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『広芳の小部屋』

橋本 広芳 20160630-20171105 

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ひろよしの小部屋♪ はじめまして! 2016/06/30
https://www.youtube.com/watch?v=5ksNGtyC_Bo
広芳の小部屋♪ 其の一 2016/10/05
https://www.youtube.com/watch?v=NfaZB2pwxsc
広芳の小部屋♪ 其の二 2016/11/01
https://www.youtube.com/watch?v=zppAYHP2DHs
広芳の小部屋♪ 其の三 2016/12/11
https://www.youtube.com/watch?v=airqE2zQSW4
広芳の小部屋♪ 其の四 2017/01/05
https://www.youtube.com/watch?v=xf5lDjo8rl4
広芳の小部屋♪ 其の五 2017/02/09
https://www.youtube.com/watch?v=4BCpbR6jEQU
広芳の小部屋♪ 其の六 2017/03/05
https://www.youtube.com/watch?v=lrBU9TCSA18
広芳の小部屋♪ 其の七 2017/04/05
https://www.youtube.com/watch?v=AU_KaW-HEu4
広芳の小部屋♪ 其の八 2017/05/07
https://www.youtube.com/watch?v=XZadkl_kGmM
広芳の小部屋♪ 其の九 2017/06/02
https://www.youtube.com/watch?v=HVvoETyNm98
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【7下・】20160630-20171105 「広芳の小部屋」14本 計65分

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■ひろよしの小部屋♪ はじめまして! 2016/06/30 [00:01:54]

橋本氏 みなさんこんにちは。あいえるの会で理事をしている橋本と申します。
 私は文章を書くことはもともと得意なほうではありませんけれども、あいえるの会のなかでは比較的、歳をとったほうなので、いつ死ぬかもしれない。ので、あとはまあ、ときには文章など書いてみたらという声が、みなさんから言われましたので、私は現在、週に1回ほど日記ふうに文章書いてみることにしました。いつも同じことを書いたり、つまらないことが多いんですが、私なりに思ったことや感じたことを書いているつもりです。
 ほんとにあの、小さなことになるかと思いますが、みなさんに読んでもらえれば本当に嬉しいと思います。あとは、どうぞ意見などあればお知らせください。よろしくお願いいたします。
 はい、終わりです。はい終わり。

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■広芳の小部屋♪ 其の一 2016/10/05 [00:02:34]

橋本氏 はい、みなさんこんにちは。
 この頃は日本のことを色々考えると…、日本も非常に豊かな国でありますが、何か昔から比べると、みんなの心はギスギスしてて、何か余裕がないようなっていう感じがしております。人殺しのニュースとか暗いニュースばかりが目立つような気がします。
 もっと日本人は昔からこう、働き者であったり、人と人が付き合いするのがすごく得意な国民じゃなかったかなあ、と思うんですよね。その中でやっぱりお互いに助け合ったりして生きてきたんじゃないかなあ、と思います。もっと私たちは障害者も健康な人も、もっとお互いにこう、納豆のように粘りっこく、助け合ったりねえ、何つうか、もっと楽しみあったり、にこにこしながら付き合っていければ、いい社会になるのかなあ、と私は考えております。
 私自身は、UFOや宇宙のことや将棋が好きな男でございまして、結構UFOのテレビ番組も見てますよ。あ、あとそれと、私はこの頃歳とって、昔のように体が利きません。それでヘルパーももっと増えればいいなと思っております。みなさまご協力お願いいたします。
 今日はこれくらいにいたします。じゃまたね〜。

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■広芳の小部屋♪ 其の二 2016/11/01 [00:03:52]

