための入院はそれは嫌ですよね。

古込 おまけに入院中はまたヘルパーを使えないし。

立岩 眠れないから、昼間は眠い?昼間、ことっと寝たりすることって?

古込 小1時間寝たりすることはあるんで。

立岩 それで足りてないのか…でも眠いですよね。

古込 仕事にならないので、ちょっと待っとれん。

立岩 眠くて無理やり起きて何かしないかん時って辛いですよね。…シンポジウムってどこでやるんでしたっけ?

古込 金沢の市民会館。そのシンポジウム自体は2日やるんですけど、私の登壇は初日の3月17日だけで。2日目はまた場所を変えるらしくて。(吸引)

立岩 伊藤佳世子さんとは、相談員を紹介してもらった以降何かあります?

古込 個人的に退院した後の生活の場、初歩的な話を何年か前はしとったけど。この頃はあまりやり取りはない。あの人はあの人で忙しい人なんで。

立岩 忙しいは忙しいみたいですね。彼女は僕らの博士課程にいて学論を書いたらいいのにと思ったんだけど、途中で辞めてしまって。忙しくなったということでしょうけど。ホンマやったら彼女が筋ジストロフィーの関係でまとまったものを書いたらいいなと僕は思っていた。

古込 なんかネットにも、連載『かんかん!』を全部読んでいて。

立岩 あれもいいんですけどね、あれの10倍ぐらい書いてくれたら論文になるなと。

古込 ▽あれを読んで初めて知ったこともあったし。例えば国立療養所の?の話とか。ああ、そうやったんやという感じで。

立岩 ああいうものを最初に全部読んだのは何年ぐらいって覚えてます?あの記事は何年のものなんやろ。

古込 あれは2000年代のものだと思うんですよね。

立岩 今日は長い時間、ありがとうございました。面白い話が聞けたと思います。



UP:20190628 REV:
古込 和宏  ◇2018/01/30 富山→金沢  ◇こくりょう(旧国立療養所)を&から  ◇病者障害者運動史研究 
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