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「兵庫県立こども病院誕生当時のこと」

小川 恭一* 2016/03 『兵庫県立こども病院移転記念誌』,兵庫県立こども病院,p.17
*兵庫県立こども病院名誉院長(第 5代院長:平成6年〜平成11年)

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『兵庫県立こども病院移転記念誌』

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last update: 20171028


兵庫県立こども病院がポートアイランドの新しい場所で新しい時代に即した病院として更なる発展をしょうとしていること、時機を得たものと、心よりお慶びいたします。移転記念誌を出される機会に、こども病院創成期に関わった者の一人として、設立当時のことを少し振り返っておきたいと思います。

当時の兵庫県知事金井元彦氏は、小児医療に深い関心を持ち〔子供に障害が起こってしまってからでは遅すぎる。予防は治療に勝ることを真剣に考えるべき」という信念を持っておられ、本邦では初めてのユニークな県民運動となった「不幸な子供の生まれない施策」を展開されました。1966年3月、300余名の女性たちを集めて、金井知事の「不幸な子供の生まれないように」と題する講演と平田美穂神戸大学小児科教授(初代病院長)の「脳性小児麻痺の予防について」の講演を皮切りに、県下の各地で実に33回に及ぶ両氏の講演会が行われたということですが、この間に兵庫県に小児専門の病院を設立しようという気運が高まってきました。

知事は、1967年に兵庫県政100年の記念事業の一つとして小児総合病院設立の構想を固められ、平田教授、遠藤中節神戸大学医学部長らを中心に「こども病院設立準備室」が設置されましたが、この際に県当局の要請で竹峰久雄医師(4代目病院長)が小児科教室から出向し設立準備業務に携わりました。

紆余曲折はありましたが、ポートアイランドの造成埋め立て用土砂採取後地の須磨区高倉台に設置が決まり、「子供は大人の小型ではない」という基本理念のもとに、一人の患児を複数の専門医が同じ場所で診ることが出来る小児の総合医療センターとし、医療相談施設や研修・研究施設も併設しようという設立当初の夢に向かって平田院長以下関係者が一丸となって取り組みました。この際、神戸大学医学部の全面的な協力を得たことは、設立に向けて大いに追い風となりました。それは、神戸大学が地元の大学というだけではなく、小児科教室(平田美穂教授)が日本小児科学会、新生児学会のリーダ的存在であったこと、麻酔科の岩井誠三教授が国立小児病院や北米施設での豊富な経験があり、本邦の小児麻酔のリーダであったこと、第二外科教室(麻圏栄教授)で既に小児・新生児外科の先端的な治療や心臓手術が行われていたことなどによります。

開院準備にあたり、人材を全国から募るとともに、就任予定者の研修が先端的な施設で行われましたが、医師を北米の先端的施設へ派遣し研修させたことや、北米に留学中の複数の有能な医師を招聘したことは、開院早期から診療成果を挙げることが出来るとともに本邦の先端的小児病院として発展出来る契機を作ったものとして、高く評価出来ると思われます。

1970年5月5日に待望の開院式を行うことが出来、8日から診療が開始されましたが、開院に当たって金井知事は「このこども病院は未来を築いていく子供達への贈り物として建設したもので、不幸な子供の生まれない県民運動の一翼を担うものです。子供という特殊性に適した診療体制をとるこの施設は、兵庫県の大きな誇りとなるでしょう」と述べられました。我々兵庫県民が誇り得るこども病院の活動は、場所が変わっても変わり無く続いて行くことでしょう。今後の世界を見つめての更なる発展を願って止みません。


■cf.

◆立岩真也(障害学会会長)→小川恭一(兵庫県立こども病院名誉院長) 2017/12/31 「公開質問状」


*作成:小川浩史
UP: 20171028 REV:
優生:2017(日本)  ◇「『不幸な子どもの生まれない運動]への称賛を公言してはばからない兵庫県立こども病院と、それを容認する兵庫県に抗議し、記載の削除・訂正を求めます。」   ◇全文掲載
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