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書評:立岩真也著『造反有理――精神医療現代史へ』

北中 淳子 2014/07/01 『こころの科学』176:97
(特別企画:家族療法とブリーフセラピー)
http://www.nippyo.co.jp/magazine/maga_kokoro.html



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  一九六〇年代以降世界中に吹き荒れた「反精神医学」の思い出は、今でも両義的な反応を引き起こす。一九九〇年代末に評者が人類学的調査を行った際には、運動にかかわった先輩から直接指導を受けた医師に出会うことも少なくなかった。しかし、ニ〇一〇年代、主要な論者が現役を退き、鬼門に入った方もおられる中で、彼らが一体何を問題として、何に取り組んだのか、その記憶は急速に失われつつある。
  集団的沈黙が続く中で、立岩氏によると、この「造反」の時代が「不毛」であったとする言説が独り歩きし始めているという。必ずしも自分の利益になるわけではないことに精一杯取り組りみ、心身を消耗した人々の葛藤がこのまま忘れられていくのでは、彼らはあまりにも「浮かばれないではないか」――その思いで立岩氏は対立する人々の、それぞれの思考の軌跡を丁寧に辿っていく。
  立岩氏が掘り起こした当時の文献から伝わってくるのは、半地下である赤レンガ病棟のほの暗さであり、「組織化された秩序」としての都立松沢病院の巨大さであり、「狭い廊下と、広い畳敷きの大部屋で、病者たちは首をうなだれ」ているような、日々の臨床の質感である。そして運動にかかわった多様な医師の人物誌から浮かび上がってくるのは、日常に埋没しそうになりながらも、精神科病棟が醸し出す絶望感に立ち向かっていった人々の試行錯誤と葛藤の歴史だ。
  本書の重要な貢献は、反精神医学を「治療の歴史」として読み直した点だろう。立岩氏が論じるように、当時精神科では、数々の治療技術が試され、批判され、消えていった。ロボトミー生活療法等にかかわった医師が一体何を行い、何を語ったのか――が『精神を切る手術』でロボトミーにより目指されたことと現代の脳科学との関係性を示したように――治療の歴史は、当時の問題の大部分が、現在も未解決であることを明らかにする。一筋縄ではいかない臨床の複雑さに立ち入ることで、立岩氏は時に医師から「地域医療の革新性が保守性と紙一重であった」といった鋭い洞察を引き出していく。
  反精神医学時代にも、ほとんどの医師は治療実践に軸足を置き続けた。そしてそのことが、一見「不毛」にみえVこの時代に、豊潤な臨床文化を開花させた。一九六三年に反精神医学の将来を予見したような文書を医学生に向けて書いた中井久夫や、精神療法の限界点から逆に自閉のパラドキシカルな治癒力を見出した神田橋篠治のように、臨床から頑として動かなかった人々の仕事は、その後糟神科を変えていく原動力となる。さらに運動の挫折は、医療社会科学、医療人類学、多文化間精神医学といった領域との新たな対話を産み出した。そして今、発達障害やうつ病流行をめぐる医師の言説をみるならば、当時の社会構築主義的主張は、医学界においてもはや常識尊となった感さえある(そのことが必ずしもよりよい医療につながらないことの分析こそ、早急に必要だが)。
  反精神医学運動は地域によって異なる展開をみせ、その影響は現在も色濃く残る。米国では、一九五〇年代から覇権を握っていた精神分析家が保守派として批判され、自由に討論するバイオロジー派が民主的な声とされた(Luhmann, 2009)。ただしこの時代の後遺症で、精神科医派は政治的発言をすることに極端なまでに慎重になっている(Metzl, 2009)。逆にラカン派が知識人の言語として台頭したブランスでは、社会的不平等を問題にする地域医療にも多大な影響を与え続けた(Turkle, 1992)。政治的弾圧が続いたフラジルやアルゼンチンでは、精神療法が抵抗のイディオム・集団的記憶の装置として浸透し、バイオロジーとの独自の共存を果たしている()。DSM化された精神医学への批判が米国内から高まり、その科学性があらためて問題となっている今、日本の精神医療がどういう未来像を描くべきなのか――本書は、そのことを考えるきわめて重要なきっかけを与えてくれる。

◇立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,434p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

『造反有理――精神医療現代史へ』表紙


UP:20140719 REV: 
北中 淳子  ◇医療人類学  ◇『造反有理――精神医療現代史へ』 
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