橋本氏 (せせらぎ小道を電動車いすでやって来て、カメラの前で停まる。)ああ、よいしょ。はい、こんにちは。
 テレビを見てたらば、何かこれから近い将来、日本の国の人口が減っていくということが言われてますね。人口が今でも減ってるのに、これからも減っていったらば、社会福祉はどうなってしまうのか、ちょっと心配です。
 あとはまあ、本日は、昨日か今日のテレビでも年金の、何ですか…、公平性という言葉で年金を目減りしていくと言ってますね。年金がもっと…、これでもまだ不十分だと思ってるのに、年金が減っていくということだったらば、私たちの生活っつうか、年金に頼る部分もかなり多いのに、やっぱり大変じゃないかと思いますね。
 まあ郡山も今は豊かですけども、ずっと将来は郡山だって、あの夕張のように、いつなるかもわからないのかなあ、と思ってしまいます。まあ、郡山も色んな建物を作ったり、いっぱいしてますよね。建物作るのはいいんですけども…、
(通行人に)どもー、どもー。

通行人 すみませーん。

橋本氏 建物いっぱい作るとお金がかかりますよね。本当に将来のことを計画的に考えてやっているのかなあ、とちょっと心配な気がしてなりません。はい。
 あと、若い人がこれから本当に大変な時代になっていくのかなあ、と思えてなりません。だからうちで、在宅生活を送っている人も脳性まひ者の中にもいっぱいいると思うんです。私よりも体がかるくても生活している人も、早く出てきて社会の中で活躍して欲しいなあと思います。はい。
 どうもどうもまたお話ししますね。そいじゃまたね。
 今日はとてもいい天気で、とても気分が良くなりました。またね〜。
(車いすで去っていく。)

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■広芳の小部屋♪ 其の三 2016/12/11 [00:03:24]

橋本氏 (サンタの赤い帽子と赤いトレーナー姿で)12月は、あの、クリスマスの時です。もうすぐクリスマスですが、クリスマスという日は、多くのみなさまが知ってるとおり、イエス・キリストさんが生まれた日のことを言いますよね。
 ついあの…、キリスト教といえば、私も10年ほど前にあの、何ですか、この顔でっていうか、クリスチャンになりました。
(白いひげがついて)何でクリスチャンになったかというと、本当はもっと若い時にクリスチャンになろうと思ったんですが、本当はもっと勉強してからと思っているうちに、歳とっちまったんです。
 そして54歳の時に大きな喘息の発作が起きまし…、起こしてしまったので、いつ死ぬかわからないと…、ていう気になって、死ぬ前にぜひともクリスチャンになっておきたかった…、たんですよ。だから洗礼を受けました。
(赤いサンタ服を着て)クリスチャンになったのですが、私はまだまだ勉強が足りないと自分では思ってますので、聖書をもっと、もう…、あの2回ぐらいは聖書は端から端まで読んだことあるんですが、もっと勉強したいと思っております。
 そしてあの、クリスチャンの方(かた)には、小さい時とか、だいぶお世話になったっていうこともあります。そしてやっぱりこの歳まで、私みたいないい加減で弱い人間が生きてこれたのも、神様のおかげなのかと、どこかでは…、
(ひげがずれて来てしゃべりづらくなったのを介助者が直す。)
…思っているので、とにかく勉強をしたいと思ってます。
 まだまだいい加減なクリスチャンですけども、まあとりあえずは、メリークリスマス!
 みなさん、よいクリスマスを〜。またね〜。
(車いすで去っていく。)

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■広芳の小部屋♪ 其の四 2017/01/05 [00:03:13]

橋本氏 はい、こんにちはみなさま。
 私は今自分の人生を振り返ると、親と親兄弟と一家そろって生活してた頃と合わせて、最近まあ、自分の人生を振り返って、とてもあの幸せな時期じゃないかと思ってるんですよね。色んな問題はあるにしても、わがままな私が、ちゃんと色んな方の知らぬ手助けを受けて社会の中で生活していけるっていうのは、とってもありがたくて幸せなことだと思っております。
 こないだ日本にプーチンさんが来たけども、例えばロシアの中で障害者はどんな生活をしてるのか、ちょっとあの、ちょっとうん、まあ調べる方法もないけども、ちょっとそんな気がしました。
 あと、夕べのニュースでも今朝のテレビのニュースでもやってたんですが、シリアっていう国の内戦ですか。それがすごく今、最悪の状況だって言ってましたね。私は生まれつき雷が嫌いなんです。それで、それでその、そんな中で、あの、こんな人間が、今、空から爆弾を落ちてきたならば、本当に大変なことだと、これは思います。
 去年も1年間、色んなことがあったわけですが、今年もあの、話題(私?)ったって、私は、大したことはできませんけれども、今年もまた良い年を…、あるように私は祈っていきたいと思います。
 本当にチョボ活(かつ)…、チョボチョボっとした活動しかできない。チョボ活を一所懸命自分ではやっていきたいと思っております。友だち作り、人(ヘルパー)さがし、そういうことをやっていきたいと思いますので、どうぞみなさん、ご支援をお願いいたします。
 よろしくどうぞ。

