古込和宏さんへのインタビュー
2017/12/30
インタビュアー 看護の実習をしているというところで、そういうところが聞けなくて、実はそちらの方の病院でインタビューしたいと思って申し出たんですけど、あっさり病院側の方で断られてしまって。
古込氏 あぁ、じゃあ、それは言いますよ。
インタビュアー やっぱりですね。外から調査が入ると言うことが嫌なんでしょうか。
古込氏 基本、病院はどこもそうだと思う。だから今?病院ですけど、それでいつ頃の話でしょう?
インタビュアー 三年前まで毎年行っていたので、申し出たのが今年の春だったんですけど、知り合いはいっぱいいたんですけど、知り合いではなくて院長から通していったら、あっさりばっさと。
古込氏 ふつう病院機関を経営する病院って、私もその系列の病院にいたけど、中にいながら閉鎖的な空間だなと思っていたので、お役所からいっても無理ないかなと。
インタビュアー 実習に行っているときは結構ウェルカムで、よかったんですけど。実際にインタビューしたいとなったら、怒られてしまって。理由をお聞きしたら当然やろうみたいなことを言われて。
古込氏 どんな理由でした?
インタビュアー 教えていただいたのが、入院している患者さま方は我々の管理下ではないんですが、そういうところにいるので守らなくてはいけない立場なので。
古込氏 守秘義務とかそういう話し?
インタビュアー そうなんですかね。守らなくてはいけないので、誰を選んでインタビューを受けさせるかということも、もちろんできないし、そういう権利が私たちにはないからですと言われて。
古込氏 それは系列の病院らしいね。
インタビュアー そうですね。立岩先生なんかはこっそり行って会ってくればいいみたいなことを言ったんですけど、顔が割れてるんで、面会に行ったときに何してる?という感じになると嫌だなと思って。正規で行こうと思ったら簡単に断られて。
古込氏 直球勝負は無理ですよ。
インタビュアー やっぱりそうなんですね。そういうことで色々と施設の方を回るのがちょっと苦しい感じで、大変な業界ではないですけど、大変なところなんだなということを改めて感じたんですけど。
古込氏 系列の病院って本当に鎖国ですよ。
インタビュアー 古込さんは5歳の時に筋ジスと診断されて、その時を覚えていますか。
古込氏 はい、覚えています。
インタビュアー それで一年間だけは普通の小学校に通われたんですね。だけど転んじゃったりなんかして大変でした?
古込氏 そうですね、だんだん歩行が困難になっていっていたし、転倒も増えていたんで、確かに通学は困難だったと言えば、困難だったと思うし。
インタビュアー それで筋ジスの人たちがいる病院があるよと言われて入ったんですか?医王病院でしたっけ?
古込氏 そうですね、はい。というか病院関係者の人が来て、入院を勧めに家に来た記憶があります。筋ジス病棟に配置された生活指導員が。
インタビュアー こっちからはちょっと遠いんですか?
古込氏 私は実家が輪島市なんで、その当時、そんな公共交通が発達してないんで3、4時間とかかかったかな。
インタビュアー そうなんですね。見学とかしに行ってから入られたんです?
古込氏 入院する前に一回、検査がてらに見学に行った記憶がありますね。
インタビュアー 入られた時は同じような病気の人が沢山見えたんですか。
古込氏 その時、その人たちが同じ病気だという自覚がなくて、一泊したけど、何年か経ってその人たちのように私がなるなんて思ってなかったんで。
インタビュアー そうなんですね。みんな年上でした?その時は。
古込氏 同じ年頃の人がいたし、年上の方がいたし。
インタビュアー 何人ぐらい見えたんですか。
古込氏 あの病棟は確か、45床あったような。
インタビュアー 全員、筋ジスの方?
古込氏 そうです。私は来た時には筋ジス病棟に空きがなくて。小児病棟に入ったんです。
インタビュアー 重身とか?
古込氏 いえ、小児病棟。喘息とかネフローゼとか。そういう患者さんが行ってる小児病棟に、空きがないと言われてそこに入って。一年経って空きが出たんで、筋ジス病棟に移った。
インタビュアー それからずっとですよね、高校まで?
古込氏 はい。
インタビュアー 小学校は隣の養護学校ですか。
古込氏 そうです。高等部まで併設されているので、高等部までそこに行っていました。
インタビュアー 最初は自分で行っていたんですか?
古込氏 そうですね、その時は電動車をまだ動かせたので、自分で行っていましたね。
インタビュアー 私も長良?にもあるので、隣に。一緒に行って。
古込氏 完全に併設ですか?
インタビュアー はい。廊下かなんかでつながっている感じですね。そちらでは同じような筋ジスの方だけしか来ていなかったですか?筋ジス以外の方も?
古込氏 小児病棟の人もいました。重身は別に学級があって、病棟で学習していた感じになるので。
インタビュアー 学校は先生たちは優しかったですか?
古込氏 そうですね、優しいですよみんな、はい。熱心な先生ばかりで。
インタビュアー 囲碁をやられていたんですね、そこで教えてもらって上達して。
古込氏 そうですね。
インタビュアー 大会に出てみえたということなんですけど、年に何回ぐらい外に出て大会とかに出ていたんですか。
古込氏 4回とか。3回から5回は出たかな。
インタビュアー その度に先生たちが付き添ってくれたんですか?
