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生存学 E-mail Magazine No.64

2015年07月31日
[Korean]


立命館大学生存学研究センターでは、メールマガジンコリア語版を定期的に配信し、情報発信、研究交流に努めていきます。
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● 目次 ●

1 【 生存学研究センターの新しい「顔」(15)中倉 智徳 】
2 【 『生存学』第8号「特集2:クリエイティブ母」の紹介 】
3 【 開催報告:斎藤清二先生講演会「ナラティブ・アプローチからみた大学生支援システムの構築と運営―富山大学での経験から」 】
4 【 研究センター関連の刊行物 】


1 【生存学研究センターの新しい「顔」(15)中倉 智徳】
生存学研究センターでは生存学のさらなる発展に向けて新たなスタッフを迎え入れています。今回は本研究センター専門研究員である中倉智徳(なかくら・とものり)のメッセージを掲載します。

新たに本センター専門研究員として着任いたしました中倉智徳です。私の研究は、19世紀末フランスの社会学者ガブリエル・タルドの社会学理論・経済学理論の研究から、最近ではタルドを起点としたイノベーションおよび発明概念に関する社会科学の歴史について検討しています。いかにして現在と対峙しながら学史研究を行っていけるかを考えながら研究を進めています。

発明と模倣の社会学を唱えたタルドからイノベーション概念の歴史をたどってきました。現在、科学技術政策が科学技術イノベーション政策と呼ばれるようになっています。イノベーションという概念がいかにして制度的な位置を占めるようになったのかを検討するのが今後の課題です。本センターの課題群の一つ、「生存をめぐる科学・技術」にかかわる研究として位置づけています。

生存学では、GCOEプログラム「生存学」創成拠点において一度ポストドクトラルフェローとして任用いただいておりました。研究センターの一員としてまた生存学に関わることができ、大変光栄です。生存学には多くの活発な研究会があり、複数の研究会において共同研究を進めさせて頂いています。生存学の魅力は、魅力的な運営委員もさることながら、多くの院生のみなさんの意志によってつくられるさまざまなプロジェクトにあるように思います。今後も理論的・実践的な課題を共有し議論し研究を進めていく喜びをわかちあえるよう願いつつ、一年間務めさせていだきます。

9月には企画に関わっております「放射能が降ってくる――ビキニ事件と科学者西脇安」展が開催予定です。アメリカの水爆実験による直接的被害や放射能による環境汚染によって多くの人びとの生存に影響がありました。当時の科学者、そして人びとの運動から、福島第一原発事故以降を生きる私たちにとって学ぶべき点があるはずです。ぜひみなさまお越しください。 どうぞよろしくお願いいたします。

中倉智徳
http://www.mememimememimesis.com/profile.html

2 【『生存学』第8号「特集2:クリエイティブ母」の紹介】
『生存学』第8号「特集2:クリエイティブ母」を担当した村上潔・生存学研究センター専属研究教員による紹介文を下記のように掲載します。

ここでは、私が構成を担当しました、『生存学 Vol.8』の《特集2:クリエイティブ母》について、簡単な紹介(お読みいただくための誘[いざな]い)をさせていただきます。

なぜ私がこの特集を組んだのか、その背景・趣旨については、

◇村上潔「特集解説:なぜいま「クリエイティブ母」なのか」(pp.208-212)

に記してありますので、そちらをお読みいただければと思います。ここでは少し別の角度から、この特集を発案した経緯を説明します。

「母」は、「主役」にはなれても/(なりたくないのに)させられても、「主体」にはなれません。ならせてくれません。
「ていねい」な母も、「意識高い」母も、そして「クリエイティブ」な母も、しばしば女性誌やライフスタイル誌の主役に引っ張り出されますが、それは“外から”(主に消費の範疇で必要とされて)付与させれた規定/像であって、生きて暮らす母そのものの主体を示すものではありません。

生身の母は、そういった主役化にちょっと喜び、同時に戸惑い、時にはいらつきながら、生きて暮らしています。ただ、そういった感情や感覚が言語化され、社会に共有されることはまずありません。そこをまず問題にしてみたい、きちんと言語化されたものとして残したい、と思いました。

次に、「では本当の主体性をもった母の行為とはどういうものなのか。いま、それはどうやったら遂行可能なのか」という課題を設定する必要があると感じました。
もちろん、本当の主体性をもった母の行為など存在するのか、という問題はありますし、あったとして、それは(主にジェンダーの問題として)よいことなのか、という問題もあります。そこはたしかに重要です。重要ですが、それを先に言ってしまってはつまらない、と思いました。とりあえず、あったらおもしろいのだから、おもしろいことを先に考えよう、と。

とはいえ、これが、追究していけばいくほど、あんまりおもしろそうでなくなってくるのです。言い換えると、ポジティブじゃないんですね。でも、かわりに、そのおもしろそうでなくなってしまうことそのものが、おもしろくなってきました。「クリエイティブ母」の何がおもしろいかといえば、その、ポジティブには考えられない、おもしろくなさの様態と内実です。
まあ、うんざりする話もたくさんあるわけですが、うんざりする現実を目の前にして、でも目の前にいる子どもや友だち(ネット上だけの友だちも含む)と、一日のうちになるべく多く、楽しい時間、何かを共有する時間、何かを創造する時間を作り出す。日常の生活にぶつぶつ文句も言いながら、頭の残りの部分で考えて、家事・育児の片手間にやってみる。失敗して落ち込んでも、夫にいやみを言われても、また次の日に別のことをやる。その一連の(あまり発展的には見えない)過程が、たぶんいちばんおもしろい。それを私は確信しました。
そうして、この特集を構成することができたわけです。