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■広芳の小部屋♪ 其の五 2017/02/09 [00:05:46]

橋本氏 はい、みなさんこんにちは。
 今日は勝手にたいむILにお邪魔して、ここから色んなお話をしたいと思います。たいむILでは新鮮なコーヒー豆から美味しいコーヒーを販売しております。どうぞみなさん、飲みにおいでくだされば、ありがたいと思います。1杯300円です。どうぞおいでください。
 さて、今日は私の小さな子どもの頃のお話をしたいと思います。小さい頃は近所の子どももいっぱいうちに遊びに来てくれてましたし、山や田んぼや、あちこちで、とにかくよく遊んだことを覚えています。夏になると川や池では、子どもたちが水遊びをしたりしていました。今では考えられないことですが。
 で、あの、よく近所の子どもたちと遊んだのは…、かくれんぼやままごとや、それから缶蹴りとか、当時はよくやりました。だから子どもの時は、本当によそのうちに勝手に上がり込んでいたし、おんぶだったり抱っこしてもらって、あちこちに行ったし、自由でそれなりに幸せな時代だったと思っています。昔が懐かしいです。とってもいい時代だと…。障害者だということも、つい忘れるくらいでした。
 こういった楽しい子ども時代は、私はずっと続くと思ってたんですが、突然それは、そうではないことが、思い知らされました。学校に入るときになって…、前の年ですね、「あなたは(学校に)来れません。」って知らせが届いたんですね。それで私はびっくりして、母親と一緒に校長のところに「何で学校にいかれないんですか?」と聞きに行ったんです、親子で。そしたらば、「あなたのような子は、歩けない、重度の子どもはここには来たことがありません。」と言われました。2回くらいお願いに行ったんですけど、残念ながらその校長は、頭を縦には振ってくれませんでした。
 「家で勉強していいんだから。」と、言ってくれてはいたのですが、福島の親の会の紹介もあって、私はいわきの施設に入ることになったんです。そんなわけで私は、いわきの平(たいら)にある整枝療護園というところに入ることになりました。何で、子ども心にも悪いこともしてないのに、何で私だけが親や兄弟と離れて、誰も知らないところに歩んで行かなければならないのか、ということは、すごくわからなかったです。
 で、このことが、ゆくゆくは私どもが活動するような基盤の理由が、心の中にこう、作ってきたのかなあ、と思いました。で、あのその、こうして私は、親兄弟の元を離れて、施設の入所が始まりました。私はこの施設をはじめとして4ヶ所の施設を回ることになったので、今度お話する時には2回ぐらいに分けてお話をしたいと思います。
 またね〜。
 今日はいい天気で〜す。またね〜。
 はい。どもども。 

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■広芳の小部屋♪ 其の六 2017/03/05 [00:05:54]