古込氏 そうです、引率してくれて。スタッフ?も付いていく人もいました。私の場合は親がそんな増えなかったんで、面会にも来る親じゃなかったんで。教師の引率で私は行っていました。
3
インタビュアー 車でということですか?車いすごと乗る感じですか?
古込氏 いや、別々で。はい。
インタビュアー パソコンとかもいつからやられていたんですか?
古込氏 ちょうど30過ぎて31のときです。
インタビュアー それは病棟で?
古込氏 そうです、入院していたので病棟で。
インタビュアー その頃、国立病院の暮らしはどうでした?ちっちゃい頃から。
古込氏 退屈でしたね。退屈でしょうがなかった。楽しいけど、でも退屈でしょうがなかった。
インタビュー まだ学校へ通っている時は殆ど毎日学校へ行っていたんですか?
古込氏 はい。その後が退屈で退屈でしょうがなくて。人生が面白くなかった。
インタビュー ほんとですか…テレビとかを見ていたんですか?
古込氏 はい。
インタビュー 一人ずつベッドはあって、スペースみたいなのは?
古込氏 ベッドサイドには、机と椅子と引き出しと本棚とかありますけど。
インタビュー 別の部屋ですよね?同じ部屋にありましたか?パソコンとか。
古込氏 同じ部屋です。全部ベッドサイドに。
インタビュー ベッドサイドに全部あって。作業スペースみたいなのはなかったんですか?
古込氏 あるにはあったんだけど、行ける人だけが行くみたいな感じだったんで。
インタビュアー 行かれなかったんですね?
古込氏 はい。
インタビュアー 退屈で毎日、朝起きて、国立病院って流れ作業のように全員一緒にまずおトイレ済ませてみたいな。
古込氏 全員起きて、全員流れ作業で顔を拭いて、座薬を入れて、高カロリーのまずい飲み物飲んで、それで便器当てる時間が療養所時代は7時半からとか。どれだけ失禁しそうになっても、7時半からとか言われて。でも漏れそうになると、そこでまたダメみたいに言われたり。
インタビュー がまん出来たんですか?
古込氏 できないときは、無理言って当ててもらうしかないけど。
インタビュー あれって便器を順に当ててますけど、出るもんなんですか?
古込氏 慣れれば出ます。座薬入れて強制的に出す。座薬を浣腸で。筋疾患って筋肉の病気で、平滑筋とかもちろん筋肉なんだけど、平滑筋でさえ支障が出る病気なのに、そこにまったく理解がなかったね。
インタビュー お食事はどうされていたんですか?全員、ホールに出て。車いすで。
古込氏 朝はベッド床でしまして、夕は車いすを動かせる人だけ食堂で食べてましたね。私は30手前まで車いすに乗って、なんとかかんとか食べてましたけど、どっちかと言うと食事に行くというより、車いすに乗りに行くという感じで。
インタビュアー 乗せられる感じですか?
古込氏 いや、それは私は乗らないと乗れなくなると思っていたので、無理して行っていたみたいな。
インタビュアー 強制的に乗せられるわけではない。
古込氏 そうですね。私の場合は頼んで乗せてもらっていた。機能低下症だったんで、無理して頑張ってましたね。
インタビュアー 結構、長良A病院の人たち全員強制的に乗せてもらってて。
古込氏 出たくない人も?その辺の意志があるしね。
インタビュアー 結構、みんなあんまり出たくない人がいなかったような感じがして。
古込氏 みなさん、多分出たがると思うけど。分かんないけど。
インタビュアー はい。電動車いすですか。ボタンでウィンウィンと動くやつ?
古込氏 はい、電動車いすで。
インタビュアー すごいスペード出ますよね。
古込氏 はい。
インタビュアー 外との連絡手段というのは、パソコンがまだない時代はあまり取れなかった感じですか?
古込氏 そうですね、全然なかったですね。電話が外にかけられるようにはなっていたけど、お金がかかっちゃうので。その行き先もなかったし。私は別に家族にそんなに電話したいと思わなかった方なんで。あってもなくてもどうでもよかった。使える人たちは一握りしかいないので、あまり用事はなかった。
インタビュアー たぶん時代が違うのかもしれない。最近はパソコンでインターネットが使えるようになっているので、結構みなさん情報を。
古込氏 そうですね、私も近くにあってからはメールでもう。
インタビュアー それは国立の時は自由だったんですか。
古込氏 はい。
インタビュアー インターネット料金みたいなのは?
古込氏 国立病院の系列ってどうなんだろう。私のところの病院は大口でネット回線、ケーブルテレビの会社のプロバイダーと契約して、患者はただでネットを使えるという環境だったので。でもその代わり無線は使ったらダメとか、携帯ダメとか、そういう制限はあったので
インタビュアー そうなんですか。同じ筋ジスの人たち同志で、自治会じゃないですけど病院の中ではあったんですか。その昔。
古込氏 はい。
インタビュアー それはどんな活動だったんですか。
古込氏 私は不真面目だったので、あまりそういうのは顔を出していないけど、例えば病棟に新聞を出したり、自治会で。
インタビュアー 要望とかですか?
古込氏 新聞ではなく、別に、そういう場を設けたりもしていましたね。病院に情報を出すとか。
インタビュアー でもそれは自由参加だったんですか?
