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「『不幸な子どもの生まれない運動]への称賛を公言してはばからない兵庫県立こども病院と、それを容認する兵庫県に抗議し、記載の削除・訂正を求めます。」

わたしたちの内なる優生思想を考える会 2017/10/31

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last update: 20171027


2017 年 10月 31日

「不幸な子どもの生まれない運動」への称賛を公言してはばからない兵庫県立こども 病院と、それを容認する兵庫県に抗議し、記載の削除・訂正を求めます。


兵庫県立こども病院院長 中尾秀人殿
兵庫県立こども病院名誉院長 小川恭一殿
『兵庫県立こども病院移転記念誌』編集委員会各位殿
兵庫県知事 井戸敏三殿

「わたしたちの内なる優生思想を考える会」
連絡先:〒557-0041 大阪市西成区岸里 3 丁目 7-1-904 古井方
TEL:06-6652-6398
E-Mail:fwka2024@nifty.com

〈賛同団体・個人 2017.10.24 現在〉
脳性まひ者の生活と健康を考える会、グループ生殖医療と差別、
日本脳性マヒ者協会(全国青い芝の会兵庫青い芝の会広島青い芝の会
障害者の生活保障を求め行動する会、新空港反対東灘区住民の会
古井正代、斉藤日出治、古井透、後藤由美子、利光惠子、古賀稔章、南守

この度、兵庫県立こども病院が、ポートアイランドへの移転を機に出版した『兵庫県立こども病院移転記念誌』(2016年3月発行)の中で、兵庫県が過去に実施した「不幸な子どもの生まれない運動」を「本邦では初めてのユニークな県民運動」と称賛し、開院に際して「このこども病院は、未来を築いていく子供達への贈り物として建設したもので、不幸な子供の生まれない県民運動の一翼を担うもの」であり「兵庫県の大きな誇り」と金井知事(当時)が語ったことを無批判に取り上げている(小川恭一名誉院長による「兵庫県立こども病院誕生当時のこと」『記念誌』p.17)ことを知り、驚くとともに強い怒りを禁じ得ません。当時、「不幸な子どもの生まれない運動」に対して、「青い芝の会」はじめ障害者運動から強い批判が投げかけられ、「運動」自体を見直さざるを得なかった歴史的経緯を一切忘れてしまわれたのでしょうか?

思い返せば、兵庫県衛生部が中心になって「不幸な子どもの生まれない運動」をスタートさせたのは1966年のことです。1970年には「不幸な子どもの生まれない対策室」(以下、「対策室」)を設置し、障害児は「不幸な状態を背負った児」(兵庫県『不幸な子どもの生まれない施策―5か年のあゆみ』より)であるとして、その「出生予防」のために様々な施策が実施されました。1967年からは、優生保護法12条による精神障害者や知的障害者への強制不妊手術の費用を県で負担して普及をはかりました。1972年には、「先天性異常児出産防止事業」として、胎児の障害チェックのための羊水検査を県費で実施することを決めました。「対策室」設置とほぼ同時期に開院した「兵庫県立こども病院」は、院内に「不幸な子どもの生まれないための指導教室」を開設し、前述の羊水検査を実際に行うなど、まさに、「不幸な子どもの生まれない運動」の中枢を担ったのです。

これに対して、「青い芝の会」の障害者達は激しい抗議行動を展開しました。そして、(1)「不幸な子どもの生まれない運動」は、障害者の生を胎児の段階から不幸であると決めつけたものであり、今、生きている障害者達をも「あってはならない存在」とみなすものである、(2)「障害者がかわいそう、気の毒」「五体満足で生まれてほしい」などといった考えは健常者の発想であり、障害者差別の具体的な表れである、(3)行政による羊水チェックの推進は、障害者の生存権を否定するものであると主張して、「対策室」廃止、羊水チェックの中止、障害者差別に充ちた県行政の姿勢を改めるよう求めたのです。この反対運動によって、1974年4月に「対策室」は廃止され、「不幸な子どもの生まれない運動」も「良い子を産み健やかに育てる運動」に名称変更しました。県費による羊水検査も、同年10月に中止されました。

以上のような歴史的事実を隠蔽したばかりか、『記念誌』の記述を見る限り、「不幸な子どもの生まれない運動」が著しい障害者差別であったとの反省もなされていないと感じざるを得ません。