橋本氏 今日もとてもいい天気です。郡山としては本当に暖かくて、春がもうすぐですね。でも春というと、花粉症や黄砂や、砂ぼこりがいっぱいたって大変なことも多いです。
 この間の話の続きですが、私は、7歳の時にいわきの整枝療護園…、今の平窪ですね、上平窪だと思うのですが…、そこに入ることになりました。最初のうちは、とても大変で私は小さい頃から、親に甘えっぱなしで、何でもほとんど親まかせにしていたもので、とても大変でした。朝起きて、布団たたみや顔洗いや、あとトイレに行ったり、それから着替えをするのも、本当にとても大変でした。あとやっぱり6ヶ月くらいですかね、家にとても帰りたくなって。あの、日中は良いんですよね、遊んでるから。夜になってくると、すごく家が恋しかったり、親の顔が…、特に母親の顔が見たくなったり、とても辛かったのを覚えています。遠い昔のことですけどね。
 他の人から見ると、私はその当時はすごくこう、体がちっちゃかったんですよ。施設の職員が片手でひょこっと持ち上げられたから。んー、で、ほんとに色々、他の人から見るとヘンテコリンな赤ん坊のようだったと思います。
 とにかく小さいときには私は体もちっちゃくて、みんなにとても、あんまり友だちとも馴染めなかったほうだと思います。おやつの時には、パンとかかっぱらわれたりした時もあるし、あの、取り返しに行ってもかなわなかったんですよね。そいで本当にいじめられっ子だと思いました。先生に言っても「自分で行って取り返してきなさい。」って言われたりして、悔しい思いをしました。
 あと私は小学校4年生の終わりぐらいまで、施設の中を這い回っていました。あの、這いずり回って、車いすは乗ってませんでした。あ、このようにして私は苦労しながらも子どもたち、まあ仲間ですけども、だんだんと慣れてきたんですけども、ちょっとわかんないところは、何でこういう、体が悪い人を施設にやられるのか。あとは何でその、もう少しこう、山の方じゃなくて、街の中でもいいんじゃないかと。何で山の寂しいところにつくるのかなあと。もしかしたら家に逃げ出さないためにかなあと。あと、小さい時にはあの、みんな風邪ひきやすかったんです。風邪ひくと、何人かその肺炎を起こす子どもさんがいて、肺炎起こすと、すぐ死んじゃった子も多かったんですよね。今度は自分の番かと思って、すごく怖い思い…、怖いと思う気持ちもありました。こんな色んなことの思い出があります。
 施設の話はもう1回くらい、この次にしたいと思うんですよ。飽きるかもしれませんが、どうぞ聞いてください。ね!
 では今日はまたね〜。またね〜。(電動車いすで去っていく。)

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■広芳の小部屋♪ 其の七 2017/04/05 [00:05:32]

橋本氏 はい、みなさんこんにちは。
 えー、今日は、施設問題の最後を話しますね。えーと、みなさん、あまり一般の方知らないかもしれませんが、日本で福祉制度ができたのは昭和24年のことになりますね。今から数えるとちょうど68年前。私が生まれる1年前のことです。それまでは、日本では障害者の制度や障害者用の施設はどこもありませんでした。ただその時は戦争で負けた時なので、傷ついた兵隊さんや、行き場のない子どもさんや女の人たちの…、そういうところを守ってくるような、救済政策が日本にあったんですね。で、あの、あの何ですかその、ちゃんとその後できて…、色んな制度や色んな施設ができたのは、日本に、当時ヘレン・ケラーさんってのがアメリカから来たんですね。で、日本の色んな所を回ってお話をされたりして…、回ってくれたことがありました。そんなきっかけがあって、日本の福祉制度や色んな社会福祉施設は整備されて数も増えてきたという現状がありますね。
 日本では一旦施設に入ってしまうと、そこを出るのが大変でした。私も弱気なもんですから、何回も迷いながらも友だちとお誘いがあって、やっと街に出ることができました。日本では施設が解体されたという…、計画的に解体されたという話はないと思います。よっぽど、悪いことをして補助金を多くもらったり、あと、入所者に虐待をしたとか、いう以外は、施設が壊されたという、そういうことはないと思います。
 本来だったならば、障害者自身が色んな訓練や…、生活訓練やリハビリなどをして、長い道のりをして、道のりを通って、地域の人と付き合っていくのがほんとにそれは…、長い道のりを通して障害者自立は図られていくべきなんですけども、それはほんとに障害者本人にとって大変な道だと、道のりだと思います。でもそれは本当のことなんですよね。
 施設は、でも、そんな状況とは…、私たちの状況とは全く別で、親や兄弟や地域の方々の要望によって、どんどん大きくなっているのが現状です。巨大化してコロニーみたいになっていってしまっているのが、とても悲しいですね。私たちの運動は残念ながら、それを解体するまでには至っていません。それがとても残念で、悲しいことです。
 みんなで障害者、街に出るように、頑張りましょう。あいえるの会が今考えている、「ケア付き住宅」もそんなことを考えていく一つのワンステップになるかと思います。みなさんで頑張りましょう。そして、私も頑張ります。
 今日は思いっきり自分の言いたいことを言ったので、さっぱりしました。
 じゃみなさん、またね〜。またね〜。(電動車いすで去っていく。)