古込氏 そうですね、だんだん下火になっていって、自然消滅になったけど。それってやっぱり本人はだんだん重度化していって、動けない患者が増えていくと寝たきりになると、自治会自体の指導維持できなくなっていったんで。そういう感じですかね。現状そうなったって感じで。
インタビュアー 退院とかされる方も見えたんですか?
古込氏 ほとんどは皆無。私が知っている中で一名だけいたかも。筋ジスのあまり重篤化していない筋ジスの方で、大学に進学して就職した人が一名いましたし。私の知る範囲で、一名は進学して就職、一名は手に職をつけて職人になって。
インタビュアー それはどんな職業なんですか。
古込氏 九谷焼の絵付けだったような。
インタビュアー 手が動いた?
古込氏 そうですね、重篤化していないということなので、そういうことが出来たということで。
インタビュアー 進学された方は大学に通われたんですか?それとも通信?
古込氏 通う時にはもう退院していた。
インタビュアー じゃあ、皆さん在宅からという感じで。お家に帰られたんですか。
古込氏 したんじゃないかな。
はい。
インタビュアー みなさん面会とか見えてたんですか?親御さん。
古込氏 親によりますけど。
(処置)
インタビュアー 外出もあまりされてなかったですか。
古込氏 学生時代はできたけど。卒業しちゃうと年に一回とか。それがもうだんだん一とかゼロになっていった。
インタビュアー それは病院の行事とかではなくて自分で行きたいところに行ったんですか。
古込氏 自分が自由化すれば周りが患者も自由化していくべきで、
自分が重篤化すれば他の患者もそうなるわけで、それに対応するのが病院もだんだん大変になるというところ。
インタビュアー 連れて行ってくれるのは病院のスタッフではないんですか。
古込氏 スタッフが付き添いで行きます。
インタビュアー じゃぁ限りがあるということですか。
古込氏 家族が来る方は家族と行きます。来ない方は病院の職員が付き添いになる。
インタビュアー レクリエーションとかそういうのもあったんですか。
古込氏 ありましたね。
インタビュアー 月に一回とか?
古込氏 一回、二回あったかな。誕生日会とか、誕生日会で焼きそば焼いたり、お好み焼きを作って食べたりジュース飲んだり。施設の行事をしたり。
インタビュアー 外からボランティアみたいな人見えて、芸をやってくれたりとかは?
古込氏 最近はそういうのをやっているらしいけど、前はこじんまりと病院の人だけでやってました。
インタビュアー 囲碁の大会は、学生じゃなくなってからも参加はされていたんですか。
古込氏 できなくなりました。高校を卒業する時点で体力的にやっとやっとで、人工呼吸器もいつも手放せなくなって。たとえトイレの問題が大丈夫としても、一度も学校を卒業して、付き添いで行く人がいなかったんで。
インタビュアー 40歳の時に虫垂炎で容体が急変したと書いてあるんですけど、大変だったんですね。
古込氏 そうですね。全身麻酔しなきゃ手術できない。心臓の状態がいいわけじゃないんで、そんな状態で全身麻酔しちゃって、かなりそういう意味で。その時、全身麻酔って聞いたとき、このまま死ぬなと思ったけど、もしかしたら助かるかもしれんけど、手術の前から死ぬなと思ってたんで。
インタビュアー 結局、虫垂炎は切ったんですか、取ったんですか?
古込氏 切りました。で、軽い腸ねん転もあったんで、位置をちょっと直して。
インタビュアー 気切もそのときされた?
古込氏 そうです、口が充分開かないということで。息がその間できないんで。充分環境を見るためには開ける必要があるという状況で。
インタビュアー なんかあった時には気切するということは、決めていたんですか。
古込氏 いや、決めていなかったですよ。
インタビュアー ではその時に話せたって。
古込氏 その時に確認されて、やるしかないんやから「はい」と言いました。
インタビュアー その時親御さんは見えたんですか。
古込氏 いましたよ。
インタビュアー みんな同意したということですね。
古込氏 同意したでしょうね。助かる道がそれしかなかったから。
インタビュアー で、目が覚めたら生きていたというふうで、確認をしたということですよね。
古込氏 生きてたけど、あれ、なんでしゃべれんねん?という感じで。ああ、そういえばそうやったみたいな。私は手術して10日間、たぶん眠らされていたんやと思うけど、目が覚めていなかったんで。目が覚めた時、かなり朦朧としていて、そう言えばそうやったなという感じでやっと思い出して。
インタビュアー ちょっと喋れないのはあれですね。意志の伝達が。
古込氏 大変でした。
インタビュアー だって筆談するわけにはゆかず。
古込氏 そうです。そうなんです。
インタビュアー すごい大変でしたね。
古込氏 それは本当にあとあと、地獄でえらい目に遭いました。
インタビュアー そうですか。同じ病院ですもんね。
古込氏 手術は外科がなかったんで、同じ系列の金沢医療センターというところに。
インタビュアー ではそちらに入院していたということですか。
古込氏 そうですね、10日ちょっとくらい入院しとったかな。
インタビュアー また戻って来たということですか?
古込氏 そうです。
インタビュアー 救急車で?
古込氏 そうですね、はい。
インタビュアー 伝達手段をどういうふうにされたんでしたっけ?鼻に替えてもらったんでしたっけ?