私たち障害者は、1974年に障害者を不幸と決めつけたことに対して抗議をしましたが、40年近くたった今も、どんな人も生きていけるような社会に変わっていないということがはっきりしています。それは、いまだに障害者の収容施設があり、インクルーシブ教育でなく支援学校があるなど、障害者を地域から隔離するシステムがしっかりとあるということです。

例えば、日本では、今も車いすでは生活できないようなスタイルの建物があふれています。米国等では、アパートを建てる時は、戸数の何割かは車いす用の部屋を作らなければなりません。アトランタでは家を建てる時は、玄関は段差なし、幅は車いすが楽に通れる82cm以上、1階のバスルームは車いすの入れるスペースを確保、この3つの条件を満たしていなかったら建築許可が出ません。この法律は2007年の段階で、世界中で58の国や自治体で施行させています。アトランタでは既存の家でも、希望すれば改修工事に補助金が出るそうです。ところが、日本ではユニバーサルデザインどころかバリアフリーさえ浸透していないために、阪神淡路大震災の時に家が壊れて新しく建て替えた人たちが、前と同じようなバリアだらけの家を建てたものの、その後に脳梗塞になられた方が、せっかく建てた自宅に戻れず、ケアマンションや施設に入らざるをえない現実をたくさん見てきました。未だに「施設」が増えるのは、一生暮らし続けられる安全な建物を「特別視」して(そのほうが儲かることもあり)、一般に普及させようとしないからです。

身体の機能や見た目で「不幸な人」と決めつけ仲間はずれにするのではなく、その人がそのままで生きていく方向を示唆できるような施策を作り、みんなが一生安心して住み続けられるような地域社会を構築しなければならないのではないでしょうか。

私たち障害者は、生まれた時から不幸だと決めつけられることも多々あります。でも、人はだれでも皆、年をとれば障害者になるのではないでしょうか。老いるということは、機能の低下や認知症の症状が表れたりして、今、「あってはならない」と思われているそのものになっていきます。「あってはならない」と思うその価値観は、自分に戻ってくると思います。私たちが、今、しなければならないのは、「障害」や病気のある人々を切り捨てるのではなくて、どんな人でも一緒に生きていける価値観を共有し、具体的な仕組みを一刻も早く構築することではないでしょうか。それなのに、兵庫県の「不幸な子どもの生まれない対策室」は、40年たっても、ひとりひとりの心の中に立派に存在しています。それが「年をとりたくない」「あんな姿になるぐらいなら死にたい」という、人生の最期に情けない気持ちを作ることになると考えます。

この『記念誌』の中では、「不幸な子どもの生まれない運動」を「ユニーク」と表現していますが、「ユニーク」では終わらない問題です。今からでも、私たち障害者が抗議したことを、しっかりと心に刻みつけ、歴史は歴史としてきちんと残していただきたいと思います。「日本軍『慰安婦』はいなかった」「戦争での虐殺もなかった」「福島の原発事故の放射能被害はない」など、都合の悪いことはなかったことにする傾向がありますが、反省しないままでは、次の時代は、又、間違いを起こすのではないでしょうか。歴史の中に、本当のことを取り入れて、これから未来の子ども達に、間違いは間違いとして認め、謝るべきことは謝るということを見せなければならないと思います。

そのうえ、福島の原発事故では、いまだに放射能は漏れていて、健康被害もこれからますますでてくることでしょう。それを母体血検査(母体血胎児染色体検査)のような出生前検査で、生まれる前から選別し、世に出さないようにする価値観がここに至っても表れるのではないかと危惧されます。現在、インターネット上では、「低価格で簡単に受けられる」といった母体血検査の売り込みも、既に始まっています。時代が変わっても、兵庫県が先頭をきって「不幸な子どもの生まれない対策室」を作った発想と何ら変わっていません。

人を選別することは差別をつくることです。私たちの時代には、差別をなくさなければなりません。この「不幸な子どもの生まれない運動」を「ユニークな県民運動」と表現することこそが、反省もなく、未来もないことにつながります。

2012年には「障害者虐待防止法」が施行され、2014年には「障害者権利条約」を批准、2016年には「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(いわゆる「障害者差別解消法」)が施行されました。「障害者差別解消法」では、障害を理由に差別的な取り扱いをすることを禁止し、障害に対する合理的配慮の提供を求めています。障害者差別解消に向けて先頭に立って施策を進めるべき公的機関において、今回の記述にみられるように、差別を助長させることなどあってはならないはずです。

以下の項目について、12月末日までに、文書にて回答くださいますようお願いします。



*作成:小川 浩史
UP: 20171028 REV:
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