HOME > 全文掲載 >

レビュー:《FOuR DANCERS vol.78》帰山玲子/池端美紀

村上 潔 2017/10/13

Tweet
last update: 20171013

◆帰山玲子

 BGM(効果音)は、@子どもたちの声→A水の流れる音と生きものの鳴き声(山・森をイメージさせる)→B霧笛、と変遷する。
 動きは、@での[A:収縮・弛緩・伸び上がり・平行移動・回転・伏せる・屈み込む]という空間の縦横を流れる展開に始まり、自らの立ち位置を確認したのち、[B:引き抜く・押さえつける]アクションに移る。そしてAでは[C:さまよい]、Bに至り[D:次なる進路を見据えて立ちすくむ]。
 Aは、自己を知る、つまり自分はどこまで動けるのか・動けないのかを身をもってつかむ過程である。Bは、何らかの他者・対象に向けたアクションである。A→Bの間には、「成長」・「進歩」・「世界の広がり」が見い出せる。が、一転、Aでは人知を超えた、未知の、巨大な存在/秩序(=「自然」)に直面し、自らの能力の及ばない範囲のあることを思い知らされる。そこでの手探りの適応(C)が、Bでの主人公の新たな「旅立ち」(D)を準備する。
 ここで特に問題になるのは、AとBの関係である。Bの霧笛は、唯一「人工的」な音であり、近代文明の象徴といえる。Aの「自然」状況とは断絶がある。ただ一面では、霧笛は海の象徴である。海という存在は、Aの山・森の世界と(水を通して)つながる。
 つまり、このパフォーマンスにおいては、「自然」と「文明」という2つの極が、連続・非連続両方の回路で接続される。それを媒介するのが「子ども」という存在になるだろう。
 これをより明快に提示するのであれば、@→Bの展開を逆にする、という方法はありえるだろう。その場合、鑑賞者としてはどのような印象になるのか、興味がある。
 ちなみに、もっとも「わかりやすい」組み立てはA→@→Bとなるだろうが、これはあまりにも安易すぎて印象は薄まる。
 もう一つ考えられるのは、霧笛を「波の音」もしくは「艪を漕ぐ音」に変えてみることだ。この場合、A→Bの流れが陳腐化する可能性は高い。B→@→Aという流れが効果的なように思える。
 このように、様々なアレンジ/バリエーションが構想できる、汎用的な設定であると思うので、今後の継続的創造の方向性に期待したい。

◆池端美紀

 流れを順にまとめると、
@ポップな音楽に乗せ、キッチュな出で立ち、人形的な動作で登場。
A徐々に悩み・戸惑いの様相を見せ、自我の生成を体験していることを窺わせる。
B自己の身体の可動域を確認していく作業。
C「悦び」の表出。
D官能性のほのかなアピール。
となる。
 A〜Cは、非人格的な主体が人間性を獲得していく過程として、直線的に理解できる。
 問題はDである。Dは、人間性獲得の延長にある(到達点な)のか、逆に人形性への回帰なのか。これは両方の解釈が可能であると思う。後者で理解したほうがより「おもしろく」はなる。つまりそれは、人間性の獲得過程はどこかで「裏切られる」ことを主張しており、また人間性(もしくは自我)のイメージ自体を解体/相対化する意味をもつからだ。
 シンプルな設定と展開ゆえ、確定的な解釈は難しいが、華やかな装いの裏にノワールな「肌寒さ」を忍ばせたパフォーマンスだった。これがデカダンスへと展開するのであれば、その入り口まで見てみたい、と思わせられた。


■FOuR DANCERS vol.78
2017/10/12 19:00〜22:00
於:UrBANGUILD
・池端美紀
・大歳芽里+Jerry Gordon
・帰山玲子
・中島由美子
http://www.urbanguild.net/ur_schedule/event/1012-thu-four-dancers-vol-78


*作成:村上 潔
UP: 20171013 REV:
全文掲載
TOP HOME (http://www.arsvi.com)