古込氏 最初は文字盤使ってたけど、あまりにも業務が過密で、そんなのする時間ないというふうになっちゃって。結局それは相当ストレスで、私が主治医に頼んで、気管切開のとこを閉じさせてくれと言って、さすがにそれは後でまた必要になったとき助ける手段がないからと言って、今、浅いカニューレ入れてるんですよね
インタビュアー 一応穴だけは作っておけば、いざという時はというためにということですね。私も見てて思ったんですけど、看護士さんってやっぱり言えないですけど、いろんな人に言えますよね。
古込氏 勤めている人って、みんなほとんどステレオタイプなんで、言うことはみんな同じやから。一般病棟でもみんな同じやから。でも、温存は正解でした。
インタビュアー 一人が違うことを言うと大変になるので、みんな同じことを言うんですかね。
古込氏 そうそうそう。
インタビュー あれは慣れちゃうものですか、患者さんとしては。
古込氏 そうですね、慣れるといえば慣れるけど。慣れると言うか、それは諦めるけど。
インタビュアー 小さい時からずっとそういう環境じゃないですか?なので、言えもしないし、抵抗もできないしという。
古込氏 それはありますよ。
インタビュアー やっぱりそうなんですね。
古込氏 そういう時って私は、職員にいい子でいないと、生きていけないと思っていたから、若いうちはいい子を演じるけど、ある程度いい子を演じるけど、だんだん年を取るとバカバカしくなって、それで私は病院を出ちゃったんですよ、やってられないんで。
インタビュアー 小さい子が入って来て毎年成長はしていくんだけど、重症化していくじゃないですか、だんだんと。だけどあまり怒りもしなくて、言われたままのことをして淡々と。私たちが行くとお手伝いさんみたいになるので、ちょうどいいみたいな感じで、「ちょっと拾ってもらえませんか」とか、こちらは仕事じゃないから全然平気なので、仕事じゃないから。実習で付き添いで来てるから、何でもやってあげられるんやけど看護師さんは忙しそうにしてるから、頼みにくいし、頼めないし。お願いごとは一日何回までとか、いろいろと決まっているらしくて、そんな感じでした?
古込氏 何回までというのはない。職員が個人的に言った言葉だと思うけど、何かとそういう制約がつくと思いますね、どうしても。
インタビュアー 書いてあった記事で気になったのが「医療スタッフの尽力もあり、マスク式の人工呼吸器に戻すことを希望して、尽力もあってレティナを使用しながら戻した」という、この医療スタッフというのは医者、主治医のことですか?
古込氏 まぁ主治医。尽力があってと書いてあるけど、あの先生は、ないんですよ医者は。文字盤で頼めないんなら、それをやってもらわないと、どうしようもないっていうのがあったんで。それくらいしてよ、ぐらいな感じで自分では思っていたけど。でも回り見てみんな声が出なくても我慢できるんやから、あんたもできるみたいには言われたけど。とは言われてもね。
インタビュアー 結構、言われますよね。ぼそぼそっと言われるのも全部聞こえるから、ちょっと辛いですよね、何も反撃できないだろうなと思って見てたんですけど。
古込氏 他の患者が言われているようなことでも、そういうふうに聞いてしまうと、それってすごい圧力に感じるし。他の患者に言われていることは、自分に言われてることやと思いながら聞いているけど。
インタビュアー 患者さん同士で、愚痴を言い合ったりとかはしないんですか?
古込氏 患者同士で信用できる人間なら言えるけど。中には口の軽い人間だっているわけやから。
インタビュアー ちくったりとかですか?
古込氏 そういう奴はいましたよ。そういうことによって、他の患者を批判すること?によって自分がいい子を演じられる人もいたんで。と私には見えましたけど。
インタビュアー 可愛がられるんですか?
古込氏 可愛がられるね。我慢できるうちは職員に服従できるんで、服従できるうちはそういう人がいるし。
インタビュアー ひいきとかもある?ひいきと言うか…
古込氏 ひいきと言うか、口だけでは可愛がってもらえる。そういうのって重症でない患者はそうやって、のうのうとしていられるけど、重度となるとその人どうなるのかなっていうのがあるけど。いずれは弱みを握る。
インタビュアー 動けないですもんね。
古込氏 分かってないうちはいいなと思うけど。
(処置)
インタビュアー 微調整がすごいですね。こういうのは病院では無理ですか。
古込氏 無理ですね。
インタビュアー 我慢してみえたんですかね?
古込氏 とりあえず次のラウンドまで我慢するという選択肢と、すごく我慢しても?しょうがないから呼ぶか、しばらくぐだぐた考えて、待てそうなら待つと。
インタビュアー 褥瘡はできなっかったですか?
古込氏 私はもうできなかった。そこまで長くないので。私は怒られることは言わないんで。言わない方を選ぶんで。
インタビュアー 結構、きつく言う人もいますよね。
古込氏 きつく言う人はまだいいけど、嫌な空気を出す人が一番しんどいね。
インタビュアー あれって国立病院の中でも、最後の方に見えたときには、重身の方も見えました?筋ジスだけでした?