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■広芳の小部屋♪ 其の八 2017/05/07 [00:04:07]

橋本氏 今日は、特別に私が今、ちょっとあの、とても心が痛むことや、不安に思っていることを特別に話してみたいと思います。
 今、日本の隣の国である朝鮮半島、あの、北朝鮮、南朝鮮、あの国は昔一つだったんですねえ。朝鮮民族って言って。で、今は二つの国になってしまってますね。あそこでも今、緊張が高まっていると言われていますね。私は、心配なんですよ。たかだか、たかだか何百キロも離れたとこで戦争になれば、あっという間にミサイルやら爆弾が飛んでこないとも限りません。実際にこの間、堤下(つつみした)の町の上を何か怪しいビニールの風船みたいなものが飛んで行って、新聞に出ました。
 もし戦争なんて起きたならば大変です。せっかく長年、長い間、40年も50年もかけて社会福祉が良くなってきたものが、いっぺんに悪くなってしまいます。ところが、世間の考え方とか、国の考え方とか、「戦争だからもう社会福祉のことなんか、やんなくともいいんだ。」ということになってしまいますよね。それが一番私は怖いです。
 戦争はあの、反対(?テロップでは「犯罪」)です。戦争は早くやめるように言ってもらいたいです。力のある人とか権力者っていうんですか。そういう人もやっぱり社会福祉のことを考えて、お互いに譲り合う考え方を取り入れていただければといいのかなと私は思います。まああの小さな島くらい相手の国にあげるくらいな、気持ちで、行政をしてる人、やってほしいなあ、なんて思うのは間違いなんでしょうかね。もっとね、仲良くつうか、尊敬し合ってやればいいんじゃないのかなと私はそう思うんですが、ねえ、どんなもんでしょうかね。あの、安倍さん(首相)の言うこともだんだん、怪しくなってきたしね。私は思います。とにかく戦争反対です。社会福祉が飛んで行ってしまいます。どうも。
 今日は少し生意気なことを言ってしまいました。
 そいじゃまた、お話しします。みなさん、またね〜。お元気で。 

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■広芳の小部屋♪ 其の九 2017/06/02 [OO:04:07]

橋本氏 この間私は用事があって、日和田の、あの和(やわらぎ)美術館とか、デコ屋敷を見てきました。
 あのね、あの、やっぱり自然と(の)中にいるのはいいですね。あの、大きな木の下の(に)、いると本当に気持ちが安らぐのを感じました。とても落ち着いた気分になって、あと、私とても不思議な気分になったのを覚えております。あの大きな木が、何だか知らないけれど、「よく来たねえ。」とか言われているような気分になりました。そしてまた、「また来いよなあ。」って、こうも、言われているような気になりました。
 あの、私の今いるところは、コンクリートの…、道路もコンクリートだし、周りはおっきなマンションばっかりです。あと、車もいっぱいですねえ。4号線(国道)とか。あと、脇の道は結構幅広い道路で、車もいっぱい通ります。自然がすごく少ないような気がします。今までの中でもいちばーん、自然が少ないとこで、私は今生活をしております、
 昔は福島も郡山も、自然はもっと、街の中でも豊かだったと思います。今はマンションが多く建ったり、高い車がいっぱい歩いてるけども、やっぱりどこか寂しいような気もしますね、時々は。あの、みなさま、自然と本当にもっと、親しみを持って、触れ合って、時には自然の中にこう、自分を投げ出しましょう〜。自然をもっと大事にしましょう〜。そんな気がします。
 この頃クマがよく人間の世界に現れて、クマに齧って殺されたり、あと、福島県の浜通りでは、原発問題で人が住まなくなったとこに、イノシシが現れて大変だという話を聞きますが、どれも人間様の都合で、まあ何ていうか、動物の方が大変だなあと時々思ったりします。人間の世界も、動物の世界も、やっぱりその、仲良く暮らせればいいなあと思うばかりです。自然と親しみましょう! 
 これを言って終わりましょう。はい、はい、はい。
 はーい、んじゃ、またね〜。今度将棋の話でもしましょう。またね〜。(電動車いすで去っていく。)

