「この問題」
古込 和宏 2017/02
古込和宏「「この問題」」
古込和宏
2017年2月 記
「この問題」※01が言われ始めたころ、テレビの報道※02を観ながら「別にあってもいいと思う」って思わず呟き周りの患者から、かなりのひんしゅくを買ったのを思い出す。本気で自分を「その程度」の「モノ」と思っていたので。
これ最大の親不幸なんだけど。
「あなたはどこから来ましたか?」と聞かれたら、遠い昔に輪島にいたのは思い出せる。 「あなたは今どこにいますか?」と聞かれると答えに詰まる。
書類上、住民票は輪島市で、肉体は金沢市。
「それはあなたの意思でそうなのですか?あなたの意思はどこにあるのですか?」と聞かれたら、これに限っては明確に答えられる
「私のことは周りの人に聞いてください」と(笑)
これ私に限らずだけど周囲の意思決定が書類一つで処理され私の意思として一人歩きする。
まるで不動産物件か何かのように他者の思惑や利害だけで私の所在は紙きれのように風で舞う。だからといって同調圧力を打ち破り意思表示なんて防衛本能が先に働き、なかなか難しいと思う。その反応を確認できたとき周囲は安堵する。
話は大きく反れたけど、私は「ヒト」? それとも「モノ」?
2017年2月20日 Facebook投稿 より
※01 「この問題」とは、私の中では医学的疑似術を用いて合法的かつ正当な理由として選別し障害者を抹殺しようとする試みだと今の私の中では理解している。
※02 テレビの報道 鹿児島大学のデュシェンヌ型筋ジストロフィーの着床前診断の申請を却下したものか、慶応大学のものか記憶は定かでない。
※03 日本経済新聞 2017/2/15 0:33 着床前検査、学会が6施設で開始 「有用性と倫理面、検証」 投稿は、この記事を読んでのものであり、自分の中にある傷の深さについて改めて考えた記事。