古込氏 私のところは、自分のところの病棟は筋疾患と神経内科。聞くところによると筋ジスと重身が一緒になっていると聞いたけど。
インタビュアー 一緒ですね、はい。長良は平成16年にA病院は新しい病院に替わって、今から10年前ぐらいですかね。その時にフロアーが車いすで通れるように広くなって、明るい病棟になったんです。重身の方も多くて、半分は重身でしたね。筋ジスの人たちは反対したらしいんですけど、やっぱり知的の部分が違うので。軽い重身の方と一緒みたいな感じでしたね。
古込氏 私が伝え聞いた話によると、まったく違う疾患が一緒になるわけで。重身とか重度の患者の人は、筋ジス患者は手が回りにくいみたいな話を、長良のA病院の患者から聞いたことがある。
インタビュアー そういう場合もあるかもしれない。
古込氏 ?は最悪やって聞いたことがある。
インタビュアー 長良?誰とお友だちですか?
古込氏 友達じゃないけど。まったく考えの合わない人だったやけど。本で知った人。
インタビュアー いくつぐらいの人?
古込氏 50前?
インタビュアー もうちょっと若い30代、20代、10代みたいな人たちがいて、その人たちは結構、従順に育っていると言うか、合わせるしかないんでしょうね。
古込氏 みんないい子を演じてたでしょ?
インタビュアー いい子演じてましたね。そうですね。反抗もせず、サッカーにいそしみ、今はパソコンができるので、パソコンで大学に通っている人もいたし、コンサートをやってもらえるように呼び掛けてその企画が成功してミュージシャンが来て、そういうので外界と交流している感じの。
古込氏 病院公認の行事でしょ?
インタビュアー そうです。…なんですけど、お風呂とかは一斉にああいう感じで、ばあっと一度に入れられてという感じでしたし、ちょっとしたことが頼めないみたいなのはあって。今はボランティアの人を自分で申し込んで、病院の中に入れることができるんですかね。
古込氏 私が知ってるボランティアの人で、もりたかこという人がいるんですけど。その人の名前知らないですか?
インタビュアー もりたかこさんと言う人のは、どういう人ですか?
古込氏 その方は長い間?に出入りして、ボランティア活動をやってて、自立したい患者に手を差し伸べて、病院の外に出していって。その方ってみんなと日常ではうまくコミュニケーション取れない方で、ネット上でトラブルがあって。たぶんそれってみんなが勝手に言うには一種の発達障害じゃないかと言われてて、会うとまったく普通のおばさんで。ちょっと考え方があれ?というところもあるけど、でも筋ジス患者にずっと携わりたいと携わっていて。携わりたいと言いながら、たまに支援者目線で、支援者として自分がやってあげとるんやみたいに言ったりして。その人はまったく誤解される人やけど、悪い人ではなくて。長年ボランティアで出入りしてたけど、そういう人やから自立させようと思って、病院から出されて。
外出支援や地域移行をしたりと病院側からは全く好ましくない人物であって。とうとう出禁になっちゃって。
インタビュアー 本当ですか、最近の話です?
古込氏 出禁になったのは、この数年前の話しで。本当に筋ジス患者に関われなくなったのは残念な話で。結局、今は精神を病んじゃって、まったく今は関わっていないけど。
インタビュアー どこかでお会いしたことがあるんですか?
古込氏 ネット上で知り合って、自立の話とかQOLの話とかしているうちに、一時期、一緒に活動したりして、そういう問題のある人やから距離を置いてみたりして。距離を置くにしても、本当にその人が筋ジス患者に関わりなくなったのは本当に残念な話で。その方はシングルマザーで娘さんもいて、娘さんも母親の影響を受けたのか、難病の患者に携わりたいということで携わっていくようになって。携われるように看護師になって、呼吸器の認定看護師なったという。私は?に熱心な方につけたのは本当に羨ましかったけど、たとえ羨ましがったってその人にいろんな患者のために動いとるんやから、自分が具体的に何かを頼むというのはできない話しだったので。じゃぁ自分でどうやって問題解決しようかと考えた時、結局、自立。上の問題、
でも病院の問題を解決するのはもう無理だと思ったので。どの筋ジス患者もみんないいケアを望むわけですよね。自分たち死ぬまで病院にいるしかないからQOLを良くてほしいけど、現状はだんだんそうではなくなっているわけで。八雲病院って知ってます?
インタビュアー はい。よく載っているので。行ったことはないんですけど。
古込氏 あそこは筋ジスにもいいところで。
インタビュアー いろいろやられているところみたいですね。
古込氏 石川先生という方が熱心な方で。患者に気管切開しない。?患者もみんな自由に病院の中で活動をしたりしているので、在宅の患者に何かあったとき、筋ジス病棟に地元の病院でなくて八雲に短に人工呼吸器の設定、調節して車いすつくりに行ったり、いろいろしてるところで。みんな筋ジス患者はそこに囲まれるわけで。自分のところを聞けば最悪だから、八雲のようにしてほしいと、要望はあって私もその願望があって、一時期、ネット上でどうやったら良くなるか議論したけど。私はもう筋ジス患者が筋ジス協会を頼っている、病院を頼っているという解決しい問題だなと思って。病院を出て来たんですよ。
インタビュアー 富山のALSの患者さんって何と言う方なんですか?
古込氏 大懸(誠)さん。
インタビュアー 今もメールはしているんですか?そういうふうではなくて、その人の記事を見て?