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■広芳の小部屋♪ 其の十 2017/07/05 [00:05:32]

橋本氏 みなさんこんにちは。今日は忙しいのに、私たちのあいえるの会の仲間の方が、理事長はじめ、副理事長や研修生の方が、だいぶ訪れてくれまして、みんなで参加します。最後までどうぞご覧ください。
 この頃はあの、あったかい日と寒い日が、代わりばんこにやってきて大変です。私たちも健康を維持していくのが、とても大変です。そして5月と6月は大変日程が、色々続きまして、ほんとに忙しいです。これから夏になってくるので、頑張りたいと思います。まだまだ修行が足りませんが、色々勉強して参ります。ああ、うん。もういいかな? 今度は若い方に代わります。どうぞ。

三宅氏 あいえるの会で研修生として研修させてもらうことに4月からなりました、三宅貴大(みやけたかひろ)です。私は4月に郡山(特別)支援学校という学校を卒業して、まだまだ障害者としては未熟ですが、このあいえるの会で徐々に知識を深めていきたいと思います。次の方を紹介します。

秋元氏 あいえるの会の秋元(あきもと)です。私の家の庭にはトマトとナスとキュウリがなっています。今年、初めて私の母親が植えたものです。植物を育てるというのは初めてなので、とても楽しみです。キュウリが4本なって、とても甘くて美味しかったです。それでは次は理事長の白石さん、お願いします。

白石氏 みなさん、みなさん、こんにちは〜。あの、私はあいえるの会の理事長を務めております。白石です。あの、いつも一緒にいる橋本さんとは40何年ぶり、40年以上の親友関係を保っております。(笑)
 今日はですね、自立生活事業部の集まりがあったんですけど、橋本さんの、橋本さんの橋本小部屋を撮るということで、じゃ、じゃあみんなで行って、みんなで一緒に行くことになって、野次馬根性を使ってみんなで見に来てみました。(笑)
 じゃ、みなさん、また会いましょう。さよなら。

橋本氏 じゃ来週も見てください。

全員 またね〜。

橋本氏 またね〜。

(全員、電動車いすで去っていく。)

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■広芳の小部屋♪ 其の十一 2017/08/01 [00:06:56]