とはいえ、私の確信などとは別問題に、単純に「クリエイティブ母」という名指しに期待がもてると思う人、もしくはむかつくという人、どちらもいるでしょう。いずれにせよ、みなさんには、この特集をお読みいただいたうえで、お好きなように、自分なりの「クリエイティブ母」を実践したり、くさしたりしていただければと思います。うさんくさい、と思われたら、じゃあうさんくさくない「クリエイティブ母」ってどんなだ?、と考えてみてください。そしてよければ(できれば)、自分なりの考えや実践を、ブログなりZineなりで発表してみてください。他の人の反応を聞いてみてください。それでうれしくなったり、落ち込んだりしてみてください。
それが本当の、主体としての「クリエイティブ母」の出現(増加)につながってくるのだと思います。私はその力を信じています。

先の文章を読んで、
◇家庭における母の(母的な)創造的な行為など、「(母であろうとなかろうと)女がずっとやってきた(やらされてきた)」ことではないのか。なぜいまさらそんなことを問題にするのか。
◇なぜ「クリエイティブ」などといううさんくさい冠をつけるのか。そんなことをしたら、性役割、感情労働、アンペイドワーク、といった「問題」が不可視化されてしまうのではないか。
という疑問・批判的見解をもったかたがいらっしゃるかと思いますので、あらかじめそれにお答えいたします。

「そもそも女はずっとやってきた(のに、不当にも無視されてきた)」という主張は、それこそ女性労働問題研究や女性労働運動の文脈(非正規雇用、アンペイドワーク、感情労働、そしてワーク・ライフ・バランス……)でさんざん「決めゼリフ」とされてきたものです。いまも――おそらくそれは(現実が変わっていない表れという意味で)不幸なことなのですが――されています。その主張は、そして、それをしつこく主張し続けることは、基本的に正しいと思います。ただ、それだけでは少しまずいと思います。
まずい、というのは、戦略的に有効でない、ということだけでなく、その主張に固執することで見逃す部分があるからです。

簡単にいえば、現在の、「学歴のある」・「余裕のある」・「能力の高い」・「意識の高い」アッパーミドルの主婦/母たちの動向を捉える際に、その物言いが有効・適切かというと、そうではないと思うわけです。従来、そうした層の動向を指して言われてきたような、「ニュー・ワーク」・「賢い消費者」・「生活者」・「オルタナティブ」・「ディーセント・ライフ」というような言葉では、いまの彼女らの利害や選択や妥協の意味をつかむのには十分ではありません。普遍的な労働・消費・アイデンティティの問題だけでなく、「手しごと」の意味づけの変化、変動的な文化受容形態、創作物を共有する「つながりかた」の選択、といった要素を考慮に入れて評価することになります。その際に、なにがしか、既存の市民社会的セオリーを少しばかりふみ出した、エキセントリックな大枠の規定が必要になると思うのです。

私が今回の特集で「クリエイティブ」といううさんくさいニュアンスの表現をあえて掲げたのには、そういう背景があります。「そもそも女は……」でいわれる文脈とは別の(プラスアルファとして、もしくはまったく異なる新しいものとしての)動向の重要性を指し示すために、いま思いつく限りでもっとも適切な・有効な言葉だと判断したのです。基本的には、いい意味。だけど、なんだか後ろめたい、気恥ずかしい、欺瞞的、揶揄的、自虐的、なニュアンスも入ります(これは日本語の文章でカタカナで書くとなおさらですね)。さらに、上記の要素に付随して、この言葉は、対象・主体の「階層性」への意識も促します。そうした点がいいなと思いました。よって、この言葉を使うことによって、当事者たちの、自尊心と挫折感、謙虚さと楽天性、やりがいと疲弊、といった自らの存在認識のバランスを、うまいこと表せるのではないかと思ったのです。

いずれにせよ、これからの「母の家庭における創造的行為」に関する研究・論評においては、従来指摘されてきたことと、それでは捉えきれないことの、連続性と断絶、普遍性と特殊性、可能性と危うさ、の両面をきちんと――分けられない部分も含めて――提示する成果が必要になってくるのだと思います。本特集が、そのための足がかりになれば、と願っています。

村上 潔
http://www.arsvi.com/w/mk02.htm

3 【開催報告:斎藤清二先生講演会「ナラティブ・アプローチからみた大学生支援システムの構築と運営―富山大学での経験から」】
2015年6月16日(火)、立命館大学生存学研究センター「生存のナラティブと質的研究会」は、今春より立命館大学大学院応用人間科学研究科に着任された齋藤清二先生をお招きし、「ナラティブ・アプローチからみた大学生支援システムの構築と運営―富山大学での経験から」と題する公開企画を開催しました。
安田裕子・文学部准教授による開催報告を掲載いたします。

詳細な内容は下記のリンク先でご覧下さい。
http://www.ritsumei-arsvi.org/news/read/id/647

4 【研究センター関連の刊行物】
▽立岩真也著 鄭孝雲・裵寬紋訳 20150529 『良い死』、青年社、412p.
http://www.arsvi.com/ts/2008b1.htm

▽中河伸俊・渡辺克典編著 20150526 『触発するゴフマン―やりとりの秩序の社会学』,新曜社, 296p.
http://www.arsvi.com/b2010/1505nn.htm

▽上野千鶴子著 20150515 『思想をかたちにする 上野千鶴子対談集』, 青土社, 405p.
http://www.arsvi.com/b2010/1505uc.htm

▽横田弘 20150603 『増補新装版 障害者殺しの思想』, 現代書館, 254p.
http://www.arsvi.com/b2010/1506yh.htm

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監修:渡辺 克典
編集担当:高 誠晩
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刊行:Research Center for Ars Vivendi, Ritsumeikan University 56-1 Kitamachi, Tojiin, Kita-ku, Kyoto, Japan 603-8577

UP:20150731 REV:
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