古込氏 そうですね、私は都市部と地方が制度の位置づけ、浸透にしろ、重度の障害者って必要で欠かせないと言う地方では長時間介護保障は難しいという思い込みがあったので、長時間の介護保障獲得の記事を見て富山でできるんやって確かに思いましたね。今でも大懸さんとはフェイスブックでもつながっているし、今でもやり取りしてます。大懸さんは今、もう目の前の年末年始の介助者の体制が手薄になって、それで私のヘルパーを一名、年末年始やることになって。そういうつながりがありますよ。その話しが最初来たときに、自分の地方はまだ介助体制は十分ではないけど、でももしそのままほっておいたら、年末年始病院に行かなきゃならなくならないのは目に見えてたんで。なんとかできんかなと言うことで調整して、一名あっちにやることができるようにはなりました。
インタビュアー 大変ですね。県を越えて。
古込氏 明日一名、新幹線で富山に行かせてもらって、ホテルに泊まってホテルから勤務時間になったらタクシーで向かって、介助に入るんですけど。
インタビュアー それってお金ってどういうふうになっているんですか。
古込氏 それは制度のもとに人件費、重度訪問介護の制度から、もちろん人件費は出るんで。
インタビュアー 県をまたいでいても出るんですか?
古込氏 それは大丈夫。私のヘルパー自体が大懸さんが持っている事業所に。大懸さんが持っている事業所といっても東京に本部があって、言ってみればフランチャイズ、支店のような事業所を大懸さんが管理していて。私のヘルバーもそこに登録しているので。だから隣の県としては広域的にこういう支援もできるんやなということで、大変やったけどいい経験にはなったかなと。
古込氏 ありましたね。計画じゃなくて行き当たりばったり。退屈で退屈でしょうがなかった。
インタビュアー 退院計画は時間かかりましたけど、計画している間に出るらしいという話しになるじゃないですか。その辺って気まずかったですか?スタッフの方にはいろいろと、止めておいた方がいいとか言われました?
古込氏 みなさん、私がどんな人間が知っているんで。「私に言っても無駄だということが分かっているやろから」とそれは言わなかったけど。
インタビュアー でも、大変やよ、とは言わなかった?
古込氏 それはもちろん言われましたよ。ナースと言うより、ケースワーカー。いろいろうるさいことを言ってきて。どんだけひるまない?やっちゃぐらいなぐらい。
インタビュアー それは良かれと思って言ってきてるんですか?
古込氏 それは本気でよかれと思って言ってんじゃないかな。でも自分が責任を負いたくないというのが当然あるから、いろいろ言うよ。
インタビュアー 責任って負わないといけないんですかね、あれって。
古込氏 立岩先生はまったくその辺不思議がってると思うけど、なんで成人してるのにそれができないんやというのが、立岩先生も本当に不思議がってると思うけど。実はそれは立岩先生に聞いてもらえばいいけど。筋ジス患者の場合、成人しててもそうとは見なされないんで、大変ですよ。
インタビュアー 親の同意とかですか?
古込氏 そうそう。親の同意ね。そういう話し。
インタビュアー なんかいろいろ書いてありましたね、親の同意。
古込氏 何言ってるのって私は思うけど、みんなは?
インタビュアー 病院側も言ってくるんですか?
古込氏 病院側というかケースワーカー。何かあった時に自分が責任を取らなきゃいけなくなるんで、それで。地域移行は私もそんなもの、そんなケースワーカーを無視して進めておって。次に外出訓練、外泊訓練と順を追って、トレーニングをつんでいくわけですけど、外出では自分でナースを確保してねと言われて、私は言われた通り確保して。私が確保したから次に、介助の方法とか病院で教えてくださいねとたずねた時、もしなにかあった時自分が責任を取らなくてはならないし、もし万が一の時何かあったら、頭の上からもどうなってもいいんやねというふうに聞かれるとか言って。そうやってもっていくのって自己保身ですよね。あからさまに、
事故とか起きたら、他の親からと言わせとかあったら、こっちは、その対応を考えないといけないとか、そういうのがありましたよ。私のため、私のためと口では言ってたけど、ついにそういうことを言ってしまったら、それってただの自己保身だよねって。そこまでは言わなかったけど。よほど言ってやろうかと思ったよ。
インタビュアー 外泊訓練とかは、助けてくれる人に、支持者ですか、支援者ですか、外泊行って来ますと言って?
古込氏 外泊に関しては、私は病院とかが必ずナース同伴で行ってねと言われたけど、そんなのは私の経験からしたら言うこと聞くわけなくて、「はい、分かりました。そうします」と言って、結局は東京から支援に入ったヘルパーとずっと過ごしてましたけど。
インタビュアー ナースと言うのはどこのナースと一緒に行けと言われたんですか?
古込氏 自分で確保したナース。で、ナース確保するにはお金かかるよとか言いながら、でも確保してねといって、私がいざ揃えたら、親からのクレーム心配してるわけで。
インタビュアー よくあるクレーム。実際親御さんは反対したんですか?
古込氏 もちろんですよ。私の親は私のお金を使っていたけど、私が自立してしまえば、収入なくなっちゃうわけやけど。親はお前のために心配してるんやと言いながら、結局そうじゃないんで。結局、筋ジス患者が積極的な患者なら、どんな障害者でも自立するとなると、何が一番過敏になるかと言ったら、普段から自分を取り囲んどった人らが前に立ちはだかるわけで。私も例にもれずそういうことで。
インタビュアー 病院にはお金って、そんなに大して要らないんですか?