橋本氏 みなさんこんにちは。今日は「青い芝の会」という障害者(?)の集まりのことについて、少しだけお話ししてみたいと思います。
青い芝の会は当時、私たちの大先輩である方が東京や神奈川で自分たちの存在を、街の中で子育てをしたり、生活をしたりする中で、自分たちの生きざまを世の中の人に知ってもらおうという、ものだったと思います。
 青い芝の先輩の方は、当初、何人かの方が郡山へ来てくださった方もあったと思います。その方は、今は亡くなってしまいましたが、当時の私はちょうどあの、20代の半ば頃だったので、その先輩の生き方は凄く、ちょっと、私たちにとっては、ちょっと元気がいいというか、激しいものがあるなあと。あの、何ですかこう、熱い生き方だったので、凄く、衝撃的なところがあったかと思います。私にとっては、どうしてかというと、弱気なところもあるもんでね。あのほんとに、力強いエネルギーに溢れるものであったと思います。その先輩方はガンガンと、世の中に生きていきなさいよとこう、私たちに教えてくれたような気がします。もっと強く生きなさいと、教えられたような気がいたします。
 自分たちの存在を世の中にこう、知ってもらおうということで、大都会の東京や横浜に、行ったという話であったと思います。まあ東京の人たちと、横浜や神奈川県に住んだ方とは、ちょっと考え方は違うようであったけども、どちらもあの、「社会の中の色んな人々に、自分たちの存在を知ってもらおう。」という、そういうことは同じであったと思います。そこであの、世の中の色んな場所場所での、色んな部分でのこう、ぶつかり合いとか、あと、子どもを育てたりしていたので、その中でのこう、色んな困難とか乗り越えながら、生活していったということで、ほんとに、先輩は凄く、それなりに苦労して、凄くあの、何ですか、色んなところとぶつかりあいながら生きていったんだな、ということをお話聞きました。はい。
 その先輩方の生活ぶりは『さようならCP』とかの映画にもありますし、この次、話したいと思いますけども、それはあの、私自分の問題として、小さいときに何で地域の普通の学校に入れなかったのか、とか、どうして自分は、親元や地域の社会を離れて施設に行かなければならなかったのか、と、どうしても心の中に割り切れないものがあったんですね、子どもながらに。そんなことがその先輩方の話の中を聞く通り、やっぱりこう、「ああそうか。」っていう、思うところがあってこう、繋がっていったっていうか、そういうことが大きな…、自分がこう、気持ちの中に受けた大きなことだったと、覚えております。であの、もっとあの、ま、自分自身も先輩のようにこう、熱意を持ってこう、障害者の活動をしなければならないんじゃないかなという、そういうことを強く教えられた出来事だったと思います。そういう、そんなふうに青い芝の会のことは、ちょっと、ちょっとした衝撃的な出会いだったかと思っております。はい。
 今日は青い芝との先輩たちとの出会いについてお話しさせてもらいましたけども、またあとで自分なりにまとめて、もう1回くらいお話しさせていただきたいと思います。
 それじゃまたね〜。どうも〜、またね〜。

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■広芳の小部屋♪ 其の十二 2017/09/11 [00:07:23]

橋本氏 はい、みなさんこんにちは。今日は青い芝についての2回目のお話をしていきたいと思います。
 青い芝のことをあの、知るようになってから、活動の質が何となく、こう変わったいったような気が自分でもしてきたんですよ。何となくあの、考え方というか、もっとこう、命をかけてやれみたいな。あのほんとに、社会をほんとに、本格的に変えていくんだぞっていうのは、こう意気込みがあったかなあと思います。
 で、あの青い芝の会にはテーゼというか活動の教えというか、「行動綱領」というものがあるんですね。4つの行動綱領だったような気がします。
 1つは自分が脳性まひ者であるということをまず自覚しなさい、と。そこから始まるんじゃないかと、すべてはそうだっていうようなことが、あの、まずは教えられました。
 あと次には、強烈な自己主張をしなさい、と。自分がこうだと思ったことは、ちゃんと、はっきりと、しかも激しく自己主張しなさいと。まあこれは私は、どっちかというと、気分が弱気で、性格が怖気づいてしまう方なので、はっきり自己主張しなさいっていうのは、ちょっと今でも難しさがあるような気がいたします。
 あとはあの、愛と正義を否定するっていう教えがあったんですね。愛と正義に対するこれは、ほんとにあの、見せかけだけのもんじゃないかと、いうわけですね。だから、そんな見せかけ的な愛とか正義は、偽物なんじゃないかという、そういうことをはっきり覚えておきなさいと。そういう教えだったと思います。
 あと最後には、問題解決の道を選ばないという、これは激しい、ほんとに、私にとっては激しい教えでしたね。問題解決の道、選ばないってとこでは、すごく悪く言えば、何でも勝手にやりなさいって。あらゆる方法とか、手段を選ばずに、何でもやりなさいと。つまり当たって砕けろみたいな。今のその、テロ行為みたいなことなっちまうわけで、考え方によったらすごくこう、激しいものだと思っております。
 で、本当にそういうことだったもんですから、青い芝のことは、私にとっては本当に衝撃的な、それまでの施設の教えとか、養護学校にはちょっとない教えであって、ほんとにあの、荒っぽいなあと思いました。この教えの中で、私はその、川崎のバス闘争とか、文部省の交渉とか、関わらせていただいたんですが、私なりの反省としては、まああの、そういう激しいものに関わったんだけども、相変わらず、その命がけでやれたかどうかは、まあちょっと問題が残したなあと思います。やっぱり怖じけづくほうが、あちこちに出まして…。白石さんたちとか他の仲間ともやらせてもらったんですが、怖気づいたりとか、弱気な気分とかが、いっぱい出てきたような気がするんで。まあ私はやっぱり、「三つ子の魂百まで」と言って、今でも弱い性格で、ほんとに思い切ったことが、なかなかこう、やりにくい男なもんですから。そういうのは今はどうしても、こう自分なりに考えるんですが、乗り越えていかなければいけないと思ってます。勇気を私に、こう自分で、もっと勇気を出していかなければいけないと、これが今あの、青い芝として1番の、教えていただいた私にとっての教訓だと、そう思います。
 あの、青い芝についての、すごく、思い出深い経験はこれくらいにさせていただきますが、できましたらば、この広芳のノートの中に今後は場合によってはゲストをお招きしていきたいなあと私は思いますので、そのことをちょっと今日は、見ていただいてるみなさんにお知らせして、この時間を終わらせていただきたいと思います。今日はどうも、ご清聴ありがとうございました。
 じゃ今日も見てくれてありがとうございます。またお話ししますから、また見てください。
 じゃまたね〜。どうもまたね〜。(電動車いすで去っていく。)