古込氏 入院費とか。要らないんですよね。いずれにしてもいろいろ最初払ったとしても還付で戻ってくる額はあるので、二万四千円とか五千円程度。
インタビュアー 月々?
古込氏 はい。障害者年金が月八万円ある。だから私は自分にかかる最低限のそういう以外を親に渡していたわけで。
インタビュアー 今はどうして見えるんですか?そのお金は。
古込氏 私が自分で管理していますけど。
インタビュアー じゃぁ親にはいかない。
古込氏 いかないようにはしていますよ。
インタビュアー では親は正直困ると反対したということは、それを当てにしていたということですよね。ずっと今までそれに慣れてきちゃったということですよね。
古込氏 通帳返してくれと言っても返してくれないし。
インタビュアー そういう大変さもあったんですね。
古込氏 そっちが一番大変ですね。
インタビュアー どこの家族もそうとは限らないです?実際家に帰ると言ったら。他の家庭、家庭違うのか分からないですけど。
古込氏 家庭によって違うでしょうけど、少しは人の金を当てにしてる親っていると思いますよ。
インタビュアー でも入院中は、お見舞いは来てくださったんですか?
古込氏 来てくれましたよ。
インタビュアー どのくらいの頻度で?
古込氏 一ヶ月に一回とか、二回とか。その時にうまいものを食わせてくれると言って、うまいものと言ってもスーパーででき合いのものを買って、食べさせて帰るみたいな。後、ジュースもまとめ買いしておいていきました。病院にいるとジュースが飲めるんで、ジュースを補充して、ちょっとでき合いのものを食べさせて帰るというのはありましたね。でもだんだん年を取ってくると、輪島から金沢に出て来るのは大変で、それの不満を言ったり、?嫌で嫌で。
だという親からその言葉を聞くのはつらかった。肩身が狭くなるだけなので。
インタビュアー 古込さんはご兄弟は見えるんですか?
古込氏 弟がいますよ。
インタビュアー 弟さんは同じような病気ではない。
古込氏 ふつうですよ。うん。
インタビュアー あまり関わりはないんですか?
古込氏 そうですね。そっちは親と絶縁していたんで。
インタビュアー また違う理由で?
古込氏 そうです。
インタビュアー じゃぁ、あまり会ったこともないんですか?
古込氏 ないですね。
インタビュアー なおさら、出ると決めた時には他人と手を組んで綿密に計画を立て、すごい決心ですね。
古込氏 だって私はいつまで生きてるかも分からないし、それで死んだらあなたたちどうするのって親につきつけてもそんなの深く考えていないし。じゃぁどうするかと言ったら、お互い自立するためには、そうするしかないなということで。さほど決断には迷わなかった。決断に迷う材料としては、自分が病院で生存できるかどうかというところで、私は慎重だったけど。何しろ私は一回死んでるんで。手術の時10日間ほど鎮静のためか目が覚めてないときに、一度、心肺停止にもなったんで、一回死んでいるわけだから。
インタビュアー 電気ショックかなにか、かけたんですか?
古込氏 ですね、たぶん、はい。
インタビュー すごいですね、そっか…。
古込氏 私薄情な人間なのか知らんけど、さほど迷いはなくて、生存できるかどうかというとこまでは、判断材料がないから、かなり心配はしたけど。じゃぁ死ぬまで病院にいるのかと考えたら、それはあり得ない選択だったので。
インタビュー そういうことですね。あと、出て行かれる時に残っている患者さんたちは何か言ってましたか?
古込氏 私が地域移行の準備をしてる段階で私を見て、自分も自立したいという患者がいたんですけど。同じ病室にいた患者で、私見て私も出たいなと思うのは自然の流れで。自分でも一生懸命動いていたけど、家族と主治医に強く反対されていて、そのうち分かっていって、まだ私と違って特殊で。親は母親だけで、親もちょっと障害があって、兄が一応中心になっていて、兄は兄でエリートで自衛隊の事務所の仕事をやっていて、そういう出る出ないの話になると兄の方が口が勝っちゃうわけで、頭で勝っちゃうわけで、何も言えずにいるのが隣で見ていて。私が一言だけ言ったのは、家族を説得するのは無理やし、別に自分の人生でだれかを説得しなくちゃいけないということはそんなのは別にないんやから、「反対されてるんなら縁を切れ」と本人に言ったけど。本人は「自分は家族を大切にしたいから諦める」と一回宣言して。「君、それは嘘やろう」と聞いたんやけど、「いや本心から言ってます」と言ったんで、それ以上は言えなかったんで。
インタビュー そこまでの勇気はないのかな。
古込氏 面倒なんじゃないんかな。私がもし自分なら、自分の病気のことをちゃんと解した上で出たほうがいいよというのが、私の経験から言ったアドバイスで。その人の主治医は、本人が地域に出ると言うたびにすごい反対のされ方をされてて。病院にいる方が長生きできるとか言われたり。私は隣で聞いていて、え?と思ったけど。そういうことを平気で言ってた。何を根拠にと私は思っていたけど。
インタビュー じゃぁ出たいなという人も、いろいろと壁が立ちはだかると諦めるんですね。
古込氏 そのあと、福井のCILが、本人は諦めると言った段階でもCILはその人のサポートに入ってて。
インタビュアー そこまで行ったんですね。
古込氏 うん。私もたまに情報をその福井のCILの人が情報を入りながら、途中経過を聞いていたけど。この間10月か11月にCILの人と会ってその話をしていた時、あっちの方はどうなってますかと聞いたら、その人は地域委員のカンファレンスで、途中から本人がいる必要がないって病院が、ケースワーカーが言って、本人だけ病室に戻って話し合いがされたらしいけど。その中で本人はケースワーカーが言うには知的発達の遅れがあって判断能力がないから無理やって言った。それって私にとっては嘘で。だって自分でネットで注文して好きなものを買ったり、フェイスブックでちゃんとした文章を書いてるのに、知的発達の遅れがあると言うのはどういうことって思ったけど。それってすごい仰天の話で、そこまで言うんかというのは…。
インタビュアー なんかいろいろブラックですね、病院って。
古込氏 そうですよ。だって本当に簡単にそんなレッテル貼るわけだから、すごく人格を疑う。地域医療の反応というのは、病院の反応にしろ、周りの反応にしろそういうことだと言うことで。
インタビュアー 古込さんの後に続く人はあまりあれですね。
古込氏 その後にはその人以外からも、フェイスブックでメッセージが入って来て。その人のメッセージを見る限り自分も出たいというのは、もう文面から読み取れて。どんなふうに生活してるのとか、一人でちゃんと支障がないのとか聞かれてて。今は自分のことでちょっと精いっぱいになっていて、市役所とか行政といろいろ交渉もやっていたんで。返事をする暇がなかったんだけど。ちょっと落ち着いたらその辺返事しなきゃいけなくて。
インタビュアー やっぱり目指したいと思う人はいるんですね。
病院で入院していて一番、うれしかったことって何かありますか?病院にいてよかったこと。
古込氏 うーん。今の体験は病院にいなくても出来た?だろうから、病院いたからそういうのにいけたというのもないけど。強いて言えば囲碁に会えたこと。
インタビュアー ということは養護学校の方ですね。そうですか。一番病院の嫌なところ。
古込氏 病院と言うより、この病気で嫌なところと言えば自分で何も決められない。学ぶ機会がない。他人に人生を決められる。
インタビュアー 言われちゃうんですね。決められちゃって、反撃もできない。
古込氏 だからこっちで全部やってあげるみたいな。言い方されるとそれ嫌ですね。
インタビュアー すいません、すいませんみたいな感じですよね。言いたくないけど。
古込氏 そんなこと言わんでも別にいいのに、私言ってるわけだから、ちょっとおかしいなって。
(処置)
インタビュアー ビデオメッセージみたいな感じの発信ありましたよね。病院の会議室とか借りて。大変でしたね。すごい大変ですね。あれって隣の部屋で会議やってるんですね。その部屋を貸してくれたんですか。
古込氏 それで隣の部屋にたまたま会議が入ってしまって、その内容は個人情報の含まれている可能性があるからって、多分それで。
インタビュアー 部屋ありそうなもんですけどね。もっと他に。見張りというか、立てて何かあったときに病院は管理の方に回っちゃうんですね。責任とか。
古込氏 そうですね。
インタビュアー すごく気を使って見えるような文章?だったので、大変だったなぁと思って。病院からものを発信するのにも。
古込氏 病院でしたらやっぱり。
インタビュアー 気を使いますね。
古込氏 いやいや、フェイスブックで発信するときは、あからさまにふざけた内容以外でってところでは、本当に神経使う。
インタビュアー これから、出たい人というか、病院を選んでいる人は病院でいいと思うんですけど、
古込氏 そうそう。それでどうなるわけでも、自分も前はそうやったわけだから。
インタビュアー それに外に行く怖さとか、勇気とか、不安があるという人も選択はできるので。
古込氏 私はちゃんと、いかに他の人に伝えるかというか、正しい情報をいかに伝えるかという。自分で自分の役割があるから。
インタビュアー 普段は何してみえるんですか。自由な時間。
古込氏 私ですか。楽しいですよ。市役所とやりとりしたり。
インタビュアー メールで?
古込氏 支援団体とやりとりしたり。取材の対応やったり。この2か月の話ですよ。そういうのをやったり、シフト表作ったり
インタビュアー 外は行かれてないんですか?病院以外は。
古込氏 通院以外はまだ行けてないです。
インタビュアー 寒いですしね。
古込氏 医療関係の人には、リハビリの人には私は家から車いすに乗りたいと宣言して。
インタビュアー まだ座ってないですか?
古込氏 協力もしてもらえるって、リハビリの人にも外出がしたいって伝えてある。
インタビュアー リハビリの訪問もしてもらっている?
古込氏 訪看のステーションからリハビリを。
インタビュアー 毎日?
古込氏 いや、週に2、3回。
インタビュアー それでこういろいろと。
古込氏 そうですね。
インタビュアー いい人についてもらってますか?
古込氏 はい。
インタビュアー 看護師さんも優しそうやし。
古込氏 丁寧ですよ。
インタビュアー 全然違いますね。病院と。結構、いいよって。あとに続くといいですね。
古込氏 そして日常生活の支援で、ヘルパーが頑張ってくれて生活成り立ってるんで。
インタビュアー ヘルパーさんもいっぱい育つといいですね。わかりました。