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■広芳の小部屋♪ 其の十三 2017/11/05 [00:04:01]

橋本氏 はい、こんにちは。広芳の小部屋です。が、今日はいつもと違ってお客様をお招きしております。あいえるの会の副理事長の秋元惠子さんです。これから惠子さんに色々とお聞きしていきたいと思います。惠子さんよろしくお願いします。

秋元氏 こんにちは、秋元惠子です。よろしくお願いします。

橋本氏 惠子さんは、あいえるに、もう、ちょっと長いんでしょうね。

秋元氏 25年ぐらい。

橋本氏 わあ、長いですね。

秋元氏 はい。

橋本氏 惠子さん、物事をはっきりおっしゃる方だと思っておりますが、惠子さん、今どんなことをなさってるんですか? あいえるの会では。

秋元氏 えーと、あいえるの会では自立(生活)事業部といって、地域で生活する障害を持つ方が暮らしやすくなるように活動しています。

橋本氏 そうですか。どうもありがとうございます。惠子さんも私も、だいぶ20年前ぐらいに比べると、お互いに歳とったと思うんですが、今はお幸せですか?

秋元氏 あーあー…、

橋本氏 ごめんなさい。聞きたい…

秋元氏 どちらかと言ったら幸せな方だと思います。

橋本氏 まあ素晴らしいことですね。ではあの惠子さんにあの、ほんとに色々聞いて失礼なんですが、これからの夢とかご自分のやりたいこととか、ちょっと教えていただけますか。

秋元氏 私は、これからは自分の時間をもっともっと作って、本を書きたいと思っています。本を書いて、障害者が本当に理想とする社会を示して、その本を持って子どもたちの学校を回ったりしたいなあと思っています。

橋本氏 ああ、素晴らしいですねえ。惠子さん、今日はどうもありがとうございます。

秋元氏 ありがとうございます。

橋本氏 素晴らしい本が、あの、書けるといいですね。そしたら私も買わせてもらって、読ませてもらいます。

秋元氏 はい、はい。お願いします。

橋本氏 はい、どうもよろしくね。ああ、今日はあの、広芳の小部屋に惠子さんをお招きしましたが、これからも少しずつ色々と面白い方に登場してもらうことにしたいと思いますので、これからもよろしく。じゃまたね。どうも、どうも。

橋本氏・秋元氏 またね〜。

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UP:20180911 REV:
橋本 広芳  ◇病者障害者運動史研究  ◇一覧 
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